明王の治は、功、天下を蓋いてしかもおのれよりせざるに似たり
応定王(おうていおう)
※ 指導者の条件とは何か? 指導しようなどという根性を捨て、指導者づら
をせず、テクニックなど弄しないことだ。荘子から見れば、王者が仁政に
はげみ、人民が王者を慕う、という儒家的政治理想は、人為にとらわれた
憐むべき状態にすぎぬ。無為にして化す、これこそ応む帝王――王たるも
のの応(まさ)にあるべき道なのである。
※ 才能は身を滅ぼす:陽子居(ようしきょう)が老聘(ろうたん)にたずね
る場面。「こんな人物がいるとします。敏速果敢な行動力、透徹した洞察
力を兼ね備え、しかも但むことなく道を学びつづける、といった人物です。
こういう人なら、太古の聖王(=明王)にも匹敵するのではありますまい
か」
老賂は首を振った。
「なんの、聖人にくらべると、そんな奴はせいぜい小役人にすぎん。わず
かばかりの才能しか持ち合わせず、しかもそれにしばられて身も心も疲れ
させているあわれな奴さ。それに、なまじそんな才能など持つとかえって
身を滅ぼすもとだ。虎や豹は、美しい毛皮のせいで猟人に殺され、猿や猟
犬は、そのすばしこさのせいで鎖につながれる。そんな奴がどうして太古
の聖王とくらべものになるか」
陽子居は恥じ入って小さくなりながら、
「では、太古の聖王の治とは、どんなものだったのですか」
「そうだな、その功徳は天下を蔽いつくしているのだが、一般の目にはか
れとなんの関係もないように見える。その教化は万物に及んでいるのだが、
人民はまったくそれに気づかない。天下を治めてはいても、施策のあとを
とどめない。それでいて万物にそれぞれ所を得させる。そして自分は窺い
知れぬ虚無の世界に遊ぶ。これが太古の聖王(=明王)の洽というものだ
よ」
【RE100倶楽部:ペロブスカイト太陽電池篇】
● 謎のナノストライプを持つペロブスカイト太陽電池
今月2日、カールスルーエ工科大学らの研究グループは、走査型プローブ顕微鏡でペロブスカイト太
陽電池におけるナノ構造のストライプが存在することを発見する。それによるとペロブスカイト型ハ
イブリッド太陽電池が入射光の20%以上の変換効率をもつことが確認されているが、カールスルー
エ工科大学(KIT) の研究者らは、ペロブスカイト層に分極の方向を交互に変えるナノ構造のストリ
ップを発見。これらの構造は電荷キャリアの輸送経路として役立つかもしれない考えている(上写真
参照)。2009年に発見されて以来、ペロブスカイト太陽電池は急速に進歩してきているが、現段階で
は、耐久性と鉛フリーの2つの克服課題となっている。
同大学光技術研究所(LTI)の有機太陽電池グループの責任者であるアレクサンダー・コルマン(Ale-
xander Colsmann)博士とKITのエネルギーシステム(MZE)のマテリアル・リサーチ・センタ(MZE)
の研究者チームの学際的なチームは、ペレブスカイト太陽電池を走査型プローブ顕微鏡で、光吸収層
に強誘電体ナノ構造が存在していることを見つけた。おの誘電性結晶は、同一の電気分極方向のドメ
インを形成しており、薄層のヨウ化鉛ペロブスカイトが交互電場を有する約100nm幅の強誘電体領域
のストライプを形成していことを突き止める。従って、この材料の電気的分極を変えることで、太陽
電池の光生成電荷の輸送に重要な役割を果たす可能性がある。ペロブスカイト型太陽電池は、ある条
件下で自己組織化するものと考えているものの現状では、決定的な証拠を発見するに至っていない(
セラミックス材料技術部門の応用材料研究所(IAM-KWT)のミハエル・J・ホフマン教授談)。
