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オール地熱発電システムで完結

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      59  民心離反を防げ  /  風水渙(ふうすいかん)    

                                 

        ※ 「渙」(かん)とは散ること。散らすという意味である。帆を
         張って舟が水上を行く象と言われ、外に向かって、大いにエネ
         ルギーを発散させ、大事業をなしとげてゆく時である。卦の形
         は、水面(坎)を吹く風(巽)がただよう木のくずを吹き敗ら
         すさまを表わす。停滞を吹き飛ばして新しい出発をはかるに良
         い卦である。しかし「散る」ということは、民心離反、国内分
         裂、一家離散の暗い前途をも暗示している。出発に際しては、
         まずそのことを考慮にに入れ、気をひきしめてかからねぱなら
         ない。そうすれば、大危難を克服し、志か果たすことがでるの
         である。 

【RE100倶楽部:オール地熱発電システムで完結】

東日本大震災以前は、自然エネルギーの主流は地熱発電だと予測されいたが、 地震以降は、わたし
(たち)が予測していたように、太陽光発電及び風力発電が主流になり、今では、「ソーラーシンギ
ュラリティ時代」に突入している。後進国のアフリカも太陽光+風力が主流になると見込まれている
(「アフリカ諸国 30年までに風力と太陽光などでエネルギー生産3倍増」2017.03.27)。このよう
に日本では地熱発電が普及しない理由として、次のように課題が指摘されている。

国立公園の開発規制がある。 初期投資が高い。 温泉街からの反対がある(日本では影響事例はない)。 新規参入を阻む電力業界の体制があった(電力独占体制)。 国の開発支援が消極的であった(原子力政策)。 発電量の減衰する(熱水源の枯欠・衰退)。 地震の誘発のリスクがある(ただし、無感地震がほとんど)。 発電量が小さくとコストが高い(2005年度試算で83円/キロワットアワー)。 全量買取制価格が他の自然エネルギーと比較しても高い(2013年度で 15MW未満(40円+税)15MW
以上(26円+税)) エネルギー効率が低い(15~20%)。

この様に再生可能エネルギーの一つであり、太陽の核融合エネルギーを由来としない数少ない発電方
法のひとつでもある。ウランや石油等の枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化への対策手法とな
ることから、エネルギー安全保障の観点からも各国で利用拡大が図られつつあるものの、計画から建
設までに10年以上の期間を要し、井戸の穴掘りなど多額の費用がかかり、稼働後は他の自然エネル
ギーと比しても高い費用対効果があり、特に、九州電力の八丁原発電所では、燃料が要らない地熱発
電のメリットが減価償却の進行を助けたことにより、近年になって7円/kWhの発電コストを実現して
いる。このように考えていくと、地熱発電はまだ開発代が残こる分野である。また、考え方によれば
①温水製造システムであり、バイオマス給湯システムと同様で熱水源の涸欠しなければ、半永久に使
用であり水源の選択はあるものの、その用途は温泉、暖房、給湯、融雪(除雪)、ヒートポンプとし
て空調設備、あるいは、温室、養殖魚、畜産などの第一産業の熱源になり、②蒸気タービンとしてで
なく、外気温と循環作動液体温度差を利用して、定電流マイクロインバータ機能付き熱電変換素子方
式発電システムに利用すれば、さらに、静謐な放冷設備不要で比較的コンパクトな地熱発電兼給湯兼
ヒートポンプシステムともなる。



そこで、今夜は、8年間考察を続けてきた「RE100倶楽部構想」は「オール地熱発電システム」
構想で完結し、ステージは実践に移ることになる。

    

● 革命的なクローズドサイクル地熱発電

昨年10月20日、ジャパン・ニュー・エナジーは、京都大学と共同研究によって開発した世界初の
技術、温泉水ではなく地中熱のみを利用して発電を行う「クローズドサイクル地熱発電」による新地
熱発電システムの発電実証に成功したことを公表している(「地下水をくみ上げない、新型の地熱発
電システム 大分県で発電実証に成功」環境ビジネス 2016.10.20)。同15日には、大分県九重町
で、この「JNEC(ジェイネック)方式新地熱発電システム」による地熱発電所の発電記念式典も開
催している。

このシステムには、従来の地熱発電が抱える様々な障壁の根本的解決方法として、温泉水を使用せず
地中熱を吸収し発電するという発想から生まれた新技術。また、スケールの問題や還元井の設置とい
った従来の地熱発電が抱える問題を解決する(下図参照)。クローズドサイクル地熱発電は、地中深
くまで水を循環させる密封された管を埋め込み、地下水(蒸気)は汲み上げず地中熱のみを利用して
管内の水を加熱し、その蒸気でタービンを回し発電を行う。具体的には、システムの中心的役割を担
う、地下 1,450メートルまで埋設した「二重管型熱交換器」内で、地上より加圧注入した水を地中熱
により加熱、液体のまま高温状態で抽出する。液体を地上で減圧、一気に蒸気化しタービンを回して
発電を行う。 

このシステムでは、発電時に二酸化炭素排出がなく、24時間安定発電が可能という従来の地熱発電の
特長に、開発リードタイムの大幅な短縮やランニングコストの軽減、温泉法の適用除外といった事業
を展開する上で有効な要素が加わる。世界初のクローズドサイクル方式を用いたJNEC式地熱発電シ
ステムの実用化実証プラントは9月30日に完成。この発電所では、更なる性能向上へ向けた研究開
発を行い、大規模化を図り、25年を目処に、3万キロワットの発電所建設する計画中である。なお、
「スケール」とは温泉水の不溶性成分が析出・沈殿し固形化したもの。地熱発電では揚水管・還元井
の内部及び発電設備に付着し、半永久的なメンテナンス及び取り替えが必要となる。「

尚、還元井」とは、地下の蒸気や熱水が枯渇しないために、発電に使用した熱水を地下に戻すための
井戸である。

● 事例研究:特開2016-223377 蒸気発生装置および地熱発電システム

前記のクロズドサイクル地熱発電システムのように、従来は、地中から地熱流体を取り出し、地熱作
動流体でタービンを回転させものである。ここで、地熱流体とは、地中に形成された地熱貯留槽に貯
留した貯留物であることから不純物を大量に含み、これら不純物がスケールとなり地熱発電装置を構
成する発電設備に付着し、発電出力の減少や発電設備の早期劣化を招く。そこで、引用文献1では、
地熱流体を用いずに水等の作動液体にてタービンを回転させ発電、地熱資源を利用して液体を受熱さ
せる蒸気発生装置が開示されている。

引用文献1の蒸気発生装置は、底部を閉塞した外管と、底部にオリフィスを設置した内管とよりなる
二重管よりなり、底部が地熱資源の高温度帯域中に達するよう地中に鉛直状に設置し、外管と内管と
の間の空間に作動液体を供給し、外管の底部にて地熱資源と液体との間で熱交換が行われ、液体は熱
水となり、この熱水が内管に流入してオリフィスを通過することで蒸気となる。この蒸気がそのまま
内管を上昇し、地熱発電装置に供給され、タービンを回転して発電することとなる。このように、引
用文献1の蒸気発生装置は、外管の底部近傍にて一点集中的に液体を受熱させるシステムである。ま
た、地熱発電に広く用いられているフラッシュ式の地熱発電装置は、150℃以上の蒸気でタービン
を回転させるものである。

このため、引用文献1の蒸気発生装置では、地熱資源と液体との熱交換効率や作動液体が地熱発電装
置に供給されるまでの間に生じる放熱を考慮し、地熱資源の高温度帯域の中でも特に250℃を超え
るような高温となる深部まで二重管の底部を到達させているため、この構成では、①外管が高温に晒
され高温腐食が早期に生じやすく、②また、二重管の全長が長大となる、施工に要する費用が増大す
るとともに、③内管の下部を外管に対して同軸配置する作業も煩雑である。④加えて、内管と外管
との間を流下する液体が、タービンを回転させた後に復水器にて冷却するため、内管内を上昇する蒸
気は、上昇する過程でこの冷却液体に熱を奪われやすい。このように地熱発電装置に供給される蒸気
に温度低下が生じると、発熱効率が低減することから、内管に断熱処理を施す必要があり、内管を外
管に設置が煩雑である。

本件の主な目的は、蒸気タービン式発電装置の作動媒体に対して、①簡略な構成で、②かつ地熱資源
の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度に、タービンを回転させるの熱量
を伝導し、発電可能な、蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムの提案である。

【要約】

蒸気発生装置1が地中に埋設された単管で、一方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2に
供給する作動媒体出口15、他方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2から回収作動媒体
の入口11、中間部に地熱資源14と作動媒体3との間で熱交換するための熱交換部13を備え、熱
交換部13が横臥状態に配置し、蒸気タービン式発電装置のタービン回転させる作動媒体に対し、簡
略な構成/構造で、地熱資源の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度にタ
ービン回転できる、熱量伝導可能な蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムをである。

  
JP 2016-223377 A 2016.12.28

【符号の説明】 

1 蒸気発生装置 11 作動媒体入口 12 作動媒体入口路 13 熱交換部 14 作動媒体出口路 
15 作動媒体出口 16 断熱空間  17 自硬性断熱材  2 蒸気タービン式発電装置 21 気
水分離器  22 タービン  23 発電機  24 復水器  25 循環水タンク  3 作動媒体
4 地熱資源 5 ドリルロッド  51 ドリルヘッド 52 パイロット孔  53 バックリーマー  
54 スイベル 

 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』   

     4.遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える 

  雨田典彦は一九三九年の二月に日本に帰国し、千駄本の借家に落ち着いた。その時点で彼はも
 う洋画を描くことを一切放棄していたようだ。それでも彼は、生活していくのに不自由ないだけ
 の仕送りを毎月実家から受けていた。母親がとくに彼を溺愛していた。彼はその時期にほとんど
 独学で日本画の勉強をしたらしい。何度か維かに師事しようとしたこともあったが、うまくいか
 なかったようだ。もともとが謙虚な性格の人ではない。他人と穏やかで友好的な関係を維持する
 ことは、彼の得意分野ではなかった。そのようにして「孤立」がこの人の人生を貫くライトモチ
 ーフになる。

  一九四一年末に真珠湾攻撃があり、日本が本格的な戦争状態に突入してからは、何かと騒がし
 い東京を離れ、阿蘇の実家に戻った。次男坊だったから家督を維ぐ面倒からも逃れられたし、小
 さな家を一軒と女中を一人与えられ、そこで戦争とはほとんど無縁の静かな生活を違った。幸か
 不幸か肺に先天的な欠陥があり、兵隊にとられる心配もなかった(あるいはそれはあくまで表向
 きの口実で、徴兵を免れるように実家が裏から手を回したのかもしれない)。一般の日本国民の
 ように深刻な飢餓に悩まされる必要もなかった。また山原いところに往んでいたから、よほどの
 間違いがない限り、米軍機の爆撃を受けるおそれもなかった。そのようにして一九四五年の終戦
 まで、彼はずっと阿蘇の山中に一人でこもっていた。世間とは関わりを断ち、日本画の技法を独
 学で習得することに心血を注いでいたのだろう。その期間、彼は一点の作品も発表していない。

  俊英の洋画家として世間から注目を浴び、将来を期待されてウィーンにまで留学した雨田具彦
 にとって、六年以上にわたって沈黙を守り、中央画壇から忘れ去られることは生やさしい体験で
 はなかったはずだ。しかし彼は簡単に挫ける人ではなかった。長い戦争が終わりを告げ、人々が
 その混乱から立ち直ろうと苦闘していた頃、新しく生まれ変わった雨田典彦は、新進の日本画家
 としてあらためてデビューを飾った。戦争中に描きためていた作品を、そこで少しずつ発表し始
 めた。それは、多くの名のある画家が戦争中に勇ましい国策絵画を描き、その責を負って沈黙を
 強いられ、占領軍の監視下、半ば隠遁を余儀なくされていた時代だった。だからこそ彼の作品は
 日本画革新の大きな可能性として、世間の注目を浴びることになった。いわば時代が彼の味方に
 なったわけだ。

  そのあとの彼の経歴には、あえて語るべきものはない。成功を収めたあとの人生というのは
 往々にして退屈なものだ。もちろん成功を収めたとたんに、カラフルな破滅に向かってまっしぐ
 らに突き進むアーティストもいることはいるが、雨田典彦の場合はそうではなかった。彼はこれ
 まで数え切れないほどの賞を受け(「気が散るから」という理由で文化勲章の受章は断ったが)、
 世間的にも有名になった。絵の価格は年を追って高騰し、作品は多くの公共の場所に展示されて
 いる。作品依頼はあとを絶たない。海外でも評価は高い。まさに順風満帆というところだ。しか
 し本人はほとんど表舞台には姿を見せない。役職に就くこともすべて固辞している。招待を受け
 ても、国の内外を間わずどこにも出かけない。小田原の山の上の一軒家に一人でこもって(つま
 り私が今暮らしているこの家だ)、気の向くままに創作に励んだ。
  そして現在、彼は九十二歳になり、伊豆高原にある養護施設に入っており、オペラとフライパ
 ンの違いもよくわからないような状態にある。
  私は画集を閉じ、図書館のカウンターに返却した。




  晴れていれば、食事のあとでテラスに出てデッキチェアに寝転び、白ワインのグラスを傾けた。
 そして南の空に明るく輝く星を眺めながら、雨田典彦の人生から私が学ぶべきことはあるだろう
 かと思いを巡らせた。もちろんそこには学ぶべきことがいくつかあるはずだ。生き方の変更を恐
 れない勇気、時間を自分の側につけることの重要性。そしてまたその上で、自分だけの固有の創
 作スタイルと主題を見出すこと。もちろん簡単なことではない。しかし人が創作者として生きて
 いくには、何かあっても成し遂げなくてはならないことだ。できれば四十歳になる前に……。



  しかし雨田典彦はウィーンでどのような体験をしたのだろう? そこでいかなる光景を目撃し
 たのだろう? そしていったい何か彼に、油絵の絵筆を永久に捨てる決心をさせたのだろう?
 私はウィーンの街に翩翻と翻る赤と黒のハーケンクロイツの旗と、その通りを歩いて行く若き目
 の雨田典彦の姿を想像した。季節はなぜか冬だ。彼は厚いコートを着て、マフラーを首に巻き、
 ハンチングを深くかぶっている。顔は見えない。市街電車が降り始めたみぞれの中を、角を曲が
 ってやってくる。彼は歩きながら、沈黙をそのままかたちにしたような白い息を空中に吐いてい
 る。市民たちは温かいカフェの中でラム入りコーヒーを飲んでいる。

  私は彼が後年描くことになった飛鳥時代の日本の光景を、そのウィーンの古い街角の風景に重
 ねてみた。しかしどれだけ想像力を駆使しても、両者のあいだには何の類似点も見いだせなかっ
 た。



  テラスの西側は狭い谷に面しており、その谷間を挟んで向かい側に、こちらとおおよそ同じく
 らいの高さの山の連なりがあった。そしてそれらの山の斜面には、何軒かの家がゆったり間隔を
 置いて、豊かな緑に囲まれるように連っていた。私の往んでいる家の右手のはす向かいには、ひ
 ときわ人目を引く大きなモダンな家があった。白いコンクリートと青いフィルター・ガラスをふ
 んだんに使って山の頂上に建てられたその家は、家と言うよりは「邸宅」といった方が似つかわ
 しく、いかにも瀟洒で贅沢な雰囲気が漂っていた。斜面に沿って三層階になっている。おそらく
 第一級の建築家が手がけたものなのだろう。このあたりは昔から別荘が多いところだが、その家
 には一年を通して誰かが住んでいるようで、毎夜そのガラスの奥には照明がともった。もちろん
 防犯のために、タイマーを便って自動点灯が行われているのかもしれない。でもそうではあるま
 いと私は推測した。明かりは目によってまちまちな時刻に点灯されたり消されたりしたからだ。

 時としてすべてのガラス窓が目抜き通りのショー・ウィンドウのように目映く照らし出されるか
 と思えば、庭園灯の仄かな明かりだけを残して、家全休が夜の間の中に沈み込むこともあった。
  こちらを向いたテラス(それは船のトップデッキのようだ)の上に、人の姿が見えることがと
 きどきあった。日暮れ時になると、その住人の姿をよく目にした。男か女かも定かではない。そ
 の人影は小さく、だいたい背後に光を受けて影になっていたからだ。しかしシルエットの輪郭や、
 その動きから見て、たぶん男だろうと私は推測した。そしてその人物は常に一人きりだった。あ
 るいは家族がいないのかもしれない。



  いったいどんな人がその家に暮らしているのだろう? 私は瑕にまかせてあれこれ想像を巡ら
 せたものだ。その人物は一人きりでこの人里離れた山頂に住んでいるのだろうか? 何をしてい
 る人なのだろう? その順治なガラス張りの邸宅で、優雅で自由な生活を送っていることに間違
 いはあるまい。こんな不便な場所から、都会まで日々通勤をしているわけもないだろうから。お
 そらく生活について思い煩う必要もない境遇にいるのだろう。しかし逆に向こう側から谷間を隔
 ててこちらを見れば、この私だって何も思い煩うことなく、一人で悠々と日々を送っているよう
 に見えるのかもしれない。

  人影はその夜も姿を見せた。私と同じようにテラスの椅子に腰掛けたまま、ほとんど身動きし
 なかった。私と同じように、空に瞬く星を眺めながら何か考えごとをしているようだった。きっ
 とどれだけ考えてもまず答えの出ないものごとについて思いなしているのだろう。私の目にはそ
 んな風に映った。どれほど恵まれた境遇にある人にだって、思いなすべき何かはあるのだ。私は
 ワイングラスを小さく掲げ、谷間越しにその人物に密かな連帯の挨拶を送った。



  そのときは、その人物がはどなく私の人生に入り込んできて、私の歩む道筋を大きく変えてし
 まうことになろうとは、もちろん想像もしなかった。彼がいなければこれほどいろんな出来事が
 私の身に降りかかることはなかったはずだし、またそれと同時にもし彼がいなかったら、あるい
 は私は暗闇の中で人知れず兪を落としていたかもしれないのだ。
  あとになって振り返ってみると、我々の人生はずいぶん不可思議なものに思える。それは信じ
 がたいほど突飛な偶然と、予測不能な屈曲した展開に満ちている。しかしそれらが実際に持ち上
 がっている時点では、多くの場合いくら注意深くあたりを見回しても、そこには不思議な要素な
 んて何ひとつ見当たらないかもしれない。切れ目のない日常の中で、ごく当たり前のことがごく
 当たり前に起こっているとしか、我々の目には映らないかもしれない。それはあるいは理屈にま
 るで合っていないことかもしれない。しかしものごとが理屈に合っているかどうかなんて、時間
 が経たなければ本当には見えてこないものだ。

  しかし総じて言えば、理屈に合っているにせよ合っていないにせよ、最終的に何かしらの意味
 を発揮するのは、おおかたの場合おそらく結果だけだろう。結果は誰が見ても明らかにそこに実
 在し、影響力を行使している。しかしその結果をもたらした原因を特定するのは簡単なことでは
 ない。それを手にとって「ほら」と人に示すのは、もっとむずかしい作業になる。もちろん原因
 はとこかにあったはずだ。原因のない結果はない。卵を割らないオムレツがないのと同じように。
 将棋倒しのように、一枚の駒(原因)が隣にある駒(原因)をまず最初にことんと倒し、それが
 またとなりの駒(原因)をことんと倒す。それが連鎖的に延々と続いていくうちに、何かそもそ
 もの原因だったかなんて、だいたいわからなくなってしまう。あるいはどうでもよくなってしま
 う。あるいは人がとくに知りたがらないものになってしまう。そして「結局のところ、たくさん
 の駒がそこでばたばたと倒れました」というところで話が閉じられてしまう。これから語る私の
 話も、ひょっとしたらそれと似たような道を歩むことになるかもしれない。

  いずれにせよ、私がここでまず語らなくてはならないのは――つまり最初の二枚の駒として持
 ち出さなくてはならないのは――谷間を隔てた山頂に住むその謎の隣人のことと、『騎士団長殺
 し』というタイトルを持つ絵画のことだ。まずはその絵について語ろう。

                                                         この項つづく

  


世界は再エネで経済成長

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      60  誘惑をしりぞけよ  /  水沢節(すいたくせつ)    

                                 

       ※ 「節」(せつ)とは「限りありて止まる」で、いわゆる節度を守る
        ことである。甘い誘惑をしりどけるのは苦しいが「節」を守ってこ
        そ真の幸福があるのだ。しかし、節に固執しすぎるのもよくない。
        節倹が過ぎて病気になることはつまらぬことである。

 



【RE100倶楽部:再エネ電源80%でも経済は活性化】

● 全世界で再生可能エネルギーを65%に、温度上昇2℃未満に抑える

20日、ドイツで開催された「ベルリン・エネルギー転換対話(Berlin Energy Transition Dialogue)」に
おいて、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)が発表した調査報告書「エネルギー転換のための視点:
低炭素エネルギー転換のための投資ニーズ」によると、経済活動に負の影響を及ぼさず、全世界での
エネルギー起源二酸化炭素の排出量を50年までに70%削減し、60年までにはゼロにできる。と
の調査結果を公表(「再エネ電源80%でも経済は活性化」日経テクノロジーオンライン、2017.03.
27)。

同調査によると、主要20カ国(G20)を中心に世界全体で再生可能エネルギーと省エネルギーの導入
をさらに推進することで、温度上昇を2℃未満に抑制し、気候変動で最も深刻なインパクトを回避す
るシナリオを提示。パリ合意によって、気候変動に対する行動が国際的に決定された、焦点は、グロ
ーバルなエネルギー・システムの脱炭素化でなければならない。それが温室効果ガス排出量の3分の
2近くを占める。また、エネルギー産業を脱炭素化するために必要となる投資は、50年までにさら
に約29兆ドル(約3190兆円)超と相当な額に上る一方、世界全体の国内総生産(GDP)に占め
る比率は0.4%に過ぎない(下図参照)。


さらに、IRENAのマクロ経済分析では、成長を志向する適切な政策とあいまって、そういった投資が
経済の刺激策になるとしている。具体的には、50年にグローバルGDPを0.8%押し上げ、再エネ
分野の雇用を創出し、化石燃料産業における雇用喪失を打ち消す。雇用は再エネ関連だけでなく、省
エネ関連でも創出される。また、大気汚染が緩和されるため、環境面や健康面でのメリットを通じて、
人類の幸福度が向上するという。


図 温度上昇を2℃未満に抑制するシナリオで、世界全体のエネルギーの供給と需要に関する投資額
  の平均値を示すグラフ

世界全体では。15年にエネルギー起源二酸化炭素が32ギガトン排出された。産業革命前の気温よ
り2℃未満の上昇に温暖化を抑えるためには、この排出量を継続的に抑制し50年までに9.5ギガト
ンまで減らす必要があり、この削減分の90%は、再エネと省エネの推進を通して達成できるという。
再エネは、現在世界全体の電源構成の24%、一次エネルギー供給では16%を占める。脱炭素化を
実現するために、50年までに再エネを電源構成の80%、一次エネルギー供給の65%まで引き上
げる必要があると指摘する。ベルリン・エネルギー転換対話では、IRENAだけでなく国際エネルギー
機関(IEA)による調査結果も発表。IEAの調査でも、脱炭素化に向けたシナリオを実現するための方
策には、再エネや省エネに関してほぼ共通した方向性になる。つまり、地球は再エネで経済活性化す
るという。これは楽しみである。

 Sep. 14, 2016

【RE100倶楽部:変換効率30%超時代】

● カネカ 結晶シリコン太陽電池で世界最高変換効率26.6%

今月20日、カネカの研究チームは変換効率がさらに26.6%に達したことを示し、この結果を国立
再生可能エネルギー研究所(NREL)が認めた。Nature Energyで公開された(下図ダブクリ)。カネカは
30年までに太陽電池のキロワット時のコストを0.06ドル(約6.67円)まで下げるべく、研究を続けて
いくと話す。これぞ、ジャパン・コンセプト、実に愉快だ。



※ Silicon heterojunction solar cell with interdigitated back contacts for a photoconversion, Published online:
   20 March 2017, Nature Energy 2, Article number: 17032 (2017)

       
 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

    5.息もこときれ、手足も冷たい

  その家に往むようになってまず不思議に思ったのは、家中のどこにも絵画と名のつくものが見
 当たらないことだった。壁にかかっていないだけではなく、家の物置にも押し入れにも、絵とい
 うものがただの一枚もないのだ。雨田典彦自身の絵がないというだけではなく、ほかの作家の絵
 もない。壁という壁はきれいに丸裸のまま放置されている。額をかけるための釘のあとすら見つ
 からなかった。私の知る限り画家というのは誰しも、多かれ少なかれ手元に絵を抱え込んでいる
 ものだ。自分の絵があり、他の作家の絵がある。知らないうちにいろんな絵画が身の回りに溜ま
 っていく。雪かきをしても、あとがらあとがら雪が降り積もるみたいに。

  何かの用件で雨田政彦に電話をかけたとき、ついでにそのことを尋ねてみた。どうしてこの家
 には絵と名のつくものが一枚もないのだろう? 誰かが持ち去ったのか、それとも最初からそう
 だったのか?

 Henri Matisse / The Art Story

 「父は自分の作品を手元に置くことを好まなかったんだ」と政彦は言った。「描いたものはすぐ
 に画商を呼んで渡していたし、出来の気に入らないものは庭の焼却炉で焼き捨てていた。だから
 父の絵が一枚も手元にないとして右とくに不思議はないよ」
 「他の作家の絵心まったく特たない?」
 「四、五枚は特っていた。古いマチスだとかブラックだとか。どれも小さな作品で、戦前にヨー
 ロッパで購入したものだ。知人から手に入れた右ので、買ったときにはそれほど高価ではなかっ
 たらしい。もちろん今ではずいぶん価値が出ている。そういう絵は、父が施設に入ったときに親
 しい画商にまとめて預かってもらった。空き家にそのまま置いておくわけにはいかないしね。た
 ぶんエアコンつきの美術品専用の倉庫に保管してあると思う。それを別にすれば、その家の中で
 ほかの両家の絵を目にしたことはない。実のところ、父は同業者たちのことがあまり好きじやな
 かった。そしてもちろん同業者たちも父のことをあまり好きではなかった。よく言えば一匹狼、
 悪く言えばはぐれがらすというところだな」

 Georges Braque / The Art Story

 「お父さんがウィーンにいたのは、一九三六年から三九年にかけてだったね?」
 「ああ、二年くらいはいたはずだ。でもどうして行き先がウィーンだったのか、よくわからない
 んだ。父の好きな画家はほとんどフランス入だったからね」
 「そしてウィーンから日本昆戻ってきて、突然日本画家に転向した」と私は言った。「いったい
 何かお父さんにそんな大きな決心をさせたんだろう? ウィーンに滞在しているあいだに何か特
 別なことが起こったんだろうか?」
 「う~ん、そいつは謎なんだ。父はウィーン時代のことは多くを語らなかったからね。どうでも
 いいような話はときどき聞かされたよ。ウィーンの動物園の話とか、食べ物の話とか、歌劇場の
 話とかさ。でも自分のことについては口の重い人たった。こちらもあえて尋ねなかった。おれと
 父とは半ば離ればなれに暮らしていたし、たまに顔を合わせる程度だった。父親というより、と
 きどき訪ねてくる親戚の伯父さんみたいな存在だった。そして中学校に入った頃からは、父親の
 存在がだんだん鬱陶しくなり、接触を避けるようになった。おれが美大に進んだときにも相談も
 しなかった。複雑な家庭環境というほどでもないが、ノーマルな家庭だったとは言えない。おお
 よその感じはわかるだろう?」

 「だいたいのところは」

 「いずれにせよ今となっては、父の過去の記憶はすべて消滅している。あるいはどこかの深い泥
 の底に沈みっぱなしになっている。何を訊いても返事はかえってこない。おれが誰なのかもわか
 ない。自分が誰なのかもおそらくわかっていない。こうなる前にいろんな話を聞いておくべき
 だったのかもしれない。そう思うこともある。でも今さら手遅れだ」

  政彦は少し考え込むように黙っていたが、やがて口を開いた。「なぜそんなことを知りたが
 る? うちの父に興味を持つようなきっかけが何かあったのか?」

 「いや、そういうわけじゃない」と私は言った。「ただこの家で生活していると、お父さんの影
 のようなものをあちこちに感じてしまうんだ。それでお父さんについて少しばかり図書館で調べ
 ものをした」

 「父の影のようなもの?」

 「存在の名残みたいなもの、かな」

 「いやな感じはしない?」

  私は電話口で首を振った。「いや、いやな感じはまったくない。ただ雨田典彦という人の気配
 がなんとなく、まだそのへんに漂っているみたいなんだ。空気の中に」
  政彦はまたしばらく考え込んでいた。それから言った。「父は長くそこに往んでいたし、たく
 さん仕事もしたからな。気配だって残るかもしれない。まあそういうのもあって、おれとしては
 正直なところ、あまり一人でその家には近寄りたくないんだ」

  私は何も言わず彼の話を間いていた。

  政彦は言った。「前にも言ったと思うけど、雨田典彦はおれにとっちやただの気むずかしい面
 倒なおっさんにすぎなかった。いつも仕事場に閉じこもって、むずかしい顔で絵を描いていた。
 口数も少なく、何を考えているのかわからなかった。同じ屋根の下にいるときには母親に『お父
 さんのお仕事の邪魔をしちやいけない』といつも注意された。走り回ることも大声を出すことも
 できなかった。世間的には有名な人で、優れた絵描きかもしれないが、小さな子供にとっちやた
 だ迷惑なだけだ。そしておれが美術方面に進んでからは、父親は何かとやっかいな重荷になった。
 名前を名乗るたびに、あの雨田典彦さんのご親威ですか、みたいなことを言われてね。よほど名
 前を変えようかと思ったよ。今にして思えば、そんな悪い人ではなかったと思う。あの人なりに
 子供を可愛がろうとしていたんだろう。しかし手放しで子供に愛を注げるような人ではなかった。
 でもまあそれはしようがないんだ。あの人には絵がまず第一だったからな。芸術家ってそういう
 ものだろう」

 「たぶん」と私は言った。

 「おれはとても芸術家にはなれそうにない」と雨田政彦はため息をついて言った。「父親からお
 れが学んだのはそれくらいかもしれない」

 「たしか前に、お父さんは若い時代にはけっこうやりたい放題、好き勝手なことをしていた、み
 たいなことを言っていなかったか?」

 「ああ、おれが大きくなった頃にはもうそんな面影はなかったけど、若い頃はずいぶん遊んでい
 たようだ。長身で顔立ちも良かったし、地方の金持ちのぼんぼんだし、絵の才能もあった。女が
 寄ってこないわけがない。父の方もまた女には目がなかった。実家が金を出して始末をつけなく
 てはならないようなややこしいこともあったらしい。しかし留学から帰国してからは、人が変わ
 ったようだったと親戚の人たちは言っていた」

 「人が変わった?」

 「日本に帰ってきてからは、父はもう遊び歩くのをやめ、一人で家に龍もって結の制作に打ち込
 むようになった。人付き合いも極端に悪くなったようだ。東京に戻ってきて、長いあいだ独身生
 活を送っていたが、結を描くだけで十分生活できるようになってから、突然思いついたように郷
 里の遠縁の女性と結婚した。まるで人生の帳尻を合わせるみたいにさ。かなりの晩婚だった。そ
 しておれが生まれた。結婚してから女遊びをしていたのかどうかまではわからん。しかしとにか
 く派手に遊びまわるようなことはもうなくなっていたはずだ」

 「ずいぶん大きな変化だ」

 「ああ、しかし父の両親は帰国してからの父の変化を喜んだようだ。もう女の問題で迷惑をかけ
 られずにすむからな。でもウィーンでどんなことがあったのか、なぜ洋画を捨てて日本画に転向
 したのか、そのへんは親戚の誰に訊いてもやはりわからない。そのことについては父はとにかく
 海の底の牡蠣のように堅く口を閉ざしていた」 

  そして今となってはその殼をこじ開けても、中身はもう空っぽになっているのだろう。私は政
 彦に礼を言って電話を切った。




  私がその『騎士団長殺し』という不思議な題をつけられた雨田典彦の絵を発見したのは、まっ
 たく偶然の成り行きによるものだった。
  夜中にときどき、寝室の屋根裏からがさがさという小さな物音を耳にすることがあった。最初
 は鼠かリスが屋根裏に入り込んだのだろうと思った。しかしその音は、小型の齧歯類の足音とは
 明らかに異なるものだった。蛇の這う音とも違う。それはなんとなく、油紙をくしやくしやと手
 で丸めるときの音に似ていた。うるさくて眠れないというほどの音ではなかったが、それでも家
 の中に得体の知れない何かがいるというのは、やはり気になるものだ。ひょっとしてそれは家に
 害をなす動物であるかもしれない。

  あちこち探し回った末に、客用寝室の奥にあるクローゼットの天井に、屋根裏への入り口がつ
 いていることがわかった。入り口の扉は八十センチ四方ほどの真四角な形だった。私は物置から
 アルミ製の脚立を持ってきて、懐中電灯を片手に、入り口の蓋を押し開けた。そして恐る恐るそ
 こから首を突き出して、あたりを見回した。屋根裏のスペースは思ったより広く、薄暗かった。
 右手と左手に小さな通風口が開いていて、そこから僅かに昼間の光が入ってくる。懐中電灯で
 隅々まで照らしてみたが、何の姿も見えなかった。少なくとも動くものは見当たらない。私は思
 いきって開口部から屋根裏にあがってみた。

  空気にはほこりっぽい匂いがしたが、不快に感じるほどではなかった。風通しが良いらしく、
 床にはそれはどの埃もたまっていない。何本かの太い梁が頭上低くわたされていたが、それをよ
 ければいちおう立って歩くことができた。私は用心しながらゆっくり前に進み、二つの通風口を
 点検してみた。どちらも金網が張られて、動物が侵入できないようになっていたが、北向きの通
 風口の金網には切れ目ができていた。何かがぶつかるかして自然に破れたのかもしれない。ある
 いは何かの動物が中に入るうと故意に網を破ったのかもしれない。いずれにせよ、そこには小型
 動物が楽に通り抜けられるくらいの穴が開いていた。

  それから私は夜中に物音を立てる張本人を目にした。それは梁の上の暗がりにひっそりと身を
 潜めていた。小型の灰色のみみずくだった。みみずくはどうやら目を閉じて眠りについているよ
 うだった。私は懐中電灯のスイッチを切り、相手を怖がらせないように少し離れたところから静
 かにその鳥を観察した。みみずくを近くに見るのは初めてのことだった。それは鳥というよりは
 羽の生えた描のように見えた。美しい生き物だ。

 ミミズク(木菟)

  たぶんみみずくは昼間をここで静かに休んで過ごし、夜になると通風口から出ていって、山で
 獲物を探すのだろう。その出入りするときの物音が、おそらく私の目を覚ましたのだ。害はない。
 それにみみずくがいれば、鼠や蛇が屋根裏にいつく心配もない。そのままにしておけばいい。私
 はそのみみずくに自然な好意を抱くことができた。私たちはたまたまこの家を間借りし、共有し
 ているのだ。好きなだけこの屋根裏にいればいい。しばらくみみずくの姿を観賞してから、私は
 忍び足で帰途についた。入り口のわきに大きな包みをみつけたのはそのときだった。

  それが包装された絵画であることは一目で見当がついた。大きさは縦横が1メートルと1メー
 トル半ほど。茶色の包装用和紙にぴったりくるまれ、幾重にも紐がかけてある。それ以外に屋根
 裏に置かれているものは何もなかった。通風口から差し込む淡い陽光、梁の上にとまった灰色の
 みみずく、壁に立てかけられた一枚の包装された緒。そのとり合わせには何かしら幻想的な、心
 を奪われるものがあった。

  その包みをそっと注意深く持ち上げてみた。重くはない。簡単な額におさめられた絵の重さだ。
 包袋綴にはうっすらほこりが溜まっていた。かなり前から、誰の目に触れることもなくここに置
 かれていたのだろう。紐には一枚の名札が針金でしっかりとめられ、そこには青いボールペンで
 『騎士団長殺し』と記されていた。いかにも律儀そうな書体だった。おそらくそれが絵のタイト
 ルなのだろう。

  なぜその一枚の絵だけが、屋根裏にこっそり隠すように置かれていたのか、その理由はもちろ
 んわからない。私はどうしたものかと思案した。当たり前に考えれば、そのままの状態にしてお
 くのが礼儀にかなった行為だった。そこは雨田典彦の住居であり、その絵は間違いなく雨田典彦
 が所有する絵であり(おそらくは雨田典彦自身が描いた絵であり)、何らかの個人的理由があっ
 て、彼が人目に触れないようにここに隠しておいたものなのだ。だとしたら余計なことはせず、
 みみずくと一緒に屋根裏に置きっぱなしにしておけばいいのだ。私がかかおるべきことではない。
 
  でもそれが話の筋としてわかっていても、私は自分の内に湧き起こってくる好奇心を抑えるこ
 とができなかった。とくにその絵のタイトルである(らしい)『騎士団長殺し』という言葉が私
 の心を惹きつけた。それはいったいどんな絵なのだろう? そしてなぜ雨田典彦はそれを――よ
 りによってその絵だけを――屋根裏に隠さなくてはならなかったのだろう?
  私はその包みを手にとり、それが屋根裏の入り口を抜けられるかどうか試してみた。理屈から
 いえば、ここに運びあげることができた絵を下に運びおろせないわけはなかった。そして屋悟畏
 に通じる開口部はそれ以外にないのだ。でもいちおう実際に試してみた。絵は思った通り、対角
 線ぎりぎりのところでその真四角な開口部を通り抜けることができた。私は雨田典彦がその絵を
 屋根裏に運び上げるところを想像してみた。そのとき彼はおそらく一人きりで、何かの秘密を心
 に抱えていたはずだ。私はその情景を実際に目撃したことのように、ありありと思い浮かべるこ
 とができた。

  この絵を私が屋根裏から運び出したことがわかったところで、雨田典彦はもう怒りはしないだ
 ろう。彼の意識は今では深い混沌の中にあって、息子の表現を借りれば「オペラとフライパンの
 見分けもつかなく」なっている。彼がこの家に戻ってくることはまずあり得ない。それにこの絵
 を、通風口の網が破損した屋根裏にこのまま置きっぱなしにしておいたら、いつか鼠やリスに嘔
 られてしまわないとも限らない。あるいは虫に食われるかもしれない。もしその絵が雨田典彦の
 描いたものであるなら、それは少なからぬ文化的損失を意味することになるだろう。

  その包みをクローゼットの棚の上におるし、梁の上でまだ身を縮めているみみずくに小さく手
 を振ってから、私は下に降りて、入り口の蓋を静かに閉めた。

  しかしすぐには包装をとかなかった。何日かの間、その茶色の包みをスタジオの壁に立てかけ
 ておいた。そして床に腰を下ろし、ただあてもなくそれを眺めていた。包装を勝手にほどいてし
 まっていいものかどうか、なかなか決心がつかなかった。それはなんといっても他人の所有物で
 あり、どのように都合良く考えても、包装を勝手にはぐ権利は私にはない。もしそうしたければ、
 少なくとも息子の雨田政彦の許可を得る必要がある。しかしなぜかはわからないが、政彦にその
 絵の存在を知らせる気になれなかった。それは私と雨田典彦の間のあくまで個人的な、一対一の
 問題であるような気がしたのだ。どうしてそんな奇妙な考えを抱くようになったのか説明はでき
 ない。でもとにかくそう感じたのだ。

  包装用和紙にくるまれ、厳重に紐をかけられたその絵(らしきもの)を、文字どおり穴が開く
 ほど見つめ、思案に思案を重ねてから、ようやく中身を取り出す決心がついた。私の好奇心は、
 私が礼節や常識を重んじる気持ちよりも遥かに強く執拗だった。それが画家としての職業的な好
 奇心なのか、あるいは一人の人間としての単純な好奇心なのか、自分では判別できない。しかし
 どちらにせよ、私はその中身を見ずにはいられなかった。誰に後ろ指をさされようがかまわない、
 と私は心を定めた。鋏を持ってきて、硬く縛られた紐を切った。そして茶色の包装紙をはがして
 みた。必要があればもう一度包装しなおせるように、時間をかけて丁寧にはがした。

  幾重にも重ねられた茶色の包袋綴の下には、さらしのような柔らかい白い布でくるまれた簡易
 額装の絵があった。私はその布をそっとはがしてみた。重い火傷を負った人の包帯をはがすとき
 のように、静かに用心深く。

  その白い布の下から姿を見せたのは、私が前もって予想していたとおり、一幅の日本画だった。
 横に長い長方形の絵だ。私はその絵を棚の上に立てかけ、少し離れたところから眺めた。
  疑いの余地なく、雨田典彦その人の手になる作品だった。紛れもない彼のスタイルで、彼独自
 の手法を用いて描かれている。大胆な余白と、ダイナミックな構図。そこに描かれているのは、
 飛鳥時代の格好をした男女だった。その時代の服装とその時代の髪型。しかしその絵は私をひど
 く驚かせた。それは息を呑むばかりに暴力的な絵だったからだ。

  私の知る限り、雨田典彦が荒々しい種類の絵画を描いたことはほとんどない。一度もない、と
 言っていいかもしれない。彼の描く絵は、ノスタルジアをかきたてる上うな、穏やかで平和なも
 のであることが多い。歴史上の事件を題材にすることもたまにあるが、そこに見られる人々の姿
 はおおむね様式の中に溶け込んでいる。人々は古代の豊かな自然の中で緊密な共同体に含まれ、
 調和を重んじて生きている。多くの自我は共同体の総意の内に、あるいは穏やかな宿命の内に吸
 収されている。そして世界の環は静かに閉じられている。そのような世界が彼にとってのユート
 ピアだったのだろう。彼はそのような古代の世界を、様々な角度から様々な視線で描き続けた。
 そのスタイルを多くの人は「近代の否定」と呼び、「古代への回帰」と呼んだ。中にはもちろん
 それを「現実からの逃避」と呼んで批判するものもいた。いずれにせよ彼はウィーン留学から日
 本に戻ったあと、モダニズム指向の油絵を捨て、そのような静謐な世界に一人で閉じこもったの
 だ。ひとことの説明もなく、弁明もなく。

  しかしその『騎士団長殺し』という絵の中では、血が流されていた。それもリアルな血がたっ
 ぷり流されていた。二人の男が重そうな古代の剣を手に争っている。それはどうやら個人的な果
 たし合いの上うに見える。争っているのは一人の若い男と、一人の年老いた男だ。若い男が、剣
 を年上の男の胸に深く突き立てている。若い男は細い真っ黒な口髭をはやして、淡いよもぎ色の
 細身の衣服を着ている。年老いた男は白い装束に身を包み、豊かな白い聚をはやしている。首に
 珠を連ねた首飾りをつけている。彼は持っていた剣をとり落とし、その剣はまだ地面に落ちきっ
 ていない。彼の胸からは血が勢いよく噴き出している。剣の刃先がおそらく大動脈を貫いたのだ
 ろう。その血は彼の白い装束を赤く染めている。口は苦痛のために歪んでいる。目はかっと見開
 かれ、無念そうに虚空を睨んでいる。彼は自分か敗れたことを悟っている。しかし本当の痛みは
 まだ訪れていない。

  一方の若い男はひどく冷たい目をしている。その目は相手の男をまっすぐに見据えている。そ
 の日には後悔の念もなく、戸惑いや怯えの影もなく、興奮の色もない。その瞳があくまで冷静に
 日にしているのはただ、迫り来る他の誰かの死と、自らの間違いのない勝利だ。ほとばしる血は
 その証に過ぎない。それは彼にどのような感情ももたらしてはいない。

  正直なところ、私はこれまで日本画というものを、どちらかといえば静的な、様式的な世界を
 描く美術のフォームだと捉えていた。日本画の技法や画材は、強い感情表現には向かないものと
 単純に考えてい。自分とはまったく無縁な世界だと。しかしその雨田典彦の『騎士団長殺し』を
 前にすると、私のそんな考えが思いこみに過ぎなかったことがよくわかった。雨田聡彦の描くそ
 の二人の男の命を賭けた、激しい果たし合いの光景には、見る者の心を深いところで震わせるも
 のがあった。勝った男と負けた男。刺し貫いた男と、刺し貫かれた男。その落差のようなものに、
 私は心を惹かれた。この絵には何か特別なものがある。

  そしてその果たし合いを近くで見守っている人々が何人かいた。一人は若い女性だった。上品
 な真っ白な着物を着た女だ。髪を上にあげ、大きな髪飾りをつけている。彼女は片手を口の前に
 やって、口を軽く開けている。息を吸い込み、それから大きな悲鳴をあげようとしているように
 見える。美しい目は大きく見聞かれている。

  そしてもう一人、若い男がいた。服装はそれほど立派ではない。黒っぽく、装飾も乏しく、い
 かにも行動しやすい衣服だ。足には簡単な草履を履いている。召使いか何かのように見える。剣
 を帯びてはおらず、腰に短い脇差しのようなものを差しているだけだ。小柄でずんぐりして、薄
 く顎髭をはやしている。そして左手に帳面のようなものを、今でいえばちょうど事務員がクリッ
 プボードを持つようなかっこうで、待っている。右手は何かを掴もうとするように、宙に伸ばさ
 れている。しかしその手は何も掴めないでいる。彼が老人の召使いなのか、若い男の召使いなの
 か、それとも女の召使いなのか、画面からはわからない。ひとつわかるのは、この果たし合いが
 急速な展開の末に起こったことであり、女にも召使いにもまったく予測できなかった出来事であ
 るらしいということくらいだ。紛れもない驚きの表情が二人の顔に浮かんでいる。

  四人の中で驚いていないのはただ一人、若い殺人者だけだ。おそらく何ごとも彼を驚かせるこ
 とはできないのだろう。彼は生まれつきの殺し屋ではない。人を殺すことを楽しんではいない。
 しかし目的のためには、誰かの息の根を止めることに躊躇したりはしない。彼は若く、理想に燃
 え(それがどんな理想なのかは知らないが)、力に溢れた男なのだ。そして剣を巧みに使う技術
 も身につけている。既に人生の盛りを過ぎた老人が、自分の手にかかって死んでいく姿を見るの
 は、彼にとって驚くべきことではない。むしろ自然な、理にかなったことなのだ。

  そしてもう一人、そこには奇妙な目撃者がいた。画面の左下に、まるで本文につけられた脚注
 のようなかっこうで、その男の姿はあった。男は地面についた蓋を半ば押し開けて、そこから首
 をのぞかせていた。蓋は真四角で、板でできているようだ。その蓋はこの家の屋根裏に通じる入
 り口の蓋を私に思い出させた。形も大きさもそっくりだ。男はそこから地上にいる人々の姿をう
 かがっている。

主人公のこの絵の感想、洞察がつづいていくが、それは次回の楽しみにしておいて、この主題の絵に
描かれたものを見たい衝動に駆られる。

                                      この項つづく

百薬の酒のドン・ジョバンニ

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     61  至誠天に通ず  /  風沢中孚(ふうたくちゅうふ)    

                                  

       ※ 中孚(ちゅうふ)とは、心に誠実さが満ち溢れていること。孚という
        の字は爪と子組み合わせで、原意は、親鳥が卵を暖めて孵化すること
        である。親鳥の愛情が卵の生命を喚び起こすように、誠意は人の心を
        感動させる。至誠天に通ず、誠意をもって進んでゆけば危難を克服し
        て志を成就できるのである。また上下の卦が口づけしている形でもあ
        り、もごころによって結ばれた二人を象徴する卦である。

 

   Mar. 27, 2017

● アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の変異は骨粗鬆症のリスク

ALDH2の変異は日本人の半数近い人にみられ、お酒に弱い原因となっている。この変異型Aldh2
(Aldh2*2)をもつ遺伝子改変マウスは野生型(WT)に比べてX線写真で骨のX線透過性が亢進し、骨密
度が低下していることが分かるという。彼女はお酒に弱く、骨粗鬆症だ。ところで、お酒が弱い女性
は、年を取ると骨が折れやすくなることが、慶応大などの研究チームの調査でわかった。女性は閉経
後に骨粗鬆(そしょう)症になりやすいが、アルコールの分解にかかわる遺伝子の働きが弱いとさら
にもろくなる可能性があるという。27日付の英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」で発表
している。同大医学部の宮本健史・特任准教授(整形外科)らは、アルコールを分解する時に働く酵
素をつくる遺伝子ALDH2 に着目。この遺伝子の働きが生まれつき弱い人は悪酔いの原因となるアセ
トアルデヒドをうまく分解できず、酒に弱くなる。中高年の女性で大腿骨骨折した92人と骨折して
いない48人の遺伝子を調べて比較し。骨折した人の中で、この遺伝子の働きが弱い人は58%だっ
たが、骨折していない人では35%だった。年齢などの影響を除いて比べると、遺伝子の働きが弱い
人の骨折リスクは、ない人の2、3倍高かった。同チームはマウスの細胞でも実験。骨を作る骨芽細
胞にアセトアルデヒドを加えると働きが弱まったが、ビタミンEを補うと機能が回復した。酒に弱い
体質の人が過剰な飲酒をすると、アセトアルデヒドがうまく分解できずに骨がもろくなる可能性があ
るとみられる。お酒に強いか弱いかは生まれつきで変えられない。だが、骨折のリスクをあらかじめ
自覚し、ビタミンEの適度な摂取で予防できる可能性があると関係者は話している。わたしの兄弟も
家系も酒はたしなめる程度で子供たちも飲まない、飲めない。とするとなぜ、わたしだけ飲めるのか
?わかっていることは、若い頃よく酒を飲み、いつのまにか大酒はないが、後天的に飲めるようにな
ったことだ。彼女はわたしと同じ、ビタミンEを度を超えて(?)摂取すると気分が悪くなる体質。
そこで、少量でも良いから飲酒を進め、アルコールを分解する時に働く酵素をつくるこの変異型Aldh2
(Aldh2*2)   の改変というか、耐性を強めるよう進めている。かくして、百薬の長である酒の効用を認めさせる
戦術の一歩を踏み出すことになる。

 
Titol:A missense single nucleotide polymorphism in the ALDH2 gene, rs671, is associated with hip fracture.

