(中流の)“中”以下の人がこれからどうなっていくか」をひとつ主眼にして、生きてる今を考え、それ
を広げて自分のやってることに関連づける。そこにほんとうのことが隠れているような気がする。
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,2012
● 動き出すアジアスーパーグリッド構想
今月9日、ソフトバンクの孫正義社長は、都内で講演し、モンゴルの風力発電所で作った電力を日本へ
送る構想について、事業性を調査したところ「技術的にできる。石炭火力よりもだいぶ安く(日本へ送
電でき)いけそうだ。採算あり」と手応えを語る。「2020年にはほんの少しでも、(日本とモンゴ
ルの電力網が)つながっていたい」と実現に向けて決意を語った(「モンゴルから日本への送電、「技
術的にできる」-ソフトバンク孫社長」日刊工業新聞 電子版 2016.09.10)
それによると、孫社長は11年の東日本大震災後の東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、アジ
アの国々が電力網をつなぎ、再生可能エネルギーで発電した電力を共有する「アジアスーパーグリッド
構想」を提唱。実現に向けてソフトバンクは3月、中国、韓国、ロシアの3カ国の電力事業者と電力網
を接続するための事業性調査を始めていた。
また、モンゴルの風力発電所から日本へ送電するコストを検証した結果、韓国経由、ロシア経由とも石
炭火力発電所で1キロワット時の電力を作るコスト(10・5セント=10・7円)を下回るという。
具体的な数値は示さなかったが、「クレージーなアイデアだったけれど、実現が見えてきた」と語った。
ソフトバンクグループは、モンゴル・ゴビ砂漠に原発7基に相当する出力700万キロワットのウイン
ドウファーム(大規模風力発電所)を建設する土地を確保している。
また9日には、自然エネルギー財団会長の設立5周年記念シンポジウムで講演し、アジアスーパーグリ
ッド構想の現状を明らかにする。5周年記念ということで、ソフトバンクグループにおける再生可能エ
ネルギー発電への取り組みや、同財団を設立した経緯などを振り返った(加藤伸一=日経BPクリーンテ
ック研究所「アジアスーパーグリッドの実現性、世界最大のメガソーラー、孫氏が明らかに」2016.09.
11)。
ソフトバンクグループが、再エネ発電やアジアスーパーグリッド構想に取り組むきっかけとなった東日
本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故。孫会長は、「原子力発電所の事故は、ほんとうに怖かっ
た」と、何度も繰り返した。「怖かった」というのには、いくつかの意味があるという。まず、「事故
そのものによって、広い地域の多くの命が奪われたり、危険にさらされる可能性があったこと」。例え
ば「東京にまで影響が及んでいたならば、どのような事態が生じていたのか」と、原発事故のリスクに
ついて、改めて強調。「東日本大震災全体を含めて、地域全体の隅々まで、被災時にも通じやすいよう
な、より強固な通信網を築いていれば、津波などによる被災者が、一人でも少なくなったのではないか」。
携帯電話の通信事業者としての責任も吐露した上で、当時、福島の原発事故の影響で、近隣地に避難し
ている人々に、より遠い地域に避難してもらうために、交通機関や各地の地方自治体のトップと直接交
渉し、実現するめどをつけ、福島に向かい、現地の避難者たちに、県外への避難を呼びかけたという。
しかし、現地の避難者たちは、「先祖代々から生まれ育ってきた地を離れたくないと固辞し、実現しな
かった」と、当時を振り返る。
並行して考えていたのが、こうした原発事故を二度と起こさない社会にするため、代替のエネルギーへ
の取り組み。震災直後、福島の状況の改善に専念するため、ソフトバンクの社長を「1年間、辞任した
い」と、取締役会で伝え、その席で、「他の取締役たちから怒鳴られ、喧嘩するような状態となり、社
長の辞任は諦め、その代わり、原子力を代替するエネルギーに取り組むことを認めてもらった」と話し、
個人の立場で自然エネルギー財団を設立し活動開始する。原子力を代替するエネルギーである再エネは、
