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水に始まり水に帰る

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           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  賢人晏嬰(あいえい):晏嬰すなわち晏子は、斉の大夫弱の子。孔子をして
        「晏平仲はよく人と交わる。久しくしてしかもこれを敬せり」(『論語』公
        冶長)と嘆ぜしめた賢者の、これは青年時代のエピソード。晏子(晏嬰、宇
        は平仲)は、荘公が殺されたと聞くと、崔杼(さいちょ)の屋敷に駆けつけ、
        門の開かれるのを待っていた。

        「斬死なさるおつもりですか」と、従者がたずねた。
        「死ぬ? わたしが特別に引き立てられていたわけではない。死になどする
        ものか」
        「では、ほかの国に亡命なさるのですか」
        「いや、罪を犯したわけではない。逃げたりするものか」
        「では、お屋敷にお帰りになったらいかがです」
        「主君が亡くなられたのだ。このまま帰るわけにはいかぬ。思うに、君主た
        る者は、人民を苦しめたりせず、国家を治めることにつとめるべきだ。臣下
        たる者は、禄のためではなく、国家の繁栄のためにつくすべきだ。だから、
        君主が国家のために一命をおとし、あるいは他国に亡命したのならば、われ
        われも行をともにしなければならない。しかし、君主が自分のために一命を
        おとし、あるいは亡命したのならば、特別な側近でもなければ、いちいち義
        理を立てることはないはずだ。まして、主君を
        殺しだのは、このわたしではなく、別の人間だ。死ぬの逃げるのとさわぐに
        はおよばない。そうかといってここに来ないわけにもいかないのだ」

        やがて門が聞かれた。晏子は中に入ると、荘公の遺体をひざに抱きよせ、号
        泣した。しばらくして立ち上り、三度、手足の動作で哀悼の意を哀して、屋
        敷をあとにした。
        「あの男は、いまのうちに殺しておくべきです」と、崔杼に進言する者があ
        った。しかし、崔杼は、「いや、あの男には人望がある。生かしておいて、
        利用した方がよい」と言って、晏子を殺そうとはしなかった。

   賢人晏嬰

 

 

  

 

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』  

     序章 経済の歩みを正しく知らねば、未来は見通せない

            第1節 「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?
  
       (1)高度成長は通産省の指導のおかげ
       (2)1ドル=360円時代は為替に介入していない
       (3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
       (4)「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
       (5)バブル期はものすごいインフレ状態だった

           ☑ 高度成長は通産省の指導のおかげ ?                ➲  ✕
           ☑  1ドル=360円時代は為替に介入していない ?    ➲  ✕
           ☑ 「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が
               円高誘導するようになった              ➲  ✕
          

        ☑  バブル期はものすごいインフレ状態だった   ➲  ✕

           第2節 「間違った経済常識」が生んだ「失われた二千年」

     しかも、もっとひどいことには、一般の人々だけでなく、政策担当者レベルの人まで
    間違った常識に縛られていることが、日本ではけっこうあるのです。政策担当者が「間
    違った経済常識」を持っている場合には、国民全体がデメリットを受けてしまいます。
    それが実際に起こってしまったのが、「バブルについての認識の誤り」と、その後の
    「失われた二十年」です。
      前述したように、バブル期の物価を見ると、実は、インフレ率は健全な範囲内に収ま
        っていました。バブル期はものすごいインフレ状態だったと思っている人が多いのです
    が、それは誤った認識です。バブル期に異様に高騰していたのは、株価と土地価格だけ
    です。バブル期は、「資産バブル」の状態にあったのであり、一般物価は健全な状態だ
    ったのです,
     ところが、日銀はバブルの状況分析、原因分析を正しくできず、政策金利(当時は公
    定歩合)を引き上げて金融引き締めをしてしまいました。第5章で説明するように、資
    産バブルを生んでいた原因は、金融面ではなく、法の不備をついた「営業持金」や「土
    地転がし」などによる株や土地などの資産の回転率の高さだったのですが、日銀は原因
    分析を間違えて、利上げという策をとりました。
     回転率の高さによって起こった「資産バブル」に対しては、利上げは効果を持ちませ
    ん。日銀の利上げは資産バブルの対策としては役に立ちませんでした。

     一方で、このトンチンカンな利上げによって叩き潰されたのが、健全な一般物価でし
    た。以降、日本は深刻なデフレが進み、「失われた二十年」を経験することになったの
    です。
     私はアメリカ留学中に、のちにFRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたベン・
    バーナンキ氏(当時プリンストン大学教授)の教えを受けました。彼によれば、「資産
    価格と一般物価を分けて考えるべき」で、「資産価格が一般物価に影響しそうな場合を
    除いて、一般物価が上昇していなければ、資産価格が上昇していても金融引き締めをす
    るのはセオリーに反している」とのことでした。しかし、日銀はセオリーに反してバブ
    ル退治のために金融引き締めをしてしまいました, 

