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抗うつCM→SB vs. AU

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 相手がどう反撃していいか、わからないような戦法でぼくは権力と戦いたい。
         
                                       ション・レノン

 

 

 

● 抗うつCM→ SB vs. AU

激しい移動体通信の拡販競争のCMが馬鹿!面白い。ソフトバンクは白戸家、かたやAU桃太郎
シリーズ。制作会社は不詳だが、広告業界ではライバル社を直接攻撃することは、マーケティン
グの世界ではタブー視されているものだが、これらは逆効果?を狙ったCMシリーズだろう。こ
れによりドコモは蚊帳の外におかれた格好となっているのではと思わせる。実際はもっと複雑な
戦術要素があるだろうから、単純に売上高に寄与するかどうか分析してみないと分からないが、
わたしが注目するのは、その馬鹿さ加減に伏せられた「抗鬱効果」。拡販という現実的な神経戦
を乖離して浮遊する緊張緩和作用に感心する。実際、仕事疲れの気分転換に役立っているのだ。 

 

古い情報になるが、昨年1月に自民党資源・エネルギー戦略調査会(山本拓会長)は28日、原発から出
る「核のゴミ」の最終処分を議論する小委員会の初会合を開いた。講師として招かれた高橋正樹日本大
教授(火山学)は、北海道東部や東北地方の太平洋側の一部など地層が安定している地域を示し、国内
に最終処分に適した場所があると説明したというもの。



ところで「核のゴミ」は、原子力発電所で使用した核燃料からウランやプルトニウムを回収した
後に出る残りかす(正式名称は「高レベル放射性廃棄物」)。日本ではガラスと混ぜて固化処理
している。現在、ガラス固化体は国内外に計約2500本あり、既存の使用済み核燃料を今後すべて
再処理すると、約2万5千本になる計算になるというのだが、30~50年は青森県六ヶ所村に完成
した中間貯蔵施設で保管できるが、その後は地下3百メートルより深い場所に埋めて、放射線が
低くなるまで数万年も置いておく必要があり、その場所をどこにするかをめぐって、10年以上
も迷走しているという。当の高橋教授は、原発と火山噴火についてインタビューで次のようにも
述べている。


 このうち、噴火規模について、ある程度の予測が可能なのは、地殻変動による推定だ。これ
 までの研究によると、姶良カルデラ内にある桜島火山のマグマ溜まりには、10年あたりおよ
 そ0.1立方キロメートルのマグマが供給されていると推定される。過去2.6万年の間に260
 立方キロメートル近いマグマ溜まりが形成された可能性もある。この半分の量が桜島火山と
 して噴出したとしても、百立方キロメートル以上の超巨大噴火に匹敵する(百立方キロメー
 トルは琵琶湖の容積の約4倍)。そのため、姶良カルデラにおける超巨大噴火の可能性は、
 完全には否定できない。

                                     -中 略-

 また(静岡県の浜岡原発に比較的近い)富士山にしても、江戸時代に大量の火山灰を広範囲
 に降らせた、宝永大噴火(1707年)から300年以上経っており、いつ大噴火が起きてもおかし
 くない。南海トラフを震源とする巨大地震が噴火の契機になる可能性もあるが、噴火以前に、
 巨大な地震や津波の可能性を考えれば、浜岡原発は世界で最も危険な原発と言えるだろう。


                   高橋正樹 「火山影響評価は科学的とはいえない」
                    (川内原発審査の問題② 東洋経済 2014.08.07)


再生可能エネルギーの世界的普及があらわになり、その反面、日本だけが一人取り残されるかの
ようなな状況にある昨今、原発問題に止めを刺すために、広瀬 隆 著『東京が壊滅する日-フク
シマと日本の運命』ダイヤモンド社(2015.07)を取り寄せる。

 【縮原発論 Ⅰ: 核ごみ廃棄処理のススメ】

  目次

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか

 
   はじめに

                      冷静に予測しておかなけれぱならないことがある

    フクシマ原発事故発生から1年9ケ月後2012年12月14日に、福島県に国連のIA
  EA(国際原子力機関)が乗りこんできて、「原子力安全に関する福島閣僚会議」開催され
 ることになった。驚いて危機感にとらわれた福島県民が、私に「県内ではすさまじい”安全
 キャンペーン”がおわれでいるので、IAEAとICRP(国際放射線防護委員会)の正体
 を話してほしい」という要望があった。それに応えて、福島県郡山市で講演会に臨み、本書
 の内容を語ったことがある。

  そのように追いつめられた福島県民の肉体に迫る危険性は、報道界では切り檜てられてお
 り、大変に切迫した状況に置かれている。しかし、福島県民だけでなく、今こそ、被バク渦
 中にある東京を合むすぺての日本人が、本書で述べる”悲惨な披バク者の告発”に目と耳を
 向けるべき時だと痛感して本書を執筆することにした。なぜなら、全世界に「われわれはだ
 まされて苦しんだ。あなたたちが、決して同じようにだまされてはならない?!」と、悲痛
 な声で警告する”読者者の知らない人たち”がいて、日本に住むすぺての人に、危険性を生
 々しく伝えているからである。本書では、その数々の実害を、現在の東京を含む東日本地帯
 と比較しながら、これから日本で何が起こるかを予測してゆきたい。

  はっきり言えば、数々の身体異常と、白血病を含む「癌の大量発生」である。
  これらの病気が、幼い世代の子供、青少年から早く発症することは、現在では誰でも知っ
 ている。
  福島第一原発3号機では、その痛の原因となる最大の猛毒物プルトニウムのMOX燃料を
 使って運転していたが、これが爆発して空高く燃料を噴き上げ、アメリカのロッキー山脈に
 までプルトニウムが到達していたのだ。というのは、『化学便覧基礎編改訂5版』(20
 04年、日本化学会綱、丸善)によれば、プルトニウムがガス化する温度(沸点)は323
 2℃だが、茨城県つぐば市の気象庁気象研究所で、それよりはるかに高い沸点4877ての
 テクネチウムが検出されていたのだから、プルトニウムがガス化していたことは間違いない
 のである。

  実は、フクシマ原発事故が起こってほぼ2週間後の2012年3月30日、ヨーロッパ議
 会によって設置された調査グルーブ「ヨーロッパ放射腺リスク委員会」(ECRR-Europe-
  an Committee on Radiation Risk)4、公式発表から得たデータを使用して、フクシマ原発事故
 によって東日本地域で今後発症すると予想される癌患者の増加数を発表していたのである。
 その予測では、

 ――福島第一原発から100キロ圏内では、今後50年間で19万1986人が癌を発注し、そ
   のうち半数以上の10万3329人が今後10年間で癌を発症する。それより遠い100~
   200キロ圏内では、今後50年間で22万4623人が癌を発症し、そのうち半数以上の
   12万894人が今後10年間で癌を発症する。

  その予測の信憑性を信じない人がいると思うので、ECRRについて説明しておこう。
 1997年にヨーロッパ議会が開催したブリュッセル会議の議決にのっとって設立された組
 織がECRRであり、単なる市民団体ではない。ECRR初代議長をつとめたイギリス・オ
 ックスフオード大学の女医アリス・スチユワート博士は、癌や白血病になった10歳未満の
 幼児を調べ、その母親がX腺撮影を受けていた回数を突き止め、「妊娠中の女性のX線撮影
 が胎児の癌の発生率を高めている」という衝撃的な統計を、世界で初めて明らか毘した。か
 くして「妊婦のX線撮影禁止」という現代医学界の常識を確立した人である。1970年代
 から、当時医学に従事していた私にとって、”放射線と放射能”の危険性を初めて教えてく
 れたのが、彼女であった。ヨーロツパのなかで放射能被害、特に内部被曝についてくわしい
 この科学者グループECRRの特徴は、原子力学界によくいる,”放射線の机上理論を振り
 回す学者”と違って、”過去の実害(病気)の調査”に基づいて放射能被害の推定をおこな
 う医学的な姿勢にある。その点で、私は誰よりもこのグループを信頼してきた。
 



  そのECRRが、日本における高い人口密度を考えれば、200キロ圏内では今後50年間
 でおよそ40万人以上が「フクシマ原発事故による放射能によって」癌になる。そして20
 0キロを超える地方もグレーゾーンであるから、細心の注意が必要である、と日本人に重大
 な警告を与えたのだ。 
 
  したがって、福島第一原発からおよそ300キロ圏内の人間の居住地域(福島県・宮城県・
 山形県・群馬県・栃木県・茨城県・埼玉県・千葉県・東東都・神奈川県)の全域で、そして
 岩手県・青森県・秋田県・静岡県・山梨県・長野県・新潟県の一部で、悲惨な放射能大災害
 が、個人差はあっても、人間の体内で進行していることは間違いない。それを実証するよう
 に、いま福島県内では、18歳以下の甲状腺癌の発生率が、のちにくわLく述べるように、
 すでに平常備の70倍を超える膨大な数数に達しているのだ。
 
  しかし本書の結論を最初に言うなら、その福島県だけではなく、「東京を含めた東日本全
 域で急いで適切な対策をとらなければ大変な事態を招く」、このことは、確信を持って言え
 ることであるIだが勿論、本書を院みはじめたばかりの読者はそれを信じないはずだ。
  なぜなら、国連のIAEA(国際原子力機関)がそれを全否定し、またICRP(国際放
 射線防護委員会)の安全基準値が、被害発生を何度も否定してきた。「フクシマも日本も安
 全である」と・・・・・・

  そして日本のマスメディアが、テレビと新聞を挙げて、これらを一公式見解」として引用
 し、日本政府と声を揃えて、フクシマ被害地の安全性を喧伝してきたからである。ところが
  IAEAとICRPの発言には、何の医学的・科学的な根拠もないのである。
  彼らは、きわめて危険なフクシマの汚染地帯への住民の帰還を促しているが、それには理 
 由がある。日本政府や東京電力と手を結んで、被害者に支払わなければならない原子力産業
 の莫大な賠償金を極力ゼロに近づけろこと、つまり「金目」が目的だからである。そしてI
 AEAとICRPは、過去に大量の放射能大災害を生み出してきた組織だったのである。し
 たかってIAEAとICRPが放射能大災害の発現を。否定‘すれば,否定〃するほど、被
 害は、日本人全体の肉体K間近に迫っている医学的に動かし難い実害であるという近未来の
 姿が浮上してくる。読者に、その厳しい「今から5年後、10年後、20年後の現実」を、自分
 と、自分の家族の肉体を襲う問題として、強く認識してもらわなければならない。

  その理由を知るためには、放射能の危険性が明らかにされてきた史実を、正しく理解して
 もらう必要がある。
  だかモの曲に、知性ある賢明なる読者は、福島県の見識ある私の友人・知人たちが鬼のよ
 うにおそれ、日本政府と連携して活動するIAEAとICRPが、そもそも一体何者である
 かをど存知だろうか?
  実は、このストーリーの正体がすべて、歴史の中に、この危険物を "安全”だと叫び続け
 てきた、そして今も”安全”だと叫んでいる悪魔が潜んでいるのである・・・・・・

  多くの人が、この問題を、医学だけで議論Lようとしているが、それでは、本当の答が得
 られない。
  最初にはっきり、本書の結論を言えば、[IAEAとICRPは、軍人と軍需産業によっ
 て生み出された原子力産業の一組織であり、彼らの定める”安全””基準値は、医学とは無
 関係である」のだ。
  つまり、”戦争と原水爆”がこの最大の原因なのである。この「危険な安全基準値」は、
 実に数十年にわたって準備されてきたのである。
  この史実を知って、あなたはどう考えるか。大量の放射能被バク者が生まれても、その実
 害の悲劇が闇に葬られるという道理には、誰でも気づくはずだ。放置すれば、『東京が壊滅
 する日』は間近に追ってくる。だからこそ、本書を最後まで読んでいただく必要がある。


 
  このすぐあとの第1章で述べる大規模な癌発生事件と、ほぽ同じ悲劇が、一見すると平和
 な日本――東京を含む東日本全域で起こりつつある。その被当地帯は、近年数々の報告が出
 されてきた「チェルノブイリ原発事故」のウクライナ・ベーフルーシの放射能汚染地帯では
 ない!フクシマ原発事故の被害地である東日本とほぼ同じ量の放射能を浴びた「アメリカ西
 部三州の汚染地帯」で起こった出来事だ。しかもその汚染地帯の広さは、ちょうど日本全土
 の広さとほぼ同じであった。その大規模な癌発生は、アメリカでは5年後ぐらいから目に見
 えてきたのだ! だか、その前の4年間に、内臓と神経に、多くの人に体の不調がはじまっ
 ていた。合衆国を揺るがす大問題となったのは、実に20年後であった。したがって、フクシ
 マ事故から4年を過ぎた現在の日本は、体内に時限爆弾をかかえた「癌の淋伏期」にあるの
 である。

  日本全土の大きさと、放射能大被害を受けたアメリカ西部三州の大きさを、同じ縮尺で示
 すと、上の地図のようになる。
  事実を見ることが第一だ。つまり、決して驚いてはいけないが、「現在の東日本全域とほ
 とんど同じ条件に置かれていたアメリカの西部三州で」、以下のような史実があったのであ
 る……


このような「まえがき」ではじまる本著だが、できるだけ丁寧に読み進め参考にしたいと考えて
いる。

                                   この項つづく



【オールソーラシステム: 最新液化水素船技術】

 

川崎重工業は25年頃の実用化を目指して開発を進めている貨物槽容積16万立方メートルの大
型液化水素運搬船について、当初船価を5百億円と想定している。同規模の既存液化天然ガス運
搬船に比べて約2倍の水準。世界初の液化水素運搬船普及には今後、他社への技術ライセンス供
与など陣営づくりによるコストダウンが必須。

川重は豪州の低品質な褐炭をガス化し、水素を抽出。これをマイナス253℃の極低温に冷やし
て液化し、日本に輸送するための液化水素運搬船を開発中。20年にも小規模な供給体制を整え
貨物槽容積2500立方メートルの小型船で実証する。球形タンクを備え、大量輸送に適した同
16万立方メートル型については、商用開始を想定する30年に6隻、40年に40隻、50年
に80隻が必要になるとみており、川重グループ単独で全量を建造するのは難しい。

球形タンクを備えたモス型と呼ばれる絵絵画天然ガス船は、海外企業からライセンスを受けた川
重や三菱重工業、三井造船が建造することで、海運業界からの大量建造、船価下落の要請に応え
てきた。液化水素運搬船の建造でもこうしたビジネスモデル構築が課題。一方、千代田化工建設
は常温常圧で水素を貯蔵・輸送できる技術を開発しており、こちらの方式では水素運搬船や貯蔵
タンクなどに既存設備を使えるメリットがあるという(日刊工業新聞 2015.07.27)。 



川崎にしろ千代田にしろ、爆発・火災の危険性は計り知れないしテロの標的の可能性もあるので
あらゆるリスク事前研究(フィージビリティスタディ)は慎重に見積もる必要は言をもたない。
理想を言えば、現地で発電し、(1)超伝導電線や(2)マイクロ波で送電した方が有利である
が、(1)は敷設コストが、(2)はマイクロ波障害リスクが残る。

さて、水素貯蔵搬送用断熱ライナーには、荷液を含む液化ガスタンク重量に耐え得る高い強度が
要求され、例えば、樹脂シートを高圧力をかけながら高温下で積層した構造のものが用いられる。
このような構造の断熱ライナーは、発泡体からなる防熱材に比べて比重がはるかに大きく熱伝導
率が高いが、液化ガスタンクに貯留される液化ガスが比較的に温度の高いLPG(液化石油ガス
(約-45℃)である場合には特に大きな問題とはならないが、液化ガスが、LEG(液化エチ
レンガス、約-100℃)、LNG(液化天然ガス、約-160℃)、LH2(液化水素、約-2
50℃)などの沸点が非常に低い極低温の液化ガスである場合は、タンク内に少しの熱が侵入す
るだけ多くのボイルオフガスが発生。侵入熱を低減するには、防熱材は、その厚さを厚くするこ
とによで対応可能であるが、断熱ライナーに関しては、防熱材に比べて非常に熱伝導率が高いた
め断熱ライナー厚さを厚くしても侵入熱を大幅には低減できず、支持台部での液化ガスタンクへ
の侵入熱の低減が重要課題となる。

 

尚、マイクロ波電送法としては一旦、マイクロ波中継衛星を介し、日本列島周辺(例えば沖縄県
や長崎県の沿岸部にマイクロ波受信基地で蓄電、消費地にしケーブル送電する方法と地上中継基
地で送電する方法が考えられる。後者は電波法や航空法の改正などがいる。

 


ネバダ!長崎!福島!

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       日本がアジア諸国の独立を促したというけれど、
                  占領地の民衆に対してどんなふるまいをしたのか、
                  それはひでえことをしたってことを、
                  ちゃんと裏にくっつけておかないとダメなんです。   
      
                                 吉本 隆明

 

  

● 日中食品汚染 17 中国の食品汚染地図  

【目次】 

   第1章 見えない食品の恐怖
 第2章 中国の食品汚染
 第3章 食品汚染のヒトへの影響
 第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか
 第5章 重金属汚染という新たな難題
 第6章 日本の食品は安全といえるか  


 第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか

  "忌農’農民

  農民の高齢化と後継者不足は日本と同じで、今後さらに強まることが確実だ。最近の
 農民の平均年齢は50歳程度に上がり、力のいる農作業を敬遠したり、大根や白菜、キ
 ャベツなどの重涼野菜を栽培することもなくなり、ホウレンソウ、チングン栗、ニラや
 生姜、ニンニクや落花生、人参などの軽い葉物野菜や根菜に目を向けるようになった,
  今や農民は何を作っても自由だ。また、大豆のように作りにくく収穫の面倒な作物を
 栽培しなくなり、その結果として、遺伝子組換え大豆の輸入が急増するなどの影響をも
 たらしている。
 
  こうしたことが土づくりをますます面倒な作業におとしめ農民の土離れ、土壌汚しを
 広めていった。ただ増産のために化学肥料をまくだけまき、農薬も使いたいだけ使い、
 現金収入を高めたいというのが農民に共通の思いである,
  使命感が消え、仕方なく農業をする農民が増えているのだ。
  背景には、農民の所得や社会保障制度が不十分で、都会に住む者とのさまざまな格差
 が拡大し、しかも共産党や地方政府の幹部の中にはあまりにも農民を蔑視する者が増え
 てきたことへの反感もある,この反感には、あらゆる社会的権利を失っている農民によ
 る非暴力の異議申し立て、あるいは抵抗という色彩も否定できない。

  さきごろ中国政府は2012年の「信訪」(土地を奪われた農民などが、その取り消
 しや補償を求めて、より上級の政府へ直訴すること)件数が全国で600万件に及んだ
 ことを公表した,政府が隠してきたデータを公表したのは何らかの狙いがあってのこと
 だが、農民の不満は、そのまま農業という自分たちの職業に対する不満でもある。農業
 を忌避する農民すなわち、”忌農”が増加しているのだ。
  ”忌農”の特徴は農業から一刻も早く足を洗いたいと願っていること、息子や娘には
 絶対に農業を継がせたくないと思っていることだ。忌農の増加は農民の社会的モラルの
 低下や欠如をもたらしている。しかしだからといって、彼らを責めることができようか? 

  問題は、忌農からくるモラルの低下が、土壌や農産物の汚染に関心を向けなくさせて
 いることである。
  農民たちは、農地が自分たちのものではないことを実感するようになっている。所有
 権という言葉があることは知っていても、それを使ったことは一度もないという農民の
 なんと多いことか。このことばの意味さえ知らない農民もいる。
  ひと頃までは農民に聞くと、この農地は自分のものだと答える者が多かった。ところ
 が最近は政府のものだ、と明瞭に答える農民が増えた。農地は国からの借り物という農
 地請負制度の趣旨を農民自身がようやく理解するようになったのではないか。自分のも
 のでもないのに、投資をしたり、土壌保全をする気は起きないというのだ。農地は汚れ、
 その結果、農産物も農薬や雑菌で汚れるのは自然の理だ。

  このような現状を打開する決め手はないが、まずは農地請負制度を転換し私有化を認
 めることだ。中国でも、わたしと同じ意見を持つ勇気ある学者が徐々に増えている。こ
 のことは、農民のため、ひいては国民のためにも望ましいことではないだろうか。

                          薬食同源の文化が災いに?

  皮肉にも中国の食文化といわれる中にも、食品汚染を構造的に慢性化させる要因が潜
 んでいる。
  中国には古来から「薬食同源」(日本では「医食同源」というが、これは四文字熟語
 としては体をなさない)※、「四性五味」という食文化があり、食べ物は薬のように身
 体を癒し強くすると信じられてきた。現在でもこの考え方は変わっておらず、日本人以
 上に食へることにはこだわりがある。中国人にとって、食べることは空腹を満たすだけ
 のことではない。
  では、なぜ食品汚染問題が起きているのかといえば、食品とは薬と同義であり、ここ
 には汚染などはないものだという過信があったからだ。科学の発展が実は食品が汚染さ
 れていることを発見し、その危険性を啓蒙し始めたのは食品衛生法ができた1995年
 頃のことである,「薬食同源」という食文化が生み出した食品への過信が皮肉にも汚染
 を生んで、容易に改善されない状況を生んでしまったともいえる。

  四性五味の四性は冷たい、熱い、温かい、涼しい、の意味で、五味はやい、甘い、酸
 っぱい、苦い、塩辛いを指す。この点は、日本食にも当てはまる,
  ところが具体的な料理や食べものとなると、同じ四性五味でも、中国と日本では、相
 容れない結果になることがある。たとえば臭豆腐、鶏の足料理、犬肉などは日本人にと
 ってはそもそも食べものではないし、反対に、くさや、納豆、卵かけご飯、鶏の臓物の
 刺身などは中国人にとっては食べものであって欲しくないものだ,文化はよその国の文
 化で変えることはできずたがいに尊重すべき価値あるものだ。

  薬食同源、四性五味は食品の種類を増やし、四本足のものはテーブル以外、飛ぶもの
 は飛行機以外何でも食べると揶揄されるような中国の食文化を生み、一方で海に囲まれ、
 山林が国土面債の約70%を占め、温帯性気候の日本では、多種類の農林畜水産物を反
 映した食文化を生んできた。しかし、ある意味で共通するこの豊かさが、我われに食品
 汚染の構造的な罠をしかけているとはいえまいか。

  ※ 医食同源(左図の上をダブルクリック)


自然を相手とする農業は奥が深くて手間がかかり、工業製品とくらべ生産性は遙かに低い。
したがって「都市部」がら「農業部」に様々な「贈与経済的制度」を必要としていることに
正当性が認められのだが、それが「忌農」「蔑視」の温床となり、こころない政体がこれを
利用してきたことは、程度の差はあれど日中でも同様である。もっと、欧米によ反共封じ込
み戦略下での、中国は「大躍進」のような逆政策を取ったものの悲惨な経験をしているが、
欧米先進国では、国家安全保障として、農業の手厚く保護(関税・買取り・補助金・農業従
事者の準公務員化)保護され解消されている。いずれにしても、今世紀に入り植物工場に象
徴されるような農業の高次化により、消滅する段階に入っており、このような”忌農”は死
語となっていくだろう。


                                 この項つづく

 

 【縮原発論 Ⅱ: 核ごみ廃棄処理のススメ】

  目次

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか

   第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!

                  セント・ジョージで起こった恐怖の事件

  アメリカ合衆国ユタ州の町、セント・ジョージの葬債屋エルマー・ピケフトけ、町の
 異常に気づいていた。それは今を去るほぽ60年前、1956年のことだった。それま
 では、癌による死亡はどく稀だったが、その年になって突然、癌で死亡する人が増加し
 はじめた。それがただ増えはじめただけでなく、彼の手で埋葬される人がほとんど癌死
 者になってしまうという、驚くべき変化が起こってきた。まったく信じ難い事 態だっ
 た。

  ルビー・マティソン夫人は、夫ジョゼフの死について、こう語っている。
 「癌で死んでゆく人を見たことがなければ、決して分らないでしょう。あれは、おそろ
 しい死に方でした。最後にジョゼフは、あまりの辛さに自分の手の甲をかきむしり皮を
 すっかり剥ぎ取ってしまいました。血だらけKなりながら死んでいったのです」

  翌年の1957年になっても、痛死者の洪水は止まらなかった。
 ――セント・ジョージの町に、なKかが起こっているのではないか。
 1958、59、60年……おそるべき事態は続いた。セント・ジョージの癌死亡率は
 同じユタ州でのほかの地域に比べて、遙かかに高くなっていた。
  セント・ジョージの不幸は、葬儀屋エルマー・ピケット自身の不幸に変った。妻だけ
 ではなく、妹が、姪が、祖母が、4人の伯父が、妻の母が、妻の妹が、泊母が……と、
 果てしなく死んでいった。それは、すべて癌による不幸だった。そして結局、これまで
 に彼が失った家族と親類の数は11にも達しでいる。

  エルマー・ピケット自身、甲状腺に障害を来たしついに外科手術を受ける日を迎える
 ことになった。
  セント・ジョージの町に住むアーマートマス夫人の場合は、通りを一本へだてた家で、
 カールとヱルニーが癌で死に、カールの妻が発癌していた。
  その隣の家では、まだ小さな子供が白血病で死んでいた。
  その並びには、トマス夫人の妹が住んでいたが、彼女も乳癌で死に、その夫が発癌し
 ていた。
  ウィルフォードも癌になっていれば、妻のヘレンも胃癌で死んでいるのだ。 
  彼女の家の周囲わすか一区画だけで、30人が癌にかかり、そのうち10人が死亡し
 ていた。



  こうしてトマス夫人が自分のノートに記録し続けてきたセント・ジョージの癌患者は、
 1980年頃までに200人にものぼった。この200人がすべてトマス夫人の知人だ
 った。
  なお悲惨なことに、この”不幸なリスト”に書きこまれた名前のうちの半分に、赤い
 チェックの印が付いて忖してある。葬儀屋エルマー・ピケットの于に委ねられ、すでに
 埋葬された人びとの名前だった。しかしそれは、死亡年齢から見て、いずれも。早すぎ
 た”埋葬″に該当する。

  ジェフリー・ブラッドシーウは、25歳の若さで骨盤K価を生じ、外科手術で脾臓を
 取られ、脳腫瘍のためにほとんど視力を失っている。
  デイヴ・ティモシーは18歳の時に、悪性の甲状腺腫瘍を発病し、7回以上もの手術
 を受けながら、ようやく生きながらえているが……この青年の場合、2人の甥……3人
 の伯父が癌で死んでいる。デイヴ・ティモシーの治療に当たっていた医師2人も、癌の
 ために死亡している。

  アーマートマス夫人も、自分の昧と夫の妹が、どちらも癌のために死んでいる。それ
 は1964年のことだった。
  さらに夫が15年来の癌のため治療を受け、4人の娘のうち2入は子宮癌の疑いから
 子宮切除除の手術を受け、もう1人は三度の流産を休験し、最後の1人が重度の筋肉疾
 患に苦しんでいる。彼女のかつてのクーラスメイトのうち、70人もユタ大学病院で甲
 状腺の手術を受けたという。

  思い返してみよう、2001年9月11日にニューヨークで世界貿易センタービルに
 航空機が突っこみ、ビル大崩壊事件(9・11事件)か起こって、全米が衝撃を受けた
 翌年、2002年に厳戒態勢のなかで冬季オリンピックが開催された都市、それがユタ
 州の州都ソルトレイク・シティーである。そのソルトレイク・シティーのユタ大学病院
 では、ジョゼフ・ライオン博士らが、調査を続けていた。
 
  その調査内容は、”ユタ州の小児癌”に関する一論文として、ポストン発行の医学・
 誌(“The New Engrand Jounal of Medicine"1979年2月22日号)に発表された。
  ライオン博士らは、顕著な被害の出ているユタ州南西部を中心とする17の郡と、州
 内のほかの郡について、実に32年間という長い歳月を対象として、15歳以下の小児癌
 の発生状態を調べてみたのである。

※ "Childhood Leukemias Associated with Fallout from Nuclear Testing" The New England Jour-
         nal of Medicine " February 22, 1979 issue

  この連続した332年間を、A、B、Cの三つの期間に分けてみた。

  Aは、1944~50年の7年間
  Bは、1951~58年の8年間
  Cは、1959~75年の17年間

   という具合にである。
  このように分けたのは、真ん中のBの期間に、ライオン博士らの予測する"不幸の原
 因" が潜んでいると考えられたからだった。
  また、15歳以下の小児を調べてみたのは、その予測される”不幸の原因”が、とく
 に子供たちの体に対して急速に影響を与えると考えられたからである。成人では、発癌
 から死に至るまでに10数年という長い歳月を要することもあるが、小児では癌が急速
 に成長するので、被害があるとすれぱ短期間に集中し、因果関係を立証しやすいと判断
 された。

  この長い年月と、多くの小児を対象とした調査の結果はユタ州全土の親を戦慄させる
  ものとなった。また同時に、B期間の異常性を、数字の上からこれほど的確に証拠づけ
  たレポートもなかった。
  そのうちのひとつのデータを、わかりやすい形で表現すると、次のような結果が得ら
 れる。
 ――白血病をはじめとする小児ガンの発生率は、1年あたりの平均値に換算して、A、
   B、Cの三期間を比較してみた場合、ユタ州南西部(セント・ジョージを含む地域)
   では、AとCを100%とした時、B期間中にちょうど300%の高い率になる。
  これが、冷厳な結果だった。32年の長い歳月にわたる期間にもかかわらず、300%
 の明白な数字が浮かび上がってきた。
 、

 

   これは統計的な表現だが、小児ガンのために死んでいった子供たちの一人ずつを鏡の立
 場になって考えてみよう。たとえば、これはその中のわずか一例にすぎないが、セント・
 ジョージからすぐ近くの町、シーダー・シティーに住んでいたシピル・ジョンソンという
 女の子の場合、父親プレーン・ジョンソンはシピルの白血病を医師から宣告された時、「
 私の家から、たりた100メートルの範囲内に、7人もの白血病患者が出ているのは、単
 なる偶然のほかに、何か別の原因があるのではないでしょうか」と、医師に尋ねた。

  しかし医師は、あくまで偶然だと言い張り、彼の疑問を認めようとしなかった。
  そこで彼の要は、手当たり次第に一帯の調査を初めてみた。その結果、ついに100人
 にものぼる癌患者のリストができてしまった。これが統計的な調査ではなく、ジョンソン
 夫人がたまたま知ることのできた人たちの人名録だった、という点が大切である。氷山の
 一角が見えたにすぎない。少女シビル・ジョンソンが白血病のためこの世を去っていった
 のは1965年であった。

  セント・ジョージに住むシェルドン.ジョンソンは、息子のレインを愛し、楽しい家庭
 を築いていた。
  そのシュルドン・ジョンソンはある時、ふと疑問を抱いた。
  ――しかし、レインのほかにも、学校のひとつのクラスに、知恵遅れの子供かこんなに
 たくさんいるのは、なぜだろう――と。
 以前には、知恵遅れの誰が一人もいなかったことを考え合わせながら、この親はやがて、
 ひとつの事実に気づいたのだった。
  ――この子たちはみな、1952~57年の間に生まれたのだ――ということを。
  これと同じ事実を、葬儀屋のエルマー・ビケットも認めていた。
  ――この町の人間は、あの時が来るまではみんな元気で、癌になる者なんか、捜しても
 見つからなかったのだ――と。

  すでに説明したジョゼフ・ライオン博士の論文がB期間として設定したのは、1951
 ~58年だった。多くの障害児が出生した期間は、ちょうどこのB期間のなかに、ずつぼ
 り入りてしまう。小児ガンの発生率噌加とのあいだに、明瞭な相関性がみられる。

  これで謎ときの大きな手掛りが、四つまで明らかにされたことになる。
  第一は、被害者――小児から成人に至る膨大な数の人間
  第ニは、期間――1950年代
  第三は、位置――ユタ州セント・ジョージの周辺
  第四は、被害――小児ガン、小児白血病、成人の発癌、癌死の激増
  だれが(WHO)、いつ(WHEN)、どこで(WHERE)、なにを(WHAT)、
 という順序で考えるなら、第五の。いかにして(HOW)というパズルの答を出さなけれ
 ばならない。

               パズルを解いた男ポール・クーバー元軍曹

  自ら白血病におかされなから、このパズルを解いてみせた男がいる。アメリカ陸軍でか
 つて軍曹をつとめたボール・クーバーだった。
  1976六年、ソルFレイク・シティーにある退役軍人を扱う病院が、ポールークーパ
 ー元軍曹の白血病を知り、ひとつの疑いを抱いた。
  葬儀屋エルマー・ピケツトが”セント・ジョージ”の一集団について疑念を抱いたと同
 様に、すでにユタ州の人びとが口にしていた噂から、この軍人病院の疫学者グリーン・コ
 ードウェルは”退役軍人”の一集団に不審を感じたのだった。

  ここで重要なことは、セント・ジョージの住民が、実は無関係の巻き添えを食った被害
 者だったのに対し、軍人病院の場合には肢ら自身がこの問題の当事者だった、という点に
 ある。
  答を明かせば、軍人が加害者だった。その加害者自身のなかに、ポールークーパーとい
 う被害者が出はじめたことによって、ようやく、軍人が自分たちの過去を洗い出してみよ
 うという気になったのだった。

  反骨精神を持ったポール・クーパー元軍曹が、ユタ州ソルトレイク・シティーの病院で
 診寮を受けたことも、パズルを解く鍵になった。これによって、やがてユタ州セント・ジ
 ョージの被害が、クーパーらの軍人が受けた被害と結びつけられるようになったからであ
 る。実は、クーバーが登場するずっと以前から、あちこちで結びつきが語られ、被害者は
 確区をつかんでいた。

  ポール・ジヱイコプスという一匹狼のジャーナリストは、B期間中に自分の足でユタ州
 南部を歩きまわり、住民と起居を共にしながら、子供たちの白血病をはじめとするさまざ
 まの肢害を調べあげた。それを”ザ・リポータ”という雑誌(1957年5月16日号)
 にくわしく報告し、のちには彼自身の体癌におかされ、59歳で死んでいった。1957
 年という早い時期にボール・ジェイコプスが伝えた事実は、エルマー・ピケットやアーマ・
 トマス夫人がのちにくわしく知った出来事を、すべて予言したものであった。

  だがそれらはどれも、公式の手続きにかけられると、”噂にすぎない”と一蹴され、涙
 を呑んでいた。
  ポールー・クーバーは立ち上がり、ついにマスゴミに対して宣言した。
  「私は1957年のネバダの核実験に参加したために、白血病になったのだ。間違いな
 い」核実験に参加して20年後、1977年4月のことだった。
 
  パズルは解かれはじめた。


膨大な英文資料に目を通すあるいはビデオを鑑賞するには、あんちょこに、斜め読みするしか
なかったが、それなりにうるところがあった。次回も第2章を読みすすめる。


                                    この項つづく
 

 

 出典:朝日デジタル 2015.07.29

長崎市の長崎原爆資料館に展示されている原爆「ファットマン」の原寸大模型が、これまでの
濃い緑色から黄色に塗り替えられて、28日公開された。近年の調査で実物は黄色だったこと
が確認され、被爆70年に合わせて塗り替えた(上写真)。ファットマンは1945年8月9
日、長崎に投下されたプルトニウム原爆。96年に資料館が開館した当時、アメリカの博物館
にある模型などを参考に濃い緑色にした。ところが2010年、有識者らでつくる原爆資料館
の運営協議会で委員から「本物の色と違うのではないか」との指摘があり、長崎市が報道機関
の所有するカラーフィルムを調べたり、米国の博物館に情報を求めたりして、黄色だったこと
がわかった。

戦後70年とひとことでは片付けられないことが、この一連の作業で――ネバダ砂漠の核実験
の影響、長崎投下されたパンプキン爆弾、そして福島第一原発事故に繋がる"黄色い糸"――単
なる偶然なのか、神の思し召しか?わからないが、あらためて確認することとなった。戦争を
知らない団塊世代ではあるが、幼い頃、神社の参道で傷痍軍人をおく見かけた。学校では、教
師から戦争体験を聞かされたり、耳を塞がんばかりの――一兵卒クラスは人肉を食事に与えら
れ食したとか(人肉が一番うまいという尾ひれもついている)、戦地で撮った惨殺・強姦現場
写真を見せられたり、逆に、大陸では日本軍人が唯一頼りになったとか、機関銃でたくさんの
中国兵を殺したという武勇伝を聞かされたり、手榴弾の破片を首筋に受け、九死に一生を得た
と傷口を見せた叔父の記憶などを通し理解しえた。「二百万人の血でもってあがなわれた戦利
品の憲法九条」(吉本隆明)を踏まえ、積極的な平和活動に資するには、いかなるチャレンジ
をすべきか?国民ひとりひとりが問われている「戦後70年」でもある。

                                      
                               



最低賃金$15旋風

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   たぶん日本の国民経済が崩壊しても、「時給267円で働く労働者を
                 搾取できたおかげで、国際競争に勝ってフェラーリに乗ってドンペ
                 リを飲んでいる超富裕層」の一員になっいる自分の姿を想像してい
                 るのだろう。 

                                                                 内田 樹    

 

 


日本では15年の最低賃金が全国平均18円引き上げとなっているが、米国では昨年
から今年にかけて、多くの自治体で最低賃金(時給)を15ドル(1,850円) に引き上
げる条例が可決され、既に施行されている自治体も出てきている(例:シアトル市の
場合、今年4月1日より段階的に――従業員数5百人以上の企業は17年初までに、
5百人以下の企業は21年初までに最低賃金が段階的に15ドルに引き上げる条例が
昨年可決(現在は11ドル(5百人以下は10ドル)、引き上げられる――上図/上
をダブルクリック)。これらの政策は、このブログでも掲載してきたポスト・ケイジ
アン的格差是正施策と見られる。

それではどのような影響があるのだろうか? シアトル市の場合、4月に11ドルに
引き上げられたシアトルでは、17年の施行を待たず15ドルに引き上げたレストラ
ンの例では、メニューの価格を21%引き上げ、チップ制を廃し、これまでチップで
時給27ドルを稼いでいたウエイター・ウエイトレスやバーテンダーの収入が下がる
反面、調理場スタッフやバスボーイ(食べ終えた食器を下げる係)。などの収入が上
がり、同じレストラン内での格差がなくなっているという。日本もこれに習って、チ
マチマとせず、大幅最低賃金の引き上げを行えばと思うのだが、移民の国でない少子
化が進行する日本では放任しても自動的に上がるから大丈夫かもしれない。

導入後の政策リスクはないのか? 施行前には賃上げによる失業率の増加が懸念され
ていたが、施行後1年半以上が経ち、いまのところ大きな混乱は起こっておらず、む
しろ下図のごとく、失業率は施行前の6.5%から現在4.6%に改善されている。
「分厚い中間層」「アベノミクス」と打ち出した日本とはことなり、格差是正に向け
ダイナミックにチャレンジする国柄は今も昔も変わらぬようだと感心する。



 

【超高齢社会論 Ⅵ: 下流老人とはなにか】 
 

 秋葉原通り魔事件が、"ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたら
す格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本
書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」で
ある。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパ
クトは計り知れないと指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺し
た事件――71歳の林崎春生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載
(極東極楽 2015.07.02 )。『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護
基準は、144,430円(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準に
おける家賃上限】)である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事
実だとすれば、年金支給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受けられた
可能性がある。月額2万円程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。
生活に不安を抱えどうしたらいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO
!ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」
2015.07.02)を受け、『下流老人』の感想を掲載していく。   

  目 次   

  はじめに
  第1章 下流老人とは何か
  第2章 下流老人の現実
  第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
  第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
  第5章  制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
  第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
  第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
  おわりに


 第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン 

      《パターン3 子どもがワーキングプア(年収200万円以下)や
                      引きこもりで親に寄りかかる》

  第1章で説明したように、昨今では「予どもだから」親の介護をすることが、当たり前の
 時代ではなくなってきている。ブラック企業が蔓延し、多くの青年層が低賃金で長時間労働
 を強いられているなか、さらに親の介護を期待するのは酷だと言える。もう子どもが親の介
 護をする時代ではないのかもしれない。

  ところが介護が期待できないばかりか、子どもが下流化の要因になってしまうケースもあ
 る,ワーキングプアや引きこもりなどを理由に、成人以降も予どもを養わなければならない
 高齢者が増えているのだ。
  とくに最近広がりを見せているのが「ワーキングプア」、稼動年齢層と呼ばれる若者の貧
 困だ。
  厚生労働省による日本の総労働人目における正規雇用者と非正規雇用者の数の推移を見て
 いただきたい。平成26年現在、全労働者の37・4%は非正規雇用である。

 

  いわゆるパートやアルバイト、派遣社員などの割合が、20年前と比べ、年々増加して
 いることがわかる。いまや労働者の3人に1人が非正規雇用であり、賞与や福利厚生が十
 分に受けられない状況だ。なかでも、正社員として働く機会が与えられない「不本意非正
 規」と呼ばれる人々の割白は、非正規雇用労働者全体の19・2%におよぶ,要するに、
 正社員で働きたいが非正規でしか働けない人も少なくないのだ,

  また、2013年の厚生労働省「賃金構造基本統計調査」から、20~64歳で得られ
 る賃金を計算すると、正規雇用で約2億2432万円、非正規雇用では約1原2104万
 円となり、その差は1億328万円もの開きがある。「同一労働・同一賃金一が訴えられ
 ているが、同じような仕事内容でも正規と非正規では、大きな賃金格差があることは明ら
 かである。

  とくに地方における就業先の不足は深刻で、一度非正規雇用になってしまうと、もう正
 社員の道がたたれてしまうという事情もある。そうなると、30代後半から40代、ちょうど
 親の介護が現実的になってくる時期に仕雅を探しても、パートやアルバイトぐらいしか就
 労先がないことも珍しくない,いまだに目本の労働巾場は、新卒一括採用が主流で、若者
 には正規一部用の遣があるが、年齢を重ねるほど正規雇用への就職が難しくなることは、
 暗黙の了解となっている。

  そのため実家で親と同居しながら、なおかつ足りない分の生活費を親が貯金や年金でま
 かなうという事態が発生している。さらに、親が死亡しても、その事実を隠して、子ども
 が親の年金を受け取っていたという事例も出てきた。いかに親に依存しないと暮らしてい
 けない若者が増えているか、ということを如実に表しているだろう。

 
                     子どもが「ブラック企業」に

  またうつ病によって仕事を辞め、実家に引きこもってしまう若者も少なくない。大きな
 会社に入って安心していたら、いきなりうつ病で働けなくなり、アパートの家賃すら払え
 なくなるというケースはよくある,
  その裏側にあるのは「ブラック企業一に代表されるような過酷な労働環境であろう。そ
 のなかにおいて、長時間労働により体調や精神のバランスを崩す若者が急増している。
  一方で子どもも、多少辛くても脱には相談しない、恥ずかしくて言えないと考えがちで、
 自力ではどうにもならない状態になってから実家に帰ってくるケースが多い。
 
  健康保険を所管する全国健康保険協会(協会けんぽ)によれば、「精冲系疾患」によっ
 て働けなくなった傷病手当金申請者は、近年増加の一途をたどっている。全国データでは、
 病気やけが全体に占める精神系疾患の割合が、平成23年度には26%を超え、平成7年
 (4・45%)の約6倍にまで増加していることを報告している。

  また、精神系疾患は一度罹患すると治療期間が長期化し、職場復帰が困難になることか
 ら、メンタルヘルス対策は非常に深刻な課題となっている。
  そういった人については、すぐに仕事が見つからない場合に、もう一回大学に入り直し
 たり、職業訓練を受けるなどの道もあるが、とにかく、お金がかかる。あるいはうつ病を
 治療するための医療費など、生活費以外に多額の出費が本人や家族にのしかかってくる。
  たいていの厚生年金の水準では、高齢期の2入を養うのが精一杯なはずだ。扶養を必要
 とする子どもの存在は、生活プラン自体を根本から覆すことになりかねない。

  とくに団塊の世代は、子どもの問題で悩みを抱えている大が多い。ワーキングプアや引
 きこもりが顕著に増えはじめたのが、現在の30代後半~40代にかけてだ。団塊ジュニアと
 も呼ばれるこの世代は、「パラサイトシングル」などの流行語でも有名になった。
  ただし、間違って捉えてはいけないのは、背景には「失われた20年」と呼ばれる経済
 の低迷があり、非正規雇用の拡大などの「雇用問題」があるということ,本人だけの問題
 では決してないということである。

                        「檻のない牢獄」と化した実家

  このような親と子の共同生活は、いわば「檻のない牢獄」に入っている状態と言える。
  若者は「実家から出たい」と思うが、賃金が安いなどの理由から自立することができな
 い。一方で、親も実家から出したいが、苦しい状況もわかるので強制することもできない。
 「早く実家から出ていってくれ」と思う親世代と、「出ていく場所がないIという子ども
 世代が、お互いに不満をためながら、ひとつの家に縛りつけられている状態である,ニュ
 ースなどでも、実家に住み続けるストレスフルな若者が、両親や親族に刃を向けてしまう
 殺傷事件がいくつか報道されているが、わたしたちはその背景にまで目を向けて考える必
 要がある,

  このような苦しむ若者が増えないように、雇用対策や労働環境の改善にも本腰を入れて
 取り組まなければ、今後も下流老人になる恐れがある高齢者を生み続けることになるだろ
 う,下流老人の問題は、高齢者への対策だけで解決すべき問題ではないのだ。
 

                   《パターン4 増加する熟年離婚》

  4つ目のパターンは「熟年離婚」だ。
  わたしの生活相談のなかでも、この手の問い八口わせは急激に増えつつある。しかし、
 離婚と高齢者の貧困がどのように結びつくか、イメージがわかない方もいるかもしれない。
  仮に、夫が会社員で妻が専業主婦だった場合の離婚では、男性にとっては予想していな
 かった経済的な問題がつきまとう。慰謝料の支払いのほか、予どもが成人していない場合
 は養育費の支払い、さらに受給される年金額も家族生活の員献度合いによって折半になる。
 そのため、収入増の当てがない限り、これまでの生活レベルを大幅に下方修正せざるを得
 ない。

  そもそも最近になって、なぜ熟年離婚が増えつつあるのか、その点から紐解いていこう。
  いまだ男性優位の社会とはいえ、1986年に男女雇用機会均等法が施行された後の女
 性の社会進出は目覚ましく、現在では必ずしも「夫が外で稼いで妻が家を守る」というス
 タイルが日本の平均的な家庭像というわけではなくなってきた。それにともない、離婚率
 にも変化が生じている.。

  たとえば、厚生労働省の「平成25年人口動態統計月報年計(概数)の概況」によれば、
 20年以上連れ添った熟年夫婦が離婚する件数は、1985年は2万434件だったにも
 かかわらず、2013年には3万8034件と大幅に増加している。
  この驚異的な数字は、女性が経済的に自立しやすくなったこともある。が、これまでやむ
 を得ず押し殺してきた夫に対する不満が、子育てをひと段落した高齢期に一気に噴出した結果とも
 言えよう。

  今の高齢者は、そもそも「結婚するのが当たり前」な世代。自分の意思とは関係なく、
 お見合いや周りの勧めで、結婚したケースも数多くあるだろう。生涯未婚率も現在ほど高
 いものではなく、結婚 は、ある意味で「常識」だった。
  一方で、一度結婚したら離婚なんてとんでもない、何があっても歯を食いしばって耐え
 るという価値観も強固にあった。あるいは、女性に社会進出の機会がなく、経済的な自立
 が困難であることから、夫の経済力に依存しなければ暮らしていけない背景があった。古
 くは家父長制であり、その名残りとI.昌ってもいいかもしれない。
 
  しかし、時代とともに結婚や夫婦のあり方に対する社会の価値観は大きく変化した。そ
 れにより60代前後になって意識的・無意識的に我慢していた不満が一気に哨出し、とくに
 女性が積極的に離婚に踏み切るケースが増えてきた。いわば「高齢明に入り自我に目覚め
 た」状態と言えるかもしれない。
  またそれを加速させているのが、慰謝料請求や財産分配、年金の按分を求める裁判離婚
 である。知人の弁護士の話によれば、最近はとくに老後の資産を分け合う決定が出される
 ようになっている。女性が虐げられてきた歴史は昔からあるが、それに対する裁判の判例
 が積み重なってきて、公正になってきた部分もある。
 
  さらに女性弁護士が増え、昔は議題にすら挙がらなかった問題や我慢を強いられた問題、
 たとえばドメスティック・バイオレンスやモラルハラスメントなどが大きく問題視され、
 ここ数年でしっかりと金銭を伴う形で裁かれるようになってきた影響もあるだろう。
  そのようななかで、離婚訴訟においても女性に支払われる資産の金額が男性と対等であ
 るべきだという意識も広がっている。

  勘違いしないでいただきたいが、「男性(夫)にとってツライ社会になってきた」と言
 っているわけではない。もちろん妻側も、苦痛やストレスを抱えながら、あるいは暴力を
 受けながらも、ガマンして夫と一緒に生活する必要はまったくない。むしろ、男女公平な
 慰謝料や財産分配、年金按分がなされるようになったことは喜ばしいと思っている。

  それだけ資産を普通に分けられることがわかれば、賃金以外の価値や魅力を持たない男
 性と一緒にいたくないと思うのは当然だし、はやく夫の世話から逃れて残りの人生を楽し
 みたいと思う女性が出てくるのは自然なことだ,

                            熟年離婚の盲点

   ただし、そのことと離婚することのリスクは別だ。夫にとっても妻にとっても、熟年離
 婚によって、どのようなリスクが発生するかは、正確に知っておかなければならない。
  たとえば、実際に離婚した場合、年金の受給額はどのように変わるのだろうか。
  夫が会社員で妻が専業主婦の場合、かつては夫の扶養家族である妻に対して支払われる
  年金額は、厚生年金保険の加入者である夫に比べて少なかった。
  しかし、最近では「アンベイドワーク(unpaid work)」といって、夫が仕事に専念して賃金
 を嫁げるのは、裏側で妻の支え、つまり家事や育児などの賃金が発生しない「見えない労
 働一があるからこそだという考え方がある。昨今ではこのような考え方が推認され、年金
 も公平に分配されるようになってきている。

  そのため2人合わせて月々の年金収入が330万円の場合、裁判や調停で労働割合が半
 々に認められれば、離婚後の受給額は一人あたり15万円となる。注意したいのは、離婚
 すれば当然別附帯になるため、家賃や水道光熱費などの固定費がそれぞれの世帯にかかっ
 てくる点だ。つまり収入が減るにもかかわらず、支出はそこまで減らないため、実際には
 今までと同レベルの生活を維持できなくなる,

  しかも先ほどの例のようにひと月あたりの年金受給額が15万円ともなれば、貯蓄がな
 い限りは.気に「生活保護基準」ラインに足を踏み入れることになる。同じ附帯にいなが
 ら2人で30万円で暮らすのと、それぞれ別附帯で15万円で暮らすのとでは、大きく意
 味が違うのだ。

