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皇帝ダリアとワンダフル工学

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● 皇帝ダリア騒動 

最近、外出すると皇帝ダリアの花をよく見かけるようになった。ところが、当初車窓か
ら眺めているだけなので、秋咲の合歓の木の花があるのか知らないが勘違いしていたが、
彼女が何の花かひつこく尋ねるが要領得ない返事でおざなりにしていたが、「皇帝ダリ
アよ!」と部屋に飛び込んでくる。懇意にしているご近所に咲いていたのので尋ねてき
たといい、ご主人が皇帝ダリアの株が分けてもられるかもしれないというので、春には
庭植できるかもしれないという。

皇帝ダリアは、日が短くならないと花芽ができないので、開花期が遅く11月下旬から咲
き出す。近くに街灯や電灯があると日が長いと感じ、花芽をつけないので注意も必要。
成長すると5~6メートルにもなる。草丈を高くしたくない場合は、何回か切り戻して
高さ調整する。科名:キク科、属名:ダリア属、学名:Dahlia imperialis、別名:木
立ダリア・インペリアルダリア。原産は中米、メキシコに分布、木質化する3種がツリ
ーダリアと呼ばれるが、そのなかでも特に茎が太くなり草丈が高くなるという。また、
庭植えのものは露地で越冬するが凍結は厳禁。

 

                                                                              

 

 

● デフレ脱却と安定成長への道 Ⅱ


さて、第3章の見出しは、ズバリ「まやかしだったアメリカの市場原理主義」と切りす
てる。これを言い換えれば「グローバリズムなんて、単なる英米的強欲主義(=英米流
金融資本主義)」と言い換えても許されるだろう。また、「デフレからの脱却」はすで
にレーガン政権で試行され失敗するが後継者のクリントンは 新自由主義・市場原理主
義から脱却できず格差が広がり、上位1%しかマネーは流れてこない社会を変えられず、
続く子ブッシユ政権は徹底した新自由主義・市場原理主義でアメリカを崩壊させたと言
う。

当初は、感覚で高橋洋一と菊池英博両氏の著書をチョイスし、同時並行的読み進めてき
たが、ここにきて日米の経済運営の経緯と矛盾を立体的に浮き彫りできたような手応え
を感じている。以下、恣意的に関連する節を掲載した。尚、詳細は各著書の別に参照願
う(→ こちら)。

 

        冷戦終了後は政府投資が経済成長の牽引力(クリントン・モデル)

 冷戦が終わり平和になったアメリカで、初めて平時に経済を成長させることを目標
 として国家予算を組んだのは、1993年1月に就任したクリントン大統領であっ
 た。このときまで、軍事予算と軍需バブルで国内経済を成長させてきた国が、どの
 ようにして方向転換を図るかが、最大の課題であった。
 そこで考えたのが、いままで軍事費に投入していた予算を国内の公共投資(道路交
 通網整備、地域開発、職業教育・学校教育施設の拡充など)に振り向けて内需をつ
 くり出し、民間投資を喚起させることであった。同時に、株式市場では、軍需バブ
 ルに代わってTITバブルを演出することであった。その内容の骨子は77ページで
 述べた通り、1993年8月の「包括予算調整法」であり、この政策理念を初年度
 1993年度予算から8年間継続して実行したのである。

 この結果、大統領就任時点(1992年度予算)では、2903億ドルあった財政
 赤字を5年後の1998年に解消し、退任した2000年度予算では、財政収支が
 2362億ドルの黒字になったのである(8年間の予算支出の内訳は、図表3‐1
 「クリントン大統領の予算支出の内訳」参照)。クリントン大統領の2期8年間の
 実績を、第1期(1993~1996年度)と第2期(1997~2000年度)
 に分けてまとめてみると、8年間の財政支出(予算支出の総額と項目別の支出)の
 特徴は次の通りである。

 

 ①全体の予算総額は、第1期は年平均対前年比プラス3・3%、第2期は同じくプ
 ラス3.O%であり、8年間の累計で33%増加している。「債務国だから、軍事費
 を減少して予算総額を削減する」のではなく、軍事費の減少分を公共投資に振り向
 け、さらに総予算を前年比で3%以上増加させている。増加率が3%台であるのは、
 物価の上昇率を2%程度と見込み、「物価上昇+1%」を予算総支出にするという
 方針の 表れである。