 

 

 Mar. 27,2017
※ Titol:Influenza A virus hemagglutinin and neuraminidase act as novel motile machinery.

鍵語:インフルエンザウイルス/感染/行動解析

● インフルウイルスの転がり進入 感染予防に道

 今月27日、インフルエンザウイルスは、細胞の上をころころと動き回って「侵入口」を探している
ことが、川崎医大の研究で分かった。動く能力を封じると、感染力が落ちる。細胞に入り込まないと
子孫が残せないウイルスが、あの手この手で獲得した生き残り戦略?と見られるという英国の電子科
学誌「サイエンティフィックリポーツ」に掲載される。川崎医大の堺立也講師(微生物学)らは、細
胞表面の環境を再現したガラス板の上で、インフルエンザウイルスの動きを詳細に観察。すると、う
ろうろしたり、つーっと滑ったりしている。ウイルス表面にある2種類のたんぱく質が、細胞表面の
物質と緩くつながったり、離れたりすることで、転がるような動きを作り出している。このように、
動き回ることで、細胞の侵入口を見つける機会が増える。動きに関わるたんぱく質を働かなくさせる
と、感染能力は3割程度に落ちる。ウイルスの振るまいが分かったことで、新たな治療戦略につなが
可能性が浮上した。これは面白い発見だ。

 Mar. 28, 2017

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

    5.息もこときれ、手足も冷たい

  地面に開いた穴? 四角いマンホール? まさか。飛鳥時代に下水道かおるわけはない。そし
 て果たし合いが行われているのは屋外であり、何もない空き地のようなところだ。背景に描かれ
 ているのは、枝を低く落とした松の木だけだ。なぜそんなところの地面に、蓋つきの穴が開いて
 いるのだろう? 筋が通らない。

 Mar. 8, 622

  そしてそこから首を突き出している男もまたずいぶん奇怪だった。彼は曲がった茄子のような、
 異様に細い頭をしていた。そしてその頭巾が黒い祭だらけで、髪は長くもつれていた。浮浪者
 のようにも、世を捨てた隠者のようにも見える。痴呆のように見えなくもない。しかしその眼光
 は驚くほど鋭く、洞察のようなものさえうかがえる。とはいえ、その洞察は知性を通して穫得さ
 れたものではなく、ある種の逸脱が――ひょっとしたら狂気のようなものが――たまたまもたら
 したもののように見える。細かい服装まではわからない。私か目にすることができたのは、首か
 ら上の姿だけだったから。彼もまたその果たし合いを見守っている。しかしその成り行きにとく
 に驚いてはいないようだ。むしろそれを起こるべくして起こったこととして、純粋に傍観してい
 るように見える。あるいはその出来事の細部をいちおう念のために確認している、という風にも
 見える。娘も召使いも、背後にいるその顔の長い男の存在には気がついていない。彼らのまなざ
 しは激しい果たし合いに釘付けになっている。誰も後ろを振り返ったりはしない。

  この人物はいったい何ものなのか? 何のために彼はこうして古代の地中に潜んでいるのだろ
 う? 雨田典彦はどのような目的をもって、この得体の知れない奇怪な男の姿を、釣り合いの取
 れた構図を無理に崩すようなかたちで、わざわざ画面の端に描き込んだりしたのだろう?
  そしてだいたい、この作品になぜ『騎士団長殺し』というタイトルがつけられたのだろう?

 たしかにこの絵の中では、身分の高そうな人物が剣で殺害されている。しかし古代の衣裳をまと
 った老人の姿は、どのように見ても「騎士団長」という呼び名には相応しくない。「騎士団長」
 という肩書きは明らかにヨーロッパ中世あるいは近世のものだ。日本の歴史にはそんな役職は存
 在しない。それでも雨田典彦はあえて『騎士団長殺し』という、不思議な響きのタイトルをこの
 作品につけた。そこには何かの理由かおるはずだ。

  しかし「騎士団長」という言葉には、私の記憶を激かに刺激するものがあった。その言葉を以
 前、耳にした覚えがあった。私は細い糸をたぐり寄せるように、その記憶の痕跡を辿った。どこ
 かの小説だか戯曲だかで、その言葉を目にしたことがあるはずだ。それもよく知られた有名な作
 品である。どこかで……。



  それから私ははっと思い出した。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』だ。その冒頭に
 たしか「騎士団長殺し」のシーンがあったはずだ。私は居間のレコード棚の前に行って、そこに
 ある『ドン・ジョバンニ』のボックス・セットを取り出し、解説書に目を通した。そして冒頭の
 シーンで殺害されるのがやはり「騎士団長」であることを確認した。役には名前はない。ただ
 「騎士団長」と記されているだけだ。

  オペラの台本はイタリア語で書かれており、そこで最初に殺される老人は「コメンダトーレ
 (Ⅱ Commendatore)と記されていた。それを誰かが「騎士団長」と日本語に訳し、その訳語が
 定着したのだ。現実の「コメンダトーレ」が正確にどのような地位なのか役職なのか私にはわか
 らない。いくつかあるボックス・セットのどの解説書にも、それについての説明は記されていな
 かった。このオペラにおける役は、名前を持たないただの「騎士団長」であり、その主要な役目
 は、冒頭にドン・ジョバンニの于にかかって刺し段されることだ。そして最後に歩く不吉な彫像
 となってドン・ジョバンニの前に現れ、彼を地獄に連れて行くことだ。

  考えてみれば、わかりきったことじやないか、と私は思った。この絵の中に描かれている顔立
 ちの良い若者は、放蕩者ドン・ジョバンニ(スペイン語でいえばドン・ファン)だし、殺される
 年長の男は名誉ある騎士団長だ。若い女は騎士団長の美しい娘、ドンナ・アンナであり、召使い
 はドン・ジョバンニに仕えるレボレロだ。彼が手にしているのは、主人ドン・ジョバンニがこれ
 までに征服した女たちの名前を逐一記録した、長大なカタログだ。ドン・ジョバンニはドンナ・
 アンナを力尽くで誘惑し、それを見とがめた父親の騎士団長と果たし合いになり、刺し殺してし
 まう。有名なシーンだ。どうしてそのことに気がつかなかったのだろう?

  おそらくモーツァルトのオペラと、飛鳥時代を扱った日本画という組み合わせが、あまりにか
 け離れすぎていたからだろう。だから私の中でその二つがうまく結びつかなかったのだ。しかし
 いったんわかってしまえば、すべては明らかだった。雨田典彦はモーツァルトのオペラの世界を
 そのまま飛鳥時代に「翻案」したのだ。たしかに興味深い試みだ。それは認める。しかしその翻
 案の必然性はいったいどこにあるのだろう? それは彼の普段の画調とはあまりに違いすぎてい
 る。そしてなぜ彼は、その絵をわざわざ厳重に梱包して屋根裏に隠匿しなくてはならなかったの
 だろう?

  そしてその画面の左端の、地中から首を出す細長い顔をした人物の存在はいったい何を意味し
 ているのだろう? モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』にはもちろんそんな人物は登場
 しない。雨田典彦が何らかの意図をもって、その人物をそのシーンに描き加えたのだ。そしてま
 たオペラの中では、父親が刺し殺される現場をドンナ・アンナは実際には目撃していない。彼女
 は恋人の騎士ドン・オッタービオに助けを求めにいった。そして二人で現場仁戻ってきたときに、
 既にこときれている父親を発見するのだ。雨田典彦の絵ではその状況設定が――おそらく劇的な
 効果をあげるためだろう――微妙に変更されている。しかし地中から顔を出しているのは、どう
 見てもドン・オッタービオではない。その男の相貌は明らかに、この世の基準からははずれた異
 形のものだ。ドンナ・アンナを肋ける白面の正義の騎士ではあり得ない。

  その男は地獄からやってきた悪鬼なのだろうか? 最後にドン・ジョバンニを地獄に連れて行
 く偵察をするために、前もってここに姿を見せたのだろうか? でもどう見ても、その男は悪鬼
 や悪魔には見えなかった。悪鬼はこれほど奇妙な輝きを持つ目を持ってはいない。悪魔は正方形
 の木製の蓋をこっそり持ち上げ、地上に顔をのぞかせたりはしない。その人物はむしろある種の
 トリックスターとして、そこに介在しているように見える。私は仮にその男を「顔なが」と名付
 けた。

  それから数週間、私はその絵をただ黙って眺めていた。その繰を前にしていると、自分の繰を
 描こうという気持ちはまったく起きなかった。まともな食事をとる気にもなれなかった。冷蔵庫
 を開けて目についた野菜にマヨネーズをつけて啜るか、あるいは買い置きの缶詰を開けて鍋で温
 めるか、せいぜいそんなところだ。私はスタジオの床に座り、『ドン・ジョバンニ』のレコード
 を繰り返し聴きながら、『騎士団長殺し』を飽きることなく見つめた。日が暮れるとその前でワ
 インのグラスを傾けた。

  見事な出来の絵だ、と私は思った。しかし私か知る限り、この絵は雨田具彦のどの画集にも収
 録されていない。つまりこの作品の存在は世間一般には知られていないということになる。もし
 公開されていれば、この作品は間違いなく雨田典彦の代表作のひとつになっているはずだから。
 いつか彼の回顧展が開かれるなら、ポスターに使われてもおかしくない作品だ。そしてこれはた
 だ「見事に描けている」というだけの絵ではない。この繰の中には明らかに、普通ではない種類
 の力が座っている。それは少しなりとも美術に心得のある人なら見逃しようがない事実だ。見る
 人の心の深い部分に訴え、その想像力をどこか別の場所に誘うような示唆的な何かがそこには込
 められている。

  そして私はその画面の左端にいる型だらけの「顔なが」から、どうしても目が離せなくなった。
 まるで彼が蓋を開けて、私を個人的に地下の世界に誘っているような気がしたからだ。他の誰で
 もなく、この私をだ。実際のところ、その蓋の下にどのような世界かおるのか、私は気になって
 ならなかった。彼はいったいどこからやってきたのだろう? そこでいったい何をしているのだ
 ろう? その蓋はやがてまた閉められるのだろうか、それとも開きっぱなしになるのだろうか?


  
  私はその絵を眺めながら、歌劇『ドン・ジョバンニ』のその場面を繰り返し聴いた。序曲に繰
 く、第一幕・第三場。そしてそこで歌われる歌詞、口にされる台詞をほとんどそのまま覚えてし
 まった。

  ドンナ・アンナ
 「ああ、あの人殺しが、私のお父様を殺したのよ。
  この血……、この傷……、
  顔は既に死の色を浮かべ、
  息もこときれ、
  手足も冷たい
  お父様、優しいお父様!
  気が遠くなり、
  このまま死んでしまいそう」


さて、さて、幽翠なる春樹ワールドに踏み入れ、もう後戻りできぬようになった。次章「今のところ
は顔のない依頼人」に移る。

                                     この項つづく


 

デジタル革命からの依頼人

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      62  低姿勢  /  雷山小過(らいさんしょうか)     

                                   

       ※ 小過(しょうか)とは、小なる者が多すぎること、またすこし過ぎる
        こと。大過(28)と対になる卦である。小とは陰のこと、陰爻(い
        んこう)が陽爻(ようこう)に比べて多すぎる、つまり小粒な人間が
        はばを効かせている状態をさし、卦の形は上下背き合い、二爻ずつま
        とめれば、坎(かん:危難)となる。分裂や食い違いよって困難に直
        面している時期にあたる。こんな時は無理に大問題に取り組もうとせ
        ず、日常の事務をテキパキ片づけることが大切である。消極的過ぎる
        という非難に対し、低姿勢で事に当たるなら大吉。

 

【RE100倶楽部:風力最前線編】

● 回転電機または風力発電システムの特許事例


【要約】

回転子6は、回転軸方向に配置される複数の回転子パケット14と、回転子パケット14に配置され、
かつ一極毎に複数の永久磁石挿入孔4内に配置される複数の永久磁石5と、永久磁石挿入孔4に対し
て永久磁石5の内径側で繋がった第1の非磁性部4bと、回転軸方向に隣接する回転子パケット14
間に配置されるダクトピース15a、15bを備え、ダクトピースは、第1の非磁性部4bよりも内
径側の位置から更に内径側へ伸びて配置され、及び/または、第1の非磁性部4bよりも外径側の位
置から更に外径側へ伸びて配置されることを特徴とする、冷却性能向上と電気的特性向上を図ること
ができる回転電機または風力発電システムの提供。

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先日記載したように「再エネ」(自然エネルギー)事業の各領域(プラットフォーム)の掌握を済ま
せたが、関連する最新技術は【最前線編】として折々に取り上げてみることに。今回は第一弾という
のも編だけれど「オール風力発電システム」から、日立製作所の特許事例ををピックアップ。

風力を利用した風力発電システムでは、単機容量増加、ナセルの軽量化のため、大容量永久磁石式回
転電機が用いられ始められているが、大容量の永久磁石式発電機では、大きな損失が発生し、安易に
小型化すると損失密度の増加に伴う機内温度の上昇が問題になる。特に永久磁石は温度が高くなるほ
ど磁束密度が低下し、規定値を超えると低下した磁束密度が戻らなくなる不可弱減磁が発生、回転子
の交換等メンテナンスが必要となる。発熱密度の高い永久磁石式回転電機を用いるには、冷却機能の
強化が必要となり、回転電機にラジアルダクトを設ける方法が考案されている(下図参照)。

 Jun. 12, 2014

ここで、例えば特許文献1特許文献2に記載されたものがある。特許文献1には、複数の鉄心ブロ
ックを備えた回転子鉄心と、このような複数の鉄心ブロックの相互間に配置され、円板状のダクト板
及びダクト板上に放射状に配置された複数のダクトピースを備えたダクト部材と、鉄心ブロックに埋
め込まれた複数の永久磁石と、このダクト板に形成され、永久磁石を挿通可能な複数の貫通孔と、を
有することを特徴とする回転電機の回転子をもつ永久磁石式回転電機が示されている。

径方向へ冷却風が抜ける経路を形成するダクトピースを設けることは有効であり、これにより冷却性
向上する。一方、電気的特性は、特許文献1では、永久磁石の内径側に非磁性部がなく、内径側への
漏れ磁束の低減の配慮がない。また、特許文献2では、永久磁石の内径側に空隙部を設けてはいるも
のの、この空隙部間を径方向に貫いてダクトピースを設け、ダクトピースが漏れ磁束の経路になる可
能性もあるとし、この事例では、冷却性能/電気的特性の向上できる回転電機または風力発電システ
ムが提案される。

この課題を解決に、回転軸と、軸の周りの回転子と、回転子に対して所定のギャップを介して対向配
置される固定子コアに設けられた複数のスロット内のコイルに施された固定子を備えた回転電機であ
る。この回転子は、回転軸方向に配置される複数の回転子パケットと、回転子パケットに配置され、
かつ一極毎に複数の永久磁石挿入孔内に配置された複数の永久磁石と、この永久磁石挿入孔に対し、
永久磁石の内径側で繋がった第1の非磁性部と、回転軸方向に隣接する回転子パケット間に配置され
たダクトピースを備え、このダクトピースは、第1の非磁性部よりも内径側の位置から更に内径側へ
伸びて配置され、及び/または、この第1の非磁性部よりも外径側の位置から更に外径側へ伸び配置
されている。また、この風力発電システムは、風を受けて回転するロータと、ロータを回転可能に支
持するナセルと、ナセルを回転可能に支持するタワーと、ロータの回転力を用いて発電する発電機を
備え、発電機が、この回転電機であることで、冷却性能/電気的特性の向上できる回転電機/風力発
電システムである(詳細は上記の特許説明図をダブクリ参照)。 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

 

    6.今のところは顔のない依頼人です

  エージェントから電話がかかってきたのは、夏もそろそろ終わりを迎えた頃だった。誰かから
 電話がかかってくるのは久しぶりのことだ。昼間にはまだ夏の暑さが残っていたが、日が暮れる
 と山の中の空気は冷え込んだ。あれはどうるさかった蝉の声がだんだん小さくなり、そのかわり
 に虫たちが盛大な合唱を繰り広げるようになった。都会に暮らしているときとは遠って、私を取
 り囲む自然の中で、推移する季節はその取り分を遠慮なく切り取っていった。
  我々はまず最初に、それぞれの近況の報告をしあった。とはいっても、話るべきことはたいし
 てない。



 「ところで、画作の方はうまく捗(はかど)ってますか?」
 「少しずつね」と私は言った。もちろん嘘だ。この家に移ってきて四ケ月あまり、用意したキャ
 ンバスはまだ真っ白なままだ。
 「それはよかった」と彼は言った。「そのうちに作品を少し見せて下さい。何かお手伝いできる
 ことがあるかもしれませんから」
 「ありがとう。そのうちに」

  それから彼は用件を切り出した。「ひとつお願いがあって電話を差し上げました。どうでしょ
 う? 一度だけ、肖像画をまた描いてみる気はありませんか?」

 「肖像画の仕事はもうしないって言ったはずですよ」
 「ええ、それはたしかにうかがいました。でもこの話は報酬が法外にいいんです」
 「法外に良い?」
 「飛び抜けて素晴らしいんです」
 「どれくらい飛び抜けているんだろう?」

  彼は具体的に数字をあげた。私は思わず口笛を吹きそうになった。でももちろん吹かなかった。

 「世の中には、ぼくのほかにも肖像画を専門に描く人はたくさんいるはずだけど」と私は冷静な
 声で言った。
 「それほどたくさんではないけれど、そこそこ腕の立つ肖像専門の両家は、あなたのほかにも何
 人かいます」
 「じやあ、そちらに話を持っていけばいい。その金額なら、誰だって二つ返事で引き受けるでし
 ょう」
 「先方はあなたを指名しているんです。あなたが描くということが先方の条件になっています。
 他の人では駄目だと」

  私は受話器を右手から左手に持ち替え、右手で耳の後ろを掻いた。
  相手は言った。「その人はあなたの描いた肖像画を何点か目にして、とても気に入ったそうで
 す。あなたの絵の持つ生命力が、ほかでは求めがたいということで」
 「でもわからないな。だいいちぼくがこれまで描いた肖像画を、一般の人が何点か目にするなん
 て、そんなことが可能なんでしょうか? 画廊で毎年個展を開いているわけでもあるまいし」
 「細かい事情までは知りません」と彼は少し困ったような声で言った。「私はクライアントから
 言われたとおりのことをお伝えしているだけです。あなたはもう肖像画を描く仕事とは手を切っ
 ていると、最初に先方に言いました。決心は堅そうだから、額んでもまず駄目でしょうと。でも
 先方はあきらめませんでした。そこでこの具体的な金額が出てきたわけです」

 Banana Republic

  私は電話口でその提案について考えてみた。正直なところ、提示された金額には心をひかれた。
 また私の描いた作品に――たとえ賃仕事として半ば機械的にこなしたものであれ――それだけの
 価値を見出す人がいるということに、少なからず自尊心をくすぐられもした。しかし私はもう二
 度と営業用の肖像画は描くまいと自らに誓った。妻に去られたことを契機として、もう一度人生
 の新しいスタートを切るうという気持ちになったのだ。まとまった金を目の前に積まれただけで 
 簡単に決心を覆すことはできない。

 「しかしそのクライアントは、どうしてそれほど気前がいいのでしょう?」と私は尋ねてみた。
 「こんな不景気な世の中ですが、その一方でお金が余っている人もちやんといるんです。インタ
 ーネットの株取り引きで儲けたか、あるいはIT関係の起業家か、そんな関係の人であることが
 多いようです。肖像画の制作なら経費で落とすことができますしね」
 「経費で落とす?」
 「帳簿上では肖像画は美術品ではなく、業務用の備品扱いにできますから」
 「それを間くと心が温まる」と私は言った。



  インターネットの株取り引きで儲けた人間や、IT関係のアントレプレナーたちが、いくら金
 が余っているにせよ、たとえ経費で落とせるにせよ、自分の肖像画を描かせて備品としてオフィ
 スの壁に掛けたがるとは私には思えなかった。その多くは洗いざらしのジーンズとナイキのスニ
 ーカー、くたびれたTシャツにバナナ・リパブリックのジャケットという格好で仕事をし、スタ
 ーバックスのコーヒーを紙コップで飲むことを誇りとするような若い連中だ。重厚な油絵の肖像
 画は彼らのライフスタイルには似合わない。でも世の中にはもちろんいろんなタイプの人開かい
 る。一概にこうと決めつけることはできない。スターバックス(だかどこか)のコーヒー(もち
 ろんフェア・トレードのコーヒー豆を使用したもの)を紙コップで飲んでいるところを描いては
 しがる人間だっていないとは限らない。

 「ただし、ひとつだけ条件があります」と彼は言った。「そのクライアントを実際のモデルにし
 て、対面して描いてもらいたいというのが先方の要望です。そのための時間は用意するからと」
 「でも、ぼくはだいたいそういう描き方はしませんよ」
 「知っています。クライアントと個人的に面談はするけれど、実際の両性のモデルとしては使わ
 ない。それがあなたのやり方です。そのことは先方にも伝えました。そうかもしれないが、でも
 今回はしっかり本人を目の前にして描いてほしい。それが先方の条件になります」
 「その意味するところは?」
 「私にはわかりません」
 「ずいぶん不思議な依頼ですね。なぜそんなことにこだわるんだろう? モデルをつとめなくて
 もいいなら、むしろありかたいはずなのに」
 「一風変わった依頼です。しかし報酬に関しては申し分ないように思いますが」
 「報酬に関しては申し分ないとぼくも思います」と私は同意した。
 「あとはあなた次第です。なにも魂を売ってくれと言われているわけじゃない。あなたは肖像画
 家としてとても腕がいいし、その腕が見込まれているんです」
 「なんだか引退したマフィアのヒットマンみたいだな」と私は言った。「最後にあと一人だけタ
 ーゲットを倒してくれ、みたいな」
 「でもなにも血が流されるわけじゃない。どうです、やってみませんか?」

  血が流されるわけじゃない、と私は頭の中で繰り返した。そして『騎士団長殺し』の画面を思
 い浮かべた。

 「それで描く相手はどんな人なんですか?」と私は尋ねた。
 「実を言うと、私も知りません」
 「男か女か、それもわからない?」
 「わかりません。性別も年齢も名前も、何も聞いていません。今のところは純粋に頼のない依頼
 人です。代理人と名乗る弁護士がうちに電話をかけてきて、その人とやりとりしただけです」
 「でもまともな話なんですね?」
 「ええ、決してあやしい話じゃありません。相手はしっかりした弁護士事務所でしたし、話がま
 とまれば着手金をすぐに振り込むということでした」

  私は受話器を握ったままため息をついた。「急な話なので、すぐには返事ができそうにない。
 少し考える時間がはしいんですが」
 「いいですよ。得心がいくまで考えてみてください。とくに差し迫った話ではないと先方は言っ
 ています」

  私は礼を言って電話を切った。そして他にやることも思いつかなかったので、スタジオに行っ
 て明かりをつけ、床に座って『騎士団長殺し』の絵をあてもなく見つめた。そのうちに小腹が減
 ってきたので、台所に行って、トマトケチャップと皿に盛ったリッツ・クラッカーを持って戻っ
 てきた。そしてクラッカーにケチャップをつけて食べ、また絵を眺めた。そんなものはもちろん
 美味くもなんともない。どちらかといえばひどい味がする。しかし美味くても美味くなくても、
 そのときの私にとっては些細なことだった。空腹が少しでも満たされればそれでかまわない。

  その絵は全体としてまた細部として、私の心をそれほど強く惹きつけていた。ほとんどその絵
 の中に囚われてしまったといってもいいくらいだった。数週間かけてその絵を眺め尽くしたあと
 で、私は今度は近くに寄って、ひとつひとつのディテールをとりあげ、細かく検証してみた。と
 くに私の関心を惹きつけたのは、五人の人物たちが顔に浮かべている表情だった。私はその絵の
 中の一人ひとりの表情を鉛筆で精密にスケッチした。騎士団長から、ドン・ジョバンニからドン
 ナ・アンナからレポレロから、「顔なが」に至るまで。読書室が本の中の気に入った文章を、ノ
 ートに一字一句違わずに丁寧に書き写すように。

  日本画に描かれた人物を自分の筆致でデッサンするのは、私にとって初めての体験だったが、
 やり始めてすぐにそれが予想していたより遥かにむずかしい試みであることがわかった。日本画
 はもともと線が中心になっている絵画だし、その表現法は立体性より平面性に傾いている。そこ
 ではリアリティーよりも象徴性や記号性が重視される。そのような視線で描かれた画面を、その
 ままいわゆる「洋画」の語法に移し替えるのは本来的に無理かおる。それでも何度かの試行錯誤
 の来に、それなりにうまくこなせるようになった。そのような作業には「換骨奪胎」とまではい
 かずとも、自分なりに画面を解釈し「翻訳」することが必要とされるし、そのためには原画の中
 にある意図をまず把握しなくてはならない。言い換えるなら、私は――あくまで多かれ少なかれ
 ではあるけれど――雨田典彦という画家の視点を、あるいは人間のあり方を理解しなくてはなら
 ない。比喩的に言うなら、彼の履いている靴に自分の足を入れてみる必要がある。

  そのような作業をしばらく続けたあとでふと、「久しぶりに肖像画を描いてみるのも悪くない
 かもな」と私は考えるようになった。どうせ何も描けないでいるのだ。何を描けばいいのか、自
 分か何を描きたいと思っているのか、そのヒントさえつかめないでいる。たとえ意に染まない仕
 事であれ、実際に手を動かして何かを描いてみるのも悪くないかもしれない。何ひとつ生み出せ
 ない日々をこのまま続けていたら、本当に何も描けなくなってしまうかもしれない。肖像画すら
 描けなくなってしまうかもしれない。もちろん提示された報酬の金額にも心を惹かれた。今のと
 ころこうしてほとんど生活費のかからない生活を送っているが、絵画教室の収入だけではとても
 生活はまかなえない。長い旅行もしたし中古のカローラ・ワゴンも買ったし、蓄えは少しずつで
 はあるが間違いなく減り続けている。まとまった額の収入はもちろん大きな魅力だった。

  私はエージェントに電話をかけ、今回に限って仕事を引き受けてもいいと言った。彼はもちろ
 ん喜んだ。

 「しかしクライアントと対面して、実物を前に描くとなると、ぼくがそこまで出向かなくちやな
 らないことになります」と私は言った。
 「そのご心配は無用です。先方があなたの小田原のお宅に伺うということでした」
 「小田原の?」
 「そうです」
 「その人はぼくの家を知っているのですか?」
 「お宅の近隣にお住まいだということです。雨田典彦さんのお宅に住んでおられることもご存じ
 でした」

  私は一瞬言葉を失った。それから言った。「不思議ですね。ぼくがここに住んでいることはほ
 とんど誰も知らないはずなんだけど。とくに雨田典彦の家であることは」

 「私ももちろん知りませんでした」とエージェントは言った。
 「じやあ、どうしてその人は知っているのだろう?」
 「さあ、そこまで私にはわかりません。しかしインターネットを使えばなんだってわかってしま
 う世界です。手慣れた人の手にかかれば、個人的な秘密なんて存在しないも同然かもしれません
 よ」
 「その人がうちの近くに住んでいたというのはたまたまの巡り合わせなのかな? それとも近く
 に住んでいるからというのも、先方がぼくを選んだ理由のひとつになっているんでしょうか?」
 「そこまではわかりません。先方と顔を合わせてお話しになるときに、知りたいことがあればご
 自分で訊いてみてください」

  そうすると私は言った。

 「それでいつから仕事にとりかかれますか?」
 「いつでも」と私は言った。
 「それでは先方にそのように返事をして、あとのことはあらためて連絡をします」とエージェン
 トは言った。

  受話器を置いてから、私はテラスのデッキチェアに横になって、その成り行きについて考えを
 巡らせた。考えれば考えるほど疑問の数が増えていった。私がこの家に住んでいることをその依
 頼人が知っていたという事実が、まず気に入らなかった。まるで自分が誰かにずっと見張られ、
 一挙一動を観察されていたような気がした。しかしどこの誰が、いったい何のために、私という
 人間にそれほどの関心を抱くのだろう? そしてまた金体的にいささか話がうますぎるという印
 象がある。私の描く肖像画はたしかに評判はよかった。私自身もそれなりの自信を持っている。
 とはいえそれは所詮どこにでもある肖像画だ。どのような見地から見てもそれを「芸術品」と呼
 ぶことはできない。そして私は世間的に見ればまったく無名の画家だ。いくら私の絵をいくつか
 目にして個人的に気に入ったにせよ(私としてはそんな話を額面通り受け取る気にはなれなかっ
 たが)、そこまで気前よく報酬をはずむものだろうか?

  ひょっとしてその依頼主は、私が現在関係を持っている女性の夫ではあるまいか? そんな考
 えがふと私の脳裏をよぎった。具体的な根拠はないのだが、考えれば考えるほどそういう可能性
 もなくはないように思えてきた。私に個人的に興味を持つ匿名の近所の人間となると、それくら
 いしか思いつけない。でもどうして彼女の夫が、大金を払ってわざわざ妻の浮気相手に自分の肖
 像画を描かせなくてはならないのだろう? 話の筋が通らない。相手がよほど変質的な考え方を
 する人間でない限りは。

 デジタル革命からの依頼人

  まあいい、と私は最後に思った。目の前にそういう流れがあるのなら、いったん流されてみれ
 ばいい。相手に何か隠された目論見かおるのなら、その目論見にはまってみればいいじやないか。
 動きがとれないまま、こうして山の中で立ち往生しているよりは、その方がよほど気が利いてい
 るかもしれない。そしてまた私には好奇心もあった。私かこれから相手にしようとしているのは、
 いったいどのような人物なのだろう? その相手は多額の報酬を積む見返りとして、私に何を求
 めているのだろう? その何かを見届けてみたいと私は思った。

  そう心を決めてしまうと、気持ちは少し楽になった。その夜は、久しぶりに何も考えずにまっ
 すぐ深い眠りに入ることができた。夜中にみみずくの動き回るがさがさという音を間いたような
 気がした。しかしそれは切れ切れな夢の中の出来事だったかもしれない。


このように依頼人とのかなり細かな電話での描写がつづき、次章の「良くも悪くも覚えやすい名前」
に移る。眼精疲労がひどいが、ここは、先回りせず何とか丹念に?読み続けよう。

                                      この項つづく

 

今夜の三つの新星

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          63  完成美  /  水火既済(すいかきせい)  

 

                                   

       ※ 既済(きせい)とは、万事成る、事がすべて成就したことである。この
        卦は、各爻すべて正位にあり、みな正応するものがある。易の理論から
        言えば、もっとも理想的な形なのである。苦難の努力の果てに、すべて
        の人が相応の地位を得て安定し、一致協力して平和を守っている状態な
        のだ。しかし易とは、やむなきこと変化であり、完成は同時に崩壊のは
        じめである。完成してしまえば創造のエネルギーは乏しくなる。いまは
        新しい事業に手を出すことなく、ひたすら現状維持に意を注ぐことが大
        切である。





● 3つのノバ:世界初、生物由来の蓄電型太陽電池

【RE100倶楽部:太陽光最前線編】


  Mar. 31, 2017

写真1.画期的な試作電極(右)/太陽電池一体型蓄電池(左)

先月31日、北米のシダをヒントに RMIT大学研究グループは、エネルギーソリューションとして画
期的な生物由来の蓄電型太陽電池開発に成功する。その特徴は、既存の蓄電池の何と30倍以上の容
量が蓄電でき、グラフェン基材としたこの試作品は、建物、自動車、スマートフォン、ラップトップ、
スマートフォンに使用できる薄膜/可撓/蓄電一体型の太陽電池への開発に新たな道を切り開いたこ
とにある(上写真ダブクリ参照)。新しい電極は、従来の電池よりもはるかに速く充電/放電可能な
スーパーキャパシタ構造で動作。スーパーキャパシターは太陽電池の一体型(オールインワン)で、
容量に制約がある。グー教授は、「フラクタル」と呼ばれる複雑な自己繰り返しパターンによって、
新しいデザインが自然の独自の天才的な解決策を引き出し、最も効率的な方法でスペースを埋めると
いう課題に取り組んだという。西部剣シダ(Western Sword Ferns)に密集する葉脈にエネルギーを蓄
え、植物の周りに水を輸送するのに非常に効率的だ。この電極は、雪片内部のミニ構造に似た自己複
製するフラクタル形状を基に、ナノレベルの太陽エネルギーが貯蔵できるよう効率的設計に利用した
ことで、試作機では、現在の容量限界の30倍以上という大幅に増やすことができたため、この電極
をスーパーキャパシタと組み合わせ使用している。さらに、この容量増強されたスーパーキャパシタ
ーは、長期信頼性と短時間で充電/放電が可能であり、このフラクタルデザインは、北米西部産の西
部剣シダの葉脈の自己反復形状取り入れ、フラクタル対応のレーザー還元型グラフェン電極は貯蔵電
荷を最小限の漏れで長く保持できるとと話す。

  Mar. 31, 2017

写真3.開発したリティ・テッカケラ博士とミン・グー教授

この研究グループのリティ・テッカケラ博士は、フレキシブルな薄膜なので、潜在的な用途は無限に
あり、最も興味を惹くことは、この電極を太陽電池とともに、オンチップ型の発電と貯蔵のトータル
ソリューションできる。近い将来、フレキシブルな薄膜太陽光技術と試作器を統合することで、フレ
キシブル薄膜ソーラーは、建物の窓、スマートフォン、スマートウォッチまで、考えられるところは
どこにでも使用でき、ハイブリッド車の充電ステーション、あるいは電話の充電バッテリーを必要と
しなくなる。この柔軟な試作電極を使用して、課題の蓄電部分を解決し、太陽電池の性能に影響を与
えることな、どのように動作するかを呈示した。今や、フレキシブルな太陽エネルギーに焦点を当て
完全に太陽光だで自立した電子工学のビジョン達成に取り組むことができると話す。 

 Mar. 31, 2017

写真2.北米産西部剣シダ(Western Sword Ferns)葉脈のフラクタルパターン(×400倍)

 

Titol: Bioinspired fractal electrodes for solar energy storages、Scientific Reports 7, Article number: 45585 (2017)
     doi:10.1038/srep45585, Published online:31 March 2017

 ● 3つのノバ:室温プロセスでフィルム型色素増感太陽電池の事業化

【RE100倶楽部:太陽光最前線編】

1つめの新星につづき、2つめは太陽電池の製造技術である。この2つが融合することで、1つめで
記載したオールインワン型発電/蓄電システムが実現する。

先月29日、積水化学工業株式会社は、世界で初めてフィルム型色素増感太陽電池生産プロセス(ロ
ール・ツー・ロール量産技術を完成させ、パイロット生産機を導入したことを発表。今後、①低照度
でも発電(照度500ルクス以下)、②薄い(1mm以下)、③軽い(ガラスの1/10以下)、④
曲がる、⑤貼れるというフィルム型色素増感太陽電池の特長を活かし、屋内(住宅、事務所)・車内
・地下街など様々な場所で使用されるエネルギーハーベスト向け独立電源として事業化していき、ま
ず、電子広告およびIoTセンサー分野の独立電源として17年度に発売。将来的には、25年度に
売上高100億円規模に事業拡大する。

 

 ● 3つのノバ:世界初 スペインの革命的なデジタル編み機

良い縫製! スペインのデザイナー、ジェラール・ルビオは革命的なデジタル編み機で現場に戻り、レ
ノジェイド社(Kniterate)と改名。3D印刷に触発されたこの機械は、ユーザーフレンドリーなソフトウ
ェアで操作してニット衣服を一から作成し、テンプレートをデザイン、編集し、服飾のイメージをア
ップロードするだけで縫製する。

ルビオ氏は形やサイズを独自にデザインできるようにとひらめきこの編み機の開発のきっかけとなっ
た。革新的な製品は、従来の方法でセーターを編む余裕がなく、衣装を別注したい人を対象とし、あ
るいは、独立デザイナーや既存の衣類ブランドにも新しい収益源の機会を提供するとともに、大型小
売業で発生する膨大な廃棄物を削減することにも貢献するものとして発案される。このようにレノジ
ェイド社では、基本的に伝統的な編み方を現代的に転換。何百ものコンピューター制御ニードルを装
備したニットウェアを生み出す各々のループパターンを作成し、その形状、色、サイズは使いやすい
ソフトウェアプログラムで事前に作成する。開発者のルビオ氏は、このソフトウェアはまだ開発継続
中であるが、開発チームはプロトタイプのウェブベースのアプリを制作。これでにより、アクセス権
を持つユーザが独自のパターンをデザインすることがきる。

この種の発明は、縫製だけでなく、再生医療に応用展開できる(ex.US 9603698 B2,Biocompatible mesh
implant, Mar.28,28) 、この分野の事業家も3Dプリンタ事業と同じく成長していくだろう。これは面白い。 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

     7.良くも悪くも覚えやすい名前

  東京のエージェントとのあいだで何度か電話のやりとりがあり、翌週の火曜日の午後にその謎
 のクライアントと顔を合わせることになった(その時点でも相手の名前はまだ明らかにされなか
 った)。最初の日には初対面の挨拶をし、一時間ほど会話をするだけで、実際に絵を描く作業に
 はかからないという私の従来の手順は認めてもらった。

  肖像画を描くために必要なのは言うまでもなく、相手の顔の特徴を的確にとらえる能力だが、
 それだけでは十分とは言えない。それだけだとただの似顔絵になってしまいかねない。生きた肖
 像画を描くために必要とされるのは、相手の顔だちの核心にあるものを見て取る能力だ。顔はあ
 る意味では手相に似ている。もって生まれたものというよりはむしろ、歳月の流れの中で、また
 それぞれの環境の中で徐々に形作られてきたものであり、同一のものはひとつとしてない。

  火曜日の朝、私は家の中をきれいに片付け、掃除をし、花瓶に庭で摘んできた花を飾り、『騎
 士団長殺し』の絵をスタジオから客用の寝室に移動し、もともとかけられていた茶色の和紙で色
 んで見えないようにしておいた。その絵を他人の目に洒すわけにはいかない。

  一時五分過ぎに一台の車が急な坂道を上ってきて、玄関前の車寄せに停まった。重く野太いエ
 ンジン音がしばらくあたりに響き渡った。大きな動物が洞窟の奏で満足げに喉を鳴らしているよ
 うな音だ。おそらく排気量の大きなエンジンだろう。それからエンジンが停止し、谷間に再び静
 寂が降りた。銀色のジャガーのスポーツ・クーペだった。ちょうど雲間からこぼれた太陽の光が、
 よく磨かれた長いフェンダーに眩しく反射していた。私はそれほど車に詳しくはないので、型式
 まではわからない。しかしそれが最新型のモデルであり、走行キロ数はまだ四桁に留まっており、
 その価格は私か中古のカロ土フ・ワゴンに払った額の少くとも二十倍はするだろうという程度の
 ことは推測できた。しかしとくに驚くような話ではない。自分の肖像画にそれだけの大金を出す
 ことができる人物なのだ。たとえ大型ヨットに乗ってやってきたところで何の不思議もない。



  車から降りてきたのは身なりの良い中年の男だった。濃い緑色のサングラスをかけ、長袖の真
 っ白なコットンのシャツに(ただ白いだけではない。真っ白なのだ)、カーキ色のチノパンツを
 はいていた。靴はクリーム色のデッキシューズ。身長は百七十センチより少し高いくらいだろう。
 顔はむらなく、ほどよく目焼けしていた。いかにも清潔そうな雰囲気が全体に漂っていた。しか
 し彼に関して最初に私の目を惹いたのは、なんといってもその髪たった。軽くウェーブのかかっ
 た豊富な髪は、おそらく一本不残らず白髪だった。灰色とかごま塩とか、そういうのではない。
 とにかくすべてが積もりたての処女雪のように純白なのだ。

  彼が車を降りて、ドアを閉め(高級車のドアを無造作に閉めるときの、独特の小気味良い音が
 した)、ロックはせずに車のキーをズボンのポケットに入れ、うちの玄関の方に歩いてやってく
 るのを、私は窓のカーテンの隙間から見守っていた。とても美しい歩き方だった。背筋がまっす
 ぐ伸ばされ、必要な筋肉が隅々までまんべんなく使われている。きっと日常的に何か運動をして
 いるのだろう。それもかなりしっかりと。私は窓の前を離れ、居間の椅子に腰を下ろし、そこで
 玄関のベルが鳴るのを待った。ベルが鴫ると、ゆっくり玄関まで歩いて行って、ドアを開けた。

  私かドアを開けると、男はサングラスをはずし、シャツの胸ポケットに入れ、それから何も言
 わずに手を前に差し出した。私もほとんど反射的に手を差し出した。男は私の手を握った。アメ
 リカ人がよくやるような、力強い握手だった。私の感覚からいうと少し力が強すぎたが、痛いと
 いうほどではない。

 「メンシキです。よろしく」と男は明瞭な声で名乗った。講演会の最初に、講演者がマイクのテ
 ストを兼ねて挨拶をするような口調だった。
 「こちらこそ」と私は言った。「メンシキさん?」
 「免税店の免に、色合いの色と書きます」
 「免色さん」と私は頭の中で二つの漢字を並べてみた。なんとなく不思議な字の組み合わせだ。
 「色を免れる」と男は言った。「あまりない名前です。うちの親族を別にすれば、ほとんど見か
 けません」
 「でも覚えやすい」
 「そのとおりです。覚えやすい名前です。良くも悪くも」と男は言って微笑んだ。頬から顎にか
 けてうっすらと無精祭がのびていたが、おそらく無精聚ではないのだろう。正確に数ミリぶんわ
 ざと剃り残されているのだろう。型は髪とは違い、半分くらいは黒かった。髪だけがなぜそれほ
 ど見事に真っ白になれたのか、私には不思議だった。



 「どうぞお入りください」と私は言った。

  免色という男は小さく会釈をし、靴を脱いで家に上がった。身のこなしはチャーミングだが、
 そこにはいくらか緊張が含まれているようだった。新しい場所に連れてこられた大きな猫のよう
 に、ひとつひとつの動作が用心深く柔らかで、その目は素遠くあちこちを観察していた。

 「快適そうなお住まいですね」と彼はソファに腰を下ろして言った。「とても静かで落ち着いて
 いる」
 「静かなことはとても静かです。買い物とかをするには不便ですが」
 「でもあなたのようなお仕事をなさるには、きっと理想的な環境なのでしょうね」
 私は彼の向かいの椅子に腰を下ろした。
 「免色さんもこの近くにお住まいと聞きましたが」
 「ええ、そうです。歩いて来ると少し時間はかかりますが、直線距離でいうならかなり近いで
 す」
 「直線距離でいうなら」と私は相手の言葉を繰り返した。その表現がどことなく奇妙に響いたか
 らだ。「直線距離でいうなら、具体的にどれくらい近くなのでしょうか?」
 「手を振れば、見えるくらいです」
 「つまりここからあなたのお宅が見えるということですか」
 「そのとおりです」
 どう言えばいいのか遠っていると、免色が言った。こっちをご覧になりますか?」
 「できれば」と私は言った。

 「テラスに出てかまいませんか?」
 「もちろんどうぞ」

  免色はソファから起ち上がり、居間からそのまま続いているテラスに出た。そして手すりから
 身を乗り出すようにして、谷間を隔てた向かい側を指さした。

 「あそこに白いコンクリートの家が見えるでしょう。山の上の、陽を受けてガラスが眩しく光っ
 ている家です」

  そう言われて私は思わず言葉を失った。それは私が夕暮れにテラスのデッキチェアに寝転んで、
 ワイングラスを傾けながらよく眺めていた、あの瀟洒な邸宅だった。私の家の右手はす向かいに
 ある、とても目立つ大きな家だ。

 「少し距離はありますが、大きく手を振れば、挨拶くらいはできそうです」と免色は言った。
 「それにしても、ぼくがここに住んでいると、どうやってわかったんですか?」と私は手すりに
 両手を置いたまま彼に尋ねた。

  彼はわずかに戸惑ったような表情を顔に浮かべた。本当に戸惑っているわけではない。ただ戸
 惑っているように見せているだけだ。とはいえそこには演技的な要素はほとんど感じられなかっ
 た。彼は受け答えに少し間を置きたかっただけなのだ。

  免色は言った。「いろんな情報を効率よく手に入れるのが、私の仕事の一部になっています。
 そういうビジネスに携わっています」
 「インターネット関連ということですか?」
 「そうです。というか正確に言えば、インターネット関連も私の仕事の一部に含まれているとい
 うことですが」
 「でもぼくがここに往んでいることは、まだほとんど誰も知らないはずなんですが」

  免色は微笑んだ。「ほとんど誰も知らないというのは、逆説的に言えば、知っている人が少し
 はいるということです」

  私はもう一度谷間の向かい側の、その白い豪華なコンクリートの建物に目をやった。それから
 あらためて免色という男の姿かたちを眺めた。おそらく彼があの家のテラスに、毎夜のように姿
 を見せていた男なのだろう。そう思って見てみると、彼の体型や身のこなしは、その人物のシル
 エツトにぴたりとあてはまるようだった。年齢はうまく判断できない。雪のように真っ白な髪を
 見ると、五十代後半か六十代前半のようにも見えたが、肌は艶やかで張りがあり、頼には皺ひと
 つなかった。そしてその一対の奥まった目は三十代後半の男の若々しい輝きを放っていた。それ
 らをすべて総合して実際の年齢を算出するのは至難の業だった。四十五歳から六十歳までのどの
 年齢だと言われても、そのまま信用するしかないだろう。

  免色は居間のソファの上に戻り、私も居間に戻ってまた彼の向かい側に腰を下ろした。私は思
 いきって切り出した。

 「免色さん、ひとつ質問があるのですが」
 「もちろん。なんでも訊いてください」と相手はにこやかに言った。
 「ぼくがあなたの家の近くに往んでいることは、今回の肖像画のご依頼と何か関係あるのでしょ
 うか?」

  免色は少しばかり困ったような頼をした。彼が困ったような頼をすると、目の両脇に数本の小
 さな皺が寄った。なかなかチャーミングな皺だった。彼の顔の造作は、ひとつひとつ見るととて
 もきれいに整っていた。眼は切れ長で少しばかり奥まり、額は端正に広く、眉はくっきりと濃く、
 鼻は細くて適度に高い。小柄な顔にぴたりと似合う目と眉と鼻だ。しかし彼の顔は小柄というに
 は、いくぶん横に広がりすぎていて、そのせいで純粋に美的な観点から見ると、そこにいささか
 のバランスの悪さが生じていた。縦横の均衡がうまくとれていないのだ。しかしその不均衡を一
 概に欠点と訣めつけることはできない。それはあくまで彼の顔立ちのひとつの持ち昧になってお
 り、そのバランスの悪さには、逆に見るものを安心させるところがあったからだ。もしあまりに
 きれいに均整がとれていたら、人はその容貌に対して軽い反感を持ち、警戒心を抱いたかもしれ
 ない。しかしその顔には、初対面の相手をひとまずほっとさせるものがあった。それは「大丈夫
 です、安心してください。私はそれほど悪い人間じやありません。あなたにひどいことをするつ
 もりはありませんから」と愛想良く語りかけているように見えた。

  尖った大きな耳の先が、きれいにカットされた白髪の間から小さく顔をのぞかせていた。その
 耳は新鮮な生命力のようなものを私に感じさせた。それは秋の雨上がりの朝、積もった落ち葉の
 あいだからぐいと頭をのぞかせている、森の活発なキノコを思わせた。口は横に広く、細い唇は
 きれいにまっすぐに閉じられ、いつでもすぐに微笑むことができるように怠りなく準備を整えて
 いた。

  彼をハンサムな男と呼ぶことはもちろん可能だった。また実際のところハンサムなのだろう。
 しかし彼の顔立ちには、そのような通り二遍の形容をはねつけ、あっさり無効化してしまうとこ
 ろがあった。彼の顔はただハンサムと呼ぶにはあまりに生き生さとして、動きが精妙だった。そ
 こに浮かんだ表情は計算してこしらえられたものではなく、あくまで自然に自発的に浮かび上が
 ってきたもののように見えた。もしそれが意図されたものであったとしたら、彼は相当な演技者
 ということになるだろう。しかしたぶんそうではあるまいという印象を私は待った。

  私は初対面の人の順を観察し、そこから様々なものごとを感じとる。それが習慣になっている。
 多くの場合、そこには具体的な根拠のようなものはない。あくまで直観に過ぎない。しかし肖像
 画家としての私を肋けてくれるのは、ほとんどの場合そのようなただの直観なのだ。

 「答えはイエスであり、ノーです」と免色は言った。彼の手は両膝の上で、手のひらを上に向け
 て 大きく開かれ、それからひっくり返された。

  私は何も言わずに彼の次の言葉を待った。

 「私は、近所にどのような人が往んでおられるのか、気になる人間です」と免色は続けた。「い
 や、気になるというより興味を待つ、という方が近いかもしれません。とくに谷間越しにちょく
 ちょく順を合わせるような場合には」

 順を合わせるという表現にはいささか遠すぎる距離ではないかと私は思ったが、何も言わなか
 った。彼が高性能の望遠鏡を所持しており、それを使ってこっそりうちを観察していたのではな
 いかという可能性が順にふと浮かんだが、そのことももちろん口にはしなかった。そもそもいか
 なる理由があって、彼がこの私を観察したりしなくてはならないのか?

