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帝國のロングマーチⅢ

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      教養については、学校や学歴がどうだということとは全然関係ないと思います。


                                                                           吉本 隆明


                                     

                                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012 


 【中国の思想: 戦国策Ⅱ】 

 

  ● 目 次

   解題
   秦
   斉
   楚
   趙
   魏
   韓
   燕
   西周・東周・宋・衛・中山 

 

  
   趙

  二千四百年前、黄河中流から太行山脈にかけて栄えていた晋がおとろえ、趙・魏・韓の三氏族がこれを分割した。
 趙は河北省南部から山西省北部を占め、前四〇三年、諸侯としての地位を確立した。戦国中期には一時勢力をふ
 るったが次第に四隣の秦に圧迫され、前二二二年、ついに秦にほろぼされる。河北省耶鄲県の南西四キロにある
 部落が、首部耶鄲のあとだという。

  「士は己れを知る者のために死し、女は己れを説ぶ者のために容づくる」
  「兵はもとより天下の狂器なり」
   「功なきの尊、労なきの奉を特みて、もって金玉の重きを守ること飽かず」
   「その言一なれども、言う者異なれば、人心変ず」
   「国亡ぶるは、賢人なきにあらず、用うること飽わざればなり」

  ●  政治は "きれいごと″ではない

  鄭同が北方に遊説し、趙の恵斑文王に謁見した。王が言った。

 「あなたは、南から来た学者とのこと。ひとつご高見をうけたまわりたい」
 「わたしは南方の田舎者、とても人に教えるどころではありません。しかし、わざわざ、ご引見くださったので
 すから、何か申しあげてみましょう。わたしは、子供のころ、親から軍備について教わりました」
 「せっかくだが、軍備には興味がない」

  鄭同は手をさすり、天を仰いで笑った。

 「もちろん軍備は危険なしろもの。おきらいであろうとは察していました。以前、魏の昭王に軍備の話をしたと
 ころ、やはり面白くないとのご返事でした。わたしはこう申しあげたのです。『許由ならば話は別です。許由も
 軍備の話を聞こうとしなかった。それは、許由が政治とかかわりがなかったからです。しかし、あなたはちがい
 ます。あなたは先代の封地を受けついでいらっしゃる。宗廟を安んじ、領土を守り、社稜(しゃしょく)の祭り
 を絶やさぬことを、望まれないのですか』
  昭王は『むろん、のぞんでいる』とおっしゃいました。
  さて、ある男が随侯の珠と持丘の環、それに数えきれぬ大金を身につけて、ひとりで野宿するとします。この
 男に、孟賁や 成荊、慶忌のような勇気がないばかりか、身を守る弓矢もなかったとしたらどうでしょう。一晩
 のうちに盗賊に襲われるにちがいありません。同様に、いま、隣りが貪欲な強国で、あなたに領土の分割を要求
 してきたとします。こんなとき、軍備がなかったら侵略を防ぐ手段があるでしょうか。隣国の思いのままになる
 ばかりです」

  趙王はうなずいた。

 「たしかにそのとおりだ。お言葉に従いたい」

   〈鄭同〉    鄭の人。
   〈趙の恵文王〉 在位・前二九八~二六六年。趙襄子から九代目の王。「肘剱の交わり」(首をはねられて
           も悔いないほどの友情)で名高い勇将廉頗と菊相如はかれに仕えた。「完璧」という語源
           になった故事もこの時代の出来ごとである。すなわち恵文王が名玉を手に入れたところ、
           強国・秦の昭襄王がだましとろうとした。
           そこで萌相如が使者となって秦にのりこみ、無事に名玉をもちかえった(この故事は『史
           記』にくわしい。           い)。
   〈許由〉    堯が天子の位をゆずろうとしたが受けず、潁水(えいすい)で耳を洗ったという。伝説
           の人物。

 《解説》 "再軍備論"の論拠によく引用される一節だが、むしろ、腹とは別に君子づらをしている王にたいする
      皮肉の意味に解せるだろう。

「兵固同天下之狂器也」つまり、「兵はもとより天下の狂器なり」である。"秦"を中華人民共和国、"趙"を日本とし
仮定し、"鄭同"があなたならどのように説くだろうかと想定するのも面白いほど急迫した現実がそこにある。わたし
なら墨子に見習い、反帝國邦連外交を促進し、侵略の不合理さを中国に説き二国間協議を求めながら、トランプ大統
領候補に言われるまでもなく、THAAD(Terminal High Altitude Area Defense missile)を超える、国産のミサイル防御システ
ムを開発配備し、粘り強く解決の糸口を模索するだろうか。