 日本では、「クリントンは均衡財政をとって赤字を解消した」(財務省の資料、2
  001年3月の理財局次長の発言という意見がある。しかし、これは大きな事実誤
  認である。図表3‐Iでわかる通り、債務国のアメリカが、当初の2~3年間はあ
 えて赤字を増加させて公共投資を実行して景気対策をとり、景気回復によって税収
 を増加させる政策をとったのだ。これが成功して、2年目から税収が徐々に増え、
 5年後の1998年に財政収支が黒字になったのである。黒字になってからも財政
 支出総額を毎年平均3%増加させ、その増加分は政府投資に集中的に支出した。こ
 うして8年目には、財政黒字が2362億ドルになり、8年間で5265億ドルの
 財政収支を改善したのである(図表3‐2「過去20年間のアメリカの財政収支の推
 移」参照)。

 ②財政支出の内訳を見ると、軍事費は8年間累計でマイナス1.2%である。この
 軍事費の減少分と財政支出総額の増加分を原資として、「裁量的項目」のうち「道
 路輸送関係」は年平均対前年比プラス7.7%、8年間の累計で70%の増加となり
 「地域開発」は年平均前年度比プラス9.8%、8年間の累計で80%の増加、「教
 訓練」は年平均前年度比プラス5・5%、8年間の累計では44%の増加であった。
 8年間継続して投資関連支出を重点的に増やしていくのは容易ではない。それを実
 行したことによって国内の有効需要を喚起し、民間投資を誘発して、投資の乗数効
 果が加速され、経済成長を促進してきたのだ。8年間の財政支出総額は33%の増加
 であるのに、政府投資の増加は46%であり、この差額こそ、予算の支出にウエイト
 をつけて公共投資に集中した結果である。これが景気回復と税収増加をもたらした
 のである(図表3-3「クリントン大統領の経済政策の効果」参照)。



 クリントン政策はまさに政府によるケインズ的な需要喚起であり、供給サイド経済
 学ではない。この実績こそ、供給サイドを重視する経済学の誤りを示し、需要喚起
 の経済学こそ、経済を成長させる原動力であることを証明している。
 ③クリントンは就任演説で「公平な税制を導入する」と宣言したので、これを具体
 化した。所得税の最高税率を従来の31%から39・5%へ引き上げ、1993年1月
 に遡って実施した。大企業に対しては、法人税の最高税率を34%から35%に引き上
 げ、多くの特別償却を廃止した。

                  第3章 まやかしだったアメリカの市場原理主義
                   菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』

 
                格差が広がるアメリカ、上位1%しかマネーは流れてこない

 アメリカの雇用情勢を見ると、デジタル革命によって事務職の仕事が減り、中間層
 は職を失ってきたので、政府は職業訓練やNPOの新設などで、失業の増加を食い
 止めようとしてきた。しかし、減税の恩恵を受けた大企業や個人富裕層が失業を救
 済するような事業活動を起こす機会は少なく、最近では、失業率は6~7%以上に
 高止まりしている。供給サイドの強化のためと称して法人税の減税をしても、雇用
 の増加は期待できず、新自由主義・市場原理主義は失業を増加させ、雇用条件を悪
 化させたのである。

 アメリカ社会で格差がどのように拡大してきたかを最新の「議会予算局」の統計で
 見ると、「上位1%の最富裕層」の所得のGDPに占める比率は、1985年にG
 DPの12%であったのに対し、2010年になると25%と2倍以上に増加している。
 また保有資産で見ると、「ヒ位1%の最富裕層」の保有資産総額は、1985年に
 33%であったのに、2010年では40%に増えている。さらに過去28年間(197
 9~2007年)の所得の伸び率を見ると、図表3‐4[アメリカにおける所得の
 階層別伸び率」の通りである。

