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世界同時地震 ??

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          なぜ憲法を改悪して自衛隊を合憲化することで、米・ロのような軍事大国が
          大きな発言力をもつ旧い国際国家にまで後退しなければならいのか。戦後憲
          法第九条は現在の世界の国際国家が、未来への通路を開くための唯一の突破
          口なのだ。わたしは読売試案は村山内閣の反動性と現野党の欠陥を寄せあつ
          めた最低で最悪の改憲案だというほかないとおもう。

                                              「読売憲法試案の批判:情況との対話 第二十二回」

                                                サンサーラ VOL.6 NO.1 1995年

                                                                                                                                                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

     ※ 夢は良いとして、重火器を保持した自衛隊の解体スケジュールは?あるいは
       城内平和主義だけで(世界の)武器生産・輸出・保持の禁止が実現できるの
       か?が厳しく問われた1991年の湾岸戦争をわたし(たち)は決して忘れ
       ない。
 
          

【世界同時地震 ?? イタリア中部 M6.2 ミヤンマー M6.8】

 Italy

 Myanma

1999年のグランドクロスによる月の引力の1万分の1の変動は無視し得るのかというのが、そ
の当時、わたし(たち)が考えた「反措定」で、まず、ヒステリシスを考慮せず前後10年範
囲内で大地震(非連続的共振性性大地震)が起きると仮定し、素人(たち)がはじめた「時空
探索」(これは専門性をなく、素人からはじめ問題解決に挑んできたマイ・スタイル)。現在
は、日本地震探査機構(JESEA)の地震予測の有効性を確認中(最新の情報「2016.08.24;vol.16,
No.34」によれば、南関東方面は震度5以上の発生可能性がきわめて高いレベル5にある)。話
はオタク的なってしまった。余震による被害拡大が心配される2つのじしんであるが、地震大
国日本の具体的な支援は勿論のこと、これまでの技術や知財の長期的支援を政府に期待したい。
これこそが具体的で積極的な平和活動であると確信し、ぼちぼちと、この時空探索を継続する
でGO!(上の2つの写真ダブクリ参照)。

     

 

【我が家の焚書顛末記 Ⅷ】 

 

    君が元気でやっていてくれると嬉しい     ゲイリー・フィスケットジョン

                                                   村上春樹  訳

 Gary Fisketjon

 「君が元 気でやってレてくれると嬉しい」レイモンド・カーヴァーは友人に宛てた手紙の多
 くを、その上うな書ぎ出しで始めていた。そして「こっちは万事順調」だとか「我々の方は
 うまくいっている」とか書いてレだ。彼の人生の最後の十年間くらいは、僕らはだいだいう
 まくやってレたし、彼と詩人のテス・ギャラガー(二人に生活を共にし、やがて夫婦になっ
 た)の方も同様だった。これはちょっとした奇跡のようなものだったし、僕らはみんな、そ
 れがもう終わってしまったのだということを、今でも認める気になれないでいる。「その一
 方で」とある女が言う。レイの初期の短篇の中の一節だ。「まわりの人々はあたかもあなた
 が昨日の、昨夜の、あるいは五分前のあなたと同じ入物であるかのように話しかけたり振る
 舞ったりする。しかしあなたは現実に危機をくぐり技けたのだし、心は痛手を負っているの
 だ……」

  この九月で、私は彼の声を初めて耳にしてから十二年経っことになる。その最初の手紙に
 彼はこう書いてレだ。「正直に言って、私はまだ本調子を出してはいないと思います。そし
 てこれから先の二年間は私にとっては目ざましいものになるだろうという気がします。これ
 は本気で言っているのです」レイは間違っていだ。予言は八年ぶん短かった。でも先見の明
 に矢けるという点においては、私だってご同様だった。というのも、三年前に私はこんな手
 紙を書いたのだ。「あなたの生涯は、既に過去に向かって伸びているのと同じくらいの距離
 を、未来に向かって伸びるべきなのです」と。そうであるべきだったのだ。そしてそれが今
 は果たせぬものとなった哀しみは、言うまでもないことだが、言葉では尽くせない。しかし
 それとはべつに、生前のレイを知っていた人々の目にも、レイの作品を読んでいる人々の目
 にも等しく明白なように、レイ・力ーヴァーの存在はあらゆる歳月を越えてここに残ること
 だろう。

