天地は一指なり、万物は一馬なり / 「斉物論」(さいぶつろん)
※ 名(指)と実(物)との関係は、名が仮の指示にすぎず、実と必ず
しも適合するものではない。また、万物の同異は見る者の視点によ
って変わると(論理学者公孫竜一派が)言って批判するが、一本の
指も、天地であり、一頭の馬も万物なのである。このように「斉物
論」は「物を齊(ひと)しくする論」という意味で、あれだこれだ
という差別観を超えて万物は齊しいと説く。
● 耐熱性能を誇る無酸素銅条
今月3日、古河電気工業株式会社が、パワーモジュール用基板やその周辺部材の材料として、世界ト
ップレベルの耐熱性能を誇る無酸素銅条「GOFC」の開発に成功し、既にサンプル出荷を開始してお
り、2020年度に50 ton/月の生産計画を発表。再生可能エネルギー関連技術革新にともなう需要に応じ
る。地味な事業分野であるが、半導体が「産業の米」と同様に次世代のなくてはならない事業だ。
ハイブリッドや電気自動車などの次世代自動車や、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギー
の技術革新に伴い、自動車モーター制御や電力変換等を行うパワーモジュールは高出力化、高性能化
が進んでいる。こうした中、熱的・電気的負荷が急速に増大しているパワーモジュール用基板や周辺
部材に用いられる材料には、❶高い導電性や❷熱伝導性、さらに❸放熱性の要求から無酸素銅条(C
1020R:JIS H 3100:銅及び銅合金の板並びに条)が使用される。一般的な無酸素銅条(C1020R)は パ
ワーモジュール製造時の熱処理過程にて、結晶粒の粗大化が起こり、次工程のボンディングや他の部
品との接合工程で様々な支障が発生する。なお、ここで、条とはコイル状に巻かれた形状の製品をさ
す。
同社は、無酸素銅条(C1020R)をベースとして、その成分規格を変えずに独自の組織制御技術を応用
し、高熱を加えても結晶粒が粗大化しにくい無酸素銅条「GOFC」(Grain Growth Control Oxygen Free
Copper)の量産化技術を確立する。この製品は、従来の一般的な無酸素銅条が500℃以上の熱処理で
急激に結晶粒が粗大化するところを、800℃まで結晶粒が小さいまま抑制できる つまり状態変化しな
い(下図1,22)。今後、板厚0.3~1.0mm の条製品もラインナップ拡充する方針。既に絶縁基板の
接合材の用途向けにサンプル出荷を開始しており、今後、幅広いユーザーへ「GOFC」の拡販を進め
ることで、高温における形状や外観変化のトラブル対応、また、パワーモジュールの高機能化貢献す
るとのこと。
11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた
軽い昼食をとったあと、私は仕事用の服に着替え(要するに汚れてもいいような服装というだ
けのことだが)、スタジオに入って免色渉の肖像を描く仕事にもうコ皮とりかかった。それがた
とえどんな仕事であれ、とにかく手を休みなく勤かしていたいという気持ちに私はなっていた。
誰かが挟い場所に閉じ込められて救助を求めているというイメージから、それがもたらす慢性的
な息苦しさから、少しでも遠ざかりたかった。そのためには絵を描くしかない。しかしもう鉛筆
とスケッチブックは使わないことにした。そんなものではたぶん彼に立だない。私は絵の具と絵
筆を用意して直接キャンバスに向かい、その空白の奥を見つめながら、免色渉という一人の人物
に意識を集中した。背骨をまっすぐ伸ばし、集中力を高め、余分な考えを可能な限り意識から削
ぎ落とした。
山の上の白い屋敷に往む、若々しい目をした白髪の男。彼はほとんどの時間を家にこもって暮
らし、「間かすの間」(らしきもの)を持ち、四台の英国車を所有している。その男がうちにや
ってきて、私の前でどのように身体を勣かし、どのような表情を顔に浮かべ、どのような口調で
何を語ったか、どのような目でどんなものを見ていたか、彼の両手がどのように動いたか、私は
