● 集光型マルチ太陽電池セル変換効率50%時代
集光型太陽電池セルの世界記録がまた塗り替えられ44.7%(297倍集光)。約1年で
着実に効率を高まっている。今回の成果は変換効率50%を目指す技術開発の途中経過
であり、近い将来50%の太陽電池セルを公開できそうだ(今回開発された技術は既に
フランス国内の生産ラインに組み込まれているという。また、集光型太陽電池セルを
用いた太陽電池モジュールの開発も進んでいる。Fraunhofer ISEは44.7%を記録した太
陽電池セル52枚をドイツORAFOL Fresnel Optics社が製造したフレネルレンズと組み
合わせた太陽電池モジュールを開発している。集光型用の太陽電池セルは小さい。製
造技術上、大型化できないためレンズなどと組み合わせて使う。下図のウエハーの直
径は100ミリメートル。セル1つの寸法は3ミリメートル角以下。製品化にまで1~
2年を要し、1キロワットアワーを発電するコストが8ユーロセント(約11円)未
満になるという。Soitec社は量産可能になった集光型太陽電池セルを用いたモジュー
ルの販売を既に進めている。同社の子会社であるSoitec Solar Development社は、2014
年10月、米San Diego Gas&Electricと米カリフォルニア州の発電所向けに交流出力150
メガワット(8万3400基)の販売契約を結んだことを発表。
尚、46.0%という記録を達成した太陽電池セルには構造上の特徴がある。異なる化合
物半導体を上下方向に4層重ね合わせた4接合太陽電池セルと呼ばれる構造(上図参
照)。
このように欧米での太陽光発電の開発と導入実績は着々と進んでいるかのようにみえ
る。うかうかしていると技術立国日本は一周遅れの後塵を拝すことになる。これは本
懐や如何に!?
● デフレ脱却と安定成長への道 Ⅲ
原子力発電の日本に導入した中曽根康弘は、新自由主義・市場原理主義も導入したが
ことの発端とか、その後のデジタル革命に象徴される科学技術進歩や自民党政権数々
の失策を重ねた結果、勤労国民は長いデフレ不況で苦しむことになったという。今夜
は第4章から5章にかけ読み込む。新自由主義と闘いでは、デヴィッド・ハーヴェイ
は国際的な連帯意志でその侵攻を阻止しようと呼びかけるが、著者は国家主義的な共
同体意志でその侵略を阻止しようと提案する。次回の第6、7章でこの項で終了とな
る。いよいよ佳境を向かえる。
尚、昨夜と同様に詳細は各著書の別に参照願う(→ こちら)。
小泉首相は就任2年目の2002年1月の施政方針演説で、「基礎的財政収支(
PB)の赤字を10年後の2012年にゼロないし黒字に転換する」という緊縮財
政によるデフレ政策をなぜとったのだろうか。それは、日本に日本人の預貯金を
使わせないようにし、余剰資金をアメリカに吸い上げさせるアメリカの日本財布
論と、緊縮均衡財政を強行したい財務省の思惑が一致したからであろう。
日本に均衡財政を要求することは、石油危機以降の安定成長路線を否定するもの
であり、日本の余剰預貯金が国内では使われないようにし、日本をデフレにする
政策である。石油危機以降の日本は、余ってきた国民の預貯金を政府が国債を発
行して吸収し、その資金を公共投資として使い、社会的なインフラを構築してい
くという政策をとってきた。この政策は石油危機の前に、『列島改造論』で田中
角栄首相が唱えた政策であって、一時は頓挫したものの、1970年代後半から
具体化し、官民共同して築いてきた安定成長路線であった(図表5‐1日本は政
府投資が民間投資を補完する経済体質」参照)。
つまり、民間の投資だけでは使い切れない余剰資金を政府が国債で吸い上げ、そ
れを公共投資に使って社会インフラをつくり、この政府投資に民間がフォローし
て官民共同の投資で相乗効果を生んできたのである。
ところが、こうした理想的な資金循環と経済成長を遮断したのが1996年の橋
本財政改革であった。橋本財政改革法は、「中央政府と地方政府の合計で財政赤
字を今後5年間で名目GDPの3%以内にする」という数値目標つきの法律であ
