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ベストミックスは誰のため

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    たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に
        組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持
        って行き方によって、感情表現・意思表現はけっこううま
        くできるものなのだということでした。

                                              村上春樹 / 『職業としての小説家』 

 

 




● ポスト・ロストスコア論 Ⅰ: 依然見えぬ脱デフレ不況

8月の消費者物価指数(生鮮食品除く)は、前年同月比0.1%下落し、日銀が量的・質的金融緩和
に踏み切った13年4月以来のマイナスに転じた。日銀の大規模緩和開始後、物価は順調に上昇基調
をたどったかにみえたが、消費税増税の影響や昨年夏以降の原油価格下落を契機に変調し、緩和効果
が吹き飛び、2%の物価上昇を目指す日銀の「異次元緩和」は振り出しに戻った格好(時事通信 2015.
09.25)。

これによると、黒田東彦日銀総裁は25日、安倍晋三首相との会談後、記者団に「物価の基調はしっ
かりしている」と、エネルギー価格の下落を除けば、物価はプラスを維持しているとの認識を示した。
実際、食料品や日用品などは値上げが相次いでおり、安倍首相も24日の会見で「デフレ脱却はもう
目の前だ」などと強気だが、原油安が続けば、日銀が「16年度前半ごろ」としている2%物価目標
の達成時期がさらに後ずれすることは避けられない。中国など海外経済の減速で国内景気の足が引っ
張られる恐れもあり、SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミストは「物価が短期間で2%程度ま
で上昇は考えにくく、遅かれ早かれ(日銀の)追加緩和が必要」という。

このように、新興国の経済成長の一巡による下降局面に上海ショック、シリヤ難民問題に顕示された
欧米露列強(+日帝)の世界戦争→冷戦下の代理戦争→米欧の中東への武断介入=戦後70年間の不
毛で無惨なカオス社会の導出。英米流金融資本主義の破綻(リーマンショック)→ギリシャ危機→欧
州共同体崩壊の危機。フォルクスワーゲンの組織犯罪?を引き金としたドイツ経済危機への連鎖など
マイナス要因の天こ盛り状況である。霞ヶ関の天下り族議員天国の自民政権が打ち出した株価・輸出
の偏重のアベノミクスでは、この"赤信号"が点灯する状況を脱するのは覚束無く、ご同情申し上げる。

                                      この項つづく



 

● フォルクスワーゲンの不正はこうして暴かれた?!

13年、ディーゼルエンジンの大気汚染を心配した欧州当局が、米国の路上検査結果が欧州よりも検
査査結果に近いと考え、米国で販売された欧州車の路上走行排ガス検査を委託したのが発端。結果は
その逆となる。カリフォルニア州の調査官25名が選任で検査したところ、フォルクスワーゲが検査
結果を不正改ざんするソフトウエアが搭載――ハンドルの動きなどから排ガス検査中であるかどうか
を識別するソフトウエアを発見。VWは09~15年にかけてこのソフトを、エンジンをコントロー
ルするモジュールに組み込む――されていたことが露見する。そしてその対象が1千百万台であるこ
とも明らかにされた。つまり、技術力が追いついていなかったというわけだ。それにしても、欧州当
局が、クロスチックしなければ、この不正の発覚は遅れたはずだが、かれらの"良心"がそれを許さな
かったというわけだろうか。

なお、検査では窒素酸化物濃度は、規制値の40倍だった。

 

 

 ● 電気で生きる微生物を初めて特定

これは時間軸が非常に大きい話だ。地球上の生物は、光合成と化学合成の生物によって作り出される
有機物によって支えられている。前者は太陽光をエネルギーとし、化学合成生物を水素や硫黄などの
化学物質をエネルギーとして利用し、二酸化炭素から糖やアミノ酸を作り出すが、食物連鎖の出発点
となり、人間を含めた地球上の生命活動を支えてきた。一方、ごく最近になり、光合成と化学合成に
代わる第3の有機物を合成する生物として、電気で生きる微生物(電気合成微生物)が注目を集める。
特に、深海底や地中などの生物が利用できるエネルギーが極端に少ない環境では、海底を流れる電流
を利用する電気合成微生物が深海生命圏の一次生産者となる可能性があるみられている。

理化学研究所の共同研究グループは、これまでに、深海底には電気をよく通す岩石が豊富に存在する
こと、そして、マグマに蓄えられた熱と化学エネルギーが岩石を介して電気エネルギーに変換するこ
とを解明しているが、この電流を利用し細胞増殖可能な微生物を特定できずに、また、微生物が電気
エネルギーを利用する上で必要となる代謝経路も解明されずにいた。今回、同グループは、10年に
太陽光が届かない深海熱水環境に電気を通す岩石を発見、電気を流す岩石が触媒となり、海底下から
噴き出る熱水が岩石と接触することで電流が生じることを発見する。海底に生息する生物の一部は光
と化学物質に代わる第3のエネルギーとして電気を利用して生きているのではないかという仮説を立
研究をすすめる。

まず、鉄イオンをエネルギーとして利用する鉄酸化細菌の一種である Acidithiobacillus ferrooxidans(A.
ferrooxidans)に着目。鉄イオンは含まれず、電気のみがエネルギー源となる環境で細胞の培養を行う。
その結果、細胞の増殖を確認し、細胞が体外の電極から電子を引き抜くことでNADH――ニコチンアミ
ド・アデニンジヌクレオチド(nicotinamide adenine dinucleotide)の略。生物が用いる電子伝達体物質の一つ―
を作り出し、ルビスコタンパク質――二酸化炭素を取り込み、糖を合成するタンパク質――を介し二
酸化炭素から有機物を合成する能力を持つことを突き止める。さらに A.ferrooxidansは、わずか0.3
ボルト程度の小さな電位差を1ボルト以上にまで高める能力を持ち、非常に微弱な電気エネルギーの
利用できることを解明する。

この研究成果は、電気が光と化学物質に続く地球上の食物連鎖を支える第3のエネルギーであること
と同時に、二酸化炭素の固定反応わる微生物代謝の多様性を示す。深海底に広がる電気に依存した生
命圏の電気生態系を調査上で、重要な知見になり、極めて微小な電力で生きる電気合成微生物の存在
は、微小電力の利用という観点から新たな知見を提供する。

 

 

【再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る 14 】

● ベストミックスは誰のため?

昨夜の「世界は蓄電池パリティ」(『蓄電池パリティ時代』2015.09.26)では、太陽光電池と蓄電池
のパリティ(グリッドパリティに含まれる概念)が世界の潮流になっていることを考察したが、これ
に対し、日本での取組みが鈍いが、この根底に旧来の「ベース電源」にあるのではとの思いで書いた。
このことはブログ掲載済み(「ネクストディケイド:縮小する電力市場」/『次世代電力のフロンテ
ィア』2015.09.18)であるがここで改めて考察する。

昨夜と同様に、「環境ビジネス」の2015年秋季号の安田陽関西大学システム理工学部准教授の『
旧電源構成に固執し、ガラパゴス化』では、エネルギーミックスとは、発電電力量におけるエネルギ
ー源の配分(すなわち電源構成)のことを示し、一方、ベストミックスはよく「最適な電源構成」な
どと説明される。しかし海外文献を調査するとわかるのが、実は海外のエネルギー政策に関する議論
では、「energy mix」という表現はよく使われるものの 「best mix」 という表現はほとんど登場しな
い。最近の審議会等の資料では「ベストミックス」はほとんど使われず、よりニュートラルな「エネ
ルギーミックス」あるいは、「電源構成」が用いられていると指摘する。まず、「ガラパゴス化」と
いう言葉に抵抗、つまり、正当な理由があれば「ガラパゴス化」も結構ではないかと考えているため
だが、それはさておき先を読み進めた。

 しかし、筆者がウェブや新聞データベースで調査した結果では、依然として電力会社をはじめと
 する産業界の資料や政治家の発言でこの「ベストミックス」という言い回しが多用されています。
 さらにマスコミも同様で、多くの日本のメディアがこの用語を好んで用いる傾向にあります。ち
 なみに米国や欧州連合(EU)の政府関係の資料では エネルギー政策の文脈で「best mix」を用いた
 ものはほとんど見られません。Washington Post や Wall Street Joumal, The Times,CNN,BBC  など
 海外有カメディアでも同様です。もちろんこの表現を使う記事や報告書は皆無ではありませんが、
 あったとしても再エネの中の配分であったり特定の設備でのベストなエネルギー配分だったりと、
 国全体のエネルギー政策の文脈で best mix という言葉が使われる例はむしろ稀なケースです。
 
  このように、実は「ベストミックス」は限りなく和製英語に近い言葉であることがわかります。本
  稿では、この日本独自の概念である「ベストミックス」を取り上げ、そこに込められた「ベスト」
 の意味が一体何のために、誰のためにあるのかを、国際比較分析から炙り出していきたいと思い
 ます。

                      安田 陽『旧電源構成に固執し、ガラパゴス化』


● 電源構成の変遷の国際比較

他国のエネルギーミックス(電源構成のようになっているかは、日本語でもさまざまな資料やデータ
が入手可能できるが、政府が毎年公表する「エネルギー白書」でも、ドイツやフランス、米国などの
単年の電源構成のグラフから異なる視点から分析している。(1)90年から約20年に亘る電源構
成の時系列変化、(2)再エネ(特に風力)の導入が進んでいるが、日本ではほとんど取り上げられ
ない国(デンマーク、ポルトガル、スペイン)の分析を行う。上図のグラフは、デンマーク、ポルト
ガル、スペインの電源構成を90年から現時点で入手可能な最新の年次の13年まで時系列で描いた
グラフ。比較に、図4に日本のデータを掲載。

その特徴は、(1)各国とも化石燃料や原子力(スペインの場合)を過去20年で徐々に着実に減ら
している。その裏返しに再エネ(特に風力発電)がを着実に増やしている。(2)図1のデンマーク
は原子力がないことに加え、国が平坦なため水力がほとんどないが、過去20年間で電源構成を大き
く変えてきたことがグラフからわかる。具体的には、90年には石炭火力が95%以上占めていたが、
現在では40%にまで低減。さらに90年代から風力発電を着実に増加させ、現在は風力だけで30
0%以上、バイオマスなどを含めると再エネ全体で50%に達する。デンマークの事例では、石炭に依
存から、20年かけ徐々に電源構成を変化させ、一国の電力量の半分を再エネで賄うまでに成長して
いる。デンマークはさらに50年までに電源構成における再エネを百%にする目標を打ち出している。

(3)図2のポルトガルは元々水力発電が豊富で90年代は40%近く占めていたが、2000年代
後半以降急速に風力を伸ばし、現在は再エネ全体で60%の導入率を達成している。なお、水力発電
の年ごとの増減は、渇水年と豊水年の差が激しいため。(4)図3のスペインも同じイベリア半島に
あり、ポルトガルと似た傾向をみせるが、原子力を保有し、その比率を90年の35%から13年の
20%へと徐々に漸減させている。また、風力だけで約20%と原発と肩を並べ、再エネ全体だと40
%の導入率をすでに達成。

● 日本の「ベストミックス」の「ベスト」って何?

上記の3ケ国と比較するため、(5)図4に日本の電源構成の変遷を示す。日本の場合、11年の原
発事故のため、11年を境に断絶的な変化が発生。90年から10年までは多少の波があるものの、
変化はない。10年までの特筆すべき変化とし、石油を減らす代わりに石炭を倍増する。図4では
30年の電源構成の案も提示。このように過去の変遷の延長線上に置くと明らかな通り、実はこの配
分は、再エネが若干増えて石油が石炭に置き換わった以外は90年の構成比とほとんどあまり変わら
ない。これは図1~3のように10~20年かけ電源構成を劇的に変革させた国々とは真逆の方向性
にある。この90年代(30年から振り返ると40年前)とほとんど変わらない電源構成が、「ベス
トミックス」と呼ばれいるもの(さすがに経産省自身はそう呼んでいない)。これは誰にとっての何
のための「ベスト」なのか?

今回紹介した3ケ国だけでなく、多くの先進国がここ10年で(先見性のある国はここ20年で)電
源構成を変えている。それは気候変動緩和(二酸化炭素排出抑制)やエネルギー安全保障(エネルギー
輸入依存度低減)の理由からだ。電源構成は本来、めまぐるしく変わるグローバル環境に対応するた
めに、将来を見据えたエネルギー戦略の中でダイナミックに変化していくもの。これに対し、日本で流
布する「ベストミックス」という表現は、「ベスト」の名の下にこのダイナミックな変化から目を背け、
変革を拒み現状を固定化させる危険性を孕む。これは、「変化しないことがベスト」というメッセージ
だと、国際社会から取られてしまう。

日本以外の国では「ベストミックス」なる電源構成は存在しない。あるのは(主に再エネの意欲的な
)ターゲットであり、それに向かって前進するための実現可能性のあるロードマップ。ターゲットは通
常、政府が設定し、ロードマップは産業界が競い合い提案。さらにターゲットは定期的に見直されダ
イナミックに変わっていく。それ故イノベーションが促進される。日本にこのような仕組みや機運は
あるでしょうか? このように電源構成の時系列の変遷を国際比較すると、日本の特異性が如実に浮
かび上がる。と、このように著者は述べる。特に、「日本にこのような仕組みや機運はあるでしょう
か?」との件は、「蓄電池」「グリッド」のパリティーへの取り組みの「鈍さ」に顕示していると、
腑に落ちることとなる。

 

                                                          この項つづく

 



● 折々の読書 『職業としての小説家』7

 


    試合が終わってから(その試合はヤクルトが勝ったと記憶しています)、僕は電車に乗って新宿の紀伊
  國屋に行って、原稿用紙と万年筆(セーラー、二千円)を買いました。当時はまだワードプロセ
 ッサーもパソコンも普及していませんでしたから、手でひとつひとつ字を書くしかなかったので
 す。でもそこにはとても新鮮な感覚がありました。胸がわくわくしました。万年筆を使って原稿
 用紙に字を書くなんて、僕にとっては実に久方ぶりのことだったからです。

  夜遅く、店の仕事を終えてから、台所のテーブルに向かって小説を書きました。その夜明けま
 での数時間のほかには、自分の自由になる時間はほとんどなかったからです。そのようにしてお
 およそ半年かけて『風の歌を聴け』という小説を書き上げました(当初は別のタイトルだったの
 ですが)。第一稿を書き上げたときには、野球のシーズンも終わりかけていました。ちなみにこ
 の年はヤクルト・スワローズが大方の予想を裏切ってリーグ優勝し、日本シリーズでは日本一の
 投手陣を擁する阪急ブレしブスを打ち破りました。それは実に奇跡的な、素晴らしいシーズンで
 した。

  『風の歌を聴け』は、原稿用紙にして二百枚弱の短い小説です。でも書き上げるまでにはずい
 ぶん手間がかかりました。自由になる時間があまりなかったということももちろんありますが、
 それよりはむしろ、そもそも小説というものをどうやって書けばいいのか、僕にはまったく見当
 もつかなかったからです。実を言うと僕は、十九世紀のロシア小説やら、英語のペーパーバック
 やらを読むのに夢中になっていたので、それまで日本の現代小説(いわゆる「純文学」みたいな
 もの)を系統的に、まともに読んだことかありませんでした。だから今の日本でどんな小説が読
 まれているかも知らなかったし、どんな風に日本語で小説を書けばいいのかもよくわからなかっ
 たのです。

  でもまあ「たぶんこんなものだろう」という見当をつけ、それらしいものを何か月かかけて書
 いてみたのですが、書き上げたものを読んでみると、自分でもあまり感心しない。「やれやれ、
 これじゃどうしようもないな」とがっかりしました。なんていえばいいんだろう、いちおう小説
 としての形はなしているのですが、読んでいて面白くないし、読み終えて心に訴えかけてくるも
 のがないのです。書いた人間が読んでそう感じるんだから、読者はなおさらそう感じるでしょう。
 「やっぱり僕には、小説を書く才能なんかないんだ」と落ち込みました。普通ならそこであっさ
 りあきらめてしまうところなんだけど、僕の手にはまだ、神宮球場外野席で得たepiphanyの感覚
 がくっきりと残っています。

  あらためて考えてみれば、うまく小説が書けなくても、そんなのは当たり前のことです。生ま
 れてこの方、小説なんて一度も書いたことがなかったのだし、最初からそんなにすらすら優れた
 ものが書けるわけがない。上手な小説、小説らしい小説を書こうとするからいけないのかもしれ
 ない、と僕は思いました。「どうせうまい小説なんて書けないんだ。小説とはこういうものだ、
 文学とはこういうものだ、という既成観念みたいなのを捨てて、感じたこと、頭に浮かんだこと
 を好きに自由に書いてみればいいじゃないか」と。

  とはいえ「感じたこと、頭に浮かんだことを好きに自由に書く」というのは、口で言うほど簡
 単なことではありません。とくにこれまで小説を書いた経験のない人間にとっては、まさに至難
 の業です。発想を根本から転換するために、僕は原稿用紙と万年筆をとりあえず放棄することに
 しました。万年筆と原稿用紙が目の前にあると、どうしても姿勢が「文学的」になってしまいま
 す。そのかわりに押し入れにしまっていたオリベごアィの英文タイプライターを持ち出しました。
  それで小説の出だしを、試しに英語で書いてみることにしたのです。とにかく何でもいいから

 「普通じゃないこと」をやってみようと。

  もちろん僕の英語の作文能力なんて、たかがしれたものです。限られた数の単語を使って、限
 られた数の構文で文章を書くしかありません。セソテンスも当然短いものになります。頭の中に
 どれほど複雑な思いをたっぷり抱いていても、そのままの形ではとても表現できません。内容を
 できるだけシンプルな言葉で言い換え、意図をわかりやすくパラフレーズし、描写から余分な贅
 肉を削ぎ落とし、全体をコンパクトな形態にして、制限のある容れ物に入れる段取りをつけてい
 くしかありません。ずいぶん無骨な文章になってしまいます。でもそうやって苦労しながら文章
 を書き進めているうちに、だんだんそこに僕なりの文章のリズムみたいなものが生まれてきまし
 た。

  僕は小さいときからずっと、日本生まれの日本人として日本語を使って生きてきたので、僕と
 いうシステムの中には日本語のいろんな言葉やいろんな表現が、コンテソツとしてぎっしり詰ま
 っています。だから自分の中にある感情なり情景なりを文章化しようとすると、そういうコンテ
 ソツが忙しく行き来をして、システムの中でクラッシュを起こしてしまうことがあります。とこ
 ろが外国語で文章を書こうとすると、言葉や表現が限られるぶん、そういうことかありません。
 そして僕がそのときに発見したのは、たとえ言葉や表現の数が限られていても、それを効果的に
 組み合わせることができれば、そのコンビネーションの持って行き方によって、感情表現・意思
 表現はけっこううまくできるものなのだということでした。要するに「何もむずかしい言葉を並
 べなくてもいいんだ」「人を感心させるような美しい表現をしなくてもいいんだ」ということで
 す。




  ずっとあとになってからですが、アゴタ・クリストフという作家が、同じような効果を持つ文
 体を用いて、いくつかの優れた小説を書いていることを、僕は発見しました。彼女はハソガリー
 人ですが、一九五六年のハソガリー動乱のときにスイスに亡命し、そこで半ばやむなくフランス
 語で小説を書き始めました。ハソガリー語で小説を書いていては、とても生活ができなかったか
 らです。フランス語は彼女にとっては後天的に学んだ(学ばざるを得なかった)外国語です。し
 かし彼女は外国語を創作に用いることによって、彼女自身の新しい文体を生み出すことに成功し
 ました。短い文章を組み合わせるリズムの良さ、まわりくどくない率直な言葉づかい、思い入れ
 のない的確な描写。それでいて、何かとても大事なことが書かれることなく、あえて奥に隠され
 ているような謎めいた雰囲気。僕はあとになって彼女の小説を初めて読んだとき、そこに何かし
 ら懐かしいものを感じたことを、よく覚えています。もちろん作品の傾向はずいぶん違いますが。

  とにかくそういう外国語で書く効果の面白さを「発見」し、自分なりに文章を書くリズムを身
 につけると、僕は英文タイプライターをまた押し入れに戻し、もう一度原稿用紙と万年筆を引っ
 張り出しました。そして机に向かって、英語で書き上げたI章ぶんくらいの文章を、日本語に
 「翻訳」していきました。翻訳といっても、がちがちの直訳ではなく、どちらかといえば自由な
 「移植」に近いものです。するとモこには必然的に、新しい日本語の文体が浮かび上がってきま
 す。それは僕自身の独自の文体でもあります。僕が自分の手で見つけた文体です。そのときに
 「なるほどね、こういう風に日本語を書けばいいんだ」と思いました。まさに目から鱗が落ちる、
 というところです。

                                                                   「第二回 小説家になった頃」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』

 

どのように、村上春樹の読者になっていったかを書かなければと思ったが、今夜は時間切れとなって
しまった。それでは次回を楽しみに。

                                     この項つづく

  ● 今夜の一品

水中ドローン登場?

 

 


漂流する日本

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    価値観がゼロであろうが、百であろうがどちらでも、一人一人の
        個性に従って自分の本音を言ったってだれからもとがめられる筋
        合いはない、というのが今の社会。それは別に遠慮することはな
        いと僕は思っています。

                                                   吉本 隆明 / 『国家と宗教のあいだに』 

 

 



● 折々の読書 『職業としての小説家』8


中国プラントの仕事を終え、仕事休みの午後、家でアサヒの壜ビールやあるいは35年に米国で、6
5年に日本初めて販売された缶ビールを飲み、81年初めてイタリア最大の調理師学校(CRFP)教授
フランチェスコの技術伝授の伊藤ハムのピッツアを食べながら村上春樹の小説を読むのが楽しみだっ
た時がしばらくつづいたが、コンテンポラリーな軽妙な『風の歌を聴け』と出会うことがなければこ
の生活スタイルはなかっただろうと思う。『羊をめぐる冒険』を経て村上の五作目の『ノルウェイの
森』までそれはつづいたが、それをやめた理由についてはあとにするとして、今夜も読み進めよう。


  ときどき「おまえの文章は翻訳調だ」と言われることがあります。翻訳調というのが正確にど
 ういうことなのか、もうひとつよくわからないのですが、それはある意味ではあたっているしあ
 る意味でははずれていると思います。最初の一章分を現実に日本語に「翻訳した」という字義通
 りの意味においては、その指摘には一理あるような気もしますが、それはあくまで実際的なプロ
 セスの問題に過ぎません。僕がそこで目指したのはむしろ、余分な修飾を排した「ニュートラル
 な」、動きの良い文体を得ることでした。僕が求めたのは「日本語性を薄めた日本語」の文章を
 書くことではなく、いわゆる「小説言語」「純文学体制」みたいなものからできるだけ遠ざかっ
 たところにある日本語を用いて、自分自身のナチュラルなヴォイスでもって小説を「語る」こと
 だったのです。そのためには捨て身になる必要がありました。極言すればそのときの僕にとって、
 日本語とはただの機能的なツールに過ぎなかったということになるかもしれません。

  それを日本語に対する侮辱ととる人も、中にはいるかもしれません。実際にそういう批判を受
 けたこともあります。しかし言語というのはもともとタフなものです。長い歴史に裏付けられた
 強靭な力を有しています。誰にどんな風に荒っぽく扱われようと、その自律性が損なわれるよう
 なことはまずありません。言語の持つ可能性を思いつく限りの方法で試してみることは、その有
 効性の幅をあたう限り押し広げていくことは、すべての作家に与えられた固有の権利なのです。
  そういう冒険心がなければ、新しいものは何も生まれてきません。僕にとっての日本語は今で
 も、ある意味ではツールであり続けています。そしてそのツール性を深く追求していくことは、
 いくぶん大げさにいえば、日本語の再生に繋がっていくはずだと信じています。

  とにかく僕はそうやって新しく獲得した文体を使って、既に書き上げていた「あまり面白くな
 い」小説を、頭から尻尾までそっくり書き直しました。小説の筋そのものはだいたい同じです。
 でも表現方法はまったく違います。読んだ印象もぜんぜん違います。それが今ある『風の歌を聴
 け』という作品です。僕はこの作品の出来に決して満足したわけではありません。書き上げたも
 のを読み直してみて、未熟で、欠点の多い作品だと思いました。自分か表現したいことの二割か
 三割くらいしか書けていない、と。でも初めての小説をなんとか、いちおう納得のいく形で最後
 まで書き上げたことで、自分はひとつの「大事な移動」を為し終えたのだという実感がありまし
 た。言い換えれば、あのときの  epiphany  の感覚に、ある程度自分なりにこたえることができた、
 ということになるかもしれません。

  小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」と
  いうのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。それは要するに、
  頭で文章を書くよりはむしろ体感で文章を書くということなのかもしれません。リズムを確保し、
 素敵な和音を見つけ、即興演奏の力を信じること。とにかく真夜中にキッチン・テーブルに向か
 って、新しく獲得した自分の文体で小説(みたいなもの)を書いていると、まるで新しい工作道
 具を手にしたときのように心がわくわくしました。とても楽しかった。そして少なくともそれは、
 僕が三十歳を前にして感じていた心の「空洞」のようなものを、うまく満たしてくれたようでし
 た。

  最初に書き上げたその「あまり面白くない」作品と、今ある『風の歌を聴け』を並べて比較対
 照できればわかりやすいのでしょうが、残念ながら「あまり面白くない」作品の方は破棄してし
 まったので、それはできません。どんなものだったか、自分でもほとんど覚えていません。とっ
 ておけばよかったんだけど、こんなもの要らないと思って、あっさりゴミ箱に放り込んでしまい
 ました。僕に思い出せるのは、「それを書いているときあまり楽しい気持ちにはなれなかった」
 ということくらいです。そういう文章を書くことが楽しくなかったんですね。それはその文体が、
 自分の中から自然に出てきた文体ではなかったからです。サイズの合わない服を着て運動してい
 るのと同じです。

  「群像」の編集者から「村上さんの応募された小説が、新人賞の最終選考に残りました」とい
 う電話がかかってきたのは、春の日曜日の朝のことです。神宮球場の開幕戦から一年近くが経ち、
 僕は既に三十歳の誕生日を迎えていました。たぶん午前十一時過ぎだったと思うのですが、仕事
 が前の日の夜遅くまであったので、そのときまだぐっすり眠っていました。寝ぼけていて、受話
 器をとったものの、相手がいったい何を僕に伝えようとしているのかうまく理解できません。僕
 は、本当に正直な話、その原稿を「群像」編集部あてに送ったことすらすっかり忘れていたから
 です。それを書き上げ、とりあえず誰かの手に委ねてしまったことで、僕の「何かを書きたい」
 という気持ちはもうすっかり収まっていました。いわば開き直って、思いつくままにすらすら書
 いただけの作品だったから、そんなものが最終選考に残るなんて予想してもいませんでした。原
 稿のコピーさえとっていません。だからもし最終選考に残っていなかったら、その作品はどこか
 に永遠に消えてなくなってしまっていたはずです。そして僕はもう小説なんて二度と書いていな
 かったかもしれません。人生というのは、考えてみれば不思議なものです。

  その編集者の話によれば、僕のものを含めて全部で五篇の作品が最終選考に残ったということ
 です。「へえ」と思いました。でも、眠かったこともあって、あまり実感は湧かなかった。僕は
 布団を出て顔を洗い、着替えて、妻と一緒に外に散歩に出ました。明治通りの千駄谷小学校のそ
 ばを歩いていると、茂みの陰に一羽の伝書鳩が座り込んでいるのが見えました。拾い上げてみる
 と、どうやら翼に怪我をしているようです。脚には金属製の名札がつけられていました。僕はそ
 の鳩を両手にそっと持ち、表参道の同潤会青山アパートメント(今は「表参道ヒルズ」になって
 いますが)の隣にある交番まで持って行きました。それがいちばん近くにある交番だったからで
 す。原宿の裏通りを歩いて行きました。そのあいだ傷ついた鳩は、僕の手の中で温かく、小さく
 震えていました。よく晴れた、とても気持ちの良い日曜日で、あたりの木々や、建物や、店のシ
 ョーウィンドウが春の日差しに明るく、美しく輝いていました。

  そのときに僕ははっと思ったのです。僕は間違いなく「群像」の新入賞をとるだろうと。そし
 てそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。すごく厚かましいみたいですが、
 僕はなぜかそう確信しました。とてもありありと。それは論理的というよりは、ほとんど直観に
 近いものでした。
  僕は三十数年前の春の午後に神宮球場の外野席で、自分の手のひらにひらひらと降ってきたも
 のの感触をまだはっきり覚えていますし、その一年後に、やはり春の昼下がりに、千駄谷小学校
 のそばで拾った、怪我をした鳩の温もりを、同じ手のひらに記憶しています。そして「小説を書
 く」意味について考えるとき、いつもそれらの感触を思い起こすことになります。僕にとってそ
 のような記憶が意味するのは、自分の中にあるはずの何かを信じることであり、それが育むであ
 ろう可能性を夢見ることでもあります。そういう感触が自分の内にいまだに残っているというの
 は、本当に素晴らしいことです。

  最初の小説を書いたときに感じた、文章を書くことの「気持ちの良さ」「楽しさ」は、今でも
 基本的に変化していません。毎日朝早く目覚めて、キッチンでコーヒーを温め、大きなマグカッ
 プに注ぎ、そのカップを持って机の前に座り、コンピュータを立ち上げます(ときどき四百字詰
 原稿用紙と、長く愛用していたモンブランの太い万年筆を懐かしく思いますが)。そして「さあ、
 これから何を書こうか」と考えを巡らせます。そのときは本当に幸福です。正直言って、ものを
 書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。小説が書けなくて苦労したという経験も
 (ありかたいことに)ありません。というか、もし楽しくないのなら、そもそも小説を書く意味
 なんてないだろうと考えています。苦役として小説を書くという考え方に、僕はどうしても馴染
 めないのです。小説というのは、基本的にすらすらと湧き出るように書くものだろうと思います。

  僕は何も、自分を天才だと思っているわけではありません。何か特別な才能が自分に具わって
 いると、あらためて考えたこともありません。もちろんこうして三十年以上、専業小説家として
 メシを食っているわけだから、まったく才能がないということはないはずです。たぶんもともと
 何かしらの資質、あるいは個性的な傾向みたいなものはあったのでしょう。でもそんなことにつ
 いて自分であれこれ考えたって、何も利するところはないと思っています。そんな判断は他の誰
 かに――もしそういう人がどこかにいるとすればですが--jまかせておけばいいのです。

  僕が長い歳月にわたっていちばん大事にしてきたのは(そして今でもいちばん大事にしている
 のは)「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」という率
 直な認識です。そして僕はなんとかそのチャンスをつかまえ、また少なからぬ幸運にも恵まれ、
 このように小説家になることができました。あくまで結果的にではありますが、僕にはそういう
 「資格」が、誰からかはわからないけれど、与えられたわけです。僕としてはそのようなものご
 との有り様に、ただ素直に感謝したい。そして自分に与ええられた資格を――ちょうど傷ついた
 鳩を守るように――大事に守り、こうして今でも小説を書き続けていられることをとりあえず喜
 びたい。あとのことはまたあとのことです。

                                     「第二回 小説家になった頃」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく 
                             

 

  

【再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る 15 】 

● データで見る日本のエネルギー政策の孤立性と特異性

 前回段で「ベストミックス」という用語と概念がいかに世界の潮流から乖離した日本固有の発想で
あるかが安田陽氏により論じられたが、今夜はひきつづき、国際比較分析を進め、日本のエネルギー
政策(特に電源構成のあり方)がいかに世界から孤立しているかをデータとエビデンスで示していく。
上図5、6は前回と同様、90年から13年(現在統計データが入手可能な最新の年)までの電源構成
を時系列で並べたもので、今回は図5にドイツ、図6に欧州(ただし経済協力開発機構(OECD)
に加盟している欧州25ケ国の平均)のグラフを示す。前回は変動性再エネ(VRE)の導入が著し
いデンマーク、ポルトガル、スペインの3ヶ国を例にったが、ドイツや欧州全体もこの3ケ国ほどで
はないものの、2000年以降少しずつ再エネ(特に風力と太陽光)の比率(導入率)が増加しており、
電源構成を徐々にかつ確実に変革させてきたことがグラフから読み取れる。

 このように再エネを増加させ、化石燃料を減らす努力を行っているのは何も限られた特殊な国だけ
の試みではなく、世界的な傾向となっている。このことを客観的に視覚化するために、以下では複数
の相関グラフを作成し、より高度な分析を進める。



● 相関図による国際比較分析

 上図7は横軸に90年と13年の火力発電導入率の差を、縦軸に同再エネ導入率の差を出して各国
のデータをプロットしたもの。図を一瞥してわかるよう、原点から左上ヘプロットが並んでいる分布
傾向が見てとれるが、これは「どの国も火力発電の比率を下げながら再エネの比率を上げてきた」と
いう傾向を示しす。特にデンマークは左上の領域にダントツで飛び抜けており、前述で示したように
90年代にはほとんど化石燃料だけで占められていた電源構成を、10年代まで30年かけて劇的に
変革した、ということをよく表している。

 一方、図7には比較のために、日本の10年(原発事故直前)、13年(原発事故後入手可能な最
新のデータ)30年のデータもプロットしている。まず10年のプロットを見ると、90年に対する
変化幅がマイナス、すなわち、再エネの比率を下げていることがわかります。これは他の主要先進国
の傾向と比較すると、特異的な現象であると言える。日本は原発事故前まで、再エネの比率を上げる
努力をしてこなかったばかりか、むしろ結果的に下げてしまった(すなわち再エネ以外の電源の比率
を上げることに専心していた)ことがわかる。

 さらに、日本は11年の原発事故の後、火力発電を増加させざるを得なかったが、他国並みに早い
年代から再エネを推進していれば、その分火力の増加もこれほど極端ではなかった可能性もあること
がこのグラフから推測できる。30年の目標案でも、「現在のフランス・米国より少しマシ」といっ
た程度に留まり、主要先進国各国の現在の実績(すなわち、30年から振り返ると15年以上も前の
各国実績)に遠く及ばない。というポジションであることが明らかになる。

● 石炭と再エネの相関に注目

 各国が火力の比率を下げ、再エネを増加させる努力を行っているのは、ひとえに地球温暖化防止(
最近では「気候変動緩和」と呼ばれることの方が多い)のための二酸化炭素排出量削減が目的として
いる。それに加えエネルギー輸入依存率の低減といったエネルギー安全保障の観点を重視するす。二
酸化炭素排出量削減という点では、化石燃料の中でも最も二酸化炭素排出量が多く気候変動枠組条約
締約国会議(COP)でも削減が強く叫ばれている石炭火力に着目して、上図7と同様の分析を行う。

 上図8は石炭火力と再エネの相関に着目した90年比の増減ポイントの相関グラフです。90年か
ら13年の約30年間で石炭の比率を増加させている国はほとんどない。この理由としては、昨夜の
図2の欧州全体の電源構成の変遷を見るとわかる。欧州の多くの国では2000年前後からガス火力
を新設し、石炭火力の比率を下げる努力を行ってきたからだと理解できます。
 一方、下図4のプロットの分布状況から一瞥して明らかな通り、日本のみが突出し(グラフの右下
の領域に位置しています。すなわち日本は主要先進国の中で唯一「再エネを増やさず石炭を大きく増
やしている」国であることがわかる。さらに、30年の目標でも石炭は大きく増えたままとなってお
り、日本は石炭を削減する意思がない、とも読み取れる。

 

● 世界のトレンドと日本のポジション

 さらに、90年からの各国の電源構成の変革の履歴に関しても、相関グラフで分析すると、下図9
は横軸に火力発電導入率、縦軸に再エネ導入率を取った相関グラフ。各国の90年から
5年ごとの履歴をプロットしたもの(最終年のみ最新データである13年をプロット)。図(a)に
変動性再エネ(VRE)の導入率トップ5の国(デンマーク、ポルトガル、スペイン、アイルランド、
ドイツ、図(b)にそれ以外の主要先進国をプロットしている。この図9から、各国とも年を追うごと
にグラフの右下から左上ヘプロットが移動していく傾向が見てとれる。特にデンマーク・ポルトガル・
アイルランドの3ヶ国は原子力発電を持たないため、再エネが増えた分だけそのまま火力が減ること
で左上がりの45度線上にプロットがきれいに並ぶことがわかる。

 それ以外の国も増減の大きさには差があるものの、いずれもグラフの左上に移動する傾向を示す。
一方、日本のプロット点の移動を見ると、他国と逆方向へ動いている。一番右のプロットである原発
事故後の13年を例外と見たとしても、90年から10年まではほぼ同じ位置に留まり、日本以外の
他の先進国とは明らかに異なる傾向となっている。同様に石炭火力と再エネの相関も90年からの履
歴を取ってみると、図6のようにな。ここでもほとんどの国がグラフ左上ヘプロットが移動する履歴
(すなわち石炭を下げ、再エネを上げる傾向)が見て取れる。なお、10年から13年にかけていくつ
かの欧州諸国で石炭の導入率が若干上昇する傾向を見せており、ここだけを取り出し、「再エネが増
えているのに石炭が増えており、再エネは二酸化炭素削減の役に立たない」とする主張も一部に見ら
れるが、90年からの長期的傾向を見れば、このような主張が近視眼的な分析であることが一目瞭然
となる。

 なお、この欧州の石炭の増加傾向の主原因は、再エネの増加というよりシェールガスに押された米
国産の安価な石炭の流人によるものだと推測されると安田氏は推測している。


下図10における日本の傾向に注目すると、グラフ右側へ水平移動している(すなわち再エネを増や
さず石炭を増やす)という傾向がはっきり見て取れれす。日本以外のすべての国がグラフ左上へ移動
する傾向を示すのとはまったく対照的に、日本のみが極めて特異な傾向を見せていることが、この相
関グラフの分折で明らかである。



これは、風力発電の導入量の数量をみると明らかである。先日、新エネルギー・産業技術総合開発機
構(NEDO)によると、3月末時点の日本の風力発電設備の導入は発電規模を示す出力ベースで2
93万キロワットだった。設置数は2034基。前年と比べ発電規模で24万キロワット、設置数で
113基それぞれ増えた。固定価格買い取り制度開始前の12年3月時点との比較では38万キロワ
ット、168基の増加にとどまる。2000万キロワットの設置がある太陽光発電に比べると導入ペ
ースは遅いと報告しているが(下図/上)、世界は370ギガワット(14年実績、下図/下)だか
日本のそれはわずか、0.8%と極端な特徴パラメータとなっている。

 

● 日本はどこへ向かうべきか?

