公孫丑(こうそんちゆう)篇 「浩然の気」とは / 孟子
※ 餞別とわいろ:門人の陣臻(ちんしん)が孟子にたずねた。「このまえ、斉から
金百鎰(いつ✻)を贈られたとき、先生はお受け取りになりませんでした。しか
しこのたびは宋から七十鎰を贈られてお受け取りになり、薛(せつ)からも五十
鎰を贈られてお受け取りになりました。このまえお受けにならなかったのが正し
いとすれば、このたびお受けになったのはまちがっています。このたびお受けに
なったのが正しいとすれば、このまえお受けにならなかったのはまちがいという
ことになります。いったいどちらが正しいとお考えですか」、「どちらも正しい
のだよ。宋ではわたしは遠方へ向かうところだった。旅立つ特に餞別を贈るのは
礼儀だ。だから宋王も『餞別です。お収めください』と言って渡してくれた。受
け取って当然だろう。薛では、身に危険がせまっていた。領主も『物騒なようで
すから、警護の費用にでも』と言って贈ってくれた。これも受け取って当然だろ
う。しかし斉での場合は受け取る理由がなかった。正当な理由もないのに大金を
贈るのは、買収しようとの魂胆だ。君子はそのようなものは受け取らない」
〈金百鎰〉 原文は「兼金」で、良質の金のこと。一鎰は二〇両、約八OO匁。
諸国遊説には、諸侯からこのような献金があったようで、当時の遊説家の生態が
しのばれる。
No.96
【ゼロウエスト篇:海水系生分解プラスチックの開発】
11月15日、 株式会社カネカは、本年9月に開発商品のポリエステル系生分解性プラスチック(
商品名:カネカ生分解性ポリマー PHBH)で、海水中で生分解するとの認証「OK Biodegradable MAR
INE」を取得したことを公表。積極的にバイオプラスチックの採用を進める欧州で最も認知されている
認証機関VINÇOTTEによるもの、同社が開発した生分解性に優れた百%植物由来のバイオプラスチッ
クであり、現在欧州地域のプラスチック袋用途を中心に市場開拓を進めている。近年では、プラスチ
ックによる陸上の汚染に加え海洋汚染、特にマイクロプラスチックによる生態系への影響に関する懸
念が高まっている。今回、海水中でのPHBHの生分解性が認められたことから、海洋への投棄・漂流
の多い漁具・釣具や浮き、藻場再生などの海洋資材*5への用途拡大に取り組んでいる。同グループは、
この様なバイオマス由来で生分解性機能を併せ持つ新製品開発などにより、地球環境の問題に対して
ソリューションの提供を方針としている。
尚、ベルギーの認証機関「ヴァンソット」が認めたのは、原料が植物油脂など百%植物由来のプラス
チック「PHBH」。カネカによると、30℃の海水中で6カ月以内に90%以上が水と二酸化炭素
に分解。カネカはPHBH2011年から、土中で分解されるプラスチックとして高砂工業所で生産
し、食品用の袋や農業用のシート向けに販売している。だが、価格が一般のプラスチックに比べて2
~3倍と高いこともあり、国内では普及していない。欧米の一部では、生分解性プラスチック以外の
レジ袋を禁止するなど、規制が強まりつつあり、カネカは国際認証を得たことで、欧米での販売を増
やす方針にある。ところで、近年、大きさが5ミリ以下のプラスチックごみ(マイクロプラスチック
)が世界各地の海で見つかっている。汚染物質などを吸着して魚や鳥の体内に取り込まれており、人
体への悪影響が懸念されている。
❏ 特許5941729 分解速度が調節された生分解性プラスチック製品
並びに当該製品の製造方法
【概要】
農林水産業などの環境中で使用される生分解性プラスチック、特にはポリヒドロキシアルカン酸の分
解速度を調節する方法を提供にあたり、ポリヒドロキシアルカン酸を含む生分解性プラスチックであ
って、ポリヒドロキシアルカン酸分解酵素を生産する微生物の胞子または該酵素を生産する好熱菌の
少なくとも1つ含有することを特徴とする、生分解性プラスチック。ポリヒドロキシアルカン酸は、
ポリ(3-ヒドロキシ酪酸-co-3-ヒドロキシ吉草酸)またはポリ(3-ヒドロキシ酪酸-co
-3-ヒドロキシヘキサン酸)が好ましく、環境中で使用される生分解性プラスチックの分解速度を
調節することができる(詳細は下表クリック)。
【ソーラータイル事業篇:瓦一体型太陽電池VISOLAが「みらいのたね賞」】
カネカはさらに、瓦一体型太陽電池VISOLA(ヴィソラ)が一般財団法人日本能率協会より「みらいのた
