周王からの祭祀料 / 鄭の荘公小覇の時代
※ 秋七月、周王のもとから大宰の晅(けん)を勅使としてわが魯国に遣わ
し、先君の恵公と仲氏とに祭祀料を下賜(かし)されたものの、それは
あまりにも時日が延引したし、その上、仲氏がまだ亡くなってもいなか
ったのであるから、礼にそむいたことであった。だから『春秋経』では
勅使の字をいわずに、名を直言したのである。そもそも礼の常として、
天子が崩ずれば七月目に葬り、諸侯がことごとく会葬する。諸侯が薨(
こう)ずれば五月目に葬り、同盟の諸侯が会葬する。大夫が卒(しゅっ)
すれば三月目に葬り、列国の同格の大夫が会葬する。士が卒すればその
翌月に葬り、他国の姻戚が会葬する。しかるに死者に祭祀料を贈って葬
る前にとどかず、喪主を弔問するのに、哀しみの深い時をすごしてしま
い、まだ死にもしない人に祭祀料を贈ったのだ。これは礼にかなわぬこ
とであった。
※ いかにも折目正しさを要求する古代中国独特の形式主我が、よく示され
ている。
● ドイツの再生エネルギー革命 85%を記録
先月30日、DW(Deutsche Welle:ドイツの波)社は、石炭火力発電所は午後3時から午後4時の間に、
最大出力約50ギガワットをはるかに下回る8ギガワット未満の出力量を記録、風力、太陽光、バイ
オマス、水力の再生可能エネルギーの発電量は85%(56.2ギガワット)は最大出力量を記録し
たことを発表。ドイツは福島災害の後、22年までに原子力発電を廃止し、すべての原子力発電所を
停止を表明しているが、この日、原子力発電所は7.9から5ギガワットまでに低下を実現している。
尚、計画では50年までに少なくとも80%の再生可能エネルギーでまかない、25年には35~4
0%、35年には55~60%の中間目標設定。
● 飛騨高山に「木質バイオガス」発電所が完成、FIT利用初
5月1日、木質バイオマス発電所「飛騨高山しぶきの湯バイオマス発電所」が完成したと発表した。
4月28日に竣工式を行ったことを公表。固定価格買取制度(FIT制度)を利用した木質バイオガス
発電所は国内初。発電設備には、独Burkhardt社製の小型高効率木質ペレットガス化コージェネレーシ
ョン(熱電併給)システムを採用した。定格出力は165kW(最大出力181.5kW)。年間発電量は約126
万kWh、うち送電量は約120万kWhを見込む。これは一般家庭約368世帯分の年間消費電力に相当。発
電した電力はFIT制度を利用し、中部電力へ全量売電。また、発電の際に生じた熱を温浴施設「宇津
江四十八滝温泉しぶきの湯 遊湯館」に供給し、オンサイト型のコージェネシステムを構築する。同
システムの発電効率は30%で、熱利用も含めると総合熱効率は最大で75%に達する。遊湯館へ熱
を供給・販売することで、ボイラーで使用する灯油を年間約124kl削減。高山市は市内の92%を森林
が占め、数年前から森林資源の活用を進めてきた。同事業は、市からの事業支援と県の補助事業を活
用したもの。発電事業者は飛騨高山グリーンヒート合同会社(岐阜県高山市)、木質ペレットの供給
は木質燃料(高山市)。高山市近隣から集めた地元材を活用することで、継続的に雇用を創出。
5月9日、海洋研究開発らの研究グループは、沖縄トラフの深海熱水噴出域において電気化学計測と
鉱物試料の採取を行い、持ち帰った鉱物試料について実験室で分析し、深海熱水噴出域の海底面で自
然の発電現象を突き止めことを公表。海底熱水噴出孔は金属イオンと電子を放出しやすい硫化水素や
水素、メタンなどのガスを大量に含む熱水が放出さ。熱水が周囲の海水により急激に冷やされ、硫化
鉱物が沈殿し、海底に鉱床を形成。13年9月に海底熱水鉱床の硫化鉱物が高い導電性を持つことや
電極利用できること、熱水と海水を用いて人工的発電が可能なことを発表している。これにより海底
熱水噴出孔が“天然燃料電池”機能することを突き止める。このことで周辺のエネルギー、物質循環