※ Holger Röhm, Tobias Leonhard, Michael J. Hoffmann, and Alexander Colsmann: Ferroelectric domains in methy-
lammonium lead iodide perovskite thin-films. Energy & Environmental Science, 2017 (DOI: 10.1039/c7ee00420f)
● メガソーラー稼働で「限界集落」に活気 特産大豆「八天狗」を売り出しブランド化
八天狗」とは、熊本県山都町の水増(みずまさり)集落などで受け継がれてきた在来種大豆。種皮の
うち、「へそ」の部分が黒いのが特徴で、座禅豆などに加工すると、深みのある独特の味わいがある
。水増集落では、自家用として昔から栽培され、地元農家では食卓の定番になってきた。「八天狗」
の名称の由来は、修験道とのつながりが考えられるという。天狗のなかでも「八天狗」は最も神に近
い神通力を持つとされ、修験道の人たちが力を得るためにこの豆を育てて座禅豆にして食したのでは
と伝わる。この「幻の在来大豆」が、東京・渋谷の飲食店で供され、初めてその存在を大消費地にア
ピールした。そのきっかけとなったのは、14年5月に水増集落で運転を始めた出力2MWのメガソー
ラー(大規模太陽光発電所)「水増ソーラーパーク」である。
熊本県山都町にある水増集落は、阿蘇カルデラを形作る南外輪山にあり、豊かな自然に恵まれている
がだ、主体となる農林業の担い手が減り、高齢化と少子化が進んでいる。戦後は約百人が農業に従事
したが、若者が次第に集落を離れ、今や10世帯19人まで減った。平均年齢は約70歳。20年後
の存続が危ぶまれる限界集落の1つ。「水増ソーラーパーク」は、同集落が共同で管理する入会地に
建設される。20~30度の山腹の斜面、3.4haに約8000枚の結晶シリコン型太陽光パネルを土地なりに
敷き詰めた。熊本県の新エネルギー開発のベンチャー企業、テイクエナジーコーポレーション(熊本
県菊陽町)が、土地を賃借し、太陽光発電所を建設・事業化する。
水増集落では、メガソーラー完成に際し、「水増ソーラーパーク管理組合」を設立した。常勤1人と
18人の非常勤からなる。テイクエナジーは、土地の賃料として年間500万円を同組合に払うとともに、
売電収入の約5%(約500万円)を同組合に還元している。それは単にお金を寄付するのではなく、5
%分の売電収入を原資とした「マーケティング包括協定」を管理組合と結ぶ。東京・渋谷で「八天狗
定食」を提供し、在来大豆をアピールし始めたのは、このマーケティング協定の成果の1つで、定食
の提供がスタートした2月15日には、水増集落とテイクエナジーの関係者、そして、くまモンが集
まり記者会見を開いている。
テイクエナジーは、売電事業で儲けることが最終的な目的ではなく、いかに地域を活性化させるかと
いう視点を強調。規模の経済に対抗して、小さな農業を戦略的なマーケティングやブランディングに
よって産業化することで、若者が帰ってくる地域を作るという事業アプローチである。「水増ソーラ
ーパーク」は、急斜面に張り付けるようにパネルを設置し、その周辺にさまざまな農畜産施設がにぎ
やかに並んでいる。ヤギとニワトリの畜舎のほか、シイタケの栽培やブルーベリー畑、堆肥製造のエ
リアなど、太陽パネルを設置しなかった場所を有効利用する。そこでは。ヤギは15頭、肥育し、パ
ネルに上ってしまうため、発電所内には入れないようしてあるが、周辺に放牧して除草にも役立て、
養鶏施設には、10羽の地鶏がおり、そのうち9羽が毎日のように卵を産んでいる。
また、14年11月には、「水増ソーラーパーク」を会場に、NBL(ナショナルバスケットボールリー
