自分一人のものが夢。みんなで共有できる夢が志だ。
志を持て。それも出来るだけ高い志を。
言い訳は解決への執念を鈍らせる。
ビジネスプランは千通りつくってから来い。
事業は大技、中技、小技から形成されている。経営者は大技だけ常に考えろ。
孫 正義
● 台風16号進路予想と降雨量
台風16号は20日昼過ぎに強い勢力で和歌山県に再上陸後、夕方には東日本の太平洋沿岸
を東寄りに進んでいる。午前に比べて台風は勢力を弱めてきているものの、中心の北側や東
側に活発な雨雲を伴っているため、東日本は今夜にかけて引き続き大雨に警戒が必要だ。特
に東海では今夜遅くにかけて、局地的に1時間80~100ミリの猛烈な雨が降るおそれが
ある。毎年このような事態が繰り返され、日本国土が疲弊していくことは予見されていたこ
とだが、倒れた電柱、土砂崩れで道路が遮断、河川が氾濫する光景をみて、同じ被害を年を
あけず罹災すればどうなるかも予見されることである。それととともに降水量の変化などが
デジタル処理され刻々とヴィジュアルに情報提供されてきていことにも驚きだ。また、グラ
フェンシートで作った「自律型海水蒸発封鎖フェンス」で台風の発生予防法を起想したり新し
いり経験もさせてくれた。ここは「ピンチはチャンス」と想いたい。
9月8日、米連邦航空局(FAA:Federal Aviation Administration)は、Samsung Electronics(サムスン
電子)の最新スマートフォン「Galaxy Note 7」に発火の危険があると勧告。航空機の乗客に
対して、機内ではGalaxy Note 7の電源を切る、充電しない、預け入れ荷物の中に入れない、
などの注意を喚起したというが、これは Jeep Cherokee(ジープ・チェロキー)の自動車コ
ンソールでの充電中に爆発、車体を全焼させたという事故の報道を受けたもの。Samsungは
既に、約250万台をリコール発表。Sprintなどの大手携帯電話サービスプロバイダーも、
販売を中止するとともに、既に販売済みの製品に対しては返金に応じ、対象となるスマート
フォンが販売された地域は、10カ国である。
リチウムイオン電池には、十分な安全性への配慮が必要。特に大型のリチウムイオン電池は
大電流で充電/放電を繰り返す。高容量になるほど安全性の担保が重要になり、例えば、リ
チウムイオン電池が過充電された場合、電池内部温度が上昇し熱暴走を起こす。熱暴走が起
きると、電解液の気化や活物質の熱分解によりガスが発生し、電池容器の破裂や、最悪の場
合には――充電中は、イオンで満たされた電解質液の中で、リチウムイオンがカソード(一
般的にコバルトとマンガン、ニッケル、酸素を含む)からアノード(グラファイトを使用)
に放出される。電池が消耗すると、リチウムイオンがアノードからカソードへと戻るが、電
解液に中和作用があるにもかかわらず、リチウムが、酸素や空気中の水蒸気に過度反応すし
発火する。過去、ソニー、 Dell、HP(Hewlett Packard)、東芝、Chevy、Tesla Motors、Boeing
などバッテリーが発火が報告されっているが、金属の微細な削りくずが誤って電解膜に入り込み、フ
ィルムに穴が空きアソード・カソード間の短絡発火などの製造工程の欠陥、あるいはバッテリーケー
ス半損などに由来するものであった。
例えば、その安全対策事例として、下図のような構造・構成で第1セパレータと第2セパレ
ータの溶融温度の設定し、電池の異常発熱時に電池反応を安全に停止、熱暴走を回避機構で、
電池組立も煩雑でない新規考案が公開されている。図1を元に説明すると、帯状の集電箔に
