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四番バッター中谷?!

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          隠公三・四年、衛の州吁(しゅうく)の乱 / 鄭の荘公小覇の時代

 

                              


         ※ 鄭と衛とが、鄭の共叔段(きょうしゅくだん)の乱をきっかけに
           不和になる。鄭が内乱に悩まされたように、当時衛でも、荘公の
           跡目相続をめぐって、腹ちがいの公子同士が反目し合っていた。
           この反目は、ついに州吁(しゅうく)のクーデターとなって火を
           吹き、さらに国際問題がからんで、衛没落の一因ともなる。

         ※ 佳人薄命:衛の荘公は斉国から太子得臣(とくしん)の妹を夫人
           に迎えた。その夫人が荘姜(そうきょう)である。彼女は評判の
           美人であったが、不幸にして子供ができなかった。かの『碩人』
           (せきじん)の詩は、衛の詩人が彼女の薄幸を哀しんで賦(ふ)
           したものである。荘公は陣国からも夫人を迎えた。その夫人が厲
           嬀(れいき)である。孝伯(こうはく)は彼女の生んだ子である
           が、不幸にして夭逝した。そこで荘公は厲嬀の侍女戴嬀(たいき)
           に子を生せた。これが桓公である。荘姜はこの桓公をわが子とし
           て育てた。ところで荘公には、もう一人愛妾に生ませた子がいた。
           公子州吁(しゅうく)である。荘公に可愛がられたが、乱豪者で
           あった。荘公が別段叱ろうとはしないので、夫人の荘姜は州吁を
           憎んだ。大夫の石碏(せきさく)が心配して荘公を諌めた。「真
           に子を愛する親は、わが子を教えさとし、悪に走らぬようにする
           と申します。驕慢、奢侈、淫乱、放逸は身を誤るもとですが、州
           吁さまの身にはこの四つの悪徳がしみついています。もとはと申
           せば、あなたが州吁さまを溺愛なされ、過分な禄位をあたえたか
           らです。ゆくゆくは州吁さまを太子に立てる腹づもりであります
           ならば、今からその旨お決めください。今の状態では、州庁さま
           はあなたのご寵愛につけこんでますます勝手に振るまい、やがて
           はわが国に禍いをひき起こすことでしょう。寵愛を受ければ、つ
           い増長して人にへりくだることができなくなりますし、そうなれ
           ば人を人とも思わなくなり、自分を抑制できなくなるものです。

           君子が犯してはならない悸逆(はいぎゃく)行為は六つ(六逆)
           あります。❶卑しい身分でありながら、身分の貴いものを排除す
           ること、❷若輩でありながら、年長者を押しのけること、❸疎遠
           な関係でありながら、近親者を押し隔てること、❹新参者であり
           ながら、古参考を排斥すること、❺小禄者でありながら、高禄者
           を押えつけること、❻邪しまでありながら、正しいものを迫害す
           ること、以上の六つであります。これに対して、君子が守るべき
           順道は、同じく六つ(六順)あります。❶君主は義を守ること、
           ❷臣下は忠誠を尽くすこと、❸父は子を慈しむこと、❹子は親を
           大事にすること、❺兄は弟を愛すること、❻弟は兄を敬うこと、
           以上の六つであります。この順道を棄てて悸逆に走るのは、禍い
           を招くもと。為政者は、禍いのタネをとり除くことが義務である
           のに、かえってそれを育てるとは、みずから墓穴を掘るようなも
           のではありませんか」
  
           だが、荘公ほとりあわなかった。それよりも石碏にとって頭の痛
           いことは、わが子の石厚(せきこう)までが州吁にとりいるよう
           になり、かれがいくらとめてもきかないことであった。やがて、
           桓公が太子に立つと、碏石は隠居を申し出た。

 

 No. 16

【RE100倶楽部:波力発電 日本初のシステムが実証稼働】

今月12日、東京都・伊豆七島の1つである神津島の沖合で、日本初の波力発電システムの実証試
験が始まった。三井造船が開発を進めているシステムで、海面に浮かんだフロートが波で上下運動
するエネルギーを機械的に回転運動に変換して発電する。☈開発した波力発電装置は、海面に浮か
んだフロートが波で上下運動するエネルギーを、機械的に回転運動に変換。この力で発電機を回転
させて発電する仕組み。ポイントアブソーバー式とも呼ばれる方式で、海底にアンカーを設置して
係留索を使って固定している。装置の定格出力は3.0kW(キロワット)、全長約13m、フロート直径
2.7m、空中重量は約10tだ。実証期間中の平均発電量は600W(ワット)を想定する。

 May 10, 2017

● 発電コストの解析

✪豊富かつ24時間利用できる自然エネルギーとして期待される波力発電。普及のカギはコストだ。
発電システムそのものの費用に加えて、生み出した電力を地上に送電するためのコストも掛かる。
沿岸から遠くなるほど強いエネルギーを得やすくなるが、それに比例して送電コストも大きくなる。

☈そこで最近では港の防波堤付近など、沿岸に近いエリアに設置するタイプの波力発電システムの
実証が進んでいる。2016年11月には岩手県の久慈市にある「久慈港」で、日本で初めて電力会社の
系統に接続する波力発電所が実証稼働。

 Oct. 16, 2016

☈東京大学・生産技術研究所が中心となって開発した波力発電所で、海底に設置する基礎部分の上
に建屋を建設し、その中に建屋に発電機を収めている。その下にぶら下がるように設置している板
(ラダー)が、波を受けて振り子のように運動し、発電機を回転させて発電する。発電能力は43kW
で、平均して10kW程度の発電を見込む。
  Apr. 17, 2015

☈異なる方式の波力発電システムでは、NEDOが15年に秋田県酒田市の酒田港で実証試験を行っ
ている。これは港の護岸に直接取り付ける方式のシステムで、海面の上下の動きにより気流を生み
出し、タービンを回転させて発電する仕組み。既設の護岸に後付けできるようにすることで、設置
コストの低減を狙っている。

※ 革命的な波力発電システムについての考察は後日掲載してみる。

 

【ネオコン倶楽部:有機ELデバイスの高効率化】

 

5月11日、九州大学らの研究グループは次世代有機EL素子の発光材料として注目される熱活性化
遅延蛍光(TADF)を出す分子(TADF分子)の発光メカニズムを解明したと発表。その概要は、❶
次世代有機EL材料(熱活性化遅延蛍光分子)の発光メカニズムを先端分光技術で解明、❷分子の励
起状態や種類、エネルギーに着目し、高い発光効率の分子構造を発見、❸次世代有機EL材料の新し
い設計指針として貢献、低コスト・高効率な有機ELデバイスの実現に期待できるというもの。

✪有機ELは、有機分子が電流によりエネルギーが高い励起状態になり、それがエネルギーの低い基
底状態に戻る際に発光する現象を利用するが、TADF(熱活性化遅延蛍光)は、室温の熱エネルギー
の助けを受けて有機EL分子が放出する蛍光のことで、現在の有機ELに不可欠な希少金属が不要なこ
とから低コスト化、高効率化の切り札とされている。TADF発光には分子の二つの励起状態が関わり、
それらの状態間のエネルギー差ΔESTが室温の熱エネルギー近くまで小さいほど、発光効率が高いと
考えられている。しかし、室温の熱エネルギーではTADFの発光が困難なはずの分子でも、100%に
近い高い発光効率を示す事例が報告されるようになり、発光メカニズムの詳細な解明が求められて
いた。

✪九大はこれまでに、熱により三重項状態を一重項状態へと逆変換して蛍光を放出するTADF分子を
設計・開発し、12年にありふれた元素である炭素、窒素、水素だけからなる有機化合物で、ほぼ
百%の発光効率を示すTADF分子を初めて開発、当時、高い発光効率を実現できたのは緑色蛍光の
TADF分子、その発光メカニズムの詳細も不明であった。


DOI: 10.1126/sciadv.1603282:Evidence and mechanism of efficient thermally activated delayed fluorescence
promoted by delocalized excited states

✪一方、産総研では、これまでに太陽電池や光触媒などに使われる電子材料の光機能のメカニズム
の解明を目指し、材料の励起状態での光吸収を100フェムト(10兆分の1)秒からミリ(1000分の1)秒まで
の幅広い時間領域において、紫外光から可視光、赤外光までの広い波長領域で測定できるポンプ・
プローブ過渡吸収分光法の開発に取り組んできた。

今回、両者は九大が設計・開発した有機分子について、ポンプ・プローブ過渡吸収分光法を用いて
それらの発光メカニズムを解明。これまでの研究では見過ごされてきた各分子の一重項状態と三重
項状態の種類(励起種)とエネルギーに着目して検討を行った。

着実に1つ1つ問題点を解決していることが見て取れます。なにごとも基礎研究が大事。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』       

 

   23.みんなほんとにこの世界にいるんだよ 

  私はそれについて考えてみた。免色の言うことはまだうまく理解できなかった。私は騎士団長
 の方にさりげなく目をやった。騎士団長はまだその飾り棚の上に腰掛けていた。彼の顔にはどの
 ような表情も浮かんでいなかった。

    免色は続けた。「暗くて狭いところにI人きりで閉じこめられていて、いちばん怖いのは、死
 ぬことではありません。何より怖いのは、永遠にここで生きていなくてはならないのではないか
 と考え始めることです。そんな風に考えだすと、恐怖のために息が詰まってしまいそうになりま
 す。まわりの壁が迫ってきて、そのまま押しつよされてしまいそうな錯覚に襲われます。そこで
 生き延びていくためには、人はなんとしてもその恐怖を乗り越えなくてはならない。自己を克服
 するということです。そしてそのためには死に限りなく近接することが必要なのです」

 「しかしそれは危険を伴う」
 「太陽に近づくイカロスと同じことです。近接の限界がどこにあるのか、そのぎりぎりのライン
 を見分けるのは簡単ではない。命をかけた危険な作業になります」
 「しかしその近接を避けていては、恐怖を乗り越え自己を克服することはできない」
 「そのとおりです。それができなければ、人はひとつ上の段階に進むことができません」と免色
 は言った。そしてしばらくのあいだ何かを考えているようだった。それから唐突に  私から見
  ればそれは突然の動作に思えた――席から立ち上がり、窓のところに行って、外に目をやった。

   Icarus

 「まだ少しばかり雨が降っているようですが、たいした雨じゃない。少しテラスに出ませんか?
 お見せしたいものがあるんです」

  私たちは食堂から階上の居間に移り、そこからテラスに出た。南欧風のタイル張りの広々とし
 たテラスだった。我々は木製の手すりに寄りかかるようにして、谷間の風景を眺めた。まるで観
 光地の見晴台のように、そこから谷間を一望することができた。細かい雨はまだ降っていたが、
 今ではほとんど霧に近い状態になっていた。谷を挟んだ向かいの山の家々の明かりは、まだ明る
 くともっていた。同じひとつの谷を挟んでいても、反対側から眺めると風景の印象がずいうもの
 だ。

  テラスの一部には屋根が張り出していて、その下に日光浴用、あるいは読需用の寝椅子が置か
 れていた。飲み物や本を載せるための、グラス・トップの低いテーブルがその隣にある。縁の葉
 をつけた観葉椅物の大きな鉢があり、ビニールのカバーをかぶせられた丈の高い器具のようなも
 のが置いてあった。壁にはスポットライトもついていたが、そのスイッチは入れられていなかっ
 た。居間の照明もほの暗く落とされていた。

 「うちはどのあたりになるのでしょう?」と私は免色に尋ねた。

  免色は右手の方向を指さした。「あのあたりです」
  私はそちらの方に目をこらしてみたが、家の明かりがまったくついていないことと、霧のよう
 な雨が降っていることのために、うまく見定められなかった。よくわからないと私は言った。



 「ちょっと待ってください」と免色は言って、寝椅子のある方に歩いて行った。そして何かの器
 具の上にかぷせられたビニールのカバーを取り、こちらにそれを抱えて持ってきた。三脚付きの
 双眼鏡らしきものだった。それほど大きなものではないが、普通の双眼鏡とは違う不思議な格好
 をしていた。色はくすんだオリーブ・グリーンで、形状の無骨さのせいで測量用の光学機器のよ
 うに見えなくもない。彼はそれを手すりの前に置き、方向を調整し慎重に焦点を合わせた。

 「ご覧になってください。これがあなたの往んでおられるところです」と彼は言った。

  私はその双眼鏡をのぞいてみた。鮮明な視野を持つ倍率の高い双眼鏡だった。量販店で売って
 いるようなありきたりのものではない。霧雨の談いヴェールを通して、遠方の光景が手に取るよ
 うに見えた。そしてたしかにそれは拡が暮らしている家たった。テラスが見える。私かいつも座
 っているデッキチェアかおる。その奥には居間があり、隣には拡が絵を描いているスタジオがあ
 る。明かりが消えているので家の中まではうかがえない。しかし昼間なら少しは見えるかもしれ
 ない。自分の住んでいる家をそんな風に眺めるのは(あるいは覗くのは)、不思議な気持ちのす
 ることだった。

 「安心してください」と免色は拡の心を読んだように背後から声をかけた。「ご心配には及びま
 せん。あなたのプライバシーを侵害するようなことはしていません。というか、実際にあなたの
 お宅にこの双眼鏡を向けたことはほとんどありません。信用してください。拡の見たいものは他
 にあるからです」
 「見たいもの?」と拡は言った。そして双眼鏡から目を難し、振り返って免色の顔を見た。免色
 の顔はあくまで涼しげで、相変わらず何も語っていなかった。ただ夜のテラスの上で、彼の白髪
 はいつもよりずっと白く見えた。
 「お見せします」と免色は言った。そしていかにも馴れた手つきで双眼鏡の向きを少しだけ北の
 方に回し、素早く焦点を合わせた。そして▽歩後ろに下がって拡に言った。「ご覧になってくだ
 さい」

Military Binoculars

  私は双眼鏡をのぞいてみた。その丸い視野の中に、山の中腹に立っている膳洒な板張りの住宅
 が見えた。やはり山の斜面を利用して建てられた二階建てで、こちらに向けてテラスがついてい
 る。地図の上ではうちのお隣ということになるのだろうが、地形の関係で互いに行き来する道は
 ないから、下から別々の道路を上ってアクセスしなくてはならない。家の窓には明かりがついて
 いた。しかし窓にはカーテンが引かれており、中の様子まではうかがえなかった。しかしもしカ
 -テンが開けられていたら、そして部屋の明かりがついていたら、中にいる人の姿をかなりはっ
 きり目にできるはずだ。これだけ高い性能を有する双眼鏡ならそれくらいはじゆうぶん可能だろ
 う。

 「これはNATOが採用している軍用の双眼鏡です。市販はしていないので、手に入れるのに少
 しばかり苦労しました。明度がきわめて高く、暗い中でもかなり明瞭に像を見定めることができ
 ます」

  私は双眼鏡から目を難し免色を見た。「この家が免色さんが見たいものなのですか?」
 
 「そうです。でも誤解してもらいたくないのですが、私は覗きをやっているわけではありませ
 ん」

  彼は最後に双眼鏡をもう一度ちらりとのぞき、それから三脚ごと元あった場所に戻し、上から
 ビニールのカバーを掛けた。

 「中に入りましょう。冷えるといけませんから」と免色は言った。そして我々は居間に戻った。
 我々はソファと安楽椅子に腰をかけた。ポニーテイルの青年が顔を見せ、何か飲み物はほしいか
 と尋ねたが、我々はそれを断った。免色は青年に向かって、今夜はどうもありがとう、ご苦労様、
 二人とももう引き上げてもらってけっこうだ、と言った。青年は一礼し引き下がった。

  騎士団長は今ではピアノの上に腰掛けていた。真っ黒なスタインウェイのフル・グランドに。
 彼はその場所が前の場所より気に入っているように見えた。長剣の柄についた宝玉が明かりを受
 けて誇らしげにきらりと光った。

 Steinway Grand Piano Model A

「今ご覧になったあの家には」と免色は切り出した。「私の娘かもしれない少女が住んでいます。
 私はその姿を遠くから、小さくてもいいからただ見ていたいのです」

 私は長いあいだ言葉を失っていた。

 「覚えておられますか? 私のかつての恋人が他の男と結婚して生んだ娘が、あるいは私の血を
 分けた子供であるかもしれないという話を?」
 「もちろん覚えています。その女性はスズメバチに剌されて亡くなってしまって、娘さんは十三
 歳になっている。そうですね?」

  免色は短く簡潔に肯いた。「彼女は父親と一緒に、あの家に住んでいます。谷の向かい側に建
 ったあの家に」
  頭の中にわき起こったいくつかの疑問を整ったかたちにするのに時間が必要だった。免色はそ
 のあいだじっと黙して、私か感想らしきものを口にするのを辛抱強く待っていた。
  私は言った。「つまりあなたは、ご自分の娘かもしれないその少女の要を日々双眼鏡を通して
 見るために、谷間の真向かいにあるこの屋敷を手に入れた。ただそれだけのために多額の金を払
 ってこの家を購入し、多額の金を使って大改装をした。そういうことなのですか?」

  免色は肯いた。フ兄え、そういうことです。ここは彼女の家を観察するには理想的な場所です。
 私は何かあってもこの家を手に入れなくてはなりませんでした。他にこの近辺に建築許可の下り
 そうな土地はひとつもなかったものですから。そして以来、毎日のようにこの双眼鏡を通して、
 谷間の向かいに彼女の姿を探し求めています。とはいってもその姿を目にできる日よりは、目に
 できない日の方が遠かに多いのですが」
 「だから邪魔が入らないように、できるだけ人を入れないで、一人でここに暮らしておられる」

  免色はもう一度肯いた。「そうです。誰にも邪魔をしてもらいたくない。場を乱してほしくな
 い。それが私の求めていることです。私はここで無制限の孤独を必要としているのです。そして
 私の他にこの秘密を知っているのは、この世界にあなた一人しかいません。こんな微妙なことは
 迂闊に人に打ち明けられませんからね」

  そのとおりだろう、と私は思った。そして当然ながらこうも思った。じやあどうして今、彼は
 私にそのことを打ち明けているのだろう?

 「じやあ、どうして今ここでぼくにそれを打ち明けるんですか?」と私は免色に尋ねてみた。
 「何か理由があってのことなのでしょうか?」

  免色は脚を組み直し、私の願をまっすぐ見た。そしてひどく静かな声で言った。「ええ、もち
 ろんそうするには理由があります。あなたに折り入ってひとつお願いしたいことがあるのです」                                

                                                          この項つづく



金本阪神の二年目、好調な5月である。好調に比例してTVへの露出度が上がりこれがまた好循環
する。その先には日本シリーズ優勝、その先はバブル疲労がまっている(これは老婆心ですが)。
ふと、目を惹く選手が中谷将大(まさひろ)選手――93年1月5日生まれ、阪神タイガースに所
属する福岡県小郡市出身のプロ野球選手、外野手、内野手、捕手。10年のドラフト会議で、阪神
タイガースから3巡目で指名で、捕手として入団、背番号は60。身長187cm、体重89kgという体格
で、捕手としては遠投120メートルの強肩が持ち味。しかし、高校通算で20本塁打を記録するほど
の長打力を生かすために、阪神への入団後に捕手から外野手へ転向した。掛布雅之からは、「手足
が長く、実際にスローイングが正確なことから新庄剛志のような素質を感じる」との理由で「小新
庄(こしんじょう)」と呼ばれる。前書きは置いておき、4番バッターの風格が備わっているとい
うのが印象である。福留、糸井、中谷を中軸に高山などの若手、鳥谷などのベテラン・中堅を揃え、
投手陣が頑張れば、あの85年のゴールデンドリームが再現する。ただし、人気に引きずられずに
風通しをよくしておけば、金本タイガースは5年、いや10年の黄金期に突入すること間違いない。

    


止まらない温暖化

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        隠公四年、州吁(しゅうく)の乱とその後 / 鄭の荘公小覇の時代

 

                              


     ※ 四年春、衛の公子州吁が桓公を殺して、みずから位についた。おりから
       魯の隠公は、先年の宿(国名)における宋の殤(しょう)公との盟約を
       更新する時期が近づいていたので、その準備をすすめていたところであ
       った。そこへこの報せである。そこで隠公は予定を変更して、とりあえず
              同年夏、殤公と清(衛の邑)で略式の会合を行なった。当時、宋は鄭と
       反目していた。すなわち、先年、殤公が位についたとき、公子馮(ひょ
       う)は鄭に出奔したが、公子に同情した鄭は、かれを宋に送り入れよう
       と画策していたのである。さて衛の州吁が位につくと、一つには先君荘
       公が鄭に受けた怨みをはらし、また一つには諸侯の信用をかち得ることで、
       民衆の反感をやわらげるため、宋に使者を派遣して、こう申し入れた。