Terminal High Altitude Area Defense missile

 

 

 


● 折々の読書  『China 2049』20


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳    

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 


【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)  

 

 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

 

                趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計


  天安門の後、中国の改革家の多くは、終生の自宅軟禁を宣告されたが、党のシンクタンクの高官のなかには
 西側へ亡命した人もいた,政府による検閲は強化された。新聞や歴史書からこの抗議行動に言及する部分を削
 除するのが主な目的だった。政治学者の裴敏欣によると、虐殺から1年もたたないうちに、中国政府は「全新
 聞の12パーセント、社会科学系の定期刊行物の13パーセント、中国にある534の出版社の76パーセン
 ト」を閉鎖した(注6)。また、3200万冊の書籍を押収し、150本の映画を上映禁止にし、メディアを
 通じて活動した8000人を罰した(注7)。

  こうした恐ろしい出来事にもかかわらず、アメリカの対中政策は、すぐには変わらなかった。連邦議会はト
 ムセンの後継者であるジェームズ・リリー大使の召還を検討し、米中関係を変化させようとしたが、ブッシュ
 大統領はそれを懸命に阻止した(注8)。代わりに彼は、かつてのボス、リチャード・ニクソンの「関係を中
 断してはならない。起きたことは手際が悪く、遺憾でもあるが、長い目で見なければならない」という助言に
 従った,ブッシュの日記によると、ニクソンは「中国とは長期にわたってよい関係を維持すべきなので、貿易
 を停止したり、それをにおわす行為をするべきではない」と考えていた(注9)。ブッシュは大安門に集まっ
 た学生たちを「ありがちなデモ隊の一例にすぎない」と呼んだ(注10),

  しかし、いつもと同じく、中国の見方は違っていた。鄭小平にとって中国で起きた学生運動は、かねてより
 著名なナショナリストが警告していた、民衆の問で親米感情が高まるという危険だけでなく、アメリカが中国
 にもたらしたダメージを体現するものだった。言うまでもなく鄭は、西側の譲歩を得るために、親米感情の表
 出を大目に見てきたが、どうやらたがを緩めすぎたらしいと感じたに違いない。
  中国の過激なナショナリスト(タカ派)は、1980年代初期にはすでに、アメリカの生活様式や文化を、
 中国を破壊する「精神的汚染」と見なす思想集団を築いていた。アメリカは世界的な消費文明を創出し、世界
 を支配しようとしていると、彼らは確信していた。この思想集団の中心的な伝導者である力群と胡喬木は、
 人民解放軍と政治局に支持者を得た(注11)。

  小平はこの過激な反米集団のメンバーではなかったが、こちらが考えてい鄭小平はこの過激な反米集団の
 メンバーではなかったが、こちらが考えていた以上に、彼らに共感していたようだ。北京や他の主要都市で学
 生たちが蜂起したことは、国のどこでも共産党は絶対的に正しい存在だと信じきっていたと他のリーダーを
 驚愕させた。党内部では、あのような抗議行動が起きたのは、共産党打倒を目論むアメリカが、心理作戦を実
 行して導いたからだと説明されるようになった,本来、偏執的だったは、この偽りの主張を信じ、アメリカ
 が、「宣伝組織を活用して、中国のいわゆる民主活動家、いわゆる反体制派、実のところは国の屑を扇動し、
 けしかけ、その気にさせた」と書いている(国司),男はアメリカが中国共産党を打倒しようとしていると本
 気で信じていたのだ,

  天安門事件が自由化への潮流の崩壊を招こうとは、誰も予想していなかった。直後には保守派のひとり、
 江沢民を総書記に任命し、天安門事件を機に、ナショナリストが主張する「精神汚染」という論理を利用する
 ようになった(注13)。そして、李鵬、胡喬木、力群といった強硬派の役割を強化し、人民解放軍と政治局
 にいた改革志向の人々を、組織的に追放しはじめた。多くのアメリカ人に衝撃を与えたのは、改革派の党の指
 導者、趙紫陽が終生の自宅軟禁に置かれたことだ。20年後、コロンビア大学の政治学が‥アンドリュー・ネ
 イサンが、謎に包まれた方法で趙の回想録を人手し、出版した。その回想録には、当時のわたしたちは知らな
 かった圧倒的に不利な状況で、彼がいかにして強硬派に立ち向かい、真の改革を実現しようと苦闘していたか
 が綴られている(注14)。