活物質が塗工された正負極板が、帯状セパレータを介し積層され、帯状の長手方向に捲回(
けんかい)されている電極群23をもち。正負極板に、捲回始め部分に相当する長手方向の
端部に、長手方向に対する幅方向の全体に亘って活物質が塗工されず集電箔3a,7aが露
出している活物質未塗工部7b,7cが配置。電極群23における活物質未塗工部7b,7c
は第1セパレータ5Aを介して相対しており、第1セパレータ5Aはその溶融温度t1(℃)
が100~170℃、正負極板の他の部分が接する第2のセパレータ5Bはその溶融温度t2
(℃)が溶融温度t1よりも高く、t2/t1が1.3~5である。
特開2016-157513 リチウムイオン電池 日立化成株式会社
表1に過充電試験と衝撃試験の評価結果を示す。過充電試験において、試験数(n=5)の
全てが熱暴走(発火又は破裂)に至らなかった場合を「○」(良)、一部が熱暴走に至った
場合を「△」(問題有)、全てが熱暴走に至った場合を「×」(不良)と評価している。ま
た、衝撃試験において、試験後の電池の電圧値が1時間で0.01V以上電圧低下した場合
を内部短絡が起きたとし、試験数(n=3)の全てが内部短絡を起こさなかった場合を「○」
(良)、一部が内部短絡を起こした場合を「△」(問題有)、全てが内部短絡を起こした場
合を「×」(不良)と評価している。 表1に示すように、各実施例においては、過充電試
験、衝撃試験ともに評価「○」であった。
次に、直近の安全性が優れた全固体型リチウムイオン電池の製造方法の公開特許事例を掲載
する。下図1のように、電極層13,15及び固体電解質層14が積層された構造を有する
電池要素5を有する全固体電池1の製造方法において、電池要素を、少なくとも一部ととも
に焼成される、結晶性のセラミックスを含んだ封止層(封止セラミックス層11,17)に
より封止する。上記構造は、電極層13,15、固体電解質層14、及び集電体層12が積
層された構造であってもよい。セラミックスの熱収縮率とセラミックスと接触する構造の熱
収縮率との熱収縮率差が5%以内となるように、セラミックスの熱収縮率と、セラミックスと
接触する構造の熱収縮率とを調節。この調節は、焼成前の電池要素5またはセラミックスの
母材の結晶相とガラス相の配合比を変えることにより行うことで、耐湿性並びに高温特性に
優れるとともに、簡素な工程にて製造が可能な全固体電池の提供する。
特開2016-167356 全固体電池の製造方法、及び全固体電池
さらに、封止層の熱収縮率と封止層と接触する構造の熱収縮率差が5%以内で、封止層の熱
収縮率と、封止層と接触する構造熱収縮率を調節する。封止層の母材の結晶相とガラス相の
配合比を変えることで行い、この母材が、LAGP(Li1+xAlxGe2-x(PO4)3(0≦
x≦1))粉体であることを要件としている。
※ その他関連公開特許
特開2016-167929 電源制御装置 日産自動車株式会社 2016年09月15日
特開2016-167575 蓄電セル、外装フィルム及び蓄電モジュール 太陽誘電株式会社 2016年09月15日
特開2016-167457 負極合材、電極及びリチウムイオン電池 出光興産株式会社 2016年09月15日
特開2016-165718 水素排出膜 日東電工株式会社 2016年09月15日
特開2016-163536 移動体用の電源制御装置、電源制御方法、およびこの電源制御装置が適用
された電源制御システム 株式会社東芝 2016年09月05日
特開2016-162626 非水電解液電池 株式会社豊田中央研究所 他 2016年09月05日