       「今こそ鄭を討って、邪魔な存在をとり除くとき。もし貴国が立ち上が
       るなら、及ばずながらわが国も助勢をくり出し、陣・蔡両国とともにお
       味方いたす所存である」宋は、この申し出を受諾した。当時、衛と陣・
       蔡両国とは同盟関係にあった。かくて、宋、衛、陣、蔡の四カ国は鄭を
       攻撃した。鄭の都城の東門を囲むこと五日で、この戦いは終わり、連合
       軍は兵を引き揚げた。「あれで、衛の州吁は君主がつとまるだろうか」
       魯の隠公が首をかしげると、大夫の衆仲が答えた。「人民の反感をやわ
       らげるのに徳に頼るなら話はわかりますが、力に頼るとはきいたことか
       ありません。力に頼れば、あたかも糸がもつれるように、事態をますま
       す悪くするだけです。州吁のように、武力を特んで残虐にふるまえば、
       結果は明らかです。人民からは見放されるし、まわりの近親者からは孤
       立して、とうてい君位を全うすることはできません。武力は火のような
       ものです。使い方をあやまると、かえってわが身を火傷させてしまうの
       です。もともと州吁は主君を殺し、武力を侍んで人民に臨んだ男です。
       ところが、かれは反省して徳を身につけようとしないばかりか、いぜん
       として力に頼って事を行なっているのですから、とうてい罪は免れませ
       ん」 

       秋になって、諸侯はふたたび郎を攻めた。わが魯に対しても、宋公から
       助勢を求めてきたが、隠公は断わった。そのとき、困ったことが起きた。
       公子の羽父が隠公のところへやってきて、軍を率いて諸侯の軍に加わり
       たいと言ってきたのである。隠公は許さなかったが、羽父は執拗に言い
       はって、とうとう出陣してしまった。『春秋経』で、「車(羽父のこと)、
       師を帥る」と記録しているのは、羽父の行動を非難しているのである。
       秋の戦いでは、諸侯の軍は鄭の歩兵を敗走させ、稲を略奪して引き揚げ
       た。


May 08, 2017:Paris 1.5°C target may be smashed by 2026

【急速に加速する地球温暖化】

● Interdecadal Pacific Oscillation(IPO)は今後10年間に地球温暖化が加速すると予測

メルボルン大学の地球物理学研究書によると、今後10年間に地球温暖化の急激に加速する可能性があ
ると予測している。1999年以来、マイナス期にあったが、2014年、2015年および2016年の連続した暖
かい年が記録され地球温暖化の加速が進行しているる。2031年までに地球温暖化対策の目標値である
1.5℃を突破する可能性が高いことを示しているとする。同報告書では、世界がパリ条約の目標を
達成を望むならば、政府は温暖化ガス排出量削減だけでなく、大気から炭素を除去すべきで1.5℃
の限界を超えると、地球温暖化を抑えその水準以下に制御する必要であると主張。

IPOは、10〜30年の期間にわたりゆっくりとした変化そのもに影響し、熱帯太平洋の海洋温度は異常と
なる、この地域以外の北南の地域では異常に冷たくなっている。過去には、1925-1946年から1977-19
98年にかけ、これらは両方とも、世界の平均気温が急激な上昇期間であった。世界は気温が下がった
1947年から1976年にかけ逆の経験をする。IPOの最近の今世紀の否定的な特徴は、世界平均の表面温
度が遅い速度で上昇し続けている。このため"政策立案者は、1.5℃にどれほど急速に接近している
ことを認識しなければいけない。排出削減の課題は本当に喫緊であるという。

May. 9, 2017

 

 No. 17

【RE100倶楽部:太陽光発電篇】

● クラウドファンディング中:世界初のSolarGaps社製スマートブラインド

ウクライナの発明家Yevgen Erik が設立したSolarGap社のスマートなソーラーブラインドは、屋内生活
に革命を起こすかもしれない。同社によれば、外部設置することで10平方フィート(約0.93平方メート
ル)窓あたりで最大100ワット、内部設置の場合、最大50ワット発電でき、余剰電力は貯蔵、電力会社
に売電でき、また南向きの窓を備えた3部屋のアパートメントでは、1日あたり600ワット時または約
4キロワット/日も発電できる。また、このスマートブラインドは簡単に家庭用機器に電力供給できる、
発電状況がスマートフォーンやパソコンでリアルタイムでチェックすることができ、また、太陽の自動
追尾でブラインドの角度変更や上下動開閉の遠隔操作もできる。 

  May 12, 2017

 Oct. 13, 2017

 

  Company Overview of SolarGaps

   Pledged of  $50,000 gold: June 15 2017

現時点では、量子ドットハイブリット型なのか、ペロブスカイトハイブリット型太陽電池なのか不詳
(要調査)。このようなアイデアは国内特許で出願されているので抵触する可能があるものの、商品
として開示されたのは世界初となる。都会などのパネル設置が困難な空間では、このように、廉価、
薄膜で散乱光吸収型は最適である、例えば、氷点下から百℃の対応で、耐久性が10年以上で変換効率
が20%以上という基本仕様を満たせば、革命的に世界のエネルギー環境は一変する。その前駆体を担
うのがこの商品ではないかと考えている。これは楽しいことである。下記に、関連特許を参考掲載す
る(すでにこのブログで掲載済み)。
 

 ♞ doi:10.1038/nenergy.2016.157:Doctor-blade deposition of quantum dots onto standard window glass for
   low-loss large-area luminescent solar concentrators

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』        

    25 真実がどれほど深い孤独を人にもたらすものか 

 「あなたに折り入ってひとつお願いしたいことかあるのです」と免色は言った。
  その声音から、彼はその話を切り出すタイミングを前々からずっとはかっていたのだろうと私
 は推測した。そしておそらくはそのために私を(また騎士団長を)この夕食会に招待したのだ。
 個人的な秘密を打ち明け、その頼みごとを持ち出すために。

 「それがもしぼくにできることであれば」と私は言った。
  免色はしばらく私の目をのぞきこんでいた。それから言った。「それは、あなたにできること
 いうよりは、あなたにしかできないことなんです」
 
  突然なぜか煙草が吸いたくなった。私は結婚するのを機に喫煙の習慣を断ち、それ以来もう七
 年近く、煙草を一本も吸っていない。かつてはヘビースモーカーだったから、禁煙はかなりの苦
 行だったが、今では吸いたいと思うこともなくなっていた。しかしこの瞬間、煙草を一本口にく
 わえてその先端に火をつけられたらどんなに素敵だろうと、ずいぶん久しぶりに思った。マッチ
 をする音まで間こえてきそうだった。 

 「いったい、どんなことなのでしょう?」と私は尋ねた。それがどんなことかとくに知りたいわ
 けではなかったし、できれば知らずに済ませたかったが、話の流れとしてやはりそう尋ねないわ
 けにはいかなかった。

 「簡単に言いますと、あなたに彼女の肖像画を描いていただきたいのです」と免色は言った。

  私は彼の口にした文脈を順の中でいったんばらばらに解体し、もう一度並べ直さなくてはなら
 なかった。とてもシンプルな文脈だったのだけれど。

 「つまり、あなたの娘さんかもしれないその女の子の肖像画を、ぼくが描くということですね」

  免色は肯いた。「そのとおりです。それがあなたにお願いしたかったことです。それも写真か
 ら起こしたりするのではなく、実際に彼女を目の前に置いて、彼女をモデルにして絵を描いてい
 ただきたいのです。ちょうど私を描いたときと同じように、あなたのうちのスタジオに彼女に来
 てもらって。それが唯一の条件です。どのような描き方をするかはもちろんあなたにお任せしま
 す。好きなように描いていただいてけっこうです。あとのことは一切注文はつけません」

  私はしばらくのあいだ言葉を失ってしまった。疑問はいくつもあったが、いちばん最初に順に
 浮かんだ実際的な疑問を私は目にした。「しかし、どうやってその女の子を説得するのですか?
 いくら近所に住んでいるとはいえ、まったく見ず知らずの女の子に『肖像画を描きたいからその
 モデルになってくれないか』と持ちかけるわけにもいかないでしょう」
 「もちろんです。そんなことをしたら径しまれ、警戒されるだけです」
 「じやあ、何か良い考えをお持ちなんですか?」

  免色はしばらく何も言わず私の願を見ていた。それからまるで静かにドアを開けて、奥の小部
 屋に足を踏み入れるみたいに、おもむろに口を間いた。「実をいいますと、あなたが一番よく知
 っています。そして彼女もあなたのことをよく知っています」
 「ぼくは彼女のことを知っている?」
 「そうです。その娘の名前は秋川まりえといいます。秋の川に、まりえは平仮名のまりえです。
 ご存じでしょう?」

  秋川まりえ。その名前の響きには間違いなく聞き覚えがあった。しかしその名前と名前の持ち
 主とが、なぜかうまくひとつに結びつかなかった。まるで何かにブロックされているみたいに。
 でも少しして記憶がはっと戻ってきた。

  私は言った。「秋川まりえは小田原の絵画教室に来ている女の子ですね?」
  免色は肯いた。「そうです。そのとおりです。あなたはあの教室で、講師として彼女に結の指
 導をしています」

  秋川まりえは小柄で無口な十三歳の少女だった。彼女は私の受け持っている子供のための絵画
 教室に通っていた。いちおう小学生が対象とされている教室だから、中学生である彼女は最年長
 だったが、おとなしいせいだろう、小学生たちに混じっていてもまったく目立たなかった。まる
 で気配を殺すように、いつも隅の一方に身を寄せていた。私が彼女のことを覚えていたのは、彼
 女が私の亡くなった妹にどこか似た雰囲気を持っており、しかも年齢が妹の死んだときの年齢と
 だいたい同じだったからだ。

  教室の中で秋川まりえはほとんど口をきかなかった。私が何かを話しかけてもこっくりと肯く
 だけで、言葉はあまり口にしない。何かを言わなくてはならないときは、とても小さな声で話し
 たので、しばしば聞き返さなくてはならなかった。緊張が強いらしく、私の顔を正面から見るこ
 ともできないらしかった。ただ絵を描くのは好きなようで、絵筆を持って画面に向かうと目つき
 が変わった。両目の焦点がくっきり結ばれ、鋭い光が宿った。そしてなかなか興味深い面白い絵
 を描いた。決して上手というのではないが、人目を惹く絵だった。とくに色使いが普通とは違う。
 どことなく不思議な空気を持った少女だった。

  黒い髪は流れるようにまっすぐ艶やかで、目鼻立ちは人形のそれのように端正だった。ただあ
 まりにも端正過ぎるために、顔全休として眺めると、どことなく現実から乖離したような雰囲気
 が感じられた。客観的に見れば顔立ちは本来美形であるはずなのに、ただ素直に「美しい」と言
 い切ってしまうことに、人はなんとな座戸惑いを抱くのだ。何かが――おそらくある種の少女だ
 ちが成長期に発散する独特の生硬さのようなものが――そこにあるべき美しい流れを妨げている
 のだ。でもいつか、何かの拍子にそのつっかえが取り払われたとき、彼女は本当に美しい娘にな
 るかもしれない。しかしそれまでには今しばらく時間がかかりそうだった。思い出すと、私の死
 んだ妹の顔立ちにもいくらかそういう傾向があった。もっと美しくてもいいはずなのに、とよく
 私は思ったものだ。

 「秋川まりえはあなたの実の娘であるかもしれない。そしてこの谷間の向かい側の家に住んでい
 る」と私は更新された文脈をあらためて言葉にした。「彼女にモデルになってもらって、ぼくが
 その肖像画を描く。それがあなたの求めていることなのですか?」
 「そうです。ただ個人的な気持ちとしては、私はあなたにその絵を依頼しているわけではありま
 せん。私はあなたにお願いしているのです。絵が出来上がったら、そしてもちろんあなたさえよ
 ろしければ、私がそれを買い取らせてもらいます。そしていつでも見られるように、このデスク
 に飾ります。それが私の求めていることです。というか、お願いしていることです」

  しかしそれでもまだ、私には話の筋が今ひとつ素直に呑み込めなかった。物事はそれだけでは
 終わらないのではないかという微かな危惧があった。
 「求めておられるのは、ただそれだけなのですか?」と私は尋ねてみた。
  免色はゆっくりと息を吸い込み、それを吐いた。「正直に言いますと、もうひとつだけお願い
 したいことがあります」
 「どんなことでしょう?」
 「とてもささやかなことです」と彼は静かな、しかし僅かにこわばりの感じられる声で言った。
 「あなたが彼女をモデルにして肖像画を描いているときに、お宅を訪問させていただきたいので
 す。あくまでたまたまふらりと立ち寄ったという感じで。コ皮だけでいい、そしてほんの短いあ
 いだでかまいません。彼女と同じ部屋の中にいさせてください。同じ空気を吸わせてください。
 それ以上は望みません。また決してあなたのご迷惑になるようなことはしません」

  それについて考えてみた。そして考えれば考えるほど、居心地の悪さを感じることになった。
 何かの仲介役になったりすることを私は生来苦手としている。他人の強い感情の流れに―――そ
 れがどのような感情であれ、巻き込まれるのは好むところではない。それは私の性格に向いた役
 柄ではなかった。しかし免色のために何かをしてやりたいという気持ちが私の中にあることもま
 た確かだった。どのように返事をすればいいのか、慎重に考えなくてはならない。

 「そのことはまたあとであらためて考えましょう」と私は言った。「とりあえずの問題は、そも
 そもそも秋川まりえが絵のモデルになることを承諾してくれるだろうかということです。それを
 まず解決しなくてはなりません。とてもおとなしい子供ですし、猫のように人見知りをします。
 絵のモデルになんかなりたくないと言うか心しれません。あるいは親が、そんなことは許可でき
 ないというか心しれません。ぼくがどういう素性の人間なのかもわからないわけですから、当然
 警戒もするでしょう」

 「私は絵画教室の主宰者である松嶋さんを個人的によく知っています」と免色は涼しげな声で言
 った。「それに加えて、私はたまたまあの教室の出資者というか後援者の一人でもあります。松
 嶋さんがあいだに入って口を添えてくれれば、諾は比較的円滑に進むのではないでしょうか。あ
 なたが間違いのない人物であり、キャリアを積んだ画家であり、自分かそれを保証すると彼が言
 えば、親もおそらく安心するでしょう」
  この男はすべてを計算してことを進めているのだ、と私は思った。彼は起こりそうなことをあ 
 らかじめ予測し、囲碁の布石のように、ひとつひとつ前もって適切な手を打っておいたのだ。た
 またまなんてことはあり得ない。

  免色は続けた。「日常的に秋川まりえの世話をしているのは、彼女の独身の叔母さんです。父
 親の妹です。前にも申し上げたと思いますが、母親が亡くなったあとその女性があの家に同居し
 て、まりえの母親代わりをつとめてきました。父親には仕事があり、日常の世話をするには忙し
 すぎますから。ですからその叔母さんさえ説得すれば、ものごとはうまく運ぶはずです。秋川ま
 りえがモデルになることを承諾したときには、おそらく彼女が保護者としてお宅まで付き添って
 くるはずです。男が一人暮らしをしている家に、女の子を単独で行かせるというようなことはま
 ずないでしょうから」
 「でもそううまく秋川まりえがモデルになることを承諾してくれるでしょうか?」
 「それについては任せてください。あなたさえ彼女の肖像を描くことに同意してくだされば、あ
 とのいくつかの実務的な問題は私か手をまわして解決します」

  私はもう一度考え込んでしまった。おそらくこの男はそこにある「いくつかの実務的な問題」
 を「手をまわして」うまく解決していくことだろう。もともとそういうことを得意としている人
 物なのだ。しかしそこまで自分かその問題に――おそろしくややこしく入り組んだ人間関係に
 深く関わってしまっていいものだろうか。そこにはまた免色が私に明かした以上の、計画な
 り思惑なりが含まれているのではあるまいか?

 「ぼくの正直な意見を言ってかまいませんか? 余計なことかもしれませんが、あくまで常識的
 な見解として問いていただきたいのです」と私は言った。
 「もちろんです。なんでも言ってください」
 「ぼくは思うのですが、この肖像画のプランを実際に実行に移す前に、秋川まりえが本当にあな
 たの実子なのかどうか、調べる手立てを講じられたほうがいいのではないでしょうか? その結
 果もし彼女があなたの実子でないとわかれば、わざわざそんな面倒なことをする必要はないわけ
 です。調べるのは簡単ではないかもしれませんが、たぶん何かうまい方法はあるはずです。免色
 さんならきっとその方法くらい見つけられるでしょう。ぼくが彼女の肖像画を描けたとしても、
 そしてその結があなたの肖像画の隣にかけられたとしても、それで問題が解決に向かうわけじや
 ありません」
  
  免色は少し間を置いて答えた。「秋川まりえが私の血を分けた子供なのかどうか、医学的に正
 確に調べようと思えば調べられると思います。いくらか手間はかかるでしょうが、やってできな
 くはありません。しかし私はそういうことをしたくないのです」
 「どうしてですか?」
 「秋川まりえが私の子供なのかどうか、それは重要なファクターではないからです」

  私は目を閉ざして免色の顔を見ていた。彼が首を振ると、豊かな白髪が風にそよぐように揺れ
 た。それから彼は穏やかな声で言った。まるで頭の良い大型犬に簡単な動詞の活用を教えるみた
 いに。

 「どちらでもいいというのではありません、もちろん。ただ私はあえて真実をつきとめたいとは
 思わないのです。秋川まりえは私の血を分けた子供であるかもしれない。そうではないかもしれ
 ない。でももし仮に彼女が私の実の子供であったと判明して、そこで私はいったいどうすればい
 いのですか? 私が君の本当の父親なんだよと名乗り出ればいいのですか? まりえの養育権を
 求めればいいのですか? いや、そんなことはできっこありません」
 
  免色はもう一度軽く首を振り、膝の上でしばらく両手をこすり合わせた。まるで寒い夜に暖炉
 の前で身体を温めているみたいに。そして話を続けた。

 「秋川まりえは今のところ、父親と叔母と一緒にあの家で平穏に暮らしています。母親は亡くな
 りましたが、それでも家庭は――父親にいくらか問題はあるものの――比較的健全に運営されて
 いるようです。少なくとも彼女は叔母になついています。彼女には彼女なりの生活ができあがっ
 ています。そこに出し抜けに私がまりえの実の父親だと名乗り出て、それが真実であることが科
 学的に証明されたとして、それで話がすんなりうまく収まるでしょうか? 真実はむしろ混乱を
 もたらすだけです。その結果おそらく誰も幸福にはなれないでしょう。もちろん私も含めて」
 「つまり、真実を明らかにするよりは、今の状況をこのままとどめておきたいと」

  免色は膝の上で両手を広げた。「簡単に言えばそういうことです。その結論に達するまでには
 時間がかかりました。しかし今では私の気持ちは固まっています。『秋川まりえは自分の実の娘
 かもしれない』という可能性を心に抱いたまま、これからの人生を生きていこうと私は考えてい
 ます。私は彼女の成長を、一定の距離を置いたところから見守っていくことでしょう。それで十
 分です。たとえ彼女が実の娘であるとわかっても、私はまず幸福にはなれません。喪失がより痛
 切なものになるだけでしょう。そしてもし彼女が自分の実の娘ではないとわかったら、それはそ
 れで、別の意味で私の失望は深いものになります。あるいは心が挫けてしまうかもしれない。ど
 ちらに転んでも、好ましい結果が生まれる見込みはありません。言わんとすることはおわかりい
 ただけますか?」
 「おっしやっていることはおおよそ理解できます。論理としては。でももしぼくがあなたの立場
 にあるとすれば、やはり真実を知りたいと思うはずです。論理はさておき、本当のことを知りた
 いと望かのが人間の自然な感情でしょう」

  免色は微笑んだ。「それはまだあなたがお若いからです。私ほどの年齢になれば、あなたにも
 きっとこの気持ちがおわかりになるはずです。真実がときとしてどれほど深い孤独を人にもたら
 すかということが」
 けて日々眺め、そこにある可能性について思いを巡らせること――本当にそれだけでかまわない
 のですか?」
  免色は肯いた。「そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性
 を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと
 思いますか?」

  私にはそれはやはり不自然なことに思えた。少なくとも自然なこととは思えなかった。不健康
 とまでは言えないにせよ。しかしそれは結局のところ免色の問題であって、私の問題ではない。
  私はスタインウェイの士の騎士団長に目をやった。騎士団長と私の目が合った。彼は両手の人
 差し指を宙に上げ、左右に広げた。どうやらくその返答は先延ばしにしろ〉ということらしかっ
 た。それから彼は右手の人差し指で左手首の腕時計を指さした。もちろん騎士団長は腕時計なん
 てはめていない。腕時計のあるあたりを指さしたということだ。そしてもちろんそれが意味する
 のは、〈そろそろここを引き上げた方がいい〉ということだった。それは騎士団長からのアドバ
 イスであり、警告だった。私はそれに従うことにした。

 「あなたのお申し出についての返答は、少し待っていただけますか? いささか微妙な問題です
 し、ぼくにも落ち着いて考える時間が必要です」
  免色は膝に置いた両手を宙に上げた。「もちろんです。もちろん、ゆっくり心ゆくまで考えて
 ください。急がせるつもりはまったくありません。私はあなたに多くのことをお願いしすぎてい
 るかもしれない」

  私は起ち上がって夕食の礼を言った。

 「そしてあなたが求めているのは、唯一無二の真実を知ることではなく、彼女の肖像画を壁にか 
 「そうだ、ひとつあなたにお話ししようと思って、忘れていたことがあります」と免色は思い出
 したように言った。「雨田典彦さんのことです。以前、彼がオーストリアに留学していたときの
 話が出ましたね。そしてヨーロッパで第二次大戦が勃発する直前に、彼がウィーンから急速引き
 上げてきたことについて」
 「ええ、覚えています。そんな話をしました」
 「それで少しばかり資料をあたってみたんです。私もそのあたりの経緯にいささか興味があった
 ものですから。まあずいぶん古い話ですし、ことの真相ははっきりとはわかりません。しかし当
 時から噂は囁かれていたようです。一種のスキャンダルとして」
 「スキャンダル?」
 「ええ、そうです。雨田さんはウィーンでとある暗殺未遂事件に巻き込まれ、それが政治的な問
 題にまで発展しそうになり、ベルリンの日本大使館が動いて彼を密かに帰国させた、そういう噂
 が一部にはあったようです。アンシュルスの直後のことです。アンシュルスのことはご存じです
 ね」

