吾が家はまだワイヤード
僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代 ※ 論功行賞:城凛の戦いのさなか、晋の中軍は谷合いで突風に吹きまくられ、大将の 大旗と左側の旗印を吹き飛ばされた。旗手であった祁瞞が車令にもとづいて死刑を...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その1 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 久しく続いた晋・秦問の友好関係にヒビのはいる原囚を作ったのは、またしても 鄭であった。城濮の戦い楚を敗り、践土の会において正式に諸侯の盟主すなわち...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その1 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 秦軍、鄭を目指す:三二年冬、晋の文公が亡くなった。翌日、文公の遺体は、祖廟 に安置するため、晋都の絳から曲沃へ移されることになった。その一行が晋都を出...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その2 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 晋の文公の没後、その子の襄公が即位したが、かれもまた文公に劣らず、才略に富 んだ君主であった。殽(こう)の戦いに秦を敗ったのを手初めに、北は秋、南は楚、...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その2 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 鄭の商人弦高(げんこう)母国を救う:秦軍は滑(小国の名)に到着した。たまたま 鄭の商人で弦高という男が、周へ商売に出掛ける途中、ここで秦軍に出会った。かれ...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その2 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 一日敵を縦(ゆる)せば数世の患いなり:そのころ晋では、原軫(げんしん=先軫、中 京の将)が欒枝(らんし:下軍の将)を説いていた。「秦は、蹇叔の意見にもかかわ...
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僖公33年:殽(こう)の戦い その2 / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 女の一言: さて、文公の夫人文嬴(ぶんえい)は、里方が秦であったので、秦の三人の 武将の釈放を襄公に頼んだ。「この三人は、両国を仲たがいさせた張本人です。秦君も、...
View Article美諡、霊諡はまだ早い
文公元年:楚の太子商臣、成王を弑(しい)す / 晋・秦・楚鼎立の時代 ※ 楚の成王は在位四十六年の間に、南方諸国を従え、晋と南北に対峙して譲らなかった。この 英主も、晩年おきまりの相続問題で、息子の太子商臣(しょうしん:穆圧)に殺されてしま...
View Article疲れているだけではいかない。
文公14元年:(‐613)~宣公18年(- 591)/ 楚の荘王制覇の時代 ※ 晋の襄公のあとを継いだ霊公( -620~ -607)は、年なお幼かったため、大夫 趙盾(ちょうとん)が摂政となり、よく内外を治めて、諸侯の盟主たる面目を...
View Articleそれでも着実な未来
文公14元年:(‐613)~宣公18年(- 591)/ 楚の荘王制覇の時代 ※ 誰が霊公を殺したか:秋九月、霊公は武装具を伏せておき、酒宴にことよせて怨府 を招いた。やはり殺す算段である。趙盾の車右の提弥明か寸前にこの陰謀を見抜い...
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宣公十年(- 509) 誰が生ませた / 楚の荘王制覇の時代 ※ 夏徴舒は大夫御叔と夏姫の間に生まれた子、若年ながらすでに大夫の職を襲いで いた。【経】(五月)癸巳、陳の夏徴舒、その君半国(霊公)を弑す。...
View Articleエネルギータイリング(Ⅰ)了。
宣公11年(- 508) 楚の荘王、夏徴舒を討つ / 楚の荘王制覇の時代 ※ 【経】冬十月、楚人、陳の夏徴舒を殺す。丁亥、楚子、陳に入る。 公孫寧・儀行父を陣に納(い)る。陳の国で大夫の夏微舒が君主の霊公を殺した。...
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宣公11年(- 508) 楚の荘王、夏徴舒を討つ / 楚の荘王制覇の時代 ※ 巫臣のたくらみ:成公二年(-589)夏姫は男たちを翻弄しただけではない。国政、...
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宣公11年(- 508) 楚の荘王、夏徴舒を討つ / 楚の荘王制覇の時代 ※ 巫臣のたくらみ:成公2年(-589)夏姫は男たちを翻弄しただけではない。国政、...
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成公七年(- 584) 呉の台頭 / 楚の荘王制覇の時代 ※ 楚の荘王が周の王室に伝わる鼎の軽重を問うだのが宣公三年(-606)であった。南...
View ArticleZW倶楽部との提携 Ⅲ
宣公十二年(- 597) 邲(ひつ)の戦い / 楚の荘王制覇の時代 ※ 邲の戦いは楚の荘王の覇業を決定的にした重要な戦いである。この戦いも鄭の争 奪に端を発した。 宣公十一年、楚は鄭・陳と辰陵に盟ったが、その後、鄭がふたたび...
View Article虎パンダとカホコ
宣公十二年(- 597) 邲(ひつ)の戦い / 楚の荘王制覇の時代 ♞ 舟中の指、掬(きく)すべし ※ 晋軍の方では、魏錡(ぎき)、趙旃(ちょうせん)の二人が一晩帰らなかったので、...
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宣公十二年(- 597) 邲(ひつ)の戦い / 楚の荘王制覇の時代 ♞ 晋軍敗走す ※ 楚の荘王は、二人の大夫唐狡および蔡鳩居を使者として唐(楚の属国)の恵俣に...
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