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自由と人権

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          定公4年( -506)~哀公27年( - 468) / 呉越争覇の時代  

                                

            ※  伍員(ごうん)と申包胥(しんほうしょう):楚の伍員と申包百とは、友人の間柄であっ
                  たが、伍員が国外に亡命することになった。出発に先立、伍員は申包胥に言
         った。
                 「そのうち、必ず楚を倒してみせるぞ」
                   申包胥もまけずに答えた。
                  「まあ、せいぜいやってみたまえ。おまえが倒したら、おれが建て直してみ
          せるから」
          その後、楚は呉に敗れ、楚の昭王(平王の子)は随の国に逃れた。申包胥
         は昭王の使者として秦に行き、援軍を求めた。
                  「いまや呉は、中原の諸国を良い荒そうとしております。その貪欲さは、大
         猪か大蛇にたとえられましょう。わが楚国はまっさきにその餌食となり、わ
         が君は行方定めぬ旅を続けております。わたしはわが君の使者として援軍を
         求めにまいりました」
          申包胥は昭山王の言葉を伝えた。
          「"呉は貪欲飽くことを知らぬ野蛮の国、もしわが楚が滅ぼされ、貴国が呉
          と隣り合わせになったら、国境で紛争が起こることは確実です。いまならば
          遅くはありません。呉がわが楚の全土を平定してしまわぬうちに、貴国から
          兵を挙げて、分け前をお取りください。もし、わが国が滅びたときには、そ
           の分は貴国の領土となります。また、もし貴国のお力で呉を追い払うことが
                  できたならば、わが楚は子孫の代まで貴国にお仕えいたします”わが君はこ
          う申しております」  

            秦の哀公は、家臣を通じて婉曲に断わらせた。
         「お使いの趣きは承わりました。しばらく館でお休みください。相談の上で
         ご返事いたします」
         すると申包胥は、
         「わが君は国をはなれて流浪しております。満足に休む場所さえないことで
         しょう。臣下のわたくしが休んでいられましょうか」
         と言って、朝廷の塀にすがり、夜も員も声をあげて泣いた。飲むものも飲ま
         ず七日間も泣き通した。
          これに心を打たれ、哀公は「無衣」の詩を歌った。それを聞いて申包胥は、
         頓首の礼を九度くりかえし、ようやく座についた。
         かくして秦は楚に援軍を出すことになった。

         〈無衣の詩〉『詩経』秦風の一篇。その一節に、「王ここに師を興さば わ
         が戈を修めて 子と仇を同じくせん 子とともに作(た)たん。子と偕に行
         かん」とある。哀公は援軍承諾の意を表したのである。


               豈衣無しといはむや 子と袍を同にせむ
               王ここに師を興す 我が戈矛(くわばう)を脩め
               子と仇を同にせむ
               豈衣無しといはむや 子と澤を同にせむ
               王ここに師を興す 我が矛戟(ばうげき)を脩め
               子と偕に作(た)たむ
               豈衣無しといはむや 子と裳を同にせむ
               王ここに師を興す 我が甲兵を脩め
               子と偕に行かむ

                                
                             詩経国風「秦風」




        ★ かくて申包胥は、秦の兵車五百乗とともに、呉軍を稷(楚の地、河南省桐
                   柏県境)に敗った。また伍員のその後のことは『史記』(伍子胥列伝)に
                   詳しい。

   

    
高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』  

   第1章 「奇跡の成長」の出発点見るウソの数々   

      第9節 資本主義が前提の日本では、労働三法でバランスがとれた

   戦後のGHQの民主化政策の中には、労働の民主化も含まれていました。労働三法(労働基準
  法、労働関係調整法、労働組合法)が制定され、労働基本権が確立されて、労働組合を結成で
   きるようになりました,
    こうした労働の民主化が行われたのは良かったと思います,
    たしかに、労働者の権利意識が高まって労働争議がたくさん起こり、社会主義に転換するかも
   しれないきわどい状況も生じました。
   しかし、労働者の基本的な権利を守らないと民主主義にはなりません,日本社会は、戦前から
   資本主義のDNAが根付いていました、農地改革などで共産化の防止が行われていましたので、
   資本主義体制を前提とした労働の民主化は、社会のバランスをとるうえで必要なものでした。