グ)の熊本ヴォルターズの選手たちと一緒に、新米の「稲刈り体験」を実施。 また、東京都や山口
県にある大学の学生や研究者が訪れ、70本のブルーベリーの収穫や農作物の植え付け体験などに取り
組んでもいる。こうした活動が農林水産省の目に留まり、同省の提唱する「農林漁業の健全な発展と
調和のとれた再生可能エネルギー発電」を具現化する先行事例として、紹介された。これを機に行政
関係からの視察や見学も増える。さらに、現在 テイクエナジーは、「八天狗」を筆頭に水増集落で
有機農法による安全・安心な農産物を生産し、ブランド化していく計画だ。並行して、近隣の古民家
を活用した「農村カフェ」を建設し、インフォメーションセンターや宿泊施設として営業する準備を
進め、水増ソーラーパーク管理組合の荒木組合長は、都会や多世代の人たちとの交流が活発化してき
たことで、その日、その日の仕事に希望を持って取り組めるようになり、みんなで頑張って、この集
落を盛り返していきたいと語っている。
21.小さくはあるが、切ればちゃんと血が出る
私はベッドの上にまっすぐ身を起こし、夜中の暗闇の中で、息を殺して鈴の音に耳を澄ませた。
いったいどこからこの音は聞こえてくるのだろう? 鈴の音は以前に比べてより大きく、より鮮
明になっている。間違いなく。そして聞こえてくる方向も前とは異なっている。
鈴はこの家の中で鳴らされているのだ、私はそう判断した。そうとしか考えられない。それか
ら前後が乱れた記憶の中で、その鈴が何日か前からスタジオの棚に置きっ放しになっていたこと
を思い出した。あの穴を開いて鈴を見つけたあと、私が自分の手でその棚の上に置いたのだ。
鈴の音はスタジオの中から聞こえている。
疑いの余地はない。
しかしどうすればいいのだろう? 私の頭はひどくかき乱されていた。恐怖心はもちろんあっ
た。この家の中で、このひとつ屋根の下で、わけのわからないことが持ち上がっている。時刻は
真夜中で、場所は孤立した山の中、しかも私はまったくの一人ぽっちだ。恐怖を感じないでいら
れるわけがない。しかしあとになって考えると、その時点では混乱の方が恐怖心をいくぶん上回
っていたと思う。人間の頭というのはたぶんそのように作られているのだろう。激しい恐怖心や
苦痛を消すために、あるいは軽減させるために、手持ちの感情や感覚が根こそぎ動員される。火
事場で、水を入れるためのあらゆる容器が持ち出されるのと同じように。
私は頭を可能な限り整理し、とりあえず自分がとるべきいくつかの方法について考えを巡らせ
た。このまま頭から布団をかぶって眠ってしまうという選択肢もあった。雨田政彦が言ったよう
に、わけのわからないものとはとにかく関わり合いにならないでおくというやり方だ。思考のス
イッチをオフにして、何も見ないように何も間かないようにする。しかし問題点は、とても眠る
ことなんかできないというところにあった。布団をかよって耳を閉ざしたところで、思考のスイ
ッチを切ったところで、これほどはっきりと聞こえる鈴の音を無視することは不可能だ。なにし
ろそれはこの家の中で鳴らされているのだから。
鈴はいつものように断続的に鳴らされていた。それは何度か打ち振られ、しばしの沈黙の間を
とって、それからまた何度か振られた。間に置かれた沈黙は均一ではなく、そのたびにいくらか
短くなったり長くなったりした。その不均一さには、妙に人間的なものが感じられた。鈴はひと
りでに鳴っているのではない。何かの仕掛けを使って鳴らされているのでもない。誰かがそれを
手に持って鳴らしているのだ。おそらくはそこになんらかのメッセージを込めて。
逃げ続けることができないのなら、思い切ってことの真相を見定めるしかあるまい。こんなこ