それらの記憶をひとつひとつ呼び起こしていった。少し時間はかかったけれど、彼に間する様々
な細かい断片が、私の中で少しずつひとつに結びついていった。そうするうちに免色という人間
が私の意識の中で立体的に、有機的に再構成されていく感触があった。
そうやって立ち上がった免色のイメージを、私は下描きなしでそのままキャンバスの上に、小
ぷりな絵筆を使って移し替えていった。そのとき私の順に浮かんだ免色は、左斜め前方に順を向
けていた。そしてその目は僅かにこちらに向けられていた。それ以外の顔の角度は私にはなぜか
思いつけなかった。私にとってはそれこそがまさに免色渉という人間なのだ。披は左斜め前方に
顔を向けていなくてはならない。そしてその両目は僅かに私の方に向けられていなくてはならな
い。彼は私の姿を視野に収めている。それ以外に正しく彼を描く構図はあり得ない。
私は少し離れたところから、自分かキャンバスにほとんど一筆書きのように描いたシンプルな
構図をしばらく眺めた。それはまだただのかりそめの線画に過ぎなかったけれど、私はその輪郭
にひとつの生命体の萌芽のようなものを感じ取ることができた。それを源として自然に膨らんで
いくはずのものが、おそらくそこにはある。何かが手を伸ばして――それはいったい何だろう?
――私の中にある隠されたスイッチをオンにしたようだった。私の内部、奥深いところで長く眠
り込んでいた動物がようやく正しい季節の到来を認め、覚醒に向かいつつあるような、そんな漠
然とした感覚があった。
私は洗い場で絵筆から絵の具を落とし、オイルと石けんで手を洗った。急ぐことはない。今日の
ところはこれだけで十分だ。これ以上は急いで作業を進めない方がいい。免色氏が次にここに来
たとき、実物の披を前にして、ここにある輪郭に肉付けをしていけばいいのだ。私はそう思った。
この絵はおそらく、私がこれまで描いてきた肖像画とはずいぶん違った成り立ちのものになるだ
不思議だ、と私は思った。
免色渉はなぜそのことを知っていたのだろう?
その日の真夜中に、私はまた昨夜と同じようにはっと覚醒した。枕元の時計は一時四十六分を
示していた。昨夜目が覚めたのとほとんど同じ時刻だ。私はベッドの上に身を起こし、暗闇の中
で耳を澄ませた。虫の声は聞こえなかった。あたりは静まりかえっている。まるで深い海の底に
いるみたいに。すべては昨夜の繰り返しだった。ただ窓の外は真っ暗だった。そこだけが昨夜と
は追っている。厚い雲が空を覆い、満月に近い秋の月をぴったり隠していた。
あたりには完全な静寂が満ちていた。いや、追う。もちろんそうじゃない。その静寂は完全な
ものではない。息を殺して耳を澄ませていると、その厚い沈黙をかいくぐるように微かな鈴の音
が聞こえてきた。誰かが夜の闇の中で、鈴のようなものを鳴らしているのだ。昨夜と同じように、
切れ切れに断続的に。そしてその音がどこから聞こえてくるのか、私にはもうわかっていた。雑
木林の中の、あの石の塚の下だ。あえて確かめる必要もない。私にわからないのは、誰が何のた
めにその鈴を鳴らしているかということだった。私はベッドを出てテラスに出た。
風はなかったが、細かい雨が降り始めていた。目には映らず、音もなく地表を儒らす雨だ。免
色氏の屋敷の明かりが灯っていた。谷間を隔てたこちらから、家の中の様子まではわからないが、
彼は今夜まだ目覚めているようだった。こんな遅い時刻に明かりがついているのは珍しいことだ
った。私は小糠雨に濡れながらその灯を見つめ、微かな鈴の音に耳を澄ませた。
やがて雨が少し強くなってきたので、私は家の中に戻り、うまく眠れないまま居間のソファに
腰を下ろし、読みかけていた本のページを操った。決して読みづらい本ではないのだが、どれだ
け集中してもその内容はなかなか頭に入らなかった。ただ単に行から行へと字を追っているだけ
だ。しかしそれでも、何もしないでただその鈴の音を聞かされているよりはましだった。もちろ
ん大きな音で音楽をかけて、その音が聞こえないようにすることもできたが、そうする気にはな