 
      第10節 財閥解体も集中排除も完全に骨抜きにした民間企業の知恵

   GHQは、財閥が軍国主義の温床であったとして、三井、三菱、住友、安田などを対象に財閥
  解体命令を出しました,また、独占禁止法や過度経済力集中排除法なども制定して、市場競争を
  促進する政策を導入しています,
   経済学的にいえば、集中排除の名目でシェアの高い企業を潰すのは必ずしも合理的なこととは
  いえません。シェアが高くなったのは、競争で勝ち残ってきた結果と考えることもできます。競
  争力の高い企業を一律に潰してしまうことは正しい策ではありません。集中排除は、あくまでも
  カルテルの温床をなくすという意味合いでなければなりません。
   財閥解体と集中排除で強い企業が潰されると、経済的に打撃を受けるおそれかおりますが、日
  本はそこをうまく切り抜けました。
   財閥解体を命じられても、完全にバラバラに解体したわけではなく、ゆるやかなグループとし
  て温存させたのです。今でも三井グループ、三菱グループなど、企業の結びつきは続いています。
  企業グループというのは、ある意味では取引上の保険のようなものです。新たに顧客開拓をし
  なくても、グループ内で買ってくれることが「期待できる」からです。グループ化してその中に
  加わっていたほうが、経営が安定しやすいのです。

   財閥解体をうまく逃れて、相互互助的な、ゆるやかなグループにすることができたために、戦
  後の日本の企業は、一定の売り上げの保険を持ったうえで、新たなことにチャレンジして発展し
  ていくことができました。
  日本の企業は賢いので、GHQに対して財閥解体を「やったふり」をしながら、グループ化を認
  めさせました。財閥解体も集中排除も骨抜きにしてしまったのです。日本人は理不尽な上からの
  命令を「換骨奪胎」する知恵を持っていました。
   このようなことができたのは、日本企業の中に戦前からの資本主義の土壌があったからです。
  民間企業が中心となって、GHQをごまかしてうまく規制を逃れました。GHQは「まあいいじ
  やないか」といえば、日本政府の内部の社会主義的な官僚も、それ以上のロ出しはできません,

                    第11節 GHO苔IMFも「財政均衡」が大好き

  1948年12月にGHQは「経済安定9原則」を指示しました。
  その内容は、次のようなものです,

  1.総予算の均衡
  2.徴税の強化
  3.資金貸出を復興のみに制限
  4.賃金安定
  5.物価の統制
  6.貿易の改善
  7.物資割り当ての改善
  8.原材料・製品の増産
  9.食糧集荷の改善

  この9原則を実現させるために翌年の1949年2月に来日したのが、本章の冒頭でも紹介し
  たジョセフ・ドッジでした。彼は翌3月から、強力な財政金融引き締め政策を推し進めます(ド
  ッジ・ライン)。
   これらの方針は、日本経済を自立させるためとの名目で出されたも一定の売り上げを稼ぐこと
 ができます。自社の製品を、同じグループの企業が優先的にのですが、今のIMF(国際通貨基
  金)の政策によく似ています。IMFは常に緊縮財政を求めますが、戦後の日本も緊縮財政を求
  められました。しかし、それがきっかけでその後、不況に陥ることになります。
   財政の均衡というのは、あまりにも家計簿的な発想です。マクロ経済政策としては超不況期に
  は緊縮財政は正しい政策ではなく、ケインズのように有効需要をつくり出すほうがけるかに効果
  的です。