に影響を与える。特に微生物生態系などに影響を及ぼし、海底に電気エネルギーを利用する微生物生
態系の存在の可能性がある。
23.みんなほんとにこの世界にいるんだよ
道路はアスファルト敷きの円形の車寄せになって終わっていた。運転手はそこに車を停めると、
素遠く運転席から降りて、私のために後部席のドアを開けてくれた。隣を見ると騎士団長の姿は
消えていた。しかし私はとくに驚かなかったし、気にもしなかった。彼には彼なりの行動様式か
おるのだ。
インフィニティのテールランプが礼儀正しく、しずしずと夕闇の中に去っていって、あとには
私ひとりが残された。今こうして正面から目にしている家屋は、私か予想していたよりずっとこ
ぢんまりとして控えめに見えた。谷の向かい側から眺めていると、それはずいぶん威圧的で派手
はでしい建築物に見えたのだが。たぶん見る角度によって印象が追ってくるのだろう。門の部分
が山の一番高いところにあり、それから斜面を下るように、土地の傾斜角度をうまく利用して家
が建てられていた。
玄関の前には神社の狛犬のような古い石像が、左右対になって据えられていた。台座もついて
いる。あるいは本物の狛犬をどこかから運んできたのかもしれない。玄関の前にもツツジの植え
込みがあった。きっと五月には、このあたりは鮮やかな色合いのツツジの花でいっぱいになるの
だろう。
私がゆっくり歩いて玄関に近づいていくと、内側からドアが開き、免色本人が顔をのぞかせた。
免色は白いボタンダウン・シャツの上に溢い緑色のカムアィガンを着て、クリーム色のチノパン
ツをはいていた。真っ白な豊かな髪はいつものようにきれいに槐かれ、自然に整えられていた。
自宅で私を出迎える免色を目にするのは、どことなく不思議な気持ちのするものだった。私がこ
れまで目にしてきた免色は、いつもジャガーのエンジン音を響かせてうちを訪れていたから。
彼は私を家の中に招き入れ、玄関のドアを閉めた。玄関部分はほぼ正方形で広く、天井が高か
った。スカッシュのコートくらいは作れそうだ。壁付きの間接照明が部屋の中をほどよく照らし
出し、中央に置かれた寄せ本細工の広い八角形のテーブルの上には、明朝のものとおぼしき巨大
な花瓶が置かれ、新鮮な生花が勢いよく溢れかえっていた。三つの色合いの大輪の花(私は植物
には詳しくないので、その名前はわからない)が組み合わされていた。たぶん今夜のためにわざ
わざ用意されたのだろう。彼が今回花屋に支払った代金だけでおそらく、つつましい大学生なら
一ケ月は食いつないでいけるのではないかと私は想像した。少なくとも学生時代の私ならじゆう
ぶん暮らしていけたはずだ。玄関には窓はなかった。天井に明かり探りの天窓がついているだけ
だ。床はよく磨かれた大理石だった。
玄関から幅の広い階段を三段下りたところに居間があった。サッカーグラウンドまでは無理だ
が、テニスコートなら作れそうなくらいの広さがあった。東南に向けた面はすべてティントされ
たガラスになっており、その外にやはり広々としたテラスがあった。暗かったから、海が見える
かどうかまではわからなかったが、たぶん見えるはずだ。反対側の壁にはオープン型の暖炉があ
った。まだそれほど寒い季節ではなかったから、火は入っていなかったが、いつでも入れられる
ように薪はきれいに脇に積んであった。誰が積んだのかは知らないが、ほとんど芸術的と言って
もいいくらいの上品な積みあげられ方だった。暖炉の上にはマントルピースがあり、マイセンの
古いフィギュアがいくつか並んでいた。
居間の床も大理石だったが、数多くの絨毯が組み合わせて敷かれていた。どれも古いペルシヤ
絨毯で、その精妙な柄と色合いは実用品というよりはむしろ美術工芸品のように見えた。踏みつ
けるのに気が引けるくらいだ。丈の低いテーブルがいくつかあり、あちこちに花瓶が置かれてい
た。すべての花瓶にやはり新鮮な花が盛られていた。どの花瓶も貴重なアンティークのように見
