● たまには熟っくりと本を読もう
高橋洋一著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」は、さらに続く
ここでは、中央政府の会計とその源泉である租税額に決定のプロセスとその社会背景が、
具体的に語られているが理解しかねる。例えば、「個人課税か世帯課税課」の問いかけに
「(税制の中立性を担保するには)課税一辺倒ではなく、各種控除で対応するほうが簡素
になるので望ましい」との高橋の主張にしても、"増税意図"は理解しえても、それは、軽
減税論と同様に「税制の簡素化」と矛盾していると考えたりするし、それ以上に "リーマ
ンショック"のように、デフレ不況下では、消費税(=間接税)は脆弱であることを学んだ
し、新自由主義政策下での行き過ぎた格差拡大社会では、所得税(直接税)にシフトさせ
るべきであることも学んだ以上、しっかりとした「税制システム工学」の練り上げが必要
だと考えている。そこで、この項では、高橋が主張する《歳入庁創設論》が再俎上する。
第1章「三本の矢」は、そろわない
■「所得税改革」にも罠が
それにしても困った政府の"増税体質"である。消費税の他にも、この体質を象徴す
るかのような動きも出ている。所得税改革だ。そのポイントは、①「個人課税」から
「世帯課税」への移行と、②配偶者控除の廃止の2点。改革の理由として、「第3の
矢」の「成長戦略」で大きく掲げる「女性の社会進出促進」を挙げている。
では、世界の状況はどうなのか。税制の比較が容易なOECDの主要24カ国を見て
みよう。
・個人課税 日本、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマー
ク、フィンランド、ギリシャ、アイスランド、イタリア、韓国、オラ
ンダ、ニュージーランド、スウェーデン、イギリス (15力国)
・個人課税と世帯課税の選択 ドイツ、アイルランド、ノルウェー、スペイン、ア
メリカ(5カ国)
・世帯課税 フランス、ルクセンブルク、ポルトガル、スイス(4カ国)
以上のようになっている。
また1970年代以降で制度移行の状況を見ると、「世帯課税」から「個人課税」
へは9カ国、「世帯課税」から「選択」へは2カ国、「選択」から「世帯課税」は
1カ国となっており、世界の趨勢は「世帯課税」から「個人課税」へという流れなの
である。
その理由は、「個人課税」のほうが課税の中立性があるからだ。たとえば専業主婦
が働こうとするとき、「世帯課税」では累進税率が効いて不利になるが、「個人課税」
ならば中立的。結婚についても同様で、「世帯課税」は共働きの場合、合算して2分
割するので有利(結婚ボーナス)に働くが、「個人課税」では中立的となる。
経済政策としては、税制ですべてに対応するのではなく、他の政策も活用して、税
制はできるだけ中立性を保たせる。それが「常識」である。仮に税制で対応するとし
ても、課税一辺倒ではなく各種控除で対応するほうが簡素になるので望ましい。
すなわち個人課税が基本であって、もし政策対応が必要なときには、他の政策また
は税制内での控除措置で対応するのが世界の常識になっているのだ。日本政府が示す
「個人課税から世帯課税へ」「配偶者控除の廃止」という方向は、こうした世界の常
識にまったく反するものである。
今回の日本の「改革」は、前述したように「女性の社会進出を促進させること」が
ひとつの狙いとされている。しかし、本当にそれを実現させたいのであれば、政府方
針とはまったく逆に、①所得税の基本は中立的な「個人課税」のまま、②配偶者控除
を拡充すればいい。配偶者控除の拡充で多少は税収が落ちるが、女性に働いてもらっ
てその所得に課税し、税収を増やすという「損して得取れ」方式で対応すればいいか
らである。
ところが、目先のことしか考えられない財務官僚は、とにかく配偶者控除をなくし
て「増税したい」の一心である。ただ、それだけでは増税がミエミエなので、世帯課
税にして、少しばかりの減税を大きく見せたい。
とはいえ、今回のような所得税改革案が実施されれば、結局は増税になって、女性
の社会進出を「後ろからスカートを踏む」かたちになってしまう。