 「一九三八年におこなわれたドイツによるオーストリアの併合ですね」
 「そうです。オーストリアはヒットラーによってドイツに組み込まれました。政治的なごたごた
 の未に、ナチスがオーストリア全土をほとんど強権的に掌握し、オーストリアという国家は消滅
 してしまった。一九三八年三月のことです。もちろんそこでは数多くの混乱が生じました。どさ
 くさに紛れて少なからぬ数の人が殺害されました。暗殺されたり、自殺に見せかけて殺されたり、
 あるいは強制収容所に送られたり。雨田典彦がウィーンに留学していたのはそのような激動の時
 代だったのです。噂によれば、ウィーン時代の雨田典彦には深い件になったオーストリア人の恋
 人がいて、その繋がりで彼も事件に巻き込まれたようです。どうやら大学生を中心とする地下抵
 抗組織が、ナチの高官を暗殺する計画をたてていたらしい。それはドイツ政府にとっても、日本
 政府にとっても好ましい出来事ではありませんでした。その一年半ほど前に日独防共協定が結ば
 れたばかりで、日本とナチス・ドイツとの結びつきは日を追って強くなっていました。だからそ
 の友好関係を阻害するような事態が持ち上がることは極力避けたいという事情が、両国ともにあ
 りました。そしてまた雨田典彦氏は若いけれど、日本国内では既にある程度名を知られた画家で
 もあり、それに加えて彼の父親は大地主で、政治的発言力を持つ地方の有力者でした。そういう
 人物を人知れず抹殺してしまうわけにもいきません」

 「そして雨田具彦はウィーンから日本に送還された?」
 「そうです。送還されたというよりは、救出されたと言った方が近いかもしれな
 い。上の方の〈政治的配慮〉によって九死に一生を得たというところでしょう。そんな重大な容
 疑でゲシュタポに引っ張られたら、仮に明確な証拠がなかったとしても、まず命はありませんか
 ら」
 「しかし暗殺計画は実現しなかった?」
 「あくまで未遂に終わりました。その計画をたてた組織の内部には通報者がいて、情報はすべて
 ゲシュタポに筒抜けであったということです。だから組織のメンバーは一網打尽に逮捕されてし
 まった」
 「そんな事件があったら、かなり大きな騒ぎになっていたでしょうね」
 「ところが不思議なことに、その話はまったく世の中に流布していません」と免色は言った。
 「スキャンダルとして密かに囁かれていただけで、公的記録も残されていないみたいです。それ
 なりの理由があって、事件は関から関へと葬られたらしい」

  とすれば、彼の絵『騎士団長殺し』の中に描かれている「騎士団長」とはナチの高官のことだ
 ったのかもしれない。あの絵は一九三八年のウィーンで起こるべきであった(しかし実際には起
 こらなかった)暗殺事件を仮想的に描写したものなのかもしれない。事件には雨田典彦とその恋
 人が関連している。その計画は当局に露見し、その結果二人は離ればなれになり、たぶん彼女は
 殺されてしまった。彼は日本に帰ってきてから、そのウィーンでの痛切な体験を、日本画のより
 象徴的な画面に移し替えたのだ。つまりそれを千年以上昔の飛鳥時代の情景に「翻案」したわけ
 だ。『騎士団長殺し』はおそらくは雨田具彦が自分自身のために描いた作品だったのだろう。
 彼は青年時代の厳しく血なまぐさい記憶を保存するために、その結を自らのために描かないわけ
 に はいかなかった。だからこそ彼は描きあげた『騎士団長殺し』を公にすることなく、堅く包
 装して家の屋根裏に人目につかないように隠していた。

  あるいは日本に戻ってきた雨田具彦が、洋画家としてのキャリアをきっぱりと捨て、日本画に
 転向することになった理由のひとつは、そのウィーンでの事件にあったのかもしれない。彼は過
 去の自分白身と決定的に離別したかったのかもしれない。

 「あなたはどうやってそれだけのことを調べられたのですか?」と彼は尋ねた。
 「私が実際にあちこちを歩き回って調べたわけではありません。知り合いのある団体に頼んで調
 査してもらったんです。ただそうとう昔の話になりますし、話のどこまでが確実な事実なのか責
 任は持てません。しかし複数のソースにあたったから、基本的には情報として信頼できるはずで
 す」
 「雨田典彦さんにはオーストリア人の恋人がいた。彼女は地下抵抗組織のメンバーだった。そし
 て彼もその暗殺計画に加わることになった」
  免色は首を少し傾けた。そして言った。「もしそうであればなかなか劇的な展開ですが、事情
 を知る関係者はほとんど死んでいます。真実が正確にいかなるものであったか、もはや我々には
 知るすべもなさそうです。事実は事実として、そういう話にはだいたい尾ひれがつくものです。
 しかしいずれにせよメロドラマのような筋書きだ」
 「彼自身がどの程度深くその計画に関係していたかまではわからない?」
 「ええ、そこまではわかりません。私はただメロドラマの筋書きを勝手に思い描いているだけで
 す。とにかくそのような経緯で雨田典彦氏はウィーンから追放され、恋人に別れを告げて――あ
 るいは別れを告げることさえできず――ブレーメン港から客船に乗せられ日本に帰国しました。

 戦争中は阿蘇の田舎にこもって深い沈黙を守り、戦後まもなく日本画家として再デビューを果た
 し、人々を驚かせた。これもまたなかなかにドラマチックな展開です」
  そこで雨田典彦についての話は終わった。

  来たときと同じ黒いインフィニティが家の前で静かに私を待っていた。雨はまだ断続的に細か
 く降り続き、空気は湿って冷えていた。本格的なコートの必要な季節がすぐそこまで近づいてい
 る。
 「わざわざおいでいただき、とても感謝しています」と免色は言った。「騎士団長にもお礼を申
 し上げます」

  こちらこそお礼を申し上げたい、と騎士団長が私の耳元で囁くように言った。しかしもちろん
 その声は私の耳にしか届かない。私はもう一度免色に夕食の礼を言った。本当に素晴らしい料理
 だった。堪能しました。騎士団長も感謝しているようです。

 「食事のあとでつまらない話を持ち出して、せっかくの夜を台無しにしたのでなければいいので
 すが」と免色は言った。
 「そんなことはありません。ただお申し出については、もう少し考えさせてください」
 「もちろんです」
 「ぼくは考えるのに時間がかかります」
 「それは私も同じです」と免色は言った。「二度考えるよりは、三度考える方がいい、というの
 が私のモットーです。そしてもし時間さえ許すなら、三度考えるよりは、四度考える方がいい。
 ゆっくり考えてください」

、                                    この項つづく
 

    

 

醒井楼山麓の梅花藻

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        隠公四年、州吁(しゅうく)の乱とその後 / 鄭の荘公小覇の時代 

 

 

                              


     ※ 大義、親を滅す:さて、州吁は、当てがはずれてまだ人民の反感をやわ
       らげることができなかった。そこで側近の石厚は、父親の石碏のところ
       へ出掛けて、その対策を相談した。「天子にお目見得するとよい」と、
       石碏は教えた。
     ※「どうしたらお目見得がかないますか」「陳の桓公は天子の信頼が厚い人
       だ。わが国は陳と誼みを通じているゆえ、陣侯のもとへご機嫌をうかが
       いに行って、その斡旋を頼んだらよい」石厚は、さっそく州吁につき従
       って、陣国を訪問した。一方、石碏は陳へ使いをやって、「わが衛国は
       ちっぽけな存在であるうえ、このわたくしももはや耄碌いたし、何か起
       きてもどうすることもできません。貴国を訪問した二人の男は、主君を
       殺した反逆者ゆえ、かまわず処分していただきたい」と、頼んだ。陳は
       さっそく州吁と石厚の二人を捕えると、衛に使いをよこして、立会人の
       派遣を求めてきた。九月、衛は右宰(大夫の役名)の醜を濮(陳の邑)
       へ派遣し、州吁の処刑に立ち合わせた。石碏自身も、家宰の凱玉屑を派
       遣し、石厚の処刑に立ち会わせた。「石碏は忠臣である。州肝を憎んで、
       わが子の石厚まで容赦しなかった。大義、親を滅すとは、これを言うの
       だ」当時の識者はこのように石碏をたたえた。
     ※ その後、衛は公子晋を邢から迎えいれた。かくして冬十二月、宣公(晋)
       が即位した。『春枕経』において、「衛人、百を立つ」と記録している
       のは、公子晋に衆望が集まったことを示している。 

 

  

 

【醒井楼山麓の梅花藻】

腰痛の再発もあって遠出することを控え、息抜きに、高島(海津大崎)、東近江(池田牧場・日登美
ワイナリ)などに出かけているが、母の日だからと、醒ヶ井の梅花藻を見に行こう車を走らせたが、
異常気象の加減で2週間程度後でないと見頃ではないと醒ヶ井養鱒場の係の人の話し。それじゃ、長
谷川から地蔵川に向かうことになったのだが、霊仙山の麓でもあり、一度も立ち寄ったことのなかっ
た松尾寺をひとめ訪ねてみることに。このお寺には、秘仏本尊は雲中より飛来されたという「飛行観
音」で、海外渡航者や航空関係者の人々の信仰を得ているとか。役の行者が松尾寺山頂の修行の聖地
において斧で岩屋を割ったところ水が湧き、今も“役の行者の斧割り水”と呼ばれ、美味しい水が絶
え間なく流れ、霊仙七ヶ支院の内唯一残存する寺で、山頂の本堂跡地は県指定史跡に指定されている。

寺伝によると、松尾寺は白鳳九年(680)、修験道の開祖、役(えん)の行者(役の小角(おづぬ))
が松尾寺山中(504m)で修行中、空中より飛来して来た二体の観音像を洞窟に祀ったことに始ま
る。神護景雲三年(769)僧宣教が建立した霊仙七ヵ寺の内、今日残存する唯一の寺院。平安時代
の山岳修行の風潮の中、伊吹山の三修上人の高弟、松尾童子がこの寺の中興に力を注ぎ、その後山岳
信仰の寺院として発展。一寺一院十八坊のお堂(伽藍)があった。松尾寺山頂からは湖北一帯が一望
でき、山城跡もある。中世に湖北を支配していた浅井亮政や石田正継、それに豪族の三田村、樋口等
の古文書が残され、戦国時代には織田信長勢の兵火により本堂が燃えさかる中、御本尊は自ら飛び上
がり、影向(ようごう)石に降りたって難を逃れたといわれ、“空中飛行観音”の名が世に知れ渡った
というほどに住民の信仰の深さが伝わってくるようである。

江戸時代、松尾寺は、彦根藩主井伊家の庇護のもと、寛文年間(1661~1673)に本堂が建立
され、一時は五十余の小寺(院や坊)があり、松尾寺村を形成、村高は六十余石におよぶ。お茶(松
尾茶=旭山)が名産物で、皇室、公家衆、武家衆にも献上されている。明治初期に上丹生村に合併さ
れる。近代になり、飛行機が発達するにつれ「飛行」と名が付く当寺の御本尊、飛行観音に関心が高
まりました。戦時中、本土決戦態勢が取られていた折、訓練を終えた多くの航空隊員が出陣前に松尾
寺へ参詣し、戦場へ飛び立っていったとされ、昭和十年の松尾寺秘仏御開帳時は、岐阜県各務原飛行
学校から長さ約3メートルのプロペラが奉納され、現在も松尾寺内に大切に保存されていという(当
日参観せず)。昭和五十六、五十八年と続く豪雪によって本堂が倒壊後、第七十九世住職がの環境保
建保安林の植樹運動や、松尾寺の歴史を訪ねる七不思議遊歩道の整備等に尽力。平成二十四年六月に
は山麓に新本堂と資料館が完成。また旧本堂跡地が滋賀県の史跡に指定(平成二十三年)、参詣登山
道の路傍に残存する三十一基の丁石が米原市の有形文化財に指定(平成二十四年)される。

さて、本楼は、松尾寺は山の豊かな湧水を活用し、隣接の養鱒場の鱒を世にだすことをはじめ、山麓
にお食事処「醒井楼」を開設し六十年となる。醒井楼のこだわりは、地元の食材をいかした料理が特
である。

松尾寺の横には、玄関前には淡い黄色の牡丹が咲き乱れている虹鱒料理店の『醒井楼』(さめがいろ
う)があり、昼食には時間が早いが、いいじゃないの早めの食事にしましょうというので、店に入る
と聞き慣れた声がする。みると、この店のひとが知人だというかっての会社の同僚のT氏が立ってい
るので、訳を訊くと地域のボランティア活動を行っているとかで、握手を交わし別れ、係のひとに案
内され奥座敷へ案内される。


☑ 霊仙三蔵記念堂

霊仙三蔵は、今から1200年前(759)息長氏丹生真人族の長子として、霊山山麓の地に生まれ、
幼くして仏門に入り、金勝寺別院霊山寺(霊山七カ寺のーつ、松尾寺、安養寺他)から奈良の法相宗
興福寺に入山する。得度され、804年に最澄様や空海様と共に当時の世界文化の中心地、唐の長安
に仏教求法の為、渡唐。その後、最澄や空海は相次いで帰国、渡唐時、霊仙卓越した才により、梵語
(サンスクリット語)を修得。石山寺で発見された『大乗本生心地観経』の筆受並びに訳語の重責を
果したことで当時の大唐国憲宗皇帝から認められ、『三蔵』の称号を贈られる。号を賜った高僧は、
仏教発祥の地インドでは般若他四名、中国では玄奘他一名、西域で一名、日本で一名と、世界中でわ
ずか八名しかいまない。
 
霊仙さまは三蔵法師の号を賜った日本人唯ひとりの高僧であり、大秘法『大元帥明王法』を日本に伝
えられる。その後、憲宗皇帝が暗殺され、仏教徒弾圧が日に日にひどくなると、長安から五台山へ逃
れながら修行を続ける。内供奉僧という皇帝の側近くにあって相談役を勤めた高僧であったため、再
三の帰国願いも許されず、827年、五台山の南、霊境村霊境寺にて六十八歳で没する。霊仙三蔵事
跡は、嵯峨天皇との交流(続日本後記)や、慈覚大師円仁『入唐求法巡礼行記(840)』、また大
正二年に石山寺の経蔵で発見された『大乗本生心地観経』などから明らかになる。望郷の念を抱きつ
つ、その生涯を閉じた霊仙三蔵さまは、霊境村の人々によって手厚く葬られたと言われている。 



玄関からの印象とは異なり、中庭を螺鈿状に囲むように、廊下沿いに座敷が数多く並んでおり、さぞ
手入れなどは大変なんだろうと思いつつ、通された部屋の掛け軸に野口雨情の童謡『しゃぼん玉』の
歌詞が書かれているので、しばらくして、運ばれてきた御馳走の割り箸収めに印刷された「役の行者
の建てたる寺は 飛行観音」の句をみて、住民らが松尾寺や醒ヶ井養鱒場に招き「醒井小唄」や「俳
句」を書かれたことを知る。それはさておき、コース料理を頂いたが、虹鱒のフレッシュな刺身の脂
身が口の中をやさしくコーティング、あたかも宗谷川の潺が訊こえてきそうな芳しさと出会い、これ
は美味い!とうなる。



  役の行者の建てたる寺は 飛行観音 松尾寺         

  鱒になるなら 宗谷川の 清き流れの 虹鱒に     醒井小唄

  彦根なつかし昔のままに 城でなるのは時の鐘  彦根音頭

 醒井小唄

料理を食べ終えるころになると、貸し切り状態の店にも、母の日のお祝いや観光で大阪、岐阜などか
らの沢山の来客で賑やかになる中、わたしたちは退席し、JR醒ヶ井駅近くの地蔵川の梅花藻を見学
に向かうが、お目当ての花は、まだちいさくこれからというところ。中山道の整備も一通り行われて
いて、東南アジアからの観光客ツアーの旅人たちも数多く思い思いに散策光景が印象的であった。

 地蔵川(梅花藻)

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』         

    25 真実がどれほど深い孤独を人にもたらすものか 

  運転手が後部席のドアを開けて持っていた。私はそこに乗り込んだ。騎士団長もそのとき一緒
 に乗り込んだはずだが、その姿は私の目には映らなかった。車はアスファルトの坂道を上り、聞
 かれた門を出て、それからゆっくりと山を下りた。その白い屋敷が視界から消えてしまうと、今
 夜そこで起こったことのすべてが、夢の中の出来事であるように思えた。何か正常であり何か正
 常でないのか、何か現実であり何か現実でないのか、だんだん見極めがつかなくなっている。

  目に見えるものが現実だ、と騎士団長が耳元で囁いた。しっかりと目を開けてそれを見ておれ
 ばいいのだ。判断はあとですればよろしい。

  しっかり目を開けていても見落としていることがたくさんありそうだ、と私は思った。あるい
 はそう心で思いつつ、小さく声に出してしまったのかもしれない。運転手がルームミラーで私の
 顔をちらりと見たからだ。私は目を閉じて、背中をシートに深くもたせかけた。そして思った。
 いろんな判断を永遠に後回しにできたらどんなに素晴らしいだろう。

  帰宅したのは十時少し前たった。私は洗面所で歯を磨き、パジャマに着替えてベッドに潜り込
 み、そのまま眠った。当然のことながらたくさんの夢を見た。どれも居心地の悪い奇妙な夢だっ
 た。ウィーンの街に翻る無数のハーケンクロイツ、ブレーメンを出港する大型客船、岸壁のブラ
 スバンド、青髭公の開かずの間、スタインウェイを弾く免色。

    26.これ以上の構図はありえない

  その二日後、東京のエージェントから電話がかかってきた。免色氏から絵の代金の振り込みか
 おり、そこからエージェントの手数料を差し引いた金額を、私の銀行口座に振り込んだというこ
 とだった。私はその金額を聞いて驚いた。最初に聞かされていた金額より更に多かったからだ。

 「出来上がった絵が期待していたより素晴らしいものだったので、ボーナスとして金額を追加し
 た。感謝の気持ちとして遠慮なく受け取ってもらいたいという免色さんからのメッセージがつい
 ていました」と私の担当者は言った。

  私は軽くうなったが、言葉は出てこなかった。

 「実物は見ていませんが、免色さんがメールで絵の写真を遠ってくださって、それを拝見しまし
 た。写真で見る限りですが、素晴らしい作品だと私も感じました。肖像画という領域を超えた作
 品だし、それでいて肖像画としての説得力を具えています」

  私は礼を言った。そして電話を切った。

  その少し後にガールフレンドから電話がかかってきた。明日のお昼前にそちらに行ってかまわ
 痛と共に「まさかこんなことが」という純粋な驚きが読み取れた。そばで成り行きを見守ってい
 る若い女は(オペラのドンナ・アンナだ)、激しくせめぎ合う感情によってまさに身を二つに引
 き裂かれているようだった。端正な顔は苦悶のために歪んでいる。白い美しい手は目の前にかぎ
 されている。ずんぐりとした休つきの従者らしき男(レポレロ)は、思いも寄らぬ展開に息を呑
 み、天を仰いでいた。彼の右手は何かを掴もうとするように宙に伸ばされている。

  構成は完璧だった。これ以上の構図はありえない。練りに練られた見事な配置だ。四人の人々
 はその動作のダイナミズムを生々しく保持したまま、そこに瞬間凍結されている。そしてその構
 図の上に、私は一九三八年のウィーンで起こっていたかもしれない暗殺事件の状況を重ねてみた。
 騎士団長は飛鳥時代の装束ではなく、ナチの制服を着ていた。あるいはそれは親衛隊の黒色の制
 服かもしれない。そしてその胸にはおそらくサーベルなり短刀なりが突き立てられていた。それ
 を突き剌しているのは、雨田具彦本人であったかもしれない。そばで息を呑んでいる女は誰なの
 だろう? 雨田典彦のオーストリア人の恋人なのだろうか? いったい何かかくも彼女の心を引
 き裂いているのだろう?