  また、高齢者自身の考え方、価値観にも問題がある。とくに団塊の世代は、高度経済成
 長期の担い手であり、バブル経済の恩恵を最も受けた世代である,消費することが善とさ
 れ、趣味に時間やお金を費やしてきた人も多い。
  わたしのところに相談にくる方でも、一部上場企業でずっと働いてきて、今まで家や車
 の維持費だけで月15万円払っていたような方も珍しくない。しかし、いざ下流に足を踏
 み入れたら、そのような価値観を根から変革しない限り、泥沼にはまることになる。
  その場合、ファイナンシャルプランナーや弁護士などをはさみ、専門家の撹点から生活
 プランを設計し直していく作業が必要になるのだが、とくに多いのが”夫側”の相談だ。
 理由は明白で、妻よりも夫のほうが著しく生活能力が低いのである。家事をしていない男
 性高齢者は食事や日常生活において、節約しようとする意識すら持てない,




あまりにもリアルで思わず背中がゾクッとする話で、最後尾の「生活能力が低い」という件の
あたりは、図星しで、大当たりだと苦笑するしかないが、それでも悔い改められない自分がい
る。苦境に入って、いよいよというときに底力からはまだ出せると思っているから、妻に”極
楽トンボ”と揶揄されても、割と平気でおられるのは、性格に起因する。なぁ~に、老いたり
と言えど一山ふんでみようか?!と、やせ我慢せず、セカンドライフに「生涯労働制」を導入
し、社会奉仕や趣味などの成果物も含めて、貨幣あるいは価値評価できるような仕組み――現
行のシルバー人材センタ事業をさらにフレキシブルに運用した高齢者向けの相互扶助プラット
フォームを構築してみてはどうかと思う。これは残件扱いとしておこう。さて、次回は「仕事
一筋できたならば、夫はにげられてはいけない」から入る。

                                   この項つづく

時代は太陽道を渡る Ⅳ

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   難問は分割せよ。  /  ルネ・デカルト


 

【時代は太陽道を渡る Ⅳ: 25%超ソーラーの量産 】

株式会社カネカは、銅めっき法により集電極を設けた大面積(6インチ角)のヘテロ接合結晶シ
リコン太陽電池セルで、変換効率世界最高水準となる24.52%を 達成したと発表。この成
果は 高品質アモルファスシリコンを用いた結晶シリコン基板の表面欠陥低減技術に加えIMEC
社との共同研究の成果を一部適用した銅めっき法による電極形成技術などの独自技術を活用。
結晶シリコン太陽電池の分野で主流となっている6インチ角のセルで世界最高水準の変換効率
が達成されたことで、生産コスト低減に大きく寄与するものと見られる。

カネカは、今年度中にヘテロ接合結晶シリコン太陽電池モジュールの販売開始に続き製造能力
を拡大してきており、この成果の一部は、昨年度まで実施した国立研究開発法人新エネルギー・
産業技術総合開発機構(NEDO )との共同研究で得られたものだという。また、太陽電池セル・
モジュールの高効率化実現に向け、NEDOが実施するプロジェクトの「結晶Si太陽電池をベー
スとした複合型太陽電池モジュールの開発」に参画する。

カネカの報告は次のようなことを意味する。全世界に導入された14年の177ギガワットで
平均の変換効率が15%と仮定すれば、全てこれが25%に置き換えると177×25/15
=295ギガワットとなる。全て置き換わる20年後まで、ソーラーパワーの導入増加率を仮
に25%変換効率として、年間10%づつ逓増すると仮定し、35年は、295×(1.1)20
≒1,985ギガワットとなる、20%で逓増すると仮定すれば、295××(1.2)20 ≒1
1,309ギガワット、30%の場合、295×(1.3)20 ≒56,064ギガワットとなり、
つまり。全世界の化石燃料の推定埋蔵量に匹敵するエネルギーに全世界の年間のソーラー発電
量が匹敵するレベルとなり、再エネ百%はソーラーと蓄電装置の組み合わせで余りあるエネル
ギー過剰社会が実現する(あくまでも超概算見積もり)。

さて、カネカのソーラー技術の肝はどのようなものだろうか?下図の新規考案(下図の上をダ
ブルクリック)によれば、めっき法で集電極が形成可能であり、集電極が低抵抗化され、太陽
電池の変換効率を向上することができることにある。また、従来技術のめっき法による集電極
の形成方法では、絶縁層のパターニングプロセスが必要であるが、パターン形成のためのマス
クやレジストを用いずにめっき法によるパターン電極の形成を可能とするもので、第一導電層
と第二導電層の間に絶縁層の構造で、第一導電層と第二導電層の表面粗さを所定の範囲に制御
することで、第一導電層と第二導電層の密着性を向上させることができ、第二導電層の表面粗
さを所定の範囲に制御し、高信頼性の太陽電池を作製できるため、高効率で高信頼性の太陽電
池を安価に提供するということにある。

 

 
【再エネ百パーセント時代:4月急拡大、過去最大の136万キロワット稼働】

スマートジャパン(2015.07.31)によると、固定価格買取制度の認定を受けた発電設備が15
5年4月だけで136万キロワットも運転開始したという。これは原子力発電の1基分を大き
く上回る規模で、制度開始から4年弱で最大の伸びになる。太陽光発電が130万キロワット
と大半を占める一方、認定の取り消しを受ける発電設備も増えている。136キロワットのう
ちメガソーラーを中心とする非住宅用の太陽光が121万キロワットにのぼり、引き続き日本
の再生可能エネルギーを牽引。しかし、天候の影響を受ける太陽光発電の課題も広がる状況だ。
そのほかの再エでは出力が安定しているバイオマスが6万キロワット、中小水力も1万キロワ
ットと着実に増えてきている。 

このように、新たに運転を開始する発電設備が増えたことで、電力の買取量も拡大。4月だけ
で34億キロワットアワーに達した。このペースで伸びていくと、日本の年間の発電電力量の
5%以上を固定価格買取制度の発電設備で供給可能だ。買取金額も月間で1,221億円にの
ぼり、前月と比べて249億円増加しているが、反面、新規に認定を受ける発電設備は伸び悩
み、15年度に入り太陽光発電の買取価格が引き下げられたことに加えて、発電事業者には不
利な出力制御の運用ルールが1月下旬から拡大した影響している。いよいよ、蓄電設備導入政
策が本格的に議論するべき段階に入ったと見る。
  

【最新燃料電池論Ⅰ:  超高変換効率発電】

数10年前では考えられないことが燃料電池技術で起きているらしい。これも、『デジタル革
命渦論』での象徴である数値解析工学の進化とシンクロしての話。九州大学次世代燃料電池産
学連携研究センタの佐々木一成主幹教授らの研究グループが、東京ガス株式会社基盤技術部と
の共同研究で、超高効率を特長とする固体酸化物形燃料電池(SOFC) の発電効率飛躍的に向
上させる革新技術の理論設計に成功したことを発表。2つ以上のセルスタックを燃料供給の上
流から下流への流れに沿って多段に配置し、固体電解質内部の電荷担体(イオン)を、従来の
酸化物イオン(O2-)からプロトン(H+)に置き換えた場合、発電効率が80% LHVを超える
"超高効率発電"が発現することを、そのメカニズムとともに世界で初めて示すことに成功した
という。このような超高効率で行われることで、化石燃料から電力へのエネルギー変換は、環
境性の高いスマートエネルギー社会実現に向けた基幹エネルギー技術として期待される。また
この成果はエネルギー変換材料の研究開発の方向性にも重要な知見を与える。



まず、発電効率を多種のパラメータの代数関数として定式化する手法を開発→得られた手法を
適用し、SOFCの2つのセルスタック(セルの内部抵抗=0.383 Ωcm2、温度=1000 K;絶
対温度)を燃料の上流と下流にそれぞれ配置した2段構成→発電効率が最大化するように構成
パラメータを最適化→スタックの耐久性を損なわないように、各スタックの燃料利用率の最大
値を制約条件として規定。



さらに、最適化条件において固体電解質内部の電荷担体(移動イオン)を従来の酸化物イオン
(O2-)からプロトン(H+)に置き換えた場合に 発電効率として80%LHVを超える"超高効率"
が発現することを理論的に世界で初めて発見。電荷担体(移動イオン)の違いが起電力発生機
構や電気化学反応時の燃料組成の変化に与える影響を解析し、この "超高効率" が発生するメ
カニズムも明らかにする。結果の検証に、この"超高効率"を示した構成を用い、メタン燃料を
0.01モル秒-1の流量で供給し、電気エネルギーに変換する反応システムの数値実験を実施。
その結果、"超高効率発電"が数値実験でも高精度に再現された。

と、ここまで書いてきたが専門用語多くて理解されないことを心配するが、話をすすめよう。
高温(例えば、600~900℃)で作動する固体酸化物形燃料電池(SOFC)は発電効率が
高く、燃料多様性が極めて高いため、アノード(陽極)内部で炭化水素燃料を改質して発生し
た水素を燃料として発電を行う直接内部改質運転(DIRSOFC)が原理的に可能である利点が
ある。そのため、小型(1キロワット級)でも高い効率が得られると期待されている。この単
セル(1段構成)の代表的な構造として、緻密な固体電解質の支持体の一方の面にアノード(
陽極:燃料極)、他方の面にカソード(陰極:空気極)を設けた固体電解質自立膜型単セルが
挙げられる。一方、単セルの性能を高めるには、固体電解質を薄膜化し、IRロスを極力低減
させることが有効であるが、この固体電解質支持型単セルでは、固体電解質膜の緻密性や機械
的強度を保つため、固体電解質の薄膜化には制限がある。

イオン伝導性酸化物繊維を不織布状のペーパー状多孔質支持基体と、電極触媒粒子及びイオン
伝導性酸化物粒子で構成されるアノード活性層で、アノード活性層の一部が、ペーパー状多孔
質支持基体の内部に形成される固体酸化物形燃料電池用アノード支持体を備えたアノード支持
型固体酸化物形燃料電池単セルは、アノード支持体の細孔径、気孔率(空隙率)が非常に大き
く、電極反応の起こる3相界面がイオン伝導性酸化物繊維で形成されたネットワーク上に3次
元的に広がっているだけでなく、ネットワーク内に広がる3相界面厚さを薄く保つことができ
優れた発電性能を示す十分な機械的強度を維持し、高い気孔率を有する固体酸化物形燃料電池
用アノード支持体とこのアノード支持型固体酸化物形燃料電池単セルが、この研究グループか
ら出願されているが、この様な「イオン伝導性膜」(今回の研究成果ではプロトン導電性電解
質)の物性、特に、プロトンの移動速度を高め消滅させないことは第一優先課題である。

 

このようなことを踏まえ、最も基本的な構成――スタック2段構成で、プロトン伝導性電解質
と多段SOFCの組み合わせを検討し、変換効率の良好な結果を提示。今回の知見に基づき、追加
の技術としては、3つ以上ステージ構成で、供給燃料を混合し、下流のスタックへの新鮮な燃
料の多段供に給し、例えば、さらに発電効率の改善のために適用可能である。これらの技術で
は、より高い効率を達成させるための可変パラメータがたくさん存在する。この研究では、プ
ロトン伝導性電解質が、1つのプロトン輸送量を元にして、トランスポート量は、材料と温度
に依存する。いくつかのアプローチは、それぞれ、理論値の1に漸近するプロトン輸率と開回
路電圧(OCV)を増加させる。例えば、(1)動作温度を低下させることは有効である。(2)
別のアプローチとして、理論値と高い性能に近いOCVが鉛(Pd)膜使用し酸化物イオンをブロ
ックすることが報告されている。(3)また純粋なプロトン伝導性と化学的安定性を有する新
規なペロブスカイト型材料が報告されている。これらのアプローチは、「進化の概念}の実現
を可能にする。

 

高い電気効率および高温度で、熱自立運転が考慮すべき重要な課題である。また、SOFC  シス
テムの最小の可能な発電容量は、熱自立運転能力により決定される。ここで、熱自立運転は、
システム自体から発生する熱により、システムの動作温度を維持を伴う。プロトン伝導性電解
質の場合には、水素(発熱反応)の電気化学的酸化は、空気極側で発生、十分な余裕をもって
熱自立運転の下で、プロトン伝導性電解質とのスタックが(酸化物イオン伝導性電解質に基づ
く)は、従来のスタックの場合と同様にBOPのデザインで、その結果、効果的に空気によって
冷却され、熱自立運転の能力とSOFCシステムの最小の可能な発電容量が大きくても高いと変
換効率、動作温度、およびスタック、システムの構成、相対的に極小さな発電能力に依存する
効率は、SOFCシステムとして受け入れられる。と、要点だけを抜き書きすればこのようにな
るが多分に誤認、誤謬も多々あると思われるが、超高効率発電の実現に向け新たな目標が設定
されたと考える。このテーマは残件扱いとする。

母の初盆も近づき、従兄弟からお供えと暑中見舞いが届く。そこで、お礼返信を投函しようと
久しぶりに、筆書きをしはじめたが、漢字の箇所で、その文字が書けないのだ。これはある程
度予期していたものの、「手書き入力」は宅急便の受け取りサインだけというほどに慣れてい
ない。「継続は力なり」以前の問題なのだ、これは。

 

蛍・花火・火花

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   愛国者は常に祖国のために死ぬことを語るが、祖国のために殺すことは語らない。

                                                                バートランド・ラッセル

 

 

 【縮原発論 Ⅲ: 核ごみ廃棄処理のススメ】

  目次

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか


  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?

                   放射性物質が持つ長期性と濃縮性

  この章では、第1章で述べた大被害がどのように出るかを、もう少し具体的に予測し
 てみる。
  フクシマ原発事故の被バク経過を見た通り、日本の原子力産業に巣喰うシンジケート
 集団は、現在もすべて、半世紀以上前の1950年代に広島・長崎の原爆被曝者をモル
 モルモットにして観察したアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)なる組織が秘密
 に収集した資料と、アメリカで大気中の核実験を実施したAEC(後述する原子カエネ
 ルギー委員会)が語ったカビの生えた言葉と、さらにICRP(国際放射線防護委員会)
 が”勝手に”定めた安全基準を、おうむ返しにくり返しているだけなのである。

※ ICRP勧告 日本語版シリーズ「PDF無償公開のお知らせ

  セント・ジョージ住民を殺したのは、体内に取りこまれた死の灰である。ところが、
 中川恵一らの”日本の放射線の専門家と「自称する」ほとんどの人間”が引用している
 ICRPの基準は、レントゲン写真――医療用の放射線――自然界から受ける放射線・
 飛行機に乗って浴びる放射線――すべて体の外から浴びる空間線量である。このような
 外部被バクだけを論じて、内部被バク量を無視しているので、医学的な根拠など、まっ
 たくないのである。



  原発事故の場合、危険の尺度となるのは、休の中に入ってくる放射性物質の量である。
 その放射性物質(死の灰)には、発癌性のほかに、ふたつの特徴がある。
  ひとつは、長期性であり、もうひとつは、濃縮性である。そして体内で濃縮を起こす
 のが、内部被曝なのである。
  この最大の特徴が、ICRPとIAEAによって無視され、踏みつけられ、闇に葬ら
 れてきたために、いまだに世界中のほとんどの人に、大被害の危険性が認識されないの
 である。

  その結果、日本の新聞とテレビも、大手食品業界も、フクシマ原発事故の内部披バク
 問題をほとんど真剣に議論していないのだ。わが国における、フクシマ事故後の基準(
 2012年以降現在までの食品1キログラムあたり100ベクレル)という数字が、あ
 まりに危険すぎるにもかかわらず、この数字を超えない食品は安全だという迷信が、日
 本じゅうに流布している。

  そのおそろしさを説明しよう。 

  ユタ州の場合、原子カエネルギー委員会の死の灰や研究班ハロルド・ナップ博士が調
 べあげながら、闇に葬られたデータがある。それによれば、空気中での放射能の測定値
 がわずかに4ラドという地域でさえ、そこに生活する羊のノドにある甲状腺が、3万5
 000ラドの被バク量を示す放射性物質の濃縮を起こしていた。胃腸でも1万2000
 ラドと、空気中の3000倍まで濃縮が起こっていたのである。当時は、生物の体の部
 位・臓器ごとに受ける放射啼量を、このようにラドという単位で表現していたが、百ラ
 ドは、36頁の「換算の数値グレイを合計したものが、全身抜バク量のシーベルトとな
 る。

  「われわれは、畏い間まちがった計算をしてきた」と、ナップ博士は公聴会で証言し
 た。空気中での空間線量の測定値に対して、羊の甲状腺ではその1万倍の被バク量に相
 当する濃縮を起こし、胃腸でも数千倍の濃縮が起こっていた、ということになる。
  人体でも、それぞれの人間の体が集めている放射性物質の量を、直接測定しなければ
 意味がない。しかしそれは、すぺての臓器を取り出して生体解剖しないと測定できない
 ので不可能だ。

  人体の中に蓄積された放射性物質の量は、現在ではホールボディーカウンターと呼ば
 れる全身測定器で測ることができ、体内の”量の変化”を知るには有効だが、セシウム
 137がバリウム137に安定化するまでに放出する透過吐の高い“ガンマー線”しか
 測定できないので、絶対量の測定ではない。ストロンチウム90や、”染色体異常を引
 き起こす放射性水素トリチウム”が出すベータ線は、まったく測定できない。日本全土
 に降ったセシウム137が出しているのは、実はそのべータ線である。また、猛毒物プ
 ルトニウムが出す“アルファ線”エネルギーは特に強く、ガンマ線より20倍も影響が
 深刻だが、この危険物も測定できない。どのような曝類の放射性物質が、体内のどこに
 どれほど蓄積しているかを測定できなければ、実際の被バク量を計算することは不可能
 なのである。


※ EXPERT FAULTS U.S. ON 50'S ATOM TESTS  The New York Times 1982.10.10



                          知られざる内部被バク問題

  フクシマ事故後の日本の新聞を見ていると、一放射能摂取量(ベクレル)×実効線量
 係数=被曝量(シーペルト)」なる換算式がまことしやかに書かれ、あたかもベクレル
 とシーベルトを換算できるかのような錯覚を与えてきた。しかし、地震にたとえると、
 放射能の量を示すベクレルは、震源地で発生した地震の大きさ(エネルギー)を示す「
 マグニチュード」であるのに対して、被バク量のシーベルトは実際の建物や人間が受け
 た摺れの大きさを示す「震度」に相当する。つまり、いくら地震のマグーチュードが大
 きくとも、どれほどの被害が出るかは、地震の揺れを受けた場所によって、まったく異
 なる。マグュチュードを震度に換算するバカはいない。それと同じように、一人ずつの
 部位ごとの体内放射能の測定が不可能だから、ベクレルをシーベルトには換算できない。

  医学的に何の根拠もない計算式である。

  しかも現在のホールボディーカウンタjの測定は、胸部だけを図って、簡易測定です
 ませる場合さえある。これでは全身の測定ではない。呼吸によってノドに蓄積した放射
 性物質も、胃腸や筋肉、骨に蓄積した放射性物質も測っていないのだ。体内の放射能を
 調べるのにも有効な尿検査もほとんどおこなわれていない。

  多くの人が測っている空間線量の2時間あたりマイクロシjベルト」の数値、36頁の
 「換算表」の「線量当量]のところにある通り、モれを8・76倍すると「一年間あた
 りのミリシーベルト」になる。あまり汚染していない地域の平均的な空間線量は、測定
 条件と、場所や地面からの高さによって変るが、およそ毎時0・05マイクロシーペル
 ト(年間0・44ミリシーベルト)前後である。しかしこの数値は特別に危険な地帯を
 知るための、ほんの目安でしかないことを肝に銘じておく必要がある。

  常に同じ条件で測定しているこの数値が、大事故が発生した場合のように、普段より
 一桁以上も高くなれば、それは「確実に危険だ!」と叫んでよい。だが日常、空気中
 が多少低いシーベルトでも、内部被バク量が分らなければまったく安全とは言えないの
 である。

  そこで、注意深い多くの人は、内部被バクを減らすために、食品中のセシウム137
 を測定している。なぜなら、このセシウムが出す放射線のエネルギーは、人間の体内の
 分子を結合しているエネルギーの10万倍もある!!プルトニウム239では100万
 倍だ!!つまり、医療用X線より10倍も100倍も大きなエネルギーであるから、体
 内の分子をずたずたに引き裂くのだ。したがって医療用放射線と比較してはならない。

  現在もフクシマ原発事故現場から大量に、それも天文学的な量のセシウム137と”
 ほとんど測定されていないストロンチウム90やトリチウム”が外洋に流れ出し、コン
 トロール不能の状態が4年以上も続いて、太平洋全域を大汚染海域に変えてきた。観測
 親に洗われるそのフクシマ沖合の海を、あの食卓の王様サケ、サバ、サンマ、カツオが
 泳いでいる。だが、日本のマスメディアは、まったくその深刻さを伝えていない。食卓
 にあがる魚介類の放射能を測定するだけでは、安心できないのである。

  小さな生物のブランクトンが死滅した場合には、海中の魚介類が餌を失って生息でき
 なくなり、やがて太平洋の生態系が連鎖的に崩れることも指摘されている。
  誰でも知っているように、カルシウムは骨をつくる元素である。そしてストロンチウ
 ムは原子の構造がカルシウムと似ているため、カルシウムと行動を共にする傾向がある。
 
  したがって海で魚に取りこまれた放射性物質は、魚の体内で数千倍にも濃縮され、魚
 や人間の骨に蓄積される。これが「魚粉」に加工されて牛や豚の家畜飼料になり、小魚
 であればニボシになって、すでに食卓に浸入してきているのだ。カルシウムに似たスト
 ロンチウム90が人間の体内入ったあと、骨に運ばれてゆき、骨に固定される。われわ
 れ人間は、その背骨の中で血液をつくっている。こうして骨に一旦固定されてしまうと、
 容易に排出されずに、血液をつくる骨髄(背骨)に強い放射線を浴びせ続けることにな
 る。

  体という文字は、"體”と書いた。つまり骨のまわりが豊かになって 肉体ができる。
 それは、胎児から小児へ、小児から成人へと発育してゆく過程で、新しい養分を次から
 次へと吸収することによって身長が伸び、体重が増え、体積を増やして、大人になって
 ゆく人間の姿を示している。そのとき、ほとんど測定されていないストロンチウム90
 が食べ物に混入していると、骨のなかに吸収され、それが微量ずつ一日一日と蓄積され
 てゆく。

  放射線を出すストロンチウムが濃縮されれば、骨髄で生産される白血球のいくつかが、
 その影響を受けて癌細胞になる。この異常の発生する割合が高くなり、人体が持ってい
 る修復機能を超えて、癌細胞が血液中で増殖しはじめ、正常な白血球に打ち勝った時、
 ナダレ現象のように白血病の疾患があらわれる。

  成人の場合には、発育は止まっている。しかし新陳代謝も鈍くなっているため、一旦
 固定された物質が体内から追い出されるまでに、非常に長い期間を要する、今夜の食事
 に入っていた"死の灰”のカケラが、死ぬまで体の中に残る。こうしで、取りこみ速度も
 鈍い代りに排出速度も鈍いとき、体内では、ゆっくりと無気味な濃縮が起こってゆく。
 
  脂肪、蛋白質、炭水化物のように口々刻々と新陳代謝を進めながらエネルギー源とな
 る有機物に比べて、ストロンチウムやプルトニウムのような無機物は、体内での停滞期
 間がことに長い。そのため、濃縮を起こす。さらにこれらストロンチウムやプルトニウ
 ムが、水俣病の大悲劇を招いた水銀のように、有機化して全身をめぐり、脳に達する危
 険性もある。

  また医学的には、人体と、個々の臓器は、個人差が千差万別である。

  ○男と女(精子と卵子)――チェルノブイリ汚染地での甲状腺癌は、女性が男性の5
   倍というデータがある。卵子への放射性物質の濃縮度は特に大きい
  ○胎児を体内に持つ妊婦と、出産後の授乳期にある女性と、妊娠していない女性
  ○細胞分裂が盛んな幼児と、成長が止まった高齢者
  ○白人・黒人・黄色人種による違い
  ○大きな人間と、小さな人間-肥満とやせつぽち--大食漢と少食、などの体質  
  ○病弱者と、健常者(すでに病気を持っている人は、放射線被曝を受けて病状が悪化
   しても、被害はまったく無視される,モの傾向は高齢者でも同じである)

  そのため、同じ食品を食べても、実際の被曝の影響は、個々の人によってまったく異
 なる。
  ところが、食品中の放射性物質の規制基準は、特別の注意が必要な妊娠中の女性でも
、高齢者でも一律、1キログラムあたり100ベクレルである。"乳児用"食品だけ半分の
 50ペクレルにしているが、育ち盛りの幼稚園児・小学生・中学生・高校生・大学生の
 世代については、まったく考慮されていない。

  この世代が、大人と同じ汚染物を食べれば、大被害が出ることは明白だ。
  特に、汚染物を同量摂取しても、少量ずつ毎日食べた場合と、高濃度の汚染物質をま
 とめて食べた場合では、少量ずつ摂取したほうが、体内の濃縮度(蓄積量)がはるかに
 高くなる。
  この事実から考えると、若い世代にとって、現在のような100ベクレルの高い基準
 がきわめて深刻になるので、基準を大幅に引き下げるよう、日本政府に要求する国民的
 運動が必要である。

  最大の問題は、最も危険な地帯である福島県内で現状おこなわれている実質的なシー
 ベルトの測定が、空間線量である、という点にある。つまり、モ’一タリング・ポスト
 や線量計などで空気中を飛び交う放射線を測っているのだから、内部被バク量とは関係
 のない数値である。
  内部披パクにとって最も重要な単位は、体内に取りこむ食品と、水と、呼吸する空気
 中の放射性物質の種類(アルファ線、ベータ線、ガンマ繍の違い)と絶対量(ベクレル)
 の総計なのだから、東日本全域の土壌の放射能濃度(ベクレル)を実測しなけれぱなら
 ないのだが、日本では空間線量の推定図ばかりが横行して、ベクレル実測がおこなわれ
 ていないのである。

 

 
              20年で100倍に激増した自然界の放射能

  もう少しくわしく、現状の地球の全体像を説明しておこう。
  なぜ大気中の核実験のように危険なことがおこなわれたかという歴史の経過は、第4
 章以下にくわしく迷べるが、大気中の核実験が終ったあとも、放射性物・質は、原子力
 発電所の日常の運転でも匯突と排水ロから放出され、年々大量に、地球上の空気と水を
 汚染してきた。
  1970年に、アメリカ環境問題協議会がニクソン大統領向けに出した,「環境評価
 レボート」の中には

  ――いまや、”天然自然の放射線”という言葉を使うのはふさわしくない時代になっ
    てきている。なぜなら、原子力から人工的に出される放射能を、天然のものと区
    別することはできないからである。その量は、きわめて大きくなりつつある――
  という趣旨の警告が書かれていた。今から45年も前のレポートである。その後、19
 79年にアメリカでスリーマイル島原発事故、1986年にソ連でチェルノブイリ原発
 事故、2011年にフクシマ原発事故が起こって、一挙に大量の放射性物質がぱらまか
 れた。つまり、日本の放射線専門家たちが呪文のように唱えている「自然界にも放射線
 があります」という数字は、大昔の話なのだ。アメリカで最初の原爆実験がおこなわれ、
 ヒロシマ・ナガサキに原爆が投下された1945年より以前にしか成り立だない話なの
 である。

  彼らが測っている被バク量は、「自然界」の被バク量ではない。「原水爆と原子力発
 電」による被バク量を大量に加えた量であろ。
  1982年10月6日には、国連の放射線委員会がつぎの内容のレポートを総会に提
 出した。

  ――原子力発電所から生活環壇のなかに放出される放射能の量は、1960年に比べ
 て、20年後の1980年には、その100倍に漱増してきている――
  このレポートのあと、チェルノブイリ原発事故とフクシマ原発事故が起こって、地球
  上の人工放射性物質が激増したのだから、「自然界にも放射線があります」という言葉
 は悪質な冗談でしかない。ところが日本では、IAEAやICRPが宣伝に使うこの言
 葉が横行しているのである。

  地球にしのび寄る影がまだまだ存在しているに違いない。ところが一方でわれわれが
 聞いているのは、アペゴベに、”人類の平均寿命が伸びある”という朗報である。
  実はこの平均寿命の伸びという迷信は、第一に「乳幼児の死亡率が激減したこと」と、
 第二に「近年、主虻高齢者に対する延命治療が普及したこと」が最大の要因なのである。
 したがって、これは統計的な数字上のトリック虻すぎない。むしろ逆に、平均寿命の伸
 びの蔭にまったく別の形で人類の背後にしのび寄ってくる影がある。

  フロリダ大学のドハティ博士が、アメリカの大学生を対象に調べたところ、精液1cc
 あたりの精子の数は、ちょうどネバダの大気中核実験開始の直前にあたる1951年に
 平均1億個だったものか、1981年時点では、6000万個へと減少し、核実験前の
 6割しか含まれていないことが明らかにされている。

  これは、30年間で4割の精子が自然に抹殺されていることを意味する。ドハティ博
 士の研究では、学生のほぼ4人に1人の高い割合で、精子のなか突然変異の原因となる
 物質も発見されている。精子にしのびよる影があるなら、放射能が濃縮しやすい女性の
 卵子にはそれ以上の影響があるはずだ。

  ローレンス・リヴアモア研究所のワイロベク博士も、やはり同様の研究をおこない、
 こうした男性の精子異常と、女性の出産異常とのあいだに明瞭な関係を発見している。
 この影響が、胎児→新生児→小児→青年へと、年齢的な段階を追って、ゆっくりと現わ
 れてくる。
  男性の精子は最も幼い生命である。30年間で4割の死滅が起こっていろなら、生き
 残った6割の生命には、死と違う形で、障害がおよぷのも当然である。死産の難関を乗
 り越えて出生したあとも、放射性物質の発癌作用は残り続ける。

  結局、地球上の”空気”や”水”がほんのわずか放射能で汚染されているとしても、
 人体は、桁違いの放射能による影響を受けていることになる。
  ここに死の灰の”長期性”のおそろしさがある。
  アメリカ原子カエネルギー委員会と日本の電力会社と、自称,放射線の専門家がこれ
 まで住民に説明してきたような、レントゲン写真による被バク量を、これら体内の披バ
 ク量と比較すること自体が非科学的であるという事実が、これまでの大量犠牲者の実害
 によって、実証されてきたのである。
 
  それでも日本人は、ICRPの基準に身を任せるのか?


ここでは、歴史的事実を検証しながら、暴走しモンスター化した"原子力エネルギー政策”
”国家官僚と専門家”とそれに加担する政治家、産業資本家や経営者への痛烈な批判と告
発を行い、そして、無防備な勤労国民への警告を行う。ここは慌てず熟っくりと読み進め
ていくことに。
 
                                                   この項つづく   

 


● 非連続・読書日記: 蛍・花火・火花

  沿道から夜空を見上げる人達の顔は、赤や青や緑など様々な色に光ったので、彼等を
 照らす本体が気になり、二度目の爆音が鳴った時、思わず後ろを振り返ると、幻のよう
 に鮮やかな花火が夜空一面に咲いて、残滓を煌めかせながら時間をかけて消えた。自然
 に沸き起こった歓声が終るのを待たず、今度は巨大な柳のような花火が暗闇に垂れ細か
 い無数の火花が捻じれながら夜を灯し海に落ちて行くと、一際大きな歓声が上がった。

 熱海は山が海を囲み、自然との距離が近い地形である。そこに人間が生み出した物の中
 では傑出した壮大さと美しさを持つ花火である。このような万事整った環境になぜ僕達
 は呼ばれたのだろうかと、根源的な疑問が頭をもたげる。山々に反響する花火の音に自
 分の声を掻き消され、矯小な自分に落胆していたのだけど、僕が絶望するまで追い詰め
 られなかったのは、自然や花火に圧倒的な敬意を抱いていたからという、なんとも平凡
 な理由によるものだった。

  この大いなるものに対していかに自分が無力であるかを思い知らされた夜に、長年の
 師匠を得たということにも意味があったように思う。それは、御本尊が留守のうちにや
 ってきて、堂々と居座ったようなものだった,そして、僕は師・匠の他からは学ばない
 と決めたのだ。

  花火を夢中で見上げる人々の前で、最終的に自暴自棄になった僕が、「インコは貴様
 だ」と飼い主に絶叫するセキセイインコをやり始めたところで、ようやく僕達の持ち時
 間である十五分が終了した。汗ばかりかいて、何の充実感もなかった。そもそも、花火
 が打ち上がるまでに余興は全て終7Jする予定だったのだ。大道芸を披露した老人会の
 面々が観衆にのぼせあがり、大幅に持ち時間を越えたために、このような惨事が起きた
 のである。今宵の花火大会において末端のブログラムに生じた些細なずれなど誰も修正
 してくれはしない。たとえば僕達の声が花火を脅かすほど大きければ何かが変わっただ
 ろうけれど、現実には途方もなく小さい。聞こうとする人の耳にしか届かないのである。


                              又吉直樹 著『火花』


時代は太陽道を渡る Ⅲ』(2015.07.18)でとりあげた、『火花』を休息がてら呼んでみる。
芸人が花火会場で運命的な先輩との出会いに触れられているプロローグの場面。作者の「侘
び(imperfect)描写」がいかにも巧みである。 

  

最新量子ドットソーラー工学

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  デザインとは、単なる視覚や感覚のことではない。
        デザインとは、どうやって動くかだ。
                                                   
                    スティーブ・ジョブズ  



 

【タフな女神:進化するリチウム空気電池】

電気自動車や電力安定化の大容量蓄電池開発が進められている。このような、次世代のリ
チウムイオン電池のリチウム空気電池の理論的なエネルギー密度は現存する蓄電池に比べ
遥かに大きい。リチウム空気電池は、酸素正極とリチウム負極との組み合わせにより、正
極反応:2Li++O2+2e-→Li2O2、負極反応:2Li→2Li++2e-、トータルでは、反応2Li+O2
→Li2O2に従い、3600Wh/kgのエネルギー密度(=容量1200Ah/kg×操作電圧3.0V)を理論的に
供給できる。このエネルギー密度は、従来の炭素/LiMn2O4(または炭素/LiCoO2、炭素/
LiFePO4)系統の充電可能なリチウムイオン電池の6倍以上である。

ここで、当該理論エネルギー密度(3600Wh/kg)は、必要とするリチウムおよび酸素の全質量
に基づいて算出されたものであり、もしも空気から供給される無尽蔵の酸素が直接利用で
きるならば、リチウム-空気電池はより高いエネルギー密度をもつ。この理論エネルギー
密度(3600Wh/kg)は、必要とするリチウムと酸素の全質量で算出した。もしも空気から供給
される無尽蔵の酸素を直接利用できれば、リチウム空気電池はより高いエネルギー密度を
もつことになる。 

このような研究途上のリチウム空気電池は、電解質の有機電解液が一般に用いられるのは
商業用リチウムイオン電池の対電圧特性(対酸化性・対還元性)が優れ、リチウムイオン伝
導性も高いため、電解質として採用されている従来の有機電解液を、リチウム空気電池に
転用するが、リチウム空気電池は、リチウムイオン電池とは電気化学反応が異なる。

また、リチウム空気電池は、正極の空気極が酸素ガスを取り入れるために、リチウムイオ
ン電池とは異なる、開放系の構造が採用される(上図参照)。このような相違により、従
来の有機電解液は、リチウム空気電池においては、(1)充放電に伴い、酸素と反応して、
分解する(非特許文献、(2)空気極を介して空気中に揮発する、(3)空気極を介して空気中
の水分を溶解する、(4)空気極の細孔に容易に浸透することにより、空気極に必要とされ
る電子電導通路、イオン電導通路とガス拡散通路の、3つの通路全部を確保することが難
しい。有機電解液の浸透は、リチウムイオンを空気極内に供給に必要であるが、一方、空
気極の細孔が液体電解質で完全に満たされた後は、酸素の空気極内への拡散が阻害される
大きな問題をもつ。

これらの問題に起因し、従来の有機電解液を用いたリチウム空気電池は、(1)により、有
機電解液が消耗されるとともに、放電反応の生成物としてLi2O2のみならず、有機電解液と
の反応によりLi2CO3などが生成する複雑なメカニズムとなること、(2)により、長時間の
充放電および電池の長時間の保存ができないこと、(3)に対処するためには、空気に代え
て、酸素ボンベからのドライ酸素を使用することになり、実用には向かないこと、(4)に
より、空気極内の電気化学反応は、有機電解液中に溶存する酸素ガスのみに基づくことに
なること等の難点を有し、これらによって、電池の容量が小さく、サイクル特性が悪く、
レート特性が良くないなどの結果が生じることとなる。このため、従来の有機電解液に代
わり、より電気化学的に安定であり、かつ、不揮発性、水の不溶性を有する電解質が求め
られ、また、電子電導通路、イオン電導通路、及びガス拡散通路が確保される構造をもつ
空気極が求められている(出典:特開2014-022281「電解質としてイオン性液体、空気極と
してカーボンを分散したイオン性ゲルを用いたリチウム-空気二次電池
」)。

ところで、リチウム-空気電池は空気中の酸素(O2)を電気化学反応に利用している。放電
する場合には、外部回路からの電子と、電解液中のリチウムイオン(Li+)が、空気極中に
拡散してきた酸素と還元反応を起こして、過酸化リチウム(Li2O2)になり、充電する場合
には、逆にLi2O2が酸素発生反応を伴って分解し、リチウムイオンと酸素になるのが理想的
な反応である。ところが、空気極でのLi2O2酸素発生反応の過電圧が1.0 V以上の大きな値
になり、その高い過電圧で空気極に用いられているカーボンや触媒なども腐食されてしま
うそのため、(1)腐食対策として、カーボンフリーの空気極、(2)過電圧対策として、
ヨウ素イオンなどの利用が研究されている。


図 開発したリチウム-空気電池用空気極のレート特性(左)と電流密度500 mA/g(=
0.25 mA/cm2)での200回の放電サイクル特性(右)

先月24日、産業技術総合研究所らの研究グループは、有機電解液に約100 ppmの水を加え、
空気極に炭素・ルテニウム・二酸化マンガンを使用――これまで非水系リチウム-空気電
池では、避けられていた水に注目し、空気極の過電圧を評価するために、負極にリン酸鉄
リチウム(LiFePO4)を用い、DMSO(ジメチルスルホキシド :Dimethyl sulfoxide)に
わずかな水(約100 ppm)を加え有機電解液とし、空気極の触媒に、炭素とルテニウム(Ru
)と二酸化マンガン(MnO2)を用いた。この構成の電池では、空気極の上に放電で生成し
たLi2O2がH2Oと反応し、固体状の水酸化リチウム(LiOH)と過酸化水素(H2O2)になり(Li
2O2 + 2H2O = 2LiOH + H2O2)、LiOHは低い電位で、酸素発生反応により分解され、Li+、
O2とH2Oになった。

また、H2O2もMnO2触媒による酸化還元反応で、O2とH2Oになる。これらの反応で H2Oは、中
間体LiOHを経由して消耗せずに循環し、触媒の役割を果たし、空気極により、空気極のカ
ーボン+Ru+MnO2の重さを基準にした電流密度250 mA/gで、充電と放電の過電圧がそれ
ぞれ、0.21 Vと0.11 Vに低減され放電時に得られる電圧と充電に必要な電圧の差が
わずか0.32 Vとなった上に、電流密度が600 mA/gと1000 mA/gの場合も、充電の
過電圧が大幅に削減され、さらに、放電容量1000 mAh/gに規定した充放電サイクル試
験では、安定した200回の充放電サイクル特性が得られた――することで、空気極の充
電曲線の過電圧を大幅に低減に成功する。次世代自動車は、(1)超高効率固体酸化物型
燃料電池(水素)か、はたまた(2)リチウム(あるいは亜鉛)-空気電池(電気)のど
ちらが選ばれるか?面白くなってきた。




【最新量子ドットソーラー工学Ⅰ】

● アップバージョン量子ドット太陽電池 

シリコン系の太陽電池は、分光感度が高い波長領域が限られ、太陽光が十分活用されない。
この問題解決の1つとして、長い波長の光を吸収して、より短い波長の光を発光すること
によって光の波長を変換するアップコンヴァージョンが研究されている。さまざまな種類
のアップコンヴァージョン機能がある。現在のところ十分な量子効率が得られていない。

例えば、三重項-三重項消滅過程を示す組み合わせの有機光増感分子と有機発光分子をイ
オン液体中に溶解、分散させて光変換要素や光変換要素を用いたアップコンヴァージョン
膜層を配置した太陽電池が開示されている(特開2015-122470「液体アップコンヴァージョ
ンマイクロカプセルの製造方法、液体アップコンヴァージョンマイクロカプセルを用いた
アップコンヴァージョン層を有する太陽電池モジュールおよび表示装置 」参照)。

この特許例の液体アップアップコンヴァージョンマイクロカプセルの形成方法は、(1)
液体アップコンヴァージョン混合物を形成する工程と、(2)溶媒に液体アップコンヴァ
ージョン液体とを混合し撹拌する撹拌工程で製造し、(3)また、太陽電池モジュールは、
受光面側から、受光面側保護層と太陽電池セルと裏面側封止層と裏面保護層の順で構成し、
セルの裏面側に液体アップコンヴァージョンマイクロカプセルを用いた層を配置している
のが特徴と、これにより、液体状のアップコンヴァージョン混合物を低コストで用いるこ
とが可能となるという新規考案である。

 

 



● 異種のサイズ違いの量子ドット太陽電池

半導体材料を主成分とする母体粒子1A中に複数個の量子ドット1a、1b、1cを含む
量子ドット複合体1の構造で、この量子ドット複合体が集積されて量子ドット膜7となり、
これを半導体層11上に積層して太陽電池をつくる。この場合、量子ドット1a、1b、
1cがそれぞれ単結晶であり、各量子ドット1a、1b、1cの周囲にある母相3を中間
層として孤立した状態で、母体粒子1A中でそれぞれ量子ドット1abcとしての特性を
発揮でき、このことでキャリアの輸送効率が高まり、光電変換効率の高い太陽電池をえら
れる、サイズが大きくても光電変換効率の高い量子ドット複合体と、これを集積した量子
ドット膜とそれを適用した太陽電池が提案されている(下図参照)。

 
尚、この実施形態の量子ドット複合体1は、外見上1個に見える母体粒子1Aの中に微細な
単結晶が母相3を介し存在、微細な単結晶は個々に量子ドット1abcとしての性質を示
すものになる。この場合、単結晶のサイズ(最大径は1~9nmであることが望ましい。
量子ドット1abcがこのようなサイズであれば、半導体材料がシリコンで、多結晶タイ
プのシリコンのサイズ(通常、100nm以上)のエネルギーギャップ(1.1eV)よ
りも高くすることができる。エネルギーギャップが1.1eVよりも高く、1.3~2.0
eVになると、多結晶タイプのシリコンとは異なる波長の光を吸収でき、p型半導体層や
n型半導体層と組み合わせた場合には、多結晶タイプのシリコンだけで構成された太陽電
池の吸収波長帯とは異なる波長領域までカバーすることができる。

具体的な数値はでてこないが、着々と超高変換効率太陽電池技術が整いつつ(整頓)ある
とうだ。ガンバロウ!日の丸量子ドット太陽電池。



  ● 今夜の一品

おかずとご飯が同時に調理できる優れもの。ポータブルタイプの野外料理の調理器として
も、マイクロウェーブ&グリルの2つあれば、防災&アウトドアークッキングで力を発揮
しそうだ。

夏おでんと核のごみ

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   放射能の影響は笑っている人にはきません。クヨクヨしてる人に来ます。
             これは明確な動物実験でわかっています。
                                                   
                                         山下 俊一  

 

【可視化工学:軽元素を一つ一つを直接「見る」】

産業技術総合研究所の研究グループが、これまで電子顕微鏡で観察することは困難とされて
きたリチウム原子の微細(微塵)な空間に閉じ込め、低加速電子顕微鏡によるイメージング
と電子エネルギー損失分光法(EELS)で元素分析を同時に行い、リチウム原子一つ一つを可
視化することに初めて成功し、またリチウムと同様に、電子顕微鏡で観察することが難しか
った、塩素、ナトリウム、フッ素についても原子一つ一つを可視化できたことを公表した。

  

 

低加速電子顕微鏡と電子エネルギー損失分光法(EELS)を組み合わせてリチウム(Li)、ナ
トリウム(Na)、フッ素(F)、塩素(Cl)の単原子を分析した(下図)。これらの元素
は反応性が高く、通常は他の元素と結合した化合物の状態で存在する。ところが化合物中
のこれらの軽元素を電子顕微鏡で観察には、軽元素が電子線ではじかれ、化合物は簡単に
壊れる。今回、シールド材料としてカーボンナノチューブやフラーレンを用い、これらの
中に軽元素や軽元素を含む化合物を閉じ込めて、電子線のダメージを減らした。さらに、
単原子を捉えるため化合物を原子一列または二列の幅まで薄する。下図ではカーボンナノ
チューブの中に閉じ込めた各種軽元素を含む原子鎖を、従来の電子顕微鏡像(左)と、今
回の手法の電子顕微鏡像(右)を示す。それぞれの原子鎖の構造モデルと電子顕微鏡像を
比較sすると、重い元素は明るい点としてはっきり見えるのに対して、軽い原子はほとんど
像が見えず、どんな元素か、原子が存在しているかどうかさえわからない。これに対して
新しい方法で元素全体の像と各元素の位置を特定し、重い原子の間に軽元素が存在してい
ることがはっきりとわかる。


また今回の方法は、軽元素位置の特定だけでなく、各原子の化学的な性質も理解できるとい
う。例として状態の異なるリチウムについて、EELSで得られるリチウムの信号を比較した
ところ(下図)、結合相手の数によって信号に違いがあることがわかる。このように信号の
形やピークの位置から、軽元素の化学的状態がわかる。これまでは、リチウムの結合相手で
ある別の原子について分析を行い、その結果からリチウムの状態を推測するプロセスが主流
であったが、この手法では、リチウムなどの軽元素の結合状態が直接分析でき、化学反応プ
ロセスでのリチウムの状態を従来以上に詳細に理解できるものと期待されている。電子顕微
鏡利用工学はここまで深化しているだ!

 WO 2011099434 A1

 

      

 【縮原発論 Ⅳ: 核ごみ廃棄処理のススメ】 

  目次 

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

2012.05.13

  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?

                        食品は大丈夫なのか

  われわれのテーブルKあかる良品のことを考えてみよう。原子力発電や核実験でま
 き倣らされた放射能の粉を計器で測定してみると、レントゲン検査よりずっと小さな
 被バクしか与えない、という結果Kなる。だが実際には、さきほどのユタ州の羊のデ
 ータが物語るようにレントゲン検査より小さな被バク地域でも、あべこべにレントゲ
 ン写真を数千枚も撮影したときに匹敵する放射線障害を、生物の体かひき起こしてい
 た。
 
  それは、放射線の測定器が”体内濃縮”を起こさないためである。ガイガー・カウ
 ンターやモニタリング・ポストのような放射採測定器は、目の前にある”死の灰”が
 飛び出している放射線しか測定しない。これに対して生物の体は、移動しなから次々
 に”死の灰”を敢りこんで濃縮するため、計器よりはるかに大量の”死の灰”に被バ
 クする。これが、生き物の放射線科学である。
 
  事実、福島県では、牛に与える飼料を”人間の食品と同じ1キログラムあたり百ベ
 クレル以下”におさえていても、牛の体内で高濃度に濃縮されていたのである。
  したがって、フクシマ事故後にわが国が定めている現在の基準”食品1キログラム
 中に百ベクレル以下であれば食べて大丈夫という話は、きわめて危険であるというこ
 と気づくはずだ。

 

  というのは、ここに日本における「放射性廃棄物の濃度区分および処分方法」のグ
 ラフがある。これは、正確に記述すると「低レベル放射性廃棄物」の余裕深度処分に
 係る安全規制について」と題した、2007年3月20日の総合資源工ネ原ルギー調
 査会中間報告K掲載されたもの――日本の原子カ関係者が定めた規則である。
  放射能マークがついた黄色いドーフム缶は、どなたもど存知であろう。そのドーラ
 ム缶に入れて厳重に管理しなければならない低レベル廃棄物を、放射能濃度ごとに分
 類して、処分・保管するルールを図解したものである。

  これを見ると、穴を掘って埋める(トレンチ処分する)必要ぷある極低レベル放射
 性廃棄物の限界を、図中の左下のように”1キログラム中に100ベクレル″と国が
 決めてきたのである。しかしこれは、原発を廃炉にしたあとに発生する1基あたり数
 10万トンという膨大な放射性廃棄物を処分するのに莫大なコストがかかるので、苦
 しまぎれに「98%を家庭ゴミと同じように一般廃棄物として捨ててしまえ!」とい
 うトンデモナイ危険な”すぞ切り”処分のルールである。「こんなものが鉄屑に化け
 て、鍋やフライパン、飲料缶、家具、建材、目動車、眼鏡のフレームになったら大変
 だ。数字が高すぎるので、もっと下げろ!」と、そちこちから痛烈に批判されてきた
 危険物の指慄なのである。したがって、勿論このグラフは、”食べ物”の危険性を定
 めたものではない。原子力発覧所で発生する特別なおそろしい危険物を綸じたもの
 だ。それが、現在の食品規制値とまったく同じ濃度百ベクレルなのである。

  しかも食品の100ベクレルは2012年に採用した数字であり、その前の最も危
 険な2011年は食品1キロクラムあたり500ベクレルたったのである。
  日本人は、放射性廃棄物のドラム缶に相当するものを、食卓に乗せて、パクパクと
 食事をとってきたことにならないか?

  フクシマ原発事故が起こる前の日本におけるセシウム137の放射能レペルは、ほ
 とんどの食品で1キログラムあたり0・2ヘクレルだったのに、その500倍の百ペ
 クレルでも「安全な食品」だというのである。魚介類では、事故前の日本近海魚の平
 均値は0・086ベクレルだったので、現在の基準百ペクレルでは、その1000倍
 以上でも「安全な魚」になって流通するのだ。勿論、味が以前と変らずに「うまい」
 ので、見分けがつかずに困るのだ。大事故のあとだからこそ、食品基準は1ベクレル
 単位をめざさなければたらないという理由がここにある。


              中国が日本の10都県の全食品を輸入停止!

