宣公11年(- 508) 楚の荘王、夏徴舒を討つ / 楚の荘王制覇の時代
※ 巫臣のたくらみ:成公2年(-589)夏姫は男たちを翻弄しただけではない。国政、
また国際政冶にも、その影響は及ぶのだ。申公巫臣(屈巫)という機略縦横の男
が、その媒介となる。話はまず、九年前の宣公11年、すなわち前回の事件とが
らんではじまる。
※ そこで荘王は、夏姫を連尹(官名)の襄老に妻としてあたえた。だが、間もなく、
楚は審と邲で戦い`襄老は戦死した。そして、襄老の遺体は、晋の軍勢に奪い去
られたのである。夫の死後、夏姫は継子の黒要と通じた。
巫臣は人を介して夏姫に、「鄭(夏姫の生国)に帰りなさい。正式の手続きをふ
んで、妻として迎えに行きます」と伝える一方、鄭に手をまわし、夏姫のもとへ、
「襄老の遺体がとどくから、まちがいなく引き取りに来るように」
と申し入れさせた。
夏姫がこの知らせを荘王に告げると、荘王は巫臣の意見を求めた。すると、巫臣
は何食わぬ顔でこう言った。
「たしかにありそうなことです。
と申しますのは、襄老を討ちとった荀首、この男は晋の或公の寵臣であり、中行
伯(晋の大夫萄林父、桓子)の末弟に当たります。最近、中軍の副将となりまし
た。また、かれは鄭の皇戌とも昵懇の間柄です。
ところが、この荀首の最愛の息予知罃が、いまわが国の捕虜となっているのです。
そこで、荀首はこういった自分の地位を利用して、鄭に仲介の労をとらせ、わが
国と取り引きしようというのではいでしょうか。襄老の遺体ならびに穀臣さま(
楚の公子、晋の捕挑となっていた)とをこちらに返し、それとひきかえにわが国
に対し息子知罃の返還を求めようとする考えかと存じます。鄭にしてみれば、邨
の戦いを見て晋に恐れをなし、何とかとり入ろうとしているところです。進んでこ
の役を引き受けたのにちがいありません」
そこで、荘王は夏姫を鄭に帰らせた。夏姫は見送りの人々に、「夫の遺骸を受け
取れなかったら、絶対に帰りません」
と言って出発した。
こうして準備万端をととのえると、巫臣は夏姫を妻として迎えたい旨、鄭に申し
入れ、襄公(夏姫の異母兄にあたる)の承諾を得た。
やがて、楚では荘王が没し、跡を襲いで共王が即位した。そしてその年の冬、共
王は魯を討とうとした。陽橋の役がこれである。戦いを始める前、共王は巫臣を
斉に使者としておくることにした。出陣の期日を通告することもその任務に含ま
れていた。巫臣は、家財一切をとりまとめ、引っ越し仕度で楚を立ち去った。
おりから、申叙時の子、申叙跪は、父の供をして郢(楚の都)に赴く途中、巫臣
の一行と出会った。
申叙跪は巫臣をからかってこう言った。
「戦もさることながら、どなたかと待ち合わせが心がかりのご様子ですな。さて
は、どこかの奥さまなと駈け落ちですか」
巫臣は郎に到着すると、楚への贈物を副使に持たせて楚に帰した。自分は夏姫を
つれて斉に出奔するつもりだったのである。だが、ちょうどそのころ、斉敗戦の
報が伝わった。それを聞くと巫臣は、敗戦国などまっぴらと、行く先を晋に変更
し、晋の大夫郤至に頼み刑邑の代官の位を世話してもらった。
巫臣が晋に行くと問いて、楚の子反は、賄賂を十分にきかせて巫臣の仕官を妨げ
るよう、共王に進言した。
しかし、共王はさすがに賢明であった。
「よしたがいい。あの男は自分のことでは過ちを犯したが、わが父君には立註記
忠義を果たしたといえる。忠義あってこそ国家が存立し得るのだ。かれのつくし
た忠義は、過ちを袖って余りある。
それに晋としても、自国の利益になると見れば、どんなに賄賂を使ったところで
こちらの言いなりにはなるまい。また、利益なしと見れば、だまっていても登用
はしないだろう。どちらにしても、わざわざこちらから手をまわすことはない」
了
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第44章 人がその人であることの特徴みたいなもの