   しかし、家計簿的に考えてしまうと「均衡させなければならない」と思えるので、家計を節約
  するように、国家財政も緊縮が良いと考えてしまいます。
   家計簿的な直感とはズレるかもしれませんが、実は国家の財政というのは無理に短期間で均衡
  させる必要はありません。破綻することは避けなければなりませんが、破綻しないのであれば短
  期間で均衡していなくてもかまわないのです,
  「均衡しない=破綻」と思い込んでしまう人が多いのですが、「財政均衡」と「財政破綻」の中
  間にはいろいろな世界が存在しています。
   家計と違い、国家財政はある程度の赤字をずっと続けていても、大した問題にはなりません。
  たとえばアメリカの財政を見ると、「均衡財政」を掲げながらも均衡したことはほとんどありま
  せん。百年間のうちに百回近く天井を拡大させています。建前は均衡ですが、ほぼ毎年均衡を破
  って赤字をつくっています。それでも破綻はしていません。

  逆に、杓子定規に一年ごとに均衡させようとするほうが経済には悪影響をもたらします。しか
  し杓子定規なIMFは、アルゼンチンにも、インドネシアにも、韓国にも、経済危機の際に融資
  と引き替えに超緊縮財政を求めました。その結果、各国の不況を深刻化させることになりました。
  IMFは2010年になって、ようやくその過ちを認めました,
   同じことが戦後の日本で行われました。GHQは政策を誤ったのです。
   もっとも、当時はマクロ経済学がまだほとんどできあがっておらず、国民経済計算もきちんと
  できていませんでしたので、仕方のない而もありました。
   現在のマクロ経済学からさかのぼって当時を見た「後知恵」ではありますが、緊縮財政は間違
  った政策でした。現在の知見に基づいて政策を打つのであれば、緊縮財政はやらなかったはずで
  す。当時必要だったのは、緊縮財政ではなく、公共投資などで需要を増やして生産設備を仲ばす
  ことでした,

 

          第12節 ドッジラインの金融引き締めが深刻な不況を招いた

   終戦直後は、生産能力が極めて限定されていますから、そこに資金を大量に役人すれば、一時
  的にインフレに陥ることはやむをえません,しかし、当時の日本経済はアメリカからの物資の輸
  入で生産設備が整いつつありました,生産設備が回復すれば、供給が増えてインフレは沈静化し
  ていきます。日本の場合は軍事転用されていた設備を元に戻すことがメインでしたから、資金と
  材料さえ人手できれば比較的短期間に転用は可能でした。まったく何もないところから新たに設
  備をつくるには時間がかかりますが、基本的設備は残っていて、元の製造ラインに改修するだけ
 です。少し景気を良くして、今まで眠っていた設備を稼働させることに重点を置けば、インフレ
  は収まっていったはずです。

  しかし、GHQと日本政府はそれを待ちきれずに、安易に金融引き締めの方向に走りました。
  これによってインフレは収まりましたが、一転して深刻なデフレが起こり、不況に突入してしま
  いました。その結果、多くの中小企業が倒産し、失業者があふれるようになりました,つまり、、
  GHQと日本政府は余計なことをしてしまったわけです,
  昔も今も変わっていませんが、インフレについて議論するときに、極端な例だけで
  考える人がたくさんいます。お金の要因とともに、供給、需要の要因の両方を見なければ、
  物価について理解することはできません。
この項つづく

 

● 事件背景と告発の意味 Ⅳ



  第1章 スノーデンの日本への警告   

             自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現される

 Q:終わりの時間が近付いてきました。最後にニコニコ動画のユーザーからの質問をメッセージ
 とともに読み上げます。多くの方が共感するメッセージだと思います。
 「あなたがやったことは勇敢であって尊敬しています。多くの日本人があなたの活動をサポート
 していることを知ってほしいと思います」。その上で質問です。「日本の人々にメッセージはあ
 りますか。日本人として、あなたをサポートするために何かできるでしょうか」。

 スノーデン:第一に関心を抱いて下さい。シンブルに間こえるかもしれません。しかしプライバ
 シーとは何かを隠すことではありません。守ることです。聞かれた社会の自由を守ることです。
 立ち上がり自分の権利を守らなければ、そして政府が適切に運営されるよう努力しなければ権力
 の腐敗が起こります。

