僖公33年:殽(こう)の戦い その1 / 晋・秦・楚鼎立の時代
※ 久しく続いた晋・秦問の友好関係にヒビのはいる原囚を作ったのは、またしても
鄭であった。城濮の戦い楚を敗り、践土の会において正式に諸侯の盟主すなわち
覇者となった晋の文公は、僖公30年(‐630)、秦の穆公と相携えて、反服常な
き鄭の都城を包囲した。燭之武という鄭の老臣は、鄭伯の命もだし難く、夜陰に
まぎれて城を脱けだし、秦の軍門に赴き、好条件を示して穆公を説得した。穆公
は悦んでただちに鄭と盟約を結び、大夫の杞子、逢孫、楊孫の三名を残して鄭を
守らしめ、自分は軍を率いてさっさと本国に引き上げてしまった。百の文公の側
近は、秦討つべしと主張したが、文公は固くとめた。かつて穆公から受けた恩義
を忘れなかったからである。しかし文公が死ぬと同時に、秦は大軍を起こして東
(ひがし)し、ここに殽(こう)の大戦となった。(殽はすなわち殽山、河南省
洛寧県の西北六十里)
天気予報より一日遅れ(晴天から下り)の9日(日)の仮眠をすこしとりミッドナイトドライブ。途中、
中央道(高速)のサービスエリアの3箇所でトイレと仮眠休憩で15分休憩し、午前6時、長坂インタ
ーを出て、長野県南佐久郡川上村秋山 の毛木平(もうきだいら)――県道28号、国道141号、県道68号
を経由して、川上村梓山の白木屋旅館の少し先を標識に沿って毛木平方向に入る。野菜畑に挟まれた道
路を直進し舗装道の先の砂利道を少し行った――毛木平駐車場に向かう。ところが、ナビと地図、方位
計のトライアングルだけではわからず地元住民に尋ねながら遅れ7時30分目的地に到着。天候は晴れ、
駐車場で登壇届けを記入投函し登頂――毛木平→大山?神社→慰霊碑→なめ滝0→千曲川・信濃川水源地
標→2,353メートル地点→甲武信ヶ岳山頂→※下山を開始。
登山口から渓流(千曲川源流の詳細は後述)と併走し登るのは滋賀の綿向山に似ていると思いながら、
メジロ、ヤマシギ、ウグイスなどの野鳥の鳴き声を確認し、しばらくすると登山靴の左後部アンダーソ
イルが剥離、右中央部アンダーソイルが脱離していることに気づき、右足のソイルはレジ袋をロープ状
に裁断し括りつけ応急処置し登山を続行。コナラ、コメツガなどの樹木が鬱そうとした遊歩道あるいは、
登山道を唯々渓流と併走し水源地標にたどり、正午少し過ぎた頃、そのまま樹林帯を向け山頂に着き、
昨夜から家で冷凍した緑茶を飲み、コンビニのおにぎりで昼食をとる。
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)は、山梨県・埼玉県・長野県の3県の境にある標高2,475mの山で、奥秩父
山塊の主脈の中央に位置する。甲武信岳(こぶしだけ)とも呼ぶ。甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、
信州(長野県)の境にあるのでこの名になっているとされる説が有名だが、山容が拳のように見えるか
らという。千曲川(新潟県に入ると信濃川)、荒川、笛吹川(釜無川と合流し富士川となる)の水源の
地。頂上に三角点はない。また、すぐ隣の三宝山のほうが標高が僅かに高いが、日本百名山の一つで、
また、その名前のとおり甲斐・武蔵・信濃の三国にまたがり、三つの大河(千曲川・荒川・富士川)の
源流が湧き出す山である。私達川上村側では、日本一の大河千曲川の源流をかかえ、水源地をなどりな
がらの登山として人気があり、また呼び名も、川上村(長野県南佐久郡)では「こぶしだけ」と呼ばれ