まりえはその日、まったく口をきかなかった。いつもの簡素な食堂椅子に座って、モデルの彼
を務めながら、遠くの風景でも眺めるみたいに、ただまっすぐ私を見ていた。食堂椅子はスツー
ルよりも低かったので、彼女は私を少し見上げるような格好になった。私もとくに彼女に話しか
けなかった。何を話せばいいのか思いつけなかったし、とくに何かを話す必要も感じなかったか
らだ。だから私は無言のまま、キャンバスの上に絵筆を走らせていた。
私はもちろん秋川まりえの姿を描こうとしていたわけだが、同時にそこには私の死んだ妹(コ
ミ)と、かつての妻(ユズ)の姿が混じり込んでいるようだった。意図してそうしたのではない。
ただ自然に混じり込んでしまうのだ。私は人生の途上で自分か失ってしまった大切な女性たちの
像を、秋川まりえという少女の内側に求めていたのかもしれない。それが健全なおこないなのか
どうか、自分ではわからない。しかし私には今のところ、そのような絵の描き方しかできなかっ
た。いや、今のところというのでもない。考えてみれば私はそもそもの最初から、多かれ少なか
れそういう絵の描き方をしてきたような気がする。現実に求めて得られないものを絵の中に現出
させること。他人には見えないように、私白身の秘密の信号をその奥にこっそり描き込むこと。
耳の解放について
いずれにせよ私はキャンバスに向かって、ほとんど進うことなく秋川まりえの肖像を描き進め
ていった。結は着実に一歩一歩完成へと向かっていた。川が地形のためにときおり回り道をし、
またところどころで停滞し詫みながらも、結局は水かさを増しつつ河口へ、そして海へと着実に
流れていくように。私はその動きを、まるで血液の流れのようにはっきり体内に感じとることが
できた。
「あとでここに遊びに来てもかまわない」とまりえは最後に近くなって、小さな声で私にこっそ
り言った。語尾は断定的に響いたが、それは明らかに質問だった。あとでここに遊びに来てもか
まわないかと、彼女は私に尋ねているのだ。
「遊びに来るって、あの秘密の通路を通って?」
「そう」
「かまわないけど、何時頃に?」
「何時かはまだわからない」
「暗くなってからはあまり来ない方がいいと思うな。夜の山の中は何かあるかわからないから」
と私は言った。
このあたりの問の中には、いろんなわけのわからないものが潜んでいる。騎士団長や「顔な
が」や「白いスバル・フオレスターの男」や雨田典彦の生き霊なんかが。そしておそらくは私白
身の性的な分身である夢魔さえ。この私だって場合によっては、夜の問の中の不吉な何かになり
得るのだ。そう考えると微かな寒気を感じずにはいられなかった。
「できるだけ明るいうちに来る」とまりえは言った。「先生に話したいことがあるの。二人きり
で」
「いいよ。持っている」
やがて正午のチャイムが鳴り、私は緒を描く作業をそこで切り上げた。
秋川笙子はいつもの上うにソファに腰掛けて、熱心に本を読んでいた。分厚い文庫本はそろそ
ろ終わりに近づいている上うだった。彼女は眼鏡をはずし、業をはさんで本を閉じ、顔を上げて
私を見た。
「作業は進行しています。あと一度か二度まりえさんにここに来ていただければ、緒は完成しそ
うです」と私は彼女に言った。「時間をとらせてしまって、申し訳なく思っています」
秋川笙子は微笑んだ。とても感じの良い微笑みだった。「いいえ、そんなことは気になさらな
いでください。まりちゃんは緒のモデルになることを楽しんでいるみたいですし、私も絵が完成
するのを楽しみにしています。それにこのソファは本を読むにはとても良いんです。だからこう
して持っていてもちっとも退屈しません。私にとっても、家からしばらく外に出られるのは気分
転換になっていいんです」
私は先週の日曜日に、彼女がまりえと一緒に免色の家を訪れたときの印象を尋ねたかった。そ
の立派な屋敷を目にしてどんな感想を抱いたか。免色という人間についてどの上うな印象を抱い