  以上のように、再エネと火力発電(特に石炭火力)の相関グラフを用いた分析から明らかになった
ことをまとめると、主要先進国はどの国も火力発電(とりわけ石炭火力)を下げながら再エネを増や
す努力を行ってきている傾向がはっきりと読み取れる。火力低減や再エネ増加の度合いについては各
国でスピード感が異なるものの、その方向性にほとんど違いはない。それに対し、日本のみ、再エネ
を増やさず石炭を増やすという、他の先進国の傾向から大きく乖離した特異性を見せている、という
ことがわかる。

 このように、統計データを用いて客観的な国際比較分析を行ってみると、いかに日本のエネルギー
政策が他の主要先進国の動向から乖離しており、特異性と孤立性を際立たせているかが浮かび上がり
ます。もちろん、必ずしも他国に追従せず独自路線を歩むという選択肢もありますが、その場合でも
特異性や孤立性ではなく、他国から「やはり日本の取り組みはすばらしい」と技術力や姿勢を賞賛さ
れるような独自性が好ましい。現在日本で盛んに議論されているエネルギーミックス(電源構成)は、
今回分析したように国際的潮流から俯瞰すると特異で孤立しており、国際社会の一員としての日本の
立ち位置を認識して議論しないと、国の将来を見誤る可能性があると安田氏はこのように解説する。
しかし、これに対し、現自民党政権は、素直に耳を傾ける反応するだろうか?答えは明確である。

                                                                              この項了




今日は午後1時過ぎ、宗安時で母の初回忌・納骨式を無事すませる。夜はスーパームーンの特別な中
秋の名月を迎えた。ただ、月見団子は土曜日に彼女が食べろと言うことですませている。

菩提寺の控え室での待ち時間、奥にある納牌堂をのぞくと、日光東照大権現家康の位牌も納められる
ことを知る(施錠されているので現認できず)。これも大総督の井伊家の所以かと感心する。

                                          合掌 

最新ロギング工学

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    本日9月28日、私、福山雅治は、吹石一恵さんと結婚致しました。

 

 

【省エネ実践記: 冬に備えて】

今夜は大きなニュースが2つ。午後5時過ぎに福山雅治が結婚するというのだが、テレビ画面のアナ
ウンサーを観ていると全国の女性の悲鳴を、驚嘆する姿を肌に感じた。そして、このニュースを伝え
ると彼女が部屋入るなり瞳孔をはち切れんばかりにあけ、「○△※・・・」と叫び声に似たような奇
声をあげていた。やはりこんなことがあるんだと、貴重な体験?をする。2つめは、火星に水が存在
することが映像――火星軌道上から分光計を使ってこれを観測したところ、模様の部分から塩の結晶
とみられる鉱物を計測。NASA がこの結果から、この模様が「塩水が流れていた跡」である可能性が
高いと分析――でとらえられらこと。

※ "Water on Mars: Nasa reveals briny flows on surface - as it happened" theguardian 2015.09.29

 

毎年のこの時期になる冬の暖房対策と節電を考えることがパターン化している。ということで、2つ
のアイテムの購入検討を行う。1つは衣料品。ディギンズとオーバーオール――股下が蒸れて困ると
いう残件があるが――の着用は定着したといことで、この冬のアイテムにタートルネックウォーマ、
あるいはオフネックウォーマーとも呼ばれるが、上写真(定価699円)のオフタートルネックを購
入することを決定する。もう1つのアイテムは、電子レンジ用ブレッドメーカ(ルクエ)という調理
容器(下写真)。ブレッドメーカーとしてだけでなく、材料をまぜレンジで数分チン!するだけでお
肉やお魚は素材から出る油でおいしくローストでき、スチームロースター(レクエ製)の約2倍の大
きさで、パンはもちろん、肉、魚、野菜料理にも、野菜はシャキシャキでヘルシー料理でかんたんに
楽しめ、スポンジでさっと洗えお手入れも簡単。値段は高いが、アイデア次第でレシピの数はひろが
る。



【最新ロギング工学: バイオロギングが拓く未来】

生産現場は、人間力、総合科学力で決まると思う。電子部品の製造プロセスのスループットからスル
ーアウトの製造問題解決に長年携わった経験からそう思う。複数のプロセスにまたがる中間製品の製
造で発生する問題を臨機応変で対処するためのツールとして、30、40年前にはデーターロガーな
ど存在すらしなかったと言えば、『デジタル革命渦論』の進展で高性能で、コンパクトが普及した現
在では信じられないだろうが、例えば、中間製品の不良原因を調査に、その製品にセンサとデータロ
ガーを搭載し、その履歴データから原因を突き止めることもできなかったし、できたといても大きな
ものとなり、そのための工程変更が必要になり、変更によるまた新たな不良を発生させるという、時
には危険な目にあいながら、工程管理担当者から叱責さらなが、失敗を重ねてきたが、極小で、極薄
軽量で、高性能なセンサとデータロガーが搭載することがあれば、無駄な生産コストを逓減できる。

さて、バイオロギング(上図)の話。 野生生物の行動をモニタリング技術として,バイオロギング
とバイオテレメトリという技術があるが、下図の特許のように、導電性の十分低い淡水中を自由行動
する魚、亀、イルカ、鯨などの移動体(信号源)に取り付けた電極、温度センサ、圧力センサ、速度
センサ、位置センサないしトランスジューサなどから得られる電磁波信号をとぎれなく受信する水中
テレメトリー装置であって、該水中に多数の単位受信アンテナをお互いに大略波長以上の距離を離し
て分布配置し、これら多数の単位受信アンテナの各々から得られる受信信号をすべて同振幅と同位相
にて加算して受信機入力とする如く構成した水中テレメトリー装置を移動体の移動時の姿勢も分析で
きるデータを記憶させることができる、よりコンパクト構造の耐圧性データロガー装置が提案されて
いる(特開2011-080850)。また、水圏生物の複数の個体を、長期間にわたり、安定し高い信頼性で
追跡できる水圏生物のモニタリング装置及び方法を提供が提案されている(特開2013-044670)。さ
らに、音情報を視覚化する発光装置を用いた音源定位推定システムの提案がされている(特開2010-
133964)。
 

ここでは、昆虫の固体に、超小形カメラとデータロガーを搭載したバイオロギングが例はないが、近
い将来、虫ピンほどの薄さのデータロガー、センサや爪楊枝の径のカメラが開発されれば、広く社会
に応用展開され、旦那の浮気履歴データが法廷に提出され裁かれるといった現場か誕生しているかも
せれない。これは、大変面白いことだが、このように、えらい目に遭っているかもしれない。 



● 折々の読書 『職業としての小説家』9


   文学賞というものについて語りたいと思います。まず最初に、ひとつの具体的な例として、芥川龍之介
 賞(芥川賞)について話します。わりに生々しいというか、かなり直接的で機微に触れる話題な
 ので、語りにくいところもあるのですが、でも誤解をおそれずに、ここらへんでひとつ話してお
 いた方がいいかもしれない。そういう気がします。芥川賞について語ることは、あるい は文学
 賞というものについて総体的に語ることに通じるかもしれません。そして文学賞について 語る
 ことは、現代における文学のひとつの側面を語ることになるかもしれません。

  少し前のことですが、某文芸誌の巻末コラムに芥川賞のことが書かれていました。その中に芥
 川賞というのはよほど魔力のある賞なのだろう。落ちて騒ぐ作家がいるから、ますます名声が高
 まる。落ちて文壇から遠ざかる村上春樹さんのような作家がいるからますます権威のほどが示さ
 れる」という文章がありました。書いたのは「相馬悠々」という名前の人ですが、もちろん誰か
 の匿名でしょう。 

  僕はたしかにその昔、もう三十年以上前のことですが、芥川賞の候補に二度なったことがあり
 ます。どちらのときも受賞しませんでした。そしてたしかに文壇みたいなところから比較的離れ
 た場所で仕事をしてきました。でも僕が文壇から距離を置いて仕事をしていたのは、芥川賞をと
 らなかった(あるいはとれなかった)からではなく、そういう場所に足を踏み入れること自体に、
 そもそも関心も知識も持っていなかったからです。本来関係のない二つのものごとのあいだに、
 このような因果関係を(いわば)勝手に求められても、僕としては困ってしまいます。
 
  こういうことを書かれると、世の中には、「そうか、村上春樹は芥川賞をとれなかったから、
 文壇から離れて生きてきたのか」と素直に思い込んでしまう人だっているかもしれない。下手を
 したらそれが通説になってしまう恐れもあります。推論と断定とを使い分けるのは、文章を書く
 ことの基本じゃないかと思うんだけど、そうでもないのかな。まあ同じことをしていても、昔は
 「文壇に相手にもしてもらえない」と言われていたのが、最近では「文壇から遠ざかる」と言わ
 れるようになったのだから、むしろ喜ぶべきなのかもしれませんが。

  僕が文壇からわりに遠いところにいたのは、ひとつには僕の側に「作家になろう」というつも
 りがもともとなかったからだと思います。普通の人間としてごく普通に生活を送っていて、ある
 ときふと思い立って小説をひとつ書いて、それがいきなり新入賞をとってしまった。だから文壇
 がどういうものなのか、文学賞がどういうものなのか、そういう基礎的な知識をほとんどひとか
 けらも持っていなかったわけです。

  それからそのときは「本業」を持っていたので、日々の生活がなにしろ忙しく、片づけるべき
 ものごとをひとつひとつ片づけていくだけで手一杯だった、ということもあります。身体がいく
 つあっても足りないというか、必要不可欠ではないものごとと関わりを持つような時間的余裕が
 なかったのです。専業作家になってからは、そこまで忙しくはなくなったけれど、思うところあ
 って現実的に早寝早起きの生活を送るようになり、日常的に運動をするようになり、おかけで夜
 中にどこかに出かけるということもほとんどなくなりました。だから新宿のゴールデソ街にも足
 を踏み入れたことかありません。何も文壇に対して、あるいはゴールデン街に対して反感を持っ
 ているというのではありません。ただ現実的にそういう場所に関わったり、足を運んだりする必
 要性も時間的余裕も、その当時の僕にはたまたまなかったというだけです。

  芥川賞に「魔力がある」のかどうか僕はよく知らないし、「権威がある」かどうかも知らない
 し、またそういうことを意識したこともありませんでした。これまでに誰がこの賞を取って、誰
 が取っていないのか、それもよく知りません。昔から興味があまりなかったし、今でも同じくら
 い(というか、ますます)ありません。もしそのコラムの著者がおっしゃるように、芥川賞に魔
 力みたいなものがあったとしても、少なくともその魔力は僕個人の近辺にまでは及んでいなかっ
 たみたいです。たぶんどこかで道に迷って、僕のところまではたどり着けなかったのでしょう。

  僕は『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』という二作品でこの芥川賞の候補になり
 ましたが、正直に申しまして、僕としては(できればそのまますんなり信じていただきたいので
 すが)、とってもとらなくてもどちらでもいいと考えていました。
  『風の歌を聴け』という作品が文芸誌「群像」の新入賞に選ばれたときは本当に素直に嬉しか
 った。それは広く世界中に向かって断言できます。僕の人生におけるまさに画期的な出来事でし
 た。というのは、その賞が作家としての「入場券」になったからです。入場券があるのとないの
 とでは、話はまったく違ってきます。目の前の門が開いたわけですから。そしてその入場券一枚
 さえあれば、あとのことはなんとでもなるだろうと僕は考えていました。芥川賞がどうこうなん
 て、その時点では考える余裕さえありませんでした。

  もうひとつ、その最初の二作品については、僕自身それほど納得していなかったということも
 あります。それらの作品を書いていて、自分が本来持っている力のまだ二、三割しか出せていな
 いな、という実感がありました。なにしろ生まれて初めて書いたものなので、小説というものを
 どのように書けばいいのか、基本的な技術がよくわかっていなかったのです。今にして思えばと
 いうことですが、「二、三割しか力を出せていない」ということが、遂にある種の良さになって
 いる部分はなくはないと思います。しかしそれはそれとして、本人としては、作品の出来には満
 足しかねる部分が少なからずありました。

  だから入場券としてはそれなりに有効だけど、これくらいのレベルのもので「群像」新入賞に
 続いて芥川賞までもらってしまうと、遂に余分な荷物を背負い込むことになるかもしれない、と
 いう気がしたのです。今の段階でそこまで評価されるのは、いささか「トゥーマッチ」なんじゃ
 ないかと。もっと平たく言えば「え、こんなものでいいんですか?」ということですね。

  時間をかければ、これよりもっと良いものが書けるはずだ――そういう思いが僕にはありまし
 た。ついこのあいだまで自分が小説を書くなんて考えてもいなかった人間としては、かなり傲慢
 な考えかもしれません。自分でもそう思います。でも個人的な見解を正直に述べさせていただけ
 れば、それくらいの傲慢さがなければ、人はだいたい小説家になんてなりはしません。

 『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』、どちらのときもマスコミ的には芥川賞の「最
 有力候補」と言われ、まわりの人も受賞を期待したみたいだけど、前に述べたような理由で、僕
 としては受賞を逃してむしろほっとしたくらいでした。落とす方の選考委員の人たちの気持ちも、
 「まあ、そういうもんだろうな」と僕なりに理解することができました。少なくとも恨みに思っ
 たりはまったくしなかった。またほかの候補作品に比べてどうこうというようなことも考えませ
 んでした。

   その当時僕は都内でジャズ・バーのようなものを経営しており、ほとんど毎日店に出て働い
 ていたので 賞を取って世間的に脚光を浴びたりしたら、まわりが騒がしくなって面倒だろうな、
 ということもありました。
  いちおう客商売ですから、会いたくない人間が来ても、逃げるわけにいかない-とはいえ、耐
 えきれずに 逃げ出したことも何度かありますが。
  二度候補になり、二度落選したあとで、まわりの編集者だちから「これでもう村上さんはアガ
 リです。この先、芥川賞の候補にはなることはないでしょう」と言われて、「アガリって、なん
 だか変なものだな」と思ったのを覚えています。芥川賞というのは基本的に新人に与えられるも
 のなので、ある時期がくると候補リストから外されるようです。その文芸誌のコラムによれば六
 回も候補になった作家もいるということですが、僕の場合は二回でアガリだった。どうしてなの
 か、事情はよくわかりませんが、とにかくそのときは「村上はこれでもうアガリ」というコンセ
 ンサスが、文壇的・業界的にできていたみたいです。きっとそういうしきたりだったのでしょう。

  でもアガリになったからといって、別にがっかりすることもなかった。かえってすっきりした
 というか、芥川賞についてもうこれ以上考える必要がなくなった、という安堵感の方が強かった
 ように思います。僕自身は受賞してもしなくても、ほんとにどちらでもよかったんですが、候補
 になると、選考会が近づくにつれて周囲の人たちが妙にそわそわして、そういう気配がいささか
 煩わしかったことを覚えています。変な期待感かあり、モれなりの細かい苛立ちみたいなものが
 あった。また候補になるだけでメディアにも取り上げられ、その反響も大きく、反撥みたいなも
 のもあり、そういうあれこれが何かと面倒でした。二回だけでもずいぶん彭陶しいことが多かっ
 たのに、毎年そんなことが続いていたらと想像すると、それだけでかなり気が重くなります。
 
  中でもいちばん気が重かったのは、みんなが慰めてくれることでした。落選すると、多くの人
 が僕のところにやってきて、「今回は残念でしたね。でもきっと次には絶対とれますよ。次作、
 がんばってください」と言ってくれました。相手が――少なくとも多くの場合――好意で言って
 くれていることはわかるんだけど、そう言われるたびに、何と返事すればいいのかわからなくて、
 僕としてはなんだか複雑な気持ちになりました。「ええ、まあ……」みたいなことを言って話を
 適当にごまかすしかありません。「かまわないんですよ、とくに取らなくても」と言ったところ
 で、誰も額面通りには受け取ってはくれないだろうし、かえって場がしらけそうだし。

  NHKも面倒だったですね。候袖になった段階で「芥川賞を受賞されたら、翌朝のテレビ番組
 に出演してください」と言われます。そういう電話がかかってくる。僕は仕事が忙しいし、テレ 
 ビになんか出たくはないから(人前に出るのがもともと好きじゃない性格なので)、いやだ、出
 ませんと言ってもなかなか引き下がってくれない。遂になぜ出ないのかと腹を立てられたりもし
 ました。候補になるたびにそういうことがいろいろあって、煩わしく感じることが多かったです。


                                      「第三回 文学賞について」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

  

 

 

 

天王寺七坂暮情

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    Beer is proof that God loves us and wants us to be happy

         ビールは、神がわれらを愛し、幸せになれと求める証なり。

                      ベンジャミン・フランクリン







【天王寺七坂暮情】


梅田、曾根崎の北区は、日々変化成長する記憶の匂を残しているが、道修町や四天王寺(阿倍
野を含めず)は落ち着いたたたずまいの匂いを残しているのは、享楽街と鉄道駅の集中からは
ずれている所為なのだろう。もっとも、上本町や近鉄が、阿倍野には近鉄と旧国鉄があるもの
の、北の梅田の阪急、阪神、南の難波の南海、旧国鉄(ここだけは環状線の駅はない)の街の
生業に由来するのだろう。ところが、道修町や船場にも大きな神社仏閣が点在するものの、天
王寺の下寺町に仏閣が集中していることに、成人になるまで何の疑問も抱かずにいた。

この下寺町界隈は、南北千四百メートル、東西四百メートルのエリアに約80仏閣が集中し府
内では随一、全国でも珍しい寺町を形成しているが、織田信長と対立し抗争した石難攻不落の
“砦”として10年以上耐え抜いた蓮如による石山本願寺以外には、聖徳太子が建立した四天
王寺、藤原冬嗣発願の藤次寺など、中世からすでに幾つかの寺院が存在していたが、天正11
年(1583年)の豊臣秀吉による大坂の城下町建設とともに――大坂城は上町台地の北端に
位置し、東は平野川・北は大川などが天然の要塞となり、西は東横堀川を開削し守りを固め、
南側の防御を強化するため、上町台地に寺を集中的に移転――寺町作りが始まる。江戸時代に
は11の寺町があり、うち2つは天満に、9つは上町台地に集まっていた。時代によって変遷
があるものの、上町台地の9つの寺町に180余りの寺院が存在し、第二次大戦の大阪大空襲
を免れての現在の仏閣数は、京都を上回る密集状態にある。そういえば、侍という字、寺のひ
とと表し、元来貴族のそばで仕えて仕事をするという意味だが、仏閣を守衛警備という職務も
含まれ、仏閣の造りも、高い壁で守られ、門を閉ざし、高所から矢玉を射掛けやすくなってい
るので大阪城の防衛に機能させたものと考えられる。

ところで、天王寺は、四天王寺の略称として平安時代から使用され、当地で合戦が繰り広げら
れた南北朝時代から地名に転化した。駅北西に位置する一心寺から生國魂神社にかけては「夕
陽丘」と呼ばれ、上町台地はこの辺りが急崖になっており、落陽の眺めが良い。また、天王寺
村は、かつて大阪府東成郡にあった村で、現在の大阪市天王寺区南東半、阿倍野区北西半、生
野区西部、浪速区東部、西成区東部にあたる。さらに、阿倍野は、四天王寺- 住吉大社間の上
町台地上と西斜面をさす地名で、摂津国から和泉国に至る交通の要衝地。高燥地のに荒涼とし
た原野が広がっていたが、中近世には「阿部野」と表記されることが多く、現在でも大阪阿部
野橋駅や阿部野神社にその名残をとどめる。地名の由来として最も有力な説は「阿倍寺」やそ
の建立者である「阿倍氏」とされ、「阿倍野」が近現代においては主流となる。



近世に、東成郡天王寺村と阿部野村となり、天王寺村は既存の7つの集落と四天王寺門前の町
場に加え、天明・寛政年間に天下茶屋を編入し、約1万人の人口を擁する大村となる。一方
阿部野村は1618年(元和4年)に天王寺新家阿部野村になり、1663年(寛文3年)に
天王寺村から分村した人口約三百人の小村で、範囲も狭く、現在の阿倍野区松虫通、晴明通、
相生通、阿倍野元町、王子町、阪南町の2-4丁目付近にすぎず、1889年(明治22年)
に天王寺村と阿部野村が合併して東成郡天王寺村となる。



       江戸の世に各宗派ごと集めたる寺のこぞれりこの七坂に      横山季由



上の一首の「寺のこぞれり」の箇所で流れでつまづく。「寺の挙れり」つまり、寺を残らず集
めたとつづくのでこれは成立するわけだから己の無知を笑うしかない。この短歌は、歌人の横
山季由(ヨコヤマキヨシ)の手になるもの(『天王寺七坂』/「現代短歌」15年9月号)。
なお、作者は、昭和23年5月15日京都府綾部市に生る。昭和42年豊里東小学校、豊里中
学校を経て綾部高校を卒業、4月大阪大学法学部に入学、10月関西アララギに入会。昭和4
4年7月アララギに入会。昭和46年大阪大学を卒業、日本生命に入社。昭和54年早稲田大
学システム科学研究所を卒業(日本生命より派遣)。平成7年三星生命(韓国)顧問。平成1
4年日本生命名古屋支社長、首都圏業務部長、仙台総支社長、営業教育部長等を経てニッセイ
同和損害保険(株)。現在、新アララギ、短歌21世紀、関西アララギ、北陸アララギ(柊)、
放水路、の各会員の経歴をもつ。
 




         一昼夜に四千句も詠みし西鶴の座像は建ちぬ南坊の跡       横山季由

         夕陽ケ丘の一等地に石を建て並べ墓地分譲の幟はためく       同   上 



上の一首は、生玉(生國魂)神社南坊址に、浮世草子の作者の大阪を代表する作家井原西鶴の
像をみて詠んだもの。この神社は、元は大坂城付近にあり、寺町と同様、秀吉の築城計画に沿
ってこの地へ移した。完成は1585(天正13)年。大坂城の鬼門にあたり、ここも大坂城
防衛戦略に組み込まれた。秀吉は、ここを城の盾とするだけでなく、刀づくりのための鍛冶屋
職人、瓦職人や大工さんなどを集めた技能集団の町に特化させる。生國魂神社境内にある金物
や釜戸の神である鞴(ふいご)社は、製鉄、金属業界の守護神として11月の例祭には多くの
大手製鉄メーカが集まり、家造祖(やづくり]神社にはゼネコンのトップが集まる。

また、江戸時代に生玉神社で活躍した文化人として、上方落語の祖と言われる米沢彦八がいる。
大作家西鶴も初登場の場として生玉神社を選んでいる。このように生玉は、大阪の総鎮守とし
て崇敬されるとともに上方芸能と深い関係がある。また、浄瑠璃・文楽もある。境内には芸能
上達の神「浄瑠璃神社」があり、近松門左衛門をはじめ、三味線、人形遣い、太夫の文楽三業
の物故者が祀られる。

  
 「茶店軒を列ねて賑わしく」「傍邊の貸食屋(りょうりや)には荷葉(蓮の葉)飯を焚て
 進むさる程に遊客の手拍子きねが鼓の音に混じ三絃のしらべ神前の鈴の音に合して四時と
 もに繁盛なる」

                            『摂津名所図会大成』巻四


この賑わいを利用して様々な興行が催され、その中から彦八や西鶴を輩出し今日まで語り継が
れることになる。寛文十三年(1873)三月、当時は井原鶴永と名乗っていた32才の西鶴
が生玉神社南坊で行ったのは「万句興行」。十二日間を要して百韻百巻を成就した一大パフォ
ーマンス。「出座の俳士総べて百五十人、猶追加に名を連ねた者を加へると、優に二百人を超
える」(野間光辰 『刪補 西鶴年譜考證』)という大興行。同年(延宝元年)六月にはそれが
『生玉万句』として刊行されるが、それまで無名の西鶴の本格的デビューする。つまり、お笑
いと人情の上方文化を育んだのが"生玉さん"という背景がこの歌に読み込まれている。
    

         夕陽ケ丘の一等地に石を建て並べ墓地分譲の幟はためく       横山季由

         上町台地の下には海の迫りゐて防人も憶良も船出をしたり       同   上 


山上は、春日氏の一族にあたる皇別氏族の山上氏の出自とされ、山上の名称は大和国添上郡山
辺郷の地名に由来するとされるが、大宝元年(701年)第七次遣唐使の少録に任ぜられ、翌
大宝2年、唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する。仏教や儒教の思想に傾倒。死や貧、
老、病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察する。このため、官人にあり
ながら、重税に喘ぐ農民や防人に狩られる夫を見守る妻など社会的な弱者をを多数詠み、当時
としては異色の社会派歌人で知られるが、「憶良」と「防人」を並べ詠んだのはそのことも意
識したためと思われる。


      下駄をはき僧衣の裾をひるがへし口縄坂を下りゆきたり   横山季由

       口繩坂登れば梅旧禅院あり芭蕉の木像をみ堂に祀りて       同    上

       降り口に桐の花咲く愛染坂を自転車飛ばし若者下る         同  上



松尾芭蕉のお墓は、滋賀の県大津市にある「義仲寺」にあるが、ここ大坂でも、芭蕉を慕う門
人や後世、芭蕉の顕彰に努めた人達により、墓が建てられる。ここ宝光山梅旧禅院は、曹洞宗
の寺院。松尾芭蕉が南御堂近くの花屋仁左衛門宅で亡くなった時、当時の梅旧禅院の住職がお
経を読んだと『花屋日記』に記録されている。境内には「芭蕉堂」があり、中には「芭蕉像」
が安置されている。この像は、もとは円成院に志太野坡が芭蕉の墓や句碑を建てた折、芭蕉の
木造を寄贈したが、この木造が粗末に扱われたため、これを知った不二庵二柳が怒り、芭蕉像
を引き取り梅旧禅院に芭蕉堂を建て、安置したと伝わる。口縄坂(くちなわざか)は、天王寺
区にある「天王寺七坂」のひとつ。「大阪みどりの百選」に選定されている。「口縄」とは大
阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることから
そう呼ばれるようになった。芭蕉の供養塔もこ坂界隈の梅旧院の中にある。

同じく、愛染坂の上には、勝鬘院(しょうまんいん)がある。この寺院は、和宗の寺院。山号
は荒陵山。本尊は愛染明王で、愛染堂とも呼ばれ、四天王寺別院、西国愛染十七霊場・第一番
札所、聖徳太子霊跡・第二十九番札所である。   

       

 
      北鮮系の人手に渡りし雲水寺今は統国寺とその名を変へぬ  横山季由

      茂吉らの歌会開きし雲水寺にアララギに繋がる吾らの集ふ  同  上

      昭和十年五月五日の憲吉忌茂吉文明ら雲水寺に集ひき    同  上

      茂吉らに繋がる吾らのひらく歌会を喜び下さる住職夫人は  同  上 

      戦火にも焼けず残りし雲水寺人手に渡り寺の名変へき    同  上



ここの雲水寺、つまり和気山統国寺は釈迦三尊を本尊とする在日コリアンの寺です。境内は
茶臼山史蹟の南部に隣接し難波の百済寺(難波百済古念仏寺)があったといわれている。茶臼
山池(河底池)を望む絶景地で大阪の名勝して知られる。元は聖徳太子が寺をの創建。602
年来日し暦法・天文学・地理学・方術などを伝えた百済の僧観勒(かんろく)が飛鳥寺で仏法
を説き僧正に任ぜられた後 開山住持としてここに招かれ、百済古念仏寺と名づけられ推古天
皇の帰依により国家の厚い保護を受け、元和元年(1615年)の大阪夏の陣で、徳川方に加
勢したため 真田幸村軍の攻撃により全山焼失するが、1689年黄檗宗の法源和尚により再
興されている。

また、宝永6年(1709年)、黄檗四代独湛(どくたん)和尚を招請して黄檗宗(おうばく
しゅう)に属し名を邦福寺と改め、さらに、近くの和気清麻呂が開いた和気堀にちなみ和気山
の山号をつけ。門前には 禅の修行僧が食べた普茶料理をだす坂口楼があり、昭和44年(19
69年)に在日本朝鮮仏教徒協会の傘下に入り、統国寺と改名され再復興する。朝鮮仏教儀礼
と朝鮮の伝統のある儀式を行い、納骨堂には朝鮮人殉難者達の遺骨が奉安され、諸精霊の供養
を通して世界平和を祈る。

古くより 文化人に愛され、斉藤茂吉のアララギ派大阪歌会もここで しばしばおこなわれて
いる。上の一首の憲吉は、この俳人、随筆家。大阪府生まれ。実家は料亭・なだ万の楠本憲吉。
文明は、歌人・国文学者の土屋文明。茂吉は、歌人、精神科医で、伊藤左千夫門下で、大正か
ら昭和前期にかけてのアララギの中心人物の斎藤茂吉。しかし、昭和10年(1935年)5
月5日が意味するところ不詳(要調査)。



      通天閣も統べてビルなかに群を抜きあべのハルカス高く天指す  横山季由




 


さて、今夜は短歌から、天王寺七坂を巡ってみた。思えば、四天王寺は、推古天皇元年(59
3年)に建立。「日本書紀」によると、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏に
ついた聖徳太子が形勢の不利を打開のために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝たせ
ていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう。」と誓願し、勝利の後その誓い
を果すために建立された。敏達元年 (572)、物部守屋は排仏派として、崇仏派の大臣蘇我
馬子と対立していた。同14年(585)諸国に疫病が流行すると,守屋は,この疫病の流行
を馬子が仏像を礼拝し寺塔を建立したためであるとして,寺塔を焼き,仏像を難波堀江に捨て
ている。そう、堀江といえばわたしの実家があったところだった。




● 折々の読書 『職業としての小説家』10

   ときどき世間の人はどうしてこんなに芥川賞のことばかり気にするんだろうと不思議に
 思うことがあります。しばらく前のことですが、書店に行ったら『村上春樹はなぜ芥川賞
 をとれなかったか』みたいなタイトルの本が平積みになっていました。どんな内容だか、
 読んでないのでわからないけど――恥ずかしくてとても本人は買えませんよね――でもそ
 ういう本が出版されること自体、「なんか不思議なものだな」と首を傾げないわけにはい
 きません。だって僕が仮にそのとき芥川賞をとっていたとして、それによって世界の運命
 が変わっていたとは思えないし、僕の人生が大きく様変わりしていたとも思えないからで
 す。世界はおおむね今ある状態のままだったはずだし、僕も以来三十年以上、まあ少しく
 らいの誤差はあったかもしれないけど、だいたい同じようなペースで執筆を続けてきたは
 ずです。

  僕が芥川賞をとろうがとるまいが、僕の書く小説はおそらく同じような種類の人々に受
 け入れられ、同じような種類の人々を苛立たせてきたはずです(少なからざる数のある種
 の人々を苛立たせるのは、文学賞とは関係な(僕の生まれつきの資質のようです)。
  僕がもし芥川賞をとっていたら、イラク戦争は起こっていなかったみたいなことであれ
 ば、僕としてももちろん責任を感じるのでしょうが、そんなことはあり得ない。なのにど
 うして、僕が芥川賞をとらなかったことがわざわざ一冊の本になったりするのか? 

  正直言ってもうひとつ理解できないところです。僕が芥川賞をとったかとらなかったか
 なんて、コップの中の嵐というか……嵐どころか、つむじ風にもならないような些細なこ
 とです。 こういうことを言うと角が立ちそうですが、芥川賞というのはもともと文藷春
 秋という一出版社が主宰するひとつの賞に過ぎません。文熱春秋はそれを商売としてやっ
 ている-とまでは言わないけど、まったく商売にしていないといえば嘘になります。

  いずれにせよ、長く小説家をやっている人間として、実感で言わせてもらえれば、新人
 レベルの作家の書いたものの中から真に刮目すべき作品が出ることは、だいたい五年に一
 度くらいのものじやないでしょうか。少し甘めに水準を設定して二、三年に一度というと
 ころでしょう。なのにそれを年に二度も選出しようとするわけだから、どうしても水増し
 気味になります。もちろんそれはそれでぜんぜんかまわないんだけど(賞というのは多か
 れ少なかれ励ましというか、ご祝儀のようなものだし、間口を広げるのは悪いことではな
 いから)、でも客観的に見て、そんなに毎回マスコミあげて社会行事のように大騒ぎする
 レベルのものなのだろうかと思ってしまいます。

  そのへんのバランスがちょっとおかしくなっている。

  しかしそんなことを言い出したら、芥川賞のみならず、世界中すべての文学賞が「どれ
 だけの実質的価値がそこにあるのか?」という話になってしまいますし、そうなると話が
 前に進まなくなる。だって賃と名の付くもの、アカデミー賃からノーベル文学賃に至るま
 で、評価基準が数値に限定された特殊なものを除けば、その価値の客観的裏付けなんてい
 うものはどこにもないからです。けちをつけようと思えば、いくらでもつけられる。あり
 がたがろうと思えば、いくらでもありがたがれる。



  レイモンド・チャソドラーはある手紙の中で、ノーベル文学賞についてこのように書い
 ています。「私は大作家になりたいだろうか? 私はノーベル文学賃を取りたいだろうか?
 ノーベル文学賞がなんだっていうんだ。あまりに多くの二流作家にこの賃が贈られている。
 読む気もかき立てられないような作家たちに。だいたいあんなものを取ったら、ストック
 ホルムまで行って、正装して、スピーチをしなくちゃならない。ノーベル文学賃がそれだ
 けの手間に値するか? 断じてノーだ」

  アメリカの作家ネルソン・オルグレン(『黄金の腕を持った男』『荒野を歩け』)はカ
 ート・ヴォネガットの強い推薦を受けて、1974年にアメリカ文学芸術アカデミーの功
 労賃受賞者に選ばれたのですが、そのへんのバーで女の子と飲んだくれていて、授賃式を
 すっぽかしました。もちろん意図的にです。送られてきたメダルをどうしたかと尋ねられ
 て、「さあ……どこかに投げ捨てたような気がする」と答えました。『スタッズ・ターケ
 ル自伝』という本にそんなエピソードが書いてありました。

  もちろんこの二人は過激な例外なのかもしれません。独自のスタイルと、一貫した反骨
 精神を持って人生を生きた人たちですから。しかし彼らが共通して感じていたのは、ある
 いは態度によって表明したかったのはおそらく、「真の作家にとっては、文学賞なんかよ
 り大事なものがいくつもある」ということでしょう。そのひとつは自分が意味のあるもの
 を生み出しているという手応えであり、もうひとつはその意味を正当に評価してくれる読
 者が――数の多少はともかく――きちんとそこに存在するという手応えです。そのふたつ
 の確かな手応えさえあれば、作家にとっては賞なんてどうでもいいものになってしまう。
 そんなものはあくまで社会的な、あるいは文壇的な形式上の追認に過ぎません。

  しかし世間の人々は多くの場合、具体的なかたちになったものにしか目を向けないとい
 うことも、また真実です。文学作品の質はあくまで無形のものですが、賞なりメダルなり
 が与えられると、そこに具体的なかたちがつきます。そして人々はその「かたち」に目を
 向けることができます。そのような文学性とは無縁の形式主義が、そしてまた「賞を与え
 てやるから、ここまで取りに来なさい」という権威側の「上から目線」が、チャンドラー
 やオルグレンを必要以上に苛立たせたのではないでしょうか。

  僕もインタビューを受けて、賞関連のことを質問されるたびに(国内でも海外でも、な
 ぜかよく質問されます)、「何より大事なのは良き読者です。どのような文学賞も、勲章
 も、好意的な書評も、僕の本を身銭を切って買ってくれる読者に比べれば、実質的な意味
 を持ちません」と答えることにしています。自分でも飽き飽きするくらい何度も何度も繰
 り返し、同じ答えを返しているのですが、ほとんど誰もそういう僕の言い分には本気で耳
 を貸してくれないみたいです。多くの場合無視されます。

  でも考えてみたら、これはたしかに実際、退屈な回答かもしれませんね。行儀の良い「
 表向きの発言」みたいに聞こえなくもない。自分でも時々そう思います。少なくともジャ
 ーナリストが興味をそそられる類のコメントではない。しかしいくら退屈でありふれた回
 答であっても、それが僕にとっては正直な事実なのだから仕方ありません。だから何度で
 も同じことを繰り返し口にします。読者が千数百円、あるいは数千円の金を払って一冊の
 本を買うとき、そこには思惑も何もありません。あるのは「この本を読んでみよう」とい
 う(たぶん)率直な心持ちだけです。

  あるいは期待感だけです。そういう読者のみなさんに対しては、僕は心から本当にあり
 かたいと思っています。それに比べれば――いや、あえて具体的に比較するまでもないで
 しょう。
  あらためて言うまでもありませんが、後世に残るのは作品であり、賞ではありません。
 二年前の芥川賞の受賞作を覚えている人も、三年前のノーベル文学賞の受貧者を覚えてい
 る人も、世間にはおそらくそれほど多くはいないはずです。あなたは覚えていますか? 
  しかしひとつの作品が真に優れていれば、しかるべき時の試練を経て、人はいつまでも
 その作品を記憶にとどめます。



  アーネスト・ヘミングウェイがノーベル文学賞をとったかどうか(とりました)、ホル
 ヘールイス・ボルヘスがノーベル文学賞をとったかどうか(とったっけ?)、そんなこと
 をいったい誰が気にするでしょう? 文学賞は特定の作品に脚光をあてることはできるけ
 れど、その作品に生命を吹き込むことまではできません。いちいち断るまでもないことで
 すが。芥川賞をもらわなくて損したことが何かあったか? ちょっと頭を巡らしてみたん
 ですが、それらしきことはひとつも思いつけませんでした。じゃあ得をしたことはあった
 か? どうだろう、芥川賞をもらわなかったせいで得をしたということも、べつになかっ
 たような気がします。

  ただひとつ、自分の名前の横に「芥川賞作家」という「肩書き」がつかないことについ
 てはいささか喜ばしく思っているところがあるかもしれません。あくまで予想に過ぎない
 のですが、いちいち自分の名前のわきにそんな肩書きがついたら、なんだか「おまえは芥
 川賞の助けを借りてこれまでやってこれたんだ」みたいなことを示唆されているようで、
 いくぶん煩わしい気持ちになったんじゃないかという気がします。今の僕にはとくにそれ
 らしい肩書きが何もないので、身軽というか、気楽でいいです。ただの村上春樹である(
 でしかない)というのは、なかなか悪くないことです。少なくとも本人にとっては、そん
 なに悪くないです。 

  でもそれは芥川賞に対して反感を持っているからではなく(繰り返すようだけど、そん
 なもの僕の中にはまったくありません)、自分があくまで僕という「個人の資格」でもの
 を書き、人生を生きてきたことについて、僕なりにささやかな誇りを持っているからです。
 たいしたものじゃないかもしれないけど、それは僕にとっては少なからず大事なことなの
 です。



  あくまで目安に過ぎないのですが、習慣的に積極的に文芸書を手に取る層は、総人口の
 おおよそ五パーセントくらいではないかと僕は推測しています。読者人口の核とも言うべ
 き五パーセントです。現在、書物離れ、活字離れということがよく言われているし、それ
 はある程度そのとおりだと思うんだけど、その五パーセント前後の人々は、たとえ「本を
 読むな」と上から強制されるようなことがあっても、おそらくなんらかのかたちで本を読
 み続けるのではないかと想像します。レイ・ブラッドベリの『華氏451度』みたいに、
 弾圧を逃れて森に隠れ、みんなで本を暗記しあう――とまではいかずとも、こっそりどこ
 かで本を読み続けるんじゃないかと。もちろん僕だってそのうちの一人です。

  本を読む習慣がいったん身についてしまうと-そういう習慣は多くの場合若い時期に身
 につくのですが―それほどあっさりと読書を放棄することはできません。手近にYouTube
  があろうが、3Dビデオゲームがあろうが、暇があれば(あるいは暇がなくても)進んで
 本を手に取る。

                                     「第三回 文学賞について」
                              村上春樹 『職業としての小説家』 


今回もとりたてて食いつくところがなかった。次回はこの続きと、「第四回 オリジナリティ
について」に入る。


                                   この項つづく






  

 

油断! 事例研究

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    ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽と
        どこがどう違うのか、ということを筋道立てて言語化しようとすると、
        これは至難の業になります。

                                  村上春樹 /  『職業としての小説家』 

 

 【油断! 事例研究Ⅰ】

● 特定外来生物「ツマアカスズメバチ」日本列島上陸中!

世界中でミツバチを食い荒らす外来種「ツマアカスズメバチ」が中国由来、韓国経由し、この日本に
も上陸し、農産物の被害をもたらせている。この蜂は非常に凶暴で、人にとって危険というだけな
く、ミツバチを主食としているため、養蜂業や農業に打撃を与える可能性があり下記の驚異の特徴を
もつ。

(1)生息範囲を急激なスピードで拡大する。
(2)養蜂・農産物に大きな被害を与える。
(3)針害事故の多発で死者も出ている。 

すでに、12年に長崎県・対馬への侵入が確認され、中国原産の個体が船などで紛れ込んできたとみ
られている。当初、島の北部のみだった、わずか1年ほどで島の南部にも巣が見られるようになる。
対馬ではニホンミツバチを使った日本古来の養蜂業が盛んに行われ、ミツバチをエサとするツマアカ
スズメバチにより、既に甚大な被害が発生。ひとつの養蜂業者だけで年間、10以上の巣箱(蜂洞)
が全滅させられたという事例あり、すでに北九州でも発見されている。

     

それでは、その駆除方法はというと、早目の対策が必要だと警告されているものの、巣は、駆除が困
難な高い木の上や、崖の上などに多く現状の対策(従来のスズメバチ駆除方法)では分布の拡大を防
ぐには不十分だとされているが、スズメバチ駆除の職業専門家によると、(1)迅速な対応、(2)
蜂を一匹も逃さず、一網打尽に捕獲・駆除――蜂の出入口の封鎖・殺虫剤散布する。(3)蜂防護服
の着用、 ファイバースコープの使用、閉鎖箇所に薬剤が充満した場合に備え強制換気装置の使用、
ハシゴが届かない場所には高所作業車を使用。

手順としては、関係役所への通報――(1)発見場所、(2)蜂の種類――ツマアカスズメバチは尻
がオレンジ色している、(3)巣の大きさ、(4)駆除対象となる巣の数の把握を行い、デジカメ・
形態電話カメラでの撮影映像を伝送するなど必要な情報を伝えた上、役所の指示要項を聞き出し、職
業駆除専門家に依頼する。

以上のことを踏まえ、油断することなく脅威から防衛することが肝要と腹をくくる。とういえ、地震・
原発事故・集中豪雨などの異常気象(滋賀は火山がない直接的な被害除かれる)、シロアリ駆除・庭
の害虫退治となにかと家を守るのも大変な時代なようだ。トホホのホ・・・!。^^;。

 

● 中米で電力供給のための太陽光発電ソリューション導入

パナソニックは9月30日、中米エルサルバドルに合計出力2.5メガワットのメガソーラー(大規
模太陽光発電所)を設置したと発表した。同国内で電力を供給するグルーポ・シマン社が所有する「
エル・アンヘル綿織物倉庫」の屋根に設置。出力5百キロワットの3つの太陽光発電システムと、出
力1メガワットの1つのシステムから構成されており、1日約1万1千キロワット時の発電が可能。
発電電力は、エルサルバドル政府系電力会社に売電するほか、企業への直接売電分もある。

シャープなどの日の丸ソーラーパネルメーカは軒並み中国の官民複合メーカなどの攻勢でことごとく
惨敗のなか、京セラ、パナソニックが徳俵で踏みとどまっている感を拭えないなか、今回の導入は、
政府による入札を通じ、グルーポ・シマン社の産業部とパナソニックとのパートナーシップによって
実現したというが、その内実はどのようなものか?ほこりの多い中米地域では、導入にあたって、機
材・システムなどの保守・管理体制の構築が重要っだが、今回、パナソニックは、発電設備のほか、
システムのパフォーマンスについても保証――9台のインバーターや1万19枚のパネルの稼働状況
をオンラインでモニタリングし、不具合があっても瞬時に把握し、迅速に対処可能――したことが成
功要因である。 

 

当のパナソニックは、グローバルでクリーンエネルギーへの意識が高まる中、40年の歴史を持つ太
陽光発電システムとサービスで、世界から品質に対する信頼を集めているが、ワンストップサービス、
設計、ヒアリング、モニタリング、保守管理のすべての局面で常に技術とサービスの向上に努め、こ
れからもグローバルでのチャレンジを続けていくという。

 

   

● トヨタより先行した本田の燃料電池自動車が登場!
 