えた。とても趣味がよい。そしてとても全がかかっている。大きな地震が来なければいいのだが、
と私は思った。
天井は高く、照明は控えめだった。壁の上品な間接照明と、いくつかのフロア・スタンドと、
テーブルの上の読書灯、それだけだ。部屋の奥には黒々としたグランド・ピアノが置かれていた。
スタインウェイのコンサート用グランド・ピアノがそれほど大きくは見えない部屋を目にしたの
は、私にとって初めてのことだった。ピアノの上にはメトロノームと共に楽譜がいくつか置かれ
ていた。免色が弾くのかもしれない。それともときどきマウリツィオ・ポリーニを夕食に招待す
るのかもしれない。
しかし全休としてみれば、居間のデコレーションはかなり控えめに抑えられており、それが私
をほっとさせた。余計なものはほとんど見当たらない。それでいてがらんともしていない。広さ
のわりに意外に居心地の良さそうな部屋だった。そこにはある種の温かみがある、と言ってしま
っていいかもしれない。壁には小さな趣味の良い絵が半ダースばかり、控えめに並べられていた。
そのうちのひとつは本物のレジエのように見えたが、あるいは私の思い違いかもしれない。
免色は茶色い革張りの大きなソファに私を座らせた。彼もその向かいの椅子に座った。ソファ
と揃いの安楽椅子だ。とても座り心地の良いソファだった。硬くもなく、柔らかくもない。座る
人間の身体を――それがどのような人間であれ――そのまま自然に受け入れるようにできている
ソファだ。しかしもちろん考えてみれば(あるいはいちいち考えるまでもなく)、免色が座り心
地のよくないソファを自宅の居間に置いたりするわけがない。
我々がそこに腰を下ろすと、それを待っていたようにどこからともなく男が姿を見せた。驚く
ほどハンサムな若い男だった。それほど背が高くはないが、ほっそりとして、身のこなしが優雅
だった。皮膚はむらなく浅黒く、艶のある髪をポニーテイルにして後ろでまとめていた。丈の長
いサーフパンツをはいて、海岸でショート・ボードを抱えていると似合いそうだったが、今日の
彼は白い清潔なシャツに黒いボウタイを結んでいた。そして口もとに心地の良い笑みを浮かべて
いた。
「何かカクテルでも召し上がりますか?」と彼は私に尋ねた。
「なんでも好きなものをおっしやって下さい」と免色が言った。
「バラライカを」と私は数秒考えてから言った。とくにバラライカを飲みたかったわけではない
が、本当になんでも作れるかどうか試してみたかったのだ。
「私も同じものを」と免色は言った。
若い男は心地良い笑みを浮かべたまま、音を立てずに下がった。
私はソファの隣に目をやったが、そこには騎士団長の姿はなかった。しかしこの家の中のどこ
かにきっと騎士団長はいるはずだ。なにしろ家の前まで車に同乗して、一緒にやってきたのだか
ら。
「何か?」と免色が私に尋ねた。私の目の動きを追っていたのだろう。
「いえ、なんでもありません」と私は言った。「ずいぶん立派なお宅なので、見とれていただけ
です」
「しかし、いささか派手すぎる家だと思いませんか?」と免色は言って、笑みを浮かべた。
「いや、予想していたより遠かに穏やかなお宅です」と私は正直に意見を述べた。「遠くから見
ていると、率直に申し上げてかな旦豪勢に見えます。豪華客船が海に浮かんでいるみたいに。し
かし実際に中に入ると不思議なくらい落ち着いて感じられます。印象ががらりと遠います」
免色はそれを聞いて肯いた。「そう言っていただけると何よりですが、そのためにはずいぶん
手を入れなくてはなりませんでした。事情があって、この家を出来合いで買ったのですが、手に
入れたときはなにしろ派手な家でした。けばけばしいと言って いいくらいだった。さる量販店
のオーナーが建てたのですが、成金趣味の極みというか、とにかく私の趣味にはまったく合わな
かった。だから購人したあとで大改装をすることになりました。そしてそれには少なからぬ時間
と手間と費用がかかりました」