 ここで驚くべきことは、この28年間で物価の上昇率(インフレ率)が約80%なのに
 対し、所得全体の平均の伸びは62%と、平均値の所得では物価上昇を下回っている
 ことだ。物価上昇率を上回っているのは「最富裕聯(ト位I%)」だけであって、
 「富裕層衰富裕層1%を除く上位20%こですら、所得の伸び率は65%であり、イン
 フレ率約80%を下回っている。さらに中間聯(上下2割を除く6割の層)の所得上
 昇率は37%に過ぎず、まさに中関聯の没落と言わざるをえない。下位の20%は、28
 年間でわずか18%しか所得が増えておらず、これには子ブッシユ大統領のときに最
 低賃金が8年間も据え置かれていたことが大きく影響している。アメリカの例では
 っきりわかるように、新自由主義・市場原理主義を理念とする政策をとっていけば、
 富裕聯と大企業に富が集中することになる。しかし、富裕聯と大企業が事業を起こ
 しても雇用が増えることは期待できず、有効需要が減り、失業を生み、デフレにな
 る。アメリカはこうした事態をどのようにして乗り切ろうとしているのか。 

                  第3章 まやかしだったアメリカの市場原理主義
                   菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』


                               アメリカがデフレを回避させる3つの方法

  実はアメリカは、必死にデフレを回避する政策をとっているのだ。経済がデフレにならない
 ようにするためには、「経済全体の需要が供給を下回らないこと」「消費者物価と物価の総
 合指数であるGDPデフレーターーを前年比でプラスにすること」「賃金水準を下げないこと
 (下落しなぃょぅに岩盤をっくること)」が必要であり、常にこの3つを充足させる政策を継続
 することである。

 これを意識して、レーガン以降の大統領が一貫してとってきた政策がある。それは、
 ①「総 需要を喚起する政策をとること」、②「財政政策では軍事費と公共投資・
 地域開発に財政資金を投入して有効需要を喚起し、金融を緩和してバブルを起こし、
 物価を底上げすること」、③「組合員のベース給与は物価上昇率に準じて増やし、
 消費需要を底上げすること」「労使契約で可能な限り賃金水準と雇用を維持するこ
 と」である。

 すでに述べた通り、リーマン・ショック後に就任したオバマ大統領は、経済情勢が
 デフレ傾向にあったために、就任早々の2009年2月、緊急補正予算(2年総額
 70兆円)を組むことによって、公共投資と社会保障費の増額でデフレ回避に成功し
 た。金融面からのデフレ回避策は、金融を大幅に緩和して財政支出を金融面から支
 えるとともに、マネーゲームをやりやすくする環境を整備して、バブルを引き起こ
 すことである。株式市場では株価を引き上げ、石油、鉄鋼、鉱石、大豆、穀物など
 の商品市場では価格を意図的に引き上げてきたのだ。こうして、海外から低価格の
 商品(99セントショップ、ペイレスマーケットの物資など)が入ってきても、消費
 者物価の平均を下げないようにしてきたのだ。 

 さらに賃金水準が下がらないようにして雇用破壊を防止している。アメリカではA
 FL‐CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)という組合の大連合組織(
 日本の連合に相当する)があり、毎年の労使間交渉で賃金水準が決まる。賃金水準
 はインフレ率をペースにするので、物価が上がれば組合員の賃金は上がる。組合交
 渉で賃金基準が決まれば全米の基準となり、これが賃金の家宝硬直性となって、デフレを
  回避する大きな要因になるのだ。しかし、非組合員や非正規社員、移民などの賃金にはこ
  うした約定はないので、物価が上がっても賃金が下がることもあり、下方硬直性はない。し
  たがって、非組合員が多いほど、賃金のデフレ効果が強い。


                  第3章 まやかしだったアメリカの市場原理主義
                    菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』


 

第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える」では、平成元年をはじ
めとする「失われし20年」を政策作成担当者としての現場体験を、1つ1つ交えて検
証されていく。これはビビットに圧巻である(詳細は → こちら)。
 