る。尚、松平定能篇輯の『甲斐国志』はこの山のことを奥仙丈山と記載、拳岳と表記する文献もある。
奥秩父連峰を代表する山で、金峰山とともに人気が高い。甲武信ヶ岳へ登るには千曲川の源流をたどる
のが一番楽である。毛木平からは奥秩父らしい登山道をたどることができる。
三宝山や木賊山の重厚な山に挟まれ外観は地味な山容だが、深田久弥をして「奥秩父のヘソ」と言わし
めているように、山頂からは西に国師ヶ岳から金峰山のスカイラインが、南には富士山が、北には三宝
山が広がる大パノラマが満喫できる。甲武信ヶ岳に源を発する荒川、笛吹川(富士川)、千曲川(信濃
川)の源流域に位置する埼玉県秩父市、山梨県山梨市、長野県川上村は、「いのちの水」を育む地域と
して流域の人々の暮らしを支えてきたが、近年源流の森は山の担い手不足や鳥獣害などのために荒廃し
つつあり、源流の森が生み出す緑や清流を守ることができないと危惧されている(「甲武信源流サミッ
ト」)。
❏ 千曲川源流をさかのぼって三大河の分水嶺へ
✔ 長野県川上村の毛木平からのルート選択
甲武信岳登山ルートは大きく3つに分かれる、✪1つは今回選択した――長野県側の毛木平にトイレの
ある整備された登山者向けの無料駐車場がある。小海線信濃川上駅からバスも出ている。毛木平から千
曲川源流遊歩道を通って甲武信ヶ岳までピストンするのが最短の日帰りコースで――登山道は奥秩父主
脈縦走路と、十文字峠からの県界尾根から山頂に至ることが出来、山頂からは西に国師ヶ岳から金峰山
のスカイラインが、南には富士山が、北には三宝山が広がる大パノラマが満喫できる――早朝から登れ
ば日帰りが可能なルート。尚、下山路としては北へ延びる山稜をたどって十文字峠から栃本へ下って行
くか、南へ戸渡尾根を下って広瀬へ出る方法がある。あるいは山稜を西へ歩き、大弛小屋に泊まり、国
師ヶ岳金峰山を踏んでから金山平へ下るのも試みたいが、ロングコースも選択でき、甲武信ヶ岳からの
富士山の展望は定評のある風景として知られ、コースタイムは信濃川上駅から梓山、毛木平を経て甲武
信小屋に泊まり、戸渡尾根、広瀬まで約11時間のコース。✪2つめは山梨県山梨市方面――西沢渓谷
入口から徳ちゃん新道(戸渡尾根)を通って登る、長野県側から登るよりも、東京からのアクセスは良
いものの、登りに6時間もかかり、日帰りは厳しい。西沢渓谷入口までは中央本線塩山駅からバスが出
ている登山道中はほとんど樹林帯で展望の良い場所は少ないが、シャクナゲが多く自生――から登頂を
目指す「奥秩父のへそに登る」1泊2日ルート。✪3つめは、埼玉県秩父市方面からから雁坂峠(かり
さかとうげ)登山口からの「展望と原生林。県内最奥・最高点をめぐる山旅」――川又バス停・雁坂峠
登山口・雁道場・突出峠・地蔵岩分岐・雁坂小屋・雁坂峠・雁坂嶺・西破風山・木賊山分岐・甲武信ヶ
岳・三宝山・大山・十文字小屋・四里観音避難小屋・三里観音・白泰山避難小屋・一里観音・車道・栃
本関所跡バス停 の2泊3日コースがある。
❏ 千曲川源流小考
千曲川・信濃川の源流は甲武信岳である。名前の通り甲州(甲斐国の別称)、武州(武蔵国)、信州(」
信州国)で山梨県と埼玉県と長野県の三県にまたがる山。標高が2,475メートルあるこの山から流れ出る。
ちょうど長野県の一番東の縁にあたり、この山の周辺は金峰山もあるがすべて花崗岩で形成されている。
深成岩の花崗岩は甲府盆地の北の方に広く分布し、いわゆる昇仙峡(名勝)がある。つまり、花崗岩は