れなかった。私はそれを聴かないわけにはいかないのだ。なぜなら、それは私に向けて鳴らされ
ている音だからだ。私にはそのことがわかっていた。そしてその音は、秋がそれについて何か手
を打たない限り、おそらくいつまでも鳴り止まないだろう。そして毎晩私を息苦しくさせ、私か
ら安らかな眠りを奪い続けることだろう。
何かをしなくてはならないのだ。何らかの手を打って、私はその音を止めなくてはならない。
そしてそのためにはまずその音の――つまり送られてくる信号の――意味と目的を理解しなく
てはならない。誰が何のために私に、わけのわからない場所から夜ごとに信号を送ってくるのだ
ろう? しかし何かを系統立てて考えるには、あまりに息苦しかったし、頭が混乱していた。自
分一人だけでは処理しきれない。誰かに相談をする必要があった。そして今、私が相談するべき
相手として思いつける人物はただ一人しかいなかった。
私はもう一度テラスに出て免色氏の屋敷の方に目をやった。家の明かりは既に消えての屋敷が
あるあたりには、小さな庭園灯がいくつかともっているだけだった。
鈴の音が止んだのは午前二時二十九分、昨夜とほとんど同じ時刻だ。鈴の音が止んでしばらく
すると、虫たちの声がそろそろ互戻ってきた。そして秋の夜はまるで何ごともなかったように、
その賑やかな自然の合唱で再び満たされた。すべてが同じ順序でおこなわれた。
私はベッドに入って、虫の声を聞きながら眠りについた。心は乱されていたが、昨夜と同じよ
うに眠りはすぐに訪れた。やはり夢のない深い眠りだった。
Portrait of the Postman Joseph Roulin
12.あの名もなき郵便配達夫のように
朝の早い時間に雨が降り、十時前に止んだ。そのあと少しずつ青空が顔を見せ始めた。海から
の湿った風が雲をゆっくり北へと運んでいた。そして午後一時ぴったりに、免色が私のところに
やってきた。ラジオの時報が時を告げるのと、玄関のドアベルが鳴るのがほぼ同時だった。時刻
に正確な人は少なくないが、そこまで精密な人はなかなかいない。それも戸口の前でその時刻が
来るのをじっと待ち受け、腕時計の秒針に合わせてベルを鳴らすわけではない。坂道を上ってき
て車をいつもの位置に駐め、いつもと同じ歩調と歩幅で玄関までやってきてドアベルを押すと、
それと同時にラジオの時報が時を告げるのだ。ただ驚嘆するしかない。
私は彼をスタジオに案内し、前と同じ食堂椅子に座らせた。そしてリヒアルト・シュトラウス
『薔薇の騎士』のLPをターンテーブルに載せ、針を落とした。この前聴き終えたところからの
続きだ。すべての手順は前と同じ繰り返したった。ただひとつ異なっていたのは、今回は飲み物
を勧めなかったことと、彼にモデルとしてのポーズをとってもらったことだった。椅子に腰掛け
たまま左斜め前方を向くこと。そして目だけを僅かに私の方に向けること。それが今回私か彼に
要求したことだった。
彼は私の指示に速んで従ってくれたが、その位置と姿勢がぴたりと決まるまでにかなり時間を
要した。微妙な角度や、視線の雰囲気が私の求めているものとなかなかぴったり合致しなかった
からだ。光線の当たり具合も私のイメージに沿ったものではなかった。私は普段はモデルを使わ
ないけれど、いったん使い始めると、多くのことを要求する傾向がある。しかし免色は私の出す
面倒な注文に辛抱強くつきあってくれた。嫌な顔もせず、文句ひとつ口にしなかった。様々な種
類の苦行を与えられ、それに耐えることに精通した人物のように見えた。
ようやく位置と姿勢が決まると、私は言った。「申し訳ありませんが、できるだけそのまま動
かないようにして下さい」
免色は何も言わず目だけで肯いた。
「なるべく短い時間で終えるようにします。少しつらいかもしれませんが、我慢して下さい」
免色はもう一度目だけで肯いた。そしてそのまま視線を動かさず、身体も動かさなかった。文
字どおり筋肉ひとつ動かさなかった。さすがにときおり瞬きはしたものの、呼吸をしている気配
