鮭は数千個の卵を産むが、帰ってくるのは2匹。
孫 正義
※ 過去の成功体験にしがみつかない、生涯、現役チャレンジャーである。
世の中の「当たり前」ほど、あてにならないものはありません。
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar,2012
ノシメマダラメイガは、幼虫が多種多様な貯穀物を含む食物を加害するため、成虫・幼虫ともに加工食品
における異物混入源であり、同種の幼虫は製品外装に孔を開けるばかりでなく粗繭(ソケン)を形成、倉
庫などの流通現場の防除対象となる。8月30日、農業・食品産業技術総合研究機構は、農業害虫である
「ガ」が嫌がる超音波のパルスの長さを解明し、この超音波を聞かせ、リンゴへのノメイガの飛来を1/
6以下に減らしたと公表。
農作物を加害するガの仲間には夜間に飛び回るものがありますが、これらはコウモリにとって格好のエサ
となる。コウモリは超音波(周波数が20キロヘルツ以上のヒトには聞こえない音)を発し、跳ね返るエ
コーを手掛かりに虫を捕らえるため、ガはコウモリに食べられないよう、超音波を聞くと逃げ出したり飛
ぶのを止めたりする忌避行動をとる。実験では対象となる害虫として、モモやクリを加害するモモノゴマ
ダラノメイガ(左/左写真)を用いました。このガのメス成虫は果実に産卵し、孵化した幼虫が果実を食
害するため、メス成虫の果実への飛来を妨げることにより被害を未然に防げる。この成果――化学殺虫剤
の散布回数を削減できる環境負荷の少ない害虫防除技術となる――をビニールハウスなどで使用できるよ
う数年以内の製品化をめざすというから面白いですね。
特許5904473 貯穀チョウ目害虫を合成超音波で忌避せしめる方法
● あさイチレシピ:枸杞の実ご飯と味噌汁
日本では、薬膳料理として使われてきた枸杞(クコ)や夏芽(ナツメ)がニューヨークで流行しているこ
とをNHKのあさイチで知る。そこでは、美容食材「ゴジベリー」として紹介されていたが、杏仁豆腐に
トッピングされているクコでウルフベリーと呼ばれ馴染み部会のでなぜ流行するのか興味を惹かれる。そ
の流行の情報元は、4年前の資生堂が開発した美白化粧品。スーパーモデル・ミランダカーなどが食べて
いることをネットで公開したことで人気に火が付き、日本のスーパーでも「ゴジベリー」として並びはじ
めているのとか。このゴジベリーを食べると、肌のシミができにくくなるという驚きのパワーが実証され、
一日5グラム(28粒)、たった30円分を食べ続けるだけで期待できるという超優れモノというから女
性はほっとかない?!
※枸杞は、日本から朝鮮、中国、台湾、マレー半島に分布するナス科の植物で、夏に薄紫色の花をつけ、秋には
楕円型の真っ赤な実が生ります。枸杞の実は、中国古代の薬物書「神農本草経」上品に収載され、三千年以上
昔から不老長寿の「妙薬」として知られています。日本でも平安時代から漢方・民間薬として内服され、現代では
中華料理や薬膳料理などを通じて、美容・健康に良いイメージが定着しています。その作用としては、滋養強壮、
肝機能強化、眼精疲労からの回復、血行不良の改善、免疫機能調整など。
その資生堂の特許の技術背景――しみ・そばかすなどの皮膚色素沈着は、紫外線やホルモンの異常などが
原因となってメラニンが過剰に形成され、これが皮膚内に異常に沈着するものと考えられている。皮膚色
素沈着の原因となるこのメラニンは、表皮基底層にある色素細胞(メラノサイト)内のメラノソームと呼
ばれる小器官において生成され、生成したメラニンは周囲角化細胞(ケラチノサイト)に取り込まれる。
このような異常な皮膚色素沈着の予防や改善を目的として、①チロシナーゼ活性阻害剤などメラニン生成
を抑制する物質を配合した組成物を皮膚に局所的に塗布することが行われている。②一方、経皮以外の方
法として、例えば、ビタミンCを大量に経口投与する方法、③グルタチオン等を注射する方法などが知ら
れている。しかしながら、経口投与においてはその効果において未だ満足できるものは得られてなかった。