狡猾な財務官僚は、安倍政権の取り巻きが"右寄り"であり、そうした人たちは個人
単位より家族単位のほうを尊重すると睨んだ。それをいいことに、「個人課税から世
帯課税へ」を吹き込んでいるのではないか。
しかし世界の趨勢は、そうしたイデオロギーよりも税制の中立性を選んでいる。そ
の意味でも日本は逆行していると言わざるを得ない。
いずれにしても、「女性の社会進出」という目的は達成できずに、最終的には増税
になるような所得税「改悪」である。そして世帯課税の国では、所得税の持つ累進課
税の効果が薄れて、所得格差に対応できなくなっていることも忘れてはいけない。
政府(財務省)は、世帯課税と配偶者控除の廃案廃止を一緒にすることで、批判が
出そうな世帯課税は潰れても、配偶者控除の廃止だけは生き残るというシナリオを描
いているのかもしれない。官僚から出てくる考えは、いつも増税指向である。油断も
隙もあったものではない。
第2章 「第三の矢」成長戦略の罠
■「日本再興戦略」改訂版の官僚レトリック
前章の初めに掲げたように、首相官邸は「成長戦略」を「アベノミクスの本丸」と
公言して憚らない(16ページ)。
その戦略の具体的プランを網羅したのが、2014年6月に閣議決定した《「日本
再興戦略」改訂2014》である。副題に「未来への挑戦」と銘打ち、全130ぺー
ジにおよぶ"力作"だ。
まずはその文書の冒頭「第一 総論 Ⅰ.日本再興戦略改訂の基本的な考え方」か
ら主要部分を抜き書きしてみよう。
《日本経済は、この1年間で、大きく、かつ確実な変化を遂げた》
《デフレ・マインドを一掃するための大胆な金融政策という第一の矢、そして湿っ
た経済を発火させるための機動的な財政政策という第二の矢を放つとともに、第三
の矢として「日本再興戦略」を策定し、大胆かつスピードを持った成長戦略を実施
してきた》
《これまでできるはずがないと言われていた大胆な制度改革を断行し「産業競争力
強化法」や「国家戦略特別区域法」をはじめとする、成長戦略を推進するための40
本近くの法律を成立させるなど、異次元のスピードで構造改革に取り組んできた》
《本年4月には、17年ぶりに消費税率を引き上げ、経済成長と財政再建の両立に向
けた第一歩を踏み出すことにも成功した。人々の将来への「期待」に灯がともり、
澱んでいたヒト・モノ・カネが成長に向かって動き始めたのである》
《この1年間の変化を一過性のものに終わらせず、経済の好循環を引き続き回転さ
せていくためには、日本人や日本企業が本来有している潜在力を覚醒し、日本経済
全体としての生産性を向上させ、「稼ぐ力(=収益力)」を強化していくことが不
可欠である》
《デフレ状況からようやく脱却しつつある今こそ、成長戦略のギアを一段階シフト
アップし、日本企業の体質や制度・慣行を一変させる気概で、日本の「稼ぐ力」を
取り戻すための大胆な施策を講ずる好機であり、またラストチャンスでもあること
を覚悟すべきである》
《今回の改訂では、この1年間でKPI(注:Key Performance lndicator/政策項
目ごとの成果指標のこと)達成に向けてどれだけ前進しているのかを可能な限り具
体的な数字で明らかにすることとしたほか、KPIの確実な達成のためにどのよう
な政策を追加的に講ずるのかについても明確にした)
(振り仮名、注、傍点は引用者)
のっけから。お手盛り感の漂う「霞が関文学」の世界である。
もちろん、この「日本再興戦略」は民間議員11名を含む政府の審議会「産業競争力
会議」(「日本経済再生本部」が開催する会議という位置づけ)での議論を取りまと
めたものだ。
しかし、会議の運営からペーパー作成までの実務を。"事務方"すなわち官僚(10人
から20人いる)が仕切っているのだから、130ページの文書が官僚特有の文章術
「霞が関文学」となって表出するのも当然であろう。
(※全文は首相官邸のHPからダウンロードできる。
http://www.kantei.gojp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/honbunJP.pdf)
■ 4つの戦略と「鍵となる施策」とは?