  私はスツールに座って、『騎士団長殺し』の画面を長く見つめていた。想像力を巡らせれば、
 そこからいろんな寓意やメッセージを読み取ることが可能だった。しかしいくら説を組み立てた
 ところで、結局のところすべては裏付けのない仮説に過ぎない。そして免色が話してくれたその
 絵のバックグラウンドは――バックグラウンドと思われるものは――公にされた歴史的事実では
 なく、あくまで風説に過ぎないのだ。あるいはただのメロドラマに過ぎないのだ。すべてがかも
 しれないで終わっている話だ。

 だが、でも考えてみれば妹を亡くして以来、精神的な困難に直面したときに寄りかかれるパート
 ナーを、心のどこかで求めてきたのかもしれない。しかし言うまでもないことだが、妻は妹とは
 違う。ユズはコミではない。立場も違うし役柄も違う。そして何より共に培ってきた歴史が違う。

  そんなことを考えているうちに私はふと、結婚する前に世田谷区砧(きぬた)にあるユズの実
 家を訪問したときのことを思いだした。

  ユズの父親は一流銀行の支店長をしていた。息子(ユズの兄だ)もやはり銀行員で、同じ銀行
 に勤務していた。どちらも東京大学の経済学部を卒業しているということだった。どうやら銀行
 員の多い家系らしかった。私はユズと結婚したいと思っていて(そしてもちろんユズも私と結婚
 したいと思っていて)、その意思を彼女の両親に伝えに行ったわけだが、父親との半時間あまり
 の会見は、どのような見地から見ても友好的とは言い難いものだった。私は売れない両家であり、
 アルバイトに肖像画を描いているだけで、定収入と呼べるものもなかった。将来性と呼べそうな
 ものもほとんど見当たらない。どう考えてもエリート銀行員の父親に好意を持たれるような立場
 にはなかった。それくらいは前もって予想できていたから、何を言われようと、どのように罵倒
 されようと、冷静さだけは失うまいと心を決めてその場に出向いた。そして私はもともとかなり
 我慢強い性格だ。

  でも妻の父親のくどくどしい説教を拝聴しているうちに、私の中で生理的嫌悪感のようなもの
 が高まり、次第に感情のコントロールがきかなくなっていった。気分が悪くなり、吐き気を感じ
 たほどだった。私は話の途中で席から起ち上がり、申し訳ないが洗面所を借りたいと言った。そ
 して便器の前に膝をつき、胃の中にあるものを吐いてしまおうと努めた。しかし吐けなかった。
 う。そして気がついたときには、彼女は私以外の男と密かに逢うようになっていた。結婚生活は
 結局のところ、六年ほどしか続かなかったわけだ。

  彼女の父親は私たちの結婚生活が破綻したことを知って、おそらく「それみたことか」とほく
 そ笑んでいることだろう(彼の予想よりは一年か二年長くもったわけだが)。そして。ズが私か
 ら離れたことを、むしろ喜ばしい出来事と見なしているに違いない。ユズは私と別れてから実家
 との関係を修復したのだろうか? もちろんそんなことは私には知りようもないし、また知りた
 いとも思わない。それは彼女の個人的な問題であって、私の与り知るところではない。しかしそ
 れでもなお、父親の呪いは私の頭上から依然として取り払われていないようだった。私はその漠
 然とした気配を、じわりとした重みを今もなお感じ続けていた。そして自分では認めたくないこ
 とだが、私の心は思った以上に深い傷を負い、血を流していた。雨田典彦の絵の中の、騎士団長
 の剌された心臓のように。

  やがて午後が深まり、秋の早い夕暮れがやってきた。あっという間に空か暗さを増し、艶やか
 な漆黒のカラスたちが、谷間の上空を販やかに叫びながらねぐらに向かっていった。私はテラス
 に出て手すりにもたれ、谷間の向こう側の免色の家を眺めた。庭園のいくつかの水銀灯が既に点
 灯され、夕闇の中にその家の白さを浮かび上がらせていた。そのテラスから高性能の双眼鏡を使
 って、夜ごとひそかに秋川まりえの姿を求めている免色の姿を私は思い浮かべた。彼はその行為
 を可能にするために、まったくそのことだけを目的として、その白い家を強引に手に入れたのだ。
 大金を支払い、面倒な手間をかけ、しかも自分の趣味にあっているとは言い難い広すぎる屋敷を。

  そして不思議なことなのだが(私自身には不思議に感じられることなのだが)、ふと気がつく
 と私は見仏という人物に対して、他の人にはこれまで感じたことのない近しい思いを抱くように
 なっていた。親近感、いや、連帯感とさえ呼んでもいいかもしれない。我々はある意味では似た
 もの同士なのかもしれない――そう思った。私たちは白分たちが手にしているものではなく、ま
 たこれから手にしようとしているものでもなく、むしろ失ってきたもの、今は手にしていないも
 のによって前に動かされているのだ。彼のとった行為が私に納得できたとはとても言えない。そ
 れは明らかに私の理解の範囲を超えていた。しかし少なくともその動機を理解することはできた。



  私は台所に行って、雨田政彦にもらったシングル・モルトのオンザロックをつくり、それを于
 に居間のソファに座って、雨田典彦のレコード・コレクションの中から、シューベルトの弦楽四
 重奏曲を選んでターンテーブルに載せた。『ロザムンデ』と呼ばれる作品だ。免色の家の書斎で
 かかっていた音楽だ。その音楽を聴きながら、ときどきグラスの中の氷を握らせた。
  その日はとうとう最後まで、騎士団長は一度も要を見せなかった。彼はやはりみみずくと一緒
 に、屋根裏畏で静かに休んでいるのかもしれない。イデアにだってやはり休日は必要なのだ。私
 もその日は一度もキャンバスの前に立たなかった。私にもやはり休日は必要なのだ。
  騎士団長のために私は一人でグラスをあげた。                                  

 

                                                          この項つづく 

    

日本型RE100住宅販売開始

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          荘公八、九年、斉の無知の乱 / 鄭の荘公小覇の時代 

 

 

                              


     ※ 鄭は小覇・荘公の死後、宋・斉・蔡・衛等の連合軍と戦って敗れたうえ
       内乱によってにわかに衰える。衛も内乱のためにふるわない。この間に
       あってひとり強盛を諸っているのが斉であ。魯は斉と一戦を交えたもの
       の、斉の強さに恐れをなし、魯の桓公は夫人文姜を(ぶんきょう)伴っ
       て斉を親善訪問する。ところが斉の襄公は文姜と通じ、力の強い公子彭
       生(ほうせい)に命じて、魯の桓公を車中に圧殺せしめ、その申し訳に
       いっさいの罪を彭生に負わせてこれを殺す。弱気の魯はあえて抗議もな
       しえず泣き寝入りする。魯の桓公十八年のことである。魯ではその子荘
       公があとをついだ。かくて斉の襄公は、紀を滅ぼし、鄭の君・子甕(し
       び)を殺し、魯・宋・陳・蔡の諸国を率いて衛を伐ち、斉の桓公に先ん
       じて覇業を成しとげようとするが、その一歩手前で公孫無知の反乱にあ
       って殺された。魯では荘公九年にあたる。

 

 No.18

 

 May 3, 2017

【RE100倶楽部:太陽光発電篇】

米国国防省 太陽光マイクログリッドレジリエンス向上

米ミシガン技術大学(Michigan Technological University: MTU)の研究者らは、太陽光発電をベースとし
たマイクログリッドが、レジリエンス(復元力)の向上に効果があるとの研究結果を発表した。米軍基
地や施設などに導入することで、電源の複数化により停電を防止でき、サイバー攻撃や自然災害に対す
る強靭性が増すという(日経テクノロジー 2017.05.15)。Pearce助教授らは、請負業者として全米ト
ップ20の事業者を調査し、さらにロッキード・マーティン(Lockheed Martin)、ベクテル(Bechtel)、
ゼネラル・エレクトリック(General Electric: GE)の3社については詳細な事例研究を行ったという。米
軍は既に再生可能エネルギーの計画を策定。2025年までに25%のエネルギーを再エネで賄う。しかし
マイクログリッド構築まで完了、またはその計画がある基地は、米国内の400カ所以上のうちわずか
27カ所に過ぎない(上図)。このため、基地の大半は長期にわたる停電に対して脆弱であると指摘され
ていた。同上研究グループは、再エネの導入は、出発点としては良いが、さらなる取り組みが必要。ほ
とんどの基地が電源のバックアップを(化石燃料ベースの)発電機に依存し、燃料供給の途絶に対して
も脆弱だ」と説明。



● 災害による損失は180億ドル、年間約100件のサイバー攻撃

従来、電力網に対する主な脅威は、竜巻、台風、吹雪といった自然災害によってもたらされてきた。そ
れらによる停電や米国内のインフラに対する損害は毎年、180億~330億ドルに上る。さらに、2013年に
シリコンバレーで発生した変電所への銃による攻撃や、ウクライナで2016年に発生したコンピューター
へのハッキング攻撃による停電など、電力網への攻撃は物理的なものとサイバー系のものの両方が起こ
り得る。シリコンバレーの銃撃は、影響が27日間続き、1億ドルもの損害を被る。米国防総省による
と、2012年に約200件のサイバー攻撃が米国の重要なインフラに対して行われ、そのうちの半分近くが電
力網を標的としていた。これらの経験をを踏まえ、太陽光マイクログリッド」を構築すれば、インフラ
の柔軟性を高め、電力網からの給電がストップした場合でも電力の供給が継続し、重要なインフラが機
能を維持できる。「太陽光発電システムのコストは下落しており、地理的にも長期間にわたって太陽光
という『燃料』を入手できる。太陽光発電がマイクログリッドの電源として最適だと話す(Pearce助教授)。

さらに、基地がエネルギー面で独立性を高めることが、地域経済を支えることになる。先端的な技術や
政策が重要な社会インフラやサービスとして社会に浸透する過程で、軍はその架け橋として重要だとも
指摘しているという。

  May 8, 2017  Michigan Tech News

 

【RE100倶楽部:蓄電池篇】

カルフォルニア州 蓄電池を推進

● 放電時間と容量で補助率を変動する新手法、需給バランスに活用

米国カリフォルニア州は2017~19年の3年間に5億6669万ドルの予算を投じ、コージェネレーション(熱
電併給)システム、風力、蓄電池、そして燃料電池などの導入を拡大する。この予算が組まれているの
は、セルフ・ジェネレーション・インセンティブ・プログラム(SPIG:自家発電補助金プログラム)で
2010年にカリフォルニア州の温室効果ガス排出の削減とグリッド(系統網)の安定化を促すために開始。
今回、蓄電池への予算が拡大され、総予算の79%の4億4819万ドルが蓄電池に充てられる。うち3億9081
万ドルは出力10kW以上の大型蓄電池、残りの5738万ドルは出力10kW未満の小規模・住宅用蓄電池に充て
られている。5月1日に予約申請の公募を開始した。実は、前回の公募ではプログラム開始と同時に蓄
電池用の予算枠が少数の施工業者・メーカーにより、非住宅蓄電池用に抑えられてしまう。その反省か
ら、今回はより多くの家庭や企業に蓄電池が広まように、制度上、いくつか改善している。まず今回は、
住宅用に予算が割り当てられ、1社の施工業者が申請できる件数にも上限をもうけた。さらに、補助金が
5段階(ステップ)に分かれており、予約申請の合計額が予算に達すると補助金が下がる(ステップダ
ウン)仕組み。具体的には、ステップ予算に達するたびに補助金額は0.05ドル/Wh下がるようになる。し
かし、もしプログラム開始10日以内に予算に達した場合、2倍の0.10ドル/Whで下がる。つまり、需要
が高ければ、補助金額の下がりかたに加速がつき、資金効率を高める狙い。

 Apr 27, 2017

【RE100倶楽部:エネルギーゼロハウス篇】

● 「3電池+V2H」で電気と水を完全自給 

TOKAIホールディングスは、太陽光とLPガス、雨水を利用し、電気と水を完全自給する実証住宅「OTSハ
ウス」を静岡県島田市に建設する。太陽光発電と蓄電池、燃料電池で電気を賄い、雨水の循環利用によ
り生活水を自給自足する。OTSハウスは「On the Spot」=「そこにいるだけで守られる家」を意味する。
4月27日に着工し、7月末に建物が完成して初期実証を開始。10月に竣工し公開する予定。同社のほかグ
ループ企業のTOKAI(静岡市)、TOKAIコミュニケーションズ(静岡市)、東海ガス(静岡県焼津市)、
TOKAIケーブルネットワーク(静岡県沼津市)が共同で取り組む。屋根上に設置する太陽電池に加え、
燃料電池コージェネレーション電併給)システム(「エネファーム」)、定置型蓄電池による「3電池」
連携システム(設置容量5.62kW、年間平均発電量15.4kWh/日)と、太陽光発電と電気自動車(「リーフ
」)の連動によるV2H(Vehicle to Home)システム(設置容量4.28kW、年間平均発電量11.7kWh/日)の
2系統を組み合わせる。商用電力を必要としない「電気の完全自給自足」を実現する。



● 電気・水道代ゼロ、年間14万円の経済メリット

 また、雨水を貯留し、浄化システムによって生活用水に利用する。さらに、生活の中で排出される排水
も、一部を再浄化して生活用水として循環利用する。この生活用水の循環利用サイクルの確立により、
年間を通じて雨水のみで生活用水(1日約800~900リットル)を賄う、上下水道を必要としない「水の
完全自給自足」を実現する。電気・生活用水の完全自給自足の実現により、電気代と水道代がゼロにな
る。LPガスの使用量が増えるものの、その分を差し引いても、年間約14万円のコスト削減効果が期待で
きると試算している。さらに、同社グループの生活インフラサービスの利用に伴うポイント還元を合算
して年間約15万8000円の経済的メリットがある。

 May 13, 2017

 

 May 10, 2017

【環境浄化の切り札?! MIT大の汚染物質除去システム】

イオン選択的電気化学システムは、液相分離、特に浄水および環境浄化ならびに化学製品の製造に利用
されているである。また、レドックス材料は、優れたイオン選択性により、分離機能を提供する。この
ほどマサチューセッツ工科大学の研究グループは水から汚染物質を除去する新しい方法の開発したこと
を公表。それによれば、実用化に向けての課題が残る中、水から殺虫剤、化学汚染物質、農薬、医薬品
などの有機汚染物質を選択的に除去する電気化学的プロセス原理に基づくポテンシャルスタット法の応
用で、極微量(百万分の一濃度)の汚染物質の除去とその耐久性5百繰り返し)試験に成功する。 

従来法では、水相プロセスの水分離は電流効率の低下や化学反応により電気化学プロセスの機能低下が
生じる。しかし、カソードとアノードの両方の酸化還元機能を伴う非対称ファラデー材料セルは、選択
的イオン結合に対して最大96%の電流効率で標的の有機還元剤の水分減少を抑制しイオン分離を円滑
進めることが可能になる。非対称セルには、フェロセン陽イオンと電子伝達特性が一致し陰イオン選択
性をもつ有機金属酸化還元陰極――コバルトポリマーは芳香族陽イオン吸着に特に有効――使用する。
この様に、二重機能化された非対称電気化学セルの優れた性能は。次世代の水相分離技術としてい期待
されている。この高効率で電気的に作動するシステムは、従来の高圧を必要とする分離膜システムや高
電圧で動作する電気化学システムと異なり、この新しいシステムは低電圧/低圧下で動作する特徴をも
ち、例えば、ソーラーパネルからの電力で動作可能なことが大きな魅力となる。

   MIT News

省エネでいて、汚染物質の除去や極低濃度の化学物質の測定あるいは有価物質の回収が可能となれば、
電気化学的分離工学のプラットフォームを大きく変える可能性がある。これは面白い。

   MIT News、 May 4, 2017

♞ Platform may be used to explore avenues for quantum computing.  

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』        

    26 姿かたちはありありと覚えていながら  

  私はやってきたガールフレンドに、免色の家での夕食会のことを話した。もちろん秋川まりえ
 のことや、テラスの三脚つき高性能双眼鏡や、騎士団長が密かに同伴したことは除いて。私か話
 しだのは、出てきた食事のメニューだとか、家の間取りだとか、そこにどんな家具が置いてあっ
 ただとか、そのような害のないことだけだ。我々はベッドの中にいて、どちらもまったくの裸だ
 った。三十分ほどにわたる性的な営みをすませたあとのことだ。騎士団長がどこかから観察して
 いるのではないかと、最初のうちはどうも落ち着かなかったけれど、途中からはそれも忘れてし
 まった。見たければ見ればいい。

  彼女は熱心なスポーツ・ファンが、長旅チームの昨日の試合の得点経過を事細かに知りたがる
 ように、食卓に供された食事の詳細を知りたがった。私は思い出せるかぎり正確に、前菜からデ
 ザートまで、ワインからコーヒーまで、内容を逐一丹念に描写した。食器も含めて。私はもとも
 とそういう視覚的な記憶力に恵まれている。どんなものでもいったん集中して視野に収めれば、
 ある程度時間が経過しても、細かいところまひとつひとつの料理の特徴を絵画的に再現すること
 がでかなり詳しく具体的に思い出せる。だから日の前 にある物体を手早くスケッチするように、
 できた。彼女はうっとりとした目つきで、そんな描写に耳を傾けていた。ときどき実際に唾を飲
 み込んでいるようだった。

 「素敵ね」と彼女は夢見るように言った。「私も一度でいいから、どこかでそういう立派な料理
 をご馳走されたいな」
 「でも正直言うと、出された料理の昧はほとんど覚えていないんだ」と私は言った。
 「料理の昧のことはあまり覚えていない? でもおいしかったんでしょう?」
 「おいしかったよ。とてもおいしかった。そういう記憶はある。でもそれがどんな昧だったかは
 思い出せないし、言葉で具体的に説明することもできない」
 「姿かたちはそれだけありありと覚えていながら?」
 「うん、絵描きだから、料理の姿かたちをそのまま再現することはできる。それが仕事のような
 ものだから。でもその中身までは説明できない。作家ならたぶん昧わいの内容まで表現できるん
 だろうけど」
 「変なの」と彼女は言った。「じやあ、私とこんなことをしていても、あとで細かく絵には描け
 ても、その感覚を言葉で再現することはできないということ?」

  私は彼女の質問を頭の中でいったん整理してみた。「つまり性的な快感について、というこ
 と?」
 「そう」
 「そうだな。たぶんそうだと思う。でもセックスと食事を比較していえば、性的な快感を説明す
 るよりは、料理の味を説明する方がよりむずかしいような気がするな」
 「つまりそれは」と彼女は初冬の夕暮れの冷ややかさを感じさせる声で言った。「私の提供する
 性的な快感よりは、免色さんの出す料理のお味の方が、より繊細で奥深いということかしら?」
 「いや、そういうわけじゃない」と私は慌てて説明を加えた。「それは違う。ぼくが言っている
 のは、中身の質的な比較じゃなくて、ただ説明の難易度の問題だよ。テクニカルな意味で」
 「まあ、いいけど」と彼女は言った。「私があなたに与えるものだって、なかなか悪くないでし
 ょう? テクニカルな意味で」
 「もちろん」と私は言った。「もちろん素晴らしいよ。テクニカルな意味でも、他のどんな意味
 でも、絵にも描けないくらい素晴らしい」

  正直なところ、彼女が私に与えてくれる肉体的快感は、まったく文句のつけようのないものだ
 った。私はこれまで何人かの女性と――自慢できるほど多くの数ではないにしても―――性的な
 経験を持った。しかし彼女の性的器官は、私が知っているどのそれよりも繊細で変化に富んでい
 た。それがリサイクルされずに何年も放置されていたというのはまさに憂うべきことだ。私がそ
 う言うと、彼女はまんざらでもない顔をした。

 「嘘じゃなくて?」
 「嘘じゃなくて」 「英国軍が四台入っているという、伝説の彼のガレージ」
 「いや、見なかったな」と私は言った。「なにしろ広い敷地だから、ガレージまでは目につかな
 かったよ」
 「ふうん」と彼女は言った。「ジャガーのEタイプが本当にあるかどうかも訊かなかったの?」
 「ああ、訊かなかったよ。思いつきもしなかったな。だってぼくはそれほど車には興味がないか
 らさ」
 「トヨタ・カローラの中古のワゴンで文句ないのね?」
 「なにひとつ」
 「私だったら、Eタイプにちょっと触らせてもらうと思うんだけどな。あれはほんとに美しい車
 だから。子供の頃にオードリー・ヘップバーンとピーター・オトウールのでている映画を観て、
 それ以来ずっとあの車に憧れていたの。映画の中でピーター・オトゥールがぴかぴかのEタイプ
 に乗っていたの。あれは何色だったかな? たぶん黄色だったと思うんだけど」

  少女時代に目にしたそのスポーツカーに彼女が思いをはせている一方で、私の脳裏にはあのス
 バル・フォレスターの姿が浮かび上がってきた。宮城県の海岸沿いの小さな町、その町はずれの
 ファミリー・レストランの駐車場に駐められていた白いスバルだ。私の観点からすれば、とくに
 美しい車とは言いがたい。ごく当たり前の小型SUV、実用のために作られたずんぐりとした機
 械だ。それに思わず手を触れてみたくなるというような人はかなり少ないだろう。ジャガーEタ
 イプとは違う。

 「で、あなたは温室やらジムやらも、見せてもらわなかったわけ?」と彼女は私に尋ねた。彼女
 は免色の家の話をしているのだ。
 「ああ、温室も、ジムも、ランドリー室も、メイド用の個室も、台所も、六畳くらいあるウォー
 クイン・クローゼットも、ビリヤード台のあるゲーム室も、実際には見せてもらわなかったよ。
 案内はされなかったからさ」

  免色にはどうしてもその夜、私に話さなくてはならない大事な案件があった。きっとのんびり
 家の案内をするどころではなかったのだろう。

 「ほんとに六畳くらいのウォークイン・クローゼットとか、ビリヤード台のあるゲーム室とかが
 あるの?」
 「知らないよ。ただのぼくの想像だ。実際にあっても不思議はなさそうだったけど」
 「書斎以外の部屋はぜんぜん見せてもらわなかったわけ?」
 「うん、とくにインテリア・デザインに興味かおるわけじやないからね。見せてもらったのは玄
 関と居間と書斎と食堂だけだ」
 「例の〈青髭公の関かずの部屋〉の目星をつけたりもしなかったの?」
 「そこまでの余裕はなかった。『ところで免色さん、かの有名な〈青髭公の関かすの部屋〉はと
 こでしょうか』って、本人に尋ねるわけにもいかないしね」