特開2016-160160 酸化物焼結体、その製造方法、それを用いた固体電解質、および、それを
用いたリチウムイオン電池 国立研究開発法人物質・材料研究機構 2016年09月05日
特開2016-158467 密閉型二次電池の劣化診断方法及び劣化診断システム 東洋ゴム工業株式
会社 2016年09月01日
【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
● 又吉直樹 著 『火花』17
ある日、知らない番号から電話がかかってきた。いつものように僕は電話に出なかっ
た。すると、留守番電話に「大林です。これ聞いたら電話下さい」というメッセージが
残されていた。神谷さんの相方だった。若手芸人の世界では、相方が仲のいい後輩はあ
まり誘わないという不 文律があった。もちろん、絶対的な決まりではない。そうして
おいた方が上手くいくことが多いというだけのことだ。
大林さんとは高円寺の駅前で待ち合わせて、近くの焼鳥屋に入った。油と煙で汚れた
小さなテレビではバラエティー番組が流れていた。
「最近、調子いいやん?」
大林さんは出されたビールを一気に呑むと、すぐに二杯目を注文した。その癖は神谷
さんから、「あいつ、自分のことポパイかなんかやと思ってんねん」という風に聞いた
ことがあった。僕はポパイが、酒を呑むのかどうかまでは知らなかった。
「生活全然変わりませんよ。そんなことより、大林さん、今日は下駄履いてないんです
ね?」
「いや、履いてたことないわ!」
大林さんは、いつも大きなワークブーツを履いていた。
「犬は電柱にくくってるんですか?」
「誰と問違えてんねん!」
大林さんは神谷さんと違い地声が大きい。
「というか、こんなに大眼につくとこで大丈夫ですか?」
「いや、誰が俺のこと知ってんねん!」
僕は大林さんに会うと必ず、西郷隆盛と話しているという設定で会話をすることにし
ていた。もう五年以上になるが、いまだに大林さんは西郷隆盛に辿り着いていなかった,
つまり、大林さんと僕は、それくらいの距離感であり特別懇意にしているわけではなか
ったが、この大の勘が鈍いところも含めて大好きだった。
「知ってる?神谷、もう首まわらんくらい借金でかなってんねん」
大林さんは、言い難そうな表情とは不釣り合いの大きな声でそう言った。
「そうなんですね」
神谷さんの遊び方を見ていたら、ある程度予想は出来た。消費者金融に寄ってから御
飯に行くことも多々あったし、呑み屋で知らない人の会計を払うことさえあったのだか
ら。呻谷さんは真附さんと別れてから攘が外れたように駄目になった。自分に苦痛を与
えていなければ落ち着かないような被虐嗜好すら感じられた。
「あいつな、お前の前やと格好つけ過ぎるとこあんねん,それも、あいつの面白い部分
やと思うんやけどな、このままやったら漫才出来ひんようなってまうんちやうかなと思
うねん」
大林さんも、後輩にこんな話はしたくなかっただろう。独断的ではあるが、僕には、
いつも真剣に話してくれた。
「すみません。いつも僕が御馳走なってて。今後、僕と一緒の時はお金使わせへんよう
にします」
大林さんは、口を固く結んでいた。
「いや、お前は全然悪くないねん。仲谷、お前の話する時、ごっつ嬉しそうやもん」
そうつぶやく大林さんを見て、しみじみと仲谷さんの相方はこの人でなければならな
いと思った。「せけど、売れたいのお]という大林さんの珍しく小さな声は聞こえなか
ったふりをした。
「あっ、鹿谷出てるやん」と大林さんがテレビを見て言った。
「最近、鹿谷よう見ますね」と僕も振り返ってテレビを見上げた,
鹿谷はネタ番組に出ると、大物MCに最高の玩具であることを瞬時に発見され、そこ