例えば、プロビタミンC供給源と、プロビタミンCをビタミンCに変換させる酵素(βグルコシダーゼ)
を含有するビタミンC効能増強組成物が記載され、プロビタミンC供給源として、枸杞(クコ)の実の水
溶性抽出物のプロビタミンCはアスコルビン酸-グルコシド、特にアスコルビン酸-β-グルコシドであ
る。そして、このビタミンC効能増強組成物の用途として、L-アスコルビン酸やその誘導体、その塩が
一般的に用いられている、例えば美白剤、皮膚色素沈着予防治療剤、メラニン色素抑制還元剤、フリーラ
ジカル(活性酸素)疾患治療剤などあるが、プロビタミンC供給源に酵素を併用することで摂取直後の血
中ビタミン濃度が上昇することが示されているものの、皮膚色素沈着を抑制することは示されていない。
そこで資生堂は、杞子抽出物が紫外線により誘発される皮膚色素沈着に対して優れた抑制効果があること
を発見、つまり経口用皮膚色素沈着抑制剤は、枸杞子抽出物を有効成分を特徴とし枸杞子抽出物がエタノ
ール-水混合液の抽出物である経口用皮膚色素沈着抑制剤として提供するに至ったと介さされている。
興味をそれではなく、橋本幹造和食シェフの「ゴジベリーごはん&みそ汁」の方。これを作ってみようと
思い立つ(マリオ・フリットリイタリア料理店オーナーシェフの「ゴジベリーのシチリア風パスタ」や井
桁良樹中国料理シェフの「鶏手羽のゴジベリー紹興酒煮込み」が悪いということではなく)。特に、ゴジ
ベリーみそ汁はチャレンジし定着させたいと思うのでありました。
※ゴジベリーを塩と酢でよくもみ、水洗いすることで、ゴジベリーのうまみを引き出すことができる!と
いう橋本シェフのヒントに反応する。
● リン酸鉄系リチウムイオン電池は20年まで年率20.5%で成長
リン酸鉄系Liイオン電池(LFP)のグローバル市場は20年まで年率(CAGR)20.5%で成長する、との
予測をインドの調査会社であるSandler Research社が発表。LFPの消費量の大半は中国によるもので、この
大きな需要の要因の一つは同国における電動車両の著しい増加すると予測。中国では今後、温室効果ガス
排出量の削減と代替燃料の導入のため、長期的に電気自動車(EV)やプラグインハイブリッド車(PHEV)
といった電動車両の市場の発展が見込まれ、その蓄電池としてLFPが使用されるという。同社は、太陽光
や風力など間欠的な再生可能エネルギーによる発電もLFP市場が成長するカギを握るとしている。人口増加
や化石燃料の枯渇などに対する懸念が強まっており、再エネによる発電設備の導入が焦点となりつつある。
● 米国加州で両面ガラスで世界最大の12.8メガワット大規模太陽光発電稼働
12日、米国のサンプリーム社は、米国東部で出力12.8メガワットソーラーを完成・稼働。同社はカ
リフォルニア州サニーベールを拠点とするベンチャー企業で、太陽電池と太陽光パネルの開発や製造を行
っている。太陽光パネルの製造工場は、中国・上海の南西部、浙江省嘉興市にある。今回、稼働したメガ
ソーラーは15メガワットの太陽光発電クラスターの一部であり、両面ガラスタイプの太陽光パネルクラ
スとしては世界最大
同社が開発したフレス対称構造の太陽光パネル「GxB370W」を採用。変換効率は21.5%、開放電圧(
Voc)が725~735ミリボルトと相対的に高く、温度係数が-0.28%/℃と低い。この特性は同社
が「ハイブリッド・セル技術(HCT)」と呼ぶアモルファスシリコン薄膜とスプリットPIN接合により実
現され、太陽電池セル(発電素子)の高効率性と内部抵抗(シャント抵抗)の低さに起因。同社の会長兼
最高経営責任者を務めるAshok Sinha博士は、「Sunpreme社の太陽光パネルは、ストリング(直流回路)レ
ベルで、より高いAC/DCピーク出力比、より良い低照度特性(kWpあたりkWh)を達成し、結果的に優
れた均等化発電原価(LCOE)を実現した」と語る。変換効率が21.5~23.5%、世界の25カ国で採
用実績がある。
【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