  彼女はつまらなそうに舌打ちをして首を何度か振った。「ほんとに男の入って、そういうとこ
 ろがだめなのよね。好奇心ってものがないのかしら? もし私だったら、隅から隅まで凪めるよ
 うに見せてもらっちやうけどな」

 「男と女とでは、きっとそもそもの好奇心の領域が違っているんだよ」
 「みたいね」と彼女はあきらめたように言った。「でもまあいいわ。免色さんの家の内部につい
 て、たくさんの新しい情報が入っただけでもよしとしなくちや」

  私はだんだん心配になってきた。「情報を溜め込かのはともかく、それをあまりよそで言いふ
 らされると、ぼくとしてはちょっと困るんだ。そのいわゆるジャングル通信で……」

 「大丈夫よ。あなたがいちいちそんな心配をすることはないんだから」と彼女は明るく言った。

  それから彼女はそっと私の手を取り、自分のクリトリスヘと導いた。そのようにして私たちの
 好奇心の領域は再び大幅に重なり入口うことになった。教室に出かけるまでにはまだしばらく間
 があった。そのときスタジオに置いた鈴が小さく鳴ったような気がしたが、たぶん耳の錯覚だろ
 う。
  彼女が三時前に、赤いミニを運転して帰ってしまったあと、私はスタジオに入り、棚の上の鈴
 を手にとって点検してみた。鈴には見たところ何の変化も見受けられなかった。それはただ静か
 にそこに置かれているだけだった。あたりを見回しても騎士団長の姿はなかった。
  それから私はキャンバスの前に行ってスツールに腰を下ろし、白いスバル・フオレスターの男
 の、描きかけの肖像画を眺めた。これから進んでいくべき方向を見定めようと思って。でもそこ
 で私はひとつ、思いも寄らぬ発見をすることになった。その絵は既に完成していたのだ。


 
  言うまでもなくその絵はまだ制作の途上にあった。そこに示されたいくつかのアイデアが、こ
 れからひとつひとつ具象化されていくことになっていた。現在そこに描かれているのは、私のこ
 しらえた三色の絵の具だけで造形された、男の顔のおおまかな原型に過ぎない。木炭で描いた下
 絵の上に、それらの色が荒々しく塗りたくられている。もちろん私の目は、その画面に「白いス
 バル・フオレスターの男」のあるべき姿かたちを浮かび上がらせることができる。そこにはいわ
 ば潜在的に、騙し絵のように、彼の顔が描き込まれている。しかし私以外の人の目にはその姿は
 まだ見えていない。その絵は今のところ、ただの下地に過ぎない。やがて来たるべきものの示唆
 と暗示に留まっている。ところがその男は――私が過去の記憶から起こして描こうとしていたそ
 の人物は――そこに提示されている今の自分の暗黙の姿に、既に充足しているようだった。ある
 いは、その自分の姿をこれ以上明らかにしてもらいたくないと強く求めているようだった。
  これ以上なにも触るな、と男は画面の奥から私に語りかけていた。あるいは命じていた。この
 まま何ひとつ加えるんじやない。

  その絵は未完成なままで完成していた。その男は、不完全な形象のままでそこに完全に実在し
 ていた。矛盾した語法だが、それ以外に形容のしようがない。そしてその男の隠された像は画面
 の中から、作者である私に向かって、強い思念のようなものを送り届けようとしていた。それは
  私に何かを理解させようと努めていた。でもそれがどんなことなのか、私にはまだわからない。
 この男は生命を持っているのだ、と私は実感した。実際に生きて動いているのだ。
  私はまだ絵の具が乾いていないその絵をイーゼルから下ろし、絵の具がつかないように裏向き
 にして、スタジオの壁に立てかけた。その絵をそれ以上目にしていることに、私はだんだん耐え
 られなくなってきた。そこには何か不吉なものが――おそらく私が知るべきではないものが含ま
 れているように思えた。

  その絵の周辺からは、漁港の町の空気が漂ってきた。その空気には潮の匂いと、魚の鱗の匂い
 と、漁船のディーゼル・エンジンの匂いが入り混じっていた。海鳥の群れが鋭い声で鳴きながら、 
 強い風の中をゆっくり旋回していた。おそらくは生まれてからゴルフなんてしたこともないであ
 ろう中年男がかぶっている黒いゴルフ・キャップ。浅黒く日焼けした顔、こわばった首筋、白髪
 の混じった短い髪。使い込まれた革のジャンパー。ファミリー・レストランに響くナイフとフオ
 ークの音――世界中すべてのファミリー・レストランで聞こえるあの無個性な音。そして駐車場
 にひっそりと駐められた白いスバル・フォレスター。リアバンパーに貼られたカジキマグロのス
 テッカー。

 「私を打って」と交わっている最中に女は私に言った。彼女の両手の爪は私の背中にしっかりた
 てられていた。きつい汗の臭いがした。私は言われたとおり彼女の顔を平手で叩いた。
 「そういうんじやなくて、いいからもっと真剣に叩いて」と女は激しく首を振りながら言った。
 「もっともっと力を入れて、思い切り打って。あとが残ってもかまわないから。鼻血が出るくら
 い強く」

  私は女を叩きたいとは思わなかった。私の中にはもともとそういう暴力的な傾向はない。ほと
 んどまったくない。でも彼女は真剣に殴打されることを真剣に求めていた。彼女が必要としてい
 るのは本物の痛みだった。私は仕方なくもう少しだけ力を入れて女を叩いた。あとが赤く残るく
 らい強く。私が女を強く叩くと、そのたびに彼女の肉が私のペニスを激しく強く締め上げた。ま
 るで飢えた生き物が目の前の餌に食らいつくかのように。

 「ねえ、私の首を少し絞めてくれない」と少しあとで女は私の耳に囁いた。「これを使って」

  その囁きはとこか別の空間から聞こえてくるみたいに私には感じられた。そして女は枕の下か
 らバスローブの白い紐を取り出した。きっと前もって用意しておいたのだろう。
  私はそれを断った。いくらなんでもそんなことは私にはできない。危険すぎる。下手をすれば
 相手は死んでしまうかもしれない。

 「真似だけでいいから」と彼女は喘ぐように懇願した。「真剣に絞めなくてもいいから、そうす
 る真似だけでいいのよ。首にこれを巻き付けて、ほんのちょっと力を入れてくれるだけでいい」

  私にはそれを断ることができない。
 ファミリー・レストランに響く無個性な食器の音。

  私は首を振って、そのときの記憶をどこかに押しやるうとした。私にとっては思い出したくな
 い出来事だった。できれば永遠に捨て去ってしまいたい記憶だ。でもそのバスローブの紐の感触
 は、まだ私の両手にはっきりと残っていた。彼女の首の手応えも。どうしてもそれを忘れること
 ができない。
  そしてこの男は知っていたのだ。私が前の夜どこで何をしていたかを。私かそこで何を思って
 いたかを。
  この絵をどうすればいいのだろう。このまま裏返しにして、スタジオの隅に置いておけばいい
 のだろうか? たとえ裏返しになっていても、それは私を落ち着かない気持ちにさせた。もしほ
 かに置き場所があるとすれば、それはあの屋根裏しかない。雨田典彦が『騎士団長殺し』を隠し
 ておいたのと同じ場所だ。そこはおそらく人が心を隠してしまうための場所なのだ。
  私の頭の中で、さっき自分が口にしていた言葉が繰り返されていた。
  うん、絵描きだから、料理の姿かたちをそのまま再現することはできる。でもその中身までは
 説明できない。
  うまく説明のつかない様々なものたちが、この家の中で私をじわじわと捉えようとしていた。
 屋根裏で見つかった雨田典彦の絵画『騎士団長殺し』、雑木林に口を開けた石室に残されていた
 奇妙な鈴、騎士団長の姿を借りて私の前に現れるイデア、そして白いスバル・フォレスターの中
 年男。またそれに加えて、谷間の向かい側に往む不思議な白髪の人物。免色はどうやらこの私を、
 彼の頭の中にある何かしらの計画の中に引き込もうとしているようだった。
  私のまわりで渦の流れが徐々に勢いを増しているようだった。そして私はもうあとに引き返す
 ことができなくなっていた。もう遅すぎる。そしてその渦はとこまでも無音だった。その異様な
 までの静けさが私を怯えさせた。




                                     この項つづく

    

坂道を愛した男

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         荘公八、九年、斉の無知の乱 / 鄭の荘公小覇の時代                    

                            

       ※ 冬十有一月契米、斉の無知、その君諸児(襄公)を弑(しい)する。

                   

       ※ 破った約束:斉の襄公が、連称、管至父という二人の大夫に葵丘の
         守備を命じた。瓜の熟するころ(七月)二人は出発した。「来年、
         瓜が実るころには交替させる」との約束であった。約束どおり一年
         間守備をつとめたが、何の音沙汰もない。交替を願い出たが許され
         なかった。二人は謀反を決意した。襄公の父、僖公には夷仲年(い
         ぬちゅうねん)という実の弟がいた。その夷仲年の子の公孫無知(
         こうそそんむち)は先君の僖公に可愛がられ、衣服、食禄、すべて
         にわたって太子(つまり襄公)と同じ待遇を受けていた。が、僖が
         没し襄公の代になると、待遇は一変した。連称、管至父の二人は、
         この無知を擁立して謀反しようと企てた。ちょうど、連称の従妹が
         後宮に仕えていたが、襄公に寵愛されていなかった。無知はこの女
         に「首尾よくいったら、おまえを正夫人にしてやる」と約束して、
         襄公の動静を伺わせた。

         冬十二月、襄公は姑棼(こふん)(斉の地、今の山東省博興県)に
         出かけ、ついでに貝丘(ばいきゅう)まで足をのばして狩りを催し
         た。獲物を追っている襄公の前に突如一頭の大猪がとび出した。

         「あっ、彭生※さまだ」
         「馬鹿をいえ」

          襄公は従者※をどなりつけ、その猪を射た。
          すると猪は、人間のように二本足で立ちあがって啼いた。ギョッと
         したひょうしに襄公は車からころげ落ち、足に怪我をし屨(くつ)
         をなくした。

         帰ってから襄公は、狩に同行した費という小者に屨を出せといった
         が、費は屨を拾って来ていなかった。費は肌から血が流れるまで、
                  鞭で叩かれた。たまらず逃げ出した費が、門のところまで来たとき、
                  おりから宮廷に侵入して来た連称らの反乱軍にばったり出あった。
                  かれらは費をおどして縛りあげようとした。だが、費が、[わたし
                  が何で手向いいたしましょう。これが何よりの証拠です」と、肌を
                  ぬいで背中の血を見せたので、かれらは、すっかり心を許した。そ
         こで費は、「わたしが案内いたしましょう」と言って、一足先に奥
         に入った。そして、襄公に急を告げて物かげにかくし、外にとって
         返して反乱軍に立ち向い、力つきて内庭で最期を遂げた。襄公の側
         にひかえていた者は次々と殺された。石之紛如(せきしふんじょ)
         は階の下で戦死、ついで反乱軍は宮廷の災になだれこみ、襄公の身
         代りとして座についていた孟陽を殺した。

         しかしすぐに、「これは偽者だ」とまちがいに気づき、襄公をさが
         しもとめた。襄公は戸のかげにかくれていたが、戸の下から足がの
         ぞいていたのが運のつき、とらわれて殺されてしまった。こうして
         連称らの反乱軍は無知を擁立したのである。そもそも、襄公が位に
         ついていらい、斉の政治は混乱におちいっていた。大夫の鮑叔牙は、
         「人民のあつかいが、こんなにいいかげんでは、いまに反乱が起こ
         るだろう」と言って、公子小白(役の桓公)を奉じ、菖(きょ)の
         国へ逃げ去った。いよいよ反乱が起きたとき、管夷吾(管仲)と召
         忽とは、公子糾を奉じて、わが魯へ亡命して来た。

       ※ 彭生:桓公十八年、斉の襄公に殺された斉の公子。「襄公をうらん
                  で幽霊が現われた」と従者はいったのである。おそらくこの従者は、
                  反乱派の一味で、襄公をおどしたと解される。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

   28.フランツ・カフカは坂道を愛していた

  その目の夕方、私は小田原駅近くの絵画教室で子供たちの絵の指導をしていた。その日の課題
 は人物のクロッキーだった。二人でペアを組んで、前もって教室側が用意した中から好きな筆記
 具を選び(木炭か、何種類かの柔らかな鉛筆)、交代でスケッチブックにお互いの絵を描く。制
 限時間は一枚につき十五分(キッチン・タイマーを使って正確に時間をはかる)。あまり消しゴ
 ムを使わないようにする。できるだけ一枚の紙だけですませるようにする。

  そして一人ひとりが前に出て、自分の描いた絵をみんなに見せ、子供たちが自由にその感想を
 言い合う。少人数の教室だから、雰囲気は和気蕩々としている。そのあとで私が前に立って、ク
 ロッキーの簡単なコツのようなものを教える。デッサンとクロッキーとはどう違うのか、その違
 いをおおまかに説明する。デッサンはいわば絵画の設計図のようなものであり、そこにはある程
 度の正確さが必要とされる。それに比べると、クロッキーは自由な第一印象のようなものだ。印
 象を頭の中に浮かばせ、その印象が消えてしまわないうちに、それにおおよその輪郭を与えてい
 く。クロッキーでは正確さよりは、バランスとスピードが大事な要素になる。名のある両家でも、
 クロッキーがあまりうまくない人はけっこうたくさんいる。私はクロッキーを昔から得意として
 いた。

  私は最後に、子供たちの中からモデルを一人選び、白いチョークを使って黒板に、その姿かた
 ちを描いて見せる。実例を示すわけだ。「すげえ」「速ええ」「そっくりじやん」と子供たちは
 感心して言う。子供たちを素直に感心させることも、教師の大切な職務のひとつになる。
  そのあとで今度はパートナーを換えて、みんなにクロッキーをさせるわけだが、子供たちは二
 度目の方が格段にうまくなっている。知識を吸収する速度が速いのだ。教える方が感心してしま
 うくらい。もちろん上手な子もいれば、あまりうまくない子もいる。でもそれはかまわない。私
 か子供たちに教えているのは、実際的な絵の描き方よりは、むしろものの見方なのだから。

  この日私は実例を描くときに、秋川まりえをモデルに指定した(もちろん意図してのことだ)。
 彼女の上半身を黒板に簡単に描く。正確にはクロッキーとは言えないが、成り立ちは同じような
 ものだ。三分ほどで手早く仕上げる。私はその授業を利用して、秋川まりえをどのように結にで
 きるかをテストしてみたわけだ。そしてその結果、彼女が結のモデルとしてなかなかユニークな、
 そして豊かな可能性を秘めていることを私は発見した。

  それまでは秋川まりえをとくに意識して見たことはなかったのだが、圃作の対象として注意深
 く眺めると、彼女は私か漠然と認識していたよりずっと興味深い容貌を具えていた。ただ単に顔
 立ちがきれいに整っているというのではない。美しい少女ではあるが、よく見るとそこにはどこ
 となくアンバランスなところがあった。そしてそのいくらか不安定な表情の奥には、何かしら勢
 いのあるものが身を潜めているようだった。まるで丈の高い草むらに潜んだ敏捷な獣のように。

  そのような印象をうまく形にできればと思う。しかし三分のあいだに、黒板の上にチョークで
 そこまで表現するのは至難の業だ。というか、ほとんど不可能だ。それにはもっと時間をかけて
 彼女の顔を丁寧に観察し、いろんな要素をうまく俯分けしていく必要がある。そしてこの少女の
 ことをもっとよく知らなくてはならない。

  私は黒板に描いた彼女の絵を消さずにとっておいた。そして子供たちが帰ってしまったあと、
 一人でしばらく教室に残って、腕組みしながらそのチョーク画を眺めていた。そして彼女の顔立
 ちに、免色に似たところがあるかどうか見定めようとした。しかしなんとも判断できなかった。
 似ているといえばよく似ているようだし、似ていないといえばまるで似ていない。ただもし似て
 いるところをひとつだけあげろと言われれば、それは目になるだろう。二人の目の表情には、と
 くにその一瞬の独特なきらめき方には、どこかしら共通するものがあるように感じられた。

  澄んだ泉の深い底をじっと覗き込むと、そこに発光しているかたまりのようなものが見えるこ
 とがある。よくよく覗き込まないと見えない。しかもそのかたまりはすぐに揺らいで形を失って
 しまう。真剣に覗き込めば覗き込むほど、それは目の錯覚かもしれないという疑いが生まれる。
 でもそこには間違いなく何か光っているものがある。たくさんの人をモデルにして絵を描いてい
 ると、ときどきそういう「発光」を感じさせる人々がいる。数からいえばごく少数だ。でもその
 少女は――そしてまた免色も――その数少ない人々のうちの一人だった。

  受付をやっている中年の女性が、片付けのために教室に入ってきて私の隣に立ち、感心したよ
 うにその絵を眺めた。
 「これは秋川まりえちやんよね」と彼女は一目見て言った。「すごくよく描けている。まるで今
 にも勤き出しそうに見えるわ。消しちやうのはもったいないみたい」
 「ありがとう」と私は言った。そして机から立ち上がり、黒板消しを使ってその絵をきれいに消
 した。

  騎士団長はその翌日(士曜日)ようやく私の前に姿を見せた。火曜日の夜、免色の家での夕食
 会で目にして以来初めての出現――彼自身の表現を借りれば「形体化」ということになる――だ
 った。食品の買い物から帰ってきて、夕方に居間で本を読んでいると、スタジオの方から鈴の鳴
 る音が聞こえてきた。スタジオに行ってみると、騎士団長は棚に腰をかけて、鈴を耳元で軽く振
 っていた。まるでその微妙な響き具合を確かめるみたいに。私の姿を目にすると、彼は鈴を振る
 のをやめた。

 「久しぶりですね」と私は言った。
 「久しぶりも何もあらない」と騎士団長は素っ気なく答えた。「イデアというものは百年、千年
 単位で世界中あちこちを行き来しているのだ。一日や二日は時間のうちにはいらんぜ」
 「免色さんの夕食会はいかがでした?」
 「ああ、ああ、あれはそれなりに興味深い夕食会だった。もちろん料理は食べられないが、しか
 るべく目の保養をさせてもらった。そして免色くんは、なかなかに関心をそそられる人物であっ
 た。いろいろなことを先の先の方まで考えている男だ。そしてまたあれこれを、内部にしこたま
 抱え込んでいる男でもある」
 「彼にひとつ頼み事をもちかけられました」
 「ああ、そうだな」と騎士団長は手にした古い鈴を眺めながら、さして興味なさそうに言った。
 「その諸は隣でしかと問いておったよ。しかしそいつは、あたしにはあまり関わりのないものご
 とである。あくまで諸君と免色くんとのあいだの実際的な、いうなれば現世的なものごとだ」
 「ひとつ質問していいですか?」と私は言った。

  騎士団長は手のひらで顎の服をごしごしとこすった。「ああ、かまわんぜ。あたしに答えられ
 るかどうかはわからんが」
 「雨田典彦の『騎士団長殺し』という絵についてです。もちろんその絵のことはご存じですよ
 ね? なにしろあなたはその両面の中から、登場人物の姿かたちを借用したわけだから。あの絵
 はどうやら、一九三八年にウィーンで実際に起こった暗殺未遂事件をモチーフとしているようで
 す。そしてその事件には雨田具彦さん自身が問わっているという諸です。そのことについてあな
 たは何かをご存じではありませんか?」

  騎士団長はしばらく腕組みをして考えていた。それから目を細め、目を開いた。
 
 「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識
 が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すと
 は限らんぜ」
 「一般論としてはそうかもしれません。しかしあの絵は見るものに何かを強く訴えかけてきます。
 雨田典彦は、彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的
 に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないかという気がするのです。人物と舞
 台設定を別の時代に置き換え、彼が新しく身につけた日本画という手法を用いることによって、
 彼はいわば隠喩としての告白を行っているように感じられます。彼はそのためだけに洋画を捨て
 て、日本画に転向したのではないかという気さえするほどです」
 「絵に語らせておけばよろしいじやないか」と騎士団長は静かな声で言った。「もしその絵が何
 かを語りたがっておるのであれば、絵にそのまま語らせておけばよろしい。隠喩は隠喩のままに、
 暗号は暗号のままに、ザルはザルのままにしておけばよろしい。それで何の不都合があるだろう
 か?」

  なぜ急にザルがそこに出てくるのかよくわからなかったが、そのままにしておいた。
  私は言った。「不都合があるというのではありません。ぼくはただ、あの絵を雨田典彦に描か
 せたバックグラウンドのようなものが知りたいだけなのです。なぜならあの絵は何かを求めてい
 るからです。あの絵は間違いなく、何かを具体的な目的として描かれた絵なんです」

  騎士団長は何かを思い出すように、しばらくまた手のひらで顎髭を撫でていた。そして言った。

 「フランツ・カフカは坂道を愛していた。あらゆる坂に心を惹かれた。急な坂道の途中に建って
 いる家屋を眺めるのが好きだった。道ばたに座って、何時間もただじっとそういう家を眺めてお
 ったぜ。飽きもせずに、首を曲げたりまっすぐにしたりしながらな。なにかと変なやつだった。
 そういうことは知っておったか?」

 Description of a Struggle

  フランツ・カフカと坂道?