深成岩で地下の深いところ5キロよりも深いところでできた岩石で、それが現在地表に隆起――非常に
隆起量の大きいことを地質学的には物語る。甲武信岳から流れだした川が千曲川。それから槍ヶ岳
から流れだした梓川、南から流れた奈良井川、これらがいっしょになって犀川となって長野で
合流しこれが千曲川、信濃川として形成されてきたが、千曲川になった歴史的な背景があり今日に至
る。
このように、源流域の川上村〜佐久市〜上田市にかけては、千曲川構造線に沿うようにして北西に流下し
千曲市付近で北東方向に約90°方向を変え長野市からは、信濃川断層帯を北東に延長した断層帯域の地
質的に弱い所を浸食し流下し日本海へと向かう。 河床勾配の変化を見ると、上流部の佐久地域で 7.3%
上田地域で、5.5%である。しかし、長野市周辺では、0.93%となるが、西大滝ダム付近を変化点として
は再び河床勾配は急になり、長野新潟県境付近から下流の十日町付近までは、3.5%の勾配に変化する。
この勾配変化の原因は第四紀後期完新世の隆起活動と隆起に伴い形成された断層による物で、隆起とし
ては中野市から飯山市付近の高丘丘陵などが影響を与えて、断層としては立ヶ花付近には長野盆地西縁
断層のひとつ長丘断層が河を横切る。
● 秩父地域からみた地質学的特徴
奥秩父山地、上武山地、外秩父山地および秩父凹地帯とに区分されます。奥秩父山地は、2千メートル
級の峰が連なり、地形的に一般的に急峻で、突出し峰と狭い谷が特徴。上武山地と外秩父山地は千メー
トル級以下の低山で、なだらかな山の中腹まで耕され集落形成している。秩父凹地帯は、秩父盆地を中
心としてそこから北西へ伸びる山中地溝帯や南東へ伸びる谷から構成され、奥秩父山地と上武・外秩父
両山地を分ける谷を形成する。また、秩父盆地には新第三系の彦久保層群、小鹿野町層群、秩父町層群、
横瀬町層群が分布しています。約1,700万年前~1,400万年前の海底に積もったもので、地殻変動にとも
なう多様な堆積構造や、パレオパラドキシア、チチブクジラ、チチブサワラなど、多彩な化石群集を保
存、秩父盆地の荒川沿いなどには、高位(多摩期)・中位(下末吉期)・低位(武蔵野期~立川期以降)
に大きく3区分される河岸段丘堆積物が見られます。これらの第四紀堆積物は、かつての荒川などが氾
濫して堆積した礫層とその上位に重なるローム層などで構成される。
造山運動と浸食が同時に進行しつつある秩父山地の地形はおおむね急峻である。奥秩父の尾根道は、両
神山一帯をのぞいて比較的たおやかに登降するが、渓谷は深く切れ込んだV字谷をなしており、随所に
滝やゴルジュを構えて、遡行者を魅了する。集落周辺の森林は、ヒノキ・スギの植林地やコナラ・クリ・
ヤマザクラなどを中心とする雑木林がほとんどである。奥秩父の標高700mから1600メートル内外までは、
植生区分上、山地帯と呼ばれ、尾根近くには、ヒノキ・ツガ・オノオレカンバなどが生育している。中
腹の斜面にはブナ・イヌブナ・ミズナラ・各種カエデ類が多く、秋の紅葉はみごとである。また沢筋で
はシオジ・トチ・サワグルミ・カツラなどが渓畔林を形づくる。霧藻ヶ峰(旧名蛭ヶ岳・黒岩山)、両神
山、白泰山の一部に残されている天然林はおおむね山地帯に属す。標高1600メートル内外より上は亜高
山帯となり、山地帯上部から見られるネズコ・キタゴヨウに加え、コメツガ・シラビソなどの針葉樹林
におおわれる。甲武信岳や三宝山の山頂部など、森林限界をわずかに超えて灌木帯となるが、大きな展