さえ表には見せなかった。まるでリアルな彫刻のように彼はそこにじっとしていた。感心しない
わけにはいかなかった。プロの線のモデルだってなかなかそこまではできない。
免色が我慢強く椅子の上でそのポーズをとり続けているあいだ、私の方はキャンバスの上での
作業をできる限り迅速に手際よく速めた。意識を集中して彼の姿を目で測り、そのイメージが私
の直観に命じるままに絵筆を動かした。真っ白なキャンバスの上に黒い線の具を使って、一本の
細い絵筆の線だけで、既にできている顔の輪郭に必要な肉付けを加えていった。絵筆を持ち替え
ている暇はない。限られた時間のうちに彼の顔かたちの諸要素を、ありのままに画像として取り
込んでいかなくてはならない。そしてある時点からその作業は、ほとんどオート・パイロット的
なものに変わっていった。意識をバイパスして目の動きと于の動きを直結させる、それが大事な
ことになる。視野で捉えたものをいちいち意識でプロセスしている余裕はない。
それは、私がそれまでに描いてきた――記憶と写真だけを用いて自分のペースで悠々と「営業
品目」として描いてきた――数多くの肖像画とはずいぶん異なった種類の作業を私に要求してい
た。十五分ほどかけて、私は胸から上の彼の姿をキャンバスの上に描き上げた。まだまだ未完成
な租い下絵ではあるけれど、少なくともそれは生貪慾を持った形象になっていた。そしてその形
象は免色渉という人物の存在慾を生み出す、内的な勤きのようなものを掬い取り、捉えていた。
しかしそれは人作図でいえば、骨格と筋肉だけの状態だ。内部だけが大胆に剥き出しになってい
る。そこに具体的な肉と皮膚をかぶせていかなくてはならない。
「ありがとう。どうもお疲れ様でした」と私は言った。「もうけっこうです。今日の作業は終わ
りました。あとは楽にしてください」
免色は微笑んで姿勢を崩した。両手を上に大きく仲ばし、深呼吸をした。それから緊張させて
いた顔の筋肉を緩めるために、両手の指でゆっくりマッサージした。私はそのまましばら玉屑で
大きく息をしていた。呼吸を整えるのに時間がかかった。まるで短距離走を走り終えたあとのラ
ンナーのように私は疲弊していた。妥協の余地のない集中と速度――それは私がずいぶん久方ぶ
りに要求されたものだった。私は長いおいた眠っていた筋肉を叩き起こし、フル稼働させなくて
はならなかった。疲れはしたが、そこにはある種の物理的な心地よさがあった。
「おっしやるとおりだ。絵のモデルをつとめるというのは、たしかに予想していたよりも厳しい
労働です」と免色は言った。「絵に描かれていると思うと、なんだか自分の中身を少しずつ削り
取られているような気がしますね」
「削り取られたのではなく、そのぶんが別の場所に移植されたのだと考えるのが、芸術の世界に
おける公式的な見解です」と私は言った。
「より永続的な場所に移植されたということですか?」
「もちろん、それが芸術作品と呼ばれる資格を持つものであればということですが」
「たとえばファン・ゴッホの絵の中に生き続ける、あの名もなき郵便配達夫のように?」
「そのとおりです」
「彼はきっと思いもしなかったでしょうね。百数十年後に、世界中の数多くの人々が美術館まで
わざわざ足を運び、あるいは美術書を間いて、そこに描かれた自分の姿を真剣な眼差しで見つめ
ることになるだろうなんて」
「まず間違いなく、思いもしなかったでしょうね」
「みすぼらしい田舎の台所の片隅で、どう見てもあまりまともとは思えない男の手によって描か
れた、風変わりな絵に過ぎなかったのに」
私は肯いた。
「なんだか不思議な気がするな」と免色は言った。「それ自体では永続する資格を持たないもの
が、ある偶然の出会いによって、結果的にそのような資格を身につけていくということが」
「ごく希にしか起こらないことですが」
そして私はふと『騎士団長殺し』の絵のことを思い出した。あの絵の中で刺殺されている「騎
士団長」も、雨田典彦の手によって永続する命を身につけることができたのだろうか? そして
騎士団長とはそもそも何ものなのだろう?