  日本の大手食品会社の製品は、47都辿府県の全国どこでも同じように流通じている。
 なぜなら、その原材料か、全国のもの(各地の特産品)を集めた加工晶だから、どこ
 で食べても同じである。安全性が信頼できる身近な農漁業者から食品を直接買ってい
 る人や、安全な原材料しか使わないよう特別に注意を払っている少数の外食店を除け
 ば、日常の食44をこれら大手食品会社の食品や、無神経な外食店に頼っている人の場
 合、日本人は、47都道府県どこに住んでいようが、ほとんど同じ100ベクレル基
 準のものを食ぺているのである。
 「現在ではほとんどの食品か基準よりずっと低い」と言われるか、これらベクレル量
 の測定を食品どとにくわしく調べると、少数のサンブリングですませるなど、穴だら
 けである。したがって、福島一や、その周辺の汚染地帯に住む人間だけが危険なので
 はない。

  2015年現在も(農林水産省5月22日発表の外国の規制措置によれば)、EUと
 スイスー・ノルウェーなどを含む全ヨーロッパ諸国は、「福島県の全食品」を輸入規
 制しており、「岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉の7県」に対しては、ほ
 とんどの水産物と大豆コメ、キノコ類、山菜などを輸入規制している。福島以外の
 46都道府県の加工品、つまり大手食品会社の製品であっても、これらを50%以上
 含むものは規制されている。そこに醤油・味噌の原料である大豆と、ごはんのコメが
 含まれていることは深刻だ。つまり、放射能の厳格な検査証明書が求められ、日本を
 信用せず貳輸入国が検査をしているのである。それを知らないのは当の日本人だけた!
 アメリカ・ロシア・アジアの世界各国も、同様に日本の食品を厳しく輸入規制し、
 世界人口の2割近くを占める中国は『福鳥・宮城・茨城・栃木・群鳥・埼玉・千葉・
 東京・新潟・長野の10都県』の全食品を輸入停止にしているのだから、東京オリン
 ピックでは、何もをもって「おもてなし」するのか?

  こんな言葉は、アスリートにとって、ブラックジークにしか聞こえない。
  では読者がどのようにして安全な食品を選べばよいかというと、47都道府県です
 べて条件が異なるので、一律の答はない。食品メーカーの信頼度と、食品の産地だけ
 でなく、流通経路を詞べる必要がある。というのは、事故発生からしぱらくして「汚
 染肉牛の流通事件」が起こったが、調べてみると報道されたのは氷山の一角で、汚染
 肉牛の大半(特に内臓部分)は検査をすり抜けて産地偽装され、汚染良品に対して油
 断している。”西日本”に大量に出荷され、ホルモン焼きなどに化けて関西人の胃袋
 におさまってしまった。産地偽装は、全国でいまも続いているのだ。



  47都道府県のそれぞれの土地で、以上のような知識を備え、地域の安全な食品を
 提供している人かいるので、直接尋ね、相談して教えてもらうのが、最良の自衛策で
 ある。その行動を躊躇してはいけない。
  福島県内では、「いわき放射能市民測定室たらちね」が、セシウムのガンマ線だけ
 でなくストロンチウムやトリチウムのベータ線も含めて信頼性の高い放射能測定をお
 こない、甲状腺検査も実施して、月刊誌”DAYSJAPAN″や全国の市民測定室
 とも連携している。全国的には、「食品と暮らしの安全基金」がこの問題に真剣に取
 り組み、「1ペクレル連合」の結成を呼びかけているので、この人たちに相談するの
 がよいと思う。



  食品汚染Kついて迷べた以上、普段口にしないことを記しておきたい。私自身は若
 い時代に東北の問拓農場で酪農を体験してから、その魅カにとりつかれ、都会を離れ
 て酪農家になろうと志した人間である。しかし一旦、原発事故が起これば、どれほど
 自然豊かな土地にいても農家が最大の汚染被賓を受けるのだから、まず先に原発を廃
 絶してから農業に入ろうと決意して、畑仕事をしながら、原発反対運動応身を投じた。
 このフクシマ大事故前には、福烏県内で原発廃絶のために数えきれないほど学習会に
 臨み、講演をしてきたのも、自分のためである。一方で原発とは関係なく、会津から
 郡山、三界、自』河まで、何度も足を運んで福島の文化の歴史を調べ、地元の有機農
 家の人だちと交流して、最上の農産物を送ってもらい、いかに福島の自然が豊かであ
 るかということを学んできた。

  読者がもし、本書に述べている「医学上の事実JK感情の刃を向けたいなら、その
 刃を向けるべき先は、この原発事故をひき起こし、東日本の愛すべき大自然を猛毒物
 で汚染し、農家と漁民をはじめとする住民を否しめてきた″責任者〃の東京電力と、
 今なお、原発の再稼働計画を進めて、別の土地で次の大事故を起こそうとし、最後に
 は、地下水豊かな日本の大地に10万年の管理をしなければならない恐怖の放射性廃
 棄物を埋めようとしている人間たち――自民党・公明党政権、全電力会社、厚子カ規
 制委員会・原子力規制庁である。

  汚染食品の問題に関して、私の忍耐は限度を超えていろ。生産者と消費者は,共に
 ”被害者″なのである。その両者か言い争えば、、フクシマ事故の責任者ゃが漁夫の
 利を占め、雲隠れしてしまうことを、誰もが決して忘れてはならない。
  農家と漁民の生産者をはじめとする住民が受けた大被害は、すべて責任者に償わせ
 なければならない。その賠償の根拠となるのが、本書で実証している放射能の実害な
 のである。


                 次から次へと賜に葬られた科学者と、
                福島県の「甲状腺癌」72倍のデータ

  再び過去の大被害を振り返ると、次から次へと闇に葬られた科学者のデータがあっ
 たのでそれをくわしく紹介し、折々に日本の現状と対比しながら説明してゆきたい。
  実はネバダで大気中の核実験をおこたっていたその喪では、アイゼンハワー大統領
 がつぎのように語っていた事実が明らかにされてきた。
 「大衆を、”水爆”、”核分裂”、”核融合”といった用語で少し混乱させておけば
 よいだろう。そうすれば、あまり関心を持つまい」――この発言は、核実験中の19
 53年のものだった。

  核実験をおこたっている当局の研究グループは、すでに自分たちも予期しなかった
 データを収集し、それに目を通しながらも「ここで”ここで危険だ”と意見を変える
 ことなどできるものか。こうなれば”安全″と言い続けるほかない」
  という上部の指示に従い、データを隠してしまったのだった。また、著名な科学者
 がつぎつぎに解雇されたり、警告論文が闇に葬られてしまった。

  警告を発したのは、ノーベル賞化学者ライナス・ボーリング博士、AEC(原子力
 エネルギー委員会)のドナルド・ジーサマン博一、ローレンス・リヴァモア研究所の
 ジョン・ゴフマとアーサー・タンプリン、オークリッジ国立研究所のカール・モーガ
 ン、ピッツバーグ大学のトマス・マンクーゾ教授、ウヱスティングハウス社出身のア
 ーネスト・スターングラス博士・・・・・・その数は限りない。
  これらの人の多くは、国家から頼まれて安全研究をおこなっていた最高頭脳だった。
  それが、結果を発表する直前、あるいはその直後に、
 「研究は中止となったらしい」
 「シンポジウムでの発表は見合わせよう」
 「長い&いだ動めてくれてど苦労だった。もう、君は自由の身だ」
  このような言葉を突然聞かされ、理由もなく警告資料を自分の手から奪われてしま
 ったのである。

  たとえばエドワード・ワイス博士のレポート(1967年10月)では、
  ――われわれは1948~62年のあいだにユタ州で外科手術を受けた若者(30
   歳以下)について、甲状腺の疾患をつぶさに調べてみた。この15年間に、11
   62人もの若者が甲状腺の外科手術を受けている。しかも甲状腺の癌は、最近の
   5年間に入ってから、激増している。結論を述べるなら、従来の考えは誤りであ
   る。甲状腺疾患は、10年から20年後にも発現すると、われわれは確信する―

   ワイス博士が危険性を指摘した子供たちの甲状腺癌の大量発生は、チェルノブイリ事故
  のあとのウクーライナとベーラルーシでも、そして勿論、わが国のフクシマ事故後の篠島県
 内でも大問題になってきた。
    つまり福島県内では、「福島県民健康管理調査」と銘打って、フクシマ大事故が発
  生した2011年度から”被災した時点でほぼ18歳以下だった青少年”を含む子供
  たちの甲状腺検査がおこなわれてきたが・・・・・・そこで発見された「甲状腺癌」と「癌
 の疑いある子供」の数は、日を追って、また年を追うごとに激増して、親を戦慄させ
 るべきものになりつつある。
   昨年末(2014年12月末)までに区切って数字を検証すると、それまで3年間
 に受診した子供のうち、検査結果の判定が確定した子供の数は30万1707人であ
 る(2011年10月9日~2013年度29万7046人+2014年度の初診者
 4661人。この数字には2巡回の検査の子供は入っていない)。そのうち”甲状腺
 癌87人、「癌の疑いある子供」30人を数え、おそるべきことに合計117人に達
 し、そのうち87人もの子供が甲状腺の切除手術を受けてきた。癌の,疑いある子供
 の場合も、すでに細胞の組織検査を終えているので医学的にはほぼ癌であることは確
 実で、専門家によって意見は異なるが、90~98%の確率とされている。そこで、
 癌の疑い30人×94%=”癌28人”と数えると、87人+28人=115人が発
 発症したことになる。

  甲状腺痛がほかの部位へ転移して、全身に癌が広がる危険性もすでに指摘されてい
 る。この年齢層は、普通は甲状腺癌がほとんど発生しない若い年代なのである!国立
 がん研究センターがん対策情報センターによれば、フクシマ事故が起こる前の35年
 間(1975~2010年)では、10万人あたりの甲状腺癌は、全国で年間「0~
 4歳がゼロ、5~9歳がゼロ、10~14歳が0・2人、15~19歳が0・5人」
 であった,つまり19歳以下では、各世代の対象者合計43万人で0・7人なので
 10万人あたり年間0・175人である。

  これに対して、フクシマの同年代の子供たちでは「検査人数が30万1707人で
 115人が発症した」とすると、10万人あたり38・1人で、検査期間が3年なの
 で、1年あたりでは12・7人になる。福島県発症率12・7人÷平常値0・175
 人=平常考えられる数値の72・6倍である。これは厳密な意昧での統計学的比較で
 はないが、おそるべき数字だと思わないだろうか。

  ところが日本甲状腺学会・理事長だった山下俊一は、ヨウ素剤を配布させなかった
 ばかりか、甲状腺学会の全医師あてに、「2次検査(セカンドオビニオン)をしない
 ように」という趣旨の嬰請書を送っていた。このように、ほかの医療機関への検診を
 妨害する行為は、医療に従事する者か絶対にしてはならないことである。その山下俊
 一が取り仕切ってきたのが福島県立医科大学である。そして、日本史上初めでの原発
 大事故の被災地となった福島県では、この大学が,わが国で初めての”大規模な県民
 健康管理調査を実施してきた。

  その結果を、山下俊一の弟子・高村昇や、ヒロシマから来た神谷研二たちが加わっ
 ている。
 「甲状腺検査評価部会」が最終判定して、甲状腺痛が数十倍に激増していると認めて
 いながら、「これはフクシマ原発事故とは無関係だ」と言い張ってきた。唖然とする
 発言だが、「今までより、梢密に、全員を検査するようになったから、癌の発見件数
 が増えただけだ一と、一画い訳しているのだ。

  ならば、全国でも、これと同じ70倍以上の比率で大量に子供の甲状腺痛が発生して
 いるのか?そうだとすれば、それは日本の国家として一大事であるから、すぐにも全
 国の子供の検診をしなければならない。なぜ、全児童の検査をせずに、非科学的な言
 い訳を続けるのか嘘がバレてしまうからなのか?

  そして彼らは「チェルノプイリでは、事故発生から5年以後に甲状腺癌が大量発生
 したのだから、現在までの福島県の甲状腺癌は原発事故と関係ない」との論陣を張っ
 ている。ところがこれも大嘘だ。当時のソ連の医師たちは、チェルノプイリ事故から
 4年後まで超音波検査機器を受け歌っていなかった。つまり最初の4年間、医師たち
 は甲状腺癌に見向きもせず手による触診で検査していたために、腫瘍を見落としてい
 たことが明らかKなっている。

  全米科学アカデミーの甲状腺癌に関する最新の知見でも、「未成年の場合、被曝一
 年後に甲状腺癌があらわれる」としているのだ。
  さらに、福島県民は誰ひとり被バク量が不明であるのに、「福島県民はチェルノブ
 イリよりはるかに岐バク量が小さいから甲状腺癌は起こらないにと、先に述べたよう
 に科学的な実測の根拠がまったくない被バク量を前提に評価をおこなっている。全員
 が侶頼できない判定メンバーである。一体、このような曾辞がまかり通るのが、文明
 国・日本なのだろうか。

  2015年5月18日の検査評価部会でさらに「甲状腺癌と疑い」の”増加”が公
 開されたが、この検査評価部会の議論を聞いて腹立たしいのは、子供たちを、データ
 を集めるためのサンプル扱いしているとしか見えない態度である。何を目的として検
 査をしているのか、と彼らに尋ねたい。子供たちが放射性ヨウ素で被曝したことと、
 72倍の異常な高率で実害が出ていることは事実なのだから、因果関係を論ずる必要は
 なく、ただちに子供を肋けるための広範な医療対策に議論を集中するべきである。こ
 のメンバーを還んだのは、一休講なのか?


いつの時代もが切迫すると、幾たびもを輩出する。ただ、そのの役割がいかなるものかは、
歴史のみが知るところだが、ここで登場する山下なにがしかの役割は、こころあるものか
らはすでに見透かされている。


                                 この項つづく

  ● 今夜のアラカルト

火を使わず、20分で作れる手軽なおでん。トマトジュースの酸味と香味野菜の爽やかな香
りる食欲の一品(紀文提供)。(1)はんぺん、蒲鉾は1.5cm 角に切り、竹笛は1cm 幅
の輪切りにする。きゅうり、セロリはみじん切り、青じそは千切りにする。(2)トマトジ
ュース・塩・おろしニンニク・オリーブオイル・レモン汁を混ぜ合わせ、冷蔵庫で10分間
冷やす。(3)(1)のはんぺん、蒲鉾、竹笛と2 を混ぜ合わせ、器によそう。(4)(3)
に(1)のきゅうり、セロリ、青じそを散らし、好みでオリーブ油をまわしかける。(5)
(4)を混ぜ合わせて「夏スープおでん」か完成。これで猛暑を乗り越えよう。

 

 

 

夏おでんを食卓に係留

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   いや、それはならぬ。ヴェニスのいかなる権力といえども、
             定まった法を変えることは許されぬ。 
                                                   
                 シェークスピア 『ベニスの商人』 

 

 

 

【世界最大の洋上風力発電の繋留が開始!】

福島県沖で行っている経済産業省の浮体式洋上風力発電の実証研究事業で、発電設備の係留
作業を進めている。世界最大規模の出力7千キロワットの風力発電設備と、総重量が280
0トンとなる8本の870メートルの巨大チェーンを連結し、海底に固定する。世界でも例
のない取り組みに、他の事業で培ったノウハウなどを用いて施工。工期短縮やコスト削減な
どの検証にはいる。7月28日に7千キロワットの洋上風力発電設備を搭載したL字型の浮
体を、福島県小名浜港から福島県楢葉町沖約20キロメートルの海域にえい航。順調にいけ
ば8月9日に作業が完了する。同海域は黒潮と親潮がぶつかり波が荒く厳しい条件にある。

浮体を固定するチェーンは1年前に海底に置き、そのチェーンをウインチで台船に引き上げ
浮体に付随するチェーンと連結する。チェーンの先端には特殊なアンカーが付いており、水
深120メートルの海底に食い込んで浮体を保持する。浮体係留のポイントは、8本の巨大
チェーンをバランス良く均等に張る。特に最初の4本をL字型の浮体に取り付けるまでは、
タグボートを使って浮体を引っ張りバランスを取る。台船を移動して1本ずつ係留する工程
も細かく計算。チェーンがねじれないように引っ張ったり下ろしたりする技術は、海底ケー
ブルの敷設と同じで、別の海洋事業で培ったノウハウを活用(清水建設・新日鉄住金エンジ
ニアリング)。さらに専用機械も開発してチェーンのねじり対策を講じた。今後、洋上風力
発電設備と洋上変電設備をケーブルで連結し、9月下旬に作業を終え10月初旬に発電が始
まるという。

● 新規考案例: 動揺減衰を備えた洋上風力発電用浮体構造

 
浮体式洋上風力発電用浮体構造物には、図4(上図)のようなセミサブ式、TLP(緊張係
留)式、スパー式などのタイプがある。様々な機器で構成される風力発電機には、振動・動
揺は故障の原因となり、浮体式洋上風力発電では、風力発電機基礎に使用される浮体構造物
の振動・動揺の抑制が重要課題である。 

セミサブ式やTLP式は水線面積の小さい半没水型浮体を使用し、波浪による動揺(上下揺
れ・横揺れ・回転)を軽減するタイプ。特にTLP式は浮体を強制的に水中に引き込むこと
で大きな浮力・係留力を作用させ、波浪により荷重の変動が生じても常に浮力・係留力が作
用し、セミサブ式では対応できない上下揺れを軽減できる方式として知られている。

上記のTLP式浮体構造物は、浮体・係留系の固有振動数が波浪の周期(約4~18秒)を
外すよう設計され、特に波力の大きい長周期側を避けて4秒以下に設計されるが、風力発電
機のローターの回転数は通常約10~50回転/分(周期約1~6秒)で、浮体・係留系の
固有振動数と一致して共振する可能性があることから、浮体構造物に風力発電機を搭載する
場合は共振対策が必要である。また、動揺する浮体構造物には付加質量力や造波減衰力が作
用するが、上下揺れのモードでは水線面積の変化が少なく造波減衰力の効果が乏しいため、
風力発電機のローターによる共振を避けたとしても動揺が収まらない問題がある。

風力発電機の起振力抑制に、(1)波浪からの上下揺れ軽減に、洋上風力発電の風力発電機
の基礎浮体構造物の浮力中心とアンカーとを連結し係留する緊張係留索と、浮体構造物と緊
張係留索間に介装され浮体構造物の上下揺れを減衰させる動揺減衰機構を備え (2)また、
浮体と係留系の固有振動数の調整する固有振動数調整機構を備え、(3)さらに、動揺減衰
機構と緊張係留索とを係合して一体化する作動状態と、この一体化を解除する非作動状態と
に切り替え可能なストッパー機構を備え、通常時にはストッパー機構を作動状態にし、一体
化する一方、暴風波浪時や地震時などの非常時にはストッパー機構を非作動状態にし、切
り離し、作用する荷重に応じて調整可能機構を備え、(4)また、カテナリー式で係留する
カテナリー係留索をさらに備えた特徴をもつ。

つまり、洋上風力発電における風力発電機12の基礎として用いられる浮体構造物10で、
浮体構造物10の浮力中心Cとアンカー34とを連結し浮体構造物10を緊張して係留する
緊張係留索14と、浮体構造物10と緊張係留索14との間に介装し浮体構造物10の上下
揺れを減衰させる動揺減衰機構16とを備え、風力発電機による起振力を抑えるとともに、
波浪による上下揺れを軽減できる洋上風力発電用浮体構造物が提案されている。



※ 浮体式洋上風力発電施設の係留システム開発 新日鉄住金エンジニアリング技報 Vol.6
    (2015) 2014.12.19

 

● 新規考案例: 洋上浮体構造物の曳航作業等のサポートシステム

風力発電に関して、海岸の大陸棚の比較的水深の大きい水域に、緊張係留浮体(TLP:テ
ンション・レグ・プラットホーム)を設けて、この緊張係留浮体に風力発電装置等の機器を
搭載する提案――例えば、図9(下図)に示すように、この風力発電装置の台座11を搭載
する浮体12は、この浮体12に取り付けられた1本又は複数本(図9では4本)のテンド
ンと呼ばれる緊張係留索13で海底や湖底や川底等の水底2に設けられたアンカー等の固定
用沈底部材14に係留されている。風力発電装置に限らず、一般的に、図9に示すような緊
張係留浮体1Xの設置は、浮体12のバラストタンクにバラスト水を注入したり、バラスト
を積んだりして、浮体12の喫水を設置状態の時よりも深くして沈めた状態で、予め設定水
域に設置された固定用沈底部材14の上に移動する。移動後、緊張係留索13の上端を浮体
12の上側係留部15cに接合し、緊張係留索13の下端を固定用沈底部材14の下側係留
部14cに接合する。 

接合後、上部構造物11を搭載している浮体12の傾斜に注意しながら、バラスト水を排出
したり、バラストを取り除いたりして、浮体12の浮力を予め設定された浮力とする。更に
、緊張係留索13の長さを変更して上部構造物11の傾斜と各々の緊張係留索13の張力T
1~T4の大きさを調整する。この設置では、緊張係留浮体1Xが波浪中においても上下動
揺や横傾斜や縦傾斜をしないように、また、水平方向に移動可能な範囲も許容範囲に入るよ
うに、緊張係留索13に予め設定した初期張力T1~T4を付与して係留する。  また、上
部構造物の搭載に広い面積を必要としない、風力発電装置を搭載するような場合には図10
(下図)に示すような、水面を貫通する柱状体(センターコラム)12aと、下部に接続す
る水没浮力体(ポンツーン)12bとを有する浮体12に、複数本の緊張係留索13の上端
側を固定し、この緊張係留索13の下端側を水底2に設置された固定用沈底部材14の下側
係留部14cに連結して、緊張係留索13に張力を作用させて緊張係留浮体1Yを位置保持
することが提案されている。


水面を貫通する柱状体12aと、接続する水没浮力体12bとを有する浮体12で構成され
る「ミニ・テンション・レグ・プラットホーム(ミニTLP)」と呼ばれる緊張係留浮体で
は、緊張係留索13は水深Dの水没浮力体12bの上側係留部15cに係留されている。
この緊張係留浮体1Yは、設置後は、水面を貫通する部分は柱状体12aのみとなるので潮
位変動や波による水面の上下による緊張係留索13の張力への影響が少なくなる。

しかし、この図9に示すような緊張係留浮体1Xでは、緊張係留索13の上端を固定するた
めの浮体12の下部部分12bや台座11を支持する柱状体(コラム)12a等の没水部分
が非常に大きい。また、図10に示すような緊張係留浮体1Yでは、緊張係留索13の上端
を固定するための浮体12の下部の水没浮力体12bや柱状体12a等の没水部分が非常に
大きいため、没水面積が大きい上に、広い範囲に広がっているので、この没水面積における
耐水性の塗装面が広くなり、塗装作業量や塗料が多くなる問題や、緊張係留後の経年変化に
対するメンテナンス面積が広くなり、保守管理のための作業量が多い問題がある。また没水
面積が大きいので、鋼材重量も増える可能性が高い。

さらに、従来技術の「ミニTLP」では、緊張係留索13の上側係留部15cが水中にある
ため、緊張係留索13の取り付け作業や張力調整作業、保守点検作業等が水中作業となるた
め、作業性が悪く作業時間が長くなるので、これらの作業におけるコストが嵩む。また、設
置後に下側係留部が地震等より不等沈下した場合に、この不等沈下に対して緊張係留索13
の長さを調整する必要が生じるが、この場合にも上側係留部15cが没水しているので、水
中での作業が必要になる問題がある。

また、緊張係留浮体1Yの曳航時や設置時等の緊張係留索13が取り付けられていない状態
では、水面を貫通する部分が柱状体12aしかないため静的復原力が著しく小さく、緊張係
留浮体の安定性能が非常に悪い問題があり、曳航時と設置時には緊張係留浮体1Yの姿勢を
保持するために、クレーンの使用が不可欠となる。この場合に、風力発電装置を搭載するよ
うな「ミニTLP」でも、発電容量が大きなものでは重量で千トンを越えるものもあるので、
使用するクレーンは、大型洋上クレーンとならざるを得ない。この大型洋上クレーンは、市
場での保有隻数が少ない上に、曳航時から設置完了時まで必要になり、大型洋上クレーンの
使用期間が長い。このため、曳航及び設置工事の日程調整が難しく、コストが嵩む。

このように、上部構造物を支持する浮体の水没浮力体を、浮体の傾斜に対する復原力を考慮
せず単に浮力発生形状にし、波の影響を受け難い形状と共に、没水面積が小さい、緊張係留
索の上側係留部を水面上に維持し、緊張係留索の取り付け作業、張力調整作業と保守点検作
業等における水中作業を回避できる緊張係留浮体システムの浮体の曳航作業、設置作業、保
守点検作業、撤去作業作業を行う場合に、一時的に配置される支援用浮体により、緊張係留
浮体の曳航及び設置等の作業が支援できるシステムを用いた浮体の設置方法を提供する。

このように、上図5・6のように、12緊張係留浮体システム1の浮体12を仮係留システ
ム形成し、浮体12の水面上係留部12dに一時的に固定される支援用浮体20の援用シス
テムで、浮体12設置時に、浮体12設置水域で、仮係留システムの緊張係留索13の下端
が係留される固定用沈底部材14を水底2まで沈下させて、支援用浮体20を仮係留した後
緊張係留索13で係留し、この緊張係留索13で係留をした後に、仮係留を解除することで、
緊張係留浮体システムの浮体の曳航作業、設置作業、保守点検作業、撤去作業を行う場合に
一時的に配置される支援用浮体で、緊張係留浮体の曳航及び設置等の作業を十分に支援でき
る支援用システムによる浮体設置方法を提供するものである。

この開発技術は、海洋浮体構造物(海洋浮体空港などハードウエア技術の集約体)で大変な
付加価値を生み出す可能性をもち、また、地球温暖化など大規模気候変動災害などの防災政
策、あるいは安全保障政策とも絡むテーマでもある。ここはしっかりとフォローしていく必
要はあるでしょう。 

  

● 日中食品汚染 18 中国の食品汚染地図  

【目次】 

   第1章 見えない食品の恐怖
 第2章 中国の食品汚染
 第3章 食品汚染のヒトへの影響
 第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか
 第5章 重金属汚染という新たな難題
 第6章 日本の食品は安全といえるか  


  第4章 なぜ汚染連鎖が絶ちきれないのか

                  3万社を超える食品加エメーカー

  だが、こういった食文化も現実的な食生活の変化の波にさらされる面は否定できない。
  食生活の変化が結果的に加工食品を増やしていったともいえるのだ。食品加工業が発
 展するためには、水の確保、冷凍・冷蔵技術の発達や交通網の整備といった条件が必要
 だが、煮る・炒める食品から焼く食品(ステーキやハンバーグ、焼肉や串焼きなど)へ、
 そして、生(サラダなど)で食べる機会の増加は、食品加工業の発展がなければありえ
 ないことだ。

  最近は中間層以上を中心に、食品を安全に保存しようとする意識が高まっている。も
 ともと外食依存の強かったところに多様な食品が食べられるようになり、加工食品の需
 要がいっそう高まったのだ。さらに中国が、日本や世界の食品供給基地として成長して
 きたことも大きな要因として挙げられる。ほとんどの日本の食品加工メーカーが、安い
 農産物や魚介類をもとめて中国に八口弁企業を設立し、食品加工工場を設けている。

  中国には、ある程度の規模だけでも、食品加エメーカーが3万6千社以上ある(20
 11年)。内訳は、農副良品加工業2万3000社、食品製造業8100社、飲料製造
 業5600社。外資系企業もかなりの数に上り、全体で約4千社が何らかの食品加工・
 製造にかかわっている。
  日系企業は2011年では167社(香港を除く)で同じ年に2社が新規に設立13
 社が撤退している。日系企業全体の年間売上額は約840億円、売上先は地場企業が多
 く、日本向け輸出は13%程度と比較的少ない。しかし地場企業には中国に進出している
 日系食品メーカーも含まれ、原材料として販売したものが肖度加エされ、製品化される
 などの経路をたどり、付加価値を高め、日本に輸出されていることが特徴のひとつだ。

  日系企業がどのような加工食品を作っているのか、詳しいことは公開されていない。
 もっとも食品モジュール化が進む現在の食品加工業においては、売上や管理費など金額
 に関するデータしか把握できなくとも仕方ない。
  たとえば水産品を原材料に作る練りものだけを販売する場合、練りもの原材料製造業
 となるが、それをもとに別の形状に加工し、熱を通すと、かまぼこやはんぺんといった
 食品名になり、そうしてできたものに、小さく短冊状に切った板のりを巻くと、それは
 のり巻き加工品などの商品名となる。しかし食品モジュール表のところで説明したHS
 コード上は個別の企業が付ける商品名とは無関係なので、「その他の水産加工品」とし
 か分類されない。だから企業も、商品を細かく区分して公表することに熱心ではない。

  結局、何が原材料として使われているかわからないのだ。中国の食品加工業の分類を
 みるとかなり細かい。まず大きく食糧および飼料加工業、植物油加工業、卵・と殺・食
 肉加工業、水産品加工業と4つの区分があり、それぞれに属するものとして精米業、製
 粉業、麺・コメ製品業、蛋白飼料製造業、養殖飼料製造業、その他飼料製造業、食用植
 物油加工業、非食用植物油加工業、甘藷始業、根菜糖業、加工糖製造業、食肉処理業、
 食肉加工業、肉副産物加工業、卵加工業、乾物加工業、水産物漬物業、すり身・すり身
 加工業、その他の水産加工業と、全部で19の業師がある。

  これらの業師はすべて、分野ごとに与えられる食品加工許可証、および販売許可証を
 得て業務を行っている。中国の食品加エ業の基礎は、食品添加物の生産にあるというの
 が 中国の専門家の見方だ,現在、認可されている食品添加物は既述のとおり膨大な種
 類に上るが、その発展過程で成長したのが食品加工業といえる, 
  農林畜水産物の原形がなくなり、さまざまな食品添加物が混ざっていく良品加工業で
 は、よほどしっかりしないと汚染が生じやすい構造になっていると思われる。

                      中国最大の食品加工工場

  中国系の食品加工工場は、主に東部沿岸地帯に集中しているが、とくに北京、上海、
 黒竜江省、古林省、遼寧省、山東省、江蘇省、広東省、河北省あたりに多い。外資系企
 業は遼寧省、山東省、江蘇省、上海、広東省などに比較的集中している,中でも山東省
 には人手企業が集まっている。中国の上位100社の食品メーカーのうち15社が山東省
 に立地しており、有名な巨人企業に、L企業集団がある。

  わたしはこの企業の工場見学をしたことがある。小さな工場から出発して、日本向け
  の野菜輸出が大当たりして、一気に大企業にのしあがった中国有数の食品総合メーカー
  同時に自社農場と契約農家から大量の農産物や畜産物を集める農業経営企業でもある。
 集めた農畜産物は、同社が作るあらゆる食品の原材料になる。エ場内は整然としており、
 衛生面にさまざまな気を 遣っていることがうかがわれる。

  秋深まる中、広大なホウレンソウ畑に案内してもらい、土と畑、それに地下からくみ
 上げている水を見せてもらった。わたしは作物学や栽培管理学の専門家ではないが、畑
 を見た限りでは、ホウレンソウの生育状況はけっして褒められたものではなかった。
  いいホウレンソウというものは、束になった葉が竹笹のように勢いよく伸びている。
 ところが、そこでわたしが目にしたものは、収穫の時期がもう少し先ということもあったが、
   タンポポの菓の部分のように地べたに張り付き気味で、活きが足りないようだった。理
  由として考えられるのは、土壌に有機的な肥沃さが足りないこと、つまり、化学肥料に
 依存しすぎていることだ。化学肥料や農薬依存の農法は、農民と土との距離を広げ両者
 の間になくてはならない「対話」をなくしてしまう,本来、農民は土の状況を詳しく見
 ながら植物を育てるために土が求めている状態を作り出すものだ,

  中国の農業の担いfが日増しに企業に移り、農民がただの農作業員と化し、しかも規
 模の大きな農業竜頭企業(農林畜水産物から加工食品を生産し、自ら販売も手掛けてい
 る企業)が土地を独占するようになって、農民と上との「対話」が途絶え、農地がエ場
 の一部のようになっていった。その結果、土づくりがおろそかにされ、ひいては汚染を
 放置する事態さえ常態化してしまっているのだ。

                      ヒントは日系食品メーカーにあリ

  構造的な食品汚染から抜け出すためのヒントは、実は日系企業の中にある,
  そこで評価の高い日系食品メーカーについて紹介をしておきたい。日本の大企業の出
 資や技術移転を受けていることで、中国でも有名になった日系食品メーカーにA社があ
 る。食品加工だけでなく、原材料となる農畜産物も自ら作っているという点では農業竜
 頭企業といえる企業だ。

  この会社は堅実な経営で成長し、日本的な真面目さが現地では受けている。山東省に
 設立されて10年になるが、中国の農業竜頭企業にとってもモデルのような存在となった
 ことは、ひとりの日本人としても寫ばしい,
  この会社は、日本の農場や食品メーカーのいいところだけを収って、中国でも実践し
 ている。イチゴ、野菜、トウモロコシ、小麦などの耕種農業のために100ヘクタール、
 新鮮で安全な牛乳を市販するための乳牛を約1000頭飼育。牛から出る排泄物は敷地
 内に設置した施設ですべてを堆肥化、それを自社農場の畑にすき込むという完全な大規
 模有畜農業を行っていた。 

  この堆肥を使った畑は、遠くからみると薄茶色をした畑とみごとなコントラストを描
 き、真っ黒な土壌を大きな四方形に浮かび上がらせている。これこそが中国の農場が学
 ぶべき農法である。
  また乳牛から搾った原乳は、中国ではA社にしかないという最新設備で加工。日本の
 スーパーで売られているのと同じ形の紙パックに入れて、地元のスーパーなどへ高級牛
 乳として出荷する。牛乳生産のための原乳は、自社製以外は使用しない。
  市販価格は他の牛乳に比べ倍以Lするが、高級品志向の富裕層や日本人家庭を中心に
 信頼を集め、今やブランド品として地位を固めつつある。地元のスーパーで買って飲ん
 でみると、確かにコクがあり、風味や色は普段、日本で飲む牛乳と変わらないか、それ
 以上の品質だ,

  自社原乳を自社の設備で加エして販売するので、安全性も保証されているとみてよい。
 こうした企業が責任を持って作った製品ならば、中国製であろうとなかろうと消費者は
 歓迎すべきだ。中国で事業展開をする口本の食品加エメーカーすべてが、A社のように
 問題ないと断言する自信はないが、相対的には安心度の高い企業が多いと思う。
  ただ厳密にいうと、安全性について日本メーカーがいくら注意を払っても、すべての
 生産資材を自前で調達することは不可能で、配へ目飼料、獣医薬品、農薬、化学肥料な
 どは外部から買うしかない。また、勝手にやってくる大気や水の汚染、そして重金属な
 どは防ぎようもないことである。

ここまでのところは、とりたててコミットすることはないが、いささか農本主義的なにおい
が気になるところだが、そのことはさておいて次節の「中国で指示される農産物宅配」に進
もう。

                                  この項つづく

   ● 今夜のアラカルト

さて、昨夜の紀文の「なつおでん」のつづき。材料は4人分で、焼ちくわ11 パック(2本)
/そのまま便利 ごぼう巻1パック(6個)/さつま揚 (巾着) 1パック(7枚)/紀文 つ
みれ1パック(6個)/おでん用昆布(乾燥タイプでないもの)1パック(5本)/結びし
らたき 5個(150g)/なす 2本/さやいんげん 12本(50g)/オクラ 4本/かつおだし汁
1200cc/うす口しょうゆ 大さじ2/酒 大さじ1/みりん 大さじ1/塩 小さじ1/4/生姜
適量/青じそ 適量/すだち 適量。以上「夏野菜の冷やしおでん」だ。履修、ワイン、ビール
が!飲み過ぎは熱中症がきになる? エンヂング・ノートは書いていない?いいじゃない「真
夏の夜の夢」ではないか。 



真夏の夜の夢 松任谷由実

 

 


夏おでんと麦とろ牛皿御膳

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  『殺さず、殺されず、殺させず』という考え方は
                決して自己中心的、利己的とは思わない。

                     三日月滋賀県知事


 

    植物発電


● 樹木の中に潜むシロアリなどの害虫の動きを非侵襲で検出

立命館大学理工学部の道関隆国教授らの研究グループは、UHF帯の発振器と無線機を用い
て樹木の中に潜むシロアリなどの害虫の動きを非侵襲で検出できるシステムを開発。ごく小
さな”誘電体”となるアリが動く際に出す微小容量を周波数に変換してとらえる仕組み。セ
ンサーとして防犯用や工場の生産ライン上での異物検出などへの応用を見込めるという。

※ 非侵襲(ひしんしゅ):生体を傷つけることなく行う医療行為




シロアリが誘電体として持つアトファラッド(アトは100京分の1)級の容量を、テレビ
やラジオの受信機で用いられる「スーパーヘテロダイン方式」で変換する手法に着目。UH
F帯の高周波変調信号を周波数変換器で中間周波数(IF)帯に変換し、IF帯の信号で増
幅後に復調させる。UHF帯の発振器に100メガヘルツの周波数変換器を接続し、周波数
変化量を維持したまま、発振周波数を98メガヘルツから2メガヘルツに変換させた。汎用
の周波数カウンターで周波数変化量を測定する。試作した携帯型ワイヤレスセンサーシステ
ムでは、20~30メートル程度の距離でアリの有無による周波数変化をモニタリングでき
た。今後は温度などの変化に対する精度を高めていきたいとし実用化を急ぐ(日刊工業新聞
2015.08.05)。

ここで、スーパーヘテロダイン方式とは、受信信号と局部発振器の信号をミックスして両方
の信号の周波数差を、中間周波数に変換し、それを増幅したあとに復調する受信方式。現在、
もっともよく使われる。高周波と中間周波の二つの周波数を使って信号を増幅するため,ス
トレート方式に比べて安定に動作する。ここでヘテロヘテロダインとは周波数を変換するこ
とを意味し,スーパーヘテロダインの名称は,可聴周波数より高い中間周波数(super sonic)
へ変換することにちなむ。例とし下図のラジオ回路がある。




尚、道関隆国教授は、電子回路工学を研究コアとし、環境に存在する光、熱、運動エネルギ
ーといった自然エネルギーを活用した電池のいらない端末システムを目指し、端末に必要な
各種発電源、内部回路に一定の電源を供給するための電源変換回路、無線回路を含めた極低
電力LSIを中心に研究。「植物発電によるモニタリングシステム」「尿発電(おしっこ発
電)によるおむつ用尿漏れセンサーシステム」などの開発実績がある。今回の発明に関わる
特許及び新規考案は、例えば下図の「合成画像表示システム」や「プリスケーラ回路」 

※  植物発電によるモニタリングシステムは、植物が土壌から水を吸い上げることで発生する微小
   電力を蓄電し、一定の電力量が貯まった時点で、植物発電センサー内の送信機から受信機へ
   ワイヤレス送信するシステムで、送信の時間間隔で植物の健康状態が分かる。
※ プリスケーラは、汎用的なICでは動作不可能なほど高い周波数でPLL回路を構成す
  る場合や、周波数を計測する際に使用するもので、カウンターによる分周作用を利用し
  て次段への入力周波数を整数分の1に下げるもの。

 

従来から、所定の画像パターンに対応する識別対象画像を取得し、対象画像の中から、識別
情報を認識し、予め登録された中から識別情報に対応する所定の処理を実行した画像を表示
領域内に表示し、対象画像内の所定の2個以上の位置情報を取得。取得位置情報に基づく向
きと位置に認識された識別情報に対応する画像描画する画像処理技術が知られている。

しかし、従来技術では、対象物を所定方向(平行や回転)に移動することで、合成される画
像に動きを持たせ表示できるが、対象画像を停止させたまま合成させる画像を変化させるこ
とができなかった。例えば予め制作された動画を合成する等の対応しかできず、対象画像種
別毎にある特定の動作しかできなかったため、付加価値性に優れた高精度な画像や映像が提
供できずにいた。

また、上図(写真)の仮想図形表示システムでは、一旦、仮想図形が表示されると図形変化
は難し――外部環境変化に応じ図形変化できなかった。また、従来技術では、表示画像は、
識別情報を含む対象画像の位置を基準に表示するため、表示の仕方に制限があり、例えば3
次元映像等は表示できなった。

そこで、撮影された画像の所定の位置に、他の画像を合成して表示する合成画像表示システ
ムで、(1)予め設定された光の照射後、時間の経過と共に輝度が変化する変化物により所
定の情報が記された情報提供媒体を撮像する撮像手段と、(2)撮影された画像中に含まれ
る所定形状の認識情報と輝度情報を解析する認識情報解析手段と、(3)認識情報解析手段
で得た認識情報から3次元位置を取得する3次元位置取得手段と、(5)3次元位置取得手
段により得られる3次元座標を用いて、予め蓄積された複数の合成対象画像から、認識情報
に対応する画像を抽出する画像情報抽出手段と、(6)画像情報抽出手段で抽出された合成
対象画像を前述撮影画像の実空間を基準にして立体合成し、合成画像を表示する画像合成手
段とで構成することで、付加価値性に優れた高精度な画像又はサービスを提供する新規考案
がベースとなっている。

 

 
● 目に優しい有機EL照明

シャープの激しい垂直統合政策で、なかなか市場拡大が進まなかった日の丸有機ELが再び
動き出した。三菱化学とパイオニアは先月、ブルーライトレス塗布型有機EL照明モジュール
を開発し8月より出荷すると発表。ブルーライトは、自然光や人工光源に含まれる波長38
0~495ナノメータの光で、可視光線の中で最もエネルギーが強く、ほぼ減衰することな
く眼の網膜に到達するため、眼の疲れの原因になる。また、就寝前に多量のブルーライトを
浴びると、睡眠をつかさどるホルモンの分泌が抑制され、寝つきが悪くなったり、眠りが浅
くなるなど睡眠の質の低下につながる。ブルーライト成分を多く含む光源を採用したパソコ
ンやスマートフォンなどの使用時間が増えており、長時間ブルーライトを浴びることが問題
視されている。

 

眼精疲労がひどく、近くの橋添眼科で点眼液を(写真)を使用―副交感神経緩和剤―してい
るほどである(効能は上図をダブルクリック)。さて、同モジュールは、独自の技術で有機
ELパネルに青色素子を使用せず、従来有機EL照明に比べ、ブルーライト成分を99%以
上カットしたという。寝室や医療現場などの照明や、光による損傷が懸念される文化財や絵
画などの保管用照明にも適している。色温度は千9百ケルビン、ろうそく色タイプである。
最大輝度は、3千カンデラ/平方メートル。サイズは、縦92.4ミリ×横92.4ミリ×厚
さ4.3ミリとなり、重量は42グラム。面発光で薄型・軽量という特長をもつ有機EL照明の
ラインアップに、ブルーライトレスタイプが加わることで、さらに幅広い用途提案が可能に
なります。これ契機に有機EL事業は拡大方向に向かう。この開発に関わったのは17年前。
長いことかかったがここまでたどり着いた。

 【縮原発論 Ⅴ: 核ごみ廃棄処理のススメ】 

  目次 

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


 第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?


                 次から次へと賜に葬られた科学者と、
                福島県の「甲状腺癌」72倍のデータ

  さて、この甲状腺癌の問題は、もうひとつある。それは、1986年のチェルノブイ
 リ事故で小児甲状腺痛が大量に発生し、原子力産業でさえ否定できないほど明白な統計
 が出たため、ここにだけ焦点を当てて、ほかに発生している甲状腺以外の大量の疾患が、
 日本にあたかも存在しないかのような議論を招いていることである。

  放射能の後遺症には、鼻血、足の痛み、頭痛、疲労しやすいことなどにはじまって、
 失明に至る白内障もあれば、先天性奇形もある。脳腫瘍を含む中枢神経系腫瘍と、白血
 病と、リンパ腫を含めたリンパ系と造血器の腫瘍は深刻だ。免疫系の弱化による消化器
 (胃腸)の不調は、体調不良時の下痢などと混同して見逃されやすいが、下痢の頻発も
 放射能疾患の代表的な徴候である。さらに、内分泌系や、耳・鼻などの神経感覚器官の
 異常、尿漏れを起こす泌尿器の障害、皮膚・呼吸器系に生ずる膨大な数の疾患がある。

  それは、若い年齢層がこれから成人に至るまで、このあと被害者の実例を示すように、
 歳月が経つごとに増加してゆくのである。それらの症状は、月刊誌"DAYS JAPA
  N"(2015年4月号)に広河隆一氏がチェルノブイリ事故”避難民”数千人のアンケ
  ート調査を示している通り、無数の前駆症状の実例がある。

  すでに東日本各地の被災住民から私にも、チェルノプイリ同様のさまざまな異常が多
 数伝丸られているが、医学的な統計ではないので、現時点では記述を腔えることにする。
 読者も、もし家族に体調の異常がある場合には、その原因を疑って、互いに伝え合って
 ゆく必要がある。

  もうひとつ、2013年11月25日から「福島原発事故に伴う住民の健康管理のあ
 り方に関する専門家会議」がスタートしたが、この会議の座長には、またしても,放射
 能安全論の守護神・長瀧重信が就いて、何も調べないうちから「フクシマ原発事故と
 健康の因果関係は認められない」という言葉をマジナイのように唱えてきた。”被害発
 生地域が福島県だけではない”ことが明らかでありながら、高度汚染地域として指定さ
 れた岩手・宮城・茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉の7県の60市町村などの子供たちにつ
 いて、調査することさえ拒否してきたのだ。”島県の小児甲状腺癌”だけに注目するこ
 とは、重大問題であり、東日本の多くの母親たちが、調査しない長瀧の座長解任を求め
 てきたのは当然である。

  過去の被害の実例を示すと、さきのワイス博士は、甲状腺癌のレポートの2年前に、
 ユタ州南部のふたつの郡について、白血病の激増についても調べあげていた。白血病は、
 発症してから死亡するまでの平均余命が、当時はわずか1年7ケ月と短かい不治の病だ
 った。だがそれ以外の癌の場合には、長い時間をかけて起こる濃縮によって、別の悲劇
 が防れていた。

  ワイス博士の重大な警告レポートはホワイトハウスの意見に従って”没”にされたの
 である。その年は、少女シビル・ジョンソンが白血病のためこの世を去っていった19
 65年である。この子の父親が主治医に因果関係を尋ねていた頃、すでにその疑問は裏
 で解き明かされ、闇に葬られていたことになる。ワイス博士は、ユタ州の発癌率が全米
 平均の4倍に達することも報告していた。

  しかも没収された資料は、特定の科学者集団に手渡され、そこで”極秘”のスタンプ
 を押されて倉庫に眠ってしまうか、ときには、別の加工処理を受けたうえで発表され、
 「南郎ユタの地方医師が診断したとい発ガンの症例は、医者の知識不足による誤診だろ
 う。集団ヒステリーKすぎない」として、すさまじい被害の訴えを切り捨てた。政府は
 タバコの発ガン性について、莫大な金を使って危険を警告しながら、このことについて
 は、現在の日本政府と同様に莫大な金を使って安全を宣伝してきたのだ。

  東部では、ボストン大学医学部トマス・ナジャリアンのもとへ63歳になる男が訪れ
 てきた。この患者は、あらゆる血球が減少し、牌臓に腫瘍ができていた。しかしさらに
 検査してみると、白血病であることが判明した。この患者の経歴を調ぺてみたところ、
 1962年に謎の沈没事故をとげた原子力潜水艦スレッシャー号が最後にオーバーホー
 ルを受けたメイン州のポーツマス海軍造船所のドックで、厚子力機器の熔接工をしてい
 たという。

※ 失敗知識データベース:原子力潜水艦スレッシャー号沈没事故 April 10, 1963
※ The Lancet  vol.311, No.8072, p.1028, 13 May 1978
※ Rickover and the Nuclear Navy THE DISCIPLINE OF TECHNOLOGY, by Francis Duncan
        Naval Institute 

 「6年間、ポーツマスで働きましたが、放射線の被バク量は、きわめて小さなものにす
 ぎません……しかしそう言えば、仲間のなかに、歳にしては随分若いのに死んだ者が何
 人もいました」
  ナジャリアンは、ダートマス医科大学で生物統計学をおこなっているセオドア・ゴル
 トンに相談し、二人でポーツマスの海軍ドック労働者を徹底的に洗ってみることにした。
 結果は、予想をはるかに上回るものだった。
  これまでのドック死亡者について、モの病因を一人ずつ詞べたところ、白血病死亡率
 が全米平均の562%という、信じられないほど高い発生率になっていた。また、リン
 パ系や造血組織などの癌死亡率も226%、それ以外のすべての癌死亡率も161‰と、
 どこを見て も異常ずくめだった。
 
  ナジャリアンとコルトンは、数字のあまりの大きさに驚き、これら労働者がどれほど
 大量の放射線を浴びたかを調べたところ、当時の日本の原子力発電所が一般大衆につい
 て定めていた安全基準(5ミリシーベルト)の半分にも満たない量(2・11ミリシー
 ベルト)であることが分った。
  2人はこのデータを大急ぎでまとめ、医療誌(“TheLancet")1978年5月13日
 号)を通じて全世界に警告を発したのだった。ナジャリアン博士がつきとめた異常もま
 た、計器で測定できない重大被バクが、つぎつぎとドックの労働者に死をもたらした事
 実を明らかにしていた。


さて、次章では、映画俳優「ジョン・ウェインはここで死んだ」と語ったユタ大学のロバー
ト・ベンドルトン教授が、1982年の夏、忽然と他界した背景が明らかになる。

                                   この項つづく

 

 

   ● 今日のランチは麦とろ牛皿御膳

猛暑で栄養つけなきゃと、彼女が平田町のココスでステーキをという提案で午前11時半ご
ろ傍目のランチをとる。感想? ここでの食事は久しぶりで、注文したステアリブステーキ
(150グラム)をいただきながら、比較的年期がはいってそうな女性店員と話しながら月
日の流れを再確認していた。彦根インターチェンジ・ココス店が1号店でテニスクラブ創設
時からの常連であったが、食物アレルギーも発症もなく、好物チキンステーキを注文してい
たが、いまのように、フリードリンクのオプションはないものの当時の店の雰囲気はノスタ
ルジアなバイアスがかかり、リッチな思い出として記憶されている。そのとき何気なしに、
吉野家の麦とろ牛皿御膳が5百8拾円の値段で食べられるというから、一度、試食しようと
誘ってみた。

と。言うことで、はやめ食べに行うと急に言い出したので彼女を乗せ国道8号線沿いの芹川
店(?)で早速試食してみる。上写真のように白米の上に押し麦をいれたご飯(下/右)と
薄引き肉玉ねぎ煮込みの牛皿(下/右)に麦とろ汁(上/左)とオクラ和え(上/中央)、
味噌汁(上/右)のトレーセットに冷やした緑茶(ポットジャー入り)と醤油、薄切り紅生
姜を任意に注ぎ添えで、ふたり大満足し、猛暑の中、近くで買い物し帰宅する。

  ● 今夜のアラカルト

今回は、白だし、トマト、薩摩揚げ、オクラ、ゆで卵、玉ねぎ、塩でつくる冷やしおでん。出典は レタス
クラブネット。前処理した具材を落とし蓋した後、弱火で1分煮込み、大きめのボールに煮込みを移し、
落とし蓋を乗せ粗熱をとった上、冷蔵庫で.3時間以上冷やせば完成だ。

 

征服者の因果律

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  沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。 /  平家物語

 

「最新量子ドットソーラー工学 」(2015.08.03)で掲載したが、こんどは、九州大学と、ミラ
ノ・ビコッカ大学(イタリア)の国際共同研究グループが、太陽光程度の弱い光で効率を最大
化する個体材料の開発が、世界で初めて成功したことを発表している(環境ビジネス 2015.08.
05)。それによると、分子組織化を利用し、溶液中でアップコンバージョン効率を高めること
には既に成功していたが、金属錯体骨格(MOF)という結晶性材料中にアクセプター分子を規
則的に配列させ、溶媒を含まない固体中での高効率化に成功したという。 