たか。しかし彼女の方からその話題を持ち出さない以上、私がその上うな質問をするのは礼儀に
反したことのようにも思えた。
秋川笙子はその日もやはりずいぶん気を配った服装をしていた。一般の人が日曜日の朝に近所
の家を訪問するような格好ではまったくない。皺ひとつないキャメルのスカート、大きなリボン
のついた上品な白い絹のブラウス、淡い青灰色のジャケットの襟には、宝石をあしらった金のピ
ンがとめられていた。その宝石は本物のダイアモンドであるように私には見えた。トヨタ・プリ
ウスのハンドルを握るにはいささかファッショナブルに過ぎるような気もする。しかしもちろん
それは余計なお世話だった。そしてトヨタの広報担当者は私とはまったく違う意見を持つかもし
れない。
秋川まりえはいつもどおりの服装だった。お馴染みのスタジアム・ジャンパーに、穴のあいた
ブルージーンズ、そしていつも履いている靴より更に汚れた白いスニーカー(腫の部分がほとん
ど潰れている)。
帰り際に玄関のところで、まりえは叔母にわからないように私にこっそり目配せをした。それ
は「またあとでね」という二人だけのあいだの秘密のメッセージだった。私は小さく微笑んでそ
れにこたえた。
秋川まりえと秋川笙子を見送ったあと、私は居間に戻ってソファの上でしばらく昼寝をした。
食欲はなかったので、昼食は抜かした。三十分ほどの深く簡潔な眠りで、夢は見なかった。それ
は私にとってはありかたいことだった。夢の中で自分が何をするかわからないというのは、少な
からず恐ろしいことだったし、夢の中で自分が何になるかわからないというのは、もっと恐ろし
いことだった。
私は日曜日の午後を、その日の天気と同じようなくすんだ、とりとめのない気持ちで送った。
薄曇りの静かな一日で、風もなかった。少し本を読み、少し音楽を聴き、少し料理をしたが、何
をしてもうまく気持ちをひとつにまとめることができなかった。すべてが中途半端なまま終わっ
てしまいそうな午後だった。しかたないので風呂を彿かし、長いおいた場の中につかっていた。
そしてドストエフスキーの『悪霊』の登場人物の長い名前を一人ひとり思い出していった。キリ
ーロフを含めて七人まで思い出すことができた。なぜかはわからないが高校生の頃から、ロシア
の古い長編小説の、登場人物の名前を暗記するのが得意だった。そろそろもう一度『悪霊』を読
み返してもいいかもしれない。私は自由で、時間を持てあましていて、他にとくにするべきこと
もないのだから。ロシアの古い長編小説を読かには絶好の環境だ。
それからまたユズのことを考えた。妊娠七ケ月といえば、お腹の膨らみが少しは目につくよう
になっている時期だろう。私は彼女のそんな姿を想像してみた。ユズは今、何をしているのだろ
う? どんなことを考えているのだろう? 彼女は幸福なのだろうか? もちろんそんなことは
私にはわかりっこない。
雨田政彦の言うとおりかもしれない。私はたぶん十九世紀のロシアの知識人みたいに、自分が
自由な人間であることを証明するために、何か馬鹿げたことをやってみるべきなのかもしれない。
でもたとえばどんなことを? たとえば……暗い深い穴の底に一時間閉じ龍もるとか。そこで私
ははっと思い当たった。それを実際にやっているのは、まさに免色ではないか。彼がおこなって
いる一連の行為は、あるいは馬鹿げたことではないかもしれない。しかしどう見ても、ごく控え
めに言っても、いささか常軌を逸していた。
秋川まりえがうちにやってきたのは、午後四時過ぎだった。玄関のベルが鳴り、ドアを開ける
とそこにまりえが立っていた。ドアの隙間に身体を滑り込ませるようにして、彼女は常連くする
りと中に入ってきた。まるで雲の切れ端みたいに。そして用心深くあたりを見回した。
「誰もいない」
「誰もいないよ」と私は言った。
「きのうは誰かがきていた」
それは質問だった。「ああ、友だちが泊まりにきていたんだ」と私は言った。
「男の友だち」
「そうだよ。男の友だちだ。でも誰かが来たことをどうして知っているの?」
