仁者の天下のために度るや、その目の美とするところ、耳の楽しむところ、口の甘しとする
ところ、身体の安しとするところのためにあらず。
墨子 『非楽』
※ ここにいう音楽は、現代の音楽とは、かなり趣の異なるものである。君主にとっては政治
に直結する大きな行事であり、知識人には不可欠の教養であった。今日のゴルフの比では
ない。儒家は、社会秩序を保つ手段として、礼と並んで楽を重んじた。
墨子は、これに真向から反対する。どこからみても、天下万民のためにはならないという
のだ。唐突な感じがしないが当時の生産力・経済構造を考えれば、支配者の浪費紊乱は庶
民への抑圧に直結したのに違いない。
【中国の思想: 墨子Ⅴ】
公輸――墨子と戦争技術者
尚賢――人の能力を正当に評価せよ
兼愛――ひとを差別するな
非攻――非戦論
節葬――葬儀を簡略にせよ
非楽――音楽の害悪
非命――宿命論に反対する
非儒――儒家批判
親士――人材尊重
所染――何に染まるか
七患――君子の誤り七つ
耕柱――弟子たちとの対話
貴義――義を貴しとなす
公孟――儒者との対話
《解説》儒家と墨家とでは、ものの見方が根本的にくいちがっている。「孔席煖むるに暇あらず、墨突黔(く
ろ)ひに暇あらず」(『淮南子』)ということばがあるように、両者とも、時代の弊を救うために活動した点
では、確かに共通しているが、自分の行為に対して下した判断は同じではなかった。儒家は、「君子の仕うる
や、その義を行なうなり、道の行なわれざるは、すでにこれを知る」(『論語』)という、いわば道義的な立
場から政治に参与しようとしたから、結果には無関心であったが、墨子は国家を利し人民を利さない行為は、
すべて有害であると考えた。「非楽編」には、墨子の実利を重んじた態度が典型的に表われている。
一方、儒家は音楽をどのようにみなしたか。『礼記』の楽記編には次のようにいわれている。「楽は天地の和
(調和)なり、礼は天地の序(秩序)なり。和なる故に百物化(感化)し、序なる故に群物皆別あり。楽は天
に由りて作り、礼は地をもって制す。過ちて制すれば乱れ、過ちて作れば暴う。天地に明らかにして然る後に
よく礼楽を興すなり」。 儒家にとっては、音楽は人情の自然であり、人を調和させるものであって、社会秩
序をととのえる重要な手段であるとみなされたのである・・・・・・のちに荀子は、墨子の反文化主義を指し
て、「墨子は実用性を重視するあまり、装飾性を忘れた」と批判したが、儒家の装飾性こそ、当時の社会では
人民を苦しめるガンである、と墨子は考えたのである。
【トランプ旋風とは何か】
この御仁父親がニューヨーク市の不動産開発会社の(エリダベス・トランプ・アンド・ソンの御曹司で71年
には譲り受けた社名をトランプ・オーガネイションに変更。移民に反対するポピュリズムで保守反動な主張は、
共和党方針相反、労働者階層有権者の支持を得る。わたしの見立てでは、米国の「住宅資本主義×英米流金融
主義」の潮流の尻馬に乗りのし上がった独り善がりな傲慢な成金として映る。このような人物が大統領候補と
して話題になるのはある意味時代の寵児、鬼子―喩えとしてのイスラム過激派とメダルの裏表――なのかもし
れない(『傲慢な未体験物体?』2016.02.24)。とコメントしたことがあるが、そもこのような人物を輩出する
米国の選挙制度とはいかなるものかと、普段からまともに考えてこなかっが、図書館へ借りた本を返却したと
きに、渡辺將人著『現代アメリカ選挙の変貌』(名古屋大学出版会)と半田正夫著『著作権法概説』(法学書
院)と併せて借りてくる。
米国政治は選挙で動く。コンサルタント主導のメディア戦略では手の届かなかった多様な人々をいかにして摑
んでいくか。オンライン技術とともに新たな潮流が展開する選挙民対策の現場から、デモクラシーの進展と分
裂の可能性をともに孕んだアメリカ選挙の現在を浮彫りにするとあるように、現代アメリカの選挙における「
アウトリーチ」という選挙民対策と集票戦略の現場の詳細を事例研究によって明らかにするとともに、選挙に
おける政党のあり方と、そこにおけるアウトリーチ戦略の位置づけをマクロ的に把握し、デモクラシーの進展
と分裂の契機をともにはらんだこの戦略の意義を検討するものである。アウトリーチ戦略に注目することで、
アメリカのデモクラシーの姿を立体的に描く試みである。その手がかりとして(1)議員と政党の関係、(2)
投票と政治参加から分析を行う同著「はじめに」より。