本田技研工業は、第44回東京モーターショー(開催期間:15年10月28日~11月8日。一般
公開は10月30日から)で、燃料電池自動車(FCV)のセダンを世界初公開する。このセダンは、
08年にリース販売された世界初のFCV専用設計セダン「FCXクラリティ」のコンセプトを受け継ぐ市
販モデル。FCVクラリティでは、左右座席間のセンタートンネル内に燃料電池スタックが設置。乗車
定員は4人だったが、新型モデルでは燃料電池スタックや発電システムなどを大幅に小型化。燃料電
池パワートレインをV6エンジンと同等のサイズまで小型化することで、市販車セダンとして、世界で
初めてボンネット内に集約し、「大人5人が快適に座れる、ゆとりあるフルキャビンパッケージ」を
実現。

搭載燃料電池の最高出力は百キロワット超、モーターの最高出力130キロワット、航続距離は7百
キロメートル以上(JC08モード走行時)に達する。水素タンクの充塡時間は3分程度――ガソリン車
と同等。エクステリアデザインは“BOLD and AERO”をコンセプトとし、「堂々とした車格を演出す
るワイド&ローボディーと、空力性能を追求した流麗なフォルムを融合」。「瞬間認知・直感操作の
設計思想」に基づいたインターフェースデザインを採用した広さを感じるシンプルな構成仕上げ。

ところで、ホンダはFCVの本格的な普及を進めるため、「つくる」「つかう」「つながる」をコンセ
プトに、水素社会の実現に向けた研究開発を続けており、「スマート水素ステーション」は独自の高
圧水電解システムを水素ステーションで、事前に工場で組み立てて設置する「パッケージ化された水
素ステーション」で、設置工事期間と設置面積が大幅削減。またスマート水素ステーションは、すで
にさいたま市と北九州市に設置され、実証実験が進行中。さらに、新型モデルを一般家庭のおよそ7
日分の電力をまかなう「発電所」として利用可能な外部給電用インバーターを同時公開する。



それにしてもフォルクワーゲンの不正事件は、世界の自動車産業に衝撃をあたえた。環境リスク本位
制時代にあって、致命的な倫理行動違反を犯ししたというだけでなく、米国市場進出の戦略的誤算り
は、水素電池自動車と電気自動車の二頭立ての競合舞台であることの見落としであった。、
 


● 折々の読書 『職業としての小説家』11 

 そしてそういう人たちが二十人に一人でもこの世界に存在する限り、書物や小説の未来について
 僕が真剣に案じることはありません。電子書籍がどうこうというようなことも、今のところとり
 たてて心配はしていません。紙だろうが画面だろうが(あるいは『華氏451度』的な目頭伝承
 だろうが)、媒体・形式は何だってかまわないのです。本好きの人たちがちゃんと本を読んでく
 れさえすれば、それでいい。 

  僕が真剣に案じるのは、僕自身がその人たちに向けてどのような作品を提供していけるかとい
 う問題だけです。それ以外のものごとは、あくまで周辺的な事象に過ぎません。だって日本の総
 人口の五パーセントといえば、六、百万人程度の規模になります。それだけのマーケットがあれ
 ば、作家としてなんとか食べ繋いでいけるのではないでしょうか。日本だけではなく、世界に目
 を向ければ、当然ながら、読者の数はもっと増えていきます。
  ただし残りの人口の九五パーセントに関していえば、この人たちが文学と正面から向き合う機
 会は、日常的にそれほど多くはないだろうし、そしてその機会はこれからますます減少していく
 かもしれません。いわゆる「活字離れ」は更に進行していくかもしれません。それでもおそらく
 今のところ――これもまただいたいの目安に過ぎないのですが――少なくともその半分くらいは、
 社会文化の事象としての、あるいは知的娯楽としての文学にそれなりの興味を抱いており、機会
 があれば本を手に取って読んでみようと考えているように見受けられます。文学の潜在的受け手
 というか、選挙で言えば「浮動票」です。だからそのような人々のための、なんらかの窓口が必
 要になる。あるいはショールームのようなものが。そしてその窓口=ショールームのひとつを、
 今のところ芥川賞がつとめている(これまでつとめてきた)ということになるかもしれません。

 ワインでいえばボジョレ・ヌーボー、音楽でいえばウィーンのニューイヤーズ・コンサート、ラ
 ンニングでいえば箱根駅伝のようなものです。それからもちろんノーベル文学賞があります。し
 かしノーベル文学賞まで行ってしまうと、話がいささか面倒になります。

  僕は生まれてこの方、文学賞の選考委員をつとめたことが一度もありません。頼まれることも
 なくはないのですが、そのたびに「中し訳ありませんが、僕にはできません」とお断りしてきま
 した。文学賞の選考委員をつとめる資格が自分にはないと思っているからです。
  どうしてかといえば、理由は簡単で、僕はあまりにも個人的な人間でありすぎるからです。僕
 という人間の中には、僕自身の固有のヴィジョンがあり、それに形をyえていく固有のプロセス
 があります。そのプロセスを維持するためには、包括的な生き方からして個人的にならざるを得
 ないところがあります。そうしないとうまくものが書けないのです。
 
  でもそういうのはあくまで僕自身のものさしであって、僕自身には適していても、そのままほ
 かの作家に当てはまるとは思えません。「自分のやり方以外のすべてのやり方を排除する」とい
 うことでは決してないのですが(僕のやり方とは違っていても、敬意を抱かされるものは、もち
 ろん世の中に数多くあります)、中には「これはどうしても自分とは相容れない」、あるいは「
 これは理解することもできない」というものもあります。いずれにせよ僕は、自分という軸に沿
 ってしか、ものごとを眺め、評価をすることができないのです。良く言えば個人主義的だけど、
 べつの言い方をするなら自己本位で、身勝手なわけです。で、僕がそんな身勝手な軸やものさし
 を持ち込んで、それに沿って他人の作品を評価したりしたら、された方はたまらないだろうとい
 う気がします。既に作家としての地位がある程度固まった人ならともかく、出たばかりの新人の
 作家の命運を、僕のバイアスのかかった世界観で左右するようなことは、おそろしくてとてもで
 きない。

  とはいえ、そういう僕の態度は作家としての社会的責任の放棄にあたるんじゃないかと言われ
 れば、まあそのとおりかもしれません。僕だって「群像新人文学賞」という窓口を通過し、そこ
 で入場券を一枚受け取って、作家としてのキャリアを開始したわけです。もしその賞をとらなか
 ったら、僕はおそらく小説家になっていなかったんじゃないかという気がします。「もういいや」
 と思って、そのあと何も書かないままで終わっていたかもしれない。じゃあ、僕としても同じよ
 うなサービスを若い世代に向かって提供する責務があるのではないか? 世界観に多少のバイア
 スがかかっていたとしても、努力して最低限の客観性を身につけ、後輩のために今度はおまえが
 入場券を発行し、チャンスを与えてあげるべきなのではないか? そう言われれば、たしかにそ
 のとおりかもしれません。そういう努力をしないのはひとえに僕の怠慢であるかもしれません。

  しかし考えていただきたいのですが、作家にとって何より大事な責務は、少しでも質の高い作
 品を書き続け、読者に提供することです。僕はいちおう現役の作家だし、言い換えれば未だ発展
 途上にある作家です。今自分が何をしているのか、これから何をすればいいのか、それをまだ手
 探りで探す立場にある人間です。文学という、いねば戦場の最前線で、生身で切り結んでいる状
 態の人間です。そこで生き残り、なおかつ前に進んでいくこと、それが僕にyえられた課題です。

 他人の作品を客観的な視線で読んで評価し、責任を持って推奨したり、あるいは却ドしたりする
 作業は、現在の僕の仕事の範囲には入っていない。真剣にやれば――もちろんやるからには真剣
 にやるしかないわけですが――少なからぬ時間とエネルギーが要求されます。そしてそれは、自
 分の仕事に割く時間とエネルギーが奪われることを意味します。正直なところ、僕にはそれだけ
 の余裕はありません。そういうことがどちらも同時にうまくできる人もおられるのでしょうが、
 僕は自分自身に与えられた課題を日々こなしていくだけで手一杯なのです。

  そういう考え方はエゴイスティックではないのか? もちろん、かなり身勝手です。それに反
 論の余地はありません。批判は甘んじて受けます。
  しかしその一方で、出版社が文学賞の選考委員を集めるのに苫労しているという話を耳にした
 ことはありません。少なくとも、選考委員が集まらないので借しまれつつ廃止になった文学賞の
 話もまだ聞いたことかありません。それどころか世間の文学賞の数はますます増え続けているよ
 うに見えます。日本中で毎日ひとつは文学賞が誰かに授与されているような気がするほどです。
 だから僕が選考委員を引き受けなくても、それで「入場券」発行数が減って、社会的問題になる
 ということもないみたいです。
  それからもうひとつ、僕が誰かの作品(候補作)を批判して、それに対して「じゃあ、そうい
 うおまえの作品はどうなんだ? そんな偉そうなことを言える立場におまえはあるのか?」と問
 われると、僕としては返す言葉がなくなってしまいます。実際にその人の言うとおりなんだから。
 できることならそういう目にはあいたくない。
  かといって――はっきり断っておきたいのですが――文学賞の選考委員をしている現役の作家
 (いれば同業者です)についてあれこれ言うつもりは僕にはまったくありません。自分の創作を
 真摯に追求しながら、同時にそれなりの客観性をもって新人作家の作品を評価できる人もちゃん
 といるはずです。そういう人たちは頭の中にあるスイ″チをうまく切り替えられるのでしょう。
 そしてまた、誰かがそういう役目を引き受けなくてはならないことも確かです。そのような人々
 に対して畏敬の念、感謝の念を抱いてはいるものの、残念ながら僕自身にはそういうことはでき
 そうにありません。僕はものを考えて判断するのに時間がかかりますし、時間をかけてもよく判
 断を間違えるからです。

  文学賞というものについて、モれがどのようなものであれ、これまで僕はあまり語らないよう
 にしてきました。賞を取る取らないは作品の内容とは多くの場合、基本的に関わりを持だない問
 題だし、それでいて世間的にはけっこう刺激的な話題であるからです。しかし最初に言ったよう
 に文芸誌に載った芥川賞についてのこの小さな記事をたまたま読んで、そろそろここらで文学賞
 について自分の考えていることをひととおり語っておいていい時期かもしれないと、ふと思いま
 した。そうしないと、妙な誤解を受ける可能性もあるし、それをある程度正しておかないと、そ
 の誤解が「見解」として固定してしまう恐れもありますから。
 
  でもこういうものごとについて(まあ、生ぐさいものごとと言いますか)、思うところを語る
 のはなかなかむずかしいですね。ことによっては、正直に語れば語るほど嘘っぽく、また傲慢に
 響いてしまうかもしれない。投げた石は、より強い勢いでこちらに跳ね返ってくるかもしれない。
 にもかかわらず、正直にありのままを語ることが、最終的にはいちばん得策なのではないかと、
 僕は考えます。僕の言わんとするところをそのまま理解してくださる方も、きっとどこかにおら 
 れるだろうと。

  僕がここでいちばん言いたかったのは、作家にとって何よりも大事なのは「個人の資格」なの
 だということです。賞はあくまでその資格を側面から支える役を果たすべきであって、作家がお
 こなってきた作業の成果でもなければ、報償でもありません。ましてや結論なんかじゃない。あ
 る賞がその資格を何らかのかたちで補強してくれるのなら、それはその作家にとって「良き賞」
 ということになるでしょうし、そうでなければ、あるいはかえって邪魔になり、面倒のタネにな
 るようであれば、それは残念ながら「良き賞」とは言えない、ということです。そうなるとオル
 グレンはメダルをさっさと投げ捨て、チャンドラーはストックホルム行きをおそらく拒否するこ
 とになります  もちろん彼がそのような立場に置かれたら実際にどうしたかまでは、僕にはわ
 かりかねますが。

  そのように、賞の価値は人それぞれによって違ってきます。そこには個人の立場があり、個人
 の事情があり、個人の考え方・生き方があります。いっしょくたに扱い、論じることはできない。
 僕が文学賞について言いたいのも、モれだけのことです。一律に論じることはできない。だから
 一律に論じてほしくもない。
  まあ、ここでそんなことを言いたてて、それでどうなるというようなものでもないのでしょう
 が。
                             
                                「第三回 文学賞について」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 


この章はひたすら流すしかなかった、受賞と関係なく読むもので、"求めた"から読んだのであって、
その偶然が感性を刺激し、作品シンクロナイズした余韻が糸を引き、次作品の購読を生むというわけ
そのトリガーが『風の歌を聴け』であったが、『ノルウェイの森』にはそれがなかった。それ以降、
家庭持ちが無駄と知りつつ、積んでおくだけの本として購読し続けたのは、収入に余裕があったから
で、なければ図書館や本屋の立ち読みで(しっかり)判断してから購読していた。この期間著者の書
き下ろし作品よりレモンンド・カーヴァーの翻訳本の熱心な読者だった。しかし、『ノルウェイの森』
は世界に一大旋風を巻き起こしノーベル文学賞候補の常連者として取り上げられるようになる。



  オリジナリティーとは何か?
  これは答えるのがとてもむずかしい問題です。芸術作品にとって、「オリジナルである」とい
 うのはいったいどういうことなのか? その作品がオリジナルであるためには、どのような資格
 が必要とされるのか? そういうことについて正面からまともに追求していくと、考えれば考え
 るほどわけがわからなくなってくる、というところがあります。
  脳神経外科医のオリヴァー・サックスは、『火星の人類学者』という著書の中で、オリジナル
 な創造性をこのように定義しています。


   創造性にはきわめて個人的なものという特徴があり、強固なアイデンティティ、個人的ス
  タイルがあって、それが才能に反映され、溶けあって、個人的な身体とかたちになる。この
  意味で、創造性とは創りだすこと、既存のものの見方を打ち破り、想像の領域で自由に羽ば
  たき、心のなかで完全な世界を何度も創りかえ、しかもそれをつねに批判的な内なる目で監
  視することをさす。

                      (吉田利子訳・ハヤカワ文庫、三二九ページ)


  まことに要を得た、的確で奥深い定義ですが、しかしそうきっぱりと言われてもなあ……と思
 わず腕組みしてしまいます。
  でも正面突破的な定義や理屈はとりあえず棚上げして、具体例から考えていくと、話は比較的
 わかりやすくなるかもしれません。たとえばビートルズが出てきたのは、僕が十五歳のときです
 初めてビートルズの曲をラジオで聴いたとき、たしか『プリーズ・プリーズ・ミー』だったと思
 いますが、身体がぞくっとしたことを覚えています。どうしてか? それがこれまでに耳にした
 ことのないサウソドであり、しかも実にかっこよかったからです。どう素晴らしいか、その理由
 はうまく言葉で説明できないんだけど、とにかくとんでもなく素晴らしかった。その一年くらい
 前にビーチボーイズの『サーフィンUSA』を初めてラジオで耳にしたときにも、それとだいた
 い同じことを感じました。「いや、これはすごいぞ!」コはかのものとはぜんぜん違う!」と。

  今にして思えば、要するに彼らは優れてオリジナルであったわけです。他の人には出せない音
 を出していて、他の人がこれまでやったことのない音楽をやっていて、しかもその質が飛び抜け
 て高かった。彼らは何か特別なものを持っていた。それは十四歳か十五歳の少年が、貧弱な音の
 小さなトランジスタ・ラジオ(AM)で聴いても、即座にぱっと理解できる明らかな事実でした。
 とても簡単な話です。

  ところが、彼らの音楽のどこがどうオリジナルなのか、ほかの音楽とどこがどう違うのか、と
 いうことを筋道立てて言語化しようとすると、これは至難の業になります。少年である僕にはそ
 んなことはまったく無理だったし、大人になった今でも、そしてこうしていちおう職業的文章家
 になった今でも、かなりむずかしそうです。そういう説明は少なからず専門的にならざるを得ま
 せんし、そういう風に理屈で説明されても、された方はあまりぴんと来ないかもしれません。実
 際にその音楽を聴いた方が早いです。聴きゃあわかるだろ、と。

  でもビートルズやビーチボーイズの音楽について言いますと、彼らが登場してから既に半世紀
 が経過しています。ですからそのときに、彼らの音楽が僕らに同時代的に、同時進行的に与えて
 くれた衝撃が、どれくらい強烈なものであったかというのは、今となってはいささかわかりづら
 くなっています。
  というのは彼らが登場したあと、当然のことながら、ビートルズやビーチボーイズの音楽に影
 響を受けたミュージシャソが数多く出てきています。そして彼ら(ビートルズやビーチボーイズ)
 の音楽は既に「ほぼ価値の確定したもの」として、社会にしっかり吸収されてしまっています。
  すると、今現在十五歳の少年がビートルズやビーチボーイズの音楽を初めてラジオで耳にして

 「これ、すごいなあ」と感激したとしても、その音楽を「前例のないもの」として劇的に体感す
 ることは、事実的に不可能になるかもしれない。
  同じことはストラヴィンスキーの『春の祭典』についても言えます。1913年にパリでこの
 曲が初演されたとき、モのあまりの斬新さに聴衆がついてこられず、会場は騒然として、えらい
 混乱が生じました。その型破りな音楽に、みんな度肝を抜かれてしまったわけです。しかし演奏
 回数を重ねるにつれて混乱はだんだん収まり、今ではコンサートの人気曲目になっています。今
 僕らがその曲をコンサートで聴いても、「この音楽のいったいどこが、そんな騒動を引き起こす
 わけ?」と首をひねってしまうくらいです。その音楽のオリジナリティーが初演時に一般聴衆に
 与えた衝撃は、「たぶんこういうものであったのだろうな」と頭の中で想像するしかありません。

  じゃあオリジナリティーというのは時が経つにつれて色梗せていくものなのか、という疑問が
 生じるわけですが、これはもうケース・パイ・ケースです。オリジナリティーは多くの場合、許
 容と慣れによって、当初の衝撃力を失ってはいきますが、そのかわりにそれらの作品は――もし
 その内容が優れ、幸運に恵まれればということですが――「古典」(あるいは「準古典」) へ
 と格上げされていきます。そして広く人々の敬意を受けるようになります。『春の祭典』を聴い
 ても、現代の聴衆はそれほど戸感ったり混乱したりしませんが、今でもやはりそこに時代を超え
 た新鮮さや迫力を体感することはできます。そしてその体感はひとつの大事な「レファレンス(
 参照事項)」として人々の精神に取り込まれていきます。つまり音楽を愛好する人々の基礎的な
 滋養となり、価値判断基準の一部となるわけです。極端な言い方をすれば、『春の祭典』を聴い
 たことのある人と、聴いたことのない人とでは、音楽に対する認識の深度にいくらかの差が出て
 くることになります。どれくらいの差か、具体的には特定できませんが、何かしらの差がそこに
 生じるのは間違いないところでしょう。

  マーラーの音楽の場合は少し事情が違います。彼の作曲した音楽は当時の人々には正当には理
 解されませんでした。一般の人々は――あるいはまわりの音楽家さえ―彼の音楽をおおむね「不
 快で、醜くて、構成にしまりがなく、まわりくどい音楽」として捉えていたようです。今から思
 えば彼は交響曲という既成のフォーマットを「脱構築」したということになるのでしょうが、当
 時はまったくそういう風には理解されなかった。どちらかといえばむしろ後ろ向きの「いけてな
 い」音楽として、仲間の音楽家だちから軽んじられていたようです。マーラーがいちおう世間に
 受け入れられていたのは、彼が非常に優れた「指揮者」であったからです。彼の死後、マーラー
 の音楽の多くは忘れ去られました。オーケストラは彼の作品を演奏することをあまり喜ばなかっ
 たし、聴衆もとくに聴きたがらなかった。彼の弟子や数少ない信奉者たちが、火を絶やさないよ
 うに大事に演奏し続けてきただけです。
 しかし一九六〇年代に入ってマーラーの音楽の劇的なまでのリバイバルがあり、今ではその音楽
 はコンサートには欠かせない重要な演目となっています。人々は好んで彼のシンフォニーに耳を
 傾けます。それはスリリングで、精神を揺さぶる音楽として我々の心に強く響きます。つまり、
 現代に生きる我々が時代を超えて、彼のオリジナリティーを掘り起こしたということになるかも
 しれません。時としてそういうことも起こり得ます。シューベルトのあの素晴らしいピアノソナ
 タ群だって、彼の生きている間はほとんど演奏されませんでした。それらがコンサートで熱心に
 演奏されるようになったのは、二十世紀も後半になってからのことです

                                                     「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

 

最新全印刷電子工学

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           僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と
           呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
         (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体な
            りフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の
            表現だと(おおむね)瞬時に理解 できなくてはならない。
          (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。
            時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっ
            ていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
     (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキ
      に吸収され価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。ある
      いは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。

                                      村上春樹 /  『職業としての小説家』 

 

 

 

● 真夜中の味噌ヨーグルト

雨風がきつく目を覚まし、雨漏りなどないか点検し、テレビをつけると「味噌ヨーグルト」なるもの
が紹介されていた(NHKテレビ「マサカメTV」再放送)。ヨーグルトにかけるものといったら、はちみ
つやシロップなのだが、それがヨーグルト専用の味噌ソース――岩手県湯田町の株式会社湯田牛乳公
社製造する商品「ヨーグルトにかけるお味噌」――というものだが、おもしろいことを考えるものだ
とネット検索してみると、相当なレシピが展開済み。甘み、塩味、まろやか、酸味、うまみともヨー
グルトを超える。さらに、味噌ヨーグルトに野菜つけ込む、漬け物、マヨネーズを和えたヨーグルト
マヨディップもあり、醤油ヨーグルトまであり日本発酵文化も成熟沸騰?しているかのよう。考えて
みれば、イランなどの中東はヨーグルトといえば塩ヨーグルトが常識。なので、40年前「日本列島
は文化の袋小路」とはじめて喩え呼んだのは間違いなかったと納得する。ところで、値段が安い味噌
でもヨーグルトを加えるだけで高級感が簡単にえられることも掲載されていた。

 

 

【最新全印刷電子工学】

● プリンテッドエレクトロニクスを高度化する新たなラインアップ  

 

電子デバイスはどこまで薄くダウンサイジング進むものなのかを突き詰めていくと発熱によるリスク
回避できない時であると尋ねた同期の友(若くして他界)に答えたことがある。もう、25年程前の
話だが。そんなことを思い出させる発明が提案される。有機強誘電体では、デバイス化に必須となる
薄膜化が難しい。そこで、溶液からの膜形成を促す新たな印刷手法で、均質性の高い強誘電体単結晶
薄膜を形成させる技術。この技術を用いた薄膜素子は、各種の記録素子の標準的な動作電圧を下回る
わずか3ボルトという低電圧でメモリー動作する。印刷手法をプリンテッドエレクトロニクスと呼び、
強誘電体メモリーや不揮発トランジスタなどの低消費電力デバイスの研究開発が大きく前進するとい
うもの。

しかし、この強誘電体は、無機質でなく有機質でそれが可能だとはにわかに信じられないが、高分子
系の有機強誘電体が知られ、その性能は無機物に比べて著しく劣っていたが近年、低分子系の強誘電
性有機材料の開発が進み、無機物に匹敵する特性のものが見出されてきている。その心配はなくなっ
だのだが、この有機強誘電体は、デバイス化で必須の薄膜化が難しいことが新たな問題となる。

 

今回、有機強誘電体として、2-メチルベンゾイミダゾール(MBI)(図1a)を用いた。MBIは水素
結合型有機強誘電体の一種であり、有機溶剤への溶解性に優れ、室温で優れた強誘電性を示し、きわ
めて低い抗電場(数10 kV/cm)で分極反転する。また、単結晶内では、2つの直交した方向に自発
分極 P を現すことができる。膜の上下方向に電圧をかけるデバイスでは、自発分極は薄膜に対し垂
直な方向の成分を持つ必要があるが、MBIはそのような分極方向をもつ板状結晶に成長しやすい。

図1bに今回開発した常温・常圧下での印刷法による薄膜作製プロセスを模式的に示す。1cm角の酸
化膜付シリコン基板表面上に、幅百μmの親水領域と、幅百μmの撥水領域が交互になった縞状の親撥
パターンを作製し、その上に平坦な板(ブレード)を用いてMBIを溶解させた溶液を掃引して塗布した。
乾燥させると、親水領域上にだけ、MBI薄膜が選択的に形成された。偏光顕微鏡による観察で、特定の
方向の偏光に対し薄膜全体が消光したことから、形成された薄膜は、分子の配列方向がそろった単結
晶薄膜であると考えられる(図1c)。

できあがった試作品を評価(下図)したところ、熱処理などの前処理をしなくても、良好なヒステリ
シスループを示した(図3a)。分極反転が生じた電圧は、10 Hzの走査周波数では平均3~4Vで、
低い電圧で分極反転可能なデバイスが得られた。また、10から千Hzの速度で掃引して分極反転の繰
り返し耐久性を調べたところ、速度千 Hz の走査周波数では数10万回程度まで強誘電特性を保持で
きることが分かった(図3b)。これにより電極構造を最適化すれば耐久性はさらに向上する。

 

 

図2 放射光X線回折測定のイメージと回折写真 (a)、結晶中の分子構造模式図(b)、単結晶薄膜内の
   分子構造と自発分極の模式図(c)

今回の有機強誘電体薄膜の、分極反転がミクロ領域の形態は。膜厚約1 ?m の薄膜に10~千ミリ秒
の様々な時間の間+20 Vの電圧をかけると、それぞれ時間によりサイズの異なる円形の分極反転ド
メインが結晶表面に書き込まれていた(図4a)。ドメインのサイズは、電圧をかけた時間に対し対
数関数的に増加し、最小値は直径5百 nm(図4b)。この分極反転ドメインは、室温大気下で40
時間以上にわたり安定に保持された。なお、圧電応答顕微鏡像の位相成分から、分極方向は90度回
転ではなく180度反転である(図4c)(下図)。このように印刷法の薄膜作製技術を活用し、金
属配線や半導体薄膜の印刷技術と組み合わせて全印刷法による電子デバイスの作製の取り組みがまた
一歩前進した。

※ なお、関連特許の一例を下記に記載する。 

 

 【概要】

第1及び第2の平滑基板を離間対向させた間隙に有機強誘電体化合物を溶解させた溶液を介在させ、
この有機強誘電体化合物を晶出させ平滑基板の主面と垂直方向に配向成長するよう乾燥させることを
特徴とする。この発明によれば、単一のプロセスで薄膜の分子配向制御と基板への接着を出来て、し
かも溶媒をそれほど必要とせず、ウエットプロセスでありながら簡便でかつ取り扱い性に優れるので
ある。

この方法での有機強誘電体化合物は、配向成長させる方向を分極方向をもってもよい。また、有機強
誘電体化合物は、クロコン酸、3-ヒドロキシフェナレノン、2-メチルベンゾイミダゾール、2,
3,5,6-テトラ(2-ピリジル)ピラジニウムブロマニル酸塩、及び、5,5’-ジメチル-2,
2’-ビピリジニウムヨーダニル酸塩重水素置換体のうちの1つからなるものとしてもよい。より配
向性に優れた結晶を簡便で、取り扱いが優れた方法で得る。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』12

   セロニアス・モンクの音楽も優れてオリジナルです。僕らは――少しでもジャズに興味を持つ
 人であればということですが――セロニアス・モソクの音楽をけっこう頻繁に耳にしていますか
 ら、今さら聴いてもそれほどびっくりしない。音を聴いて「あ、これはモソクの音楽だ」と思う
 くらいです。でも彼の音楽がオリジナルであることは、誰の目にも明らかです。同時代のほかの
 ジャズ・ミュージシャンの演奏する音楽とは、音色も構造もぜんぜん違います。彼は自分の作っ
 たユニークなメロディーラインを持つ音楽を、独自のスタイルで演奏します。そしてその音楽は、
 聴いている人の心を動かします。彼の音楽は長いあいだ適正な評価を得ることができませんでし
 たが、少数の人々が強く彼を支持し続けた結果、徐々に一般的にも受け入れられるようになりま
 した。そのようにしてセロニアス・モンクの音楽ぱ今では、僕らの身体の中にある音楽認知シス
 テムの自明の、そして欠くことのできない一部になっています。言い換えれば「古典」となって
 いるわけです。

  絵画や文学の分野においても同じことが言えます。ゴッホの絵や、ピカソの絵は、最初のうち
 ずいぶん人を驚かせたし、場合によっては不快な気持ちにもさせました。しかし今では彼らの絵
 を見て心を乱されたり、不快な気持ちになる人はあまりいないと思います。むしろ大多数の人々
 は、彼らの絵を目にして感銘を受けたり、前向きな刺激を受けたり、癒されたりします。それは
 時間の経過とともに彼らの絵がオリジナリティーを失ったからではなく、人々の感覚がそのオリ
 ジナリティーに同化し、それを「レファレンス」として自然に体内に吸収していったからです。

  同じように、夏目漱石の文体やアーネスト・ヘミングウェイの文体も、今では古典となり、ま
 たレファレンスとして機能しています。漱石やヘミングウェイも、しばしば同時代の人々にその
 文体を批判され、あるときには鄭楡されたものです。彼らのスタイルに強い不快感を抱く人々も
 当時は少なからずいました(その多くは当時の文化的エリートです)。しかし今日に至るまで、
 彼らの文体はひとつのスタンダードとして機能しています。もし彼らの作り上げた文体が存在し
 なかったら、現在の日本小説やアメリカ小説の文体は、今とは少し違ったものになっていたんじ
 ゃないかという気がします。更に言えば、漱石やヘミングウェイの文体は、日本人の、あるいは
 アメリカ人のサイキの一部として組み込まれている、ということになるかもしれません。

  そのように過去において「オリジナルであった」ものを取り上げて、今の時点から分析するの
 は比較的容易です。ほとんどの場合、消え去るべきものは既に消え去ってしまっていますから、
 残ったものだけを取り上げて、安心して評価することができます。しかし多くの実例が示すよう
 に、同時代的に存在するオリジナルな表現形態に感応し、それを現在進行形で正当に評価するの
 は簡単なことではありません。なぜならそれは同時代の人の目には、不快な、不自然な、非常識
 的な――場合によっては反社会的な――様相を帯びているように見えることが少なくないからで
 す。あるいはただ単に愚かしく見えるだけかもしれません。いずれにせよそれは往々にして、驚
 きと同時にショ″クや反撥を引き起こすことになります。多くの人々は自分に理解できないもの
 を本能的に憎みますし、とくに既成の表現形態にどっぷり浸かって、その中で地歩を築いてきた
 エスタブリッシュメントにとって、それは唾棄すべき対象ともなり得ます。下手をするとそれは、
 自分たちの立っている地盤を突き崩しかねないからです。

  もちろんビートルズは現役で演奏しているときから、若者たちを中心に絶大な人気を得ていま
 したが、これはむしろ特殊な例だと思います。とはいっても、ビートルズの音楽がその当時から
 世間一般に広く受け入れられた、ということではありません。彼らの音楽は一過性の大衆音楽だ
 と思われていたし、クラシック音楽なんかに比べるとずっと価値の低いものだと見なされていま
 した。エスタブリ″シュメントに属する人々の多くは、ビートルズの音楽を不快に感じていたし、
 その気持ちを機会あるごとに率直に表明しました。とくに初期のビートルズのメソバーが採用し
 たヘアスタイルやファ″ショソは、今から思うと嘘のようですが、大きな社会問題になり、大人
 たちの憎しみの対象となりました。ビートルズのレコードを破棄したり、焼き捨てたりする示威
 行動も各地で熱心におこなわれました。彼らの音楽の革新性と質の高さが、一般社会で正当に公
 正に評価されるようになったのは、むしろ後世になってからです。彼らの音楽が揺らぎなく「古
 典」化してからです。

  ボブ・ディランも一九六〇年代半ばに、アコースティック楽器だけを使ったいわゆる「プロテ
 スト・フォークソング」のスタイル(それはウディー・ガスリーやピート・シーガーといった先
 人から受け継いだものでした)を捨てて、電気楽器を使うようになったときには、従来の支持者
 の多くから「ユダ」「商業主義に走った裏切り者」と悪し様に罵られました。でも今では彼が電
 気楽器を使い出したことを批判するような人はほとんどいないはずです。彼の音楽を時系列的に
 聴いていけば、それがボブ・ディランという自己革新力を具えたクリエーターにとって、あくま
 で自然で必須な選択であったことが理解できるからです。でも彼のオリジナリティーを、「プロ
 テスト・フォークソング」という狭義のカテゴリーの檻に押し込めようとする当時の(一部の)
 人々にとって、それは「裏切り」「背信」以外の何ものでもなかったのです。

  ビーチボーイズも現役のバンドとしてたしかに人気はあったけれど、音楽的リーダーであるブ
 ライアン・ウィルソンは、オリジナルな音楽を創作しなくてはならないという重圧のために神経
 を病んで、長期間にわたる実質的な引退状態を余儀なくされました。そして傑作『ペット・サウ
 ンズ』以降の彼の緻密な音楽は、「ハッピーなサーフィン・サウンド」を期待する一般リスナー
 にはあまり歓迎されないものになっていきました。それはどんどん複雑で難解なものになってい
 きました。僕もある時点から彼らの音楽にはあまりぴんと来なくなって、だんだん遠ざかってい
 った人間の一人です。今聴き直してみると「ああ、こういう方向性を持つ素晴らしい音楽だった
 んだな」と思うんだけど、当時は正直言ってその良さがよくわからなかった。オリジナリティー
 というのは、それが実際に生きて移動しているときには、なかなか形を見定めがたいものなので
 す。

   僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、
 基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。
 
 (1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり
 色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解 
  できなくてはならない。
  (2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過と
 ともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そう
 いう自発的・内在的な自己革新力を有している。
 (3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、
 価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな
 引用源とならなくてはならない。

  ※サイキ:再帰 recursion(→反復帰納)

  もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。(3)
 は十分クリアしているけれど(2)はちょっと弱い、というケースもあるでしょうし、(2)と
 (3)は十分クリアしているけれど(1)はちょっと弱い、というものもあるでしょう。しかし
 「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本
 的な条件になるかもしれません。

  こうしてまとめてみるとわかるように、(1)はともかく、(2)と(3)に関してはある程
 度の「時間の経過」が重要な要素になります。要するに一人の表現者なり、その作品なりがオリ
 ジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということにな
 りそうです。
  あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、
  もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、あるいは飽きられてし
 まったとしたら、彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなりむずかしく
 なります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。

  実際の話、僕はこれまで様々な分野において、そういう人々を目にしてきました。そのときに
 は目新しく斬新で、「ほうっ」と感心するんだけど、いつの間にか姿を見かけなくなってしまう。
 そして何かの拍子に「ああ、そういえば、あんな人もいたっけな」とふと思い起こすだけの存在
 になってしまいます。そういう人々にはたぶん持続力や自己革新力が欠けていた、ということな
 のでしょう。モのスタイルの質がどうこうという以前に、ある程度のかさの実例を残さなければ
 「検証の対象にすらならない」ということになります。いくつかのサソプルを並べ、いろんな角
 度から眺めないと、その表現者のオリジナリティーが立体的に浮かび上がってこないからです。

  たとえばもしベートーヴェンがその生涯を通じて、九番シンフォニーただ一曲しか作曲してい
 なかったとしたら、ベートーヴェンがどういう作曲家であったかという像はうまく浮かんでこな
 いのではないでしょうか。その巨大な曲がどういう作品的意味を持ち、どれほどのオリジナリテ
 ィーを持っているかというようなことも、その単体だけではつかみづらいはずです。シンフォニ
 ーだけ取り上げても、一番から九番までの「実例」がいちおうクロノロジカルに我々に与えられ
 ているからこそ、九番シンフォニーという音楽の持つ偉人性も、その圧倒的なオリジナリティー
 も、僕らには立体的に、系列的に理解できるわけです。

  あらゆる表現者がおそらくそうであるように、僕も「オリジナルな表現者」でありたいと願っ
 ています。しかしそれは先にも述べたように、自分一人で決められることでぱありません。僕が
 どれだけ「僕の作品はオリジナルです!」と大声で叫んだところで、あるいはまた批評家やメデ
 ィアが何かの作品を「これはオリジナルだ!」と言い立てたところで、そんな声はほとんど風に
 吹き消されてしまいます。何かオリジナルで、何かオリジナルではないか、その判断は、作品を
 受け取る人々=読者と、「然るべく経過された時間」との共同作業に一任するしかありません。
 作家にできるのは、自分の作品が少なくともクロノロジカルな「実例」として残れるように、全
 力を尽くすことしかありません。つまり納得のいく作品をひとつでも多く積み上げ、意味のある
 かさをつくり、自分なりの「作品系」を立体的に築いていくことです。

  ただ僕にとってひとつ救いになるというか、少なくとも救いの可能性となるのは、僕の作品が
 多くの文芸批評家から嫌われ、批判されてきたという事実です。ある高名な評論家からは「結婚
 詐欺」呼ばわりされたこともあります。たぶん「内容もないくせに、読者を適当にだまくらかし
 ている」ということなのでしょう。小説家の仕事には多かれ少なかれ手品師(illusionist)の
  ような部分がありますから、「詐欺師」と呼ばれるのはある意味、逆説的な賞賛なのかもしれま
 せん。
  そう言われて「やったぞ!」と喜んだ方がいいのかもしれません。しかし言われる――というか
 現実には活字になって世間に流布されるわけですが――方にしてみれば、正直言ってあまり愉快
 なものではありません。手品師はちゃんとした生業だけど、結婚詐欺というのは犯罪ですから、
 そういう表現はやはりいささか礼節に欠けるのではないかという気がします(あるいはディセン
 シーの問題ではなく、ただ比喩の選択が粗雑だったというだけのことかもしれませんが)。

  もちろん中には、僕の作品をそれなりに評価してくれる文芸関係者もいましたが、数も少なく、
 声も小さかった。業界全体的にみれば「イエス」よりは「ノー」の声の方が圧倒的に大きかった
 と思います。当時もし僕が池で溺れかけていたおばあさんを、池に飛び込んで助けたとしても、
 たぶんだいたい悪く言われただろうと――半ば冗談で半ば本気で――思います。「見え透いた売
 名行為だ」とか「おばあさんはきっと泳げたはずだ」とか。

  僕は最初のうち、自分でも作品の出来にあまり納得できずにいたので、「そう言われれば、そ
 うかもしれない」というくらいに批判を素直に受け止めていた、というか、おおむね受け流して
 いたのですが、歳月を経てある程度――もちろんあくまである程度ですが-I自分で納得のいく
 ものが書けるようになっても、僕の作品に対する批判は弱まりはしなかった。いや、むしろます
 ます風圧が強くなったようでした。テニスで言えば、サーブしようと上げたボールが、コートの
 外に流されていってしまうくらい。

  つまり僕が書くものは、出来不出来にあまり関係なく、少なからぬ数の人々を終始「不快な気
 持ちにさせ続けてきた」ということになりそうです。もちろんある表現形態が人々の神経を逆な
 でするからといって、それがオリジナルであるということにはなりません。当たり前の話ですね。
 ただ「不快なもの」「どこか間違ったもの」だけで終わってしまう例の方がずっと多いでしょう。
 しかしそれは、作品がオリジナルであることのひとつの条件になり得るかもしれない。僕は誰か
 に批判されるたびに、できるだけ前向きにそう考えるように努めてきました。生ぬるいありきた
 りの反応しか呼び起こせないより、たとえネガティブであれ、しっかりした反応を引き出した方
 がいいじゃないか、と。


  ポーランドの詩人ズビグュェフ・ヘルベルトは言っています。「源泉にたどり着くには流れに
 逆らって泳がなければならない。流れに乗って下っていくのはゴミだけだ」と。なかなか勇気づ
 けられる言葉ですね(ロバート・ハリス『アフォリズム』サンクチュアリ出版より)。
  僕は一般論があまり好きではありませんが、あえて一般論を言わせていただくなら(すみませ
 ん)、日本においてあまり普通ではないこと、他人と違うことをやると、数多くのネガティブな
 反応を引き起こすというのは、まず間違いのないところでしょう。日本という国が良くも悪くも
 調和を重んじる(波風をたてない)体質の文化を有していることもありますし、文化の一極集中
 傾向が強いこともあります。言い換えれば、枠組みが堅くなりやすく、権威が力を振るいやすい
 わけです。

 とくに文学においては、戦後長い期間にわたって「前衛か後衛か」「右派か左派か」「純文学か
 大衆文学か」といった座標軸で、作品や作家の文学的立ち位置が細かくチャートされてきました。
 そして大手出版社(ほとんどは東京に集中しています)の発行する文芸誌が「文学」なるものの
 基調を設定し、様々な文学賞を作家に与えることで(いねば餌を撒くことで)、その追認をおこ
 なってきました。そんながっちりとした体制の中で、作家が個人的に「反乱」を起こすことはな
 かなか容易ではなくなってしまった。座標軸から外れることは即ち、文芸業界内での孤立(餌示
 まわってこなくなること)を意味するからです。

  僕が作家としてデビューしたのは一九七九年ですが、その頃でもまだそういう座標軸は、業界
 的にかなりしっかり機能していました。つまりシステムの「しきたり」は依然として力を持って
 いたわけです。「そういうのは前例示ありません」「それが慣例ですから」みたいな言葉を、編
 集者の口からしばしば耳にしました。僕は作家というのは、制約なんかなしに好きなことができ
 る、自由な職業だという印象を持っていたので、そういう言葉を聞かされるたびに「どうなって
 いるんだろう?」と首をひねってしまったものです。

 僕はもともと争いや喧嘩を好む性格ではないので(本当に)、そのような「しきたり」「業界不
 文律」に逆らおうというような意識はとくに持ち合わせていませんでした。ただきわめて個人的
 な考え方をする人間なので、せっかくこうして(いちおう)小説家になれたんだから、そして人
 生はたった一度しかないんだから、とにかく自分のやりたいことを、やりたいようにやっていこ
 うと最初から腹を決めていました。システムはシステムでやっていけばいいし、こちらはこちら
 でやっていけばいい。僕は六〇年代末のいわゆる「反乱の時代」をくぐり抜けてきた世代に属し
 ていますし、「体制に取り込まれたくない」という意識はそれなりに強かったと思います。でも
 同時に、というかそれより前に、仮にも表現者の端くれとして、何より精神的に自由でありたか
 ったのです。自分の書きたい小説を、自分に合ったスケジュールに沿って、自分の好きなように
 書きたかった。それが作家である僕にとっての最低限の自由であると考えていました。

  そしてどういう小説を自分が書きたいか、その概略は最初からかなりはっきりしていました。
 「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書き
 たいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に、北極
 星みたいに光って浮かんでいたわけです。何かあれば、ただ頭上を見上げればよかった。そうす
 れば自分の今の立ち位置や、進むべき方向がよくわかりました。もしそういう定点がなかったな
 ら、たぶん僕はあちこちでけっこう行き感っていたのではないかと思います。

  そのような自分の体験から思うのですが、自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出す
 には、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、[自分から何かをマイナ
 スしていく」という作業が必要とされるみたいです。考えてみれば、僕らは生きていく過程であ
 まりに多くのものごとを抱え込んでしまっているようです。情報過多というか、荷物が多すぎる
 というか、与えられた細かい選択肢があまりに多すぎて、自己表現みたいなことをしようと試み
 るとき、それらのコンテンツがしばしばクラッシュを起こし、時としてエンジン・ストールみた
 いな状態に陥ってしまいます。そして身動きがとれなくなってしまう。とすれば、とりあえず必
 要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっ
 と自由に行き来できるようになるはずです。


  それでは、何かどうしても必要で、何かそれほど必要でないか、あるいはまったく不要である
 かを、どのようにして見極めていけばいいのか?    


                                                      「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 

                                     この項つづく

 

     ● 今夜の一曲

マーラー:交響曲第1番『巨人』

1884年から1888年にかけて作曲されたが、初め「交響詩」として構想され、交響曲となったのは1896
年の改訂による。「巨人」という標題は1893年「交響詩」の上演に際して付けられ、後に削除された。
この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この
曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出された。同歌曲集の第2曲と第4
曲の旋律が交響曲の主題に直接用いるなど、双方は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時
間約55分である。 

 

武器よさらば されど殺戮はやまず

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   彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、
              そして間違いなく彼ら自身のものだった

                                                 アラン・キジン

 

 

【武器よさらば されど殺戮はやまず】

オバマ大統領が激怒。今月1日、ホワイトハウスで記者会見し、西部オレゴン州で起きた銃撃事件に
ついて「われわれは数カ月ごとに銃の乱射事件を繰り返している唯一の先進国だ」と怒りをあらわに
し、事件や報道、自身の対応を含め、全てが「日常化している」と非難。大統領は、銃規制強化の反
対派が今回の事件を受けて「銃がもっと必要と主張するだろう」とつづけ、そして「誰がそれを本気
で信じるのか。多くの責任ある銃の所持者はそれが真実でないと分かっている」と述べ、記者団に、
「過去10年にテロで亡くなった米国人の数と銃で死亡した数を集計してもらいたい」「テロ攻撃から
米国を守るため、これまでに1兆ドル以上を費やしているのに、議会は銃の死者を減らす努力を阻ん
でいる」と批判したという。が、この建国の生い立ちの半分が、「盗むことのみを目的とする」(ヴ
ォルテール)でなりたっているのだというリアリティを忘れるわけにはいかない。この国が生まれ変
わるには腹をすえた”自己超克”以外に救いはなく、米国が変われば、世界は変わる。

  01 Oct 2015

ロシアが1日、シリア領内で過激派組織「イスラム国」(IS)以外の過激派の拠点を空爆した。A
FP通信が伝えた。9月30日に空爆を始めた際には、標的をISに限定すると説明していたが。シ
リアのアサド政権の延命のため、米国が支援する反体制派を攻撃している可能性――シリアの治安当
局者は1日、ロシアが、シリア北西部イドリブ県にある国際テロ組織アルカイダ系組織の拠点を攻撃
するとししていた――があり、ロシアと米国の対立が深まると懸念する。このことは、ロシアのラブ
ロフ外相も同日、米ニューヨークでの会見で「ロシアはISやその他のテロリストを攻撃している」
と述べ、空爆の対象を拡大する意向を示していた。国際的に理解の得やすいISへの空爆を大義名分
に、他の反体制派の拠点を攻撃している疑い――30日にシリア中部ラスタンなどで行った空爆で、
米欧などが支援するシリア反体制派の統一組織「シリア国民連合」のハーリド・ホジャ議長が「ロシ
ア軍はISもアルカイダもいない場所を襲撃し、36人の民間人が殺された」と、ツイッターに投稿
――があるという。



アラブの春 ジャスミン革命を発端にシリア内戦に発展したものの、イラク臨時政府の瓦解、イスラ
ム内戦状態からISIL=イスラム国の台頭やアフガニスタンではタリバンの反攻がつづく混沌化し
た中東情勢。欧米露(旧ソ連)による武断制圧中東史でもあるが、ここにきて冷戦構造回帰の様相を
しめし、出口のない虐殺史を繰り返している。欧米露列強はいつまでこのような過ちを繰り返すとい
うのだろうか。無惨な千年戦争の地獄絵図が展開する。


● 国内は金権政治の旧態回帰?!