った。当初からこの目標はあまりにも厳しく、実現不可能であり、目標を達成す
るためには大幅な財政支出の削減が予想された。これを見越して、外資を中心と
した大胆な日本株売りが発生し、多額の株式を保有していた大手銀行は、株価暴
落による信用危機に遭遇したのである。
そのため、1997年には金融危機が発生し、財政赤字はかえって拡大すること
になってしまった。金融危機が発生したとき、竹下登元首相が「財政規律を法制
化したのが失敗だったなあ」とつぶやいたと間いた(自民党の有力政治家から聞
ぃだ話)。まさにその通りであったので、財務省はその汚名を返上するために、
再び緊縮財政を導入しようと考えていたのだ。
また小泉首相は、新自由主義者・市場原理主義者として「小さい政府」を指向し
OECDの統計で見れば「すでに小さすぎる日本の政府」を、さらに小さくしよ
うとしていた。この考えと、1997年の財政改革の失敗を糊塗するために緊縮
財政を実行したい財務省の思惑とが一致し、それが子ブッシュの日本財布論の強
化に答える形で、デフレ政策が進められたのである。「デフレを始めたのは自民
党で、花を咲かせたのは民主党である」(2013年3月、参議院予算委員会、
自民党・脇雅史氏)という発言があり、政策デフレであったことを現在の自民党
は認識している。この結果、得をしたのはアメリカであった。
第5章 日本はこうして悪魔に犯された
菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』
地方交付税交付金と国庫補助金を大幅に削減して米国債購入の原資を捻出
基礎的財政収支均所政策の目標を達成するために、政府(財務省)がとってきた
手段は緊縮財政であり、その内訳は「公共投資と地方交付税交付金・国庫支出金」
を毎年削減していく政策であった。これで国内需要と地方経済は大きなダメージ
を受けた。
「地方交付税交付金」は太平洋戦争中の1943年に制度化された財政支出で、
中央政府が徴収した法人税と所得税の一定割合を地方政府に分与するという政策
である。政策の基本的な考えは、「日本中どこにいても日本国民は平等な公共サ
ービスを受けられる。とくに教育と医療は全国的に同じ基準で受けられる」とい
うもので、戦後も継続され、目本国の平等で公平な財政支出として、諸外国、と
くこ発展途上こくの模範となっている。
また経済的な側面から見ると、全国的に日本国民はよく働き、貯金する。その貯
金は地方だけでは使い切れないので、地方銀行や郵便局を通して、東京や大阪な
ど経済活動が盛んな地域に集められて、貸し出しの原資となる。企業活動による
利益ら、法人税と所得税が生じて、中央政府に集められる。しかし、その原資は
地方の居住者の預貯金であるから、中央政府に集められた税収はその運用益であ
る。そこで、原資を供給してくれた地方の国民に、地方交付税交付金として配分
するという仕組みである。
小泉構造改革で地方交付税交付金と国庫支出金(補助言、公共投資を毎年削減し
てきた結果、削減額の累計は、2000年度を基準としてみると、2001年度
から2010年度までの10年間で、実に75・4兆円に達した。その内訳は、公共
投資で16.4兆円、地方交付税交付金で43.1兆円、国庫支出金(補助金)で15.9兆
円の削減である。これだけの資金が緊縮財政で減らされ、実質的に「地方から中
央政府へ召し上げられた」のである。どのように吸い上げられたかは、図表5-
2「緊縮財政で国が地方から召し上げた金額」をご覧願いたい。
「金は天下の回りモノ」と言われている。地方から中央に集められたお金を地方
へ戻さないと、経済は活性化しない。基礎的財政収支均衡政策は「地方から金を
召し上げ、運用益は地方には回さない」(やらずぼったくり)という政策であり
国内経済を疲弊させる。その結果、リーマン・ショックで輸出企業の税収が激減
したときに、内需中心の企業からは税収が上がらず、日本経済全体で弱体化した
姿になっていたのだ。
第5章 日本はこうして悪魔に犯された
菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』
デフレ政策の結果、国内から94兆円が海外へ(米国債へ70兆円)
内開府が毎年発行している「国民経済計算」(2013)によれば、過去10年間
で家計の金融資産は108兆円も増加したのに、国内で使われた資金はわずか14
兆円にすぎず、残りの94兆円が海外に放出されている(図表5‐3「過去10年間
で94兆円が海外に流失」参照)。 この図表では、経済主体を「家計」「企業」
「政府」と「海外」に分けて、資金の流れがどのように循環しているかを示して
いる。2000年から2010年にかけての過去10年間で、「家計」の金融資産
は1436兆円から1544兆円と108兆円も増加している。しかし、デフレ
政策をとったために、「家計」と「企業」で使う資金が減り(家計では17兆円減、
企業では220兆円減)、「政府」では増えている(251兆円)ものの、合計
で94兆円が捻出されて「海外」に流失している。国内のどこから捻出されたかを
見ると、次の通りである。
①地方交付税交付金・公共投資・国庫支出金(補助金)の合計で見た削減累計額
が75.5兆円に達し(図5-2参照)、さらにデフレによる国内での圧縮分で18.6兆
円を捻出し、合計で94見円が国内から海外へ流失した。
②国内の余剰資金よ毎外印どこに出たかを見ると、政府による米国債の購入(外
貨準備の増加順)が70兆円であり、残りの24兆円は民同企業と個人が海外へ投資
した金額である。小泉首相と財務省は、基礎的財政収支均衡目標を取り入れた緊
縮財政(デフレ政策)をとって日本国民の預貯金を日本のために使わせないよう
にした結果、国内から94兆円が海外へ流出し、そのうちの75%で、政府が米国債
に投資したのだ。
小泉構造改革は、アメリカの日本財布設に緊縮デフレ政策で協力していたのだ。
このことがはっきりと証明されている。原資はすべて日本国民の預貯金であり、
少なくとも70兆円が米国債に流れている。
第5章 日本はこうして悪魔に犯された
菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』
アメリカの財布になろうとした郵政民営化(自民党の正義派・愛国派が反対)
郵政公社民営化法案は、2005年7月4日、衆議院本会議で可決された。しか
し、与党・自民党内から法案に反対する議員が多く出たために、わずか5票差と
いう僅差の可決であった(37人反対、H人棄権)。次いで参議院では、8月7日
に本会議で否決された(自民党の22人が反対)。参議院で否決されたその日に、
小泉純一郎首相は衆議院を解散し、「郵政公社民営化に賛成か、反対か、国民に
問いてみたい」と宣言して、選挙で勝負する方針を打ち出した。
なぜ自民党の多くの議員が反対したのか。ここで、図表5‐4「日本の国債・財
投債保有者別内訳」をご覧いとどきたい。2004年19一月末時点で、政府短
期証券を除いた国債発行総額は505兆円あり、この33%に当たる166兆円が
日本郵政公社によって保有されていたのである。したがって、日本郵政公社が民
間企業になり、外資に買収されると、国債発行額の3分の1が外資に握られ、日
本の国債調達に穴が開き、国家財政が破綻し、国家が破滅の危機に遭遇する。
この危機感が自民党内に広がり、多くの正義派・愛国派の議員が民営化に反対し
たのである。事実、郵政民営化を要求するアメリカは、民営化すればアメリカの
投資銀行が日本郵政公社を買収し、300兆円の金融資産を手に入れて、その運
用資金を自由自在に操作しようとしていたのだ。1994年からの「年次改革要
望書」では、毎年、「簡保生命を民営化せよ」と要求していた。しかし、本音と
しては郵便保険を含む300兆円を一挙に手に入れようと考えていたことは確か
であり、財政赤字国アメリカとしては、新規国債の引き受け先として日本郵政公
社を考えていたのだ。
ここにアメリカの国家戦略がある。この考えはいまでも変わらない。当時の大マ
スコミはこうした事実を報道しようとせず、国民には民営化に伴う危機を知らせ