「見たことのない黒い車が家の前にとまっていたから。四角い箱みたいなかたちをした古い車」
雨田が「スウェーデンの弁当箱」と呼んでいる古いボルボのワゴン。トナカイの死体を運ぶの
には便利そうな車だ。
「君はきのうちここに遊びに来たんだ」
まりえは黙って肯いた。あるいは彼女は暇があれば、「秘密の通路」を抜けて、この家の様子
を見に来ているのかもしれない。というか、私がここに来る前からずっと、このあたりは彼女の
遊び場だったのだ。猟場と言ってもいいかもしれない。そこにたまたま私が越してきたというだ
けのことなのだ。とすれば、彼女はここに往んでいた雨田典彦と接触したこともあったのだろう
か? いつかそのことを訊いてみなくてはならない。
私はまりえを居間に連れて行った。そして彼女はソファに、私は安楽椅子に腰を下ろした。何
かを飲むかと私は尋ね、いらないと彼女は言った。
「大学時代の友だちが泊まりに来ていたんだ」と私は言った。
「仲の良い友だち?」
「そう思う」と私は言った。「ぼくにとっては、友だちと呼べるただ一人の相手かもしれない」
彼の紹介した同僚が私の妻と寝ていても、彼がその事実を知りながら私に教えずにいたとして
も、それが原因となってつい最近離婚が正式に成立していても、そのことが二人の問係にとくに
影を落とさない程度には仲が良い。友だちと呼んでも、真実を侮辱することにはならないだろう。
「君には仲の良い友だちはいる?」と私は尋ねた。
まりえはその質問には答えなかった。眉ひとつ動かさず、何も聞こえなかったような顔をして
いた。たぶんそんな質問はするべきではなかったのだろう。
「メンシキさんは、先生にとって仲の良い友だちではない」とまりえは私に言った。疑問符こそ
ついていなかったが、それは純粋な質問だった。免色は私にとっての良き友人ではないというこ
となのか? 彼女はそのように尋ねているのだ。
私は言った。「この前も言ったように、ぼくは免色さんという人のことを、友だちと呼べるほ
どはよく知らないんだ。免色さんと話をするようになったのはここに越して来てからだし、ぼく
がここに住むようになってまだ半年にしかならない。人と人とが良い友だちになるには、それな
りに時間がかかる。もちろん免色さんはなかなか興味深い人だとは思うけど」
「興味深い」
「どういえばいいんだろう。パーソナリティーが普通の人とは少し違っているような気がする。
少しというか、かなり違っているかもしれない。そんなに簡単に理解できる人じゃない」
「パーソナリティー」
「つまり人がその人であることの特徴みたいなものだよ」
まりえはしばらくじっと私の目を見ていた。これから口にするべき言葉を慎重に選んでいるみ
たいに。
「あの人の家のテラスからは、わたしの往んでいるうちがまっ正面に見える」
私は一瞬間を置いてから返事をした。「そうだね。たしかに地形的にちょうど真向かいにあた
るから。でも彼の家からは、ぼくの往んでいるこのうちだって同じくらいよく見えるよ。君の家
だけじゃなく」
「でもあの人はわたしのうちを見ていると思う」
「見ているというと?」
「人目につかないようにカバーを被せてあったけど、あのうちのテラスに大きな双眼鏡のような
ものが置いてあった。三脚みたいなのもついていた。それをつかうと、きっとうちの様子をくわ
しくのぞくことができる」
この少女はそれを見つけたのだ、と私は思った。注意深く、観察力が鋭い。大事なことは見逃
さない。
「つまり、免色さんがその双眼鏡を使って、君のうちを観察しているということ?」
まりえは簡潔に肯いた。
私は大きく息を吸い込み、それを吐いた。そして言った。「でもそれは君の推測に過ぎないん
じやないかな。高性能の双眼鏡がテラスに置いてあるというだけで、君の家を彼がのぞいている
ということにはならないだろう。あるいは星か月を見ているのかもしれない」
まりえの視線は揺らがなかった。彼女は言った。「わたしにはいつも自分か見られているとい