私は免色にコーヒーを勧めた。いただきたいと彼は言った。私は台所に行ってコーヒーメーカ
ーで新しいコーヒーを作った。免色はスタジオの椅子に座って、オペラの続きに耳を澄ませてい
た。レコードのB画が終わる頃にコーヒーができあがって、我々は居間に移ってコーヒーを飲ん
だ。
「どうですか? 私の肖像画はうまくできあがりそうですか?」と免色はコーヒーを上品にすす
りながら尋ねた。
「まだわかりません」と私は正直に言った。「なんとも言えません。うまくいくものかどうか、
自分でも見当がつかないんです。これまでぼくが描いてきた肖像画とは、描き方の手順がずいぶ
ん道っていますから」
「それはいつもと道って実際のモデルを使っているから、ということでしょうか?」と免色は尋
ねた。
「それもあるとは思いますが、それだけじやありません。ぼくにはなぜかもう、これまで仕事と
して描いてきたコンヴェンショナルな形式の、いわゆる『肖像画』がうまく描けなくなってしま
ったみたいです。だからそれに代わる手法や手順が必要とされています。しかしぼくにはまだそ
の道筋が掴めていません。間の中を手探りで道んでいるような状態です」
免色は私の目をまっすぐ見ながら言った。「しかしもし仮にその作品が完成しなかったとして
も、私が何らかのかたちであなたの変化のお役に立てたのだとしたら、それは私にとって喜ばし
いこです。本当に」
「ところで、免色さん、実はあなたに折り入ってご相談したいことかあるんです」と私は少しあ
とで思い切って切り出した。「緒のこととはまったく関係のない、個人的な話なんですが」
「聞かせて下さい。私にお役に立てることであれば、喜んでお手伝いします」
私はため息をついた。「ずいぶん奇妙な話なんです。一部始終を順序立ててわかりやすく説明
することは、ぼくの言葉ではとても間に合わないかもしれません」
「あなたの話しやすい順番でゆっくり話して下さい。そして二人で一緒に考えてみましょう。一
人きりで考えるよりは良い智恵が浮かぶかもしれませんよ」
私は最初から順番に話をしていった。夜中の二時前にはっと目が覚め、耳を澄ませると、夜の
関の中から不思議な音が聞こえてきた。遠い小さな音だが、虫が鳴きやんでいたせいで微かに耳
に届いた。誰かが鈴を鳴らしているような音だ。その音を辿っていくと、その出どころが家の裏
手にある雑木林の中の、石の塚の隙間であるらしいことがわかった。不規則な沈黙をあいだに挟
んで断続的に、その謎の音が四十五分ほど続き、やがてぴたりと止む。同じことが一昨日、昨日
と二晩続いた。誰かがその石の下で鈴のようなものを鳴らしているのかもしれない。救助信号を
送っているのかもしれない。しかしそんなことがあり得るだろうか? 自分か正気なのかどうか、
それも今ひとつ自信が持てなくなっている。自分か耳にしているのはただの幻聴なのだろうか?