日本歯科医師連盟(日歯連)の政治資金規正法違反事件――日歯連が10年参院選の1年半前から、
自民党から擁立予定の新人候補に迂回(うかい)献金する計画を立てていたが、09年の政権交代を
受けて計画は中止――で、10年参院選での迂回献金に利用された民主党支部を日歯連が実質的に管
理していたことが、関係者の話でわかったという。支部の要職を日歯連幹部が占め、会計も担当して
いたという。東京地検特捜部は、日歯連に政党支部を利用することで迂回献金を目立たなくする狙い
があったとみて調べている。この支部は、日歯連が10年参院選で
支援した西村正美参院議員(民主)が代表を務める「民主党参議院比例区第80総支部」。特捜部の
発表などによると、日歯連は同年3~5月、80総支部を経由する形で「西村まさみ中央後援会」に
5000万円を寄付。日歯連は別途、西村後援会に5000万円を直接寄付しており、日歯連から西
村後援会への資金移動は、政治団体間の寄付の法定上限(年5000万円)を超える計1億円に上っ
た。さらに、内部資料などによると、10年参院選に自民から新人候補を擁立する予定だった日歯連
は09年2月、新人の後援会への直接寄付とは別に、「石井みどり自民党中央後援会」を経由して新
人の後援会に5000万円を移す前提で、石井後援会に同額を寄付したとのこと。

経団連の榊原会長が、昨年9月に5年ぶりに政治献金への関与を再開するという方針を表明(政治献
金への経団連の関与は55年から)。民主党へ政権交代した09年に廃止。それが再度、安倍政権下
で復活したというわけで、またぞろ金権政治を復活させるのなら、政党助成金制度を廃止が筋目。 

 
● 折々の読書 『職業としての小説家』13
 

  これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あな
 たは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。もしあな
 たが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜
 びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か
 間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです。そういうときはもう一度最初に
 戻って、楽しさを邪魔している余分な部品、不自然な要素を、片端から放り出していかなくては
 なりません。
 
  でもそれは口で言うほど簡単にはできないことかもしれない。

 『風の歌を聴け』を書いて、それが「群像」の新入賞を取ったとき、僕が当時経営していた店を、
 高校時代の同級生が訪ねてきて、「あれくらいのものでよければ、おれだって書ける」と言って
 帰って行きました。そう言われて、もちろんちょっとむっとはしたけれど、それと同時にわりに
 素直に「でも、たしかにあいつの言うとおりかもしれない。あれくらいのものなら、たぶん誰だ
 って書けるだろうしな」とも思いました。僕は頭に浮かんだことを、簡単な言葉を使ってただす
 らすらと書き留めただけです。むずかしい言葉や、凝った表現や、流麗な文体、そんなものはひ
 とつも使っていません。言うなれば「すかすか」同然のものです。でもその同級生がそのあと自
 分の小説を書いたという話は耳にしていません。もちろん彼は「あの程度のすかすかの小説が通
 用する世の中なら、あえておれが書く必要もないだろう」と思って、そのまま何も書かなかった
 のかもしれない。もしそうだとしたら、それはひとつの見識というべきかもしれません。
 
  でも今にして思えば、彼の言うところの「あれくらいのもの」は、小説家を志す人間にとって
 は、かえって書きにくいものだったのかもしれない。そういう気がします。頭の中から「なくて
 もいい」コソテンツを片端から放り出して、ものごとを「引き算」的に単純化し簡略化していく
 というのは、頭で考えるほど、口で言うほど簡単にはできないことだったのかもしれません。僕
 は「小説を書く」ということに最初からあまり思い入れがなかったので、無欲が幸いしてという
 か、遂にあっさりとそれができてしまったのかもしれません。

  何はともあれ、それが僕の出発点でした。僕はそのいわば「すかすか」の風通しの良いシンプ
 ルな文体から始め、時間をかけて一作ごとに、そこに少しずつ自分なりの肉付けを加えていきま
 した。ストラクチャーをより立体的に重層的にし、骨格を少しずつ太くして、より大がかりで複
 雑な物語をそこに詰め込める態勢を整えていきました。それにつれて小説の規模も次第に大きな
 ものになっていきました。前にも言ったように「こういう小説をゆくゆくは書きたいんだ」とい
 うおおよそのイメージは自分の中にあったわけですが、進行のプロセス自体は意図的というより、
 むしろ自然なものでした。あとになって振り返ってみて「ああ、結局そういう流れだったんだな」
 と気づいたことで、最初からきちんと計画してやったことではありません。

  もし僕の書く小説にオリジナリティーと呼べるものがあるとしたら、それは「自由さ」から生
 じたものであるだろうと考えています。僕は二十九歳になったときに、「小説を書きたい」とご
 く単純にわけもなく思い立って、初めて小説を書きました。だから欲もなかったし、「小説とは
 このように書かなくてはならない」という制約みたいなものもありませんでした。今の文芸状況
 がどのようなものかという知識もまったく持ち合わせていなかったし、尊敬し、モデルとするよ
 うな先輩作家も(幸か不幸か)いませんでした。そのときの自分の心のあり方を映し出す自分な
 りの小説が書きたかった――ただそれだけです。そういう率直な衝動を身のうちに強く感じたか
 ら、あとさきのことなんて考えずに、机に向かってやみくもに文章を書き始めたわけです。ひと
 ことで言えば「肩に力が入っていなかった」ということでしょう。そして書いている間は楽しか
 ったし、自分が自由であるというナチュラルな感覚を持つことができました。

  僕は思うのですが(というか、そう望んでいるのですが)、そのような自由でナチュラルな感
 覚こそが、僕の書く小説の根本にあるものです。それが起動力になっています。車にたとえれば
 エンジンです。あらゆる表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。
 オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、
 多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに
 他ならないのです。

  そして純粋に内的な衝動というものは、それ自体のフォームやスタイルを、自然に自発的に身
 につけて出てくるものだということになるかもしれません。それは人為的に作り出されるもので
 はありません。頭の切れる人がいくら知恵をしぼっても、図式を使っても、なかなかうまくこし
 らえられるものではないし、たとえこしらえられたとしても、おそらく長続きしないはずです。
 根がしっかり地中に張っていない植物と同じです。しばらく雨が降らなければ、それはほどなく
 活力を失い、しおれて枯れてしまいます。あるいはちょっと強い雨が降ったら、土壌ごとどこか
 に流されてしまいます。


  これはあくまで僕の個人的な意見ですが、もしあなたが何かを自由に表現したいと望んでいる
 なら、「自分が何を求めているか?」というよりはむしろ「何かを求めていない自分とはそもそ
 もどんなものか?」ということを、そのような姿を、頭の中でヴィジュアライズしてみるといい
 かもしれません。「自分が何を求めているか?」という問題を正面からまっすぐ追求していくと、
 話は避けがたく重くなります。そして多くの場合、話が重くなればなるほど自由さは遠のき、フ
 ットワークが鈍くなります。フットワークが鈍くなれば、文章はその勢いを失っていきます。勢
 いのない文章は人を-あるいは自分白身をもI惹きつけることができません。

  それに比べると「何かを求めていない自分」というのは蝶のように軽く、ふわふわと自由なも
 のです。手を開いて、その蝶を自由に飛ばせてやればいいのです。そうすれば文章ものびのびし
 てきます。考えてみれば、とくに自己表現なんかしなくたって人は普通に、当たり前に生きてい
 けます。しかし、にもかかわらず、あなたは何かを表現したいと願う。そういう「にもかかわら
 ず」という自然な文脈の中で、僕らは意外に自分の本来の姿を目にするかもしれません。
 
  僕は三十五年くらいずっと小説を書き続けていますが、英語で言う「ライターズ・ブロック」、
 つまり小説が書けなくなるスランプの時期を一度も経験していません。書きたいのに書けないと
 いう経験は一度もないということです。そういうと「すごく才能が溢れている」みたいに聞こえ
 るかもしれませんが、そんなわけではなく、実はとても単純な話で、僕の場合、小説を書きたく
 ないときには、あるいは書きたいという気持が湧いてこないときには、まったく書かないからで
 す。書きたいと思ったときにだけ、「さあ、書こう」と決意して小説を書きます。そうじゃない
 ときにはだいたい翻訳(英語→日本語)の仕事をしています。翻訳は基本的に技術的な作業なの
 で、表現意欲とは関係なくほぼ日常的に仕事ができますし、同時にまた文章を書くためのとても
 良い勉強になります(もし翻訳をしていなくても、何かそれに類する作業を見つけていたと思い
 ます)。また気が向けばエ″セイなんかを書くこともあります。そういうことをぼちぼちとやり
 ながら、「べつに小説を書かなくたって死ぬわけじゃないんだし」と開き直って生きています。
 
  でもしばらく小説を書かないでいると、「そろそろ小説を書いてもいいかな」という気持ちに
 なってきます。雪解けの水がダムに溜まるみたいに、表現するべきマテリアルが内側に蓄積され
 てくるわけです。そしてある日、我慢できずに(というのがおそらく最良のケースです)机に向
 かって新しい小説を書き始めます。「今はあまり小説を書きたい気持ちじゃないんだけど、雑誌
 の注文を受けているからしょうがない、何か書かなくては」みたいなことはありません。約束も
 しないから、締め切りもありません。ですからライターズ・プロックみたいな苦しみも、僕には
 無縁であるわけです。それは、あえて言うまでもないことですが、僕にとってはずいぶん精神的
 に楽なことです。物書きにとって、とくに何も書きたくないときに何かを書かなくてはならない
 というくらいストレスフルなことはありませんから(そうでもないのかな? 僕の方がむしろ特
 殊なのだろうか?)。

  最初の話に戻りますが、「オリジナリティー」という言葉を口にするとき、僕の順に浮かぶの
 は十代初めの僕自身の姿です。自分の部屋で小さなトランジスタ・ラジオの前に座り、生まれて
 初めてビーチボーイズを聴き(『サーフィンUSA』)、ビートルズを聴いています(『プリー
 ズ・プリーズ・ミー』)。そして心を震わせ、「これはなんと素晴らしい音楽だろう。こんな響
 きはこれまで耳にしたことがなかった」と思っています。その音楽は僕の魂の新しい窓を開き、
 その窓からこれまでにない新しい空気が吹き込んできます。そこにあるのは幸福な、そしてどこ
 までも自然な高揚感です。いろんな現実の制約から解き放たれ、自分の身体が地上から数センチ
 だけ浮き上がっているような気がします。それが僕にとっての「オリジナリティー」というもの
 のあるべき姿です。とても単純に。

   JAN. 31, 2014


  このあいだ「ニューョーク・タイムズ」(2014/2/2)を読んでいたら、デビュー当時のビート
  ルズについてこのように書いてありました。

       They produced a sound that was fresh, energetic and unmistakably their own.

   (彼らの創り出すサウンドは新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなく彼ら自身の
    ものだった)

  とてもシンプルな表現だけど、これがオリジナリティーの定義としてはいちばんわかりやすい
 かもしれませんね。「新鮮で、エネルギーに満ちて、そして間違いなくその人自身のものである
 こと」。
  オリジナリティーとは何か、言葉を用いて定義するのはとてもむずかしいけれど、それがもた
 らす心的状態を描写し、再現することは可能です。そして僕はできることなら小説を書くことに
 よって、そのような「心的状態」を自分の中にもう一度立ち上げてみたいといつも思っています。
 なぜならそれは実に素晴らしい心持ちであるからです。今日という一日の中に、もうひとつ別の
 新しい一日が生じたような、そんなすがすがしい気持ちがします。

  そしてもしできることなら、僕の本を読んでくれる読者にも、それと同じ心持ちを味わってい
 ただきたい。人々の心の壁に新しい窓を開け、そこに新鮮な空気を吹き込んでみたい。それが小
 説を書きながら常に僕の考えていることであり、希望していることです。理屈なんか抜きで、た
 だただ単純に。
 
                                                      「第四回 オリジナリティについて」
                                 村上春樹 『職業としての小説家』 


「天王寺七坂」の歌人・横山季由といい、村上春樹も、わたしと同年という世代の共通した感性とい
うものがそうさせるのか、また、それ以外の何ものかが共通・共感・共振(同調)つまり、固有振動
というなものがさせるか文句なく納得させる文体や言葉が凝縮されている。読みながら、ウン、ウン
と肯首、頷きながら読み進めることになる。さて、次回は「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
に移る。

                                      この項つづく

 


【まじめにバイオマス】  

●パイオマス発電地域情報(岡山)地元企業の実報を活かし発電所建設

岡山県真庭市の製材事業者は工場内で稼働するバイオマス発電のノウハウを地域に提供、地元轟林組
合らとともに間伐材や纏材を燃料にしたバイオマス発電所を建設し雇用の創出にも繋げた。
 集成材事業で国内ト7プクラスの銘建工業は、84年から加工過程で発生する端材、樹皮、おが屑(
ブレーナー屑)を原料に本社工場内で木賃バイオマスの取り組みを行ってきた。原料のうち10トン
/日発生する瑞材は、気ボイラの燃料として木材の乾燥や工場の暖房に利用し、17トン/日の樹皮は
破砕して発電剛ポイラの燃料として使い発電電力の一部を工場内で消費した。また150トン/日発
生するおが屑は燃料ペレットに加工.販売するなどバイオマスに多様なな実績と経験がある。
 12年のFITスタートでこれまでより付加価値の高い利用ができることに注目し、同社は地域経
済の活性化を目的に本社のある真庭市と林業関連の団体に真庭バイオマス発電所を設立15年4月に
稼働を開始。これに応じた市と関連団体は13年に5団体3企業と真庭市からなる真庭バイオマス発
電所を設立し15年4月に稼働開始する,

 

 代表にノウハウを持つ銘建工業社長の中島浩―郎氏が就き、真庭産業団地内に取得した約1万3千
㎡の発電所用地に発電設備を建設した。発電設備は本社工場の実績からタクマがポイラを、新日本造
機が、ターピンを納める。発電量はは1万キロワットで大規模発電のため燃料の礦保か課題となった
が、地域の林業関係の団体がまとまったことから端材を効率よく集められ1年分の備蓄が可能となっ
ている。
 総事業費は41億円、このうち補助金で16億円を賄い、23億円を借り入れた。24時間330
日/年の稼働を見込んでおり年間出力は79,000メガワット時を計画している。FITを利用する
ためイニシャル・コストは15年程度で回収できるという。バイオマス発電所の建設により200~
300人の雇用効果が期待されている。 
このように、当面爆弾低気圧や集中豪雨に注意しながら、しかし、地球温暖化による異常気象を早期
に食い止めるべく、オールバイオマスシステムの世界的展開を実現しなければならない、名誉と栄光
をかけ使命を負っている事業である。特に、東南アジア地域のような多湿地帯への普及は喫緊の課題
である。これは面白い事業事例だ。

  ● 今夜のシングル曲


     「知らない」という言葉の意味

     間違えていたんだ

     知らない人のこといつの間にか「嫌い」と言っていたよ

     何も知らずに

     知ろうともしなかった人のこと

     どうして「嫌い」なんて言ったのだろう

     流されていたんだ

     「知らない」ことは怖いから

     醜い言葉ばかり吐き出して誤魔化して

     自分のことまで嫌わないで

     ひとりぼっちになりたくない

     ここにいてよ

     その言葉言えなくって

     心閉ざさないで・・・


                           SEKAI NO OWARI 『プレゼント』
    
                       作詞:Saori/作曲:Nakajima/編曲:大田桜子

第82回NHK全国音楽コンクール・中学校の部課題曲に選べれている。心をとらえたのは、「心閉
ざさないで」のフレーズ。この曲を納めた「SOS/プレゼント」は今年年9月25日にリリースさ
れている。

  

                  

水の森のハロウィン

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   すべては千変万化する。石でさえも。/ クロード・モネ                                   

 

 


 

       秋の野に咲きたる花を指折り かき数ふれば七種くさの花     

           萩の花尾花葛花なでしこが花 女郎花また藤袴あさがほが花
 

                                            山上憶良




キャスルロードでジェラートを食べたいと朝から言うので、なぜと聞くが、気分転換で行ってみたい
とというので、そんな近場よりドライブしようと切り返すと、しばらく考えた風で、それなら草津の
みすの森(水生植物公園)の蓮をみにいきましょということになり、彼女が買い物を手早くすませ、
11時過ぎに家をでる。

 

まず、水生植物公園みずの森――日本最大級のハス群生地の滋賀琵琶湖烏丸半島――の前の駐車場に
車とめ入場券を買い求め入場すると正面ゲートの億のロータス緩①に入るとエントランスホールには
ハロウィン――毎年10月31日に行われる、古代ケルト人の祭りで、秋の収穫を祝い、悪霊などを
追い出す宗教的行事、日本の秋祭りの行事だったが、現代は米国の民間行事として定着。祝祭本来の
宗教的な意味合いは薄れ、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾っ
たり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習に変化
――のディスプレがわたしたちを出迎える。 

  ハロウイン

 



そこから、アトリウム(温室)の通路の壁両面にはクロード・モネの睡蓮(レプリカが展示作品をみ
ながら入ると、琵琶湖固有のネジレモの池、水草をはじめとする水生植物や国内やアジアの水草や熱
帯原産の水生植物を中心に様々の熱帯スイレンなど様々な植物が観賞できるとあり二人めいめいデジ
カメ撮影しながら楽しむこととなるが、なにせ、たくさんの展示植物名のインデックスをみるだけで
も相当時間がかかり、あらかじめ予備知識をもって鑑賞しなければ面白さが半減しそうに思えた。 

ところで、水草(みずくさ、すいそう)は、高等植物で、二次的に水中生活をするようになったもの
を指す総称とされ、主に淡水性のもので被子植物、シダ植物に含まれるものもあるとか。したがって
コケ植物や、形態的な類似性から車軸藻類を含んでそう呼ぶことか。庭園の池や泉水での栽培や、熱
帯魚飼育などのアクアリウムなど、観賞用に広く使われている。

  オニバス

  睡蓮

スイレンといえば、日本ではヒツジグサ(未草)――日本を含めアジアからヨーロッパ、北アメリカ
など北半球に広く分布。地下茎から茎を伸ばし、水面に葉と花を1つ浮かべる。花の大きさは3~4
センチ、萼片が4枚、花弁が10枚ほどの白い花を咲かせ、花期は6月~11月。未の刻(午後2時
)頃に花を咲かせることから、ヒツジグサと名付けられたが、実は朝から夕方まで花を咲かせる――
の1種類のみ自生。日本全国の池や沼に広く分布。睡蓮はヒツジグサの漢名だが、一般にスイレン属
の水生植物の総称として用いられているとか。水位が安定した池などに生息し、地下茎から長い茎を
伸ばし、水面に葉や花を浮かべる。葉は円形から広楕円形で円の中心付近に葉柄が着き、その部分に
深い切れ込みが入っているというから、などほどと感心する。葉の表面に強い撥水性はなく、多くの
植物では気孔は葉の裏側だが、スイレンは葉の表側に分布している。

このヒツジグサイを含めたスイレン属には、(1)ブルー・ロータス――青スイレン。アフリカから
東南アジアに分布。古代エジプトの壁画などにも描かれる。(2)ヨザキスイレン―― 白スイレン。
別名タイガー・ロータス。アフリカから東南アジアに分布。古代エジプトの壁画に描かれている。
(3)ホシザキスイレン――別名セイロン・ヌパール。インド、ラオス原産。ヌパール(コウホネ属
の総称)と呼ばれ、葉は、黄緑色のグリーンと、濃い赤のレッドがある。(4)アカバナスイレン―
―別名タイ・ニムファ。葉が真紅に染まる東南アジア原産のスイレン。アクアリウムで水中葉が観賞
できる。(5)ティナ――園芸種。小型で花付きが良く育てやすい。ムカゴで増えるため繁殖も容易。
色は青みがかった紫、生育条件によって変化する。昼咲き。初心者用の熱帯スイレン。



ここにでは仏法五木――仏教の三大聖樹の①サラノキ(フタバガキ科の娑羅双樹:釈迦が亡くなった
所にあった木)、②ムユウジュ(マメ科の無憂樹:釈迦が生まれた所にあった木で、二千五百年以上
も前、釈迦の母の王妃マーヤが、インドに程近いネパールの"藍毘尼園(ルンビニー園)"「無憂樹」
の花があまりに見事に咲いていたので、花房を手折ろうとし、右手を上げた瞬間、この右脇からお釈
迦様が生まれたと伝わる)、③インドボダイジュ(クワ科の印度菩提樹:釈迦が悟りを開いた所にあ
った木)の三木にマンゴともう1つ?(レッドラワン? 忘れてしまった)を加えてそのように呼称
――が鑑賞できたのが印象的だった。

    

 
アートフラワー

ロータス館をでると、サブビア、キク(これは時期尚早?)、アキランサス、フジバカマ、フヨウ、
マリーゴールド、コスモスなどの季節の花のが咲き乱れるなか、壁掛けアートフラワーなどを鑑賞し、
その後③→④→⑤→⑥→⑦を巡り戻ってくる。絶好の秋日和のなか約1時間ほど散策しながら戻り、
その場を後にして、オープン状態で湖岸を疾走し、午後2時には帰宅していた。余りにも種類が多い
ので、こんど訪れる度、その季節の花々など鑑賞したいものをあらかじめ決めておき鑑賞するの好い
のではという提案で近々再訪問することを決める。

 


武力行使という過剰

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    戦争は、外交の失敗以外の何物でもない。 /  ピーター・ドラッカー

         " Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime."



 

● 牛乳でアルツハイマー症状の緩和ができるって本当 ?!

森永乳業は、乳たんぱく質から抽出し、血圧を下げたり記憶力を高める効果が期待できる機
能性食材「ブレインペプチド」を7日からサプリメント企業や飲料、洋菓子メーカーなどに
販売する。健康志向や機能性表示食品市場の成長に応じ、業務向け食品素材の拡販を図る。
業務用機能性食品を、洋菓子店などに生クリームやバターを供給していた業務用食品事業部
を統合し食品素材事業部を新設し、ビフィズス菌やラクトフェリンなどの機能性食材を、売
上金額の大きい洋菓子店関係に販売する。

つまり、森永乳業は粉ミルクやヨーグルトで培った多くの知財を利用し、介護食品事業のク
リニコ(東京都目黒区)の知財も業務向け食材の拡販に活用する。また、投入するブレイン
ペプチドは、血圧降下作用やアルツハイマー症状緩和作用を確認し、特許成分「トリペプチ
ドMKP」を配合したアミノ酸化合物で、ペプチド特有の雑味や苦味を抑え、耐熱性や耐酸
性にも優れ、さまざまな食品への加工が可能である。

 

ACE阻害剤

牛乳加工食品技術の専門店が薬剤品開発領域に踏み出すことは自然な流れ。ところで、 アン
ジオテンシン変換酵素(ACE)は、レニンによる切断によりアンジオテンシノーゲンから
生じるアンジオテンシンIに働き、C末端の2個のアミノ酸を遊離させて、アンジオテンシ
ンⅡに変換する酵素。アンジオテンシン変換酵素は強い昇圧作用を有するアンジオテンシン
Ⅱを生成させるとともに、降圧作用を有するブラジキニンを不活性化する作用をもつ(上図)。

一方、アンジオテンシン変換酵素阻害作用をもつペプチドが、天然物中に、カゼイン、ゼラ
チン等の動物性蛋白質、コムギ、コメ、トウモロコシ等の植物性蛋白質、または、イワシ等
の魚類蛋白質等の酵素分解物から発見されている。例えば、天然物中に見出されるペプチド
の、テプロタイド(ノナペプチド,SQ20881)等や、ストレプトミセス属の放線菌の
代謝産物IS83(特開昭58-177920号公報)がある。さらに、酵素分解物には、
カゼインをトリプシンで分解し得たペプチド類(特開昭58-109425号、同59-4
4323号、同59-44324号、同61-36226号、同61-36227号)、カ
ゼインをサーモライシンで分解し得たペプチド類(特開平6-277090号、同6-27
7091号、同6-279491号、同7-101982号、同7-101985号)、カ
ゼイン等を乳酸菌あるいは、プロテイナーゼとペプチダーゼの組み合わせで分解し得たペプ
チド類(特開平6-197786号、同6-40944号、特開2001-136995号)
等があり、これらは、血圧降下作用をもつ特定保健用食品である。




但し、前記のペプチド類の中で、特開平7-101982号のペプチド――2個以上のアミ
ノ酸がアミノ基とカルボキシル基の間で脱水し、結合してペプチド結合を形成物質の総称.
結合アミノ酸の数によって,ジペプチド(アミノ酸2個)、トリペプチド(アミノ酸3個)、
オリゴペプチド(アミノ酸数個から10数個),ポリペプチド(アミノ酸多数)などと区別
される。タンパク質はポリペプチドに属する――が、比較的単純な構造を有している。最も
アンジオテンシン変換酵素阻害活性が高いものの、食品中の機能には、アンジオテンシン変
換酵素阻害活性は不十分。そこで、カゼインを特定の酵素で加水分解し、加水分解物中の高
いアンジオテンシン変換酵素阻害活性を有する新規なペプチドが存在し、同ペプチドがMe
t-Lys-Proで表される配列をもつペプチドを発見する(下図クリック)。

かくして、森永乳業という会社は、東レ、富士フイルムなどがそうであるように、異業種(
ここでは食品)→製薬へと変貌を遂げているのである。これは、欧米的な自然のストリーム
である。

WO 2013125622 A1

※ 再表2013/047128 ペプチドおよびアンジオテンシン変換酵素阻害剤 森永乳業株式会社



● 長浜バイオ大学金賞受賞:「香蔵庫」(KOZOKO)って ???

長浜バイオ大学の学生チームが9月、合成生物学の世界大会で金メダルを獲得し、2日、記
者会見を開いた。長浜バイオ大学の学生チームは、先月、アメリカ・ボストンで開かれた世
界最大級の合成生物学の大会アイジェムに出場。アイジェムは、遺伝子組み換え技術を駆使
し独自の生物を作り、その技術を競うもので、今年は世界各国から259チームが参加して
いた。

 

「iGEM Nagahama」は、ワサビの様に抗菌作用のあるバラの香りで、電気冷蔵庫の代わりに
食品を保存することができる魔法の箱、遺伝子組換え生物を活用した「香蔵庫」を開発し世
界大会に臨む。この「香蔵庫」は、電気を使わないことからエコ社会の実現に貢献するとと
もに、電気が通っていない地域でも食品の保存を可能にする画期的な発想だ。今回の金メダ
ルは長浜バイオ大学と東京工業大学、銀メダルには北海道大学、東京学生連合(東京大学、
早稲田大学など)、神奈川工科大学、岐阜大学、そして銅メダルには東京農工大学がそれぞ
れ獲得する。そういえば、NHKスペシャル「新アレルギー治療 鍵を握る免疫細胞」(20
15.04.05)で紹介された坂口志文阪大教授は長浜出身で、ことしのノーベル医学生理賞候補
にもなっているから(下図クリック)、バイオ科学産業の先進都市として脚光を浴びる可能
性が出てきたのでは?! 

 

 





【ガリバー病原発電システム:太陽光発電が増えた九州に新たな課題】

● 夏の19時台に電力が厳しくなる

今年の夏も九州地方の電力は問題なく供給することができたが、原発が運転していない状況
でもピーク時の需給率は90%以下に収まったが、太陽光発電の増加によって新たな課題が
明らかになった。昼間の電力は十分に足りても、夜間の19時台に需給率が95%を超える
日が発生したという(「太陽光発電が増えた九州に新たな課題、夏の19時台に電力が厳しく
なる 」スマート・ジャパン 2015.10.02)。

九州電力は8月14日に「川内原子力発電所」の1号機を再稼働させて、8月31日からは
最大出力の89万キロワットで電力の供給を開始。それに伴って9月上旬から火力発電所の
補修作業に入り、9月下旬には合計で2百万キロワットを超える規模の火力発電設備が運転
を停止していた。ところが晴天が続いて最高気温が30℃を上回り、想定外に需要が増え、
供給力の余裕を十分に確保できなくなってしまったのが原因。この背景に、原子力発電は一
定の出力で運転を続けることが前提になって、需要に応じて出力を調整できないシステムで
あると指摘した上、今後さらに原子力が増えていくと、需給バランスの調整はいっそうむず
かしくなり、特性の違う複数の電源を最適に組み合わせる技術の開発が不可欠だとむすんで
いる。



しかし、コスト高で機敏に動けず、プロトニウムの核ゴミ処理の玉突き状態の巨人病の原発
にはスマートグリッド時代には似合わない。記事が指摘するするほど、最適電源制御システ
ムの設計は難しくはないだろう、あとは、キャッシュフローの担保だが、ここは政策推進の
気合い次第とわたし(たち)は考えるが如何に。^^;



 

 

【武力行使という過剰】

● ロシアの皇帝プーチンはさらに空爆強化

ロシア国防省によると、軍参謀本部高官は3日、シリアでの空爆について、「継続するだけ
でなく、一層強化する」と語った。また、同高官は、米国に対し、反体制派を支援する要員
を撤収させ、ロシアの作戦地域で米軍機の飛行を停止するよう、国防当局間協議で求めたこ
とを明らかにした。一方、9月30日~10月3日に行った空爆については「空軍機が、計
60回以上発進し、(過激派組織)『イスラム国』の50以上の施設を破壊した」とと主張・
同組織の戦闘員約6百人が撤退し、欧州への逃亡を図っていると述べたが、米政府などは、
ロシアのシリア空爆はアサド政権支援が目的で、反体制派が標的になっていると判断。米紙
ワシントン・ポストによると、反体制派は空爆に対抗するため、地対空ミサイルの供与を米
国に要請した。 
 

戦後70年を振り返えり、大国の軍事的紛争が根本的な解決をみないことをつぶさに目にし
てきた。プーチン大統領は、第一次世界大戦前のツァリー(帝政ロシア)再来の悪夢をみる
せつけるかのようだ。ここに、"遅れてきた赤色帝国主義"の中国 が軍事介入(?)してき
たなら、この世界はどのようなことになるのか?!  怒りを通り越し、もう笑うしかないだ
ろうが、戦後民主主義の真価がと問われる。ここは是が非でもこれを踏みとどめ 、"反動の
嵐"を押し返す以外に道はない。                                                         
                                         


● 折々の読書 『職業としての小説家』14


  小説家になるためには、どんな訓練なり習慣が必要だと思いますか? 若い人たちを
 相手に質疑応答みたいなことをしていると、そういう質問をよく受けます。それは世界
 中どこでもだいたい同じみたいです。それだけ「小説家になりたい」「自己表現をした
 い」と考えている人が数多くいるということなんだと思うんですが、これはとても答え
 るのがむずかしい質問です。少なくとも僕は「ううむ」と腕組みしてしまいます。
  というのは、自分がいったいどうやって小説家になったか、それさえよく把握できて
 いないからです。若い頃から「ゆくゆくは小説家になろう」と心を決め、そのための特
 別な勉強をしたり、訓練を受けたり、習作を積み重ねだりして、段階を踏んで小説家に
 なったわけではありません。

  これまでの僕の人生における多くのものごとの展開がそうであったように、「あれこ
 れやっているうちに、なんだか勢いと成り行きでこうなってしまった」というところが
 あります。運に助けられた部分もけっこうあります。振り返ってみればそらおそろしい
 話ですが、でも実際にそうなんだから仕方ありません。 

  それでも、若い人たちから[小説家になるためにどんな訓練なり習慣が必要だと思う
 か?」と真剣な面持ちで質問されると、「いや、そんなことちょっとわかりませんね。
 すべては勢いと成り行きみたいなものですし、運も大きいですから。考えたら、おっか
 ない話ですよね」みたいにあっさり片づけてしまうわけにもいきません。そんなことを
 言われても、向こうだって困るでしょう。場がしらけちゃうかもしれない。だから僕と
 してもいちおう真剣に正面から「さて、どういうものかな」と考えてみます。

  それで僕は思うのですが、小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず
 本をたくさん読むことでしょう。実にありきたりな答えで中し訳ないのですが、これは
 やはり小説を書くための何より大事な、欠かせない訓練になると思います。小説を書く
 ためには、小説というのがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として
 理解しなくてはなりません。「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない」
 というのと同じくらい当たり前のことですね。

  とくに年若い時期には、一冊でも多くの本を手に取る必要があります。優れた小説も、
 それほど優れていない小説も、あるいはろくでもない小説だって(ぜんぜん)かまいま
 せん、とにかくどしどし片端から読んでいくこと。少しでも多くの物語に身体を通過さ
 せていくこと。たくさんの優れた文章に出会うこと。ときには優れていない文章に出会
 うこと。それがいちばん大事な作業になります。小説家にとっての、なくてはならない
 基礎体力になります。目が丈夫で、暇があり余っているうちにそれをしっかりすませて
 おく。実際に文章を書くというのもおそらく大事なことなのでしょうが、順位からすれ
 ばそれはもっとあとになってからでじゅうぶん間に合うんじゃないかという気がします。

  その次に――おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に――来るのは、自分が
 目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることじゃないでしょうか。
 まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く
 観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」
 といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論
 みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結
 論を出すことではなく、そのものごとのありようを素材=マテリアルとして、なるたけ
 現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

  よくまわりの人々やものごとをささっとコソパクトに分析し、「あれはこうだよ」
 「これはああだよ」「あいつはこういうやつなんだよ」みたいに明確な結論を短時間の
 うちに出す人がいますが、こういう人は(僕の意見では、ということですが)あまり小
 説家には向いていません。どちらかといえば評論家やジャーナリストに向いています。
 あるいは(ある種の)学者に向いています。
  小説家に向いているのは、たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たと
 しても、あるいはつい出そうになっても、「いやいや、ちょっと持て。ひょっとしてそ
 れはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直すような人です。
 「そんなに簡単にはものごとは決められないんじゃないか。先になって新しい要素がひ
 ょこっと出てきたら、話が180度ひっくり返ってしまうかもしれないぞ」とか。

  僕はどうやらそちらのタイプみたいです。もちろん頭の回転がそんなに速くないとい
 うこともありますが(かなりある)、その時点で早急に結論を出したものの、あとにな
 ってみると、そこで出てきた結論が正しくなかった(あるいは不正確であった、不十分
 であった)ことが判明したという苦い経験を、これまでに幾度となく繰り返してきたか
 らです。それでずいぶん恥じ入ったり、冷や汗をかいたり、無駄な回り道をしたりした
 ものです。そのせいで「すぐにはものごとの結論を出さないようにしよう」「できるだ
 け時間をかけて考えよう」という習慣が、僕の中に徐徐に形作られていったような気が
 します。これは生来の性向というよりは、むしろ後天的に経験的に、痛い目にあいなが
 ら身についたものみたいです。

  そんなわけで僕の場合、何かが持ち上がっても、それについてすぐに何かしら結論を
 出すという方には顛が働きません。それよりはむしろ自分が目撃した光景を、出会った
 人々を、あるいぱ経験した事象を、あくまでひとつの「事例」として、言うなればサン
 プルとして、できるだけありのままの形で記憶に留めておこうと努めます。そうすれば
 それについて後日、もっと気持ちが落ち着いたときに、時間の余裕があるときに、いろ
 んな方向から眺めて注意深く検証し、必要に応じて結論を引き出すこともできるからで
 す。

  しかし僕の経験から中し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、
 僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。僕らは――短期的なものであるにせよ、
 長期的なものであるにせよ――結論というものを本当はそれほど必要としていないんじ
 ゃないかという気がするくらいです。だから新聞記事を読んだり、テレビのニュースを
 見たりするたびに僕としては、「おいおい、そんなにとんとんと結論ばかり出して、い
 ったいどうするんだ?」と首をひねってしまいます。

  だいたいにおいて今の世の中は、あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めす
 ぎているのではないでしょうか? もちろん何もかもを「また今度、そのうちに」と先
 送りにするわけにはいかないとは思います。とりあえず判断を下さなくてはならないも
 のごともいくつかはあるでしょう。極端な例をあげれば、「戦争が起こるか起こらない
 か」「原発を明日から動かすか動かさないか」みたいなことであれば、僕らは何はとも
 あれ早急に立場をはっきりさせなくてはなりません。そうしないとえらいことになって
 しまいかねない。しかしそういう切羽詰まったことはそれほど頻繁にはないはずです。

  情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテー
 ターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものに
 なってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。よくアンケートな
 んかで「どちらともいえない」という項目がありますが、僕としてはむしろ「今のとこ
 ろどちらともいえない」という項目があるといいなと、いつも思ってしまいます。

  まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取
 り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することで
 あると僕は考えます。そういう原材料をたくさん貯め込める「余地」を自分の中にこし
 らえておくことです。とはいえ「できるだけありのままに」といっても、そこにあるす
 べてをそっくりそのまま記憶することは現実的に不可能です。僕らの記憶の容量には限
 度があります。ですからそこには最小限のプロセス=情報処理みたいなものが必要にな
 ってきます。

  多くの場合、僕が進んで記憶に留めるのは、ある事実の(ある人物の、ある事象の)
 興味深いいくつかの細部です。全体をそっくりそのまま記憶するのはむずかしいから(
 というか、記憶したところでたぶんすぐに忘れてしまうから)、そこにある個別の具体
 的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで頭に保管しておく
 ように心がけます。それが僕の言うところの「最小限のプロセス」です。

  それはどのような細部か? 「あれっ」と思うような、具体的に興味深い細部です。
 できればうまく説明かつかないことの方がいい。理屈と合わなかったり、筋が徴妙に食
 い違っていたり、何かしら首を傾げたくなったり、ミステリアスだったりしたら言うこ
 とはありません。そういうもを採集し、簡単なラベル(日付、場所、状況)みたいなも
 のを貼り付けて、頭の中に保管しておきます。言うなれば、そこにある個人的なキャビ
 ネットの抽斗にしまっておくわけです。もちろんそういう専用のノートを作って、そこ
 に書き留めておいてもいいんですが、僕はどちらかといえばただ頭に留める方を好みま
 す。ノートをいつも持ち歩くのも面倒ですし、いったん文字にしてしまうと、それで安
 心してそのまま忘れてしまうということがよくあるからです。頭の中にいろんなことを
 そのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。

  僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。

  僕の好きな話があります。詩人のポール・ヴァレリーが、アルベルト・アインシュタ
 インにインタビューしたとき、彼は「着想を記録するノートを持ち歩いておられますか
 ?」と質問しました。アインシュタインは穏やかではあるけれど、心底驚いた顔をしま
 した。そして「ああ、その必要はありません。着想を得ることはめったにないですから」
 と答えました。
  たしかに、そう言われてみれば、僕にも「今ここにノートがあればな」と思うような
 ことって、これまでほとんどなかったですね。それに本当に大事なことって、一度頭に
 入れてしまったらそんなに簡単には忘れないものです。
  
                                      「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                              村上春樹 『職業としての小説家』 

     
                                 この項つづく

 

 

 


     I, I'm so in love with you
     Whatever you want to do
     Is all right with me
     'Cause you make me feel so brand new
     And I want to spend my life with you

     Since, since we've been together
     Loving you forever
     Is what I need
     Let me be the one you come running to
     I'll never be untrue

     Let's, let's stay together
     Lovin' you whether, whether
     Times are good or bad, happy or sad

     Whether times are good or bad, happy or sad

     Why, why some people break up
     Then turn around and make up
     I just can't see
     You'd never do that to me (would you, baby)
     Staying around you is all I see
     (Here's what I want us to do)

                                       ”Let's Stay Together”

                                        Music&Word    AL Green,
                                                                                                              W.Mitched,
                                                                                                             I.A.Jackson

 

 

最新デジタル印刷工学

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   天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ。 

                         ジェイムズ・ジョイス





● ノーベル医学生理学賞 聖にして天才  

エバーメクチン(avermectin)の創薬者の木村智北里大学名誉教授がノーベル賞医学生理学受賞がト
ップニュースになる。そのエバーメクチンとは、放線菌の1種 Streptomyces avermitilis が産生する
マクロライド抗生物質の一つで、フィラリアなどの線虫の発育を阻止するまれな抗寄生虫性抗生物
質である。A1(a,b),A2(a,b),B1(a,b),B2(a,b)の8種の誘導体があり、フィラリアによっておこる風土病
として知られているオンコセルカ症には、とくにジヒドロ誘導体が有効で実用化されているが、化
学構造式であらわすと下図のようになる。

Wikipedia

 


もう少し付け加えると、木村教授の提案で、73年に北里研究所抗生物質研究グループと米国メル
ク社の研究所 MSDR(Merck Sharp &Dohme Research Laboratories)とで、微生物代謝産物を対象にした
探索研究の共同研究プロジェクトが開始。この過程で79年にW.Campbell――今回木村教授と同様
にノーベル賞を受賞――により開発されたN.dubiusを感染させたマウを用いたスクリーニング系を用
いて、教授らが分離した放線菌 Streptomyces avvermectinius が生産する抗寄生虫薬エバーメクチン
を発見する。

 

また、上図でしめされた、イベルメクチン(ivermectin)は、マクロライド類に属する腸管糞線虫症
の駆虫薬の1つ。また疥癬、毛包虫症の治療薬でもある。商品名はストロメクトールなど。放線菌
が生成するアベルメクチンの化学誘導体。大村智により発見された。線虫のシナプス前神経終末で、
γ-アミノ酪酸(GABA)の遊離促進させ、節後神経シナプスの刺激を遮断する薬効がある。吸虫や
条虫では末梢神経伝達物質としてGABAを利用せず無効で、イヌでは犬糸状虫症の予防に使用され
る。犬糸状虫のミクロフィラリアが血中に存在しているイヌにイベルメクチンを投与すると、ミク
ロフィラリアが一度に死滅し発熱やショックを引き起こす場合がある。したがって、イベルメクチ
ンを予防薬として使用する際は犬糸状虫の感染の有無を検査する必要がある。同効薬として、ミル
ベマイシン、ミルベマイシンオキシム、マデュラマイシンが在る。

昨夜から、テレビ、ネットで記事が満載になっているが、同教授は受賞の記者会見で、「やったこ
とはだいたい失敗してきた。でも、びっくりするくらいうまくいくときがある。それを味わうと何
回失敗しても怖くない」と話していたが、アイルランドの詩人で小説家のジェイムズ・ジョイス「
天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ」という名言を思い浮かべた
が、意地悪で陰険な天才もいるが、彼は聖にして天才である。

 Wikipedia


● 過剰な戦略思考 TPPの功罪

ノーベル賞受賞でかすんでしまったがTPPが大筋合意している。欧州連合(EU)を超える世界最
大の単一自由貿易圏を標榜する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉が合意に達した。米アト
ランタで5日(現地時間)に開かれたTPP参加12カ国による閣僚会合は6日間に及ぶ交渉を終え、合
意を公式に宣言した。09年に米国の参加で本格化したTPP交渉は7年間の難産の末、交渉が一
段落した。TPPは世界1、3位の経済大国である米国と日本が主導し、12カ国が参加する過去
最大規模の多国間自由貿易協定(FTA)。また、中国の政治的、経済的影響力の高まりに対抗する米
日の合作という側面もある。オバマ米大統領は同日、「TPPは21世紀にに必須の域内同盟、パ
ートナー国家との戦略的関係を強化させることになる。中国のような国に世界経済の秩序を主導さ
せることはできない」と述べている。

   日本貿易会/JFTC


TPPに対する考えはこのブログでも掲載してきた。いかにも、「大きく構えてパクる」という戦略
思考がすきな米国だが、アイデアはニュージランドからパクリ、戦前のABCD包囲網よろしく、中
国のような国に世界経済の秩序主導を封じるという好戦的な戦略。「TPP合コン論」をぶったのは
高橋洋一教授だが、合コンは個人実費負担が前提だが、これは各国の勤労国民の金、これは思慮が足
りない。 とは言え合意形成したなら、関係者が責任をもって行動するよう監督していく必要がある。


 


 
【最新デジタル印刷工学:インクジェットプリントヘッド】

京セラ株式会社は、1本のヘッドでCMYK4色の同時印刷が可能で、解像度150ドット/インチ(
4色で600ドット/インチ)、印刷速度76.2メートル/分を実現したと発表(2015.10.1)。
商業印刷では、昨今、印刷物の「小ロット化」「短納期化」「在庫削減」「可変印刷」など多様な
ニーズに対応できるデジタル印刷への需要が高まり、ファッション業界では、ファストファッショ
ンの流行が広がり、短納期で少量の商品を印刷する技術・機器が急速に求められている。

今なお、商業印刷において主流であるアナログ印刷方式は、デザイン原稿ごとに複数枚の版が必要
とし、セッティングに手間と時間を要することや、在庫管理や保管スペースなども必要となり、大
きなコストが発生します。一方、インクジェット方式をはじめとするデジタル印刷は、デザインデ
ータを即座に必要量だけ印刷でき、版の管理が不要で、生産性向上とコスト削減だけでなく、版洗
浄用の廃液も発生しないため、環境負荷の低減にも寄与できる。

このインクジェットプリントヘッドの特徴は、(1)1本のヘッドで4色同時印刷ができ、印刷機
の小型化・軽量化できる。勿論、1本のヘッドで品質の高い4色同時印刷が可能で、搭載ヘッド数
が削減でき、各種配線やインク配管などの部品点数も削減がきる。(2)ヘッドの有効印刷幅を世
界最大レベルの112ミリメートと幅広の印刷が必要な場合でもヘッドの使用本数が少なく設計で
きる。機器設計の容易さと、印刷機の組み立て工程や部品の交換時に、ミクロン単位でのヘッドの
位置合わせやインク吐出、配線、インク配管などさまざまな調整の負荷低減できる。(3)インク
流路構造の設計技術や圧電アクチュエーターの駆動制御技術を用い、解像度150ドット/インチ
で、4色同時印刷のヘッドとして、76.2メートル/分の高速印刷を実現。

ところで、インクジェットプリンタは、電子写真方式の記録装置に比べ小型で安価、定着プロセス
がなく(プロセスレス)、省エネでき広く用いられている。インクジェットプリンタは、ノズルヘ
ッドに設けられた複数のノズルからインク滴を吐出し、紙等の記録媒体上に画像形成する。この装
置のインクには、溶剤として主に有機溶剤を使用する油性インクと、溶剤として主に水を使用する
水性インクがあが、昨今の環境配慮の時代にあって有機溶剤を含まない水性インクの開発が盛んに
進められている。ここで、水性インクは噴射後の洗浄が水溶液で、環境配慮でしかも、噴射ヘッド、
キャップユニット、キャップケースやインク排出や洗浄が容易になり、処理スピードを多少犠牲に
しても可能な場合、トレードオフし、複数の噴射ヘットをシングルヘッドで代替できる。

※ 特許5787932 インクジェット記録装置

しかし、水性インクを使用する場合、紙の印刷面に水が浸透して繊維が膨潤するため、印刷面の膨
張が非印刷面の膨張より大きくなり、印刷面の伸びと非印刷面の伸びとに差が生じやすく、印刷面
と非印刷面との間に応力差が生じやすい。この応力差に起因し、印刷面が凸状に反るカール(=コ
ックリング)現象を発生するが、カール抑制対策に、(1)カール方向とは逆向きに曲がるクセを
付ける方法(=デカール法)があるが、水性インクを用いた場合カールを十分に矯正することがで
きないので、下記のように改良している。 

インクジェットプリンタ1は、印刷媒体の搬送機構320とヘッド部310と液体付与部400と
を備え、搬送機構320は、第1面及び第2面をもつ印刷録媒体を搬送。ヘッド部310は記録媒
体の第1面にインクを吐出し、液体付与部400は、記録媒体の第2面に液体を付与し、搬送機構
320はヘッド部310と対向する第1搬送部320Aと、第2搬送部320Bとを有し、液体付
与部400は、第1搬送部320Aと第2搬送部320Bとの間に配置構成することで、水性イン
クを用いて印刷する際体に発生するカール抑制できるインクジェットプリンタを提案する(下図)。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』15 

  いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションで
 す。僕の経験から言って、スマートでコソパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、
 小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。むしろ足を引っ張り、物語の自然な流れを
 阻害することが少なくありません。ところが脳内キャビネ″トに保管しておいた様々な未整理の
 ディテールを、必要に応じて小説の中にそのまま組み入れていくと、そこにある物語が自分でも
 驚くくらいナチごフルに、生き生きしてきます。

  たとえばどんなことか?
 