  ブッシュ政帳内の中国支持者は、一連の成り行きを、できるかぎり肯定的に捉えようとした。わたしもその
 ひとりで、次のように思い込んでいた。趙紫陽の軟禁は一時的な後退にすぎない。中国は依然として民主化の
 途上にある。この追放は過剰反応だ。わたしたちは鄭小平率いる「穏健な」派閥を保護しなければならない。
 は米中が乗った船を正しい航路に戻すだろうし、船は今後も凪いだ海を穏やかに進んでいくだろう、と。
  何かが変わったことをわたしたちは知っていたが、それが永遠には続かないことを、ひたすら望んでいた。

  今になって、自分の単純さが悔やまれる。優れたアナリストなら、一つにすべてを賭けたりしない,少なく
 とも、物事がうまくいかない可能性、例えば改革派と反対派との対立が壊滅的な結果を迎え、真の改革者が自
 宅軟禁になるか、あるいは追放され、アメリカから中国への武器輸出がキャンセルされるシナリオをいくらか
 は想定するものだ。アメリカの最高機密に接していた人々は皆、冷戦時に諜報部門が犯した失敗の数々につい
 て知っている。CIA初の「国家情報評価」は、中国の主張に基づいて、中国は朝鮮戦争に介入しないと断言
 したが、その数日後に中国は介入した。1962年にCIAは、ソ連はキューバにミサイルや核兵器を配置し
 ないと予測したが、それは、そんなことをするつもりはないというソ連幹部の嘘を、CIAのアナリストが真
 に受けたからだった,1979年には、CIAの最高位の分析官ロバート・ボウイが連邦議会において、イラ
 ンの皇帝は権力を維持しており、アヤトラ・ホメイニがそれを奪取する見込みはなく、イランは安定している
 と証言した(注15)。多数の情報源によるものだったが、これも誤りだった。

  1980年代にCIAあるいは国防総省でわたしと一緒に働いたスタッフの中に、中国がアメリカをだまそ
 うとしているとか、諜報上の重大な失策を招く恐れがある、と考えていた人はいなかった。それは無理もない
 ことで、当時はあらゆる情報源と亡命者が、中国は自由巾場経済、選挙制、アメリカとの協力拡大の途上にあ
 る、と語っていた。けれども、天安門後、中国からの亡命者は増える一方で、彼らは何か起きようとしている
 かを警告し、祖国の未来について、これまでとは異なる暗い声で語りはじめた。その時になってもなお、わた
 したちは彼らに耳を傾けようとしなかった。

  一人の亡命者は、少なくともわたしの考えでは、突出していた。高位の亡命者にしては、要求はいたって控
 えめで、国による庇護、新しい名前、家、妥当な給与の仕事、そしてもちろん、彼は死んだと中国の情報部に
 信じさせるための作り話を求めただけだった。通常、亡命者は多くを要求し、特に、かなりの金を得ようとす
 る。また、自分は誰よりも重要な秘密を知っていると言い立てるものだ。しかし、この落ち着きのない小太り
 の男は違った。要求が少ないというだけでなく、わたしたちの常識とアメリカのこれまでの政策を完全に否定
 するようなことを、彼は語った。

  わたしはその男性(ミスター・ホワイトと呼ぼう)と、1990年代初めにペンシルバニア・アベニューに
 あるFB1本部ビルの8階にある国家安全保障会議室で開かれた会合で初めて会った。その会合は異例で、政
 府のあらゆる部門の中国専門家が、数名の亡命者の秘密情報を評価するために呼ばれていた。コーヒーブレイ
 クはあったが食べ物は出されず、1時間の予定だった会合は3時間に及んだ。
  ミスター・ホワイトは、重要な評価対象のひとりだった。秘密を語るとき、視線が泳ぎ、指が震えたが、そ
 れを除けば、信用できるように見えた。彼は、アメリカにいる数名の中国人スパイ、中国の指導者が用いる会
 議室のレイアウト、機密扱いの電話システムについて語ったが、それらの情報は正しかった。また彼は、わた
 したちが既に人手していた中国の機密文書を、偽の文書の中から見つけ出すことができた。嘘発見器による検
 査にもか格した,だが、問題は、彼が提供した新しい情報だった,わたしたちはそれを信じなかった,