 「それであなたがここにお往まいになっていることを知りました」と免色は話を続けた。「あな
 たが専門的な肖像画家であることがわかり、興味をひかれてあなたの作品をいくつか拝見しまし
 た。最初はインターネットの画像で見たのですが、それでは飽きたらず、実物を三つばかり見せ
 ていただきました」

  それを聞いて、私は首をひねらないわけにはいかなかった。「実物を見たとおっしやいます
 と?」

 「肖像画の持ち主、つまりモデルになった人々のところに行って、お願いして見せていただいた
 んです。みんな喜んで見せてくださいましたよ。自分の肖像画を見たいという人がいると、描か
 れた本人としてはずいぶん嬉しいものみたいですね。それらの絵を間近に見せていただき、そし
 て実際のご本人の願と見比べていると、私はいささか不思議な気持ちになりました。絵と本物と
 を見比べていると、だんだんどちらがリアルなのかわからなくなってきたからです。どういえば
 いいのでしょう、あなたの絵には何かしら、見るものの心を普通ではない角度から刺激するもの
 があります。一見すると通常の型どおりの肖像画なんですが、よくよく見るとそこには何かが身
 を潜めています」

 「何か?」と私は尋ねた。
 「何かです。言葉ではうまく表現できないのですが、本物のパーソナリティーとでも呼べばいい
 のでしょうか」
 「パーソナリティー」と私は言った。「それはぼくのパーソナリティーなのですか? それとも
 描かれた人のパーソナリティーなのですか?」
 「たぶん両方です。絵の中でおそらくそのふたつが混じり合い、俯分けができないくらい精妙に
 絡み合っているのでしょう。それは見過ごすことのできないものです。ぱっと見てそのまま通り
 過ぎても、何かを見落としたような気がして自然に後戻りし、今一度見入ってしまいます。私は
 その何かに心を惹かれたのです」

  私は黙っていた。

 「それで私は思ったんです。何かあってもこの人に私の肖像画を描いてほしいものだと。そして
 すぐにあなたのエージェントに連絡をとりました」
 「代理人をつかって」
 「そうです。私は通常、代理人を用いていろんなものごとを進めます。法律事務所がその役をつ
 とめてくれます。べつに後ろめたいところがあるわけじやありません。ただ匿名性を大事にして
 いるだけです」
 「覚えられやすい名前だし」
 「そのとおりです」と言って彼は微笑んだ。口が大きく横に開き、耳の先端が小さく揺れた。
 「名前を知られたくないときもあります」
 「それにしても報酬の金額がいささか大きすぎるようですが」と私は言った。
 「あなたもご存じのように、ものの価格というのはあくまで相対的なものです。需要と供給のバ
 ランスによって価格が自然に決定されます。それが市場原理です。もし私が何かを買いたいと言
 って、あなたがそれを売りたくないと言えば、価格は上がります。その逆であれば、当然ながら
 下がります」
 「市場原理のことはわかります。でもそこまでして、ぼくに肖像画を描かせることが、あなたに
 とって必要なんですか? こう言ってはなんですが、肖像画なんてとりあえずなくて困るもので
 もないでしょう」
 「そのとおりです。なくて困るものではありません。しかし私には好奇心というものがあります。
 あなたが私を描くとどのような肖像画ができるのだろう。私としてはそれが知りたい。言い換え
 るなら、私は自分の好奇心に自分で値段をつけたわけです」
 「そしてあなたの好奇心には高い値段がつく」



  彼は楽しそうに笑った。「好奇心というのは、純粋であればあるほど強いものですし、またそ
 れなりに金のかかるものです」
 「コーヒーをお飲みになりますか?」と私は尋ねてみた。
 「いただきます」
 「さっきコーヒーメーカーでつくったものですが、かまいませんか?」
 「かまいません。ブラックでお願いします」

  私は台所に行って、コーヒーを二つのマグカップに往ぎ、それを持って戻ってきた。


「あそこに白いコンクリートの家が見えるでしょう」という依頼人の言葉に「主人公」が驚くシーン
にわたしも少なからず驚いた。なんだ、そういう筋書きかと。
                             

                                      この項つづく

 

かたちを変えた祝福

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         64  流転やまず  /  火水未済(かすいびせい)    

                                   

 

      ※ 既済(きせい)の卦は完成美の象徴であった。しかし、易はそこでは
        終わらない。完成で終わっては易(変化)ではない、完成もまた流転
        の一相なのである。「初めは吉にして終りは乱る」(既済)――その
        混乱の時代にあって、危難(坎:かん)をおかして光明(離:り)を
        求めてゆくのがこの卦である。挫折もある。苦しみも多い。なすべき
        ことがつぎつぎやってくる。それを一気に片づけようとせず、粘リ強
        く、柔軟に対処してゆくことだ。各爻は正位をはずれてはいるが、す
        べて正応している。一致協力して難関を切り抜けることが大切である。
        それができれば剛仰の気あふれる「乾:けん」にもどるのである。

      ※ 「運命を切り開く努力を促す」易経は、今回で終了する。次回からは
        『荘子』を再読する。                          

  

    
 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

     7.良くも悪くも覚えやすい名前 

 「ずいぶんたくさんオペラのレコードをお持ちなのですね」と免色はコーヒーを飲みながら言っ
 た。「オペラがお好きですか?」
 「そこにあるレコードは、ぼくの持ち物じやありません。家の持ち主が置いていったものです。
 おかげでここに来てからずいぶんオペラを聴くようになりました」
 「持ち主というのは南田典彦さんのことですね?」
 「そのとおりです」
 「あなたには、とくに何か好きなオペラはありますか?」
  私はそれについて考えてみた。「最近は『ドン・ジョバンニ』をよく聴いています。ちょっと
 した理由があって」
 「どんな理由ですか? もしよろしければ聞かせていただけますか」
 「個人的なことです。大したことではありません」
 「『ドン・ジョバンニ』は私も好きで、よく聴きます」と免色は言った。「一度プラハの小さな
 歌劇場で『ドン・ジョバンニ』を聴いたことがあります。たしか共産党政権が倒れて、まだ間も
 ない頃のことでした。ご存じだとは思いますが、プラハは『ドン・ジョバンニ』が初演された街
 です。劇場も小さく、オーケストラの編成も小さく、有名な歌手も出ていませんが、とても素晴
 らしい公演でした。歌手は大歌劇場でやるときのように、大きな声を張り上げる必要はありませ
 んから、とても親密に感情表現を行うことができるんです。メトやスカラ産ではそうはいきませ
 ん。名の通った声の大きな歌手が必要とされます。アリアは時として、まるでアクロバットみた
 いになります。でもモーツァルトのオペラのような作品に必要なのは、室内楽的な親密さです。
 そう思いませんか? そういう意味ではプラハの歌劇場で聴いた『ドン・ジョバンニ』は、ある
 意味 理想的な『ドン・ジョバンニ』だったかもしれません」

  彼はコーヒーを一口飲んだ。私は何も言わずに彼の動作を観察していた。

 「これまで世界中いろんなところでいろんな『ドン・ジョバンニ』を聴く機会がありました」と
 彼は続けた。「ウィーンでも聴いたし、ローマでも、ミラノでも、ロンドンでも、パリでも、メ
 トでも、東京でも聴きました。アバド、レヴァイン、小澤、マゼール、後は誰だったかな……ジ
 ョルジュ・プレートルだったか、でもそのプラハで聴いた『ドン・ジョバンニ』が不思議に心に
 残っています。歌手や指揮者は名前も聞いたことがない人々でしたが。公演が終わって外に出る
 と、プラハの街に深い霧がかかっていました。当時はまだ照明も少なく、夜になると街は真っ暗
 になりました。人気のない石畳の道をあてもなく歩いていると、そこに古い銅像がぽつんと建っ
 ていました。誰の銅像だかはわかりません。でも中世の騎士のような格好をしていました。そこ
 で私は思わず彼を夕食に招待したくなりました。もちろんしませんでしたが」

  彼はまたそこで笑った。

 「外国にはよくお出かけになるのですね?」と私は尋ねた。
 「仕事でときどき出かけます」と彼は言った。そして何かに思い当たったようにそのまま口を閉
 ざした。仕事の具体的な内容に触れたくないのだろうと私は推測した。
 「それでいかがでしょう?」と免色は私の顔をまっすぐ見て尋ねた。「私はあなたの審査をパス
 したのでしょうか? 肖像画は描いていただけるのでしょうか?」
 「審査なんてしてはいませんよ。ただこうして向かいあってお話をしているだけです」
 「でもあなたは画作に入る前に、まずクライアントと会って話をする。意に染まなかった相手の
 肖像画は描かない、という話を耳にしましたが」

  私はテラスに目をやった。テラスの手すりには大きなカラスが一羽とまっていたが、私の視線
 の気配を感じたように、艶やかな羽を広げてすぐに飛び立った。
  私は言った。「そのような可能性もあるかもしれませんが、幸運なことに今のところ、そこま
 で意に染まない方にお目にかかったことはありません」
 「私が最初の一人にならないといいのですが」と免色は微笑んで言った。でもその目は決して笑
 ってはいなかった。彼は真剣なのだ。 

 「大丈夫です。ぼくとしては喜んで、あなたの肖像画を描かせていただきます」
 「それはよかった」と彼は言った。そして一息間を置いた。「ただ勝手なことを申し上げるよう
 ですが、私の方にもちょっとした希望があります」
  私はあらためてまっすぐ彼の顔を見た。「どのようなご希望でしょう?」
 「もしできることなら私としてはあなたに、肖像画という制約を意識しないで、私を自由に描い
 ていただきたいのです。もちろんいわゆる肖像画を描きたいということであれば、それでかまい
 ません。これまで描いてこられたような一般的な画法で描いていただいてけっこうです。しかし
 そうじゃない、これまでにない別の手法で描いてみたいということであれば、それを私は喜んで
 歓迎します」
 「別の手法?」
 「それがどのようなスタイルであれ、あなたが好きなように、そうしたいと思うように描いてい
 ただければいいということです」
 「つまり一時期のピカソの絵のように、顔の片側に目が二つついていてもかまわない、というこ
 とですか?」
 「あなたがそのように私を描きたいのであれば、こちらにはまったく異存はありません。すべて
 をおまかせします」
 「あなたはそれをあなたのオフィスの壁にかけることになる」
 「私は今のところオフィスというものを持ち合わせておりません。ですがらおそらくうちの書斎
 の壁にかけることになると思います。もしあなたに異存がなければですが 

 Picasso' Self Portrait 89 years old(1971)

   もちろん異存はなかった。どこの壁だって、私にとってそれはどの違いはない。私はしばらく
 考えてから言った。

 「免色さん、そのように言っていただけるのはとてもありかたいのですが、どんなスタイルでも
 いい、自由に好きなように描けと言われても、具体的なアイデアが急には浮かんできません。ぼ
 くは一介の肖像両家です。長いあいた決められた様式で肖像画を描いてきました。制約をとって
 しまえと言われても、制約そのものが技法になっている部分もあります。ですからたぶんこれま
 でどおりのやり方で、いわゆる肖像画を描くことになるのではないかと思います。それでもかま
 いませんか?」

  免色は両手を広げた。「もちろんそれでけっこうです。あなたがいいと思うようにすればいい。
 あなたが自由であること、それが私の求めるただひとつのことです」

 「それから、実際にあなたをモデルにして肖像画を描くとなると、このスタジオに何度か来てい
 ただいて、長く椅子に座っていただくことになります。お仕事がお忙しいとは思いますが、それ
 は可能ですか?」
 「時間はいつでもあけられるようにしてあります。実際に対面して描いてほしいというのは、そ
 もそもこちらが希望したことですから。ここに来て、できるだけ長くおとなしくモデルとして椅
 子に座っています。そのおいたゆっくりお話しできると思います。話をするのはかまわないので
 しょうね?」
 「もちろんかまいません。というか、会話はむしろ歓迎するところです。ぼくにとってあなたは
 まさに謎の人です。あなたを描くには、あなたについての知識をもう少し多く持つ必要かあるか  
 もしれませんから」

  免色は笑って静かに首を振った。彼が首を振ると、真っ白な髪が風に吹かれる冬の草原のよう
 に柔らかく揺れた。

 「どうやらあなたは、私のことを買いかぶりすぎておられるようだ。私にはとくに謎なんてあり
 ませんよ。自分についてあまり語らないのは、そんなことをいちいち人に語してもただ退屈なだ
 けだからです」

  彼が微笑むと、目尻の皺がまた深まった。いかにも清潔で裏のない笑顔だった。しかしそれだ
 けではあるまいと私は思った。免色という入物の中には、何かしらひっそり隠されているものが
 ある。その秘密は鍵の掛かった小箱に入れられ、地中深く埋められている。それが埋められたの
 は昔のことで、今ではその上に柔らかな緑の草が茂っている。その小箱が埋められている場所を
 知っているのは、この世界で免色ひとりだけだ。私はそのような種類の秘密の持つ孤独さを、彼
 の微笑みの奥に感じとらないわけにはいかなかった。

  免色とはそれから二十分ばかり向かい合って話をした。いつからモデルとしてここに通ってく
 るか、どれくらい時間の余裕があるか、そういう実務的な打ち合わせを我々はおこなった。帰り
 際に、玄関口で彼はまたとても自然に手を差し出し、私も自然にそれを握った。最初と最後に堅
 い握手をするのが、免色氏の習慣であるらしかった。彼がサングラスをかけ、ポケットから車の
  キーを取りだし、銀色のジャガー(よく躾けられた大型の滑らかな生き物のように見える)に乗
  り込み、その車が優雅に坂を下っていくのを私は窓から見ていた。それからテラスに出て、彼が
 おそらくこれから帰っていくであろう山の上の白い家に目をやった。

  不思議な人物だと私は思った。愛想は決して悪くないし、とくに無口なわけでもない。しかし
 実際には彼は、自らについて何も語らなかったも同然だった。私か得た知識は、彼が谷間を隔て
 たその順治な住宅に住んでいることと、ITが部分的に関係する仕事をしていることと、外国に
 出ることが多いということくらいだ。また熱心なオペラのファンでもある。しかしそれ以外のこ
 とはほとんど何もわからない。家族がいるのかいないのか、年齢はいくつなのか、出身地はどこ
 なのか、いつからその山の上に住んでいるのか? 考えてみれば、ファーストネームさえ敢えて
 もらっていない。

  そもそも彼はなぜそこまで熱心に、この私に自分の肖像画を描いてもらいたいのだろう? そ
 れは私に揺るぎない絵の才能が具わっているからだ、見る人が見ればそんなことは自明ではない
 か――できればそう思いたかった。しかしそれだけが彼の依頼の動機ではないことは、わかりき
 った話たった。たしかに私の描いた肖像画は、ある程度は彼の興味を惹いたかもしれない。彼が
 まったくの嘘をついているとは私には思えなかった。しかし彼の言いぶんをそのまま真に受ける
 ほど、私は無邪気な人間ではない。 

  

  それでは免色という人物はいったい何を私に求めているのだろう? 彼の目的はどこにあるの
 だろう? 彼はどのような筋書きを私のために用意しているのだろう?
  実際に彼と会って、膝をまじえて話をしても、私にはその答えがまだ見当たらなかった。むし
 ろ謎は逆に深まっただけだった。だいたいどうして彼はあれほど見事な白髪をしているのだろ
 う? その白さには何かしら尋常ではないところがあった。エドガー・アラン・ボーの短編小説
 の、大渦巻きに遭遇して一夜で髪が白くなったあの漁師のように、彼も何かとても深い恐怖を体
 験したのだろうか。

  日が落ちると、谷間の向かい側の白いコンクリートの屋敷に明かりがついた。電灯は明るく、
 数もふんだんにあった。電気料金のことなど考えもしない強気な建築家が設計した家のように見
 えた。あるいは極端に暗闇を恐れる依頼主が建築家に、隅々まで明々と照らし出される家を作る
 ように要請したのかもしれない。いずれにせよその家は遠くから見ると、夜の海を静かに進んで
 いく豪華客船のように見えた。

  私は暗いテラスのデッキチェアに横になり、白ワインをすすりながらその明かりを眺めていた。
 免色氏がテラスに出てこないかと期待していたのだが、彼はその日はとうとう姿を見せなかった。
 でも彼が向かい側のテラスに出てきたから、それでどうだというのだ? こちらから大きく手を
 振って挨拶でもすればいいのか?
  そのうち自然にいろんなことがわかってくるだろう。それ以外に私に期待できることは何もな
 かった。

  Rembrandt van Rijn

    8.かたちを変えた祝福

  水曜日の絵画教室で、夕方に一時間ばかり成人クラスを指導したあと、私は小田原駅の近くに
 あるインターネット・カフェに入り、グーグルに接続して、「免色」という言葉を入力して検索
 してみた。しかし免色という姓を持つ人物は、ただの一人も見当たらなかった。「運転免許」と
 「色弱」という単語を含んだ記事が山ほど出てきただけだった。免色氏についての情報は世間に
 はまったく出回ってはいないようだ。彼が「匿名性を大事にしたい」と言っていたことはどうや
 ら本当らしかった。もちろんその「免色」という名前が本名であればということだが、そこまで
 の嘘はつかないだろうというのが私の直観だった。住んでいる家の場所まではっきり教えて、そ
 れでいて本名を教えないというのは筋が通らない。それにもし架空の名前をでっちあげるなら、
 よほどの理由がない限りもう少し一般的な目立たない名前を運ぶことだろう。

  家に帰ってから、雨田政彦に電話をかけてみた。ひととありの世間話をしたあとで、谷間の向
 かい側に住んでいる免色という人物について何か知らないかと尋ねてみた。そして山の上に建て
 られた白いコンクリートの屋敷の説明をした。彼はその家のことをぼんやりと記憶していた。
 
 「メンシキ?」と政彦は言った。「いったいどういう名前なんだ、それは?」
 「色を免れる、と書く」
 「なんだか水墨画のようだ」
 「白と黒も色のうちだよ」と私は指摘した。
 「理屈から言えば、そりゃそうだが。免色ねえ……その名前は耳にしたことがないと思うな。だ
 いたい、谷をひとつ隔てた向こうの山の上に往んでいる人のことまで、おれが知るわけはないよ。
 こっちの山に往んでいる人のことだってぜんぜん知らないんだから。で、その人物が何かおまえ
 と関係があるのか?」

 「ちょっとしたつながりみたいなのができてね」と私は言った。「それで、君が彼について何か
 知らないかと思ったんだ」
 「インターネットで調べてみたか?」
 「ケーブルはあたってみたが、空振りだった」
 「フェイスブックとか、SNS関係は?」
 「いや。そのへんのことはよく知らない」
 「おまえが竜宮城で鯛と一緒に昼寝をしていたあいだに、文明はどんどん前に進んでいるんだよ。
 まあいい、こっちでちょっと調べてみよう。何か分かったら、あとでまた電話をかけるよ」
 「ありかたい」

  それから政彦は急に黙り込んだ。電話口の向こうで、彼が何かを思い巡らせている気配があっ
 た。

 「なあ、ちょっと待ってくれ。メンシキって言ったっけ?」と政彦は言った。
 「そうだよ。メンシキ。免税店の免に、色彩の色だ」
 「メンシキ……」と彼は言った。「前にどこかで、その名前を耳にしたような記憶があるんだが、
 ひょっとしたらおれの錯覚かもしれない」
 「あまりない名前だから、コ夜間いたら忘れないんじやないかな」
 「そうなんだ。だからこそ頭の隅にひっかかっていたのかもしれない。でもそれがいつだったか、
 どういう経緯だったか、記憶が辿れない。なんだか、喉に魚の小骨がひっかかっているみたいな
 感だ」

  思い出したら知らせてくれと私は言った。そうすると政彦は言った。

  私は電話を切って、軽く食事をとった。食事の最中に、つきあっている人妻から電話があった。
 明日の午後そちらに行ってかまわないか? かまわないと私は言った。

 「ところでメンシキという人について何か知らない?」と私は尋ねてみた。「この近くに往んで
 いる人なんだけど」
 「メンシキ?」と彼女は言った。「それが苗宇なの?」

  私は宇の説明をした。

 「聞いたこともない」と彼女は言った。
 「うちの谷を隔てた向かい側に、白いコンクリートの家があっただろう。あそこに往んでいる人
 なんだ」
 「その家のことは覚えている。テラスから見えるすごく目立つ家よね」
 「それが彼の家なんだ」
 「メンシキさんがそこに住んでいる」
 「そうだよ」
 「それで、その人がどうかしたの?」
 「どうもしない。ただ君がその人を知っているかどうか、知りたかったんだ」

  彼女の声が一瞬暗くなった。「それは何か私に関係したことなの?」
 「いや、君はまったく関係していない」
  彼女はほっとしたようにため息をついた。「じやあ、明日の午後にそちらに行く。たぶん一時
 半くらいに」

  待っていると私は言った。私は電話を切り、食事を終えた。
  その少しあとで政彦から電話がかかってきた。

 「という名前を持つ人は香川県に何人かいるみたいだ」と政彦は言った。「あるいはその免
 色氏は、なんらかのかたちで香川県にルーツを持っているのかもしれない。でも小田原近辺に現
 在存在している免色さんについての情報は、どこにも見当たらなかった。で、その人物のファー
 ストネームは?」
 「ファーストネームはま
だ敦えてもらっていない。職業もわからない。部分的にITのからんだ
 仕事をしていて、その暮らしぶりから見るに、ビジネスはかなり成功を収めているらしい。それ
 くらいのことしかわからない。年齢も不詳だ」

 政彦は言った。「そうか、そうなるとお手上げかもしれないな。情報というのはあくまで商品
 だからね、金さえうまく動かせば、自分の足跡をきれいに始末することも可能だ。とくに本人が
 ITの事情に通じていれば、それはなおさらやりやすくなる」
 「つまり免色さんはなんらかの方法を使って、自分の足跡を巧妙に消している。そういうことな
 のか?」

 「ああ、そういうことかもしれない。時間をかけていろんなサイトを調べてまわって、それでた
 だの一件もヒットしなかった。かなり珍しい目立つ名前なのに、まったく表に浮かび上がってこ
 ない。不思議といえば不思議だ。世間知らずのおまえは知らないだろうが、この世界で自分につ
 いての情報の流出を堰き止めるのは、ある程度の活動をしている人間にとっては相当にむずかし
 いことなんだ。おまえについての情報だって、おれについての情報だって、それなりに世間に出
 回っている。おれの知らないおれについての情報だって出回っているくらいだ。おれたちのよう
 な取るに足らない小物ですらそうなんだ。大物が姿を隠すのはまさに至難のわざだ。おれたちは
 そういう世の中に生きているんだ。好むと好まざるとにかかわらず。なあ、おまえは自分につい
 ての情報を目にしたことってあるか?」

 「いや、一度もない」
 「じやあ、そのまま見ない方がいい」

  見るつもりはないと私は言った。
  いろんな情報を効率よく手に入れるのが、私の仕事の一部になっています。そういうビジネス
 に携わっています。それが免色の口にした言葉だった。もし情報を自由に手に入れられるのなら、
  それを都合良く消すことだって可能かもしれない。

 「そういえばその免色という人物は、インターネットで調べて、ぼくの描いた肖像画を何点か見
 たと言った」と私は言った。
 「それで?」
 「それでぼくに自分の肖像画を描いてもらいたいと依頼してきたんだ。ぼくの描く肖像画が気に
 入ったと言って」
 「でもおまえは、もう肖像画の営業はしないと言って断った。そうだろ?」

  私は黙っていた。

 「ひょっとしてそうでもない?」と彼は尋ねた。
 「実をいうと断らなかった」
 「どうして? 決心はずいぶん堅かったんじやないのか?」
 「報酬がずいぶんよかったからさ。それで、もうコ皮くらいは肖像画を描いてもいいかもしれな
 いと思った」
 「金のために?」
 「それが大きな理由であることは間違いない。しばらく前から収入の道はほとんど途絶えている
 し、生活のこともそろそろ考えなくちやならない。今のところたいして生活費はかからないけど、
 それでも何やかや出て行くものはあるから」
 「ふうん。それで、どれくらいの報酬なんだ?」
 私はその金額を口にした。政彦は電話口で口笛を吹いた。
 「そいつは大したものだ」と彼は言った。「確かにそれなら引き受ける価値はあるかもしれない
 な。金額を聞いておまえもびっくりしただろう?」
 「ああ、もちろん驚いたよ」
 「こう言ってはなんだけど、おまえの描く肖像画にそれだけの金を払おうというような物好きな
 人間は、この世の中に他にまずいないよ」
 「知ってる」
 「誤解されると困るんだが、おまえに画家としての才能が欠けていると言っているわけじゃない
 ぜ。おまえは肖像画のプロとして、きちんと良い仕事をしてきたし、それなりの評価を受けてき
 た。美大の同期で、今現在曲がりなりにも油絵を描くだけで飯を食えているのはおまえくらいの
 ものだ。どの程度のレベルの飯なのか、それはわからんけど、とにかく賞賛に値することだ。で
 もはっきり言わせてもらえば、おまえはレンブラントでもないし、ドラクロワでもないし、アン
 ディー・ウォーホールですらない」
 「それももちろんよく知っているよ」
 「それがわかっているとしたら、その提示された報酬の金額が常識的に考えて、法外なものであ
 ることは、もちろん理解できるよな?」
 「もちろん理解できる」
 「そして彼はたまたまおまえの家のかなり近くに往んでいる」
 「そのとおりだ」
 「たまたま、というのはかなり遠慮がちな表現だ」

 Andy Warhol The Art Story

  私は黙っていた。

 「そこには何か裏かおるのかもしれない。そう思わないか?」と彼は言った。
 「それについてはぼくも考えてみた。でもそれがどんな裏なのか見当がつかない」
 「でもとにかくその仕事は引き受けた?」
 「引き受けたよ。明後日から仕事を開始する」
 「報酬がいいから?」
 「報酬のことも大きい。でもそれだけじゃない。他にも理由かおる」と私は言った。「正直なと
 ころ、いったい何か起こるかを見てみたいんだ。それがもっと大きな理由だよ。相手がそれだけ
 の多額の金を払う理由を、ぼくとしては見届けてみたい。もしそこに何か裏の事情があるのなら、
 それがどういうものなのかを知りたい」
 「なるほど」と言って政彦はひと息ついた。「何か進展があったら知らせてくれ。おれとしても
 いささか興味がある。面白そうな話だ」

  そのとき私はふとみみずくのことを思い出した。

 「言い忘れていたけど、この家の屋根裏にみみずくが一羽往み着いているんだ」と私は言った。
 「小さな灰色のみみずくで、昼間は梁の上で眠っている。夜になると通風口から外に出て、餌を
 とりに行く。いつからいるのかは知らないが、どうやらここをねぐらにしているみたいだ」
 「屋根裏?」
 「ときどき天井で音がするので、昼間に様子を見に上がってみたんだ」
 「ふうん。屋根裏に上がれたなんて知らなかったな」
 「客用寝室のクローゼットの天井に入り目がある。でも挟いスペースだよ。屋根裏部屋というほ
 どのものじゃない。みみずくが住かにはちょうどいいくらいだけど」
 「でもそれはいいことだ」と政彦は言った。「みみずくがいれば、鼠や蛇が寄りつかなくなる。
 それにみみずくが家に往み着くのは吉兆だという語を、以前どこかで耳にしたことがある」
 「その吉兆が、肖像画の高い報酬をぼくにもたらしてくれたのかもしれない」
 「そうだといいけどね」と彼は笑って言った。「Blessing in disguiseという英語の表現を知ってい
 るか?」
 「語学は不得意でね」
 「偽装した祝福。かたちを変えた祝福。一見不幸そうに見えて実は喜ばしいもの、という言い回
 しだよ。Blessing in disguise。で、もちろん世の中にはその逆のものもちゃんとあるはずだ。理論
 的には」

  理論的には、と私は頭の中で繰り返した。

 「よくよく気をつけた方がいい」と彼は言った。

  気をつけると私は言った。


さて、広大深玄な春樹ワールドの提供するサスペンス、この後の展開はいかに。

                  自然における神の道は、摂理におけると同様に、わ
                  れら人間の道と異なっている。また、われらの造る
                  模型は、広大深玄であって測り知れない神の業(わ
                  ざ)にはとうていかなわない。まったく神の業はデ
                  モクリタスの井戸よりも深い。

                                       ジョオゼフ・グランヴィル                                          

                                                         この項つづく 

 

 



お互いのかけらを交換し合う

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       北冥に魚あり、その名を錕(こん)となす。錕の大いさ、その幾千里なるを
       知らざるなり。化(か)して鳥となる。その名を鵬(ほう)となす。鵬の背、
       その幾千里なるを知らざるなり。

                       「逍遙遊」(しょうようゆ)/『荘子』(そうじ)                   

                                               

      ※ 作為を捨てて悠々自適し、なにものにもとらわれることのない生き方こそ、
        自由の極致といわねばならぬ。荘子が理想とした「逍巡遊」の境地が、奔
        放な想像の翼に乗って展開される。 



    
 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

     8.かたちを変えた祝福

  翌日の一時半に彼女はうちにやってきて、我々はいつものようにすぐにベッドの中で抱き合っ
 た。そしてその行為のあいだ二人ともほとんど日石きかなかった。その日の午後には雨が降った。
 秋にしては珍しい激しい通り雨だった。まるで真夏の雨のようだった。風に乗った大粒の雨が音
 を立てて窓ガラスを叩き、雲も少しばかり鳴ったと思う。分厚い黒雲の群れが谷間を通り過ぎ、
 雨がさっと降り止むと、山の色がすっかり濃くなっていた。どこかで雨宿りをしていた小鳥たち
 が一斉に姿を現し、賑やかにさえずりながら、懸命に虫を探し回っていた。雨上がりは彼らにと
 っての格好のランチタイムなのだ。雲の切れ目から太陽が姿を見せ、あたりの本の彼に水滴を煌
 めかせた。雨が降っているあいだ、我々はずっとセックスに夢中になっていた。雨降りのことも
 ほとんど考えなかった。そしてひととおりの行為が終了するのとほぼ同時に雨があがった。まる
 で待ち受けていたみたいに。

  我々は裸のままベッドに横になり、薄い布団にくるまって話をした。主に彼女の二人の娘の学
 校の成績の話をした。上の娘は勉強もよくしたし、成績もかなり良かった。問題のない落ち着い
 た子供だ。しかし下の娘は勉強が大権いで、とにかく机の前から逃げ回っていた。しかし性格は
 明るく、なかなかの美人だった。物怖じもせず、まわりの人々にも好かれた。運動も得意だ。い
 っそ勉強のことはもうあきらめて、タレントにでもした方がいいのかしら? ゆくゆくは子役を
 育てる学校に入れてみようかとも思っているんだけど。

  考えてみれば不思議なものだ。知り合ってまだ三ケ月ほどにしかならない女性の隣で、会った
 こともない彼女の娘たちについての話に耳を傾けている。進路の相談すら受けている。それも二
 人とも一糸まとわぬ姿で。でもとくに悪い心持ちはしなかった。ほとんど未知の人と言ってもい
 い誰かの生活をたまたま覗き込むこと。この先まず関わりを待つことはない人々と部分的に触れ
 あうこと。それらの情景は目の前にありながら、遥か遠くにある。そんな話をしながら彼女は私
 の柔らかくなったペニスをいじり、やがてそれはまた少しずつ硬さを帯びていった。

 「最近は何か絵を描いているの?」と彼女は尋ねた。
 「そうでもない」と私は正直に言った。
 「あまり創作意欲がわかないってこと?」

  私は言葉を濁した。「……でも何はともあれ、明日からは依頼された仕事にかからなくちやな
 らない」

 「依頼を受けて絵を描くの?」
 「そうだよ。たまには稼がなくちやならないからね」
 「依頼って、どんな依頼?」
 「肖像画を描くんだ」
 「ひょっとして、昨日電話で話していたメンシキさんっていう人の肖像画?」
 「そうだよ」と私は言った。彼女には妙に勘の鋭いところがあって、ときどき私は驚かされた。
 「それでそのメンシキさんについて、あなたは何かを知りたいのね?」
 「今のところ彼は謎の人物なんだ。コ皮会って話してはみたけれど、どういう人なのかまだぜん
 ぜんわからない。自分かこれから描こうとしているのがどんな人物なのか、絵を描く人間として
 少しばかり興味かおる」
 「本人に訊けばいいじやない」
 「訊いても正直には教えてくれないかもしれない」と私は言った。「自分に都合の良いことしか
 教えてくれないかもしれない」
 「調べてあげてもいいけど」と彼女は言った。
 「調べる手だてはあるの?」
 「心当たりが少しはあるかもしれない」
 「インターネットではまったくヒットしなかったよ」
 「インターネットはジャングルではうまく働かない」と彼女は言った。「ジャングルにはジャン
 グルの通信網があるの。たとえば太鼓を叩くとか、猿の首にメッセージを結びつけるとか」
 「ジャングルのことはよく知らないな」
 「文明の機器がうまく働かないときには、太鼓と猿を試してみる価値はあるかも」

  彼女の柔らかく忙しい指の下で、私のペニスは十分な硬さを取り戻していた。それから彼女は
 何と舌を巧妙に貪欲に使い、我々のあいだにしばらく意味深い沈黙の時間が降りた。鳥たちがさ
 えずりながら忙しく生命の営みを追求している中で、我々は二度目のセックスにとりかかった。

  間に休憩を挟んだ長いセックスを終えた後、我々はベッドを出て、気怠い動作でそれぞれの服
 を床から拾い集め、身につけた。それからテラスに出て、暖かいハーブティーを飲みながら、谷
 間を隔てた向かい側に建ったその白いコンクリートの大きな家を眺めた。色穏せた木製のデッキ
 チェアに並んで腰を下ろし、新鮮な湿気を含んだ山の空気を胸に深く吸い込んだ。南西の雑木林
 のあいだから、まぶしく光る小さな海が見えた。巨大な太平洋のほんのひとかけらだ。あたりの
 山肌は既に秋の色に染まっていた。黄色と赤の精緻なグラデーション。そこに常緑樹の一群が緑
 色の塊を割り込ませている。その鮮やかな混合が、免色氏の屋敷のコンクリートの白さをいっそ
 う鮮やかに際だたせていた。それはほとんど潔癖に近い白で、これから先どんなものにも――雨
 風にも土埃にも、たとえ時間そのものにも――汚されることがないように、既められることがな
 いように見えた。白さも色のうちなんだ、と私は意味もなく思った。決して色が失われているわ
 けではない。我々はデッキチェアの上で長いあいだ口を閉ざしていた。沈黙はごく自然なものと
 してそこにあった。

 「白いお屋敷に往むメンシキさん」、しばらくあとで彼女はそう口にした。「なんだか楽しいお
 とぎ話の出だしみたいね」
 
  でももちろん私の前に用意されていたものは、「楽しいおとぎ話」なんかではなかった。ある
 いはかたちを変えた祝福でもなかった。そしてそれが明らかになってきた頃には、もう後戻りは
 できなくなっていた。

    9.お互いのかけらを交換し合う

  金曜日の午後一時半に、免色は同じジャガーに乗ってやってきた。急な坂道を上ってくるエン
 ジンの大い唸りが次第に大きくなり、やがて家の前で止んだ。免色は前と同じ重厚な音を立てて
 ドアを閉め、サングラスを外して上着の胸のポケットに入れた。すべては前回と同じ繰り返しだ。
 ただ今回の彼は白いポロシャツの上に、ブループレイの綿のジャケット、クリーム色のチノパン
 ツに、茶色の革のスニーカーという格好だった。着こなしのうまさはそのまま服飾雑誌に出して
 もおかしくないほどだが、それでいて「隙がない」という印象はなかった。すべてがさりげなく
 自然で清潔だった。そしてその豊かな髪は、彼の往んでいる屋敷の外壁と同じくらい混じりけな
 く純白だった。私はその様子をやはり窓のカーテンの隙間から観察していた。

  玄関のベルが鳴り、私はドアを開けて彼を中に入れた。今回、彼は握手の手を差し出さなかっ
 た。私の目を見て軽く微笑み、小さく会釈をしただけだった。それで私は少なからずほっとした。
 会うたびに堅い握手をされるのではないかという不安を密かに抱いていたからだ。私は前と同じ
 ように彼を居間に通し、ソファに座らせた。そして作ったばかりのコーヒーを二つ台所から運ん
 できた。

 「どんな服を着てくればいいのか、わからなかったのですが」と彼は言い訳をするように言った。
 「こんな服装でいいのでしょうか?」
 「今のところはどんな服装でもかまいません。どんな格好にするかは最後に考えればいいでしょ
 う。スーツ姿だろうが、ショートパンツにサンダルだろうが、服装はあとからなんとでも調整で
 きます」

  手にしたスターバックスの紙コップだろうが、と私は心の中で付け加えた。
  免色は言った。「絵のモデルになるというのは、どうも落ち着かないものですね。服を脱がな
 くてもいいとわかっていても、なんとなく裸にされてしまうような気がしてならない」
  私は言った。「ある意味ではそのとおりかもしれません。絵のモデルになるというのは、往々
 にして丸裸にされることでもあります――多くの場合実際的に、またときとして比喩的に。画家
 は目の前にいるモデルの本質を、少しでも深く見抜こうとします。つまりモデルのまとった見か
 けの外皮を剥がしていかなくてはならないということです。しかしもちろんそのためには、画家
 が優れた眼力と、鋭い直観を持ち合わせている必要があります」

  免色は膝の上で両手を広げ、点検するようにしばらく眺めていた。それから顔を上げて言った。

 「あなたはいつもは実際のモデルを使わずに肖像画を描かれる、と聞きましたが」
 「そうです。相手の方にコ皮実際にお目にかかって、膝をまじえて話をしますが、モデルになっ
 ていただくことはありません」
 「それには何か理由があるのですか?」
 「理由というほどのものはとくにありません。ただその方が経験的に言って、作業を進めやすい
 からです。最初の面談にできるだけ意識を巣申し、相手の姿かたちや、表情の動きや、癖や性向
 みたいなものを把握し、記憶に焼き付けます。そうすればあとは記憶から形象を再生して
 とができます」

  免色は言った。「それはとても興味深いくこい。つまり簡単に言えば、脳裏に焼き付けられた
 記憶を後日、画像としてリアレンジし、作品として再現していくということですね。あなたには
 その上うな才能が具わっている。人並みではない視覚的記憶力みたいなものが」

 「才能と呼べるほどのものじやありません。おそらくただの能力、技能とこいう方が近いでしょ
 「いずれにせよ」と彼は言った「私かあなたの描いた肖像画をいくつか拝見して、他のいわゆる
 肖像画とは――つまり純粋な商品としてのいわゆる肖像画とは――何かが違っているように強く
 感じたのは、そのせいかもしれません。再現性の新鮮さというか……」

  彼はコーヒーを一口飲み、上着のポケットから淡いクリーム色の麻のハンカチを出して口もと
 を拭った。それから言った。
 「でも今回はとくべつにこうしてモデルを用い――つまり私を目の前にしてて、肖像画を描くこ
 とになった」

 「そのとおりです。それがあなたの望まれたことですから」

  彼は肯いた。「実を言いますと、私には好奇心があったんです。自分の目の前で、自分の姿か
 たちが絵に描かれていくというのはいったいどんな気持ちがするものなのか。私はそれを実際に
 か二時間、何もしないでじっと使い椅子に座っているという苦役を猷わないのであれば、あなた
 をモデルとして絵を描くことにまったく異存はありません」
 「けっこうです」と免色は両手の手のひらを上に向け、軽く宙に上げて言った。「もしよろしけ
 れば、そろそろその苦役にとりかかりましょう」

  我々はスタジオに移った。私は食堂の椅子を持ってきて、そこに免色を座らせた。好きなかっ
 こうをさせた。私は彼と向かい合うように古い本製のスツールに腰を下ろし(それはおそらく雨
 田具彦が絵を描くときに使っていたものだろう)、柔らかな鉛筆を使って、まずスケッチにかか
 った。彼の顔をどのようにキャンバスの士に造形していくか、その基本方針をおおまかに決めて
 おく必要があった。

 

"Roses of the Roses" by Richard Strauss, commanded by Georg Shorty


 「ただじっと座っていても退屈でしょう。よければ何か音楽でもお聴きになりますか?」と私は
 彼に尋ねた。
 「もし邪魔にならなければ、何か聴きたいですね」と免色は言った。
 「居間のレコード棚から、どれでもお好きなものを選んで下さい」

  彼は五分ほどかけてレコード棚を見渡し、ゲルオグ・ショルティが指揮するリヒアルト・シュ
 トラウスの『薔薇の騎士』を持って戻ってきた。四枚組のLPボックスだ。オーケストラはウィ
 ーン・フィルハーモニー、歌手はレジーヌ・クレスパンとイヴォンヌ・ミントン。

 「『薔薇の騎士』はお好きですか?」と彼は私に尋ねた。
 「まだ聴いたことはありません」
 「『薔薇の騎士』は不思議なオペラです。オペラですからもちろん筋立ては大事な意味を持ちま
 すが、たとえ筋がわかっていなくても、音の流れに身を任せているだけで、その世界にすっぽり
 と包み込まれてしまうようなところがあります。リヒアルト・シュトラウスがその絶頂期に到達
 した至福の世界です。初演当時には懐古趣味、退嬰的という批判も多くあったようですが、実際
 にはとても革新的で奔放な音楽になっています。ワグナーの影響を受けながらも、彼独自の不思
 議な音楽世界が繰り広げられます。いったんこの音楽を気に入ると、愉になってしまうところが
 あります。私はカラヤンかエーリッヒ・クライバーの指揮したものを好んで聴きますが、ショル
 ティ指揮のものはまだ聴いたことかありません。もしよければこの機会に是非聴いてみたいので
 すが」

 「もちろんかまいません。聴きましょう」

  彼はレコードをターンテーブルに載せ、針を落とした。そしてアンプのボリュームを注意深く
 調整した。それから椅子に戻り、適正なポジションに身体を落ち着け、スピーカーから流れてく
 る音楽に意識を集中した。私はその顔をいくつかの角度から素適くスケッチブックにデッサンし
 た。彼の顔は端正でありながらも特徴的で、ひとつひとつの細部の特徴を捉えるのはそれほどか
 ずかしいことではなかった。三十分ほどのあいだに、私は五枚の異なった角度からのデッサンを
 仕上げた。しかしそれらをあらためて見直したとき、一種不思議な無力感にとらわれることにな
 った。私の描いた絵は彼の顔の特徴を的確に捉えてはいたが、そこには「上手に描かれた絵」と
 いう以上のものはなかったからだ。すべてが不思議なほど浅く表面的で、しかるべき奥行きを欠
 いていた。街頭の似顔絵描きが描く似顔絵とたいして変わりはない。私は更に何枚かのデッサン
 を試みてみたが、結果はほとんど同じだった。

  それは私にとって珍しいことだった。私は人の順を画面に再構成することについては長い経験
 を積んでいたし、それなりの自負も持っていた。鉛筆なり絵筆を持って人を前にすれば、いくつ
 かの画像がだいたい苦労なく自然に順に浮かび上がってきた。絵の構図を確定するのに苦労した
 ことはほとんどない。しかし今回、免色という男を前にして、そこにあるべき画像はひとつとし
 てうまく焦点を結ばなかった。

  私は大事な何かを見落としているのかもしれない。そう思わないわけにはいかなかった。免色
 はそれを私の目から巧妙に隠しているのかもしれない。あるいはもともとそんなものは彼の中に
 存在しないのかもしれない。
 『薔薇の騎士』四枚組レコードの一枚目B面が絵わったところで、私はあきらめてスケッチブッ
 クを閉じ、鉛筆をテーブルの上に置いた。プレーヤーのカートリッジを上げ、レコードをターン
 テーブルから取り、ボックスの中に戻した。そして腕時計に目をやり、ため息をついた。

 「あなたを描くのはとてもむずかしい」と私は正直に言った。

 彼は驚いたように私の順を見た。「むずかしい?」と彼は言った。「それは私の順に何か、絵画
 的な問題があるということなのでしょうか?」

  私は軽く首を振った。「いや、そうじやありません。あなたの順にはもちろん何も問題はあり
 ません」

 「じゃあ、何かむずかしいのでしょう?」 
 「それはぼくにもわかりません。ただむずかしいと、ぼくが感じるだけです。あるいはひょっと
 したら我々のあいだには、あなたの言うところの『交流』がいくぶん不足しているのかもしれま
 せん。つまり貝殻の交換がまだ十分にできていないというか」
  免色は少し困ったように微笑んだ。そして言った。「それについて何か私にできることはあり
 ますか?」