  

     この件に関しては、日銀だけを責めるわけにはいきません。マスコミは公定歩合を引
    き上げた当時の三重野康日銀総裁のことを、バブルを退治した「平成の鬼平」と呼んで、
    さかんに持ち上げました。マスコミも含めて多くの人がフ、ハブルだから物価が上がっ
    ている。だから日銀が金融を引き締めたのは正しいことだ」という思い込みを持ってい
    たのです,
     しかも、この間違った認識はその後もずっと修正されることはなく、日銀は現状維持
    の金融引き締めを続けて長期のデフレを生んでしまいました。
     なぜ日本は「失われた二十年」を経験することになったのか。それを理解するには、
    バブル期についての誤解を解く必要があります。長期不況のつまずきの始まりは、バブ
    ルについての認識の間違いです。間違った経済常識は、悲劇的な結果をもたらすので
    す。このことは、決して忘れてはいけません。


  

                   第3節 なぜ「予測」が当たるのか?

     私はいろいろな人から「今の状況についてどう見ているか話を聞きたい」と声をかけ
    ていただきます。そのときに必ずいわれることはフ賄橋さんは予測が当たるから」とい
    うことです。もちろん、私の予測がすべて当たるわけではありません。外れることもあ
    ります。しかし、打率は良いほうだと自分でも思っています。
     なぜ当たるのかというと、恣意的な見方をせずに、原則に基づいて数値で分析してい
    るからです,過去のデータから数学的なモデルをつくって、それに当てはめているので、
    当たりやすいのです。外れた場合には、自分のモデルや係数が間違っていたと考えて、
    モデル式を修正します。そうして少しずつ修正していくので、打率が高くなっているの
    でしょう。 私は経済の専門家のように思われていますが、本当は経済の専門家という
    よりも、「データ分析」の専門家です。私はもともと数学科出身の理系人間です。大蔵
    省の官僚をしていたことから経済の専門家と思われていますが、経済以外の様々な事象
    を「データ分析」の対象としています。

     安全保障法制整備のときには、戦争のリスクについてデータ分析をして発表したとこ
    ろ、「こんなデータは初めて見た」とよくいわれました。
     古代から幾多の戦争が行われてきているため、戦争のデータそのものは多数存在して
    いて、インターネット上でも公表されています。そうした既存のデータをもとに戦争の
    確率を分析したのです。1つか2つのデータしかないと分析できませんが、戦争は繰り
    返し起こっていてデータが豊富なので定量分析が可能です。
    「安保法制整備で戦争リスクが減る」という定量分析を語った人間は私しかいなかった
    ようで、かなり驚かれました。

     実は私は、韓国でMERS(中東呼吸器症候群)が流行したときに、かなり初期の段
    階でMERSの累積感染者数と累積死亡音数の予測値を出しています。私の予測では累
    積感染者数は185人でしたが、結果は186人でした。累積死亡者数は私の予測では
    32人で、実際には36人でした。
     この予測に驚いた韓国の関係会社から依頼がたくさん来ました。私は医者ではありま
    せんが、「ぜひアドバイスをしてほしい」との要請を受けて、終息予測を伝えました。
    ビジネスをしている人にとっては、先の予測はとても重要です。韓国国民は「どんどん
    拡大するのではないか」と八二ック状態のようになっていましたが、私の予測をもとに
    対応した人たちは、終息を見越した準備をしていました,
                              
     しかし、私は何も特別なことをしたわけではありません。疫学の伝播モデルというも
    のがあり、それにデータを当てはめて予測しただけです。
     経済でも医療でも軍事でも、モデル化してデータ処理をすれば予測が可能です。統計
    手法はどれも同じで、分析の対象を変えるだけです。客観的に分析しているために当た
    りやすいのです。
     経済学者の中には、自分の理論にこだわって、現実が理論と追っていたときに、理論
    を修正せずに、「現実のほうが間違っている」と考える人が少なくおりません。「これ
    は、例外的なことだ」とか「特殊要因があったからだ」といった理屈で、自分の理論を
    守り抜こうとします。それでは現実との乖離がどんどん大きくなって、当たる確率は減
    っていきます。(後略)
 

       第4節 状況分析は「べきだ」ではなく「はずだ」の視点で行う

     文系の人の中には、状況を分析するときに「べきだ」という発想を持ち込む人がたく
    さんいます。「べきだ」というのは、その人の価値判断が入っていますので、状況を正
    しく認識できなくなります。
     理系の人は、状況を分析するときには「はずだ」という論理を用います。まず、「理
    論に基づくとこうなるはずだ」と見て、検証、分析し、理論が当てはまらない場合に
    は、さらに分析して理論を修正したりします。
    「べきだ」と見ている人は、自分の理論と現実が違っているときに、現実のほうを否定
    して自分の理論を守ろうとする傾向があります。先ほど挙げた経済学者の例は、まさに
    これでしょう。そうするとファクトを正しく見られなくなっていきます。歴史を振り返
    るときも、「ベきだ」で歴史を見ていくと、歴史のファクトを見誤ります。(後略)