とが毎晩続いたら私の眠りはずたずたにされてしまうし、まともな生活を送ることもできなくな
ってしまう。それならこちらから出向いて、スタジオで何か持ち上がっているのか見届けてやろ
う。そこには腹立ちの気持ちもあった(なぜ私がこんな目にあわなくちやならないんだ?)。そ
れからもちろんいくぶんかの好奇心もあった。いったいここで何か起こっているのか、それを自
分の目でつきとめてみたかった。
ベッドから出て、パジャマの上にカーディガンを羽織った。そして懐中電灯を手に玄関に行っ
た。玄関で私は、雨田典彦が傘立てに残していった、暗い色合いの樫村のステッキを右手に取っ
た。がっしりと重みのあるステッキだ。そんなものが何か現実の役に立つとは思えなかったが、
手ぷらでいるよりは何かを手に握っていた方が心強かった。何か起こるかは誰にもわからないの
だから。
言うまでもなく私は怯えていた。裸足で歩いていたが、足の裏にはほとんど感覚がなかった。
身体がひどくこわばって、身体を勤かすたびにすべての骨の軋みが聞こえてきそうだった。おそ
らくこの家の中に誰かが入り込んでいる。そしてその誰かが鈴を鳴らしている。それはあの穴の
底で鈴を鳴らしていたのとおそらく同じ人物だろう。それが誰なのか、あるいはどんなものなの
か、拡には予測もつかない。ミイラだろうか? もし拡がスタジオに足を踏み入れて、そこでも
しミイラが――ビーフジャーキーのような色合いの肌をしたひからびた男が――鈴を振っている。
姿を目にしたら、いったいどのように対処すればいいのだろう? 雨田典彦のステッキを振るっ
て、ミイラを思い切り打ち据えればいいのか?
まさか、と私は思った。そんなことはできない。ミイラはたぶん即身仏なのだ。ゾンビとは違
じやあ、いったいどうすればいいのか? 私の混乱はまだ続いていた。というか、その混乱は
ますますひどいものになっていった。もし何かしら有効な手を打てないのだとしたら、私はこれ
から先ずっと、そのミイラとともにこの家に暮らすことになるのだろうか? 毎晩同じ時刻にこ
の鈴の音を聞かされることになるのだろうか?
私はふと免色のことを考えた。だいたいあの男が余計なことをするから、こんな面倒な事態が
もたらされたのではないか。重機まで持ち出して石塚をどかせ、認めいた穴を聞いてしまったか
ら、その結果あの鈴と共に正体のわからないものがこの家の中に入り込んでしまったのだ。私は
免色に電話をかけてみることを考えた。こんな時刻であっても、彼はたぶんジャガーを運転して
すぐに駆けつけてくれるだろう。しかし結局思い直してやめた。免色が支度をしてやって米るの
を持っている余裕はない。それは私が今ここで、何とかしなくてはならないことなのだ。それは
私が、私の責任においてやらなくてはならないことなのだ。
私は思い切って居間に足を踏み入れ、部屋の明かりをつけた。明かりをつけても鈴の音は変わ
らず鳴り続けていた。そしてその音は間違いなく、スタジオに通じるドアの向こう側から聞こえ
てきた。私はステッキを右手にしっかりと握りなおし、足音を殺して広い居間を横切り、スタジ
オに通じるドアのノブに手を掛けた。それから大きく深呼吸をし、心を決めてドアノブを回した。
私がドアを押し開けるのと同時に、それを持っていたかのように鈴の音がぴたりと止んだ。深い
沈黙が降りた。
スタジオの中は責っ暗だった。何も見えない。私は手を左側の壁に伸ばして、手探りで照明の
スイッチを入れた。天井のペンダント照明がついて、部屋の中がさっと明るくなった。何かあれ
ばすぐに対応できるように、両脚を肩幅に広げて戸口に立ち、右手にステッキを握ったまま、部
屋の中を素遠く見渡した。緊張のあまり喉がからからに掲いていた。うまく唾を飲み込むことも
できないほどだ。
