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第5次産業革命のトラベリン・バス

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                僕らは、日本の近代史は終わったんだな、何かやんなきゃいけない、何か
                新しい考え方を出せなければ生きてはいけないんだよ、と思いました。

                    「靖国論争にとらわれては日本は変わらない」

                                                          サンデー毎日 2006.9.3

                                             
                              Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 

 

    

【帝國のロングマーチ 18】          

      

● 折々の読書  『China 2049』38     

                                         秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピル
ズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざ
る秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及
も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。      

 【目次】 

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか

            森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

 

順手牽羊とは、あたりにあるものを手当たり次第パクル行為(=侵略戦争)を意味する。三十六計では
敵の隙につけこみ戦果を得る策略をさし、この策略の肝は、あくまで本来目標の遂行にあり、目の前の
利益を優先して、目標を見失ったのでは本末転倒であり、そのようにならぬために得られる利益は容易
に手に入る状態でなければならないと諭す。

      顺手就牵了羊。比喻不费劲,乘机便得到的。现多指乘机拿走人家东西的偷窃行为。

  史例 

  春秋時代、呉の公子光が、楚を追われてきた伍子胥の協力を得て、呉王僚を倒して呉王闔閭(闔
 廬)になったとき、呉ははじめ漢人と異なる蛮夷の国とされていたが、紀元前六世紀の王、寿夢の
 ころから中原諸国と往来を始め、その子諸樊のころには次第に強国となり、越と対立した。諸樊(
 寿夢からかぞえて二代目の王)の跡の三代目ははっきりしないが、四代目の王は三弟の余昧であっ
 た。五代目は本来諸樊の子・光が継ぐべきであったが、余昧は自分の子・僚を王位につけた。怒っ
 た光は伍子胥と談らい僚から王位を奪おうとした。その奪い方が、順手牽羊の計、すなわちわずか
 な僚の隙に乗じて彼を倒したというもの。

         公子光、微隙を衝き呉王僚を斃す

  わずかな隙でも絶対に利用しなければならないし、小さな勝利でも絶対に得なければならない。
 わずかな隙を利用し、小さな勝利を得れば、全面的な勝利の機会と発端を手に入れることができる。

 

   第8章 資本主義者の欺瞞    

                            順手牽羊――手に順いて羊を牽く

                               『兵法三十六計』第十二計
         

  2005年にわたしたちは、中国からの亡命者(仮にミズ・タンと呼ぼう)の話を聞き、中国が
 マラソン戦略によって世界一の経済大国の座をアメリカから奪取しようとしていることを確信した。
 ミズ・タンによると、少なくとも次官級以上の共産党高官は、北京中心部にある共産党中央党校で、
 極秘とされる戦略プログラムを学んでいるそうだ。その一団には将来の将軍 も含まれ、プログラ
 ムの履修は昇進の条件となっている。カリキュラムには古代史の研究も含まれている。さらに重要
 なこととして、肢らは少なくとも6冊の翻訳書を教材として、アメリカが2世紀にわたる戦略を通
 して、いかにして世界最大の経済国になったか、さらには、どうすれば中国はアメリカの例に倣う
 ことができるか、それもアメリカ以上に速いペースで、ということもを学んでいた(注1)。

  教育の軸となっているのはダーウィンの進化論で、1840年から第一次世界大戦 勃発までの
 間に、ドイツや英国の企業に勝てるよう、アメリカ政府が自国の企業を支援したことに注目してい
 る。講座では、それこそがアメリカが覇権国になった主要な理由であり、中国がアメリカを超える
 のに必要なことだと教える。そして、異なる業種の約20件の実例を検討し、アメリカ政府が果た
 してきた戦略的役割から何を学び、その教訓をどう生かすかを見ていくそうだ。