で開花した才能を存分に発揮し、瞬く間に時代の寵児となった。彼は感情を爆発させるこ
とによって、その場の全員に馬鹿にされる才能があった。何をしても最下位になった。
そんな肢を多くの人が必要とした。彼はバラエティー番組の中で誰よりも笑い、誰より
も泣き、椅子に座っていられないくらい派手に動いた。寿司に大量のワサビが入ってい
るというドッキリを仕掛けられた時は、「食べ物をこんな風にしてはいけない」と真剣
に訴え、番組が仕込んだ女性と恋に落ちるというドッキリを仕掛けられた時は、「愛を
砥めんな」という言葉を恥ずかしげもなく言い放った。彼は誰からも愛されたし、あら
ゆることを許された。同じことをしたのでは誰も勝てなかった。鹿谷には.時も目を離
せない強烈な愛嬌があった。
微笑みながらテレビを見ていた大林さんが、「俺達がやってきた百本近い漫才を鹿谷
は生れた瞬間に越えてたんかもな」とつぶやいた。
その残酷な言葉に僕は思わず叫びそうになった。表情を変えずに奥歯を噛んだ。奥歯
を砕いてしまいたかった,ビールはこんな味だっただろうか。
※
神谷さんが三十二歳の誕生日を迎えた直後に、お祝いのメールを送った。すぐに返っ
てきたメールを開くと、「初めて会った時は四歳差やったけど、今でも四歳差であるこ
とに驚いています」とあった。続けて、携帯が震えた。
「最近、忙しそうやけど、俺の伝記書いてるか?」という文面だった。
「もちろん書いてます」
「神谷伝記」と書いたノートは十冊以上の束になっていた。最初は神谷さんにまつわる
ことだけしか綴っていなかったノートに、最近では漫才のネタや雑感までもが書き込ま
れ、もはや自分の日記のようにさえなっていた。
再び、神谷さんからメールが届いた。誕生日を一人で寂しく過ごしていたのかもしれ
ない。
「それ、おもんないやろ?」
「面白くして下さいよ」
「できるんかな?」
「次の都知事選に立候補してくださいよ」
「それ、誰も笑わんやろ」
神谷さんは、いつになく弱気だった。一人でよくない酒を呑んでいたのかもしれない。
そんなことなら、もっと早く誘えばよかった。誕生日は事務所の後輩達とお祝いをして
いると思い遠慮したのだ。事務所の後輩の中で僕が畏縮して何も出来ずにいたら、神谷
さんに気を使わせてしまうかもしれないと思った。
ここ最近、僕達は若者に人気の深夜番組で漫才を披露する機会を得て、スパークスは
注目の若手として、雑誌などで取り上げられるようになっていた。街を歩くと人から声
をかけられることも増えた。僕は二十八歳になっていた。それでも、世間的に見れば無
名に等しい。熱心なお笑い好きが辛うじて知っている程度で、美容室で職業を聞かれ芸
人であることを伝えると、「ヘー、芸人目指してるんだ。私の知り合いも芸人の養成所
に通ってるんだよ」などと年下の女の子に言われ、どうしていいかわからず奇妙な笑み
を顔面に貼りつけて、鏡の自分を眺める様は昔と微塵も変わらなかった。
知らぬ問に後輩は増え続けた。最初は移籍して来た後輩達だけの閉鎖された空気に入
っていけず困惑していたが、事務所のライブを重ねる度に徐々に彼等とも打ち解けてい
った。周囲と会話をしていると、神谷さんという人間がいかに特殊であるかに気づかさ
れることが多かった。神谷さんは理想が高く、己に課しているものも大きかった。神谷
さんと濃密な時間を過ごすことによって、僕は芸人の世界を知ろうとした。
だが、神谷さん自身も僕をキャンバスにして自分の理論を塗り続けていったのかもし
れない。神谷さんの才能と魅力を疑うことはない。ただ、あまりにも強力な思念に息苦
しさを感じることもあった。僕は神谷さん以外の誰かと話すまで、自分が窒息しそうに