免色はひとことも口を探むことなく、拡の話る話に耳を澄ませていた。拡が話し終えてもその
まま黙り込んでいた。彼が真剣に拡の話に耳を傾け、その内容について深く考えを巡らせている
ことは顔つきでわかった。
「興味深い話です」と彼は少しあとで口を聞いた。そして軽く咳払いをした。「たしかにおっし
やるように、普通ではないできごとみたいだ。そうですね……できればその鈴の音を、拡白身の
耳で聞いてみたいのですが、今夜こちらにおうかがいしてもかまいませんか?」
私は驚いて言った。「真夜中にわざわざここまで見えるのですか?」
「もちろんです。私にもその鈴の音が聞こえれば、それはあなたの幻聴ではないということが証
明されます。それが第一歩です。そしてもしそれが実在する音であるのなら、その出どころを二
人であらためて探り当てましょう。それからどうすればいいかは、そのときにまた考えればいい」
「もちろんそうですが―――
「お邪魔でなければ、今夜の十二時半にこちらにうかがいます。それでよろしいでしょうか?」
「もちろんぼくはかまいませんが、そこまで免色さんにしていただくのは――
免色は感じの良い笑みを目もとに浮かべた。「気にすることはありません。あなたのお役に立
てることは、私にとって何よりの喜びです。それに加えて私はもともと好奇心の強い人間です。
その真夜中の鈴の音がいったい何を意味しているのか、もし誰かがその鈴を鳴らしているのだと
したら、それは誰なのか、私としてもぜひその真相を知りたい。あなたはいかがですか?」
「もちろんそう思いますが――」と私は言った。
「それではそう決めましょう。今夜こちらにうかがいます。そして私にも少しばかり思い当たる
ことがあります」
「思い当たること?」
「それについては、またあらためてお話ししましょう。念のために確かめなくてはなりませんか
ら」
免色はソフアから立ち上がり、背筋をまっすぐ伸ばし、右手を私の前に差し出した。私はそれ
を握った。やはりしっかりとした強い握手だった。そして彼はいつもよりいくぶん幸福そうに見
えた。
この項つづく
【ZW倶楽部:使い捨て傘にもデジタル革命】
突然雨に遭遇したときあなたはどうする?駅にあるいはコンビニに使い捨て状態になった傘さがし、
借用してその場を凌ぎますか? その時、多少なりとも良心の呵責が生まれるだろうか。そんなワン・
シーンに答える傘が登場する。 Bluetooth 対応のタイルアプリが装備されたスマートな傘である(上
写真ダブクリ参照)。このシステムは、スマートフォンを使って失われた傘を探し出し、再利用でき
る。それだけでない、将来的にはチョイ貸し設定でき、雨で困っている人にも貸せることも可能にで
きるだろう。勿論、借りたい人もスマートフォンで所有者と交信し了解しなければロックが掛かり、
傘が開けないというシステムがこの使い捨て傘に付加されるというわけだ。
それだけでない、このシステムと100%リサイクルシステム傘製造事業と融合さ、「ZW倶楽部」
に加入することで半永久的に雨傘を共有できると考えている。もっとも、雨傘文化が残っていればの
話だけれど、この記事の資産によると、100ドル(およそ1万円)未満でできると試算している(
詳しくは上下写真参考)。参考までに、この「イチョウ」と呼ばれる傘は、破損した場合、リニュー
アブルでき、リサイクルされたポリプロピレンから作られて、その構成パーツは交換可能なリサイク
ル傘という説明である。
この傘販売事業が世界共有基準化されれば、映画『雨に歌えば』 は名シーンは 古き良き物語として
語られることになる。自転車・自動車・食品(食肉のDNAタグ化)・衣料品などの履歴と使途がス
マートフォンを介し、あらゆる生産、消費場面でこれから起きていく。面白くもあり、恐ろしくもあ
る。
『雨に唄えば』は、米国ポピュラーソングおよびそれを主題歌にした1952年公開のミュージカル映画。
アーサー・フリード作詞、ナシオ・ハーブ・ブラウン作曲によるポピュラーソング。1929年公開のM
GM 作品『ハリウッド・レヴィユー』で用いられ、「ウクレレ・アイク」ことクリフ・エドワーズが
歌って以来のスタンダード・ナンバー。また『ザッツ・エンターテインメント』の冒頭でこの曲が紹
介されるなど、作詞者フリードが後に MGMミュージカルの名プロデューサーとして名をはせたこと
もあり、同社のミュージカル作品の象徴する曲となっている。