                      1980年代後半の「バブル期」はインフレではなかった

  多くの人は1980年代後半のフバブル期」のことを誤解している。バブル期に
 は何でも価格が上がり、著しいインフレが起こっていたかのように思っている方が、
 ほとんどではないだろうか。
  だが、現実は違うのだ。価格が上がっていたのは、土地や株などの一部の資産価
 格だけであり、一般物価はそれほど上がっていなかったのである。
  物価はむしろ健全な範囲内だった。経済成長率も特に高かったわけではなく、当
 時の先進国水準では平均的だった。
  つまり、1980年代のバブル経済は、株と土地以外は、「健全な経済」あるい
 は「フツーの経済」だったのだ。
  バブル景気については、地価高騰やバブル紳士の暗躍など、負の歴史のように振
 り返られることが多い。今も市況が過熱気味になると「バブル再来」という言葉が
 批判的に使われ、アンチ経済成長的な心理が広がる要因にもなっている。
  バブル期とは一般的には1987年から1990年までをいうが、どのような経
 済状況だったのか、指標を振り返ってみよう。

         〈マクロ経済指標 1987年~1990年〉

  名目GDP成長率  5~8%
  実質GDP成長率  4~5%
  失業率       2~2.7%
  物価上昇率     0.5~3.3%

  あらためて数字を見ると、驚かれる方もいるのではなかろうか。今からは想像で
 きないほどの健全な数字だ。
  特に、物価上昇率に注目してほしい。0.5~3.3%だから、インフレといえ
 るような数字ではない。
  ここが一番誤解されている点である。「バブル期」と呼ばれているけれども、一
 般物価は、狂乱物価でもなかったし、バブルでもなかったのだ。
  一方、株価と不動産価格は異常であった。
  日経平均株価は1986年には、現在と同じくらいの1万5千円程度だった。翌
 1987年の10月19日にブラックマンデーがあり、一時値を下げたが、その後
 急上昇していき、1989年12月29日に3万8957円の史上最高値をつけた。

 それをピークにして、1990年末にかけて2万3000円くらいまでに一気に下
 がり、1992年初めには2万円を割り込むほどになった。この問に、株を高値で
 つかんだ人は、大きな含み損を抱えることになった。
  土地の価格も異常に上がった。株価より1~2年遅れ、1991年ごろにピーク
 を迎えている。都心では地上げ屋や土地転がしなどが横行し、都心の小さな土地が
 高値で取引された。一定規模の大きさの土地にまとめられて転売され、転売に次ぐ
 転売で異常なほどに値を上げていった。その土地を担保に金融機関は融資をした。
  ところが、バブルがはじけ、土地の価格が下落し、土地は担保価値がなくなった。
 金融機関は融資の回収を急いだものの、結局、多額の不良債権を抱えることになっ
 た。

  株と不動産に関しては、まさしく異常なほどのバブルであった。だがその一方で、
 GDP成長率、物価、失業率などマクロ経済のほうは、いたって健全だったのであ
 る。片方はきわめて異常で、片方はきわめて健全だという、この経済状態をどのよ
 うに分析するかがポイントだ。
  実は、当時の日銀はこの状態を正しく分析することができなかった。両者を切り
 分けず、まとめて一つの経済状態として考えてしまったのだ。そのため、インフレ
 ではないにもかかわらず不要な引き締め政策をすることになり、以後、それを正当
 化するための施策が続くことになってしまった。

          第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える  
                        高橋洋一 著『アベノミクスの逆襲』

 

                                               ノーリスクの莫大な利益を生んでいた「法律の不備」

 私はバブル期に大蔵省証券局の業務課(証券会社の指導監督をする部署)に在籍し
 ていた。そこで目の当たりにしたのは、ほぼ違法ともいえる証券会社の営業であっ
 た。顧客に対して損失補填を約束しながら株式の購入を勧めていたのだ。その株式
 購入資金を、顧客の自己資金で賄うのではなく、銀行が融資するというパターンも
 横行していた。これは株式の購入に限らず、土地の購入でもよく見られた話だ。
 当時、私は株価が上がっている原因を探ろうと思って調べてみたところ、簡単に分
 析することができた。株式売買回転率を調べると、「ファントラ」「営業特金」の
 回転率だけが異常に高かったのだ。