なっていることさえも気づかなかった。大林さんは、神谷さんが僕の前だと格好をつけ
ると言っていた。先天的に神谷さんが持っていた要素も勿論あったのだろうけど、生き
難くなるほど幻想が巨大化したことについては、僕も共犯関係にあるのかもしれなかっ
た。人の評価など気にしないという神谷さんのスタンスや発言の数々は、負けても負け
ではないと頑なに信じているようにも見え、周囲から恐れられた。恐怖の対象は排除し
なければならないから、それを世間は嘲笑の的にする。市場から逸脱した愚かさを笑う
のだ。
ZepD粂京に若手が集い、漫才を二本ずつ披露するイベントがあった。テレビやイ
ベント関係者への若手芸人見本市という趣旨だった。一本目の漫才で、あほんだらは大
きな笑いをとった。そして、二本目では一本日と全く同じ内容のかけ合いをスピーカー
から流し、一人はロを動かしながら動くだけの漫才を演じた。いわゆる、ロパクという
もものだ。声と二人の動きは微妙にずれ、大きな違和感となって不思議な笑いを生みだ
していた。途中で大林さんが仲谷さんの頭を強く叩くと神谷さんは、手で頭を押さえて
漫才を中断した,それでもスピーカーからは、二人の軽妙な掛け合いがとまることなく
流れ 続けているので、嗅覚と聴覚の速効性を失った会場の観客達からは、その日ー番
の爆発 的な笑いが巻き起こった。
しかし、イベントのエンディングで審査委員長は、「一部、音響を使った漫才ではな
いコンビもいましたが」とあほんだらを否定する発言をした。他の芸人達も面白さと笑
いの眼は認めながらも、あほんだらから「面白いIという評価を意識的に剥奪して、笑
える変なコンビというレッテルを張って安心しているような印象を受けた。一本目の圧
統な漫才は忘れたふりをして。
「売れる気ないでしょ?」と笑いながら他の芸人に言われる紬谷さんは、終始納得のい
かない顔をしていた。これを自分達のライブでコントとして演じていれば何の問題もな
かっただろう。だが、神谷さんにとっては漫才を観にきた客の前で平然と事件を起こす
ことこそが面白いことだったのかもしれない。僕としては、この次が観たかった。正統
な漫才を披露した後、それを二本目でどう破壊するのか。漫才かどうかは置いといて。
他にどんな方法があるのか興味があった。しかし、誰かが神谷さんにその場所を提供す
ることはなかった。
神谷さんは、信念を持っていた。周囲に媚びることが出来ない性質は敵も作りやすい。
それでも神谷さんは戦う姿勢を崩さなかった。舞台に誰がいても、観客が一人も求めて
いない状況でも神谷さんは構わずに、自分の話をした,一部の芸人には賞賛されたし、
一部の芸人からは煙たがられた。僕は神谷さんになりたかったのかもしれない。だが、
僕の資質では到底神谷さんにはなれなかった。
神谷さんにも後輩は増えた,お互いの所属事務所の芸人と遊ぶことが増えた,寂しく
もあったが、それは必然でもあった。以前から僕を慕ってくれていて、最近懇意にして
いる後輩は、神谷さんの資質に対して懐疑的ですらあった。そんな時、僕は迷うことな
く後輩 の才能を疑った。
※
珍しく早い時間に仕嘔が終わったので、神谷さんを誘った,神谷さんは既に誰かと夜
中に会う約束をしていたらしく、それまでならと少しだけ会うことになった。
午後じ時に池尻大橋の駅前で待ち合わせた。色づいた銀杏を見て、秋だと感じ、その
あまりに平凡な意識の流れをみっともないと思った。そこに現れた神谷さんを見て僕は
我が目を疑った。神谷さんの髪の毛は綺麗な銀髪に染められており、黒のタイトなシャ
ツに黒のスリムなパンツを身に纏い、黒のデザートブーツを履いていた。つまり、神谷