ずに、「官から民へ」の大スローガンを立てて国民を煽りに煽ったのだ。国民は
事実を知らないまま、マスコミの「官から民ヘ」「官から民へ」の大キャンペー
ンで、選挙に放り出されたのである。
第5章 日本はこうして悪魔に犯された
菊池英博 箸 『そして、日本の富は略奪される』
昨夜につづき、今夜は第5章の「今こそ『アベノミクスの逆襲』の時」に入る。ここ
では「経済成長してパイを大きくすれば6~7割の社会問題は片づく」という極めて
シンプルな帰結が導き出される(詳細は → こちら)。
消費税を増税するかしないかで、どれほどの違いが生まれたか
もし、2014年4月からの増税がなかったらGDPの「額」はどう推移しただろう
か。そして、今後どうなるだろうか。もし、増税がなかったらどうだったかは、
じつはシンプルに考えられる。下図8を見ていただきたい。第一章で説明したよ
うに、GDPの「率」ではなく「実額」を概念的にグラフにしたものだ。
2014年4月の消費税増税がない場合、1年ごとに2%の成長で経済が伸びていった
と考えれば、それほど変な数字ではないはずだ。第1章で見たように、1年で2
%成長するということは、四半期で分けると、0.5%成長くらいになる。2013年
10-12月期の実質GDP527兆円を基準に、四半期ごとに0.5%ずつ成長していっ
たと単純に計算すると、本来ならば527兆円(13年10-12月期)→529.6兆円(14
年1-3月期)→531.3兆円(14年4-6月期) →534.9兆円(14年7-9月期)→537.8
兆円(14年10-11月期)……というように伸びていく。
これに対して、実際のGDPの動きを概念図としてグラフに描いてみると、2014
年4月に消費税の増税があったので、その前段階の駆け込み需要でグラフはグッ
と膨らみ、4月以降、大幅に落ち込むことになる。その落ち込みが事前にいわれ
ていたように「軽微」なものではなかったことも、前に説明したとおりだ。駆け
込み需要の反動減だけではなく、増税で実質所得が減った分の打撃を受けている
ので、残念ながら駆け込み需要の山よりも、その後に来る谷のほうが深い。
このあとはどうなるか? 一回落ち込んだところから、再び年2%成長のライン
に乗ったとしても、当然のことながら到達点は2014年4月に増税しなかった場合
には届かない(それでも「V字回復」ラインだ。実際にはもっと成長率が落ち込
んで「L字回復」になる可削悒も否定できないがべ 「率」だけで見ていると、
2014年4-6月期に大幅に落ち込んだだけに、次の期は「劇的に回復した」と見せ
かけられてしまうかもしれない。だが実際には、「額」で見た場合には、このグ
ラフで示されている打撃(差)を受けてしまっているということだ。
もし、2015年10月に消費税が8%から10%に引き上げられたら、その前後にまた、
山と谷が発生して、何もしなければ一段低いところに落ち込んでしまうことにな
る。今となっては、落ちてしまったものは致し方ない。落ちた現実を受け入れつ
つ、倦まずたゆまず、そこから伸ばしていくしかない。そして、今後、経済が落
ち込むことがないように知恵を絞るしかない。では、どういう手を打つべきだろ
うか。
第5章 今こそ「アベノミクスの逆襲」の時
高橋洋一 著『アベノミクスの逆襲』
「反成長」に飯の種がある人たちの妄言など決して聞くべからず
そして、経済成長のための道は、今まで説明してきたように、きわめてシンプル
だ。第4章で詳しく紹介したように、あの平成バブル退治後に日本経済が大惨事
に追い込まれたのは、「政策の失敗」があったがゆえのことであった。遂にいえ
ば、よい政策さえとれば、経済成長を実現することは不可能でも何でもないのだ。
最後に、反成長論者の嫌う図を1つ乗せておこう。
いずれも、最近20年間で、日本の経済成長が世界でほぼビリで、マネーの増や
し方を怠ったことを示唆している。「相関関係は因果関係でない」などとL張す
る人もいるが、先進国では、マネーの変化のあと1~2年で成長率が変化するこ
ともわかっている。これは、マネーが「原因」で、経済成長が「結果」なのでは