ね賞」――優れた建築を生みだすことに貢献しうる、優れた製品、未来への布石となる製品を表彰す
る彰するもの―――を受賞。授賞式は、下記の「みらいのたね賞シンポジウム」にて行われる予定(
下図参照)。
❏ 特許5608386 屋根構造
【概要】
太陽電池モジュールと屋根構造を形成する他の部材が、一体感を有していて見栄えが良く、防水性が
高い屋根構造を提供にあたり、下図46のように屋根部材の一部が隣接する屋根部材と重なって、屋
根部材の一部が露出する状態で屋根下地上に平面的な広がりをもって並べて載置され、断面構造に2
枚の屋根部材が重なった2重部位と、3枚の屋根部材が重なった3重部位がある基礎屋根構造を有し
、太陽電池モジュールは電力を取り出す端子ボックスを裏面側に備え、端子ボックスが2重部位の上
に位置すると共に、太陽電池モジュールが基礎屋根構造上に平面的な広がりをもって並べて載置され
ることを特徴とする屋根構造の特徴で信頼性の高い防水性能を確保しつつ、一体感があって美しい屋
根構造を実現することができる。
【符号の説明】
1 屋根構造 2 スレート瓦(屋根部材) 3 基礎屋根構造 6 軒先取付け金具(軒先取付け具)
6 中間取付け金具(取付け具) 10 太陽電池モジュール 50固定片51 接続部 52 下板部
53 第1正面立ち上げ部 55 上板部 56 裏面立ち上げ部 57 支持台部 58 第2正面立
ち上げ部 60 正面部 61 覆い板構成部 64 屋根部材保持凹部 65 モジュール保持凹部
70 固定部構成部材 71 中間板部材 72 下板部材 73 上板部材 74 押さえ板部材 75
立ち上げ部
【世界初、日本のデジタル内服錠剤の認証】
11月14日、大塚製薬株式会社とプロテウス・デジタル・ヘルス社は、世界初のデジタルメディス
ン「エビリファイ マイサイト」の承認を米国FDAから取得したことを公表。「エビリファイ マイサ
イト」は、エビリファイの錠剤に摂取可能な極小センサーを組み込んだもので、同剤の適応である成
人の統合失調症、双極性Ⅰ型障害の躁病および混合型症状の急性期、大うつ病性障害の補助療法にお
いて使用される。この錠剤を服用すると胃液に反応してセンサーが胃内でシグナルを発し、患者の身
体に貼り付けたシグナル検出器「マイサイト パッチ」がそれを検出。この検出器は、患者服薬デー
タだけでなく、活動状況などのデータを記録し専用の「マイサイトアプリ」に送信。アプリには、睡
眠や気分などを患者さんが入力できる。これらのデータはスマートフォンなどのモバイル端末に転送
され、患者の同意があれば医療従事者や介護者との情報共有も可能にとなる。
尚、米国内の試算では、処方通りに薬を飲まなかったことで病気が悪化したり、別の治療が必要にな
ったりして年間に計1千億ドル(約11兆円)のコストがかかっているという。この錠剤がうまくい
けば、薬を飲み忘れやすいほかの病気のお年寄りらにも応用できると関係者は期待を寄せる。一方、
患者のデータ管理や利用には、より慎重さを求める声が上がる。患者の様子を遠くから監視すること
にもつながりかねないとの懸念がある(朝日新聞デジタル 2017.11.15)。プロテウス社の社長はこの
システムにより、それぞれの患者の治療計画に役立つ情報を新しい方法で収集できるとコメント。大
塚製薬などはまず、米国の少数の患者を対象に、製品の価値を確認するという。日本での販売は現在
予定していない。
※約3ミリのセンサーを組み込んだ錠剤と、貼り付け型の検出器。大塚製薬によると、このような医
薬品と医療機器を一体化した製品の承認は世界初。
❏ US9681842B2 Pharma-informatics system :医薬情報システム
【概要】
ユーザによって取り込まれた組成物の関連信号を受信するように構成されたコイルと、これにに動作する結合
されたデータ記憶素子とを含む装置であって、このデータ記憶要素が、関連信号に基づき、時間情報、 日付
情報、またはユーザ情報を含む(詳細下図クリック)。
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第63章 でもそれはあなたが考えているようなことじゃない
私と秋川まりえは秘密を共有した。それはこの世界でおそらく私たち二人だけが共有している
大事な秘密だった。私は自分が地底の世界で経験したことをすべてありのままに彼女に語り、彼