 市民が反対しているのに政府が意に介さず法律を成立させるような社会では、政府は制御不能と
 なります。あらゆることのコントロールが失われます。人々は政府と対等のパートナーではなく
 なります。全体主義にならない保証はありません。

 私たちはみな、自分たちの子どもを自分たちが引き継いだ社会よりも自由でりベラルな素晴らし
 い社会に住まわせたいと願っています。それを実現させる唯一の方法は、常に目を光らせ続ける
 ことです。常に民主主義にかかわり続ける必要があります。監視の問題のみならず、自分にとっ
 て重要なことについてもかかわり続けなければなりません。

 ネガティブな面を見るだけでもいけません。もちろん政府が悪いことをした時には責任を取らせ
 なくてはなりませんが、非難するだけではなく、良いことを評価すること、そしてさらに重要な
 ことは具体的にこういうことをやってほしいと訴えることです。前向きな社会のヴィジョンを持
 って下さい。

 たとえば、電話をする時は常に、政府のデータベースに集められる内容を思い患う社会には住み
 たくないでしょう。私は自分がしたすべてのことが追跡され、監視される社会には住みたくあり
 ません。たとえば、三年前の三月四日にどこにいたか、私自身は覚えていませんがフェイスブッ
 クや携帯電話会社は知っているわけです。突き詰めれば、これは選択の問題であり、同意の問題
 であり、そして参加の問題です。人と話して下さい。価値観を共有して下さい。会話をして下さ
 い。議論をして下さい。そして決して恐れないで下さい。リスクを認識することそれが現実にあ
 ると認識することは大事なことです。

 手榴弾の上に身を投げ出しましょうなどと言っているわけではありません。誰もそんなことした
 くありません。殉教者など必要ありません。
 けれども行動を怖がらないで下さい。過ちを見つけたならば、すぐに行動に移して下さい、既定
 路線になろ前に動いて下さい。政府の方針となることを待たないで下さい。物事を注意深く見て
 下さい。よく考えて下さい。受け身にならないで下さい。そして最後に、このことを忘れないで
 下さい。自由を享受できる社会は市民が主役になって初めて実現されるということを。あなたは
 誰かをサポートする脇役ではなく主役なのです。あ

 Q:ありがとうございました――今日の議論がプライバシーと国家の安全をめぐる議論の出発点
 になればうれしく思います。またいつかお話しできることを願っております。




  第2章 信教の自由・プライバシーと監視社会-テロ対策を改めて考える

  第2部は四人のパネリストによる討論です。ベン・ワイズナー氏はAmerican Civil Liberties Union, A
  CLU(アメリカ自由人権協会)所属する弁護士で、スノーデン氏の法律アドバイザーを務めています。
 スノーデン氏のインタビューを踏まえて、スノーデン・リークによって明らかになった政府によ
 る監視の実態などについて話を伺いました。マリコーヒロセ氏は、ニューヨーク自由人権協会(
 )に所属する弁護士で、ニューヨーク市警によるムスリムの監視の差止を求める訴訟の代理人を
 務めています。監視の実態や訴訟の進捗などについて語っています。宮下位氏は中央大学総合政
 策学部の准教授で、プライバシーの専門家です。アメリカとベルギーの留学経験に基づいて、各
 国政府により行われている監視の実態や、その濫用を防ぐための法的な取り>組みなどを研究テー
 マとしています。青木理氏は、かつて日本警察の公安部門を集中的に取材した経験を持つジャーナ
 リストです-日本の警察組織の構造や思考過程などについて、これまでの取伺経験を踏まえた体験談を
  お話しいただきます。

         スノーデン・リークが明らかにしたアメリカ政府による監視の全体像

  繰り返しになりますが、スノーデン・リークとは、NSAの下請会社の職員であったエドワー
 ド・スノーデン氏が、膨大なアメリカ政府の内部資料をジャーナリストにリークし、これを受け
 て2013年6月からイギリスの「ガーディアン紙」、アメリカの「ワシントンポスト紙」など
 で始まった一連の調査報道の総称です。アメリカ政府による想像を超える監視捜査の実態が明ら
 かにされました。
  とりわけ衝撃を与えたプログラムは以下の3つです。
  ひとつ目は、電話のメタデータのバルク・コレクション(BulK Collection)と呼ばれるものです。
  NSAがアメリカの電話会社に命じ、米国と国外間の国際通話のみならず、米国内の国内通話を
 含むすべての電話のメタデータを、毎日提出させるプログラムです。根拠条文から115条プロ
 グラムと呼ばれます。収集されるのはメタデータのみで、通信内容は含まれません。