望が開ける場所はごく一部にかぎられ、奥秩父の縦走路は、ほとんどがこのような針葉樹林帯を行く。
甲武信ヶ岳付近の大滝層群中には新第三紀(約1,100万年前)に閃緑岩類が貫入し、周辺の堆積岩類をホ
ルンフェルス化し、中津川流域では、約500万年前に石英閃緑岩マグマが貫入し、石灰岩等と反応して接
触交代鉱床を形成、さらに熱水鉱床も形成する。鉱物資源的側面からは、古く江戸時代の初期に武田氏
により金が探索されたと伝えられる秩父鉱山があり、金・銀・銅・鉛・亜鉛・鉄などの金属鉱石を産出
し、昭和期には日本有数の鉄鉱山として知られていました。しかし、1998年代の後半になると、非金属
の結晶質石灰岩(大理石)採掘だけとなる。
姫イワカガミ
出典:環境省 秩父多摩甲斐国立公園 フォトアルバム
● アウトーソールが剥離・脱離問題
登山靴の整備不良が露呈する。まったくの死角だった。メーカはフィラ社製で修理不可と判断。モンベ
ル社製を購入する。
車中泊も想定し寝袋を搭載。初めての経験で、5分、10分の熟睡方法の開発を痛感する。 眠たくなれ
ば躊躇なく、サービスエリアでなどで休憩・仮眠する。このときアイマスクで光りを必ず遮断する。上図
の2つのアイテムは必須(上図ダブクリ参照)。帰路途中に眠気が襲い、養老インター過ぎたところで
、追い越し車線の車のクラクションで注意喚起されるトラブル発生?追い越しざまに運転手に感謝のサ
インを送る。
● 虫除けスプレー実効性の問題
アース製薬社のサラテクトスプレーを持参したものの、ブユ(ブヨ)はひつこく、首筋、まなじり、口元に飛び込んで
離れようとしない。スプレータイプは被覆があらく、口、鼻、目に吸引/付着し効果が薄く、危険せあることを体験。
従って、次回から、ミストタイプで「医薬品 サラテクトミスト リッチリッチ」を購入持参することにする。
※ 目や口の周囲、粘膜や傷口など肌の弱い部分には使用しないこと。誤ってかかった場合は、直ちに水でよく
洗うこと。
● 目的地へのアプローチロス問題
これは、当日までに頭にアプローチ・マップをたたみ込むしかない。勿論、GPSつき携帯電話、ナビ
地図は携帯必須アイテム。今回は1時間ロスしたが良い経験となった。そのひとつが、川上村がなんで
あるか学習できたことにある。マップを頼りに住民に道を訪ねるうち、この集落は活気がある(村人ひ
とりひとりにそれを感る)。それもそのはず、長野県特有の西欧風の新築住宅が多く、新品のトラクタ
ー、耕耘機が行き交う風景を目のあたりにするが、高原野菜――例えばレタス、発芽と生育の適温は15
~20℃で、高温と長日で花芽分化するため、低標高地の早期播種は避け、根が浅いことから有機質に富
み通気性、排水性、保水性に優れた土地が適し、酸性土壌に弱いためpHの矯正は十分行い、作型にあわ
せて品種を選び、連作を避け3年以上の輪作を行いつつ、高畝にして排水をよくしマルチ栽培を行い、
ネキリムシ類土を掘り捕殺するなどの対策に適した環境――の産地であることすぐに気づく(下図)。
ここではこのことだけ掲載する、これからの日本農業政策についても考えることがあった。実に愉快な
体験をする。
次峰の焼岳は、乗鞍火山帯で唯一の活火山として知られている。何よりも場所がいい。釜トンネルを抜
けてさあいよいよ山だ、と沸き立つ視野に初めに飛び込んでくるのが荒々しい焼岳の下堀沢。大正池に
影を落とす姿も、数少なくなった枯れ木と調和しているし、田代池、穂高橋、河童橋と、上高地の要所
で必ず姿を見せ、山頂からわずかに白い蒸気を見せる鐘状トロイデ。8月上旬に予定。