女は自分が見仏の屋敷の中で経験したことをすべてありのままに私に語った。私たちはまた、
『騎士団長殺し』と『白いスバル・フオレスターの男』という二枚の絵が堅く梱包され、雨田具
彦の家の屋根裏に隠されていることを知フている、この世界でただ二人の人間だった。もちろん
みみずくは知っているが、みみずくは何も語らない。沈黙の中に秘密を呑み込んでいくだけだ。
まりえはときどき私の家に遊びにやってきた(叔母さんには言わずに、秘密の通路をとおって
こっそりと)。そして我々は額を寄せ合うようにして、同時進行するその二つの体験談のあいだ
に何かしらの共通項が見いだせないものかと、時系列を辿って隅々まで細かく検討した。
まりえが失踪していた四日間と、私か「遠くに旅行に出ていた」三日聞か一致していることに
ついて、秋川里子が何か疑念を抱かないかと心配だったのだが、そんなことはまったく彼女の順
に浮かばないようだった。そしてもちろん警察もその事実には注意を向けなかった。彼らは〈秘
密の通路〉の存在を知らないし、私の往んでいる家はあくまで「尾根ひとつあちら側」というこ
とになってしまう。私は「近所の人間」とは見なされなかったし、したがって警察官がうちに事
情を聴きに訪れたりするようなこともなかった。彼女が私の絵のモデルをつとめていたことを、
秋川笙子は警察には言わなかったようだ。たぶんそれを必要な情報だと彼女は思わなかったのだ
ろう。もし警察がまりえの行方不明の時期と、私が姿を消していた時期とを重ねあわせていたら、
私はいささか微妙な立場に立だされていたかもしれない。
私は結局、秋川まりえの肖像画を完成させなかった。ほとんど完成に近い状態にあったから、
最後の仕上げさえすればよかったのだが、その絵を完成させたときに持ち上がるであろう事態を
私は危惧した。それをいったん完成させてしまえば、免色はきっとあらゆる手を尽くしてその結
を手に入れようとするに違いない。免色がたとえどう言おうと、私にはそのことが予測できた。
そして私としては、秋川まりえの肖像画を免色の手に渡したくはなかった。それを彼の〈神殿〉
に送り込むわけにはいかなかった。そこには危険なものが含まれているかもしれない。だから結
局その結は未完成のまま終わることになった。しかしまりえはその絵をとても気に入っていたの
で(「この結は今の私の考えをとてもよく表している」と彼女は言った)できればそれを自分の
手元に置きたいと言った。私はその完成していない肖像画を喜んで彼女に進呈した(約束通り下
絵の三枚のデッサンもつけて)。絵が未完成であるところがかえっていいのだと彼女は言った。
「絵が未完成だと、わたし白身がいつまでも未完成のままでいるみたいで素敵じゃない」とまり
えは言った。
「完成した人生を持つ人なんてどこにもいないよ。すべての人はいつまでも未完成なものだ」
「免色さんもそうなの?」とまりえは尋ねた。「あの人はとても完成されているみたいに見える
けど」
「免色さんだっておそらく未完成だ」と私は言った。
免色は決して完成された人間なんかじやない。それが私の考えだった。だからこそ彼は夜ごと
に高性能の双眼鏡で、秋川まりえの姿を谷間の向かい側に求め続けている。そうしないわけには
いかないのだ。その秘密を抱えることによって彼は、この世界における自分の存在のバランスを
うまくコントロールしている。それはおそらく免色にとっては、サーカスの綱渡り芸人の持つ長
い棒のようなものなのだ。
もちろんまりえは免色が双眼鏡を使って自分の家の内部を観察していることを知っていた。し
かしそのことは(私以外の)誰にも明かさなかった。叔母にも打ち明けなかった。なぜ彼がそん
なことをしなくてはならないのか、その理由はまだ不明のままだ。しかしどうしてかはわからな
いが、その理由を追求したいという気持ちになれなかった。彼女はただ自分の部屋の窓のカーテ
ンを決して開けようとしなかっただけだ。その目焼けしたオレンジ色のカーテンは常にぴたりと
閉じられていた。そして夜に服を着替えるときは、いつも部屋の明かりを消すように注意してい
た。しかしそれ以外の家の部分に関して言えば、日常的に盗み見られていたとしても、彼女はそ
れほど気にはしなかった。むしろ自分か観察されていることを意識して、それを楽しむことさえ
あった。あるいは自分しかそれを知らないということが、まりえにとっては意味を持っていたの
かもしれない。
まりえによれば、秋川笙子は免色との交際を続けているようだった。週に一度か二度、彼女は