  ミスター・ホワイトによると、1986年から89年までの3年間、今後の戦略を巡って政治局内で権カ闘争
 が起きたそうだ。高位の秘密会議の記録を読んだと彼は主張し、タカ派の力と、親米感情を徹底的に排除しよ
 うとする取り組みについて語った。天安門事件は中国の安定を揺るがした。男小平は今、こうしたタカ派の側
 にいるという。ミスター・ホワイトは、あるタカ派集団の役割と、彼らがどのようにしてハト派を制圧したか
 を知っていた。それでも彼は、アメジカはどうにかして真の改革者を助けるべきだと訴えた。わたしにとって
 うれしいことに、彼は、アメリカは中国内部の駆け引きに通じており、改革者を助けることができる、と考え
 ていたのだ。

  にはタカ派が奉じるナショナリズムを普及させる、さらに大胆な計画があったと、ミスター・ホワイトは
 語った。中国共産党がこれまで数十年にわたって、儒教文化や、少しでも宗教色のあるものを攻撃してきたこ
 とを踏まえたうえで、いかにして孔子を国の英雄として復活させるかを話し合う秘密会議に、彼は出席したこ
 とがあった。
  言うまでもなく、全体主義の中国において、指導者が歴史の書き直しを命じるのはそれが初めてではない。
 1949年に共産党が政権を握ると、中国の歴史学者のチームは、すべての進歩は農民の反乱に由来すること
 を強調するべく、中国の歴史を書き直したが、歴史学者のジェームズ・ハリソンはそれを「人類史上、最も大
 規模なイデオロギー再教育の試み」と呼んだ(注16)。だが、ミスター・ホワイトが述べたこの最近の変化は、
 あまりにも劇的で信じがたかった。中国の歴史からの脱出を一貫して訴えてきた共産党が今になって、歴史を
 利用するつもりなのか。政府を存続させるために、共産主義のイデオロギーを静かに捨て去り、度を超したナ
 ショナリズムを掲げようとしているのか。赤い中国は、もはや赤くないのだろうか。それらはすべて、信じが
 たいことだった。

  ミスター・ホワイトの状況を複雑にしているのは、彼が提供した情報が、その働きを長く評価されてきたF
 BIの女スパイ(ミズ・グリーンと呼ぼう)が同時期に提供していた情報と相反するという事実だった。彼女
 が求める報酬は、200万ドルとはるかに高額だったが、妓女が情報源と称するもののレベルも高かった。自
 分は政治局だけでなく、郵の後継者として共産党紀書記の地位に就いた江沢民をよく知っており、そこからの
 情報だと言うのだ。郵は依然として親米の立場を維持しており、江は輪をかけて親米派だと、彼女は主張した。
 江は英語でエルビス・プレスリーの歌を歌って楽しんでいると言われていた。大安門の虐殺後、中国はアメリ
 カとさらに密接に協力することを望むようになったと彼女は言い、孔子が賞賛されるとか、マルクス主義教育
 が教育カリキュラムから外されるというようなことはあり得ないと笑った。そして、タカ派は非主流の年寄り
 ばかりで、力はあまり持っておらず、それも急速に失いつつある、と断言した。

  はたしてミズ・グリーンは信用できるのだろうか。ミスター・ホワイトと違って、彼女は、アメリカ内の中
 国のスパイの名前も居所も明らかにせず(あるいは明らかにできず)、中国人スパイを写真から見つけること
 もできなかった。党の上級幹部が用いる北京の秘密トンネルの長さも知らなかった。さらには、中国の機密文
 書を偽の文書と見分けることもできなかった。しかし、たどたどしい英語しか話せないミスター・ホワイトと
 追って、ミズ・グリーンは流暢に英語を話した。そして大半の政策に関する米中の協力を、ひたすら楽観して
 いた。さらには、中国人との再会をひどく恐れているらしいミスター・ホワイトと追って、危険を覚悟の上で、
 年に一、二度、新鮮な情報を得るために中国に飛行機で帰っていると彼女は言った。

  わたしは、このふたりの亡命者を、政府のお抱えにしておくことを主張したが、同原たちは同意しなかった。
 アメリカの情報コミュニティは一致した見解の上に成り立っており、米中関係に関するこの見解の対立は、厄
 介だった。正しいのはミズ・グリーンだ。わたしたちは彼女を信じることにして、要求する金額を支払った,
  最初の会合からほどなくして、わたしは肖びミスター・ホワイトに会う手はずを整えた。彼の言葉を信じた
 わけではなかったが、好奇心をそそられたのだ。彼とわたしは中国語で話した。国のイデオロギーと教育カリ
 キュラムからマルクス主義を外すという一見途方もないアイデアが真実であるなら、中国はそれをどうやって
 実行するのだろう、とわたしは尋ねた。