日本だけで増やしても、気象状況による発電量の変化などがあり、原子力が支えていた分を賄いきれな
い。アジアや、さらに世界のさまざまな地域と電力網を海底ケーブルで結び、時差や気象条件の違いに
よる太陽光や風力の発電電力を融通し合えるような電力網の国際連系を思いついた。これを「アジアス
ーパーグリッド構想」として11年9月に発表――この当時わたしは太陽光発電だけ電力が供給できる
『オールソーラーシステム構想』をブログ掲載しており孫会長の実行力を評価した上でその立場を明確
にしている――した当時、壮大すぎて信じがたい、採算的にも政治的にも実現しえない、クレイジーな
アイデアだと、多くの人から言われた」と話しているがわたしは実現可能だと考えていた。
さて、再エネ発電事業については、着々と進めてきた。子会社のSBエナジーを通じ、現在、国内で33
カ所の太陽光・風力発電所が稼働。日本よりも風力発電に向くモンゴルや、太陽光発電に向くインドで
も、再エネ発電所を開発し、(1)モンゴルでは、合計出力70ギガワットの風力発電所を設置できる
だけの土地の百年間の使用権を得ており、すでに小規模な風力発電所を開発。(2)また、インドでは、
出力350メガワットのメガソーラー(大規模太陽光発電所)を開発、合計出力20ギガワットW規模で
太陽光発電所を開発する計画。世界最大となる太陽光発電プロジェクトを、インドで開発することを明
らかにし、海外での再エネ発電所の開発と並行して、アジアスーパーグリッド構想も、実現に向けて動き出す。
今年3月30日、中国の国家電網公司(北京市)、韓国電力公社(KEPCO、羅州市)、ロシア・グリッド
(ROSSETI、モスクワ州)と電力系統網の国際連系を推進するための調査、企画立案を目的とした覚書
をに締結。そこには、4社が北東アジアでの電力網の国際連系に関する調査を実施し、事業性を評価。
加えて、電力網の国際連系の実現に向けた各国政府によるサポートの要請や事業体制の企画も検討。ソ
フトバンクグループは、東日本大震災での長期間の停電を受け、11年9月に「アジアスーパーグリッ
ド構想」を発表した。日本やモンゴル、インド、中国、東南アジアなどの電力系統網を海底ケーブルな
どを使ってつなぎ、国境を越えて広域連系するもの。モンゴルやインドなどで開発した風力や太陽光発
電の電力をアジア各国で利用することも想定する。こうしたアジアスーパーグリッド構想は、これまで
同構想の調査に参加していなかった中国の国家電網公司とロシアのROSSETIが加わることで、プロジェ
クト評価のエリアがより広がり現実味を増すこととなる。
【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
● 又吉直樹 著 『火花』13
吉祥寺で待ち合わせて、井の頭公園まで歩いた。焼鳥の「いせや」の脇の階段をくだり、霧がか
かった木々の中を歩いて行くと、煌々と輝く自動販売機に自然と足が向いた。神谷さんが何枚か小
銭を入れたあと、財布の小銭入れをぐるぐると指でかき混ぜていた,僕が自分の財布から十円玉を
取り出して、自動販売機に入れようとすると、「いらん]と一喝された。神谷さんは困ったような
顔のまま、小銭入れを指でかき混ぜている。折角人れた小銭が、時間が経過してしまったために釣
銭口から出てきてしまった。それでも、神谷さんは小銭をかき混ぜ続けている。
「そんなんしても、小銭増えませんよ」
「わかっとるわ!ここで、お前に十円出させたら、割り勘になってまうやろ」
神谷さんは、それが本当に口惜しいかのように言った。
「神谷さん、僕ペットボトルのお茶飲みたいんで、あと三十円です」と僕が言うと、
「性格悪いんか、もうええわ!」
と、神谷さんは諦めたように財布から千円札を取り出して自動販売機に吸い込ませべU井橋の上
に立ち、池の先にある大きなマンションの灯りを眺めながらペットボトルのお茶を飲む。
「美味いか?」と神谷さんが僕を窺うように囁いた。
「はい。タイムマシーンが発明されたら、真っ先にこのお茶を持って千利休に会いに行きます」と
僕は答えた。
「どうせ横から秀吉がしやしやり出てきて飲みよるやろ」と神谷さんは眼を細めて言った。