開発された有機・無機材料は、汎用性の高いプラスチックに組み込むことが可能であり、折り
曲げたり伸ばしたりできるフレキシブルなデバイスの基盤材料としても期待される。将来的に
近赤外光を可視光に、また可視光を紫外光に変換する技術に応用すれば、太陽電池や人工光合
成の効率を高める画期的な方法となるとのこと。

 

 

これまで、太陽光のような弱い光を用いたアップコンバージョンの高効率化は困難で、その実
現には、(1)いかにドナーからアクセプターに励起三重項エネルギーを効率よく移動して、
(2)の励起三重項エネルギーをアクセプター分子間で高速に拡散させる、2つの課題を解決
する必要があった。そのため、1つめの課題は、これまで固体状態ではドナー分子が凝集して
アクセプター分子にうまくエネルギーが渡らなかったが、MOF(金属錯体骨格)のナノ結晶
合成し、そのナノ結晶表面をドナー分子で修飾するというコロイド・面化学的な新しいアプロ
ーチを導入し、この問題を解決(上図の左上参照)。さらに2つ目の課題は、これまでは柔ら
かいポリマー中に色素を分散する方法は、十分な色素の拡散速度が得られず、そこで、MOF
の構造中にアクセプター部位(ジフェニルアントラセン)を規則的に配列することで、励起三
重項エネルギーを高速拡散させることに成功(上図の上/右)。このように2つの課題を解決
し、太陽光程度の弱い光でアップコンバージョンの効率を最大化(約2%、上図の下)するこ
とに世界で初めて成功したとのこと。

 

また、分子を拡散させる既存の手法では、力学特性の劣る柔らかい高分子しか適用できなった
が、今回開発したドナー修飾MOFナノ粒子はポリメタクリル酸メチル(PMMA)などの力
学特性に優れた硬いプラスチック中に分散が可能であり、汎用性の高いプラスチック材料を高
機能化して再生可能エネルギー分野に応用する新たな道を拓いた。
 

 【縮原発論 Ⅵ: 核ごみ廃棄処理のススメ】 

  目次 

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか

                       ネバダ核実験による映画人の被害者

  このような状況にいたる60年も前、1951年1月27日にアメリカ西部ネバダ州で
 最初の原曝実験が開始されたのだが、この被害の実相が、フクシマ事故を体験したわれわ
 れ日本人に何を教えているか、さらにくわしく被バクの経過を調ぺてみると、現在の日本
 と同じような驚くべき事実が、次々と出てくるのである。

  核実験とは、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して、米ソ冷戦どころか、ソ連・
 中国・北朝鮮の共産主義国との”熱戦”となった出来事であった。その結果、ネバダ州で
 大気中の核実験が大規模に開始され、広島・長崎の原曝被曝書をモルモツトにしたABC
 C(原爆傷害調査委員会)創設者のシールズ・ウオーレンがその全期間にわたって、放射
能関係の最高責任者をつとめ、死の灰について世界一の権威として君臨するようになった。
そして山下俊一と同じように彼が安全だと定めた基準に従って核実験がおこなわれ、死の灰
が降りつもる風下地帯では、膨大な数の住民がそのなかで生活を続け、大量の癌患者をこの
地帯に生み出すことになった。



 1951~58年Kアメリカ国内のネバダ核実験場で実施された大気中核実験の爆心地か
 らの放射能雲が通過した地域は、この地図に示される通りである。この図中、最も黒く湊
 い部分の中心がセント・ジョージなど、ユタ州南部で、その風下地帯で大量の癌患者・死
 者を出したのでも 先に述べたように、ネバグ州でおこなわれた大気中の原爆実験ほぼ百
 発に比べて、フクシマ原発から放出されて地上に降った放射性物質は、それより2割多い
 のである。風下住民におけるすさまじい被バク被害については、『ジョン・ウェインはな
 ぜ死んだか』(広瀬隆著、文豪春秋、1982年初版)にくわしく報告してある。



  同書は、これら”死の灰”の風下地帯で、西部劇などの映画ロケをおこなったハリウッ
 ド映画人のうち、ほぽ。10人に4人の割合で癌死亡者が発生してきた事実を、アトミッ
 ク・ソルジャーやセント・ジョージなどの住民被害と共に、放射性物質の影響を追究した
 内容である。この事実の数々が、フクシマ事故に襲われた現在の日本人に、冒頭述べたよ
 うに、最も身近な比較対象となる未来を教えてくれたのである。そして今から述べるよう
 に、この被害をさらにくわしく調べると、現在のわれわれ日本人の置かれている状況が、
 この被害者ときわめて似ていることに気づかされ、驚かされるのである。

  というのは、セント・ジョージからわずか15キロメートルの距離にあるスノウ・キャ
 ニオンと呼ばれる砂漠の渓谷で、核実験時代の1954年に、ジンギス・カンを主人公に
 した『征服者』の映画ロケが敢行され、ハリウッドでトップのドル箱スター、主役のジョ
 ン・ウヱインを含めて、次のように癌の大量発生を見たからである。




 1963年、『征服者』の監督ディック・パウェル、リンパ系の癌と肺癌転移のため死亡。
       『征服者』の男優ベドロ・アルメンダリス、リンパ系の癌で余命3ケ月の宜
        告を受けて自殺(すでに4年間、腎臓癌と闘病後)。
       『征服者』のアート・ディレクター、キャロル・クーフーク、前立腺癌に罹
        患する。
       『征服者』のメイクアップ・チーフ、ウェブ・オーバーランダー、肺癌の切
        除手術を受ける。一九六四年、『征服者』の男優ジョン・ウェイン、肺癌
        のため肺切除の手術を二度受ける。
 1965年、『征服者』の女優ジーン・ガースン、皮膚癌を発病(後年、乳癌を発病後、
        乳房を切除)。
 1968年、『征服者』のロケに同行したティム・パーカー(主演女優スーザン・ヘイワ
        ードの息子)、ロ内腫瘍のため摘出手術を受ける。
 1969年、『征服者』のロケに同行し、端役で出演したパトリック・ウェイン(ジョン・
        ウェインの息子)、胸部腫瘍のため手術を受ける。
 1974年、『征服者』の女優アグネス・ムーアヘッド、子宮癌のため死亡。
 1975年、『征服者』の主演女優スーザン・ヘイワード、皮膚癌、乳癌、子宮癌を併発
        しながら、脳腫瘍のため死亡(約10年前から発病)。
       『征服者』のロケに同行したマイケル・ウェイン(ジョン・ウヱインのもう
        一人の息子)、皮膚癌を発病。
 1979年、『征服者』の主演男優ジョン・ウヱイン、胃癌の手術後、腸癌のため死亡。

  ロケのため、ユタ州のインディアン、シヴウィット族が300人ほどエキストラとして
 この映画に参加していたが、その人たちの間にも続々と癌患者が発生し、シヴウィット族
 を一部族に持つペイユート族は、絶滅の危機に瀕した。
 『征服者』のロケ地スノウ・キャニオンに赴き、「ジョン・ウェインはここで死んだ」と
 語っていたユタ大学のロバート’ペンドルトン教授が、1982年の夏、忽然と他界した。
 ユタ大学で放射線生物学部長をつとめていた彼は、この分野で世界的な研究者として知ら
 れていたが、その職をはずされ、もの言えぬ立場に追いこまれた。

 「核実験に反対しているため、仕事には大変な苦労がある。いっそ、すべてを放り出して
 大学にデータを手渡してしまいたい気持だ。AECの長い腕が、私の仕事の上に伸びてき
 ている」

  これが生前の言葉だった。

  ハリウッド映画人はなぜ大量に癌で死んだか・・・:・
  答を出すのは、造作のないことである。すでに答は出ている。ネバダの核実験がハリウ
 ッドの映画人も殺したのだIIIと読者は考えるに違いない。
  だが注意深い読者は、30頁に示した”ネバダ大気中の核実験”の一覧表で、ロケがおこ
 なわれた1954年には、ネバダでの原爆実験が1度もおこなわれなかったことに気づか
 れるだろう。

 

  その年に、ジョン・ウェインたちがユタ州での『征服者』ロケに参加したのである。
  正確に言えば、その前年の1953年6月4日に炸裂した”クライマックス”という原
 爆の実験がおこなわれて以来、ジョンーウェインらがユタ州に入る1954年6月まで丸
 一年間というもの、ネバダの砂漠では、まったく原爆実験がおこなわれていない。
 『征服者』の集団は、火の玉を見るどころか、まったく静かなロケ地で撮影に取り組んだ
 のだりだ。このロケ地は、核実験場から200キロ以上も離れている(福島第一原発~東
 京駅の距離とほぼ同じ)。それでもなお、『征服者』のロケ隊に、つぎつぎと癌患者が発
 生し、生存者に恐怖を与え続けてきたのである。その答は、彼らが馬上にまたがり、汚染
 した砂と埃にまみれてスペクタクル・シーンを撮影し続け、またロケ地スノウ・キャニオ
 ンから大量の汚染土砂をハリウッドに運んで、スタジオでも映画撮影を続けたことにあっ
 たのだ。

  1980年11月10日号の週刊誌”ピープル”には、ジョン・ウェインの死と原爆実
 験の因果関係が特集されペンタゴンの原子力局トップがこう発言した。
 「おお神よ、どうか、われわれがジョン・ウェインを殺したのではないように……」
 『征服者』と”セント・ジョージ”同集団のパズルに対する答は、つぎのようなものだっ
 たのである。

                        被バク者として避ばれた人びと

  原子力発電所をかかえる日本の13の道県および”その周辺”の人たちは、以下の史実
 をしっかり認識しておいていただきたい。ネバダでおこなわれた大気中の核実験は、きわ
 めて広い範囲に死の灰を降らせたが、フクシマ事故の放射性ガスもまったく同じであった。

  原爆が爆発すると、発ガン性を待った死の灰が降ることを、この1950年代の初めに
 当局は充分に知っていた。この死の灰を浴びると、人間の体にさまざまの障害が出るとい
 う危険性は、すでに数多の調査研究によって明らかにされていた。第4章からくわしく述
 べる歴史で明らかな通り、ニューメキシコ州で、広島で、長崎で、ビキニで、人体実験で
 被バク女工の調査で、いままで知らなかった死の灰が与えるおそろしい影響が克明に観察
 され、それが放射能という単位で測定されるぶ”特殊なエネルギー”によるものである
 ことが、すでに突きとめられていた。

  そこで軍部と、AEC(原子カエネルギー委員会)、大続領たちは、人口が密集してい
 る地域に死の灰が降らないように配慮した。ネバダに隣接する州のなかでも、特にハリウ
 フドを含むロサンジェルスなどの大都会を避けるため、カリフォルニア州に向かって風が
 吹いている時には、一度たりとも原爆実験をおこなわなかった。この法則はまた、ネバダ
 州内で最も南のほうにあるギャンブルの街。ラスベガスに対しても適用された。たくさん
 の人間が集まるその歓楽街に、死の灰が降ってはならなかったのである。

  こうしてネバダ州の西側カリフォルニアと南側ラスベガスが制限されると、逆に開放さ
 れるのは、北東にひろがる扇状の部分になる。それは、北東に向かって風が吹いている時
 をねらって原爆に点火することを意味した。その結果、95頁の図のように、ネバダ州およ
 びアリゾナ州の一部と、ユタ州全土を含む地域に集中して、死の灰が降り続けたのである。
  セント・ジョージは、この降R地帯のなかにあって、核実験場に近い位置にあった。
  それはちょうど、フクシマ事故で北西方向に”最大量の放射性ガス”が流れ、浪江町や
 飯舘村と、福島市、二本松市の周辺が大汚染したのと同じ現象であった。

  セント・ジョージで生活していたモルモン教徒の住民は、モルモットにされたのだ。西
 部は、東部の上流社会に対する,”アメリカの田舎”として切り捨てられたのである。
  当局はこの危険性について、「死の灰は”ほとんど人の住まない土地”に降るので安全
 だ!」と説明した。これを聞いた”サンフランシスコ・クロニクル”紙は、「アメリカに
 は、いま実に奇妙な新しいタイプの市民が生まれつつある。それは、”ほとんど人の住ま
 ない土地に住む”という市民である」と皮肉った。

  この皮肉な論評が、モルモツトの事実を言い当てていた。ほとんど人が住まない土地に
 降るので安全である、とは?裏返せば、その土地に住む数少ない人たちの危険性には目を
 つぶって貰うほかない、というのが当局のあからさまな見解だった。マーシャル諸島など
 の南太平洋で各国の核実験がおこなわれたのも、そこにいる島民はどうでもよいという、
 まったく同じ思想からであった。

 

                                  安倍晋三の長州藩歴代犯罪の系譜

  そのAECの思想をそのままそっくり輸入して原子力産業をスタートしたのが、わが国
 であったのだ!日本政府による原子力推進の基礎的な思想は、1964年5月27日に、
 科学技術庁長官・佐藤栄作(安倍晋三の大叔父)を委員長とする原子力委員会のメンバー
 が策定していた。彼らが定めた原子炉立地審査指針――第1項「原子炉立地審査指針」の
 2「立地審査の指針」2‐2は、原子力発電所を建設する場所を、こう定義した。

  ―原子炉からある距離の範囲内であって、非居住区域の外側の地帯は、低人口地帯であ
   ること。
   ここにいう「ある距離の範囲」としては、仮想事故の場合、何らの措置も講じなけれ
    ば、範囲内にいる公衆に著しい放射線災害を与えるかもしれないと判断される範囲を
      とるものとし、「低人ロ地帯」とは、著しい放射線災害を与えないために、適切な措
   置を講じうる環境にある地帯(例えば、人口密度の低い地帯)をいうものとする。
 
    つまり、ネバダの核実験とまったく同じルールで、人口密度の高い大都市には原子炉を
  立地してはならない、とする指針であった。言い換えれば、原子力発電所の大事故は起こ
 り得るので、低人口地帯(過疎地)の人間であれば著しい放射線災害を受けても致し方な
 い、としていた。

  この指針が定められて2年後の1966年7月25日、わが国最初の商業用原子炉・東
 海発電所が茨城県で運転を開始し、”安部晋三が尊敬する祖父”岸信介(佐藤栄作の実兄)
 が1959年に決定したこの東海村原子炉によって、現在まで続く原子力発電の時代に突
 入したのである。

  こうして日本のモルモット地帯として選ばれたのが、北海道(泊原発)、青森県(東通
 原発・六ケ所再処理工場)、宮城県(女川原発)、福島県(福島第一・第二原発)、茨城
 県(東海発電所・東海第二原発・東海再処理工場)ヽ静岡県(浜岡原発)ヽ新潟県(柏崎
 燈影発べ石川県(志賀原発)、福井県(敦賀原発・美浜原発・大飯原発・高浜原発・高速
 増殖炉もんじゆ)、島根県(島根原発)、愛煙県(伊方原発)、佐賀県(玄海原発)、鹿
 児島県(川内原発)――それぞれ原子力発電所と再処理工場を有する13の道県の住民グ
 ループであった。確かに、このなかには肝心の電力の大消費地である東京大都市圏も、大
 阪関西経済圏も、名古屋中部経済圏も入っていない……。

  誰が被害者になるのか? しかし大都会の人間であっても、原発事故の風下地帯は、。
 その時の風向き々が決めるのであり、事実、東京がフクシマ原発の放射能を大量に浴びた
 のだから、日本全土どこでも、原発の再稼働を傍観して、安眠できる人はいないだろう。

  さて、ネバダでB期間の第一発目の原爆がキノコ雲をあげる45日前(1950年こ1月
 13日)に出された極秘の原子カヱネルギー委員会(AEC)レポートには、つぎの記述
 がある。

  ――安全な実験場は、全米のどこにもない。しかし人口の少ない所を選べば、一定の予
    測された危険性にもとづいて実験が可能である。アラスカと、xxxxと、xxx
    xが適している。
    このレポートにはあちこちにスミ塗りがあるので判然としないが、当局が、こうし
 て過疎地ネバダの砂漠を実験場に選んだことが分る。すると、そっくりこのAEC思想を
 輸入した
  日本の原子力発電所がある場所は、「日本のアラスカ」か「日本の砂漠」として選ばれ
 たのか?

  実験開始後のAECレポートには、死の灰が降りはじめてからの風下の分布地帯が示さ
 れているが、その地図では、セント・ジョージが危険地帯にすっぽり入ってしまい、ラス
 ベガスはかろうじて免れているように見える。大汚染地となったユタ州は、全世界に輸出
 されている小麦、トウモロコシ、大麦などの有数の産地でもある。

  そして福島県もフクシマ原発事故が起こるまでは、原発発祥の地・茨城県と並んで、首
 都圏にとって最大級の農産物と魚介類の供給基地であったのだ。いや、原子力発電所と再
 処理工場を有する13の道県は、いずれも大都会を避けたのだから自然蕪かな。日本の大食
 糧?である。日本全土に向けて大量の酪農製品と魚介類を供給している食料自給率200
 %の北海道に、泊原発3基があるのだ。

  コシヒカリを生んだ福井県は、現在も原発11基を抱える原発銀座であり、大事故があ
 れば関西地方1400万人の水がめ・琵琶湖が壊滅する。日本一の米どころ新潟県に柏崎
 刈羽原発7基がある。九州では、食料自給率が佐賀県94%、鹿児島県82%で、この両
 県が最大を誇っているが、そこに玄海原発3基と川内原発2基があって、再販働候補トッ
 プなのだ。この九州から「台風と同じ進路で北上する風」と、「カツオが泳ぐ太平洋沿岸
 の黒潮」と、「日本海全域を流れる対馬海流」が、次の大事故で、日本列島と海を総なめ
 にするわけだ。

  四国の伊方原発3基の風下地帯も同じ風向きだが、ここでは瀬戸内海と大阪’神戸を含
 めた沿岸13府県の全域が壊滅する。食料自給率がゼロに近い大都会の人間も、原発の再
 嫁勣を傍観すれば、フクシマ事故でかろうじて大汚染を免れた陸と海が全滅して、一切の
  食料を失う道しか残されていない。それでも原発の再稼働に熱中する安倍晋三の罪は、万
  死に値する。

   原発事故の大被災地・福島県では、県内の7割を占めるのが山林である。したがって、
 山林の汚染地帯を除染することはほとんど不可能なので、地元の農林業の関係者は、目の
 前の美しい阿武隈山系を見やって、「どうやってこの山野を洗うんだ」と、無念の言葉を
 甑ってきた。

  ネバダ核実験の汚染地帯についてここまで述べたことは、平らな紙の上に描かれる単純
 な距離と方位の関係を示す説明である。実在の土地はこれより複雑である。その凹凸の状
 態を、立体的に説明してみよう。
  核実験の汚染地帯の形状を頭に思い浮かべるには、馬蹄を目の前に置いてみるとよい。
 この馬蹄がシエラ・ネバダ山脈から北上してカスケード山脈に至る左側の連山と、ロッキ
 ー山脈に支配される右側の連山を成し、この左右の連山が頭のところでぶつかり合っている。
 馬蹄の中心部は広大な盆地を成し、その中心の下の方に、ネバダの核実験揚がある。この
 ような起伏を持った馬蹄の外側のハリウッドから、『征服者』の映画ロケのため、ジョン・
 ウェインらの一行が、馬蹄の内側に入りこんできたのである。セント’ジョージの町がち
 ょうど馬蹄の先端に位置しているので、ロケ隊は死の谷を越えて、この円内に侵入してき
 たことになる。

  さて、この馬蹄形の真ん中で、しかも風向きが北東のときを選んで原爆を爆発させると、
 どのようなことが起こるだろう。
 。”死の灰”はセント・ジョージをめざして猛進したあと、ロッキーの商い壁(ほぼ富士
 山の高さに相当する山脈)に行手をさえぎられ、セント・ジョージの町を空から直撃した。
 特に、『征服者』ロケがおこなわれたスノウ・キャニオン(雪の峡谷)のように凧の吹き
 こみやすい谷間には、死の灰が雪のように降りそそぎ、その峡谷を死の谷虻変えていった。



長谷川健郎氏撮影 「生活と自治」2014年8月号


  当時、セント・ジョージ近くのシーダー・シティーに住む羊飼いカーン・プロックの羊
 が1200頭以上も原因不明の死をとげていたのだ。これは、大変な数である。
  同じようにフクシマ事故では、原発がある双葉町から北西方角虻大量の放射性ガスが流
 れ、汚染地帯の酷農家は牛をすべて殺処分するよう政府から指示されて、涙を流しながら
 愛するすべての牛の命を新たなければならなかった。しかし双葉町に隣接する浪江町で、
 原発から14キロメートルのところで「希望の牧場・ふくしま」を経営してきた酪農家・
 吉沢正己さんは、日本政府・農林水産省の「牛を殺処分(安楽死処分)せよ」という指示
 に強く抵抗し、”原発事故の生き証人”として観察するため和牛の放牧を続けてきた。そ
 の結果2015年現在、飼育する300頭以上のうち、すでに20頭以上の牛が、黒い体
 の表面に大量の無気味な白い斑点を出すまでになっている。チェルノブイリ事故で多くの
 家畜が白血病になった事実から考えて、20頭以上という数は間違いなく、牛の体内に進
 行する重大な病変を示している。


「事実は小説より奇なり」。事例研究報告を淡々と確認して読み進める。次回も第3章。


                                  この項つづく

 

【進化するドローン Ⅰ】

 

 

 


すごいことだと感心する反面、、騒音が気になる。静粛性の高い方法、機構、システム設計
が重要になるだろう。

 

黄金の大和撫子蝶

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  レース後も、わたしが勝ったとは信じられなかった。 /  星 奈津美

 

● 黄金の大和撫子蝶

水泳の世界選手権(ロシア・カザン)は6日、競泳の女子200mバタフライ決勝が行われ、
日本の星奈津美は2分5秒56で優勝した。日本の競泳女子選手では大会史上初の金メダル
で、星は来年のリオデジャネイロ五輪の代表権も獲得した。

星 奈津美(90年8月21日~)は、埼玉県越谷市出身の競泳選手。星が競泳を始めたのは
1歳半の時にベビースイミング教室に通い出したのがきっかけ。12年4月の日本水泳選手
権200mバタフライ決勝では、自身の日本記録を1秒22も更新の2分4秒69で優勝しロン
ドンオリンピック代表に選ばれる。この記録は去年の世界選手権の優勝タイムを0秒86も
上回る。同年5月のジャパンオープン200メートルバタフライでは2分7秒45で優勝。同年
8月1日、ロンドンオリンピックの女子200メートルバタフライ決勝で、2分5秒48で
3位で銅メダルを獲得。14年4月にミズノ入社。15年8月7日世界水泳選手権女子20
0メートルバタフライ決勝で金メダルを獲得。これは日本女子で初しめてのこと。



星は16歳の時にバセドウ病に罹患して、一時は泳げない時期があった。甲状腺ホルモンの
数値は安定していたが、3ヶ月に1度の定期検診と薬の服用が必要であった。14年10月
のアジア大会後、全身の倦怠感や疲れがひどくなり手術を決断、同年11月21日に甲状腺
を全摘出したていたというから、すごい。彼女の特徴は、武器は天性の持久力。12年ロン
ドン五輪でもスパートをかけた残り50メートルで2人を抜き、銅メダルを肩にかけた実績
がある。

● 大気浄化壁面緑化システム登場

環境省の「環境基本法」の大気汚染に係る環境基準によると、人の健康を保護する上で維持
することが望ましい基準として二酸化窒素は「1時間値の1日平均値が0.04ppmから0.0
6ppmまでのゾーン内又はそれ以下であること」とされているが、西暦10年度に環境省が実
施した調査では、自動車からの排気ガスなどにより都市部では基準値を達成できず、課題と
なっていた。そこで、都市部の汚染された空気を浄化するために、大和ハウス工業と大和リ
ースは12年4月、「大気浄化壁面緑化システム」の開発に着手。13年1月以降は、新た
にグループ入りした株式会社フジタと3社で共同研究を開始する。そして、大和ハウス工業
と大和リースは、フジタが開発した土壌を用いた大気浄化システム「EAP」で培ったノウハウ
を、土壌基盤型壁面緑化工法「D’sグリーンフレーム」に組み合わせ、「大気浄化壁面緑化
システム」を開発し、今月6日より販売を開始した。 



建物の壁面等に設置し、大気の浄化や壁面等の緑化を行う大気浄化壁面緑化装置が商品化さ
れているが、この種の大気浄化壁面緑化装置は、緑化用の植物が植えられる土壌基盤に大気
を通過させ、大気中の汚染物質を吸着、除去する。これらは土壌基盤には、軽量土壌等の土
を用い、大気浄化は行わずに壁面緑化だけを行うが、土壌基盤が土以外を使用しているが、

  ・土壌基盤の重量が重い。例えば、土は、湿潤状態で比重が0.5程度である。
  ・土壌基盤の重量が重いことにより、大気浄化壁面緑化装置の構造体を頑丈に造る必要が
  あり、コストが高くつく。
  ・土壌そのもの、または土壌層全体で土壌組成分の分布が不均一となり易く、通気性にム
  ラが生じ易い。
  ・緑化面となる前面から土壌が少なからずこぼれ落ちるので、室内に設置するのに適しな
  い。
  ・現場施工となるため、施工に時間、労力、費用がかかる。
  ・土壌基盤の土が目減りするため、適宜土を補充する必要がある。

この対策として、(1)スポンジ状またはロール状の植物育成基盤と、これに沿って設けた
植物育成基盤を通過して浄化されるように送風する空気を案内する通気層を形成した通気
層形成部材とを備え構成する。このような構成で、背面に通気層形成部材を設け、送風する
ことで、通気層から植物育成基板の正面側に空気が流れが、また正面側から通気層形成部材
の通気層への空気の流れが生じる。(2)この空気の流れで、空気がを通過する際に、空気
中の汚染物質が吸着、除去され、空気が清浄化される。育成基盤のスポンジ状やはロール状
が軽量なため、壁面緑化装置が比較的簡易に構成でき、材料選択の幅が広がり、コストダウ
ンが図れると共に意匠性を高めることができる。(3)植物育成基盤は、スポンジ状やロー
ル状のため、均一な仕様にでき、通気性にムラが生じ難くく、土を用いないため、室内に設
置しても、土がこぼれ落ちて室内を汚すこともない。



さらに、(3)通気層形成部材の前面に、各植物育成基盤を収容する複数の容器部を設け、
各植物育成基盤を所定の位置に精度良く配置でき、各容器部が通気層と連通通気口で構成し
植物育成基盤を通り空気の流れができ、上面に灌水入口を、下面に灌水出口の構造で、上面
の灌水入口から潅水を行い、下面の灌水出口から余分の水を排出できる。(4)ボックス状
で、通気層の外部から空気を吸引し、通気層内へ送風し外部へ送風するファンを設置すると
外部にファンやダクトを設ける必要がなくなり、全体をダウンスペーシング(コンパクト)
に構成できる。(5)これらの特徴とすることで、水分を含む前後方向の通気抵抗が100
Pa以下であるため、植物育成基盤を空気が前後に良好に通過できる。



この商品化は『新弥生式時代』の幕開けにふさわしい商品だ。ただし、この新規考案の延長
に2つのコンセプト――(1)藤森照信工学院大名誉教授らの提唱する、人と他の種が同じ
価値を持つというディープ・エコロジーの考え方も反映させ、都市と森林が融合させた「樹
冠都市構想」のコンセプト。(2)古在豊樹千葉大学学長らの「植物工場」コンセプトに、
道関隆国立命館大学教授らの「植物発電」、つまり、ワイヤレスなグリーン・スマートグリ
ッド工学を付加させ対象植物代謝の自動制御管理――を加えることでさらにブラッシュアッ
プでき、シンガポール・ニューヨーク・シドニー・ロンドン・香港・大阪(都構想)などの
主要な準都市国家群にいち早く導入展開させることで世界のトップランナーとなれるだろう
(※特許出願事案)。

  

   植物発電

 
【アレルギー性鼻炎対策: タイトジャンクションを守れ!】

兵庫医科大(西宮市)の善本知広主任教授(免疫アレルギー学)らが5日、ディーゼルエン
ジンの排ガスに含まれる微粒子(DEP)がアレルギー性鼻炎を悪化させる仕組みを解明し
たと発表。DEPは微小粒子状物質「PM2・5」の代表的な微粒子。成果は英国アレルギ
ー学会誌電子版に掲載されている(神戸新聞 2015.08.05)。善本主任教授によると アトピ
ー体質のマウスを使った実験で、DEPと花粉を同時に鼻に付けたり、DEPを付けた後に
花粉を付けたりすると、くしゃみの回数が増えた。ヒトの鼻粘膜の上皮細胞株で観察したと
ころ、細胞同士を密着させてバリアーの機能を果たしているタンパク質「タイトジャンクシ
ョン」をDEPが破壊し、細胞の隙間から花粉を通り抜けやすくしていることを確認。花粉
の飛散が少なくても、数日前にDEPにさらされていた場合、鼻炎の症状が悪化しやすいこ
とが分かったという。

 

タイトジャンクションの破壊が、抗酸化剤の点鼻で抑えられることをマウスで確かめ、予防
薬開発のスクリーニング法を確立する。善本教授は、予防薬はDEPが原因で起きるぜんそ
くやアトピー性皮膚炎などにも効果が期待できると話す。

※ Diesel exhaust particles exacerbate allergic rhinitis in mice by disrupting the nasal epithelial barrier,
        DOI: 10.1111/cea.12597,  http://dx.doi.org/10.1111/cea.12597

 

 【縮原発論 Ⅶ: 核ごみ廃棄処理のススメ】  

  目次  

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

 第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか

                        山間部に降り積もり、東京湾に流れこんだ死の灰

  フクシマ原発を取り囲む東日本は、山間郎が多いので、この地形をくわしく見てみよう。
 ネパダ核実験の死の灰の降り方には、ひとつの特徴があり、山間部には、特に多く降り積
 もった。ユタ大学の調査では、ロッキー山脈の山頂のほうが、麓よりずっと多くの死の灰
 を検出していた。30倍から40倍という高い数値である。死の灰には、官と同じ性質の
 あることが、この特徴から分る。キノコ雲として空高く舞いあがった死の灰は、雪にまぎ
 れて山間郡へ降り注いだのである。

 「子供は雪が好きで、そのなかで転げまわり、雪を食ぺていました」
  シーダー・シティーのケイ・ミレソト夫人は、幼い娘が白血病で死んだことを回想して
 いる。
 「それが、あとで自分を殼すとも知らずに、子供たちはみな、雪を食べてしまった・・・・・・」
 ユタ大学のチャールズ・メイ博士は、この土地にやって来たスキーヤーたちが同じように
 雪を食べて隅帰って行ったことを心配し「雪どけの水も危険なものだ。その水が、一帯の
 人びとの飲み水Kなってきたのだ」と語っている。
  正確にはロッキー山脈の一支脈であるワサッチ山脈がユタ州に切りこんで、馬路の右側
 を成しでいるが、このワサッチ山脈での降雪量は、年間1・5メートルに達し、肯の深さ
 は3メート心にもなる。ユタ州は、砂漠と雪が隣り合わせに存在する珍しい土地として、
 多くの観光客が訪れるか、飲料水の大部分は、この雪どけ水に頼っている。 

  したがって日本でも、フクシマ原発事故で放出された放射性物質の多くは、原発の目の
 前に広がる「阿武隈高地」だけでなく、東日本の背骨をつくりている「奥羽山脈と越後山
 脈」が縦走する青森県・岩手県・秋田県・宮城県・裔島県・山形県・新潟県・栃木県・群
 馬県・茨城県、さらに、「関東山地」と「日本アルプス」周辺の埼玉県・千葉県・東京都
 ・神奈川県・長野県・山梨県・静岡県に至るまで、東日本の水源地である広大な山間部に
 大量に降りつもった。この一帯の誇りであった自然の恵み、山菜やキノコ類が、そっくり
 危険物と変ったのである。この山間部で地中にしみこんだセシウムは、決して排出しない。
 半世紀後にもその地中に残り続ける。

  そして東北・北陸・甲信越の寒冷な地方では、その上にかなりの雪が降り徊もり、また
 台風などでたぴたびの雨が降り注ぎ、山から河川へ、さらに出口のない湖・沼へと流れ込
 んで淡水魚は今も食べられないままだ。福島県内を流れ、最大の汚染となった阿武隈川の
 河ロは宮城県にある。また大量の汚染物が流れこんできた河川の”終点”のひとつが、東
 京オリンピックで、「水泳をおこなうトライアスロン」を予定している東京湾である。一
 体、スポーツ関係者か何を考えているのか、読者に理解でき6だろうか。さらに、フクシ
 マ原発がある太平洋側だけでなく、山問部から分水嶺を越えで。日本海側の信濃川にも大
 量に汚染水が流れていったのである。大自然の境界が被害の明暗を分けるのだ。

 

     カリフォルニア州の大都会でも大被害か――映画スターはなぜ死んだか

  映画俳優パート・レッドフぉー度がユタ州の山中にこもっていた1962年5月のこと
 だった。大気中の核実験が一応完了し、地下テストのはじまった翌年にあたるが、『アン
 ネの日記』などで二度のアカデミー賞を受けたンエリー・ウィンタースと、『エデンの東』
 でシェームズーデイーンの恋人役をつとめたジユリー・ハリスを先頭に、ハリウッドのス
 ターたち100人にものぼる映画人が、”実験反対’のデモをくり広げた。

  ハリウッドの映画人は、バタバタと癌で倒れてゆく仲間の姿を目撃しながら、自分の身
 辺に迫りつつある異常を察知していたのだ。
  このハリウッド映画人たちは、死の灰か降らないよら当局が配慮したカリフォルニア州
 の大都会の佳民なので、日本でいえば、福島県民に対する首抱圏(東京都・埼玉県・千葉
 県・神奈川県)の住民であると言える。大都会は、コンクリートとアスファルトの町なの
 で、表面には土がほとんど出ていない。そして「たびたびの雨が大半の放射性物質を下水
 に流してくれた」と考えて都会人は安心してきた。ところか、「雨水によって流された高
 濃度放射能の汚染物がドッと流れこんだ下水処理場で何が起こってきたかというと、東京
 23区のように雨水と下水が合流する処理場では汚泥を集め、これを暁却して、空気中に
 再び放射性ガスをまき散らしてきたのである。この放射性ガスを胸に吸わされてきたのか
 都会人である。半減期卸年のセシウム137も、半減期28・8年のストロンチウムも、
 どこにも消えないから、グルグルと日本の国内をまわっているだけなのだ。



  ではいよいよ、これから、その都会人にとって恐怖の最後の謎解きをしなければならた
 い。いま手許にあるのは、『征服者』の過去帳だけではない。これらの監督やスターは、
  西部劇映画になじみが深く、なおかつ核実験開始から訪年後の1982年までに癌や白血
 病で死亡したハリウンドの著名人である。このリストに入っでいる名匠ジョンーフォード
 監督が愛し、絶えず仲間を引き連れてロケに臨んだ有名なモニュメントヴァレーは、31
 頁の地図に示したように、”死の灰”が降るという点では、セント・ジジョージと同じよ
 うな位置にある。ネバダの該実験場に対して、”風下’の地帯に入ってしまう。きわめて
 多くの映画人が、これら西部3州での映画ロケに参加していたのである。 

  アノリカ人がこの集団について調査していなかったので、ハリウフドり全体像を、私か
 できるかぎり医学的に把握してみた。次に示すのは、日本の映画関係者の協力を得て、大
 気中核実験が終了してほぼ20年後の1977~81年の5年間に他界し、映画雑誌など
 で調べのついたハリウッドの(西部劇者に眠らない)「全映画人」の死因の内訳である,

  癌による死亡        61人
  それ以外の病名明確な死亡  95人
  原因不明と事故による死亡 207人

  原因不明(死囚驚表せず)や事故死の207人を除くと、156人が明確な病因によっ
 て他界し、そのうち61人が癌のため死亡していたのだ。
  この”156人のうち61人”――39%という異様に高い癌の死亡率が、ハリウッド
 の全体像を物語っていないか。ほぼ、”10人に4人”の割合で、短期間に集中して癌死
 亡者が発生していたのである(現在のアメリカでは、癌は死因のほぼ20%である)。
  何度でも記すが、フクシマー故で大量に放出されたセシウム137は、地球上からまっ
 たく消えない。日本の首都圏は大丈夫か。東京オリンピックなどを開催している時なのか。


       20年以上苦しむ、ネバダ核実験の住民被害者が訴訟を起こした

   退役軍人か自分たらの手でアトミック・ソルジヤーを調べあげた限り、1982年まで
 に病状についての知見が得られた最初の500例のうち、こちらも”10人に4人”が癌
 にかかっていた.骨に、筋肉に、神経に深刻な問題があらわれ、出血や聴覚障害などを加
 えるとその全体的な被害の実数はおそるべきものになっていた。総数25万人を数えるアト
 ミックソルジャーの最終的報告は、どれほどのものになっているだろうか,彼らの被バク
 里を日本人と比較してみよう。

  核実験場の整備そのほかの作業に参加した民間人は20万人であった。核実験場の鉄工
 は「専門家によれば、「最大でも20ミリシーペルト程度‘の被パタ量だ」ったが、生き
 残っている5人を除いて、43入がすべて癌のために死亡していたのである。
  住民の被害も、セント・ジョージに限られない。住民被害の実態を引用してみよう。
  ネバダ州のバンカーヴィルでは、グロリア・グレガーソンという女性が自分の町を調べ
 べたところ、80世帯のうち、癌巻者の出ていない家庭は6世帯だけだった。彼女は語っ
 ている。

 「ロサンジェルスに核爆弾が落ちたら、二週間もシェルターに入っていなければならない
 というのがこの西部でよく聞かれる言葉です。それなのにカリフォルニア州の隣のネバダ
 州で,自発もの原爆が塔発していながら、シェルターに入るどころか、私たちは何ごとも
 ないように戸外で生活してきたのです」

  ネバダで核実験がはじまった時、彼女は11歳の少々だった。それから、不幸かはじま
 った。6年後の17歳で卵巣ガン、続ぃで臨ガン、胃ガン、30歳で皮膚ガン、40歳で
 白血病。13回におよぶ大手術を受けてきた。彼女の言葉を惜りれぱ、「日本人は百発も
 の原爆に担当するフクシマの放射能を浴びながら、何ごともないように戸外で生活してき
 た」ということになる。

                                  この項つづく      


【今日のトラブル日記: 空気清浄機モニタが”赤”のままだ!】

猛暑の夜は寝苦しい。いや眠りが浅いから就眠中数回目を覚ます。ところが、空
気清浄機の汚れモニタ表示器が真っ赤かっかに点灯していることを気くも、二人
でああでもない、こうでもないと騒いだものの朝に対応することにして、それぞ
れの寝床に戻る。いつものように朝食をしながら、いつものようにサイドアップ作業をす
ませ取説をダウンロードし、点検し、汚れをとり対処する。さすが日本の家電の取説っだ
と感心する。
 

 

2025年の列島爆弾

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   それもそのはず、私自身が私に憐れみを感じることなど無いではないか。

                       『リチャード三世』第5幕第3場 
         

 




【海底下生命圏探査工学: 海底下で世界最深の生命圏を発見】

海底下約7千メートルまで掘削できる能力を持つ、日本が世界に誇るJAMSTEC地球深部探査船
「ちきゅう」が、深海底のさらに下の地中2.5キロメートルに微生物の生態系を発見したこと
で、海底下部地層の生命が石炭から天然ガスを作る「海底下の森」を新たに発見し 2千万年以
上前の地層から世界最深の海底下生命の培養に成功する。

地球に残された最後の生命圏フロンティアとも言われる「海底下生命圏」である。その住人は、
直径がおよそ5百ナノメートル程度の、顕微鏡でしか見ることのできない小さな微生物たち。
過去10年以上にわたり、科学掘削船で海底を掘り、地層サンプルに含まれる微生物の研究が
行われてきた。最新データでは、海底下には地球全体で2.9×10の29乗個の単細胞の微生
物がいると考えられているこれは。宇宙空間の全恒星の数よりもはるかに多い天文学的な数で、
一つ一つの微生物は小さくても、その小さなパワーが無数に集まることで、地球内部の炭素循環
を調節する重要な役割を果たす。例えば、次世代エネルギーとも言われるメタンハイドレートは、
実は海底下の微生物が作ったものが多い。

ところがその実態についてはまだわからないことが多い。海底下のどのくらい深くまで生命が存
在するのか? それらはいったいどんな微生物で、どのように生きているのか? こうした謎の
解明に向け、12年7月から9月にかけ、地球深部探査船「ちきゅう」を用いて、青森県八戸市
の沖合約6キロの地点で、統合国際深海掘削計画(IODP)第337次研究航海「下北八戸沖石炭
層生命圏掘削」という国際プロジェクトを実施。ライザー掘削システムという石油業界で培われ
たテクノロジーを使い海底を掘り進み、当時の科学海洋掘削における世界最深掘削記録2111
メートルを19年ぶりに更新している、海底下2466メートルまでのサンプル採取に成功する。



この成果により 海底下約1.5キロより深い地層には厚さ30センチ以上の石炭層が17箇所あ
り、なかでも海底下約2キロの石炭層は、約7.3メートルもの熟成がはじまったばかりの褐炭
層がある。採取された地層サンプルに含まれる微化石や鉱物から、これらの地層が約2千万年以
上前に植物の生い茂る湿地や干潟のような沿岸環境で、日本海の拡大と日本列島の形成に伴い、
海に沈降したものであることも判明。当時の環境は、現在の釧路湿原のような泥炭(ピート)を
作る環境だったかもしれないという。海底下の環境は、深くなるにつれ温度が高くなるが、掘削
孔の最深部2466メートル地点の温度は約60℃と比較的暖かかった。これまでに122℃で
生育できる微生物が海底熱水噴出孔から分離されていることを考えれば、深いながらも十分に生
命が生息できる自然環境である。

 

● 2千万年以上前の地層から世界最深の海底下微生物の培養に成功

これまで、海底下の住人である微生物を実験室内で分離・培養することは、極めてゆっくり代謝
し棲息するため、難しいと言われてきたが、ウレタンスポンジを詰めたバイオリアクタ(生体触
媒反応装置)を使い、海底下約2キロメートルの石炭層サンプルから、これまでの深度記録を約
10倍も更新する微生物の培養に成功している。現場温度に近い約40℃の無酸素環境でリアク
ターを操作し、約1カ月後、わずかなメタンを生成していることをを確認。およそ9百日後、ス
ポンジに付着させ石炭層の粒子を電子顕微鏡で観察したところ、大量の微生物が石炭層に付着し
増殖していることを確認(下画像)。

また、培養微生物に二酸化炭素を添加し、超高空間分解能二次イオン質量分析器の元素イメージ
分析結果、添加した二酸化炭素を取り込んだ微生物を確認。このことで、地中深くの石炭層で二
酸化炭素を食べてメタン生成するメタン菌や、二酸化炭素を固定する微生物が棲息してる確証を
え、地上の森林土壌と同洋に、地球の炭素循環の「海底下の森」を実験室内で再現させた。

 

一般に、海底下の地層環境が深くなるにつれ、形成時代が古くなり、温度が高くなっていく傾向
があり、核酸やアミノ酸のタンパク質などの細胞基質物質(生体高分子)は逆に壊れやすくなる。
生命が生きていくには、これらの壊れた部分を酵素で修復するか、新しく再生するがある。どち
らも酵素や生合成代謝経路を働かすための水やエネルギー基質が、持続的に供給される必要があ
り、また、棲息する微生物も再生代謝機能を備えている必要がある。

下北八戸沖の海底下深部の場合、現場に生息する微生物の生存や存続に必要な水やエネルギー基
質の供給が十分ではなく、静かで安定的な環境であったことが「生命圏の限界域」を形成させて
いると推測している(下図参照)。このため、掘削した地層を60トンの加圧下でも、地層の鉱
物の間隙水は、数滴の涙ほどの量しか採取されず、外から水や含有物質の浸入できず、太古の陸
域土壌に由来する微生物生態系が保たれ、高温環境に適応できる新たな微生物が混入できなかっ
たと理解される。

ここでは、調査研究課題は多いが、「海底下生命圏利用工学」という言葉(これを包括する言葉
としてすでに「地球生命工学:Bio- CSS」がある)を即席で造語しイメージ拡張すれば、炭層に
、メタンバイオリアクター挿入しメタンガス変換し、発生するメタンガスを減圧回収し、燃料電
池でエネルギー変換し回収した二酸化炭素を山元還元し、バイオリアクターで固定する炭素の永
久循環システム――つまり、海底下生命圏で、人工的にメタン生成し→地上生命圏でエネルギー
変換し→二酸化炭素回収→海底下生命圏で固定あるいは貯蔵する――の実用展開が考えられてい
る。

 

 

 

 

 【縮原発論 Ⅷ: 核ごみ廃棄処理のススメ】  

  目次  

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか

       20年以上苦しむ、ネバダ核実験の住民被害者が訴訟を起こした

   1981年9月14日(大気中の核実験終了から24年後)、放射能被バク訴訟の“第一回
 審理がはじまった。いたずらに裁判を長びかせるのは得策でないと判断したユタ州住民の原
 告団は、総勢1192人の原告をわずか24人に絞って、この第一回審理にのぞんだ。原告
 の一人、セント・ジョージのアーマートマス夫人は75歳になりながら、山のような手紙を
 書き続けてきた。その宛名は、大統領、国会議員、医師、原子カェネルギー委員会、エネル
 ギー省、国防総省……と果てしない。しかし報われることなく、ついに原告となって立ちあ
 がった。いままで「私は裁判を望まない。お金を請求すれば誤解され、これまでの努力が分
 ってもらえなくなる」と語っていた彼女も、1000人を超える人びとの声を代弁できるな
 らと原告24人のなかに加わった。

  ユタ州ゾルトレイク・シティー連邦地裁で審珊がはじまり、被害の長期性が証言によって
 明白となった。
  最初の証人の女性マーサ・レイノルドは、子供を白血病で失うまでを語った。
  政府の弁護士は、「あり得ないことです。あのような微量の放射能で人が死ぬはずはあり
 ません」と、はっきり因果関係を否定した。長瀧重信・山下俊一・中川恵一とそっくり同じ
 言葉だ。
 
  イレーヌープロストガード――私の父はつい5年限ど前まで、水上スキーをするほど元気
 でした。でも、(大気中の核実験終了から廻年後の)1977年になって突然癌に襲われ、
 つぎの年に死んでしまいました。セント・ジョージで癌にならないのは幸遅だったかも知れ
 ません。それがやはり、私たちも結局、今になっても逃げられません。父は48歳の若さで
 死にました。そして今、私も病気になっています。子供も自分も、父の亡くなりた48歳ま
 で生きたいのです。高校のクラスメイトだった人達にも、つぎつぎと同じ病気が出はじめて
 います。今になって。

  エレーヌ・ブリスビイ――私はあの頃、夫に尋ねたことがありました。
 「大丈夫かしら」
  すると夫が答えました。
 「心配することはない。見ろ、チャドはあの通り、ほかの子供と同じように外で遊び回って
 るじやないか」
  でもあの子が27歳になった時でした。頭痛と鼻血に苦しみはじめ、ある晩、物をつかめ
 なくなったと言うのです。そして自分でソルトレイク・シティーヘ車を運転しながら病院へ
 行ったのですが、帰りには友達が運転して、ヂャドを連れ帰りました。
 
  骨髄腫でした。はじめステツキをついていたのですが、車椅子を必要とするようになり、
 お風呂に入るにも私たちの手を惜りなけれぱならなくなりました。彼はそれをいやがりまし
 た。そして28歳の誕生日の直前に……
  私も夫も、家系には今まで一人もも癌がなく、みな80歳か90歳の長寿をまぅとうして
 きました。チャドは、酒もタバコもやりませんでした。1954年から58年の問に、私は、
 あの子のほかに5人の子供を生みました。この子たちが5年後か10年後にどぅなるかと思
 うといてもなってもいられない気持です。

  ノーマーポータ――私は、乳房と肪から腫瘍を取り除きました.その時、治療のおかげで
 血が水のようになりました。医師は私が生きていることを信じません。けれどあと10年生
 きたいのです。4人の子供を持てることができたのは神の思召しです。生きていることが嬉
 しいのです,同じことが、ほかの人に起こらないようにと祈るばかりです。

  エバン・クーパー――(大気中の咳実験終了から20年後の)1978牢まで、わが家は
 大丈夫だった。しかしその時から、妻の体重が急に減りはじめた。仙骨に癌ができでいたの
 だ。妻は、いま死ぬところだ。絶望しかない。莱なんて、文字通り妻をなぶり殺しにしてい
 るだけだ。今やっていることは、馬が逃げ出したあとに納屋の扉をしめろようなものだ。

  エルマー・ビケット――家族11人がみんな死んだ。伯父が一人だけ百歳を超えでもピン
 ピンしているが、彼だけこの土地に住まなかったのだ。私が今思うに、この被害は永山の一
 角だ。まだ、はじまったばかりだ。リンパ肉腫と白血病は、かなり表に現われてきている。
 しかしほかの癌は進行中だ。

  マーローストーンズ――私は一人息子を癌で失った。どれだり多くの人間がこの世にいて
 も、私にとっては、彼以上の存在を考えられないのだ。(大気中の核実験終了から10年後
 の)1968年だったが、息子の脚にK腫瘍が見つかった。15歳の若者に”脚を切断しな
 ければならない”と言うのは辛いことだ。しかしその脚は切断されてしまった。
  ある晩、彼を風呂に入れてやったが、立ち上がった時に、残りの脚が折れてしまった。別
 の腫瘍ができていたのだ。彼は死んだ。

  ここに紹介したのは、膨大な証言のなかからごく一部を取り出し、要約したものである。
 これらの証言から分る通り、きわめて長期間にわたって、すさまじい被害が続いてきたので
 ある。多くの人は、家族か死に至るまでの経過を、あるいは現在の病状を、この何十倍も克
 明に語り、アーマ・トマス夫人のように患者のリストをつくり、それを地図のうえに示し、
 ネバダとの因果関係を明らかにしてきた。ところが政判所では、原告がそれを語りはじめろ
 や、アメリカ政府がこの一切の訴えを否定した。1981年Kペンタゴン総務顧問ウィリア
 ム・ハワード・タフト四世がおそろしい非難の言葉で応酬していた。

 「こんな被害を認めれば文明の終りを招く。低レベルの放射能が有害だということになれば、
 原子力の計画は大ダメージを受けるおそれがあるではないか」
 
  この原告24人に代表される怒れる人びとは、みな、実害を証言するためにをち上がった
 のだ。賠償を晴求するのは、アメリカ合衆国にその事実を認めさせる一手段だという。しか
 し、国家か認めなくとも、事実は明らかであった。ユタ州知事のスコット・マセソンが家族
 10人を癌で失い、AECがいかに危険性を隠してきたかを証言したあと、自らも癌に襲わ
 れて死亡するという事能にまで発展した。マセソンは、ウラン採掘業者や原子力産業の支援
 を取りつけて州知事のポストを得たはずの人間だった。

  パズルを解きはじめたアトミック・ソルジャーのポール・クーパー元軍軍曹は、合衆国全
 士にひろがる大被害を、遂に説明してみせた。ほとんどの国民か気づかなかった秘密をこう
 して明らかにするには、実に20年以上とい5長い歳月を要した。これだけ大量の犠牲者を
 生み出してはじめて、人間は過去の失敗に気づいたのだった。

  いや、果たして事実はそうだったのだろうか、

      すべての被害を予測していたAEC(原子力エネルギー委員会)

  とんでもない。このパズルの答は、核実験前から解き明かされ、核実験中に記録され、発
 表されていたのだ。実は、ポール・クーパーに代表される人びとかこの問題に取り組んだと
 き知ったのは、危険はすべて予知され、大被害が発生していると知りなから、核実験か続け
 られてきた、という慄然とすぺき事実だった。それがそっくり、現在の日本と同じだったの
 である。

  セント・ジョージの住民は、殺されたのである。
 それは、すでに数々の警告が出されていながら、Cれと並行して発表されてきたはるかに数
 の多い当事者の安全PRを読み比べてみると、理解できる。
  ある人間か”危険だ!”と叫んだ時、その声にかぶせるように数千人、数万人の組織され
 た者が”奴は嘘つきだ。安全なのだ!”と叫び返していた。
  その声を集録してみよう.(これはみな、公式の文書であり、公式のアナウンスである)


  ★被バク量は、きわめて低く、作戦に参加した兵士でさえ、レントゲン写真より少ない量 
   しか被バクしていません――国防総省ウィリアム・ハワード・タフト
  ★埃さえかぶらなければ、放射能を受けることはありません――陸軍当局
  ★安全を守るために、あらゆる対策がとられているので大丈夫です 国防総省ロバート・
   E・モンロー
  ★これからおこなわれる核実験は、すべての人類匝とって利益となるものである。多少の
   危険があるからと言づて引き返すようなことはできない――国防総省
  ★まったく危険はありません。まったく危険はありません――AEC(原子カエネルギー
   委貝会ラジオ放送
  ★核実験について心配しないことこそ、あなたにとりて最善の行勁なのです-AEC
  ★羊などの動物が.死んだのは、核実験に原因があるのではありません。さまざまな気象
   条件と疫病が重なり合って起こった現象でしょう――AEC
  ★牛乳は安全そのものです――AEC
  ★羊が死んだのは核実験のせいだとおっしやいますが、羊について訓べられた色々な異常
   について、一体どのような証明ができるのですか――アメリカ政府(裁判所における牧
   童への発言)
  ★核実験の恐怖は、共産党によるデノチあ・げであるということが充分に考えられます―
   ネバダ州上院議員ジョージ・マローン
  ★核戦争に比べれば、核実験によって起こる危険性は、小さな犠牲にすぎない――トルー
   マン大統領
 
  当局は、住民が抱く危険性の敬ポロK対抗して、ウェスタンスタイルのマンガを使って、
 安全PRを必死に展開してきた。大気中の核実験を終了する前年(1957年3月)には、
 次のような内容のパンフレットが住民に配布された。


  ネバグ、ユタ、アリゾナなどでは、放射線測定器(ガイガー・カウンター)を持つ人か増
 えてきました。その結果、”おや、カウンターがいやにうるさく鳴るな。ここは危険なのか
 も知れないと考えるようなことが起こるかも知れません。このような事態は、人びとを不必
 要な不安に陥れるものです。ガイガー・カウンターは、非常に弱い放射線を見つけるための
 ものです。したがってこれが鳴り出しても、人体への危険はまったくありません。
   
    フィルム・バッジ、コンピューター、モニタリング・ポストなど、さまざまの精密な機器
 を使りて、絶えず放射能の監視をおこなっているので安全です。
  測定の結果、近くで生活する住民が受ける放射能は、人体に対してまったく影孵のないこ
 とが明らかにされてきました。
  年間の最高被バク量は、過去6年間を調べたところ、つぎの通りでした。

  セント・ジョージ  500ミリレム(現在の単位で5ミリシーベルト)
  シーダー・シティー 70ミリレム (現在の単位で0・7ミリシーベルト)

  当時は、このパンフレットに書かれているように、被バク線量を『レム』の脈位で表わし
 ていた。その後は、100レム――シーベルトに換算して、現在はシーベルトが使われるよ
 うになりでいる(36頁の「換算表」参照)。このパンフレットに書かれているセント・ジ
 ョージの最高被パク吸500ミリレムー5ミリシjベルトとは、1958~84年までIC
 RP(国際放射線防護委員会)が定めた一般人の字間被バク限度の勧告値、いわゆる安全基
 準値(線量限度)であり、1980年代前半までの安全基準的と同じである。1985年か
 らは、この安全基準値が一般人で年間Iミリシーベルトに下げられ、現在に至っている。

  もし原子力関係者の説明と測定値が正しいなら、セントージョージではわずか5~ミリシ
 ーベルトの被パク量で、山のような癌患者と癌死者か発生した、ということにならないか?・
 原子力規制委員会が言うように福島県民が年間20ミリシーベルトの汚染地帯に帰還すれば、
 人生は終る。

  核実験を主導レだAECは、次のようにも安全性を宣伝していた。
  
  ――これらの数値は、私たちが自然から受ける放射線100ミリレム(1ミリシーベルト)
  と比べて、ほとんど変らない安全な量です。また、医療に使われている放射線より、ずっ
  と低いものです。高い山に登ると、240ミリレム(2・41ミリシーペルト)の放射線
  を受ける場所がたくさんあります。人間の体のなかにも、もともと放射線を出す物質が入
  っています。
  しかも私たちが目標にしているのは、この数字でなく、ネバダの核実験場の外で住民か受
  ける放射能を、ゼロにすることです。そのため、数々の研究がおこなわれ、あらゆる努力
  が払われています。
                         AEC(原子力子エネルギー委貝会)


                                日本の御用学者、中川恵一と山下俊一

  これらの文句は、一字一句、現在の福島県民と日本人が、どこかで聞いた言葉ではないか?