  検討されるアメリカの戦略には、国内市場の保護、国内企業に対する経済的支援、輸出促進など
 が含まれる,市場競争を活性化するための独占禁止法についても深く掘り下げ、後に中国はそれを
 導入した。投資家にとって魅力的なアメリカの証券取引システムは、多くの資本を呼び込み、アメ
 リカを世界最大にして最も効率的な市場にした。何よりも重要な教えは、政府に育成された産業が
 アメリカ市場全体の規模を拡張したことだ、と彼女はつけ加えた。19世紀から20世紀初めにか
 けてアメリカ政府は、大企業の市場拡大を助成金によって後押しした。中国共産党幹部は、アメリ
 カ人は自動製粉機の技術をヨーロッパから盗んだと教えられる。小麦やオート麦を小麦粉やシリア
 ルに加工する機械である。この技術を最初に用いたのは、ピルズベリー社(ドゥボーイのキャラク
 ターで知られる、アメリカの老舗製粉会社)で、小麦粉を作るためだったとミズ・タンは笑いなが
 ら言い、わたしをじっと見つめた(注2)。

  アメリカ政府は、アンハイザー・ブッシュ(バドワイザーの製造元)などの醸造メーカー、コカ
 コーフなどの清涼飲料メーカー、その他のメーカーが海外に工場を建てるのを支援したと講座で学
 ぶ。そのいくつかは真実だとわたしは知っていた。
  またその講座では、アメリカは製紙業でも自国企業を支援し、1900年に新技術を持つドイツ
 企業を吸収合併させ、業界のトップに立った、と教わる。同様に鉄鋼業でも、アメリカ政府はアン
 ドリュー・カーネギーを支援し、1879年までに彼は鉄鋼王になった。次にアメリカは、ヨーロ
 ッパの技術を習得して鋼やアルミニウムの製造でも優位に立った。また、1880年代にはゴム産
 業と石油産業も支配するようになり(注3)、タイヤメーカーのB・F・グッドリッチは、政府の
 援助によって世界のトップになった。
  第一次大戦までにアメリカは、世界のリーダーとしての地位をヨーロッパから奪うという戦略上
 の目標をほぼ達成した。1890年代半ばに誕生したゼネラルエレクトリック社も、ドイツ企業の
 シーメンスやAEGをしのぐよう、アメリカ政府が支援したと教えられる。金融会社を作り、傘下
 の公益企業の主要な株主になるという手法もおそらくはシーメンスやAEGを真似たものだ。

 この話の第二段階、つまり彼女の言う「第二の波」は、1914年から50年までの間で、アメリ
 カは自動車、エレクトロニクス、製薬といった新たな産業を支配するようになった。アメリカ政府
 は特にゼネラルモーターズと強く結びつき、ディーゼル機関の開発を支援した。そのため、ヨーロ
 ッパで使われていた蒸気機関は時代遅れになった。また、アメリカ政府は自国の石油会社、5社を
 支援し、外国の油田の利用を巡って、ブリティッシュ・ペトロリアムとロイヤル・ダッチ・シェル
 を出し抜こうとした。いずれ中国共産党のリーダーになる人々は、ドイツの製薬技術が生み出した
 アスピリン、抗生物質、ノボカイン(訳注*局所麻酔薬の一種)の製造特許をアメリカ人がどうや
 って我がものにしたかも学んだ、と彼女は言った,

  第二次世界人戦後、アメリカ政府による巨大企業支援の「第三の波」は、航空宇宙産業や石油化
 学産業の支配に重点を置いた。デュポンは政府の後押しにより、イギリスのインペリアル・ケミカ
 ル・インダストリーズからポリマーの特許を買い取った(注4),ミズ・タンは、医薬品開発にお
 けるアメリカ政府の役割について語った。1942年にメルクが初めて工業で生産したペニシリン
 を市場に出したときのことなどだ。