 「いいえ、知りませんでした」と
  私は言った。そんな話は間いたこともない。
 「で、そういうことを知ったところで、彼の残した作品への理解がちっとでも深まるものかね、
 なあ?」

  私はその質問には答えなかった。「じやあ、あなたはフランツ・カフカのことも知っていたの
 ですか、個人的に?」
 「向こうはもちろん、あたしのことなんぞ個人的には知らんがね」と騎士団長は言った。そして
 何かを思い出したようにくすくす笑った。騎士団長が声を出して笑うのを見だのは、それが初め
 てだったかもしれない。フランツ・カフカには何かくすくす笑うべき要素があったのだろうか?

 それから騎士団長は表情を元に戻して続けた。

 「真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をその
 ままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。そこには理屈も事実も、豚のへそもアリの金
 玉も、なんにもあらない。人がそれ以外の方法を用いて理解の道を辿ろうとするのは、あたかも
 水にザルを浮かべんとするようなものだ。悪いことはいわない。よした方がよろしいぜ。免色く
 んがやっておるのも、気の毒だが、いねばそれに類することだ」
 「つまり何をしたところで所詮、無駄な試みだということですか?」
 「穴ぼこだらけのものを水に浮かべることは、なにびとにもかなわない」
 「正確には、免色さんはいったい何をやるうとしているのですか?」

  騎士団長は軽く肩をすくめた。そして両眉の間に、若い頃のマーロン・ブランドを思わせるチ
 ャーミングな皺を寄せた。騎士団長がエリア・カザンの映画『波止場』を見たことがあるとはと
 ても思えなかったけれど、その皺の寄せ方は本当にマーロン・ブランドにそっくりだった。彼の
 外見や相貌の引用源がどのような領域まで及んでいるのか、私には測り知ることができなかった。
  彼は言った。「雨田典彦の『騎士団長殺し』について、あたしが諸君に説いてあげられること
 はとても少ない。なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明
 されるべきものではない。呑み込まれるべきものだ」



  そして騎士団長は小指の先でぽりぽりと耳のうしろを振いた。まるで描が雨の降り出す前に耳
 のうしろを掻くみたいに。

 「しかしひとつだけ諸君に教えてあげよう。あくまでささやかなことだが、明日の夜に電話がか
 かってくるであろう。免色くんからの電話だが、そいつにはよくよく考えてから返答する方がよ
 ろしいぜ。どれだけ考えたところで、きみの回答は結果的にちっとも変わらんだろうが、それに
 してもよくよく考えた方がよろしい」
 「そしてこちらがよくよく考えているということを、相手にわからせることもまた大事だ、とい
 うことですね。ひとつの素振りとして」
 「そう、そういうことだ。ファースト・オファーはまず断るというのがビジネスの基本的鉄則だ。
 覚えておいて損はあらない」と言って騎士団長はまたくすくす笑った。今日の騎士団長の機嫌は
 なかなか悪くないようだった。「ところで諸は変わるが、クリトリスというのはさわっていて面
 白いものなのかね?」
 「面白いからさわる、というものではないような気はしますが」と私は正直に意見を述べた。
 「はたで見ていてもよくわがらん」
 「ぼくにもよくわからないような気がします」と私は言った。イデアにも、何もかもがわかると
 いうわけではないのだ。
 「とにかくあたしはそろそろ消える」と騎士団長は言った。「ほかにちょっと行くところもある
 からな。あまり暇があらない」
  それから騎士団長は消えた。チェシヤ猫が消えるみたいにじわじわと段階的に。私は台所に行
 って、一人で簡単に夕食をつくって食べた。そしてイデアにどんな「ちょっと行くところ」があ
 るのか、少し考えてみた。しかしもちろん見当もつかなかった。


  騎士団長が予言したように、翌日の夜の八時過ぎに免色から電話があった。
  私はまず最初に先日の夕食の礼を言った。とても素晴らしい料理でした。いいえ、なんでもあ
 りません。こちらこそ楽しい時間を持たせていただきました、と免色は言った。それから私は、
 肖像画の礼金を約束よりも多く払ってもらったことについても、感謝の言葉を口にした。いや、
 それくらいは当然のことです、あれほど見事な絵を描いていただいたわけですから、どうか気に
 なさらないでください、と免色はあくまで謙虚に言った。そんな儀礼的なやりとりがひととおり
 終わったあとに、しばしの沈黙があった。

 「ところで、秋川まりえのことですが」と免色は天候の話でもするように、なんでもなさそうに
 切り出した。「覚えておられますよね、先日、彼女をモデルにして絵を描いていただきたいとい
 うお願いをしたことを?」
 「もちろんよく覚えています」
 「そのような申し出を昨日、秋川まりえにしたところ――というか実際には、絵画教室の主宰者
 である松嶋さんが彼女の叔母さんに、そのようなことは可能かどうか打診をしたわけですが――
 秋川まりえはモデルをつとめることに同意したということでした」

 「なるほど」と私は言った。
 「ですから、もしあなたに彼女の肖像画を描いていただけるとなったら、準備は万端整ったとい
 うことになります」
 「しかし免色さん、この話にあなたが一枚噛んでくることを松嶋さんはとくに不審には思わない
 のでしょうか?」
 「私はそういう点についてはとても注意深く行動しています。心配なさらないでください。私は
 あなたの、いねばパトロンのような役割を果たしている、という風に彼は解釈しています。その
 ことであなたが気を悪くされなければいいのですが……」
 「それはべつにかまいません」と私は言った。「でも秋川まりえがよく承知しましたね。無口で
 おとなしい、いかにも内気そうな子に見えたんですが」
 「実を言いますと、叔母さんの方はこの話に最初のうち、あまり乗り気ではなかったようです。
 絵描きのモデルになるなんて、だいたいろくなことにはならないだろうと。画家であるあなたに
 対して失礼な言い方になりますが」
 「いや、それが世間の普通の考え方です」
 「しかしまりえ自身が、絵のモデルになることにかなり積極的だったという話です。あなたに描
 いてもらえるのなら、喜んでモデルの彼をつとめたいと。そして叔母さんの方がむしろ彼女に説
 得されたみたいです」
  なぜだろう? 私が彼女の姿を黒板に描いたことが、あるいは何らかのかたちで関係している
 のかもしれない。でもそのことは免色にはあえて言わなかった。

 「話の展開としては理想的じやありませんか?」と免色は言った。

  私はそのことについて考えを巡らせた。それが本当に理想的な話の展開なのだろうか? 免色
 は私が何か意見を述べるのを、電話口で持っているようだった。
 「どういう話の筋書きになっているのか、もう少し詳しく教えていただけますか?」
  免色は言った。「筋書きはシンプルなものです。あなたは画作のためのモデルを探していた。
 そして絵画教室で教えている秋川まりえという少女は、そのモデルとしてうってつけだった。だ
 から主宰者である松嶋さんを通じて、保護者である叔母さんにその打診をした。そういう流れで
 す。松嶋さんが、あなたの人柄や才能について個人的に保証しました。申し分のない人柄で、熱
 心な先生であり、画家としての才能も豊かで将来を嘱望されていると。私の存在はとこにも出て
 きません。出てこないようにきちんと念を押しておきました。もちろん着衣のままのモデルで、
 叔母さんが付き添ってきます。お昼までには終わらせてください。それが先方の出してきた条件
 です。いかがですか?」

  私は騎士団長の忠告(ファースト・オファーはまず断るものだ)に従って、相手の話のペース
 にいったんそこで歯止めをかけることにした。
 「条件的にはとくに問題はないとぼくは思います。ただ秋川まりえの肖像画を描くかどうか、そ
 のこと自体についてもう少し考える余裕をいただけませんか?」
 「もちろんです」と免色は落ち着いた声で言った。「心ゆくまで考えてください。決して急かし
 ているわけではありません。言うまでもなく絵を描くのはあなたですし、あなたがそういう気持
 ちにならなければ、話は始まりません。ただ私としては、準備は万端整っているということを、
 いちおうお知らせしておきたかっただけです。それからもうひとつ、これはおそらく余計なこと
 かもしれませんが、今回あなたにお願いしたことについてのお礼は、十分にさせていただきたい
 と考えています」

  とても話の進行が速い、と私は思った。すべてが感心してしまうほど迅速に手際よく展開して
 いる。まるでボールが坂道を転がっていくみたいに……。私は坂道の途中に腰を下ろして、その
 ボールを眺めているフランツ・カフカの姿を想像した。私は慎重にならなくてはならない。
 「二日ほど余裕をいただけますか?」と私は言った。「二日後にはお返事できると思います」
 「けっこうです。二日後にまたお電話をさしあげます」と免色は言った。

  そして私たちは電話を切った。
  しかし正直なところをいえば、その回答をするのにわざわざ二日をおく必要なんてなかったの
 だ。私の心はとっくに決まっていたのだから。私は秋川まりえの肖像画を描きたくてたまらなく
 なっていた。たとえ誰に制止されたとしても、私はその仕事を引き受けていたことだろう。あえ
 て二日間の猶予をとったのはただ、相手のペースにそっくり呑み込まれたくないという理由から
 だった。ここでいったん時間をとってゆっくり深呼吸をした方がいいと本能が――そしてまた騎
 士団長が私に教えていた。

  あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ、と騎士団長は言った。穴ぼこだらけのもの
 を水に 浮かべることは、なにびとにもかなわない。
  彼は何かを、来たるべき何かを、私に暗示していたのだ。

 Franz Kafka’s Prague – Prague Castle

それにしても、寓意、隠喩のオンパレードだし、「カフカの愛した坂道」ひとつとっても、それを
ひもとくだけでも膨大な時間を必要とするだろう。まして騎士団長の方言、例えば「あらないよ」
(存在と無)の背景ひとつ考えるだけでも、サルトル、プラトン、仏教の唯識論などと拡散して行
くのを制止するのに一苦労。ここは軽く、軽く上滑りして行く他なし。


                                      この項つづく

  ● 今夜の一冊

【新設コンクリート革命 長持ちするインフラのつくり方】

東北被災地で火がついた「新設コンクリートの品質確保・高耐久化」は、いまや全国へ波及。そのき
っかけを作った研究者・技術者が方法やノウハウ、思想を伝授する。2011年、短い工期で莫大な量の
鉄筋コンクリート構造物を造らざるを得なくなる、東日本大震災の復興で、国土交通省東北地方整備
局がこれまでに管理していた橋梁数の1割に値する量が、今後10年間で新たに完成する。他方、東北
地方の管理者らは供用中のコンクリートが、凍結防止剤の影響による塩害や凍害で、当初の想定より
も早期に劣化する例が多発、高度経済成長期以降、施工方法や使用する材料などはほとんど変わって
いない、これを放置すると、復興後、早期に劣化することは目に見えている。そこで、一部の識者が
立ち上がって、東北地整の発注担当者を説き伏せ、今分かっているメカニズムや知見、最新の技術を
駆使すれば、前より品質が劣化することはないという理念をもとに、品質確保・高耐久化の取り組み
を標準化する。あれから5年ほどがたち、その潮流は全国に広まる。本書では、品質確保・高耐久化
の方法やノウハウ、またその背景にある考え方を、現場で実践している専門家が執筆。

✓山口県で開発された革命的な施工状況把握チェックシート
✓究極の非破壊品質試験「目視評価」・施工中の不具合を4段階でチェック
✓打継ぎ部でも緻密なコンクリート・改善を重ねて打重ね線などは3.5点以上に
✓バイブレータを10cm挿入・落下高さは1.5m以下であるか
✓維持管理時代の今こそ、「新設」の品質を考える


  ● 今夜のアラカルト

アスパラのクリームソースヌードル

    

 

プラハのカフカ

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         荘公、九年  管鮑の交わり / 鄭の荘公小覇の時代  
                  

                            

       ※ 殺された斉の襄公には、二人の弟がいた。糾と小白である。糾
                  は管仲、召忽の二重臣が奉じて魯へ、小白は鮑叔牙(ほうしゅ
         くが)が率じて菖へ亡命していた。襄公のあとをこの二人のど
         ちらが継ぐか・・・・・・。

       ※ 公孫無知は前々から大夫の雍廩(ようりん)を虐待していた。
         九年春のこと、雍廩は公孫無知を殺す。夏、わが魯の荘公は斉
         に兵を向け、公子糾を即位させようとしたが、一足先に小白(
         しょうはく:後の桓公)が莒から帰って即位した。秋、わが魯
         軍は乾時の地で斉軍と戟った。戦いはわが軍の敗北に終わり、
         荘公は自らの兵車を棄て、駅から駅へ馬車を乗りつぎ、ほうほ
         うのていで逃げ帰った。荘公の御者泰子(しんし)と戎右の梁
         子とは荘公の旗印を立ててわき道に敵をさそい、荘公を逃がし
         た。そのために二人は捕虜となった。斉の鮑叔牙は、軍を率い
         てわが国に至り、申し入れを行なった。「貴国に滞在する公子
         糾は、わが君の庶兄、わが国で手を下すわけにはいかぬから、
         貴国で処置されたい。しかし、管仲(夷吾)はわが君の仇敵で
         ある。わが方で存分に処分したいので、引き渡しを願いたい」
         魯は子糾を生竇(せいとく:魯の地、山東省荷沢県の牝)で殺
         した。召忽はこれに殉じて死んだが、管仲は、「わたしを斉に
         引き渡してもらいたい」といった。鮑叔牙は管仲の身柄を受け
         とって帰国したが、堂阜の地、山東省蒙陰県の西北)まで来る
         と、管仲の縛めを解いた。

         帰国すると、飽叙牙は桓公に進言した。
         「管夷吾は高傒(こうけい殿(高敬伸、当時斉の宰相の地位に
         あった)よりも、政治の才があります。宰相に取りたててしか
         るべきかと存じます」
         桓公はこの意見に従った。 

   

 【DIY日誌:シロアリ駆除法のテストⅡ】

4月21日に第1回目の試作機をテストの不具合5項目――❶天板厚み不足、❷と出ノズル口径変更、
❸注水ノズル口径変更、❹ノズル材質変更、❺逆止弁追加などの改良を加え2度目のテスト再開。2
種類の防虫剤・防燻剤で、テストを行い完了。第3回目の拡大テストを今週末に計画する。尚、シロ
アリなどの害虫駆除の最新技術概要は下記のとおり。

 May 12, 2017 

 害虫駆除、特にシロアリは木造家屋に対して甚大な損害を与えるため、その駆除剤および駆除方法
に関して世界中で研究開発されてきた。シロアリの駆除方法としては、❶有機リン剤、❷カーバメー
ト剤、❸ピレスロイド剤などの溶液型薬剤を侵入箇所に注入して殺虫する方法、❹または臭化メチル
などで燻煙を行い殺虫する方法がある。✪これらの薬剤散布型処理法に代わるものとして、遅効性の
殺虫有効成分を餌に混入してシロアリに摂食させ、その駆除を行う✪❺ベイト法がある。

従来の駆除技術は基本的には加害された木材の外側から大量に薬剤を投入して殺虫するというもので
あり、シックハウス症候群などの健康被害や環境汚染につながっている。また、シロアリのコロニー
の一部でも残存すると、別の箇所に被害を拡大してしまうという問題がある。最も重大な問題は、駆
除に要する工賃がかかりすぎる点である。頻繁に実施されているのは❹臭化メチルを用いた燻蒸法で
あるが、臭化メチルはオゾン層破壊の原因物質であり、近年使用を規制しようとする動きが強まって
いる。しかし、シロアリと同様に社会生活を営むアリの駆除法としては毒物にアリの嗜好物を混入し
て餌として与え、巣に持ち帰らせて全集団を捕殺する方法が有効だが、しかしシロアリは営巣してい
る木材自体を摂食するため、毒餌剤を用いて巣の外部から巣の内部に薬剤を運搬させるベイト法は必
ずしも効果的ではない。特にヤマトシロアリ属シロアリではベイト法によって巣を根絶することは難
しい。

そこで、ベイト法よりもさらに効率よく活性成分を害虫に摂取させる方法として、➏害虫の基本的社
会行動である卵運搬本能を利用した「擬似卵運搬による害虫駆除法」がある。この方法における害虫
はシロアリであった。しかしながらこの方法では、シロアリの卵から抽出した粗抽出成分を用いて
シロアリに擬似卵を運搬させることは可能であったが、シロアリの卵認識フェロモンは同定されなか
った。卵認識フェロモンが同定されて大量かつ安価に生産が可能とならないかぎり、このような方法
は害虫がシロアリである場合、外部から薬剤を浸透させることが困難で、シロアリはコロニーの一部
でも残存すると、移動して被害を拡大させる。棲息する木材自体を食べ生活するため、毒餌剤の導入
が非効果的である。➐害虫、特にシロアリの卵認識フェロモンでシロアリの卵認識フェロモンが抗菌
タンパク質の一種リゾチームムを含有する卵を認識し、巣内の育室に運搬し、保護することを利用し、
害虫の卵を模した基材にリゾチーム、その塩、その生物学的フラグメントまたは関連ペプチド、活性
成分を含有させた擬似卵法――大量/安価に製造でき、害虫、特にシロアリの駆除や防除を効果的、
かつ簡便、安価に行う方法――も開発されている。 

 

  No.19

  May 16, 2017

【RE100倶楽部:電気自動車篇】

● 化石燃料車は、石油や自動車産業の「死のスパイラル」で8年後に消滅

8年以内にガソリンやディーゼル車、バス、トラックは消滅する。陸送市場全体が電化に切り替わり
石油産業の崩壊する1世紀になるだろう(スタンフォード大学の経済学者トニー・セバによる未来予
測)。彼の報告書によれば、原油の長期価格は1バレルあたり25米ドルに低下。シェールと深水掘
削はその経済的基盤は限界に突入し、ロシア、サウジアラビア、ナイジェリア、ベネズエラらの産油
国は困窮する。これはフォード、ゼネラルモーターズ、ドイツの自動車産業にとっても脅威となる。
残酷な電気自動車への選択と集中のおかげで低収益市場のセルフドライブのサービス会社の脅威にさ
らされる。「次世代の車は車輪搭載コンピュータ」、グーグル、アップル、フォックスコーンの企業
に取って代わられる。つまり、デトロイト、ヴォルフスブルク、トヨタシティでなく、自動動作のあ
るシリコンバレーに移る。また、セバ教授によると、この技術変化は気候政策ではなく、技術そのも
のにより、市場から圧力は、政府が望むと望まぬと関係なく激しく変化するものであるという。

 May 17, 2017

電気自動車用蓄電池の範囲が二百マイル(約322キロメートル)を超え、電気自動車価格が3万ド
ル(約330万円)に下落すると、この「転換点」は2~3年後に到着するだろう。22年までにロ
ーエンドのモデルは2万ドル(約220万円)に下落、その後、雪崩を打ち、デジタル革命渦に飲み
込まれる――25年までに、新車は全て新車、新型トラクター、新型バン、車輪を動かすものは全世
界で電気になると指摘する。私たちは、歴史の中で最も速く、最も深刻で、最も重大な結果をもたら
す輸送の断絶の時代に遭遇――人々が完全に運転をやめ、燃費の限界費用がほぼゼロ、予想寿命が百
万マイル(約161万キロメートル)と、化石燃料車より10倍安い自己駆動電気自動車への大量切
り替えが起きる。そこでは古物収集家だけが化石燃料車を運転する時代でもある。また同時に24年
までにディーラーはなくなり。 ガソリンスタンド、スペア、内燃機関の部品販売/修理店を見つけ
ることが難しくなる。これは大規模石油産業、大型自動車産業の双子の「死の渦巻き」でもある。

 Tony Seba's Book

 Jun 8, 2017

 

✪将来の予測されるエネルギーミックスを表示、状態にカーソルを置き クリックすると、百%クリ
ーンで再生可能なエネルギーへの移行のメリットを示すインタラクティブな体験ができます。

✪Hover over state to see future projected energy mix. Click to launch an interactive experience
showcasing the benefits of a transition to 100% clean, renewable energy.