スタジオの中には誰もいなかった。鈴を振っているひからびたミイラの姿はなかった。何の姿
もなかった。部屋の真ん中にイーゼルがぽつんと立っていて、そこにキャンバスが置かれていた。
イーゼルの前に三本脚の古い木製のスツールがある。それだけだ。スタジオは無人だった。虫の
声ひとつ聞こえない。風もない。窓には白いカーテンがかかり、すべてが異様なくらいしんと静
まりかえっていた。ステッキを握った右手が、緊張のために微かに震えているのが感じられた。
言えに合わせてステッキの先が床に触れて、かたかたという乾いた不揃いな音を立てた。
鈴はやはり棚の上に置かれていた。私は棚の前に行って、その鈴を子細に眺めてみた。手には
とらなかったが、鈴には変わったところは何も見当たらなかった。その日の昼前に私が手にとっ
て棚に戻したときのまま、位置を変えられた形跡もない。
私はイーゼルの前の互いスツールに腰掛け、もう一度部屋の中を三百六十度ぐるりと見回して
みた。隅から隅まで注意深く。やはり誰もいない。日々見慣れたスタジオの風景だ。キャンバス
の絵も私が描きかけたままになっている。『白いスバル・フオレスターの男』の下絵だ。
私は棚の上の目覚まし時計に目をやった。時刻は午前二時ちょうどだった。鈴の音で目を覚ま
したのがたしか一時三十五分だったから、二十五分ほどが経過したことになる。でもそれはどの
時聞か経ったという感覚が私の中にはなかった。まだほんの五、六分しか経っていないように感
じられた。時間の感覚がおかしくなっている。それとも時間の流れがおかしくなっている。その
どちらかだ。
私はあきらめてスツールから降り、スタジオの明かりを消し、そこを出てドアを閉めた。閉め
たドアの前に立ってしばらく耳を澄ませていたが、もう鈴の音は聞こえなかった。何の音も聞こ
えなかった。ただ沈黙が聞こえるだけだ。沈黙が聞こえる――それは言葉の遊びではない。孤立
した山の上では、沈黙にも音はあるのだ。私はスタジオに通じるドアの前で、しばしその音に耳
を澄ませていた。
Three Skulls
そのとき私は、居間のソファの上に何か見慣れないものがあることにふと気づいた。クツショ
ンか人形か、その程度の大きさのものだ。しかしそんなものをそこに置いた記憶はなかった。目
をこらしてよく見ると、それはクッションでもなく人形でもなかった。生きている小さな人間だ
った。身長はたぶん六十センチばかりだろう。その小さな人間は、白い奇妙な衣服を身にまとっ
ていた。そしてもぞもぞと身体を動かしていた。まるで衣服が身体にうまく馴染まないみたいに、
いかにも居心地悪そうに。その衣服には見覚えがあった。古風な伝統的な衣裳だ。日本の古い時
代に位の高い人々が着ていたような衣服。衣服だけではなく、その人物の顔にも見覚えがあった。
騎士団長だ、と私は思った。
私の身体は芯から冷たくなった。まるで拳くらいの大きさの氷の塊が、背筋をじりじりと這い
上ってくるみたいに。雨田典彦が『騎士団長殺し』という絵の中に描いた「騎士団長」が、私の
家の――いや、正確に言えば雨田具彦の家だ――居間のソファに腰掛けて、まっすぐ私の顔を見
ているのだ。その小さな男はあの絵の中とまったく同じ身なりをして、同じ顔をしていた。絵の
中からそのまま抜け出してきたみたいに。
あの絵は今どこにあるんだっけ? 私はそれを思い出そうと努めた。ああ、絵はもちろん客用
の寝室にある。うちを訪れる人に見られると面倒なことになるかもしれないから、人目につかな
いように茶色の和紙で包んでそこに隠しておいたのだ。もしこの男がその絵から抜け出してきた
のだとしたら、今あの絵はいったいどうなっているのだろう? 画面から騎士団長の姿だけが消
滅してしまっているのだろうか?