    第1章 「奇跡の成長」の出発点見るウソの数々       

           第1節 どうして日本は敗戦直後の廃墟から立ち上がれたのか

     よく、「日本は敗戦直後の廃墟から雄々しく立ち上がって、奇跡の高度成長を果たし
    た」といわれます。それは事実としてまったく問追っていません。
     敗戦直後の日本が、どのような状況にあったかを知れば、それはよくわかります。1
    946年の鉱工業生産は、戦前水準(1930~1936年平均)の約30%、農業生
    産は同じく約60%に落ち込んでいました。国富の被害率で見ると、工業用機械器具は
    34%強、船舶は80%強が失われるという状況です。敗戦直後のGHQ(連合国軍最高
    司令官総司令部)による物資輸入統制もあって、資材ストックはどんどん減り、需要に
    対して生産は追いつかず、「悪性インフレ」と呼ばれるような状況に陥っていきます。
     問題は、この窮状から日本が立ち上がった要因の大きなものは何だったのか、です。
     一般的には、GHOぶ農地改革、財閥解体と集中排除、労働民主化などの「経済の民
    主化」を行ったことが成長の基盤になったと考えられています。

     さらに、悪性インフレの最大の要因である「生産の絶対的不足」に手を打つために
    「傾斜生産方式」がとられたことも効果的だった、という人も多くいます。
     傾斜生産方式とは、「GHQによって輸入が解禁された石油を鉄鋼生産に傾斜配分
    し、その結果、増産された鋼材を炭坑へ傾斜配分し、もって増産された石炭を鉄鋼へ傾
    斜配分し、鉄鋼をさらに増産させていこう」という考え方です。このために、復興金融
    憐(復金偵)を発行し、その資金を重点的に石炭鉱業に融資する手立てがとられまし
    た。この復金偵の大半は日本銀行(日銀)が買い取っています(日銀引き受け)。そし
    て、このような傾斜生産方式を推し進めたのが、1946年8月に設立された「経済安
    定本部(安本)」でした,

     社会の教科書などでは、これが功を奏して1947年度、1948年度は鉱工業生産
    も急速に回復したけれども、復金偵の発行などがインフレ体質を強め、政府の補助金や
    海外からの援助に頼り切った脆弱な経済体質になってしまった、とされています。
     そこで、トルーマン大統領の求めに応じて、デトロイト銀行頭取のジョセフ・ドッジ
    が来日します。「日本の経済は両足を地につけておらず、竹馬に乗っているようなもの
    だ。竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。竹馬の足をあまり
    高くしすぎると転んで首を折る危険かおる」と述べたドッジの提言に基づき、「超緊縮
    予算、復金偵の停止、自由競争の促進」などの「ドッジ・ライン」と呼ばれる経済安定
    策が推進されることになります。
     これによって物価は安定に向かったものの、国民の消費は抑制され、産業界への資金
    供給も細ってきたために「安定恐慌」と呼ばれる様相を呈し始めますが、そこで朝鮮戦
    争が勃発して、日本経済は息を吹き返す――というのが、一般的な「常識」となってい
    る終戦直後の経済史の流れでしょう。
    

         第2節 教科書にも出てくる「傾斜生産方式」はまるで効果がなかった

      この戦後経済の常識は、どれほど正しいのでしょうか。
     まず、正しておくべき最も大きな誤解は、「政府が戦後の産業発展を主導してきた」
    という見方です。その代表例が、終戦直後の「傾斜生産方式」です。
     先ほど、「傾斜生産方式」を主導したのは経済安定本部(安本)だと書きました。第
    一次吉田政権(1946年5月~1947年5月)時に設立された「安本」は、「泣く
    子も黙る安本」といわれたスーパー経済官庁でした。のちに経済企画庁(経企庁)にな
    っていきますが、このころの安本は、物価、賃金、物流、貿易などあらゆる経済活動を
    統制していました。そして、1947年から傾斜生産方式を採用しています。
     「傾斜生産方式」のねらいは、先ほど説明したように、資材と資金を石炭・鉄鋼など
    の重要産業部門に集中的に投入して、石炭と鉄鋼の生産を相互循環的に上昇させようと
    いうものでした。しかし実は、現在、まともなエコノミストの中で、傾斜生産方式で戦
    後の経済が良くなったと考えている人は、まず、いません。傾斜生産方式が一定の役割
    を果たしたことは確かですが、それは「アメリカからうまく援助を引き出すことができ
    た」という点だと評価されているのです,