免色はそのときのことを思い出すように、目を伏せて深いため息をついた。よほど趣味が合わ
なかったのだろう。
「それなら、最初からご自分で家を建てた方が、ずっと安上がりだったんじやないですか?」と
私は尋ねてみた。
免色は笑った。何の間から僅かに白い歯が見えた。「実にそのとおりです。その方がよほど気
が利いています。しかし私の方にもいろいろと事情がありました。この家でなくてはならない事
情が」
私はその話の続きを待った。しかし続きはなかった。
「今夜、騎士団長はごI緒じやなかったんですか?」と免色は私に尋ねた。
私は言った。「たぶんあとがらやって来ると思います。家の前まではI緒だったんですが、ど
こかに急に消えてしまいました。たぶんお宅の中をあちこち見物しているのではないかと思いま
す。かまいませんか?」
免色は両手を広げた。「ええ、もちろん。もちろん私はちっともかまいません。どこでも好き
なだけ見て回ってもらって下さい」
さっきの若い男が銀色のトレイにカクテルを二つ載せて運んできた。カクテル・グラスはとて
も精妙にカットされたクリスタルだった。たぶんバカラだ。それがフロア・スタンドの明かりを
受けてきらりと光った。それからカットされた何種類かのチーズとカシューナッツを盛った古伊
万里の皿がその隣に置かれた。頭文字のついた小さなリネンのナプキンと、銀のナイフとフォー
クのセットも用意されていた。ずいぶん念が入っている。
免色と私はカクテル・グラスを手に取り、乾杯した。彼は肖像画の完成を枇し、私は礼を言っ
た。そしてグラスの縁にそっと口をつけた。ウオッカとコアントローとレモン・ジュースを三分
の一ずつ使って人はバラライカを作る。成り立ちはシンプルだが、極北のごとくきりっと冷えて
いないとうまくないカクテルだ。腕の良くない人が作ると、ゆるく水っぽくなる。しかしそのバ
ラライカは驚くばかりに上手につくられていた。その鋭利さはほとんど完璧に近かった。
「おいしいカクテルだ」と私は感心して言った。
「彼は腕がいいんです」と免色はあっさりと言った。
もちろんだ、と私は思った。考えるまでもなく、免色が腕の悪いバーテンダーを雇うわけがな
い。コアントローを用意していないわけがないし、アンティークのクリスタルのカクテル・ゲラ
スと、古伊万里の皿を揃えていないわけがないのだ。
我々はカクテルを飲み、ナッツを嘔りながらあれこれ話をした。主に私の絵の話をした。彼は
私に現在制作している作品のことを尋ね、私はその説明をした。過去に遠くの町で出会った、名
前も素性も知らない万人の男の肖像を描いているのだと私は言った。
「肖像?」と免色は意外そうに言った。
「肖像といっても、いわゆる営業用のものではありません。ぼくが自由に想像を巡らせた、いね
ば抽象的な肖像画です。でもとにかく肖像が絵のモチーフになっています。土台になっていると
言っていいかもしれませんが」
「私を描いた肖像画のときのように?」
「そのとおりです。ただし今回は誰からも依頼を受けていません。ぼくが自発的に描いている作
品です」
免色はそれについてしばらく考えを巡らせていた。そして言った。「つまり、私の肖像画を描
いたことが、あなたの創作活動に何かしらのインスピレーションを与えたということになるでし
ょうか?」
「たぶんそういうことなのでしょう。まだようやく点火しかけているというレベルに過ぎません
が」
免色はカクテルをまた一口音もなくすすった。彼の目の奥には満足に似た輝きのようなものが
うかがえた。
「それは私にとってなによりも喜ばしいことです。何かしらあなたのお役に立てたかもしれない
ということが。もしよるしければ、その新しい絵が完成したら見せていただけますか?」
「もし納得のいくものが描けたら、もちろん喜んで」
私は部屋の隅に置かれたグランド・ピアノに目をやった。「免色さんはピアノを弾かれるので
すか? ずいぶん立派なピアノみたいですが」
免色は軽く肯いた。「うまくはありませんが少しは弾きます。子供の頃、先生についてピアノ