車に乗って免色の家を訪ねた。そしてそのたびに彼と性的な関わりを持っているようだった(ま
りえは遠回しにそれを表現した)。彼女はとこに出かけるとも告げなかったが、まりえにはもち
ろん叔母の行き先はわかった。帰宅したとき、若い叔母の顔はいつもより血色がよくなっていた。
いずれにせよ――免色の中にどのような種類の特殊なスペースが存在しているにせよ秋川笙子と
免臨が続けている交際を、まりえが阻止する手立てはなかった。二人には二人の道を好きに進ま
せるしかなかった。まりえが望んでいるのは、その二人の関係ができるだけ自分を巻き込まずに
進行してくれることだった。そして自分が、その渦から離れたところに自立した位置を係ってい
られることだった。
しかしそれはまずむずかしいだろう、というのが私の考えだった。遅かれ早かれ、多かれ少な
かれ、まりえは自分でも気がつかないうちに、その渦に巻き込まれていくに違いない。違い周縁
から、やがては紛れもない中心へと。免色はまりえの存在を念頭に置いた上で、秋川里子との関
係を進行させているはずだ。そもそもの企みがあるにせよないにせよ、彼はそうしないわけには
いかないのだ。それが彼という人間なのだ。そして、そんなつもりはなかったにせよ、結果的に
二人を引き合わせたのは私たった。彼と秋川里子はこの家で最初に顔を合わせた。それは光臨が
求めたことだった。そして免臨は自分の求めるものを手に入れることにどこまでも手馴れた人物
なのだ。
光臨がクローゼットの中にある一群のサイズ5のドレスや靴をこれからどうするつもりなのか、
まりえにはわからない。しかしそれらの過去の恋人の衣服は、おそらく永遠にそこに――あるい
はとこかほかの場所に――大事に隠匿され、保管されることになるだろうというのがまりえの推
測だった。彼と秋川笙子がたとえこの先どのような関係に発展していくにせよ、免色にはそれら
の衣服を棄てたり燃やしたりすることはできないはずだ。なぜならその一群の衣服は既に彼の
精神の一部になってしまっているから。それは彼の〈神殿〉に永遠に祀られるべきもののひとつ
なのだ。
私は小田原駅前の絵画教室に教えにいくことをやめた。教室の主宰者には「申し訳ないが、そ
ろそろ自分の創作に集中したいので」と説明した。彼はなんとかその説明を受け入れてくれた。
「あなたの先生としての評判はとてもよかったのですが」と彼は言ってくれた。そしてそれはま
ったくのお世辞というわけでもなさそうだった。私は丁寧にお礼を言った。その年の終わりまで
教室で教え、そのあいだに彼は私の代わりをつとめる新しい先生を見つけてくれた。六十代半ば
の高校の元美術教師たった。象のような目をした性格のよさそうな女性だった。
免色はときどき私のところに電話をかけてきた。とくに何か用件があるわけではなく、私たち
はただ軽い世間話をした。祠の裏手の穴に変わりはないかとそのたびに彼は尋ね、そのたぴにと
くに変わりはないと私は答えた。実際に穴の様子には変わりはなかった。青いビニールシートで
ぴったり覆われたままになっている。私は散歩の途中ときどきその様子を見に行ったが、誰かが
シートを剥がした形跡はなかった。重しの石は変わりなく載せられていた。そしてその穴に関し
て、不思議なことや不審なことはもう二度と起こらなかった。夜中に鈴の音が聞こえてくること
もなかったし、騎士団長も(ほかの何ものも)姿を見せなかった。その穴はただひっそりと雑木
林の中に存在しているだけだった。重機のキャタピラに空しくなぎ倒されていたススキも徐々に
もとの元気を取り戻し、穴の周りは再びその茂みに隠されつつあった。
彼は私か行方不明になっていた期間、ずっとあの穴の中にいたものと思っていた。どのように
して私がそこに入れたのか、それは彼にも説明かつかない。しかし私がその穴の底にいたという
のは紛れもない事実だったし、それを否定することはできなかった。だから彼が私の失踪と、秋
川まりえの失踪とを結びつけることもなかった。彼にとって、その二つの出来事はあくまで偶然
の一致だった。
誰かが彼の家の中に四日間こっそり隠れていたことを、免色が何らかのかたちで感づいている
かどうか、私は慎重に探りを入れてみた。しかしそんな気配はまったく見受けられなかった。そ
んなことがあったとは、免仏はまったく気づいていないのだ。だとすれば、「開かずの部屋」の
クローゼットの前に立っていたのは、おそらく彼本人ではなかったのだろう。では、いったい誰
だったのだろう?