 「目民党・公明党の安倍昔三政権による日本政府広報」2014年8月17日
 (朝日新聞・毎日新聞・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞・福島民報・福島民友 PR欄)
 
   ――放射線について慎重になりすぎることで、生活留演を悪化させ、発がんリスクを高
     めている――
     全身に2000ミリシーベルトの放射線を浴びた方も多かった広島や長崎でさえ遺
     伝的影響はなかったと考えられています。……国際的にも100ミリシーペルト以
     下の被ばく量では、がんの増加は確認されていません……100~200ミリシー
     ベルトでも、発がんリスクは野菜不足と同じぐらいです。……国際放射線防護委員
     会(ICRP}は「10ミリシーベルト以下では、大きな被ぱく集団でさえ、がん
     罹患串の増加は見られなごと発表Lていることからも、福島では被ばくによるがん
     は増ないと考えられます。

                  東京大学医学部附属病院放射線科准教授 中川恵一


  IAEAの保健部長と共にこのPR欄に登場した中川恵一は、フクシマ事故直後の”週刊
 新湖”(2011年3月24日発売の3月31日号)で、まだ事故の真相が何も分らない時
 点で、「通常よりやや高いと言っても、現在の放射線レペルは人体に影響を及ぽすものでは
 ないことが分かります」と、安全論を吹聴した男だ。つまりAECと同様に、実害を調べず
 に最初から根拠のない結論を持って、語る人間であることが分る。先に述べたように彼はフ
 クジマ事故の翌年、2012年9月にも、福島県内で特に大汚染して放置された問題の”飯
 舘村”の中学生に向かって、「安心しなさい、大丈夫です」と、放射線教育の特別授業をお
 こない、「平均的な日本人の年間被パク量は約6ミリシーベルトです…福島でがんか増える
 理由はない」と語った人物である。――飯舘村の住民の檀ぼ半数にあたる2837人が、フ
 クシマ事故のため自宅に戻れなくなったとして、2014年に巨額の賠償を東京電力に求め
 ているにもかかわらず。

  彼ら日本の原子力御用学者は、AECと同様「人間の体の中にはカリウム40のような自然
 界の放射性物質がある』と言って放射能安全治を吹聴してきたが、これは”子供をだます”
 のによく使われてきた妄言である。自然界の放射性物質でも人体に悪影響はあるが、実際に
 は、地球上に現存する生物は、進化の過程で”体内に入りやすい自然界の放射性物質”を絶
 えず体の外に排出して濃縮しない、あるいは免疫機能を備えるなど、さまざまな適応能力を 
 獲得した生物だけが生き残ってきたのである。ところか、ヨウ素・ストロンチウムーセシウ
 ムのように。核分裂で生まれる人工放射性物質は、広島・長崎に原爆が投下された1945
 年より前に、自然界にほとんど存在しなかった。そのため、生物はこれらの危険物に適応能
 力を持っていなかった。だからこそ、次々とすさまじい実害が出てきたのである,つまり、
 この問題の答は、実害だけ正しいのである。

  ――福島における健康の影響はない。ないのに放射線や放削能をおそれて、恐怖症でいつ
    でも心配しているということは、復興の妨げになります。
         フクシマ原発曝発から8日後の3月20日
         いわき市で山下俊一が講演して語りだ言葉
  ――放射線の影響は、実はニコニコ笑てる人には来ません。クゴクヨしてる人に来ます。
    ……笑いが皆様方の放射腺恐岸症を取り除きます。
      フグシマ原発曝発から9日後の3月21日
      福島市で山下俊一か講演して語った言葉
    (この悪名高い人物については、その来歴を先にくわしく述べた。)

  レントゲン写真との比較、医療用放射味との比較、自然界から受ける放射線との比較……
 一体、彼らはどこを間違えて、被害者を出Lてきたのか!なぜ実害に目を伏せるのか!


乾燥した砂漠と温帯森林の違いはどのようなものだろうか? 内部被曝禍を無視し、暴走する唯線
量偏重の本質とその結果責任は? さて、次回は、いったん第9章に飛び、70年目の「8・15」
に備える。


                                         この項つづく

● 今夜の一冊


2025年に日本列島にセットされた時限爆弾は、爆発か?不発か? それは神のみぞ知る。


                                                                


 



 

引き寄せられた混沌

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  詳しく調べられると、先生方に累が及ぶ。証拠は隠せと思った。

                    
                                          福井 崇特 名古屋大学名誉教授

 




● ドローンハイウェイ構想:Amazon が提案 



静かな空を返せ!? と、デジタルサイネージされる時代がくるかもね。


● アルミ燃料電池:長時間発電を実現

化学メーカーのアルカディア(仙台市)はアルミニウムを燃料にした電池を開発。従来はア
ルミニウムを使って長時間発電は難しかったが、特殊な溶媒を使うことで数日間安定して電
気を取り出すことに成功。同社は来秋にもアルミニウム燃料電池を商品化 し、東日本大震災
の被災地発の防災グッズとして売り出す方針(日本経済新聞 2015.08.05)。それによると、
ほど開発したのはアルミニウムに付けると化学反応を起こし、電気を発生させる特殊な溶媒。
金属イオンを一定の割合で配合した電解水。この特殊な溶媒がアルミニウムや空気と混ざる
と、数秒で化学反応を始めて電気が起きる。宮城県産業技術総合センターが実験で検証した
ところ、少なくとも90時間安定し発電し続けた。同社はアルミニウムの厚みや大きさを変
えれば1週間以上発電できるとのこと。いまのところ、下図の2件のごとく考案がすでに提
出されており、また実績データ不詳でもあり実用化までにはデータ蓄積して静観していく必
要がある。

 

上図の直接アルミニウム燃料電池は、アルミニウムを含む材料を有する負極11、中性付近
の条件において酸素を還元する正極12、及び、負極11と正極12との間に設けられたセ
パレータ13を有し、pHが3以上、10以下の電解液が用られ、電解液には緩衝物質が含
まれる構造を特徴とする。

金属空気電池は、負極活物質としてエネルギー密度が高い金属を用い、正極活物質として空
気中の酸素を用い、半電池で動作することができ、電極活物質量が半分で済む。このため、
理論的に大きなエネルギー密度をもつ。この電池の一種のアルミニウムを負極としたアルミ
ニウム空気電池は、大容量電池として期待されている。しかし、電解液にアルカリ溶液を用
いる従来のアルミニウム空気電池は、アルカリ電解液がアルミニウムを腐食などで正極の劣
化が生じる。従って、負極を構成するアルミニウムの腐食防止し、正極劣化を防止できる直接アル
ミニウム燃料電池を上図のように考案されている。
 
現在実用化されている空気電池は、負極に亜鉛を用いたものであるが、負極としてアルミニ
ウムやマグネシウムを用いることにより、理論エネルギー密度が亜鉛空気電池の1300W
h/kgから、6000-8000Wh/kgへと飛躍的に増大する。アルミニウム空気電
池は、負極にアルミニウム金属、電解質に液体電解質、正極に空気極を用い、空気極での酸
素の還元と金属極での電子放出を伴う金属の溶解とを組み合わせる。従来の構造では電解液
などの蒸発が避けらず問題となる。またアルミニウム空気電池は、充放電の繰り返しにより
水酸化アルミニウム、酸化アルミニウムなどの反応副産物が電極上に蓄積され、二次電池の
機能阻害ある。このため、上図は負極にアルミニウムやアルミニウム合金やマグネシウムや
マグネシウム合金を用い、負極と電解液の間に、負極に隣接しイオン伝導体を配置する。ま
た電解液と空気極の間にイオン伝導体や空気極触媒物質から形成する緻密な構造の材料をは
さみこむ構造とし、空気極自体をイオン伝導体、あるいは空気極触媒物質の材料の緻密な構
造とすることで、金属―空気電池の電解液の蒸発を防ぎ、電池の長寿命化することが提案さ
れている。
 

 

● 高温超伝導ケーブル時代: 動き出す超電導直流送電

住友電気工業株式会社らのグループは、「非営利共益法人石狩超電導・直流送電システム技
術研究組合」で6日、5百メートルの超電導直流送電試験に成功。これは、北海道石狩市石
狩湾新港地域に設置した高温超電導直流送電システムで試験を実施。さくらインターネット
の石狩データセンターと太陽光発電設備間、特殊試験用設備での送電を行い、送電システム
の実用検証を行っているもの。試験では、約3万世帯分電力に相当する5キロアンペア、百
メガキロボルトアンペアの送電能力を確認。送電ケーブルは、国内では公道での埋設を実現
し、新たな配管構造を採用することで(1)送電路の熱損失を従来の半分に低減、(2)液
体窒素循環の圧力損失を4分の1逓減。5百メートルの超電導直流送電は、世界最長級の送
電距離。

今後は、千メートル実証実験を計画、送電路の長距離化検証を行う。また、9月にさくらイ
ンターネットの石狩データセンターへの送電試験を開始する。超伝導送電は、極低温になる
と電気抵抗がゼロになる超電導体を用いたもの。送電ロスの低減や送電容量の増大を見込む。
近年、絶対零度付近の極低温ではなく、液体窒素温度(-196度)の比較的高温下で、超
電導となる素材の開発が進み、実用化に向けた研究開発が世界中で進められてい。

 

超電導ケーブルは、フォーマの外周に超電導導体層をもつ超電導導体部が断熱管に収納し、
この断熱管に冷媒――液体窒素、液体ヘリウムなど――を流通させ、超電導導体部を冷却す
る構造が代表的。超電導ケーブル構造は、(1)超電導導体層の外側に主電気絶縁層を配置、
主電気絶縁層が冷媒温度に冷却される低温絶縁型と、(2)断熱管の外側に主電気絶縁層を
配置し、主電気絶縁層が常温に保持される常温絶縁型の2通りある。

超電導導体部は、巻芯となるフォーマの外周に超電導線材を螺旋状に巻回して超電導導体層
を同軸状に配置した構造が代表的だが、短絡や地絡などの事故が発生し、超電導ケーブルの
定格電流(臨界電流)を超える事故電流が超電導導体層(超電導線材)に流れると、超電導
導体層の温度が上昇し、クエンチが生じ、事故電流を超電導導体層以外に分流(バイパス)
することが検討がされている。フォーマを銅などの常電導導体で形成すると共に、フォーマ
に事故電流の分流に、十分な断面積を持たせることで、事故電流を分流の流導体にフォーマ
の利用を提案されている。フォーマには、絶縁被覆の複数の銅素線を撚り合わせた銅撚線が
採用されたり、また、管状のフォーマを利用し、フォーマの内部空間にも冷媒を流通させ、
超電導導体層を内側(中心側)から冷却して超電導導体層の冷却効率を高め、超電導導体層
の温度上昇を抑制法が提案されている。

今後、超電導ケーブルは、従来に比較してより大きな送電電流(3キロボルアンペア以上、
10キロボルトアンペア以上の交流電流)が流れる電力系統の連系が予測される。このため
超電導導体層で、損失に伴う温度上昇の予想もされている、冷媒による超電導導体層の冷却
効率を高めることが求められる。一般に、超電導導体層の冷却は、断熱管に冷媒を流通させ
超電導導体部と断熱管との間の空間に外側冷媒流路が形成され、この外側冷媒流路に流通す
る冷媒により超電導導体層を外側から冷却している。管状の中心側フォーマに冷媒を流通す
ことで、フォーマの内部空間に内側冷媒流路を形成するが、内側冷媒流路が形成される中心
側フォーマの外周に事故電流の分流導体となる外側フォーマを形成し、超電導導体層と内側
冷媒流路とが外側フォーマを介し離間配置し、外側フォーマが熱抵抗となり冷却効率の低下
を招く。

また、外側フォーマが中心側フォーマの外周に常電導素線を螺旋状に巻回し形成、超電導導
体層が外側フォーマの外周に超電導線材を螺旋状に巻回し形成し、外側フォーマの径と超電
導導体層の径の差が小さい。このため、外側フォーマのインダクタンスと超電導導体層のイ
ンダクタンスの差が小さく、外側フォーマにも送電電流が分流される。そして、分流導体と
なる外側フォーマに送電電流が分流すると、常電導導体に電流が流れ、損失が大きくなる。
さらに、電流が流れることで外側フォーマが発熱し、超電導導体層と内側冷媒流路との間の
温度差が大きくなり、超電導導体層の冷却を阻害。特に、超電導ケーブルに流れる送電電流
が大きいほど、分流導体に分流される送電電流も大きくなる傾向があり、分流導体に分流さ
れる送電電流を低減することも望まれる。

下図は、これらの事情に鑑み、その目的の一つは、冷媒による超電導導体層の冷却効率が高
く、事故時に事故電流の分流のため、分流導体に通常時の送電電流が分流することを抑制で
きる超電導ケーブルとその製造方法を提供する。



また、下図は超電導導体の超電導ケーブルと、それを冷却する冷媒の循環路で、一つの基路
から分岐する複数の分岐流路で、冷媒循環路と冷媒を供給する供給機構と、分岐流路の途中
に配置する流路抵抗部とを備え、この流路抵抗部は、分岐流路を流路抵抗部に流入する冷媒
流路の往路と、この流路抵抗部から流出する冷媒の流路の復路とに区画し、流路抵抗部を介
し往路と復路に流れる冷媒流量が冷媒の流通方向に、実質的に一様の単位区間を規定する超
電導ケーブル線路構造の特徴とし、超電導ケーブル線路が複数の分岐路で構成される場合、
各分岐路の冷媒流路で、冷媒の複雑な流路構成や流量制御が不要な、超電導ケーブルを適切
に冷却できる超電導ケーブル線路である。 
さらに、下図は超電導導体層の導体部と、導体部を収納し、冷媒が流通する断熱管とを備える超電
導ケーブルが布設された超電導ケーブル線路で、超電導ケーブルの少なくとも一部の区間を収納す
る収納管と、この超電導ケーブルを載せた、収納管内で超電導ケーブルの長手方向に間隔をあけ
配置した複数の台車と、超電導ケーブルを台車に固定するケーブル押え具を備える超電導ケーブル
線路を特徴とする、長尺の超電導ケーブルに適したケーブル線路の考案である。


21世紀に入り超伝導ケーブル事業は当初夢見たほどに伸長していない。常温・高温超伝導材料開
発との並進で今後急速な進展を期待したいと思いつつ、基礎研究の大切さに思いを馳せ、残件扱い
にする。

 

 

 

 【縮原発論 Ⅸ: 核ごみ廃棄処理のススメ】  

  目次  

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

  ● 引き寄せられた混沌!?

 
   第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

  平和利用の仮面をかぶった全世界の原子力産業が、殺戮戦争のための原爆産業と、現
 状でどのような関係で直接に結びついているか、という最後の説明を、読者が将来を判
 断するための資料としてこの章で加えておきたい。そして、一般にあまり知られていな
 いアジア・中東諸国の原発の現状をまとめておく。
  この前で進行し目ている現実こそ、読者の生活に直接結びついでいるのである。そし
 てこの何気ない出来事の中から、明日の衝撃的なニュースが生まれるのだ。
 
  いま多くのロ本人が危鷹を抱いているのは、中東のイスラム諸国の危機であろう。あ
 るいはまた、隣国の中国が原子力発電に猛進している姿であろう。すべての核兵器保有
 国についてくわしく述べる紙幅はないので、まずわが国の原子力発電所から生まれた物
 質が、原爆材料として全世界に流れ出している現実から述べる。


                 5兆円をドプに捨てた日本の原発政策

  アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)から原子炉を輸入してきたのが、日本
 原子力発電株式会社(原電)・東京電力・中部電力・東北電力・北陸電力・中国電力と、
 メーカーの東芝・日立製作所である。ウェスーアィングハウスから原子炉を輸入してき
 たのが原電・関西電力・九州電力’四国電力・北海道電力と、メーカーの三菱重工業で
 ある。2006年に東芝がそのウェスティングハウスを買収した。これらの日本企業は、
 いずれもアメリカのモルガン財閥とロツクフェラー財閥に、技術供与の代金として莫大
 な金を送りこんできた。日本人がAECと手を組んで、全世界にこれだけ大量の放射能
 被パク死者を生み出したという史実を正視すれば、過去に犯した罪を自分の胸虻問うべ
 き企業である。

  一方で、フランスとの関係も、深刻さは重大である。

  日本の原発で、運転後に発生する『使用済み核燃料」は、フランス核燃料公社コジ
 ェマ(COGEMA――核物質総合会社を意味する ComPagnie G&n6rale des Matiires N-
     ud6aires)か運転するラ・アーグ再処理工場に送られ、化学処理され、2013年末ま
 でに原爆材料となる核分裂性プルトニウムが10トン以上抽出されてきた。つまり日本
 は、これだけでナガサキ原爆を1万発もつくれる量のプルトニウムを保有し、さらに同
 様に再処理を依託したイギリスと、日本国内の合計で、その2倍のプルトニウムを保有
 しているのである。このフランス再処理上場のUP2というプラントは、フフンスの
 軍事用工場であり、核兵器用のプルトニウム抽出工場であった。

  これらを統括してきたフランスの原子力庁は、企業であり、日本の概念でいう官庁で
 はない。ここが、南太平洋での核実験を指揮し、もう一方の手で、核燃料公社コジェマ
 を子会社とし、アメリカなどのウーフン鉱山を所有して、原子力産業を統括してきた。
 つまり、原子力庁は、その人材か民間の金属財閥の要人によって占められ、世界的なウ
 ラン・カルテルの総本山となっている。

  フランスの原子力産業は、1980年代初めから外国の使用済み核燃料を受け入れて
 再処理をおこなうはずだったが、トラブル続きで、まともに運転できず、結局、日本と
 ドイツの資金を当てにして新プラントUP3を建設した。日本は、東海村の再処理工場
 が同じようにトラブル続きで、ほとんど処理能力がなかったため、フランスの言うなり
 になって莫大な金を出した。その当時、日本の電力会社がコジェマに支払う契約金は莫
  大な額にのぼった。

  同時に、フランスの危険なプラントをモデルにして、コジェマの子会社であるSGN
 (新技術総合会社を意味する Societe Genetal pour les Techniques  Nouves)に大金を払っ
  て技両を導入し、青森県・六ケ所村に強引に再処理工場を建設しはじめた。そしてこの
 プロジェクトを誘致した青森県知事の北村正裁がヨーロッパ視察のときに訪れた工場こ
 そ後述するパキスタンの”原爆の父”カーン博士が働いていたアルメロエ場であり六ヶ
 所村では当時その工場が”安全論の根拠”として華々しく宣伝された。青森県出身の相
 撲取り、厚顔にも自然食品の広告に出ている舞の海らが広告塔となって、核燃料サイク
 ルの宣伝が展開され、再処理工場に2兆円以上の建設費を投じた。高速噌殖炉もんじゆ
 も同嫌に開発費3兆円近い金を投じて、現在まで両方ともまったく運転できずに、結局
 5兆円以上をドブに捨てた結果となったのだ。

  ところが電力会社は、公益事業だからという理由から、いくら出費がかさんでも、事
 業にかかった必要経費をすべて積み上げ、モのコストに一定の利益を上乗せできる「総
 括原価方式」によって電気代を決めてきた。この利益率は、1988年には7・2%だ
 ったが、段階的に引き下げられて、2008年以降、現在でも3%の利益が保証されて
 いるのである。このため電力会社は、巨額の無駄な出費用をすればするほと、高い電気
 代を徴収できるのだ。

  これが日本の電力会社を、高コストの原発に走らせてきた諸悪の根源である。フクシ
 マ原発事故のあと、この会計制度を即刻廃止せよという大きな声が各界からあがったの
 に、電力改革を骨抜きしてきたのが、”4電力会社の首輪”をつけた安倍晋三政権と”
 経済産業省傘下の哀れな有識者らち”なのである。結果、フランスとイギリスに無駄な
 大金を払わせられたのは、電力消費者、つまり読者である。

 

 
                                         日本の原発からフランスの核弾頭がつくられる!

  さて、一方、日仏原子力協定によれば、日本の該物質は、「平和的な”非爆発”の目
 的にのみ使用される」と定められている。にもかかわらず、日本が再処理を頼んで使用
 済み核燃料から取り出されたプルトニウムは、フランスの核弾頭に流用されてきたので
 ある。工場のパイプラインが同じであるため、軍事用と平和利用を分けられないからだ。
 こうして、日本の原発から出たプルトニウムが、フランスが南太平洋の住民に放射能を
 浴びせた原爆にも流用されてしまったのだ。明白な日仏原子力協定違反である。
 
  プルトニウムは、総量を管理しているだけであり、どこの国のプルトニウムがどこに
 使われるかは、作業上、分離したりラベリングすることが不可能である。核兵器保有国
 に再処理を委託すれぼ、百パーセントこの事態に至る。かくしてフランスでは、取り出
 されたプルトニウムが核弾頭に使用されてきた。

  フランスが大気中の核実験を50回も強行し、アルジェリアと南太平洋ポリネシアの住
 民を放射能でむしばむという野蛮な行為が、文明の名のもとにおこなわれた。フランス
 には、文化人や知識人がいるはずだが、彼らは核実験と植民地について問われると、突
 然寡黙になる。
 ファッションだ、芸術の都だと宣伝するだけのフランスの”文化人”とはどうも怪しげ
 で鼻持ちならない。フランスによる一連の核実験によって、黒い所が南太平洋の島々に
 降りそそぎ、「タヒチでは癌と奇形児が激増している」という報告が、1980年代に
 洪水のようにフランス領ポリネシアで出された。しかもこれらの島民は秘かにフランス
 ヘ飛行機で送られバルードグーフース軍病院などに収容されて沈黙を強いられてきた。

  この現代フランス人を見て、「タヒチの女」を描いたゴーギャンは、何と言うだろう。
 核実験はその後もムルロワ環礁で続けられ、ついに、1985年6月には生物だけを死
 滅させる恐怖の中性子爆弾の実験がおこなわれた。一帯の島々は、環礁に巨大な地割れ
 が発生し、高波や島全体の沈下のため大量の放射能漏れが起こる事態を迎えた。住民が
 訴えたのは、「私たちはもはや海産物をロにすることができなくなった。人びとは頭痛
 を訴えながら死んでゆく」というおそろしい言葉であった。死の灰はオーストラリア東
 部のゴールド・コーストにまで連した。さらに1995年のシラク大統領の就任直後に
 もムルロア環礁で核実験が強行再開されたのである。

  コジェマの再処理工場UP3が、フーフンス以外の国の使用済み核燃料を再処理する
 計画量は、ほぼ9000トンとされていたが、そのうち3分の1にあたる2900トン
 が日本との契約であった。
  しかも、フランスが再処理を引き受けた外国分の40%という最大量の再処理を委託し
 ていたドイツの電力各社が、再処理を断念し、相次いで契約をキャンセルしはじめたの
 で、日本が占める比率は、さらに高まった。UP3の建設費のうち、当初の比率でも、
 日本の電力会社が40%を負担していたが、1998年末にベルギーが再処理禁止を決定
 したので、日本だけが孤立した状態になった。

  そこヘドイツのシュレーダー政権が追い打ちをかけるように、2000年1月1日か
 ら「国外再処理を全面的に禁止する」という方針を打ち出した。するとフランスが怒り、
  ド゙イツから搬入した3820トンの使用済み核燃料をすぐに突き返す」と言い出した
  ので、引き取り準薗ができていなかったドイツの電力会社が困り果て、再処理全面禁止
  の決定を延期することになった。しかしドイツは1995年にプルトニウム利用政策を
  完全に放棄したので時期を問わず、ドイツ~フランスの関係がいずれ完全に切れること
  は決定ずみである。ドイツの原発廃棄物の現状を知りたい人は、現地取材報告『原発処
  分先進国ドイツの現実』(広瀬隆著、五月書房、2014年)を参照されたい。 

 

                                                   この項つづく



● 「そうらーめん」という手もあるのか!?

 

永谷園から最近、「そうらーめん」のCMが流されているので、どんなものか検索してみたが、8年前
に商品化されていて、鹹水(かんすい:水酸化カリウム)が加えられているので中華麺であるが、ネッ
上の試食感想はいまいち盛り上がりを欠くようだ。のどごしが良くそれが清涼感を生んでいるので、
盛岡冷麺や韓国冷麺風の食酢ベースアレンジしてみればと考える。男子厨房に立ち入らずの掟にし
たがい、彼女に相談することに。

 

 

時代は太陽道を渡る Ⅴ

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  巨悪じゃないですか! 人死なせて逃げたんですよ。
            
                             映画『HERO』/久利生 公平

 



● 日本近海の夏の大気圧分布に数十年規模で変化する関係を発見 

ペルー沖で発生する「エルニーニョ現象」は、1万キロ以上も離れたインドネシア近海の海面水
温や海面気圧とシーソーのような相関関係を持つ(エルニーニョ・南方振動:ENSO)。同様の相
関関係が日本近海でも発見されている。これは、夏季のフィリピン近海の積乱雲活動の強さと日
本近海の高気圧が強い相関関係をもち変動する現象を言い、フィリピン近海の積乱雲が活発だと
太平洋高気圧の日本付近への張り出しが強く(PJパターンが「正」)、逆にフィリピン近海の積
乱雲活動が弱いと日本付近の太平洋高気圧が日本の南に留まり梅雨前線が停滞(PJパタターン「
負」)といった関係にみられ、PJパターンは日本の夏の天候に影響する主要因。 

一方で、こうしたPJパターンの研究は、気象衛星や解析データが普及した70年代以降の観測デ
ータをもとにしているが、百年を超える長期的な傾向はこれまで議論されていなかった。70年
以前は気象衛星観測体制が整っておら観測データが地上観測に限定され、50年代までの観測デ
ータは紙媒体で保管され、第2次世界大戦などの混乱で散逸し利用されなかった。今回、海洋研
究開発機構らのグループは、日本の気象庁をはじめ、フィリピン、台湾、上海、カナダの気象機
関、ハワイ大学、アメリカ議会図書館等から埋もれている気象資料を収集、電子化、現在の気象
データとの比較チェックし、解析利用可能データに復元した。

こうして復元した1897年~2013年までの過去117年間の気象データをもとに、PJパタ
ーンと、エルニーニョ・南方振動(ENSO)、東アジアの夏の気温、東南アジアの雨季の雨量、沖
縄や台湾を通過する台風数、日本のコメの収穫量、長江の流量等の各指標との相関について長期
解析した結果、(1)PJパターンが正(横浜の気圧が平年より高く恒春では低い)の年の夏では、
日本、韓国、中国の長江流域で乾燥し、暑夏となり、フィリピン海の雨季の雨量が増える関係が
ある(上図)。(2)一方、PJパターンが負(恒春の気圧が平年より高く横浜では低い)の年は、
日本韓国、中国の長江流域は冷夏・長雨の傾向が見られ、フィリピン海の雨量は減少する。(3)
日本のコメの収穫量や長江の夏季流量といった気候・農業・水文に関するデータをPJパターン指
標と比較、PJパターンが正の年は、日本のコメが多く採れ豊作になり、長江の夏季流量は少なく
なるが、PJパターンが負の年は、北日本の冷夏と日本のコメが凶作となった93年や、長江の大
洪水の98年と対応し(下図)、PJパターンが日本を含む東アジア・東南アジアの天候だけでな
く、農業や河川の流量など地域へ及ぼす影響との長期的関連性は、エルニーニョ現象とPJパター
ンの振る舞いに相関がみられ、97年~98年に代表される強いエルニーニョ現象の翌夏は、PJ
パターンが負となった。

(4)一方、この相関の長期解析では、ENSOとPJパターンの関係は、1900年代から1910
年代にかけてと、30年代、80年代以降について明瞭であるものの、40年代から70年代は
不明瞭であり、数十年周期で明瞭な時期と不明瞭な時期とを繰り返している(下図)。また、日
本の夏の気温、日本のコメの収穫量、台湾や沖縄を通過する台風数とPJパターン指標との関係も
また、同様に明瞭、不明瞭な時期を数十年周期で繰り返している。このように変化が一方向でな
いことは、変調が地球温暖化に起因するのではなく、気候の自然変動に伴う。



 

 

【パワー半導体プロセス論Ⅰ: 窒化ガリウムの量産法】

パウデックは、材料に窒化ガリウム(GaN)を使った次世代パワー半導体で、高耐圧化を実現
する新技術を開発。GaNをサファイア基板上に成膜する。従来のシリコン(Si)基板採用の
GaNパワー半導体と比べ、定格電圧を2倍の1200ボルトに引き上げた。17年度中の製品
化を目指し、絶縁ゲートバイポーラトランジスタ(IGBT)パワー半導体からの置き換えを狙
う。なお、パウデックが開発した新技術は、1マイクロメートルの薄い膜で性能を確保できる。
製造コストを抑えられ、IGBTパワー半導体と比べ遜色のない製品価格を実現できるとのこと。
GaNパワー半導体の特徴の高効率性が維持でき、これまでGaNパワー半導体開発では、放熱
特性が低いことや、材料価格が高いことからサファイア基板の採用は敬遠されいた。

【概要】

ベース基板と半導体層とは物質が異なると、熱膨張係数が異なり、半導体層の成長後に基板温度
を室温に復帰させたときに上部の半導体層に圧縮や引っ張り応力が生じ、基板全体が大きく湾曲。
例えば、サファイア基板上にGaN層をELO法により成長させる場合は基板は上に凸となる。
逆に、Si基板やシリコンカーバイド(SiC)基板などの上にGaN層をELO法により成長
させる場合、基板は下に凸となる。この基板の湾曲は半導体層が厚くなれば非常に顕著となり、
半導体層にクラックが入り、または、半導体層にクラックが入らないまでも、素子を形成のリソ
グラフィー工程を難しくし、さらにGaN層のうち貫通転位の少ない絶縁膜上の部分は、従来技
術では数μm程度の狭い領域に限られ、半導体レーザなどの数μm幅のストライプ素子しか製造
することができなかった。

成長マスクのストライプ状の開口から、マスク上に横方向成長する島状のGaN系半導体層の結
晶性は極めて高く、高品質半導体結晶のGaN系半導体層がえられる。また、複数の島状のGa
N系半導体層の成長には、相互を分離し孤立して形成することで、各GaN系半導体層に発生す
る引っ張り応力や圧縮応力はこのGaN系半導体層内だけに限定され、他のGaN系半導体層に
は影響を及ばない。

また、成長マスクとGaN系半導体層を化学結合させず、GaN系半導体層内の応力が、成長マ
スクとGaN系半導体層との界面で起きる滑りによって緩和でき、島状のGaN系半導体層同士
の間の間隙で、複数の島状のGaN系半導体層が成長した基板全体に柔軟性をもたせ、外力が加
わっても容易に変形、撓むことができる。従って、基板に反り、湾曲、変形などが僅かに存在し
ていても、小さな外力によってそれらを容易に矯正でき、真空チャッキングによる基板のハンド
リングなどが可能となり、半導体素子の製造プロセスが容易に実行できる。

以上により、高品質半導体結晶からなる島状のGaN系半導体層を基板の湾曲を抑え成長でき、
しかもGaN系半導体層が極めて厚くてもクラックなどの発生を抑制し、大面積の半導体素子を
容易に実現できる。また、GaN系半導体層の両面に電極が形成された半導体素子を容易に製造
することができる。 

 
 【縮原発論 Ⅹ: 核ごみ廃棄処理のススメ】  

  目次  

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


   第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

                               日本の原発からパキスタンヘ原爆材料が流出

  さらにこのフランスの咳再処理工場の傘下にあって、植物質をやりとりしていたのが、先
 に述べたドイツの核スキャンダルで明るみに出たパキスタンに原爆材料を横流ししたベルギ
 ーの工場群であった。日本の電力会社から、ヨーロッパの秘密工場を経由して、パキスタン
 などに原爆材料が続々と流れ出してきたのだ。これが、日本がインドとパキスタンの原曝に
 も直接かかわるメカ元スムである。そこで気がかりなのは、ニューヨークの世界貿易センタ
 ービルが崩壊した"9・11事件"後、米軍がアフガン国境地帯でアル・カーイダやタリバン
  の大々的な掃討作戦を展開し、パキスタン国内でもイスーラム神学校を藻草し続けてきたこ
 とだ。パキスタンの政債はきわめて不安定であり、核兵器ボタンを危険な人間が握る" Xデ
  ー" を示唆している。以上すぺての事実を、NHK会長の籾井勝人が認識して、公共放送
 のNHKは正しく報道して責任を果たしているのか?いずれも『パンドラの箱の悪魔』(広
 瀬隆著、NHK出版、1999年)で広く伝えた事実である。
  ほとんどの日本人は、電力会"プルサーマル"の名で危険なプルトニウム利用に踏みこんで
 も、ただ座視してきた。「原発の反対運動をする人に任せておこう」と。しかし、それでい
 いのか?

  近年の日本では、学者や文化人と称する何も知らない人間が電力会社から大金を貰って、
 PRに狩り出され、「ブルサーマルはリサイクルだ」と、真顔でデターラメを論じてきた。
 プルサーマルと呼ばれるプルトニウム利用は、利用されるプルトニウムウムの何十倍という
 高レベル放射性廃棄物を生み出して、500年間も経たなければ地底に処分できないほどの
 地獄を招来するのである。500年前とは織田信長が生まれた時代だ。ブルサーマルを強行
 してきた九州電力の佐賀県・玄海原発でも、四国電力の愛媛県・伊方原発でも、関西電力の
 福井県・高浜原発でも・・・・・・500年の長期間、地元の原発の敷地で超危険な廃棄物を管理
 しなければならないのだ。地元が耐えられるはずはない!

  リサイクルとは、ほぼ半永久的に循環するメカニズムだが、この場合には一度しか使えず、
 技術面でもコスト面でも、サイクルなどしない。大金を捨てるだけで、すべて嘘ばかりの原
 子力政策なのである。

  では、フランスの原子力産業は、どのように隆盛したのか?

        オイルショックで原子力発電ブームをまき起こしたフランス

  1973年10月6日、イスラエルの不法占領地を奪還するため、エジプト軍がスエズ運
 河東岸へ、シリア軍がゴーフン高原に進撃して、"アラブ諸国"対 "イスラエル″の「第四次
  中東戦争」が勃発した。アラプ諸国10ヶ国が参戦しながら、アメリカがイスラエルに大量
 の空輸で対抗したため、軍事的にはイスラム諸国は劣勢であった。だが、10月16日には、
 OPEC(石油輸出国機構)の中東湾岸6ヶ国(イラク・イラン・サウジアラビア・クウェ
 ート・カタール・アラブ首長国連邦)が原油公示価格の一斉値上げを発表し、値上げ幅平均
 700%という挑戦状を全世界に突きつけて、ついにオイルショックが起こったのである。

  このオイルショックで、原油価格の高騰によって空前の莫大な利益をあげたのが、なんと
 スタンダード石油トラスト(エクソン、モーピル、ソーカル)、テキサコ、BP、ロイヤル・
 ダッチ・シェル。ガルフ石油の”セブン・シスターズ”にフランス石油(トタール)を加え
 た欧米のオイル・メジャーであった。石油業界は、このオイルショック~オイルブームを起
 爆剤として、アメJカ・ヨーロッパと日本に向けて原発ブームを起こしたのである。石油メ
 ジャーと核兵器産業は、アメリカでもョーロッパでも、まったく同じ資本によって経営され
 る同族会社である。したがって彼らは、「原油の埋蔵量はあと30年しかない」とデタラメの
 エネルギー危機を宣伝することによって原油価格を暴騰させ、濡れ手にアワの巨大な利益を
 得ることができた。さらにその資金を使って、「石油火力に代るものは原子力しかない」と
 宣伝して、もう一方の手で大きな利益を得られる絶好のチャンスに食いついた。

  アメリカでは、ロックフェラーモルガン連合の企業群が原子力時代の新しいプロジェクト
 に駆けつけ、結集した。
  フランスはどうか?1960年2月13日、北アフリカ、アルジェリアのサハーフ砂漠で
 フランスが最初の原爆実験に成功した。このフランス原曝は、ドゴール大統領の時代に、フ
 ランスが噛民地とするアルジェリアで残忍な拷問を展開し、現地人の反乱に対して軍事力を
 誇示する目的で開発された兵器であった。この時代からアルジェリア人の大量被バクを放置
 し、イスラム教徒を大弾圧した歴史が、2015年1月7日、フランスの週刊誌ジャルリー・
 エプド”本社が、アルジェリア系移民によって襲撃された事件の素地となったのである。理
 由もなく事件は起こらない。
  ヨーロッパで、フランスの原子力が猛然と突っ走りはじめたのは、オイルショック翌年の
 1974年にジスカールデスタン大統領が原発推進政策を打ち出した時からであった。ロス
 チャイルド銀行総支配人のポンピドー大統領が在職中に死亡すると、大蔵大臣ジスカールデ
 スタンが後継者として大統領の座につき、原発産業の大々的な推進にのめりこみ、1974
 年から身内の一族のための大掛りなプランに着手した。オイルショックが全世界に襲いかか
 り、アラビアン・ライト原油の平均公示価格が、一気に10倍にも達する勢いとなったこと
 によって石油メジャーの利益は急激にふくらみ、フーフンスの原発建設計画が、次のように
 打ち出された。

  1952~73年 15基
      (73年オイルショック)
    74~79年 35基
      (79年スリーマイル島原発事故)
    80~86年 17基
      (86年チェルノブイリ原発事故)
    87~91年  2基(以後2015年現在まで1基も運転を開始していない)

  1953~73年までの22年間で(高速増殖炉を除いて)15基だった原発建設計画が、
 1974~79年の6年間で35基の建設計画をぶちあげ、ぽ史的な推進政策を発表して、”
 原子力のジスカールデスタン”と呼ばれるまでになった。


             何もせずに数百億円を日本から盗み取った会社の正体
 
  フランスには、原子炉メーカー「フラマトム」、発電部門の重電機メーカー「ジェネラル・
 デレクトリシテ(CGE)」、発電会社の「フランス電力(EDF)」という三社があるだ
 けで、これがすべて「ロスチャイルド財閥」を母体にした独占企業であった。そしてその一
 社、フラマトムの株は、かつてフランスの兵器会社シュネーデルとアメリカのウェスティン
 グハウスが所有していたが、1990年代にはジェネラル・デレクトリシテ(CGE)とフ
 ーフンス電力が大半の株を握って、実質的には二社になってしまったのである。後継大統領
 ミッテランの兄ロベールが、そのCGEの最高幹部であった。

  ところがチェルノプイリ事故で受注が激減した1987年以降、フラマトムは経営危機の
 ため、同じく原発撤退時代で危機を迎えたドイツのジーメンス原子力部門を買収し、核兵器
 (原水爆)製造会社である核燃料公社コジェマと経営統合して、アレヴア(AREVA)が
 誕生して現在に至っている。日本で一般にアレバと表記しているこの独占企業が、フクシマ
 事故で大混乱中の日本に乗りこんで、汚染水処理を引き受け、何もせずに数阿倍円を日本か
 ら盗み取ったイカサマ会社である。ヨーロッパ最悪の工場と呼ばれてきたのが、アレヴアの
 地獄のラ・アーグ再処理工場である。ひとたぴここで大事故が発生すればチェルノプイリの
 数百基分の死の灰が放出され、一瞬にして北半球の全生命を絶滅させるプラント、それを動
 かしてきたのが、「ロスチャイルド財閥」の現・アレヴアであり、そこに莫大な資金を注い
 だのが日本の電力会社であった。実際にお金を出したのは、日本の消費者であるあなただ。

  こうして外見はフランスの国営企業を装いながら、ウランの調達から発電機、原子炉、周
 辺機器の製造、さらには発電所の運転、送電線、すべての工場と家庭の電機製品の供給に至
 るまで、ほとんどをロスチャイルド傘下の企業がおこなうおそるべき独占グループを誕生さ
 せることになった。

  当時、発電比率のうち80%を原発に頼る。”世界一の原発帝国フランス”であったから
 ヨーロッパ全土に降り積もったチェルノプイリ事故の放射性ガスは、フランスにだけは降ろ
 うとしなかった。ドイツ南部のバイエルン地方は、西ヨーロッパのなかでも特に汚染の激し
 い地帯となったが、そこから国境を越えてフランスに入ると、すでにアルザス・ロレーヌ地
 方で、ここが原子炉メーカーの工場の本拠地であった。こうして放射性ガスはフランスの国
 土をあっという間に飛び越え、イギリスヘ行ってしまったのである。

  そんな馬鹿なことがあるか、と思う人は、フランス政府の発表を確かめるとよい。それは
 最も権威あるフランス原子力委員会の発表であり、フランス各地で子供に甲状腺の障害が発
 生したという悲痛な住民の訴えより、はるかに「信頼性が高かった」のである。その当時「
 信頼できる汚染輸入食品」を子供たちに食べさせてきたのが、日本のグルメと呼ばれる人た
 ちであった。
 
  しかもヨーロッパの汚染食品は船積みされて、アフリカヘ集中的に出荷されていった。チ
 ェルノブイリ事故から3年後になっても、西アフリカのコートジボワール、トーゴ、リベリ
 ア、ベナン、ナイジェリア、ガーナ、シエラレオネなどで、放射能で汚染された肉が発覚し
 その事件を起こした船会社をフランス首相一族が経営していることが暴露された。その船会
 社の財閥は、ネスレ(ネッスル)やユニリーヴアー(日本表記ユニリーバ)など、世界最大
 の食品産業の重役を巻きこむものであることが判明した。このような事件が起こったのは、
 一度や二度ではない。




               フランスと一体化したイギリスの原子力産業

  このフランスと一体化したのが、イギリスの原子力産業である。イギリスは、アメリカの
 マンハッタン計画に大量の頭脳を送りこんだ核兵器先進国であり、フランスより8年前に原
 爆実験に成功した国である。そして戦後は、アイゼンハワーの原子力平和利用演説から2年
 後の1956年10月に、ウィンズケールの”原爆工場”にエリザベス女王が臨席して、ア
 メリカに先んじて大英帝国が世界で最先端をゆく商業用原子力発電のスタートを祝った国で
 もあった。イギリスは、同じ大英帝国のオーストラリアを便って原爆実験をおこない、平然
 と原住民のアボリジニと南太平洋住民を大量に被パクさせてきた。また、フランスの再処理
 工場と同様に、日本から大金をせしめて使用済み核燃料を再処理し、アイリッシュ海から北
 欧の海までをプルトニウムで大汚染させ、白血病を多発させてきたのが、イギリスの悪名高
 いウィンズケール再処理工場(現・セラフィールド)である。この原爆工場でも、日本の植
 物質が、原水爆に流用されてきたわけである。

  彼らは戦後直ちに、ロンドンとパリが人材を交換する形で、今日のヨーロッパ原子力産業
 の骨格をほとんどロスチャイルド家の手でつくってきた。というのは、イギリスーロスチャ
 イルド財閥当主アンソニー・ロスチャイルドがカナダに山林の開発権13万平方キロメート
 ル(日本の面積の3分の1を超えるトテツモナイ広さ)を買い取り、イングランドと同じ、
 面積を支配していた。そしてアンソニーがこのカナダに、ウランの鉱山を開発する新しい事
 業に乗り出してゆき、ロスチャイルド家が世界最大のウラン鉱を掘り出したのである。



  そしてアンソニー・ロスチャイルドの妻の実家が創業した「ペナロヤ」とその親会社「ル・
 ニッケル」(のちのイメタル)を中心に、傘下にあるウラン・メジャーなどがフランス・ロ
 スチヤイルド家の鉱山業者であった。これに対してドーバー海峡の向こう側にある大英帝国
 「リオ・チント・ジンク」を筆頭に、その子会社の「リオ・アルゴム」がカナダをおさえ、
 この同社が”アパルトヘイトの南ア”を動かしてナミビアの「ロッシング鉱山」を支配し、
 さらに「オーストラリア鉱業」を通じて三大陸をロンドンからコントロールしたのが、イギ
 リス・ロスチャイルド家であった。ウランの世界三大生産地、カナダ・オーストラリア・南
 アが一家族の手に落ちたのである。2015年現在も、カナダからインドヘウラン輸出とい
 うニュースが流れているが、これは、カナダと”国家”からインドに輸出してるのではなく、
 実質的にはロスチャイルド家が。核兵器保有国インド々へ輸出しているのである。

  フランスとイギリスのロスチャイルド両家は、妻を相互に交換し、重役の席も相互に交換
 しているため、どちらがどちらとも定義できないウランの国際秘密カルテルを形成し、価格
 を自由に操作できる状況を生み出してきた。
  以上のほかに、ウランの大資源国がもうひとつあった。アメリカの西部もネバダでの原爆
 実験と共に、ユタ州を中心に広大なウーフン鉱が次々と発見され、カリフォルニア、コロラ
 ド、ネバダなどの各州で掘り出されるウランが高値を呼び、1950年代に大量の核実験が
 おこなわれ、それと同時に狂気のウラン争奪戦がおこなわれ、インディアン居留地に大被害
 をもたらしたのである。

  そこに誕生したのが、セント・ジョージなどの被曝地帯にある「ユタ・インターナショナ
 ル」を根城とするアメリカのウラン・カルテルであった。アメリカン・カルテルを動かすの
 は、財閥創始者ジョン・ピアポント・モルガンの孫ヘンリーー・スタージス・モルガンであ
 った。しかしロスチャイルド家は何もする必要がなかった。ユタ・インターナショナルとい
 うウラン・メジャーを、銅山業者の「ケネコット」と非鉄金属で世界一の[アサルコ」が支
 配していた。そしてこの二社の”重役・社長・会長”の要職を占めてきたのが、ハリー・フ
 ランク・グッゲンハイム、エドモン・グッゲンハイム、ソロモン・グッゲンハイム、サイモ
 ン・グッゲンハイム、ダニエル・グッゲンハイム……”ロスチャイルド家″のユダヤ人鉱山
 王グツゲンハイム家だったからである。二次大戦のマンハジタン計画を進めた財務長官モル
 ゲンソーの一族である(184~185真の系図/上図をダブルクリック)。

  こうしてイギリス国籍のアンソニー・ロスチャイルドがカナダに土地を購入すると同時に
 フランスではドゴール将軍がフレデリック・ジョリオーキュリーを初代の長官として、原子
 力庁を創設した。この原子力庁には、大きな特色があった。公的な機関でありながら、「幹
 部には自由な活動が認められる」ということを、1945年10月18日の政令によって定
  めていた。しかもそのときドゴールの右腕となっていたのが、フランス・ロスチャイルド家
 の当主ギイ・ロスチャイルドであった。

  ジョリオ=キュリーの妻イレーヌ・キュリー(キュリー夫人の娘)も原子力委員に任命さ
 れた。実動チームのポスとして、アメリカのマンハッタン計画を監督したベルトラン・ゴー
 ルドシュミツトが任命され、この男が化学部門を担当し、ウランの精製と濃縮など、ロスチ
 ャイルド家の事業に直結する世界を完全に支配してIAEAに君臨して、ヴィクター・ロス
 チャイルドが核兵器に関与したのである(上図参照)。


このような世界的な財閥の、非人道的な営利活動の結果責任を糾弾する世論の高まりはないのか?
「国際連帯税」のような非営利的な監視活動の充実が急がれる。次回も第9章。

                                   この項つづく 

The Brattle Group

【 再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る Ⅴ 】

● メガソーラーかルーフトップかよりも蓄電池買い上げ支給!