 「マラソン」という言葉がこの講座で使われましたか、とわたしは尋ねた。「はい」と彼女は答え
 た。そして、中央党校の書店で(Innovation Marathon: Lessons from Hight-Technology Firms(革新の
  マラソン:ハイテク企業からの教訓)という翻訳書を探してください、と言った。その本は確かに
 そこにあった。著者はマリアン・グリメクとクローディア・バード・スクーノヴァで、1990年
 にオックスフオード大学出版局から出版された。マラソンの概念について書かれたもう1冊の本は、
 チャールズ・R・モリスとチャールズ・H・フアーガスンによる Computer Wars: How the West Can
    in a Post-IBM World(コンピューター戦争:IBM後の世界で欧米はどうすれば勝てるのか)である
  (注5)。

  

  わたしは、アメリカはソ連式の国有企業を救うためのモデルになったのですか、と尋ねた。「い
 いえ」と彼女。アメリカにはテネシー川流域開発公社(ニューディール政策の一環で設立された)
 を除けば、そのような公営企業はない。経済を建て直す方法はすべて、世界銀行から学んだと彼女
 は言う。彼女との話は、1時間以上に及んだ。わたしのノートはいっぱいになった。さらに深く知
 るには、北京にある巨界銀行のオフィスタワーのエコノミストを訪ねる必要がある。

  過去2世紀にわたって中国の指導者たちは、中国は個人の財産権や自由市場を伴う経済の自由化
 へ向かっていると、世界に信じさせてきた,タイムやニューズウィークの表紙は、中国は資本主義
 の道を進んでおり、そうなれば自ずと欧米流の民主主義が実現される、と宣伝してきた。1978
 年以降、中国は世界銀行とその他の欧米の機関の援助により、精力的に近代化を推し進め、目覚ま
 しい成功を収めた。そして30年以上にわたって、その経済はコンスタントに成長しつづけている。
 小さな変動はあったものの、中国経済は世界平均のおよそ3倍の速度で成長した。2001年以降、
 年間成長率は平均で10.1パーセントに達する。1980年の名目上のGDPは約70O億ドルだ
 ったが、2011年までに7兆ドルを超えた(注6)。

  1980年には経済発展の遅れた地域だったが、今やアメリカに次ぐ世界第二の経済大国となっ
 た。2014年のフオーチュン・グローバル500には、中国企業が95社ランクインした(注7)。
 しかもそのうち5社は、上位50社に大っている(注8)。2000年はゼロだった。中国は今や
 世界最大の自動車生産国であり、世界最大のエネルギー使用国であり、世界最大の二酸化炭素排出
 国である(注9)。依然として人口は世界最多で、増加抑制に努めてきたにもかかわらず、13億
 5000万人を擁する(注10)。

注10. The Economist Pochet World in Figures, 2014 ed., 14,  1949年の中華人民共和国建国の直後から人
      口増加を抑制するための努力が払われてきたが、ほとんど成果はなく、1979年に全国的に「一
   人っ子」政策が命じられて初めて、人口増加にブレーキがかかった。毛沢東は、中国にふさわ
   しい人口は「約6億人」だと考えたと言われている。Susan Grccnhalgh,Just One Child: Science
            and Policy in Deng's China (Berkeley: University of Califomia Prcss, 2008),46-53. 1958年に毛沢東
      は、「過去にわたしは、8億人ならどうにかやっていけると討った。今は10億人以上でも心
   配はいらないと思っている」と言った(52)。

  これは経済の奇跡にほかならず、欧米には大いにその責任がある。マスコミや政治評論家は、中
 国は資本主義、自由市場経済に向かっていると賞賛した。しかし、中国にそんなつもりはまったく
 なかった。中国に資本主義が到来したという神話から数十年もたっているというのに、2014年
 を迎えても中国経済のおおよそ半分はまだ政府の手中にある。
  欧米の専門家の大半は、中国の躍進をもたらしたのは、控えめな革新と、人民元を安くして人件
 費や製造費を抑え、欧米より廉価で商品を提供したことだと見ている(注11)。けれども、中国の
 成長を促進しているのは革新などではなく、いまだに中国のGDPの40パーセントを占める国有
 企業(SOE)に国から政策的に与えている助成金である(注12),これらのSOE、あるいは政
 府内で「ナショナル・チャンピオン」と呼ばれる企業は、100年マラソンに不可欠な要素で、非
 効率的であるにもかかわらず、商品を欧米の競争相手より安く売ることに成功し、国の経済発展の
 原動力になった(注13)。