  「ファントラ」はファンド・トラストの略で、具体的な運用方法を信託会社に任せる金融商品
 のことだ。一方、「営業特金」というのは、当時流行っていた証券会社の財テク手
 法で、特金とは特定金銭信託の略称だ。法形式は違うが、経済的にはほぼ同じく、
 「(実質的に証券会社に運用を信託する」手法である。
  当時、私は「なぜ、ファントラ、営業特金はこれほど顧客からの注文を取れるの
 だろう」と不思議に思った。さらに調べると、企業が財テクに走っているのは「抜
 け道」があるためだとわかった。
 企業が持金を設定し、本体で所有している有価証券を特金に移管すると、本体が所
 有している有価証券の帳簿価格を変えずに有価証券運用を行なえるというメリット
 があった。

  つまり、企業の保有する有価証券に莫大な含み益が発生しても、その含み益を顕
 在化させない形で有価証券を運用できるのである。 こんな制度なら、評判を取る
 のが当然である。これは「簿価分離」というが、税制の歪みであり、それが悪用さ
 れていたのだ。証券会社の営業担当は、「いくら売却益が出ても、本体のほうの含
 み益は別だから大丈夫です。含み益を出さなくてもいいんです」といって売り込み
 をかけていた。

  その一方、証券会社の営業担当は事実上の損失補填もしていた。「もし損が出て
 も大丈夫です」と口約束をしたり、名刺の裏に一筆書いたりしていたのだ。当時の
 法令上、売買一任は事実上禁止されていたが、若干法令の不備があり、営業特金は
 野放しの状態だった。また、当時の法令でも、事前の損失補填は禁止されていたが、
 事後の補填を禁止する明文上の規定がなかったので、その点でも法令の不備があっ
 た。証券会社は、この営業特金とともに時価発行増資(エクイティ・ファイナンス)
 も顧客に勧めていた。増資を持ちかけておいて、その一方で、営業特金のファンド
 を使ってその会社の株を買い上げる。そうすると、株価が上がって、時価発行増資
 をするときに莫大な資本がダダ同然で手に入るのだ。

  企業は、時価発行増資で多額の資本を得て、財テクでも大きな利益を得る。財テ
 クのほうは事実上の損失補填までしてもらっているので、まったくノーリスクでド
 カンとお金が入ってくる。資金は銀行が融資してくれるので自己資金もいらない。
 利益だけが入ってくる仕組みで、企業は儲かって儲かって仕方がない状態だった。
 財テクをしたい企業からの注文が、次から次へと証券会社に入っていた。
  営業特金とファントラだけが異常に高い株式売買回転率を示していたのは、こう
 いうカラクリがあったためであった。株価を押し上げているのは、金がジャブジャ
 ブだからではなく、営業特金とファントラの異常な「回転率」の高さの問題だった
 のである。そして、それに釣られる形で一般投資家が株に手を出していた。

  しかし、どう考えてもこの財テクの仕組みは正常ではないし、事実上の法令違反
 でもあった。証券会社は、営業持金をクロスさせてわからないようにしていたが、
 実際にやっていることは、時価発行増資で多額の資金を得るために、自社株を買っ
 て株価をつり上げているようなものである。法律の不備が原因と思われるので、私
 は、すぐにでも対処しなければならないと考えた。 

          第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える  
                        高橋洋一 著『アベノミクスの逆襲』


                        「株バブル」と「不動産バブル」は二通の通達で終焉 

  私は証券検査で証券会社の営業の実態を把握していたので上司に報告したところ、
 上司から証券会社の営業姿勢を改める規制をつくるように命じられた。営業特金に
 一定の規制をかけ、事後的な損失補填を禁止することが目的だった。国税庁のほう
 も、税法の穴に気がついて動き出そうとしていた。 法改正でやりたかったが、法
 改正だと間に合わないので、通達という形をとった。通達は、形式的には行政内部
 の連絡文書(上級官庁の大蔵省から、下位官庁の地方財務局に対するもの)である
 が、証券会社への指導内容が書いてあるので、法令を補完するもの、場合によって
 は法令に準ずるものと見られていた。実際、そのときに私が起草した通達は、その
 後に証券取引法に取り込まれて規定された。当時は通達は法規的なものと理解され
 ていた。