  彼の送った二つの人生については既に多くのことが語られた。一つは飲酒と苦いいフラス
 トレーションによって形成された人生であり、次に来たものは幸多き禁酒と高まる文名に輝
 いた時代だった。そして現実に、レイはしばしば自らそのことに言及している。変貌が開始
 されたその日付さえ(1978年6月2日)はっきり書きつけている。しかしそのような記
 念的日付というのは、ただの目安のようなものにすぎない。ただのしるしのようなものに過
 ぎない。彼のそれら二つの人生は互いに交じりあってレたのだろうと私は思っている。ちょ
 うど川が浜に流れ込か揚所で淡水と海水とが入り交じってレるように。高揚や失望や達或と
 いったものは、あっちに引っ張られかつこっちに引っ張られていたのだろう。一つの人生は、
 他のもう一つの人生を抜きにしては存在しえなかったのだ。勇気ある行動や意志の力を抜き
 にしては、そのどちらの人生も継続でぎなかったのだ。そしてそのような勇気ある行動や意
 志の力が、最終的にけ彼に様々な物事を可能にさせたのだ。私かレイと知り合ったのぽ、彼
 が見事な個人的勝利を勝ち取ったあとのことだった。でも私は、彼のことをよくぱ知らない
 けれど彼の本だけは読んでいたという一般の人々と同様、彼の初期の人生のさまを、まるで
 幻覚でも見るみたいに、悪夢でも見るみだいにありありと熟知していだ。

 「こいつは前代未聞だ。この人生たるや」と彼は言った。80年代初めのことだ。それけ物
 事が良い方向に流れるようになったあとのことだった。もっと紺かく限定すれば、それは雨
 の降る、タクシーなんかとてもつかまりそうにないマンハッタンの夜を過ごしたあとのこと
 だった。真夜中過ぎに家に向かっているとぎに、我々はようやくぼろぼろのリムジンをつか
 まえることができた。その運転手のあけっびろげな性格と飾りのない親切性格は、我々を、
 世の中なんだって可能なのだという気にさせてくれた。そして我々二人は、『オズの魔法使
 い』のドロシーがカンザスから遥かに離れたのに負けず劣らず、オレゴンから(僕らに二人
 ともオレゴン出身だった)遥かに雛れているのだという気にさせてくれた。そのあとずっと、
 我々はそのときの運転手ウォーカー氏について、奇跡が手の届くところにあるということを
 無心のうちに我々に身をもって示してくれた人物について、何度も語り合ったものだった。
 我々の身に起こっている信じられないようなお話の中の、いわば一人の登場人物として。

  そして彼自身に、彼の友人たちに、彼が敬愛する人々に奇跡的な物事がもたらされたとき
 ――それがたとえどのようなものであったにせよ――彼はそれを進んで、喜んで受け取った。
 我々が一般的に「ありがた迷惑」と呼ぶいくつかのものさえをもだ。彼はなにごとにつけ感
 激しやすいい人であった。彼は一度作家のモナ・シンプソンに向かって言ったように、彼は
 子供のころ、最初に書レだ短篇小説を間違ってあるアウトドア・マガジンの営業部に送った。

  小説は結局戻されてきた。でもそれにそれでいいんだよ。その原稿はとにかく外の世界に
 出ていったんだ。それは他人の手を渡ったんだ」そしてもっとあとになって、彼の作品が初
 めて雑誌に採用されたとき(同じ日にひとつの誌とひとつの短篇が採用されたのだ)、「そ
 れは本当に素晴らしいロだった。僕の生涯でいちばん素晴らしい日のひとつだったな」その
 ような喜ばしい日々もあることはあった。それがたとえ彼が当然受け取ってしかるべき数だ
 け与えられなかったにせよ。

 彼の人生の最初の四十年を通して、暗い日々の数の方、がずっと多かった。もう何もかも投
 げ出してしまいたくなるような誘惑に押しつぶされそうになることもあったにちがいない。
 彼の父親もやはりそうだった。父親はその人生の終わり近い時期にはすっかりだめになって
 しまって、しばらくの期間深い沈黙と空っぽの部屋の中に閉じ龍ってしまうことになった。
 一度そういうところに足を踏み入れたことのある人間は、永遠にモの影を引きずることにな
 る。それはレイの小説の中の多くの人物たちが自らを見出す部屋である。そしてまた疑いの
 余地なく、そこは彼自身が頭の中で、思い出したくないくらい何度も何度も自らの身を置い
 てみたはずの場所である。実際に、リチャード・ブロ土アィガソが銃で自殺を遂げたことを
 聞かされたとき、レイは私に手紙を書いてきた。「たとえ彼が自分の手でそれをなしたにせ
 君が元気でやっていてくれると嬉しいよ、それは間違いなく酒がやったことです。私だって、
  あの暗黒の日々には、同じような出口を何度も頭の中で弄んだものです」