「その珈琲はどうですか?」
「美味い。小さい頃から通って世話なった田丸っていう地元のうどん屋で言うた『めっちゃ美味い
』って言葉、全部撤回するわ」
公園の西側から大きな鳥のような鳴き声が聞こえた。公園内に動物園があるのだ。
「田丸も想い出の美味いでいいんじゃないですか?」と僕は言った。
「いや、この缶珈琲に比べたら全然美味くないわ。優しいおばちゃん、ごめん」
「哀しいな。ジャンルも違うし、両方美味いでいいでしょう」
強く吹きつける風が前髪を乱暴に流していた,烏の鳴き声に呼応して、どこかで犬が吠えた。
神谷さんは僕の銀髪と様子の変わった服装について、色々と聞いてきた。僕は銀髪と会う服を選
んでいたら自然とこうなったのだと説明した,何を着るかということに必然性を感じ、それを選ぶ
ことが重要なのだと神谷さんは僕の服装に一定の理解を示した。油‥谷さんはお洒落についてはわ
からないが、お洒落であることと、個性的であることが同義のように扱われている点について異議
を唱えた。一見すると独特に見えても、それがどこかで流行っているのなら、それがいかに少数派
で奇抜であったとしても、それは個性とは言えないのだと言った。それを最初に始めた者だけの個
性であり、それ以外は模倣に過ぎないのだと言ったった。しかし、例外もあって、たとえば一年を
通してピエロの格好を全うするという人がいた場合、これは個性と言っていいとも言った,ピエロ
は誰かが生み出したものだが、それを普段着として日常的に着てしまうことは、最早オリジナルの
発想であると断言した。
「でもな、もしそのピエロが夏場に本当は暑いからこんな格好はしたくない。と思っていた場合、
これは自分自身の喫倣になってしまうと思うねん。自分とはこうあるべきやと思って、その規範に
基づいて生きてる奴って、結局は自分のモノマネやってもうてんねやろ? だから俺はキャラって
いうのに抵抗があんねん」
Corduroy Pants For Men
いかにも、神谷さんらしい言葉だと思ったけれど、そこまで個性に対して潔癖を強いるのは苦し
いことなのではないか,神谷さんが嬉々としてこれを話しているならば、気にはならなかっただろ
う。しかし、神谷さんの言葉には使命感を帯びた切実な響きがあった。
「僕はね、コーデュロイパンツが好きなんですが、唯一ベージュのコーデュロイパンが嫌いなんで
す」
「なんで?」
「コーデュロイパンツって縦に線が幾つも入ってるじやないですか」
「おう」
「ベージュは膨張色やから、ぶつかってると思うんです。だから、ベージュのコーデュロイパンツ
を穿いてる奴は、コーデュロイを穿きたいだけの色々間違えてる奴やと思うんです」
「細かいな。一見、俺と同じようなこと言ってる雰囲気で、全然違うこと言うてるやん」と言って、
神谷さんは笑った。
僕がそう思うに至ったのには発端があった。中学時代に古典の先生が穿いていたコーデュロイパ
ンツを皆が古くてダサいと馬鹿にしていたことがあって、その時に僕はどうしても自分の感覚とし
てコーデュロイパンツをダサいと思えなかった。むしろ、少し光沢のある質感を格好良いとさえ思
った。僕は古着屋で紺色のコーデュロイパンツを購入し、頻繁に穿くようになった。もちろん、仲
間達は、僕のコーデュロイパンツを古臭いと馬鹿にした。しかし、高校生になった時、古着のリバ
イバルブームが到来し、僕を馬鹿にしていた仲間達も当たり前のようにコーデュロイパンツを穿き
だした。その時の違和感が未だに忘れられないのだ。しかも、僕の仲間が嬉しそうに穿いて来たの
が、ベージュのコーデュロイパンツだったのだ,それでベージュのコーデュロイパンツに対する嫌
悪感が生まれてしまっただけかもしれない。冷静に捉え直そうと試みても、モヒカン頭のパンクス
着用のライダースジャケットがコットン素材であることと同じくらい俯に落ちないのである。
「もうベージュのコーデュロイパンツの話ええわ。途中から、ベージュのコーデュロイパンツって
言うのが気持ちよくなってたやろ]
そう言って神谷さんは、飲み終わった缶珈琲をゴミ箱に捨てた。
「太鼓の太鼓のお兄さん、真っ赤な帽子のお兄さん」突然、神谷さんが唄い出した。
「龍よ目覚めよ。太鼓の音で」
奇妙な旋律が真夜中の公園に響いていた。