では、"戦略"の具体的な設計はどうなっているのか。《「日本再興戦略」改訂201
4》では「第一 総論」の「H.」として、「基本的な考え方」に続けて「改訂戦略に
おける鍵となる施策」を記している。ここで言う「改訂戦略」は以下の4項であり、そ
れぞれに「鍵となる施策」が箇条書きで付されているのだ。
《1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す》
《2.担い手を生み出す~女性の活躍促進と働き方改革》
《3.新たな成長エンジンと地域の支え手となる産業の育成》
《4.地域活性化と中堅・中小企業・小規模事業者の革新》
そこで4項目の戦略ごとに「鍵となる施策」を列挙してみよう(「1.」のみ、なぜ
か(1)と(2)に分けられている)。
《1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す (1)企業が変わる
①企業統治(コーポレートガバナンス)の強化
②公的・準公的資金の運用等の見直し
③産業の新陳代謝とベンチヤーの加速化、成長資金の供給促進》
《1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す (2)国を変える
①成長志向型の法人税改革八
②イノづIションの推進と社会的課題解決へのロボット革命》
《2.担い手を生み出す~女性の活躍促進と働き方改革
①女性活躍のための環境整備(放課後児童クラブ等の拡充等)
②柔軟で多様な働き方の実現(成果で評価する労働時間制度の創設B等)
③外国人が日本で活躍できる社会へ。(技能実習制度の拡充等)》
《3.新たな成長エンジンと地域の支え手となる産業の育成
①攻めの農林水産業への転換。(農業委員会・農業生産法人・農業協同組合の一体
的改革等)
②健康産業の活性化と質の高いヘルスケアサービスの提供(非営利ホールディング
カンパニー型法人制度(仮称)の創設/保論外併用療養費制度の大幅拡大E等)》
《4.地域活性化と中堅・中小企業・小規模事業者の革新
①地域活性化関連施策をワンパッケLンで実現する伴走支援プラットフォームの構
築
②地域の中小企業・小規模事業者が中心となった「ふるさと名物応援」と地域の中
堅企業等を核とした戦略産業の育成
③地域ぐるみの農林水産業の6次産業化、酪農家の創意工夫
④世界に通用する魅力ある観光地域づくり
⑤PFI/PPPを活用した民間によるインフラ運営の実現
⑥地域の経済構造改革に向けた総合的な政策推進体制の整備》
(傍線は引用者)
■ 見えてこない具体策
以上、引用が長くなったが、「総論」では全部で16の「鍵となる施策」を挙げてい
る。この「日本再興戦略改訂版」をどう見るべきか。先に私の「総論」を述べてしま
おう。
「改訂版」では、「法人税引き下げ」(傍線A)、「労働時間規制改革」(同B)、
「外国人の受け入れ拡大」(同C)、「農業改革」(同D)「混合診療」(同E)な
ど、難題にも一定程度は手が付けられた。
とはいえ、実施にあたっての詳細は今後に委ねられている部分が多い。
たとえば法人税である。「数年で20%台へ減税」という方向だが、具体的な税率は
どうなるのか。
現状では日本の法人税率は35%である。それに対し、日本を除くOECD諸国の平
均は25%だ。近隣諸国を見ても、香港16.5%、シンガポール17%、韓国24%と、大き
な差が歴然としている。税率でこれだけの違いがあれば、グローバルに活動する企業
が事業拠点を海外に移すのも無理はない状態である。
内外の投資を呼び込めるような措置を迅速に講じることが求められているが、具体
論はこれからだ。
そんななか、福岡や関西からは、後述する「国家戦略特区」との関連で、国全体で
の減税よりも一歩踏み込み、よりスピーディかつ大胆な減税を求める声も上がってい
る。こうした可能性も含め、法人税についてはさらに検討されるべきだろう。
ただし、法人税減税は賛成なのだが、今の政府の「国際競争力」のためというロジ
ックは適切でない。法人税減税のための正しいロジックとは「二重課税の排除」であ
る。これはノーベル経済学貧受貧者のフリードマン教授が主張しているもので、法人
は個人の集合体であるため、個人ベースで完全に課税が行なわれれば、法人税自体が
不要となる。各国で法人税の減税をしているのは、個人の所得・資産の捕捉が十分に
なった=二重課税の排除の結果なのである。
日本の法人税率が高いのは、納税者番号が先進国の中では徹底しておらず、個人の
資産・所得把握が不十分な結果とも言える。この観点から見ると、納税者番号の導入
や、国税庁と社会保険料徴収機関を統合する「歳入庁」をつくることが先決と言えよ
う。しかし、そのための努力をしていない。それなのに増税では、経済をダメにして
しまう。情けないことだ。
労働時間規制も、いい線まで行ったが、最後の詰めが甘い。一部マスコミや労組が
"残業代ゼロ制度"と問題視した、いわゆる「ホワイトカラー・エグゼンプション」で
ある。今回、「年収1000万円以上」という一定の水準を示し(当初は年収700
0万円以上の人に絞るなどという議論があった)、パフォーマンスに応じた働き方を