  ふたつ目はプリズム(PRISM)と呼ばれるもので、フェイスブック、グーグル、アップルなど
  アメリカに本社を置く9社のテクノロジー会社に命じ、電子メールやSNSによる一通信内容な
  どを秘密裏に提出させるプログラムです。

   三つ目はアップストリーム(Upstream)と呼ばれるもので、アメリカ本土につながる海底光フ
 ァイバーケーブルなどに捜査官がアクセスし、目当ての通信情報を直接人手するブログラムです。
 ブリズムとアッブストリームのふたつのブログラムは、スノーデン氏もインタビューで触れてい
 た Foreign lntelhgence SulweillanceAct(FISA)という法律の改正法702条に基づいて実施されて
 いたため、合わせて702条プログラムとも呼ばれます。ターゲットがテロに関連してい るか
 どうかは要件とされておらず、また、裁判所から令状を取得する必要もありません。さらに、ア
 メリカ人は対象としない建前となっていましたが、傍受した通信の一方当時者が意図せずにアメ
 リカ人である場合は許される運用となっていたため、ほとんど歯止めなくインターネット上のあ
 りとあらゆる情報が収集されていました。ある裁判では、この702条プログラムだけでで年間
 2500万件以上の通信情報が政府に取得されていたと認められています(※1)。
  パネルディスカッションの冒頭では、このスノーデン・リークによって明らかとなったアメリ
 カ政府の監視活動に関して、ワイズナー氏にお話しいただきました。

※1."Case Title Redacted", FISC, Oct. 3, 2011
※2. 井桁大介




            異常に強力な監視技術が誤った者の手に握られるリスク

 井桁※2:はじめにスノーデン・リークの意義について改めてワイズナー氏に伺います。スノー
 デン氏が明らかにした事実の中で何が一番重要で歴史的なことだったのでしょうか。

 ワイズナー:回答に先立ち、このシンポジウムに招待していただいたJCLU(公益社団法人自
 由人権協会)と、会場を提要して下さった東京大学に感謝申し上げます。
  さて、スノーデン氏は今回のリークの中心的なメッセージについてわかりやすく話してくれま
 した。最も重要なことは、以前は極めて高価であった監視が、今や大変安価になったことを明ら
 かにしたことだと思います。
  監視が高価な時代は監視対象に関する意思決定が必要でした。特定の人物の二週間にわたる居
 場所をすべて把握するためには日夜の尾行が 必要で、大変なコストを掛けて警察官のチームを
 発足させなければなりませんでした。そのため 政府は、十分な理由があると考える場合にのみ
 監視を行っていました。

  しかし現在、監視システムはすべての情報を自動的に収集することができます。
  スノーデン氏が述べた通り、ポケットに持ち歩く携帯電話が居場所や一緒にいる人などをすべ
 て記録しています。人類史上初めて、人々の日常生活に関する個人情報のすべてを政府が収集し
 保存することが、技術的にも経済的にも可能になったのです。
  このような"能力”の存在自体はすでに知られていました。この”能力”が、実際に利用可能
 であるという理由だけで、市民の討議を経ずに複数の政府によって実際に用いられていることを
 スノーデン氏は明らかにしました。スノーデン氏の最も重要なメッセージは、監現に関するもの
 でなく民主主義に関するものかもしれません。社会における極めて重要な意思決定は、限られた
 公職者により秘密裏に行われるべきではありません。市民の討議と議論によってなされるべきで
 す。しかし現在、監視システムはすべての情報を自動的に収集することができます。

                                      この項つづく

  


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