うカンショクがあった。しばらく前から。でもどこから誰が見ているのか、そこまではわからな
かった。でも今ではわかる。見ているのはきっとあの人たった」
私はもう一度ゆっくり呼吸をした。まりえが推測していることは正しい。秋川まりえの家を日々、
高性能の軍事用双眼鏡で観察していたのは間違いなく免色だ。しかし私の知る限り――免色を弁
護するわけではないけれど――彼は悪しき意図を持って覗き見をしていたわけではない。
彼はその少女をただ眺めていたかったのだ。自分の実の娘であるかもしれない、その美しい十三
歳の少女の姿を。そのために、おそらくはただそのためだけに、彼は谷をはさんだ真向かいにあ
るその大きな屋敷を手に入れたのだ。かなり強引な手を用いて、前に往んでいた家族を追い出す
ようにして。しかしそんな事情を、私がここでまりえに打ち明けるわけにはいかない。
「もし君の言うとおりだとして」と私は言った。「彼はいったい何を目的として、君の家をそん
なに熱心に観察しているのだろう?」
「わからない。ひょっとして、うちの叔母さんに関心があったのかもしれない」
「君の叔母さんに関心があった?」
彼女は小さく肩をすくめた。
自分自身が覗き見の対象になっているかもしれないという疑いを、まりえはまったく抱いてい
ないようだ。白分か男たちの性的な興味の対象になり得るという発想が、その少女にはまだない
のかもしれない。少し不思議な気がしたが、私は彼女のその推測をあえて否定しなかった。彼女
がそう思っているのだとしたら、そのままにしておいた方がいいかもしれない。
「メンシキさんは、なにかをかくしていると思う」とまりえは言った。
「たとえばどんなものを?」
彼女はそれには答えなかった。そのかわりに大事な情報を差し出すように言った。
「うちの叔母さんは今週になって、もう二度メンシキさんとデートをした」
「デートをした?」
「彼女はメンシキさんの家をたずねたと思う」
「一人で彼の家に行ったということ?」
「昼過ぎに車に乗って一人で外出して、夕方おそくまで戻ってこなかった」
「でも彼女が免色さんのうちに行っていたという確信はない」
まりえは言った。「でもわたしにはわかる」
「どんな風に?」
「彼女はふだんそういう外出はしない」とまりえは言った。「もちろん図書館のボランティアに
出かけたり、ちょっとした買いものに行くくらいのことはあるけど、そういうときにていねいに
シャワーを浴びたり、爪を整えたり、香水をつけたり、いちばんきれいな下着をえらんで身につ
けていったりすることはない」
「君はいろんなことをとてもよく観察しているんだな」と私は感心して言った。「でも君の叔母
さんが会っていたのは本当に免色さんだったんだろうか? 相手は免色さん以外の誰かだったと
いう可能性はないのかな?」
まりえは目を細めて私を見た。それから小さく首を振った。私はそこまで馬鹿じゃない、とい
う風に。いろんな状況からして、たぶんその相手は免色以外には考えられないのだ。そして秋川
まりえはもちろん馬鹿ではない。
「君の叔母さんは免色さんの家に行って、彼と二人きりで時間を過ごしている」
まりえは肯いた。
「そして二人は……どう言えば
いいのか、とても親密な関係になっている」
まりえはもうコ茂樹いた。そしてほんの僅かに顔を赤くした。「そう、とてもシンミツな関係に
なっているのだと思う」
「でも君は昼間は学校に行ってたんだろう。家にはいなかった。なのにどうしてそんなことがわ
かるんだ?」
「わたしにはわかる。女のひとの顔つきを見ていれば、それくらいのことはわかる」
でも私にはわからなかった、と私は思った。ユズが私と一緒に暮らしながら他の男と肉体関係
を持っていても、私は長いあいだそれに気がつかなかったのだ。今思い起こしてみれば、それく
らい思い当たってもよかったはずなのに。十三歳の女の子にもすぐにわかることが、どうして私
に感じ取れなかったのだろう?