久しぶりに僕達は吉祥寺から上石神井までの道を歩いた。毎日のように通っていたので、随分と
懐かしいような感覚があった。日常的に歩く距離ではない。バスを使いましょうと提案しても、神
谷さんは一切応じなかった。僕も歩くことは好きだったが、あくまでも目的のない散歩だったので
当たり前のように長い距離を毎日歩く神谷さんは少し異様に見えた。僕達の横を通り抜けて行く自
転車に、「お父さん、危ないんでライト点けてくださいね~」と神谷さんが声をかけていた。
自転車は何も言わずに走り去って行った。
「そんなん言わんでよろしいねん」という僕の言葉に耳を貸さず、神谷さんは無灯火の自転車が通
る度、同じように声をかけた,
真樹さんのアパートに着いた時には、昧の感覚がほとんどなくなっていた,水色のドアを開ける
と真樹さんが笑顔で迎えてくれた。
「徳永くん、久しぶりだね。元気だった?」
「はい。お久しぶりです」
「ご飯食べていってね」
真樹さんは台所で鍋の準備を始めた。一時期は毎日のように通った家なのに、久しぶりだからか
妙な違和感を覚えた。神谷さんの座る位置がいつもと違うのだ。いつもはテレビに対して食卓を挟
み正対するのだが、なぜか今日は右手にテレビが見える場所で、僕と正対する体勢をとっている。
真樹さんが鍋を運んできた。真樹さんは、いつも僕が手伝おうとすることを嫌い、
「徳永くんは、食べる係だよ」と言って笑うのだった。神谷さんと真樹さんは時々夫婦のように見
える時があった。
ビールで乾杯し、二度目の鍋を真樹さんが作りに行った時、神谷さんが「小便」と言ってトイレ
に立った。なぜ、「小便」とわざわざ言い残したのだろうと思うのと同時に、今日に限って神谷さ
んが、いつもと違う場所に座っていたのか理由がわかった。
神谷さんがいた場所の後ろには、銀の洋服ラックがあり、そこにベージュのコーデュロイパンツ
が置いてあったのだ。井の頭公園での会話が蘇り、僕は一瞬で青ざめた。
すぐになち上がってトイレの前に立ったが、どうすればいいのかわからなかった,トイレの中か
らは何の音もしない。台所からは鍋が煮立つ音が聞こえていた。
「出来たよ」と言って、両手に厚手のキッチンミトンをはめた真樹さんが鍋を食卓の上に運ぶ。真
樹さんは変な所に立っている僕を見て少し笑ったが、何も言わず台所に戻った。こういう時、真樹
さんは恐ろしいほど、勘がいいのだ。
「神谷さん」と僕はトイレの中に呼びかけた。
そして、神谷さんもまた恐ろしいほど勘がよかった。
「あんな、大阪時代にな喫茶店でバイトしててな、上は店名の入った黒いエプロンを決まりで首け
るんやけど、下はベージュのパンツやったら何でもいいという店やってん」
神谷さんの声が狭いユニットバスの中で反響していた。
「すみません」
「謝ることなんてあらへん。俺はなベージュのパンツが必要なだけやってん。だから、コーデュロ
イ以外にもベージュのパンツは何本か持ってるんやで」
僕は、なんと言っていいのかわからなかった。
「数が必要やったからな。でも夏場は暑いからコーデュロイはあかんな。だから、あれはほとんど
穿いてないんちやうかな」
「そうなんですね。でも、ベージュのコーデュロイパンツあらためて見ると、やっぱり格好良いで
すね」と僕が言うと、中から笑い声が聞こえてきた。
「もうええわ」と仲谷さんが言って、水を流す音がした。神谷さんはトイレから出てくると、ベー
ジュのコーデュロイパンツをスーパーの袋に入れて、「持って帰れ」と言って僕に差し出した,僕
がリュックにそれを詰めているうちに、神谷さんは鍋をつつき始めた。丁度そのタイミングで、流
しっ放しにしていたテレビから派手な音楽が聞こえてきた。最近人気の若手芸人達のユニットによ
る番組が始まったのだ。真樹さんは何も言わず、リモコンでチャンネルを変え、「〆は雑炊か乾麺
どっちにする?」と明るい声で言った。神谷さんは、豆腐を口に頬張りながら「鬼まんま」と言っ
た。
この節の終わりの「鬼まんま」という言葉に引っかかる。鬼は、隠(かくれたるものを意味する)の隠
語と囲んでいる様(車座)という状態の表現であり、あの世のものと意味をさし、単純に地獄の火鍋を
喩えた雑炊などの「鍋料理」をさすものと理解する。
この項つづく
工藤静香 黄砂に吹かれて