 The Solutions Project

【産機・電気自動車・家電を制すモーター制御講座】

● モータ制御設計を連続系理論から適切にデジタル化へ展開する手法 

さて、産業機器や鉄道車両から家電や電気自動車まで、モーターのデジタル制御技術が幅広い分野で
使われ、制御回路やモーターに掛けられるコストダウン要求喫緊課題。モーターのデジタル制御のス
キルに磨きをかけトップを疾走するための肝はいかに。以下、参考記載。

☑ コストダウンや生産能力向上要求に応えるには、モーター制御の原理原則を理解し、適切なデジ
  タル化手法を把握することが重要。
☑ 連続系理論でのモーター制御設計の基本の理解➲マイコンの演算能力は高く、デジタル化を意識
  しなくても性能発揮できる時代、性能追求はインバーター動特性も踏まえること➲SiCなどパワ
  ーデバイス実用時代を意識し、高速・高周波で動作するインバーター性能の良さを生かすの制御
  方法を考える。
☑ センサーレスベクトル制御、誘導機、PMモーター・DCブラシレスモーターの駆動基本原理から
  実践までの要点を身に付ける。➲マイコン、PGA(field-programmable gate array)は)を用いたモー
  ターのデジタル制御手法、➲SiCなど最新パワー半導体をモーター駆動要点の習得。  

 May 11, 2017

【RE100倶楽部:蓄電池篇】

● 三菱ふそう電気トラック「eCanter」向け急速充電設備 川崎工場で開設式

5月10日、三菱ふそうトラック・バスは日、同社の川崎工場に電気トラック向けの急速充電設備
「EV Power Charger(EVパワーチャージャー)」を設置。これは9月に発表し量産を予定している電
気トラック「eCanter」を前に、電気トラックの利用者向けに環境を整えるため。一般道に面してお
り、24時間利用可能になる予定。川崎工場の周囲の公道に面した2カ所で、それぞれ4台の急速充
電器を備える。JRの線路側に設置したFUSO EVチャージャーでは、4台のうちの1台が国内のCHA
deMOと欧州のComboの両方式に対応する充電器となり、Combo方式の車両が来ても充電できる。こ
れまでの充電器と異なるのは、3トン積みの電気トラック「eCANTER」に対応するスペースを備え
ていること。国内で販売されるeCanterはCHAdeMO方式だが、既存の乗用車を想定した充電設備では、
車両スペースの関係で対応できないところもある。装備する急速充電器は全台とも50kW充電に対応
するタイプで、トラックの仕様により充電地容量は異なるとしながらも、20%程度の残容量で入っ
てきたeCANTERが40~550分間で80%まで充電できるという目安を打ち出す。EV Power Charger
は、対応する認証カードを持っていれば利用が可能。9月に発表予定のeCANTERだけでなく、他社のE
V(電気自動車)やPHV(プラグインハイブリッド)でも区別することなく利用できる。なお、川崎
工場では太陽光発電施設を導入。最大出力680kWで、CO2ゼロでの充電環境が整っている。 

 Sep. 21, 2017

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』       

   29.そこに含まれているかもしれない不自然な要素

その二日のあいだ、私はスタジオにおかれた二枚の絵を交互に眺めて時を送った。雨田典彦の
『騎士団長殺し』と、私が描いた白いスバル・フォレスターの男の絵だ。『騎士団長殺し』は
今はスタジオの白い壁にかけられていた。『白いスバル・フォレスターの男』は裏向きにされ
て部屋の隅に置かれていた(眺めるときにだけ、私はそれをイーゼルの上に戻した)。その二
枚の絵を眺める以外は、ただ時間を潰すために本を読んだり、音楽を聴いたり、料理を作った
り、掃除をしたり、庭の雑草を抜いたり、うちのまわりを散歩したりしていた。絵筆をとる気
持ちにはなれなかった。騎士団長も姿を見せることなく、沈黙を守っていた。

  近所の山道を散策しながら、秋川まりえの家がどこかから見えないものか探してみたのだが、
私が歩きまわった限りではそれらしい家は目につかなかった。免色の家から見たところでは、
直線距離にすればけっこう近くにあるはずなのだが、地形の関係で視界が遮られているのだろ
う。林の中を散歩しながら、私は知らず知らずスズメバチに気を配っていた。
 二日間その二枚の絵を交互にじっくりと眺めて、あらためてわかったのは、私の抱いた感覚
は決して間違っていなかったということだった。『騎士団長殺し』はそこに秘められた「暗号」
の解読を求めていたし、『白いスバル・フオレスターの男』はそれ以上その両面に作者(つま
り私のことだ)が手を加えないことを求めていた。どちらの訴えもきわめて強力なものであり
――少なくとも私にはそう感じられた 私はただそれらの要求に従うほかなかった。私は『白
いスバル・フォレスターの男』を現状のまま放置し(しかしその要求の根拠をなんとか理解し
ようとつとめ)、また『騎士団長殺し』の中に、その絵が真に意図するところを読み取るうと
つとめた。しかしどちらの結も胡桃の殼のような堅い謎に包まれており、私の握力ではどうし
てもその殼を砕くことができなかった。

 もし秋川まりえの案件がなかったら、私はあるいはいつまでも際限なくその二枚の絵を交互
に眺めて日々を送っていたかもしれない。しかし二日目の夜に免色から電話がかかってきて、
おかげでその呪縛はいったん中断されることになった。

「それで、結論は出ましたか?」と免色は一通りの挨拶が済んだあとで私に尋ねた。もちろん
彼は、私が秋川まりえの肖像画を描くことになるかどうかについて尋ねているのだ。
「基本的には、その話はお引き受けしたいと思います」と私は返答した。「ただしひとつ条件

あります」
「どんなことでしょう?」
「それがどのような絵になるのか、ぼくにはまだ予想がつきません。実際の秋川まりえを前に
して絵筆をとって、そこから作品のスタイルが決定されていきます。アイデアがうまく働かな
い場こは、絵は完成しないかもしれません。あるいは完成してもぼくの気に入らないかもしれ
ない。

    あるいは免色さんの気に入らないかもしれません。だからこの絵は免色さんの依頼を受けて、
  あるいは示唆を受けて描くのではなく、あくまでぼくが自発的に描くのだということにしていた
  だきたいのです」
  一息置いてから免色は探りを入れるように言った。「つまり、もしあなたができあがった作品
 に納得できなければ、それはどうあっても私の手には渡らない。おっしやりたいのはそういうこ
 とですか?」
 「そういう可能性もあるかもしれません。いずれにせよ、できあがった絵をどうするか、それは
 ぼくの判断に一任してもらいたいのです。それが条件になります」

  免色はそれについてしばらく考えていた。それから言った。「イエスと言う以外に、私の答え
 はないようですね。その条件を呑まなければ、あなたは絵を描かないということであれば」
 「申し訳ありませんが」
 「その意図はつまり、私からの依頼、あるいは示唆という枠組みを外すことによって、芸術的に
 より自由でいたいということなのですか? それとも金銭的な要素が絡んでくることが負担であ
 るからですか?」
 「そのどちらも少しずつあると思います。でも重要なことは、気持ちの面でより自然になりたい
 ということなのです」
 「自然になりたい?」
 「この仕事から不自然な要素をできるだけ取り除きたいということです」
 「ということは」と免色は言った。彼の声が少しだけ堅くなったようだった。「私が今回、秋川
 まりえの肖像画を描くことをあなたにお願いしたことに、何かしら不自然な要素が含まれている
 と感じておられるのでしょうか?」

  あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ、と騎士団長は言った。穴ぼこだらけのもの
 を水に浮かべることは、なにびとにもかなわない。
  私は言った。「ぼくが言いたいのは、今回のこの件に関しては、ぼくと免色さんとのあいだに
 利害の絡まない、いねば対等な関係を係っておきたいのだということです。対等な関係というの
 は、失礼な物言いかもしれませんが」
 「いやべつに失礼じやありません。人と人とが対等な関係を保つのは当たり前のことです。思っ
 たことをなんでも言ってくださってけっこうです」
 「つまりぼくとしては、免色さんはそもそもこの話には絡んでいないものとして、あくまで自発
 的な行為として、秋川まりえの肖像を描きたいんです。そうしないと正しいアイデアが湧いてこ
 ないかもしれません。そういうことが有形無形の樹になるかもしれません」

  免色は少し考えてから言った。「なるほど、よくわかりました。依頼という枠はとりあえずな
 かったことにしましょう。報酬の作もどうか忘れてください。金銭のことを早々に持ち出したの
 は、たしかに私の勇み足だった。できあがった絵をどのようにするかについては、できあがった
 ものを見せていただいた時点で、あらためて話し合うことにしましょう。いずれにせよ、もちろ
 ん創作者であるあなたの意志をなにより尊重します。しかし私の言ったもうひとつのお願いにつ
 いてはいかがでしょう? 覚えておられますか?」
 「うちのスタジオでぼくが秋川まりえをモデルにして絵を描いているときに、免色さんがふらり 
 と訪ねてこられるということですね?」

 「そうです」

  私は少し考えてから言った。「それについてはとくに問題はないと思いますよ。あなたはぼく
 が懇意にしている、近所に住んでいる人で、日曜日の朝に散歩がてらふらりとうちにやってきた。
 そしてそこでみんなで軽い世間話みたいなことをする。それはぜんぜん不自然な成り行きじやな
 いでしょう」
  免色はそれを問いて少しほっとした上うだった。「その上うにはからっていただけると、たい
 へんありかたい。そのことであなたに迷惑をおかけしたりする上うなことは決してありません。
 秋川まりえは今度の日曜日の朝からおたくにうかがう、そしてあなたは彼女の肖像画を描く、そ
 ういうことで話を具体的に進めてもらってよろしいでしょうか? 実質的には松嶋さんが仲介者
 となり、あなたと秋川家の間の調整をすることになりますが」
 「それでけっこうです。話を進めてもらってください。日曜日の朝十時に、お二人にうちに未て
 いただき、まりえさんに絵のモデルになってもらいます。十二時には間違いなく作業を終える上
 うにします。それが何週か続くことになります。たぶん五週か六週か、そんなものでしょう」
 「細かいことが決定したら、あらためてお知らせします」

  それで我々が話し合わなくてはならない用件は終了した。免色はそのあとでふと思い出した上
 うに付け加えた。

 「そう、そういえばウィーン時代の雨田典彦さんのことですが、あれからまた多少の事実がわか
 りました。彼が関与したとされるナチ高官の暗殺未遂事件は、アンシュルスの直後に起こったと
 前にも申し上げましたが、正確には一九三八年の秋の初めだったようです。つまりアンシュルス
 の半年ほど後のことです。アンシュルスについてはだいたいの事情をご存じですね」
 「それほど詳しくは知りませんが」
 「一九三八年の三月十二日に、ドイツ国防軍は国境を突破して一方的にオーストリアに侵入し、
 あっという間にウィーンを掌握します。そしてミクラス大統領を脅迫して、オーストリア・ナチ
 党の指導者ザイス=インタブアルトを首相に任命させます。ヒットラーがウィーンに入ったのは
 その二日後です。そして四月十日には国民投票がおこなわれます。ドイツとの合併を国民が望む
 か否かを問う投票です。いちおう自由な秘密投票ということになっていますが、いろいろと込み
 入った細工があり、実際には合併反対の票を投ずるにはかなりの勇気が必要であったようです。
 結果は合併賛成の票が九十九・七五パーセントを占めました。そのようにしてオーストリアとい
 う国家は完全に消滅し、その領土はドイツの一地方に成り下がってしまったのです。あなたはウ
 ィーンに行かれたことはありますか?」

                                      この項つづく

    

総統とゾンビの謎解き

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        荘公九年~僖公十七年荘公  /  斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 中原の指導権を握っていた鄭の荘公が死ぬと、諸国の足並はふ
         たたび乱れた。そこへ北方の傾悍な騎馬民族たる山戎と狄、南
         方諸国を斬り従えてとみに強大となった楚が、南北からこもご
         も中原に侵入して来た。中原は一大危機に直面した。このとき
        、「尊王攘夷」という錦の御旗を掲げ、軍車力を用いずに諸侯を
         糾合してこの危機を牧ったのが、斉の桓公とその宰相管仲であ
         る。

 

  No.20

  May 17, 2017

【RE100倶楽部:風力発電篇】

● リバプール沖に世界最大の風力タービン稼働

今月17日、リバプール沖の10年前に稼働したブーボバンク海洋風力発電所に隣接する40平方キロ
メートル面積(上図参照)に、このほど、デンマークのドン・エナジー社の世界最大の8メガワット
風力タービン4基――ガーキン超高層ビルより高く(下図参照)、ブレード長はロンドンバス9台分、
ブーボバンク海洋風力発電所の2倍以上の発電量で、より大きく、よりパワフルで、より電気料金が
易いという特徴をもつ。

最近の調査では、2012年以降、海上風力発電コストが3分の1に低下し、今年度夏の政府洋上風力発
電補助金取引での再ネル補助金は2900万ポンド(約36億円)。フランス電力公社(EDF)がサマセット
に建設中の原子力発電所の1メガワットアワー当たり92.50ポンド(13,400円)より下回ると予想。す
でに、ドイツのドンエナジー社は「補助金ゼロ」を実現しているように、英国でも「補助金ゼロ」を
目指す。 尚、ドイツでは、8メガワットより大きい、13、15メガワット級風力タービンの建設を計画していると
の同社の話であるが、実現可能であるとともにそれは理論限界でもあると話す。やればでき時代、それを阻む
ものは、何もないということだろう。これは愉快だ。

  May 18, 2017

 Jan. 24, 2017

 

  



【デジタル革命渦論:デジタル地震予知工学時代】

● 在野で地震予測を続ける両研究者対談

2016年4月には熊本地方を震源とした最大震度7の大地震が発生し、それ以降も同年6月に道南の内浦
湾、10月には鳥取県中部、12月には茨城県北部をそれぞれ震源とした、最大震度6弱の地震が起きる
など、絶えず揺れに見舞われている日本列島。毎年「全国地震動予測地図」を発表している政府の地
震調査委員会も、先日その最新版を発表し、それによると南海トラフ地震に代表される海溝型地震の
発生リスクが高まっており、太平洋側の各エリアで今後30年内に大きな揺れに見舞われる確率が特に
高いと指摘しています。

そのいっぽうで、ここ数年活発になっているのが、国などの公的機関ではなく、在野で活動している
研究者たちによる地震予測。なかでも測量学のメソッドを駆使し地表のわずかなズレから将来の揺れ
を予測する村井俊治・東大名誉教授、そして大規模地震の直前に発生するとされる電波の異常を察知
して予測する早川正士・電通大名誉教授の両氏は、その的中率の高さにも定評があり、民間による地
震予測研究をけん引する存在として、大いに注目を集めている。ここに、「まぐまぐメルマガ著者」
の村井氏と早川氏の二人による特別対談を掲載紹介する(下図ダブクリ)。

 



【抗癌最終戦観戦記 Ⅹ:ナッツ料理の創作】

● ナッツを食べて結腸ガンの再発と死亡率が半分以下に低下する?

今月の17日、米国のボストンのダナ・ハーバー・ガン研究所のグループは、週に57グラム以上の
ナッツを食べた結腸ガン経験者の再発率とガンによる死亡率が、食べなかった人よりはるかに低いと
の研究結果を発表。この量は、アーモンドなら48粒、カシューナッツなら36粒の量である。この
試験では、ステージ3(リンパ節まで拡散した段階)の結腸ガン患者826人に食事に関する質問形
式で、対象者全員が手術と化学療法を受けており、その結果、回答者の2回以上ナッツ摂取したと回
答者の19%が週に57グラム以上のナッツを食べており、その全員が、食べていなかった人に比べ
て再発率が42%、死亡率は57%低い。尚、ナッツには、マメ科のピーナツとピーナツバターは含
まれない(化学組成上の相違由来する推定している)。今回の研究では、ナッツの摂取が、ガン再発
やがん死亡につながるとされる肥満や糖尿病の予防になることがすでに分かっているのを踏まえて行
われた。同研究所は、ほかのステージのガンについてもナッツ摂取が好ましい影響をもたらすかどう
かさらに研究する必要があるという。

➲Chance of Colon Cancer Recurrence Nearly Cut in Half in People Who Eat Nuts、For immediate release、May
17, 2017
➲Nut consumption and survival in stage III colon cancer patients: Results from CALGB 89803 (Alliance).  2017
ASCO Annual Meeting Abstracts



直腸癌以外にも効果が確認できればこれは福音になる違いないのではと、またまた過剰適応でナッツ
料理の創作を考える――よせばいいのにと思いつつ。

 May 4, 2010

【これが世界最先端!“認知症”予防】

同じく17日、NHKの「ためしてガッテン」で、いま予備群も含めると高齢者の4人に1人治療も
予防も難しいとされてきた認知症。その予防研究の新たな発見についての番組録画をみる。予防のポ
イントは、脳が活動することで生まれる“脳のゴミ”をきれいに洗い流すことだという。その予防方
法とは十分な睡眠をとることで”脳のゴミ“をきれいにしてくれる可能性がある、認知症の研究グル
ープは、これを実践している。「脳トレ」だけでなく「脳ゴミ」がキーワード。がたまり始めるのは
発症の25年ほど前からということもわかってきた――40代から始めたい認知症予防の生活習慣法を
を紹介。

 Sep.19, 2016 

✔ 予防のカギはアミロイドβの排出

脳が活動したときに生まれる老廃物・アミロイドβが“脳のゴミ”。この物質の蓄積がアルツハイマ
ー病発症の引き金と考えられている。このアミロイドβの“排出力の低下”がアルツハイマー病と関
係があるということを発見――寝るとアミロイドβを脳から洗い流す能力が高まる――睡眠時間は脳
にとって大事な“クリーニングタイム”ということ。適切な睡眠時間を確保して、脳を掃除するタイ
ミングの確保がその肝。睡眠でアミロイドβを排出するだけでなく、同時に脳の神経細胞を活性化す
ることも予防も欠かせないと指摘する。そのレシピは次の3つ。

✔ 脳の神経細胞を活性化で予防

❶有酸素運動――有酸素運動をすることで、神経細胞を活性化するホルモンが分泌されることやアミ
 ロイドβを分解する酵素を増やすことが期待でき、また、運動後だとよく眠れるのでアミロイドβ
 の排出にも好影響をもたらす。

❷コミュニケーション――他人と会話をすることは脳を活性化させると言われ、特定の人と同じよう
 な会話をするよりも色んな人と出会って新鮮な会話をするとより効果的。

❸知的活動――頭を使いながら指先を動かすことを知的活動(➲脳トレ)といい、これも神経細胞を
 活性化するのによい。具体的には、囲碁や将棋、裁縫など。

✔ 食事で予防が可能な時代に

2015年、ラッシュ大学医療センタ(アメリカ・シカゴ)の研究でアルツハイマー病を予防する食事法
通称・マインド食なるものが発表される。これは、積極的に取るといい食材を10項目、なるべく控
えた方がいい食材を5項目に分けたもの、目安となる頻度も合わせて紹介されている。約千人の年寄
りを平均5年間追跡調査した結果、全15項目のうち9項目以上を達成できていた人は、5項目以下
だった人たちに比べアルツハイマー病の発症が53%も低いという結果となった(なにやら、前出の
ナット摂取事例と似ている?)。

☑  積極的に取るとよい食材

・緑黄色野菜(週6日以上)・その他の野菜(1日1回以上)・ナッツ類(週5回以上)・ベリー類(週2
回以上)・豆類(週3回以上)・全粒穀物(1日に3回以上)・魚(なるべく多く)・鶏肉

☑  控えた方がよい食材

・赤身の肉(週4回以下)・バター(なるべく少なく)・チーズ(週1回以下)・お菓子(週5回以下)
・ファストフード(週1回以下)

これを見せられると、節制不十分の落伍者であることを痛感する。何とかせなアカン。

  

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』       

   29.そこに含まれているかもしれない不自然な要素 

  ウィーンに行くどころか、日本から外に出たこともない。パスポートを手にしたことすらない。
 「ウィーンは他に類を見ない術です」と免色は言った。「そこに少しでも暮らしてみれば、すぐ
 にそのことがわかります。ウィーンはドイツとは違う。空気が違い、人が違います。食べ物が違
 い、音楽が違います。ウィーンはいねば人生を楽しみ、芸術を慈しむための特別な場所です。し
 かしその時期のウィーンはまさに混乱の極致にありました。そこには激しい暴虐の嵐が吹き荒れ
 ていました。雨田さんが暮らしていたのは、まさにそのような動乱のウィーンだったのです。国
 民投票がおこなわれるまでは、ナチ党員もそれなりにまあ行儀良くしていたのですが、投票が終
 わると、暴力的な本性を剥き出しにし始めました。アンシュルスのあとヒムラーがまず最初にお
 こなったのは、オーストリアの北部にマウトハウゼン強制収容所を建設することでした。それを
 完成させるのにたった数週間しかかからなかった。ナチ政府にとっては、その強制収容所をこし
 らえることが何よりの急務だったのです。そして短い期間に何万人という政治犯が逮捕され、そ
 こに送り込まれました。マウトハウゼンに送られたのは主として〈矯正の見込みがない〉政治犯
 や反社会分子でした。したがって囚人の取り扱いもきわめて苛酷でした。多くの人々がそこで処
 刑されました。あるいは採石塔での激しい肉体労働の未に命を落としました。〈矯正の見込みが
 ない〉ということはつまり、いったんそこに放り込まれたら、まず生きては出てこられないこと
 を意味します。また反ナチの活動家の中には強制収容所に送られることもなく、取講中に拷問を
 受けて殺害され、間から関へと葬られた人々も数多くいました。雨田典彦さんが関与したとされ
 る暗殺未遂事件は、ちょうどそのようなアンシュルス後の混乱のさなかに起こったわけです」

 KZ Mauthausen

  私は黙って免色の話を間いていた。

 「しかし前にも申し上げたように、一九三八年の夏から秋にかけてナチの要人の暗殺未遂事件が
 ウィーンであったという公式な記録は見当たりません。これは考えてみれば不思議なことです。
 というのは、もし実際にそのような暗殺計画が存在したとすれば、ヒットラーやゲッベルスはそ
 のことを徹底的に宣伝し、政治的に利用していたでしょうから。水晶の夜の場合のように。クリ
 スタル・ナハトのことはご存じでしょうね?」