  そうだな、今急にうまい例が思い浮かばないんですが、たとえば、そうだな……あなたの知っ
 ている人に、真剣に腹を立てるとなぜかくしゃみが出てくる人がいるとします。いったんそうや
 ってくしゃみが出始めると、なかなか止まらない。僕の知り合いにはそんな人はいませんが、仮
 にあなたの知り合いにいたとします。そういう人を目にしたとき、「なぜだろう? なぜ真剣に
 腹を立てるとくしゃみが出るんだろう」と生理学的に、あるいは心理学的に分析推測し、仮説を
 立てるのももちろんひとつのアプローチではあるのでしょうが、僕はあまりそういう風にはもの
 ごとを考えません。僕の頭の働きはだいたいにおいて「へえ、ふうん、そういう人がいるんだ」
 というあたりで終わってしまいます。「どうしてかはわからないけれど、そういうことも世の中
 にはあるんだ」と。そしてそのまま「ひとかたまり」にぽんと記憶してしまう。そういういわば
 脈絡のない記憶が、僕の頭の抽斗の中にずいぶんたくさん蒐集されています。



  ジェームズ・ジョィスは「イマジネーションとは記憶のことだ」と実に簡潔に言い切っていま
 す。そしてそのとおりだろうと僕も思います。ジェームズ・ジョィスは実に正しい。イマジネー
 ションというのはまさに、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。ある
 いは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが、「有効に組み合わされた脈絡のない記
 憶」は、それ自体の直観を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の
 動力となるべきものです。

  とにかく我々の――というか少なくとも僕の――頭の中にはそういう大きなキャビネットが備
 え付けられています。そのひとつひとつの抽斗の中には様々な記憶が情報として詰まっています。
 大きな抽斗もあれば、小さな抽斗もあります。中には隠しポケットのついた抽斗もあります。僕
 は小説を書きながら、必要に応じてこれと思う抽斗を開け、中にあるマテリアルを取り出し、モ
 れを物語の一部として使用します。キャビネ″トにはとにかく厖大な数の抽斗がついているので
 すが、小説を書くことに意識が集中してくると、どのあたりのどの抽斗に何か入っているかとい
 うイメージが頭にさっと自動的に浮かんできて、瞬時に無意識的にそのありかを探し当てられる
 ようになります。普段は忘れていたような記憶が自然にするすると蘇ってきます。頭がそういう
 融通無碍な状態になってくると、モれはずいぶん気持ちが良いものです。言い換えれば、イマジ
 ネーションが僕の意思から離れ、立体的に自在な動きを見せ始めるわけです。言うまでもないこ
 とですが、小説家である僕にとって、その脳内キャビネットに収められた情報は、何ものにも代
 えがたい豊かな資産となります。



  スティーブン・ソダーバーグが監督した『KAFKA/迷宮の悪夢』(一九九一)という映画
 の中で、ジェレミー・アイアンズ演ずるフラソツ・カフカが、厖大な数の抽斗のついたキャビネ
 ットが並ぶ不気味な城(もちろんあの「城」がモデルです)に潜入するシーンがありましたが、
 それを見て「ああ、これは僕の脳内の構造と、光景的にちょっと通じているかもな」とふと思っ
 たことを覚えています。なかなか興味深い映画だったので、もし何かで見る機会があったら、そ
 のシーンを目に留めてください。僕の頭の中はそれほど不気味ではありませんが、基本的な成り
 立ちは似ているかもしれません。

  僕は作家として、小説ばかりでなくエッセイみたいなものも書きますが、小説を書いている時
 期には小説以外のものは、よほどのことがなければ書かないと決めています。というのはエッセ
 イみたいなものを書いていると、必要に応じてついどこかの抽斗を開けて、その中にある記憶情
 報をネタとして使ってしまったりするからです。すると小説を書くときにそれを使いたいと思っ
 ても、既によそで使われてしまっているという事態が生じます。たとえば、「ああ、そういえば、
  真剣に腹を立てるとくしゃみが止まらなくなる人のことは、週刊誌の連載エッセイでこのあいだ
 書いちゃったな」みたいなことが起こります。もちろんエ″セイと小説とで同じネタを二度使っ
 たって、べつにかまわないわけなんですか、そういうバごアィングみたいなことがあると、小説
 が不思議に痩せてくるみたいです。だから小説を書く時期には、とにかくあらゆるキャビネット 
 を小説専用のものとして確保しておいた方『がいい。いつ何か必要になるかもわからないんだか
 ら、できるだけけちけち出し惜しみする。これが長年にわたって小説を書いてきた経験から、僕
 が身につけた知恵のひとつです。

  小説を書く時期か一段落すると、一度も開くことのなかった抽斗、使いみちのなかったマテリ
 アルがけっこうたくさん出てきますから、そういうもの(言うれば余剰物資ですね)を使って
 まとめてエッセイを書いたりします。でも僕にとってはエ″セイというのは、あえて言うならビ
 ール会社が出している缶入りウーロン茶みたいなもので、いねば副業です。本当においしそうな
 ネタは次の小説=正業のためにとっておくようにします。そういうネタか貯まってくれば、「あ
 あ、小説を書きたいな」という気持ちも自然に湧いてくるみたいです。だからできるだけ大事に
 しておかなくてはならない。



  また映画の話になりますか、スティーブン・スピルバーグの作った『E.T.』の中でE.T.
 が物置のがらくたをひっかき集めて、それで即席の通信装置を作ってしまうシーンがあります。
 覚えていますか? 雨傘だとか電気スタンドだとか食器だとかレコード・プレーヤーだとか、ず
 っと昔見たきりなので詳しいことは忘れたけど、ありあわせの家庭用品を適当に組み合わせて、
 ささっとこしらえてしまう。即席とはいっても、何千光年も離れたり星と連絡をとれる本格的な
 通信機です、映画館であのシーンを見ていて僕は感心してしまったんですか、優れた小説という
 のはきっとああいう風にしてできるんでしょうね。材料そのものの質はそれほど大事ではない。

 何よりそこになくてはならないのは「マジック]なのです。日常的な素朴なマテリアルしかなく
 ても、簡甲で平易な言葉しか使わなくても、もしそこにマジ″クがあれば、僕らはそういうもの
 から驚くばかりに洗練された装置を作りLげることができるのです。
 しかしいずれにせよ僕らには、それぞれの自前の「物置」か必.要です。いくらマジックを使う
 といっても、何もないところから実体を作り出すことはできません。E.T.がひょっこりやっ
 てきて、「悪いんだけど、れの物置の中のものをいくつか使わせてくれないかな」と言ったとき
 に「いいとも。なんでも好きに使ってくれ」とさっと扉を開けて見せられるような、「がらくた」
 の在庫を常備しておく必要があります。

  最初に小説を書こうとしたとき、いったいどんなことを書けばいいのか、まったく考えが浮か
 びませんでした。僕は親の世代のように戦争を体験していないし、ひとつ上の世代の人たちのよ
 うに戦後の混乱や飢えも経験していないし、とくに革命も体験していないし(革命もどきの体験
 ならありますか、それはとくに語りたいようなしろものではありませんでした)、熾烈な虐待や
 差別にあった覚えもありません。比較的穏やかな郊外住宅地の、普通の勤め人の家庭で育ち、と
 くに不満も不足もなく、とくに幸福というのでもないにしても、とくに不幸というのでもなく(
 ということはおそらく相対的に幸福であったのでしょうが)、これといって特徴のない平凡な少
 年時代を送りました。学校の成績もそれほどぱっとはしなかったけど、とりたてて悪くもなかっ
 た。

  まわりを見回してみても、「これだけはどうしても書いておかなくてはならない!」というも
 のが見当たりません。何かを書きたいという表現意欲はなくはないのですが、これを書きたいと
 いう実のある材料がないのです。そんなわけで、僕は二十九歳を迎えるまで、自分が小説を書く
 ことになるなんて考えもしませんでした。書くべきマテリアルもなければ、マテリアルのないと
 ころから何かを立ち上げるほどの才能もありません。僕にとって小説というのは、ただ読むだけ
 のものだと思っていました。だから小説はずいぶんたくさん読みましたか、自分が小説を書くこ
 とになるなんて、とても想像できなかった。

  僕は思うんですが、こういう状況って、今の若い世代の人たちにとってもだいたい同じような
 ものなんじゃないでしょうか。というか、僕らが若かったときよりも更に「驚くべきこと」が少
 なくなっているかもしれません。じゃあ、そういうときどうすればいいのか?
  これはもう「E.T.方式」でいくしかないと、僕は思うんです。裏の物置を開けて、そこに
 とりあえずあるものをもうひとつぱっとしないがらくた同然のものしか見当たらないにせよ
 とにかくひっかき集めて、あとはがんばって、からとマジックを働かせるしかありません。

 それ以外に僕らが他の惑星と連絡を取り合うための手だてはないのです。とにかくありあわせの
 もので、かんばれるだけがんばってみるしかない。でももしあなたにそれができたなら、あなた
 は大きな可能性を手にしたことになります。それは、あなたにはマジックが使えるのだという素
 晴らしい乍実です(そう、あなたに小説が潟けるというのは、あなたが他の惑星に住む人々と連
 絡を取り合えるということなのです。実に?)。

  僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないと
 いうことを書くしかないんじやないか」と痛感しました。というか、「何も書くことかない」と
 いうことを遂に武器にして、そういうところから小説を潜き進めていくしかないだろうと。そう
 しないことには、先行する匪代の作家たちに対抗する手段はありません。とにかくありあわせの
 もので、物語を作っていこうじやないかということです,
  そのためには、新しい言葉と文体が必要になります。これまでの作家が使ってこなかったよう
 なヴィークル=言葉と文体をこしらえなくてはなりません。戦争とか革命とか飢えとか、そうい
 う咀い問題を扱わない(扱えない)となると、必然的により軽いマテリアルを扱うことになりま
 すし、そのためには軽ほではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になりま
 す。

  僕は何度か試行錯誤した末に(この試行錯誤については第二回に書きました)、ようやく何と
 か使用に耐えうる日本語の文体をこしらえることに成功しました。まだ不完全な問に合わせだし、
 あちこちでぽろは出ているけど、これはまあ生まれて初めて書いた小説だから、仕方ありません。
 欠点はあとで――もしあとがあればということですか――少しずつなおしていけばいい。

  ここで僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的
 なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを
 立体的に組み合わせていく。そしてその組み合わせは世間のロジック文芸的イディオムとは関わ
 りのない場所でおこなわれなくてはならない。それか基木的なスキームでした。



  そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど″音楽を演奏する
 ような要領で、僕は文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました,ご存じのように、
 ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。的確でソリッドなリズムを終始キープしなくて
 はなりません。そうしないことにはリスナーはついてきてくれません。その次にコード(和音)
 があります。ハーモニーと言い換えてもいいかもしれません。綺麗な和音、濁った和音、派生的
 な和音、基礎音を省いた和音。バド・パウエルの和音、セロニアス・モンクの和音、ビル・エヴ
 ァンズの和音、ハービー・パンコックの和音。いろんな和音があります。みんな同じ88鍵のピ
 アノを使って演奏しているのに、人によってこんなにも和和音の響きが違ってくるのかとびっく
 りするくらいです。そしてその事実は、僕らにひとつの重要な示唆を教えてくれます。限られた
 マテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限のあるいは
 無限に近い――可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノ
 ではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。
 
  それから最後にフリー・インプロピゼーションかやってきます。自由な即興演奏です。すなわ
 ちジャズという音楽の根幹をなすものです。しっかりとしたリズムとコード(あるいは和声的構
 造)の上に、自由に音を紡いでいく。
  僕は楽器を演奏でぎません。少なくとも人に聞かせられるほどにはできません。でも音楽を演
 奏したいという気持ちだけは強くあります。だったら音楽を演奏するように文章を肖けばいいん
 だというのが、僕の最初の考えでした。そしてその気持ちは今でもまだそのまま続いています。
 こうしてキーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色
 を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない人事な要素になっています。


まったりとした空間で漂っていた、あるいは平凡な緊張感のない日常で惰眠を貪ることへの青年特有
の過剰な焦燥感もなく平和ぼけしていたという感想に、半身共感もするが、そんなに"かったるい"も
のでもなかったぞ。と、肩すかしをくらった思いが後を引くが、次回は第五回から第六回の「時間を
味方につける――長編小説を書くこと」にうつる。
    

  
                                           「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                    村上春樹 『職業としての小説家』 
     
                                               この項つづく

  ● 今夜の一枚の写真

オランダのヘルダーラント州では、「WEpods」と呼ばれるドライバーレスカーが運行開始した。

 

 

 

 

ニュートリノなピタス

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   ちょっと視点を変更すれば、発想を切り換えれば、マテリアルはあなたの
           まわりにそれこそいくらでも転がっていることがわかるはずです。
           それは、あなたの目にとまり、手に取られ、利用されるのを待っています。
   
                                            村上春樹 『職業としての小説家』

 

● ニュートリノなピタス

東大宇宙線研究所の梶田隆章教授がノーベル物理学賞を受賞、理由は素粒子ニュートリノに質量が
あることを証明し、半世紀近くに及ぶ大きな謎を解き明かしたことにある。物質や宇宙の成り立ち
に迫る新たな研究の扉を開く成果で、素粒子物理学の飛躍的な発展をもたらしたからと。宇宙の誕
生を解明を一歩?進めた。02年にノーベル賞を受けた小柴昌俊氏が岐阜県の地下鉱山跡に建設し
た「カミオカンデ」で放射線の一種である宇宙線が地球に降り注ぐ際に、大気中の原子核とぶつか
って生成される「大気ニュートリノ」を観測したところ、ミュー型の数が理論的な予測より40%
少ない「異常」を見いだし88年に発表したが、後にタウ型への変化(これを変身と呼んでいる)
による。地球の天地方向の2つのニュートリノ数は、真上からのものに真下はものは半部しかなく
「振動現象」の存在を突き止めるという話だが、そもそもは、ダークマターと同様にこの宇宙の質
量が理論量より少ないという議論にはじまる。 

時間があればゆっくり考えてみたが、頭の中はパニック状態の忙しさで、気分転換にジュブリタン
のパン工房のサーモンマリネ・ハムとレタス・トマトのピタ(あるいはポケット呼んでいる)(下
図クリック)と「いぶき牛乳」を食べたくなって、せめてネットで仮想スナックをとる。ピタパン
さえあれば、サンドウイッチと同様にツナマヨ、サラダ、具材は自由だが、ピクルス、マスタード
ソースは欠かせないとかなと考えてみる。ただし、サンドウイッチは具材がはみ出すのでこちらは
紙箱などに立てておけば、そこから取り出すだけで簡単にいただける。これは流行させる価値はあ
ると思うのだが。なんかへんてこな話になってしまった。

 


● 折々の読書 『職業としての小説家』16 


   僕は(僕自身の経験から)思うんですが、「書くべきことが何もない」というところから出
 発する場合、エンジンがかかるまではけっこう人変ですが、いったんヴィークルが起動力を得
 て前に進み始めると、そのあとはかえって楽になります。なぜなら乙名くべきことを持ち合わ
 せていない」というのは、言い換えれば、「何だって自由に書ける」ということを意味するか
 らです。たとえあなたの手にしているのが「軽量級」のマテリアルで、その眼が限られている
 としてもその組み合わせ方のマジ″クさえ会得すれば、僕らはそれこそいくらでも物語を立ち
 上げていくことができます。もしあなたがその作業に熟達すれば、そして健全な野心を失わな
 ければということですが、そこから驚くばかりに「重く深いもの」を構築していくことかでき
 るようになります。

  それに比べると、般初から重いマテリアルを手にして出発した作家たちは、もちろんみんな
 がみんなそうではありませんか、ある時点で「重さ負け」をしてしまう傾向がなきにしもあら
 ずです。たとえば戦争体験を書くことから出発した作家たちは、それについていくつかの角度
 からいくつかの作品を書いて発表してしまうと、そのあと多かれ少なかれ「次に何を書けばい
 いのか?」という一旦停止状況に追い込まれることが多いようです、もちろんそこで思い切っ
 て方向転換をし、新しいテーマをつかんで、作家として更に成長していく人もいます。また残
 念なからうまく、方向転換ができずに、力を徐々に失っていく作家もいます。


  アーネスト・ヘミングウェイは疑いの余地なく、二十世紀において最も大きな影響力を持っ
 た作家の一人ですが、その作品は「初期の方か良い」というのは、いちおう世間の定説になっ
 ています。僕も彼の作品の中では、最初の.二冊の長編『日はまた昇る』『武器よさらば』や、
 ニック・アダムズの出てくる初期の短編小説なんかがいちばん好きです。そこには息を呑むよ
 うな素晴らしい勢いかあります。でも後期の作品になると、うまいことはうまいんだけど、小
 説としてのポテンシャルはいくぶん落ちているし、文章にも以前ほどの鮮やかさが感じられな
 いようです。それはやはり、ヘミングウェイという人が素材の中から力をえて、物語を附いて
 いくタイプの作家であったからではなかったかと僕は推測します。おそらくはそのために、進
 んで戦争に参加したり(第.次大戦、スペイン内戦、第二次大戦)、アフリカで狩りをしたり、
 釣りをしてまわったり、闘牛にのめり込んだりといった生活を続けることになりました。常に
 外的な刺激を必要としたのでしょう。そういう生き方はひとつの伝説にはなりますか、年齢を
 重ねるにつれ、体験の与えてくれるダイナミズムは、やはり少しずつ低ドしていきます。だか
 ら、かどうかはもちろん本人にしかわかりませんが、ヘミングウェイはノーベル文学賞を得た
 ものの(一九五四年)、酒に溺れ、一九六一年に名声の絶頂で自らの命を絶ってしまいます。

  それに比べれば、素材の重さに頼ることなく、自分の内側から物語を紡ぎ出していける作家
 は、遂に楽であるかもしれません。自分のまわりで自然に起こる出来事や、目々目にする光景
 や、普段の生活の中で出会う人々をマテリアルとして自分の中に取り込み、想像力を駆使して
 そのような素材をもとに自分自身の物語をこしらえていけばいいわけです。そう、それはいわ
 ば「自然肖生エネルギー」みたいなものです。わざわざ戦争に出かける必.要もないし、闘牛
 を経験する必要も、チーターとかヒョウを撃つ必要もありません。

  誤解されると困るんですが、僕は、戦争や闘牛やハンティングみたいな経験に意味がないと
 言っているのではありません。もちろん意味はあります。何ごとによらず、経験をするという
 のは作家にとってすごく大事なことです。しかしそういうダイナミックな経験を持たない人で
 も小説は書けるんだということを僕は個人的に言いたいだけです。どんな小さな経験からだっ
 て人はやりようによってはびっくりするほどの力を引き出すことができます。
 「木か沈み、石か浮く」という表現があります。`日常では起こりえないことが起こるという
 ことですか、小説の世界では――あるいは芸術の世界ではと言い換えてもいいかもしれません
 が――そういう逆転現象が現実にしばしば起こります。一般的に軽いと世間で見なされていた
 ものが、時間の経過とともに無視できない重さを獲得し、一般的に重いと思われていたものが、
  いつの間にかその重みを失って形骸化していきます。継続的創造性という目に見えない力が、
  時間の助けを得て、そのようなドラスティックな逆転をもたらすのです。

  ですから「自分は小説を潜くために必要なマテリアルを持ち合わせていない」と思っている
 人も、あぎらめる必要はありません。ちょっと視点を変更すれば、発想を切り換えれば、マテ
 リアルはあなたのまわりにそれこそいくらでも転がっていることがわかるはずです。それは、
 あなたの目にとまり、手に取られ、利用されるのを待っています。人の営みというのは、一見
 してどんなにつまらないものに見えようと、そういう興味深いものをあとからあとから自然に
 生み出していくものなのです。そこでいちばん人事なことは、繰り返すようですか、「健全な
 野心を失わない」ということです。それがキーポイソトです。

  
                                         「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                   村上春樹 『職業としての小説家』 
     
                                              この項つづく


【最新有機太陽電池工学】

● 遅れて界面に来る励起子をなくせ!

時間分解された誘導吸収スペクトルを定量的に成分分解することにより、運動エネルギーの高い励
起子のみが電荷生成に寄与することを発見。有機太陽電池の光電効果の解明により、高効率化に向
けた設計指針が得られる。無機太陽電池に対し、有機太陽電池は励起子が極めて安定で、光から電
流への変換(光電効果)を起こすには、まず、トナー/アクセプター界面において励起子が電子と
正孔に分離するが、励起子がどのように分離するのか、その必要条件は何か、に関して――そうな
のだが、わたしが調査(>開発)を行っていた段階では、そこが詳細に――解明されていなかった。
このほど、筑波大学の守友浩教授らの研究グループは、励起子の数と電荷の数が時間とともにどの
ように変化するかを精密に調べ、遅れて界面に到達する励起子は電荷に分離できないことを突き止
め、運動エネルギーの低い励起子は電荷生成にしない根拠を実験ではじめてとらえること成功する。

さて、励起し分離プロセスは大きく2つの考え方がある。

1)励起子の運動エネルギーで分離:励起子がドナー/アクセプター界面に到達すると、電子はアク
 セプターに、正孔はドナーに移動するが、電子と正孔の間にはクーロンカが働くが、励起子の運動
 エネルギーで束縛を断ち切る。
2)電荷移動状態を介し分離:電子はアクセプターに、正孔はドナーに移動するが、電子と正孔はク
 ーロンカで束縛され電荷移動状態を形成する。時間の経過とともに、この電荷移動状態が緩やかに
 解離する。 

ところで、興味深いのは、電荷の生成時間が温度依存性を示さないこと。低温における電荷の生成時
間も、室温と同じ、0.4ピコ秒。一般に、低温では励起子のドメイン内の移動速度が遅く、励起子が
界面に到達する時間が長くなるが、温度依存性がないため、励起子が移動していないことを意味す
る。これは界面付近で励起された励起子のみ電荷生成に寄与する。今後、ドナー分子とアクセブター
分子を分子レベルで混合する等により、運動エネルギーの低い励起子でも電荷生成できる界面の構築
で、高効率有機太陽電池の開発を行う。



【滋賀の再エネ:太陽光だけで電力需要の8%に】

賀県は太陽光発電を中心に分散型のエネルギー供給体制を強化して災害に強い地域づくりを推進し
ていく。30年には電力需要の8%を太陽光発電で供給できるようにし、農地には営農型のソーラ
ーシェアリングを広めながら、農業用水路を利用した小水力発電も普及させる計画だという(スマ
ート・ジャパン、2015.10.06.)。政府が30年のエネルギーミックス(電源構成)を決めるよりも
2年早く、滋賀県は県内の電力需要に占める再生可能エネルギーの比率を10%に引き上げる目標
を設定。家庭用の「エネファーム」など天然ガスと燃料電池を組み合わせたコージェネレーション
も拡大して、電力会社に依存しない分散型の電源を25%まで増やす計画(上図)。

再生可能エネルギーの中では太陽光発電が多くを占める。30年には太陽光だけでも県内の電力需
要の8%にあたる10億キロワット時を供給できるようにする。滋賀県では平野が広く、面積の6
分の1を琵琶湖が占めているために、風力や水力を導入できるポテンシャルが他県と比べて小さい。
代わりに太陽光発電の導入プロジェクトが各地域で急速に進んでいる――おかしな、工事費をけっ
ちったプチメガソーラーも見受けられるが!――すでに33か所でメガソーラーが運転を開始、加
えて、固定価格買取制度の認定を受けて開発中のメガソーラーが80か所もある。特に県が所有す
る遊休地を活用したメガソーラーの規模が大きいのが特徴。

運転を開始した中では、滋賀県で唯一の食肉流通拠点である「滋賀食肉センター」のメガソーラー
が代表例。食肉センターの構内にある2万5千平方メートルの土地に8千6百枚の太陽光パネルを
設置(下図)。発電能力は1.75メガワットで、13年12月から稼働。年間の発電量は184万
キロワット時になり、一般家庭の使用量(年間3千6百キロワット時)に換算して5百世帯分に相
当する。パネルは京セラ。

 

これは、滋賀食肉公社が遊休地の活用と再生可能エネルギーの拡大を目的に事業者を公募し、大阪
ガスグループと京セラグループが共同で建設・運営する。食肉公社は土地の使用料のほか、発電設
備の保守管理業務を請け負い収入を得るスキーム。初期投資が不要で長期間にわたって安定した収
入を得られるメリットがある。同様のスキームを使って、さらに大きなメガソーラーの建設プロジ
ェクトも進んでいる。琵琶湖の南端に近い場所に「矢橋帰帆島」。その島にある県の所有地に滋賀
県で最大のメガソーラーを建設する計画。平坦な土地で遊ぶパークゴルフ場があった場所で、広さ
は10万平方メートルに及ぶ。3万4千枚の太陽光パネルを設置して、発電能力は8.3メガワットに
なる。15年内に運転を開始する予定で、年間の発電量は850万キロワット時で、2千3百世帯
分に相当する。この他に、長浜市の「農地ソーラーシェアリング推進実証実験」で、地域の農産物
直売組合が70平方メートルの農地に4キロワットの太陽光パネルを設置して、パネルの下で栽培
する野菜の生育状況を検証。野菜の販売収入と売電収入によって安定した所得を目指す新しい農業
のスタイルを創造する。

● 落差1メートルの小形水力発電

同じ長浜市内で農業用水路を利用した小水力発電設備が相次いで運転を開始している。市内を流れ
る「中央幹線用水路」には、落差工と呼ぶ階段状の構造が随所に設けられている。わずか1メート
ル程度の落差しかない場所が多いが、小さな落差でも発電設備を導入でき、すでに6カ所の落差工
で発電が始まっている。発電能力は1カ所あたり10~15キロワットで、年間の発電量は6カ所
を合計40万キロワット時になる。百世帯分の電力で、これまでの農業用水路が発電用途が加わり、
災害時には独立の電源として利用できる(下図)。

このように、小水力発電を普及させるプロジェクトの1つに、農村の「近いエネルギー」を推進事
業は、発電能力が1キロワットに満たない簡易型の小水力発電設備を設置して、農民の身近な場所
でエネルギーの地産地消を実施する試み。長浜市をはじめ県内の6カ所で運転・管理状況の検証が
進んでいる。また、ダムから下流の自然環境保護に放流している「河川維持流量」を利用し発電す
る事業は、農業用水路と違い52メートルの落差があるダムから水流を利用し、830キロワット
年間の発電量は470万キロワット、一般家庭で1千3百世帯分に相当する。


● 廃棄物使用のバイオマス発電事業

山室木材工業グループが、県内で初の木質バイオマス発電所を15年1月に稼働させた。同社は収
集した木質廃棄物からチップを製造して燃料に再生させる。木質チップを活用した発電事業を開始
するために、12年に「いぶきグリーンエナジー」を設立して発電所の建設に乗りだす。米原市内
で運転を開始した木質バイオマス発電所は3.55メガワットの電力を供給できる(下図)。1日
24時間の連続運転で、1年間に330日稼働予定で、年間の発電量が2千8百万キロワット時に
なり、7千8百世帯分の電力供給でき、米原市の総世帯数(1万4千世帯)の半分以上をカバーで
きる規模。1日に使用する木質チップは140万トンにのぼるが、森林資源が豊富な他県のように
間伐材などを大量に調達できる環境になく、廃棄物利用して木質バイオマス発電を拡大することが
できる。また、太陽光や小水力と比べてバイオマス発電の電力供給量は大きく、今後の知財蓄積が
焦点になる。

 

さて、地球温暖化の進行スピードと縮原発を考えると、政府計画では問題であり、またその計画を
ゼロから見直すことなく、ダウンストリームさせた滋賀県のエネルギー計画が正答であるか甚だ疑
わしい。が、少しでも積極的に展開させようとする環境立県の意気込みは感じられそうだ。 

.

 

 

 

 

 

 

北陸新幹線「新三都物語」

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   宗教とは真実よりもむしろ美しい仮説を提供するもの  / 村上春樹『1Q84』

 

 

 

【北陸新幹線「新三都物語」】

北陸新幹線敦賀以西ルートをめぐり、沿線首長らの発言が九月以降、活発化している。背景にはJ
R西日本が内部で検討した小浜市と京都駅を通る案の浮上がある。ルート候補は三案あり、福井は
若狭(小浜)、関西広域連合などは米原を求めるが、判断材料が少ないとして明言を避けるケース
も。七日の与党検討委員会では、北陸三県の知事から意見聴取している(中日新聞 2015.10.07)。
このニュースでは上下図の「ルート図(案)」と「沿線首長の発言(9月)」を掲載している。
当たる、滋賀県の三日月大造知事は工費や建設期間などの面から米原ルートを推し、。記者会見で
はJR西の内部案を「小浜ルートより長い。建設費はどうなるのか」と指摘している。

 

この計画についてはブログ掲載してきた(例えば『日本周回新幹線構想Ⅱ』2015.04.08)。その第
1ステージが北陸新幹線敦賀駅を結接駅とし東海道新幹線米原駅結接として、大阪と名古屋に分岐
する「新三都物語」路線とするもので、京都をはじめとして、新しく大阪、金沢、名古屋を三都と
して加えた新幹線に、関西空港、セントレア空港、小松空港を接続するという構想である。この経
済効果には、日本海側の韓国、北朝鮮、ロシア、中国(東北部)と太平洋側の台湾、中国、東南ア
ジア、また、環太平洋諸国(豪、ニュージランド、北米西部、中米西部、南米西部)諸国と結ぶ経
済圏との交易観光の新規興産をベースとしているので、その経済効果を各国地区のGDPの数パー
セントと超概算見積として試算。特に、北朝鮮の経済成長寄与度は魅力的。同然、海運・港湾業市
場規模の伸長も魅力的。

※これは老婆心なのだが、JR東海とJR西日本の二社の融和がキーとなりそうだ。

 

  
● 折々の読書 『職業としての小説家』17 

  これは僕の昔からの持論ですか、世代間に優劣はありません。あるひとつの世代か他のひと
 つの世代より優れている、あるいは劣っているなんてことはまずありません。世間ではよくス
 テレオタイプな世代批判みたいなことがおこなわれていますが、そういうのはまったく意味の
 ない空論だと僕は確信しています。それぞれの世代間には優劣もなければ、上下もありません。
 もちろん傾向や方向件においてはそれぞれに差毀かあるでしょう。しかし質量そのものにはま
 ったく差がありません。あるいはあえて問題にするほどの差はありません。

  具体的に言うなら、たとえば今の若い世代は、漢字の読み書き能力なんかに関しては先行す
 る世代よりいくぶん劣っているかもしれません(事実がどうなのかはよく知らないけど)。で
 もたとえば、コンピュータ言語の理解処理能力なんかにおいては間違いなくより優れているで
 しょう。僕が言いたいのはそういうことです。それぞれに得意分野があり、若手分野かあるの
 です。それだけのことです。だとしたら、それぞれの世代は何かを創造するにあたって、それ
 ぞれの「得意分野」をどんどん前面に押し出していけばいいわけです。自分の得意な言語を武
 器とし、自分の目にいちばんクリアに映るものを、自分に使いやすい言葉を使って記述してい
 けばいいわけです。他の世代に対してコンプレックスを持つ必要もありませんし、また遂に妙
 な優越感を持つ必要もありません。

  僕か小説をがき始めたのは三十五年も前のことですが、その当時はよく「こんなものは小説
 じゃない」「こんなものは文学とはいえない」と先行する世代から厳しい批判を受けました。
 そういう状況がなにかと収くて(というか、鬱陶しくて)、けっこう長く日本を離れて外国で
 暮らし雑音のない静かな場所で好きなように小説を書いていました。でもそのあいだも、自分
 が間違っているかもしれないとはまったく思いませんでしたし、不安みたいなものもとくに感
 じませんでした。「実際にこうとしか書けないんだもの、こう書くしかないじゃないか。それ
 のどこがいけないんだ」と開き直っていました。今はたしかにまだ不完全かもしれないけど、
 そのうちにもっとちゃんとした、質の高い作品が書けるようになるだろう。またその頃になれ
 ば時代も変化を遂げているだろうし、僕のやってきたことは間違っていなかったと、しっかり
 証明されるはずだと信じていました。なんだか厚かましいようですが。

  それが現実に証明されたのかどうか、今こうしてあたりをぐるりと見回しても、僕自身には
 まだよくわかりません。どうなんだろう? 文学においては、何かが証明されるなんてことは
 永遠にないのかもしれない。でもそれはともかく、三十.九年前も今も、自分がやっているこ
 とは基本的に間違っていないという信念は、ほとんど揺らいでいません。あと三十五年くらい
 経ったら、また新しい状況か生まれているかもしれませんが、その顛末を僕が見届けることは、
 年齢的にみてちょっとむすかしそうです。どなたか僕のかわりに見ておいてください。

  ここで僕か言いたいのは、新しい世代には新しい世代固有の小説的マテリアルかあるし、そ
 のマテリアルの形状や収さから逆算して、それを運ぶヴィークルの形状や機能が設定されてい
 くのだということです。そしてそのマテリアルとヴィークルとの相関性から、その接面のあり
 方から小説的リアリティーというものが生まれます。
  どの時代にも、どの世代にも、それぞれの固有のリアリティーがあります。しかしそれでも
 小説家にとって、物語に必要なマテリアルを丹念に収集し、蓄積するという作業がきわめて重
 要であるという事実は、おそらくいつの時代にあっても変わることはないと思います。
  もしあなたが小説を書きたいと志しているなら、あたりを庄意深く見回してください――と
 いうのが今回の僕の話の結論です。世界はつまらなそうに見えて、実に多くの魅力的な、謎め
 いた原石に満ちています。小説家というのはそれを見出す目を持ち合わせた人々のことです。
 そしてもうひとつ素晴らしいのは、それらが基本的に無料であるということです。あなたは正
 しい一対の目さえ具えていれば、それらの貴重なな原石をどれでも選び放題、採り放題なので
 すこんな晴らしい職業って、他にちょっとないと思いませんか?
 

                                          「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                                  村上春樹 『職業としての小説家』


ここで述べられている信条や体験は、何も小説家だけでなくそれぞれの職域で日常的に体験するこ
とだという感想を、というより確信に近いもの感じさせ、それが、読み手それぞれの違いはあるも
のの、よく似た着地点ではないかと思えたことが1つ。そして、彼の小説のバックグランドには、
北欧のような、人口密集度の小さい、乾燥した寒いの風に似たもの感じさせるものがあると思もわ
せる。とくに、現在読み進めている、又吉直木の『火花』の芸能界の猥雑な人情が溢れる大阪のバ
ックグランドとは対照的な展開を追っていることもあり強い印象として残る。



  僕はかれこれ三十五年ばかり、いもおう職業的作家として活動を続けていて、その間にいろ
 んな形式の、いろんなサイズの小説を書いてきました。分冊にしなくてはならないような長め
 の長編小説(たとえば『IQ84』)、一冊に収められるくらいのサイズの長編小説(たとえ
 ば『アフターダーク』)、いわゆる短編小説、そしてごく短い短編(掌編)小説、などです。
 艦隊にたとえれば戦艦から巡洋艦、駆逐艦、潜水艦まで、各種艦船かだいたい取り揃えてある
 わけです(もちろん攻撃的意図は僕の小説にはありませんか)。それぞれの船には、それぞれ
 の機能があり、役割があります。そして全体として、お互いをうまく補足し合えるようなポジ
 ションに配置されています。どういう長さのフォームを取り上げて小説を刄くかは、そのとき
 の気持ち次第です。ローテーションみたいなものに従って、規則的に回しているのではなく、
 心の赴くままというか、あくまで自然の成り行きにまかせています。「そろそろ長編を書こう
 かな」とか「また短編が書きたくなってきたな」とか、そのときどぎの心の動きによって、あ
 るいは求めに応じて、容れ物を自由に選択するようにしています。選ぶにあたって、迷うよう
 なことはまずありません、「今はこれ」とはっきり判断できます。短編小説を書く時期が来た
 ら、ほかのことには目を向けず、集中して短編小説を書きます。

  でも僕は基本的には、というか最終的には、自分のことを「長編小説作家」だと見なしてい
 ます。短編小説や中編小説を書くのもそれぞれに好きですし、書くときはもちろん夢中になっ
 て書きますし、書き上げたものにもそれぞれ愛着を持っていますが、それでもなお、長編小説
 こそが僕の主戦場であるし、僕の作家としての特質、持ち味みたいなものはそこにいちばん明
 確におそらくは最も良いかたちで-現れているはずだと考えています(そうは思わないという
 方かおられても、それに反論するつもりは毛頭ありませんか)。僕はもともとか長距離ランナ
 ー的な体質なので、いろんなものごとがうまく総合的に、立体的に政ち上かってくるには、あ
 る程度のかさの時間と距離が必要になります。本1にやりたいことをやろうとすると、飛行機
 にたとえれば、長い滑走路かなくてはならないわけです。

  短編小説というのは、長編小説ではうまく捉えきれない細部をカバーするための、小回りの
 きく俊敏なヴィークルです、そこでは文章的にもプロット的にも、いろんな思い切った実験を
 行うことができますし、短編という形式でしか扱えない種類のマテリアルを取り上げることも
 できます。僕の心の中に存在する様々な側.面を、まるで細かい網で微妙な影をすくい取るみ
 たいに、そのまますっと形象化していくことも(うまくいけば)できます。書き上げるのにそ
 れほど時間もかかりません。その気になれば準備も何もなく、一筆書きみたいにすらすらと数
 日で完成させてしまうことも可能です。ある時期には僕は、そういう身の軽い、融通の利くフ
 オームを何より必要とします。しかし――これはあくまで僕にとってはという条件付きでの発
 言ですか 自分の持てるものを好きなだけ、オールアウトで注ぎ込めるスペースは、短編小説
 というフォームにはありません。

  おそらく自分にとって重要な意味を持つであろう小説を潜こうとするとき、言い換えれば「
 自分を変革することになるかもしれない可能性を有する総合的な物語」を立ち上げようとする
 とき、自由に制約なく使える広々としたスペースを僕は必要とします。ますそれだけのスペー
 スか確保されていることを確認し、そのスペースを満たすだけのエネルギーか自分の中に蓄積
 されていることを見定めてから、言うなれば蛇口を全開にして、長F場の仕事にとりかかりま
 す。そのとぎに感じる充実感は何ものにも代えがたいものです。それは長編小説を書き出すと
 きにしか感じられない、特別な種類の気持ちです。

  そう考えると、僕にとっては長編小説こそが生命線であり、短編小説や中編小説は極言すれ
 ば長編小説を河くための人事な練習場であり、有効なステップあると言ってしまっていいので
 はないかと思います。一万メートルや五千メートルのトラック・レースでもそれなりの記録は
 残すけれど、軸足はあくまでフル・マラソンに置いている長距離ランナーと同じようなものか
 もしれない。 




  そんなわけで今回は、長編小説を爾くという作業について語りたいと思います。というか、
 長編小説を書くことを例にとって、僕がどういう小説の書き方をするのかを、具体的に語りた
 いと思います。もちろん一口に長編小説といっても、ひとつひとつの小説の中身が違っている
 のと同じように、その執筆の方法や、仕事をする場所や、要する期間もそれぞれ異なってきま
 す。しかしそれでも、その基本的な順序やルールみたいなものは書くことが初めて吋能になる
 あくまで僕自身の印象ではということですが 大筋ではほとんど変化しないようです。それは
 僕にとって「通常常業行為=ビジネス・アズ・ユージュアル」とでも呼ぶべきものになってい
 ます,というか、そういう決まったパターンに自分を追い込んでいって、生活と仕事のサイク
 ルを確定することによって、長編小説をという部分かあります。尋常ではない量のエネルギー
 か必要とされる長丁場の作業ですから、ますこちらの体勢をしっかり固めておかなくてはなり
 ません。そうしておかないと、下手をすると途中で力負けしてしまうかもしれません。

  長編小説を書く場合、僕はまず(比喩的に言うなら)机の上にあるものをきれいに片付けて
 しまいます。「小説を潟くほかには何も書かない」という体勢を作ってしまうわけです。もし
 そのときエッセイの連載なんかをやっていたら、そこでいったん中眼してしまいます。飛び込
 みの仕事も、よほどのことかなければ引き受けません。何かを真剣にやり出したら、ほかのこ
 とがでぎなくなってしまう性格だからです。締め切りのない翻訳作業なんかを自分の好きなペ
 ースで、同時進行的にやることはよくありますが、これは生活のためというよりは、むしろ気
 分転換のためです。翻訳というのは基本的にテクニカルな作業ですから、小説を潟くのとは使
 う頭の個所が違います。ですから小説を書くための負担になりません。筋肉のストレッチング
 と同じで、そういう作業を並行してやるのは、脳のバランスを取るために、かえって有益であ
 るかもしれません。

  「おまえはそんな気楽なことを言うけれど、生活していくためには、他の細かい仕事だって
 引き受けなくちゃならないだろう」とおっしゃる同業者の方もおられるかもしれません。長編
 小説を書いている間、どうやって生活していけばいいんだよ、と。僕はここではあくまで、僕
 自身のとってきたシステムについて語っているだけです。本当なら出版社からアドバンスをも
 らえばいいわけですか、日本の場合はアドバンスという制度がないし、長編小説を書いている
 間の生活費まではまかなえないかもしれません。ただ個人的なことを言わせていただければ、
 まだそれほど本が売れていない時期から、僕はずっとそういうやり方で長編小説を潟いてきま
 した。生活費を稼ぐために、文筆とはまったく関係のない他の仕事を日常的にやっていたこと
 はあります(肉体作業に近いものですが)。でも書き物の仕事の依頼は原則として受けません
 でした。キャリア初期の段階での少数の例外を別にすれば(当時はまだ、自分の執筆スタイル
 を確包する飾だったので、いくつかの試行錯誤がありました)、基本的に小説を書くときは、
 小説だけを書いていました。


 
  僕はある時期から、長編小説は海外で書くことが多くなったのですか、これは日本にいると
 どうしても雑用(あるいは雑音)があれこれ入ってくるからです。外国に出てしまうと、余計
 なことは考えずに執筆に気持ちを集中できます。とくに僕の場合、書き始めの時期には執筆の
 ための生活パターンを固定させていく人事な時期にあたるわけですがどちらかといえば、日本
 を離れた方かいいみたいです。最初に日本を離れたのは八○年代後半のことですか、そのとき
 はやはり迷いがありました。「こんなことをして、本当に生き残っていけるんだろうかっ?」
 と不安でした。僕はけっこう厚かましい方ですが、それでもさすかに背水の陣を敷くというか、
 帰りの橋を焼き払うような決意か必要でした。旅行記を書くという約束をして、無理を言って
 出版社からいくらかアドバンスを受け取りましたが(それは後に『遠い太鼓』という本になり
 ました)。基本的には貯金を切り崩して生活しなくてはならなかったわけですから。

  でも思い切って心を決め、新しい可能性を追求したことか、僕の場合は良い結果を生んだよ
 うです。ヨーロでパ滞在中に書きLげた『ノルウェイの森』という小説がたまたま(予想外に)
 売れたことで、生活を安定させ、長期的に小説を河き続けるための個人的システムみたいなも
 のをとりあえず設定することがでぎました。そういう意味では幸運であったと思います。でも、
 こんなことを言うとあるいは傲慢に響くかもしれませんが、決して幸運だけでものごとが運ん
 だわけではありません。そこにはいちおう僕なりの決意と、開き直りがあったわけです。


  長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことを
 ルールとしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、
 昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日
 は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事を
 するときには、規則性か大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書い
 ちゃう書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押
 すみたいに、一日ほぼきっかり十校書きます。

  そんなの芸術家のやることじゃない。それじゃ工場と同じじゃないか、と言う人がいるかも
 しれません。そうですね、たしかに芸術家のやることじゃないかもしれない。でもなぜ小説家
 が芸術家じゃなくてはいけないのか? いったい誰がいつそんなことを決めたのですか? 誰
 も決めていませんよね。僕らは自分のやりたいやり方で小説を書けばいいのです。だいいも「
 なにも芸術家じゃなくたっていいんだ」と思えば、気持ちかぐっと楽になります。小説家とい
 うのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなよ
 うにやること、それが僕にとっての自由人の定義です。芸術家になって世間の目を気にしたり、
 不自由なかみしもをまとうよりは、ごく普通のそのへんの自由人になればいいんです。





  アイザック・ディネーセンは「私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます」
 と言っています。それと同じように、僕は毎日十枚の原稿を河きます。とても淡々と。「希望
 もなく、絶望もなく」というのは実に言い得て妙です。朝早く起きてコーヒーを温め、四時間
 か五時間机に向かいます。一日十枚原稿を書けば、一か月で三百枚書けます。単純計算すれば、
 半年で千八百枚が書けることになります。具体的な例を挙げれば、『海辺のカフカ』という作
 品の第一稿が千八百枚でした。この小説は主にハワイのカウアイ島のノースショアで書きまし
 た。ここは実に何もないところで、おまけによく雨か降るので、おかげで仕事は捗ります。四
 月の初めにがき始めて、十月に書き終えました。プロ野球の開幕と同時に書き始めて、日本シ
 リーズが始まる頃に書ぎ終えたので、よく覚えています。その年には野村監督のもと、ヤクル
 ト・スワローズが優勝しました。僕は長年のヤクルト・ファンなので、ヤクルトは優勝するわ、
 小説は書き終えることができたわで、けっこうほくほくしたことを記憶しています。ほとんど
 ずっとカウアイ島にいたために、レギュラーシーズソにあまり神宮球場に行けなかったのは残
 念でしたが。

  しかし長編小説の仕事は野球と違って、いったん書き終えたところから、また別の勝負(ゲ
 ーム)が始まります。僕に言わせてもらえれば、ここからがまさに時間のかけがいのある、お
 いしい部分になります。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                                                      この項つづく 

 

● 太陽光と無償電気温水器をセットで提供

太陽光とタダの電気温水器をセットで提供し、販売促進をしているという(日経テクノロジー・
オンライン 2015.10.07)。

もし、電力会社がタダで新品の電気温水器と太陽光発電システムを0.41米ドル/ワット(約
50円/ワット)で提供すると言えば、あなたならどうするだろうか?