  このような遠慮会釈ない重商主義の歴史は古い。戦国時代、諸国は戦争の延長として経済をコン
 トロールしていた。



  中国経済は今も誤解されたままだ。世界の一流エコノミストは、中国経済という怪物の動きには
 見えない部分があることを認めており、それもあって、経済の自由化に向かっているという中国の
 主張は、精査や反論を受けることが少ない,ノーベル経済学賞受賞者のロナルド・コースと王寧は
 2013年に、「中国の市場変化についてわたしたちが知らないことは多く、また、これまでに報
 告されたことの多くは、真実ではない」と警告した(注14)。彼らは中国の指導者たちが外国の指
 導者に戦略を秘密にし、実際はそうでもないのに自分たちは民間資本による自由市場を目指してい
 ると告げた事例を挙げる(注15)。他の学者たちも、中国が「資本主義に向かう」という戦略を語
  る時に、相手を油断させようと独特のひねりが加わることに気づいていた,

78年から中国プラント建設に入る前に、わたしなりに分析し、その体験をふまえ、「ロシアマルクス
主義に新自由主義を接木した経済」「アジア赤色官僚専制国家」と規定しブログ掲載してきているが、
国際的な専門家を欺き「相手を油断させようと独特のひねりが加わることに気づいていた」との著者の
感想に違和感はない。

  
                                                                          この項つづく

 

   ● 今夜の一曲

 

   ルイジアナテネシーシカゴ

   はるかロスアンジェルスまで

   きつい旅だぜお前に分るかい

   あのトラベリン・バスに揺られて暮らすのは

   若いお前はロックン・ロールに憧れ

   生まれた町を出ると言うけど

   その日ぐらしがどんなものなのか

   分っているのかい

   ルイジアナメンフィスジョージア

   遠くカンサス・シティーまで

   夜が更ければ又いつもと同じさ

   町に残した女想って

   黙りこくるあいつのそばで

   カードで遊ぶ寂しい笑顔

   たまらないぜあのトラベリン・バスに

   揺られて行くのは

   ルイジアナモンタナアうバマ

   逞か南のキャロライナ



                                      トラベリン バス

                                                  Music & Word : 矢沢永吉/西岡恭蔵
                        

作詞は西岡恭蔵、作曲は矢沢永吉。76年6月21日発売のアルバム『A Day』に収録。翌77年
のコンサート・ツアーのタイトル「TRAVELING BUS '77 PART-1」「TRAVELING BUS '77 PART-
2」は、この曲名から取られている。同ツアーはチケットも長距離バスを模したデザイン。矢沢の
ソロ初のタイアップ曲であり、ソニーのラジカセ「リズムカプセル9000」のCMに使われた。矢沢は
広告にも出演し、とくにテレビCMは、矢沢がラジカセのリズムボックス機能を使い、同曲を弾き
語りする内容となっている。尚、『E.Y 70'S』は、97年に発売された矢沢永吉の70年代の楽曲
を収録されたベストアルバム。 西岡恭蔵の「その日ぐらしがどんなものなのか」という歌詞が、
揺れ動く二十代の心情にシンクロナイズし記憶に残る一曲となる。70年代、80年代と時代は大
きく変化し、わたし(たち)は『第5次産業革命のトラベリン・バス』に乗り長い旅路に出て行く。
そして、演歌、フォークソング、ロック・ロールが融合する「JPOPs」時代を迎える。

  


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