  ミスター・ホワイトは、無害な響きの「愛国教育」カリキュラムを創設する計画について聞いたことがある
 と答えた。全国に100ヵ所の「愛国教育」拠点、新しい歴史記念碑、観光用の新しい博物館を建設しようと
 いうのだ。また、中国の指導者たちは、テレビやラジオ、映画に資金提供して、中国が日本やアメリカといっ
 た外国に苦しめられてきた過去を、「国辱の世紀」としてまとめることを計画した。そうした番組や映画は複
 聴者の民衆に、アメリカは躍起になって中国を手に入れようとし、中国がかつての栄光を取り戻すのを妨害し
 ようとしたと訴えた。

 「天安門広場に集まった若者やインテリは、アメリカに恋していました」と、彼は言った。
 「あのようなことは、二度と起きてはなりません。だから中国の指導者はアメリカを中傷し、西側諸国による
 屈辱を終わらせ、往時の勢いを取り戻そうとしているのです」
 「一石二鳥ですよ]と言って、彼は話を結んだ。西洋の諺だが、中国にも同じ意味の諺がある。
 「二鳥とは何のことですか」とわたしは尋ねた。
 「一番目の鳥はソ迪です。もはやソ連の脅威は存在しません]
 彼は答えた,
 「ソ連が崩壊したので、中国はアメリカに守ってもらう必要がなくなりました」
 では、二番目の鳥とは何か。それはアメリカだと彼は明言した。彼は「覇]という言葉を口にし、「勢はシフ
 トしています一と言い添えた。

注6.  Minxin Pei, From Reform to Revolution: The Demise of Communism in China and the Soviet Union(Cambridge, MA:
           Harvard University Press, 1994)、152.
注7.  同上
注8.  George H. W. Bush, diary entry,、June 5. 1989、in Georgc H.W.Bush and Brent Scowcroft. A World Transformed (New
          York: Alfred A. Knopf),98.
注9.  同上
注10.George H.W.Bush.Mcmorandum of Conversation、 Suhjcct: "Meeting with Wan Li. Chairman of the Standing Comm-
           ittee of  Nation People's Republic of China," May 23, 1989.  2:30 p.m. -3:45 pm., Oval office、Cabinet Room. and Re-
           sidence,以ドのサイトで入手可能。 http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSΛEBB16/docs/doc07.pdf.
注11.1992年の胡喬木の死は、ニューヨーク・タイムズ紙を含め、国際的に報道された.,“Hu Qiaomu, a Chincsc Hard-
           Liner,ls Dead at 81,” New York Times, September 29, 1992, 以下のサイトで入手可能,
           http://wwww.nvtimes.com/1992/09/29/obitu;1rics/hu-qiaomu-a-chinese-hrd-lincr-is-dcad-at-81.html
注12.Deng Xinping. Selected Works, Volume III (1982-92)(Bdjing:Rcnmin chubanshc. 1983).108.
注13.Ezra vogel,Deng Xiaoping and the Transformation of China(Cambridge,MA: Harvard university Press,2012),659-63
注14.Zhao Ziyang,Prisoner of the State: The Secret Journal of Premier Zhao Ziyang, trans. and ed. Bao Pu, Rcnee Chiang.
    and Adi lgnatius (New York: Simon & Schuster,2009). 同書において、編者は「趙紫陽の回想録が出版されるまで
           には、中国の政界内部にいた何人もの匿名の人物が、多大な危険を覚悟のトで、趙紫陽の秘密のテープを保管し、
           安全に国外に持ち出した」と述べている(306)。
注15.Robert L. Jervis, Why Intelligence Fails: Lessons from the Lranian Revolution and the Iraq War (Ithaca, NY: Conell
           University Press, 2010),15.p25でジャーヴィスは、彼が調べた情報活動失敗の四つの主な理由の一つは、「ナショ
           ナリズムとその双子である反米主義の役割を見落とし、誤解したことだ」と説明した。
注16. James P. Harrison, The Lomg March to Power: A History of the Chinese Communist Party, 1921-72 ( Bethesda, MD: 
            International Thomson Publishing, 1972). 

                                                                                                                                この項つづく



● シェールオイル採掘に暗雲

目が離せませんなぁ~。

● シャープ 有機ELディスプレーで経営立て直し

敢えてコメントなしのコメントですね。^^;

 


 

 

 

 


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