ないか。
経済失策があまりに長く続いたので、日本経済はもう成長できないとすら思い込
んでいる人がいる。だが、それは問違いだ。現に、2012年12月に政権の座
に就いた安倍首相相が「アベノミクス」を高らかに唱えて以来、日本経済は劇的
に好転した。まっとうに奮闘してきた日本企業の多くがまっとうな成果を手にで
きるようになり、次々と過去最高益を叩き出す企業が続出した。労働者の賃金も
上がり始めた。その一方、これまでのデフレに対応して労働者に過重なしわ寄せ
をしてきた「ブラック企業」は、たちどころに苦境に追い込まれていった。この
ようなことこそ、正しい政策が正しい結果を生む、何よりの証拠ではなくて、何
であろうか。
これまで本書で見てきたように、自分たちの邪な思惑を実現するために、あえて
間違いだらけの経済論を信じ込み、真剣にそれに向けて行動を繰り広げる人たち
もいる。その尻馬に乗る経済学者やエコノミストも数知れない。そして、「アベ
ノミクス」に象徴される経済政策に対して、闇雲で素っ頓狂でバカげた批判を繰
り返す人が後を絶たない。
だが、根本において間違っているものは、どこまでいっても間違いでしかない。
そのようなものに嘸されていたら、再び日本経済は地を這うような苦境に叩き込
まれるに違いない。もちろん成長しなくても、困らないどころか、むしろかえって都合の
よい人々がいることも事実だ。収入が高くなくても安定している公務員からすれ
ば、デフレのほうが快適だ。たとえ景気が悪くなろうとも、増税を断行してバラ
マキを増やしたほうが、権益が拡大し、天下り先が増えて、老後が安定する人た
ちもいる。様々な問題が噴出したほうが都合がよいマスメディアもあるだろう。
自分自身が妄信するイデオロギーに基づいて「経済成長」をあたかも悪であるか
のように描き出す勢力すら存在する。
だが、そんな「反成長」に飯の種があるような人たちのいうことを聞いていては、
その他大勢の普通の国民は塗炭の苦しみに叩き落とされるしかないのだ。今、「
アベノミクス」の成果を拡大できるか、それとも地に堕としてしまうかの瀬戸際
である。ぜひとも「アベノミクスの逆襲」を実現させなくてはならない。何か経
済成長をもたらす「正しい政策」なのか。難しい現実の中で、それでもなお、正
しい政策を貫こうとしている勢力はどこにいるのか。そして「言論」を封殺し、
誰かにとって都合のよい「もっともらしい嘘」をついているのは誰なのか。きち
んと見極める眼が、今こそ、求められているのである。
第5章 今こそ「アベノミクスの逆襲」の時
高橋洋一 著『アベノミクスの逆襲』
この項つづく
カプリースの24の奇想曲最終曲24番
すでに述べた通り、リーマン・ショック後に就任したオバマ大統領は、経済情勢が
ニコロ・パガニーニの24の奇想曲作品1は、ヴァイオリン独奏曲。無伴奏曲で、
ヴァイオリンの重音奏法や、視覚的にも演奏効果の高い左手ピッツィカートなど強
烈な技巧が随所に盛り込まれた作品。ヴァイオリン演奏家には難曲に挙げられる。
フランツ・リストは演奏技巧のもつ音楽の可能性に触発され、ピアノ曲に編曲して
いる。1800年から1810年頃にかけてジェノヴァで作曲されている。その10年後の
1820年にミラノで「作品1」としてリコルディから出版される。作曲の動機につい
ては不明ではあるが、ロカテッリやロードなどのフランコ・イタリア派作曲家たち
からの影響がある。パガニーニは、舞曲や行進曲のリズムの使用、バロック音楽や
ジプシー音楽からの影響、ヴェネツィアの舟歌からの引用やギターのトレモロの模
倣など、多くのヴァイオリン曲の中で特異な魅力を放つ。
この最終曲(イ短調、2/4拍子)は全曲をまとめるにふさわしい華麗な変奏曲。主題
と11の変奏、それに終曲が付随する。僅か16小節の主題が技巧的に展開されてい
るる。後の作曲家に「パガニーニの主題による変奏曲」として改作され、なかでもリ
ストの「パガニーニ練習曲第6番」、ブラームスのパガニーニの主題変奏曲、ラフマ
ニノフのパガニーニの主題による狂詩曲などロマン派作家が競ってピアノ作品に改作
・編曲された。