  私はスツールから起ち上がって窓際に行き、雑木林の上を飛んでいく鳥たちの姿を眺めた。

 「免色さん、もしよろしければ、あなたについてもう少しばかり情報をいただくことはできませ
 んか? 考えてみれば、ぼくはあなたという人について、ほとんど何も知らないも同然なので
 す」
 「いいですよ、もちろん。私は自分についてとくに何かを隠しているわけではありません。大そ
 れた秘密のようなものも抱えていません。たいていのことはお教えできると思います。たとえば
 どのような情報でしょう?」
 「たとえばあなたのフルネームをまだうかがっていません」
 「そうでしたね」と彼は少しびっくりしたような顔をして言った。「そういえばそうだった。話
 をするのに夢中になっていて、うっかりしていたようです」

  彼はチノパンツのポケットから黒い革製のカード人れを取りだし、その中から名刺を一枚出し
 た。私はその名刺を受け取って読んだ。真っ白厚手の名刺には、

 とあった。そして裏面に神奈川県の住所と電話番号とEメール・アドレスが書かれていた。それ
 だけだ。会社名や肩書きはない。

 「川を渉るのわたるです」と免色は言った。「どうしてそんな名前がつけられたのか理由はわか
 りません。これまで水とはあまり関係のない人生を歩んできましたから」
 「鬼瓦さんというのも、あまり見かけない名前ですね」
 「四国にルーツかおるという話を聞きましたが、私自分は四国とはまったく縁がありません。東
 京で生まれて、東京で育ちました。学校もずっと東京です。うどんよりは蕎麦の方が好きです」、
 そう言って免色は笑った。
 「お歳をうかがってもよろしいでしょうか?」
 「もちろんです。先月、五十四歳になりました。あなたの目にはだいたい何歳くらいに見えます
 か?」

  私は首を振った。「正直なところ、まったく見当がつきませんでした。だからうかがったんで
 す」

 「きっとこの白髪のせいですね」と彼は微笑みながら言った。「白髪のせいで、年齢がよくわか
 らないと言われます。恐怖のために一夜で白髪になるというような話をよく耳にしますね。私も
 ひょっとしてそうじやないかとよく訊かれるんですが、そんなドラマチックな経験はありません。
 ただ若い頃から白髪の多いたちだったんです。四十代半ばにはもうほとんど真っ白になっていま
 した。不思議です。というのは祖父も父親も二人の兄も、みんな禿げているからです。一族の中
 で総白髪になったのは私くらいです」
 「差し支えなければ教えていただきたいのですが、具体的にどんなお仕事をしておられるのです
 か?」
 「差し支えなんてちっともありません。ただ何といえばいいのか、ちょっと言い出しにくかった
 だけです」
 「もし言いにくいのであれば……」
 「いや、言いにくいというより、少し気恥ずかしいだけのことです」と彼は言った。「実を言え
 ば、今のところ何も仕事をしていないんです。失業係険こそもらっていませんが、公式には無職
 の身です。一日に数時間、書斎のインターネットを使って株式と為替を動かしていますが、たい
 した量じやありません。道楽というか、暇つぶし程度のものです。頭を働かせておく訓練をして
 いるだけです。ピアニストが日々音階練習をするのと同じです」

  免色はそこで経く深呼吸をして、脚を組み直した。「かつてはIT関係の会社を立ち上げて経
 営していましたが、少し前に思うところがあって、持ち株をすべて売却し引退しました。買い主
 は大手の通信会社でした。おかげでしばらく何もせずに食べていけるくらいの蓄えができました。
 それを機会に東京の家を売り払って、こちらに移ってきました。早い話、隠居したわけです。蓄
 えはいくつかの国の金融機関に分散されており、為替の変動に合わせてそれを移動させることで、
 ささやかですが利ざやを稼ぎます」

 「なるほど」と私は言った。「ご家族は?」
 「家族はいません。結婚したこともありません」
 「あの大きな家にI人きりで往んでおられるのですか?」

  彼は肯いた。「一人で往んでいます。使用人は今のところ入れていません。長いあいだ一人で
 暮らしていて、自分で家事をすることには馴れていますし、とくに不便もありません。ただかな
 り大きな家ですので、一人ではとても掃除をしきれないし、週にコ皮専門のクリーニング・サー
 ビスを入れていますが、それ以外のことは、だいたい一人でやっています。あなたはいかがです
 か?」

  私は首を振った。「一人で生活するようになって一年も経っていませんから、まだまだアマチ
 ュアのようなものです」
  免色は小さく肯いただけで、それについて何も質問はせず、意見も述べなかった。「ところで、
 あなたは雨田号泣さんとは親しいのですか?」と免色は尋ねた。
 「いいえ、雨田さんご本人にお目にかかったことは一度もありません。ぼくは雨田さんの息子と
 美術大学が一緒で、そういう縁があり、ここで空き家の留守番のようなことをしないかと持ちか
 けられました。ぼくもいろんな事情かおり、ちょうど往むところがなかったので、とりあえず一
 時的に住まわせてもらっているわけです」

  免色は小さく何度か肯いた。「このあたりは普通の勤め人が住むにはずいぶん不便な場所です
 が、あなたがたのような人にとっては素晴らしい環境なのでしょうね」
  私は苦笑して言った。「同じ絵描きとはいっても、雨田典彦さんとぼくとではレベルが違いす
 ぎます。同列に並べられると、恐縮するしかありませんが」
  免色は順を上げ、真面目な目で私を見た。「いや、そんなことはまだわかりませんよ。あなた
 だってゆくゆくは名を知られる画家になるかもしれません」

  それについて目にするべきことはとくになかったので、私はただ黙っていた。

 「人は時として大きく化けるものです」と免色は言った。「自分のスタイルを思い切って打ち壊
 し、その荒磯の中から力強く再生することもあります。雨田典彦さんだってそうだった。若い頃
 の彼は洋画を描いていました。それはあなたもご存じですね?」
 「知っています。戦前の彼は若手の洋画家の有望株たった。でもウィーン留学から帰国してから
 なぜか日本画家に変身し、戦後になって目覚ましい成功を収めました」
  免色は言った。「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、おそらく誰の人生に
 もあります。そういうポイントがやってきたら、素通くその尻尾を掴まなくてはなりません。し
 っかりと堅く握って、二度と離してはならない。世の中にはそのポイントを掴める人と、掴めな
 い人がいます。雨田具彦(ともひこ)さんにはそれができた」

  大胆な転換。そう言われて、『騎士団長殺し』の画面がふと順に浮かんだ。騎士団長を刺し殺
 す若い男。


「大胆な転換が必要とされる時期」「素通くその尻尾を掴まなくてはなりません」の免色の言葉に自
分を重ねてしまい、リアルな世界は、それの連続、自己責任の日々なのだと、思わず苦笑する。次回
はこの第9章から第10章にかけて読むことになるだろう。それにしても、今日も足早に時が通り過
ぎていった。

                                       この項つづく

 

 

【RE100倶楽部:エネルギー貯蔵篇】

● アラスカの街を照らすフライホイールと蓄電池

先月13日、アンカレッジの沖合4キロメートルに浮かぶファイア島にはアラスカ州初の洋上風力発
電所(出力17メガワット)用の大規模風力発電所の電力を利用して孤立した都市の電力を得るため
に急速な電力変動を蓄電池単体とフライホイールを組み合わたシステムをスイスABB社がアラスカの
電力事業者と共同でハイブリッド蓄電システム――重量物が高速回転することで運動エネルギーを蓄
え、高速応答が可能な蓄電池として働く「フライホイール」。このフライホイールを大容量の蓄電池
と組み合わせて電力を安定供給する。「高速応答+大容量」というハイブリッド蓄電システムが稼働。
風力発電で起こりがちな短周期の変動をフライホールで吸収する(上図)。出力は1MW、容量は16.5
メガワット秒。1メガワットの出力を16.5秒間継続できる計算であり、急激に電力が変動した際
に役立つ。 蓄電池だけで高速応答に対応しようとすると、蓄電池の並列化が必要になり、割高にな
り、高速応答を続けると、蓄電池の寿命が短くなるためフライホイールでカバーする(スマートジャ
パン 2017.03.28)。

 Mar. 13, 2017

※ 特許事例:特開2017-015133 回転慣性質量ダンパー 日本精工株式会社 2017年01月19日

歩行時などの微小な振動を制振することができるとともに、巨大な地震時のエネルギに対する損傷を
防止することができる回転慣性質量ダンパーを提供(下図ダブクリ参照)。

【符号の説明】

1  回転慣性質量ダンパー   2  第1構造体  2a  第1ユニット体  2b  第2ユニット体  3  第2構造体  4  軸
受  5  ネジナット  6  フライホイール  7  ネジ軸  8  ネジ軸側連結部  9  キー溝  10  スプラインナット
11  スプライン軸  11a  スプライン軸側連結部  12  固定部  13  キー溝  15  過負荷調整機構  16  カ
ップリング   17  第1キー  18  第2キー  19a  第1締付けボルト 19b  第2締付けボルト    20  スリット
21  第1円筒挟持面  22  第2円筒挟持面  23a  ボルト頭部係止穴  23b  ネジ穴    24a  ボルト頭部係
止穴   24b  ネジ穴   25  変形促進溝    26,27  キー溝

                                                            

 

僕らは高く繁った緑の草をかき分けて

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       莽蒼(もうそう)に適(ゆ)く者は、三飡(そん)して反(かえ)れば腹なお
       果然たり。百里に適く者は、宿に糧を舂(つ)く。千里に適く者は、三月糧を
       聚(あつ)む。

                   大鵬図南(たいほうとなん) /「逍遙遊」(しょうようゆ)                 

                                               

      ※ 旅をするにしても、郊外に出かけるのなら、食糧は一日分準備すれば十分だ
        が、百里の先に出かける特は前の日から米をつき、千里の旅をする特は三月
        前から準備を始める。 つまり、図南の心誰か知る?  と、この内篇で反質される
                わけだが、その逆の「大」は屡々(しばしば)、「小」の心を見落すのでは
                ないかと杞憂する。




【RE100倶楽部:エネルギーハーベスティング篇】

● 世界初、船舶用バイナリー発電機の実用へ

神戸製鋼などは、船舶エンジンに適用できるバイナリー発電システム――未利用熱を活用して発電で
き、エンジンの過給器の排熱を活用して発電し船舶の補助電源などに利用し省エネを図る――の実用
にめどをつけ、19年度から本格的に販売を開始することを公表。これは、さまざまな熱源を利用し
沸点が低い媒体を加熱し、得られた蒸気でタービンを回して発電する「バイナリー発電」で70℃程
度と比較的低温の熱源でも発電が行えるため、温泉や工場の排熱を利用した発電に活用されている。
こうしたバイナリー発電機の製造を手掛けている神戸製鋼は、新たに船舶用バイナリー発電システム
を開発し、実用化のめどをつけた。旭海運、三浦工業と2014年4月から共同開発を進めてきたもので、
16年12月に実船搭載での海上試験に合格し、日本海事協会の認証を取得。

開発したシステムは、船舶用エンジンに付属する「過給機(ターボチャージャー)」からの排熱の有
効利用を目指したもの。これまでそのまま捨てられていた排熱を活用して発電し、船舶の補助電源な
どに活用する。船舶用エンジンの過給器を利用したバイナリー発電システムは世界初。旭海運が所有
するバルク船「旭丸」を利用して実施した海上試験では、エンジン出力7500キロワット時に、125
キロワットの発電性能を確認。これは、船舶の発電機における使用燃料の約20~25%に相当、船
舶の排熱を利用した発電量としては最大規模である。

船舶の出力は運行パターンによって変動する。そこで、開発したシステムは低負荷から高負荷まで幅広いレ
ンジで発電できる仕様とした。さらに既存船への導入も考慮し、システムの各部品は船体構造を切断すること
なく、パーツハッチから搬入可能できる。 船舶を運行する場合、変動費の大半は燃料費が占める。エネルギ
ー効率を改善し、そのコストを数%でも改良することができれば、事業者側へのメリットは大きい。

● 特許事例:特開2016-200048 熱エネルギー回収装置
       特開2014-194210 バイナリー発電装置の運転方法及びバイナリー発電装置

 

従来、船舶用の内燃機関が発生する熱エネルギーを回収する装置が知られている。この装置の一例と
して、特許文献1の排熱回収型船舶推進装置は、第1循環ポンプにより、高圧蒸発器、発電用のパワ
ータービン、および凝縮器の順に有機流体を循環させる第1サイクルと、第2循環ポンプにより、低
圧蒸発器、パワータービン、凝縮器の順に有機流体を循環させる第2サイクルとから構成する排熱回
収発電装置を備える。低圧蒸発器は、ディーゼルエンジンのジャケットを冷却するジャケット冷却水
により第2循環ポンプからの有機流体を加熱し、高圧蒸発器は、排ガスエコノマイザから供給され、
ディーゼルエンジンからの排ガスとの熱交換により第1循環ポンプからの有機流体を加熱。そして排
熱回収発電装置では、低圧蒸発器からの有機流体の熱落差と高圧蒸発器からの有機流体の熱落差によ
りパワータービンが回転駆動し、パワータービンに接続された発電機による電力の生成が行うが、

ガスエコノマイザが生成する蒸気は、排熱回収発電装置とは異なる船舶の蒸気の需要先、例えばバラ
ストタンク、積荷室、甲板等の洗浄を行うスートブロー装置などに優先的に供給され、これにより、
排ガスエコノマイザから排熱回収発電装置(熱エネルギー回収装置)の蒸発器への蒸気の供給量が低
下し、有機流体が十分に加熱されずにパワータービンに供給されるおそれがあり、作業者が停止操作
を行うことで熱エネルギー回収装置の動作を停止させるが、作業者が熱エネルギー回収装置の停止操
作を適切なタイミングで行うことは難しく、また作業者が熱エネルギー回収装置の動作を停止し忘れ
るおそれもある。なので、下図のように、熱エネルギー回収装置の動作を適切なタイミングで停止さ
せる熱エネルギー回収装置が提供されている(詳細は下図ダブクリ参照)


低圧の蒸気は、十分な潜熱を有しているとはいえ、飽和状態の蒸気に対して圧力や温度を若干高くし
た程度のものに過ぎない。この飽和状態から若干高い程度の圧力や温度では、圧力や温度が少しでも
変動すれば蒸気の熱エネルギも大きく変動する。それゆえ、上述した低温の蒸気を用いた場合には圧
力や温度が少しでも低下すると、作動媒体側に十分な熱エネルギが熱交換されなくなって、蒸発器の
出側で作動媒体が2相流状態となり、発電量が不安定になる。そのため、低圧の蒸気を用いて発電を
安定して行う為には、蒸気の圧力や温度の変動に合わせて、作動媒体の循環量を迅速且つ精確に調整
することが必要不可欠となる。蒸発器に供給される蒸気の圧力や温度の変動に応じて作動媒体の循環
量を迅速に且つ精度良く調整することで、低圧の蒸気を再利用しても安定した発電を行うことができ
るバイナリー発電装置の運転方法及びバイナリー発電装置が下図(詳細はダブクリ参照のように提案
されている。


 

    
 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』       

    9.お互いのかけらを交換し合う

 「ところであなたは日本画に詳しいですか?」と免色が私に尋ねた。
  私は首を振った。「門外漢も同然です。大学時代に美術史の講義で学んだことはありますが、
 知識といえばそれくらいです」
 「とても初歩的な質問ですが、日本画というのは、専門的にはどのように定義されているのでし
 よう?」
  私は言った。「日本画を定義するのは、それほど簡単なことではありません。一般的には膠や
 顔料と箔などを主に用いた絵画であると捉えられています。そしてブラシではなく、筆や刷毛で
 描かれる。つまり日本画というのは、主に使用する画材によって定義される絵画である、という
 ことになるかもしれません。もちろん古米の伝統的な技法を継承していることもあげられますが、
 アバンギャルドな技法を用いた日本画もたくさんありますし、色彩も新しい素材を取り入れたも
 のが盛んに使用されています。つまりその定義はどんどん曖昧になってきているわけです。しか
 し雨田典彦さんの描いてきた絵に関して言えば、これはまったく古典的な、いわゆる日本画です。
 典型的な、と言ってもいいかもしれません。もちろんそのスタイルは紛れもなく技独白のもので
 すが、技法的に見ればということです」
 「つまり画材や技法による定義が曖昧になれば、あとに残るのはその精神性でしかない、と
 ことになるのでしょうか?」
 「そういうことになるかもしれません。しかし日本画の精神性となると、誰にもそれほど簡単に
 定義はできないはずです。日本画というものの成り立ちがそもそも折衷的なものですから」
 「折衷的というのは?」



   私は記憶の底を探って、美術史の講義の内容を思い出した。「十九世紀後半に明治維新かおり、
 そのときに他の様々な西洋文化と共に、西洋絵画が日本にどっと入ってきたわけですが、それま
 では『日本画』というジャンルは事実上存在しませんでした。というか『日本画』という呼称さ
 え存在しませんでした。『日本』という国の名前がほとんど使われなかったのと同じようにです。

 外来の洋画が登場して、それに対抗するべきものとして、それと区別するべきものとして、そこ
 に初めて『日本画』という概念が生まれたわけです。それまでにあった様々な絵画スタイルが、
 『日本画』という新しい名のもとに便宜的に、意図的に一括りにされたわけです。もちろんそこ
 から外されて衰退していったものもありました。たとえば水墨画のように。そして明治政府はそ
 の『日本画』なるものを、欧米文化と均衡をとるための日本文化のアイデンティティーとして、
 言うなれば『国民芸術』として確立し、育成しようとしました。要するに『和魂洋才』の和魂に
 相応するものとして。そしてそれまで屏風絵とか襖絵とか、あるいは食器の絵付けなどの生活デ
 ザイン、工芸デザインとされていたものが、額装されて美術展に出展されるようになりました。
 言い換えれば、暮らしの中の自然な画風であったものが、西欧的なシステムに合わせて、いわゆ
 る『美術品』に格上げされていったわけです」
  私はそこでいったん話をやめ、免色の顔を見た。彼は真剣に私の話に耳を傾けているようだっ
 た。私は話を続けた。



 「岡倉天心やフェノロサが当時のそのような運動の中心になりました。これはその時代に急速に
 行われた日本文化の大がかりな再編成の、ひとつの目覚ましい成功例と考えられています。音楽
 や文学や思想の世界でも、それとだいたい似たような作業が行われました。当時の日本人はずい
 ぶん忙しかったと思いますよ。短期間にやってのけなくてはならない大事な作業が山積していた
 わけですから。でも今から見ると、我々はかなり器用に巧妙にそれをやってのけたようです。西
 欧的な部分と非西欧的な部分の、融合と積み分けがおおむね円滑に行われました。日本人という
 のはそのような作業にもともと向いていたのかもしれません。日本画というのは本来、定義があ
 ってないようなものなのです。それはあくまで漠然とした合意に基づく概念でしかない、と言っ
 ていいかもしれません。鍛初にきちんとした絵引きがあったわけではなく、いねば外圧と内圧の
 接面として結果的に生まれたものです」

  Fenollosa's grave

  免色はそれについてしばらく真剣に考えているようだった。そして言った。「漠然とはしてい
 るが、それなりの必然性のあった合意、ということですね?」
 「そのとおりです。必要性に従って生み出された合意です」
 「固定された本来の枠組を持たないことが、日本画の強みともなり、また同時に弱みともなって
 いる。そのように解釈してもいいのでしょうか?」
 「そういうことになると思います」
 「しかし我々はその絵を見て、だいたいの場合、ああ、これは日本画だなと自然に認識すること
 ができます。そうですね?」
 「そうです。そこには明らかに固有の手法があります。傾向とかトーンというものがあります。
 そして暗黙の共通認識のようなものがあります。でもそれを言語的に定義するのは、時として困
 難なことになります」

  免色はしばらく沈黙していた。そして言った。「もしその絵画が非西欧的なものであれば、そ
 れは日本画としての様式を有するということになるのでしょうか?」
 「そうとは限らないでしょう」と私は答えた。「非西欧的な様式を持つ洋画だって、原理的に存
 在するはずです」
 「なるほど」と彼は言った。そして微かに首を傾げた。「しかしもしそれが日本画であるとすれ
 ば、そこには多かれ少なかれ、何かしらの非西欧的な様式が含まれている。そういうことは言え
 ますか?」

  私はそれについて考えてみた。「そう言われてみれば、たしかにそういう言い方もできるかも
 しれませんね。あまりそんな風に考えたことはなかったけれど」
 「自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい」

  私は同意するように肯いた。

  彼は一息置いて続けた。「考えてみれば、それは他者を前にした自己の定義と通じるところが
 あるかもしれませんね。自明ではあるが、その自明性を言語化するのはむずかしい。あなたがお
 っしやったように、それは『外圧と内圧によって結果的に生じた接面』として捉えるしかないも
 のなのかもしれません」
  免色はそう言ってほんの少し微笑んだ。「とても興味深い」と彼はまるで自分に言い聞かせる
 ように、小さな声で付け加えた。
  我々はいったい何の話をしているのだろう、と私はふと思った。それなりに興味深い話題では
 ある。しかしこんなやりとりが彼にとって、いったいどんな意味を持つというのだ? それはた
 だの知的好奇心なのだろうか? それとも彼は私の知力を試しているのだろうか? もしそうだ
 としたらいったい何のために?

 「ちなみに私は左利きです」と免色はある時点で、ふと思い出したように言った。「何かの役に
 立つかどうかわかりませんが、それも私という人間に関する情報のひとつになるかもしれない。
 右か左かどちらかに行けと言われたら、いつも左をとるようにしています。それが習慣になって
 います」

  やがて三時近くになり、我々は次回の日取りを決めた。三日後の月曜日、午後一時に彼はうち
 にやってくることになった。そして今日と同じように二時間ほどをスタジオで一緒に過ごす。そ
 こで私はもう一度、彼のデッサンを試みる。

 「急ぐことはありません」と免色は言った。「最初にも言ったことですが、好きなだけ時間をか
 けてください。私には時間はいくらでもありますから」
  そして免色は帰って行った。私は彼がジャガーに乗って去っていくのを窓から見ていた。それ
 から描き上げた錫杖かのデッサンを手に取り、しばらく眺め、首を振って放り出した。
  家の中はひどく静かだった。私ひとりになると、沈黙が一挙に重みを増したようだった。テラ
 スに出ると風はなく、そこにある空気はゼリーのように濃密で冷ややかに感じられた。雨の予感
 がした。
  私は居間のソファに座って、免色とのあいだに交わされた会話を順番に思い出していった。肖
 像画のモデルになることについて。シュトラウスのオペラ『薔薇の騎士』。IT関係の会社を立
 ち上げ、その株を売り払い、まとまった額の金を手にして、若くして引退したこと。一人きりで
 大きな家に暮らしていること。ファーストネームは渉。川を渉るの「わたる」。ずっと独身で、
 若い頃から白髪であったこと。左利きで、現在の年齢は五十四歳。雨田典彦の人生、その大胆な
 転換、チャンスの尻尾を掴んで離さないこと。日本画の定義について。そして最後に、自己と他
 者との関係についての考察。

  彼は私にいったい何を求めているのだろう?

  そしてなぜ私には彼をまともにデッサンすることができないのだろう?

  その理由は簡単だ。私には彼の存在の中心にあるものがまだ把握できていないからだ。
  彼との会話のあと、私の心は不思議なほど乱れていた。そしてそれと同時に免色という人間に
 対する好奇心は、私の中でますます強いものになっていた。

  三十分ほどあとで大粒の雨が降り始めた。小さな鳥たちはもうどこかに姿を消していた。

   Claustrophobia

   10. 僕らは高く繁った緑の草をかき分けて

  私が十五歳のときに妹が亡くなった。唐突な死に方だった。彼女はそのとき十二歳、中学校の
 一年生だった。生まれつき心臓に問題があったのだが、なぜか小学校の高学年になった頃には症
 状らしい症状もあまり出なくなっていたので、家族はいくらか安心していた。このまま何ごとも
 なく人生は続いていくのではないか、という談い期待を我々は抱くようになっていた。しかしそ
 の年の五月頃から急に、動悸が不規則的に激しくなることが増えてきた。とくに横になるとよく
 それが起こり、うまく眠れない夜が多くなった。大学病院で診察してもらったのだが、どれだけ
 精密に検査をしても、これまでと変わったところを見つけることができなかった。根本的な問題
 は手術によって既に取り除かれているはずなのだが、と医師たちは首をひねった。
 
 「激しい運動はできるだけ避け、規則正しい生活を送るようにしてください。そのうちに落ち着
 いてくるはずです」と医師は言った。たぶんそうとしか言えなかったのだろう。そして何種類か
 の薬を処方してくれた。
  しかし不整脈は治まらなかった。私は食卓をはさんで座った妹の胸に目をやって、そこにある
 彼女の不完全な心臓をよく想像した。彼女はだんだん胸が膨らみ始めているところだった。心臓
 に問題を抱えてはいても、彼女の肉体は成熟への道を着々と進んでいた。日々膨らみを増してい
 く妹の胸を見るのは、なんだか不思議なものだった。このあいだまでほんの小さな子供だった妹
 が突然あるとき初潮を迎え、乳房が徐々に形成されていく。でも私の妹はその小さな胸の奥に、
 欠陥のある心臓を抱えているのだ。そしてその欠陥は専門医にも正確に突き止めることができな
 い。その事実がいつも私の心を乱した。いつなんどきこの小さな妹を失ってしまうかもしれない
 という考えを胸の片隅に抱きながら、私は少年時代を送ってきたような気がする。

  妹は身体が弱いのだから大事に護ってやらなくてはならない、私は常日頃両親からそう言い聞
 かされていた。だから同じ小学校に通っているときは、私はいつも彼女に目を往いで、何かがあ
 ったときには身を挺して、彼女とその小さな心臓を護ってやらなくてはと決意を固めていた。そ
 の上うな機会は実際には一度も訪れなかったが。
  妹は中学校からの帰り道、西武新宿線の駅の階段を上っているときに意識を失って倒れ、救急
 車で近くの救急病院に運び込まれた。私か学校から戻り、その病院に駆けつけたときには既にそ
 の心臓は動きを停めていた。あっという間の出来事だった。その日の朝、食卓で一緒に朝食をと
 り、玄関前で別れて、私は高校に行き妹は中学校に行った。そして次に顔を合わせたとき、彼女
 はもう呼吸することをやめていた。大きな目は永遠に閉じられ、目は何かを言いたそうに小さく
 聞かれていた。その膨らみ始めたばかりの乳房はもうそれ以上膨らむことをやめていた。

  次に私か彼女を見だのは、棺に入れられた姿たった。お気に入りの黒いベルベットのワンピー
 スを着せられ、薄く化粧をはとこされ、髪はきれいに校かれ、黒いエナメルの靴を履き、小振り
 な棺の中に仰向けに横になっていた。ワンピースには白いレースの丸襟がついていて、それはほ
 とんど不自然なくらい白かった。
  横になった彼女は、ただ安らかに眠り込んでいるように見えた。身体を少し揺すったら今にも
 起き上がりそうだ。でもそれは錯覚だ。どれだけ呼びかけても揺すっても、彼女がもう目を覚ま
 すことはない。

  私としては、そんな狭苦しい箱の中に妹の華奢な身体を詰め込んでほしくなかった。その身体
 はもっと広々したところに寝かされているべきなのだ。たとえば草原の真ん中に。そして僕らは
 高く繁った緑の草をかき分けて、言葉もなく彼女に会いに行くべきなのだ。風が草をゆっくりそ
 よがせ、そのまわりでは鳥たちや虫たちが、あるがままの声を上げているべきなのだ。野生の花
 たちがその租い匂いを、花粉と共に空中に漂わせているべきなのだ。日が沈んだら、無数の銀色
 の星が頭上の空に鍾められるべきなのだ。朝になったら新しい太陽が、まわりの草の葉についた
 露を宝石のように煌めかせるべきなのだ。でも実際には彼女は小さな、馬鹿げた棺の中に収めら
 れていた。まわりに釣られているのは、鋏で切られ花瓶にいけられた不吉な白い花ばかりだった。
 狭い部屋を照らしているのは色を抜かれたような蛍光灯の光だった。天井に埋め込まれた小さな
 スピーカーからは、オルガン曲が人工的な音で流れていた。

  私は彼女が焼かれるのを見ていることはできなかった。棺の蓋が閉じられてしっかりロックさ
 れたとき、もう我慢できなくなって、火葬場のその部屋を出ていった。そして彼女の骨を袷うこ
 ともしなかった。私は火葬場の中庭に出て、一人で声を出さず涙を流した。そしてその短い人生
 の中で、ただの一度も妹を肋けてやれなかったことを心から悲しく思った。

                                     この項つづく
                                                           

 

 


ポストFITのヘーリオス

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            至人はおのれなし、神人は功なし、聖人は名なし
       

                      人神・至人・聖人 /「逍遙遊」(しょうようゆ)                 

                                               

      ※ 天地の自然に身を委ね、万物の生成変化に応じて無窮の世界に逍遥する者こ
        そ、なにものにもとらわれぬ真に自由な存在である。「至人は自己に固執せ
        ず、神人は作為を施さず、聖人は名声に関心を抱かぬ」とは、このことを指
        す。

 

【RE100倶楽部:太陽光発電編】

● 日本のポストFIT事業の展望 その1

太陽光発電システムは、12年7月から開始。「電気事業者による再生可能エネルギーの電気の調達
に閤する特別措置法(FIT法)」に連関する再生可能工不ルギ一固定価格買収制度(FIT制度}のもと、日
本において大きく導入が昿太する(下図)。

一方で、このような急拡大を受け、①国民負担の急増、②不十分な設計・設計・メンテナンス状況、
③立地地域とのトラプルなど様々な歪みを抱える。昨年5月にはこれらの課題を解決するため、改正
FIT  法が制定。開法では、「安定的な発竃事業の継続に向け、発電事業者の事業計画の提出・順守を求
める新認定制度」を実施することか打ち出され、新認定制度では、事業者か事業計画において適切に
点検・保守を行うことが盛り込まれ、具体的に実施すべき内容を規定するガでドラインか策定される。



出力50キロワット以上の産業用太陽光発電殷備は、①経済産業省令で定める按術基準に適合するよ
うに電気工作物を維持する義務、②電気工作物の工事、維持及び運用に関する保安を確保するため、
保安規定を定めて聊け出る義務、③奄気工作物の工事、維持及び連用に関する保安の監督をさせるた
めに、電気主任技術者を選任して届け出る義務を定めている。加えて、50キロワット未満の低圧設
備では、届出等の手続きは不要だが、経済産業省令で定める技術基準に適合させる義務が明示される。
また、保守点検に関する留意事項については、システム所有者の留意事項として、「日常点検にて高
所設置等容易に点検できない太陽電池アレイなどは、安全で目視可能な場所(地ヒなど)からの目視点
検とし、必要な場合は、専門技術者に依頼して実施する」、「太陽光発電用機器の内部は高電圧となっ
ている部分があり、外部からの目視、異音、異臭、振動などの点検に留める」などが挙げられた。ま
た、施工業者、専門技術者の留意事項としては、「太陽電池モジュールの直並列の枚数、PCSとの適
合性、太陽電池アレイの方位、太陽電池アレイの傾斜角、架台の強度、太陽電池モジュ一ルの配線、
塩害地域、多雪地域への設置など、太陽電池システム及び機器の仕様に関わる内容は、設置前に問題
がないことを確認する」などを挙げる。



また、ガイドラインでは「トラブルシュ一ティングと修理」なども記載されており、「パワーコンディ
ショナは、想定される不具合の原因またはその発生源を示す自己診断機能を備えていることが、一般
的である」なども紹介されている。太陽光発電の保守・点検に関するガイドラインが制定されたこと
で、発電事業者に安全で適正な発電所運営が求められる。日本のエネルギーミックスを実現する上で
も信頼性の高い太陽光発電市場の確立は必要不可欠で、このガイドライン制定は再エネ導入拡大にお
ける大きなターニングポイントになるに違いないとみられる。

 
蓋し、3・11の原発事故でエネルギー政策の大展開は余儀なくされ、ありきたりの言葉を借りると
「コペルニクス的転回」が起き、①原子力の安全神話が崩壊、②核燃料再処理プランの破綻と使用済
み核ゴミ処理不全の白日の下に晒され、③発光ダイオード照明と太陽電池に象徴される省エネ/再エ
ネの著しい普及が開始され、③デンマーク、オランダ、ドイツに象徴される「再エネ振興国」が続々
誕生し、「ソーラーシンギュラリティ時代」に突入している。

                                      この項つづく 

    
 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』       

  Claustrophobia

   10. 僕らは高く繁った緑の草をかき分けて

   妹が亡くなったあと、家族もすっかり変わってしまった。父親は前にも増して無口になり、母
 親は前にも増して神経質になった。私はおおむねこれまでどおりの生活を送った。登山クラブに
 入っていたのでその活動が忙しかったし、その合間に油絵の勉強をしていた。中学校の美術の教
 師から、君は先生について正式に絵の勉強をした方がいいと勧められたのだ。そして絵画教室に
 通っているうちに、次第に絵画に真剣に興味を持つようになっていった。当時の私は死んだ妹の
 ことを考えなくて済むように、できるだけ自分を忙しくしていたような気がする。

  何年くらいだろう、妹が亡くなったあとかなり長いあいだ、両親は彼女の部屋をそのままにし
 ていた。机の上に積まれた教科書や参考書も、ペンや消しゴムやクリップも、ベッドのシーツや
 布団や枕も、洗濯されて畳まれたパジャマも、クローゼットの中の学校の制服もそのままに残さ
 れていた。壁にかかったカレンダーには、彼女の小さなきれいな宇で予定の書き込みがしてあっ
 た。カレンダーは妹の死んだ月のままで、そこから時間はまったく進んでいないように見えた。
 今にもドアが間いて、彼女が中に入ってきそうな気配があった。家人がいないとき、私はときど
 きその部屋に入って、きれいにメイクされたベッドに静かに腰を下ろし、あたりを眺め回したも
 のだった。でもそこに置かれているものにはフ切手を触れなかった。私としては、そこに静かに
 残された妹の生きたしるしを、僅かなりとも乱したくなかったからだ。

  もし十二歳で死ななかったら、妹はその先どのような人生を送ったのだろうとよく想像したも
 のだ。でももちろんそんなことは私にわかりっこない。自分白身がどんな人生を送ることになる
 のか、それだって見当もつかないのだ。妹の人生の先のことまでわかるわけがない。しかしもし
 心臓の弁の機能に生来の問題さえなければ、彼女はきっと有能で魅力的な大人の女性に成長した
 に違いない。多くの男に愛され、おそらくは彼らに優しく抱かれたことだろう。でもそんな光景
 はなかなか具体的には思い浮かべられなかった。私にとっての彼女はあくまで三歳年下の、私の
 保護を必要としている小さな妹だった。

  妹が亡くなったあとしばらく、私は熱心に彼女の絵を描いた。彼女の顔を忘れないために自分
 の記憶の中にあるその顔を、いろんな角度からスケッチブックに再現していった。もちろん妹の
 顔を忘れたりするわけはない。私は死ぬまで彼女の顔を忘れられないだろう。しかしそれはそれ
 として私か求めていたのは、その時点の私が記憶している彼女の顔を忘れないことだった。そし
 てそのためには、それを形として具体的に描き残しておくことが必要だった。私はまだ十五歳で、
 記憶についても絵についても時間の流れ方についても、多くを知らなかった。しかし現在の記憶
 をそのままのかたちで残しておくためには、何らかの方策を講じなくてはならないということだ
 けはわかっていた。それは放っておけば、やがてどこかに消えてしまうだろう。その記憶がどれ
 ほど鮮やかなものであれ、時間の力はそれにも増して強力なものなのだ。私にはそのことが本能
 的にわかっていたのだと思う。

  私は誰もいない彼女の部屋の、彼女のベッドに腰を下ろし、スケッチブックに彼女の繰を描き
 続けた。何度も何度も描き直した。心の目に映る妹の姿を、白い紙の上になんとか再現しようと
 試みた。当時の私は経験も不足していたし、まだそれだけの技術を持ち合わせていなかった。だ
 からその作業はもちろん簡単にはいかなかった。描いては彼り、描いては破りという繰り返しだ
 った。でも今そのときの繰を見直してみると(当時のスケッチブックをまだ大事に保管してい
 る)、そこに紛れもない本物の哀しみが溢れていることがわかる。技術的には未熟であっても、
 それは妹の魂を私の魂が呼び起こそうとしていた真摯な作業であったことが理解できる。それら
 の絵を見ていると、知らないうちに涙が溢れてくる。そのあと私はずいぶんたくさんの絵を描い
 た。でも私自身に涙を流させる絵を描いたことは、それ以来一度もない。

  もうひとつ妹の死が私にもたらしたものがある。それは極度の閉所恐怖症だ。彼女が狭い棺に
 詰め込まれ、蓋を閉じられて堅くロックされ、火葬炉に送り込まれる光景を目にしてから、私は
 狭い密閉された場所に入ることができなくなった。長いあいだエレベーターに乗ることができな
 かった。エレベーターを前にすると、それが地震か何かで自動的に停止し、自分かその狭い空間
 に閉じ込められたまま、どこにも行けなくなってしまうところを想像する。それを考えただけで
 パニック状態に陥り、正常に呼吸ができなくなる。

  妹が亡くなってすぐにそのような症状が出てきたわけではない。それが表面に出てくるまでに
 三年近くを要した。私が初めてパニック状態に陥ったのは、美術大学に入ってすぐ、引っ越し会
 社のアルバイトをしていたときだった。私は運転手の助手として有蓋トラックの荷物の積み降ろ
 しをしていたのだが、あるときちょっとした手違いがあって、空っぽの荷室に閉じ込められてし
 まった。一日の仕事の終わりに、荷室内に置き忘れがないかどうか最後の点検をしているときに、
 運転手が中に人がいることを確認しないまま、外から扉をロックしてしまったのだ。

  次に扉が開かれ、私がそこから抜け出せるまでにおおよそ二時間半を要した。私はそのあいだ
 密閉された狭い暗黒の空間に、一人で閉じ込められていた。密閉されているといっても、冷凍車
 とかそういうものではないから、空気が出入りする隙間はある。冷静に考えれば、窒息する恐れ
 はないくらいのことはわかる。

  しかしそのとき私は強烈なパニックに襲われた。そこに酸素は十分にあるはずなのに、どれだ
 け大きく空気を吸い込んでも体内に酸素が行き渡らない。そのせいで呼吸がどんどん激しくなり、
 一種の過呼吸状態に陥ってしまったのだと思う。頭がくらくらとして息が詰まり、説明のつかな
 い激しい恐怖に支配された。大丈夫、落ち着け。じっとしていれば、そのうちにここから出られ
 る。窒息するようなことはあり得ない。私はそう考えようとした。しかし理性というものがまる
 で機能しなかった。私の順に浮かぷのは、狭い棺に閉じ込められ、火葬炉に送り込まれていく妹
 の姿だけだった。私は恐怖に取りつかれ、荷室の壁を叩きまくった。

  トラックは会社の駐車場に入っており、従業員は全員一日の仕事を終えて家に帰って行った。
 私の姿が見えないことには誰も気づかなかったのだろう。どれだけ強くづビルの壁を叩いても、
 それを耳にする人間は一人もいないようだった。下手をしたら、朝までここに閉じ込められるこ
 とになるかもしれない。そう思うと、身体中の筋肉がばらばらにほどけてしまいそうだった。

  私の立てる物音に気づいて、トラックの扉を外から開けてくれたのは、駐車場を見回りにきた
 夜間警備員だった。私かひどく消耗し取り乱しているのを見て、仮眠室のベッドにしばらく横に
 ならせてくれた。そして温かい紅茶を飲ませてくれた。どれくらいそこに横になっていたのか自
 分でもわからない。でもやがて呼吸がなんとか正常になり、夜明けがやってきたので、私は警備
 員に礼を言い、始発電車に乗って家に帰った。そして自分の部屋のベッドに潜り込み、長いあい
 だ激しく震えていた。

   私かエレベーターに乗れなくなったのはそれ以来だ。その事件が、私の内部に眠っていた恐怖
 心を目覚めさせたのだろう。そしてそれが死んだ妹の記憶によってもたらされたものであること
 に、ほとんど疑いの余地はなかった。エレベーターばかりでなく、それがどのようなものであれ、
 密閉された挟い場所に足を踏み入れることができなくなった。潜水艦や戦車が出てくる映画を見
 ることもできなかった。そんな挟い空間に自分か閉じ込められるところを想像しただけで、ただ
 想像しただけで、うまく呼吸ができなくなった。映画を見ている途中で席を立ち、映画館を出て
 くることもしばしばあった。誰かが密閉された場所に閉じ込められるシーンが出てくると、私は
 もうそれ以上その映画を見ていることができなくなった。だから私は人と一緒に映画を見たこと
 がほとんどない。

  北海道を旅行しているとき、一度やむを得ぬ事情があって、カプセル・ホテルみたいなところ
 で一夜を過ごすことになったが、呼吸が困難になってどうしても眠ることができず、仕方なく外
 に出て、駐車場の車の中で一夜を過ごした。初春の札幌だったから、それは実に悪夢のような一
 夜となった。
  妻はそのパニックのことでよく私をからかったものだ。高いビルの上の階に上がらなくてはな
 らないことがあると、彼女は一人で先にエレベーターで上に行って、私が十六階ぷんの階段を息
 を切らせて上ってくるのを楽しそうに待っていた。でも私はその恐怖が生じた理由を彼女には説
 明しなかった。ただ生まれつきなぜかエレベーターが怖いんだ、としか言わなかった。

 「でもまあ、健康のためにはいいことかもね」と彼女は言った。

  また私は人並み以上に大きな乳房を持つ女性に対して、怯えに似た感情を抱くようにもなった。
  それが十二歳で死んだ妹の、膨らみかけの乳房と関係しているのかどうか、正確なところは自分
 でもよくわからない。しかし私は昔からなぜか小振りな乳房を持った女性に心を惹かれたし、そ
 のような乳房を目にするたびに、それに手を触れるたびに、妹の胸の小さな膨らみを思い起こす
 ことになった。誤解されると困るのだが、なにも妹に対して性的な関心を抱いていたわけではな
 い。私はおそらくある種の情景を求めているのだと思う。失われてもう二度互房ることのない、
 限定された情景のようなものを。

  Big breasts, little breasts

  土曜日の午後、私は人妻の恋人の胸の上に手を置いていた。彼女の乳房はとくに小さくもなく、
 とくに大きくもなかった。程よい大きさで、それは私の手のひらにうまく収まった。私の手のひ
 らの中で、彼女の乳首はまだ先はどの堅さを残していた。

  彼女が土曜日に私の家にやってくることはまずない。彼女は週末を家族とともに過ごすからだ。
 しかしその週末、彼女の末は出張でムンバイに出かけており、二人の娘たちは泊まりがけで、那
 須にある従姉妹の家に遊びに行っていた。だから彼女はうちに来ることができたのだ。そしてい
 つもの平日の午後のように、我々はゆっくり時間をかけて性交した。そのあと二人は気怠い沈黙
 の中に浸っていた。いつものように。

 「ジャングル通信のことを聞きたい?」と彼女が言った。
 「ジャングル通信?」。それがいったい何のことか、急には思い出せなかった。
 「忘れちやったの? 谷の向かい側の白い大きな家に往んでいる謎の人のことよ。メンシキさん、
 その人について調べてほしいって、この前言ったじやない」 
 「ああ、そうだった。もちろん覚えているよ」
 「少しだけだけど、わかったことがある。私のママ友が一人、あのあたりに往んでいるの。だか
 ら少しだけ情報を集めることができた。聞きたい?」
 「もちろん聞きたい」
 「メンシキさんがあの見晴らしの良いおうちを買ったのは、今から三年くらい前のことになる。
  その前はあそこには別の家族が往んでいたの。その人たちがそもそもあの家を建てたんだけど
 そのオリジナルの持ち主は二年くらいしかあの家に暮らさなかった。ある晴れた朝、突然その人
 たちは荷物をまとめて出ていって、メンシキさんが入れ替わりにそのあとに入ってきた。彼は新
 築同然の屋敷をそっくりそのまま買い取ったわけ。どういう経緯でそんなことになったのか、そ
 れは誰も知らない」
 「つまり、彼があの家を建てたわけじゃないんだ」と私は言った。
 「そう。彼は既にあった容れ物にあとから入り込んできただけ。まるですばしこいヤドカリみた
 いに」

  そう言われて意外な気がした。あの白い家は彼が建てたものと、最初から私は思いこんでいた
 からだ。それくらいその山の上の白い屋敷は、免色という人物のイメージと――たぶん見事な白
 髪と呼応してだろう――自然に繋がっていた。


わたしも、小学一年の時、道草でビルのエレベーターに乗っが動かずしばらく閉じこめられパニック
状態の体験をし、成人してから、精神的な疲れ状態で閉所恐怖症の体験を重ね合わせる。
  
                                                         この項つづく

 

  Apr. 3, 2017

【RE100倶楽部:省エネルギー編】

● グラフェン酸化膜によるイオン調整分離

今月3日、マンチェスター大学の研究グループは、これまで化学蒸着(CVD)法などで工業的規模で
廉価で大量に単層グラフェンの製造することが困難であったが、グラフェン酸化膜による海水の脱塩
に成功したことを公表(上/下図ダブクリ参照)。それによると、グラフェン酸化膜の両端をエポキ
シ樹脂で膜処理/配置構成で、膜膨張を制御できることを実証。国連は2025年までに世界人口の14
%が水不足に遭遇すると予想。 気候変動の影響が都市への水供給を妨げる。現在、淡水化技術への
に投資が行われている。同研究グループは耐久テストを行い膜交換/洗浄の周期などを確認するとの
こと。また、究極の目標として、最小限のエネルギー投入で海水/排水から飲用水を製造するろ過装
置を製造することだと話す。

Nature NanotechnologyYear published:(2017)DOI:doi:10.1038/nnano.2017.21 Published online03 April 2017

【要約】

グラフェン酸化膜は、特殊な分子透過特性を示し、多様な用途に有望である。イオンふるい分け/淡
水化技術への応用は、約9Åの透過分離能で規制され、これは一般的な塩類の水和イオンの直径より
大きい。この分離能は、水中で膨潤するグラフェン酸化物積層体の典型的な13.5Åの層間間隔(
d)によって決定される。 水に浸された積層体より小さいdでは達成困難である。 ここでは、物理
的閉じ込めによりdを制御、正確/調整可能なイオンふるい分けを達成する方法を呈示する。6.4
Å~9.8Åのdを有する膜で、水和イオン直径よりも小さいふるい寸法を示す。この領域では、d
に依存し、約10~100kJ mol -1  のエネルギー障壁によりイオン透過が熱活性化する。重要なことに、
①透過速度は、ふるいサイズの減少に従い指数関数的に逓減するが、②水輸送は弱い影響を受ける(
因子<2)。後者は、水分子の侵入に対する低い障壁とグラフェン毛細管内での大きな泳動長に起因
する。これらの知見をもとに、限定的な膨潤を有するグラフェン基材膜を得る簡便な測量方法を実証、
これはNaClに対し、97%の阻止率を示す。

この研究開発が成功すれば、省エネ/廉価な除菌/脱塩システムが普及し、これに高度脱塩システム
とを組み合わせば、コンパクトな超純水製造システムが誕生するかもしれない。また、このブログで
掲載したが、海水面をグラファイト酸化膜の表面を自律的に覆うことで海面から水蒸気の蒸発を抑制
し、大型/局所的な低気圧発生を防止することも可能だろう。これは面白い。