● 外部の影響に無防備な米国政党
米国連邦議員の議会事務所の一週間は月曜早朝の会議で始まる。オフィスマネージャー(スケジューラー)が
議員の「今週のスケジュール」(月曜早朝に配付されるスケジュールは議員の動きを分刻みで詳細にまとめた
もの)を全スタッフに配付。前週末までの時点で議員の予定は出尽くしており、これ以後のアポイントメント
は原則受けつけず――金曜夕方から月曜昼まで選挙区活動で地元に戻っている議員本人は、月曜朝の会議に出
席しない――首席補佐官がスタッフ一人のスケジュール提案に反論を試みる形式で会議は進め、「なぜその公
聴会に議員を出席させる必要があるのか」「なぜその新聞社のインタビューを受ける必要があるのか」と。重
要なのはプライオリティ(優先順位)の再確認で、その判断基準となるのは選挙区の利益である。
選挙と議会活動は一体化しており、立法もその他の活動もすべて選挙から逆算される。事務所は定期的に選挙
区向けのアンケート調査を行う。その項目は経済から外交まで多岐にわたる。とくに興味のある政策争点とし
て印が付けられていれば、その項目のより詳しい立法状況を別途送付するサービスを行っている事務所もある。
また、選挙民の意見書への返事書きも、ジュニアレベルのスタッフが選挙区の関心争点を学ぶ上で大切な作業
である。
これを看て日本や欧州の政党像を米国の政党にあてはめるのは、大きな誤解を生むからだ。実際には現代民主・
共和の二大政党は、日本や欧州の政党の多くと比べてはるかに脆弱な存在なのである。米国の政党に党首や党
本部が存在せず、党議拘束もなく、規律もきわめて弱いことにもそれは表れる。大統領領や政党の全国委員会
は長は党首ではないし、全国委員会は大統領選挙のための支援組織であって党本部ではない。なにより日本の
政党との最も大きな違いは、候補者の指名機能を持っていないことだ。政党の執行部が公認候補者から比例名
簿の順位まで決める日本の慣習からすると、とても信じられないかもしれないいう。現代の米国では政党の候
補者を予備選挙によって有権者が直接決め、このことの意味の大きさは想像を超えるのだ。つまり、有権者の
支持さえあれば、政党の執行部の方針に反発する候補が当選することがある。
それほどまで、米国の政党は、選挙を通じ外部の影響・浸透に無防備なことにある。議会研究で知られるD・
メイヒュー(?)が唱えるように、政治家の最大の目的が再選であるとすれば、候補者を誰が公認するか、選
挙資源を誰が用意してくれるかは、議員の行動を大きく影響する。選挙区に背いてまで党に忠誠を示し続ける
ことの意味は少ない。大統領が推進する法案に賛成しても、それが選挙区の多数が好まない法案であれば、再
選は危うくなるが、他方で選挙区の意向を代弁すれば、それがそのまま再選活動になる。
この議員の行動が日本にも比較的分かりやすい事例として通商問題――環太平洋経済連携協定(TPP)の交
渉に関与していた日本政府の関係者が「与党の大統領が推進する協定に、同じ政党の連邦議員が反対をしてい
るのはなぜか」「日本や韓国の政府ならば実質国内総生産(GDP)の成長率予測で国民を説得するが、米国
議員は国民の説得でGDPを持ち出さず、雇用ばかりアピールするのはなぜか」。端的にいえば、有権者にと
っての通商問題の関心事が雇用の増減に収斂していることに、議員が敏感に反応し、自分の党の大統領よりも
有権者が大切なであり、そこには国の生い立ち(歴史)――議員の忠誠対象の選挙区は州という単位に収斂さ
れるのは13植民地が同時に独立し、連邦政府は後発的であり、死刑から麻薬についてまで、州境を一歩また
げば法規が異なり、州が個別に軍隊まで持つ連邦議会の議場は、議員は政党名や会派ではなく出身州の代弁者
であり大統領選挙では、ほぼすべての州で採用する勝者総取りのルールでまず州の勝敗者を決めてから、各州
割当の選挙人数の合計を競うが、そこには州の総意をまず決めるという意志が働く。
もうひとつ、米国人にとっての政治参加の概念のいかんである。つまり、米国市民にとっての投票は、数多く
の政治参加の手段の一つに過ぎず唯一ではない。投票行動研究者のJ・ウォンらの研究によれば、主として、
(1)投票、(2)政治献金、(3)政府公職者への接触、(4)コミユニティ活動、(5)抗議活動の5つ
形態があり、これらが合衆国憲法修正第一条で保証された思想信条の表明の手段――企業や富豪の大口献金規