もし同じ出力3百メガワットの容量が設置されるとしたら、メガソーラー(大規模太陽光発電所)
と何万件もの家の分散型太陽光発電システム(DG)どちらの方が社会に対してメリットが多いだ
ろうか?そんな質問に答えるべく、米国のコンサルティング会社の経済学者が分析を行ったところ
(1)発電事業用のコストは6.6~11.7米セント(8.2~14.6円)/キロワットアワー、
(2)住宅用オーナー所有は12.3~19.3米セント(15.3~24.0円)/キロワットアワ
となった(上図参照)。コストの違いは、1)大規模のほうがkW当たりの設置コストが低い、そし
て、2)同じ3百メガワットという設置容量でも発電事業用は、ロケーション、パネルの配置、シ
ステム設置(追尾式など)が最適化され、効率も高くなるので、総発電量がより多くなるなどがそ
の理由。また、コストは数字で分析できるが、社会的便益は相対的に数値化して分析するのが難し
いものの、社会的便益の度合いはシステムの発電量に概ね比例する。




さて、電力会社からみれば、電力購入量が減る分散型太陽光発電システムをサポートするより、低
コストで自分で運営を制御できるメガソーラーを導入したほうが好都合だろうが、分散型太陽光発
電システムは自分の屋根に設置し、システム用に山を削ったり、畑をつぶしたりして新しい土地を
確保する必要はなく、既存する配電線するため設備投資も必要く、自ら環境に貢献し、電力事情を
コントロールできるメリットがある。いずれにしても、新しい電力制度に大きく依存するものの、
蓄電設備の普及加速度の影響が大きいと考える。言い換えれば、政府・自治体の蓄電設備を買い上
げ、メンテ費用を除いて無償支給する方がその効果は遙かに高い。

尚、コスト、二酸化炭素削減の比較のほか、エネルギー安全保障、安定供給、地域経済の活発化、
災害時のレジリエンス(復元力)などのメリットはこの分析には含まれていない。

※ FS-Xcel-EEI Solar Study- Comparative Costs of Utility Scale - 20150708.docx

 ● 今夜の一品

二つの椅子を一枚のテーブルに組み合わせることが出来る。ニーズに合わせ展開したり組み合わ
せた使用するという。

 

  

川内原発再稼働の衝撃

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  この法律は、製造物の欠陥により人の生命、身体又は財産に係る被害が
        生じた場合における製造業者等の損害賠償の責任について定めることに
        より、被害者の保護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健
        全な発展に寄与することを目的とする。
            
                                             製造責任法第壱条

 

 

● 福島第一原発事故の内部被曝の実態: セシウムの排出予想より下回る

福島第一原子力発電所で事故対応にあたった東京電力の作業員が体内に吸い込んだ放射性セシウム
は、当初の予測より、体外への排出が遅いという追跡調査結果を発表(読売新聞 2015.08.10)。
これはセシウムの一部が水に溶けにくい化合物になり、肺に長くとどまるためではないかと推定。
被曝線量を見積もる計算モデルの見直しにつながる可能性がある。担当の放射線医学総合研究所
では、事故直後に原子炉の中央制御室で監視業務などにあたり、被曝線量が特に高かった作業員
7人について、年に数回、検査を受けてもらい、体内のセシウム137などの量を測っている。
作業員のセシウム量は、事故後、約2年間は、「肺から血液へ溶け込み、尿などを通じた排出に
より、70~100日ごとに半減していく」という予測通りに減少していた。しかし、2013
年の半ば頃から減り方が鈍くなっている。

  
 【縮原発論 11: 核ごみ廃棄処理のススメ】  

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


   第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか  

     イスラエルの原爆とイラン・トルコ・イラク・インド・パキスタン
              中国・台湾・韓国・北朝鮮と日本の玉突き現象


   -イスラエルー

  1986年4月26日にチェルノブイリ事故が起こって、ヨーロッパの核スキャンダルと
 共に、もうひとつの大事件が明るみに出た。当時、世県的な原子力反対運動が起こって、そ
 の矛先が、〃ユダヤ人の国家〃イスラエルの原爆開発の秘密主義に向かったからである。つ
 いにイスラエルの原曝製造という秘密のベールがはがされた。ロスチャイルド家の資金によ
 って建国された”ユダヤ人の国家”イスラエルでは、5百シケル紙幣に印刷されたのが、建
 国に多大な貢献をしたフランスのエドモン・ロスチャイルドの肖像であった。

  イスラエルの核兵器開発技術者だったモルデハイ・ヴァヌヌが、「ネゲヴ砂漠のディモナ
 原子カセンター地下で、イスラエルの原爆開発が進行している」という重大機密を、198
 6年9~10月にイギリスの"サンデー・ミラー”と”サンデー・タイムズ”紙ですっぱ抜い
 たのである。このユダヤ人の内部告発によって、イスラエルがすでに100個以上の原爆を
 保有していることが明らかになった。現在のアメリカ情報界をはじめとする専門家と、スト
 ックホルム国際平和研究所(SIPRI)や、各国の核兵器研究家のあいだでは、イスラエ
 ルが核弾頭200発を保有し、世界第5~6位の核兵器軍事力を持つという認識が一般的に
 なっている。

  -イランー

  ところがアメリカが狂気のイラク攻撃をした2003年のIAEA会議では、イランの核
 兵器開発に対して、アメリカとその”原爆保有国イスラエル”が執拗にその疑惑を追及した。
 それに対して、ヨーロッパとロシアなどがIイランにはその危険性はない」と主張して対立
 が続いた。しかしIAEA理事会は2003年11月26日に、過去にイランがIAEAに
 申告せずにウラン濃縮やプルトニウム濃縮を実施したことをとりあげ、”イラン非難決議”
 を全会一致で採択した。イランはそれを受けて、12月18日にIAEAによる核査察を受
 け入れる文書に署名した。
 
  そして本書執筆中の2015年4月には、イランが「核開発をおこなわない」と、アメリ
 カとヨーロッパに対して約束した。しかし秘密裡に開発することは、イスラエル同様に容易
 にできるのである。
  IAEAが一方的にイランを批判すればするほど、とてつもない数の巨大な核兵器を保有
 するアメリカやイスラエルの態度に怒りが昂じて、口にこそ出さないが、「お前たちが特っ
 ているのに、俺たちが原爆を持って、どこが悪い」という内心の感情が、イスラム諸国にま
 すます強まってくる。事実イランでは2012年9月2日、ロシアの国営原子力企業「ロス
 アトム」の技術で100万キロワットのブシェール原発が電力供給を開始し、営業運転に入
 った。イランは今後、国内に同じような原子力発電所を20基建設する計画で、原子力開発
 の正統性を主張している。しかしイランは、日本と同じ地震大国である。2003年12月
 26日には、イラン南東部ケルマン州で推定4万人の死者を出す大地震が発生したばかりだ。
 日本の地震学者によれば、10万人以上の死者を出す大地震がイーフンに迫っているという。
 原爆より以前に、絶対に、原発を持ってはならない国である。

  -トルコー

  同じくイスラム国家トルコでも、2015年4月14日に、南部メルスィン県アックユで
 初の原子力発電所の起こ式がおこなわれたが、トルコも同様に1999年8月17日に死者
 2万人近い大地震が起こり、2003年と2011年にも地震が起こった地震大国である。
  この原発はイランと同じく、ロシア原子力企業ロスアトムが建設を担当し、総事業費2百
 億ドル(2兆3900億円)で、出力120万キロワットの大型原子炉を2020年までに
 4基建設する計画である。さらに日本の三菱重工業とフランスのアレヴアの国際コンソーシ
 アム”欠陥原発メーカー”が北部シノップに、”原爆開発”を射程に入れた110万キロワ
 ット原発4基を建設する計画を進めてきたため、2015年、この危険なビジネスにトルコ
 で民衆の怒りが爆発したのである。地震大国トルコも、絶対に原発を持ってはならない国で
 ある。

  -イラクと中東に峻乱が起こる原因-

  しかし、なぜそうなるのかが問題である。12年前の2003年に、大量破壊兵器を保有
 しないサダム・フセインのイラクが、道理もなく、いきなり全土攻撃を受け、その虐殺の主
 導者がアメリカ国内のユダヤ人ネオコン集団であった。その被害がどれほどであったかを、
 国連も全世界も日本もまったく議論していないのだ。後藤健二さんの拉致・殺害事件があっ
 たというのに・・・・・・

  2008年1月9日の世界保健機関(WHO)の発表Kよれば、イラク政府と合同でおよ
 そ1万世帯を対象におこなった調査の結果、2003年3月20日のイラク攻撃開始から3
 年後の2006年6月までに、戦争やテロなどによって死亡したイラクの民間人は推計で1
 5万人以よにのぽり、最大22万人になる可能性がある、とされていたではないか。200
 6年に発表されたジョンズ・ホプキンズ大学による調査では同じ期間の死者数は60万人以
 上とされている。負傷者の数は、ゆうに100万人を超えるだろう。”虐殺”としか呼ぺな
 いこうした米軍の殺戮を放置してきたのが、国連を柱とする国際社会と、ユダヤ人国家イス
 ラエルである。それに対する怒りが爆発して 「イスラム国(lS‐lslamic State)」のような武
 闘集団が発生しなければ不思議だったのである、いずれ一斉蜂起が起こることは、10年以
 上前から分っていた。
 
  しかし待て! アフガニスタンのタリバンの活動も、ウサマ・ビンラディンたちアル・カ
 ーイグの米軍攻撃も、パレスチナにおけるハマスたちのレジスタンスも、たとえ武力を使っ
 ても道理があるので理解できる。このことについては 『世界石油戦争』と『世界金融戦争』
 (いずれも広瀬隆著、NHK出版)にくわしく歴史的な実情を述べてある。だが、現在の「
 イスーラム国IS」が展開している行為は、預言者が説いたイスラム教の律法から外れたも
 ので、イスラム教徒には容認できるはずもない。

  イスラム敦の聖典コーラン(クルアーン)には、預言者マホメット(ムハンマド)による
 神の啓示が次のように書かれている。

  ――汝らが追放されたところから、汝らに敵する者を追放せよ。もし彼らが戦いを仕掛け
    るなら、彼らを殺せ。迫害がなくなるまで、彼らと戦え。

  この法を忠実に実行するなら、イラク人を殺戮した米軍と、パレスチナ人の領土を奪って
 殺戮を騰けるイスラエルのユダヤ人に対して戦いを挑むことは正当な行為だ。だがコーラン
 には、

  ――彼らが戦いを仕掛けない限り、汝らは戦ってはならない。

  とも書かれている。つまり、何もしない人間には攻撃をしかけないことが、イスラム教徒
 の掟である。「イスラム国lS」が展開している”無辜の民に対する殺戮”は、この法を外
 れたものであり、許されない行為である。同じように、シリアのアサド政権による残忍な住
 民虐殺や、(アフガンではなく)パキスタン・タリバン運動による児童の大量射殺も、ナイ
 ジェリア祀おけるボコ・ハラムの学校襲撃や女子生徒の拉致も、ケニアにおけるキリスト教
 徒の学生射殺も、これまでの「正当なイスラム武闘集団」とはかけ離れた行為だ。

  したがって、彼らは自らをイスラム教徒の代表者と標榜しているが、実は一枚岩ではなく、
 彼らの手にしている武器・兵器が、本当は敵方のヨーロツパーアメリカやイスラエルの”死
 の商人”から送りこまれたものである可能性が濃厚である。つまり、アメリカをはじめとす
 る。反「イスラム国」有志国連合″が続けてきた一般人を巻きこむ無慈悲な殺戮空爆に見ら
 れる通り、中東・アフリカを戦乱に巻きこんで、全世界の軍需産業を隆盛させているのだ,

  それ以外には、現状の答がみつからない。危険なのは、核兵器だけではない!

  一方、アメリカとイスラエルによりて大量の民間人を殺されてきたイスラム世界の一般人
 としては、「俺たちも核兵器を持つぞ」という考えを強めるのが、当然である。
  なぜならユダヤ人の聖典である旧約聖書によれば、モーゼがシナイ山で神から授かった十
 戒には、次のような戒律がある。

  ――汝、殺すなかれ
  ――汝、盗むなかれ
  ――汝、嘘をつくことなかれ
  ――汝、隣人の財を求めることなかれ

  このユダヤの戒律をことごとく破ってきたのが、現在のユダヤ人国家イスラエルである。
  中東が加熱する一因は、。イスラエルの原爆保有にあるのだ。なぜ国際社会で、この問題
 が、イラン問題と並行して真剣に議論されないか、それ、が不思議である。日本のテレビと
 新聞で、イスラエル製のユダヤ原爆について議諭している人間を、見たことがあるだろうか。

  -インドー

  そのイスラエルが、もうひとつの核兵器保有国インドに接近するという事件が起こった。
  2003年8月25日の白昼、インド西部の商業都市ムンパイ(旧ボンベイ)市内で2回
 の爆発か起き、45人が死亡するという事件が発生した。それから2週間後の9月8日、イ
 ンドのニューデリー空港に降り立ったのが、イスラエルの”虐殺者”と呼ばれるシャロン首
 相だったのである。この時期は、言うまでもなく、3月20日にアメリカが道理もなくサダ
 ム・フセインのイラクに攻撃をしかけて、全世界から轟々たる非難を浴びた5ヶ月後であっ
 た。

  しかしインドの政策は、建国の父ネール首相が、エジプトのナセル大統領と強く結び合っ
 て、米ソのいずれにも与しない「第三世界」を築いてきたので、歴史的にパレスチナのアラ
 ブ人を支持する立場を貫いてきた。したがってこの時代でもインドとイスラエルが感情を共
 有するほど一体ではなかった。ところが1998年に発足したインド政府が、反イスラム政
 党「インド人民党」を柱にする政権だったため、イスラエルとの結びつきが深くなり、それ
 がイスラム教徒を2億人近く抱えるインドで逆効果となって、爆破事件を誘発してきたので
 おる。そうした中でシャロン首相とインドのバジパイ首相が首脳会談を持ったのだから、ア
 ラブ人とのパレスチナ紛争と、パキスタンとのカシミ-ル紛争をバーター取引きしようとす
 る匂いに満ちたものであった。

  では、インドの原子爆弾は、誰が製造させたのだろうか。

  中国から10年遅れて、その隣国インドが最初の原爆実験をおこなったのは、今から40
 年以上前の1974年5月18日のことであった。ラジャスタン州の砂漠の中のポカラン実
 験場で、「平和目的」と称する地下核実験(コードネーム”微笑む仏陀”)を実施した時、
 国際社会は大きな衝撃を受けた。
  というのも、1970年3月5日に核拡散防止条約が発効してわずか4年後に、インドが
 原爆実験をおこなったからである。この国際条約は、正しくは「核兵器の不拡散に関する条
 約」(NPF――Trcaty on the Non‐Prolifeation of Nuclear Weapons)という。そして、核兵器
  保有国のインド、パキスタン、イスラエルがNPTに参加していないのである。

  なぜかと言えば、IAEAが主導したこの咳拡散防止条約は、アメリカ、ソ連(現・ロシ
 ア)、イギリス、フランス、中国の5ケ国は核兵器を保有してよいが、ほかの国は保有して
 はならない、というとんでもない不平等条約だからである。つまり、戦後に発足した国連の
 原子力委員会が、アメリカの原爆独占を認めた時代から、今日現在まで、旧態依然としで一
 歩も進んでいない。これが、IAEAに引き継がれた「核兵器廃絶」と「原子力の推進」と
 いう仮面の下の、横暴な狼たちの正体であった。NPT再検討会議を現在も開催しながら、
 その話し合いが結実しない理由はここにある。

  1974年におこなわれた最初のインドの核実験は、そのIAEAが安全保障を管理して
 きたカナダ製の研究用原子炉を運転して、その使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを
 取り出して製造した「IAEA原爆」であったのだ。
  1998年におこなわれた二度目のインドの核実験で最高責任者をつとめたインド原子力
 委員長のラジャゴパラ・チダムバーフム博士も、実は、5つの咳保有国以外の國に核査察を
 義務づけていたIAEAのウィーン本部で働いていた人物である。核兵器拡散防止のメンバ
 ーであったのだ。IAEAは、核拡散を防止するどころか、核兵器を拡散する組織であった
 のだ。そうして1998年5月11日から13日にかけて、インドが24年ぷりに、二度目
 の原爆実験に踏み切ったのである。この時は、合計5回の原爆実験がおこなわれたのだ。

  -パキスタン-

  さらにそのインドの核実験からわずか二週間後、1998年5月28日と30日に、カシ
 ミール紛争でインドと敵対する隣国のパキスタンが初めて、合計6回の原爆実験を実施した
 のだ。後者は。イスラム国家の最初の原爆々として、とりわけ注目を集めた。パキスタンで
 原爆実験がおこなわれたあと、”原爆の父”としてアブドゥル・クアデル・カーン博士の名
 前が、世界のジャーナリズムをにぎわした。彼が働いていたウレンコ社は、イギリスの原爆
 製造会社である核燃料公社(BNFISE ―British Nuclear Fuels, Ltd)と、オランダの遠心分離会
 社(UCN―Ultra Centr4fuge Netherjand)と、ドイツのウニット社(URANIT―Uranーlsotopent-
  rennungs GmbH)49等出資して設立した三国共同経営によるウラン濃縮会社であった。この
 イギリス核燃料公社BNFLが、白血病を多発させたウィンズケール原爆工場~再処理工場
 の経営者である。そしてほかならぬ、このウラニットの親会社が、先に述べた1988年に
 西ドイツで核スキャンダルを起こしたヌーケム社だったのである。つまりバキスタンに原爆
 材料が流れたのは、西ヨーロッパの企業ぐるみの活動によるものであり、日本の報道界が伝
 えた”カーン博士個人の盗み”は大嘘であった。

  当時の”シュテルン”誌がそれを報道した通り、西ヨーロッパで隣接するドイツ・イギリ
 ス・オランダ・ペルギー・フランス5ケ国を結ぶ原子カマフィアが、イスラム原爆を求める
 カーン博士に原爆材料を流したのである。ウランとプルトニウムの密輸ルートは、ベルギー
 のモル再処理プラントから、西ドイツの港町リューベック、スウェーデンの首都ストックホ
 ルムを経て、リビア、パキスタン、スーダンまで運ばれたのであった。こうして日本の核物
 質がバキスタンに流れたのだ。
 
  そこに関与したイギリスBNFL、これがまた現在、日本の関西電力がMOXと呼ばれる
 プルトニウム・ウラン混合燃料の製造を依頼し、日本の原発から使用済み核燃料を輸送して
 きた会社であり、全世界に原爆材料が流出しているのである。
  その関西電力の福井県・高浜原発3号機が、”爆発直前の福島第一原発3号機”(295頁)
 に続いて、2010年からプルトニウム燃料を使いはじめた原子炉であった。そしてたった
  今、2015年に再稼働しようとしていた超危険な原発がそれである。無謀な関西電力は
 再稼働すると息巻いていたが、2015年4月14日に福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、
 住民が求めていた「高浜原発3・4号機の運転差し止め」に対して、大事故を防ぐことはま
 ったく不可能である、運転してはならない、という仮処分を決定し、日本の原発史上初めて
 司法による再稼働阻止の成果が実った!偉大な裁判長だ。

  -中国―

  インドと対立する中国は、ソ連伝来の技術を使って原爆製造に成功してから、新暦ウイグ
 ル自治区の砂漠で、数々の核実験をおこなって、米英ゾが大気中核実験をやめても、中国は、
 フランスと同様に大気中核実験をやめなかった。その結果、草原地帯に起居するシルクロー
 ドの住民に、セント・ジョージとまったく同じ大被害を生み出し、致死量の放射能を浴びた
 住民は数十万人と言われながら、モの大被害が隠され、実態さえ不明である。中国は199
 5年にも核実験を強行した、つまり中国最初の本格的原子炉・大亜湾原発を建設したのが、
 フランスの原子力産業だったから、中国の原子力・核兵器産業も、ヨーロッパの原爆シンジ
 ケートに連なっている。加えて核実験場にされたウイグル自治区は、1980年代には、中
 国の危険な放射性物質をすべて捨てるための高レベル放射性廃棄物の”最終処分楊”の候補
 地としても挙げられた。そうした北京の横暴な決定に対するこの自治区での怒りが、最近の
 天安門前などの度重なる事件として表出してきたのである。

  ところが現在の中国では、それらの事件が”民族問題”やイスラム教徒の”過激派織の行
 動”にすり督えられて、まったく理不尽な報道が世界的に続いているのである。ウイグル族
 は、放射龍を浴びて殺されてきた被害者なのだ。

  -台湾-

  独立問題でその中国と対立してきた台湾も、GEとウェスティングハウスから売りつけら
 れた第一・第二・第三原発の3ケ所に6基の原発を抱えている。だが、1999年9月21
 日にアメリカ地質調査所の評価でマグーチュード7・6、つまり。マグェチュード7・3の
 ” 阪神大震災”の3倍もの大地震が起こり、垂直方向に8メートルの巨大な断層運動が起
 こって死者2415人の大惨事となった大地震国が台湾である。さらにそこに、無謀にも日
 本の日立・東芝・三菱の原発メーカー御三家が第四原発を売りこんできたのである。フクシ
 マ事故のあと台湾住民の怒りが爆発し、「欠陥原発をつくって大事故を起こした日本企業が
 輸出するとは何ごとだ!」と、完成間近の第四原発が2014年に建設中止に追いこまれた
 ばかりである。

  -韓国-

  もうひとつの日本の隣国・韓国は、戦後の南北朝鮮の分断→朝鮮戦争→ベトナム戦争への 
 韓国兵派遣→1974年の韓米原子力協定を経て、”アメリカの核弾頭”が北朝鮮の空に向
 けて国境地帯・板門店に大量に配備されてきた。1980年代末に私が調査するため列車で
 板門店を訪れ、現地のタクシー運転手に米軍基地への案内を頼んだ時、「絶対に写真を撮ら
 ないでくれ。米軍に殺されるから」と言われたのはそのためである、日本ではまったく報道
 されていないが、韓国に配備されたこの米軍の原爆ミサイルが小国・北朝鮮の恐怖と怒りを
 招いて「韓国人・日本人拉致事件」の動機となったのである。そのため北に対抗する韓国内
 では、その時代まで、反原発運動が死罪になるほどのタブーであった。とりわけ1980年
 代のレーガン大統領時代に、国務長官シュルツと国防長官ワインバーガーが原発建設で世界
 一のベクテル社の社長と副社長であったため、莫大な賄賂がベクテル社から韓国政界に贈ら
 れ、アメリカ政府をあげて、不正な工作がおこなわれ、2010年までに23基もの原発が
 稼働されてきた。現在では2022年までに12基の原発を建設する計画を進め、さらに現
 代建設、三星物産、斗山重工業、ウェスティングハウス(東芝)で構成される韓電コンソー
 シアムが、アーフブ首長国連邦(UAE)に原発4基を輸出する契約を結ぶなど、韓国の原
 子力産業も金に目がくらんできわめて危険な独り歩きをしはじめている。

  われわれ日本人も、台湾か韓国で原発大事故が起これば、日本列島が大汚染することに無
 頓着ではいられない。この両国の問題の種をまいてきたのは、すべてアメリカの軍需産業で
 ある。

  -北朝鮮と日本-

  日本では、ここに北朝鮮の核の危険性を加える意見が氾濫してきたが、実際には、北朝鮮
 がどんなに踏んばっても製造できる実用的原爆は2個(最大6個)がいいところである。北
 朝鮮の潜在的能力を言うなら、まず保有するプルトニウムの量から、日本がイスラエル並み
 の100個の原爆を製造できることを、日本のテレビと新聞は真っ先に報道するべきである。
 しかも日本は、50メガトン級の巨大核兵器の製造さえ可能である。テレビニュースを見て
 いると、無知なキャスターたちが子供だましの”宇宙探査用”称する小惑星探査機「はやぶ
 さ」で騒いでいるが、これは世界最大級の固形燃料ロケットであり、これを本格的な核兵器
 運搬手段として使えば、このロケットに核弾頭をとりつけるだけで発射できる危険な態勢に、
 安倍音三政権が近づいているのだ。

  核兵器は、保有能力だけで威嚇になるので、日本国憲法の第9条で、「国際紛争を解決す
 る手段」としての「武力による威嚇」を明確に禁じた条項に違反しているのである。200
 2年5月13日に早稲田大学の講演で「小型であれば厚子爆弾の保有も問題ない。日本は核
 戦力を持つことだって許されている」とまで公言した安倍晋三が、必死になって原子力産業
 の維持と、積極的戦争主義の憲法改悪を狙ってきたのは、そのためである。この日本政府の
 動きを、北朝鮮の軍部が知らないはずはない。北朝鮮の危険性だけを一方的に諭じたてるニ
 ュースは、イランを非難するイスラエルと同様、独善的のそしりを免れない。それが、北朝
 鮮軍部の暴走を挑発している震源だ。

  -小型原爆と職業軍人の独り歩き-

  賢明なる読者は、今や核兵器と原子力発電について、語るべき多くを持っているはずであ
 る。モの原料のウランとプルトニウムが、ひょっとすると、これまでの”虚構の東西対立”
 で語られた威嚇用の核兵器ではなく、もっと自由度の高いゲリーフ組織がプルトニウムを入
 手し、ロシアの軍事秘密都市クラスノヤルスク26で食えなくなった核兵器開発のエキスパ
 ートを抱えこみ、小型原爆を製造する可能性が高まりつつある。原子爆弾や水素爆弾として、
 いつの日か、本当にどこかで使われる可能性を秘めているかも知れないのである。

  アメリカでも、国防総省をひっかき回す人間が徘徊し、アメリカが核兵器を実戦に使用す
 る話が熱を帯びているのである。ブッシュが200年11月に署名した総額4013億ドル
 の軍事予算には、広島原爆15キロトンの”3分の1以下”の破壊力を持った”小型原爆”
 開発の研究予算が組みこまれた。大統領本人が「テロリスト国家には核兵器の使用も辞さな
 い」と息巻ぃてきたホワイトハウスである。中東イスラム諸国の軍事関係者は、アフガニス
 タンとイラクに先制無差別攻撃をした前科者であるアメリカを、誰も信用していない。信用
 すれば殺される、と考えるのがイスラム諸国の常識になっている。こうした小型原爆につい
 て現場で開発を進めてぃる人問たちの性格が問題である。アメリカ大統領が共和党・民主党
 の誰になっても、国防長官が誰になっても、軍部が独走する危険性を秘めているのである。 

  その米軍と一体化した日本もそっくり同様に、制服組の軍人が台頭してきた姿が見えない
 だろうか?2013年11月27日に成立した国家安全保障会議(NSC)創設法によって、
 集団的自衛権など一切の行使権を握っているのが、このわずか数人で構成される閣僚の軍事
 グルーブNSCだが、それを事実上勣かす事務局の司令塔が、米軍に手なずけられた防衛省
 の軍人だ。職業軍人が独り歩きすれば、大日本帝国時代と同じファシズム独裁の暴走は食い
 止められない。


細微な確認は必要だが、ここで述べられたことは略了解できる。11日、川内原発再稼働され
た。製造責任(PL)法に従い「プルトニウム240等」を製造してはならない、「原発電力」
は売ってはいけない、商品にしてはいけないものである。核のゴミの処理方法が担保されていな
い段階で商用段階に入っていけないことは「水俣病」などで学習済みだ。学習能力を欠けば、
"これすなわち亡国”である。さて、次回は「おわりに」→「第9章 巨悪の本丸『IAEA』の
正体」に移る。

                                    この項つづく


 

● ストップ・ザ・ゲップ! 

牛食肉偏重は地球温暖化を加速させる。これはかねてから指摘されていたこと。因みに、米国の
メタン排出量の実に26%は牛のげっぷによるもの。学術誌「Proceedings of the National Academ-
y of Science」に掲載された研究報告によると、3-ニトロオキシプロパノール(3NOP)を牛の
飼料に加えることでメタン量が30%まで削減できる。反芻動物は、げっぷでメタンを放出。牛
が持つ4つの胃のうち、第1胃で発生するメタンが体外へ排出。ルーメンには数億という微生物が
生息し、牛の食べた物を発酵させ、草などの消化をし、大量の水素と二酸化炭素とメタン細菌が、これら
のガスでメタン生産するが、3-ニトロオキシプロパノールは生産を抑制することで、メタン排出を逓減さ
せながら、体力消耗を抑制するらしい。

 

 
しかし、考えようによっては、食肉牛や乳牛を30%代替食品に変えるだけで目標は達成できる
はずだ。グリーンピースの活動家達に、古代牛のクジラだけでなく、食肉牛・乳牛をやめる運動
要請してみてはとも思うが、どうだろうか? ^^;。 

 







 

 

 


時代は太陽道を渡る Ⅵ

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  少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。  /  イチロー

 

 

【 再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る Ⅵ 】

●“窓に貼る太陽電池”実用化へ

シリコン半導体系、化合物半導体系のソーラーパネルが順調に世界展開することで、有機薄膜系や色素
増感型などの薄膜系も実用化段階にさしかかってきた。 三菱化学が今回実用化に向けて市場開拓を開
始する。太陽光発電は、パネルの設置場所が限られる都市部においては、より多くの発電量を確保するた
め、建物の屋根や屋上面に加え、窓や壁面などを有効活用することが期待されているが、窓、壁面、トッ
プライト(採光や通風のため屋根に設置される窓)部への設置には、透明性(シースルー性)、色、重量な
どの課題があったが、今回開発した「シースルー発電フィルム」は、透明性(シースルー)、軽量、フレキシ
ブルという特徴をもち、窓への設置が可能となる。

尚、窓用フィルム分野については、この分野で約50年の実績を持つスリーエム ジャパンと製品開
発及び市場開拓を協力し進めていく。また、その他の従来の太陽電池が取付けられなかったさま
ざまな場所への活用方法などもを探っていくとしている(下図に参考特許を掲載する)。

 
【符号の説明】

1 基板 2 下部電極 3 p層 4 i層 5 n層 6 上部電極 7 光電変換層 8 集電線
11  第1の開溝 12  第2の開溝 13  第3の開溝 
21  下部電極:光電変換層と積層している領域 
22  下部電極:光電変換層と積層していない領域
23  上部電極:光電変換層と積層している領域 
24  上部電極:光電変換層と積層していない領域
31  耐候性保護フィルム 32  紫外線カットフィルム 33,39  ガスバリアフィルム
34,38  ゲッター材フィルム 35,37  封止材 36  有機薄膜太陽電池素子 
40  バックシート 42  基材 43  有機薄膜太陽電池パネル 
44  有機薄膜太陽電池モジュール 101  巻出し工程 102  塗布装置 
103  加熱・乾燥装置 104  巻き取り工程 105  集電線設置装置 
106  封止ロール 107 封止材等 108 切断装置 201 有機薄膜太陽電池セル 
202  上部電極露出部分

【概要】

機材料を用いた薄膜光電変換層にアモルファスシリコン等の無機材料を用いた薄膜太
陽電池と比較し、光電変換層の物理的強度が低い。従って、太陽電池素子を構成する
各太陽電池セルの電極、光電変換層と積層された電極に集電線を直接設置すると、設
置の際の物理的な力により太陽電池セルの層構成が破壊され、また、短絡を起こし、
集電線を設置した太陽電池セルの起電能力が失われるおそれがある。特に、ロール・
トゥ・ロール方式などにより、大規模な装置を用いて工業的に実施する際には、集電線を設置
する際に電極の下に位置する光電変換層に物理的な力がかかりやすい。太陽電池セルの
光電変換層と積層上部電極で、この太陽電池セルの起電力が失われる可能性があるが
あえて集電線を設置構成することで、太陽電池素子の製造後でも、電位を調整が可能
で、多様な必要電位の要求に対し生産効率を下げることなく、有機薄膜太陽電池モジ
ュールを提供することができる。取り出す電位を調整できる太陽電池モジュールを提
供する。 

 
 【縮原発論 12: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

  あとがき

  私はこれまで、原子力発電と、原水爆の核兵器と、おそるべき軍需産業について、またそ
 れらを動かす国際的な金融支配者と軍事財閥について、責任ある。個人〃の追跡調査をおこ
 ない、かなりの点数の書物を発刊して、くわしい調査結果を社会に報告してきた。だが、そ
 れらはいずれもフクシマ原発事故が起こるより、かなり前の著書であった。そして、問題の
 フクシマ原発事故が起こってからは、目の前の事態に対処するのに精一杯で、そうした歴史
 的な事実について、ほとんど語る機会がないまま今日を迎えてしまった。

  それは、読者も同じであり、「原子力発電と原水爆兵器のヲ不クション」についてフクシ
 マ原発事故が起こる前に私が書いた書籍を読まれていないと思う。現在、原発廃絶のために
 活動している人たちも、テレビと新聞の報道界も、本書に述べたAEC(原子カエネルギー
 委員会)や、IAEA(国際原子力機関)とICRP(国際放射線防護委員会)の数々の史
 実をすでに忘れているだろう。この害が、「忘れているのではないか?」の意を強くこめて
 あることを肝に銘じていただきたい。まして、若い世代のほとんどの人は、まったく歴史を
 知らないであろう。

  しかし現実には、われわれが生きている日本K、IAEAとICRP神話の危険性が、無
 神経なテレビと新聞を通じて深く浚透してきている。そして摺島県民がIAEAとICRP
 の安全キャンペーンに包囲され、刻々と迫る肉体的被害に大きな危惧を抱いているのだ。第
 1章から第3章に述べたことが、私にも甚だしく大きな不安になってきた。
 
  そこで、私自身が忘れかけていた自分の著書をすべて読み直し、二〇一五年現在の状況に
 合わせて、また現在の知識で正しく書き替えて、分りやすく歴史の全体像をまとめたのが、
 本書である。取り返しのつかない被バクが進行する前に、もっと早く、この作業をするぺき
 であった、と思う。

  その古い歴史の流れから現代に続く歴史こそ、われわれが今日を生きる指針となるはずだ。
 というのは、2015年5月に報道された”IAEAの陽島第一原発事故・最終報”では、
 「日本の原発には事故対策ができていなかった」と纏々批判を書き連ね、それを日本の新聞
 が鬼の首をとったように評価していたので驚いた。そのような批判は高校生でも知っている
 文言(と嘘)を並べただけである。これは”IAEAに対する信頼を獲得する”狡猾な戦略
 だが、この報告書では、最も重大な被パクの実害に関して「子供の甲状腺被バク線量は低く、
 甲状腺癌の増加は考えにくい」と、”福島県民健康管理調査”を引用しながら、犯罪者・山
 下隆一らと組んで、まったく根拠のない一文が記述されているのだ。つまり、「原発4基が
 爆発・破壊される大事故が起こり、原爆百発分の放射能を浴びても人間には何も起こらない」
 という結論を織りこむことが、このIAEA報告書の狙いだったのである。

  それでもなお、本書に述べた”人ロ1300万人を超える首都・東京″を含む「東日本地
 域で静かに進行する大被害」を、信じない人がいることを知っている。しかし、チェルノプ
 イリ事故の直後に、「潜伏期をすぎると、大量の障害と癌が発生する。世界はまだその大被
 害に気づいていない」と、私は大声で警告した。やがて歳月がすぎると共にその予測通り、
 悲しむべき大被害が顕現してきた。そして2010年に『原子炉時限爆弾――大地震におび
 える日本列島』(ダイヤモンド社)を発刊して、「大地震による原発の大事故が目前に追っ
 ている」と警告したが、原発に反対している人でさえほとんど誰も信じなかった。そのわず
 か半年後に、フクシマ原発事故が起こった! 今また、本書でその大被害と対策を呼びかけ
 なければならないのは、悲しむべきことである。日本人の大量の癌発生は、すでに放射能に
 よって傷ついた体内の細胞が動き出す一歩前の「潜伏期」にある。被害者になるのは、あな
 た自身だ。悲劇をもう二度とくり返してはならない。

 ――大地震は迫っている――

  実は私が2010年に『原子炉時限爆弾』を書いたのは、その前年から大地震が世界的に
 続発していながら、その関連性を専門家が警告しなかったからである。それらの地震とは、
 2009年――8月、駿河馬を中心に三度の地震発生――9月30日、サモア諸島沖でマグ
 ニチュード(M)8・0の大地震発生――同日スマトトラ島沖でM7・6の大地震発生――
 10月8日、バヌアツ近海でM7・8の大地震発生――2010年――2月27日、チリ沖
 でM8・8の巨大地震発生――4月7日、スマトラ島沖でM7・7の大地震発生、であった。
 これら大地震の贋源を地図上に描いてみると、いずれも太平洋プレート境界と、それに押さ
 れて動くナスカ・プレート~オーストラリア・プレート境界にあった。したがって、太平洋
 プレートの烈しい運動による地殻変動のトテツモナイ巨大な力が日本列島にかかって、大地
 震は目前にあることが明らかだったからである。そして予想通り2011年に太平洋プレー
 ト境界の大破壊による3・11東日本大震災が起こったのだ。

  そして、2009年にはじまった鹿児島・桜島の大噴火が今も止まらない。2011年-
 ―1月26日、鹿児島・霧島山の新巻岳で大噴火が起こった(直後に東日本大震災)。20
 13年――11月に小笠原諸島の西之島新島で大噴火がはじまり、今も止まらない。201
 4年――9月27日、長野・岐阜県境の御嶽山が突如大噴火を起こして戦後最大の火山災害
 となった。11月25日に阿蘇山噴火が起こって噴煙が1500メートルに達した。

  2015年――4月に山形・宮城県境の蔵王山で噴火警報が出され、5月から箱横山で連
 続地震が止まらなくなった。5月29日には、前年に噴火がはじまった鹿児島県の口永良都
 鳥で大噴火が起こり、噴煙が9000メートルに達した。翌日の5月30日には、噴火中の
 西之島新島から至近の小笠原沖で阪神大震災の16倍というM8.1の海底大地震が起こった。
 そして、この4年間に数えきれないほど地震が起こってきた。ニュースに登場する地震の解
 説は近視眼的で、どれも一点しか見ていないので、まるで見当違いの解脱ばかりだ。これら
 を地球全体の動きから見る必要がある。火山の噴火と地震が連動しており、それら地震と噴
 火の発生点を結ぶと、東日本大震災の4EILだけではなく、「大震災前から続いている日本列
 島全体を揺さぶる太平洋プレートの動き」が”新たな地震”を起こしていることが明白であ
 る。この一連の動きを見ていれば、「次の大地震」が再び目前に近づき、日本全体(とりわ
 け大噴大の続く九州)が危機一髪の断崖絶壁に立っていることは明らかだ。日本最大の活断
 層・中央構造編が動けば、鹿児島県の川内原発と愛媛県の伊方原発は一撃で吹っ飛び、日本
 は壊滅する。いや、妙に静かな福井県の若狭には東日本大震災以降4年分の地底のエネルギ
 ーが大量にたまっているから、この”空白域”が一番先に動くかも知れない。それでも原発
 の再稼働にゴーサインを出してきた重大犯罪者の原子力規制委員会と原子力規制庁を、日本
 が全滅する前に解散させることが、第一だ。

  このプレートの玉突き現象が、台湾~インドネシア~フィリピン~中国~ネパール~イン
 ド~イラン~トルコの地底まで動かしているのが、学者に見えないのだろうか。大災害が起
 こってからの「専門家の解説」など、聞きたくもない。
  これから自分の人生を希望を持って生きてゆこうという若い人や、働き盛りの人は、まっ
 たく信頼できない政治家と、”自称・専門家”に惑わされることなく、自立して、己の考え
 を持たなければ、自分の身を守れないのだ。”現在の頼りない政治家を支持する者”は、た
 だ日本に安住していれぼよいと惰性的に生きている人間が多いので、子供たちの将来を気遣
 っていないからである。

 ――原発は廃絶できる――

  しかし!日本に住む人は、いま希望か、絶望か、「選択」の大きな岐路にある。
  本書が出版される2015年7月まで、2年近く原発ゼロを続けて、電力供給にまったく
 支障がなかったのが日本である。2013年度に電力の大半の43%をまかなった天然ガス
 輸入先の第1位はオースラリアであり、ほかの輸入先にはロシア(サハリン)、マレーシア、
 インドネシア、そして2年後の2017年から安価なシェールガスを日本に輸出することを
 認可した世界一のガス生産国アメリカがある。シロウト評論家や。職業軍人の防衛大臣中谷
 元らが何も知らずに騒ぎたてる。”中東”依存率は、すでに28%に急落しているのだ。
 「石油」火力の比率はほんの14%で、これは東日本大震災後のピンチヒッターで一時的に
 使われただけだ。したがって、安倍晋三たちが集団的自衛権行使を正当化する理由に挙げて
 いる「ホルムズ海峡がエネルギー危機をもたらす状況」など、そもそもあり得ないのである。

  同年度に電力の30%をまかなった石炭火力も、日本では煙も出ないほど世界一クリーン
 なプラントを運転しており、コストが最も安いことは電力会社の購入実績データが示してい
 る(経産省のコスト試算は嘘だらけである※)。こうして[主力となったガス・石炭」が占
 める発電比率は、2015年現在ではさらに大きくなっている。自然エネルギーも、長期的
 には相当な量を普及できる。つまり、大地霞など天災のほかには、まず電力不足という事態
 は絶対に起こらないし、起こってもほんの一時的な事態だ。ここに大きな希望がある。その
 ためほとんどの国民が、なぜ余計な原発の再稼働が必要なのか?………という怒りと疑問を
 抱いている。


※『東電・吉田昌郎を描いて見えた原発の“嘘”』黒木 亮、日経ビジネス 2015.07.30――を参
 考に「コストのごまかし」を以下のように抜粋、掲載しておく。

経済産業省や政府の審議会が発表する燃料別の発電コストでは原子力発電が常に一番安いことに
なっている。3・11以前に使われていたのは、政府の総合資源エネルギー調査会の数字で、1
キロワット時当たりの発電コストが、原子力5円30銭、水力13円60銭、石油火力10円2
0銭、石炭火力6円550銭、LNG火力6円40銭というものだ。しかし、この数字には、地元自
治体にばら撒かれる電源三法交付金や、垂れ流しの高速増殖炉開発費用、廃炉費用、事故処理費
用などが含まれていない。

立命館大学の大島堅一教授や慶応義塾大学の金子勝教授からこの点を厳しく指摘され、経済産業
省は3・11事故以降、こうした費用も含めて発電コストを発表するようになった。今年4月の
数字では、30年時点で原子力10円10銭以上、水力11円、石油火力028円990銭~41
円60銭、石炭火力12円90銭、ガス火力13円40銭とされた。

私が住むイギリスでは、約20年ぶりに原発の建設計画が進められている。国の南西部、ブリスト
ル海峡に面したヒンクリー・ポイント原発に加圧水型原発2基(326万キロワット)を増設するプ
ロジェクトだ。フランス電力(EDF)が中心となり、中国企業2社が30~40%の出資をし、生
産された電力はイギリス政府が35年間にわたって1キロワット時あたり11ユーロセント(約
15円)で買取り保証する(価格はインフレ率にスライド)。 

仮に10%の利益が織り込まれているとしても、発電コストは13円50銭程度で、地震がなく
建設コストも少ないはずのイギリスの原発のほうが日本の原発より発電コストが高いことになり
先の経済産業省の数字を疑いたくなる。ちなみに孫正義氏の自然エネルギー財団は、原発の発電
コストを(低い場合でも)14円30銭と見積もっている。


  その答はこうだ。オリンパスが’”飛ばし”という手法で巨額の損失を10年以上にわた
 って隠し続け、不正な粉飾決算で処理したことが発覚した4年前の大事件をど記憶だろう。
 同じく電力会社も、原発を廃止す電れば、彼らは原発資産の特別”損失”を計上しなけれぽ
 ならない。つまり、電力会社が過去に原発にのめりこんだ失敗によって自ら生み出したのが、
 その損失だ。この損失を隠すために、電気料金値上げで消費者を惘喝し、無用で危険きわま
 りない不良資産の原発を再稼働できる資産に見せようとしているだけなのだ。これは、”粉
 飾決算の飛ばし”と同じなのである。
 
  新聞を読むと、「原発ゼロで、火力発電が大半の電力を供給しているので、ガス・石油の
 燃料費が増加して、電力会社の経営を圧迫している」と、政府・経済産業省と電力会社のほ
 い分が枕詞のように書かれているが、これは真つ素な大嘘である。原発マフィアは’フクシ
 マ事故前の2010年”と”事故後の2013年”を比較して「原発ゼロのために国富が流
 出した」と主張してきたが、その比較年度にトリックがある。2010年よりさらに前のリ
 -マン・ショックが起こった2008年には、原発が60%稼働していて、その年の化石燃
 料の輸入額は28兆円であった。ところが原発がほとんどゼロとなった2013年の化石燃料
 の輸入額は27兆円に減っているのである(貿易収支・財務省貿易統計)。つまり政府が主
 張するぶ国富の”流出”は、大半が安倍音三の自民党政隆になってから、自らがこの間に1
 ドル80円から125円まで「円安」誘導政策をしたため化石燃料の輸入コストか56%も
 上がったことと、原油の国際価格か変動した結果であって、原発ゼロとはまったく関係ない。

  現在、電力の主力をになうガスも、原油価格に連動して購入してきたので、原油価格がひ
 どく低かった2010年に比べて輸入コストが大幅に埴えたのは当たり前のことだ。事実、
 2015年には原油価格が暴落した結果、輸入ガスのスポット価格も半値に急落してきた。
 このような世界経済の初歩を知らない安倍晋三が経済を動かしていることが問題なのだ。

  では、何が電力会社の経営を悪化させてきたかというと、彼らは停止中の原発の維持・管
 理だけで年間1兆2000億円(3年間で3兆6000億円)を使い、さらに危険な原発を
 再稼働させるための安全対策費で2014年末までに2兆4000億円を使ってきた。燃料
 費の増加分などよりはるかに巨額の無駄金6兆円以上を1ワットの電気も生んでいない原発
 に浪費して、経営が苦しくなったのだ。しかもこの再稼働対策費のほとんどは、大事故を防
 止できない欠陥工事だらけなので、今後も果てしなく泥沼の出費が続く。彼らは頭が悪すぎ
 て、企業経営者の資格がないにもかかわらず、非常識な高額の役員報酬を懐に入れてきた。

  したがって、原発比率が低かった北陸電力・中国電力は原発ゼロでも値上げせずに経営し
 ており、逆に原発比率が高い関西電力、九州電力、北海道電力などの経測が悪化し、電気料
 金の大幅値上げを強行してきたのは、そのためである。新聞は、嘘を広めてはいけない。
  だが、その悲あがきの時代は終った。これまで、電力自由化は下の図のように企業には電
 力会社の選択が許されてきた。そのため、大幅な電気料金値上げをした電力会社の管内では、
 顧客企業が「高い電気料金を払えるか」と怒って”電力会社離れ”を急速に加速しているの
 だ!さらに来年、2016年4月から実施される電力の完全自由化によって”電力会社が7
 割の利益を得ていた家庭の消費者”にも選択が可能になる。その家庭の6割以上は、圧倒的
 に安価で安全・クリーンな、「新電力」ヘの契約変更を望んでいるのだ。原発を求めていな
 い! 新電力の多くはガス・通信・自動車業界など日本の一流企業でもある。したがって、
 電力会社は原発に見切りをつけない限り、膨大な数の顧客を新電力に奪われ、ますます経営
 か悪化し、自分の首を絞めて最後に窒息するだけである。そのため原発マフィア官僚が、原
 発に責任のない「新電力」企業に”原発の廃炉コスト”を負担させようとしたり、高性能の
 石炭火力の建設を妨害したり、悪辣きわまりない政策を次々と打ち出していることは、読者
 ご存知の通りである。電力会社にとっても消費者にとっても、原発を断念して、一旦、特別
 損失を計上し、身をきれいにしてから再出発すれば未来は美しくなる。

 


  この日本の原発廃絶の余波が、重要である。それが全世界の原子力産業に波及して、本書
 に述べた地球規模のウラン経済サイクルが連鎖破綻する姿が見えてきたのだ。すでに4年連
 続の赤字が続いたフランスのアレヴアが、2014年に6700億円の莫大な損失を記録し
 実質的に経営破綻して大量解屁の方針を打ち出したため、フランス政府が救済しなけれぱな
 らなくなった。フランスの原発比率はすでに現在75%に下がり、今後10年で58基のう
 ち20基を廃炉にする計画である。ドイツが2015~22年のあいだに全9基を廃炉にす
 る計画よりベースが早いのだ。もともと、マンハッタン計画で莫大な収益を求めてスタート
 した原爆開発と、その落とし子の原子力産業であるから、収益シンジケートの地球規模の鎖
 の輪の1ケ所が切れると、そっくり全部が同時に崩壊するのが経済原理だ。その鰻大の一を
 握っているのが、シンジケーに莫大な金を注いできたわが国・日本である。「日本の電力自
 由化」がこの国際的ンンジケートの輪を断ち切れば、いかなる国の原子力協定も、原発輸出
 計画も、原水爆産業(軍需産業)も、いっせいに経済崩壊する可能性かある。

  原発の再嫁働と、辺野古の新某地建設を、国民の総力で阻止すれば、その夢が叶うのだ!
  その大きな希望の明日を選択するかどうかは、読者の強い意志にかかりているのである。


著者が指摘する「為替レート」を政府が一時的誘導できてもそれは限定されている。むしろ、太
陽光・風力エネルギー急速な導入の結果、地下化石燃料の下落したと考える。また、ブログ掲載
してきたように、原発停止による減価償却費と安全保全維持費による急速な赤字拡大は必至で、
停止3年以内に、原発部門の切り離し廃炉部門の創設を提案している。さて、次回は第8章へ。



                                   この項つづく 

  

● 今夜の一品: 季節のおまかせサラダセット

息子からの臨時収入があったというので、ジュブリタンでランチをとる。食事中、施餓鬼供養や
母の納骨のこと、息子達のことなど話していたが、何の拍子かわすれたが 川内原発再稼働、ジェ
ネリック、TPPなど興味があるの色々と尋ねてくるの。どれもこれも彼女のお友達は無関心な
のだと語るから、話し相手の顔を見ればその人のなりが分かるはずなのにに無駄なことをするね、
と宥めた。さて、料理は彼女に任せ、ブレンドコーヒを追加しオーダーすると、中央が半透明の
白磁のワンプレートにバルサミコをプレゼンテーションした、スモークド・サーモン、マッシュ
ド・パンプキン、トマトニンジンとブラウンマッシュルームピクルスのマリネを添えたサラダセ
ットを戴くが、ブラックマッシュルームピクルスのマリネが印象に残る(下写真参考)。

 

それで? レシピをネット検索することにして、彼女は残ったパンセットをテイクアウトし、今
年の終戦記念日は "三度目の敗戦日”になる。わたしなら、原発を即縮小・廃炉し、" 再エネ百
パーセント列島に変える自信があると、ランチの回答を車中で付け加え帰宅する。その彼女は今
年の夏はひどい起立性低血圧に悩んでいる。
 

 

 

 

最新水素燃料船工学

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  ただ、バッターに集中しただけ。記録が達成できて、うれしい。

                                        岩隈 久志     
                                           

 



● メジャーでの初完投、初完封

 

【オールソーラシステム: 最新水素燃料電池船工学】

今月5日、椛島で、低炭素型の小型船舶(燃料電池船)の完成式典が行われ。この船は、環
境省が五島市椛島沖で実証事業を実施している浮体式洋上風力発電の余剰電力で生成した水
素を活用した燃料電池で走る水素船。環境省による「二酸化炭素排出削減対策強化誘導型技
術開発・実証事業(小型船舶低炭素化の技術開発・実証事業)」でつくられた。この事業は、
環境省浮体式洋上風力発電と連結し、余剰電力の水素生成活用した実証実験。小型船舶をモ
デルに、燃料電池を利用し外洋での運航が可能な低炭素型小型船舶を製作→小型船舶の低炭
素化を促進→漁船等への水平展開を図ること、海洋再生可能エネルギーの普及促進を図る。

この低炭素型の小型船舶は、戸田建設株式会社、日本海事協会、長崎総合科学大学が製作。
船名は「長吉丸」(英名:Ever fortune)。五島市では、漁船の名前に男性の名前を用いる慣
習しているが、五島ふくえ漁業協同組合長の名前からとった。

このニュースに触れ、未来の漁港や海上運輸港に配置した水素ステーション(ソーラーパネ
ル風力発電、バイオアマスなどの再エネ由来水素)から船出するイメージとこれらの水素ス
テーションに水素を供給する水素コンテナー船が往来するイメージが浮かんだ。

 ● ナノスケールで燃料に炎を点す:燃料電池電極の性能アップに成功!