を習っていました。小学校に入ってから、卒業するまで五年か六年か。それから勉強が忙しくな
ったもので、やめました。やめなければよかったのですが、私もピアノの練習にいささか疲れ果
てていたもので。ですから指はもう思うように動きませんが、楽譜はかなり自由に読めます。気
分転換のために、ときおり私白身のために簡単な曲を弾きます。でも人に聴かせるようなものじ
やありませんし、家の中に人がいるときには絶対に鍵盤に手は触れません」
私は前からずっと気になっていた疑問を口にした。「免色さんは、これだけの家に一人でお住
まいになって、広さを持てあましたりすることはないのですか?」
「いいえ、そんなことはありません」と免色は即座に言った。「まったくありません。私はもと
もと一人でいることが好きなんです。たとえば大脳皮質のことを考えてみてください。人類は素
晴らしく精妙にできた高性能な大脳皮質を与えられています。でも我々が実際に日常的に用いて
いる領域は、その全体の十八-セントにも達していないはずです。我々はそのような素晴らしく
高い性能を持った器官を天から与えられたというのに、残念なことに、それを十全に用いるだけ
の能力をいまだ獲得していないのです。たとえて言うならそれは、豪華で壮大な屋敷に住みなが
ら、四畳半の部屋一つだけを使って四人家族がつつましく暮らしているようなものです。あとの
部屋はすべて使われないまま放置されています。それに比べれば、私が一人でこの家に暮らして
いることなど、さして不自然なことでもないでしょう」
「そういわれればそうかもしれません」と私は認めた。なかなか興味深い比較だ。
免色はしばらく手の中でカシューナッツを転がしていた。そして言った。「しかし一見無駄に
見えるその高性能の大脳皮質がなければ、我々が抽象的思考をすることもなかったでしょうし、
形而上的な領域に足を踏み入れることもなかったでしょう。ただの一部しか使えなくても、大脳
皮質にはそれだけのことができるのです。その残りの領域をそっくり使えたら、いったいどれは
どのことができるのでしょう。興味を惹かれませんか」
「しかしその高性能の大脳皮質を獲得するのと引き替えに、つまり豪壮な邸宅を手に入れる代償
として、人類は様々な基礎能力を放棄しないわけにはいかなかった。そうですね?」
「そのとおりです」と免色は言った。「抽象的思考、形而上的論考なんてものができなくても、
人類は二本足で立って視棒を効果的に使うだけで、この地球上での生存レースにじゆうぷん勝利
を収められたはずです。日常的にはなくても差し支えない能力ですから。そしてそのオーバー・
クオリティーの大脳皮質を獲得する代償として、我々は他の様々な身体能力を放棄することを余
儀なくされました。たとえば大は人間より数千倍鋭い嗅覚と数十倍鋭い聴覚を具えています。し
かし私たちには複雑な仮説を積み重ねることができます。コズモスとミクロ・コズモスとを比較
対照し、ファン・ゴッホやモーツァルトを鑑賞することができます。プルーストを読み――もち
ろん読みたければですが 古伊万里やペルシヤ絨毯を蒐集することもできます。それは大には
できないことです」
「マルセル・プルーストは、その大にも劣る嗅覚を有効に用いて長大な小説をひとつ書き上げま
した」
免色は笑った。「おっしやるとおりです。ただ私が言っているのは、あくまで一般論として、
という話です」
「つまりイデアを自律的なものとして取り扱えるかどうかということですね?」
「そのとおりです」
そのとおりだ、と騎士団長が私の耳元でこっそり囁いた。でも騎士団長のさきほどの忠告に従
って、私はあたりを見回したりはしなかった。
それから彼は書斎へと私を案内した。居間を出たところに広い階段があり、それを下の階に降
りた。どうやらその階が居室部分になっているようだった。廊下に沿っていくつかのベッドルー
ムがあり(いくつあるのかは数えなかったが、あるいはそのうちのひとつが私のガールフレンド