Mar. 21, 2017
【RE100倶楽部:太陽光発電編】

● 最新自己追跡型太陽光集光装置技術:US 9602047 B2
※ Titol : Self-tracking solar concentrator device

今回は、入射光を焦点スポットに集束するように構成された集束光学装置で、また光源を自己追跡装
置で、焦点スポットの光を反射するように構成、 この集光光学装置/適応型装置との間に配置され、
適応型装置の反射光を捕捉構成した光ガイドと、を備えた構成/構造を特徴とする装置の特許事例を
を掲載する(上下図ダブクリ参照)。

☯ 説明図の説明

☑図1は、本発明の1つの態様による、レンズアレイ110、光ガイド130、および光ガイド130の下に
配置されたアクチュエータ120のアレイを示す、自己追跡集光器デバイス100の断面図。

☑図2は、図1に示す光学装置を用いた焦点Fの変化を示すセルフトラッキングコンセントレータ100
の断面図。別の態様は図5に図示。

☑図3A、図3Cは、アクチュエータ250の一実施形態を図示。図3Aは、光ガイド230の下にアクチ
 ュエータ250が配置された装置200を図示、さらに、図3B、図3Cは別の態様による、光Lによる
 照明の異なる段階を図示。

☑ 図4A、図4Eは、アクチュエータ350の実施形態を示す。図3Aは、光ガイド330の下にアクチ
 ュエータ350が配置された装置300を示す。さらに別の態様による、光Lによる照明の異なる段階を
 図4B、図4Eに図示。
☑図5は、平坦なペッツヴァル像面湾曲を提供するレンズアレイを使用する装置の断面図を示し、別
 の態様による、2つの非球面レンズを有するレンズアレイの各レンズを示す。

Mar. 21, 2017

 

 

オールソーラートマト農園

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           鷦鷯(しょうりょう)森林に巣くうも一枝に過ぎず、
           偃鼠(えんそ)河に飲むも満腹に過ぎず

                   料理人と神主 /「逍遙遊」(しょうようゆ)                                        

                                               

         ※ 堯(ぎょう)が許由(きょゆう)に天子の位を譲りたいと申し出るが。
          ミソサザイ(鷦鷯)は広い林のなかに巣を作るが、必要なのはたったの
          一枝。カワウソ(偃鼠)は黄河の水を飲むけれども、腹いっぱいになる
          だけあれば十分なのですと言って、許由はその申し出を断る。

 


(A) さまざまなロドプシンの分子進化系統樹, (B) RxRを発現させた大腸菌体,(C) RxRの機能を調べ
る実験の様子とその結果, (D) RxRの機能の模式図
 
● 光で働く新イオンポンプを発見 安定性世界新記録

先月14日、岡山大学らの研究グループは、真正細菌から膜タンパク質のロドプシン「RxR」を発見。
RxRの機能を解析し、世界で最も安定な光駆動性イオンポンプであることを明らかにする。これまで
の安定時間は、13年に米国の温泉から見出したロドプシン「TR」の加熱後37.5分が世界記録。
RxRは最長で600分と、一気に約16倍の世界記録となる。この成果は、一般に不安定とされるイ
オン輸送体の大量調製や解析へと道を拓き、①光をエネルギーに変換する技術や、②光で生命機能を
操作する技術の基盤となるため、タンパク質を材料とした生命医工学研究への応用が期待されている。

イオン(H+,Na+,K+,Ca2+など)は,生物にとって必須の物質。例えば,カルシウムイオン(Ca2+)
がないと骨はできず,血液中のカリウムイオン(K+)が2倍になっただけで,心臓は停止する(えら
いこっちゃ!)。体の中ではイオン輸送体がイオン濃度を厳密に調節。イオン輸送体は、ヒトを含め
た全ての生物の細胞膜に存在する膜タンパク質で、さまざまな生命機能に関与―――胃酸の分泌や生
命活動に必須なエネルギーの源となる物質(ATP)の合成に関わるイオンポンプや、筋収縮や神経伝
導に関わるイオンチャネルが存在する。

ところで、医薬品の約16%のイオン輸送体の市場と想定されているからイオン輸送体の研究は医薬
品開発で重要。そして、岡山大学は、イオン輸送体の中で色の変化で活性を確かめられるロドプシン
――光に反応して機能を示す膜タンパク質で、①イオン輸送に加え、②視覚応答、③概日リズム、④
タンパク質発現調節などを担う――の研究だけでなく、生命機能を光で操作する技術(オプトジェネ
ティクス)への展開や,光応答性を利用した光応答タンパク質材料(光エネルギー変換体)としての
利用を通し、光利用による物質材料/生命機能の研究されているという。




● 世界初 コエンザイムQ10に体内から放出される加齢臭の抑制効果を発見

♪ お父さんって好い匂いって鼻歌マジで「加齢臭がくさい」などと悪態を突く彼女だが、今月5日、資生堂が、
高い抗酸化作用を持つコエンザイム(補酵素)Q10 ――ヒト体内の細胞にあるミトコンドリアがエネルギー
を作る際に欠かせない成分で、加齢とともに減少する――に 体表ではなく体内から放出される加齢臭の
原因物質ノネナールを抑える効果――コエンザイムQ10を4週間摂取したところ、肌の内側から放出
されるノネナールの濃度が2~3割減少し、加齢臭が顕著に抑制があると。「補酵素かオーデコロン
かはたまたその両方かそれが問題だ?!」とハムレット。これも吉報とし読み眺める。

 

【RE100倶楽部:オールソーラシステム編】

● 革命的分子内包型カーボンナノチューブ光励起素子

― 夢の太陽光エネルギー変換効率50%へはずみ ―

3月10日、岡山大学の高口豊准環境生命科学研究科教授らの研究グループは、カーボンナノチュー
ブの光吸収帯を利用した水分解反応による水素製造が可能であることを明らかにする。カーボンナノ
チューブはこれまで、光触媒の光吸収材料としての利用が困難であると考えられてい。一方、カーボ
ンナノチューブは、従来の光触媒技術では利用できない赤色光~近赤外光(波長600~1300 nm)を吸
収できることから、太陽光エネルギーの変換効率の大幅な向上が見込まれ、光触媒を利用したCO2フ
リー水素製造技術への応用が期待されている。このように、以外と早く、廉価な波長変換素子/蛍光
化合物のコラボなどで30%超が実現できそうである。

● 特開2015-171965 コアシェル型カーボンナノチューブ複合材料及びその製造方法

カーボンナノチューブは、①単層カーボンナノチューブ(SWNTS)、②二層カーボンナノチューブ
をはじめとする比較的安価で導電性の高い③多層カーボンナノチューブ(MWNTs)、④ピーポッド
と呼ばれる分子内包カーボンナノチューブなどに分類される。4つめの分子内包カーボンナノチュー
ブは、様々な分子を内包することができ、半導体的な性質を自在にチューニングすることが可能なこ
とから次世代の半導体材料として期待されている。

非特許文献1には、SWCNT/フラロデンドロン超分子複合体の分散液中で、オルトけい酸テトラ
エチルをゾルゲル重合させることで、SWCNT/フラロデンドロン/SiO2 ナノハイブリッドが得られ
ることが記載されている。ナノハイブリッドを用いた光水素発生実験を行ったところ、光水素発生量
が5.7μmol/hであり、量子収率が31%であったとされている。しかしながら、ナノハイブリッド
の調製には48時間を要するため、光触媒として使用する際にすぐに準備できないという問題があ
り、また、更なる光触媒としての機能向上も望まれていた。

この事例は上記課題解決のものであり、カーボンナノチューブ、フラーレン及びデンドリマーがこの
順番で積層されたコア層が形成され、コア層の外側にシリカと金属酸化物との複合体である無機化合
物からなるシェル層が形成されてなるコアシェル型カーボンナノチューブ複合材料を提供することを
目的とするものである。

【図2】カーボンナノチューブ/フラロデンドロン複合体の調製方法の一例を示すフローチャート
【図7】カーボンナノチューブ/フラロデンドロン/SiO2-TiO2ナノハイブリッドの調製方法の一
    例を示すフローチャート




    
 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』     

  10. 僕らは高く繁った緑の草をかき分けて

  彼女は続けた。「メンシキさんがどんな仕事をしている人なのか、誰にもわからない。わかっ
 ているのは、彼はいっさい通勤をしていないということ。ほとんど一日中宮にいて、たぶんコン
 ピュータを使って情報をやりとりしているんでしょう。書斎にはそういう機器がいっぱいあると
 いうことだから。最近では能力さえあれば、たいていのことはコンピュータでできちやうのよ。
 私の知り合いに、ずっと自宅で仕事をしている外科医がいる。熱心なサーファーで、海のそばを
 離れたくないということで」
 「自宅から出ないで、外科医の仕事ができちやうんだ?」
 「患者についてのすべての画像と情報を送ってもらって、それを解析して手術のプロトコルだか
 なんだかを制作し、それを先方に送り、実際の手術を画像でモニターしながら、必要に応じてア
 ドバイスを与えるの。あるいはこちらからコンピュータのマジックハンドを使っておこなえる手
 術もある。そういう話」
 「なかなかすごい時代だ」と私は言った。「個人的にはあまりそんな風に手術を受けたくはない
 けれど」
 「メンシキさんもきっと、何かそれに似たようなことをしているんじやないかしら」と彼女は言
 った。「そして何をしているにせよ、まったく不足のない収入を得ている。あの大きな家に一人
 で暮らしていて、ときどきまとめて長い旅行をする。たぶん海外に行っているのでしょうね。家
 の中には、エクササイズ・マシンをいっぱい揃えたジムのような部屋があって、暇があればそこ
 でせっせと筋肉を鍛えている。贅肉は一切れもついていない。主にクラシック音楽を愛好し、充
 実したオーディオルームもある。優雅な生活だと思わない?」
 「どうしてそんな細かいことまでわかるんだろう?」
  彼女は笑った。「どうやらあなたは、世間の女性の情報収集能力というものを過小評価してい
 るみたいね」

 「そうかもしれない」と私は認めた。
 「車は全部で四台持っている。ジャガーを二台とレンジローバー。それに加えてミニ・クーパー。
 どうやら英国車の愛好家みたいね」
 「ミニは今ではBMWが作っているし、ジャガーはたしかインドの企業に買収されたんじやない
 かな。どちらも正確には英国車とは呼べないような気がする」
 「彼が乗っているのは旧型の方のミニ。それにジャガーほどこの企業に買収されようが、結局は
 英国車よ」
 「ほかに何かわかったことは?」
 「彼の家に出入りする人はほとんどいない。メンシキさんはかなり孤独を愛好する人のようね。
 一人でいるのが好きで、たくさんの古典音楽を聴き、たくさんの本を読んでいる。独身でお金持
 ちなのに、女性をうちに連れてきたりすることもほとんどないみたい。見たところとても簡素で
 清潔な生活を送っている。ひょっとしたらゲイかもしれない。でもたぶんそうではないだろうと
 いういくつかの根拠がある」
 「きっとどこかに豊かな情報源があるんだろうね」
 「今はもういないけど、少し前までは家事をするために通に何度か、あのおうちに通ってくるメ
 イドのような人がいた。その人がゴミの集積場にゴミを出しに行ったり、あるいは近所のスーパ
 ーに買い特に行ったりすると、そこには近所のお宅の奥さんがいて、自然に会話が生まれる」
 「なるほど」と私は言った。「そうやってジャングル通信が成立する」
 「そういうこと。その人の話によれば、メンシキさんのおうちには『開かずの部屋』みたいなの
 があるっていうこと。ここに入ってはいけないとご主人から指示されるの。とても厳しく」
 「なんだか『青髭公の城』みたいだ」
 「そのとおり。どんな家の押し入れにもひとつくらい骸骨が入っている。よくそう言うじやな
 い」

 Herzog Blaubarts Burg

  そう言われて、私は屋根裏にひっそり隠されていた絵画『騎士団長殺し』のことを思い浮かべ
 た。それもまた、押し入れの中の骸骨のようなものかもしれない。
  彼女は言った。「その謎の部屋の中に何があるのかは、彼女にもとうとうわからなかった。彼
 女が来るときにはいつもドアに鎚がかけてあったから。でもとにかくそのメイドさんはもう彼の
 家に通ってきてはいない。たぶん口が軽すぎると思われて、くびになったんでしょう。今では彼
 が自分ひとりでいろんな家事をこなしているみたい」
 「彼自身もそう言っていた。週に一度のプロのクリーニング・サービスを別にすれば、ほとんど
 の家事は自分でこなしていると」
 「プライバシーに関してはなにしろ神経質な人みたいね」
 「しかし、それはそれとして、ぼくがこうして君と会っていることが、ジャングル通信でご近所
 に広まるようなことはないのかな?」
 「それはないと思う」と彼女は静かな声で言った。「まず第一に、そうならないように拡が気を
 配っている。第二に、あなたはメンシキさんとは少し違う」
 「つまり」と私はそれをわかりやすい日本語に翻訳した。「彼には噂になる要素があって、ぼく
 にはない」
 「私たちはそのことに感謝しなくちやね」と彼女は明るく言った。


  妹が死んだあと、時を同じくするようにいろんなことがうまくいかなくなっていった。父親の
 経営していた金属加工の会社が慢性的な営業不振に陥り、その対策に追われて、父親はあまり家
 に帰ってこなくなった。ぎすぎすした雰囲気が家庭内に生まれた。沈黙が重くなり、長く続くよ
 うになった。それは妹が生きていたときにはなかったものだった。そんな家庭からできるだけ離
 れたくて、私は絵を描くことにいっそう深くのめり込むようになった。そしてやがて、美術大学
 に進んで経を専門的に勉強したいと考えるようになった。父親はそれに強固に反対した。絵描き
 なんかになってまともに生活ができるわけがない。うちにはもう芸術家を養ってやるような経済
 的余裕はないんだからと。そのことで拡と父親とは言い争いをした。母親があいだに入ってとり
 なして、なんとか美術大学に進学することはできたが、父親との関係は最後まで修復しなかった。

  もし妹が死んでいなかったら、と考えることがときどきあった。もし妹が何ごともなく生きて
 いたら、私の家族は進かに幸せな生活を進っていたに違いない。彼女の存在が唐突に消滅したこ
 とで、それまで保たれていたバランスが急速に失われ、拡の家庭は知らず知らずお互いを傷つけ
 合う場所になってしまった。そのことを考えるたびに、結局のところ、妹の抜けた穴を埋めるこ
 とが自分にはできなかったのだ、という深い無力感に襲われた。

  そのうちに妹の経を描くことももうなくなってしまった。美大に進んだあと、私がキャンバス
 を前にして描きたいと思うのは主に、具体的な意味を持たない事象や物体になった。ひとことで
 いえば抽象画だ。そこではあらゆるものごとの意味が記号化され、その記号と記号との絡み合い
 によって新たな意味性が生じた。私はそのような種類の完結性を目指す世界に、好んで足を踏み
 入れていくことになった。その上うな世界において初めて、私は心置きなく自然に呼吸すること
 ができたからだ。

  でももちろんそんな絵を描いていても、まともな仕事はまわってこない。卒業はしたものの抽
 象画を描いている限り、収入のあてはとこにもなかった。父親の言ったとおりだ。だから生活し
 ていくために(私はもう両親の家を出ていたし、家賃と食費を稼ぎ出す必要があった)肖像画を
 描く仕事を引き受けざるを得なかった。その上うな実用的な結を型どおりに描くことによって、
 私は曲がりなりにも画家として生き延びることができた。

  そして今私は、免色渉という入物の肖像画を描こうとしている。向かい側の山の上の白い屋敷
 に住む免色渉。近隣の人々にあれこれ噂される謎の白髪の男。興味深い人間と言って差し支えあ
 るまい。私は本人に名指しで請われ、多額の報酬と引き替えに彼の肖像画を描くことになった。
 しかしそこで私か発見したのは、今の私には肖像画さえ描けなくなっているという事実だった。
 そのような実用的な絵でさえ、もう描くことができない。私はどうやらほんとうに空っぽになっ
 ているみたいだった。
  僕らは高く繁った緑の草をかき分けて、言葉もなく彼女に会いに行くべきなのだ。私は脈絡も
 なくそう思った。もし本当にそうできたら、どんなに素敵だろう。


   11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた

  静寂が私の目を覚ました。時としてそういうことが起こる。突然の物音がそれまで継続してき
 た静寂を断ち切って、人の目を覚まさせることがあり、突然の静寂がそれまで継続してきた物音
 を断ち切って、人の目を覚まさせることがある。
  私は夜中にはっと目を覚まし、枕元の時計に目をやった。ディジタル式の時計は1:45台を
 示していた。しばらく考えてからそれが土曜日の夜の、つまり日曜日の未明の午前一時四十五分
 であることを思い出した。その日の午後、私は人妻の恋人と一緒にこのベッドの中にいた。夕方
 前に彼女は家に帰り、私は一人で簡単な夕食をとり、そのあとしばらく本を読み、十時過ぎに眠
 りに就いたのだ。私はもともと眠りの深い方だ。いったん眠りに就くと途切れることなく眠り、
 あたりが明るくなると自然に目が覚める。そんな風に夜中に眠りが中断されるのはあまりないこ
 とだった。

  いったいなぜこんな時刻に目が覚めてしまったのだろうと、暗闇の中で横になったまま考えて
 みた。それは当たり前の静かな夜だった。満月に近い月が丸い巨大な鏡となって空に浮かんでい
 た。地上の風景はまるで石灰で決われたみたいに白っぽく見えた。しかしそれ以外にとくに変わ
 った気配は見当たらない。私は半ば身を起こしてしばらく耳を澄ませていたが、普段とは何かが
 違っていることにやがて思い当たった。あまりにも静かなのだ。静寂が深すぎる。秋の夜なのに
 虫の声が聞こえない。山の中に建てられた家だから、日が暮れるといつもは耳が痛くなるほど盛
 大に虫の声が聞こえる。その合唱が真夜中まで延々と続く(私はここに仕むようになるまで、虫
 というのは夜の早い時刻にしか鳴かないものだと思っていたので、そのことを知って驚かされ
 た)。そのうるささは世界が虫たちに征服されたのではないかと思えるくらいだ。しかし今夜、
 目を覚ましたとき、ただの一匹の虫の声も聞こえなかった。不思議だ。

  いったん目を覚ますと、私はそのまま寝付くことができなくなった。仕方なくベッドを出て、
 パジャマの上に薄いカーディガンを羽織った。台所に行ってスコッチ・ウィスキーをグラスに注
 ぎ、製氷機の氷をいくつか入れて飲んだ。そしてテラスに出て、雑木林を通して見える人家の明
 かりを眺めた。人々はもうみんな眠りに就いているらしく、家内の照明は消え、常夜灯の小さな
 明かりがぽつぽつと目につくだけだった。谷を決んで免色氏の家があるあたりも、もうすっかり
 暗くなっていた。そして相変わらず虫の音はまったく耳に届かなかった。虫たちにいったい何か
 起こったのだろう?

  そのうちに私の耳は耳慣れない音を捉えた。あるいは捉えたような気がした。とても微かな音
 だ。もし虫たちがいつもどおり鳴いていたら、そんな音は決して私の耳には届かなかったはずだ。
 深い静寂の中だからこそ、ここまでかろうじて届くのだ。私は息をひそめ、耳を澄ませた。それ
 は虫の声ではない。自然の立てる音ではない。何かの器具か道具を使って立てられている音だ。

  それはちりんちりんと鳴っているように聞こえた。鈴が、あるいは何かそれに似たものが鳴らさ
 れているような音だ。
  間を置いてそれは鳴らされた。ひとしきり沈黙かおり、何度かそれが鳴らされ、またひとしき
 り沈黙があった。その繰り返しだった。まるで誰かがどこかから辛抱強く信号化されたメッセー
 ジを送っているみたいだ。それは規則的な繰り返しではなかった。沈黙はそのときによって長く
 なったり短くなったりした。また鈴(のようなもの)が鳴らされる回数もまちまちだった。その
 不規則性が意図的なものなのか、あるいは気まぐれなものなのか、そこまではわからない。いず
 れにせよそれは、神経を集中して耳を澄まさないと聞き逃してしまうくらいの、本当に微かな音
 だった。しかしいったんその存在に気づいてしまうと、真夜中の深い静寂と、不自然なまでに明
 瞭な月光の中で、その正体不明の音は私の神経に抜き差しがたく食い入った。

  どうしたものかと迷ったが、やがて心を決め、思い切って外に出てみることにした。その謎の
 音の出どころを私はつきとめたかった。たぶんどこかで誰かがその何かを鳴らしているのだ。私
 は決して剛胆な人間ではない。しかしそのときは真夜中の聞の中に一人で出ていくことを、とく
 に怖いとは思わなかった。恐れよりは好奇心の方が勝っていたのだろう。また月の光が異様に明
 るかったということも、私の背中を後押ししたかもしれない。

  大型の懐中電灯を手に玄関の鍵を開け、外に足を踏み出した。入り口の頭上につけられた灯火
 がひとつ、あたりに黄色い光を投げかけていた。一群の羽虫たちがその光に引き寄せられていた。
 私はそこに立って耳を澄ませ、音が聞こえてくる方向を見定めようとした。それは確かに鈴の音
 のように聞こえた。でも普通の鈴の音とは少し違うようだ。それよりはずっと重みかおり、不揃
 いな鈍い響きがある。特殊な打楽器のようなものかもしれない。しかしそれが何であれ、こんな
 真夜中にいったい誰が、何のためにそんなものを鳴らしたりするだろう? そして近辺に建って
 いる住居といえば、私の住んでいるこの家だけだ。もし誰かがその鈴のようなものを近くで鳴ら
 しているとしたら、その人物は他人の敷地に無断で侵入していることになる。

  何か武器になりそうなものはないだろうかと、私はあたりを見回した。しかしそんなものはと
 こにも見当たらなかった。私が手にしているのは長い筒型の懐中電灯だけだ。しかしそれでも何
 もないよりはましだろう。私は右手に懐中電灯を握りしめ、その音の聞こえてくる方に歩いてい
 った。
  玄関を出て左手に進むと小さな石段があり、それを七段ばかり上がると、そこからは雑木林に
 なっている。雑木林を抜けるなだらかな上りの道をしばらく歩いていくと、ほどよく開けた場所
 に出て、そこに小さな古い祠のようなものが祀られている。雨田政彦の話によれば、昔からずっ
 とそこにあったものらしい。由来みたいなものは心からないが、彼の父親である雨田典彦が一九
 五〇年代の半ばに、知り合いからこの山の上の家と地所を購入したとき、その祠は既に林の中に
 あったということだ。平らな石の上に簡単な三角形の屋根をつけられた神殿が――というより神
 殿に見立てられた簡素な木箱が――据えられている。高さ六十センチ、横幅四十センチほどの犬
 きさのものだ。もともとは何かの色に塗られていたのだろうが、今ではその色はおおかたはげ落
 ちて、元の色はただ想像するしかない。正面に小さな両開きの扉がついている。その中に何か収
 められているのかはわからない。確かめたことはないが、たぶん何も入っていないのだろう。扉
 の前には白い陶器の鉢のようなものが置かれていたが、中には何も入っていない。雨水がそこに
 溜まり、それが蒸発し、その繰り返しによってできた汚れた筋が内側にいくつもついているだけ
 だ。雨田典彦はその祠をあるがままにしておいた。通りがかりに手を合わせるでもなく、掃除ひ
 とつすることもなく、ただ雨に打たれ、風に吹かれるままに放置しておいた。それは彼にとって
 は神殿なんかではなく、ただの簡素な本箱に過ぎなかったのだろう。

 「なにしろ信仰や参拝みたいなものには毛ほども興味を持だない人でね」と息子は言った。「神
 罰とか崇りとか、そんなものはこれっぽっちも気にしなかった。くだらない迷信だと言って、頭
 から馬鹿にしていた。不遜というのでもないんだが、昔から一貫して極端に唯物的な考え方をす
 る人たった」

  最初にこの家を見せてくれたとき、彼はその祠まで私を案内してくれた。「祠付きの家なんて
 今どきあまりないぜ」と彼は言って笑い、私もそれに同意した。
 「でもおれは子供時代、こんなわけのわからないものがうちの敷地の中にあることが薄気味悪く
 て仕方なかった。だから泊まりに来るときも、このあたりにはなるべく近寄らないようにしてい
 たよ」と彼は言った。「実を言えば、今だってあまり近寄りたくはないんだけどね」

  私はとくに唯物的な考え方をする人間ではないが、それでも父親の雨田典彦と同じように、そ
 の祠の存在を気にとめたことはほとんどなかった。昔の人はいろんなところによく祠をこしらえ
 たものだ。田舎の道ばたにあるお地蔵さんや道祖神と同じだ。祠はごく自然にその林の中の風景
 に溶け込んでいたし、私は家のまわりを散歩するとき、その前をよく通り過ぎたが、とくに気に
 かけたことはなかった。祠に向かって手を合わせもしなかったし、お供えをしたこともなかった。
 また自分の往んでいる敷地の中にそんなものが存在することに、特別な意味を感じたりもしなか
 った。それはどこにでもある風景の一部に過ぎなかった。


そういえば、18歳の時、東京芸術大学の工業デザイン学科の受験準備をしよとしていて、ある理由
から途中で断念したわたし自身の経験を重ね、運命はどう転ぶかわからないものだと思いながら読み
続ける。

                                      この項つづく
 

  Apr. 5, 2017

【RE100倶楽部:オールソーラーシステム編】

● 大規模三無(土壌/淡水/化石燃料)型トマト農園

この記事をみて感心する。この大規模な農場は、土壌、淡水または化石燃料なしで全オーストラリア
のトマトの15%を栽培する。海水と太陽エネルギーでたくさんの新鮮な果物や野菜を栽培する方法
があることをご存知ですか?と読者に問いかける。優秀なサンドロプ農園(SunDrop Farms)の人々
は、全国のトマトの15%を栽培、海水は近くの湾からパイプラインで送られ、太陽の反射熱で脱塩
し、革新的な再生可能な生産サイクルで水耕栽培される。

 Sundrop Farms

農業事業で、最も経済的かつ環境的に、低コストで生産され、二酸化炭素排出量26,000トンを削減す
る農園デザイン。このようなアイデアはすでにわたし(たち)は構想していたが、あっさりとサンド
ロップ社はそれを実現。これを見て少し腹が立ってきた(誰に対して?)。

 

異能戦士たちの墓標

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           宋人、章甫(しょうほ)を資として越に適く。越人は断髪文身、これを用うるにところなし

                                    役に立たぬ商品 /「逍遙遊」(しょうようゆ)                                        

                                               

         ※ 宋の国のある男が、章甫の冠をしこたま仕入れて、越の国へ行商に出か
          けた。ところが、越の人は、髪はザンバラ、からだにはいれずみをして
          いる。文明国の冠など見向きもされなかった。



        ※ 〈章甫の冠〉 章甫は冠の名。殷代に制定されたものというが、代表的
          な常用の冠として後世まで用いられた。上下・善悪が逆になり、区別の
          ないことのたとえで、孔子が頭にかぶるものを靴にして履いたことに由
          来し、有能な人物をつまらない仕事に使うことを意味する。

 


【冷食生活実践記:株式会社明治製ピッツァ&ピッツァの巻】

冷蔵庫を開けると株式会社明治の電子レンジ用ピッツァ&ピッツァ(加工材料は残念ながら国産でな
いから安全・安心評価点では10点満点中、≦5点になる)が2分20秒(5百ワット)で食感・風
味評価点で≧8点)と高評価に入る。価格は、≦150円/枚(税抜き)。販売開始時期は2014年頃
(想定)だから、この分野での加工食品の進歩は眼を見張るものがある(村上春樹は食べないようだ
が)。ただし、今日のランチは、定番の「キャベツのザク切り豚ロースのソテー/蒸し煮アリーオー
レ添え」なし。そこで、いつものように技術背景をリサーチすることに。

● 特開2016-189793  発酵種の調製方法

まずはピザ生地術:パン類の風味を改良方法の一つに発酵種製法があり、具体的には、小麦粉やライ
麦粉に乳酸菌や酵母などの微生物を自然発酵させ、発酵種調製し、これをパン生地に練り込み、発酵
させ、酸味や香味に優れたパンなどをつくる。この発酵種製法では、小麦粉やライ麦粉に元から存在
する発酵用の微生物を使用し、その微生物の種類や活性は小麦粉毎やライ麦粉毎に異なり、品質が安
定しない。また、小麦粉やライ麦粉には発酵用の微生物だけでなく、その他に雑菌なども存在し、発
酵種やパン類を発酵させる際に必然的に増殖しやすく品質が安定しない。

この問題解決法として、発酵用の微生物を事前に単独で培養させる発酵種調製法と、その発酵種を使
ったパン類の製造方法が提案されている。❶例えば、生米等の乳酸菌発酵物を磨砕した乳液状の発酵
種を、パンの第一次原料粉に添加混捏し、イースト菌の不存在下で、乳酸発酵のみを先行させ、生地
中に重量比で0.5% 以上の乳酸を生成させた乳酸生地の製造法がある。このの乳酸生地に、第二次
原料粉、イースト砂糖、食塩、油脂等のパン生地に必要とする原料を所定量で加え、本練りし、パン
生地を調製し、以降、常法の通り、イースト発酵を主とする発酵、分割、ねかし、整型、焼成等する
サワーブレッドの製造方法の提案がある。また、❷サワー種生地製造で、37~43℃に最適生育能
を有するラクトバチルス  デルブルッキー  亜種  ブルガリカス(Lactobacillus  delbrueckii  subsp. 
bulgaricus)やストレプトコッカス  サーモフィルス(Streptococcus thermophilus)等の所謂、ヨーグル
トなどの乳製品から分離された乳酸菌や、食品に含まれるか、若しくは食品製造に使用される、高温
生育能を有する乳酸菌を使用する、サワー種生地の製造法が提案されている。ここで、❶では、生米
等の乳酸菌発酵物のみでパン生地(乳酸生地)を調製する専用の工程追加が必須となり、全体として
工程が煩雑となり、この方法では、乳酸菌のみでパン生地を発酵し、イースト菌などの酵母を使用し
ておらず、風味や物性の観点から十分でない。

乳酸菌と酵母について、乳酸菌は原核微生物であるのに対し、酵母は真核微生物であり、微生物学的
に分類が異なっている。また、乳酸菌は通性嫌気性菌であり、好気性の条件下及び嫌気性の条件下で
共に生育できるのに対し、酵母は好気性菌であり、嫌気性の条件下では生育しないことも知られてい
る。このような状況に対し、本発明では、乳酸菌と酵母(パン酵母)の共存下において、ピザ生地(
パン生地)を安定して発酵させられる発酵種の調製方法を提供すると共に、この発酵種を使用した、
風味と食感に優れたピザクラスト(パン類)の製造方法を提供することを課題とする

本件では乳酸菌入り乳性食品、パン酵母を穀類粉、水とを混合・混練してから発酵させることで、煩
雑な工程を必要とせずに、新規な発酵種を調製(開発)できることを見出し、さらに、この発酵種を
ピザ生地(パン生地)と混合・混練してから発酵させることで、煩雑な工程を必要とせずに、新規な
ピザクラスト(パン類)を製造(開発)できることを見出し、このとき、乳酸菌とパン酵母の菌叢の
バランスなどが崩れることなく、一定の品質のピザクラスト(パン類)を商業的に安定して製造でき
ることも見出している。

そして、このピザクラストに各種の具材などをトッピングしてから、そのピザをそのまま加熱調理(
オーブン、電子レンジなど)するか、若しくは、そのピザを冷蔵や冷凍で保存した後に、加熱調理し
たところ、ピザクラストが適度な焦げ目の付いた良好な焼色を呈し、香ばしくて、芳醇で良好な風味
と、しっとりとして、もちもちとした食感を有することを見出す。

【特許請求範囲】

乳酸菌入り乳性食品及びパン酵母を穀類粉に配合してから発酵させた発酵種をピザ生地に配合
することを特徴とするピザクラストの製造方法。 乳酸菌入り乳性食品が発酵乳であることを特徴とする前記1.1.記載のピザクラストの製造方法。 穀類粉が小麦粉/ライ麦粉であることを特徴とする1./2.記載のピザクラストの製造方法。 モルトエキス/糖類を配合することを特徴とする1.~3.の何れか記載のピザクラストの製
造方法。 ピザ生地における穀類の固形分のうち2~80重量%を発酵種の固形分で置換することを特徴
とする1.~4.の何れか記載のピザクラストの製造方法。 乳酸菌入り乳性食品及びパン酵母を穀類粉に配合してから発酵させることを特徴とする発酵種
の調製方法。 乳酸菌入り乳性食品/パン酵母を同時に穀類粉に配合し発酵させることを特徴とする発酵種の
調製方法。

本件では、乳酸菌と酵母(パン酵母)の共存下で、ピザ生地(パン生地)を安定して発酵させられる
発酵種の調製方法が提供できる。つまり、本家では、乳酸菌入り乳性食品/パン酵母を穀類粉及び水
と混合・混練してから発酵させることで、煩雑な工程を必要とせずに、新規な発酵種を調製して提供
している。

 ● 特開2016-135150  硬質または半硬質ナチュラルチーズ及びその製造方法

つぎに、現在、様々なナチュラルチーズが市場に流通し、それぞれ特徴のある品質をもつ。また、市場拡大を
目的に消費者の要望に応じた品質を有するチーズが開発されているが、そのような食品素材としてのナチュ
ラルチーズの品質は、❶風味と❷加工調理特性とに大別される。チーズ品質を構成する風味には、フレッ
シュ(非熟成)タイプのチーズにおいては「新鮮な乳の風味」や「さわやかな発酵風味」が主立った
もので、熟成タイプのチーズにおいては「旨味成分や香りからなる熟成風味」として知られている。
ここで「熟成風味」は、チーズカードを構成する乳脂肪や乳タンパク質が原料乳中の酵素、凝乳酵素
有用微生物由来の酵素等の働きにより分解され、様々な呈味物質や芳香物質の変化で生じる。有用微
生物には、乳酸菌、カビが例示されているが、多くのナチュラルチーズに共用される乳酸菌の酵素が、
チーズの風味形成に果たす役割は特に重要である。

一般に、熟成に関与するペプチダーゼなどの酵素の種類は、乳酸菌の種類により異なり、また、その
1菌体あたりの酵素量は、同じ菌種であっても株によって異なっている。従って、所望のチーズ風味
を短期間で発現し、チーズ製造者は乳酸菌の種類や株を選択してチーズ製造に使用、例えば、チェダ
ーチーズやゴーダチーズのような硬質・半硬質チーズの製造に最もよく使用される乳酸菌スターター
は、ラクトコッカス・ラクティス、優良株を選択して使用することで4から6ヶ月の間に十分に熟成
されたチーズを製造できる。

従来のゴーダチーズやチェダーチーズの製造の際に用いられてきたラクトコッカス・ラクティスは、
原料乳中の乳糖を資化する際に、その構成糖であるグルコースとガラクトースの双方を利用するため、
これらのチーズでは、焼き目の原因といわれる所謂メーラード反応を起こさないことを発見したこと
で、ペプチダーゼ活性をもちながらも、ガラクトース資化性しない乳酸菌を選択て――ペプチダーゼ
活性を有し、ガラクトース資化性をもたないラクトバチルス・ブルガリカスを原料乳に添加すること
を含む、加熱調理により少なくとも一部/全部に焼き目を生ずる硬質または、半硬質ナチュラルチー
ズ――を製造する方法 チーズの製造に使用すれば、既存のアジャンクトスターター用乳酸菌と同様
のチーズの熟成促進効果ばかりでなく、熟成風味が強く、また加熱調理時に焼き目の付く硬質または
半硬質ナチュラルチーズが得られる。

以上、2つの特許技術などを背景として、商品化されていることがわかる。

この様に電子レンジ用ピザが販売できているのだが、上写真の白磁のプレート/シャーレも工夫が欲
しくなる。例えば、❶料理の保温、❷軽くて、❸割れなくて、❹フォークやナイフがカチャカチと音
がしない、電子レンジ用白磁のプレート/シャーレが欲しい。例えば、木質バイオマス由来の保温/
吸音材を内包した艶やかな白磁/白磁もどきの食器ができればその需要は相当大きなものとなるだろ
うと(この件は継続事案扱い中)。

 Mar. 28, 2017 

● コンタクトレンズ型バイタルセンサで健康診断

ある日、糖尿病Ⅰ型患者が、コンタクトレンズ上の透明なセンサを介し、血糖値を監視しインスリン
注入をコントロールするだろうとオレゴン州立大学の研究グループはこのように話す。このセンサは、
目の涙液などの生理学的緩衝溶液中の微妙なグルコース変化を検出することができるナノ構造トラン
ジスタ、具体的には、日本の細野秀雄東京工業大学元素戦略研究センター長が発明したアモルファス
酸化インジウムガリウム電界効果トランジスタ(IGZO FET)を使う。

FETの密集した六角形のナノ構造ネットワークは、安価な製造が可能な補完的パターニング技術の成
果。これらの技術には、❶コロイドナノリソグラフィーと❷電気流体力学的印刷、❸またはインクジ
ェットと類似した、はるかに細かい液滴サイズを作り、インクではなく生物材料で作業するe-jetがあ
り、青少年糖尿病研究財団の資金提供で開発される。グルコースモニタ用コンタクトレンズを開発し
てきた。開発担当者は、❶アンペロメトリックセンサで、コンタクトレンズの側面配置させ、❷信号
がセンササイズに依存し、信号を検出限界まで小さくする必要がある。 FETセンサを使用すれば、実
際にはこれを小さくし、信号出力を向上できる。この研究は、ポンプからインスリンを投与用のカテ
ーテルの周りに巻き付可能になグルコースセンサを開発研究に基づく。

現在、糖尿病患者は、皮下に埋め込んだ電極で血糖値を継続的にチェックしているが、このようなモ
ニタリングは痛みを伴い皮膚の炎症や感染を引き起こす恐れがあるが、使い捨てのバイタルセンサ用
コンタクトレンズは、より実用的で安全で、はるかに身体への侵入性の少ない手段であると Gregory
Herman オレゴン州立大学教授らの研究グループはこのように話す。また、2,500以上のバイタルセン
サがIGZO FETのコンタクトレンズの1平方ミリのパッチとして埋め込まれ、それぞれが異なる身体
機能を測定する設計を想定しているという。

Youtube   Apr. 4, 2017

涙には、チェックできる情報量がかなりあり、グルコースだけでなく、乳酸(敗血症、肝臓病)、ド
ーパミン(緑内障)、尿素(腎機能)、それにタンパク質(癌)もある。目標は、単一のセンサから
複数のセンサにまで拡大することにある。現在のモデルではグルコースの検査しかできないが、この
技術が他の化学物質を嗅ぎ当てるために活用できるかどうかは、今後の課題となる。こちらのセンサ
はまだ開発段階にあり、コンタクトレンズには組み込まれていない。ゆくゆくはこの装置の改良版で
無線周波数(RF)を介し受信機にデータを送信すると語る。現状では、プロトタイプはセンサの外部
にデータを送信せず、人力で装置の電流を測定して値を読み取っている。

 Apr. 4. 2017 

● 世界初 光子一つが見える「光子顕微鏡」ついに実現

通常、試料をカラー観測する際には、白黒画像しか得られない電子顕微鏡ではなく、光学顕微鏡が用
いられる。光学顕微鏡は、試料からの光をレンズで集光してCMOSカメラなどの光検出器で観察する。
しかし、試料からの光が極めて弱くて光検出器の検出限界を下回ると観測できない。産総研は、超伝
導現象を利用した超伝導光センサーの開発を進めきているが、これまでに、光の最小単位である光子
を1個ずつ検出し、光子の波長(色と関係している)も識別できる光センサーを実現。今回、この超
伝導光センサを顕微鏡の光検出器として用いて、従来の光学顕微鏡の検出限界を大幅に超える「光子
顕微鏡」を開発、光子数個程度の極めて弱い光でカラー画像の撮影に世界で初めて成功する。 

従来の光学顕微鏡で観測できない極微弱光でカラー画像の撮影に世界で初めて成功 光子を1個ずつ観測でき、その波長もわかる超高感度顕微鏡を開発 生体細胞の発光観察や微量化学物質の蛍光分析など、医療・バイオ、半導体分野での利用に期

今回開発した顕微鏡を用いて、❶生体細胞の微弱発光の観察や❷微量化学物質の蛍光分析など、医療・
バイオ分野や半導体分野における研究開発・製品開発での利用が期待される。光の最小単位は光子で
あり、それ以上分けられない最小のエネルギーを持つ。このように光子は粒子の性質を持つが、同時
に波動性も持つため固有の波長も持っている。アインシュタインの光量子説では、光子のエネルギー
と波長には相関性があるため、光子のエネルギーを測定すればその波長も識別できる。産総研が開発
した超伝導光センサーは、超伝導薄膜からなる光検出部と、光を閉じ込めるための誘電体多層膜から
なる。極低温に保持された光検出部に光子が入射すると、光子のエネルギーによって一時的に超伝導
状態が壊れ、電気抵抗が変化する。その抵抗変化の大きさから光子のエネルギーが分かるので、光子
の波長を識別できる。 



今回、この超伝導光センサーを光学顕微鏡の光検出器に用いた光子顕微鏡を開発(上図)。まず、観
察する試料のある場所からの極微弱光をレンズ系で集光し、光ファイバーで冷凍機内の超伝導光セン
サーへと光子を導く。超伝導光センサーは、冷凍機内で温度100 mKに維持されている。到達した光子
を超伝導光センサーで1個ずつ分離検出してそのエネルギーを測定し、ある一定の時間内に到達した
光子の数とそれぞれのエネルギー(波長)から、測定場所の試料の色を識別する。試料を走査して、
場所ごとにこの測定を繰り返すことで、カラー画像が構築できる。



光子顕微鏡の性能を実証するため、カラー印刷したテストパターンを極微弱光で照らし、反射光を、
カラーCMOSカメラを用いた一般的な光学顕微鏡と、今回開発した光子顕微鏡でそれぞれ撮影して比
較した。試料からの反射光の光強度が微弱だと、光学顕微鏡では色を見分けることが困難(上図2(a))
であったが、光子顕微鏡では同じ光強度でも、赤、黄、青の各色を明瞭なコントラストで識別できた(
図2(b))。この測定では1測定点あたりの光子数は、平均して20個程度(露光時間50 ms)であり、
これは0.16 fW(フェムトワット)程度の極微弱な光強度に相当する。これほどの極微弱光で鮮明なカ
ラー画像が得られたのは世界初となる。

図2(b)では、波長400 nm~700 nmの可視光領域の光子だけから画像を構築したが、今回光子顕微鏡に
用いた超伝導光センサーは、波長200 nm~2 µmの紫外光や赤外光領域も含む広範な波長領域の光子を
識別でき、スペクトル測定も可能である。光の反射・吸収の波長や、発光・蛍光の波長は物質により
異なるが、広い波長領域で光子を検出できる今回の光子顕微鏡によって、さまざまな物質からの光子
を、その物質に特徴的な波長から識別できるので、複数の物質を同時に高感度観察できることが期待
されている。

♘ Titol: Few-photon color imaging using energy-dispersive superconducting transition-edge sensor spectrometry
   Kazuki Niwa, Takayuki Numata, Kaori Hattori & Daiji Fukuda, Scientific Reports 7, Article number: 45660
       (2017), doi:10.1038/srep45660, Published online:04 April 2017  ♞



♙♟ 

アモルファス化合物半導体(IGZO FET)のバイタルセンサ開発で、細野秀雄東京工業大学元素戦略研
究センター長(初めてお会いした時は東工大教授の肩書きで、今はなき宇井純東大教授とのエピソード
が印象的に残っている。現在ではノーベル賞受賞候補者の筆頭に位置する方である。勿論、事業開発
のリサーチ活動の一齣である。いかに構想を画けるかで決まる世界。半導体。ディスプレイなどの製
造ラインを持っていなければ応用展開できないことは決定されたようなもの、「千三つ以下の世界」
である。しかし、コンタクレンズ型バイタルセンサ(バイオセンシング)システム事業とは面白い。
これの実現に一番近いのが日本人っだと確信している(開発企業体が欧米などの外国であったとして
も)。

♙♟ 

「常在戦場」がことごとく現実に起きてきている。シリアにおける、サリン・テロ、それに対応し、
米国の巡航ミサイルによる報復攻撃。暴力/武力のテロでは解決できないことは自明なのだが、世界
は愚かである。話は変わる。中世ヨーロッパを下地にした「剣と魔法の世界」を舞台に、身の丈を超
える巨大な剣を携えた剣士ガッツの復讐の旅を描いたダーク・ファンタジーのアニメ「ベルセルク」
の放送が始まる。1989年に創刊され今年で27年の大作である。深夜2時過ぎMBSで放送される。
そういえばノルウェイでは完全電動フェリーの就航が話題となっているが、ベルセルク(異能の戦士
)はひょっとすると、ここに一人いるのではないか。

 Apr. 4, 2017

♘   Pining for cleaner air in the Norwegian fjords - BBC News

 

完全電動自動車時代

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                 道は小成に隠れ、言は栄華に隠る    / 「斉物論」(さいぶつろん)                                        

                                               

          ※ 生かじりの知識を振り回すから道の真理が隠れてわからなくなり、
            むやみに言葉を飾りたてるからその論旨が紛らわしくなる。

 

 Apr. 5, 2017

♔♚

【RE100倶楽部:オールソーラー篇】

● 世界初 ワイヤレスインホイールモータ給電システムに成功

今月7日、車載用電機機器メーカーの東洋電機製造などの研究グループはで、道路に敷設したコイル
から電気自動車のインホイールモーターに直接、走行中給電できる「ワイヤレスインホイールモータ
2号機」――走行中の車両に対してワイヤレス給電を行う――ことに世界出始めて成功する。2015年
5月時点で、車体からインホイールモーターへワイヤレス給電する技術をさらに改良展開させるもの
で(下図ダブクリ参照)、道路のコイルから走行中の車のインホイールモーターへ磁界共振結合方式
でワイヤレス給電を行うもの。 以前から検討されている走行中給電技術の多くは、道路のコイルから車載バ
ッテリーへワイヤレス給電するが、同技術では道路のコイルからインホイールモーターに直接給電できるため
効率が良くなる。今回は、これを実現するため、インホイールモーターに❶リチウムイオンキャパシタを内蔵す
るとともに、高度な❷エネルギーマネジメント技術を開発する。

  Apr. 20, 2017

✪自動車のホイール内部に駆動モーターを配置するインホイールモータータイプのEVは、その優れた
運動性能により、安全性、環境性、快適性などの多方面でメリットがある。✪しかし、従来のインホ
イールモーターは、モーターを駆動する電力を送るため車体とインホイールモーターをワイヤーでつ
✪なぐ必要があるがワイヤー断線のリスクがある。✪そこで、2015年5月に同研究グループは、ワイ
ヤーが断線する恐れがあるならば、そのワイヤーをなくすコンセプトで、ワイヤレスインホイールモ
ーター(1号機)を開発に初めて実車走行に成功している。

また、これまでEVの普及障壁の1つに、従来のガソリン車などに比べ充電一回での航続距離が短い。
そこで航続距離を伸ばすため重いバッテリーを自動車に搭載すると、自動車を動かすのに必要なエネ
ルギーが負担となる。この革新的なコンセプトは、バッテリーの容量は必要最小限にして、走行中に
足りない分のエネルギーを道路に設けたコイルからワイヤレスで送電して補うという「走行中給電」
の研究が行われているなか、❶インホイールモーターは発生したトルクを直接駆動力としてタイヤに
伝達しロスを極限まで減らせ、❷先行研究で、駆動装置の重量を30~40%軽量化できる。



研究グループの東洋電機製造株式会社は、同研究グループで、SiC を用いた4つのワイヤレス用変換
器の開発を担当。また、ワイヤレスインホイールモーターのモーター部分、送電基板、受電基板、地
上側からの送電インバータなどといった電機品を開発採用されている。