  しかし彼は自らを救済した。彼は未来を見つめる目を失うのがどういうことかを、決して
 忘れなかったのだ。それをいえば、彼の小説の中では、いちばん大事な瞬間にその身を屈し
 てしまう登場人物がどれだけいるだろう? 物事を投げ出し、屈伏するか、あるいは少なく
 とも損傷を押しとどめるか、傷口をふさぐかをはっぎりと決断しなくてはならないその瀬戸
 際でだ。それこそが真実の瞬間である。それこそが、彼の作品が我々を運んでいく場所であ
 る。彼は最後には尻込みしたりぱしなかった。そして彼の登場人物たちぱ瞬ぎもせずにじっ
 と凝視したものである。口には出されることのない戦い、それは、物事の可能性がしぼんで
 しまったことや、耐えがたい出来事をどのように扱うかということではないか? 我々は、
 我々のひとりひとりは、それにどのように立ち向かっていけばいいのか?

  レイは文章を言くことでそれに立ち向かった。彼は言くことを生きる核に置いた。「あり
 がたきかな、労働の場にあること」という文句が彼の手紙の中で何度も繰り返し歌われた。
 彼は自分の職業について幻想を抱いたりぱしなかった。「作家になってくださいって誰かに
 頼まれたわけじゃないからね」と彼は言っていた。そして自分の書いた作品が世に受け入れ
 られることよりは、自分のなしている仕事そのものにより大きな誇りを待っていた。彼は自
 分の書いた小説や詩にぱっぎりと自信を待っていたけれど、それは自己満足的な自信ではな
 かった。彼のヴィジョソや散文は常に変化した。書き直しと将来への期待だけはいつもいつ
 も不変だった。

  レイはまた、彼の巨体にふさわしいだけの精神でもってその部屋を満たした。誰かを支援
 したり、あるいは温かい言葉をかけたりすること――祝いの言葉、慰めの言葉、忠実さ、友
 誼――その手のことについてはレイは本当に律儀だった。彼は手紙やら電話やらで、そうい
 う心情を出し惜しみすることなく披露した。あるいは郵送されたスモーク・サーモンとか。
 彼がこのような恩恵を与える相手の名簿は驚くほど厚かった。そもそも相手が誰であるかな
 んてどうでもよかったのだ。彼はこのような行いに対して恩きせがましいようなことぱ一言
 もロにしなかったし、そういうことを求めもしなかった。そして助けられた方も彼の人柄の
 ことはわかっていたから、あえて口にしたりすることもなかった。そしてまた、彼ほど復讐
 心や狭量さや妬みや、あるいはよくある普通の意地悪さから程遠い人もいなかった。そうい
 う気持ちを抱いても不思議でない機会は世間にはいやというほどあるし、とりわけレイくら
 いそういう機会を数多く与えられた人間はいなかったにもかかわらずだ。

  The Unbearable Lightness Of Being - Trailer

  とはいっても、彼が常にかわらず陽気で快活であったというわけではない。自分の身の上
 や、自分の友人の身の上や、自分が敬愛する人たちの身の上に、何か悪いことが起こるので
 はないかという思いにとらわれたり、あるいはそれについて深く気に病んでいなかったとい
 うわけではない。「こんなに何もかもうまくいくわけないよ」と彼は言ったかもしれない。
 五年ばかり前に彼はこう書いてきた。「やらなくてぱならないことがあまりにも多く、あま
 りにも多くの歳月が無駄に費やされてぎました」そのころから死というものが、彼の小説や
 詩の主題に(あるいは取り扱う謎に)なることが多くなった。そしてあらためて言うまでも
 ないことだが、彼の遺作である『使い走り』という短篇の主題になった。彼がどうしても死
 というものの真相をのぞぎこまなくてはならなかったのと同様、我々もまたそれをのぞぎこ
 まないわけにはいかないのだ。それがその小説の結末である。




