(リーダーが持つべき3つのポイント「理念、ビジョン、戦略」)
この3つを持っていないリーダーにはついていくべきでない。
これが僕が日本の学生諸君だとか、サラリーマンの人たちに言い
たいことです。もちろん政治家でも、経営者でも同じです。
孫 正義
Aug. 11, 1957 -
北陸新幹線の福井県敦賀市以西への延伸について、滋賀県は23日、政府与党が検討
している3ルートのうち同県を通る米原ルートが建設費が最も安く、工期が短く、利
用者数も多いとする独自試算結果を発表した。試算結果によると、米原ルートの建設
費は4041億円で、小浜・京都ルートは1兆3606億円、舞鶴ルートは1兆73
75億円。環境アセスなどの事前準備を除いた工期では、米原は他のルートの半分以
下の5年間で、利用者数でも米原は1120万人で最多だったとしている(毎日新聞、
2016.09.24)。当然の結果であるが、海外からの観光客がこれで福井を含め、岐阜、
滋賀への経済波及効果が早くなる。まずは、着実な一歩を踏み出そう。
【RE100倶楽部:全再エネ双胴船 世界一周の処女航海へ】
今年7月、世界で初めてスイスのソーラー・インパルスが地球一周飛行を達成。今月
12日、フランスの原子力・代替エネルギー庁(CEA-Liten)と海軍の共同設計した
再生可能エネルギー百パーセントで航行する双胴船エネルギーオブザーバーは、来年
2月に世界一周すると発表。これは10~12年にかけソーラーパネルで世界一周を
達成したMSプラネットソーラー双胴船「トレイナー」――艇身31メートルソーラ
ーパネル537平方メートル、出力93キロワットを双胴船体にリチウムイオン電池
8.5トンに接続、最大毎時26キロで航行、(下図参照)――に続く航行となる。
総工費4.2百万ユーロ、航行エネルギーは太陽光(130平方メートルパネル面積)
と風力(2つの垂直軸風力タービン)で発電した後、水電解し水素吸蔵蓄電(蓄電池
方式の200倍の蓄電能力)。挺身30メートル×挺幅12.8メートル、航海は
6年をかけ、50箇所に停泊し模擬航行やクリーンエネルギー研究の展示公開を行う。
なにやら、加山雄三設計の「RE100ボート」より早く処女航海することになる。
また、このブログ『縄捨てまじ』で掲載した「ナノセルロースファイバーのスリーデ
ィプリンタ建造によるメガフロート型空港構想」より先行することになり、残念!
Sep. 12, 2016
「海のソーラー・インパルス」の建造風景(於:フランス、サン・マロ造船場)
【待機電力ゼロのトランジスタ実現へ道を拓く】
● 世界最高性能の半導体系トンネル磁気抵抗素子
20日、産業技術総合研究所(産総研)は、同機関で開発した単結晶酸化ガリウム(
Ga2O3)の成膜プロセスを用いて、Ga2O3をトンネル障壁層とした単結晶トンネル磁
気抵抗(TMR)素子を開発したと発表。メモリー機能の性能指数である磁気抵抗変化
率(MR比)が室温で92%と極めて大きく、メモリー機能を持つ縦型のスピン電界効
果型トランジスタ(縦型スピンFET)の基本構造となると期待されるもので、待機電力
ゼロのノーマリー・オフ・コンピューターへの貢献が期待される。92%というMR比
は半導体系TMR素子として室温における世界最高性能である。また1つ日本は半導体部
門で世界をリードした。
【技術背景】
コンピューターなどのIT機器の抜本的な省電力化には、待機電力の削減が必要不可欠
である。しかし、現在のコンピューターの主要メモリーや論理回路に利用されるトラ
ンジスタは、電源を切ると情報が失われてしまう「揮発性」素子であるため待機電力
の大幅な削減は難しい。そのため、待機電力を大幅に低減できる、電源を切っても情
報が失われない「不揮発性」のFETが求められている。
スピンFETは、電子スピンを利用することにより不揮発性のメモリー機能を得ることが
できるため、世界的に研究が行われている。しかし、メモリー機能の性能指数である
MR比は、実用的には、数10~100%以上が必要とされているが、これまでのスピ
ンFET研究においては、現行のFETと同じ横型素子が用いられており、MR比は室温では
0.1%程度であった。
【実施例】
酸化物半導体であるGa2O3 は、結晶構造が複雑であるため、鉄(Fe)などの一般的な