沖縄科学技術大学院大学(OIST)などのナノ粒子技術研究グループは、ナノ粒子をそれぞれ
金属酸化物でカプセル化させ貴金属ナノ粒子の凝集を防ぐ方法を開発。この成果により高性
能な燃料電池開発に応用可能となる。

これまで、燃料電池で起こるエネルギー転換促進に、貴金属のナノ粒子を電極の表面に分散
させ、マクロスケール化することで化学反応性を高くするが、ナノスケールでは、その原子
の反応性が増す。このような金属のナノ粒子の触媒機能で、燃料から電子発生させる際に必
要な化学反応速度を加速する一方、ナノ粒子を電極上に吐出する際、粒子同士がパテのよう
につぶれ、より大きなクラスターを形成(このナノ粒子が凝集す現象を焼結と呼ぶ)。燃料
分子がナノ粒子触媒と相互作用を起こすとき、利用できる触媒全体の表面積の逓減させ、そ
の結果、燃料電池では燃料分子の最大ポテンシャルを阻害する。

そこで、(1)まずパラジウムのナノ粒子を酸化マグネシウムのシェルに閉じ込めカプセル
化する。(2)次に、このコア-シェル構造のナノ粒子を電極上に分散し、(3)ナノ粒子
で覆われた電極がメタノール燃料電池中の電気化学反応速度が向上するかどうか測定。この
結果、パラジウムナノ粒子のみを用いた場合に比べ、パラジウムナノ粒子をカプセル化した
ものは、著しき性能向上がみられた。

つまり、下写真のように、マグネシウムとパラジウムのナノ粒子を個別に調べて、酸化マグ
ネシウムナノ粒子が貴金属ナノ粒子のまわりに多孔性シェル形成できることを突き止めた。
このシェルター機能を果たす酸化マグネシウムシェルが多孔性であることで、燃料分子がカ
プセル化したパラジウム(貴金属)への到達を阻まず、酸化マグネシウムシェルがパラジウ
ムのコアとコア間のスペーサーとして機能することで、パラジウム粒子同士が互いに結合す
るとことなく、最大反応ポテンシャルを達成できることを確認した。

Engineering high-performance Pd core-MgO porous shell nanocatalysts via heterogenous gas-phase synthesis 
V. Singh, C. Cassidy, F. A.-Pedersen, J. -H. Kim, K. Aranishi, S. Kumar, C. Lal, C. Gspan, W. Grogger, and M. Sowwan      Nanoscale 7 (2015) 13387-13392.

● 生物進化工学: タコのゲノム解析に成功

骨が無く、3つの心臓をもち、約5億個の神経細胞のほとんどが8本の長い腕(触腕)に局
在している生き物。ギリシャ神話に登場する怪物ヒドラのように腕を再生でき、それぞれの
腕は独立して動く。また腕の筋肉を硬直させると、一時的に肘や肩に変化でき、さらに、変
幻自在な擬態能力と自分の巣を獲物の残骸で装飾する習性を持つのがタコ(蛸)。ヒトが脊
椎動物の進化の頂点だとすれば、無脊椎動物の中でその対極にあたり、最も高い知能を持つ。
タコはイカなどとともに頭足類に分類され、その祖先は巻貝に似た動きが遅い体の軟らかい
生き物。活発で巧みな捕食動物でもある。現代の巻貝やカキ、その他の軟体動物も同じ祖先
を持つが、並外れた能力を持つ生き物に進化してきた。 

前述した触媒電極の研究と同じ、沖縄科学技術大学院大学らの研究グループは、そのタコの
全ゲノム解読に成功――世界で初めての頭足類のゲノム解読――となる究成果は、15年8
月13日付け英科学誌ネイチャーに掲載された。タコのゲノムは多くの点で他の海洋無脊椎
動物のゲノムと似通り、そのユニークな神経系についてその起源と機能を理解する鍵となる
思いがけない特徴も明らかにする。頭足類の脳は無脊椎動物の基本的な脳を精巧にしたもの
で、ヒトや他の脊椎動物の脳とは全く異なる組織をもつ。

頭足類は、3億年以上前、古代の海の捕食動物として出現。頭足類は、地球上で最初の知的
な生物だった。タコのゲノム解析プロジェクトを開始し、複雑なタコのゲノムの解析は、大
きな挑戦を行う。タコのゲノムは、幾つかの大きな遺伝子群があり、いかに複雑な神経のネ
ットワークをもつののかを知る鍵となる。この遺伝子群は、他の動物においても脳の発達制
御に関わっていて、非常に大きな広がりがあるが、詳細は依然と不明なまま。頭足類では、
他の動物は知られていない遺伝子が大量発見されている。一部の遺伝子は、頭足類の見事な
カモフラージュ能力を可能にする皮膚の動きに関係する。

今回のゲノム解析の分析は未解決部分を残すが、人間が鳥の持つ機能を模倣して飛行機を発
明したように、将来、タコの多様な能力を真似たロボットが開発され、人間が海底まで到達
できる日もくるかもしれない。また、タコが科学者を魅了してやまない理由には、脊椎動物
の脳の組織的なプロセスを必要とせずタコの脳が組織化されていることだ。タコの神経系を
構成する基本的要素が、陸上生活者の人間のようなものとは根本的に異なるかどうかに関し
ても、今後明らかになっていくとる期待されている。

 

 

● 水処理用微生物固定担体工学: スポンジ「Yキューブ」

雪ヶ谷化学工業は、汚水処理を効率化するスポンジ「Yキューブ」を追加発売。下水などの
有機排水に投入すると、スポンジ内に微生物がすみつき、処理槽内の微生物の数が増加、効
率が上がる。ただし、価格は処理層の規模や用途により個別見積もるという。また、同社は
知財は保有しておらず、企業技術(know-how)のみ。

Y-CUBEは、スポンジ内は壁を大小の気泡でつないだような構造で、微生物が定着しや
すくし、ポリビニールでアルコールを担体とし、水に入れると水に近い性質となり微生物を
引き寄せる――ウレタンスポンジ比で10倍の微生物繁殖、処理槽に送る空気を減らし省エ
できる。用途として、下水処理場をはじめ、有機性の排水処理が必要な製紙工場や食品工場
に販売。設備を変えず浄水能力が上る。また有機排水以外の汚水に投入後かき混ぜ取り出す
ことで、微生物のかたまりをろ過するフィルターとしても利用できる。海水内の微生物ろ過
に使用し、ビブリオ菌の数を10万から100まで減らせた実績がある。

 

 
 【縮原発論 13: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


  第4章 世界的なウラン産業の誕生

      放射線・放射能の危険性は、どのようにして明らかになったか?

  これほどの核実験の大被害が、そして原発事故の大被害が、今日までどうして放置さ
 れたのか、なぜ人類に対して放射能の危険性が隠されるようになったのか、そもそも核
 実験はなぜおこなわれたのであろうか?しかしその問題を議論する前に、放射能の危険
 性は、どのようにして明らかになったのだろうか、まずそれを知るほうが先である。

  なぜなら、フクシマ事故の大被害を隠し続けてきた人間たち――ICRP(国際放射
 線防護委員会)やIAEA(国際原子力機関)――が、あるいはまた日本の長瀧重信や
 山下俊一や原子力宮僚たちが、これから述べる歴史のなかに潜んで、陰湿で国際的な活
 動を展関してきたからである。それを知らない限り、日本に住む人間は、過去の悲しい
 大被害者と同じ運命をたどる。これからの章で、読者が予期しない、壮大な歴史を語ろ
 う。

  この悪魔たちの誕生物語は、童話と同じように、それはそれは、遠い曾の話であった
  ・・・・・・・ パリ市民がバスティーユの監獄を襲って、フランス革命が勃発していた頃、
 ちょうどその1789年夏のことだったが、ドイツ人の化学者マルティン・クラブロー
 トが、ピッチブレンドという鉱石から柚出した酸化物を”奇妙な半金属”と呼び、17
 89年9月24日にべルリン科学アカデミーに論文を提出した。彼は、この新元素の名
 前を、当時発見されたばかりの天王星ウラナス(Uranas)にちなんで、ウラン(Uran)
  と名付けた。
   このピッチブレンドが、今日、「渥青ウラン鉱」として知られるウランの主要な鉱石
 であった。

  それから半世紀後の1841年には、フランス人の化学者ウジェーヌ・ベリゴが、四
 塩化ウランを金属カリウムによって還元し、この反応によって、化合物ではない、金属
 のウランを初めてつくることに成功し、やがて1870年には、このウランという金属
 が地球上に存在する最も重い元素であることが分った。
  ではこの古い時代に、人類が何のためにウランを調べたり、利用したのだろうか?そ
 れは勿論、今日の「核兵器」や「原子力」ではなかった。その鉱物の利用価値は、ウラ
 ンの酸化物と塩化物が生み出す鮮やかな色の効果にあった。つまり緑色の蛍光を発する
 黄色のガラフスや、陶磁器の釉薬として、オレンジ色、黄色から、赤や、緑などを生み
 出す染めつけ材料の一種として使われたのである。そして、ウランを使ったそのような
 ガーラスや陶磁器の色つけ技術は、長いあいだ、現在のチェコの西郷地方であるボヘミ
 アの独占的な秘術として伝承されるようになった。それが、ハプスブルク帝国のもとで
 育った有名なボヘミア・グラスであった。

  さらに1839年にフランスで写真術が生まれると、のちにウランの化合物が、写真
 の着色剤として使用されるようになった。こうしてウランは、19世紀の1800年代
 から採掘されることになったのである。だが、そのためヨーロッパでは、鉱夫が4割か
 ら5割というすさまじい割合で癌のために死亡しはじめたのである。それに気づいた近
 代医学の父ルイ・パストゥールがウランの危険性について警告を与えた。こうして、ウ
 ラン鉱物の危険性が初めて知られるようになったのは、実に、今か性一世紀以上も前だ
 ったのである。



  しかし、その原因が「放射能」のためであるということは、バストウールも、いかな
 る科学者もまだ知らなかった。

  さて一方、ちょうどそのころ、新大陸のアメリカでは、ジョン・D・ロックフラーと
 いう男が、1870年に「スタンダード石油」という会社を設立して自ら社長の椅子に
 収まり、弟のウィリアムが副社長に就くと、この兄弟で万全の態勢で新会社をスタート
 させ、原油を輸送する鉄道とパイプラインを次から次へと支配したのである。そして早
 くも10年後の1880年には、このスタンダード石油が全米の95%の石油を独占し、
  もはや楯つく敵の姿が見当たらなくなっていた。



  驚くべきことに95%を独占した世界最大のロックフェラー石油財閥が誕生したのが、
 この時代であった。さらに1880年代には、ガソリン自動車が登場して、石油は一層
 華やかな産業となり、いよいよ20世紀へ突入する時代を迎えた。
  こうして19世紀末、まだ未知だった「ウランの原子力」と、「石油」というふたつ
 のエネルギー源が、同時に、世界中を疾走する運命にあった。現在から見れば競合する
 エネルギー源の「石油」と「原子力」だが、のちにアメリカとヨーロッパで”同じ人間”
 がこの両者を組み合わせ、1970年代にはじまったオイルショックを逆手にとって、
 巨大な金融資本を投下し、最大の問題である「放射能安全論」を強力に推進することに
 なったのである。

                X線の発見と知られざるエジソンの素顔

  そうした19世紀末のことだったが、1895年12月28日に、ドイツの物理学者
 ヴィルヘルム・レントゲンが、実験装置から目に見えない光が放射されていることに気
 づいた。そして、それが多くの物体を透過する能力を持った光(放射線)であることを
 発見し、未知なるもの”X”の意をこめて「X線」と名づけた。そしてX線を使って、
 人体の骨を撮影できることを明らかにしたのが、翌年の1896年1月23日であった。
  この驚くべき発見を伝え聞いたのが、アメリカのトマス・エジソンであった。彼は、
 蓄音機を発明し、白熱電球(電灯)を発明し、発電機も製造し、1882年には、ニュ
 ーヨーク中央発電所の大規模発電にも成功して、1913年にはトーキー映画の映写機
 を発明して、発明王と呼ぱれていた。しかし「天才は1%のインスピレーションに頼り、
 99%の発汗に泣く」と自ら語っていた。”発明王エジソン”は、偉人伝に書かれてい
 るこの言葉とは、かなり違う性格の人物であった。

  その本性を知る人のあいだでは、東部ニュージャージー州にある彼の本拠地の名を借
 りて”メンロー・パークの魔法使い”と呼ばれていた男で、発明品は「金の卵を産むガ
 チョウ」であると心得ていた。他人が何かを発明すると、直ちにエジソンのお使いが飛
 んでゆき、「エジソンの名前をつければ売れる。世界はエジソンの発明を待っているの
 だ」、このひと言で名誉を奪い去り、特許を取り、「エジソンの新発明」を売り出して
 いた。

  実際には、”ロール・フィルム”を開発して映画を成功に導いたのはジョージ・イー
 ストマンであり、映画に必要な連続写真の高速度撮影機を可能にしたカメラ”写真銃”
 の発明者はフランス人のエティエンヌ・ジュール・マレーだった。暗箱をのぞくと秘め
 やかなシーンが見られるエジソン写真機”キネトスコープ”、エジソンの助手ローリー・
 ディクソンの発明品で、これをスクリーンに映写したのはフランス人のリュミエール兄
 弟だった。エジソン名義のもうひとつの映写機”ヴァイタスコープ”は、トマス・アー
 マットとC・フランシス・ジェンキンの発明を盗んだものであった。1902年、19
 06年と立て続けに特許権の裁判を起こしたエジソンだったが、その度に発明王の化け
 の皮が剥がされてゆき、敗北に次ぐ敗北を記録した。

            モルガン財閥がエジソンを育て、GEを生み出す

  それでも彼には、全米最大の「金融と鉄道の財閥」であるジョン・ピアポント・モル
 ガンという人物が、この発明王エジソンの製品を事業化する後備としてついていた。当
 時の最大の産業は、ロックフェラーが支配した石油と共に、華やかな鉄道と、その鉄の
 レールを敷設するための鉄鋼であった。金融王モルガン財閥がそれを支配していた。
  やがて、電信から電話、発電所まで支配したモルガン商会が、白熱電球を発明した発
 明王のために「エジゾン電灯」という会社を設立してやり、その後、この会社を基盤に
 して、1890年には”エジソン電気何でも会社”(エジソン・ゼネラル・エレクトリ
 ック社)が設立された。さらに2年後には、これを別の競争会社と合併させて、189
 2年に「ゼネラル・エレクトリック(GE)」が股立されたのである。のちに、全世界
 の”原子力の定刻”を築き、同時に核兵器を握る原水爆の”総本山”となる巨大企業の
 誕生であった。

  このエジソンが1896六年に、レントゲン博士のX線の発見に触発されて、X線画
 像を見ることができるX線透視装置を発明し、その実験台に助手のクーフレンス・ダリ
 ーを使った。
  ところがダリーはかわいそうに、この実験のために、両手、両足に何度もX線を浴び
 た結果、皮膚癌に冒され、両手も両足も手術で切断されてしまった。ついには癌が原因
 で死亡してしまったのである。このときエジソンは、初めてX線の危険性に気づいて、
 一切のX線の研究をやめることになった。

         ヨーロッパでキュリー夫人をロスチャイルド家が育てる

   さて再びヨーロッパに戻ると X線によるレントゲン写真が発表されたと同じ189
 6年に、フランス人のアンリ・ベクレルが、偶然にも、写真の乾板のかたわらに鉱石を
 置いていたところ、この乾板が強く感光していることに気づいて、おやっと首をかしげ
  た。その鉱石を黒い紙で包み、光を通さないようにしていたのに、写真の乾板が感光す
  るのは不思議なことだった。この鉱石は一体、何だろう。

  その鉱石が、ウランというものであった。ベクレル家は、代々の物理学者で、特に鉱
 物や金属について深い結びつきを持ち、当人も土木技師として鉱物に興味を抱いていた。
 そのため、こうして彼が、プラスの電気を帯びている未知の光線(アルファ線)が出て
 いることを発見し、自然界にあるこの放射線を「放射能」と命名した。

  そうした時代に、ポーランド人女性のマリア・スクロドフスカがパリにやって来ると、
 彼女はピエール・キュリーと結婚し、キユリー夫人となった。このキュリー夫妻にとっ
 て重要なパートナーとなったのが、今述べた「人類として初めて自然界のウランの放射
 能を発見した科学者]アンリ・ベクレルであった。こうして放射能についてキュリー夫
 妻が研究しはじめ、1898年には夫妻が新しい放射性元素を発見して、キュリー夫人
 の故国ボーランドに因んでポロニウムと名付けた。次にキュリー夫妻が発見したのは、
 やはり放射線を出す物質で、今度はラジウム(radium)と名付けた。 

  のちにベクレルとキュリー夫妻の3人が1903年度のノーベル物理学賞を受けたの
 である。
  誰でも、どこかでこの名前を聞いたことがあるだろう。2011年のフクシマ原発事
 故のあと、わが国での食品汚染の基準は、食品1キログラムあたり500ベクレルとい
 うとてつもなく高い基準を設定してしまい、翌年からこれが100ベクレルに引き下げ
 られて、現在に至っている。また、1986年にソ連のチヱルノブイリ原発で大事故が
 起こったあと、危険地帯に指定されたのは、1平方キロメートルあたりセシウム137
 の濃度が1キュリー以上の地域であった。このように大きな量を測る場合にキュリーを
 使い食品などに含まれる小さな量を測る場合にベクレルを使っており、1キュリー=3
 70億ベクレルで換算される単位である。

  これでお分りの通り、こうして現代人のわれわれが使っている「放射能のベクレルと
 キュリー」が、1世紀前にノーベル賞を受けていたわけである。
  さてキュリー夫人が活躍した当時、ヨーロッパ随一のユダヤ人金融王ネイサン・ロス
 チャイルドのひ孫にあたる大富豪のアンリ・ロスチャイルドが、パリにあってキュリー
 夫人の発は、殺菌や衛生についての雑誌を創刊し、病院を建てた医者、ドクトル・アン
 リ・ロスチャイルドだったのである、その一方では、あり余る大金を使っ”エロス号”
 と名付けた豪華ヨットに女優たちを招き、人生を愉しむ道楽男であり、ボルドーの葡萄
 園を経営して最高級ワインのムトン・ロチルドを製造していたというのだから、これは
 大変な男であった。

  こうして「世界一のロスチャイルド金融財閥」が、ラジウムに手を出し、のちに原子
 力産業を取り仕切るようになったのである。というのは、ロスチャイルド家は、そもそ
 もが貨幣の交換によって財を成し、その後も金銀ダイヤ・宝石の支配者となった一族だ
 ったので、彼らは鉱物で世界一の王者であった。そしてキュリー夫人を支援した遊び人
 ドクトル・アンの妻が、幸いにもこのロスチャイルド財閥の鉱山利権を握る「リオ・チ
 ント・ジンク」という大会社を経営する一族であった。

  さらにのちに、そのリオ・チント・ジンク社が、南アフリカのウラン鉱山の利権を一
 手に握ったからである。こうしてキュリー夫人のいたフランスが、現在、”世界一の原
 子力帝国”を築く濫崩となったのである。かくて西側世界では、ロスチャイルド家が全
 世界のウラン鉱山を支配して、今日まで人類史上最大のカルテルを形成することになっ
 た。
  だが、キュリー夫人の夫ピエール・キユリーは、ノーベル賞を受賞してわずか3年後、
 大学からの帰途に荷馬車に瞭かれて即死するという悲運に見舞われた。そして、遺され
 たキュリー夫人の一家にも、次々と病魔が襲いかかろうとしていた。というのも、今か
 ら30年ほど前の1984年にバリで競売に出されたキュリー夫人のノートは、使用さ
 れた当時から80年も経っていながら、いまだに強い放射綿を出し続けていた。したが
 って80年前にそのノートに文字を記していた本人は、強烈な放射能に取り囲まれてい
 たはずであった。かくしてラジウムを精製し、それが放射能の発生源であることを発見
 したキュリー夫人は、1934年7月4日に放射線被曝による白血病で死去したのだっ
 た。

  キュリー夫妻には、ふたりの娘イレーヌとエーヴがいたが、エーヴは物言きとなって、
  イレーヌは母と共に放射能の研究に入っていった。その夫フレデリック・ジョリオがの
 ちにジョリオ=キュリーと姓を変え、フーフンス原子力庁の初代長官となった。一家6
 人でノーベル賞受賞が合計6回という大層な放射能ファミリーを生み出した。しかし、
 キュリー夫人に続いて、イレーヌ・キュリーと、その夫フレデリック・ジョリオ=キュ
 リーの3人が白血病で死亡した。放射能を扱いながら白血病で死ななかったのは、荷馬
 車に轢かれたビエール・キュリーだけであった(放射能に手を染めなかったエーヴは、
 10 2歳まで生きた)。


                                 この項つづく

 

未来のど根性カエルTシャツ

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  滔々たる時の流れには、一個の人間はどうにも抗しきれるものではない。

                                                小野寺 百合子     

 


【未来のど根性カエルTシャツ】

● 衣類のように柔らかく、丈夫なトランジスタ

松山ケンイチ主演の実写化テレビドラマの「ど根性ガエル」がし話題となっている。そん
なTシャツが近未来に「可撓性薄膜ロボット」として出現するかもしれない。そんな夢を
実現するかのような技術開発に成功したと産総研が発表した(上図ダブルクリック)。こ
の発明は、上図(右上)のような、ソース、ドレイン、ゲートに用いる電極に導電性単層
カーボンナノチューブ(CNT)ゴム複合材料、チャネルに半導体的性質の単層CNT、絶縁
層にイオンゲル、基板にシリコンゴムを用いたサイドゲート型トランジスタ。硬い金属や
酸化物を一切使わず、全ての部材が衣類に近い柔軟性をもつ。トランジスタとしての特性
は上図(右上)のようにオン電流は-50マイクロアンペア、オンオフ比は104で、既
報のフレキシブルトランジスタと同等の性能をもつ。

また、上図(右中)に、柔らかさと丈夫さの指標、トランジスタの構成材料と各種金属、
プラスチック、衣類素材それぞれのヤング率と許容弾性ひずみ量を示す。ヤング率は材料
に加わる力と変形との比で、柔らかさの指標で、許容弾性ひずみ量は材料が壊れずに許容
できるひずみの大きさで丈夫さの指標であらわす。トランジスタの構成材料の導電性単層
CNTゴム複合材料、イオンゲル、シリコンゴムは、衣類に近い柔らかさと丈夫さを示す。

そんな物性をもち、上図(下)のようににハイヒールで踏まれても(圧力:約2.5メガ
パスカル)前後のトランジスタ特性を示すという。また、このトランジスタは、全ての部
材が一体化し変形することで、界面での応力やひずみの集中が抑制され、オン電流、オン
オフ比などのトランジスタ特性にほとんど変化がないという優れもの。柔らかいセンサや
エネルギーデバイスや有機エレクトロルミネセンス表示器と薄膜ワイヤレス通信器と統合
し、医療用の人体圧力分布センシングシステム、ヒューマンモニタリングシステムやデジ
タルサイネージなどの薄膜音響ディスプレイとして応用できる。未来のど根性カエルTシ
ャツ――衣類のように身に付けることができ、身体に負担を与えないウェアブル」なデジ
タル薄膜電子通信機器事業の発展に貢献する。


   

【オールバイオマスシステム完結論14: 保安伐採樹木の利用】

高齢者の企業内事業(企業内シルバー人材センタ)として、緑化美観事業があったが、街
路樹の美観と配電設備の保安のための伐採事業を外化展開できないかと考えことがあった。
勿論、事業外化であるいじょう、道路分離帯の除草やなどを含め回収バイオマスのエネル
ギー変換事業計画を構想したが、3・11東日本大震災前ということもあり、サスペンド
にあったが、株式会社 トーエネックが保安伐採業務(電力会社の配電設備の保安の樹木を
伐採する業務)で伐採した樹木を、木質バイオマスとして有効活用する取り組みを6月よ
り開始している。

同社は(上写真クリック)これまでは、保安伐採業務で伐採した樹木を所有者から処分を
依頼された場合、廃棄物処分していたが、木質バイオマスとして活用。木質バイオマスは
バイオマス発電所などの燃料に使用する。現在は、保管場所を保有しているなどの条件か
ら3つの事業場(一宮・津・桑名)でこの取り組みを実施。今回の取り組みでは、年間約
4百トンを見込んでいる。今後は、現在の3事業場の運用方法などを基に、伐採樹木を木
質バイオマスとして取り扱う事業場数を増やしていくという。

わたし構想した段階では、(1)天候が悪くても、落ち葉などの自動回収車や(2)街路
などの高木の自動伐採回収自動車、(3)回収したバイオマスの前処理、(4)回収バイ
オマスのエネルギー変換――(1)バイオディーゼル燃料化、(2)バイオエタノール化、
(3)バイオマスボイラー、(4)バイオマス発電なども含めた――事業を構想していた
が、同社の知財にはそれらに関連するものはないが、この事業化の展開如何では、面白く
なりそうだ。

 

【パーキンソン病克服論: 重篤度の可視化】 

パーキンソン病は、脳が出す運動の指令がうまく伝わらず、スムーズに動けなくなる病気。
1817年、ジェームズ・パーキンソン医師が初めて報告し、それにちなんでつけられた。
50~60歳代で発症することが多く、ゆっくりと進行し、日本人の約千人に1人がこの
病気にかかると考えら、また、高齢者に多い病気とされるが、若い人でも発症するといわ
れる。パーキンソン病の主な症状は「手足がふるえる(振戦)」「筋肉がこわばる(筋固
縮)」「動きが遅い(無動)」「バランスがとりづらい(姿勢反射障害)」の4つです。
その他にも、トイレが近くなったり、よく眠れないなどの症状もある。これらの症状は、
千差万別で、病気の程度によっても変わる。

東北大学の小山内実准教授らの研究グループは、神経変性疾患の一種「パーキンソン病」
の症状の重さを可視化する手法を開発。脳の領域を磁気共鳴断層撮影装置(MRI)で観
察し、同病の重篤度と関連して、神経活動が増加する領域を発見。同病の(1)発症メカ
ニズムの解明や(2)早期診断法の開発につながる可能性がある。神経活動に伴って造影
剤が細胞内に蓄積することに着目。同病のモデルマウスをMRIで観察し解析。同病は世
界で2番目に患者数が多い難治性の脳・神経疾患で、現状では、死後の脳組織を検査する
以外に同病を確定的に診断する方法はなかった。

 

 

 
 【縮原発論 14: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

     第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈

                                     原子爆弾のアイデアが誕生した

  いよいよ、原水爆の開発が、いかに現代の原子力産業に受け膠がれ、社会を蝕んで
 きたか、モの道理を探ってみなければならない。実は、現代人のわれわれが気づかな
 いすべての答が、”この少し前に起こった重大な出来事”にあったのだ。
  歴史の時計に夜光塗料を塗って、再び時計の紺を逆回りにして、くわしく追ってみ
 よう。
  1938年12月、ドイツ人の化学者オットー・ハーンとフリッツ・シュトーフス
 マンが、ウランに中性子という粒子を照射した時、ウランよりも原子量が半分ぐらい
 の小さな原子バリウムが生まれたことを確認し、その原因が「ウラン原子が割れた核
 分裂」であることを発見した。

  この世界的な大発見は、大西洋を渡ってアメリカのプリンストン大学教授ニールス
 ・ボーアに伝えられ、そこからエンリコ・フェルミに伝えられた。フェルミはイタリ
 アの物理学者で、この1938年にノーベル物理学貢を受賞した。だが、ノーベル貢
 受賞式K参列するためスウェーデンのストックホルムを訪れると、そのままユダヤ大
 のラウラ夫人と共に、ファシスト独裁者ムッソリーニの迫害から逃れるためアメリカ
 に亡命していたのである。

  このハーンとシュトラスマンが発見した「原子の核分裂一という現象の発見は、全
 世界の物理学者にとって、きわめて重大なことを意味した。なぜなら1905年に、
 ドイツ生まれの、当時スイス国籍だったアルベルト.アインシュタインという人物が
 E=mc2 という式を発表していたからである。アインシュタインは、相対性理論に
  よって、「質量とエネルギーが相互に変換され、この時、E=mc2 の式で表わされ
  る関係がある」ことを示していたのだ。
 このE=mc2の式の記号は、

  E=エネルギー
  m=質量
  c=真空中の光速度=2.9979 × 1010 cm/sec である。

  その後分ったことだが、ウラン235の原子核が中性子を受けて核分裂すると、分
 裂して生まれる原子の質量の合計は、ウランの原子核をつくっている陽子と中性子の
 質量の合計よりも小さく(軽く)なる。これは、質量mがエネルギーEに変換され、
 エネルギーとして放出されるからである、と考えることができた。つまり、原子核が
 分裂すること虻よって、とてつもなく巨大なエネルギーが出るのだ、ということが、
 アインシュタインの式に含まれている光速度Cから推論されたのである。しかもウラ
 ン1キログラムに含まれる原子の数は2・5×10の24乗、つまり、2,500,000,000,
 000,000,000,000,000個もあるから、核分裂の熱量の大きさは、TNT火薬に換算す
  ると、桁違いの巨大なエネルギーである、と。


※ 質量とエネルギーの換算式

 ← Click here!

因みに、体重50キログラム人間の構成物質の総消滅エネルギーは、
4.493775894E+18ジュール。
TNT火薬なら1,074.038216メガトン分に相当。


  ここに、原子爆弾という兵器のアィデアが誕生したのである!
  翌1939年の3月には、コロンビア大学の工学部長からアメリカ政府に、「これ
 までにない破壊力を持つ原子爆弾という兵器をつくってみてはどうか」と、進言がな
 された。
  1939年10月11日には、すでにユダヤ人弾圧が続くヨーロッパを逃れてアメ
 リカに来ていたユダヤ人アィンシュタィンが8月2日に署名した書簡が、フランクリ
 ン・ルーズヴェルト大統領に出され、「ナチス・ドイツが原子爆弾を製造している可
 能性がある」ということを警告した。

  アィンシュタイン書簡の要旨は、次のようであった。
 
  ―エンリコーフェルミとレオ・シラードの研究によれば、ウランの連鎖反応によっ
   て新しいエネルギーを生み出すことができ、これによって、とてつもなく大きな
   威力を持った新型の爆弾を製造することが可能である。アメリカにはそれに必要
   な大量のウランはないが、ウランの重要な産地は、カナダと、チェコスロバキア
   と、ペルギー領コンゴ(アフリカ)にある。
   そのためには、ウランの確保と、資金の確保が必要である。
   ドイツでは、国務次官の息子ワィツゼッカーがこの研究に関与している―

  よく読めば、不思議な手紙である。兵器の製造を勧告する科学者が、最初からこの
 ようにウランの確保と、資金の確保が必要であると、まるで実業家のような言葉を記
 していた。それが、アインシュタイン書簡の特徴である。アインシュタインにこの手
 紙を書かせたのは、書簡に登場するレオ・シラード本人であり、彼は、H・G・ウェ
 ルズのSF小説から原爆の着想を得たと言われている。実際には、シラードが書いた
 手紙陀アインシュタインが署名しただけである。すでにシラードは、核分裂を連鎖反
 応によって連続的におこなわせることが可能であることを、この3月に実験によって
 確認して、ウーフン爆弾の誕生について見通しがついていた。

         しかしシラードに手紙を書かせたのは誰だったのか?

  第二次世界大戦が勃発して、原爆製造計画が始動した!
  その手紙が大統領虻手渡される前の月のことだったが、1939年9月1日、ドイ
 ツがポーランドに侵攻して弟二次世界大戦が勃発し、2日後にイギリスとフランスが
 ドイツに戦布告したのだ!!
  翌月10月11日に「8月2日付けのアインシュタイン書簡」を受け取ったルーズ
 ヴェルト大統領が、翌日の12日にウラン爆弾の製造にかかるよう命令を発し、その
 作戦頭脳としての”ウラン諮問委員会(Advisory Committee on Uranium)”が設立され、
 超極秘計画がスタートした。この”超極秘”というのは、ルーズヴェルトが急死した
 あと大統領に就任した副大統領トルーマンでさえ、ルーズヴェルトが死ぬまで、まっ
 たくこの作戦を知らされなかった、という意味である。しかしそれより驚くべきこと
 に、前線の最高指拝官をつとめた太平洋戦争のマツカーサー将軍も、ニミッツ海軍提
 督も、ノルマンディ上陸作戦を指揮したアイゼンハワー将軍も、最後の最後まで、い
 よいよ原爆が使用される時期を迎えるまで、この作戦計画を知らなかった。

  では、それを知っていたのは、誰であったか。
  開戦から8ケ月後の1940年4月には、イギリス空軍が原子爆弾の可能性を調査
 する委員会を設立して検討したところ、”てつもない爆発力を持つ爆弾”の製造が可
 能である、との結論を得た。これがアメリカ政府に伝えられ、アメリカが原爆に本腰
 を入れるようになった。

  そこでイギリス政府はただちに、この特殊爆弾の製造研究の開始を命じたが、同時
 に敵国ナチス・ドイツもそれを製造できるだろう、いやむしろすでに製造に着手して
 いるおそれがある、との危機感を抱いた。というのは、先に述べたように、開戦前年
 にウランの核分裂を発見したハーンとシュトラスマンがドイツ人だったからである。
 加えてドイツは、ウランの咳分裂の連鎖反応を突き止めたらしく、チェコスロバキア
 にあるウラン鉱山をナチスがすでに制圧していたのだ。

  そこでイギリスは、数百人の研究員をつぎこむかたわら、原爆製造に必要な重水が
 ヨーロッパでただ1箇所、北欧ノルウェーのノルスク・ヒドロ社で製造されていたた
 め、ナチスに先手を打って、その重水をすべて買い占め、フランスヘ持ち運ぼうとし
 た。この重水は、放射陸物質の重水素に酸素が結合した重い水であった。なぜ重水が
 必要であったか?

  天然ウランの中には、「核分裂するウラン235」がわずかにO・7%しか含まれ
 ていない(残り99・3%は、核分裂しないウラン238である),このウラン23
 5は、速度の遅い中性子を受けると、核分裂を起こしやすくなる。そこで現在の全世
 界のほとんどの原子力発電では、まず天然ウーフンのなかに微量しかない「核分裂す
 るウラン235」を数%濃縮する。そして、核分裂で飛び出す高速度の中性子を 普
 通の水のなかを通して速度の運い中性子に変え(減速し)、これをウラン235にぶ
 つけて核分裂が起こりやすくしている。

  このウラン235をさらに90%以上の高濃度に濃縮すれば、核分裂の連鎖反応を
 一瞬で効率よくおこなわせ、原子爆弾をつくることができるのだ。ところが当時は、
 まだそのウラン235を濃縮する技術がなかった。そのため原爆を製造するのに、重
 水を使えば普通の水と同じように中性子のスピードを遅くできるばかりでなく、重水
 は水素の原T核に中性子を持っているため、普通の水より中性子を吸収しにくい(核
 分裂を邪魔しにくい)ので、濃縮していない天然ウランを使っても核分裂の連鎖反応
 が可能になる」として、この重水がどうしても必萎だったのである。

  ところが、開戦翌年の1940年6月10日に「重水を持つノルウェー」がドイツ
 に降伏してしまい、6月14日には、ドイツ軍がパリヘ無血入城していたのだ。こう
 してノルウェーとフランスが次々とナチスに占領される危機の中で、イギリス郡部は
 かろうじてイギリスのケンブリッジ研究所へ重水を運びこむことに成功した。しかし
 それだけでは安心できないので、1943年2月には、ノルウェーの工場にゲリラ部
 隊が潜入して、ドイツ兵が警護する重水工場の重要な部分を破壊して、ドイツが原爆
 を製造できないようにした。

  一方アメリカ軍は、この類型爆弾の製造に適した大量のウランを確保する見通しが
 なかったが、ヨーロッパでは、それを確保できそうだった。アインシュタイン書簡に
 書かれていたように、アフリカのコンゴ(現ザイール)にウランの豊富な鉱山があり、
 鉱山会社のウニオン・ミニエール社が支配し、そこをベルギーが植民地としていた。
 すでにこうした事情を察知していたのが、イギリスの海軍大臣チャーチルであった。
 彼の一族がウニオン・ミニエール社の重役室に入っていたため、チャーチルは早くも
 手を回してウランを確保しようとした。

  ところがナチス・ドイツは、すでに開戦翌年の1940年5月10日に、ベルギー、
 オランダ、ルクセンブルクのベネルクス三国に、最後通告を発したとみるまに奇襲攻
 撃をかけて侵攻し、占領していたのである。したがって連合国側は、コンゴのウラン
 も”ベルギー経由”では入手できなかった。イギリスのチェンバレン首相は、ヒット
 ラーの野望をおさえようとドイツに対して宥和政策をとってきたが、このベネルクス
 侵攻事件によって辞任に追いこまれ、この5月10日に戦争麺チャーチルが首相の座
 に就いたため、この時から挙国一致内閣が組織され、本物の世界戦争がはじまったの
 である。ルーズヴェルト大統領とチャーチル首相の重大な関係が確立されたのがこの
 時だった。

  こうして連合国側とナチス・ドイツ側はそれぞれ、さまざまな知恵を使って、原爆
 製造計画で秘かに先を争っていた。1940~41年にかけて、ナチス空軍がイギリ
 スの16都市を空襲し、首都ロンドンも百万軒の住宅が大被害を受ける危機となった。
  そのため、イギリスの原爆研究所もナチスの空爆の危険祀さらされてきた。こうし
 てイギリスは、大西洋を渡って研究組織をそっくりアメリカに移すことになった。
  そして開戦から一年半後の1941年2月23日、アメリカの化学者グレン・シー
 ボーグ博士たちが、カリフォルニア大学バークレー校で、サイクロトロンと呼ばれる
 粒子加速器を使って、ウランに重水素を衝突させる方法により、世界で初めてプルト
 ニウムを合成・分離した。そして2月28日には、このプルトニウムもまた核分裂を
 起こすことを証明した。ここに新たな原爆材料が誕生したのだ!

  だがこの時、アメリカは中立を言言したままで、まだ世界大戦には、参戦していな
 かった。

                   真珠湾攻撃で一変した全世界

  ところがその年の慕、1941年12月8日(日本時間午前2時)、狂気に取り憑
 かれた大日本帝国の軍隊がマレー半島に上陸を開 始して、アジア全土の侵略をはじ
 めた。そして午前3時には、ハワイの真味湾ヘの奇襲攻撃を開始したのだ(ハワイ時
 間こ1月7日午前8時)。このパール・ハーバー攻撃によって、アメリカの艦船を大
 量に破壊し、軍人2326人が死亡1900人が負傷したのである。
  奇襲というより大虐殺であった。
  真珠湾攻撃から一夜明けた12月8日、激怒したルーズヴェルト大統領がアメリカ
 議会に日本への宣戦布告決議を揚出し、上院が満場一致で可決し、下院は賛成388
 対反対1で議会を通過し、アメリカとイギリスかただちに日本に宣戦布告した。

  真珠湾攻撃のニュースに驚いたのは、誰よりもヒットラーとムッソリーニだったの
 である。というのはこの4年前の1937年11月6日に日本・ドイツーイタリアが
 ”三国防共協定”を調印し、1940年9月27日にもベルリンで、外相・松岡洋右
 (103頁の系図――安倍晋三の一族)がヒットラー政権と”日独伊三国同盟”に 調印
 して、ファシズム枢軸体制を確立していたから、当然ドイツとイタリアも「日本と組
  んでアメリカに攻撃した仲間」とみなされることになり、アメリカという大国を敵に
 して戦争しなければならなくなったからである。
  ヒットラーとムッゾリーニが丸二日間も考えたあと、ようやく苦悩の果てに出した
 結論は日独伊三国同盟による世界制覇の野望へと変り、三日目にアメリカヘの宣戦を
 布告したのである,

  時のアメリカ大統領ルーズヴェルトの本心はどうだったのか。いまや全米のアメリ
 カ人が真珠湾奇襲攻撃をした卑劣な日本人への憎悪を燃やしているのだ。この日をこ
 そ、ルーズヴェルトは待ち望んでいた。”真珠湾攻撃”の予報は、すでに暗号文が解
 読されて、アメリカには分っていた。”奇襲”されるまで待ったのは、事情があった
 からである。
  その証言者としてイギリス首相ウィンストンーチャーチルがいる。彼の著書『大同
 盟』には、次のような記述がある。

  ――ルーズヴェルトは、中立を守っているアメリカを戦争に介入させるよう強く望
    んでい た。しかし彼はその方法を知らなかった。そのため日本軍の真珠湾攻
    撃は、アメリカ国民全体を一致団結させ、ルーズヴェルトの戦争介入の責任を
    大きく軽減させたのである。
    
  また、アメリカ陸軍参謀総長のアルバート・ウェデマイヤー将軍は、自著『ウェデ
 マイヤーは報告する!』のなかで次の事実を明らかにしている。

  ――輿痛罵攻撃の前日、日本の暗号文を解読した結果、ルーズヴェルトは奇襲を事
    前に知っていた。大統領顧問が予防措置をとるよう進言したが、ルーズヴェル
    トはその必要なしと答え、「民主主義のためには、立派な記録を残せるよう事
    態の進展を待たなければならない」と語った。

  その事態の進展とは、一体何だったか。

  奇襲四日前の”シカゴ・デイリー・トリビューン”には、一面トップに「ルーズヴ
 ェルトの戦争計画」がスクープされ、大統領がいかに戦争を待ち望んでいるかが報道
 されていた。
  その罠に落ちるように、大日本帝国が奇襲したのである。日本の真珠湾攻撃と、ド
 イツのアメリカ宣戦布告の日から、全世界の事情は一変した。
  ルーズヴェルトは、歴史的には、二次大戦のファシに”日独伊三国同盟”軍を打ち
 破りた崇高な人物として讃えられてきたが、それだけが彼の姿ではない。実際には、
 大統領顧問がアメリカ最大の財閥モルガン商会の会長トマス・ラモントであった。そ
 の一方で、財務長  官には隣家の友人であるユダヤ人、ロスチャイルド財閥のヘン
 リー・モルゲンソーJrが就いて、大統領の資金バトロンとなっていたため、ドイツ
 におけるユダヤ人弾圧と虐殺に対して、大統領も激しく憤ってアメリカ参戦を望んで
 いたのだ。

  また、大統領の息子であるフランクリン・ルーズヴェルトれは、アメリカ軍需産業
 の総元締めをつとめる全米一の爆弾製造会社デュポン京の娘エセル・デュポンと結婚
 し、モルガン商会と共同事業をおこなう関係にもあった。さらに、もうひとりの息子
 ジェームズ・ルーズヴェルトは、モルガン家とロックフェーフー家の盟友である鉄道
 王ハリマン家の閔閥に入っていた。こうした関係から、ルーズヴェルトは、モルガン
 財閥が所有する全米一の大企業USスチールとも提携し、大統領選挙ではロックフェ
 ラー財閥のスタンダード石油、モルガン財閥の死の商人デュポン、ゼネラルーエレク
 トリック(GE)などの軍需企業がルーズヴェルトを支援した。つまり、ヒットラー
 やチャーチルと同じように、ルーズヴェルトも非常に好戦的な人間であったのだ。
  その国に戦争を仕掛けたのが、大日本帝国だったわけである。

                                この項つづく

 

【近代史再考:ヤルタ密約】

ヤルタ密約は、以下の概要からなる。   

(1)1945年2月4日~8日ルーズベルトとスクーリンが会談。
  スクーリンは対日参戦の条件を提出、ルーズベルトはそれを了承、チヤーチルも後に署
  名し3考で「極東問題に間するヤルタ協定」が取り交わされた。極秘で1年間公表せ
  ず。「中ソ友好同盟条約」はこの密約から出発。
(2)スターリンの要求(前年12月14日スターリンと米国駐ソ大使ハリマンの予備会
  談で提示済み)

 ①千島諸島とサハリン島(樺太)南部のソ運への返還(ポーツマス条約以前の状態へ)
 ②絹唄、天運港、周辺地の昇租借。
 ③満州の鉄道租借
 ④外モンゴル、「モンゴル人民共和国]の独立承吼
       
 尚、中国の蒋介石は事前にツンボ桟敷。理由は日本への秘密「漏洩」の危険性のため。。
また、スターリンの要求の理由。ソ運国民を説得するための大義名分として「アメリカは
参戦を懇願する立場に置かれ、スターリンは請け負う考として高価な報酬を求めて来た」
とする。

(3)密約調印:ソ米英3国は、ドイツが降伏して2、3ケ月後、以下の条件で、ソ連が
  連合国側に耕して対日戦争に参加することで合意。

 ①外モンゴル(モンゴル人民共和国)は現状のままとする。
 ②ソ連はかつてロシア帝国が有していた権利を回復する。この権利は1904年日本の背信
  的攻撃によって破壊されたものである。

 (甲)サハリン島南部およびそれに連なる各島はソ連に返還される。
 (乙)大連商港は国際港として開き、ソ連は開港における優越的権利をf呆障される。
   また網槙はソ連の海軍基地としての租借権を回復される。
 (丙)中東鉄路原詩鉄面及び天運に通じる南淡鉄路(南満州鉄道)は、中ソ双方による
   合弁会社によって経営し、ソ連の優越的権利が保障される。中国は満州において完
   全なる主権を有する。

 ③千島諸島はソ遂に引き渡される。

 ただ、上述のモンゴル、旅順、大連、並びに中東・南満鉄路の諸点に関しては、必ず中
国の蒋主席の同意を必要とする。ルーズベルト大統領はスターリン元帥から通告のあり次
第、蒋主席の同意を得るよう施策を講じる。
3大国首脳は、日本が撃破された後に、ソ連の以上の要求が必ず実現されることについて合
意した一方、ソ連は中国が日本より受けている束縛から解放するために、軍隊をもって援
助すべく、中国国民政府と中ソ友好条約を締結する用意があることを表明する。
     
   ヨシフ・スターリン/フランクリン・ルーズベルト/ウィンストン・チヤーチル

                            1945年2月11日


ソ連はドイツ降伏の後、三ヶ月をめどに対日参戦する。情報士官・小野寺信は亡命ポーラ
ンド政府のユダヤ系情報網から、ヤルタ会談の密約を入手。それは杉原千畝が亡命ユダヤ
難民に与えた「命のビザ」への見返りだった。その情報を東京の参謀本部に打電したがヤ
ルタ密約電を受け取りながら、参謀本部の中枢が抹殺してしまった(『消えたヤルタ密約
緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―』岡部 信 新潮社)。崩壊直前ながら、ドイ
ツはインテリジェンス・サイクルが回り、しっかりした分析、情報共有ができていたのに
対し、参戦を決めていたソ連に仲介和平の望みを託した日本は、目前の和平工作で頭がい
っぱいになり、ソ連参戦情報をノイズ(雑音)と受け止め、抹殺したのだろう。日本は国
家として情報を分析、判断する能力が低かったとは、作家で元外務省分析官の佐藤優は、
こう語っている。

また、小野寺情報を握り潰した人物として、瀬島龍三、梅津美治郎など名前が挙がってい
る。歴史に「もしも」はないが、ヤルタ密約をめぐる情報を政府部内で共有できていれば、
広島、長崎への原爆投下を回避でき、ソ連の対日参戦、そして北方領土の占領を防げたと
作家・外交ジャーナリストの手島龍一の指摘があり、また、『私のシベリヤ抑留記』(小
池書院)の著者・高橋秀雄は、「日本軍将兵は武装解除の後に平和的に家庭に帰す」(
『ポツダム宣言』)が有るにも関わらず、日本政府から、将兵の帰国要求申し入がなく、
63万余の将兵が長年に渡って、酷寒の地シベリアでの強制労働、飢餓を味わうことにな
った述べている(「政府中枢にいてソ連に忠誠を尽くそうとした『軍国主義者』たち~~
ポツダム宣言8」)。蓋うに、事実は小説より奇なり、である。