     経済安定本部の流れを受けている経済企画庁出身のエコノミストたちが、過去のデー
    タを分析していくつも論文を書いています。事実を知るには、それらの分析が参考にな
    ると思います,
     経企庁出身で政策研究大学院大学教授などを務めた天来洋一氏らは「傾斜生産方式は
    成功だったのか」(2006年11月)という論文を書いています。
     この論文の中でデータ分析が行われていますが、結論としては、「1947年の連い
    時期からの生産の回復は傾斜生産方式の成功を示すものではなく、占領軍、アメリカの
    援助が効果的であったことを示すものである」としています。そのうえで「日本政府が
    傾斜生産方式を打ち出しだのはそれが生産回復の決め手となると考えたからよりも、こ
    れによって占領軍からの原材料の援助を引き出すことができると考えたからであり、そ
    の意味では見事に成功していた」としているのです。
     この視点は天来氏のみのものでなく、大半のエコノミストが同意しています。
     天来氏の論文の中では、同じく経企庁出身で日本経済研究センター会長を務めた香西
    泰氏の論文が引用されています。香西氏は「占領軍が日本経済の危機を認め、重油、原
    料炭、鉄鉱石等の基礎材料の輸入・放出に踏みきったことによるところが大きい」「こ
    の意味では傾斜生産の貢献をそれほど高く評価すべきではないかもしれない」としてい
    ます。

     当時の政府の担当者たちも「物資を引き出すためのものだった」と認めています。ア
    メリカから物資を引き出すための説得材料として「傾斜生産方式」というものを待ち出     
    したのです。

オランダはチューリップに始まる「南海バブル」のごとく、泡沫は弾け消えるが、問題はそのときのリ
スクの最小化であるとわたし(たち)は考えバブルを踊っていた。当時、社会生態学者のピーター・ド
ラッカーは、敵対的貿易関係――いわく、敵対的貿易が双方にとって利益になることは考えられない。
たしかに韓国の光学機器メーカーの攻撃をうけたアメリカのメーカーが、攻撃に耐えて生き残ることが
できれば、競争力は強化されたことになる。その場合、競争は双方にとって利益があったことになる。
しかし、敵対的貿易は競争相手を生き残らせず、市場から完全に駆逐しようとする。しかも、攻撃側の
国の市場が輸入品に対して閉鎖され、あるいは少なくとも厳しく制限されていたならば、攻撃を受け
た国の方は攻撃を仕返すことも出来ない。したがって、敵対的貿易の攻撃を受けた側には勝つ可能性が
ない。すべてを失わないことで精一杯となる。このように敵対的貿易は伝統的な仮定をくつがえす。も
ちろん、自国経済を外界から切り離す保護貿易主義が答えとはならない。産業の競争力をさらに低下さ
せるだけである。しかし、自由貿易主義も答えとはならない――と日本を名指し批判するほど米国窮地
に立たされていた。日本では「土地本位制時代を謳歌する」出版物がミスリードし踊っていた時代でも
あった。

                                        この項つづく

 No.63 

  

【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅷ】 

長い間、最新エネルギー工学のリサーチを続けていると環境工学全般から「水」に関わる工学リサーチ
が抜けていたことに気付く。勿論、エネルギー関連で言えば水力発電や海水淡水化や排液・排水の無毒
化/有価物質改修/浄化など次世代技術の研究開発や事業化も大きなテーマであり、「水に始まり水に
帰る」と、頃合いを見てテーマ・アップしようと決める。さてそれはさておき、今回は韓国は、明知大
学らの研究グループの「リチウム吸着複合ナノファイバー膜、その製造方法およびこれを用いたリチウ
ム回収装置」の特許公開技術を取り上げ、リチウム電池原料のリチウム回収技術を掲載する。

❏ US 97545644B2 
Composite nanofiber membrane for adsorbing lithium, method of manufacturing the same
     apparatus and method for recovering lithium using the same 
リチウム吸着複合ナノファイバー膜、その製造方法およびこれを用いたリチウム回収装置

【概要】

リチウムの吸着のための複合ナノ繊維膜及びその製造方法、並びにこれを用いたリチウム回収装置及び
方法を開示。リチウムの吸着のための複合ナノファイバー膜は、リチウムを選択的に吸着する酸化マン
ガンで固定。リチウム吸着用複合ナノファイバー膜は、リチウムイオンに対して高い選択性を示し、吸
着剤の間隙を介しリチウムイオンを迅速かつ容易に拡散できる。特に、リチウム吸着複合ナノ繊維膜を
用いたリチウム回収装置は、短時間で選択的に海水中に溶存しているリチウムイオンを吸着でき、吸着
工程に要する時間を短縮できる(詳細は下図ダブクリ参照)。

 Aug. 29, 2017 


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