強磁性電極と組み合わせた単結晶TMR素子の作製は困難と考えられていたため、これ
までTMR素子のトンネル障壁層としてはほとんど注目されていなかったが、独自の成膜
プロセスを開発し、Fe強磁性電極とGa2O3トンネル障壁層から成る全単結晶TMR素子
を作製。下図に開発した成膜プロセスの成膜には蒸着の一種である分子線エピタキシー
法を用い、まず、下部電極である単結晶Fe上に非常に薄い(厚さ0.4~0.7ナノメー
トル)単結晶酸化マグネシウム(MgO)層を成長させる。この上にアモルファスGa2O3
膜(厚さ1.5~3.0ナノメートル)を室温付近で製膜し、その後、適量の酸素を膜
に吹き付けながら500 ℃程度までの熱処理を行うと、極めて高品位の単結晶Ga2O3
膜が得られる。この単結晶Ga2O3膜上には、単結晶Fe上部電極を直接成長させることが
できる。なお、得られた単結晶Ga2O3膜を詳細に分析したところ、スピネル型という単
純な結晶系の構造であった。
● 又吉直樹 著 『火花』19
*
僕達が出演していた漫才番組が一年で終わった。この番組で得たものは大きい。
深夜番組に呼ばれることもあったし、他のネタ番組にも幾つか出演した。この年
の学園祭は都内だけではなく地方の学校にも沢山呼ばれた。ほとんど若者に限っ
た一時的な人気であることは、番組に出ている全ての芸人が理解していたと思う。
僕達は勘違いをするには、あまりにも歳を取り過ぎていた。勘違いしたふりをし
て顰蹙(ひんしゅく)を買うことさえも仕事だと思える程に歳を取り過ぎていた。
スタンドマイクを目指して走って行く時の歓声を僕は信じられない気持ちで聞い
ていた。
僕は高円寺の家賃二万五千円の風呂なしアパートから下北沢の家賃十一万のマ
ンションに引っ越した。浮かれているように見えたかもしれないが、僕は妙に落
ち着いていて、経験として人生に一度くらいマンションというものに住んでみる
時期があっていいと思ったのだ。相方には恋人が出来て恵比寿で同棲を始め、結
婚するのだと息巻いていた。神谷さんとは、あれ以来、会っていなかった。あほ
んだらの噂も耳にしなくなった。
僕達の世代が多く出演した漫才番組に、あほんだらが呼ばれることは最後まで
なかった。その番組に出たコンビと出ていないコンピでは生活に大きな差が出た。
だが、そんな生活も長くは綺かなかった。それも、もちろんわかっていた。そう
ならなければいいなという期待は瞭かにあったけれど。
その中の何組かはゴールデンの時間帯で少しずつ見かけるようになったし、別
の数組は解散してしまった。ピン芸人として新たに活動を始める者もいた。構成
作家に転職する者もいた。実家に帰って別の仕事に就く者もいた。僕は芸人にな
ってからの多くの時間を神谷さんと共に過ごしたし、ここ数年は同じ事務所の後
輩と過ごすことが多かった。
社交性の乏しい僕は多くの芸人と深く関わったわけではない。
しかし、僕は個人的な関係がなかったとしても、同じ時代に同じ劇場で共に戦
った全ての芸人達を誇らしく思う。汚れたコンバースで楽屋に入ると、同じよう
に貧相な格好をした連中が沢山いた。彼等は、束の間、自分が世間から置き去り
にされ、所詮芸人と馬鹿にされていることを忘れさせてくれた。それは駄目な竜
宮城みたいなものだったかもしれないけれど。一言も話したことなどなくとも、
もし彼らがいなかったら、こんな狂った生活を十年も続けることは出来なかった
だろう。
そして、薄々気づいてはいたが、僕達の仕事も徐々に減っていた。かつて僕を
恐れさせ、成長させてくれた後輩連も新たな人生を歩み出していた。僕達の永遠
とも思えるほどの救い様のない日々は決して、ただの馬鹿騒ぎなんかではなかっ
たと断言できる。僕達はきちんと恐怖を感じていた。親が年を重ねることを、恋
人が年を重ねることを、全てが間に合わなくなることを、心底恐れていた。自ら
の意思で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。全員が他人のように感じる
夜が何度もあった。月末に僅かなお金を持ち寄って酒を呑み、不安を和らげ、純
粋な気持ちで一切の苦難を忘却の彼方に押しやるネタをそれぞれが考え練り実行
した。これで世界が変わるんじやな いかと、自分を鼓舞し無理やり興奮してい