しかし絵の中に描かれた人物がそこから抜け出してくるなんてことが可能なのだろうか? も
ちろん不可能だ。あり得ない話だ。そんなことはわかりきっている。誰がどう考えたって……。
私はそこに立ちすくみ、論理の筋道を見失い、あてもない考えを巡らせながら、ソファに腰掛
けている騎士団長を見つめていた。時間が一時的に進行を止めてしまったようだった。時間はそ
こで行ったり来たりしながら、私の混乱が収まるのをじっと待っているらしかった。私はとにか
しかし絵の中に描かれた人物がそこから抜け出してくるなんてことが可能なのだろうか? もち
ろん不可能だ。あり得ない話だ。そんなことはわかりきっている。誰がどう考えたって……。
私はそこに立ちすくみ、論理の筋道を見失い、あてもない考えを巡らせながら、ソファに腰掛
けている騎士団長を見つめていた。時間が一時的に進行を止めてしまったようだった。時間はそ
こで行ったり来たりしながら、私の混乱が収まるのをじっと待っているらしかった。私はとにか
くその異様な――異界からやってきたとしか思えない――人物から目を離すことができなくなっ
ていた。騎士団長もまたソファの上からじっと私を見上げていた。私は言葉もなくただ黙り込ん
でいた。たぶんあまりにも驚きすぎていたためだろう。その男から目を逸らさず、口を小さく開
けて静かに呼吸を続ける以外に、私にできることは何もなかった。
騎士団長もやはり私から目を逸らさず、言葉も発しなかった。唇はまっすぐ結ばれていた。そ
してソファの上に短い脚をまっすぐ投げ出していた。背もたれに背をもたせかけていたが、頭は
背もたれのてっぺんにも届いていなかった。足には奇妙なかたちの小さな靴を履いていた。靴は
黒い革のようなものでできている。先が尖って、上を向いている。腰には柄に飾りのついた長剣
を帯びていた。長剣とは言っても、身体に合ったサイズのものだから、実際の大きさからすれば
短刀に近い。しかしそれはもちろん凶器になりうるはずだ。もしそれが本物の剣であるのなら。
「ああ、本物の剣だぜ」と騎士団長は私の心を読んだように言った。小さな身体のわりによく通
る声だった。「小さくはあるが、切ればちゃんと血が出る」
私はそれでもまだ黙っていた。言葉は出てこなかった。まず最初に思ったのは、この男はちゃ
んとしゃべれるんだということだった。次に思ったのは、この男はずいぶん不思議なしゃべり方
をするということだった。それは「普通の人間はまずこのようにはしゃべらない」という種類の
しゃべり方だった。しかし考えてみれば、絵からそのまま抜け出してきた身長六十センチの騎士
団長がそもそも「普通の人間」であるわけはないのだ。だから彼がどんなしゃべり方をしたとこ
ろで、驚くにはあたらないはずだ。
「雨田典彦の『騎士団長殺し』の中では、あたしは剣を胸に突き立てられて、あわれに死にかけ
ておった」と騎士団長は言った。「諸君もよく知ってのとおりだ。しかし今のあたしには傷はあ
らない。ほら、あらないだろう? だらだら血を流しながら歩き回るのは、あたしとしてもいさ
さか面倒だし、諸君にもさぞや迷惑だろうと思うたんだ。絨毯や家具を血で汚されても困るだろ
う。だからリアリティーはひとまず棚上げにして、刺され傷は抜きにしたのだよ。『騎士団長殺
し』から『殺し』を抜いたのが、このあたしだ。もし呼び名が必要であるなら、騎士団長と呼ん
でくれてかまわない」
騎士団長は奇妙なしゃべり方をするわりに、諸をするのは決して不得意ではないようだった。
むしろ饒舌と言っていいかもしれない。しかし私の方は相変わらず二百も言葉を発することがで
きなかった。現実と非現実が私の中で、まだうまく折り合いをつけられずにいた。
「そろそろそのステッキを置いたらどうだね?」と騎士団長は言った。「あたしと諸君とでこれ
から果たし合いをするわけでもながろうに」
Skull and Book
今夜のこの件は何と言う展開なのだ。雨田典彦の『騎士団長殺し』の絵からその騎士団長が抜け出し
主人公の画家にソファに座り話しかける。今夜はここまでにして、次回の楽しみしておこう。
この項つづく
茶摘みの季節。なのに、何と言うことだ。日曜の庭木手入れストレッチ強化が祟り、月曜の朝、腰痛再発。週末
の登山は延期。はやる心を抑え、回復に力を入れる。