の言う鍵のかかった「青髭公の秘密の部屋」なのかもしれない)、突き当たりに書斎があった。
とくに広い部屋ではないが、もちろん狭苦しくはなく、そこには「程よいスペース」ともいうべ
きものがっくりあげられていた。書斎には窓が少なく、一方の壁の天井近くに明かり探りの細長
い窓が横並びについているだけだった。そして窓から見えるのは松の枝と、枝の間から見える空
だけだ(この部屋には陽光と風景はとくに必要とされないようだ)。そのぶん壁が広くとられて
いた。一面の壁は、床から天井近くまですべてが作り付けの書架になっており、その一部はCD
を並べるための棚になっていた。書架には隙間なくいろんなサイズの木が並んでいた。高いとこ
ろにある木を取るために、木製の踏み台も置かれていた。どの本にも実際に手に取られた形跡が
見えた。それが熱心な読書室の実用的なコレクションであることは誰の目にも明らかだった。装
飾を目的とした書棚ではない。
大きな執務用のデスクが壁を背中にしてあり、コンピュータがその上に二台並んでいた。据え
置き型が一台、ノートブック型が一台。ペンや鉛筆を差したマグカップがいくつかあり、書類が
きれいに積み重ねられていた。高価そうな美しいオーディオ装置が一方の壁に並び、その反対測
の壁には、ちょうど机と向き合うようなかたちで、一対の縦に細長いスピーカーが並んでいた。
背丈は私のそれとだいたい同じ(百七十三センチだ)、箱は上品なマホガニーでつくられていた。
部屋の真ん中あたりには、木を読んだり音楽を聴いたりするための、モダンなデザインの読需用
の椅子が置かれていた。その隣にはステンレス製の読需用のフロア・スタンドがあった。おそら
く免色は一目の多くの部分をこの部屋で、∵Λで過ごすのだろうと、私は推測した。
私の描いた免色の肖像画はスピーカーの間の壁に掛けられていた。ちょうど二つのスピーカー
の真ん中の、だいたい目の高さの位置に。まだ額装されていない剥き出しのままのキャンバスだ
ったが、それはずっと以前からそこにかけられていたみたいに、きわめて自然にその場所に収ま
っていた。もともとかなり勢いよく、ほとんど一気呵成に描かれた結だったが、その奔放さはこ
の書斎にあっては不思議なくらい精妙に程よく抑制されているように感じられた。この場所の独
特の空気が、絵の持っている前のめりの勢いを居心地良く鎖めていた。そしてその画像の中には
やはり紛れもなく免色の顔が潜んでいた。というか私の目には、まるで免色そのものがそこに入
り込んでしまったようにさえ見えた。
それはもちろん私が描いた結だ。しかしいったん私の手を離れて免色の所有するものとなり、
彼の書斎の壁に飾られると、それはもう私には手の及ばないものに変貌してしまったようだった。
それは今ではもう免色の絵であり、私の結ではなかった。そこにある何かを確認しようとしても、
その結は滑らかなすばしこい魚のように、するすると私の両手をすり抜けていってしまう。まる
でかつては私のものであったのに、今では他の誰かのものになってしまった女性のように……。
「どうです、この部屋に実にぴたりと合っていると思いませんか?」
もちろん免色は肖像画のことを言っているのだ。私は黙って肯いた。
免色は言った。「いろんな部屋のいろんな壁を、ひとつひとつ試してみました。そして結局、
この部屋のこの場所に飾るのがいちばん良いとわかったんです。スペースの空き具合や、光の当
たり方や、全体的なたたずまいがちょうどいい。とりわけあの読需用の椅子に座って結を眺める
のが、私はいちばん好きですが」
「試してみてかまいませんか」と、私はその読需用の椅子を指さして言った。
「もちんです。自由に座ってみて下さい」
私はその革張りの椅子に腰を下ろし、緩やかなカーブを描く背もたれにもたれ、オットマンに
両脚を載せた。胸の上で両手を組んだ。そしてあらためてその絵をじっくり眺めた。たしかに免