電話はかかってきたものの、もう見仏がうちをふらりと訪れることはなくなった。彼はおそら
く秋川笙子を手に入れてしまったことで、それ以上私と個人的に関わり合う必要性を感じなくな
ったのかもしれない。あるいは私という人間に対する好奇心を失ってしまったのかもしれない。
その両方かもしれない。しかしそれは私にとってべつにどちらでもいいことだった(ジャガーの
V8エンジンの排気音がもう聞けなくなったことをときどき淋しくは思ったが)。
とはいえ、ときどき電話をかけてくるところをみると(電話がかかってくるのはいつも夜のハ
持前だった)、免色はまだ私とのあいだに何らかの繋がりを維持することを必要としているよう
だった。あるいは、秋川まりえが彼の実の娘かもしれないという秘密を私に打ち明けてしまった
ことが、少しは心にかかっていたかもしれない。しかし私がそのことを誰かに――秋川笙子かあ
るいはまりえに――どこかで洩らすのではないかと、彼が心配していたとは思わない。私の口が
固いことをもちろん彼は知っていた。彼はそれくらいの人を見る目は持ち合わせている。しかし
たとえ相手が誰であるにせよ、そのような個人的な深い秘密を他人に打ち明けるというのは、と
ても免色らしくない行為だった。たとえ彼のような意志強固な人間であっても、秘密を終始一人
で抱え続けることにくたびれることもあるのかもしれない。あるいはそのときの彼は、それだけ
切実に私の協力を必要としていたということかもしれない。そして私は比較的無害そうに見えた
のだろう。
でも彼が最初から意図して私を利用していたにせよ、していなかったにせよ、いずれにしても
私は免色に感謝し続けなくてはならないだろう。私をあの穴の中から救出してくれたのは、なん
といっても彼だったのだから。もし彼がやってこなかったら、そして梯子を下ろしてこの地上に
引っ張り上げてくれなかったら、私はあの暗い穴の中でなすすべもなく朽ち果てていたかもしれ
ない。私たちはある意味ではお互いを助け合ったわけだし、これで貸し借りはゼロということに
なるのかもしれない。
『秋川まりえの肖像』を未完成のまままりえに進呈したことを免色に告げると、彼は何も言わず
ただ肯いた。その絵を依頼したのは免色だったが、彼はもうその絵をそれほど必要とはしなくな
ったのかもしれない。あるいは完成していない絵には意味はないと思ったのかもしれない。それ
とも何かべつのことを考えていたのかもしれない。
その話をした数日後に私は『雑木林の中の穴』を自分で簡単に額装し、免色に贈呈した。私は
その絵をカローラの荷台に載せて免色の家まで持っていった(それが免色と実際に顔を合わせた
最後になった)。
「これはあなたに命を肋けていただいたことへのお礼です。よかったら受け取ってください」と
私は言った。
彼はその絵がとても気に入ったようだった(絵としての出来は決して悪くないと私自身も思っ
た)。ぜひ謝礼を受け取ってほしいと言われたが、私はきっぱり断った。彼からは既に過分の報
酬をもらっていたし、それ以上何かを受け取るつもりはなかった。私は免色とのあいだにこれ以
上の貸し借りをつくりたくなかった。我々は今では決い谷間を隔てて住むただの隣人に過ぎなか
ったし、できることならその関係をずっと保っておきたかった。
この項つづく
ボブ アクリー(Robert R. "Bob" Acri )イリノイ州シカゴ生まれのイタリア系米国人(1918年10月1日
~2013年7月25日) は米国のジャズピアニス。ボブはシカゴのオースティン高校卒業し、オースティ
ン・ハイでDave Garroway Radio ShowのNBC Orchestraでキャリア積んだ。古典的に訓練されたピアニ
ストであり、 Rudolph GanzとFred Euingとともに学習。 またカレル・ジラク博士とビル・ルッソ博士
のもとで学ぶ。シカゴのナイトクラブ・ミスター・ケリーのハウスバンドと NBCとABCのラジオ・オ
ーケストラで演奏。 ハリー・ジェームスとともにツアーを行い、レナ・ホーン、マイク・ダグラス、
エラ・フィッツジェラルド、バーブラ・ストライサンド、バディ・リッチ、ウッディ・ハーマンに同
行した。ルーズベルト大学で 70年代後半に音楽学士号と音楽修士号を取得。コンチネンタル・プラ
ザ・ホテルのカンティーナルームでハウスバンドのリーダーとしてのキャリア積み終える。2001年と
2004年に2つのソロアルバムをリリース。2004年のセルフタイトルアルバムに登場した "Sleep Away"
は、Windows 7 のコンピュータオペレーティングシステム用のサンプル音楽として使用された。