● 革新的な高度道路舗装時代へ

この技術開発成果のインパクトは、不可避的な高度道路舗装時代――❶走行中の電気自動車給電シス
テム、❷パリ協定で紹介された、ソーラーセル舗装による太陽光エネルギーの発電/蓄電、❸道路情
報等のIoT(もの情報システム)の整備拡大、❹融雪・除雪システムの機能付加と ❺そして、もし
かすると、このワイヤレスシステムをシームレス/ボーダレスに敷設することにより、従来の鉄道が
という概念を大きき変えてしまい、軌道(レール)が消滅し、従来の列車は、トロリーバスのように
自在に車両編成できるワイヤレス列車化できき、産業用運搬車(トラック)と貨物列車の相互乗り入
れが可能となる。そこで、手前味噌であるがそれを実現する「日本列島ワイヤレス給電舗装計画」を
策定し、未来国債(百年国債)を発行し、舗装敷設を先行的に投資しをスタートさせることが肝要に
なる。これは大規模気候変動対策の農業改革と同様で「温室化/脱土壌化/節淡水化/再エネ化」の
促進に、その基盤整備のための「減価償却フリー国債」の発行といったもの早期導入に該当するもの
である。

  Future government bonds



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【量子ドット工学講座34】

● 超音波噴霧緻密膜のペロブスカイト太陽電池製造技術

コロイド量子ドット(QDs)は、光電変換や光検出器などの光電子応用分野において、そのサイズと
形状の可変性の光学的および電気的性質のために大きな期待されている。さらに、ソリューション処
理に基づいたデバイスのスケーラビリティが高く、統合可能であるため、商用製造に非常に適すす。
カルコゲナイド(PbX、X = S、Se、およびTe)可視波長から近赤外(NIR)波長範囲にわたる調整可能
なバンドギャップを有するQDは、QDベースの次世代光起電力に最適である。

典型的には、コロイド状経路を介して合成される QDは、絶縁層の長鎖有機配位子で内封されている
が、これは絶縁層7に起因する弱い粒子間結合状態にある。このような QDには、最初の嵩高い配位
子を、より短い配位子で置換し実装置で使用するために、スピンコーティング、ディップコーティン
グ、スプレーコーティングで所望厚さのクラックフリー導電膜形成で多層化逐次処理(LBL)した集
合体は、ソーラーセル/電界効果トランジスタ(FET)に供される。 

それにもかかわらず、導電性フィルム形成に、このようなLBL製造技術は、いくつかのる問題がある。❶例え
ば、リガンド交換プロセス後のリガンド体積減少で形成された亀裂/空隙のない最密充填の緻密な膜を生成
しにくい。❷さらに、スピンコーティング/ディップコーティング技術を汎用されているが、これらは小規模バッ
チ処理のみを可能とし、ロールツーロール製造技術に適合しない。

最近、量産化の利点をもつスプレーコーティングが試されているが、それらは、堆積後にリガンド交
換を必要とするQD前駆体として有機溶媒に分散した天然配位子不動態化QD を使用する。さらにLBL
集合体は、所望厚さを示すフィルム形成に最も適した技術であるが、QD 溶液の大量消費を伴い、時
間のかかるプロセスである。

最近、天然のリガンドが溶液相自体のより短いリガンドで置換される戦略が開発された。この戦略は、
基板上へのQD 溶液の直接堆積を可能にし、固体状態のリガンド交換を必要とせずに導電性膜を生成
する。しかし、これらの分散体がQDインクと呼ばれる短いリガンドを有するこれらのQDは、コロイ
ド安定性を示さず、従って、膜厚などの特定のパラメータを制御することによって高品質のQD膜を
製造することが困難である。さらに、QDインクは、典型的には、プロピレンカーボネート(PC)ま
たはジメチルホルムアミドのような高沸点溶媒中に分散される。

このような高沸点溶媒の使用は、堆積中に溶媒を除去することが煩雑であるため、QD  膜を製造する
ことを困難にする。したがって、一段階堆積プロセスは避けられないが、そのようなプロセスは、膜
厚の精巧な制御を可能にしない。また、最近、光吸収層としてヨウ化物終端 PbS QD インクを用いた
QD 太陽電池を製造されているが、スピンコーティング法を用いて膜を堆積させ、効率は堆積層の厚
さにより制限され、その限界膜厚が 約150nm である。

本研究では、PbS QDインクを用いた導電性PbS量子ドット薄膜の超音波噴霧塗布法を提案する。提案
された方法は、迅速な(超音速)噴霧を含む方法である。動的光散乱(DLS)測定および吸光度ス
ペクトル分析により、周囲条件下でコロイド的に安定であるMAPbI3の化されたPbS QDインクを使用。
この堆積方法を使用すると、形成されたスプレーパス数を変えることで、膜厚を簡単に調整でき、前
駆体が高精度に基板上に堆積されるので、前駆体の無駄が最小限に抑えられる。最後に、このコー
ティング手法を用いてPbS QDインクから製造された光電池は、3.7%の電力変換効率(PCE)を示
す。この方法で、高耐久性でいて変換効率20%超での安価(コストレス)ペロブスカイト太陽電池
が完成すれば、鉛フリーという課題は残るが、一気に新事業が拡大するだろう。

【要約】 

❶貧弱なコロイド安定性、❷高沸点溶媒の使用の問題などのために、プレリガンド交換 PbS QDイン
クを使用する既存の膜形成技術を使用し、量子ドット(QD)膜の厚さを制御することは困難である。
QD分散と単一堆積の制限――ヨウ化メチルアンモニウム(MAPbI3)を用いた溶液相リガンド交換に
より調製された電気二重層PbS QDインクを使用するQD膜堆積のため新しいプロトコールを提案する。
この膜は、超音波噴霧技術により堆積し、溶媒の急速蒸発を促進し、溶媒除去のための堆積後のアニ
ール処理をなくし、PbS QDインクの堆積させる。フィルムの厚さは、基材にわたって行われるスプレ
ー掃引回数の変更で容易に制御できる。この噴霧堆積プロセスは、1つのデバイス(300nmの厚さの
吸収層、2.5×2.5cm 2)に対して5mg未満のPbS QDインキの量の最小を実現し、高品質のn型QDフィル
ムを迅速に(1分以内に) )。さらに、メルカプトプロピオン酸での処理による追加のp層の形成は、
QDフィルムからの容易なホール抽出を可能にし、1.5 AM 照明下で3.7%の電力変換効率をもた
らす。

Apr. 4, 2017

図1.オレエートとCH3NH3PbI3(MAPbI3)とのリガンド交換によって誘導された非極性溶媒(オク
タン)から極性溶媒(NMF)へのPbS QDの相転移の例。 アセトンおよびPCをそれぞれ精製および再
分散に使用。

図2.(A)PCに分散したPbS QDs-MAPbI3の吸収(赤線)およびフォトルミネッセンス(青線)スペ
クトル。(B)経時的にDLSによって測定された吸収スペクトル(図3)および流体力学的サイズ(円)
から決定される第1の励起子ピーク(四角)に対応する光学密度の変化。

図3.(A)PbS QDインクの噴霧堆積の模式図。 (B)(D)のスプレーコーティングによって堆積され
たPbS QDフィルムのAFM画像(スケールバーは1μmを表す)、(C)写真画像および(D-G)断面SEM画
像(スケールバーは500nmを示す) 掃引、(E)10回の掃引、(F)12回の掃引、(G)14回の掃引。 平均膜
粗さは3.4nmである。

♘Supersonically Spray-Coated Colloidal Quantum Dot Ink Solar Cells, Scientific Reports 7, Article number:
    622 (2017) doi:10.1038/s41598-017-00669-9, Published online:04 April 2017♞
 

    

 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』     

    11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた

  鈴らしきものの音は、どうやらその祠の近辺から聞こえてくるらしかった。雑木林の中に足を
 踏み入れると、頭上に厚く繁った本の枝のせいで月の光が遮られ、あたりは急に暗くなった。懐
 中電灯で足もとを照らしながら、慎重に歩を運んだ。風が時折思いついたように吹き抜け、足下
 に薄く積もった落ち葉をざわつかせた。夜の林の中は、昼間そこを散策するときとはまったく様
 子を異にしていた。その場所は今ではひたすら夜の原理に従って勣いていたし、その原理の中に
 は私は含まれていなかった。でもだからといってとくに怖さは感じなかった。好奇心が私を前に
 向かわせていた。私はなにがあってもその不思議な音の正体を見届けたかった。右手には重い筒
 型の懐中電灯を強く握りしめていたし、その重みが私を落ち着かせてくれた。

  この夜の林のどこかにあのみみずくがいるかもしれない。枝の上で聞に紛れ、獲物を待ち受け
 ているかもしれない。この近くにいてくれるといいのだけれど、と私は思った。あのみみずくは
 ある意味では私の知り合いなのだ。しかしみみずくの声らしきものは聞こえなかった。夜の鳥た
 ちでさえ、虫たちと同じように今は声をひそめているようだった。
  歩を進めるにつれて、鈴らしきものの音は次第に大きく鮮明になっていった。それはやはり断
 続的に、不規則に鳴らされ続けていた。そしてその音はどうやら祠の裏あたりから聞こえてくる
 ようだった。音は前よりもずっと近くなっていたが、それでもまだ鈍くくぐもって聞こえた。ま
 るで狭い洞窟の奥深くから漂い聞こえてくるみたいに。また前に比べると沈黙の時間がより長く
 なり、鈴の鳴らされる回数がより少なくなったように感じられた。あたかもそれを鳴らしている
 人物がくたびれ、弱ってきたかのように。

  祠のまわりは開けていたから、月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた。私は足音を
 殺して祠の裏に回った。祠の裏側には背の高いススキの茂みがあり、音に引かれるようにその茂
 みをかき分けていくと、奥に方形の石が無造作に積み上げられた小さな塚があることがわかった。
 塚と呼ぶにはあるいは低すぎるかもしれない。いずれにせよそんなものがあったことに、それま
 で私はまったく気がつかなかった。祠の裏側に回ったことはなかったし、たとえ回ってみたとし
 ても、それはススキの茂みの奥に隠されていた。特定の目的を特ってそこに分け入らないかぎり
 まず目にはつかない。

  私はその塚の石をひとつひとつ、懐中電灯で間近に照らしてみた。石はかなり古いものだった
 が、それが人の手によって方形に切られたものであることに疑いの余地はなかった。自然のまま
 の石ではない。形も大きさも揃っている。そのような石がわざわざこの山の上まで運ばれてきて、
 祠の裏に積まれたのだ。石の大きさはまちまちで、多くは緑色に苔むしていた。見たところ宇も
 模様も彫られていない。数は全部で十二個か十三個か、そんなものだった。あるいは昔は塚とし
 てもっと高く整然と積まれていたものが、地震か何かで崩れて低くなってしまったのかもしれな
 い。そして鈴らしきものの音はどうやら、その石と石の隙開から洩れ聞こえてくるようだった。

  私は石の上にそっと足をかけて、音の出どころを目で探してみた。しかしいくら月の明かりが
 鮮やかとはいえ、夜の開の中でそれを見つけるのは至難の業だった。それにもしその箇所を特定
 できたとして、いったいどうすればいいのだ? こんな大きな石を手で持ち上げられるわけはな
 とにかく誰かがその石の塚の下で、鈴のようなものを振って鳴らしているらしい。そのことに
 どうやら間違いはない。でもいったい誰が? そのときになってようやく私は、得体の知れない
 恐怖のようなものを身のうちに感じ始めた。これ以上その音源には近づかない方がいいかもしれ
 ない。本能的にそう感じた。

  私はその場所を離れ、鈴の音を背後に聞きながら、急ぎ足で雑木林の中の道を戻った。樹木の
 抜を抜ける月の光が、私の身体に意味ありげな斑の模様を描いた。林を出て七段の石の階段を降
 り、家に戻り着き、中に入って玄関の鍵をかけた。そして台所に行ってウィスキーをグラスに注
 ぎ、氷も水も足さずにそれを一口飲んだ。そしてようやく▽思ついた。それからウィスキーのグ
 ラスを手にテラスに出た。

  鈴の音はテラスからはほんの微かにしか聞こえない。よく耳を澄ませないと聴き取れないくら
 いだ。しかしとにかくその音はなおも継続していた。鈴の音と鈴の音のあいだに置かれた沈黙の
 時間は、間違いなく最初よりずっと長くなっていた。私はその不規則な繰り返しにしばらくのあ
 いだ耳を澄ませていた。

  あの石の塚の下にいったい何かあるのだろう。そこには空間みたいなものがあり、誰かがそこ
 に閉じ込められていて、鈴のような何かを鳴らし続けているのだろうか? あるいはそれは助け
 を求める信号かもしれない。しかしどれだけ考えを巡らせたところで、まともな説明はひとつと
 して思いつけなかった。
  かなり長いあいだ、私はそこで深く考え込んでいたのかもしれない。あるいはそれはほんの僅
 かな時間だったかもしれない。それはじぷんでもわからない。あまりの不思議さに、時間の感覚
 はほとんど消えてしまっていた。ウィスキーのグラスを片手にデッキチェアに身を沈め、私は意
 識の迷路を行きつ戻りつしていた。そして気がついたとき、鈴の音はもう止んでいた。探い沈黙
 があたりを覆っていた。

  私は立ち上がり、寝室に戻ってディジタル時計に目をやった。時刻は午前二時三十一分だった。
 いつからその鈴が鳴っていたのか、始まりの正確な時刻はわからない。しかし目を覚ましたのは
 一時四十五分だったから、私が知る限りでは少なくとも四十五分以上にわたって、それは鳴り続
 けていたことになる。そしてその謎の音が止んでしばらくすると、まるでそこに生じた新たな沈
 黙に探りを入れるみたいに、そろそろと虫たちが声を上げ始めた。山じゆうの虫たちがその鈴の
 音が止かのを辛抱強く待っていたみたいだった。おそらく息をひそめ、用心深く様子を窺いなが
 らつかせていた。くちばしの銃い鳥たちが果実を深して、声をあげながら枝から枝へと忙しげに
 飛び移っていた。その頭上を真っ黒な鴉たちが、どこかを目指してまっすぐ飛びすぎていった。

  祠は昨夜目にしたときより、ずっと古びてみすぼらしく見えた。満月に近い月の白く艶やかな
 光に照らされた祠は、それなりに意味深く、いくらか禍々しくさえ見えたのだが、今ではただの
 色槌せた貧相な木箱にしか見えなかった。
  祠の裏側にまわってみた。そして背の高いススキの茂みをかきわけ、石の塚の前に出た。石の
 塚も昨夜見たときとはいくらか印象を変えていた。今秋の目の前にあるのは、山中に長く放置さ
 れたただの四角い苔むした石だった。真夜中の月光の下では、それはまるで由緒ある古代遺跡の
 一部のように、神話的なぬめりを帯びて見えたのだが。秋はその上に立ち、注意深く耳を澄ませ
 てみた。しかし何も聞こえなかった。虫たちの声や、時折聞こえる鳥のさえずりを別にすれば、
 あたりはただひっそりと静まりかえっていた。



  遠くの方から、猟銃を撃つようなぽんという乾いた音が聞こえてきた。山の中で誰かが野鳥を
 撃っているのかもしれない。あるいはそれは雀や猿やイノシシを脅して遠ざけるために農家が設
 置した、空砲を鳴らす自動装置かもしれない。いずれにせよその音はいかにも秋らしく響いた。
 空は高く、空気には適度な湿り気があり、遠くの音がよく聞こえた。秋は石の塚の上に腰をおる
 し、その下にあるかもしれない空間のことを思った。その空間に閉じ込められた誰かが、手にし
 た鈴(みたいなもの)を鳴らして救助を求めていたのだろうか? 私かかつて搬送トラックの荷
 室に閉じ込められたとき、思い切りパネルを叩いて助けを求めたのと同じように。誰かが狭い真
 っ暗な空間に閉じ込められているというイメージは、秋を落ち着かない気持ちにさせた。

                                     この項つづく

  「ビワイチ」応援 ヒノキ製ラック

   Apr. 4, 2017 YOMIUR ONLINE

● 今夜の一枚 「ビワイチ」応援 ヒノキ製ラック

 

 

使い捨て傘にもデジタル革命

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                 天地は一指なり、万物は一馬なり    / 「斉物論」(さいぶつろん)                                        

                                               

          ※ 名(指)と実(物)との関係は、名が仮の指示にすぎず、実と必ず
            しも適合するものではない。また、万物の同異は見る者の視点によ
            って変わると(論理学者公孫竜一派が)言って批判するが、一本の
            指も、天地であり、一頭の馬も万物なのである。このように「斉物
            論」は「物を齊(ひと)しくする論」という意味で、あれだこれだ
                       という差別観を超えて万物は齊しいと説く。 

 

【RE100倶楽部:マテリアルイノベーション篇】

● 耐熱性能を誇る無酸素銅条

今月3日、古河電気工業株式会社が、パワーモジュール用基板やその周辺部材の材料として、世界ト
ップレベルの耐熱性能を誇る無酸素銅条「GOFC」の開発に成功し、既にサンプル出荷を開始してお
り、2020年度に50 ton/月の生産計画を発表。再生可能エネルギー関連技術革新にともなう需要に応じ
る。地味な事業分野であるが、半導体が「産業の米」と同様に次世代のなくてはならない事業だ。

ハイブリッドや電気自動車などの次世代自動車や、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギー
の技術革新に伴い、自動車モーター制御や電力変換等を行うパワーモジュールは高出力化、高性能化
が進んでいる。こうした中、熱的・電気的負荷が急速に増大しているパワーモジュール用基板や周辺
部材に用いられる材料には、❶高い導電性や❷熱伝導性、さらに❸放熱性の要求から無酸素銅条(C
1020R:JIS H 3100:銅及び銅合金の板並びに条)が使用される。一般的な無酸素銅条(C1020R)は パ
ワーモジュール製造時の熱処理過程にて、結晶粒の粗大化が起こり、次工程のボンディングや他の部
品との接合工程で様々な支障が発生する。なお、ここで、条とはコイル状に巻かれた形状の製品をさ
す。

同社は、無酸素銅条(C1020R)をベースとして、その成分規格を変えずに独自の組織制御技術を応用
し、高熱を加えても結晶粒が粗大化しにくい無酸素銅条「GOFC」(Grain Growth Control Oxygen Free
Copper)の量産化技術を確立する。この製品は、従来の一般的な無酸素銅条が500℃以上の熱処理で
急激に結晶粒が粗大化するところを、800℃まで結晶粒が小さいまま抑制できる つまり状態変化しな
い(下図1,22)。今後、板厚0.3~1.0mm の条製品もラインナップ拡充する方針。既に絶縁基板の
接合材の用途向けにサンプル出荷を開始しており、今後、幅広いユーザーへ「GOFC」の拡販を進め
ることで、高温における形状や外観変化のトラブル対応、また、パワーモジュールの高機能化貢献す
るとのこと。 

    

 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』     

    11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた 

  軽い昼食をとったあと、私は仕事用の服に着替え(要するに汚れてもいいような服装というだ
 けのことだが)、スタジオに入って免色渉の肖像を描く仕事にもうコ皮とりかかった。それがた
 とえどんな仕事であれ、とにかく手を休みなく勤かしていたいという気持ちに私はなっていた。
 誰かが挟い場所に閉じ込められて救助を求めているというイメージから、それがもたらす慢性的
 な息苦しさから、少しでも遠ざかりたかった。そのためには絵を描くしかない。しかしもう鉛筆
 とスケッチブックは使わないことにした。そんなものではたぶん彼に立だない。私は絵の具と絵
 筆を用意して直接キャンバスに向かい、その空白の奥を見つめながら、免色渉という一人の人物
 に意識を集中した。背骨をまっすぐ伸ばし、集中力を高め、余分な考えを可能な限り意識から削
 ぎ落とした。

  山の上の白い屋敷に往む、若々しい目をした白髪の男。彼はほとんどの時間を家にこもって暮
 らし、「間かすの間」(らしきもの)を持ち、四台の英国車を所有している。その男がうちにや
 ってきて、私の前でどのように身体を勣かし、どのような表情を顔に浮かべ、どのような口調で
 何を語ったか、どのような目でどんなものを見ていたか、彼の両手がどのように動いたか、私は
 それらの記憶をひとつひとつ呼び起こしていった。少し時間はかかったけれど、彼に間する様々
 な細かい断片が、私の中で少しずつひとつに結びついていった。そうするうちに免色という人間
 が私の意識の中で立体的に、有機的に再構成されていく感触があった。

  そうやって立ち上がった免色のイメージを、私は下描きなしでそのままキャンバスの上に、小
 ぷりな絵筆を使って移し替えていった。そのとき私の順に浮かんだ免色は、左斜め前方に順を向
 けていた。そしてその目は僅かにこちらに向けられていた。それ以外の顔の角度は私にはなぜか
 思いつけなかった。私にとってはそれこそがまさに免色渉という人間なのだ。披は左斜め前方に
 顔を向けていなくてはならない。そしてその両目は僅かに私の方に向けられていなくてはならな
 い。彼は私の姿を視野に収めている。それ以外に正しく彼を描く構図はあり得ない。

  私は少し離れたところから、自分かキャンバスにほとんど一筆書きのように描いたシンプルな
 構図をしばらく眺めた。それはまだただのかりそめの線画に過ぎなかったけれど、私はその輪郭
 にひとつの生命体の萌芽のようなものを感じ取ることができた。それを源として自然に膨らんで
 いくはずのものが、おそらくそこにはある。何かが手を伸ばして――それはいったい何だろう?
 ――私の中にある隠されたスイッチをオンにしたようだった。私の内部、奥深いところで長く眠
 り込んでいた動物がようやく正しい季節の到来を認め、覚醒に向かいつつあるような、そんな漠
 然とした感覚があった。

 私は洗い場で絵筆から絵の具を落とし、オイルと石けんで手を洗った。急ぐことはない。今日の
 ところはこれだけで十分だ。これ以上は急いで作業を進めない方がいい。免色氏が次にここに来
 たとき、実物の披を前にして、ここにある輪郭に肉付けをしていけばいいのだ。私はそう思った。
 この絵はおそらく、私がこれまで描いてきた肖像画とはずいぶん違った成り立ちのものになるだ

  不思議だ、と私は思った。
  免色渉はなぜそのことを知っていたのだろう?

  その日の真夜中に、私はまた昨夜と同じようにはっと覚醒した。枕元の時計は一時四十六分を
 示していた。昨夜目が覚めたのとほとんど同じ時刻だ。私はベッドの上に身を起こし、暗闇の中
 で耳を澄ませた。虫の声は聞こえなかった。あたりは静まりかえっている。まるで深い海の底に
 いるみたいに。すべては昨夜の繰り返しだった。ただ窓の外は真っ暗だった。そこだけが昨夜と
 は追っている。厚い雲が空を覆い、満月に近い秋の月をぴったり隠していた。

  あたりには完全な静寂が満ちていた。いや、追う。もちろんそうじゃない。その静寂は完全な
 ものではない。息を殺して耳を澄ませていると、その厚い沈黙をかいくぐるように微かな鈴の音
 が聞こえてきた。誰かが夜の闇の中で、鈴のようなものを鳴らしているのだ。昨夜と同じように、
 切れ切れに断続的に。そしてその音がどこから聞こえてくるのか、私にはもうわかっていた。雑
 木林の中の、あの石の塚の下だ。あえて確かめる必要もない。私にわからないのは、誰が何のた
 めにその鈴を鳴らしているかということだった。私はベッドを出てテラスに出た。

  風はなかったが、細かい雨が降り始めていた。目には映らず、音もなく地表を儒らす雨だ。免
 色氏の屋敷の明かりが灯っていた。谷間を隔てたこちらから、家の中の様子まではわからないが、
 彼は今夜まだ目覚めているようだった。こんな遅い時刻に明かりがついているのは珍しいことだ
 った。私は小糠雨に濡れながらその灯を見つめ、微かな鈴の音に耳を澄ませた。

  やがて雨が少し強くなってきたので、私は家の中に戻り、うまく眠れないまま居間のソファに
 腰を下ろし、読みかけていた本のページを操った。決して読みづらい本ではないのだが、どれだ
 け集中してもその内容はなかなか頭に入らなかった。ただ単に行から行へと字を追っているだけ
 だ。しかしそれでも、何もしないでただその鈴の音を聞かされているよりはましだった。もちろ
 ん大きな音で音楽をかけて、その音が聞こえないようにすることもできたが、そうする気にはな
 れなかった。私はそれを聴かないわけにはいかないのだ。なぜなら、それは私に向けて鳴らされ
 ている音だからだ。私にはそのことがわかっていた。そしてその音は、秋がそれについて何か手
 を打たない限り、おそらくいつまでも鳴り止まないだろう。そして毎晩私を息苦しくさせ、私か
 ら安らかな眠りを奪い続けることだろう。

  何かをしなくてはならないのだ。何らかの手を打って、私はその音を止めなくてはならない。
  そしてそのためにはまずその音の――つまり送られてくる信号の――意味と目的を理解しなく
 てはならない。誰が何のために私に、わけのわからない場所から夜ごとに信号を送ってくるのだ
 ろう? しかし何かを系統立てて考えるには、あまりに息苦しかったし、頭が混乱していた。自
 分一人だけでは処理しきれない。誰かに相談をする必要があった。そして今、私が相談するべき
 相手として思いつける人物はただ一人しかいなかった。

  私はもう一度テラスに出て免色氏の屋敷の方に目をやった。家の明かりは既に消えての屋敷が
 あるあたりには、小さな庭園灯がいくつかともっているだけだった。
  鈴の音が止んだのは午前二時二十九分、昨夜とほとんど同じ時刻だ。鈴の音が止んでしばらく
 すると、虫たちの声がそろそろ互戻ってきた。そして秋の夜はまるで何ごともなかったように、
 その賑やかな自然の合唱で再び満たされた。すべてが同じ順序でおこなわれた。

  私はベッドに入って、虫の声を聞きながら眠りについた。心は乱されていたが、昨夜と同じよ
 うに眠りはすぐに訪れた。やはり夢のない深い眠りだった。

 Portrait of the Postman Joseph Roulin

   12.あの名もなき郵便配達夫のように

  朝の早い時間に雨が降り、十時前に止んだ。そのあと少しずつ青空が顔を見せ始めた。海から
 の湿った風が雲をゆっくり北へと運んでいた。そして午後一時ぴったりに、免色が私のところに
 やってきた。ラジオの時報が時を告げるのと、玄関のドアベルが鳴るのがほぼ同時だった。時刻
 に正確な人は少なくないが、そこまで精密な人はなかなかいない。それも戸口の前でその時刻が
 来るのをじっと待ち受け、腕時計の秒針に合わせてベルを鳴らすわけではない。坂道を上ってき
 て車をいつもの位置に駐め、いつもと同じ歩調と歩幅で玄関までやってきてドアベルを押すと、

  それと同時にラジオの時報が時を告げるのだ。ただ驚嘆するしかない。

  私は彼をスタジオに案内し、前と同じ食堂椅子に座らせた。そしてリヒアルト・シュトラウス
 『薔薇の騎士』のLPをターンテーブルに載せ、針を落とした。この前聴き終えたところからの
 続きだ。すべての手順は前と同じ繰り返したった。ただひとつ異なっていたのは、今回は飲み物
 を勧めなかったことと、彼にモデルとしてのポーズをとってもらったことだった。椅子に腰掛け
 たまま左斜め前方を向くこと。そして目だけを僅かに私の方に向けること。それが今回私か彼に
 要求したことだった。

  彼は私の指示に速んで従ってくれたが、その位置と姿勢がぴたりと決まるまでにかなり時間を
 要した。微妙な角度や、視線の雰囲気が私の求めているものとなかなかぴったり合致しなかった
 からだ。光線の当たり具合も私のイメージに沿ったものではなかった。私は普段はモデルを使わ
 ないけれど、いったん使い始めると、多くのことを要求する傾向がある。しかし免色は私の出す
 面倒な注文に辛抱強くつきあってくれた。嫌な顔もせず、文句ひとつ口にしなかった。様々な種
 類の苦行を与えられ、それに耐えることに精通した人物のように見えた。

  ようやく位置と姿勢が決まると、私は言った。「申し訳ありませんが、できるだけそのまま動
 かないようにして下さい」

  免色は何も言わず目だけで肯いた。

  「なるべく短い時間で終えるようにします。少しつらいかもしれませんが、我慢して下さい」
  免色はもう一度目だけで肯いた。そしてそのまま視線を動かさず、身体も動かさなかった。文
 字どおり筋肉ひとつ動かさなかった。さすがにときおり瞬きはしたものの、呼吸をしている気配
 さえ表には見せなかった。まるでリアルな彫刻のように彼はそこにじっとしていた。感心しない
 わけにはいかなかった。プロの線のモデルだってなかなかそこまではできない。

  免色が我慢強く椅子の上でそのポーズをとり続けているあいだ、私の方はキャンバスの上での
 作業をできる限り迅速に手際よく速めた。意識を集中して彼の姿を目で測り、そのイメージが私
 の直観に命じるままに絵筆を動かした。真っ白なキャンバスの上に黒い線の具を使って、一本の
 細い絵筆の線だけで、既にできている顔の輪郭に必要な肉付けを加えていった。絵筆を持ち替え
 ている暇はない。限られた時間のうちに彼の顔かたちの諸要素を、ありのままに画像として取り
 込んでいかなくてはならない。そしてある時点からその作業は、ほとんどオート・パイロット的
 なものに変わっていった。意識をバイパスして目の動きと于の動きを直結させる、それが大事な
 ことになる。視野で捉えたものをいちいち意識でプロセスしている余裕はない。
 
  それは、私がそれまでに描いてきた――記憶と写真だけを用いて自分のペースで悠々と「営業
 品目」として描いてきた――数多くの肖像画とはずいぶん異なった種類の作業を私に要求してい
 た。十五分ほどかけて、私は胸から上の彼の姿をキャンバスの上に描き上げた。まだまだ未完成
 な租い下絵ではあるけれど、少なくともそれは生貪慾を持った形象になっていた。そしてその形
 象は免色渉という人物の存在慾を生み出す、内的な勤きのようなものを掬い取り、捉えていた。
 しかしそれは人作図でいえば、骨格と筋肉だけの状態だ。内部だけが大胆に剥き出しになってい
 る。そこに具体的な肉と皮膚をかぶせていかなくてはならない。

 「ありがとう。どうもお疲れ様でした」と私は言った。「もうけっこうです。今日の作業は終わ
 りました。あとは楽にしてください」
  免色は微笑んで姿勢を崩した。両手を上に大きく仲ばし、深呼吸をした。それから緊張させて
 いた顔の筋肉を緩めるために、両手の指でゆっくりマッサージした。私はそのまましばら玉屑で
 大きく息をしていた。呼吸を整えるのに時間がかかった。まるで短距離走を走り終えたあとのラ
 ンナーのように私は疲弊していた。妥協の余地のない集中と速度――それは私がずいぶん久方ぶ
 りに要求されたものだった。私は長いおいた眠っていた筋肉を叩き起こし、フル稼働させなくて
 はならなかった。疲れはしたが、そこにはある種の物理的な心地よさがあった。

 「おっしやるとおりだ。絵のモデルをつとめるというのは、たしかに予想していたよりも厳しい
 労働です」と免色は言った。「絵に描かれていると思うと、なんだか自分の中身を少しずつ削り
 取られているような気がしますね」
 「削り取られたのではなく、そのぶんが別の場所に移植されたのだと考えるのが、芸術の世界に
 おける公式的な見解です」と私は言った。
 「より永続的な場所に移植されたということですか?」
 「もちろん、それが芸術作品と呼ばれる資格を持つものであればということですが」
 「たとえばファン・ゴッホの絵の中に生き続ける、あの名もなき郵便配達夫のように?」
 「そのとおりです」
 「彼はきっと思いもしなかったでしょうね。百数十年後に、世界中の数多くの人々が美術館まで
 わざわざ足を運び、あるいは美術書を間いて、そこに描かれた自分の姿を真剣な眼差しで見つめ
 ることになるだろうなんて」
 「まず間違いなく、思いもしなかったでしょうね」
 「みすぼらしい田舎の台所の片隅で、どう見てもあまりまともとは思えない男の手によって描か
 れた、風変わりな絵に過ぎなかったのに」

  私は肯いた。

 「なんだか不思議な気がするな」と免色は言った。「それ自体では永続する資格を持たないもの
 が、ある偶然の出会いによって、結果的にそのような資格を身につけていくということが」
 「ごく希にしか起こらないことですが」

  そして私はふと『騎士団長殺し』の絵のことを思い出した。あの絵の中で刺殺されている「騎
 士団長」も、雨田典彦の手によって永続する命を身につけることができたのだろうか? そして
 騎士団長とはそもそも何ものなのだろう?
  私は免色にコーヒーを勧めた。いただきたいと彼は言った。私は台所に行ってコーヒーメーカ
 ーで新しいコーヒーを作った。免色はスタジオの椅子に座って、オペラの続きに耳を澄ませてい
 た。レコードのB画が終わる頃にコーヒーができあがって、我々は居間に移ってコーヒーを飲ん
 だ。
 「どうですか? 私の肖像画はうまくできあがりそうですか?」と免色はコーヒーを上品にすす
 りながら尋ねた。
 「まだわかりません」と私は正直に言った。「なんとも言えません。うまくいくものかどうか、
 自分でも見当がつかないんです。これまでぼくが描いてきた肖像画とは、描き方の手順がずいぶ
 ん道っていますから」
 「それはいつもと道って実際のモデルを使っているから、ということでしょうか?」と免色は尋
 ねた。
 「それもあるとは思いますが、それだけじやありません。ぼくにはなぜかもう、これまで仕事と
 して描いてきたコンヴェンショナルな形式の、いわゆる『肖像画』がうまく描けなくなってしま
 ったみたいです。だからそれに代わる手法や手順が必要とされています。しかしぼくにはまだそ
 の道筋が掴めていません。間の中を手探りで道んでいるような状態です」

  免色は私の目をまっすぐ見ながら言った。「しかしもし仮にその作品が完成しなかったとして
 も、私が何らかのかたちであなたの変化のお役に立てたのだとしたら、それは私にとって喜ばし
 いこです。本当に」
 「ところで、免色さん、実はあなたに折り入ってご相談したいことかあるんです」と私は少しあ
 とで思い切って切り出した。「緒のこととはまったく関係のない、個人的な話なんですが」
 「聞かせて下さい。私にお役に立てることであれば、喜んでお手伝いします」

  私はため息をついた。「ずいぶん奇妙な話なんです。一部始終を順序立ててわかりやすく説明
 することは、ぼくの言葉ではとても間に合わないかもしれません」
 「あなたの話しやすい順番でゆっくり話して下さい。そして二人で一緒に考えてみましょう。一
 人きりで考えるよりは良い智恵が浮かぶかもしれませんよ」

  私は最初から順番に話をしていった。夜中の二時前にはっと目が覚め、耳を澄ませると、夜の
 関の中から不思議な音が聞こえてきた。遠い小さな音だが、虫が鳴きやんでいたせいで微かに耳
 に届いた。誰かが鈴を鳴らしているような音だ。その音を辿っていくと、その出どころが家の裏
 手にある雑木林の中の、石の塚の隙間であるらしいことがわかった。不規則な沈黙をあいだに挟
 んで断続的に、その謎の音が四十五分ほど続き、やがてぴたりと止む。同じことが一昨日、昨日
 と二晩続いた。誰かがその石の下で鈴のようなものを鳴らしているのかもしれない。救助信号を
 送っているのかもしれない。しかしそんなことがあり得るだろうか? 自分か正気なのかどうか、
 それも今ひとつ自信が持てなくなっている。自分か耳にしているのはただの幻聴なのだろうか?

  免色はひとことも口を探むことなく、拡の話る話に耳を澄ませていた。拡が話し終えてもその
 まま黙り込んでいた。彼が真剣に拡の話に耳を傾け、その内容について深く考えを巡らせている
 ことは顔つきでわかった。
 「興味深い話です」と彼は少しあとで口を聞いた。そして軽く咳払いをした。「たしかにおっし
 やるように、普通ではないできごとみたいだ。そうですね……できればその鈴の音を、拡白身の
 耳で聞いてみたいのですが、今夜こちらにおうかがいしてもかまいませんか?」

  私は驚いて言った。「真夜中にわざわざここまで見えるのですか?」

 「もちろんです。私にもその鈴の音が聞こえれば、それはあなたの幻聴ではないということが証
 明されます。それが第一歩です。そしてもしそれが実在する音であるのなら、その出どころを二
 人であらためて探り当てましょう。それからどうすればいいかは、そのときにまた考えればいい」

 「もちろんそうですが―――
 「お邪魔でなければ、今夜の十二時半にこちらにうかがいます。それでよろしいでしょうか?」
 「もちろんぼくはかまいませんが、そこまで免色さんにしていただくのは――

  免色は感じの良い笑みを目もとに浮かべた。「気にすることはありません。あなたのお役に立
 てることは、私にとって何よりの喜びです。それに加えて私はもともと好奇心の強い人間です。
 その真夜中の鈴の音がいったい何を意味しているのか、もし誰かがその鈴を鳴らしているのだと
 したら、それは誰なのか、私としてもぜひその真相を知りたい。あなたはいかがですか?」
 「もちろんそう思いますが――」と私は言った。

  「それではそう決めましょう。今夜こちらにうかがいます。そして私にも少しばかり思い当たる
 ことがあります」
 「思い当たること?」
 「それについては、またあらためてお話ししましょう。念のために確かめなくてはなりませんか
 ら」
 
  免色はソフアから立ち上がり、背筋をまっすぐ伸ばし、右手を私の前に差し出した。私はそれ
 を握った。やはりしっかりとした強い握手だった。そして彼はいつもよりいくぶん幸福そうに見
 えた。

                                     この項つづく

 

 

【ZW倶楽部:使い捨て傘にもデジタル革命】

突然雨に遭遇したときあなたはどうする?駅にあるいはコンビニに使い捨て状態になった傘さがし、
借用してその場を凌ぎますか? その時、多少なりとも良心の呵責が生まれるだろうか。そんなワン・
シーンに答える傘が登場する。 Bluetooth  対応のタイルアプリが装備されたスマートな傘である(上
写真ダブクリ参照)。このシステムは、スマートフォンを使って失われた傘を探し出し、再利用でき
る。それだけでない、将来的にはチョイ貸し設定でき、雨で困っている人にも貸せることも可能にで
きるだろう。勿論、借りたい人もスマートフォンで所有者と交信し了解しなければロックが掛かり、
傘が開けないというシステムがこの使い捨て傘に付加されるというわけだ。



それだけでない、このシステムと100%リサイクルシステム傘製造事業と融合さ、「ZW倶楽部」
に加入することで半永久的に雨傘を共有できると考えている。もっとも、雨傘文化が残っていればの
話だけれど、この記事の資産によると、100ドル(およそ1万円)未満でできると試算している(
詳しくは上下写真参考)。参考までに、この「イチョウ」と呼ばれる傘は、破損した場合、リニュー
アブルでき、リサイクルされたポリプロピレンから作られて、その構成パーツは交換可能なリサイク
ル傘という説明である。



この傘販売事業が世界共有基準化されれば、映画『雨に歌えば』 は名シーンは 古き良き物語として
語られることになる。自転車・自動車・食品(食肉のDNAタグ化)・衣料品などの履歴と使途がス
マートフォンを介し、あらゆる生産、消費場面でこれから起きていく。面白くもあり、恐ろしくもあ
る。 

  ● 今夜の一曲 Singin' in the Rain

 

『雨に唄えば』は、米国ポピュラーソングおよびそれを主題歌にした1952年公開のミュージカル映画。
アーサー・フリード作詞、ナシオ・ハーブ・ブラウン作曲によるポピュラーソング。1929年公開のM
GM 作品『ハリウッド・レヴィユー』で用いられ、「ウクレレ・アイク」ことクリフ・エドワーズが
歌って以来のスタンダード・ナンバー。また『ザッツ・エンターテインメント』の冒頭でこの曲が紹
介されるなど、作詞者フリードが後に MGMミュージカルの名プロデューサーとして名をはせたこと
もあり、同社のミュージカル作品の象徴する曲となっている。 

 

 

アトマイザー成膜工学考

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                 成ると虧(か)くるとあるの故は、昭氏の琴を鼓するなり    

                「成」と「虧」/「斉物論」(さいぶつろん)     

                                                

      ※ 昭文が琴をかきならせばメロディーが成立するが、背後の無限のメロディーの
             一つにすぎない。つまり、彼がいかに努力しようとも、無限のメロディーが残
             され、メロディーを「成す」ことで無限のメロディーを「虧(うしな)う」。
       すべてのメロディー(無声の声)を聴くとは、琴をかきならさぬということで
       ある。だからこそ聖人は、思考を離れた無心の状態を最高の知恵と考え、選択
             を行わず事物を自然のままにまかせる。「明」によるとはこのことである。

     ※ 太古の人こそ、最高の知の所有者だったといえるのではなかろうか。なぜなら
             ば、かれらは自然そのままの存在であり、かれらの意識は、主客未分化の、い
       ねば混沌状態だったと考えられるからである。この混沌こそ、もっとも望まし
             いありかたなのである。時代が下ると、人々は自己を取りまく世界を意識しは
             じめた。こうして認識作用が生まれたが、客体としての事物に区別は立てなか
             った。さらに時代が下ると、人々は事物の区別を意識するようになったが、ま
             だ価値概念は発生しなかった。しかし、やがて価値概念が発生するや、「道」
             は虧われた。そして、「道」が虧われると同時に、人間の執着心が成ったので
             ある。だが、果して「道」には、成虧の別があるのだろうか。

         ※ ここで、レヴィ=ストロースの『野生の思考』が脳裏を過ぎることとなる。

                             

  ♕♛

【量子ドット工学講座35】

☑ 最新アトマイザー成膜工学

先回の取り上げた「超音波噴霧緻密膜のペロブスカイト太陽電池製造技術」(『完全電動自動車時代
』2017.04.08)をうけ、最新の超音波液体噴霧式塗工(コーティング)技術をリサーチ。ここで、基
板上に薄膜を成膜する方法には、化学気相成長(CVD)法などがあるが、化学気相成長法では真空
下での成膜を必要とし、真空ポンプなどに加えて、大型の真空容器を用いる必要がある。さらに、化
学気相成長法は、コストの観点等から、成膜される基板として大面積のものを採用することが困難で
あった。そこで、大気圧下における成膜処理が可能なミスト法が注目されている。

● 技術事例:特開2017-020076 成膜装置及び成膜方法



【符号の説明】

1 霧化器  2 超音波振動子  3 ミスト搬送管  4 ミスト噴射ヘッド部  4e 排気用空洞部
4m ミスト空洞部  4S 噴射面  5 原料ミスト噴出口  6 排気口  7 補助部材  8 マイ
クロ波発生器  9 反射板  71 貫通口  90 載置部  M1 原料ミスト  SP7 中空部

【要約】

基板10が載置される載置部90と、載置部90に載置されている基板10の上面に向けて、噴射面
4Sの原料ミスト噴出口から原料ミストを噴射するミスト噴射機構(霧化器、ミスト搬送管及びミス
ト噴射ヘッド部)と、ミスト噴射機構の噴射面4Sと基板10の上面との間に形成される反応空間と
なる補助部材7の中空部SP7にマイクロ波を導入するマイクロ波発生器8とを備え、補助部材7の
上面及び下面はそれぞれ、原料ミスト噴出口から噴射される原料ミストが中空部SP7内を通過して
基板10の上面に到達可能な複数の貫通口71を有している成膜装置で、比較的低い温度環境下で薄
膜を成膜することができる成膜装置。

-----------------------------------------------------------------------------------------

ミスト法を利用した成膜の従来技術として、たとえば、特許文献に開示された技術がある。これによ
ると、❶金属を含む原料溶液をミスト化させる工程と、❷基板を加熱する工程と、❸加熱中の基板の
第一の主面上にミスト化された原料溶液である原料ミストとオゾンを供給する工程とを備え、オゾン
を供給することで、➀原料ミストの反応性を高め、基板に対する加熱処理における➁加熱温度の抑制
を図る。しかし、前出の特許文献の技術は、基本的に熱エネルギーを利用して薄膜を成膜する方法で
あり、薄膜の成膜に際し加熱処理により溶媒の蒸発や溶質の分解、酸化等の化学反応を進行させる必
要があり、比較的低い温度環境下で薄膜の成膜の実現は不可能である。

この技術の成膜装置は、薄膜原料を溶媒により溶解させた原料溶液をミスト化して得られる原料ミス
トを大気中に噴射し、基板が載置される載置部と、基板上面に向けて、噴射面から原料ミストを噴
射するミスト噴射機構に、ミスト噴射機構の噴射面と基板の上面との間に形成される反応空間にマイ
クロ波を導入するマイクロ波発生器とを備える。マイクロ波発生器により反応空間にマイクロ波が導
入され、溶媒を沸点以下の状態で蒸発させり、比較的低温な温度環境下で基板の上面に薄膜を成膜す
ることができるというものであり(実施事例記載なし)、従って、超音波アトマイザー方式ではない。


● 技術事例:US 9533323 B2 Ultrasound liquid atomizer:超音波液体噴霧装置


【符号の説明】

1.圧電トランスデューサ本体 1a応力集中ゾーン 1b変形増幅ゾーン 2.単一ピエゾ圧電セラミック
3.微小穿孔膜 4.液体を含むキャビティ 5.後部質量 6.プレストレスネジ 7.電極 8.リンク部材
9.多層圧電セラミック1 0.ベルマウス 11.電気接地リターン 12.トランスデューサカバー 
13.リザーバ 14.プラグ 15.モジュール 16.先端 17.開口部またはバルブ1 8.電源ケーブル
19.電子モジュール20.電気コネクタ 21.同軸管 22液体存在センサー 23.センサー戻りケーブル

図1Aの圧電トランスデューサは、好ましくは 50kHz~200kHzの範囲で振動する圧電変換器本体1を備
える。図1Bは、同じアトマイザーを示しているが、アトマイザーの様々な部分の長手方向の変位の最
大振幅を示す曲線が並んで図示されている。圧電トランスデューサ本体1は、2つのゾーン、即ち、
応力集中ゾーン1aと変形増幅ゾーン1bとによって特徴付けられる。

【要約】

開口部と第2の端部とを画定する第1の端部を有する硬質圧電変換器本体(1)と、圧電変換器本体
(1)の内側に、霧化される液体を収容するための空洞を含む超音波液体噴霧器、その対称軸をさら
に備える本体(1)と、 第1の端部に取り付けられ、開口部を覆う微小穿孔膜(3)と、 圧電振動子
本体を振動させるように構成された圧電部材と、 圧電振動子本体(1)をその対称軸に平行な方向に
振動させる、圧電部材(2,9)が第2端部に向かい配置されていることを特徴とする。

-----------------------------------------------------------------------------------------
US9533323 
図12 噴霧装置の振動挙動のモデル図


● 技術事例:US 39607,889 B2 Forming structures using aerosol jet.RTM. deposition:
       エアロゾルジェット(登録商標) 堆積 

     Mar. 28, 2017
【要約】

1つ以上の物理的、電気的、化学的または光学的特性において5%以下の許容差を有する受動構造の
直接描画のための方法および装置。本装置は、堆積時間を延長することができる。この装置は、補助
のない動作のために構成されてもよく、センサおよびフィードバックループを使用してシステムの物
理的特性を検出し、最適なプロセスパラメータを識別および維持する。

以上、アトマイザー方式噴霧塗工装置及び方法に関する最新技術動向を、ロールツーロール製造方式
に最適な技術動向を、ペロブスカイト型太陽電池だけでなく、電子デバイス全般を対象に調べてみた
が、噴射量の制御法としてパルス制御で精密塗出できるものならば量産化の主流になっていく可能性
が高い。

 

    

 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』  

    12.あの名もなき郵便配達夫のように

  免色が帰ったあと、その午後ずっと私は台所に立って料理をしていた。私は過に一度、まとめ
 て料理の下ごしらえをする。作ったものを冷蔵したり冷凍したりして、あとの一週間はただそれ
 を食べて暮らす。その日は料理の日だった。夕食にはソーセージとキャベツを葬でたものに、マ
 カロニを入れて食べた。トマトとアボカドと玉葱のサラダも食べた。夜がやってくると、私はい
 つものようにソファに横になり、音楽を聴きながら本を読んだ。それから本を読かのをやめて、
 免色のことを考えた。

  彼はどうしてあれほど嬉しそうな顔をしたのだろう? 彼は本当に私の役に立てることが嬉し
 いのだろうか? どうして? 私にはよくわけがわからなかった。私はただの名もなき貧乏な画
 家だ。六年間一緒に過ごした妻に去られ、両親とも不仲で、住むところもなく、財産らしきもの
 もなく、友だちの父親の家の留守番をとりあえずさせてもらっている。それに比べて(わざわざ
 比べるまでもないのだが)彼は若くしてビジネスで大きな成功を収め、この先ずっと不自由なく
 暮らせるほどの財産を手に入れた。少なくとも本人はそう語っている。顔立ちは端正で、英国車
 を四台所有し、とくに仕事らしい仕事もせず、山の上の大きな家にこもって優雅に日々を送って
 いる。そんな人間がなぜ私みたいなものに個人的な興味を持つのだろう? なぜ私のためにわざ
 わざ夜中の時間を割いてくれるのだろう?

