近ごろ、アメリカにくっついていれば安全だと考える人が増えているようだけれど、問題外だね。
それこそ戦無派の弱点で、小泉もまさに戦無派なわけだけど、なぜ戦無派がそうなってしまった
かといえば、戦争は怖くて嫌だなと思っていたリベラリストたちが戦争中の歴史を偽造したから
です。つまり、共産党が流布した戦争史観の過ちです。
「吉本隆明が吠えた!:戦中派にして戦後思想界の巨人が
狂牛病問題を“一刀両断”」月刊サーカス 2005.6.10
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012
● お風呂の防カビ剤を切り替える
銀イオンの煙が、天井から換気扇の裏まですみずみに行き渡り、浴室全体に潜む黒カビ原因菌をまるごと除菌し、
黒カビをモトから抑えカビ発生を防ぐということでライオン株式会社の「ルック おふろの防カビくん煙剤」を使
っていたが完全に取り切ることができす(抑制には役立っているのかもしれないが)、今回は、アース製薬株式会
社の「アースレッド お風呂の防カビ剤」を購入し昨日、防カビ燻煙を行う。前者は銀イオンにより生理代謝を封
じ込める方法。今回は、イソプロピルメチルフェノールの殺菌力を使う(効果は下図特許事例を参照)。
ところで、イソプロピルメチルフェノールは美容成分ではなく、殺菌作用のある成分です。一部の化粧品に含まれ
ているものの、多くの場合は防カビ剤、殺菌剤、防腐剤といった役割を持つ添加物として配合されるのが普通。た
だ、殺菌作用によって顔ニキビの原因となるアクネ菌を抑えられる上、抗真菌作用(防カビ作用)があることで背
中ニキビの主原因となるマラセチア菌までも殺傷することができるために、ニキビケア化粧品に主成分の1つとし
て配合されたり、歯磨き剤にも配合されひとの健康リスクは低いとされており、日本では大阪化成株式会社のみが
製造している(その他の成分は特許で明示されているので参照されたし)。
使用回数は、前者は1~2ヶ月/回。後者も同周期となっている。これもちょとした面白い実証実験となりそうだ。
※ 関連特許「特開2010-280577 燻煙剤組成物及び燻煙装置」 ライオン株式会社
● 大賀蓮のポジティブエナジー
Bronze bell-shaped vessel Museum (Yasu City Museum of Japanese History)
日曜もいつものように作業をはじめ、つぎの作業に移るとき、数種類のファイルホルダーがハードディスクから消
えているのに気がつき、原因を調べていくが分からず再構築しなければならないと考えるとどっと疲れる。そんな
ふうに気落ちし作業をつづけるのも無駄!ということで、野洲の「弥生の森歴史公園」の大賀ハス鑑賞に雨が心配
だという彼女を連れ出し湖岸道路→県道324号→国道8号→「銅鐸博物館」に到着する。
2千年以上前の種子から発芽した古代のハス「大賀ハス」は、大賀ハスは51年、植物学者の故大賀一郎博士が千
葉市の検見川遺跡で種子を発見し、発芽したことから命名される。早咲きが特徴で、6月中旬から1カ月間が見頃。
今年は例年並の12日朝に初開花し桃色で大きさは約20センチ。この古代ハスの発芽に成功した大賀一郎は、南
満州鉄道中央研究所植物班主任として古ハスの実の研究に従事、27年「南滿州普蘭店附近の泥炭地に埋没し今尚
生存せる古蓮實に関する研究」で東大理学博士。満州事変にいたる一連の軍部行動への抗議として退社。51年、
東京大学検見川総合運動場内の落合遺跡で、今から二千年以上前の古代のハスの実を発見。同年5月に古代ハスの
実が発芽、翌年開花に成功、このとき大賀ハスと名付ける。
デジカメ撮影(Sony Super SteadyShot DST T-300)
上の写真のハスの花冠の右/下の花弁端部の付着物は、一見すると花弁の瑕疵?あるいは汚れ付着にみえるが、そ
の正体は蜘蛛なのだ。
Yayoi Forest Historical Park Map
9時にでて帰宅したのが11時の約2時間。満開ではなく5分咲きであったが、大変美しい花を堪能できた。が、
いらいら感も収まり、原因はこれの解析になるが、これも大賀蓮と琵琶湖のパワーなのか? 前向きに切り替え考
えていくに成功する(それでも疲れのひどさは改善されていないが)。ここは「自律的なキルケゴール」として最
前線に復帰することを誓約する。
【ジャジーな風に吹かれて:ポール・ブレイ】
If I Loved You - Paul Bley
"Open、to love" BCM
ポール・ブレイ(Paul Bley、32年11月10日 - 16年1月3日)は、カナダのピアニスト。60年代のフリー・
ジャズ・ムーブメントに貢献したことで知られる。トリオでの演奏の革新性と影響力の大きさが特徴。カナダ、モ
ントリオールに生まれる。ブレイの両親は、ルーマニアからのユダヤ人移民であった母ベティ・マーコヴィッチと
、刺繍工場を所有していた父ジョー・ブレイである。ブレイは長期にわたりアメリカ合衆国に居住していた。彼の
音楽はメロディが流れていくように聞こえる「和声付け」と「余白」の両方を強く感じさせる特徴とされる。
ところで、カナダのモントリオールは2人の偉大なジャズ・ピアニストを輩出した。メインストリーム至流派)の
オスカー・ピーターソンとインプロヴァイザー(即興演奏家)のブレイである。ブレイは、8歳のとき父親の不義
の子であることを知り、バイオリンを投げ捨てピアノの走る。18歳でニューヨークに出て以来、音楽を続けるが、
伴侶により表現形態が変化して行く。最初の伴侶カーラ・プレイ時代にはニュー・ジャズの渦中にいたが、2番目
の伴侶アネ。ト・ピーコ″クとはいち早くシンセサイザー・ショーを手掛け、やがてヴィジュアル・アーチストの
キャロル・ゴスと映像との共同作業を試みる。
If We May
94年にリリースされた『If We May(邦題:言い訳しないで)』のライツ・ノーツ(富澤えいち)で、彼の音楽性
コハダにたとえている。曰く「寿司ネタとしては有名だが、そのほかの料理の素材としてはほとんど用いられない。
その理由は、“煮ても焼いても食えない”からだ。さらに、この小魚は、小骨を取って一塩し、酢で洗う(締める)
など手間がかかるため、口にするまでには“職人の技”なるものが必要とされる。それだけに、繊細な“仕事”が
なされたコハダは、江戸前にぎりのなかでも別格扱いをされるほどのネタとなる。ところが、元来が“ひかりもの”
の類いであることから、偏見をもって嫌われることがままある(中略)“くさや”や“鮒鮨”のような“熾烈さ”
は似合わないし、ゲテモノ的な粗暴さとも趣を異にする。手際よく下ろされ、脂具合を見極めた塩、そして酢。そ
こまで神経が行き渡り仕上げられた、一握りのシャリのうえの芸術品こそ、彼のピアノにふさわしい」と。哀悼の
意を表している。、2016年1月3日、享年83。
合唱