た。いつか自分の本当の出番が来ると誰もが信じてきた。
ある平日の午後。僕は突然相方に呼び出された。用件は聞かず、何度もネタ合
わせで利用した喫茶店に僕は向かった。店のドアを開けて、いつもと同じ座席に
座る相方の顔を見た時、もう何を言われるのかをほとんど理解していた。相方は
同接している彼女と籍を入れたのだと言った。そして、奥さんのお腹の中には双
子の赤ちやんがいるのだということも。
「生まれてくる子供のためにと言ったら言い訳になるかもしれへん。でも、生ま
れ てくる子供達が背中を押してくれたんは確かやと思うねん」と相方は言った。
実に 清々しくいい顔をしていた。こいつはけつを捲るわけではなく、ここに留
まるので はなく、新しい挑戦をするのだなと思った。
「おめでとう。ほんなら、急いで三人と双子とで住む家探さなあかんな」と僕が
言 うと、相方はすかさず、「お前は一緒に住まんでええねん!」と言った。あ
まりに も、はっきりとコンビの役割が明確に発揮されたことが僕は妙に恥ずか
しかったが、相方は「向こうの親に何て説明すんねん」などと話を繋ぎ、まだ僕
にボケさせようとしていた。この薄汚れた壁の喫茶店は若者が好んで来るような
店ではないが、いつ来ても席が空いていて、僕達を排除する雰囲気が微塵もなく
、居心地がよかった。こいつと、ここに来ることももうないのだと思うと、見飽
きたはずの珈琲カップさえも愛しく思えた。
今声を出すと、頼りなく震えるだろう。二度聞きされることを恐れ、「十年間、
ありがとう」という言葉は呑み込んだ。
僕達は事務所に解散することを伝えた。事情を説明すると誰もとめたりはしな
かった。スパークスとして既にスケジュールに入っている、幾つかの仕事を終え
て正式に解散となる運びとなった。僕達が出演する最後の事務所ライブには噂を
耳にして、普段よりも多くのお客さんが駆けつけてくれた。誰かには届いていた
のだ。少なくとも誰かにとって、僕達は漫才師だったのだ。
出囃子が鳴り響き、僕は袖からスタンドマイクに向かって一礼する。相方は僕
を追い越し舞台に飛び出して行く。僕も相方の後を追い照明を浴びる。大きな柏
手が聞こえる。僕達はスタンドマイクに向かって走る。成人式の時に漫才用とし
て買ったお揃いのタイトな黒のスーツに何度抽を通してきただろうか。大人にな
った僕達は綺麗な靴を履くことを覚えた。スタンドマイクを挟んで立つ。相方が
スタンドマイクに少しだけ触れて、「どうも、スパークスです]と挨拶すると大
きな拍手が狭い劇場に鳴り響いた。
僕が口上として、
「世界の常識を覆すような漫才をやるために、この道に入り ました。僕達が覆
せたのは、努力は必ず報われる、という素敵な言葉だけです」と言うと、
「あかんがな!」と相方が全力で突っ込み、笑いが起こった。
「感傷に流され過ぎて、思ってることを上手く伝えられへん時ってあるやん?」
「おう」
「だから、あえてな反対のことを言うと宣言した上で、思っていることと逆のこ
とを全力で言うと、明確に想いが伝わるんちやうかなと思うねん」
「お前は、最後まで、何をややこしいこと言うとんねん」
「まあ、やったらわかるわ。行くぞ」
「おう」
「おい、相方!」
「なんや?」
「お前は、ほんまに漫才が上手いな!」
「おう。いや喜びかけたけど、これ思ってることと反対のこと言うてんねんな」
「一切噛まへんし、顔も声もいいし、実家も金持ちやし、最高やな!」
「腹立つわこいつ」
「天才! 天才!」
「ど突き回したろか!」
山下が大声を張り上げると、一際大きな笑い声が劇場に響いた。この小さな劇
場では毎日のように、お笑いライブが開催されてきた。劇場の歴史分の笑い声が
この薄汚れた壁には吸収されていて、お客さんが笑うと、壁も一緒になって笑う
のだ。
「だけどな、相方! そんな天才のお前にも幾つか大きな欠点があるぞ!」
「なんや!」
「まず、部屋が汚い」
「しょぼいねん!薩かに部屋は綺麗にしてる方やけど、もっとあるやろ!」
「小食の遅食い」
「僕ね、大食いの早食いなんです。おい、俺アホみたいやんけ!」
山下と一緒に食事をとると食べ終わるのが早過ぎて、いつも焦らされた。
「彼女がブス」
「いや、嬉しいけど、それ俺のことと違うやん!」
品があって、優しくて最高の彼女だった。
「相方が素晴らしい才能の持ち主!」
「はあ?」