 弦楽四重奏曲第15番 ト長調 

  私は首を振って読書に戻った。考えても詮無いことだ。どれだけ考えたところで結論が出るわ
 けではない。もともとピースが揃っていないパズルを解こうとしているようなものだ。しかし考
 えないわけにはいかなかった。私はため息をつき、また本をテーブルの上に置き、目を閉じてレ
 コードの音楽に耳を澄ませた。ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団の演奏するシューベ
 ルトの弦楽四重奏曲十五番。

  私はここに住むようになってから、毎日のようにクラシック音楽を聴いている。そして考えて
 みたら、私が耳を傾けている音楽の大半はドイツ(及びオーストリア)古典音楽だった。雨田典
 彦のレコード・コレクションはおおむねドイツ系古典音楽で占められていたからだ。チャイコフ
 スキーもラフマニノフもシベリウスも、ブィヴァルディもドビュッシーもラヴェルも、お義理の
 ようにひととおり置いてあるだけだった。オペラ・ファンだからもちろんヴェルディとプッチー
 ニの作品はいちおう揃っていた。しかしそれもドイツ・オペラの充実した陣容に比べれば、それ
 ほど熱意の感じられない揃え方だった。

  おそらく雨田典彦にとっては、ウィーン留学時代の思い出があまりに強烈だったのだろう。そ
 のせいでドイツ音楽に深くのめり込むようになったのかもしれない。あるいは逆かもしれない。
 彼はもともとドイツ系の音楽を深く愛していて、そのせいで留学先をフランスではなくウィーン
 にしたのかもしれない。どちらが先なのか、私にはもちろん知りようがない。
  しかしいずれにせよ私は、この家の中でドイツ音楽が偏愛されていることに対して、苦情を言
 い立てられるような立場にはなかった。私はただのこの家の留守番に過ぎず、そこにあるレコー
 ド・コレクションを厚意で聴かせてもらっているだけなのだ。そして私は、バツハやシューベル
 トやブラームスやシューマンやベートーヴェンの音楽を聴くことを楽しんだ。それからもちろん
 モーツァルトを忘れてはならない。彼らの音楽は深みのある優れた、美しい音楽だったし、そう
 いう種類の音楽をゆっくり腰を据えて聴く機会を、私はそれまでの人生においてもったことがな
 かった。日々の仕事に追われていたし、またそれだけの経済的な余裕もなかったからだ。だから
 私はそういう機会を自分がたまたま手にできているあいだに、ここに揃えられた音楽をできるだ
 けしっかり聴いてしまおうと心を決めていた。

  十一時過ぎに私はソファの上でしばらく眠った。音楽を聴いているうちに眠りに落ちたのだ。
 眠っていたのはたぶん二十分くらいだろう。目覚めたときレコードは既に終わって、トーンアー
 ムは元の位置に戻り、ターンテーブルは停止していた。居間には勝手に針が上がるオートマティ
 ックのプレーヤーと、マニュアル式の本格的なプレーヤーの二台があったが、私は安全を期して
 ――つまりいつ眠り込んでもいいように――だいたいオートマティックの方を使うようにしてい
 た。私はシューベルトのレコードをジャケットに入れ、それをレコード棚の所定の位置に戻した。
 開け放した窓の外からは虫たちの声が盛大に聞こえた。虫たちが鳴いているからには、まだあの
 鈴の音は聞こえてこないのだ。

  私は台所でコーヒーを温め、クッキーを少し食べた。そしてあたりの山を覆う夜の虫たちの販
 やかな合唱に耳を澄ませた。十二時半少し前にジャガーが坂道をそろそろと上ってくる音が聞こ
 えた。方向転換をするときに一対の黄色いヘッドライトが窓ガラスを大きく横切った。やがてエ
 ンジン音が止み、車のドアが閉められるいつものきっぱりとした音が聞こえた。私はソファに座
 ってコーヒーを飲みながら呼吸を整え、玄関のドアベルが鳴るのを待った。



   13.それは今のところただの仮説に過ぎません

  我々は居間の椅子に腰を下ろしてコーヒーを飲み、その時刻が近づくのを待ちながら時間つよ
 しに話をした。最初はあてもない世間話のようなものだったが、沈黙がひとしきり二人のあいだ
 に降りたあと、免色はいくぶん遠慮がちに、しかし妙にきっぱりとした声で私に尋ねた。

 「あなたには子供がいますか?」

  私はそれを聞いて少しばかり驚いた。彼は人に――まだそれほど親密とは言えない相手に――
 そういう質問をする人物には見えなかったからだ。どう見ても「君の私生活には首を突っ込まな
 いから、そのかわりこちらの私生活にも首を突っ込まないでくれ」というタイプだ。少なくとも
 私はそのように理解していた。しかし顔を上げて免色の真剣な目を見ると、それがその場でふと
 思いつかれた気まぐれな質問でないことがわかった。彼は前からずっと、そのことを私に尋ねた
 いと思っていたようだった。

  私は答えた。「六年ばかり結婚していましたが、子供はいません」
 「作りたくなかったのですか?」
 「ぼくはどちらでもよかった。でも妻が望まなかったのです」と私は言った。彼女が子供を作り
 たくなかった理由については、あえて説明しなかった。それが本当に正直な理由だったのかどう
 か、今となっては私にもよくわからなかったからだ。

  免色はどうしようか少し迷っているようだったが、やがて心を決めたように言った。「こんな
 ことをうかがうのは、失礼にあたるかもしれませんが、ひょっとして、奥さん以外の女性がどこ
 かで、密かにあなたの子供をもうけているかもしれないという可能性について考えてみたことは
 ありますか?」

  私はもう一度まじまじと免色の顔を見た。不思議な質問だった。私はいちおう記憶の抽斗をい
 くつか形式的に深ってみたが、そういうことが起こり得る可能性にはまったく思い当たらなかっ
 た。私はこれまでそれほど多くの女性と性的な関係を持ったわけではないし、もし仮にそんなこ
 とが起こっていたとしたら、きっと何らかのルートを通じて私の耳に届いているはずだ。

 「もちろん理論的にはあり得るかもしれませんが、現実的には、というか常識的に考えて、そう
 いう可能性はまずないと思います」
 「なるほど」と免色は言った。そして何かを深く考えながら、コーヒーを静かにすすった。
 「しかし、どうしてそんなことをぼくにお訊きになるのですか?」と私は思い切って尋ねてみた。

  彼はしばらく目を閉じて窓の外を眺めていた。窓の外には月が出ていた。丁昨日の月ほど異様
 に明るくはないが、じゆうぷんに明るい月だった。切れ切れになった雲が、海から山に向けて空
 をゆっくりと流れていた。

  やがて免色は言った。

 「以前にも申し上げたように、私はこれまで一度も結婚したことかありません。この歳まで、ず
 っと独り身でした。仕事が常に忙しかったということ心ありますが、それ以上に、誰かと一緒に
 暮らすということが私の性格や生き方に合わなかったからでもあります。こんなことを言うと、
 ずいぶん格好をつけているように思われるか心しれないが、良くも悪くも私は一人でしか生きら
 れない人間です。血縁というようなものにもほとんど関心を持っていません。自分の子供を持ち
 たいと思ったことも一度もありません。それには私なりの個人的な理由もあります。おおむね私
 地震の子供時代の家庭環境によってもたらされたことなのですが」

  彼はそこで言葉を切って、一息ついた。そして続けた。
 「しかし数年前から、自分には子供がいるのではないかと考えるようになってきたのです。とい
 うか、そう考えざるを得ないような状況に追い込まれた、と言った方がいいか心しれません」

  私は黙って話の続きを待った。

 「こんな込み入った個人的な話を、ほんのしばらく前に知り合ったばかりのあなたに打ち明ける
 というのは、我ながらずいぶん奇妙なことに思えますが」と免色はとても談い微笑を口もとに浮
 かべながら言った。

 「ぼくの方はべつにかまいません。免色さんさえよるしければ」

  考えてみれば、私にはまだ小さい頃からなぜか、それほど親しくない人から思いも寄らぬ打ち
 明け話をされる傾向があった。もしかしたら私には、他人の秘密を引き出す特別な資質みたいな
 ものが生まれつき具わっているのかもしれない。それともただ熟達した聴き手みたいに見えるの
 かもしれない。いずれにしても、そのことで何か得をしたという覚えは一度もない。なぜなら、
 人々は私に打ち明け語をしてしまったあとで、必ずそのことを後悔するからだ。

 「こんなことを誰かに語すのは初めてです」と免色は言った。

  私は肯いて語の続きを待った。だいたいみんな同じことを言う。

  免色は語り始めた。「今から十五年ほど前のことになりますが、私は一人の女性と親しく交際
 していました。当持私は三十代の後半で、相手は二十代後半の美しい、とても魅力的な女性でし
 た。聡明な人でもあった。私なりに真剣な交際だったのですが、彼女と結婚する可能性がないと
 いうことは、前もってきちんと相手に伝えていました。仏には誰とも結婚するつもりはないのだ
 と。相手に空しい期待を抱かせるのは、私の望むところではありません。だからもし彼女に他に
 結婚したいと思う相手ができたなら、私はいっさい何も言わずに身を引くと。彼女も仏のそうい
 う気持ちを理解してくれました。でもその交際が続いているあいだ(二年半ほどですが)、我々
 はとてもうまく、仲良くやっていました。目論ひとつしたことはありません。いろんなところに
 も一緒に旅行もしたし、私のうちに泊まっていくこともしばしばありました。だから私のところ
 には彼女の衣服がひと揃い置いてありました」
 彼は何かを深く考えていた。そして再び口を開いた。

 「もし私が普通の人間なら、というか、もう少し普通に近い人間であれば、何の迷いもなく彼女
 と結婚していたことでしょう。私だって迷いがなかったわけではない。しかし―――、彼はそこ
 で間を置き、小さな一息をついた。「しかし結局のところ、私は今あるような一人きりの静かな
 生活を選び、彼女はよ健全な人生設計を選びました。つまり私よりは、もっと普通に近い男性と
 結婚することになったのです」

  最後の最後まで、彼女は自分が結婚することを免色には打ち明けなかった。免色が最後に彼女
 に会ったのは、彼女の二十九歳の誕生日の一週間後だった(誕生日に二人は銀座のレストランで
 一緒に食事をしたのだが、そのとき彼女が珍しく無口であったことを彼はあとになって思い出し
 た)。彼が当時赤坂にあったオフィスで仕事をしていると、彼女から電話がかかってきて、ちょ
 っと会って話をしたいのだけれど、これからそちらに行ってかまわないかと言った。もちろんか
 まわない、と彼は言った。彼女がそれまで彼の仕事場を訪れたことはコ皮もなかったが、そのと
 きはさして不思議には思わなかった。それは彼と中年の女性秘書の二人だけしかいない小さなオ
 フィスだったし、誰に気兼ねをすることもなかった。それなりに大きな会社を主宰し、多くの人
 を使っていた時期もあったが、それは彼が一人で新たなネットワークを企画している時期にあた
 っていた。企画を立ち上げる時期には一人で寡黙に仕事をし、それを展開する時期にはアグレッ
 シブに広く人材を用いるというのが彼の通常のやり方だった。


  恋人がやってきたのは夕方の五持前たった。二人は彼のオフィスのソファに並んで座って話を
 した。五時になったので、彼は隣の部屋にいる秘書を先に帰宅させた。秘書を帰宅させたあと、
 一人でオフィスに残って仕事を続けるのは、彼にとっては普段どおりのことだった。仕事に没頭
 してそのまま朝を迎えることもよくあった。彼としては彼女と二人で、近くのレストランに行っ
 て夕食をとるつもりだった。しかし彼女はそれを断った。今日はそれはどの時間がないの、これ
 から銀座に出て人に会わなくてはならないから。

 「何か話したいことがあるって電話で言ってたけど」と彼は尋ねた。
 「いいえ、話なんてとくにないの」と彼女は言った。「ただちょっとあなたに会いたかっただけ」
 「会えて良かった」と彼は微笑んで言った。彼女がそういう率直なものの言い方をするのは珍し
 いことだった。どちらかといえば婉曲な表現を好む女性だった。しかしそれが何を意味するのか、
 彼にはよくわからなかった。

  それから彼女は何も言わずにソファの上で身体をずらせ、免色の膝の上に乗った。そして両腕
 を彼の身体にまわし、口づけをした。舌をからめあう深い本格的な口づけだった。長い口づけが
 続いたあと、彼女は手を伸ばして免色のズボンのベルトをゆるめ、彼のペニスを探った。そして
 硬くなったものを取りだし、それをしばらく手に握っていた。それから身をかがめて、ペニスを
 口にくわえた。長い舌先をそのまわりにゆっくり這わせた。舌は滑らかで熱かった。

  その一連の行為は彼を驚かせた。なぜなら彼女はセックスに関しては、どちらかといえば終始
 受け身だったし、とくにオーラルセックスに関しては――おこなうことに関してもおこなわれる
 ことに関しても――いつも少なからず抵抗感を抱いているように見受けられたからだ。しかし今
 日はなぜか、彼女は自分から積極的にその行為を求めているようだった。いったい何か起こった
 のだろう、と彼はいぷかった。

  それから彼女は急に立ち上がり、履いていた黒い上品なパンプスを放り出すように説ぎ捨て、
 ワンピースの下に手を入れて手早くストッキングを下ろし、下着を下ろした。そしてもうコ皮彼
 の膝の上に乗って、片手を使って彼のペニスを自分の中に導き入れた。それは既に十分な湿り気
 を帯び、まるで生き物のように滑らかに自然に活動した。すべては驚くほど迅速におこなわれた
 (それもどちらかといえば彼女らしくないことだった。ゆっくりとした穏やかな動作が彼女の特
 徴だったから)。気がついたときには、彼はもう彼女の内側にいて、その柔らかい装が彼のペニ
 スをそっくり包み、静かに、しかし躊躇なく締め上げていた。
                                                         この項つづく

 

エネルギーフリー世界を語ろう。

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            道はいまだ始めより封(ほう)あらず、言はいまだ始めより営あらず    

                言葉は絶対でない /「斉物論」(さいぶつろん)     

                                                

     ※ 「道」は、本来、無限定なものである。したがって、ことば(概念)による区分も、
     一時的な区分にすぎない。にもかかわらず、ことば(概念)を絶対視するからこそ、
          事物を差別視する観念が生ずるのである。以下、その差別観念について検討を加え
          よう。まず事物は、比較対訳されることによって左と右といった相対的な存在形式
          に「分類」される。この分類に基づいて「秩序」が立てられ、この秩序は必然的に
          「選択」と「競争」とを人間社会にもたらした。この「分類」と「秩序」と「選択」
          と「競争」こそ、人間が思考を通じて得た収穫なのであった。

         だからこそ聖人は、いっさいの現象をあるがままにまかせて、論じようとしない。
          事物の根元について、論じはするが、概念を用いて追究しようとはしない。また、
          古代の聖王たちの事蹟についても、事実をつまびらかにするだけで、是非を云々し
          ようとはしないのである。つまり、区別を立てないことが、真の区別なのであり、
          価値づけを行なわないことが、真の価値づけだといえる。区別を立てず、価値づけ
          を行なわぬとはどういうことか。いっさいをあるがままに受容する聖人のありかた
          がそれである。これに対して、一般の人々は、ことばを絶対視してたがいに是非を
          争いあう。つまり、ことばを絶対視するのは「道」を理解していない証拠なのであ
          る。

       ※ 「言葉は絶対でない」と言い切り「混沌」を「道」を無限定とし是とする。一切の
     宗門宗派を徹底否定する度量無限大の荘子、面白いではないか。

 

 

 AeroMobil: Flying car

● 自動車と飛行機の融合 今年エアロモビル社より販売開始

今月10日、1960年代から空陸両用車の飛行を待っていたが、今年は実用的な現実となる予定とか。
未来の飛行機の搭乗準備が完了したと公表。実際には数ヶ月で1台購入できる。 同社は来週モナコで
車/飛行機ハイブリッドの最新作を展示し、今年後半からの受注予定。同社によると「AeroMobil」は
完全統合型の航空機の四輪車であり、ハイブリッド推進力を使用。これまでのところ、未来の車にど
の程度の費用なのあ不詳であるが、価格逓減を模索中ではあるが必ず実現させる。また 「AeroMobil」
は、中距離旅行や道路インフラが限定され/あるいはない地域でのドアツードア旅行を大幅に高速化
でき、個人輸送の効率的/環境保全の双方の実現を目指すと関係者は語っている(上下図参照)。

       

【RE100倶楽部:オールソーラー篇】

● 変換効率50%超 新型太陽電池構造

今月7日、神戸大学工学研究科電気電子工学専攻の喜多隆教授と朝日重雄特命助教らの研究グループ
は、これまでにない新しい太陽電池セル構造を提案し、従来はセルを透過して損失となっていた波長
の長い太陽光のスペクトル成分を吸収して変換効率を50%以上にまで引き上げることができる技術
を開発したことを公表。

従来の単接合太陽電池の変換効率の理論限界は30%程度であり、入射する太陽光エネルギーの大半が
太陽電池セルに吸収されずに透過するか、あるいは光子の余剰エネルギーが熱になるなどして利用さ
できない。このような大きな損失を抑制して変換効率限界を引き上げることができる様々な太陽電池
セル構造の提案・実証が世界中で精力的に行われている。現在のワールドレコードは4接合太陽電池
で46%。太陽電池の変換効率が50%を超えると発電コストは大幅に下がり、30年にわが国が目
標とする発電コスト7円/kWhが実現できる。



♘ Nature Communications 8, Article number: 14962 (2017) doi:10.1038/ncomms14962, Published online:06
  April 2017♞

● 二段フォトンアップコンバージョン太陽電池(TPU-SC)の概念

ここで、TPU-SCの概念を示すヘテロ界面を有する単純な構造を提案する。 ここで、TPUは、バンドギ
ャップ内に1つのIBの代わりにⅢI-V半導体の異なるバンドギャップを含むヘテロ界面で効果的に実
現される。上図1a、bは、 p + -GaAs(001)基板上のn-Al 0.3 Ga 0.7 As / Al 0.3 Ga 0.7 As / GaAs / p-GaAsの
ダイオード構造を有するTPU-SCの概略バンド図を示す。 TPU効率を改善するために、Al 0.3 Ga 0.7 As
層の直下に、10nmのGaAsでキャップされた単一のInAs QD層を挿入した。 詳細なデバイス構造につい
ては、「方法」セクションで説明される。 ここで、太陽光は、n-Al 0.3 Ga 0.7 As側(図1aの左側)に
照射される。 高エネルギー光子はAl 0.3 Ga 0.7 As層に吸収され、励起された電子と正孔はそれぞれ
n-Al 0.3 Ga 0.7 Asとp-GaAsに向かって反対方向にドリフトする。 励起された電子は捕獲されることなく
n-Al 0.3 Ga 0.7 As層に到達する。 Al 0.3 Ga 0.7 AsとGaAsとの間の約 170meVのVB不連続は、ヘテロ界面
で生じるエネルギー損失に対応する。 この損失は、SC構造を最適化するときに注意深く設計する必要
があるす。 Al 0.3 Ga 0.7 Assを通過するギャップ以下の光子は、InAs QDおよびGaAsを励起する。 励
起されたGaAsの電子と正孔は、内部電場の方向が逆転する。 励起された正孔はp-GaAsコンタクト層に
到達することができるが、電子はAl 0.3 Ga 0.7 As / GaAs界面に蓄積される。 また、同様の空間キャリア
分離が、InAs量子ドット内の光励起キャリアに対して生じる。 ヘテロ界面に蓄積された電子は、正孔
から分離され、寿命が長くなることが予想され、場合によっては数ミリ秒のオーダーである場合もあ
る 。 長寿命電子は、GaAsのためのギャップ以下の光子の吸収強度を改善し、Al 0.3 Ga 0.7 As障壁の
中に効率的に上方にポンピングされる。上図2に示すように、 図1bに示すように 、TPU-SCの出力
電力は、Al 0.3 Ga 0.7Asの電子に対する準フェルミ準位のギャップとGaAsのホールの動作状態のギャッ
プに対応する。

● 太陽電池の製造

TPU-SCは、基板上に固体ソース分子線エピタキシーを用いてp+-GaAs(001)を作製する。図9に詳細な
構造に示す(下図) 。厚さ150nmのp型GaAsを(BE:2×10 18 cm-3)層を400nmの厚さの上に成長した
p + -GaAs(BE:1×10 19 cm-3)バッファ層基板で、基板温度は550°Cで赤外線高温計でモニタリング。その
後、構造のAl0.3Ga 0.7i層(250 nm)と/ GaAs層の(10 nm)/InAs量子ドット/ GaAs(1,140nm)を堆積。
InAsの公称厚さは0.64nm(単層)。QDの典型的な高さと幅は、それぞれ、3~20nmであり、QD密度は
約1.0×10 cm-3。InAs量子ドットの成膜前の基板温度は550℃で。InAs量子ドットとキャッピング層後続
厚さのGaAs10nmを成長させる。薄いGaAsキャッピング層は、InAs量子ドットの光学的品質維持し、
490℃でAl0.3Ga 0.7i層を最適増殖温度より低い490°Cで成長される。最後に、n+ -GaAsシリコン(Si:2.5×1
0 18cm-3)、n + -Al 0.3Ga 0.7シリコン(Si:2.5×10 cm-3)、及びn + -Al 0.3Ga 0.7シリコン(Si:1×1017 cm-3)
層は、500℃温度でSC構造上で成長させる。同様のビーム等価圧力フラックスは1.15×10-3 Paとした後
金属Au / Au-GeとAu / Au-Zn系接点はそれぞれ、上面/下面に作製。SCの大きさは4×4mmであっる。本
研究で用いたSC構造を示す理論的研究では、高変換効率を得るために最適調整したものではない(図
8参照)。しかし、SCの特性上の基本的なTPUの効果実証に作製しものである。さらに、各層の厚さ及
びドーピング濃度の最適化などの調整開発、並びに窓層及び反射防止コーティングの導入は、最高実
績を得るために必要な残件事項である。 

同上研究グループは、大きな透過損失を効果的に抑制するため、異なるバンドギャップの半導体から
なるヘテロ界面の太陽電池を透過するエネルギーの小さな2つの光子を用い、光電流を生成する新し
い太陽電池セル構造を開発。変換効率が最大で63%となる理論予測結果を示すとともに、この太陽
電池セルのユニークなメカニズムである2光子によるアップコンバージョン(エネルギー昇圧)の実
験実証に成功。実証された損失抑制効果は、これまでの中間バンドを利用した方法に比べて百倍以上
にも達しており、その有効性が明らかにする。今後、最適な材料を利用した太陽電池セル構造の設計
を進め、変換効率に係る性能評価を進めることで、発電コストを大幅に引き下げることができる新し
い超高効率太陽電池としての応用が期待されている。

  Apr. 7, 2017

※ 参考:「特集|中間バンド型量子ドット太陽電池」(環境工学研究所 WEEFオールソーラシステム Code
       No.20130306_01
※ 特開2015-228413  高変換効率太陽電池およびその調製方法 国立大学法人神戸大学 2015年12月17日


【RE100倶楽部:オールソーラー篇】

● カーボンナノチューブ空気電池リチウム電池 リチウムイオン電池の15倍

 今月5日、物質・材料研究機構 (NIMS) の研究チームは、リチウム空気電池の空気極材料にカーボン
ナノチューブ (CNT) を採用することで、従来のリチウムイオン電池の15倍に相当する極めて高い蓄
電容量を実現したことを公表。蓄電池は、電気自動車用電源として、あるいは太陽電池と組み合わせ
た家庭用分散電源として欠かせないが、現状のリチウムイオン電池は、小型で高電圧、長寿命という
優れた特性にもかかわらず、蓄電容量に相当するエネルギー密度がほぼ限界に達している。この壁を
突破する切り札としてリチウム空気電池がある。リチウム空気電池は二次電池の中で最高の理論エネ
ルギー密度を有する「究極の二次電池」であり、蓄電容量の劇的な向上と大幅なコストダウンが期待
されているが、従来の研究は少量の材料で電池反応を調べる基礎研究が中心であり、実際のセル形状
において巨大容量を実証した例がなかった。


今回、同研究チームでは、現実的なセル形状において、単位面積当たりの蓄電容量として30 mAh/cm2
という極めて高い値を実現。この値は、従来のリチウムイオン電池 (2 mAh/cm2 程度) の15倍に相
当するものです。この成果は、空気極材料にカーボンナノチューブを用い、空気極の微細構造などを
最適化することによって得られた。巨大容量の実現には、カーボンナノチューブの大きな表面積と柔
軟な構造が寄与していると考えている。また、このような巨大容量が得られたという事実は、従来の
考え方では説明が困難であり、リチウム空気電池の反応機構の議論にも一石を投ずる可能性があると
する。今後、この成果を活用し、実用的なレベルでの真に高容量なリチウム空気電池システムの開発
を目指し、セルを積層したスタックの高エネルギー密度化、さらには空気から不純物を取り除くとい
った研究にも取り組んでいく。

 

  Mar. 11, 2017

【RE100倶楽部:オールソーラー篇】

● 上海に人口2千4百分の食糧を養う垂直型都市農園構想

国際建築会社の佐々木氏は、上海の急上昇するスカイサーフの中で、壮大な100ヘクタールの都市農場
計画を発表。このプロジェクトは、都市農業の世界における革新、交流、教育の中心地として機能し
ながら、約2,400万人の人々の食糧需要に対応する巨大農業研究所である。

Sunqiao Urban Agricultural District(サンチャオ都市農業市街区)は、、都市の多くの塔の間にうまく収ま
る垂直農場で構成さ、光沢のある金属とガラスの街並みに調和した緑色を加える。不動産価格が垂直
的な建物をより手頃な価格な上海のような都市では、都市の農場のレイアウトは、藻場の養殖場、浮
遊温室、垂直の壁、さらには種子図書館など、さまざまな舞台有す各々の建物でカウントされ、プロ
ジェクトに水耕栽培システムと水生生物システムなどの異なる農法が組み込まれている。

マスタープランは教育だけでなく大規模な食糧の生産供給するように設計。 Sunqiaoは持続可能な農
業を都市の成長にとって重要要素として位置づ、このアプローチは、より持続可能な食糧ネットワー
クを積極支援しながら、レストラン、市場、料理アカデミー、コミュニティプログラムを通じて、都
市生活の質を向上させ、都市が拡大し続けるにつれて、都市と田舎の間の二分法に挑戦しなければな
らない。 サンチャオはそのための実証プランであると佐々木氏は話す。

そうか、そうなんだ。時代はすっかり"エネルギーフリー世界を語ろう。" なんだ。ここは突っ走しる
しかない。

  Mar. 20, 2017

 

  ● 今夜の一曲

ダイアナ・クラール(本名:ダイアナ・ジェーン・クラール(Diana Jean Krall), 1964年11月16日 - )
は、カナダ出身の女性ジャズ・ピアニスト、歌手。1990年代以降に最も成功したジャズ歌手の一人と
して、1999年から5度のグラミー賞を獲得。夫はミュージシャン エルヴィス・コステロ。「ならず者
」(ならずもの、Desperado)は、イーグルスが1973年に発表した同名セカンドアルバムのタイトル。
トラック。リンダ・ロンシュタットをはじめ、カーペンターズが1975年にカヴァーするなど後に数々
のアーティストによってカヴァーされ、映画やテレビなどにも頻繁に使われる楽曲となる。歌詞は、
当時266歳のドン・ヘンリーが友人へ綴った、内省的なものに仕上がっている。

 


フライドキャッフィシュサンド

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          大道は称あらず、大弁は言わず、大仁は仁ならず、大廉は賺(れん)
          ならず、大勇は忮(さか)わず――知の限界を悟ることこそ真の知

                            「斉物論」(さいぶつろん)     

                                                

      ※ 真の「道」は、概念では把握できない。真の認識は、ことばでは表現できない。
       真の愛には、愛するという意識をともなわない。真の廉潔は、廉潔であろうと努
       めない。真の勇は、他者と争わない。「道」は、道であると判断された時、「道」
             ではなくなる。ことは(概念)は成立した時、事物の実相から離れる。愛は、特
             定の対象に向けられた時、愛ではなくなる。廉潔は、意識的に行なわれれば偽り
             になる。勇を頼んでひとと争う時、勇は勇でなくなる。

     ※  つまり、人間にとって最高の知とは、知の限界を悟ることだといえる。それにしても、この
                    「不知の知」を体得することは、なんという至難のわざであろうか。もしこれを体得したも
             のがいたとすれば、その知は無尽蔵な「天の庫(くら)」にたとえることができ
       よう。いっさいを受容し、事物とともに推移して、しかもなぜそうなるのか意識
             しない、これこそ、明であることを意識しない明のであると解説する。

         ※ このように禅問答のような荘子の不可知論は難解ゆえ、二千年に一人の思想家な
       のかと思わせる傍ら滑稽さ残る。また、特権的な視点を設定しない内在的な相対
       主義と評されているが納得できる。社会が複雑化し息苦しさを増し続ける現代、
             「荘子」を読み解くことで、様々なしがらみから抜け出し自由になるヒントや、
             あるがままを受け容れ伸びやかに生を謳歌する方法として取り上げられている。




     

 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』  

   13.それは今のところただの仮説に過ぎません

  それは彼が彼女とのあいだでこれまで経験したどのようなセックスとも、まったく追っていた。
 そこには温かさと冷ややかさが、堅さと柔らかさが、そして受容と拒絶が同時に存在しているよ
 うだった。彼はそのような不思議に背反的な感触を特った。しかしそれが具体的に何を意味する
 のか、よく理解できなかった。彼女は彼の上にまたがって、小さなボートに乗った人が大波に揺
 られるみたいに、激しく上下に身体を動かしていた。肩までの黒い髪が、強風に煽られる柳の彼
 のようにしなやかに宙で揺れていた。抑制が夫われ、喘ぎ声も次第に大きくなった。オフィスの
 ドアをロックしたかどうか、免包には自信がなかった。したような気もするし、し忘れたような

 「避妊しなくてもいいの?」と彼は尋ねた。彼女は避妊に間しては普段からとても神経質だった。
 「大丈夫よ、今日は」と彼女は彼の耳元で囁くように言った。「あなたが心配することは何もな
 いの」

  彼女に間する何もかもが、普段とは追っていた。まるで彼女の中に眠っていた別の人格が突然
 目を覚まし、彼女の精神と身体をそっくり乗っ取ってしまったかのようだった。たぶん今日は彼
 女にとって何か特別な日なのだろうと彼は想像した。女性の身体に間しては男には理解できない
 ことがたくさんある。
  彼女の動きは時間を追ってますます大胆にダイナミックになっていった。彼女の求めることを
 妨げないようにする以外に、彼にできることは何ひとつなかった。そしてやがて最終的な段階が

 やってきた。彼が耐えきれずに射精をすると、それに合わせて彼女は異国の鳥のような声を短く
 いた。彼女は免色の唇に軽くキスをし、さあ、急いで行かなくてはと言った。既に通刻しちやっ
 ているから。そしてそのまま部屋を足早に出ていった。後ろを振り返りもしなかった。その歩き
 去っていくパンプスの靴音が彼の耳にまだ鮮やかに残っている。

  それが彼女に会った最後だった。その後一切の音信は途絶えた。彼がかけた電話にも、送った
 手紙にも返事はなかった。そしてそのニケ月後に彼女は結婚式を挙げた。というか、結婚をした
 という話を、彼は共通の知人からあとになって聞かされた。彼が結婚式に招待されなかったこと
 を、そればかりか彼女が結婚したということすら知らなかったことを、その知人はずいぶん不思
 議に思ったようだった。免色と彼女は仲の良い友人だと思われていたからだ(二人はとても注意
 深く交際していたので、恋愛関係にあることは誰にも知られていなかった)。彼女の結婚相手は
 免色の知らない男だった。名前を耳にしたこともない。彼女は自分が結婚するつもりでいること
 を免色には告げなかったし、匂わせもしなかった。彼の前からただ黙って去っていったのだ。

  あのとき彼のオフィスのソファの上でもたれた激しい抱擁はたぶん、これが最後と訣めた別れ
 の愛の行為だったのだ、と免色は悟った。免瓦はそのときのことを、あとになって何度も繰り返
 し思い返した。その記憶は長い歳月が経返したあとでも、驚くほど鮮明であり、克明だった。ソ
 ファの軋みや、彼女の髪の揺れ方や、耳元にかかる彼女の熱い息をそのまま再現することができ
 た。
  それでは免色は、彼女を失ってしまったことを悔やんでいるだろうか? もちろん悔やんでは
 いない。あとになって何かを後悔するようなタイプの人ではないのだ。自分は家庭生活に適した
 人間ではない――そのことは免色にもよくわかっていた。どれほど愛する相手であれ、他人と日
 常生活を共にできるわけがない。彼は日々孤独な集中力を必要としたし、その集中力が誰かの存
 在によって乱されることが我慢できなかった。誰かと生活を共にしたら、いつかその相手のこと
 を憎むようになるかもしれない。それが親であれ、妻であれ、子供であれ。彼はそのことを何よ
 り恐れた。彼は誰かを愛することを恐れたのではない。むしろ誰かを憎むことを恐れたのだ。

  それでも彼が彼女を深く愛していたことに変わりはなかった。これまで彼女以上に愛した女性
 はいなかったし、たぶんこれから先も出てこないだろう。「私の中には今でも、彼女のためだけ
 の特別な場所があります。とても具体的な場所です。神殿と呼んでもいいかもしれません」と免
 色は言った。

  神殿? それは私にはいささか奇妙な言葉の選択のように思えた。しかしそれがたぶん免色に
 とっての正しい言葉なのだろう。
  免色はそこで話をやめた。細部までとても詳しく具体的に、彼はその個人的な出来事を私に語
 ったわけだが、そこにはセクシュアルな響きはほとんど聴き取れなかった。まるで純粋に医学的
 な報告書を、目の前で朗読されているような印象を私は持った。というか、実際にそのようなも
 のだったのだろう。

 「結婚式の七ケ月後に、彼女は東京の病院で無事に女の子を出産しました」と免色は続けた。
 「今から十三年前のことです。その出産のことも実を言えば、私はずっと後になって人から間い
 て知ったのですが」
  免色は空っぽになったコーヒーカップの内側をしばらく見下ろしていた。まるでそこに温かい
 中身がたっぷり入っていた時代を懐かしんでいるみたいに。
 「そしてその子供は、ひょっとしたら私の子供かもしれないのです」と免色は絞り出すように言
 った。そして個人的意見を求めるように私の顔を見た。

  彼が何を言わんとしているのか、それが呑み込めるまでに少し時間がかかった。

 「時期的には合っているのですね?」と私は尋ねた。
 「そうです。時期的にはぴたりと符合しています。私のオフィスで彼女と会ったその日から、九
 ケ月後にその子供が誕生しています。彼女は結婚する直前、おそらく受胎がもっとも可能な日を
 選んで私のところにやってきて、私の精子を――なんと言えばいいのだろう――意図的に収集し
 ていったのです。それが私の抱いている仮説です。私と結婚することは最初から期待していなか
 ったけれど、私の子供を産むことを彼女は決意していた。そういうことではなかったかど」 
 「でも確証はない」と私は言った。
 「ええ、もちろん確証はありません。それは今のところただの仮説に過ぎません。しかし根拠の
 ようなものはあります」
 「でもそれは彼女にとって、ずいぶん危険な試みですよ」と私は指摘した。「もし血液型が違っ
 ていれば、あとになって父親が違うとわかってしまうかもしれない。そんな危険をあえて冒すで
 しょうか?」
 「私の血液型はA型です。日本人の多くはA型だし、彼女もたしかA型です。なんらかの理由が
 あって本格的なDNAの検査をしない限り、秘密が露見する可能性はかなり低いはずです。彼女
 にはそれくらいの計算はできます」
 「しかしその一方で、その女の子の生物学的父親があなたであるかどうかということも、正式な
 DNAの検査をしないかぎり判明しない。そうですね? あるいは母親に直接尋ねてみるか」
 免色は首を振った。「母親に尋ねることはもはや不可能です。彼女は七年前に亡くなりました」
 「お気の毒です。まだお若いのに」と私は言った。

 「山の中を散歩しているときに、何匹ものスズメバチに刺されて死にました。もともとがアレル
 ギー体質で、蜂の毒素に耐えられなかったのです。病院に運ばれたときには既に息がなかった。
 誰も彼女にそんなアレルギーがあったことを知りませんでした。たぶん本人も知らなかったはず
 です。あとにはご主人と、娘が一人残されました。娘は十三歳になります」

  妹が死んだのとほぼ同じ歳だ、と私は思った。
  私は言った。「その女の子があなたの子供であるかもしれないと推測する根拠のようなものを、
 あなたはお持ちになっている。ということでしたね?」
 「彼女の死後しばらくして、私は突然、死者からの手紙を受け取ったのです」と免色は静かな声
 で言った。


  ある日彼のオフィスに、聞き覚えのない法律事務所から大型の封筒が、内容証明付きで送られ
 てきた。中にはタイプされた二通の書簡(弁護士事務所の名前入り)と、談いピンク色の封筒が
 ひとつ入っていた。法律事務所からの手紙は弁護士の署名付きのものだった。「****(かつ
 ての恋人の名前だ)様がら生前にお預かりした書簡を同封いたします。****様はもし自分か
 死亡するようなことがあれば、この書簡を貴殿に郵送するようにという指示を残しておられまし
 た。ちなみに、貴殿以外の目には絶対に触れることがないように、という注意書きも添えられて
 おりました」

  そういう趣旨の書簡だった。そして彼女の死の経緯が簡単に、ごく事務的に記されていた。免
 色はしばらく言葉を失っていたが、やがて気を取り直し、鋏を使ってピンク色の封筒の封を切っ
 た。手紙は青いインクを使った自筆で、便箋四枚に及んでいた。彼女はとても美しい字を書いた。



  免色は文面をそっくり覚え込んでしまうまで、その手紙を何度も何度も読み返した(そして彼
 は実際その文面を、私に向かって最初から最後まで淀みなく暗唱してくれたのだ)。その手紙に
 は様々な感情と示唆が光となり影となり、陰となり陽となり、複雑な隠し結となって描き込まれ
 ていた。もう誰も語すことのない古代言語を研究する言語学者のように、彼は何年もかけてその
 文面に潜むあらゆる可能性を検証した。ひとつひとつの単語や言い回しを取り出し、様々に組み
 合わせ、交錯させ、順序を入れ替えた。そしてひとつの結論に達した。彼女が結婚して七ケ月後
 に生んだ女の子はまず間違いなく、あのオフィスの革張りのソファの上で免色とのあいだに宿っ
 た子供なのだと。
                                  

 ● 今夜のアラカルト

Menu : Fried-Catfish Sandwiches with Spicy Mayonnaise

コーン・ミールの衣で鮮明な揚げたキャッシュフィシュにペッパーマヨネーズを添えたスタイリ
ッシュな肉厚のロールで美味しいサンドイッチ。熱々で安くてジューシーなナマズのサンドだ。
今夜はこれで決まりだ。

 ● 今夜の一曲

 Backstreet Boys   Shape Of My Heart

バックストリート・ボーイズ(Backstreet Boys、BSB)は米国の5人組ポップ・アイドル。日本で
は主にビーエスビー(BSB)やバックスと呼ばれている。1995年デビュー。CD総売り上げは1億3
千万枚を超えるスーパーボーイズグループ。代表曲は「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェ
イ」「エヴリバディ」「君が僕を愛するかぎり (As Long As You Love Me)」「シェイプ・オブ・
マイ・ハート」 など多数。映画『レオン』のエンディングで使われた曲「shape of my heart」と
して有名である。

 

 

エネルギーフリー社会を語る。

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           わが生や涯りあり、而して知や涯りなし                            

                                      「養生主」(ようせいしゆ)     

                                                

       ※ なにも、世捨人になることではない。世俗に生きつつ同時に世俗を超越する
        ことこそ真の超越である。煩雑で桎梏(しつこく)多きこの現実の世に、自
       己の生を全うするにはどうするか。「生を養うための主(根本原理)」を説
       くのがこの篇であり、荘子の処世知がここに濃縮されている。

      ※ 知に従えば安らぎはない

             人間の生命には限りがあるが、知のはたらきには限りがない。生命のこの有
              限性を度外視して、知の赴くままに無限を追究すれば、安らぎは訪れるはず
       がなかろう。われわれは、この道理を承知していながら、しかも知から離れ
       ることができない。われわれは知をはたらかせては善悪をあげつらう。だが、
       善といい悪といっても、それは名声や刑罰を基準にした評価にすぎない。だ
       からこのような善悪にとらわれず、自然にのっとり、自然のままに生きるこ
       とだ。それでこそ、安らかで充実した生涯を送ることができるのである。

 

 

  Apr. 14, 2017

● 世界初 筒状炭素分子「カーボンナノベルト」の合成に成功

14日、6個の炭素原子でできた正六角形の構造が環状につながった新しい分子「カーボンナノ
ベルト」の作製に、名古屋大学の研究チームが成功した。60年前に存在が予言されたが誰も作
れなかった「夢の分子」で、半導体や発光材料など様々な応用が考えられるという。14日付の
米科学誌サイエンスで発表。伊丹健一郎教授(合成化学)らが作製したカーボンナノベルトは、
正六角形の構造が12個つながり、直径約100万分の1ミリの環状になっている。これまで正
六角形が帯状につながったものを丸めて環状にする研究が進んでいたが、六角形構造をひずませ
るのが隘路だったが、六角形構造が出来上がっていない段階で先に環状にすることで、課題を解
決。ナノベルトに炭素原子を付け足す反応を繰り返せば、筒状の分子「カーボンナノチューブ」
も作製できる。ナノチューブは様々な応用が進んでいるが、現在の作製方法だと太さがそろわず
性質もバラバラのでもできてしまう。ナノベルトを元にすれば、太さのそろったナノチューブを
つくることも可能。化学者が夢見ていた分子をつくることができた。未知の機能が見つかる可能
性もあると話す。


♞ Synthesis of a carbon nanobelt, Kenichiro Itami et al. Science  14 Apr 2017:Vol. 356, Issue 6334,
        pp. 172-175 DOI: 10.1126/science.aam8158

この成果により、「カーボンナノベルト」は今後のナノカーボン科学を一新する分子です。今回
得られたカーボンナノベルトは赤色蛍光を発する有機分子(上図)で、発光材料や半導体材料と
して各種電子デバイスに搭載できる可能性があります。さらに、カーボンナノベルトをテンプレ
ートにした製法で単一構造のカーボンナノチューブが得られれば、軽くて曲げられるディスプレ
イや省電力の超集積CPU、バッテリーや太陽電池の効率化など、非常に幅広い応用が期待され
るとのこと。なにやらギュウギュウと濃縮されている状態ですね。新星誕生前夜の予感。



【量子ドット工学講座36】

● ペロブスカイト薄膜太陽電池で変換効率60%超の可能性

パデュー大学の研究チームは、ペロブスカイト系材料を用いた薄膜太陽電池で、変換効率60%
超を実現できる可能性がある。従来のシリコン太陽電池では発電に利用することが困難だった思
われていた「ホットキャリア」と呼ばれる高エネルギーの電荷を利用できるので変換効率の大幅
に向上する可能性があるとする。ところで、シリコン太陽電池の変換効率には「ショックレー=
クワイサー限界」と呼ばれる理論限界があり、単接合の場合、およそ33%が変換効率の上限。
変換効率制限要因の1つとして、高エネルギー状態の電荷であるホットキャリアの寿命が極めて
短いため、ホットキャリアのエネルギーを太陽電池外部に電流として取り出す前にエネルギーが
熱に変換され失われる。

♞ Long-range hot-carrier transport in hybrid perovskites visualized by ultrafast microscopy, Science  07
        Apr 2017:  Vol. 356, Issue 6333, pp. 59-62 DOI: 10.1126/science.aam7744  

太陽電池のバンドギャップを超えるエネルギーをもった光が入射すると、電子または正孔が高エ
ネルギー状態に励起し、ホットキャリアが生成されるが、シリコン太陽電池の場合、ホットキャ
リアの寿命は1ピコ秒程度と極めて短く、その間にホットキャリアが移動距離は最大でも、10
ナノメートル程度しかないため、ホットキャリアのエネルギーは電流として外部に取り出す
ことができず、太陽電池の内部で熱に変わる。

研究チームは、レーザーを用いた超高速過渡吸収顕微鏡法で、ペロブスカイト薄膜(ヨウ素、鉛、
メチルアンモニウムのハイブリッド材料)のホットキャリアの動きと速度の測定した結果、ペロブ
カイト薄膜では、ホットキャリアの寿命が100ピコ秒程度まで伸び、その移動距離が200ナ
ノメートル超に達することを確認する。このことで、ペロブスカイト系薄膜太陽電池では、ホッ
トキャリアの移動距離が太陽電池の膜厚以上になるため、電流として外部に取り出せる可能性が
ある。ホットキャリアを利用した場合の太陽電池の変換効率は60%以上になり、従来のシリコ
ン太陽電池の理論限界のおよそ2倍の値まで向上できる。研究チームは、次の研究課題として、
ホットキャリアを外部回路に抽出するための適切な電極材料・構造の開発を挙げている。また、
商用化を考えたときには、ペロブスカイト薄膜で使用されている鉛を、より無害な他の材料で代
替する必要があるとしている。

● 材料とデバイスの特性


尚、量子ドット太陽電池の開発では「ホットキャリアを外部回路に抽出するための適切な電極材
料・構造の開発が進行中である。最速で特許取得チームはどこだ?! 