「二人の関係は、ずいぶん発展が急速だったんだね」と私は言った。
こっちの叔母さんはものをちゃんと考えられる人だし、けっしておるかではない。だけど、心の
どこかに少しよわいところがある。そしてメンシキというひとには、普通とはちがう力がそなわ
っていると思う。うちの叔母さんとは比べものにならない強い力が」
そのとおりかもしれない。免色という人物には、確かに何かしら特別な力が具わっている。も
し彼が本気で何かを求め、それに沿って行動を起こそうと心を決めたら、普通の人間はおおかた
の場合それに抗することができないだろう。たぶん私をも含めて。一人の女性の肉体を手に入れ
るくらい、彼にとっては進作もないことかもしれない。
「そして君は心配しているんだね。君の叔母さんが免色さんに、何らかの目的のために利用され
ているのではないかと?」
まりえはまっすぐな黒い髪を手に取り、耳の後ろにまわした。小さな白い耳が露わになった。
素敵なかたちをした耳だった。そして彼女は肯いた。
「でもいったん前に進み始めた男女の関係を止めるのは、そう簡単なことじゃない」と私は言っ
た。
とても簡単ことじゃない、と私は自分に向かって言った。それはヒンドウー教徒の持ち出す
巨大な山車のように、いろんなものを宿命的に踏みつぷしながら、ただ前に進んでいくしかない。
それが後戻りすることはない。
「だからこうして先生に相談に来た」とまりえは言った。そして私の目をまっすぐのぞき込んだ。
それにしても「免色」とは面白い名前だ。生命体を超えた存在=イデア?ということなんだろうか?今夜は、こ
こで読み終える。
この項つづく
● 今夜の一曲
天候がもう一つ安定しない。しかし夏の暑さは記録を更新をつづけている。そんなことで昼は冷やし
素麺とフィシュフライサンド。途中、パクチーとイタリアンパセリを裏庭から摘み取り素麺にトッピ
ングするが、イタリアンパセリは合うが、パプチーは香り強すぎて合わない。セロリを細かく刻んで
好みで加えれば清涼感を引き立てつかもしれないなと思って食べ終えた。
ところで、今月21日(金)に圧倒的なヒット曲をつくった平尾昌晃(1937年12月24日 - 2017年7月
21日)が他界している(享年79)。化粧品業を営む平尾聚泉の孫。クラシックの作曲家・国立音楽
大学教授の平尾貴四男は伯父。小学3年生のとき、自宅に来ていた将校から貰ったジャズを聴き衝撃
を覚えている。また、20歳(1957年)に、ジャズ喫茶「テネシー」に出演していた際、ステージを
見た渡辺プロの渡辺美佐と映画監督井上梅次に見初められ、同年に公開された石原裕次郎主演の『嵐
を呼ぶ男』に出演。自身としても、翌年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デ
ビュー。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎(後にこの2人は渡辺プロに所属する)と「ロカビ
リー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博す。同年、キングレコー
ドからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」、翌年には「ミヨチャン」を発表し、2
曲共に100万枚を売り上げる大ヒットを記録。
ところが、1950年代後半、ロカビリー歌手として人気絶頂を迎え、その後、66年に作曲家として再ス
タートを果たし、1967年、布施明の「霧の摩周湖」と梓みちよの「渚のセニョリーナで日本レコード
大賞作曲賞を受賞したものの結核を患い、受賞の翌年入院。「僕はひとりじゃない。ロカビリーをや
って突っ走ってきたけど、いろんな人に支えられてきたんだ」って気づかされ、その後の音楽人生に
大きな影響をうける。そして、「僕は、絵も字も下手だから、せめてメロディーで絵を描くんだって
思っています。その人の姿やシーンが見えるようなね。だから、僕の年でも曲が書けるんじゃないか
な」とインタービュで語っている」(刊朝日 2012年4月27日号)。沢山の楽曲があるなかでどれか一
曲を選べと言われても難しいが時代共有ということであれば布施明が唄う『霧の摩周湖』になるかな。
有り難うございました。
合唱
Dec. 1, 1966