ミネソタ州の農村部の電力会社 Steele-Waseca Cooperative Electric(SWCE)社は、ユニークなプロ
グラムを展開する。同社は小さな協同組合のメンバーが経営する地域主体の電力会社だが、コミ
ュニティーソーラーを始めた理由が、メンバーが長年、低価格で再生可能エネルギーに投資でき
るオプション開発おこなってきた。例えば、(1)アパート住まいの人や、(2)持ち家があっ
ても日照条件が悪く、(3)太陽光発電システムを設置する十分な資金がなかったりする場合、
「コミュニティーソーラー」は、このように太陽光発電システムを設置できない電力消費者でも、
太陽光発電事業の恩恵が受けられるシステムである。つまり、自宅の屋根や敷地内ではなく、地
域(コミュニティー)内に太陽光発電システムを設置し、そこで発電した電力の一部を長期契約
で購入。この発電量は、毎月の電力消費量から差し引かれ、差額を支払うだけでよく、太陽光発
電システムを自分の家に設置せずに、さらにシステムの修理やメインテナンスに煩わされずに、
「自産自消」をバーチャルに実現できる。この仕組みの利点は次の3つである、、

1)コミュニティー内の広く、比較的安く、日照条件のより良い土地を利用できる。
2)システムサイズが大きいので、規模の経済性効果が高く、住宅用の屋根置きと比べて、コス
 トも一段と低い。
3)設置ロケーションが選択できるため、太陽光発電の発電量と供給量のバランシングが容易。


SWCE社が電力を供給する地域の電力ピーク需要は夕方の6時~7時に発生。一方、太陽光発電
システムの発電量は、正午~午後2時にかけピークを迎える。分散型太陽光発電システムを一般
家庭の多い配電網に接続すると、太陽光発電の供給量が需要を超え、バックフィード(逆潮流)
を起こすリスクが高くなり、電力の安定供給を妨げるケースがでてくるため 配電網の強化する
ことで対応できるが、都会では送電線長当たりの接続軒数が多くなるのに対し、過疎地では当然
すくなくなるため、配電網を強化するのはコスト高となる。

この問題解決に、SWCE社は102.5キロワットのコミュニティーソーラーを工場付近の配電変
電所に系統連系することで、バックフィード問題を解決。太陽光の発電量がピークの時にも工場
の電力需要で十分に消費できる。問題があるとしたら配電変電所で発生する電磁波禍対策。さて、
一般的に太陽光発電システムの設置コストは3.5~5.0米ドル/ワット。コミュニティーソー
ラーへのパネル1枚当たりの参加費が1千4百~2千米ドルで、同社のメンバーにとって、高い
投資となる。数多くのメンバーに参加してもらうには、初期投資を2百米ドル以下に抑える必要
があるため、今まで提供していた温水器プログラムをセットにし、パネル1枚のコストを170
米ドルまで逓減――(2000-170)÷2000×100=91.5パーセント――できる。

ちなみに、メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加すると、電力会社はタンク容量
1055ガロン(約397リットル)の電気温水器を無料で提供。この電気温水器の小売価格は、
千2百米ドル(約14万5千円)。温水器はグリッドインタラクティブ――電力会社と系統を通
して双方向で通信――できるようになっている。電力会社が午前7時~夜11時までの16時間、
温水器をコントロールできるようになっている。温水器を動かす時間を昼間のピーク時から、オ
フピークの夜11時~翌朝7時までの8時間内にシフトし、日中の電力量を抑制し、コストの低
い夜間電力を使用する。 

メンバーが「16時間温水器抑制プログラム」に参加する場合、コミュニティーソーラーへの参
加がパネル1枚分(410ワット)170米ドルという、「セット価格」になっている。この値
段をワット当たりにすると何と41.5セント。さらに、この価格にはパワーコンディショナー
など他の部材が全て含まれているだけではなく、設置コスト、今後20年間の修理、メインテナ
ンスのコストが全て含まれている。

メンバーは個人の電力消費量を超えない分のパネル枚数、または最大20枚契約できる。ちなみ
に、この地域では410ワットのパネル1枚当たり年間510キロワット時発電する。温水器の
プログラムとコミュニティーソーラーの両方に参加した場合、1枚目のパネルは1700米ドルで
2枚目からは1225米ドル。コミュニティーソーラーだけに参加したいというメンバーのパネ
ル価格は1枚1225米ドルとなる。このコミュニティーソーラーは410ワットの太陽電池パ
ネル250250枚を設置している。ちなみパネルはミネソタ州を拠点に置く、tenKSolar社製であ
る。システムは今年4月から発電を開始している。

ところで、このシステムのからくりはセットの電気温水器。電力会社はオフピーク時に電力使用
をシフトすることで、ピーク時の高い電力を卸市場で購入する量を減らし、同時にコストの低い
オフピーク電力の販売を増やすことができる。さらに、「無料で電気温水器と格安のコミュニテ
ィーソーラー」というユニークなプロモーションで、今までプロパンガスの温水器を使用してい
たメンバーを電気温水器への「乗り換え」を促し、電力の販売量を拡大できる。

ただし、メンバーの加入数と太陽光パネル買い上げ枚数が少ないと初期投資の回収期間が長くな
る(実績では5年で可能だったという)。


【累積20ギガワットを超えた米太陽光市場】

● 16年末まで毎月1ギガワットの建設ラッシュ

 

 

全米太陽光発電協会(SEIA)と米GTM Research社の最新の太陽光発電市場レポート(U.S. Solar
Market Insight Q2 2015)によると、米国の太陽光発電市場は15年第2四半期時点で累計設置
容量20GWを超えた。これは、一般家庭約460万世帯分の年間使用電力量に相当する。15年
上半期の導入量は2.7ギガワットで、GTM 社は15年の太陽光発電導入量を前年比16%ア
ップの7.7ギガワットと予想している。つまり、15年下後半期のみで約5ギガワットが設
置されることになる。さらに、16年の市場は、飛躍的に伸び12ギガワットを超えるとも予
想している。これは今後、月平均1ギガワット規模の太陽光発電が米国に導入される。

さて、太陽が自然の核融合である以上、地球のソーラーパネルさえあれば事足りる、後はパネ
ル技術と運用技術の開発だけとなる。15年のことしソーラーパワーの実用性が明確になった。
後は、詳細改良のブレークダウン段階に入る。わたし(たち)もそのフィールドワークに参加
する段階にきている。後は決断だけだ。これは大変愉快だ。、
 

 

 

                             

                      

時代は太陽道を渡る 16

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   人は勝つこともあるし、負けることもあります。
      でもその深みを理解していれば、人はたとえ負け
      たとしても、傷つきはしません。
      人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。
      人はいつか必ず負けます。
      大事なのはその深みを理解することなのです。

                        村上春樹

 

 

 

● ウィンドウズ10騒動で朝を迎える

ウィンドウズ7(Windows 7)で作業をしていたが、画面にウィンドウズ10への無償ダウンロード
がチコチョコ表示されていたが、それと同期するかのように、IEなどのエラーがでてくるようにな
り、いよいよこれはだめかと考え載せ替えてみたが、タブレットやスマホを意識した、ワイヤレス、
マウスレスのフラットデザインに変化し、いかにも指先で画面移動できるような中途半端なOS思想
で設計。(1)アイコンはなくなり、(2)表示フォント太めの「Meiryo UI」で美しくなく、(3)
スタートメニューがなくなり、(4)言語変換のATOKなどが使いずらいえない囲み込み(マイク
ロソフト以外のアプリをボイコット)。フォント変換をネット上のフリーソフトを使うも、ホームペ
ージ作成中、文字化けが発生、(5)動作が重いとストレスが溜まる一方。これではだめと判断し、
ウィンドウズ7(Windows 7)にリカバリーさせ、アプリを再搭載させるとという操作にはいる。お
陰でほぼ三日潰すことに――この損害と慰謝料をマイクロソフト社に請求しようかとも考える。さら
に、夜になるとアルコール消費量が急増し、サントリーの角瓶のほぼ1本を要することに。それだけ
ではない、マイクロソフトのIEは、米政府の国土安全保障省が昨年年4月28日、ハッカーの攻撃
を受ける可能性があるため使用停止――細工されたウェブサイトにアクセスするとウイルスに感染し
個人情報を抜き取られたりパソコンを乗っ取られたりする可能性があるバージョン6から最新の11
が対象――要請が行われていた。

ストレスが溜まった精神を解放するため、湖北野鳥センタの"コハクチョウ"を観察しにいこうと車を
走らせる。湖岸を走らせている、対向車線を大量のクラッシカーが走り抜けるが、ドライバー(ある
いは同乗者)の多くは外人だった。天候は良好で目的地に到着、目当てのコハクチョウはというと、
南方沖合に移動し望遠鏡では観察できないということだった。彼女が、女性の係員から聞いた話では
日中は食餌のため山里に移動し、夕暮れになると湖畔に移動し眠るとのことだ。へぇ~そんなものか
と感心。野鳥センタから光り輝く湖面を背景に帰ってくる。



● 折々の読書 『職業としての小説家』18 

  第一稿を終えると、少し間を置いて一服してから(そのときによりますが、だいたい一週間く
 らい休みます)、第一回目の書き直しに入ります。僕の場合、頭からとにかく全部ごりごりと書
 き直します。ここではかなり大きく、全体に手を入れます。僕はそれがどれほど長い小説であれ、   
 複雑な構成を持つ小説であれ、般初にプランを政てることなく、展開も結末もわからないまま、
 いきあたりばったり、思いつくままどんどん即興的に物語を進めていきます。その方が書いてい
 て断然面白いからです。でもそういう書き方をしていると、結果的に矛盾する箇所、筋の通らな
 い箇所がたくさん出てきます。登場人物の設定や性格が、途中でがらりと変わってしまったりも
 します。時間の設定が前後したりもします。そういう食い違った箇所をひとつひとつ調整し、筋
 の通った整合的な物語にしていかなくてはなりません。かなりの分ほをそっくり削ったり、ある
 部分を膨らませたり、新しいエピソードをあちこちに付け加えたりします。



 『ねじまき鳥クロニクル』を書いていたときのように、「ここの部分は全体的に見てもうひとつ
 そぐわないな」と判断して、章のいくつかを丸ごと削除し、その削除したものをベースにして、
 まったく新しい別の小説(『国境の南、太陽の西』)を立ち上げていったりするようなケースも
 あります。まあこれはかなり極端な例で、おおかたの場合削除した部分は削除したまま消えてし
 まいます。

  その書き直しに、たぶん一か月か二か月はかかります。それが終わると、また一週間ほど置い
 て、二回目の書き直しに入ります。これも頭からどんどん書き直していく。ただし今度はもっと 
 細かいところに目をやって、丁寧に書き直していきます。たとえば風景描写を細かく書き込んだ
 り、会話の調子を整えたりします。筋の展開にそぐわない点がないかどうかチェックし、一読し
 てわかりにくい部分をわかりやすくし、話の流れをより円滑で自然なものにします。大手術では
 なく、細かい手術の積み重ねです。それか終わると、また.一服してから次の書き直しにかかり
 ます。今度は手術というよりは、修正に近い作業になります。この段階では、小説の展開の中で、
 どの部分のねじをしっかり締めるべきか、どの部分のねじを少し緩ませておくかを見定めること
 が大事になります。



  長編小説は文字通り[長い話]なので、隅々まできりきりとねじを締めてしまったら、読者の
 息か詰まります。ところどころで文啄を緩ませることも大令です,そのへんの呼吸を読まなくて
 はなりません。全体と細部のバランスをよくすること。そういう観点から文章の細かい調整をお
 こないます。ときどき評論家で長編小説の一部を抜き出して『こんなに雑な文章を河いていては
 いけない」と批判する人がいますが、それは僕に言わせればあまりフェアな行為とは汗えない。

  というのは、長編小説というものには――ちょうど生身の人間と同じように――ある程度雑な
 緩んだ部分だって必要だからです。そういうものがあってこそ、きりきりと締めた部分か正当な
 効果を発揮します。

  そしてだいたいこのあたりで、一度長い休みを取ることにしています。できれば半月から一か
 月くらいは作品を抽斗にしまい込んで、そんなものがあることすら忘れてしまいます。あるいは
 忘れてしまおうと努力します。そのあいだ旅行をしたり、まとめて翻訳の仕事をしたりします。
 長編小説を書くときには、仕事をする時間ももちろん人事ですか、何もしないでいる時間もそれ
 に劣らず大事な意味を持ちます。工場なんかの製作過程で、あるいは建築現場で、「養生」とう
 い段階があります。製品や素材を「寝かせる」ということです。ただじっと置いておいて.そこ
 に空気を通らせる、あるいは内部をしっかりと固まらせる。小説も同じです。この養生をしっか
 りやっておかないと、生乾きの脆いもの、組成が馴染んでいないものかできてしまいます。

  そのように作品をじっくりと寝かせたあとで、再び細かい部分の徹底的な書き直しに入ってい
 きます。しっかり寝かせたあとの作品は、前とはかなり違った印象を僕に与えてくれます。前に
 見えなかった欠点もずいぶんくっきり見えてきます。奥行きのあるなしか見分けられます。作品
 が「養生」したのと同じように、僕の頭もまたうまく「養生」できたわけです。


 
  しっかり養生を済ませたし、そのあとある程度の書き直しもした。この段階で大きな意味を持
 ってくるのか、第三者の意見です。僕の場合、ある程度作品としてのかたちかついたところで、
 まず奥さんに原稿を読ませます。これは僕の作家としてのほぼ最初の段階から、一貫して続けて
 いることです。彼女の意見は僕にとっては、言うなればか楽の「基準書」のようなものです。う
 ちにある古いスピーカー(失礼)と同じことです。僕はすべての種類の音楽をこのスピーカーで
 聴きます。とくに立派なスピーカーじやありません。一九七〇年代に買ったJBLのシステムで、
 図体は大きいんですが、現代の最新の高級スピーカーに比べれば、出てくる音の領域はかなり限
 られています。跨の分離もそれほど良いとは言えません。いねば骨董品みたいなものです。でも
 僕はなにしろこのスピーカー・システムでこれまで、ありとあらゆる音楽を聴いてきたので、そ
 こから出てくる音が僕にとっての音楽の再生の基準になっているわけです。それが身についてし
 まっている。

  こういうことを言うと、あるいは腹を立てる人もいるかもしれませんが、出版社の編集者は日
 本の場合、専門職とはいっても、結局のところサラリーマンですから、それぞれの会社に属して
 いるし、いつ配置換えになるかもしれません,もちろん例外はありますか、大方の場合、上から
 「君がこの作家を担当しなさい」と指名されて、担当編集者になっているわけで、どこまで親身
 につきあえるか予測の在たないところがあ今その点、友というのは良くも悪くも、まず配置換え
 にはなりません、僕が「観測定点」と言うのは、そういう意味です,長年つきあっているから、
 「この人がこういう感想を持つのは、こういう意味合いで、こういうところから来ているんだな」
 というニュアンスがおおよそ理解できます(おおよそと僕が言うのは、妻についてすべてを理解
 するのは原理的に不可能だからです)。

  でもだから、相手から言われたことかそのまますらすら受け入れられるかというと、そうはい
 きません。こちらは長い時間をかけて、長い小説を書き終えたばかりで、養生によって多少冷め
 たとはいえ、頭にはまだじゅうぶん血がのぼっていますから、批判的なことを言われると頭に来
 ます。感情的にもなります。激しい言い合いになることだってあります。他人である編集者を相
 手に、正面からそんなきつい物言いをすることはできませんから、そのへんはまあ身内の利点と
 言えるかもしれない。僕は現実生活においてはとくに感情的な人間ではありませんが、この段階
 ではある程度感情的にならざるを得ないところかあります。というか、感情をいったん外に吐き
 出してしまうことが必要になってきます。

  彼女の批評には、「たしかにそうだな」「ひょっとしたらそうかもしれない」と思えることも
 あります。そう思えるようになるまでに、数日を要する場合もありますが。また「いや、そんな
 ことはない。僕の考えの方がやはり正しい」と思うこともあります。でもそのような「第三者導
 入」プロセスにおいて、僕にはひとつ個人的ルールがあります。それは「けちをつけられた部分
 かあれば、何はともあれ書き直そうぜ」ということです。批判に納得がいかなくても、とにかく
 指摘を受けた部分があれば、そこを頭から書き直します。指摘に同意できない場合には、相手の
 助言とはぜんぜん違う方向に書き直したりもします。

  でも方向性はともかく、腰を据えてその箇所を書き直し、それを読み直してみると、ほとんど
 の場合その部分か以前より改良されていることに気づきます。僕は思うのだけど、読んだ人があ
 る部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題か含ま
 れていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れか、多かれ少なかれつっかえている
 ということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取
 り除くかは、作家か自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に占けているよ。書き直す必要なん
 てない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章か「
 完蔡に潟けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。

  今回の書き直しは頭から順番にやっていく必要はありません。問題になった部分、批判された 
 部分だけを集中して、書き直していきます。そして書き直した部分をもう一度読んでもらい、そ
 れについてまた討論をし、必要があれば更に書き直します。それを読んでもらい、まだ不満かあ
 れば、更にまた書き直します。そしてある程度片がついたところで、また頭から書き直して全体
 の流れを確認し、調整します。いろんな部分を細かくいじったせいで、全体のトーンか乱れてい
 れば、それを修正します。そこで初めて編集者に正式に読んでもらいます。その時点では、頭の
 過熱状態はある程度解消されていますから、編集者の反応に対しても、それなりにクールに客観
 的に対処することができます。

                 「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

長編小説を読むのも、ビジネスマンにとって所要時間が大きくなるので、ぱっと斜め読みして、ピン
とこなければそのまま積んでおくだけということはよくあることではないか――作家にすればどんな
にエネルギーを要し、神経をすり減らても―――と思っている。ここでは、書き手のノウハウが開陳
されているものの、ここではそのまま鵜呑みにして読み進める。さて、今回もノーベル文学賞は、ベ
ラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞。ノンポリ派作家?の村上春樹の評価は、
かっての文学論争での「テーマの積極性」が優位に働き分が悪かったのではとの考えが頭を過ぎる。
だからといって、彼の秀抜な作品集の輝きは失せることはないのだが。

  

                                                                      この項つづく



 

 

 

【時代は太陽道を渡る 16】

● ハウステンボス「変なホテル」 太陽道システム導入

東芝は、ハウステンボスから、自立型水素エネルギー供給システム「H2OneTM」を受注したと発表。
16年3月にオープン予定のスマートホテル「変なホテル」第2期棟に設置する。同システムの受注
は初めてで、太陽光の余剰電力を水素として蓄え、燃料電池で電気に戻すことで、日照変化による出
力変動を安定化させるためのもの(「ハウステンボスの「変なホテル」、太陽光と水素でエネルギー
自活」 日系テクノロジー・オンライン 2015.10.08)。

  

今回、受注した水素エネルギー供給システムは、リゾート施設向けとして設計する。エネルギーイン
フラが十分に整っていない地域でも、再生可能エネルギーと水素を活用して、ホテル・リゾート施設
内のエネルギーを自給自足できるもの。例えば、日照時間の長い夏の間、太陽光で発電した電力の余
剰分を利用し、水素製造装置で水素を製造して水素タンクに貯蔵しておく。貯蔵した水素を日照の減
る冬期に利用、燃料電池で発電することで、年間を通じてホテル1棟分の電力量を安定的に供給する。

今回、導入する「H2OneTM」では、水素を高密度で貯蔵できる水素吸蔵合金を水素貯蔵タンクとして
搭載する。従来の水素タンクと比べ、貯蔵タンクのサイズが10分の1以下になり、敷地面積の限ら
れる場所でも導入が容易になる。これは太陽光発電だが、風力発電などで電解すれば水素製造も可能。
 

特開2012-255200 電解装置及び電解方法

 

● パナソニック モジュール変換効率で世界最高22.5%達成

パナソニックHIT太陽電池――内層の単結晶シリコンと表面層の薄膜シリコン(アモルファスシリ
コン)を組み合わせた構造を採り、量産品としては最も変換効率が高い太陽電池、わずかに遅れて単
結晶太陽電池が追う。変換効率の「第2グループ」はCdTe太陽電池とCIS太陽電池、多結晶シリ
コン太陽電池。セル変換効率の世界記録ではいずれも20%を超える。新製品「HIT N330(VBHN330
SJ47)」は、96セルを用いた出力330ワットの太陽電池モジュール(上図)。モジュール効率は
19.7%。一般的な多結晶シリコン太陽電池製品(出力260ワット)と比較して最大出力が約27
%高い。新製品を15枚設置したときの出力は4.95キロワット、260ワット品の3.90キロワ
ットよりも1キロワット増となる。

HIT N330は、変換効率24.3%の太陽電池セルを用いる。同社は14年4月に太陽電池セル
で25.6%という世界記録を達成。太陽電池モジュール製品の効率向上はまだ余裕がある。同社は、
HIT  N330を16年3月、英国と欧州諸国向けに投入。断念ながら、日本は太陽電池市場で向
けとしてでなく、N330は欧州向け、日本向けに投入する予定はないというから不思議な話である
が、変換効率で世界最高レベルなのである。

 

 

 

● 人口10万人単位のコミュニティーソーラーブロック構築

このように考えていくと、「太陽光と無償電気温水器をセットで提供」(『北陸新幹線「新三都物語
」』2015.10.08)で掲載しように、人口10万単位とした、コミュニティーソーラーブロック圏を組
織し、(A)各世帯別に(1)太陽光発電パネル、(2)燃料電池、(3)蓄電池と(B)コミュニ
ティ専用の(1)メガソーラー発電、(2)余剰蓄電設備――①電解水素、②蓄電池、③揚水発電、
④その他、(3)配送電制御設備――コミュニティーソーラーブロック間の調整システムを備え(A)
の設備を会員に格安リース(設備工事費込み)、リース費用は、コミュニティーソーラー所有パネル
プラス(A)で所有しているパネルの発電量と消費電力の差額電力費用(メンテ費用もリース料金に
含まれている)で相殺し、その結果、余剰電力分は基本的に会員の収入となるが、そのトータル量が
コミュニティーソーラー大幅超過しないように管理組織(民営)がコントロールすることを基本とす
る。ここに関わる設計・設備製造・保全・サービスなどの機構は民間(=営利企業)が行う――そん
なことを構想してみたがどうだろうか。

 

ウクライナの燎原の火がフクシマに。

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   長編小説を書き終えた作家はほとんどの場合、頭に血が上り脳味噌か過熱して.
      正気を失っています。なぜかといえば、正気の人間には長編小説なんてものは、
      まず書けっこないからです。

                          村上春樹 『職業としての小説家』
                                   

 

 

 

     

【緊急|東日本大震災】

● ウクライナの燎原の火がフクシマに!?

旧ソ連のウクライナのチェルノブイリ原発周辺で、事故発生から29年が過ぎた今年、新たな放射能
汚染の脅威が浮上している。原発周辺の森林や野原で大規模火災が相次ぎ、一部で大気中に基準値を
超える放射性物質が検出されたためだ。周辺地域の除染が徹底されておらず、土壌や草木に残る放射
性物質が火災の際の強風にあおられ、大気中に拡散したものとみられる(「チェルノブイリで第2の
放射能汚染の危険 森林火災で大気中に拡散し」産経新聞 2015.10.12)。

コハクチウの観察を終え、やっといつもの作業に取りかかり、ネット検索をするとこの記事が飛び込
んでくる。それによると、ロシアの専門家は独自の調査データから「危険性はそれほど高くない」と
公式?見解を主張したというが、これに対し、環境保護団体は、ガンの発生率があがる恐れがある―
―ウクライナ政府に対して徹底した情報公開と対策を要請と、住民の間には事故発生時に真実が発表
されなかった国に対する不信感が今も根強く残り、今後の生活に大きな不安を呼び起した――と、こ
れまたよくある構図を描写。

ところで、大規模火災はこの規制区域内で発生。最初の発生は4月末。炎は風にあおられて燃え広が
り、数メートルの高さの樹木の最上部まで燃え、ウクライナ国家緊急事態省は数百人の消防隊員を現
場に派遣する特別態勢を組み消火活動にあたっている(下図クリック)。当日は 空中から放水す
るヘリコプターも2機投入されるが、強風の天候が続いて消火作業は困難を極め、火は一時、原発ま
で約10キロのところまで迫る。結局、完全鎮火には約1週間かかり、焼失面積が東京ドーム85個
分の約400ヘクタールを消失。燃え広がる森林の映像や懸命な消火活動の様子はロシアや欧州各国
で報じられていると不安視する住民の声が伝えられている。 

今年7月の火災で、周囲に設置されたモニタリングポスト1カ所でセシウム137が基準値の10倍
に増大――原発事故で放出された放射性物質――する。地元メディアは、ウクライナ当局は「健康被
害はない」ことを繰り返し強調、関連する他の詳細な情報は伝えられず――ウクライナの環境団体の
は、地元メディアに立ち入り禁止区域で起きた火災は極めて危険で、こうした乾燥した気候が続けば、
火はいつでも燃え広がる可能性がある。放射性物質を含んだ灰はその後、風に運ばれて広範囲に広が
り土壌や河川に降り積もり、これは環境汚染と健康被害に対する大きな脅威――と警鐘を鳴らしてい
る。ことはそれだけですまず、欧州各国は、経済危機に陥っているウクライナ政府対策が不十分で、
放射能危機問題に従事する欧州委員会の幹部もロシアのメディアに対し、最悪のシナリオは、この地
域でガンの発生率があがると指摘するも、この立ち入り禁止区域に、ウクライナとは別の独自のモニ
タリングポストを設けているロシアは「危険性は最小限に過ぎない」と主張。 

ところが、クライナ政府は沈静化に躍起となり、チェルノブイリ原発や、周囲のモニタリングポスト
の調査から"第2次の放射能汚染"の危険性はないとこれまたよくある広報を繰り返しているが、この
森林火災で大気中に拡散し、その後も大規模火災は相次いだ。6月下旬から7月上旬にかけては13
0ヘクタールが延焼、乾燥した天候が続いた8月、9月にも枯れ草や落ち葉から出火し、再び数十ヘ
クタールが燃え、ウクライナ非常事態省は8月、火災は放火の可能性があると発表。ここで、チェル
ノブイリ周辺で火災が広がる理由として、(1)規制区域の一部で自然発火する恐れのある泥炭地帯
であること、(2)さらに原発事故後の30年間――福島第一原発事故後のよに――適正な管理が加
えられず周辺一帯に落ち葉や枯れ木などが積み重なったっことも火災誘発の原因挙げられている。チ
ェルノブイリ周辺では十分な徐染作業や処理が行われず、大量の放射性物質が草木に付着してたとみ
られているが、これに対し、原発専門家はチェルノブイリ原発周辺では10年にも大規模火災があり
健康を害するレベルの放射性物質のデータが検出されなかった指摘。その上で、原発事故時の汚染さ
れた土壌は地中深くまで浸透しており、大きな影響を及ぼすメカニズムにはない。今回の火災でも異
常は検出されていないと語っている。

しかし、ウクライナ政府はソ連時代の措置を引き継ぎ、原発周辺の30キロ圏内を立ち入り禁止区域
に指定し、この措置に反して、数百人の住民らが故郷の規制区域内に入り、生活しているといわれ、
さらに、発生から29年後の今も、4号機を封じ込める巨大なシェルターの建設工事が行われ、約7
千人が立ち入り禁止区域で作業に従事している。



この記事を読んで、鬼怒川決壊を引き起こしたゲリラ豪雨罹災のフクシマでも洪水により除染廃棄物
回収袋が流された事故が思い出され(『個性的なな線状降水帯』2015.09.12)、仮に渇水や干魃に見
舞われたなら、この廃棄物も場合によればマッチを擦るより簡単に発火・類焼に及ぶのではという不
安が起きる。ことは、大規模気象変動な「環境リスク本位制時代」である。用心に越したことはない
ないし、『沈黙の2016年』(2015.09.24)である、悪いことは言わない、ここは、"突っ張り"は
不要だ。




● 世界平均気温の上昇が著しい

それならば、今後も気象変動は大きくなるのだろうか、なるとして、どのようなペースで上昇してい
くのだろうか?  これに対し、気象庁は今年8月度の平気気温の上昇傾向分析し、世界平均気温が再
び顕著な上昇傾向に突入しているのではとの見解を公表。これに足し対し、去年から今年にかけて世
界平均気温が高いことの直接的な原因は、エルニーニョ現象であるといってよいだろう。エルニーニ
ョ現象は、熱帯太平洋の東部から中部までの水温が上昇する現象で、その逆に熱帯太平洋西部の水温
が上昇するラニーニャ現象との間を数年おきに不規則に行ったり来たりする。地球全体において占め
る面積の大きい東部~中部熱帯太平洋の水温が上昇すると、世界平均気温でみても高温になる傾向が
あると指摘する「地球温暖化リターンズ 世界平均気温が再び顕著な上昇傾向に突入か」(江守正多
2015.10.12)。



具体的にみてみよう。今年はたまたまエルニーニョが起こって世界平均気温が高くなったということ
自体は、いってみれば自然現象であるが、それに伴い世界平均気温の大幅な最高記録更新が起こって
いることの背景に、じわじわとした気温の長期的な上昇傾向が進行していたことを認め、人間活動に
伴う温室効果ガスの増加により平均気温のベースが上がってきていたところにエルニーニョが重なっ
て起きたことにより記録的な気温上昇――15年も1月、3月、5月、6月、7月、8月と、ほぼ毎
月という勢いで最高記録更新が続く。特に今年5月に入り、平年値(81~10年の平均)からの偏
差が5月:+0.38℃、6月:+0.41℃、7月:+0.38℃、8月:+0.46℃と大きく、それまでの記録
がせいぜい+0.3℃強であったことと比べると、ぶっちぎりの記録更新―が生じているが。が、ちな
みに、この間に日本の平均気温が最高記録を更新したのは15年5月の1回のみ。日本で体感できる
気温のみで考えては、地球全体の傾向を見誤る。

そこで、平洋十年規模振動(Pacific Decadal Oscillation: PDO)とよばれる現象がキーワードとなる。
気候の自然変動パターンはエルニーニョ・ラニーニャのほかに、近年の気温上昇の鈍化との関係で気
候科学者が研究している。PDOは北太平洋域に変動の中心を持つが、それに伴う熱帯太平洋の変動パ
ターンは、エルニーニョ・ラニーニャによく似る。そこで、この周期は10年~数十年である。する
と、熱帯太平洋では「エルニーニョっぽい」状態と「ラニーニャっぽい」状態が10年~数十年で入
れ替わる現象――温室効果ガスの増加によって赤外線が地球から宇宙に逃げにくくなり、地球がシス
テム全体として持つエネルギーは増え続け、その増加分が海洋深層に運ばれ、地表付近の気温上昇と
して現れず、このパターンが逆転すると、海洋深層に貯め込まれていた熱が逆に地表付近に運び出さ
れ、急激な気温上昇が生じる可能性――があり、去年あたりからそのような期間に突入したのかもし
れないと教えてくれる。これは要細心だ。

● サーモグラフィーカメラ付リモート電子レンジ工学

弁当のおかずなどを部分的に温められる電子レンジが開発された(上図)。サラダや漬物などはそのままで、
ご飯やおかずを温められ、狙った部分にマイクロ波を当てる技術だというから当然、興味が惹く。これを開発し
た、上智大学の堀越智准教授は、半導体発振器を利用した、マイクロ波発生器を使う。

対象物のマイクロ波の吸収率にもよるが、最小で直径3~5センチメートルの範囲を温め、上下のア
ンテナの出力を制御して、上部や下部だけを温めることも可能だ。丼のご飯のみを温めるといった
使い方ができる。堀越准教授は、技術を改良して、将来的には温められる範囲を1センチメートル程
度くらいにしたいと語り、温めたい部分を指定して温め、サーモグラフィーで目的の温度になってい
るかどうか、状況を確認しながら使えるようなシステムを構築―――複数の発生器でマイクロ波の波
形調整する位相制御で、温める位置を変える――家電メーカーなどとの連携を視野に、20年までの
製品化を目指し、コンビニエンスストアにある電子レンジと同程度の価格で作れるとのこと。ハード
ルも高そうだが、廉価であれば世界展開できる事業になりそうで、これは面白い。



【参考特許】

熱硬化性プラスチック材料を成型用のモールドを、加熱硬化させる手法に熱硬化化性プラスチック材
料にマイクロ波を照射し、マイクロ波のエネルギーによって分子内部に極性のある熱硬化性プラスチ
ック材料の微小振動を励起して発熱させ硬化を促進する、マイクロ波の誘電加熱を利用した装置が知
られている。マイクロ波の誘電加熱利用装置は、ヒーターによりモールドを介して熱硬化性プラスチ
ック材料を伝導加熱するものに比べ、熱硬化性プラスチック材料全体を均一に加熱することができ、
対流の発生を防止することができ、加熱時間を短縮できる。そこで、マイクロ波(周波数0.3GHz
(ギガヘルツ)~300GHz程度)の熱硬化性プラスチック材料の誘電加熱装置が多く提案されて
きたが、高周波(周波数3MHz(メガヘルツ)~0.3GHz程度)を用いた熱硬化性プラスチッ
ク材料の誘電加熱装置は提案されておらず、これに類するものとして、ゴム製の成形型を用いた熱可
塑性樹脂の成形装置であるが少ない。

  

● 折々の読書 『職業としての小説家』19

 
  ひとつ面白い話があります。一九八〇年代の末頃、僕が『ダンス・ダンス・ダンス』という長
 編小説を潟いていたときのことです。僕はこの小説を初めてワード・プロセッサー(富士通のポ
 ータブル)で書きました。ほとんどはローマのアパートメントで書いたのですか、最後の部分は
 ロンドンに移って書きました。書きhげた原稿をフロッピー・ディスクに入れて、それを持って
 ロンドンに移動したのですが、ロンドンに落ち着いて開けてみると、章が丸ごとひとつ消えてし
 まっていました。一時はまだワープロを使い慣れていなかったので、操作を間違えてしまったの
 でしょう。まあ、よくあることです。もちろんがっくりしてしまいました。かなりのショックで
 した。長い谷だったし、「ここは我なからうまく書けた」と自負していたからです。「まあ、よ
 くあることだから」と簡単にあきらめることはできません。

    

  でもいつまでもため息をついて首を横に振っているわけにもいかない。気を取り直し、数週間
 前に苦心惨憺して書き上げた文章を、「ええと、こうだったっけなあ……」と思い出しながら再
 現していきました。そしてその本をなんとか復活させることができました。ところが、その小説
 が本になって刊行されたあとで、行方不明になっていたオリジナルの章がひょっこり出てきたの
 です。ぜんぜん予想もつかないフオルダーに紛れ込んでいた。それもまたよくあることですね。
 それで「ええ、参ったな。こっちの方が出来が良かったらどうしよう」と心配しながら読み返し
 てみたのですが、結論から言いますと、あとがら書き直したヴァージョンの方が明らかに優れて
 いました。
 
  ここで僕か言いたいのは、どんな文章だって必ず改良の余地はあるということです。本人が
 どんなに「よくできた」「完璧だ」と思っても、もっとよくなる可能性はそこにあるのです。だ
 から僕は書き直しの段階においては、プライドや自負心みたいなものはできるだけ捨て去り、頭
 の火照りを適度に冷やすように心がけます。ただ火照りを冷やしすぎると、書き直しそのものが
 できなくなるので、そのへんはある程度注意しなくてはなりませんか。そして外からの批判に耐
 えられる体勢を作っていきます。何か、面白くないことを言われても、できるだけ我慢してぐっ
 と.呑み込むようにする。作品が出版されてからの批評はマイペースで適当に受け流せばいい。
 そんなものいちいち気にしていたら身かもちません(ほんとに)。でも作品を書いているあいだ
 にまわりから受ける批評・助言は、できるだけ虚心に謙虚に拾い上げていかなくてはならない。
 それか僕の詐からの持論です。



  僕は小説家として長く仕事をしてきましたが、正直に言って担当編集者の中には、「ちょっと
 合わないかな」と感じる人もいました。人間としては悪くない人だし、ほかの作家にとっては良
 き編集者なのかもしれないけど、僕の作品の編集者としては相性があまり良くないんじゃないか、
 ということです、そういう人の口にする意見は、僕としてはいささか首を傾げたくなることが多
 いし、時として(正直に言って)神経に障ります。いらっとすることもあります。でもお互い仕
 事ですから、そこはうまくやりくりしてやっていくしかありません。

  ある長編小説を書いていたときのことですが、僕は原稿の段階で、あまり「合わない」編集者
 から指摘があった箇所をすべて汽き直しました。ただし大半は、その人の助肯とは真逆の方向に
 書き直しました。たとえば「ここは長くした方がいい」と言われた部分は短くし、「ここは短く
 した方がいい」と.言われた部分は長くしたわけです。今から思えばかなり乱暴な話なんですか、
 それでもその書きき直しは結果的にうまくいきました。作品はそれでより優れたものになったと
 思います,つまり逆説的にではあるけれど、その編集者は僕にとって有用な編集者であったわけ
 です。少なくとも「おいしいこと」しか口にしない編集者よりはずっと助けになった。僕はその
 ように考えています。

  つまり人事なのは、書き直すという行為そのものなのです。作家か「ここをもっとうまく書き
 直してやろう」と決意して机の前に腰を据え、文章に手を入れる、そういう姿勢そのものが何よ
 り重要な意味を持ちます。それに比べれば「どのように書き直すか」という方向性なんて、むし
 ろ二次的なものかもしれません。多くの場合、作家の本能や直感は、論理件の中からではなく、
 決意の中からより有効に引き出されます。藪を棒で叩いて、中に潜んでいる鳥を飛び羽ばたかせ
 るようなものです。どんな棒で叩こうか、どんな叩き方をしようが、結果にたいした違いはあり
 ません。とにかく鳥を飛び立たせれば、それでいいのです。鳥たちの動きのダイナミズムが、固
 定に向かおうとする視野に揺さぶりをかけます。それが僕の意見です。まあ、かなり乱暴な意見
 かもしれませんが。

  とにかく書き直しにはできるだけ時間をかけます。まわりの人々のアドバイスに耳を傾け(腹
 が立っても立たなくても)、それを念頭に置いて、参考にして書き直していきます。助言は人事
 です。長編小説を書き終えた作家はほとんどの場合、頭に血が上り脳味噌か過熱して.正気を失
 っています。なぜかといえば、正気の人間には長編小説なんてものは、まず書けっこないからで 
 す。ですから正気を失うこと自体にはとくに問題はありませんか、それでも「自分かある程度正
 気を失っている」ということだけは自覚しておかなくてはなりません。そして.正気を失ってい
 る人間にとって、正気の人間の意見はおおむね大事なものです。

  もちろん他人の意見をすべて鵜呑みにしてはいけない。中には見当外れの意見、不当な意見も
 あるかもしれません。しかしどのような意見であれ、それか正気なものであれば、そこには何か
 しらの意味が含まれているはずです。それらの意見は、あなたの頭を少しずつ冷却し、適切な温 
 度へと導いてくれるでしょう。彼らの意見とはすなわち世間であり、あなたの本を読むのは結局
 のところ世間なのですから。あなたか世間を無視しようとすれば、おそらく世間も同じようにあ
 なたを無視するでしょう。もちろん「それでかまわない」ということであれぼ、僕としても全然
 かまいません。しかしもしあなたが、人間とある程度まともな関係を維持したいと考えている作
 家であるなら(おそらく大部分はそうでしょう)、あなたの作品を読んでくれる「定点」をひと
 つなり、ふたつなり周囲に確保しておくのは大事なことです。その定点が正直に率直に感想を述
 べてくれる人でなくてはならないのは当然のことです。たとえ批判を受けるたびに頭に来るとし
 ても。  

                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』

                                     この項つづく   

 

豆腐と餅の最新製造工学

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   でも「やるべきことはきちんとやった」という確かな手応えさえあれば、基本
      的に何も恐れることはありません。あとのことは時間の手にまかせておけばい
      い。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、時間を味方
      につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。

                          村上春樹 『職業としての小説家』

 

 

【豆腐と餅の最新製造工学】

昨夜は、「サーモグラフィーカメラ付リモート電子レンジ工学」という最新の食品調理技術を取り上
げたが、今日も「餅つき装置」(家庭内の少量生産向け)と「豆腐製造装置」(中大量生産市販向け
)の二つを取り上げてみよう。

●「つき姫」を開発 みのり産業株式会社

この商品を知ったのは NHKのまちかど情報室(2015.10.13)なのだが、これも出会い頭で、従来
の「餅つき機」をコンパクトにし、蒸した餅米を練るパドルを小さくしたことで、空気(=酸素が関
与する?)を入れず圧練することで、餅米を「α化(糊化)」(→この逆は「「β化(老化)」)でき
ることを発見したという紹介の件がピンときた。もとものこの会社は農作機器の製造メーカ、餅つき
機研究の原点は、生ごみ処理機の開発にある(特開平06-312167  生ごみ処理機 )。

 特許事例

さて、メーカーのうたい文句は、もちつき機を研究し続けて40年。つきたての味が少量から楽しめ
る「つき姫」を誕生させた。家で餅つきをしたいけど、少なく手軽にできなかった。だけど、つきた
て餅が食べたい。そんな消費者に必見の少量から楽しめる餅つき機(三合)。 操作はボタン1つ。
「むす」「つく」だけ――とある。それにしても、大晦日前になると、家族でお餅ちをつくのが伝統
だったが、両親が他界するとそれもなくなり、神社の氏子達も近くの和菓子店に注文するだけとなっ
たが、中国大陸から渡ってきた「日本の餅文化」は衰えることなく、和菓子の一部として世界で認知
されるようになったが、それにしてもマイクロプロセッサをベースとしたデジタル家電は、電子レン
ジと同様、食文化(食品加工工学)著しく変化させ、『デジタル革命渦』に飲み込まれていく。この
「つき姫」は「ホームベーカリー」の派生デジタル家電としてどの程度普及していくのかいまのとこ
ろ見当つかないが、品質の良い水と餅米と電気に「レシピ」の充実が揃えば波及していくだろう。