色が言ったようにそこは、その絵を鑑賞するための理想的なスポットだった。その椅子(文句の
つけようもなく座り心地の良い椅子だった)の上から見ると、正面の壁に掛けられた私の絵は、
私自身にも意外に思えるほどの静かな、落ち着いた説得力を持っていた。それは私のスタジオに
あったときとはほとんど違った作品に見えた。それは――どう言えばいいのだろう――この場所
にやってきて新たな、本来の生命を獲得したようにさえ見えた。そしてそれと同時に、その絵は
作者である私のそれ以上の近接をきっぱり拒否しているようにも見えた。
免色がリモート・コントロールを使って、程よい小さな音で音楽を洗した。聞き覚えのあるシ
ューベルトの弦楽四重奏曲だった。作品D八〇四。そのスピーカーから出てくるのはクリアで粒
立ちの良い、洗練された上品な音だった。雨田典彦の家のスピーカーから出てくる素朴で飾りの
ない音に比べると、違う音楽のようにさえ思える。
ふと気がつくと、部屋の中に騎士団長がいた。彼は書架の前の踏み台に腰を下ろし、腕組みを
して私の絵を見つめていた。私が目をやると、騎士団長は首を小さく振り、こちらを見るんじや
ないという合図を送ってよこした。私は再び絵に視線を民した。
「どうもありがとうございました」私は椅子から起ち上がり免色にそう言った。「掛けられてい
る場所も言うことはありません」
免色はにこやかに首を振った。「いや、お礼を言わなくてはならないのはこちらの方です。こ
の場所に落ち着いたことで、ますますこの絵が気に入ってしまいました。この絵を見ていると、
何と言えばいいんだろう、まるで特殊な鏡の前に立っているような気がしてきます。その中には
私がいる。しかしそれは私自身ではない。私とは少し違った私白身です。じっと眺めていると、
次第に不思議な気持ちになってきます」
この項つづく
● スマホ連動のお掃除ロボット「Dyson 360 eye」
英Dyson社が15年末に発売したスマートフォン連動のお掃除ロボット「Dyson 360 eye」。外観の特
徴はシルバーの筐体とベルト駆動。他社のお掃除ロボットが車輪を用いているのに対して、360 eyeは
ベルト駆動式転輪を用い、段差を容易に乗り越える。筐体は一般的なお掃除ロボットより二回り小さ
い23センチメートル径。狭いエリアに入り込んみ掃除ができ、他社のロボット掃除機の4倍の吸引
力という圧倒的な能力を誇る。スマホから操作ができるだけでなく、本体掃除機のソフトウエア・ア
ップデートも自動でできるという利点も持つ。最大の特徴は、本体上部に備え付けられたカメラによ
る360度ビジョンシステム――1秒間に30枚の写真を撮影し、位置情報、マッピング処理が行われ、
パノラマビューが内部で構成される。さらに壁、段差などの室内の形状を計算し、効率よい掃除が行
なえる。ウエルカム!ガラパゴス日本へ。あんたは偉い!
昨季は新人ながら遊撃のレギュラーに定着。チームトップの打率.278、11盗塁を記録するなど、
プロとして上々のスタートを切る。中心選手の期待を受ける今季も、走攻守に安定感のあるプレーで
ナインを盛り立てる大活躍をみせている。超人的な頑張り屋の茂木選手、171センチ75キロ、名
前もサイズも、そしてそのマスクも、いかにも渋い存在の外見だが、立派に“怪物”と評される。こ
れからの活躍は?そんなことはどうでも良い。自分が納得できるような頑張りを続けている限り、何
所でも、誰でもヒーロー&ヒロイン、後は運次第、その意味において「存在は無なり」「人生は短し」
である。とわたし(たち)は考えている。
今朝、軽トラに乗って、佐々木浩さんが訪問。金沢の「白えびせんべい」も置いて帰える(少し、庭
木の剪定方法をご教授頂く)。曰く、頭が真っ白だねと、まるで村上春樹の小説に出てくる「免色」
のようにかて?、そりゃ、頭を使い過ぎて白くなったと、言い過ぎように応じる。夕方、せいべいの
お礼を電話を入れ、今度こられたら、将棋でも指して帰って下さいとお願いする。
レ