 「心というものは真っ暗になってしまうこともある」というのは彼のいちばん親しい友人の
 手で書かれた小説の一節だが、事実それは真っ暗になってしまったのだ。しかしレイモンド・
 カーヴァーはあまりに多くの人の心を掴んでいたのだから、それは決して不思議でもなんで
 もないのかもしれない。最後の本のエピグラフとして、彼はミラン・クンデラの『存在の耐
 えられない軽さ』の中から次のような一節を引いている。「何を求めるべきかを、我々は決
 して知ることがない。何故なら我々はたった一度の人生を生きるだけなのだから、それを前
 回の自分の人生と引き比べるわけにいかないし、また次回の人生において将来それを完璧の
 誠に至らしめるというわけにもいかないのだ」実をいうと、彼は人間として可能な限り、ク
 ンデラの誤謬を証明するところに近づいていたのだと私は思っている。彼はそれを過去の人
 生と引き比べることがでぎたのだ。それを再構築することができたのだ。そしてほとんど完
 璧の誠に近く持っていくことがでぎたのだ。結局のところ、彼が最近の特の中でこんな風に
 書いているように。
        
                            ……何はともあれ、    
    私のことをあまり悼んだりしないでほしいな。私はあなたに知ってほしいのだ。
    ここにいたときには、私は幸福だったんだということを。

またいつの日にか彼の作品を、勿論、村上春樹の翻訳で、手にすることあるだろう。さらば!レイ。
 

   

【帝國のロングマーチ 30】     

            

● 折々の読書  『China 2049』48         

                                     秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」   

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。   

【目次】     

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか 森本敏(拓殖大学特任教授・
     元防衛大臣)      

 

     

    第10章 威嚇射撃

                               百聞不如一見――百聞は一見にしかず
                       
                                      『漢書』趙充国伝                                   
                                                                                         

※  百聞不如一見、兵難遙度、臣願馳至金城、図上方略(百聞は一見に如かず。軍事情勢は離れた
      ところから推測しがたいので、わたしは金城に駆けつけ、上策を図りたい) 

  車はどうにか間に合い、わたしは演説する内容を英語と中国語で書いた書類を配った それ
 らには「国防部により一般公開を許可する」という印が押されたばかりだった。わたしの演説
 は、2日間にわたって喧々鍔々の議論を引き起こすだろう。以前に参加した3回の中国軍事会
 議で身につけた戦術、「抛磚引玉(ほうせいいんぎょく:レンガを投げて翡翠を手に入れる)」
 に則っての作戦だ。この会議は、今後35年間にマラソン戦略がどのように進められるかにつ
 いて、中国当局の見解を知る希少な機会になるはずだ。かつてわたしは、中国からの亡命者か
 ら、100年計画に関するたとえ話を聞いたことがあった。戦国時代に勝利を収めるのは長期
 的に複数の相手と囲碁をするようなものだ、とその人物は言った。最終的に覇権を握るまでに
 7世代の王が必要とされた(注60)。一般的な囲碁の対局には約300の手があり、序盤、中
 盤、終盤に分けられる。その亡命者は、2014年の北京の指導者は、自分たちはまだ中盤に
 いる、つまり、中国はGDPでアメリカをリードしようとしているが、総合的な国力はまだア
 メリカに並んでいないと考えている、と語った。



  今回のわたしの北京訪問は、アメリカ政府の命によるものだった。アメリカを超えようとす
 る中国の戦略に反撃するにはどうすればいいかを調べるためだ。中国の軍や研究機関の専門家
 は、どんな計画を実行しようとしているのか。その2日問、多くの人とIば菓を交わし、この
 疑問の答えを探った。

  それまでわたしは、中国は2049年まで「目立つ行動を控え、好機を待つ」という戦略を
 維持する、と誤った見通しを立てていた,2049年になってようやく、中国は世界のリーダ
 ーシップを握り、最終的な打撃を浴びせ、世界支配の計画を始めるだろうと考えていたのだ。
 アメリカが衰退し、力の均衡が傾くにつれて攻撃を強める段階的方法が採られるとは、予想も
 していなかった。次第に新たなシナリオが見えてきた。アメリカとの力のバランスが自分に有
 利に傾くにつれて、中国はますます独断的になっていくはずだ。