そこで、事業の世界展開には、電気と水は各国・各地域に依存するとし、(1)餅米、(2)家庭用
つき機、(3)レシピコンテンツ(これは無償を原則として)+α(農産品など)の拡販事業拡大が
期待できるぞ!と、考えた次第でこれは面白い。

※ パン文化(小麦:西方)VS. 餅文化(米:東方)→東方の逆襲?(ビートルズなどの英国楽曲が
  米国を 席捲したのイングリッシュ・インバージョンをなどって、なんちゃって。)




● 豆腐製造にロボット 相模屋食料株式会社

これは今朝の情報っだが、人手ならではの作業が多いため、ロボットが普及しなかった食品製造業だ
が、汎用のロボットを用い経営革新を成し遂げた企業として、市販向けの豆腐製品を手がける相模屋
食料がその代表格として紹介。05年に稼働開始した第三工場(同)で初めてロボットを採用。常識
を覆す製造法を確立し、導入当初と比べ売上高を4倍以上に拡大させたというが(日刊工業新聞 2015.
10.14)、上の写真だけでは、豆腐製造工場――ファナック製5軸多関節ロボット「M―710iC/
50H」3台が、コンベアを流れる無数の豆腐に、次々と容器をかぶせていく、主力の一つである木
綿豆腐の封入工程。活躍するのはファナックカラーの黄色ではなく、クリーン仕様の白いロボット―
―だとはだれもわからないだろう。 

 

同上記事によると、豆腐は冷やさず熱いままで食べるのが一番おいしいが、その状態でパックしない
のかとの疑問から始まり、製品サイズに切断した豆腐を容器に詰めるのは、従来は人手作業。高温で
行うのは不可能で、水中で冷やし詰める方法が定着―――そんな常識を打ち破る封入法を追求したか
当初考えた水中で豆腐が冷える前に高速で自動封入するシステムは、水中での高速制御が困難で結局
頓挫する。水の外、つまりコンベア上で容器と豆腐を組み合わせる方式を発案し、容器に豆腐を収め
るのではなく、豆腐にロボットが容器をかぶせ、後に反転させる仕組みを考案し今回の成功につなが
ったとの経緯を掲載。


【符号の説明】

1…凝固部 2…成型部 3…切断・整列部 4…パック詰め装置 5…パック供給手段 6…豆腐
製造装置 10…豆腐 11…切断・移動手段 12…コンベア 13…位置決め手段 14…豆腐
15…切断・整列手段 16…豆腐 17…豆腐移動手段 18…スクレイパー 19…貯蔵手段
20…豆腐 51…パック 52…パック 53…パック貯蔵部 54…パック貯蔵部 55…パッ
ク搬送コンベア 56…パック搬送コンベア 57…穴 58…穴 71…シャッター板 74…豆
腐が充填されたパック 75…豆腐が充填されたパック 76…コンベア 77…コンベア 80…
封止部 100…パック詰め装置 155…コンベア 158…コンベア制御手段 170…パック
設置手段 171…シャッター板 172…シャッター板制御手段 180…パック取り出し手段
185…パック 186…豆腐が充填されたパック 188…パック取り出し手段 189…パック
取り出し手段 190…パック移動手段 192…可動部 193…先端部 194…先端部の爪部
195…先端部の爪部ベース 196…先端部の爪部固定部材 200…パック詰め装置 201…
パック取り出し手段 202…パック取り出し手段 203…パック取り出し手段 211…パック
送りコンベア 212…パック送りコンベア 213…パック送りコンベア 221…大きなパック
222…中くらいの大きさのパック 223…小さなパック 231…先端部 232…先端部
233…先端部

しかし、これだけでは開発の背景がいまいちなので、上図の特許を参考にすると、従来、豆腐のパッ
ク詰めは、所定の形状に切断された豆腐を水中に浮遊させ、下方からパックですくい取りで行われて
いたが、(1)衛生状態に問題が生じ易いこと、(2)大量の汚水が発生すること、(3)効率が悪
く大量生産に不向きであること等の理由により、今回のように、大気中(陸上)でパック詰めを行う
こと(いわゆる陸詰め)が行われるようになっているが、「陸詰め方式」でも、(1)多品種に対応
すればするほど、パック詰めに時間がかかり、スループットが低下する、(2)洗浄に手間がかかる
(3)高コスト、(4)大きな設置スペースが必要だという課題がある。

この新規考案では、品種に対応しても短時間にパック詰めを行うことができ、洗浄に手間がかからず
製造や保守・点検にコストがかからず、設置面積が少なくて済む豆腐のパック詰め装置が提案されて
いる。しかし、多軸ロボットの導入は、高度消費社会にあって避けることのできない格好事例がここ
で示されていて、大変面白い。

【参考特許】

・特許5297883  豆腐用凝固製剤                 花王株式会社
・特許4863860  豆腐の製造方法及びその方法によって得られた豆腐 相模屋食料株式会社



【メガソーラービジネスインタビュー:
   屋根上は太陽光の本命 4百メガワットをめざし開発する】

カナダに本拠を置くソーラーパワーネットワーク(SPN)は、ルーフトップ(屋根上)設置を中心に
太陽光発電システムの設計・施工から運営などを手がけ、日本でも工場や流通店舗の屋根上への設置
で実績を伸ばす。同社の社長兼CEO(最高経営責任者)を務めるピーター・グッドマン氏に、日本で
の戦略と市場展望のインタビューしている(「屋根上は太陽光の本命。400MWの開発目指す」日
経テクノロジー 2015.10.14)。ここでは興味を惹いた問答を掲載する。




Q:経済産業省は、30年の目指すべき電源構成(べストミックス)を公表し、太陽光は認定量を下
  回る64ギガワットとされ、抑制的な対策に転じるとのイメージも与えた。こうした日本政府の
  エネルギー政策をどのように見る?
A:太陽光の推進という点から、明らかな間違いだと思う。認定容量が80ギガワットを超えている
  にもかかわらず、ベストミックスで64ギガワットしか見込まなかったことは、日本の太陽光市
  場を冷やすことになった。そもそも接続保留問題で、無制限無補償の出力抑制を条件とした案件
  が出てきたことで、こうしたプロジェクトへのファイナンスは難しくなった。

Q:国内では、地産地消型の再生可能エネルギーについて、今後も政策的に普及を支援していくべき
  だとの声も強まっているが?
A:その考え方は正しいと思う。需要地から離れた野立てのメガソーラーや風力と、需要地に近接し
  た分散型の再エネを同じ仕組みで支援するべきではない。カナダのオンタリオ州では、FIT導入当
  初、日本のように一律の制度だったが、試行錯誤を経て、ルーフトップの太陽光を含む小規模分
  散型に対してはFIT、大規模な野立てのメガソーラーについては入札方式という2本立てになった。

  ルーフトップをFITの対象にしたのは、需要地に近い太陽光は、電力系統に負担が少ないなど意義
  が大きいとの認識が背景にある。その上で、スケールメリット効果の大きい野立てのメガソーラ
  ーに比べ、ルーフトップなどの小規模分散型の太陽光は、手間もかかりコスト面で不利なことに
  も配慮している。

Q:FITにおける10キロワット以上の太陽光発電の買取価格は、15年度下期に27円/キロワット
  時に下がった。日本企業の中には、事業性が低いとして、新たな案件の開発を断念する企業も出
  ている。この価格設定をどのように見る?
A:27円/キロワット時の買取価格は、太陽光発電の事業性を満たせる価格だと考える。電力利用
  者の賦課金を下げる意味で正しい判断と思う。買取価格を27円/キロワット時に下げることに
  よって、太陽光発電の関連分野はコスト削減を強いられるが、結果的に事業の効率が上がったり、
  再エネ分野全体の経済合理性が高まることが期待できます。

  カナダのオンタリオ州でも、同じようなペースで買取価格を下げてき。32セント/キロワット
  時でスタートし、29セント/キロワット時、27セント/キロワット時と下がってきた。日本
  でもカナダでも、買取価格を下げ、電力利用者への負担を減らすことが重要。

  海外企業の中にも、この価格設定では事業性を満たしにくいと判断し、日本市場から出ていく企
  業があるかもしれない。SPNは、日本にとどまるつもりです。技術革新の速い産業分野の常とし
  て、時間とともに経験を積んで効率が高まり、価格が下がっていく。太陽光発電も同じ状況にあ
  る。

Q:コスト削減の余地は、どの辺に?
A:4つのポイントがある。(1)太陽光パネルとパワーコンディショナー(PCS)などの主要設備。
  オンタリオ州では、FITの買取価格が低下するに従い、関連設備や資材のコストが下がっていった。
  国際競争の中で、メーカーが破綻する例もある一方、新興企業が次々に登場し、パネルやPCSの効
  率は向上を続けている。(2)、設計・施工です。北米でも欧州でも日本でも、2~3年前に比
  べ、太陽光発電設備をより効率的に設計し設置。コスト削減と高効率化の圧力が強まることで、
  設計と施工の革新が進んでいる。(3)ファイナンス。日本では、FIT開始後、2~3年は、太陽
  光発電に対する理解があまり進まず、金融機関はリスクを判断できなかった。実際には、政府に
  よる20年間の買取保証があり、リスクは十分に管理できるが、理解が得られず、返済の利率に
  も反映してもらえなかった。しかし、現在では、金融機関の理解が進み、前向きになっている。
  (4)太陽光発電事業者が得る利幅。買取価格が27円/キロワット時に下がったから、撤退し
  ようなどという判断は、近視眼的な経営判断と感じる。太陽光発電には、今後も明らかに巨大な
  需要がある。これまで想像できなかったようなレベルの需要が出てきている。G7でも確認され
  ているが、今後、石油の時代から、再エネと原子力発電の時代に急速に移行していく。その中で
  より効率的に発電事業を実現するような、クリエイティブ(創造的)な手法が、いまほど求めら
  れている時代はない。

Q:日本ではFIT開始以降、野立ての太陽光発電所が急速に増えている。
A:野立てのメガソーラー事業は今後もなくらないが、先進国で再エネ事業を成功させるための条件
  を満たしていない場合もある。その条件とは、(1)クリーンであること、(2)経済的である
  こと、(3)供給の安定性。

  メガソーラーと、小規模な分散型の太陽光発電所を、これらの3つの条件で比べると、メガソー
  ラーは供給の安定性で劣る。小規模な分散型の太陽光発電所は、街の中にあるのに対し、メガソ
  ーラーは遠隔地に立地。メガソーラーで発電した電力の送電で、コストを要す。送電網の増強な
  どが必要になる。

  小規模な分散型の太陽光発電所ならば、例えば、街にある工場の屋根上にあり、送電網のコスト
  は最小で済む。先進国では、既存の送電網を使うため、従来の発電所から、太陽光発電所に置き
  換えると、どうしても送電網に要するコストが増える。いまの送配電網は、既存の電源による配
  電を前提に最適化したもの。 

  送電網に要するコストは、発電所の約2倍となる。日本の大手電力会社の財務情報を分析しても、
  送電網に発電所の約2倍のコストがかかっていることがわかっている。14年9月に起きた、い
  わゆる「九電ショック」(再エネの接続申し込みの回答保留)は、送電網の空き容量が一杯にな
  ってしまった後の送電網の整備を、電力会社だけでは負担しきれないという問題提起だった。従
  来の電力システムの中で、最もコストがかかるのが送電網、遠隔地から送電するメガソーラーは、
  送電網に追加的なコストを強いるという点で、小規模な分散型太陽光に劣る。



Q:日本の場合、人口密度が高く、都市や市街地に人口が集中しているため、都市部の電力需要を屋
  根上の太陽光だけで賄うのは限界がある。遠隔地に置くメガソーラーも必要になるのでは?
A:分散型というと、ルーフトップをイメージしがちだが、駐車場、カーポート、小さな空き地など
  さまざまな場所を想定している。探せば候補地はたくさんある。街中のちょっとした場所を太陽
  光発電所にできる。

  日本では特に屋根上の利用権に関する制約が大きいと感じる。例えば、建物の所有者が破産した
  場合、屋根を借りる権利への影響が日本と北米では異なる。米国やカナダでは、建物の所有者が
  破産したとしても、屋根上を利用する権利は保持される。

  日本の場合は、建物の所有者が破産したら、屋根を利用する権利まで消失する。知っている限り
  この問題があるのは日本だけです。SPN社では、世界的な戦略として、あらゆるビルを対象に太
  陽光発電システムを設置し、事業化する方針を持つが、日本ては、こうした事情から、20年間、
  利用し続けられると金融機関が評価したビルへの設置に限定される。

なお、ここでは補足することはないが(その理由はブログ掲載済み)、原子力発電の問題点について
の現状認識は楽観的である。
  
 



● 折々の読書 『職業としての小説家』20

  何度くらい書き直すのか?そう聞かれても.性格な回数まではわかりません。原稿の段階でも
 う数え切れないくらい書き直しますし、出版社に渡してゲラになってからも、相手かうんざりす
 るくらい何度もゲラを出してもらいます。ゲラを真っ黒にして送り返し、新しく送られてきたゲ
 ラをまた真っ黒にするという繰り返しです。前にも言ったように、これは根気のいる作業ですが、
 僕にとってはさして苦痛ではありません。同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉
 の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事」が僕は根っから好
 きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていく
 のを目にすることに、大きな喜びを感Uます。なぜかはわからないけれど、僕にとってはそうい
 うことが面白くてしょうがないのです。いつまでやっていてもちっとも飽きません。

  僕の敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーもそういう「とんかち仕事」か好きな作家の一人
 でした。彼は他の作家の言葉を引用するかたちで、こう書いています。「ひとつの短編小説を書
 いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、
 前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説か完成したことを私は知るのだ」と。その
 気持ちは僕にもとてもよくわかります。同じようなことを、僕白身何度も経験しているからです。
 このあたりか限度だ。これ以下書き直すと、かえってまずいことになるかもしれない、という微
 妙なポイントかあります。彼はコンマの出し入れを例にとって、そのポイントを的確に示唆して
 いるわけです。

  そのようにして僕は長編小説を書き上げます。人それぞれ、気に入ってもらえるものもあり、
 あまり気に入ってもらえないものもあるでしょう。僕自身、過去に書いた作品については、決し
 て満足しているわけではありません。「今ならもっとうまく書けるんだけどな」と痛感するもの
 もあります。読み返すとあちこち欠点が目についてしまうので、何か特別な必要がなければ、自
 分の書いた本を手に取ることはまずありません。

  でもその作品を書いた時点では、きっとそれ以トうまく河くことは僕にはできなかっただろう
 と、基木的に考えています。自分はその時点における全力を尽くしたのだということかわかって
 いるからです。かけたいだけ長い時間をかけ、持てるエネルギーを惜しみなく投入し、作品を完
 成させました。言うなれば「総力戦」をオールアウトで戦ったのです。そういう「出し切った」
 手応えが自分の中に今でも残っています。少なくとも長編小説に関しては、僕は注文を受けて書
 いたこともないし、締め切りに追われたこともありません。自分の書きたいことを、書きたいと
 きに、書きたいように書きました。それだけは自信をもって断言でぎます。だから後日「あそこ
 はこうしておけばよかったな」と悔やむようなことはまずありません。

  時間は、作品を創り出していくヒで非常に人切な要素です。とくに長編小説においては、「仕
 込み」が何より大事になります。自分の中で来るべき小説の芽を育て、膨らませていく「沈黙の
 期間」です。「小説を書きたい」という気持ちを自分の中に作り上げていきます。そのような仕
 込みにかける時間、それを具体的なかたちに仕上げていく期間、立ち上がったものを冷暗所で
 じっくり「養生する」期間、それを外に出して自然の光に晒し、固まってきたものを細かく検証
 し、とんかちしていく時間……そのようなプロセスのひとつひとつに十分な時間をかけることが
 できたかどうか、それは作家だけか実感できるものごとです。そしてそのような作業ひとつひと
 つにかけられた時間のクオリティーは必ず作品の「納得性」となって現れてぎます。目には見え
 ないかもしれないけど、そこには歴然とした違いが生まれます。

  身近な例にたとえると、これは温泉のお湯と家庭風Mのお湯の違いに似ています。温泉に入る
 と、たとえ湯温が低くても、じんわりと身体の芯にまで温かみが浸みてきますし、お風呂を出て
 からも温かみが冷めません。しかし家庭のお風呂のお湯だと、身体の芯まで浸みないし、お湯か
 ら出るとすぐに冷めてしまいます。これはたぶんみなさんも体験されたことがあると思います。
 たいていの日本人なら温泉につかつて、ほっと一息ついて、「うん、そうだ、これか温泉のお湯
 だよな」と肌身にじわっと実感できると思いますが、生まれてから一度も温泉につかったことの
 ない人に向かって、この実感を言葉で眼確に表現するのは簡単ではありません,

  優れた小説や、優れた音楽にも、それに似たところがあるようです,温泉の湯と家風呂のお湯、 
 温度計で測ると同じ温度でも、実際に裸になってそこにつかってみると違いかわかります。肌で
 実感できます。しかしその実感を言語化するのはむずかしい。「いや、じんわりくるんだよ、こ
 れが。うまく言えないけどさ」みたいなことしか言えません。「でも温度は数字的には同じだよ。
 気のせいなんじゃないの」と言われるとは―――有効に反論できません。

  少なくとも僕のような科学方面に知識のない人間に だから僕は自分の作品が刊行されて、そ
 れがたとえ厳しい―――思いも寄らぬほど厳しい―――批評を受けたとしても、「まあ、それも
 仕方ないや」と思うことができます。なぜなら僕には「やるべきことはやった」という実感があ
 るからです。仕込みにも養生にも時間をかけだし、とんかち仕事にも時間をかけた。だからいく
 ら批判されても、それでへこんだり、自信を失ったりすることはまずありません。もちろんいさ
 さか不快に思うくらいのことはたまにありますか、たいしたことではない。「時間によって勝ち
 得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです。そして世の中には時間によ
 ってしか証明できないものもあるのです。もしそのような確信が自分の中になければ、いくら厚
 かましい僕だって、あるいは落ち込んだりするかもしれません。でも「やるべきことはきちんと
 やった」という確かな手応えさえあれば、基本的に何も恐れることはありません。あとのことは
 時間の手にまかせておけばいい。時間を大事に、慎重に礼儀正しく扱うことはとりもなおさず、
 時間を味方につけることでもあるのです。女性に対するのと同じことですね。

                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                            村上春樹 『職業としての小説家』


次回は、このつづきと、「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」に移っていく。いよいよ
佳境を味あうことになるだろうと考える。


                                     この項つづく   

   ●今夜の一品

Introducing the Light L16 Camera, the world's first multi-aperture camera.

世界初のマルチレンズ(開口数16)カメラ登場!デジタル革命ギャラクシーならではの一品なのだ。

 

  


理想の偽装夫婦

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   何も言わないから、役者もスタッフもレベルが下がっている。言って
      あげた方がいいんですよ。みんな自覚してゼロからやりましょうと。

                             脚本家 遊川和彦

 



  



【僕たちは理想の偽装夫婦】

最近、はまったテレビドラマがある。昨夜の第2回目の『偽装の夫婦』がそれ。天海祐希が扮する嘉
門ヒロの作り笑いが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を彷彿さた。この感じは『家政婦
のミタ』の遊川和彦が手になることを理解すに時間はさほどかからなかった。映画『A・I』似の『
家政婦のミタ』のつくりと同じ、"奇想天外"つまり" It is a most unexpected original idea."、あるいは、
ファンタジック(風変わりな、幻想的な)映像に仕上げられている。ストーリーは、「孤高の美女」
「理想の女性」といわれながら、実際には人との付き合いが大嫌いだという嘉門ヒロを中心に展開。
25年前の大学時代に一度だけ恋愛を経験するも、理由不詳で姿を消し逃げられた彼氏・陽村超治(
沢村一樹)と再会するところから物語が始まり、その出会いをきっかけに「偽装結婚」生活を始めて
しまうというものらしい。 

ヒロイン(ヒロ)は、考えによれば、強迫性パーソナリティ障害を、あるいは、これは天海の容貌か
らくる性同一障害を体現させ、ヒーロー(超治)の沢村一樹は、ゲイ(ホモセクシュアル)を演じる。
また、内田有紀扮する家庭内暴力(DV)の被害者・水森しおりは、ヒロを愛すという、これまた後
天性性同一障害を起想?させる。そこに、医者から余命3か月宣言された超治の母・陽村華苗(冨司
純子)やヒロとの再婚を夢見る田中要次図書館部長(須藤利一)が絡みどのような人間模様を展開し
ていくのか期待湧々だ。



ここから、勝手な想像に。高度産業消費社会あるいは高度資本主義社会と言ってよいが、日本は良く
も悪くも、欧米諸国民は何らかの精神疾患、あるいは精神病を抱える社会。ここで、精神病の原因に
は内因・外因・心因・環境因が、あるいはこれらの相互関連因が複数重なり発症――医学的、薬理学
的症状を除外した上――していると考えられるから、奇想天外なフィクションの映像であっても、リ
アルな社会現象と考えることも容易であろう。つまり、特別なものでもなく日常的なものとして演じ
られていくだろうと考える。これは面白い発見ができそうだ。

そもそも、こんな面白い構成でなくても、それに近いことを数知れず経験してきた、これまでのわた
したち夫婦は、元から偽装であった――よく彼女が口にする「しまった騙された」「こんなはずじゃ
なかった」の台詞は耳にたこができるくらいなのだから。そこで夕食で台所に立つ彼女の肩に手をか
けて「僕たちは理想的な偽装夫婦だね」と言葉をかけると、すかさず、「わたしも見た」と顔を見上
げ答え、少し間をおき「肩をもんでくれない」と言うので、「ああっ、それは食後にしよう」と応え
部屋に戻ろうとすると「もう~、駄目なんだから!」という言葉が飛んできて背中を射貫く。 



● 折々の読書 『職業としての小説家』21

  前述したレイモンド・カーヴァーは、あるエッセイの中でこんなことを書いています。
  「『時間があればもっと良いものが書けたはすなんだけどね』、ある友人の物書きがそう言う
 のを耳にして、私は本当に度肝を抜かれてしまった。今だってそのときのことを思い出すと愕然
 としてしまう。(中略)もしその語られた物語か、力の及ぶ限りにおいて最良のものでないとし
 たら、どうして小説なんて書くのだろう? 結局のところ、ベストを尽くしたという満足感、精
 一杯働いたというあかし、我々が墓の中まで持って行けるのはそれだけである。私はその友人に
 向かってそう言いたかった。悪いことは言わないから別の仕事を見つけた方がいいよと、同じ生
 活のために金を稼ぐにしても、世の中にはもっと簡単で、おそらくはもっと.正直な仕事がある
 はすだ。さもなければれの能力と才能を絞りきってものを書け。そして弁明をしたり、自己正当
 化したりするのはよせ。不満を言うな。言い訳をするな」(翻訳『書くことについて』)

   On writing

  普段は温厚なカーヴァーにしては珍しく厳しい物言いですが、彼の言わんとするところには僕
 も全面的に賛成です。今の時代のことはよくわかりませんが、昔の作家の中には、「締め切りに
 追われてないと、小説なんて書けないよ」と豪語する人か少なからずいたようです。いかにも「
 文士的」というか、スタイルとしてはなかなかかっこいいのですが、そういう時間に追われた、
 せわしない書き方はいつまでもできるものではありません。若いときにはそれでうまくいったと
 しても、またある期間はそういうやり方で優れた什事かできたとしても、艮いスパンをとって俯
 瞰すると、時間の経過とともに作風が不思議に痩せていく印象があります。

  時間を自分の味方につけるには、ある程度自分の意志で時間をコントロールできるようになら
 なくてはならない、というのが僕の持論です。時間にコントロールされっぱなしではいけない。
 それではやはり受け身になってしまいます。「時間と潮は人を待たない」ということわざがあり
 ますか、向こうに待つつもりがないのなら、その事実をしっかりと踏まえたhで、こちらのスケ
 ジュールを積極的に、意図的に設定していくしかありません,つまり受け身になるのではなく、
 こちらから積極的に什掛けていくわけです。

  自分の書いた作品が優れているかどうか、もし優れているとしたらどの程度優れているのか、
 そんなことは僕にはわかりません。というか、そういうものごとは本人の目からあれこれ語るべ
 きことではない。作品にいて判断を下学のは、言うまでもなく読者一人ひとりです。そしてその
 値打ちを明らかにしていくのは時間です。作者は黙してそれを受けとめるしかありません,今の
 時点で言えるのは、僕はそれらの作品を書くにあたって惜しみなく時間をかけだし、カーヴァー
 の言葉を借りれぼ、「力の及ぶ限りにおいて最良のもの」を書くべく努力したということくらい
 です。どの作品をとっても「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」というよう
 なことはありません。もしうまく書けていなかったとしたら、その作品をおいた時点では僕には
 まだ作家としての力量が不足していた

  それだけのことです。残念なことではありますが、恥ずべきことではありません。不足してい
 る力量はあとから努力して埋めることができます。しかし失われた機会を取り戻すことはできま
 せん。僕はそのような書き方を可能にしてくれる、自分なりの固有のシステムを、長い歳月をか
 けてこしらえ、僕なりに、丁寧に注意深く整備し、大事に維持してきました。汚れを拭き、油を
 差し、錆びつかないように気を配ってきました。そしてそのことについては一人の作家として、
 ささやかではありますが誇りみたいなものを感じています。個々の作品の出来映えや評価につい
 て語るよりは、むしろそういうジェネラルなシステムそのものに対して語る方が、僕としては楽
 しいかもしれません。具体的に語りがいもあります。

  もし読者が僕の作品に、温泉の湯の深い温かみみたいなものを、肌身の感覚として少しでも感
 じ取ってくださるとすれば、それは本当に嬉しいことです。僕自身ずっとそのような「実感」を
 求めてたくさんの本を読み、たくさんの作目楽を聴いてきたわけですから。
  自分の「実感」を何より信じましょう。たとえまわりがなんと言おうと、そんなことは関係あ
 りません。書き手にとっても、また読みfにとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありま
 せん。
                  「第六回 時間を味方につける――長編小説を書くこと」
                             村上春樹 『職業としての小説家』

  積んで置くだけの本も多かった

  小説を書くというのは、密室の中でおこなわれるどこまでも個人的な営みです。一人で書斎に
 こもり、机に向かって、(ほとんどの場合)何もないところから架空の物語を立ち上げ、それを
 文章のかたちに変えていきます。形象を持だない主観的なものごとを、形象ある客観的なもの(
 少なくとも客観性を求めるもの)へと転換していく――ごく簡単に定義すれば、それが我々小説
 家が日常的におこなっている作業です。

  「いや、俺は書斎みたいな立派なものは持っていないよ」という人も、おそらく少なからずお
 られるでしょう。僕も小説を書き始めたころには、書斎なんてものは持ち合わせていませんでし
 た。千駄ヶ谷の鳩森ハ幡神社の近くにある、狭いアパート(今は取り壊されましたが)で、台所
 のテーブルに向かい、家人が寝てしまってから、深夜に一人で四百字詰原稿用紙に向かってかさ
 かさとペンを走らせていました。そのようにして『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』
 という、最初の二冊の小説を書き上げました。僕はこの二作を「キッチン・テーブル小説」と個
 人的に(勝手に)名付けています。

  小説『ノルウェイの森』の最初の方は、ギリシャ各地のカフェのテーブルや、フェリーの座席
 や、空港の待合室や、公園の日陰や、安ホテルの机で書きました。四百字詰め原稿用紙みたいな
 大きなものをいちいち持ち運ぶわけにはいかないので、ローマの文具店で買った安物のノートブ
 ック(昔風に言えば大学ノート)に、BICのボールペソで細かい字を書いていました。まわり
 の席ががやがやうるさかったり、テーブルがぐらぐらしてうまく字が書けなかったり、ノートに
 コーヒーをこぼしてしまったり、ホテルの机に向かって夜中に文章を吟味しているあいだ、薄い
 壁で隔てられた隣の部屋で男女が盛大に盛り上がっていたりと、まあいろいろと大変でした。今
 から思えば微笑ましいエピソードみたいですが、そのときにはけっこうめげたものです。定まっ
 た住居がなかなか見つからなかったので、そのあともヨーロでハ各地をあちこちと移動しながら、
 いろんな場所でこの小説を書き続けました。そのコーヒー(やらわけのわからない何やかや)の
 しみのついた分厚いノートは、今でも僕の手元に残っています。

  しかしたとえどのような場所であれ、人が小説を書こうとする場所はすべて密室であり、ポー
 タブルな書斎なのです。僕が言いたいのは、要するにそういうことです。
  僕は思うのですが、人は本来、誰かに頼まれて小説を書くわけではありません。「小説を書き
 たい」という強い個人的な思いがあるからこそ、そういう内なる力をひしひしと感じるからこそ、
 れなりに苦労してがんばって小説を書くのです。
  もちろん依頼を受けて小説を書くことはあります。職業的作家の場合、あるいは大半がそうか
 もしれません。僕自身は依頼や注文を受けて小説を書かないことを、長年にわたって基本的な方
 針としてやってぎましたが、僕のようなケースはどちらかといえば珍しいかもしれません。多く
 の作家は、編集者から「うちの雑誌に短編小説を書いてください」とか「うちの社の書き下ろし
 で長編をお願いします」とかいった依頼を受け、そこから話が始まるようです。そういう場合、
 約束の期日があるのが通常ですし、ことによっては前借りというかたちで前渡し金のようなもの
 をもらう場合もあるみたいです。

  しかしそれでもやはり、小説家は自らの内的衝動に従って自発的に小説を書くという、基本的
 な筋道になんら変わりはありません。外部からの依頼や、締め切りという制約がないとうまく小
 説が書き始められないという人も、あるいはおられるかもしれません。でもそもそも「小説を書
 きたい」という内的衝動が存在しなければ、いくら締め切りがあったところで、いくらお金を積
 まれ、泣いて懇願されたところで、小説は書けるものではありません。当たり前の話ですね。

  そしてそのきっかけがどうであれ、いったん小説を書き始めれば、小説家は一人ぼっちになり
 ます。誰も彼(彼女)を手伝ってはくれません。人によっては、リサーチャーがついたりするこ
 とはあるかもしれませんが、その役目はただ資料や材料を集めるだけです。誰も彼なり彼女なり
 の頭の中を整理してはくれないし、誰も適当な言葉をどこかから見つけてきてくれたりしません。
 いったん自分で始めたことは、自分で推し進め、自分で完成させなくてはなりません。最近のプ
 ロ野球のピッチャーみたいに、いちおう七回まで投げて、あとは救援投手陣にまかせてベンチで
 汗を拭いている、というわけにはいかないのです。小説家の場合、ブルペンには控えの選手なん
 ていません。だから延長戦に入って十五回になろうが、十八回になろうが、試合の決着がつくま
 で一人で投げきるしかありません。

  たとえば、これはあくまで僕の場合はということですが、書き下ろしの長編小説を書くには、
 一年以上(二年、あるいは時によっては三年)書斎にこもり、机に向かって一人でこつこつと原
 稿を書き続けることになります。朝早く起きて、毎日五時間から六時間、意識を集中して執筆し
 ます。それだけ必死になってものを考えると、脳が一種の過熱状態になり(文字通り頭皮が熱く
 なることもあります)、しばらくは頭がぼんやりしています。だから午後は昼寝をしたり、音楽
 を聴いたり、害のない本を読んだりします。そんな生活をしているとどうしても運動不足になり
 ますから、毎日だいたい一時間は外に出て運動をします。そして翌日の仕事に備えます。来る日
 も来る日も、判で押したみたいに同じことを繰り返します。

  孤独な作業だ、というとあまりにも月並みな表現になってしまいますが、小説を書くというの
 は――とくに長い小説を書いている場合には――実際にずいぶん孤独な作業です。ときどき深い
 井戸の底に一人で座っているような気持ちになります。誰も助けてはくれませんし、誰も「今日
 はよくやったね」と肩を叩いて褒めてもくれません。その結果として生み出された作品が誰かに
 褒められるということは(もちろんうまくいけばですが)ありますが、それを書いている作業そ
 のものについて、人はとくに評価してはくれません。それは作家が自分一人で、黙って背負わな
 くてはならない荷物です。

  僕はその手の作業に関してはかなり我慢強い性格だと自分でも思っていますが、それでもとき
 どきうんざりして、いやになってしまうことがあります。しかし巡り来る日々を一日また一日と、
 まるで煉瓦職人が煉瓦を積むみたいに、辛抱強く丁寧に積み重ねていくことによって、やがてあ
 る時点で「ああそうだ、なんといっても自分は作家なのだ」という実感を手にすることになりま
 す。そしてそういう実感を「善きもの」「祝賀するべきもの」として受け止めるようになります。
 アメリカの禁酒団体の標語に「One day at a time」(一日ずつ着実に)というのがありますが、
  まさにそれですね。リズムを乱さないように、巡り来る日を一日ずつ堅実にたぐり寄せ、後ろに
 送っていくしかないのです。そしてそれを黙々と続けていると、あるとき自分の中で「何か」が
 起こるのです。でもモれが起こるまでには、ある程度の時間がかかります。あなたはそれを辛抱
 強く待だなくてはならない。一日はあくまで一日です。いっぺんにまとめて二、三日をこなして
 しまうわけにはいきません。

  そういう作業を我慢強くこつこつと続けていくためには何か必要か?
  言うまでもなく持続力です。
  机に向かって意識を集中するのは三日が限度、というのではとても小説家にはなれません。三
 日あれば短編小説は書けるだろう、とおっしゃる方がおられるかもしれません。たしかにそのと
 おりです。三日あれば短編小説一本くらいは書けちゃうかもしれません。でも三日かけて短編小
 説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんちゃらにして、新たに体勢を整えて、また三日か
 けて次の短編小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではあり
 ません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょ
 う。短編小説を専門とする人だって、職業作家として生活していくからには、流れの繋がりがあ
 る程度なくてはなりません。長い歳月にわたって創作活動を続けるには、長編小説作家にせよ、
 短編小説作家にせよ、継続的な作業を可能にするだけの持続力がどうしても必要になってきます。

  それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?
  それに対する僕の答えはただひとつ、とてもシンプルなものです――基礎体力を身につけるこ
 と。逞しくしぶといフィジカルな力を獲得すること。自分の身体を味方につけること。
  もちろんこれはあくまで僕の個人的な、そして経験的な意見に過ぎません。普遍性みたいなも
 のはないかもしれません。しかし僕はここでそもそも個人として話をしているわけですから、僕
 の意見はどうしたって個人的・経験的なものになってしまいます。異なった意見もあるとは思い
 ますが、それは違う人の口から聞いてください。僕はあくまで僕自身の意見を述べさせていただ
 きます。普遍性があるかないかは、あなたが決めてください。

  世間の多くの人々はどうやら、作家の仕事は机の前に座って字を書くくらいのことだから、体
 力なんて関係ないだろう、コンピュータのキーボードを叩くだけの(あるいは紙にペンを走らせ
 るだけの)指の力があればそれで十分ではないか、と考えておられるようです。作家というのは
 そもそも不健康で反社会的、反俗的な存在なんだから、健康維持やフィ″トネスなんてお呼びじ
 やあるまい、という考え方も世の中には根強く残っています。そしてその言い分は僕にもある程
 度理解できます。そういうのはステレオタイプな作家イメージだと、簡単に一蹴することはでき
 ないだろうと思います。

  しかし実際に自分でやってみれば、おそらくおわかりになると思うのですが、毎日五時聞か六
 時間、机の上のコンピュータ・スクリーンの前に(もちろん蜜柑箱の上の四百字詰原稿用紙の前
 だって、ちっともかまわないわけですが) 一人きりで座って、意識を集中し、物語を立ち上げ
 ていくためには、並大抵ではない体力が必要です。若い時期には、それもそんなにむずかしいこ
 とではないかもしれません。二十代、三十代……そういう時期には生命力が身体にみなぎってい
 ますし、肉体も酷使されることに対して不満を言い立てません。集中力も、必要とあらば比較的
 簡単に呼び起こせるし、それを高い水準で維持することができます。若いというのは実に素晴ら
 しいことです(もう一回やってみろと言われてもちょっと困りますが)。しかしごく一般的に中
 し上げて、中年期を迎えるにつれ、残念ながら体力は落ち、瞬発力は低下し、持続力は減退して
 いきます。筋肉は衰え、余分な贅肉が身体に付着していきます。「筋肉は落ちやすく、贅肉はつ
 きやすい」というのが僕らの身体にとっての、ひとつの悲痛なテーゼになります。そしてそのよ
 うな減退をカバーするには、体力維持のためのコソスタントな人為的努力が欠かせないものにな
 ってきます。

  そしてまた体力が落ちてくれば、(これもあくまで一般的に言えば、ということですが)それ
 に従って、思考する能力も徴妙に衰えを見せていきます。思考の敏捷性、精神の柔軟性も失われ
 てきます。僕はある若手の作家からインタビューを受けたとき、「作家は贅肉がついたらおしま
 いですよ」と発言したことがあります。これはまあ極端な言い方で、例外的なことはもちろんあ
 ると思うんですが、でも多かれ少なかれそういうことは言えるのではないかと考えています。そ
 れが物理的な贅肉であれ、メタファーとしての贅肉であれ。多くの作家はそのような自然な衰え
 を、文章テクニックの向上や、意識の熟成みたいなものでカバーしていくわけですが、それにも
 やはり限度があります。


                     「第七回 どこまでも個人的でフィジカルな試み」
                             村上春樹 『職業としての小説家』

                                     この項つづく 

 

  ● 今夜の一曲

  
     Je suis une poupée de cire
     Une poupée de son
     Mon cœur est gravé dans mes chansons
     Poupée de cire poupée de son

     Suis-je meilleure suis-je pire
     Qu´une poupée de salon
     Je vois la vie en rose bonbon
     Poupée de cire poupée de son

     Mes disques sont un miroir
     Dans lequel chacun peut me voir
     Je suis partout à la fois
     Brisée en mille éclats de voix

     Autour de moi j´entends rire
     Les poupées de chiffon
     Celles qui dansent sur mes chansons
     Poupée de cire poupée de son

                                       Poupée de cire poupée de son
                                             夢見るシャンソン人形 

                                     Music&Word  Serge Gainsbourg

フランス・ギャルが最初に歌い、65年にルクセンブルクにて第10回ユーロビジョン・ソング・コ
ンテストでグランプリを獲得したのをきっかけに、このフレンチ・ポップス(イエイエ)の歌が大ヒ
ットしヨーロッパだけでなく日本でもヒットする。弘田三枝子が岩谷時子の訳詞で歌ったことを思い
出す。原題は「蝋人形、詰めもの人形」(文法構成からこのように対訳される)。また、ゲンスブー
ルの歌詞には、人生経験も浅く、若いアイドルが恋愛について歌うことの揶揄が含まれるため、イザ
ベル(フランス)・ギャルは、この歌詞の二重性に気付かなかったとし、後年は歌わなくなる。解釈
はいろいろあるだろうが、英米音楽の影響をうけたフレンチ・ポップは、団塊世代の学生には、甘く
切なく弾けた曲として受け入れられ、秋の夕暮れに似合う追憶の一曲。



なお、この曲は、前述のテレビドラマ『偽装の夫婦』の主題歌「What You Want」が挿入されたJU
JU31枚目のシングル、リーリス(15.11.18)されるCDに収録される(この曲は有償でダウンロ
ード済みだが、セブン&アイ・ホールディングスのCMとしてユーチューブでも視聴可)。
 

  

 

 

 

 

時代は太陽道を渡る17

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   決定的な権力が正統性を欠くとき社会は社会として機能しない。 

                  ピーター・ドラッカー『産業人の未来』

  

 
※ 大和住銀投信投資顧問 エコノミストコラム

● 軽減税率導入は誰のため

麻生財務相は14日、札幌市内の会合で、飲食料品などの消費税率を低く抑える軽減税率について、
「財務省は、本当は反対だ。面倒くさいとみんな言っている。社会保障に回る金がそれだけ減る」と
述べた。軽減税率に欠かせないとされるインボイス(税額票)の導入には、中小・零細企業が反対し
ていることから、「公明党さん、それ(企業の説得)はそっちでやってくれるんでしょうね。俺たち
に押しつけないでくださいよ、としつこく言っている」とも語った。公明党は早くから軽減税率導入
を求め、与党の議論をリードしてきた。安倍首相は、消費増税と同時に軽減税率を導入する方針だ。
担当閣僚の麻生氏はこの政府方針に関与しておらず、「発言は首相官邸主導への不満の表れ」(政府
筋)との見方があるというが、翌々日、自民党の税制調査会は、宮沢前経済産業相が、税調会長に就
任して初めての会合を開き、安倍首相が導入を検討するよう指示した軽減税率について、議論を再開
したという(読売新聞 2015.10.14/2015.10.16)。

上/下図の「大和住銀投信投資顧問 エコノミストコラム」(チーフエコノミスト 柿沼 点 第60号 
「軽減税率の導入」は誰のためか)によれば、(例1)お米では同じ品目中の高級品問題があり、
(例2)酒税の例を見ても奢侈性と税率は無関係であることを検証している。また、1月の税制改正
大綱で「消費税率10%(15年10月)での軽減税率導入を目指す」とし、与党は協議を開始した
が、軽減税率の候補となる食料等の品目について所得階層別データを用いた変動係数(標準偏差÷平
均)を試算すると外食や果物が高く、光熱関連や麺類が低いという、所得層別の消費分布の違いも確
認されている。



これらをふまえても、低所得層に配慮した軽減税率導入すれば、所得によらず消費水準の差が小さい
光熱関連や穀類(特に麺類)の優先順位が高く、外食等の品目は後回しになり、線引きには恣意性に
依存するほか、各業界のロビー活動(新聞社など)も当然に予想される。欧州では歴史的な経緯もあ
って食料品等への軽減税率が適用され、日本の推進論者は導入は不可避とみているが、欧州でも(1)
税収減や、(2)業界のロビー活動に係るコスト、多発する訴訟問題などから、軽減税率には否定的
な意見も多い―――もっとも、労働集約的なサービス(清掃、介護、家事サービス等)は、雇用促進、
税逃れ回避という別の観点から軽減税率を適用するという考え方もある―――と否定的な分析となっ
ている。


※出典:「公私混同して軽減税率にこだわる新聞は、財政再建を語る資格なし」森信
    茂樹中央大教授 ビジネスオンライン(2015.10.02)

このような流れからみると財務省案の方に分があるようにみえるが、今回の安部政権の動きは、参議
院選挙の公明党(組織票8百万票)との選挙協力を見すえてのギリギリの決断っだったと推測される。
この背景には、デフレ脱却に失敗したアベノミス?による消費増税の後遺症と、中国の不安定要因が
重なりあり、今の景気状況判断すると、GDPギャップから少なくとも10兆円以上の景気対策が必
要であとする批判――経済対策として、①デフレの解消が先、②財政再建の必要性が乏しいこと、③
欧州危機時にやることでないこと、第2に税理論として ④不公平の是正が先、⑤歳入庁の創設が先
⑥消費税の社会保障目的税化の誤り、⑦消費税は地方税とすべきこと、第3に政治姿勢として、⑧無
駄の削減・行革が先、⑨資産売却・埋蔵金が先、⑩マニフェスト違反がある(高橋洋一の俗論を撃つ
「消費税還付の議論の前に、消費再増税を撤回せよ」ダイヤモンドオンライン 2015.09.11 )――は
正解であろう。因みに、わたし(たち)は、⑥⑦⑧に注目。大胆な税制改革の最優度を重視する。下
図に、社会保障費を担保する所得税(個人+法人)の是正、特に個人所得の最高税率の引き上げで、
反対する富裕層の反発が予想されるが、それも含めた税制改革は重要と考える。そう考えていくと、
そもそも、誰のための議論なのかを問い直す必要があった。