【「電力会社を破壊する技術」に投資する東電の理由】

● 東電HD、英の蓄電池制御ベンチャー・モイクサに3%出資

今月4日、東京電力ホールディングスは、英モイクサ――モイクサは2006年に創業したベンチャ
ーで、一般住宅向けに太陽光発電と蓄電池を組み合わせたシステムを提供している――への出資
を発表。蓄電池には、昼間に太陽光で発電して使いきれなかった電気や、料金が安価な夜間の電
気を貯めておく。この電気を料金が高い昼間や、太陽光が発電しない夜間に使うことで、電力会
社に支払う電気料金を引き下げることが可能になる。こうした使い方は「ピークシフト」と呼ば
れる。日本では、太陽光発電による電気は「固定価格買取制度」(FIT)を活用し、地域の大手電
力会社に固定価格で買い取ってもらうのが一般的だ。これは大手電力会社の電気料金よりもFITの
買取価格の方が高いため、太陽光による電気を自分で使う(自家消費)よりも、FITで売電した方
が得する。 

 Apr. 6, 2017
ところが海外では、FITの条件の切り下げや制度自体の廃止によって、太陽光による電気を自家
消費した方が得になるケースが出てきている(蓄電池導入で「安い電力」になってきた太陽光、
日経ビジネスオンライン、2017.04.11
)。この時、蓄電池を組み合わせてピークシフトすること
で、太陽光による電力を余す所なく活用できる。太陽光発電や蓄電池の価格が安くなってきたこ
とで、やりようによっては、これまで電力会社に支払ってきた電気料金よりも、トータルのエネ
ルギーコストが安くなる。いま、世界各国で太陽光の自家消費と蓄電池を組合せたシステムを提
供するサービス事業者が誕生しつつある。

● モイクサの蓄電池システムは10年で投資回収可能

モイクサは英国で350の家庭に蓄電池システム「Maslow」を販売した実績があった。Maslowの特
徴は、コンパクトで安価であること。中国製のリン酸鉄型リチウムイオン電池を採用、容量2kWh
で2000ポンド(約28万円)。現在、米テスラが販売しているリチウムイオン電池「パワーウオ
ール」が7kWh以上の容量であることを考えると、容量は3分の1以下と小さい。蓄電池は安く
なったといっても、まだまだ高価な商品だ。ライトCTOは、「テスラの電池は家庭向けには大き
すぎる。電気料金を引き下げるのが目的なら2kWhで十分」と説明。初期投資が安くなれば、導入
へのハードルも低くなる。✪モイクサの試算では、ピークシフトによる電気料金の節約額は年間
80~130ポンド(1万1000~1万8000円)。これだけだと、蓄電池システムの投資回収に15~25年か
かる計算。多くのメーカーが蓄電池システムの保証期間を10年に設定していることから、投資回
収は少なくとも10年以内にする必要がある。

そこで登場するのが「VPP」である。モイクサは複数の顧客の蓄電池に溜まっている電気を遠隔
制御することでアグリゲーションし、あたかも1つの発電所であるかのように取り扱う。こうし
て集めた電気を、例えば、英国の系統運用機関であるナショナルグリッドが運用する「アンシラ
リーサービス」への入札や卸電力市場で取引する。そこで得た対価を蓄電池利用者に分配する。
アンシラリーサービスとは、電力網を運用する系統運用機関が周波数を調整し停電を防ぐために
実施する周波数調整市場である。

そこで、モイクサは取材当時、VPP運用によって得られる対価分として、年間76ポンド(約1万
円)を固定価格で5年間支払う。ピークシフトとVPP運用による対価を合算すると、1軒当たり
年間で約200ポンドの節約となり、顧客は蓄電池の初期投資を約10年で回収できる計算になる。
英国も再生可能エネルギーの導入量が増加しており、系統安定化コストは増加傾向にある。今後、
周波数調整市場の価格は上昇していくと見られている。そうなれば、モイクサのVPP運用による対
価も上昇し、蓄電池のコスト回収期間も短くなると予想している。

「国の意向もあり出資したという事実が非常に重要」。ある東電関係者は、こう明かす。となれ
ば、わずか3%、7000万円の出資にも合点がいく。東電グループの再建計画「新・総合特別事業
計画」が3月末に区切りを迎えるタイミングであったことも、矢継ぎ早に出資を決めたことと相
反しない(モイクサへの出資は3月31日で、4月4日は発表日)。日本は今後、人口減少や省エ
ネの進展、分散電源の導入拡大によって、電力需要は減少していく。これは抗いようのない事実
だ。であるならば、大手電力会社は長年培ってきたビジネスモデルを変革していくことが必要と
館柄れている。東電HDのモイクサへの出資が、仮に「出資ありき」の意思決定だったとしても、
近い将来、モイクサのようなビジネスモデルへの取り組みを求められる日が必ずやってくる。既
存ビジネスによる売り上げを失うことがあったとしても、企業としてさらなる成長を求めるので
あれば避けては通れない(東電が出資した「電力会社を破壊する技術」日経エネルギーNext,
2017.04.14)。

  ● 今夜の一曲

✪ 毎日、毎日、エネルギー関係のニュースが飛び込みできるだけ、大切なことはコミットしてきてい
  るが、ここにきて心身とも疲れがとれないでいる。ひこにゃんが11歳の誕生日を迎えて「ひこに
  ゃん、エネルギーフリー社会を語る」というヘッドラインが頭を過ぎる。関連する、振興事業も見
  えているものの、具体的な行動は、日々の情報処理に追われ、手づかずにいる。誰か力を貸してく
  れ "I don't want to miss a thing." と悲鳴をあげる自分がいる。午後4時すぎ久しぶりに、二人
  で「徳兵衛」へ出かける。客は二人、後から二人入ってくるものの、貸し切り状態。注文もスマー
  トパッドで入力。様変わりに驚く。ネタは新鮮で、持ち帰り二人分買ってご機嫌で帰ってくる。息
  子たちも絶賛していた。

  Mar. 17, 2017

さてチャチャバックを揃えた。

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          沢雉(たくち)は十歩に啄(たく)し、百歩に一飲するも、
          樊(はん)中に畜(やしな)わるるを蘄(もと)めず   
                         
                                        「養生主」(ようせいしゆ)     

                                                

       ※ 片足こそ自由:右師(うし)は足切りの刑にあって片足をなくした男である。
              この右師に伺年ぷりかで会った旧友の公文軒は、思わずたずねた。「いった
              いどうしたのだ、その足は?どうしようもなかったのか、まさか刑罰にあっ
              たのでは……」/右師は答えた。「なにも驚くことはない。お察しのように
       おれは刑を受けた。だが今のおれにいわせれば、受刑もまたおれの負ってい
       る迎合の一部で、人力では動かし難いことなのだ。天がおれを片足に生まれ
       つかせたまでのこと。人間は片足に生まれつこうとして片足になれるもので
       はない。おまえのそのふたつの足も、おまえがどう思おうと天与のものだ。
       してみればおれが片足になったのは天命で、人間の力でどうなるものでもな
       い。おまえに錐の気持がわかるだろうか。かれらは餌をあさり水を探してさ
       んざん野山をかけまわる。なんともご苦労な話だが、それでも篠の中に飼わ
       れようとはしないのだ。たらふく食ったとて、籠の中が窮屈なことを知って
       いるからだ。片足になってみて、おれははじめて自由とはどういうものかを
       悟ったよ」

      ※ 一見すると、補償行動のようにとれるが、何ともすさまじい克己行動である
              ことか。「一つの行動は原則として志向的である」というサルトルの「対自」
       の概念が脳裏に浮かぶ(『存在と無』、第三節 行動の問題 1.行動と自
       由)。つまり、何らかの意図を持ち、その意図を志向的に実現していくこと
       が行動であり、まさに、この点において行動は、「物理的な運動や生物学的
       な反応」と明らかに区別される。なぜなら、「運動や反応」においては特定
       の原因が先行し、それによって全てが因果的に決定されるのに対して、行動
       は「まだ実現されていない意図・目的」を生み出し、それらを志向的に実現
       していくことだからであるとする。荘子とサルトルにおいて相反するかに見
       えて、右師の説話を介し一致すると。今夜、そのことに気づく。


 

 

  ● 今夜の一曲

「桜花爛漫」(おうからんまん)は、KEYTALKの楽曲、メジャー5枚目(通算8枚目)のシン
グル。2015年4月29日にGetting Betterから発売。前作「FLAVOR FLAVOR」から約1か月後に発
売され、KEYTALK史上最短のインターバル。またこれまでの作品にあった初回限定盤などの特
典などは無く、表題曲と既存曲のライブ音源が収録され、販売価格が500円(税抜)のワンコイ
ンプライスで販売。初のアニメタイアップがついた作品(オープニングテーマ)で同アニメのエ
ンディングテーマを担当しているパスピエの通算4枚目のシングル「トキノワ」と同日発売。今
作品で、フジテレビ系音楽番組「魁!音楽の時間」に初出演、表題曲を披露(初の地上波音楽番
組の初パフォーマンス)。

 

【百名山踏波記:2017年篇】

● さて、チャチャバックを揃えた。後は体調と天気次第

久しぶりに、三井アウトレットパーク・滋賀竜王にでかけ、モンベル(218)で、1泊2日(
野営なし)用のチャチャバック――フィールドでの機能性と快適性を兼ね備えた軽量モデル。フ
ロント下半分が大きく開くU字型ジッパーやパックカバーを内蔵、多彩な機能を備えている。最
適な重量バランスの設定や、背面に使用した通気性に優れる部材が快適な背負い心地を実現。北
方四島・国後島最高峰で、国後富士の異名を持つ「爺爺岳(ちゃちゃだけ)」が名前の由来。つ
くることも可能――を購入する。

✪ 仕様

【素材】本体:(正面・トップリッド):100デニール・バリスティック®ナイロン・トリプルリ
    ップストップ[ウレタン・コーティング](底部、側面):210デニール・ナイロン・リッ
    プストップ[ウレタン・コーティング] 裏地:70デニール・ナイロン・リップストップ
    [ウレタン・コーティング] 背面:ナイロンメッシュ、E.V.A.フォーム
【重量】1.32キログラム
【色彩】ゴールデンオレンジ(GDOG)
【容量】35リットルL(高さ72×幅31×奥行き21センチメートル)
【背面寸法】53センチメートル
【機能】調整可能なトップリッド/隠しポケット/デルタリッド/サイドストラップ/ピッケルスト
    ラップ(樹脂)/2ウェイワンドポケット/ヒップベルトポケット/パックカバー付き/チ
    ェストサポート


 



● 高密度パッキング

 

トレッキング前のバックパックを待つのは、荷物を詰め込むパッキングの作業だ。 内部にギア、
ウエア、食料、水などを理想的に配分していくには、大切なボイントがいくつかある。❶歩きや
すさを考えた「重量バランス」、❷バックパックから荷物をあふれさせない「コンバクトさ」、
❸必要なものかすぐに使える「取り出しやすさ」。荷物はバックバック内で左右の豊さが均等に
なるように心がけ、重いものは背中近く、軽いものは外側か下部に入れる。こうすると体とバッ
クパックの重量バランスが向上し、体が左右に振られたり、後ろに引っ張られる感覚がなくなっ
て、体への負担が減る。コンパクトにするために、ウエアのようにかさばるものはできるだけ圧
縮し、マットからは完全に空気を抜いておく。食料の不必要なパッケージは、あらかじめ捨てる。
これはゴミの削減にもつながる。

バックパック内部には隙間が生まれないように、力いっぱい押し込む。壊れやすいサングラスな
どはハードケースを利用し、チューブ入りのものはガッチリ蓋を締めておく。 ただし、突然使
う機会か訪れるレインウェアやトイレットペーバー、休憩ごとに□にする行動食や地図は、取り
出しやすいバックバック上部や雨蓋のボケットヘ。 最後にバックバックの上からバシバシ叩く
と、形か整う(高橋正太郎 著 「トレッキング実践学」エイ出版社 )。

 

● アサリか塩豚ネギにするか迷う桜花爛漫

三井アウトレットパーク・滋賀竜王の帰り、国道八号線は雨模様。折角の桜花爛漫も台無しと思
いながら、ビバシティ彦根に向かい、エディオンに立ち寄ったついでに、レストン街で二人で昼
食をとる。今が旬のアサリ饂飩を食べたくなったので、「はなまるうどん」(本社:東京)のメ
ニューをみて「塩豚ねぎうどん」に変更し頂く、柚子胡椒(柚子と青唐辛子を和えた香辛料)で
頂くのだが、これが結構美味い。たぶん、家で自己流にアレンジして創作してみようと考えた。
面倒臭がりのこのわたしでも簡単に作れるだろうと。アレンジするとしたら、ここに、ロースト
ガーリックフレークを加えコクをだすことにしている。手先は器用な方だから料理に関しては変
な自信を持っている。話は創作料理のことではない。アサリやシジミ、ハマグリなどの貝類を、
自然の後背力豊かな滋賀県で養殖しようという事業化のアイデアがふと湧いた。貝類は運動量が
小さく、内陸部での無給餌型養殖にもってこい。水温、湿度、水流、浸透圧(ミネラル濃度)、
水質、溶存期待、昭明(光)の完全室内管理型養殖法で高密度生産可能であろうと。因みに、貝
類養殖は、カキとホタテの2つが主流をしめる。例の「オールソイタウン構想」のような構想で
紹介したようなもの。


貝類もそれほど活発に運動しないので、❶いかだから貝がついたロープやワイヤを垂らして養殖
する垂下式と呼ばれる方法が主流となっている。❷ロープ等に貝を付ける方法としては、貝を直
接ぶら下げる耳づり式養殖や、❸ロープ等からぶら下げたネットの中に貝を入れるネット式養殖、
❹貝が自ら何かに付着する性質を利用してぶら下げた貝殻等に付着させる方式等があり、貝の種
類や大きさに合わせて適切な方法が利用されている。カキ養殖では付着させる方式が主流。ホタ
テガイ養殖では、稚貝の時はネット式、成長すると耳づり式と方法を組み合わせて養殖。近年注
目されているアサリ養殖ではアサリをコンテナに入れて垂下する方法が開発されている。貝類は
微小なプランクトンを餌としており、潮流に乗ってやってくる天然のプランクトンがそのまま餌
となる。また、❺沿岸域に稚貝を放流し、収穫時期が来たら収穫する地まき式による養殖方法が
ある。これは、稚貝を海に放流し自然に近い状況で成長させるもので、天然と養殖の境界線上に
位置していると考えられている。もっとも、貝類養殖は国内でも研究が進んでいる(モロッコで
研究センタ建設計画もある)。

 

 

まあ、これは思いつきだがら、今夜のところがこの辺で切り上げる。

セザンヌの絵のような展開

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               時に安んじて順に処(お)れば、哀楽入る能わず             
                         
                                        「養生主」(ようせいしゆ)     

                                                 

       ※ 死者を悼むのは背理:秦失(しんしつ)は、年来の友老聃(ろうたん)の訃
       報に接して弔問に出向いた。かれは霊前で三たび声をあげて泣いただけで、
       そのまま席を立った。そのそっけない態度をみて、老聃の弟子は秦失をなじ
       った。

       「あなたは故人とは旧知の間柄ではありませんか」
       「そうだとも」
       「親友のあなたがそんな弔いかたでいいのでしょうか?」
       「いいとも。わたしはひごろ、みなさんの先生を尊敬するに足る人物と信じ
       てつき合ってきた。しかしそれは間違いだったよ。さっき奥の問に通されて
       みると、老いも若きもまるで自分の肉親をなくしたように泣いていた。あな
              た方は、それが自然の情だと思っているに違いない。だが実は、故人がつね
              づねあなた方の同情をひくような言動をとっていたからではないのか。むろ
              んかれは、おくやみを言ってくれとは言わなかったろうし、泣いてくれとも
              言わなかったろう。しかし結局のところ、かれは無言のうちにそれを求めて
              いたのだ。

       かれは天の理法から逃れようとし、人間の自然なあり方に背いたのだ。人間
       の生が与えられたものであることを忘れて生に執着することを、昔の人は天
       理を逃れようとする罪といった。あなた方の先生がこの世に生まれたのは、
       生まれるべき時にめぐりあわせたからであり、この世を去ったのは、去るべ
       き必然に従ったまでではないか。時のめぐりあわせに安んじ、自然のなりゆ
       きに従っていけば、いっさいのとらわれから解き放たれよう。こういう境地
       に達した天理を、背の人は天帝から首枷(かせ)を解かれた人間といった。
       ひとつひとつの薪は燃えつきてしまうが、火は水沼に燃えつづけてゆくのだ」

 

     

 読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』  

   13.それは今のところただの仮説に過ぎません 

  「私は懇意にしている弁護士事務所に依頼し、彼女の遺した女の子について調査させました」と
 免色は言った。「彼女の結婚した相手は彼女より十五歳年上で、不動産業を営んでいます。不動
 産業といっても、夫は地元の地主の息子で、自分か相続し所有している土地や建物の管理が業務
 の中心になっています。もちろんほかの物件もいくつか取り扱ってはいますが、それほど幅広く
 積極的に仕事をしているわけではありません。もともと働かなくても生活に不自由はしないくら
 いの財産はあります。女の子の名前はまりえといいます。平仮名の『まりえ』です。七年前に妻
 を事故で失った後、ご主人は再婚していません。ご主人には独身の妹がいて、今のところその人
 が同居して、家事なんかをしてくれているようです。まりえは地元の公立中学校の一年生になっ
 ています」

 「そのまりえさんにお会いになったことはあるのですか?」

  免色はしばらくのあいだ黙して言葉を選んでいた。「離れたところから顔を目にしたことは何
 度かあります。でも言葉を交わしたわけではありません」

 「ご覧になってどうでした?」
 「顔が私に似ているか? そんなことは自分では判断できません。似ているといえばすべてが似
 ているように思えてきますし、似ていないといえばまったく似ていないようにも思えます」
 「彼女の写真はお持ちですか?」
 免色は静かに首を振った。「いいえ、持っていません。写真くらいは手に入るはずですが、私
 はあえてそういうことを望まなかったのです。写真を一枚、財布に入れて持ち歩いたところで何
 の役に立つでしょう? 私が求めているのは――」
 しかしそのあとの言葉は続かなかった。彼が口をつぐむと、そのあとの沈黙を虫たちの販やか
 な声が埋めた。
 「でも免色さん、あなたは先ほどたしか、自分は血縁というものにまったく興味を持っていない
 とおっしやいました」
 「そのとおりです。私はこれまで血縁というものに興味を持つことはありませんでした。むしろ
 そういうものからできるだけ遠ざかりたいと思って生きてきました。その気持ちは今も変わりま
 せん。しかしその一方で、私はこのまりえという娘から目を離すことができなくなったのです。
 彼女について考えることを単純にやめられなくなってしまったのです。理屈もなにもなく……」
  
  口にするべき言葉が私にはみつけられなかった。

  免色は続けた。「こんなことはまったく初めての経験です。私は常に自分をコントロールして
 きましたし、そのことに誇りを持ってもきました。でも今ではI人きりでいることを、時として
 つらく感じることさえあります」
  私は思い切って白分か感じていることを口に出した。「免色さん、これはあくまで直観に過ぎ
 ないのですが、そのまりえさんに関して、あなたはぼくに何かをしてほしいと考えておられるよ
 うに見えます。ぼくの思い過ごしでしょうか?」
 免色は少し間を置いてから肯いた。「実際、どう申し上げればいいのか

  そのときに私は突然気がついたのだが、あれほど賑やかだった虫の声が今ではすっかり消えて
 いた。私は顔を上げ、壁の時計に目をやった。一時四十分過ぎだった。私は人差し指を唇にあて
 た。免色はすぐに黙った。そして我々は夜の静寂の中に耳を澄ませた。

 

  14.しかしここまで奇妙な出来事は初めてだ

  私と免色は話を中断し、身体の動きを止めて宙に耳を澄ませた。虫たちの声はもう聞こえなか
 った。一昨日、また昨日とまったく同じように。そしてその深い沈黙の中に、私はあの微かな鈴
 の音を再び耳にすることができた。それは何度か鳴らされ、不揃いな中断をはさんでまた鳴らさ
 れた。私は向かいのソファに座った免色の顔を見やった。そしてその表情から、核心また同じ音
 を聞き取っていることを知った。核は眉間に深いしわを寄せていた。そして膝の上に置いていた
 手を僅かに宙に上げ、その鈴の音に合わせて指を小さく動かしていた。それは私の幻聴ではなか
 ったのだ。

  二分か三分、その音に真剣な面持ちで耳を澄ませてから、免色はゆっくりソファから立ち上が
 った。

 「音のするところに行ってみましょう」と核は乾いた声で言った。
  私は懐中電灯を手に取った。核は玄関から外に出て、ジャガーの中から用意してきた大型の懐
 中電灯を取りだした。そして我々は七段の階段を上り、雑木林の中に足を踏み入れた。一昨日は
 どではないが、秋の月の光がかなり明るく我々の足もとを照らしてくれた。我々は祠の裏側にま
 わり、ススキをかき分けるようにして石の塚の前に出た。そしてもう一度耳を澄ませた。その謎
 の音は疑いの余地なく、石の隙間から漏れ聞こえてくるようだった。

  免色はその石のまわりをゆっくり歩いてまわり、懐中電灯の明かりで石の隙間を注意深く点検
 した。しかしとくに変わったところは見当たらなかった。苔の生えた古い石が雑然と積み重なっ
 ているだけだ。彼は私の顔を見た。月明かりに照らされた免色の顔は、どことなく古代の仮面の
 ように見えた。あるいは私の顔も同じように見えるのだろうか?

 「音が聞こえてくるのは、前もこの場所だったのですか?」と彼は声を殺して私に尋ねた。
 「同じ場所です」と私は言った。「まったく同じ場所です」
 「この石の下で誰かが、鈴らしきものを鳴らしているみたいに私には聞こえます」と免色は言っ
 た。

  私は肯いた。自分か狂っていなかったことがわかって安心するのと同時に、そこに可能性とし
 て示唆されていた非現実性が、免色の言葉によって現実のものとなり、そのせいで世界の合わせ
 目に微かなずれが生じてしまったことを、私は認めないわけにはいかなかった。
 
 「いったいどうすればいいのでしょう?」と私は免色に尋ねた。

  免色は懐中電灯の光を、その音のするあたりになおもしばらくあてていた。そして唇を堅く結
 んで考えを巡らせていた。夜の静寂の中にあって、彼の頭脳が素遠く回転している音が聞こえて
 きそうだった。

 「あるいは誰かが助けを求めているのかもしれない」と免色は自分自身に語りかけるように言っ
 た。
 「しかしいったい誰が、こんな重い石の下に入り込んだりするんですか?」

  免色は首を振った。もちろん彼にもわからないことはある。

 「今はとにかく家に戻りましょう」と彼は言った。そして私の肩の後ろにそっと手を触れた。
 「少なくとも、これで音の出どころははっきりしました。あとのことは家に戻ってゆっくり話し
 ましょう」

  我々は雑木林を抜けて、家の前の空き地に出た。免色はジャガーのドアを開けて懐中電灯を中
 に戻し、そのかわりに座席の上に置いてあった小さな紙袋を手にとった。そして我々は家の中に
 戻った。

 「もしお持ちでしたら、ウィスキーを少しいただけますか?」と免色は言った。
 「普通のスコッチ・ウィスキーでいいですか?」
 「もちろん。ストレートでください。それから水を入れない水と」

  私は台所に行って戸棚からホワイト・ラベルの瓶を出し、ふたつのグラスに往ぎ、ミネラル・
 ウオーターと一緒に居間に運んだ。我々は向かい合わせに座って何も言わず、それぞれにウィス
 キーをストレートで飲んだ。私は台所からホワイト・ラベルの瓶を持ってきて、空になった彼の
 グラスにお代わりを往いだ。彼はそのグラスを手に取ったが、口はつけなかった。真夜中の沈黙
 の中で、まだその鈴の音は断続的に続いていた。小さな音だが、そこには聞き逃すことのできな
 い緻密な重みが含まれていた。


  「私はいろんな不思議なことを見聞きしてきましたが、こんなに不思議なことは初めてです」と
 免色は言った。「あなたの話を聞いたときには、失礼ながら半信半疑だったのですが。まったく、
 こんなことが実際に起こるなんて」
  その表現には何かしら私の注意を惹くものがあった。「実際に起こるなんて、というのはどう
 いうことなんですか?」

  免色は顔を上げてしばらく私の目を見ていた。

 「これと同じような出来事を以前、本で読んだことがあったからです」と彼は言った。
 「これと同じような出来事というのは、つまり真夜中にどこかから鈴の音が聞こえてくるという
 ことですか?」
 「正確に言えば、そこで聞こえてきたのは鉦(かね)の音です。鈴ではありません。鉦太鼓で探
 す、というときの鉦です。昔の小さな仏具で、撞木(しょうもく)という槌のようなもので叩い
 て音を出します。念仏を 唱えながら、それを叩くのです。真夜中に土の下からその鉦の音が聞
 こえてくるという話です」

  『雨月物語』上田秋成|松岡正剛の千夜千冊

 「それは怪談なのですか?」
 「怪異譚と言ったほうが近いでしょう。上田秋成の『春雨物語』という本をお読みになったこと
 はありますか?」と免色は尋ねた。
  私は首を振った。「秋成の『雨月物語』はずっと昔に読んだことがあります。しかしその本は
 まだ読んでいません」

 「『春雨物語』は秋成が最も晩年に書いた小説集です。『雨月物語』の完成からおおよそ四十年
 を経て書かれています。『雨月物語』が物語性を重視しているのに比べると、ここでは秋成の文
 人としての思想性がより重視されています。その中に『二世の縁』という不思議か二篇がありま
 す。その話の中で主人公はあなたと同じような経験をします。主人公は豪農の息子です。学問の
 好きな人で、夜中に一人で書を読んでいると、庭の隅の石の下から、鉦の音のようなものが時折
 聞こえてきます。不思議に思って明くる日、人を使ってそこを掘らせてみると、中に大きな石か
 おり、その石をどかせてみると、石の蓋をした棺のようなものがあります。それを開けると、中
 には肉を失い、干し魚のように痩せこけた人がいます。髪は膝まで伸びています。手だけが勣い
 ていて、撞木(しゅもく)でこんこんと鉦を打っています。どうやらその昔、永遠の悟りを問く
 ために自ら死を選び、生きたまま棺に入れられ、埋葬された憎であるようです。これは禅定と呼
 ばれる行為です。ミイラになった死体は据り返され、寺に祀られます。禅定することを『入定す
 る』と言います。おそらくもともとは立派な憎であったのでしょう。その魂は願い通りに涅槃の
 境地に達し、魂を失った肉体だけがあとに残されて生き続けてきたようです。主人公の家族は十
 代にわたってこの地に往んできたのですが、どうやらそれよりも前に起こったことのようです。
 つまり数百年前に」



  免色はそこで話すのをやめた。

  彼は手に持ったウィスキーのグラスをただ軽く握らせてかに揺れていた。
 「それでその生きたミイラのような憎が掘り出されたあと、語はどのように展開していくのです
 か?」と私は尋ねた。
 「語はそのあとずいぶん不思議な展開を見せます」と免色はなんとなく言いにくそうに言った。
 「上田秋或が晩年に到達した独白な世界観が、そこには色濃く反映されています。かなりシニカ
 ルな世界観と言っていいかもしれない。秋或は生い立ちが複雑で、少なからぬ屈託を抱えて人生
 を送った人でしたから。でもその語の成り行きは、私の口から手短に説明してしまうより、あな
 たがご白分で本をお読みになった方がいいように思います」

  免色は車の中から持ってきた紙袋から一冊の古い本を取り出し、私に手渡した。それは日本古
 典文学全集の一冊たった。そこには上田秋或の『雨月物語』と共に『春雨物語』全語が収められ
 ていた。



 「あなたのお話をうかがったときに、すぐにこの語のことを思い出して、うちの本棚にあったも
 のを念のために読み返してみました。その本はあなたに差し上げます。よかったら読んでみてく
 ださい。短い語ですからすぐに読めると思います」
  私は礼を言ってその本を受け取った。そして言った。「不思議な語です。常識ではとても考え
 られない。この本はもちろん読ませていただきます。しかしそれはそれとして、ぼくはこれから
 現実的にいったいどうすればいいのでしょう? 何もせずに事態をこのまま放置しておくことは
 できそうにありません。もし本当に石の下に人がいるのなら、そして鈴だか鉦だかを鳴らして、
 助けてほしいというメッセージを夜ごとに造っているのだとしたら、何はともあれそこから助け
 出さないわけにはいかないでしょう」

  免色はむずかしい顔をした。「でもあそこに積まれている石をそっくりどかすのは、我々二人
 の手にはとても負えそうにありませんよ」
 「警察に報告するべきなのでしょうか?」

  免色は小さく何度か首を掘った。「警察はまず間違いなく役に立たないと思います。真夜中に
 なると、雑木林の石の下から鈴の音が聞こえてくるなんて通報したところで、そんなもの相手に
 されやしません。頭がおかしいんじやないかと思われるだけです。かえって話がややこしくなっ
 てしまう。やめた方がいいでしょう」
 「でもあの音がこれからずっと毎晩続くのだとしたら、ぼくの神経はとても耐えられそうにあり
 ません。まともに眠ることもできませんし、この家を出ていくしかないと思います。あの音は間
 違いなく何かを訴えているんです」

  免色はしばらく深く考え込んでいた。それから言った。「あれだけの石をそっくりどかせるに
 は、プロの助けが必要になります。私の知り合いに地元の造園業者がいます。親しくしている業
 者です。造園業者ですから、重い石も扱い慣れています。もし必要なら、小型のショベルカーな
 んかの手配もできます。そうすれば重い石もどかせられるし、穴も簡単に掘れるでしょう」
 「たしかにおっしやるとおりですが、そうするには問題が二つばかりあります」と私は指摘した。
 「まず第一に、この土地の所有者である雨田典彦さんの息子に、そういう作業をおこなっていい
 かどうか、許可を得なくてはなりません。ぼく一人の判断では勝手なことはできません。それか
 ら第二に、ぼくにはそんな業者を雇うような経済的余裕がありません」

  免色は微笑んだ。「お金のことは心配いりません。その程度のことは私か負担できます。とい
 うか、私はその業者にちょっとした賃しがあるので、彼はたぶん実費だけで作業をしてくれると
 思いま助けてほしいというメッセージを夜ごとに造っているのだとしたら、何はともあれそこか
 ら助け出さないわけにはいかないでしょう」

  免色はむずかしい顔をした。「でもあそこに積まれている石をそっくりどかすのは、我々二人
 の手にはとても負えそうにありませんよ」
 「警察に報告するべきなのでしょうか?」

  免色は小さく何度か首を掘った。「警察はまず間違いなく役に立たないと思います。真夜中に
 なると、雑木林の石の下から鈴の音が聞こえてくるなんて通報したところで、そんなもの相手に
 されやしません。頭がおかしいんじやないかと思われるだけです。かえって話がややこしくなっ
 てしまう。やめた方がいいでしょう」
 「でもあの音がこれからずっと毎晩続くのだとしたら、ぼくの神経はとても耐えられそうにあり
 ません。まともに眠ることもできませんし、この家を出ていくしかないと思います。あの音は間
 違いなく何かを訴えているんです」

  免色はしばらく深く考え込んでいた。それから言った。「あれだけの石をそっくりどかせるに
 は、プロの助けが必要になります。私の知り合いに地元の造園業者がいます。親しくしている業
 者です。造園業者ですから、重い石も扱い慣れています。もし必要なら、小型のショベルカーな
 んかの手配もできます。そうすれば重い石もどかせられるし、穴も簡単に掘れるでしょう」
 「たしかにおっしやるとおりですが、そうするには問題が二つばかりあります」と私は指摘した。
 「まず第一に、この土地の所有者である雨田典彦さんの息子に、そういう作業をおこなっていい
 かどうか、許可を得なくてはなりません。ぼく一人の判断では勝手なことはできません。それか
 ら第二に、ぼくにはそんな業者を雇うような経済的余裕がありません」

  免色は微笑んだ。「お金のことは心配いりません。その程度のことは私か負担できます。とい
 うか、私はその業者にちょっとした賃しがあるので、彼はたぶん実費だけで作業をしてくれると
 思います。気になさることはありません。雨田さんの方にはあなたから連絡してみてください。
 事情を説明すれば、許可は出してくれるのではないでしょうか。もしあの石の下に本当に誰かが
 閉じ込められていて、その人をそのまま見殺しにしたりするようなことがあれば、地権者として
 の責任を問われかねませんからね」
 「でもぼくとしては、関係のない免色さんにそこまでしていただくことは
  免色は膝の上で、手のひらを上にして両手を広げた。雨を受けるみたいに。そして静かな声で
 言った。
 「前にも申し上げたと思いますが、私は好奇心が強い人間です。この不思議な話がこれからいっ
 たいどのように展開していくのか、私としてはそれが知りたいのです。こんなことはそうしょっ
 ちゅう起こるものではありません。お金のことはとりあえず気にしないでください。あなたには
 あなたの立揚がおありでしょうが、今回に限って余計な心配はせず、どうか私にその手配をさせ
 てください」

  私は免色の目を見た。その目にはこれまでに見たことのない鋭い光が宿っていた。何かあって
 もこの出来事の成り行きを確かめずにはおかない、目はそう語っていた。もし何か理解できない
 ことがあれば、理解できるまで追求してみる―――それがおそらくは免色という人の生き方の基
 本になっているのだろう。

物語の暗示展開が、まるでセザンヌの絵のように塗り重ねられていくように続く。先を急がず熟っく
りと読み進めていこう。

                                      この項つづく


 

 ● 今夜の一曲

日本のシンガーソングライターで、「初恋」「踊り子」「ゆうこ」「陽だまり」などのヒット曲が
ある村下孝蔵(1953年2月28日 - 1999年6月24日)は、。熊本県水俣市出身。水俣市立水俣第一小学
校、水俣市立水俣第一中学校、鎮西高等学校、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科卒業。
この「春雨」(はるさめ)は村下孝蔵の楽曲で、1981年1月21日にCBSソニーより発売された。村下の
デビュー2年目、2枚目のシングルA面の曲。のちに同年発売のアルバム『何処へ』の6曲目として収
録された。当時のラジオCMは、すき焼きの具材を続けて読み、最後に「春雨」と言うものであった
と言う。 

  ● 今夜のアラカルト

最近、即席のランチの創作料を考案している。その一つに、豚ロース肉をキャベツに巻き付けるので
はなく豚ロースとキャベツの交互重ねのミルフィーユを考案。豚ロースとキャベツだけんでなく、紫
蘇、塩、胡椒、リンゴ、ガーリックペースト(フライドフレーク)、オリーブオイルなど好みで重ね
合わせ、12センチ×6センチ角に裁断重ね、皿に盛りつけ有田焼のタジン鍋を蓋をし蓋電子レンジ
で加熱、このとき豚肉の加熱加減を考え、電子レンジ加熱時間を設定する。当然、フォーク&ナイフ
で頂く。専用の型抜きがあると便利だ。勿論、挟んでいく肉は牛肉、ハム、ベーコン、魚肉、薄焼き
卵、あるいは、湯葉、また、野菜も、アスパラ、レタスや春雨など色々工夫する。さらに、薄焼きパ
ンなどもいいだろう(サンドイッチにすることは避けたい。

 

今夜も技術がてんこ盛り

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             徳は名に蕩(とう)し、知は争いに出(い)ず             
                         
                                        「人間世」(じんかんせい)     

                                                 

       ※ ガツガツと肩ひじ張り、人よりぬきんでようとしたところでどうなるか。
       才子は才で身を械ぼし、策士は策に倒れる。人間世-人間社会に生きて、
       危害を避け、天命を全うするには、どうすればよいか。本篇もまた、さま
       ざまな事例に即して「無為」を説き、「無用の用」を語る。

     ※ 雑念を去れ:われわれがなぜ徳を失いなぜ知に頼るようになったか、おま
       えはわかっているだろうか。徳を失ったのは名誉心にとらわれたためであ
       り、知に頼るようになったのは争いに必要だからだ。名誉心にとらわれ、
       知に頼っているかぎり、人間どうしの対立抗争は激しくなるばかりだ。名
       誉心も知も、相手を傷つけ自らを滅ぼす凶器にほかならぬ。凶器に依存し
       て、いったい何かできるだろう(孔子の弟子が衛国の救済に赴くための暇
       乞する場面)。

 

 Apr. 12、 2017

● ソフトバンク 世界第7番級 350メガワットソーラーインドで稼働

今月11日、SB Energy Holdings Limitedは、インド・アンドラプラデーシュ州に建設した出力350MW
のメガソーラー(大規模太陽光発電所)の営業運転を開始。同州カルヌール地方の「Ghani Sakunala Solar
Park」 で今年3月29日に竣工。世界で7番目に大きな太陽光発電所となる。電力販売契約時の予定
よりも51日早い運転となる。 発電した電力は、プロジェクト落札時に合意した「25年間、4.63
ルピー/kWh(約8.70 円/kWh)」の売電価格で、インドの電力会社であるNTPC Limitedに売電する。
400K/V の送電線に接続し、インドの約70万世帯を超える一般家庭へ供給する。同発電所は、イン
ド中央政府によって09年に施行された太陽光発電施策「JNNSM(Jawaharlal Nehru National Solar Mis-
sion:ジャワハルラル・ネルー・ナショナル・ソーラー・ミッション)」の下で初めての運転となる。
SB Energy は現在、ソフトバンクグループの完全子会社で、独占禁止法に関する規制当局からの承認
をもって、バーティ・エンタープライゼズ・リミティッド、フォックスコン・テクノロジー・グルー
プの3社による合弁会社となる。SB Energy はインド中央政府による太陽光ならびに再エネ普及促進
施策の下で、20ギガワットの再エネ発電所建設を目指す。



【ネオコン倶楽部:世界最高の水酸化物イオン伝導ナノシート】

  Apr. 14, 2017

今月15日、物質・材料研究機構の研究グループは、層状複水酸化物ナノシートが10-1 S/cmに達する
非常に高い水酸化物イオン伝導性を示すことを発見したことを公表。この伝導率は従来の水酸化物イ
オン伝導体――クリーンなエネルギー変換技術として注目される燃料電池では、電解質として水素イ
オン伝導体 (例えばNafion®)  を用いる方式が主流だが、強酸性環境中での動作となるため、使える
触媒が白金系金属にほぼ限定されるなどの制約がある。伝導イオンとして水素イオンの代わりに水酸
化物イオンを用いる方式も可能です。その場合アルカリ性環境中での動作となるため、Fe, Co, Ni等の
遷移金属元素形触媒が使用でき、コストを大幅に低減できると期待されているものの、既存の水酸化
物イオン伝導体は、水酸化物イオンの伝導率が10-3〜10-2 S/cmと低いことが大きなネック――と比べ
10~100倍という高い値で、無機アニオン伝導体の中でも世界最高であり、✪固体電解質として、❶
アルカリ燃料電池や❷水電解装置等への応用が期待されている。

☑ 研究成果

今回の研究では、層状複水酸化物を化学反応により層1枚にまで剥離し、得られた単層ナノシートの
イオン伝導度を測定しました。その結果、室温付近で10-1 S/cmに達する極めて高い値を示すことを見
出す。❶単層ナノシートの表面が多くの水分を吸着し、❷水酸化物イオンが自由に動くことができ、
❸イオン輸送特性が著しく向上する。また、ナノシートの厚み方向の伝導率に比べ4~5桁も高く、
究極の2次元ナノ構造に由来した機能であると推測している。

 

  Mar.30, 2017

 


【ネオコン倶楽部:デジカメでX線計測 元素分析・イメージング技術】 

X線反射率法は、面内の場所的な違いがない、均一な薄膜・多層膜試料の深さ方向の情報(各層の密
度、厚さ、表面と各界面のラフネス)を決定しようとするものであり、深さ方向分布が、試料面内の
どの位置でも同じであり、均一であるという前提のもとで用いられる。その典型的な面積は、X線反
射率法では10mm×15mm程度である。このような広い面積にわたって均一である場合には、全
く問題ないが、産業上での応用においては、もっと微小な試料を評価したい、または、同じ試料のな
かの薄膜・多層膜の構造の違いを画像化したいという容貌があった。


研究チームは、光学顕微鏡などに搭載されることの多い可視光用のCMOS素子を搭載したデジタルカメ
ラをほぼそのまま利用して、蛍光Xによる元素分析やイメージングを行う方法を開発。❶まず、レン
ズとセンサの間に、X線のみを透過させる不透明な薄い窓を取り付け、❷試料から出てくる蛍光X線
が、この窓を通ってCMOS素子に入ると電荷が作りだされます。❸作りだされた電荷の数を瞬時に計
測すると、入ってきたX線のエネルギーを検出。ただ、生じた電荷は複数の画素に別れて記録され、
また、ある時は失われる。そこで、❹電荷の複数画素への分散状態を調べ、本来持っていた電荷量と
入射位置の両方を画像処理により復元する方法を確立。これにより、信頼性の高いX線スペクトルが
安定に取得できる。実際に今回開発した手法で、上図のようなお皿を蛍光X線分析したところ、青の
顔料が塗られている表側からのみコバルトが検出され、裏側からはコバルトは不検出であった。❺さ
らにピンホールカメラの原理を利用し、その元素がどのように分布しているかを画像化に成功する。
今後は元素の移動を可視化する動画像の取得に活用し、化学反応の過程を追跡する研究などで材料開
発貢献に期待している。

 
Figure 1: Principle of retrieving X-ray energy-dispersive spectra from camera images.

 Apr.  14, 2017

 
【ネオコン倶楽部:世界最高の電流密度の低コスト高温超電導線材】

高温超電導体は超電導が生じる温度が高く、冷却に安価で豊富な液体窒素の利用が可能である一方、
超電導状態を維持して通電できる電流は、周囲の磁場が強くなると共に減少するという性質がある。
このため、線材に強い磁場が加えられる環境で使用する機器(MRI、NMR、医療用を含めた加速器、
産業用モータ、航空機用モータ、発電機、リニアモータカー、核融合、超電導電力貯蔵システム、超
電導変圧器など)には、磁場中でも高い特性を維持する線材が必要となる。そこで、イットリウム系
酸化物超電導線材は、他の高温超電導材料に比べて本質的に磁場中での性能が高い線材であり、長尺
化、高性能化が図られているが、現状では、線材が高価であることや高温・高磁場(例えば液体窒素
中で数テスラ)での使用では磁場中での臨界電流値が不十分である。このため、気相法で超電導層を
成膜する技術を中心に、人工ピン止め点導入により磁場中特性の向上が図られてきたが、依然、高コ
ストなため一層の特性向上を必要としていた。



今月14日、産業技術総合研究所らの研究グループは低コストプロセスである溶液塗布熱分解法によ
るイットリウム系酸化物の高性能・長尺超電導線材を超電導層の中に直径数十ナノメートルの人工ピ
ン止め点(BaZrO3)を均一に分散させることに成功――溶液塗布熱分解法による線材として、良好な
超電導特性を示すものの――したが、気相法などによる高性能線材には及ばず超電導特性の向上に取
り組み、❶高温超電導体のイットリウム系酸化物超電導線材の超電導層の形成プロセスを改良して実
現、❷低コストなプロセスで磁場中の臨界電流密度を向上させて、高温超電導線材のコスト課題の解
決へ、❸モータや発電機など省エネ産業用機器、MRIや重粒子線加速器など医療機器の超電導磁石へ
の応用できるなどの成果をえたことを公表。

☑ 研究成果

同上研究グループは、低コスト化のために開発してきた溶液塗布熱分解法では多数回原料溶液を塗布・
熱処理を繰り返すが、❶一回当たりの塗布膜厚を数十ナノメートルに薄膜化することで、❷人工ピン
止め点を超微細化して、磁場中の特性を画期的に向上させることに成功。この基本原理をもとに、人
工ピン止め点の高濃度化を施すなどさらなる特性向上を図り、現時点で世界最高の磁場中の臨界電流
密度(液体窒素温度、磁場 3テスラ(T)中で1平方センチメートルあたり400万アンペア)を実
現。臨界電流値は360アンペアを超え、並行して、実際の製造プロセスに適用できるかどうか基本
原理を検証し、5ナノメートルの線材を作製して長尺化の見通しを得る。

  Apr. 13, 2017

【RE100倶楽部:最新超音波式風速計】

 ● 世界最軽量の3D超音波式風速計登場/TriSonica™Mini

今月18日、風力発電制御には風速計が欠かせない。米国のシンクロネス社らは、世界初、最小・最
軽量の三次元超音波式風速計を開発販売開始する(上図ダブクリ参照)。このTriSonica™Miniは、❶
側面が75ミリメート、❷重量が50グラム未満の世界最小の風速計。 ❸3軸(x、y、z)の風速と風
向を毎秒30メートル(67ミリパスカル)まで10ヘルツのサンプリングレートで測定する。❹こ
のソリッドステート・ウインドシステムには可動部分がなく、製品の耐久性、精度、信頼性を最大限
に引き出せるとのうたい文句。対象市場として、風力発電システム以外にも、気象計測や無人車両(
UAV)市場を中心に、モバイルアプリケーションや狭いスペースに理想的な3次元超音波風速計向け
対応(4つの冗長な測定経路と独自の幾何学的特徴技術は特許出願中/詳細不詳のため要調査)。

尚、シンクロネス社は、18年以上にわたり、魅力あるソリューションの提供を行っており、 同社
は、医療機器、航空宇宙、およびカスタムオートメーション業界における強力な顧客ポートフォリオ
を保有するとのこと。 製品ライフサイクル全体にわたりエンジニアリングサービスを完全に保証す
る。下記に、関連する国内の特許事例2件を参考掲載しておく。

   

※特開2001-278196  航空機用超音波式対気速度センサ

気象観測に用いられている超音波風速計は、一定区間を伝搬する超音波の伝搬時間が、風の影響で変
化することを利用したもので、全方位的に所定の間隔で配設された複数個(一般には6個)の超音波
送受信器は平面上のあらゆる方位の風を測定することが出来る。しかし、超音波送受信機同士の空気
力学的干渉により、強風時の測定は困難で、航空機搭載が可能な大きさのものでは20m/s以下、
地上設置用の大型装置でも60m/s以下が測定可能領域である。この測定可能領域では航空機に利
用するには高速側の計測範囲が充分とはいえず、気象観測用の超音波風速計は、航空機に搭載する対
気流速計測器には適していない。

超音波風速計のセンサ・ブローブを前方方向からの気流に対して乱れを生じにくい形状に改良し、か
つ複数個の超音波送受信機を基体の前後方向に位置を異ならせて配置する形態で低速航空機に搭載す
るものであるから、従来のピトー管では不可能であった航空機の低速度領域の対気速度計測が可能と
なる。本発明を操縦用計器に適用すれば、その結果として低速飛行時の速度表示が従来より高精度と
なり、航空機の飛行安全性を向上させることができる。また、慣性計測装置など適宜の計測器により
対地速度が計測されれば、その位置での風速を割出すことができ、空中の特定位置の風を計測するこ
ともできる。更に、これを成層圏プラットフォーム用飛行船に適用した場合には、飛行船を一定位置
にとどめるための制御用センサとしても使用することができる。




※特開2011-089844  風向風速計測装置および風向風速計測システム   

室内の風速の計測には、熱線式や超音波式の風速計がよく用いられている。❶熱線式風速計と❷超音
波式風速計はともに、微風域を含めて測定範囲が広く、応答性が良い点で優れる。熱線式風速計と超
音波式風速計を比較すると、

熱線式は超音波式に比べ構成が簡単で安価であるとの利点を有する。 また、超音波式風速計は、超音波の送信部と受信部の間の伝搬時間差を利用して風速を計測す
るため、送信部と受信部の間の空間に温度や圧力の不均一な場所があると、超音波の伝搬速度
の変化やレンズ効果による超音波の散乱が生じることにより、計測誤差が発生しうる。このた
め、超音波式風速計は、サーバールームやデータセンターなどの空間的な温度変化が大きい領
域での風速の計測には不適であ
る。熱線式風速計にはこのような問題がない。 しかし、その一方で熱線式風速計は、計測できるのが一般に風速のみであり、単体では風向を
計測することができない。 熱線式風速計に工夫を施して、風向も計測可能にしたものに、温度に応じて抵抗値が変化する
2本の直線状のヒータを、各々の一端で互いに接続して30度~90度のかぎ型に配置した風
向風速センサであり、電圧をかけられた各々のヒータからの信号を処理することにより風向と
風速を検知できるが、2本のセンサ(ヒータ)を用い、これらのセンサをかぎ型に形成してい
るため、装置構成が複雑になる。 熱線式は、2本のセンサの出力を比較、演算して風向を求めるため、信号処理も複雑になる。

✪ 以上、今夜も技術がてんこ盛りである。
                                                              

 

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