● 又吉直樹 著 『火花』14
口から漏れる白い息と、「いせや」で買ったシュウマイの湯気とが空中で混ざり合っている。最後
の一口を頬張りながら、井の頭公園人口の緩やかな階段を降りて行くと、冬の穏やかな陽射しを跳ね
返せず、吸収するだけの木々達が寒々とした表情を浮かべていた。
「季節によって雰囲気だいぶ変わるよな」
神谷さんは、そうつぷやくと食べ終えたシュウマイの包装紙を僕に渡した。
新宿や渋谷と比べて、この公園の緩やかな時間の流れを僕も神谷さんも気に入っていた。暖かい缶
珈琲を買って公園のベンチに座り池を眺める。身体に溜まった毒が濾過されるような心地良さがある。
ベビーカーを押した若い母親が、僕達の隣のベンチに腰を降ろした。赤児が獣のような大きな声で泣
いていて、母親の顔には疲れと困惑が見えた。
神谷さんは、おもむろに立ち上がると、ベビーカーに近づき、「可愛いですね」と若い母親に声を
かけた。母親は神谷さんの言葉を報告するように、赤児に優しく頬笑んだ。だが、一向に泣きやむ気
配は見えない。すると、神谷さんは赤児の顔を覗き込み、「尼さんの右目に止まる蝿二匹」と急に七
五調でつぷやいた。その言葉の意図が僕にはわからなかったので尋ねてみると、「昨日考えた、蝿川
柳である」と時代がかった調子で応答した。
「いや、笑うわけないやろ」という僕の言葉には一切反応せず、神谷さんは赤児を見つめたまま、「
恩人の墓石に止まる蝿二匹」と笑顔で蝿川柳を続けた。どうやら、本気のようである。神谷さんは、
恐怖で顔を引き撃らせている母親に、「お子さん、元気でいいですね」と優しく声をかけ、蝿川柳を
赤児に披露し続けた。多少の常識的な優しさを持ち合わせていることが、尚一層、蝿川柳の恐ろしさ
を際立たせた。
「僕は蝿きみはコオロギあれは海」
「蝿共の対極に居るパリジェンヌ」
「母親の御土産メロン蝿だらけ」
神谷さんは、赤児が笑わないことに納得出来ないのか、一つ発表するごとに首を傾げていた。
「赤ちゃんは蝿川柳では笑いませんよ」と僕が言うと、神谷さんは困ったような顔をして、「ほんな
ら、お前やってみろよ」と突き放すように言った。
蝿川柳が正解ではないことこそわかったが、僕も子供と接した経験などなく、子供と二人きりなら
まだしも、他の大人がいるとその脱線が気になり、コミュニケーションが上手く取れなくなるのだっ
た。けれど、ここで恥ずかしがることが愛であるという常識も頭の中にはある。僕は、思い切って、
赤児に向かい「いないいないばあ!」と全力でやってみた。
しかし、泣きやまない。そんな僕を神谷さんが冷めた眼で見つめていた。構わず、僕は「いないい
ないばあ」を何度か試みた。赤児の母親も、僕の行為と唐突な高揚に若干引いていることが見てわか
った,
母親が抱っこをすることによって、ようやく赤児は落ち着いたが、神谷さんの顔色は優れなかった。
「蝿川柳ってなんですの? あれで赤ちゃん笑わないでしょ」
僕は会話を始めなければというくらいの気持ちで、神谷さんに言葉を投げかけた。
神谷さんは、「でも、お前がやってたあれ、凄く面白くなかったなあ{と妙なことを言った。
「いや、あれは赤ちゃんに対する定番で、面白いとか、面白くないとかじゃないですよ」
「いや、あれは面白くないわ」
神谷さんは、「いないいないばあ」を理解していないのかもしれない。どんなに押しつけがましい
発明家や芸術家も、自分の作品の受け手が赤ん坊であった時、それでも作品を一切変えない人間はど
れくらいいるのだろう。過去の天才達も、神谷さんと同じように、「いないいないばあ」ではなく、
自分の全力の作品で子供を楽しませようとしただろうか。僕は自分の考えたことをいかに人に伝える
かを試行錯誤していた。しかし、神谷さんは誰が相手であってもやり方を変えないのかもしれない。
それは、あまりにも相手を信用し過ぎているのではないか。だが、一切ぶれずに自分のスタイルを
全うする仲谷さんを見ていると、随分と自分が軽い人間のように思えてくることがあった。
*
僕達の事務所に、大手の事務所から数組の後輩が移籍して来た。彼等は優秀だった。自発的にユニ