認める方向となった。このこと自体は評価してよい。
ところが具体的な制度設計は、今後、労働政策審議会で議論されることになってい
る。しかも「年収1000万円以上」を明記した各論部分を見てみると……。
《時間ではなく成果で評価される働き方を希望する働き手のニーズに応えるため、
一定の年収要件(例えば少なくとも年収1000万円以上)を満たし、職務の範囲
が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象として、健康確保や仕事と生活の調
和を図りつつ、労働時間の長さと賃金のリンクを切り離した「新たな労働時間制度
」を創設することとし、労働政策審議会で検討し、結論を得た上で、次期通常国会
を目途に所要の法的措置を講ずる》
(改訂版文書中「第二3つのアクションプラン」にある
「新たに講ずべき具体的施策」のうちのひとつ。傍点は引用者)
年収1000万円ではなく年収1000万円「以上」、それに「労働政策審議会で
検討」とか、「結論を得た上」とか、ここでも「霞が関文学」がちりばめられ、多数
のハードルが課されているではないか。だから制度設計がまったく見えない。
詳細部分、具体策がどうなってゆくのか判然としないので、やはり進捗状況をしっ
かりとフォローし、注視してゆく必要がある。
高橋洋一 著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」は、さらに続く』
この歳入庁創設は、民主党の政権公約(マニフェスト)に掲げられていた――政府の平成
22年度税制改正大綱にも掲げられている項目で、歳入庁を創設した場合の効果は、(1)
税と保険料を一体的に徴収し、未納・未加入をなくす。(2)所得の把握を確実に行うために、
税と社会保障制度共通の番号制度を導入する。(3)国税庁のもつ所得情報やノウハウを活用
して適正な徴収と記録管理を実現する(民主党「政策集INDEX2009」)と述べられている。
また、高橋は『歳入庁創設』を前提として、マイナンバー制度のありように――マイナン
バー制度だけでは十分とはいえない。悪質な会社が社員の年金を横領していたという事件
はよく聞く話だが、それは当時の社会保険庁が源泉徴収をきちんとチェックしていないか
らだ。実際に「消えた年金」の5000万人分の7~8割は厚生年金で、結局その責任は
誰にも問われず、個人の年金が減額されることになる。社会保険庁がきちんと会社を訪問
してチェックしていれば、こういった事件は未然に防げたはずだ。もし会社訪問が難しく
ても法人税調査と源泉徴収の給料天引きを照らし合わせれば、不正をしているかどうかは
簡単にわかる。実際に税務署は法人税や所得税の調査の時に企業が年金を払っているかど
うかは大体わかっているのだが、所管外のため何も言わないでいる。そのような状況を打
破するためにも、国税庁と現日本年金機構を合併して歳入庁を設立し、マイナンバー制度
を作れば、約10兆円の社会保険料の徴収漏れが入ってくることも可能だろう。政府は社
会保険料が足りないから消費税を増税すると言っているが、10兆円が入ってくれば、今
回の消費税増税の必要はない筈だ。こういったことを、先ずやるべきだと思う――と、発
言している(「消費税導入より歳入庁の創設を」 2013.11.08 FN HOLDING)。
さらに、日本には歳入庁がなく、マイナンバー制度が徹底していないため、どんぶり勘定
になっている」との質問に――どんぶりなら入るだけまだマシだ。今の状態はザルで、取
りこぼしてしまっている。社会保険料の法的な位置づけは税金と同じで、支払わなければ、
正確に言えば脱税になる訳だ。さらに、そもそも一度税金として吸い上げた保険料を、個
人に代わって国が運用するということもおかしな話だ。例えば、厚生労働省が現在の年金
運用先として選んでいる信託銀行のリストの中から、国民個人が自分の年金を預ける信託
銀行、保険会社、投資顧問を選ぶという仕組みがあっても良いと思う。受け取りの段階で
は厚生労働省によるきちんとした管理が必要だが、配分については必ずしも厚生労働省が
行う必要はない。国民が保険料を納入する際に運用する金融機関に番号をつけて、国民が
それを選べば、それは十分可能であり、かつ、合理的だ――と応えているがこれも至極正
論だと考える。また、日本年金機構をなくして借金をすべて返済し、ゼロから始めた方が
良いのではないかとの質問に――ただ、高齢化の時に多少積立金があったほうがよいとい
う議論もある。そう考えると、今の制度を維持したまま、日本年金機構の代わりに国民が
信託銀行、保険会社、投資顧問を選べるようにした方が簡単だと思う。増税を未来永劫し
ない方がいいと言っている訳ではないが、現在のロジックのように消費税を上げるのが社
会保障のためだというのであれば、歳入庁をつくってきちんと徴収した方が良い。徴収漏
れをそのままにしていれば、「消えた年金」のような問題が再び起きる可能性もあるだろ
う――と応えている。このように、増税前に、税制システムの堅牢性あるいは信頼性の品
質的側面の強化が前提となることに論をまたない。