 

桜島レベル5の懸念

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  日本列島は異常なほど静かだっただけと言えます。/ 島村 英紀  

 

※ 百年間静かだった日本列島 1世紀に4~6回の大噴火は「通常の範囲内」

気象庁は15日午後、鹿児島県・桜島でこれまでの規模を上回る噴火が起きた場合、噴火警戒レ
ベルを4(避難準備)からさらに5(避難)に引き上げ、鹿児島市が桜島全域の住民を避難させ
る事態も想定している。桜島の南岳直下で山性地震が多発し、山体膨張を示す急激な地殻変動が
観測されたのは、海面下4~6キロにあるマグマだまりからの上昇圧力が高まっている。マグマ
の通り道である火道を広げようと岩石が割れ、地震が起きているのではとのこと。地球物理学者
の島村英紀は、「火山・地震国日本では原発は無謀」と指摘していることもあり(日刊ゲンザイ
2015.07.06)、多角的な警戒が必要だ。


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エコとスマホ充電のらめの自転車発電機「CydeKick Pro」。磁力を利用して発電を行って、電力
を貯めておくことができるし、USB 付きヘッドライトに電力を供給されるし、手持ちのスマホに
充電できて、電池残量を心配せず、安心してサイクリングを楽しめる。自転車ずきにはおもしろ
いアイテムかも。

 

 

 

 
 【縮原発論 15: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 

 

    第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈

          ”マンハッタン計画”はいかにしてスタートしたのか

  すでに原子爆弾を製造するというアイデアが生まれていたので、年が明けた1942年に
 は、「極秘裡」に原子爆弾を製造するための「マンハッタン計画」か具体的にスタートした。
 そして「広島と長崎に原爆が投下されるまでの経過」は、以下の通りでありたと、書物に書
 かれてきた。さらにアメリカ人も日本人も、みな「世界大戦を終りせるために原爆か投下さ
 れた」という説明を信じてきた。
  ところが、以下の歴史は”嘘だらけ”なのである。読み進めれば、読者もすぐに「おやっ
 ?おかしい」と気づくはずだ。以下の文中から、隠れている原爆製造の犯人を見破っていた
 だきたい。



  まず初め、原爆を製造するために駆り集められた料学者たちはこう考えた。
  マッチ棒を上の図のように並べておき、左側のの一本目に火をつけると、どうなるか。
  そう、次々と燃え広がってゆくだろう。同じように濃縮ウランでも、核分裂によって飛び
 出す中性子か2個以上あれば、雪崩のように核分裂の連鎖反応を起こし、100万分の1秒
 単位で巨大なエネルギーが放出されるはずだ。
  1942年6月18日には、それまでの実験成果を「本柿的な原爆製造」に切り換えろた
 め、陸軍のなかに企1本部が設けられ、暗号名。マンハツタン工学管区(Manhattan Engine-
    ering District)と呼ばれる極秘プロジェクトがスタートした。これが一般に原爆製造で有名な
 「マンハッタン計画」とよばれるものであった。

  さらに.1ケ月後の8月17日に、ルーズヅベェルト大統領の指令のもとで、基本的な製
 造研究とは別に、先を見越して大々的に原爆を量産しようという工場計画か猛然たる勢いで
 頭を持ちあげてきた。
  陸軍省がウラン爆弾計画の全権を掌握することKなり、西部の砂漠地帯、ニューメキシコ
 州のロスアラモス研究所に、「プリンストン高等研究所」のロバートーオッペンハイマー博
 士を所長――総責任者として任命した。そして、総指揮官レスリー・グローヴス准将のもと
 でマンハッタン計画の暗号名で呼ばれる極秘の原曝製造研究が正式にスタートし、ロスアラ
 モスに続々と科学者と研究者が送りこまれた。これらの実動部隊は、まだ連鎖反応が成功す
 る前に組織がスタートするという手際のよさであった。



  原爆部隊は、当時全世界に存在する純粋ウランはわずかスプーン1杯にも満たない数グラ
 ムと言われるなかで、トン単位のウランを手に入れなければならなかった。そこで、ウラン
 原料を調達する部隊がつくられ、弾薬会社「デュポン」、電機メーカー「ウェステイングハ
 ウス」、化学会社「ユニオン・カーバイド」の三社を核として、全世界ヘウラン供給ネトワ
 ークか張りめぐらされた。

  このうちウェスティングハウスか、マンハッタン討画の正式スタートから3ゲ月後に、早
 くもミトンという大量の純粋ウランを本部に届けた。ウランが6トンになったところで、研
 究所をコロンビア大学からシカゴ大学に移して、燃料が組み立てられた。このシカゴ大学は、 
 創設者が「石油王ジョン・D・ロックフェラー」その人であり、「モルガン・パーク・セミ
 ナリー」も設立され二大財閥の傘下にあった。
  全財界のトップの科学者が見守るなかで実験ぱ大急ぎで進められ、翌月のことだったが、
 この実験炉で世界で初めての”核分裂の連鎖反応”が成功し、歓喜の声が渦巻くなか、ここ
 にようやく原子爆弾の可能性が実証されたのであった。
 
  真珠湾攻撃から一年後にあたる1942年12月2日に、イタリアの物理学者エンリコ・
 フェルミと、ハンガリーの物理学考レオ・シラードが、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シ
 カゴ・パイル1号」を完成して臨界に達し、史上初めて原子核分裂の連鎖反応を維持するこ
 とに成功したのである
  166頁の図のように、核分裂の連鎖反応が持続された時、これを「臨界一という。原子力
 発電用の原子炉では、原爆のような超高速の雪崩となる連鎖反応を起こさないように、核分
 裂するウラン235の濃縮度を低くしておき、一定のエネルギーが放出される臨界状態を持
 続するようにして、熱エネルギーを取り出す。
  
  このシカゴ大学では、重水を使わず、黒鉛によって中性子のスピードを減速して核分裂を
 起こさせ、その核分裂で飛び出す中性子を、天然ウランのなかの「核分裂しないウラン23
 8」にぶつけて「プルトニウム239」を生み出すというメカニ。スムであった。その反応
 に初めて成功したのである。
  ブルートニウムは、自然界には存在しないが、地球上で最大の原子であるウランに中性子
 を吸収させると新しい巨大原子に成長し、危険な核分裂を起こしやすい原子に変ることが分
 っていた。これを、地獄の魔王プルートンに因んで、プルトニウムと命名していたのである。

  この新部隊の実験は、すでにウランを手がけているシカゴ大学とデュポン社の手に委ねら
 れた。

  同じ1942年12月から、最初のブルトニウム生産炉が東部テネシー州オークリッジに
 建設されたが、その後、兵器商人デュポン社が中心となって、プルトニウム生産用の大型炉
 がアメリカ北西部のワシントン州ハンフォードに、山と砂漠に囲まれて人目につかない場所
 を選んで建造され、Cのプルトニウムを使って最初の原子価弾を製造することになった。
  砂漠のロスアラモス研究所にウランとプルトニウムを大量に送りこむため、こうしてふた
 つの秘密工場が建てられ、オッペンハイマー所長を力づけた。

  オークリッジエ揚がウラン濃縮を担当して、主として次のメンバーが活躍した。
  カリフォルニア大学」と「コロンビア大学」が研究部門、「ゼネラルーエレクトリック(
 GE)」、「テネシー・イーストマン」、「M・W・ケロッグ」「ユニオン・カーバイド」
 が製造部門を担当した。
  プルトニウムを製造するワシントン州ハンフォードエ場では、主として次のメンバーが活
 躍した。「ハーヴァード大学」と「シカゴ大学」の研究部門、「スタンダード石油開発」「
 デュポン」などの製造部門、である。

  こうしてロスアラモス――オークリッジ――ハンフオードが三位一体となって、マンハッ
 タン計画が着々と成果をあげていったが、このブロジェクト全体を指揮する企画本部がその
 上に立ち、これは次の5人のメンパーで構成されていた。
  議長が「スタンダード石油開発」の副社長イーガー・マーフリー、委員は「ウエスティン
 グハウス」、「M・W・ケロッグ」、「ユニオン・カーバイド」、「マサチュセッン工科大
 学]で構成されていた。

  これらのメンバーが1943~44年のあいだにフル回転で活動すると、延べ46万人と
 いう膨大な数の人間を動員し、22億ドルの大金を注入された3つの工場は、悪魔に取り憑
 かれたように気勢を上げながら、原爆材料を生み出しはじめた。この金額は、当時と、フク
 シマ原発事故が起こった2011年時点のアメリカ国家予算に対する比率で比較すると、今
 日の748億ドル、およそ10兆円に相当するという信じ難いものであった。

  しかし原爆の製造に成功する前に、1945年4月12日にルーズヴェルト大統領が急死
 してしまい、副大統領のトルーマンが大統領に昇格し、4月30日にヒットラーが自殺して
 翌月、5月7~8日にドイツ軍が連合国への無条件降伏文盲に調印したのだ。
  一日も早く原爆を、と願う科学者の努力も虚しく、最後にはヨーロッパの敵がふと消えて
 しまったのだ。イタリアはすでに2年前の1943年7月25日にファシスト政権が崩壊し、
 ムッソリーニ首相が逮捕され、9月8日にイタリアが降伏していた。ここに、ドイツが無条
 件降伏してしまった。

 「なんということだ。われわれは何をやってきたのだ。いや、待て、まだ日本が残っている。
 まだ降参するなよ。頭の上に一発でかいやつをお見舞いするまで」
  こうして原爆製造研究はそのまま進められ、ついに合計3個の原子爆弾が完成し、7月に
 はテストの準備が完了した。


              原爆の実験に成功、そしてヒロシマ・ナガサキ


  そして1945年7月16日の早朝5時30分、ハンフオードで生み出されたプルトニウ
 ムを使って西部ニューメキシコ州の最南端、メキシコ国境に近いアラモゴルドで人類最初の
 原爆実験がおこなわれた(167頁の地図参照)。
  アメリカで最初に原爆が作裂した瞬間の閃光と轟音は、すさまじいもので、そこに立ちの
 ぽったキノコ雲の威力は、いかなる科学者の予測も超える大きなものであった。
  のちに原曝の父と呼ばれるロスアーフモス所長オッペンハイマーは、その閃光を目にした
 瞬間、「この世の終りだ」と感じたという。この記念すべき場所は、三位一体《トリニティ
 》と名づけられた。

  そして翌17日、原爆成功のニュースを胸に秘めて連合国の米英ソ首脳のポツダム会談に
 臨んだのが新大統領トルーマンであった。彼ら首脳は26日にポツダム宣言を発表して日本
 の無条件降伏を求めたが、日本があっさりそれを無視した。それから10日後であった。
  ポール・テイベッツ大佐は、夜になるとそっとB29に近づき、その爆撃康の機体に自分
 の母親の”エノラ・ゲイ”という名前をペンキで書いた。翌朝、彼は同乗のパイロット、ロ
 バート・ルイスと共にこの飛行頭に乗りこむと、操縦席に貼ってある女優リタ・ヘイワース
 のピンナップ写真にウィンクしてから、サングラスをかけ、広島へ向かって飛び立っていっ
 た。この機体が抱いていたのは、オークリッジエ場のウランを使った原爆だった。

  アラモゴルドの実験から三週間後8月6日、広島に15キロトンのウラン原爆リトル・ボ
 ーイか投下された。 
  爆心地は100万℃という灼熱の温度に達し同時にすさまじい爆風が起こって、熱風が地
 を払い、強烈な放射線が人間の体を射抜いた。広島市では、年末までに14万人の命が消え
 た。生き残った人たちにも、膨大な数の被傷者と、黒い雨と、降り積もる死の灰の汚染によ
 る被曝考が生み出され、放射線の後遺症が今日まで人々を苦しめ続けている。

  続いて三日後の8月9日、ハンフオードエ場で製造された22キロトンのプルトニウム原
 爆フアット・マンが長崎に投下された。長崎でも年末までに7万4000人の向がこの世か
 ら消し去られ、すさまじい被害の状況は広島と同じであった。特に死の灰が流れた渓谷地帯
 では、大量の白血病が発生した。
  トルーマン大統領はオッペンハイマーが興奮する様Fを観察しながら、連れの者にこう言
 りた。
 「あいつの顔を二度と見たくない。いいか、奴は原爆を作っただけだ。しかしそれを爆発さ
 せた人間は、この俺なんだ」
  しかし、彼らは、原爆を本当に使う必要があったのか?

 


                 なぜ広島・長崎に原爆が投下されたか

  アメリカ政府はなぜ日本に原爆を投下しなければならなかったか?
  原爆投下に先立つ2ケ月前、6月1日のアメリカの委員会では、原爆をできる限り速やか
 に「日本に対して」使用すべきこと、そして曝弾の性質については予告せずに使用すべきこ
 と、が全会一致の勧告として採用されていたのである。
  ヨーロッパでなく日本に投下されたのは、原爆があまりに危険であるため、海によって隔
 離された島だから日本に投下されたのか?日本の国内で広島・長崎に原爆が投下されたのは
 そこに重要な軍需基地があったからだ。

  しかし広島・長崎には、2種類の人かいたはずだ。強制連行された中国人や朝鮮人もいた。
 何も知らない子供たちもいた。膨大な数の罪もない市民が、広島や呉にあった軍港の存在に
 巻きこまれたのである。長崎の三菱軍需工場も、巨大であった。広島・長崎のほかには、京
 都・小倉・新潟が目標地点として挙げられたが、マンハッタン計画の総指揮官グローヴスが
 一番望んでいたのは「原爆の成果を充分に確かめられる」京都であった。しかしスティムソ
 ン陸軍長官の強い反対で京都が目標からはずされ、2発目の標的となった福岡県小倉は、爆
  弾投下の日の天候不良のため、長崎が被爆地となった。

  以上のように語られてきたが、「日本との戦争を早く終らせるために、広島・長崎に原爆
 が役下された」という原爆開発→製造→投下までの経過は、真実を伝えているだろうか。

  ここまで述べてきた経過を思い返してみよう。最大の驚きは、ドイツがポーランドヘ侵攻
 する半年も前に、つまり第二次世界大戦がはじまる前に、アメリカで”原子曝弾の製造”が
 勧告され、このプロジェクトがスタートしていたという点である。また日本の真珠湾攻撃と、
 ドイツ、イタリアからアメリカヘの宣戦布告がなされる前に、全世界へ平和を呼びかけてい
 た中立国アメリカが”ウラン委員会”を設立して原爆の製造に取りかかっていたのだ。ドイ
 ツ、イタリア、日本が全世界に狂気の挑戦をはじめたため、このファシスト三国を倒すため
 に原爆が開発された、というのではない。原爆の開発には、別の目的がすでに存在していた
 はずである。

  次いでウェスティングハウスが、直ちに当時の保有量の100万倍ものウランを届けられ
 たのはなぜなのか、という謎が湧いてくる。必要だから直ちに調達した、というのは出来す
 ぎた話だ。この疑問もまた、かなり以前から原爆とウラン原料確保の準備が進められていた
 事実を示唆している。
 
  第三の疑問として、まだ連鎖反応が成功しないうちにロスアーフモスでの「量産計画」に
 スタートし、工場スケールのプランがぶち上げられている点が目につぐ。これは、何とか実
 験を成功させようと考えはじめたばかりの科学者には思いつかない発想である。彼ら科学者に
 とっては、量産どころではなく、原爆を製造できるかどうかが最大の関心事であったはずだ。
 誰かが背後プロジェクトに知恵をつけ、一気に巨大工楊への道を拓いたのではないのか。

  しかし、では、この原料として使われたウランは、どこの鉱山から持ってきたのか、それ
 がまず問題である。ウランの鉱脈を発見し、作業者が地底から掘り出さなければならない。
 異常なスピードでウランを調達した人間は誰なのか。
  時の財務長官モルゲンソーの母の一族″グッゲンハイム・トラスト”こそ、ベルギー領コ
 ンゴに入りこんでいたロスチャイルド財閥のウラン採掘業者であヮた。モルゲンソーの妻の
 姓が、長崎原爆の名につけられたフアットマンであった。オツベンハイマー所長もロスチャ
 イルド一族であった。

  いや、このマンハッタン計画全体を動かした人間がどこかに潜んでいるはずだ。その答を
 求めるほうが重要である。世に通っている話では、シーボーグ、フエルミ、シーフードらの
 科学者たちが原爆を開発したという。しかし彼ら科学者には実験する能力と理論のほかに
 は何もなかったのだ。

  彼らを使用した雇い人は、本当にアメリカ「政府」だったのか? 
  そして最後に、本当にこの原爆を広島と長崎に投下する必要があったのか……
  頭の上に、いきなり原爆が落ちてくるはずはない。

  というのは、ドイツが敗北していなかった1944年9月11日からの第二次ケベック会
 談において、ルーズヴェルト大統領とチャーチル首相が、「原爆が完成した場合には、日本
 に対して使用する」という決定を下していたのである。ノルマンディー上陸作戦からパリ解
 放の歓喜に沸く時期であったから、確かにドイツの敗北は軍事的に決定的だったからという
 説明がある。しかしドイツが降伏したのは、この8ケ月後のことである。またこの時期、”
 標的にされた日本”の敗北が軍事的に決定的だったことも、ドイツと同じであるから、これ
 では「日本が選ばれた理由」として納得できる脱明にはならない。

  マンハッタン計画でウラン原料を調達する監督官として国際的な役割を果たしたのが、ロ
 スチャイルドー族のイギリス人チャールズ・ハンブローであり、彼は戦時中にアメリカのス
 パイ組織OSS(後年のCIA)を設立した大物でもあった。のちに世界的なマーチャント・
 バンク「ハンプローズ銀行」の会長となり、イングーランド銀行と南アの巨大な鉱山利権を
 支配した男である。グローヴスの自伝『原爆はこうしてつくられた』(恒文社)には、ウラ
 ン調達の場面でこのイギリス人チャールズ・ハンブローがしばしば登場する。


  このミステリーを解くことによって、放射線被バクの危険性が、今日までなぜ歪曲されて
 きたか、という最後の答が得られるのである。なぜなら、原水爆が軍需産業屹莫大な利益を
 もたらすならば、この軍需産業が、放射能被バクを隠蔽する犯人だという結論が、はっきり
 と見えてくるからだ。


               原爆によって天文学的な利益を得た巨大財閥

  すでに、これまでK記述した歴史のねかに、すべて、そのヒントがある。
  実は、アメリカの全産業は、石油を独占したロックフェラー財閥(スタンダード石油)と、
 鉄道と鉄鋼を支配したモルガン財閥(モルガン商会)が、1929年のウオール街”暗黒の
 木曜日”の株価大暴落によって起こった大恐慌後に、ほとんどの大企業を支配してしまった
 のである。この大恐慌が全世界に広まって、ドイツでは翌1930年に300万人、193
 2年に560万人という大量の失業者を生み出し、失業率が30%に達しで、このドイツ民
 衆の不満と怒りがナチズムを育てる素地となったことは、よく知られている。一方、恐慌の
 震源地アメリカでも、同じように企業と銀行の連鎖的な倒産が相次ぎ、大不況が大衆を襲っ
 ていた。ところがロックフェーフー財閥とモルガン財閥の企業だけは、不況のなかで倒産す
 る企業を次から次へと買い占めて、ますます巨大化していたのである。

  モルガン財閥の場合、支配した当時の資産1億ドル前後という超大企業だけを拾いあげて
 も、14の銀行、4つの生命保険会社、7つの鉄道会社、8つの電気・電話・ガスなどの公
 益事業、12の自動車・鉄鋼などの工業メーカーが数えられた。たとえばこのなかに世界一
 の鉄鋼会社USスチール、全米を支配するファースト・ナショナル銀行、巨大鉱山業者フェ
 ルプスーダッジ.アメリカ電話電信(ATT)、国際電話電信(ITT)、ゼネラル・エレ
 クトリック(GE)などの怪物が入っていた。さらりフンクを落として大企業クーフスで数
 えると都合444社がモルガンの支配下に置かれてしまったのである。



  一方、”スタンダード石油銀行”と呼ばれたナショナル・シティー銀行とチェース・ナシ
 ョナル銀行をはじめとして、ロックフェラー財閥も巨大な独占を成し遂げ、287社を支配
 してしまった。これを大恐慌後の全社合計の資産額で示すと、モルガン家が776億ドルロ
 ツクフェラー家か449億ドル、およそ7対4の比率でモルガンのほうが倍近い資産になる
 が、重要なのは、このわずか二家族の支配した資産総額が1225億ドルに達していたこと
 だ。1930年のアメリカ国家予算(歳入額)が40億ドルの時代に、その30倍を二大財
 閥が支配したのである。現代に換算するなら、69兆ドル、8000兆円規模になろうか。

  史上空前の独占だったこの数字は、「アメリカの大企業上位200社を並べたとき、資産
 総額の65%をモルガンとロックフェーラーで支配した」ということを意味する。実に65
 %の独占である。戦中のアメリカの「軍需産業のすべて」を握っていた。なかでも原爆の製
 造に直接係わるデュポン社とゼネラル・エレクトリ。ク(GE)をモルガン家が握り、ウェ
 スティングハウスをロックフごフー家が握っていたことによって、一一大財閥が原爆によっ
 て得られる利益は、途方もない金額になろうとしていたのである。

                                   この項つづく



 

● エアコン掃除DIY

朝から初盆ということで先祖供養とお経を唱え、エアコンの点検掃除を行い、官民協会地の2次
除草の準備をする。エアコンの点検は、除湿効果がいまひとつ悪いということで緊急で、フィル
タの掃除と凝縮水トレイをポイントに行う。内部清浄とフィルタ掃除の自動機能はあるが、それ
だけでは不十分であることを確認。彼女の提案で次世代形クーラーを考案する必要があることも
確認(これは残件扱い)。もう1つの課題は、3日(月)に除草奉仕したのだが、雑草の生命力
がすごくて、舗装アスファルトの割れ目の刈り上げ部から新たに成長したため、アミノ酸系除草
草剤処理の「ラウンドアップ」を選択したが、安全性の点でサスペンド(保留)に(下図クリッ
ク)。
  

  

 
※ 本日、断念ながら「ころんた栽培」、「胡椒栽培」の2つは失敗に終わったことを総括する。

 

 

時代は太陽道を渡る Ⅶ

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  あいつの顔を二度と見たくない。いいか、奴は原爆を作っただけだ。
        しかしそれを爆発させた人間は、この俺なんだ。


                           ハリー・トルーマン

※ 「あいつ」とは、オッペンハイマー博士をさす。 

 

 【点滴潅漑とソーラーポンプ農法】

省力・軽労化のために、カンキツやその他の果樹栽培に対して、高効率かつ自動化しやすい点
滴かんがいの導入が増えている。カンキツへの導入は、雨を遮るマルチと組み合わせて緻密な
水分管理を行う「マルドリ方式」での利用などのように、温州ミカンを中心に果実高品質化や
生産効率向上を主な目的として行われ、中晩柑への導入も進みつつある。しかし、傾斜地では
適切な水源を整備できず、必要な量の水源があっても位置が低いことが多く、ポンプを使うに
も電源がない場合がある。この場面、太陽光発電を用いることで問題解決するシステムが農研
機構が開発(上図クリック)。

農地での小規模な電気機器を利用するのに使いやすい小規模な独立形システムの実用化は少な
い。そこで、ポンプで点滴チューブに水を送ろうとすると、量と圧力が同時に要求され、消費
電力約1キロワット以上の大きなポンプが必要だが、エンジンポンプでは運転の自動化が困難
で、カンキツ園で点滴かんがいを行う場合、かん水時間は1日に1時間前後で完了する。その
短時間のために大きなポンプの整備は非経済的だ。分な高さにタンクなどを設置し、小さいポ
ンプで長時間かけて揚水してから、必要なときに落差の力(自然圧)でかん水する方法で、太陽
電池利用ができる。

 

このシステムではライフサイクルコスト(LCC)低減のために、ポンプの間欠運転、つまり、例
えば15分動かしたら30分止めるといった間欠運転で、一気に放電することがなくなり、バ
ッテリー劣化の原因となる低電圧状態が長く続きにくくなるとともに、低電圧状態でポンプを
動かすと生じやすくポンプの劣化につながる、ポンプのオン・オフが繰り返されたり、極端な
温度上昇を起こさないようにする。上図は、連続運転の場合と間欠運転の場合とのバッテリー
電圧などの変化の模式図。間欠運転とすると、ポンプの寿命が2倍近くに伸び、バッテリーも
電圧が下がりにくくなり劣化が抑制される。

この成果報告をみて、次世代潅漑工学の点滴法は、栽培工程の最適化に汎用性があるものであ
ることを再確認した。これは面白い。

【百パーセント再エネ時代: 時代は太陽道を渡る Ⅶ 】

● オランダで高速道路用太陽光発電遮音壁の実証試験開始

オランダのアインとホーフェン工科大学のマイケル・デバイエらの研究グループは、すべての
高速道路の遮音壁をソーラーパネルに置き換えようと計画している。ことし4月から、同グル
ープは新しいソーラーパネルでオランダの高速道路A2線で2つの実証試験プロジェクトを開
始。パネルは北ヨーロッパの曇り空でも発電可能であり、周辺の半マイル内の50世帯に給電
する。このLSCパネルは、異なった色の半透明のシート状の特大ステンドグラス窓様態の遮
音壁で、両方からの光を発電できる特徴があり、都市部で歩行者やドライバーは騒音を遮断感
を低コストで、感じ取ることができる。

オランダでは、太陽光発電型舗装の実証試験結果報告されており、太陽光発電型高速道路用遮
音壁の実証試験結果が成功すれば、「太陽道構想」は実現することになる。







※ The LSC was first suggested more than 35 years ago. It is a simple device. It usually consists of a
        polymeric light guide that is either filled with luminescent molecules such as organic dyes and ino-
        rganic semiconducting nanocrystals (quantum dots) or topped by a thin layer containing these.

※  色素増感型(?)半導体化合系物量子ドット太陽電池。カドミニウム・セレンを含有される
  のでクリアすべき問題が残るだろう。

 
 【縮原発論 16: 核ごみ廃棄処理のススメ】   

  目次   

  第1章 日本人の体内でおそるべきことが進行している!
  第2章 なぜ、本当の事実が、次々と闇に葬り去られるのか?
  第3章 自然界の地形がどのように被害をもたらすか
  第4章 世界的なウラン産業の誕生
  第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈
  第6章 産業界のおぞましい人体実験
  第7章 国連がソ連を取りこみはじめた
  第8章 巨悪の本丸「IAEA」の正体
  第9章 日本の原発からどうやって全世界へ原爆材料が流れ出ているのか 


   第5章 原爆で巨大な富を独占した地下人脈

                         原爆によって天文学的な利益を得た巨大財閥               

  彼ら黒幕にとって、人道上の大きな問題となる”原爆による放射能の肉体的な被害”が
 判明したあと、絶対に人目にふれないよう、隠されなけれぱならなかったことは確かであ
 る。

  加えて、この裏では、大変な事態が進行していた。IBMの創設者トム・ワトソンが、
 二次大戦の直前、1937年夏にモルガン財閥によってアメリカ財界代理人としてヨーロ
 ッパに送り出され、ドイツの首都ベルリンを訪れた。そこで開催された『国際商業会議所」
 の総会で彼がNo.1の会頭に選出されたのである。そのあと彼はヒットラーと親しく会談し、
  さらに当時のドイツエ業界を支配していた「IGファルベン」の社長シュニッラー男爵
 と協力を約束し合った。ヨーロッバ全土からアウシュヴィッツ強制収容所に送られてくる
 ユダヤ人を管理し、選別する作業を自ら買って出たIGファルベンは、この虐殺収容所に
 君臨した経営鴎関のひとつであった。これら会談者のなかにヒットラーの経済相ヤルマー
 ル・シヤハトの顔も見られた。彼が「モルガン商会」と一次大戦後のドイツ賠償取り引き
 をしたのだ。ワトゾンとシャハトの親密さは当時の新聞にくわしく報道されていた。

  ワトソンがヒットラーと会ったこの1937年夏は、前年の1936年10月19日に
 ナチスがヨーロッパ全土をドイツの軍隊によって支配する「戦争準備四ケ年計画」を発表
 し、すでにヨーロッパで大戦が起こることが明らか祀なっていた時期である。その投資総
 額の3分の1をIGファルペンに割り当て、IGファルベンのナチス化がなされた翌年の
 出来事だ。

  こうしてナチス最高幹部に資金援助を約束したモルガン財閥の代表者が、IBMのトム・
 ワトソンで、この功績によって、ワトゾンはヒットラーから十字功労賃を授けられ、その
 ちょうど一年後にアメリカの自動車王ヘンリー・フオードがヒットラーから十字功労賞を
 受けた。
  彼らアメリカの二大財閥は、アメリカ国民やルーズヴェルト大統領と違って、二次大戦
 が起こっても、1911年末にハワイの真珠湾攻撃が起こるまで、ヒットラーのナチスを
 敵とみなしていなかったのだ。アメリカエ業界は、ドイツエ業界と手を組んでいたのであ
 る!

  なぜか?

  1931年にドイツの選挙でナチスが第一党に躍進した時、この選挙資金を提供したド
 イツのタルト・シュレーダー男爵は、自らナチス党員という肩書きを持ち、ナチスの「突
 撃隊」で幹部をつとめていた。ドイツの工業家を焚きつけて選挙資金を集めた彼は、それ
 をそっくりハインリッヒ・ヒムーフー(後年の秘密国家警察ゲシュタポ隊長)に手渡して
 いた。さらにモのシュレーダーは、アメリカのウオール街にも逸出して支店を開設し、フ
 ソュレーグー銀行一を設立していたが、この銀行の重役がエイプリー”ロックフ予フーで、
 彼此石油王ジョン・D・ロックフ予フーの弟ウィリアムの孫であった。エイブリーはその
 名もフソュレーダー・ロックフエーフー投資商会」を設立して、ナチスと手を組んでいた。

  一方、二次大戦中のIBMすなわち「国際事務機」(lntermtional Business Machine)と称
 するこの会社は、米軍が高度な機械戦争に突入したので弾道兵器の設計などで巨額の受注
 があって、原爆製造に関してもモルガン財閥の「ベル電話」と共にマンハッタン計画に参
 加し、兵器会社「レミントン・ランド」と特許を交換し合ったモルガン財閥傘下の軍需産
 業に豹変していた。IBMの売上げは、戦争の幕が切って落とされた時に4千万ドル足ら
 ずだったのが、幕を閉じた時には1億4000万ドルを超え、350%の伸びという驚異
 的な数字を記録した。利益と資産も、ほぼ同じ膨張ぷりを示し、「デュポン」さえ圧倒す
 るほどだった。IBMの社名にある”国際ヒジネス”は、この時代に全米の産業が取りこ
 まれた戦争だったのである。

  二大財閥にとっては、ナチスによる大戦争がヨーロッパ全域にひろがってゆくと、ヨー
 ロッパに軍需品を送りこむ1941年の武器貸与法の成立によって、アメリカ国内での火
 薬銃砲、爆弾、軍艦、軍用機、タンク、ジープなどの軍需品生産額が急増し、ますます好
 調に伸びていたからである。ホワイトハウスの二階にある”リンカーンの間”に泊まり込
 んでいたモルガンーロックフェラー財閥の代理人ハリー・ホプキンズが、武器貸与調整官
 としてロンドンに兵器を送り続けた。ロンドンには、アメリカ大陸を横断するユニオン・
 パシフィック鉄道の会長アヴェレル・ハリマンが海外武器貸与主席行政官として派遣され、
 この鉄道王はロックフェラーの盟友として大戦を鼓舞し続けた。アメリカニ大財閥の戦争
 目的は、ドイツ側の勝利でもイギリス側の勝利でもなかった。兵器産業の莫大な収入が目
 的だったのである。


ここで描かれている帝国主義国間戦争とは「総生産力の消耗戦」と一括りにでき、これを回避
する手法(政策・戦略)は「武力戦争を絶対悪」とし、すべての武断戦争に加担する勢力を解
体する「ソフトパワーの結集」の一本道しかないとの再確認を導出させるかのようだ。それは
さておき、読みすすめていこう。

  モルガン、ロックフェラー、デュポンなどの戦争工場は、この二次大戦で果たしてどれ
 ほどの収入を得たのか。
  アメリカの戦費総額は2450億ドル、今日のほぽ122兆5千億ドル(1千5百兆円)
 に達した。二次大戦前の50年間にアメリカ政府が使用した国家予算の総額を超えてしまっ
 たのである。半世紀分を一気に呑みこんたこの総支出の7割近くが、モルガン財閥とロッ
 クフェラー財閥の総売上げだったと見てよい。彼らが両手に握った札束は、この世界戦争
 のために全地球上で使われた支出総額のうち、実に7分の1を占めるものでもあった。


              日本への原爆投下を勧告した人間は誰だったか

  そこで、日本への原爆投下を勧告した委員会のメンバーを見ると、次の6人であった。                    

 【議長】へンリー・スティムソン陸軍長官――彼はマンハッタン計画を担当した大統領補
  佐官でもあった。モルガン商会と、ロックフェラー財閥のチェース・ナショナル銀行を
  上客とする弁護士事務所を経営する有数の資産家であった。
 【議長代理】ジョージ・ハリソン――「ニューヨーク生命保険」の社長で、同社の幹部重
  役オーウェン・ヤングはモルガン商会の特権者であり、1942~45年までモルガン
  財閥のゼネラル・エレクトリック(GE)の会長としてオークリッジ原爆工場を経営し
  ていた。
 【委員】ジェームズーバーンズーモルガン商会の鉱山会社「ニューモント鉱業」の重役で
  あった。同社は「アメリカ金属』系列で、ここがアフリカの鉱山を支配し、重役が初代
  石油王の孫ローランス・ロックフェラー支配下の「カナダ・インターナショナル・ニッ
  ケル」社長であった。この会社が、カナダからウランを調達した。
 【委員】ヴァネヴァー・ブッシューロックフェラー家の「スタンダード石油」とモルガン
  財閥の「ゼネラル・モーターズ」と「デュポン」からの献金によって成り立つ「マサチ
  ュセヅツエ科大学(MIT)」の幹部であった。日本・ドイツ・イタリアが宣戦布告する
    前に原潜開発を始動させた”ウラン委員会”の議長として、マンハッタン計画の企画本
    部をロックフェラー=モルガン連合によって組織した人物でもある。
 【委員】カール・コンブトン――ヴァネヴァー・ブッシュの上司で、「マサチュセッツエ
  科大学」の総長だった。真珠湾攻撃の1ケ月前に”ウラン委員会”に移管された時に委
  員長をつとめ、ロックフェラー=モルガン連合が原爆をつくるように、一切の契約を担
  当した。
 【委員】ジェームズ・コナント――ハンフオード原爆工場を動かす死の商人、モルガン財
  閥のデュポン吐顧問であり、この時は、モルガン家から莫大な資金援助を受け、モルガ
  ン商会を管財人とする「ハーヴァード大学”の総長であった。彼はこの当時、ロスアラ
  モスの原爆製造グループを指揮するグローヴス准将に直接の政治的支援を送る重要組織
  「国家防衛研究委員会」の委員長もつとめていた。            

                    (中略)

  レスリー・グローヴスーマンハッタン計画のリーダーをつとめた准将で、戦後1948 
 年にはレミントン兵器から誕生したトマス・モルガン支配下の軍需産業スベリー・ランド・
 グループの副社長となった。マンハッタン計画の総指揮官としてグローヴスが任命された
 のは、陸軍省の巨大なピルを建設した指拝官としての手腕を買われ、抜擢されたからであ
 った。のちにそれを見て謹もが国防総省をペンタゴン(五角形)と呼ぶようになったビル
 の建設監督、それがグローヴスであった。大戦中の1943年1月に完成したその迪物自
 体が巨大な秘密基地であり、工事費が1ケ月で当時の6億ドルという天文学的な出費の製
 品であったため、軍事予算に関して多くの秘密を握った男であった。

  クロフォード・グリーンウォルトーマンハッタン計画の中心人物となった委員だが、実
 はモルガン財閥のデュポン家マーガレッタ・デュポンと結婚した兵器財閥の御曹司であっ
 た。彼は、戦後Kデュポン社の社長・会長を歴任して、ハンフオードエ楊などでの原爆製
 造で莫大な利益を獲得した。
  これらの人間の肩書きと素性に表われている通り、原爆投下のすべての目的が、財閥が
 得る巨額の収入にあったことは動かし難い事実である。

 
   第6章 産業界のおぞましい人体実験

       日本敗戦そして東西冷戦の時代から大々的に核実験がスタート

  1945年8月14日――日本がこの日にポツダム宣言の受諾を連合国に伝えて無条件
 降伏し、8月15日が終戦記念日となった。しかしこれは日本人の記念日である。アメリ
 カ・ヨーロッパの軍需財閥にとって、8月15日は格別深い意味を持つ日ではなかった。
  軍需ビジネスは戦争によって工場が肥大化した分だけ、戦後もそれを維持しなければな
 らなかったので、一日も休みなく作業を続ける必要があった。核兵器開発はここで終った
 わけではなく、広島・長崎への原爆投下は、単なるプロローグにすぎなかった。



  歴史を終戦で区切ると、われわれが目撃している彼らの事業の正体を見失うことになる。
  世界大戦の後こそが、彼らの稼ぎ時たったからである。
  終戦翌年の1946年1月1日に、マンハッタン計画部隊をそっくり継承して、原子カ
 エネルギー委員会(AEC――Atomic Energy Commission )の活動がスタートしたのであ
  る(AECの正式な発足は、アメリカ議会が「原子力法」を成立させた8月1日であった)。
  そしてこの年に「アメリカ放射線防護委員会」(NCRP――U.S&National Commiltee on
  Rediatjon Protection)が誕生して、AEC傘下の医学部門となった。これがlCRP(国際
 放射線防護委員会)の前身であった。

  ネバダなどで戦後の核実験を総指揮したこのAECは、一般に日本で「原子力委員会」
 と訳されているが、原水爆の核兵器を統括しただけでなく、名称には”エネルギーE”の
 言葉がすでに使われていた。つまり、のちの原子力発電(平和利用)のエネルギーをすで
 に射程に入れており、AECのロゴは原子核のまわりを電子がまわっている図、のちに”
 原子力の平和利用”のシンボルーマークとして使われたものであった。このあとGE、ウ
 ェスティングハウスの電気製品(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が全世界の憧れとなる時代に、
 莫大な利権を生み出す原子力発電に邁進する組織だったので、本書ではAECを原子カエ
 ネルギー委員会と呼ぶ。

  AECが発足して3週間後の1月24日に、「国連」にAECをそっくりコピーした原
 子力委員会が設置され、マンハツタン計画部隊が要求した通り、アメリカの原爆独占を認
 めたのである。
  この国連草案を起草したアメリカの委員会メンバーは、日本への原爆投下を勧告した委
 員会とほぼ同じで、次の通りである。

                    (中略)

  さらにこの代表団の作業を引き継いだ強力な国連代表が、ロックフェラー財団のNo.1理
 事長理事長ジョン・フォスターダレス、すなわち戦後日本の再軍備を具体化した男であっ
 た。モルガン財閥の鉄鋼トラストとスタンダード石油トラストをつくったのもロックフェ
 ラー財団のダレスであった。この年、1946年の秋に、ジョン・D・ロックフェラー2
 世が国連本部のために、ニューヨークの土地を6ブロックも買い取って寄贈し、そこに国
 連ビルが建てられることになった。

  全世界が焼け野原となった戦後のこの時点で、地球上の経済力の7割を握っていたの
 がアメリカであり、国連は、こうしてアメリカの二大軍需財閥の資金によってスタートし
 すべての国がアメリカの言いなりになる戦後世界が誕生したのである。
  国連に原子力委員会が設置されて1ケ月余りあとの1946年3月5日、イギリスのウ
 ィンストン・チャーチル首相が、アメリカ大統領トルーマンに招かれ、ミズーリ州フルト
 ンの大学で有名な演説をおこなった。その中で、「バルト海の(ポーランドの)シュテッ
 ティンからアドリア海の(イタリアの港湾都市)トリエスーアまで、ヨーロッパ大陸を横
 切る鉄のカーテンが降ろされた。中部ヨーロッパと東ヨーロッパの歴史ある首都は、すべ
 てその向こう側にある」と、”共産主義国・ソ連による鉄のカーテン”演説をおこなった。

  今度は「ソ連は敵である」と、爆弾発言を放って全世界を挑発したのだ。
  なぜ”前”首相だったかと言えば、チャーチルの戦争好きは、イギリス国内であまりに
 も有名であった。軍需大臣として戦車という動く兵器を戦場で自ら考案したのがチャーチ
 ルであれぽ、航空大臣としてイギリス空軍の生みの親もチャーチルであり、海軍大臣時代
 には史上空前の海軍予算を使って軍需産業に莫大な金を投じたのもチャーチルであった。
 そのためイギリス国民は、ドイツ降伏後に、「もう戦争屋はいらない」と言って、日本敗
 戦直前のイギリス総選挙で労働党が勝利し、チャーチルが、戦後またしても戦争の火付け
 役として登場したのである。

  これを受けて一週間後の3月13日に、ゾ連の独裁者スターリンが共産党機関紙”プラ
 ウダー記者に「チャーチルは戦争挑発者である」と批判して、「東西冷戦の時代」に突入
 したのだ。
  われわれの時代、1989年11月9日に、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」
 が崩壊するまでのエネルギー委員会(AEC)で生物医学班の、ボスをつとめ、1952
 ~58年にはAECの医学顕問をつとめてセント・ジョージなどでの住民被曝を野放しに
 しおそるべきことに、1955~63年に原爆の放射線影響科学委員会の「国連代表」と
 なる人物であった。

  原爆実験を実施したAECは、マンハッタン計画の参加者をそのまま引き継いだ部隊で
 あり、彼らが、南太平洋と、本書冒頭に述べたネバダ州で、原水爆実験の総監督をつとめ
 たのだ。彼らは、原水爆の実験を大々的におこなう必要があった。
  なぜなら核実験は、二つの目的を持っていた。ひとつは、高度な破壊力のある兵器を作
 るための軍事的開発である。しかしもうひとつは、核爆弾を一発爆発させるごとに大量の
 札束を吹き飛ばす莫大な利益であった。

  1950年1月26日にアメリカは行動を起こし、韓国と軍事協定を結んだ。こうして
 朝鮮戦争の開戦準備ができると、5日後には、トルーマン大統領が水爆の製造を指令して
 新しい産業を始動させ、6月25日に朝鮮戦争が勃発した。1953年7月27日まで、
 日本が巻きこまれる「三年間の大戦争」へが続いたのである。

  AECは頭のてっぺんから爪先まで、ロックフ予フーとモルガンの企業から送りこまれ
 た人材で埋められていた。いま彼らが手に入れようとしていたのは、ソ連(ロシア)の共
 産主義者の危機を煽り立て、それによって国民の懐からペンタゴンに流れこむ国防予算の
 金塊だった。財務長官が原水爆K割り当てた予算は、次の通りで、原水爆業界に流れこん
 だ札束は気が遠くなる金額(1千兆円)であることが分る。

                   (中略)              

  しかしこの途方もない金額は、いわゆる一次予算と呼ばれるもので、ここには追加予算
 が含まれていない。それが、年度によって異なるがほぼ2倍から3倍となっていたのだ。
 ここの間、「スタンダード石油」の大株主や「モルガン商会」の投機業者が続々とAEC
 のトップを占めていた。

  人名録に残されたヒロシマ.ナガサキABCC創設者シールズ・ウォーレンの履堅書を
 見ると、彼自身が「広島と長崎の原爆被バク者を調査した」とある。つまり、原爆実験と
 広島・長崎の原爆被バク者のモルモット調査は、同じ人間の手でおこなわれたのである。
  ABCCは、原爆投下から5年後の1950年8月時点での原爆破バク生存者だけを調

 査対象とした。そのため原爆投下から5年以内に死亡した最大の被害者を調査対象から除
 外してしまった! 加えてABCCは、曝心地から2・5キロメートル以内の人だけを被
 バク者として調査し、実際には同様に被バクしている2・5キロメートル圏外の人を原爆
 被バク肴にカウントしなかった。10キロメートル以上でも大量の被バク症状が出ていた
 にもかかわらず!あらゆる手段を使って放射能被害を小さくしてしまったのだ。

  ABCCによる被バク調査における決定的な医学上の間違いは、①広島と長崎の原爆被
 バク考の体内で進行していた内部被曝を無視し、②放射能汚染した地域にある残留放射線
 の影響を完全に無視したことと、③被パクの後遺症を”癌と白血病”だけに限定したとこ
 ろにあった。いや実際虻は、彼らはその調査をしていたはずだが、その結果を一切(意図
 的に)公表しなかったのである。

  さらにシールズ・ウォーレンは、1950年から60年にかけて――全世界で危険な大
 気中の核実験が最も多くおこなわれた時代に――「国連」の放射線科学委員会のアメリカ
 代表をつとめ、そのあとも国連の世界ほ健機関(WHO)の要職にあって”医療者の鑑”
 のような顔をとりつくろってきたのである。なぜ?という数々の謎が浮かんでくる。




  ヒロシマーナガサキABCCを受け繕いだ日本の原子力第二・第三世代

  一方で、広島・長崎の被バク者をモルモットにして観察してきたアメリカのABCC(
 原爆傷害調査委員会)が、1975年4月に日本に受け継がれで改組され、放射線影響研
 究所(放影研)となった。この略称「放影研」は、放医研(放新緑医学総合研究所)とま
 ぎらわしいが、異なるので注意。改組された時代は中東に石油危機が起こったオイルショ
 ック直後であり、全世界に原子力ブームが起こって、いよいよアメリカが日本に大量に原
 子炉を売りつけるチャンスを迎えていた。

  GEが、ウェスティングハウスが、莫大な利益を狙って、ABCCの主導権を日本人に
 持たせる形をとったのである。ここから、日本の原子力第二世代が誕生することになった
 のだ。
  つまりこの時、ABCCの受け皿となったのが、1948年1月からABCCの調査プ
 ログラムに正式に参加していた厚生省(現・厚生労働省)の国立予防衛生研究所(予研―
 ―現・国立感染疸研究所)であった。だが、予研にはなぜか、戦時中の細菌・化学戦研究
 のために生体解剖などをおこなった大日本帝国陸軍の犯罪者”七三一部隊”の残党が大量
 に流れこんでいた。原子力時代を主導した科学技術庁事務次官・梅澤邦臣の次兄・梅沢浜
 夫がいたのが、この予研であった(この関係は、のちにくわしく述べる)。

  このおぞましい殺人部隊の犯罪を、細菌戦資料の提供を交換条件に、東京裁判で免責し
 たのは、戦後の米軍であった。
 また、戦後からすぐ、広島・長崎の医学者と医師の肩書きを持つかなりの日本人か、AB
 CCの調査に協力して、アメリカ人と共同で、悲しむべきことに母国・日本人の被爆・被
 曝の被害者隠しに努めはじめた。それら人間の後継者が、「放射線はこわくない」と言い
 続けある者は長崎大学の教授になっていった。



  1978年に日本の原子力委員会に非公式の「原子力国際問題等懇談会」が設けられた
 席に、不思議な人物ぷ登場した。それが、このアメリカABCCを受け継いで、広島・長
 崎の原爆被爆者の放射線の影響を調査する”日米共同研究機関”――放影研の理事長とし
 て1981年から君臨した重松逸造であった。国際疫学協会理事として、薬害のスモン病、
 カドミウム汚染公害のイタイイタイ病の研究班長となり、驚くべきことに、いずれもこれ
 らの薬害・公害で医学的に明白になっていた原因物質を「シロ」と判定し、被害者の苦し
 みを泥靴で踏みつける重大な疫学犯罪を重ねてきたのが、その重松逸遊であった。

  1986年にチェルノプイリ原発事故が起こると、国際原子力機関(IAEA)が組織
 したチェルノブイリ原発事故の被害を調査する団長となった犯罪者・重松は、チェルノブ
 イリ汚染の被曝現地を訪れながら、1991年にIAEAの”国際チェルノブイリ・プロ
 ジェクト報告書”を国際科学者集団の長として作成し、「住民にはまったく大きな放射能
 被害がない」と報告して、「原因は放射能恐怖症である」とのイメージをふりまき、全欧
 界から怒りを買った。そして現在まで、広島と長崎に研究所を有する放影研が、アメリカ
 から資金提供を受けてきた。

  ICRPの委員でもあったこの重松逸造のチェルノブイリ現地調査を支援したのが、笹
 川財団であった。言うまでもなく、戦時中にウラン調達に暗躍したA級戦犯容疑者であっ
 た右翼の国粋大衆党総裁・笹川良一が、戦後に、満州侵略主導者・岸信介、特高警察主導
 者・正力松太郎らの戦犯と共に釈放されたのは、アメリカが彼らを利用しようとする目的
 があったからであり、笹川良一の笹川チェルノプイリ医療協力事業が、重松逸造のパトロ
 ンとなったのは当然であった。笹川チェルノブイリ医療協力事業によるデタラメ検診結果
 の報告書が、WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)に提出され、「高い
 評価]を得てきたのだ。

  AEC(原子カエネルギー委員会)~ICRP~IAEAの長い手が日本に伸びて、原
 子力産業が動かされる姿がはっきりと見えていた。重松逸造は厚生労働省に隠然たる勢力
 を持ち、フクシマ原発事故の翌年、2012年2月6日に94歳で死去した。しかし……
  1995年に笹川良一の死後、笹川財団は、日本財団に改称して曽野核子に継承された。
  その笹川財団傘下で、重松逸遊と組んだのが、チエルノブイリ被曝現地派遣専門家のリ
 ーダーとなった長崎大学の長瀧重信と山下俊一であり、この二人が第1章に述べた通り、
 フクシマ原発事故の放射能被バクを放置したのだ。そして笹川良一の息子・笹川陽平が現
 在まで山下俊一を讃えてきた・・・・・・原子力第三世代の登場である。

  長崎大学の長瀧重信こそ、重松逸遊を継いで放影研理事長となった人物であった。長瀧
 瀧戦後日本の原子力リーダーとなった茅誠司か原子力推進のために生み出した日本アイソ
 トープ協会の常務理事でもあり、ABCCと茅誠司と笹川財団の流れを汲む長薦か、福島
 県内の児童20ミリシーベルト無害論を述べて、原子力安全委員会の決定にお墨付きを与
 え、現在まで東日本の子供の検診を拒否してきたのは、こうした人脈があったからである
 フクシマ原発事故渦中の2011年、まだ事故直後のおそるべき高濃度の放射能が東日本
 全域を襲っていろというのに、4月10日の会議で、原子力安全委員会の久住静代委員が
 東日本全城の高い放射能汚染地域について、年間の積算総量限度をいきなり「20ミリシ
 ーペルト」にしようと提案して、これを原子力安全委員会が決定したことを第1章に
 述べたが、この久住も、放影研で臨床研究部司郎長の時代から重松逸遊の部下であったの
 だ。

次回は、第6章から7章に入る。

                                  この項つづく

 

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