  動きが加速していることに気づかなかったもう一つの理由は、中国の壮大な戦略は変わらず、
 他の国々にも満足をもたらすものだという、中国の主張を信用したからだ。中国の学者や役人
 は、少なくとも今後20年間は戦略的な忍耐を続けるつもりだと強く主張しているようにわたし
 には思えた。また、北京から戻ったアメリカの学者の多くは、中国政府は今後何十年もパワー
 バランス上の優勢が続くとは考えていない、とわたしに告げた,中国はこうした認識をせっせ
 と焚きつけた。2009年の半ばから、中国共産党中央党校と中国国際関係学院のシンクタン
 クは内部会議を開き、アメリカの衰退が中国にとってどういう意味を持つかを議諭してきた。
 ハーバード大学のアラステア・イアン・ジョンストンが書いているように、これらの会議にお
 いて、「より穏やかな意見、つまりパワーバランスに大きな変化は起きなかったとする人たち
 が、目立って守勢に立たされていたわけではなかった。言い換えれば、アメリカが相対的に衰
 退したかどうか、どのくらい衰退したかについて、(その当時)答えはまだ出ていなかった」。

  ジョンストンは続ける。
 「加えて、当時、外交政策の主な決定を行っていたグループが(中略)力の配分に大きな変化
 が起きて、中国にとって利益を追求する好機が到来した、という主張を受け入れたという証拠
 はない(注61)」

  だが、中国の指導者のなかには、100年計画は予定より早く進んでいると結論づけた者も
 いる。学者や諜報機関の職員は、少なくとも10年、もしかすると20年も計画より先に進んでい
 ると言いはじめた(注62)。こうして中国の指導者たちは、マラソン戦略に戦術的変更を加え
 るかどうか、つまり、ラストスパートをかけるかどうかを討議するようになった。

  それでもなお中国の行動は、想像のつく範囲にとどめられていた。覇権国に中国のより大き
 な戦略目標を気づかせないためだ。こうした出来事の一つひとつが中国の外交政策の「成功」
 を組み立ててきた。それぞれの例で、中国の図太い行動は、政治上の心要な利益を中国にもた
 らした。そして、アメリカや近隣の国々が不平を訴えても、中国はいかなる代価も支払おうと
 はしなかった。
  これらの出来事はいずれも、弟2章で概要を述べた以fの100年計画の九つの要素の.つ
 かそれ以上を中国が行った結旧ぺである。

  ●敵の自己満足を引き出して、警戒態勢をとらせない
  ●敵の助言者をうまく利用する
  ●勝利を手にするまで、数十年、あるいはそれ以上、忍耐する
  ●戦略的目的のために敵の考えや技術を盗む
  ●長期的な競争に勝つうえで、軍事カは決定的要因ではない
  ●覇権国はその支配的な地位を維持するためなら、極端で無謀な行動さえとりかねない
  ●勢を見失わない
  ●自国とライバルの相対的な力を測る尺度を確立し、利用する
  ●常に警戒し、他国に包囲されたり、・されたりしないようにする

  アメリカに先見の明があれば、中国が自己主張を強める時期の到来を予測できたはずだ。中
 国政府は、実行不可能と思える、あるいは想定外の、外交上の要求を突きつけてくるだろう,
 そして、他の国々は中国の圧力に屈するだろう。経済力を増した中国は、軍事征服によってで
 はなく、経済制裁によって近隣諸国を締めつけ、思い通りに動かすかもしれない。例えば、ダ
 ルムサーラにあるダライ・ラマの亡命政府を閉じるようインドに要求したり、チベット難民へ
 の経済支援(1959年から行われている)をやめるよう、インドや欧州連合やアメリカに圧
 力をかけるか、強要するかもしれない。あるいは、台湾への武器売却(中国が長年いらだち、
 カを増した今、もはや我慢するつもりはない問題)を停止するよう、アメリカ政府に強く求め
 るかもしれない。長年にわたって中国をいらだたせてきたもう一つの問題は、天然資源の豊か
 な周辺地域の領有権を巡る争いである。

  アメリカに対して、中国の近隣諸国との安全保障という軍事的つながりを断つよう迫ること
 もあり得る。1990年以来、中国政府はこれらの協定とそれに基づくアメリカの武器売却を
 強く非難し、「冷戦の名残」と呼んできた(注63)。覇権を目指す中国は、これらの協定を単
 に非難するだけでは終わらないだろう。中国が力と敵意を増すにつれ、安倍晋三やベニグノ・
 アキノのように、それを懸念し抑制しようとする声は大きくなり、より緊迫していくだろう。
 残念ながら、アメリカがその異議申し立てに気づいている様子はほとんどなく、いずれにせよ、
 それに対峙しようという気持ちはさらにないようだ。

                                    この項つづく 

この節もコメントなし。さて次回は第11章「戦国としてのアメリカ」に移る。

 


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