   その通達は「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」として、
  役所の御用納めの日に当たる1989年12月26日に出された。これによって、証券会社が
 損失補填する財テクを事実上禁止した。
   しかし、証券会社にとっては死活問題である。金儲けができなくなる。向こうも
  必死だった。
  証券会社を指導しなければいけないので、私は、現場の営業担当者たちがやって
 いる実態を把握して、それを証券会社の本社に突きつけた。証券会社の営業担当者
 は、損失補填を口約束したり、名刺の裏に補填すると書いて相手に渡していたので、
 「お宅の支店の営業担当者たちは、こういうものを名刺に書いて渡していますけど、
 把握していますか?」と聞いた。本社の人間はビックリしていた。真顔で驚いてい
 たから、本当に知らなかったのかもしれない。「今は株価が上がっているからいい
 ですけど、もし株価が落ちて、すべての会社から補填を求められたら、どうなりま
 すか?」と間いたら「そんなことになったら、うちは潰れます」という答えだった。

  名刺の裏に個人で書いたものだから会社の保証ではない。しかし、現実的には会
 社が言い逃れをするのは無理である。
  私は「損失補填というのは、そもそも公序良俗違反だから、我々がこの通達を出
 せば、『行政のほうが指導してきたから、従わざるをえないんです』といって、損
 失補填の約束を反故にできますよ」と伝えたら、青ざめた顔で「早く通達を出して
 ください」と懇願された。
  実際、証券会社にとってはかなり危険な状態だったと思う。株価が上がり続けて
 いるから問題が起こっていなかっただけで、いったん下がり始めたら証券会社にと
 って大変なことになっていたはずだ。
  こうして通達が出される運びとなった。

  そのころの大蔵省は局長が力を持っており、局長の権限で通達を出していた。は
 っきりいえば、局長が大臣のような感じだった。本当の大臣には報告するだけだ。
  当時の証券局長は角谷正彦氏だったが、局長室での会議で、「高橋、この通達を
 出すと株価はどうなる?」と聞かれた。「すぐに株価は下がります」と答えたのを
 覚えている。
  株価が下がることになるが、それでも角谷局長は決断して通達を出してくれた。
  通達を出しだのが1989年12月26日。年末の12月29日の大納会の日に
 日経平均は3万8957円の最高値をつけている。翌年1月4日の『日本経済新聞』
 には、株価予想として6万円という数字まで出ていた。しかし、実際の株価は一月
 から下がり始めた。

  株価はどんどん下がっていき角谷局長からは「お前、よく当たったな」といわれ
 た。私は、売買回転率に原因があると見ていたので、通達によって回転率が下がれ
 ば、株価も下がるだろうと予測していた。「これで、株高は終わった」と思った。
 銀行局も同じような問題意識を持っていたようだ。土地融資規制が弱かったので、
 融資を絞った。1990年3月27日に不動産融資総量規制の通達が出され、同年
 4月から実施された。不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑える内容
 によって、不動産向けの融資が絞られ、不動産価格の下落が始まった。
  株価はすぐに反応するが、不動産価格の場合は少し時間がかかる。一年後くらい
 から不動産価格は大幅に下がり始めた。この総量規制の通達が出たとき「これで土
 地の値段は下がるな」と思った。

  振り返っていえば、1989年12月の営業持金禁止通達で「株バブル」が終わ
 り、1990年3月の不動産融資総量規制通達で「不動産バブル」が終わった、と
 いうのが私の認識だ。株と不動産の資産バブルが終わったので、バブルは終わりである。
 ところが、そこに日銀が乗り出してきた。

          第4章 「バブル期」の真実がわかれば、現在の経済が見える  
                        高橋洋一 著『アベノミクスの逆襲』

                                 この項つづく 

 

 

 

● 今夜のワンダフル工学

窓に貼り付どこでもデジタルフォンやデジタルパッドを簡単に充電できる優れもの。
もっとも、ソーラー素子の効率が向上しコンパクトにできれば室内照明だけでも充分
な充電が可能となる(『ナノポア工学』あるいは『量子ドットアレイ工学』)。 


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