ットを結戒し、小規模ながらすぐにライブを成功させた。僕達はまだ、ライブを企画したことすらな
かった。他の事務所との合同か劇場側が主催のライブに呼んで貰うばかりで、自らライブを決行する
知識も情報も持っていなかった。彼等の台頭は僕にとって大きな事件だった。彼等は僅かな期間で事
務所の社員とも打ちとけた。社員の前で敢えて軽口を叩き、叱られて謝る。その一連のやり取りの間、
ずっと社員は笑っている。社員は後輩達を叱りながら、徐々に親が子を見る顔へと近づいていった。
それは僕が見たことのない種類の顔だった。この数年間、事務所に所属になってから、嫌われない
ように一定の距離を保ち続けてきた僕と違い、彼等は即座に社員が自分達の指導者であることを認め
た。それは社員に対して親としての自覚を持たせることでもあった。彼等のおかげで事務所のお笑い
班は活気づいた。事務所ライブが定期的に開催されることになったことは僕にとっても有り難いこと
だったが、僕達は初めて誰かと比較されることになった。
今までの失態は知名度や事務所の責任にすることが出来た。しかし、これは知名度に大差のない同
じ事務所同士の戦いなのだ。ライプでは順番にネタを披露し、最終的に観客の投票によって順位が決
まる。僕達の漫才はいつも通りの出来だった。観客の数と比較すると充分だと思っていたが、僕達の
前に出た後輩達は楽屋まで届くほどの笑いを生みだしていた。集計中のトークでも彼等は自分達の関
係性を大いに生かし笑いを作っていた。こんな風に観客と一体化したライブは経験したことがなかっ
た。舞台上で躍動する彼等を間近で目撃しながらも、どこか現実感が乏しく観客の笑声も遠くから聞
こえるようで、僕の鼓膜には自分の呼吸の音ばかりが実在的に響いていて、それが微かに乱れる度に
酷く気になり、周りの景色は霞んでいった。僕達は出演者の中で最も長い芸歴を持ちながら、八組中
六位という成績だった。
ライブの打ち上げは渋谷の鉄板焼き屋で行われた。今まで事務所ライブで積極的に打ち上げが行わ
れたことなどなかったかもしれない。週末ということもあり、店内は若者や酔客でごった返していた。
静かなのよりはましだった。隅に座った僕の前には女性の社員が座った。
「徳永君、大阪選抜だったんでしょ? なんでサッカー辞めちやったの?」
この人は、いつも僕達に笑顔で接してくれるけれど、僕達のことを微塵も面白いなんて思っていな
いのだろう。この人にとって、僕などはここに存在していなくても別に構わないのだ。どこかでサッ
カー選手にでもなっていたら、こいつは幸せだっただろうと軽薄に想像する程度の人間でしかないの
だ。そして、それはこの人に限ったことではない。
十代の頃、漫才師になれない自分の将来を案じた底なしの恐怖は一体何だったのだろう。上座で構
成作家や舞台監督と呑んでいた相方の山下が便所に行った帰り、僕の側に来て、「舞監さんが、隅で
呑んでんと作家さんとかに挨拶した方がいいよ、やって」と囁き自分の席に戻って行った。この舞台
監督は何かと僕達のことを気にかけてくれる優しい人物だった。僕はビールの入ったグラスを持ち、
重たい腰を持ち上げて上座に歩いて行く。こんな夜でさえもそうなのか。上座の作家や舞監や山下を
相手に後輩達は健気に立ち回り、場は盛り上がっている。自分の存在が水を差さないかと怖かった。
笑顔を貼りつけたまま上座に辿り着いた僕には誰も気づかない。
僕は全ての輪から放り出され、座席でも通路でもない、名称のついていない場所で一人立ち尽くし
ていた。僕は何なのだろう。
こんな時、神谷さんの唱える、「気づいているか、いないかだけで、人間はみんな漫才師である」
という理論は狂っていると理解しながらも妙に僕を落ち着かせてくれるのだった。今、明確に打ちの
めされながら神谷さんとの日々が頭を過ぎる。僕は神谷さんの下で成長している実感が確かにあった。
だが、世間に触れてみると、それはこんなにも脆弱なものなのだろうか。言葉が出てこない『表情が
変えられない。神谷さんに会いたくなるのは、概ね自分を見失いかけた夜だった。
※ ここで、神谷と真樹との別れを知ることになる徳永。二つ目の山が脚本進行する、漫才である。
この項つづく