さんは僕と全く同じスタイルになっていたのだ。僕は数年前から煩わしさもあり、日常
でも舞台でも同じ格好をしていたので、そのことを、神谷さんが知らない筈がない。
「神谷さん、どうしたんですか? その格好?」と僕が言うと、「一回金髪にして色抜
いてから、銀にすんねやな。頭痛かったわ」と神谷さんは自分の頭を触りながら言った。
悪ふざけで、僕と同じ格好にしたわけではなさそうだった。
神谷さんが三宿に引っ越してからは、池尻大橋駅前の老舗の居酒屋で呑むことが多か
った。看板メニューは味噌カツとへぎ蕎麦の完全な和風居酒屋であるにもかかわらず、
人口のすぐ脇には西洋人の顔をした古い人形が座っている不思議な店だった。この後、
神谷さんは、知り合いの女性に食事を作って貰う約束をしているらしく、料理を注文せ
ず漬物をあてにして、ボトルの焼酎を水割りで少しずつ呑んでいた,近況を報告し合っ
ているうちに時間は過ぎていったが、神谷さんは酔ったのか、なかなか帰ろうとしなか
った。
「そろそろ、行かれた方がいいんじやないですか?」既に時計は十二時を回っていた。
「いや、お前と呑めるの久しぶりやから嬉しくてな」神谷さんは酔うと甚だしく判断力
が低下する。先約があったにもかかわらず、僕を気遣い来てくれたのは嬉しかったが、
持たせている人に申し訳なかった。だからと言って、強制的に帰らせるのも失礼だと思
った。僕も哺‥谷さんと同じベースで存んでいたので、相当酔っていたのかもしれない。
なにより僕は空腹に耐えられなくなった。もう漬物だけで五時間以上呑んでいる,なに
か食べるものを注文したいが、神谷さんはこの後、食事があるのだし、会計は先輩であ
る神谷さんがするわけだから僕の独断で注文するわけにはいかない。とは言うものの、
腹が鳴って仕方がない。その時、チャンスが訪れた。
「あと一杯だけ呑んだら行こう,ちょっと、トイレ行ってくるわ」と言って神谷さんが
席を立ったのだ。神谷さんの足取りは非常に頼りなかった。今なら、おかずを一品くら
い頼んでも気づかないだろう。気づいたとしても、店員が料理を持ってきた時に、ずっ
と話し続けていれば有耶無耶に出来ると思った。すぐに店員を呼び、僕はソーセージの
盛り合わせを頼んだ。神谷さんはまだ戻ってこない。トイレで吐いているのかもしれな
い。しばらくすると、店員が注文した料理を運んできたのだが、あろうことかソーセー
ジの盛り合わせは大きな七輪で出てきてしまった。間が懇く、そのタイミングで席に戻
ってきた神谷さんが、七輪を睨みながら「おい、おい、お前どえらいもん頼んでくれた
のお」と言った。七輪の大きさが僕の欲望を表現しているようで、なんとも恥ずかしか
った。
「すみません、まさか七輪が来ると思わなかったので」と謝ると、神谷さんは「腹が減
ってるんやったら一緒に行こ」と言って、食事を作ってくれる女性の家に僕も行くこと
になってしまった。
先程、十二時を過ぎたばかりだった筈が、ソーセージを摘まみながら結局二杯ずつ呑
んだら、いつの間にか午前三時になっていた。国道を歩き三軒茶屋を越えて、世田谷通
りに入り、しばらく進むと右手に住宅街が広がっていて、その一角に女性のアパートは
あった。神谷さんは慣れた様子で階段を昇り、呼び鈴を鳴らした。待っていた女性がド
アを開けた。僕は初めて会うその女性に、遅くなったことと、突然の訪問を詫びた。そ
の女性は僕を見て、「うわ、徳永さんだ」と笑顔で言った。由貴さんという名前だった,
神谷の二人目の女性が登場したところで今夜は切りあげる。台風16号と雨漏りが厳しい本
読みとなる。
この項つづく
● 今夜の一曲
嵐のあとには、菅原洋一のタング・ワールドと。ユーチュブで聴き、あるいは歌い、〆は「風の盆」。