 
出典:財務省

● TPPは誰のため

環太平洋経済連携協定(TPP)は交渉に参加する12ヵ国で「大筋合意」した。ハワイでの閣僚会
議が失敗し、漂流するかに見えた交渉を着地させたのはアメリカの譲歩である。無理難題を押し付け
て座礁させるより、譲ってまとめるのが得策と考えた。片棒を担がされたのが日本だ。国民の関心を
経済に向けたい安倍首相はオバマ大統領に従った。その結果、最終局面で踏ん張ることなくベタ降り
となった。日米とも国内政局を優先、その結末が「大筋合意」である(「弱肉強食のTPPで日本は
どれだけ失ったのか?」山田厚史[デモクラTV代表 ダイヤモンドオンライン 2015.10.15)。

それによると、TPPに参加すれば日本のGDPは3.2兆円(0.66%)増加する、と試算してい
た(13年4月)で、すべての関税が即時撤廃されることを前提に弾いた数字で、輸出が2.6兆円
増えることになっていたが、5千億円の増収が期待された米国の自動車関税は米国に押し切られ撤廃
は25年後になり、即効性があるのは現地生産する日本車への部品の関税がなくなるくらいで、日本
のお得意の自動車や家電などは生産拠点が海外に移り、輸出で稼ぐ時代ではなくなっている。工業品
の関税が下がっても大きな経済的効果は期待できないと指摘。が、過渡期ルール構築時の国際貿易の
経済効果予測ほど当てにならない。まして、米・牛肉など政府補助支援を受け農産物の輸出などのを
"自由"な貿易品として扱って良いものだろうか、誰のための"自由貿易"か?巨大資本のためのものか、
そもそも、腐ったような自動車――これは言い過ぎだが―――を売り込むための"自由貿易"なのか、
韓国経済をズタズタにした欧米流コーポレート・ガバナンスの輸出なのか。あるいは、日米半導体不
平等条約締結を"自由貿易"というのか定かでない。

これに対して、前出のTPP合コン論提唱の高橋洋一は脳天気なほど楽観的な数字を下図の「貿易自
由化の経済学」をベースに、「10年くらいの調整期間後を現在と比べると、輸出者、消費者のメリ
ットとしてGDPが6兆円増加し、国内生産者のデメリットとしてGDPが3兆円減少し、それが毎
年続く。政府試算の「概ね10年間で実質GDP3兆円増」とは、「概ね10年後に今よりGDPが
差し引きで3兆円増加し、それが続く」というもので、「10年間累積で3兆円」ではない」と試算
してみせる。が、「自由貿易の神話」にはまり、根拠なき楽観論が漂う。国境をまたぐ経済活動で、
多国籍企業の利益と国民への恩恵は一致しない。アベノミクスは誰のためにあるのか。そして犠牲者
は誰か。やがてTPPがすべてをあぶり出すだろう」と、山田厚史は結んでいるが、わたし(たち)
は同意である。



そして、読者に対し「日本はTPPで、全体として国益を守れたと思う?」とこの企画は問うている
が、内閣官房のホームページに「TPP交渉参加国との交換文書一覧」(下記参照)が掲載されてい
るが、ナショナリスト経済評論家?三橋貴明は、これこそ問題――いくら法律違反だ!憲法違反だと
言っても、TPPは国際条約。国際条約は憲法の上に立つ取り決め。国民主権侵害だと訴え国会で騒
いでも、外国人投資家の意向が強く反映できるという状態――だと警鐘を鳴らす。これは傾聴に値す
る。

☆ TPP交渉参加国との交換文書一覧(※全て関係国と調整中)

案件:特産酒類(Distinctive Products)(日本一米国)
概要;我か国と米国の関心酒類(我が国:地理的表示である日本酒、焼酎等、米国:
バーボン・ウィスキー等)について、日米それぞれの関係法令に従って製造されたも
の以外は双方の国内において販売禁止とすることに向けた手続の検討を開始するこ
とを約束する文書。

案件;特産酒類(Distinctive Products)(日本一カナダ)
概要;日加両国内の地理的表示である自国産酒類について、その保護の事実を認識す
る文書。

案件:米国における蒸留酒の容器容量規制の改正(日本一米国)
概要:米国財務雀が、日本の酒類業界からの嘆願書を受領次第、蒸留酒の容器容量規
制改正案を公表し、パブリックコメントを経て、これを実現させるための手続に着手
することを約束する文書。

案件:コメの米国向け国別枠の運用(日本一米国)
概要;米国向けのコメの国別枠における売買同時契約方式(SBS)の運用について約束
する文書。

案件:コメの豪州向け国別枠の運用(日本一豪州)
概要;豪州向けのコメの国別枠における売買同時契約方式(SBS)の運用について約
束する文書。

案件;ホエイの数量セーフガードの運用(本一米国)
概要:ホエイ(たんぱく含有量25%以上45%未満)の数量セーフガード発動の運用の
細則を定める文書。

案件:丸太輸出管理制度(日本一カナダ)
概要:カナダから日本へ輸出される丸太の輸出管理制度の運用について約束する文書

案件;電子支払サービス(ベトナムー他の全参加国)
概要;金融サービス章附属書が規定する電子支払サービスに関して、国境を越えて電
子支払サービスを提供するサービス提供者に対し、当該電子支払サービスかベトナム
中央銀行か免許を与える国営の中継機関を経由して行われるよう求めるベトナムの権
利を留保するもの。

案件:ビジネス関係者の一時的な入国章における約束表に関する米国との紛争解決の
扱い(日本一米国)
概要:米国は、ビジネス関係者の一時的な入国章の約京表を米提出であり、最恵国待
遇にて米国を含むTPP締約国に対しビジネス関係者の各区分について約束してい
る日本との間に不均衡が生じるため、日本が約束した内容に関し協定の紛争解決手続
に訴えないことを約束する文書。

案件:地理的表示(日本一チリ・ベルーそれぞれの書簡交換を予定)
概要:日・チリ経済連携協定、日・ペルー経済連携協定における日本とチリ、ペルー
の地理的表示に関するそれぞれの規定・約束の再確認に関して、日本のチリ、ペルー
の間でそれぞれ交換する二国間の書簡

案件:著作権保護期間(日本一豪)
概要:著作権保護期間についてのサンフランシスコ平和条約上の日本の義務に関する
二国間の書簡

案件:医薬品及び医療機器に関する手続の透明性・公正性に関する附属書(本一米国)
概要:本附属書の実施に関する確認及び附属書の協議についての確認についての文書。

案件:生物の多様性及び伝統的な知識(我が国とペルーとの間で作成)
概要:遺伝資源に関連する伝統的な知識の取得の機会及び当該伝統的な知識の利用か
ら生じ得る利益の衡平な配分については、利用者と提供者との間の相互に合意する条
件を反映した契約を通じて適切に対処することができることを認める旨の共通の理解
を確認する文書。

案件:自動車の非関税措置(日本一米国)
概要:自動車貿易に関する並行交渉の妥結を確認するとともに、日米両国について
TPP協定が発効する時までに日本がとる自動車関連の非関税措置等を記す文書。

案件:自動車の基準(日本一米国)
概要日米自動車付表に基づき日本が特定した一定の要件を満たす米国基準に関して、
日本政府の認識を具体的に伝達する文書。

案件:輸入白動車特別取扱制度(PHP)の運用等旧本一米国)
概要:日米白動車付表において、①PHPの下での輸入者の負担を増やさないこと、②
PHP車を財政上の奨励措置から除外しない形で適用すること等を定めていることに関
し、①雀エネ法との関係、②財政上の奨励措置との関係等について日米両政府間で
見解を確認する文書。

案件:自動車流通(日本一米国)
概要:公正取引委員会が自動車流通について現状調査を行うことを米側へ伝達する文
書。

案件:保険等の非関税措置に関する並行交渉(日本一米国)
概要:2013年4月に日米間で交換した「日米間の協議結果の確認に関する書簡」に従
い、保険、透明性、投資、知的財産権、規格・基準、政府調達、競争政策、急送便及
び衛生植物検疫の分野における非関税措置に取り組むこととされたことに関し、日米
両政府の認識等について記す文書。

[各分野の概要]

○保険
両国政府は、①日本郵政の販売網へのアクセス、②かんぽ生命に対する規制上の監督
及び取扱い、③かんぽ生命の透明性等に関してとる措置等につき認識の一致をみた。

○透明性
両国政府は、審議会等の運営等及び公衆による意見提出の手続に関してとる措置につ
き認識の一致をみた。

○投資
両国政府は、コーポレート・ガバナンスについて、社外取締役に関する日本の会社法
改正等の内容を確認し、買収防衛策について日本政府が意見等を受け付けることとし
たほか、規制改革について外国投資家等からの意見等を求め、これらを規制改革会議
に付託することとした。

○知的財産権
両国政府は、TPP協定の関連規定の円滑かつ効果的な実施のために必要な措置をとる
こと、日本政府が著作権の私的使用のための複製の例外に関する検討を再開すること、
及び両国政府が著作権等の知的財産権の保護の強化に向け取組の継続の重要性を認識
することとした。

○規格・基準
両国政府は、日米間の物品の貿易を円滑化するため、強制規格、任意規格及び適合性
評価手続に関する作業部会を設置することとした。

○政府調達
両国政府は、①入札談合及び②入札過程の改善に関してとる措置につき認識の一致を
みた。

 

【時代は太陽道を渡る17】

● ドローン+クラウドで、太陽光発電設備の自動監視

田淵電機は、IT・エレクトロニクス総合展示会「CEATEC JAPAN 2015」(15年10月7~10日
東京ビッグサイト)に出展。ドローンを使った太陽光パネルの遠隔監視システムなど手印字した。太
陽光発電用パワーエレクトロニクス事業ブランド「EneTelus(エネテラス)」製品群を出展。今後、
太陽光発電関連で需要が伸びそうな、設備保全や遠隔監視に関連するソリューションをアピール。今
回の出展で、注目を集めたのが、ドローン(無人飛行機)による太陽光パネルの遠隔監視システム。
同システムは、赤外線カメラを搭載したドローンにより太陽光パネルを撮影しパネルの温度情報を収
集し、通信ゲートウェイを通じてデータを送信。田淵電機が展開する遠隔監視システム「EneTelusクラウ
ド」で蓄積したデータを組み合わせて分析することで、ソーラーパネルやシステムに発生した異常を
自動で検出し、ユーザーへの連絡が可能となる。

 

ポイントは、ドローンの離着陸と飛行ルートについて、プログラムにより自動制御することが可能な
った他、ワイヤレス給電技術を使い、ドローンが充電台に帰還すると自動でバッテリーを充電できる
ようにした。これにより、ドローンによる監視作業を全く人手を介さずに行えるようになる。ところ
で、強風や豪雨になればこれを回避するウエザー情報通信クラウドとの交信システムはどうなんだろ
う。それにしても、太陽光発電はもっとスマートに、もっと高性能に、もっと、ダウンスペーシング
し続けるだろう。これは面白い。

 

アジア巨大遺跡回廊Ⅰ

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    チャンスとは、ひとつのことに心に集中することに
          よって、かろうじて見つけることができるものである。

                  ピーター・ドラッカー

               【アジア巨大遺跡回廊Ⅰ】   
● 謎に包まれた文明崩壊の原因 アンコールワット  
歴史好きな視聴者にたまらないシリーズがはじまった。『NHKスペシャル アジア巨大遺跡』だ。
イントロの番組概説は次のように語る。

     数千年、あるいは1万年以上昔からアジアに花開いてきた文化や文明。その多くは滅び、 
    記録は失われ、歴史の表舞台から消え去っていった。在りし日の華やかさを伝える巨大な遺
    跡だけを残して…。

    アジア各地に残る巨大遺跡。それは人々を魅了し続ける一方、多くの謎に包まれてきた。
    ところが最新研究の結果、そこに存在した文化や文明の脅威の姿が浮かび上がってきてい
   る。密林の中に作られた世界最大規模の巨大都市、西洋に2000年近くも先駆けた驚きの統
   治システム、冨をくまなく循環させる奇跡の社会…。アジアの人々は従来の想像をはるかに
   超えた高度な文化や文明を築いていたのである。

    そしてそこからは、かつてアジアが大切にしてきた重要な価値観が見えてくる。信仰や考
   え方の遺いにとらわれす、自由に交流を深め共に栄えようとする精神。多民族を―つにまと
   め、共存してゆく叡(えい)徊。さらに周りの環境を最大限に活用し、自然を破壊すること
   なく持続的な繁栄をもたらす暮らし…。それは、西洋型の近代国家の発想とは全く異なるア
   ジアならでは知恵である。


クメール帝国アンコール。高度な治水技術で「水」を制し、最盛期には75万人が生活した都市が
15世紀に滅んだ理由が見えてくる。遥か千年前に建立された寺院が、幻のように現れては消える。
ここはカンボジア北西部の森林地帯。超軽量の飛行機で上空を飛んでいると、茶色い点がぽつんと見
える。失われた都、アンコールだ。今ではすっかり廃虚と化す。遺跡の30キロ南には東南アジア最
大の淡水湖、トンレサップ湖があり、北にはクーレン丘陵がそびえ、一帯に広がる氾濫原は、雨期に
は水浸しアンコール周辺に点在するクメール人の村落はどれも細長い木柱に支えられた高床式住居と
なる。しばらくすると、森のなかに堂々たる石造伽藍が姿を現した。12世紀に建立されたヒンドゥ
ー教のヴィシュヌ神をまつる寺院バンテアイ・サムレだ。1940年代に修復され、アンコール王朝
が最も栄えた中世の華やかさを今に伝える。寺院は、大きさの違う同心方形の石壁が建物の中央を二
重に囲む構造になっている。もっともバンテアイ・サムレは、アンコール王朝がこの地に次々と建て
た千を超える寺院の一つに過ぎない。寺院建立に傾けたエネルギーとその規模は、エジプトのピラミ
ッド群に比肩する。



寺院群のなかで最も豪華で、世界最大の宗教建築と称されるのがアンコール・ワットだ。ハスの花を
かたどった美しい高塔を、ポルトガル人宣教師たちが見つけたのは16世紀後半、その頃のアンコー
ルはすでに往時の輝きを失い滅亡し南に逃れた人たちが細々と王朝を継承していく。侵略、改宗、海
洋交易の発達。アンコール王朝が滅び理由には諸説あるが、アンコール・ワットをはじめ各石造寺院
の扉の側柱や石柱には1300もの碑刻文が刻まれているが、王国の崩壊を説明するようなものは残
されていない。たくさんの小さな首長国を束ねて一大王国を築き上げるには、東南アジアを襲う季節性の豪
雨(モンスーン)を管理することが不可欠だった。高度な技術によって、アンコール王朝は最も貴重な資源であ
る雨水を管理したが、そのコントロールを失うと同時に、衰退せざるを得なかったという説が最新の
調査で浮上している。

  Tonlé Sap

そこでは、何世紀もの歳月と近年の戦火を耐え抜いたアンコールの彫刻が、往時の人々の日常が今も
息づいていことを伝える。寺院正面の浮き彫りには、将棋に興じる二人の男性や、出産する女性の姿
が描かれる。だが、調和と悟りに満ちた地上の楽園の光景とともに、戦闘の場面も登場し、近隣のチ
ャンパ王国からトンレサップ湖を渡って迫りくる兵士たち。だがこうした場面が回廊の壁面に刻まれ
て残っているということは、勝利したのはアンコール王朝だと語る。

東のチャンパ王国と西の強大なアユタヤ王国にはさまれて、アンコールは絶えず外からの脅威に翻弄
された。また歴代の王は一夫多妻のため(その数千人とか?)、王位継承権を巡っり争い、王子たち
は常に策謀を巡らせる。「大アンコール・プロジェクト(GAP)」と名づけられた調査の共同責任者の
ローランド・フレッチャー・シドニー大学の考古学者は、アンコール王朝では政治的に不安定な時期
が何度もあったと語っている。



アンコール王朝は数々の戦いを切り抜け、最後は戦いに敗れて消滅したという説もある。アユタヤ王
国の年代記には、同国の戦士たちが1431年にアンコールを「奪取した」と記録があり、今から百
年前、フランスの歴史家たちはアンコールの繁栄を伝える逸話と西洋の旅行者が見た遺跡の荒廃ぶり
を結びつけアユタヤ侵略説を唱える。これに対し王朝内でどれほど陰謀が渦巻くとも、人々の生活の
中心に根付いた宗教――アンコール王朝の歴代の王は、ヒンドゥー教が伝える神の化身としての“世
界の王のなかの王”であると主張し、自らのために寺院を建てた。ところが13~14世紀に(上座
小乗)仏教が勢力を広げると、ヒンドゥー教と大乗仏教の影響力が低下し、社会的な平等を説く上座
仏教は、アンコールのエリート階級にとって脅威だったかもしれない――がさほどの影響はなかったと
考える説が有力である。

宗教改革が始まったことで、王族の権威にも陰りが見える。アンコール王朝では米穀が実質的な現物
通貨(稲作4、5期作をベースとした米本位制経済)とされいる。タ・プローム寺院に残る碑刻文に
よると、この寺院だけで、僧侶、踊り手、下働きの者を含む1万2640人が仕え、彼らを養うため
に、6万6千人以上の農民が年間約2500トンものコメを生産していた。タ・プロームと同規模の
寺院、プリヤ・カンと、さらに大きいアンコール・ワット、バイヨンの三つの寺院を合わせると、食
料生産に必要な農民の数は30万人。大アンコール都城周辺の推定人口の半分近い。平等を説く上座
仏教のような新しい宗教が広まったことで民衆の反乱が誘発されたという説。

あるいは、王朝がアンコールを廃都――アンコール王朝の歴代君主たちは、新しい寺院群を建設する
と、古い寺院の手入れをしなくなる。新天地を好む傾向に加え、東南アジアと中国の、大航海時代の
海洋交易の始りも、王朝の衰退に拍車をかけ、権力中枢がカンボジアの現在の首都プノンペン付近に
移し経済を優先した――説もある。

 

また、人口百万を支える農業生活水路の跡がアンコール王朝衰退の手がかりとなる。時代が進むにつ
治水システムが複雑化し手に負えなくなっていき、修復に追われる毎日だったのかもしれないという。
周辺にダムの石が積み上げられ、石壁には大きな穴が開いていることからダム崩壊したと推測されて
いる。ダムは川の流れに少しずつ浸食され、構造的弱体化、あるいは百年ないし5百年に一度という
大洪水で崩壊、残った部分を解体し、石材を回収して別の目的に転用したと考えられている。

さらに、アンコールの最盛期にも、貯水池が一つくらい干上がった時期――アンコールの治水システ
ムは破綻をきたし、水利設備が劣化したアンコールは、当時、予測不可能だった自然の大災害に対し
無力だった。ヨーロッパでは14世紀以降、気候が寒冷化し、冷夏と厳冬が頻繁に起きる小氷期が数
世紀続く。東南アジアでも大きな気候変動が起きていた。 アンコールの一部では、年間降水量の90
%近くが、5月から10月まで続く夏のモンスーンで賄われている。東南アジアの森で年輪のある樹
木を探しだがこの地域の樹木は、はっきりわかる年輪がなかったり、年輪があっても1年ごとではな
い場合がほとんどだが、チークやラオスヒノキなど年輪のある古い樹木で9百年の大木から、アンコ
ールの栄枯盛衰――1362~92年と、1415~40年の2回にわたり、アンコールでは深刻な
干ばつが起きていた。これらの時期にはモンスーンの威力が弱かったり、降雨の到来が遅れたり、一
度もモンスーンが発生しない年もある。それ以外の年は、巨大モンスーンに幾度も襲われた――が推
測できる。

 

傾国王朝にとって、極端な気候変動はとどめの一撃になる。西バライの荒廃した状況からすでに王朝
後期頃にはアンコールの水利設備は機能不全であった。治水システムが本来の機能を十分に果たせな
くなった理由は謎っだが、ともかくも農業生産を基盤とする国力は失われ、ちょっとした干ばつにも
耐えられなくなり、長引く深刻な干ばつと、その合間に襲ってくる集中豪雨によりアンコールの治水
システムは完全に崩壊する。ただ、アンコールが砂漠になったわけではなく、アンコールの主要な寺
院群の南にある、トンレサップ湖の周辺には氾濫原には、メコン川のおかげで最悪の事態を免れる―
―チベットの氷河を源流としたメコン川はモンスーン気候変動による影響をさほど受けない。

● 王朝を滅ぼした気候変動

このように、アンコールは人類史上まれに見る規模の文明興亡の舞台となる。9世紀から15世紀ま
で続いたアンコール王朝は、最盛期にはインドシナ半島のほとんどを席巻し、西はミャンマー(旧ビ
ルマ)から東はベトナムまでをその版図に収めていた。首都アンコールは、現在の米国ニューヨーク
市に相当する面積に75万の人々が暮らし、18世紀の産業革命以前としては最大規模の都市圏を築く。
気候変動に加え、政治と宗教の風向きが変わったとなると、アンコールの運命は定まった――アンコ
ールを取り巻く世界は変化してい、王朝が滅びても不思議ではない――もっとも気候変動の犠牲にな
ったのはアンコール王朝が最初ではない。地球を半周した所で似たような現象が起きている。現在の
メキシコおよび中米で栄えたマヤ文明の都市国家が、やはり環境の均衡が崩れ滅びる。マヤ人に決定
的な打撃を与えた9世紀に3回も起きた深刻な干ばつと人口過剰、そして環境の悪化である。アンコ
ールに起こった事態は、基本的に同じである。

アンコールの終焉は、人間の創意工夫にも限界があるということを私たちに突きつける。アンコール
王朝は技術と人的資源を投入して国土をすっかり造り変えた。だがその投資があまりに莫大だったた
め、王朝関係者たちは引くに引けなくなる。アンコールの治水システムは驚異的な仕組みであること
は確か。国を治める機構は学術的にも貴重だが、クメール文明を代表する治水システムは優秀な土木
技に支えられ、6世紀ものあいだ維持される。だが最後には、人智をしのぐ自然の脅威を前に、なす
すべがなかったのかもしれない・・・・・・。アジアの巨大遺跡回廊をみたときはじめてそのことに気が付
くことになる。これはいかにもスケールが大きく、懐の深い人類遺産だ。

 

 

【縄を捨てまじ!】
● 辺野古の環境監視4委員、業者側から寄付・報酬   米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画で、国が進める工事を環境面
から監視する専門家委員会の委員3人が、就任決定後の約1年間に、移設事業を受注した業者から計
1100万円の寄付金を受けていた。他の1委員は受注業者の関連法人から報酬を受領していた。朝
日新聞の調べでわかったという(朝日デジタル 2015.10.19)。

それによると、4委員は取材に対し、委員会の審議に寄付や報酬は影響していないとしている。違法
性はないが、委員の1人は受領を不適切だとして、委員辞任を検討している。この委員会は「普天間
飛行場代替施設建設事業に係る環境監視等委員会(環境監視委)」。沖縄県の仲井真弘多・前知事が
2013年12月、辺野古周辺の埋め立てを承認した際に条件として政府に求め、国が14年4月に
設置した。普天間移設事業を科学的に審議し、工事の変更などを国に指導できる立場の専門家が、事
業を請け負う業者側から金銭支援を受ける構図だ指摘している。

この問題の解決法の1つとして『縄すてまじ』(2012.12.15)で、「浮体空港案」を掲載(上図)ク
リック)。移動可能な、多目的浮体空港であるため「空母」と見なそうとする勢力の標的にはなるが
これ一番現実的である。また、辺野古建設反対は、「普天間基地の固定化」につながると、保守(反
動=極右)勢力からの言論封殺や疑念(経済効果は計り知れない)を相殺できるものである。それに
しても、自由と民主主義を封殺した、戦前の「軍・顔・官」体制の蘇生を暗示させるなようなニュー
スだ。       

脱トリチウムと脱産廃

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    蜂がいなくなったら人類は4年しか生きられない。 / アルベルト・アインシュタイン    

 
                  

   

【脱トリチウムの話】

● 全く報道されない「トリチウム」の危険性

 カリフォルニア州ローレンス・リヴァモア国立核研究所での研究(91~93年)では、トリチ
 ウムによる催奇形性(奇形を生じさせる性質)の確率は、致死性癌の確率の6倍にものぼるのだ。
 特に人体の有機物と結合したトリチウムは、容易に代謝されずに、その分子が分解されるまで1
 5年以上もベータ線を出し続ける。15年とは、生まれたばかりの赤ん坊が、中学を卒業するま
 での長さだ。そしてトリチウムの原子核についていた中性子が、"マイナスの電荷を持った電子”
 を放出して、"プラスの電荷を持った陽子”に変化し、水素がヘリウムHeになる。この細胞に
 は、男女(精子・卵子)から受け継がれた染色体が23組46個ずつ含まれている。それぞれの
 染色体は、二重らせん構造のDNAからできていて、その中に多数の遺伝子が含まれている。3・
 11で地上に降った放射能総量は、ネバダ核実験場で大気中に放出されたそれより「2割」多い
 からだ。


 
 実は、「トリチウム問題」は現在、日本中の原発から使用済み核燃料を集めてきた青森県の六ヶ
 所村で最大の問題となっています。六ヶ所再処理工場では、06~08年におこなわれた試験的
 な再処理(アクティブ試験)で、海洋放出廃液のトリチウムの最高濃度が、実に「1億7千万ベ
 クレル/リットル」だったのです。これは、フクシマ原発事故現場のトリチウム放出規制値であ
 る「1500ベクレル/リットル以下」の11万倍ですよ。だから下流域の岩手県三陸海岸近く
 の住民は、「総量規制をしろ。規制できない再処理を断念しろ」と要求しているのです。このト
 リチウムが、千葉県まで流れてきます。その時に出される電子が、ベータ線と呼ばれる放射線な
 のである。この放射能が半分に減るまでの期間、半減期は12.3年なので、安全な千分の1に
 なるのに123年かかるから、この影響はほぼ一世紀続くと思ってよい。

 ところが、ソ連のチェルノブイリ原発事故で大汚染したゴメリなどの地帯では、住民の染色体を
 調べると、この顕微鏡写真(不掲載)のように、左側の正常な染色体に比べて、右側の染色体のよ
 うに明らかに異常な状態になっていたのである。 父母の体内の染色体がこのように異常になれ
 ば、当然、その両親のあいだに生まれる子どもには、大きな障害が発生することになり、大被害
 が発生してきたのである。このトリチウムは、化学的には容易に除去することができないので、福島第
 一原発では、どんどんたまっている。そこで、原子力規制委員会の田中俊一委員長と、委員の田中知《さ
 とる》は、福島第一原発の事故現場で大量に発生しているトリチウムを、「薄めて海に放流してしまえ」と、
 苦しまぎれの暴言を吐いている。大量の海水を持ってきて薄めれば、流していいだって?放流するトリチ
 ウムの量は変らないだろう!  そんなことが分らないのか。実に、おそるべき犯罪者たちである。 

                  「フクシマ原発からの放射能漏洩はトテツモナイ量に!」                        
                                          (「東京が壊滅する日 ― フクシマと日本の運命」
                                              ダイヤモンド社 書籍オンライン 2015.07.28)


うっかり八兵衛ならぬ、トリチウム禍の新情報を見逃していたことを反省。そこで、マイ・デジタル
図書に新たなドメイン・ページを作成(下図)。ウオッチングを欠かさないように開設。それにして
も、このシリーズの対談で、広瀬隆の怒りが生々しく伝わり、怒られているような錯覚さえ覚える始
末。すごい方だ。

 

【脱産廃の話】

● 完全な循環社会実現プロジェクト=脱産廃産業

石坂産業の話はこれが初めてしてはないが、TBS「がっちりマンディ」(2015.10.18)で紹介さ
れていたが「脱産廃産業」という言葉に惹かれる。もとは、石坂好男が代表取締役社長だった昭和
62年から01年までは建設廃棄物の中間処理業としての事業を中心としていたが、02年に石坂
好男が代表取締役会長に、娘の石坂典子が取締役社長になると企業改革としてリサイクル工場に転
身、地産地消の考えで敷地内に5千平方メートルの花木園(くぬぎの森)を整備し、地元住民に共有。
この活動がJHEP認証における日本で最高ランク(AAA)の認定をさせる要因となり、11年に日立建機
と共同で建設業界初となる電気駆動式油圧ショベルを使った国内クレジット制度の認定を受けた他
14年には業界初となる国際規格7統合によるマネジメントシステムの運用を開始する。

99年2月1日、久米宏の報道番組『ニュースステーション』(テレビ朝日)で「汚染地の苦悩 
農作物は安全か?」という特集が放映され、翌日、テレビ朝日が「煎茶のダイオキシンも健康に影
響を及ぼすほどではなく、報道が誤っていた」と誤報を認めても、騒動は一向に収まらなかった。
当時、所沢市、川越市、狭山市、三芳町の三市一町にまたがる「くぬぎ山」と言われる雑木林には
何社もの産廃業者があり“産廃銀座”と呼ばれ、石坂産業は「くぬぎ山」最大手の産業廃棄物処理
業者であり、焼却炉を3基持っていた。
 

01年6月、住民が埼玉県に対し、石坂産業の産業廃棄物処理業許可の取消を求める提訴。絶体絶
命の危機から12年の月日が流れ、「ここから出ていけ」という横断幕がいくつも貼られた当時と
同じ埼玉県入間郡三芳町にあり、建設系産業廃棄物のリサイクル事業を継続中だ。現在、敷地面積
は、東京ドーム3.5個分、8割が里山、2割が工場。里山の中にはいくつもの公園があり、地域
の人たちの憩いの場である。保全前は、ジャングルのように木が生い茂り、昼でも暗く、ゴミが投
棄されるな雑木林だったが、現在では明るい里山に生まれ変わる。里山の中にある「くぬぎの森・
花木園」と呼ばれる公園には、きれいな水にしか棲まないゲンジボタルや絶滅危惧種のニホンミツ
バチも生息する。

● 宝の山を復元する方法

里山再生の作業は、針葉樹を間伐することから始まり、森林は苗木を植えてから15年くらい経ち
木が生長してくるとお互いの枝葉が重なり成長できなくなるため間伐を行うと徐々に絶滅危惧種で
あるシュンランや、オオバのトンボソウなどが増えていく。ミツバチを森で育ててみようと思い、
絶滅しそうなニホンミツバチを飼いはじめ、ニホンミツバチは巣への帰属性が弱く、森に放すと逃
げてしい西洋ミツバチに比べ、非常に飼いにくいがあえてニホンミツバチを飼い養蜂に成功する。
そのようない石坂産業は、企業理念として「完全な循環型社会になるとき、廃棄物とは、言わなく
なるのでしょう。しかし、今はまだ人々の豊かな生活と引き替えに、廃棄物が出ます。その処理は
誰かが必ずやらなければならない仕事。その処理は誰かが必ずやらなければならない仕事。私たち
はこれを使命ととらえ、日々努力し、知恵を凝らします。」と唱うっているが、「完全な循環」と
の言葉に吸収され釘付けとなる。これだ、これを忘れていた。と、言うのは簡単が、これを実現す
るのは、トリチウムの完全回収と再資源化と同様に、つまり比叡山の「千日回峰行」と同じだねぇ
~と自問することとなった。これは面白い気つきだ。

 

  ● 今夜の一曲 

例のトラブル以来、06年の夏の日に体験した右目の異常―――失明の恐怖に怯えている。とは言え、
薬服用や点眼、眼球の温熱治療――濡れたナップキンをポリ袋に入れハンカチで包み約1分間電子レ
ンジで加熱し暖めるなどでその場凌のぎをしているが、凌げそうもなさそうだ。追い込まれたらどう
する?開き直るしかない。歳はたんなる数字だ。ボリューム上げて、一人で夜のレイクサイドを突っ
走る。


       別に大したことじゃない
       そりゃね敵はかリ見えるけど
       よく見てごらんよあいつもヒヒってる
       みんなちょっとはやっぱり不安なんだな

       キンチョーすることはいいことさ
       好きなことをやっている証拠
       チヒるくらいの武者震いを隠したら
       信じた道を突き進むだけ

       攻めていこ-ぜ!守りはコメンだ
       叱られるのなんてほんの一瞬のことだよ
       攻めていこ-ぜ!敵を味方に
       つけちゃうくらいのイキオイで・・・・・・


                                                   『せめていこうぜ!』
                                              歌/作詞/作曲  斉藤和義


 

 

 

 

 

大阪が変われば 世界も変わる

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    ばい菌が病気ではない。その繁殖を許す体が病気だと知るべきだ。 / 石橋湛山 

 

 

 



【デジタル革命渦の陥窮】

● 米国ホビー用ドローンの登録義務化

米政府は19日、国内のホビー用小型無人飛行機(ドローン)所有者に、当局への登録を義務付け
る計画を発表。ドローンの普及が進み、空中での事故を引き起こす原因となっているとの見方の強
まりを受けての措置だという。アンソニー・フォックス米運輸長官とマイケル・フエルタ米連邦航
空局(FAA)長官は共同記者会見で、同計画を推進するための作業部会を設置する意向を表明。 こ
の中でフォックス長官は、「迅速に対応する予定」と語り、「作業部会には、11月中旬に提言を
まとめ、12月中旬までに関連規則の導入を目指すことを期待している」と続けた。フォックス長
官は、今回の決定に関する説明の中で「航空機のパイロットから今年これまでに寄せられたドロー
ン目撃の報告件数は、昨年の2倍に達している」ことを指摘している。航空機との衝突リスクが主
な懸念事項となっているが、ドローンの急増により、セキュリティーとプライバシーをめぐる懸念
が浮上(AFP 2015.10.20)。

尚、「陥窮」はわたしの造語。落とし穴にはまりどうしょうもない様態――特に、技術進歩のリス
ク(ダーク)・サイドの現象形態――をさす。ジャスミン革命やアラブの春はデジタル民主主義運
動の成果、メリットとして期待されたものの、その運動を支持した運動母体の統治能力の未成熟さ
により、政治的混乱を生み、混乱した中東情勢を生み出している。歴史的な背景をよく理解し行動
を起こさないと逆効果となる。日本では石橋湛山らの漸近主義(=小日本主義)は、バラク・オバ
マを代表する民主党が内包する理想主義がもつリスク緩和抑制の参考となるだろうと、話を広げて
みたがこれは蛇足。

※「石橋湛山の思想――小日本主義」古川浩介 2001.01.13
※「吉野作造の人格主義と石橋端段のプラグマティズム」姜克實 2010.12.01
※「戦後初期の石橋湛山思想」姜克實 2010.11.30 
※「石橋湛山の農業政策論と報徳思想の影響」並松信久 20018.05.09
※「山は、動くか。~いま、石橋湛山を読む(1)~(5)」(メルマガ「オルタ」)大原雄  
※「連載/湛山を語る(もういちど本気で考えよう日本!)」東洋経済新報社


 

 

【ルームランニング記】

● ローイングマシンに切り替え体力維持

朝食、作業(ホームページの書き換えが主)、テレビ鑑賞しながらルームウォーキングが定番なの
だが、家族の都合により早朝から大きな音を立て辛い関係もあり、ローイングマシンでのトレーニ
ングをこの1か月つづけている。ローイング百回/度を一日1~2度繰り返すのだが、時間が大変
短縮される。という反面短時間すぎると負荷が大きくなり5分/度以下になると、息が切れ、タイ
ムアップした時点で、しばらくその場で蹲って回復を待つことも度々。そして、その日の状態によ
り大きくされるのも特徴。本来なら、これにルームウォーキングのメニューに入れるはずなのだが
その時間がなく、夕食を迎える。それほど時間的に余裕がないというのが実情。「継続は力なり」
と、筋肉は嘘をつかないを実感する日々である。

 

 

【デジタルランチ記】

● 日ハムの「ビストロキッチン」にチャレンジ

食品加工科学の進展で、冷凍でそれも電子レンジ簡単においしくランチがいただけるようになる。
その一つが、セブンイレブンの「冷凍たこ焼き」であったりするのだが、今回は日本ハム株式会社
のビストロキッチンシリーズのバジルが香り立つ「ジェノベーゼ」を試食。小売価格は360円と
いうから手頃、パックのふたを所定の位置まではがし(ふたそのもの剥がさない)、百ワット電子
レンジで2分30秒で加熱が終わり、お気に入りのお皿に、盛りパン粉とレモンの皮をすり下ろし
完成。実に簡単に頂ける。そして味はといえば?"ボーノ!"でご機嫌、牛乳、コーヒあるは緑茶や
スープをセットすれば我が家なりにプチレストランテの空間をあじわえるという寸法。便利だね。

 

【欧州自動車の電動化】

● ボルボが電動化に向かう VW問題でプラグインハイブリッドに追い風

20年に新車の10%を電動化車両を進めると、ボルボは今後のグローバルな開発戦略として電気
自動車やプラグインハイブリッド自動車などの電動化車両に注力する方針を発表。新型電気自動車
の開発を進めるとともに、同社の全ラインアップにプラグインハイブリッド自動車モデルを設定す
る。さらに電動パワートレインを搭載した小型車の新モデルを開発、19年までに電気自動車も発
売する。その代表例が、市場投入予定の新型SUV「XC90」のプラグインハイブリッド自動車モデル
である「XC90 T8」――新欧州ドライビングサイクルベースにおける二酸化炭素排出量は1キロメ
ートル当たり49グラムで、電動モードのみでの走行では最大43キロメートル走行可能。今後、
欧州市場で人気のクリーンディーゼル市場の先行きががフォルクスワーゲンの不正問題の影響で不
透明になり、さらに欧州を中心とした排ガス規制が強まる中、グローバル市場では中期的にPHEV
に注目が集まっていく可能性は高い。

 


出典:スマートジャパン

【大阪が変われば 世界も変わる】 

● 太陽光と廃棄物からエネルギーを地産地消 まずは125万キロワット

大阪府は原子力発電の依存度逓減のためにエネルギーの地産地消を推進する。太陽光と廃棄物によ
る発電設備を中心に分散型の電力源を125万キロワット以上に増やす方針。池や海の水面上にも
太陽光パネルを展開しながら、都市部では廃棄物利用のバイオガス発電を拡大する。東京や大阪(
上図)などの大都市圏は太陽光以外、自然のエネルギー資源が少ないが、生ごみをはじめ大量の廃
棄物が毎日あふれ出る。そうした都市部ならではの再生可能エネルギーを利用した発電設備が大阪
湾岸の工業地帯で8月に運転を開始。近隣の地域を中心に廃棄物のリサイクル事業を手がけるリマ
テックが建設したバイオガス発電プラント(下図)。

1日に17トンにのぼる食品廃棄物を発酵させて作ったバイオガスを燃料に使う。ガスエンジン発
電機で250キロワットの電力を供給、発電に伴う排熱を使い85℃の温水が作ることができる。
バイオガスを燃料にしたコージェネレーション(熱電併給)システムで、温水は食品廃棄物の発酵
に利用。生物由来のバイオマスを生かしエネルギーが効率的に循環する仕組みになっている(下図)。
この発電プラントは工業地帯の駐車場用地に建設。敷地の面積は千平方メートル程度で済み、広い
空き地のない都市部でも建設しやすく、1日24時間の連続運転で年間に3百日の稼働を続けると、
発電量は180万キロワット時となる。一般家庭の使用量(年間3千6百キロワット時)に換算し
て5百世帯分に相当する。これまでは処分していた食品廃棄物から新しいエネルギーが生まれる体
制に変わった。




さらに、廃棄物からバイオガスを作り出す取り組みは下水の処理場でも進んでいる。下水を処理す
る過程で発生する大量の汚泥を減らすために、汚泥を発酵させてバイオガス(下水処理では「消化
ガス」と呼ぶ)を生成する方法が一般的だ。従来はバイオガスを燃焼した熱で温水を作って汚泥の
発酵に利用するだけだったが、発電設備を導入し電力を供給する事例が増えている。大阪市では市
内4カ所の下水処理場でバイオガス発電設備導入(下図)。発電能力は4カ所を合わせると4メガ
ワットになる。年間の発電量は2580万キロワット時を見込み、7千百世帯分の電力を作り出せ
る。17年4月に4カ所でいっせい運転を開始する。



大阪市は発電設備の建設から運営までを民間の事業者に委託。大阪ガスのグループ会社などが事業
者になって、発電した電力は固定価格買取制度で売電。大阪市は発電設備の土地使用料と消化ガス
の利用料を得るほかに、発電時の排熱で作った温水の供給を受けるスキーム。これまでは下水処理
場の中だけで利用したバイオガスが地域を循環する再生可能エネルギーとして広がる(上図)。

● 先進的な溜め池太陽光発電

大阪府は全国で2番目に面積が小さいが、農業用ため池は1万カ所以上ある。特に農業が盛んな中
部から南部にかけて数多く点在し、その中に面積が広くて正方形に近い、太陽光発電には打ってつ
けの池がある。それで、岸和田市の傍示池に、満水時に1万6千平方メートルの水四角い池に4千
枚の太陽光パネルを浮かべ(下図)、大和ハウスグループが池の水面を借り受け、15年8月に発
電を開始。イメージ(下図 出典:大阪府環境農林水産部、大和リース)の発電能力が1メガワッ
トで、大阪府で初の水上メガソーラー。年間の発電量は120万キロワット時を見込み、330世
帯分の電力をまかなえる。同社グループは、池の使用料に加えて、売電収入の一部を大阪府と岸和
田市に寄付し地域の環境保全に貢献している。



尚、傍示池のメガソーラーを建設するにあたっては、事前に太陽光パネルを浮かべるためのフロー
トと架台を試作して発電量や防水性を検証(下図)。水上でメガソーラーが稼働したことで、今後
さらに実証データをとりながら改良につなげる。

フロート式の太陽光発電は池だけでなく、海水の上にも太陽光パネルを浮かべることができる。大
阪湾岸にある2カ所の貯木場の海水面を使い、14年から大阪府の実証実験が始っている(図下)。
海水の場合は池と違い、太陽光パネルや架台に塩水がかかり、金属腐食が激しい。地域の森林から
発生する間伐材を利用して架台を組んだ。さらに太陽光パネルにも耐塩性製品を採用。フロートの
上にはパワーコンディショナーも搭載するが、配線部分をカバーで覆うなどの対策を施す。2カ所
の実証実験を通じ発電量や塩害の影響を検証し、実用化を探っている段階にある。

さらに、東大阪市の恩地川に沿って広がる「恩地川治水緑地」の一角に、発電能力2メガワットの
メガソーラーがこの6月に運転を開始(下図)。年間の発電量は330万キロワット時を見込み、
9百世帯分の電力を供給でき、災害時には太陽光で発電した電力を府民が利用できるよう、非常用
のコンセントと移動式の蓄電池も備えている。このメガソーラーは大阪府がエネルギーの地産地消
を推進するプロジェクトの第1弾で、事業者を公募して実施した。大阪府は土地の使用料として年
間に約千7百万円を受け取る一方、洪水が発生した場合の損害は事業者が負担する。



このように、大阪府は20年度までに太陽光発電で90万キロワットの供給力を確保する目標を掲げ
る。さらにガスコージェネレーションを中心に分散型の電源を30万キロワット、廃棄物発電など
で3万キロワット以上を供給する方針だ。合計で125万キロワット以上の発電設備を府内に展開
し、原子力発電に依存しない電力の供給体制を強化していく。

※14年版(27)大阪:「電力・熱・水素まで地産地消、大都市のエネルギーを分散型に」
※12年版(27)大阪:「脱・原発依存を率先、メガソーラーや廃棄物発電を臨海地域に展開」


 
● まだある太陽光発電スペース:屋根・道路・滑走路・ヘリポート・鉄道

先日ブログ紹介した(『豆腐と餅の最新製造工学』2015.10.14:上図クリック)ルーフトップ(屋
根上)設置を中心に太陽光発電システムの設計・施工から運営などを手がけ、日本でも工場や流通
店舗の屋根上への設置で実績を伸ばすソーラーパワーネットワーク(SPN)などと契約すれば、屋
根置き太陽光発電の発電量は世界一になるだろう。それだけれはない、道路(高速道路)・鉄道・
空港の滑走路・ヘリポートに設置導入可能だ。過剰な電力は蓄電設備でさせるか、水素を製造・貯
蔵もできる。そして、電気自動車・水素燃料電池車を走らせれ、これらのインフラ出てくる産廃を
完全回収し「都市鉱山」できれば、馬鹿でかい送電線網を必要としない、きわめて効率的な、分散
型型のスマートグリッドが構築できる。まさに、黄金の国ジャパングは、大阪からはじまり世界を
あまねく良導しうることになるだろう。「大阪が変われば、世界も変わる」だ。

 

 






 

 

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