制の困難さ、膨れ上がるコンサルタント産業と選挙資金、感情的な反知性主義の浸透などの温床ではあるが、
聞かれた予備選挙と長期間の選挙キャンペーンは、米国の草の根デモクラシーのダイナミズムの源――なので
ある。下院選挙のように選挙サイクルが早いことは効果的で、議会活動そのものがキャンペーンになり、有権
者の議会監視と議員への恒常的なアクセスを活発化させる効果があり、日本のような社会の姿勢とは対照的で
ある。
米国で選挙陣営の幹部スタッフが、そのままホワイトハウスや議員事務所で顧問や上級補佐官になれるのは当
選前から自らに賭けて支えてくれた人物であれば安心して相談ができるためだが、より本質的な実務能力に依
存の現れで、有権者同行に精通する選挙プロにこそ、政務の最終判断を任せることにある。これは内政に限ら
ず外交でも、政治的争点になる政策を政策エリートだけで動かすことが困難であり、かなりの程度、内政とり
わけ選挙と有権者の影響を受ける。選挙と有権者をめぐる政治過程の研究は、米国外交政策を分析し予測する
上でも必須の作業だと指摘している。この分析照らせば”トランプフィーバー”が単なるブームではなく米国
民の選挙モーメントの”正体”であり、その結果として、しばしば、致命的な瑕疵をも生み出してきたのだと
腑に落とせる。そして、マルチカルチュラリズム――民族・宗教・性差等を巡り多様な価値観が渦巻く現代世
界で、安定したアイデンティティ形成(合意形成)を実現すべく、米国的共和・民主の二大政党制がネットワ
ークという新しい媒体とビックデーター解析を加え、現地で獲得した「体験知」とアカデミアな「分析知」を
融合稼働させ、政治的参加を掘り起こす「アウトリーチ戦略」なるパワーが求められていると。今夜のは、概
略このようにまとめることができるであろう。
この項了
北陸新幹線の敦賀以西ルートの「米原ルート」実現を目指し、彦根市は10日、市役所正面に懸垂幕を設置。
敦賀から大阪への延伸ルートについては米原ルートのほか、小浜ルート、小浜・京都ルートなどがあがってお
り、与党の検討委員会が5月末までに絞り込む予定。JR西日本が1月26日に小浜・京都ルートを提示し有
力候補になったため、米原ルートを推す滋賀県や県内自治体が危機感を募らせている。市役所に設置された懸
垂幕には「未来のために『北陸新幹線米原ルート』を実現しよう!」と書かれている。大久保市長は「米原ル
ートについて継続して検討されるよう、滋賀県などと共に働きかけたい」と話している。なお彦根商工会議所
にも7日に同様の懸垂幕が設置されている(しが彦根新聞 2016.03.15)。
また、中日新聞(2016.03.17)は、北陸新幹線の敦賀以西ルートをめぐり、JR西日本が提案した小浜-京都
ルートの年内決定を求めた福井県議会の決議に、沿線府県からは賛否の声が上がった。沿線自治体がまとまる
にはまだ時間がかかりそうだと報じ、富山県議会の自民党系の最大会派はこの動きに同調。同党県連の中川忠
昭幹事長が「決断を評価したい。JR西も推している案であり、決議は順当」と支持する考えを示し、反発が
予想されるのは京都府議会の。昨年12月に可決した意見書で、舞鶴市を通るルートを主張。同市選出の池田
正義府議(自民)は「福井県議会とは協力してきた経緯があるのに」と残念がる。「少しの速達性より、山陰
新幹線延伸まで考えれば、国土強靱化を優先させるべきだ」と主張を伝える。
一方、滋賀県議会は米原ルートを強く推す。米原市に隣接する彦根市選出の西村久子議長(自民)は「(米原
ルートは)譲れんとこやね」と受け止めた。第二会派の中沢啓子県議(チームしが)も「米原ルートが有利で
あることは間違いない。石川など他県で米原を支持しているところもある」と指摘し、主張の正当性を強調す
る。また、昨年10月に米原ルートの実現を求める決議をした石川県議会もくすぶっている。全線開業までに
時間がかかることで北陸と関西、中京圏との交流が途絶えてしまうことへの懸念が背景――実際に、東京-金
沢の開通で、北陸の大学志望者が東京に一極集中し、大阪の大学経営の脅威となりつつあると彦根でも耳にす
る。同新聞社は、自民党県連会長代行の福村章県議は「費用や工期など国土交通省の調査後に検討すべきだ。
その結果も見ないでの決議は早計では」と疑問を呈していることを伝える。”道を違えば首が飛ぶ”というリ
アリティを込め松井大阪都知事は「一刻も早く、新大阪に新幹線を繋げて欲しい」と要望している。