「そんな、素晴らしい才能の天才的な相方に、この十年間、文句ばっかり言うて、
全然ついてきてくれへんかったよな!」
僕は、天才になりたかった。人を笑わせたかった。
「なに言うてんねん」
僕を嫌いな人達、笑わせてあげられなくて、ごめんなさい。
「そんな、お前とやから、この十年間、ほんまに楽しくなかったわ!世界で俺が
一盾不幸やわ!」
相方が僕を漫才師にしてくれた。
「ほんで、客! お前等ほんまに賢いな! こんな売れてて将来性のある芸人の
ライブに、一切金も払わんと連日通いやがって!」
そして、お客さんが、僕を漫才師にしてくれた。
「お前等、ほんまに賢いわ。おかげで、毎日苦痛やったぞ。ボケー!」
「おい、目悪いな」
相方の顔はもうボロボロだった,
「俺の夢は子供の頃から漫才師じゃなかったんです。絶対に漫才師になんて、な
らんとこうと思ってたんです。それがね、中学時代にこの相方と出会ってしまっ
たせいで、漫才師になってもうたんですよ。最悪ですよ! そのせいで、僕は死
んだんです。こいつが、僕を殺したようなもんですよ。よっ! 人殺し!」
客席が揺れて見えなくなってきた。
「たまにね、僕達のこと凄い褒めてくれる人がいるんですよ。それが、凄く嬉し
くてね。人生を肯定してくれるような喜びを得られるわけですよ。でもね、それ
に水を差すような奴等がいてね、それが、お前等!」
そう言って僕は客席を睨んだ。
「お前等は、スパークスは最低だ! 見たくもねえ! とか言って、僕の人生を
否定するわけですよ,ほんまに大嫌い!」
客席から啜り泣く声が聞こえてきた。皆、笑いながら泣いている。神谷さんが
いた。客席の一番後ろで一番泣いている。
「僕達、スパークスは今日が漫才をする最後ではありません,これからも、毎日
皆さんとお会い出来ると思うと嬉しいです。僕は、この十年を糧に生きません。
だからどうか皆様も適当に死ね!」
いつか、こんな風に唾を撒き散らして大声で叫ぶ漫才がやってみたかったのだ。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
今、僕は漫才をしている。相方と漫才をしている。僕は相方に向かって叫んだ。
「死ね! お前も家族と別々で死ね!」
「やかましいわ!」
もっと漫才をやりたい,ずっと漫才を続けたい,こいつの声は本当によく通る。
俺のことを信用してついてきてくれたのに、悔しい思いとか、辛い思いとか一杯
したやろう。ほんま、ごめん。
「お前な、暴言吐きまくって、お客さんと相方泣かせて、これのどこが漫才やね
ん!漫才というのは、お客さんを笑わさなあかんねん!」と相方が言った。
「ほんなら、最後の最後に常識覆す漫才出来たってことやな」
「やかましいわ!」
終わりたくないと思っていた。
「お前も、この漫才の最後に言うことないんか?」
「相方! お客さん! 僕は皆さんに全然感謝してません!」
敢えて、一瞬の間を置こう。
「お前、最低な奴やな」
「いや、俺も反対のこと言うたんや。わかるやろ!」
客席から、ようやく純粋な笑い声が聞こえた。
「お前はほんまに漫才が上手いなあ」
「もうええわ!」
僕達は深々と頭を下げた。いつまでも拍手は鳴りやまなかった。
こうして、徹底して予定調和を破壊する漫才スタイルを貫徹してコンビを解消する。
「こんな狂った生活を十年も続けることは出来なかった」「僕達の永遠とも思えるほ
どの救い様のない日々は決して、ただの馬鹿騒ぎなんかではなかったと断言できる」
毎日をくぐり抜け立つ境地を描写する。第三の山場を終えようとしている。このまま
天平時代から脈々として綿々と綴られてきた話芸文化との決別を意味するのか?いよ
いよクライマックスを向かえるが如何に?
この項つづく
著者略歴
又吉直樹(またよし・なおき)
1980年大阪府寝屋川市生まれ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の
お笑い芸人。コンピ「ピース」として活動中。著書に『第2図書係補佐」『東京百景
』、せきしろとの共著に『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来る
とは』、田中象雨との共著に『新・四字熟語」がある。
初出
「文學界」2015年2月号
この電子書籍は2015年3月15日刊行の単行本を底本。