 Aribert Heim

 「いちおうのことは」と私は言った。私はその事件を扱った映画を昔観たことがあった。「パリ
 駐在のドイツ大使館員が反ナチのユダヤ人に撃たれて死亡し、その事件を利用してナチがドイツ
 全土で反ユダヤ暴動を起こし、多くのユダヤ人経営の商店が破壊され、多くの人が殺害された。
 ウィンドウのガラスが割られて飛び散り、水晶のように光っていたことからその名前がつけられ
 た」

さて、ここから「総統とゾンビの謎解き」が本格化する・・・・・・。   

                                                  この項つづく

    

レモンの花咲くZEB

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     荘公十年:長勺(ちょうしゃく)の戦い / 斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 西紀前六八四年、小国の魯が、強国有を敗った。魯国十五代目
         の君主荘公は、曹劌(そうけい)の戦術を採用して、前年秋の
         乾時の敗戦に報いたのである。魯にとって誇らしい戦いであっ
         た。しかも相手の有の桓公は、盟約にそむいて魯に侵攻して来
         たのであり、非は彼にあった。

       ※ 十年春のこと、斉はわが魯国にむかって軍を進めた。荘公が応
         戦の準備をしてい仁ときのこと、曹劌という者が、荘公に謁見
         を願い出ようとした。曹劌の郷里の人々はかれを押しとどめて
         言った。
         「お偉い方たちのなさることだ。われわれふぜいが嘴を入れる
         ことはあるまい」
         が、曹劌は、
         「お偉い方たちは了見がせまくて目さきがきかぬものだ」
         と言って、荘公にお目通りした。かれはまずとうきりだした。
         「何を頼みに戦をなさるのですか」
         荘公は答えた。
         「人民だ。日ごろ、わたしは私利をかえりみず、人民の生活の
         安定をはかり、衣食を十分にあたえてきたはずだ」
         「そのような恩恵に浴していろのは、ごく一部の特にすぎませ
         ん。そのために人民全部がついてくるとはかぎりません」
         「では神だ。神にはつねに誠意をこめて犠牲や宝物を供えてい
         る。きっと味方をしてくれよう」
         「そのような信頼は真実のものとは申しかねます。それで神が
         味方をしてくれるとはかぎりま廿ん」
         「それでは今までの公平な裁きかただ。訴訟事は大小を問わず
         必ず情理を尽して裁いてきたつもりだ」
.        「なるほど、それならば真心を尽くしたものと申せますから、
         戦の頼みにしてよいでしょう。一戦してしかるべきです。その
         際はわたしにもお供をさせてください」

         荘公はかれを兵車に同乗させ長勺(魯の地)で百の軍と椙まみ
         えた。荘公が太鼓を打とうとしたとき、曹劌は、「まだ早すぎ
         ます」と言って止めた。そして敵軍が三度目の太鼓を鴫らした
         とき、
         「さあ今です」
         と荘公を促した。荘公がいわれたとおりにすると、斉の軍は総
         崩れとなった。敵軍の乱れに乗じて、荘公が追撃しようとする
         と、曹劌はまた言った。
         「ちょっとお待ちください」
         そして兵車の上から見下ろして、敵の兵車の跡をしらべ、それ
         から軾(しょく:車前の横木)の上に立って、敵方を眺めてか
         ら、荘公に告げた。
         「よろしいでしょう」
         そこで魯の軍は斉の軍を追撃した。
         さて、勝利をおさめかのも、荘公は曹劌に向かってなぜ止めた
         のか、その理由をたずねだ。すると曹劌はこう答えた。
         「戦の勝敗を決するのは勇気です。勇気は、一度目の大鼓で湧
         き、二度目の大鼓で衰え、三度目の大鼓で消えるものです。敵
         の勇気が消えたときに、こちらの勇気が湧いたからこそ、勝つ
         ことができたのです。また相手は何しろ大軍、油断は禁物です。
         どこに伏兵を置いておくかわかりません。そこでわたしは敵の
         兵車の跡と旗の勣きを見ました。その乱れ工合から、伏兵のい
         ないのは明らかでしたので迫撃するよう申しあげたのです」

         〈お偉い方たち〉 原文は「肉食者」。大夫以上の官にある人
         々を指す。肉の食えぬ階級の肉の長食える階級に対する反感、
         羨望の気持がここに見られる。曹劌は下級の士であったのであ
         ろう。

       ※ 斉の地は今の山東省、山を背にし海に臨む。その恵まれた地理
         的条件を別して、管仲は製塩・製鉄等の産業をおこし、貨幣を
         鋳造して物価を統制し、また軍隊組織を整備するなど、富国強
         兵策を言々と実行した。春秋最初の和泉はそうした基礎の上に
         成しとげられた。
 

  No.21

【RE100倶楽部:ZEH篇】 

● 太陽光40キロワットでネット・ゼロ・エネルギー・ビルディング

 Mar. 21, 2016

今月17日、竹中工務店は、東関東支店(千葉市中央区)のビルの年間エネルギー収支が「プラス」を達成し
たことを公表。2003年に竣工したオフィスビル(地上2階建て、敷地面積1432m2、延床面積1318m2)
を、支店の業務を続けながら省エネ改修するとともに太陽光発電システムを設置した。改修の期間は、
2015年10月~2016年3月。改修後の本格運用を2016年5月に開始し、2017年4月で1年間が経過した。そ
の間の太陽光の発電量がエネルギー消費量を上回った。利用中のオフィスビルを、執務を続けながら
改修し、ネット・ゼロ・エネルギー・ビルディング(ZEB)化を実現した国内初の事例となる。



回収による外装の高断熱化、きめ細かな環境制御技術、業務スタイルの変革によって、建物全体の一
次エネルギーの年間消費量は403MJ/m2となり、改修前と比べて70%以上削減した。一方、太陽光発電
による発電量は単位エネルギー量換算で、年間417MJ/m2。導入した太陽光発電システムの出力は約40
kWで、太陽光パネルは屋上に並べた。ネット・ゼロ・エネルギーを目指し、太陽光パネルの設置容量
を最小限に抑えたという。1年間の運用により、さまざまな効果を確認できた。例えば、建物全体の
断熱性を高めることで外装負荷が削減されるとともに、年間を通じて窓廻りでも温度差の少ない快適
な室内環境を実現できた。

❶自然採光を最大限に活用し、❷外付けブラインドの開閉を自動制御することで、室内の明るさを確
保し、❸かつ照明電力を削減。新たに開発した❹小型デシカント空調機と❺地中熱・太陽熱を直接利
用する放射空調により、快適性を維持しながら、空調エネルギーを削減。❻また、ウェアラブル端末を
使った執務者の活動量の計測や、体感申告から個人の好みを学び、最適な温度や気流に調整するウェルネ
ス制御を実現。これらの成果によって、消費エネルギーが最小化されたことで、災害時にインフラがダウンし
た場合でも、建物の機能を維持できる時間が長くるとのこと。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』        

   29.そこに含まれているかもしれない不自然な要素 

  「そのとおりです。一九三八年の十一月に起こった事件です。ドイツ政府は自発的に広がった暴
 動だという発表を出しましたが、実はゲッベルスを主導者とするナチ政府がその暗殺事件を利用
 し、組織的に画策した蛮行でした。暗殺犯であるヘルシェル・グリュンシュパンは、自分の家族
 がドイツ国内でユダヤ人として苛酷な扱いを受けていることに抗議するために、この犯行に及び
 ました。最初はドイツ大使の殺害を狙ったのですが、それが果たせず、目についた大使館員をか
 わりに射殺しました。殺されたラートという大使館員は皮肉なことに、反ナチの傾向があるとい
 うことで当局の監視を受けていた人物でした。いずれにせよ、もしその時期のウィーンでナチの
 要人を暗殺する計画みたいなものがあったとしたら、間違いなく同様のキヤンペーンがおこなわ
 れていたでしょう。そしてそれを口実として、反ナチ勢力に対するより厳しい弾圧がおこなわれ
 ていたでしょう。少なくともその事件がこっそり間に葬られるというようなことはなかったはず
 です」



 「それが公にならなかったというのは、公にできない何かの事情があったということなのでしょ
 それも事件が封印された理由のひとつになっているということです。しかし真偽は確かではあり
 ません。戦後になっていくつかの証言が出てきていますが、それらの周辺的陽百にどれほど信憑
 性があるか、今ひとつ定かではありません。ちなみにその抵抗グループの名前は〈カンデラ〉と
 いうものでした。ラテン語で地下の闇を照らす燭台のことです。日本語の〈カンテラ〉はここか
 らきています」

 「事件の当事者がひとり残らず殺されてしまっているということは、つまり生き残ったのは雨田
 典彦さんひとりだけだということになるのでしょうか?」
 「どうやらそういうことになりそうです。終戦間際に国家保安本部の命令により、事件に間する
 秘密書類は残らず焼却され、そこにあった事実は歴史の間に埋もれてしまっています。生き残っ
 た雨田典彦さんに、当時の詳しい事情を間くことができればいいのでしょうが、それも今となっ
 てはきっとむずかしいのでしょうね」
  むずかしいと思うと私は言った。雨田典彦はその事件に関しては今まで一切話ろうとはしなか
 ったし、彼の記憶は今ではそっくり厚い忘却の泥の底に沈んでいる。

  私は免色に礼を言って、電話を切った。

  雨田典彦は記憶が確かだったあいたち、その事件については堅く口をつぐんでいた。おそらく
 口にはできないなんらかの個人的理由がそこにあったのだろう。あるいはドイツを出国するとき
 に、何かあっても沈黙を守るように当局から因果を含められたのかもしれない。しかし彼はその
 生涯にわたって沈黙を守る代わりに、『騎士団長殺し』という作品をあとに残した。彼は言葉で
 表すことを禁じられた出来事の真相を、あるいはそれにまつわる想いを、おそらくその絵に託し
 たのだろう。

  翌日の夜にまた免色から電話があった。秋川まりえが今度の日曜日の十時に、うちにやってく
 ることに決まったということだった。前にも話したように、叔母さんが付き添ってやってくる。
 免色は最初の日には姿を見せない。

 「しばらく日にちが経って、彼女がもう少しあなたとの作業に馴染んだころに、私は顔を出すよ
 うにします。最初のうちはきっと緊張も強いでしょうし、お邪魔をしない方が良いだろうという
 気がしたものですから」と彼は言った。

  免色の声には珍しく上ずった響きがあった。おかげで私までなんとなく落ち着かない気持ちに
 なった。

 「そうですね。その方が良いかもしれません」と私は返事をした。
 「でも考えてみれば、緊張が強いのはむしろ私の方かもしれませんね」、免色は少し躊躇してか
 ら、秘密を打ち明けるように言った。「前にも言ったと思いますが、私はこれまでただの一度も、
 秋川まりえの近くに寄ったことかありません。離れたところからしか目にしたことはありませ
 ん」
 「しかしもし彼女の近くに寄ろうと思えば、そういう機会はおそらくつくれたでしょうねJ
 「ええ、もちろんです。そうしようと思えば、機会はいくらでもつくれたはずです」
 「でもあえてそうはしなかった。なぜですか?」

  免色は珍しく時間をかけて言葉を選んだ。そして言った。「生身の彼女をすぐ目の前にして、
 そこで何を思い、どんなことを目にするか、自分でも予側かつかなかったからです。ですから、
 これまで彼女の近くに寄ることを意図的に避けてきました。谷をひとつ隔てて、遠くから高性能
 の双眼鏡で密かにその姿を眺めることで満足してきました。私の考え方は歪んでいると思います
 か?」
 「とくに歪んでいるとは思いません」と私は言った。「ただ少しばかり不思議に思えるだけです。
 しかしとにかく今回は、私の家で彼女と実際に会おうと決心をされたわけですね。それはなぜだ
 ろう?」

  免色はしばらく沈黙していた。それから言った。「それはあなたという人が我々のあいだに、
 いねば仲介者として存在しているからです」
 「ぼくが?」と私は驚いて言った。「でも、どうしてぼくなんだろう? こんなことを申し上げ
 るのは失礼かもしれませんが、免色さんはぼくのことをほとんど知りません。ぼくもまた免色さ
 んのことをよく知りません。我々はほんのIケ月ばかり前に知り合ったばかりだし、谷間をはさ
 んで向かい合って往んでいるというだけで、生活環境も暮らし方も、それこそIから十まで違っ
 ています。なのにあなたはなぜぼくをそれほど信用して、いくつかの個人的な秘密を打ち明けて
 くれるのでしょう? 免色さんは簡単に自分の内面をさらけ出すような人には見えないのです
 力」
 「そのとおりです。私はいったん何か秘密を持ったら、それを金庫に入れて鍵をかけ、その鍵を
 呑み込んでしまうような人間です。人に何かを相談したり、打ち明けたりするようなことはまず
 しません」 
 「なのにどうしてぼくに対しては――どういえばいいんだろう――ある程度心を許せるんですか
 ?」

  免色は少し沈黙した。そして言った。「うまく説明はできないのですが、あなたに対してはあ
 る程度無防備になってかまわないだろうという気持ちが、お会いした最初の目から私の中に生ま
 れたような気がします。ほとんど直観として。そして後目、あなたが描いた私の肖像画を目にし
 て、その気持ちは更に確かなものになりました。この人は信頼に足る人だ。この人なら私のもの
 の見方や考え方を、自然なかたちでそのまま受け入れてくれるのではないかと思ったのです。た
 とえそれがいくぶん奇妙な、あるいは屈曲したものの見方や考え方であったとしてもですJ
 いくぶん奇妙な、あるいは屈曲したものの見方や考え方、と私は思った。
 「そう言っていただけるのはとても嬉しいのですが」と私は言った。「ぼくがあなたという人間
 を理解できているとはとても思えません。あなたはどう考えても、ぼくの理解の範囲を超えたと
 ころにいる人です。正直に言って、あなたに間する多くのことがぼくを率直に驚かせます。時に
 は言葉を失わせます」
「でもあなたは私のことを判断しようとはなさらない。違いますか?」

  言われてみれば、たしかにそのとおりだった。私は免色の言動や生き方を、何かの基準にあて
 はめて判断しようとしたことは一度もない。とくに賞賛もしなければ、批判もしなかった。ただ
 言葉を失っていただけだった。

 「そうかもしれません」と私は認めた。
 「そして私があの穴の底に降りたときのことを覚えていますか? 一人で一時間ばかりあそこに
 いたときのことを?」
 「もちろんよく覚えています」
 「あなたはあのとき、私を暗い湿った穴の中に永遠に置き去りにしようと、考えもしなかった。
 そういうことだってできたのに、そんな可能性はちらりとも頭に思い浮かばなかった。そうです
 ね?」
 「そのとおりです。でも免色さん、普通の人間はそんなことをしてみようなんて、思い浮かべも
 しませんよ」
 「本当にそう言い切れますか?」
 そう言われると返答のしようもなかった。ほかの人間が心の底で何を考えているかなんて、私
 には想像もつかない。
 「あなたにもうひとつお願いがあります」と免色は言った。
 「どんなことでしょう?」
 「今度の日曜日の朝、秋川まりえとその叔母さんがおたくにやってくるときのことですが」と免
 色は言った。「できればそのあいだおたくを双眼鏡で見ていたいのですが、かまいませんか?」

  かまわないと私は言った。騎士団長にだって、ガールフレンドとのセックスの様子をすぐそば
 でじっと観察されていたのだ。谷間の向かい側から双眼鏡でテラスを眺められたところで何の不
 都合があるだろう。

 「いちおうあなたにはお断りしておいた方がいいだろうと思ったものですから」と免色は弁解す
 るように言った。

  不思議なかたちの正直さを身につけた男だと私はあらためて感心した。そして我々は話を終え、
 電話を切った。受話器をずっと押しつけていたせいで、耳の上の部分が痛んだ。
  翌日、昼前に内容証明つきの郵便が届いた。私は郵便局員の差し出した用紙にサインし、それ
 と引き替えに大型の封筒を受け取った。それを手にしてあまり明るい気持ちにはならなかった。
 経験的に言って、内容証明つきの郵便で楽しい知らせがもたらされることはまずない。

  予想したとおり、差出人は都内の弁護士事務所で、封筒の中には離婚届の書類が二組入ってい
 た。返信用の切手が貼られた封筒も入っていた。用紙の他には、弁護士からの事務的な指示の手
 紙が入っていただけだった。手紙によれば、私がやらなくてはならないのは、そこに書かれてい
 る内容を読んで確認し、異存がなければ一組に署名捺印をし、送り返すことだけだった。もし疑
 問の点があれば遠慮なく担当弁護士に質問をしていただきたい、とあった。私は書類にざっと目
 を通し、日付を書き込み、署名捺印した。内容についてはとくに「疑問の点」はなかった。金銭
 的な義務はどちらの側にもまったく発生しなかったし、分割するに値するような財産もなく、養
 育権を争うべき子供心いなかった。きわめて単純で、きわめてわかりやすい離婚だ。初心者向け
 の離婚、とで心いったところだ。二つの人生かひとつに重なり合い、六年後にまた別れていく。
 それだけのことだ。私はその書類を返信用の封筒に入れ、封筒を台所のテーブルの上に置いた。
 明日絵画教室に行くときに、駅前にある郵便ポストに教り込めばいい。

  そのテーブルの上の封筒を、私は午後のあいだぼんやり眺めるともなく眺めていたのだが、そ
 のうちに、その封筒の中には六年間に及ぶ結婚生活の重みがそっくり押し込められているように
 思えてきた。それだけの時間――そこには様々な記憶と様々な感情が染みついている――が平凡
 な事務封筒の中で窒息させられ、じわじわ死んでいこうとしている。そんな様子を想像している
 と胸が圧迫され、呼吸がうまくできなくなってきた。私はその封筒を取り上げ、スタジオまで持
 って行って棚の上に置いた。薄汚れた古い鈴の隣に。そしてスタジオのドアを閉め、台所に戻り
 雨田政彦にもらったウィスキーをグラスに往いで飲んだ。まだあたりが明るいうちは酒を飲まな
 いと決めていたのだが、まあたまにはかまわないだろう。台所はとてもしんとしていた。風もな
 く、車の音も聞こえなかった。鳥さえ鳴いていなかった。

  離婚すること自休にはとくに問題はなかった。我々は実質的には既に離婚していたようなもの
 だったから。正式な書類に署名捺印することにも、さして感情的なこだわりはなかった。彼女が
 もしそれを求めているのなら、私の方に異論はない。そんなものはただの法的な手続きに過ぎな
 いのだから。
  しかしなぜ、どのようにしてそんな状況がもたらされたのかということになると、私にはその
 経緯が読み取れなかった。人の心と心が時間の経過に従って、状況の変化に沿って、くっついた
 り離れたりするものだというくらいのことはもちろんわかる。人の心の動きというのは、習慣や
 常識や法律では規制できない、どこまでも流動的なものなのだ。それは自由に羽ばたき、移動す
 るものなのだ。渡り鳥たちが国境という概念を持たないのと同じように。

  でもそれは結局のところ、あくまで一般的な物言いであって、あのユズがこの私に抱かれる?
 とを拒み、他の誰かに抱かれることを選んだことについては――そのような個別のケースについ
 ては――それほど容易く理解することはできなかった。私が今こうして受けているのはひどく理
 不尽な、酷く痛切な仕打ちであるように私には思えた。そこには怒りはない(と思う)。だいた
 い私は何に対して腹を立てればいいのだ? 私が感じているのは基本的には麻痛の感覚だった。
 誰かを強く求めているのに、その求めが受け入れられないときに生じる激しい痛みを和らげるべ
 く、心が自動的に起動させる麻痛の感覚だ。つまり精神のモルヒネのようなものだ。

  私はユズをうまく忘れることができなかった。私の心はまだ彼女を求めていた。しかし仮に私
 の住まいから谷間を挟んだ向かい側にユズが暮らしていたとして、そしてもし私が高性能の双眼
 鏡を所有していたとして、私はそのレンズを通して彼女の日々の生活を覗き見ようとするだろう
 か? いや、そんなことはまずしないだろう。というかそもそも、何があろうとそんな場所を住
 居として選んだりはしないだろう。それは自らのために拷問台をこしらえるようなものではない
 か。

  ウィスキーの酔いのせいで、私は八時前にベッドに入って眼った。そして夜中の一時半に目を
 覚まし、そのまま眼れなくなった。夜明けまでの時間はおそろしく長く、孤独なものだった。本
 を読むこともできず、音楽を聴くこともできず、私は一人で居間のソファに座って、ただ何もな
 い暗い空間を見つめていた。そして様々なことについて考えを巡らせた。その大半は私が考える
 べきではないことだった。
  騎士団長でもそばにいてくれればいいのだが、と私は思った。そして何かについて彼と語り合
 うことができればいいのだが、と。何についてでもいい。話題なんて何だってかまわない。ただ
 彼の声が聴ければそれでいい。
 しかし騎士団長の姿はとこにも見当たらなかった。そして彼に呼びかける手段を私は持だなか
 った。

                                     この項つづく

 ● 今夜の一曲

我が庵にも朝が来ると、柑橘系の庭木――レモン・トゥリー、花ゆず、ブラッド・オレンジの花が咲
きほころび、陽ををあびた玄関先は花の芳香(ニオイ)に包まれ、イングリッシュローズ グラハム・
トーマスやルージュピエールドゥロンサールの薔薇系も負けじと落ち着きのある芳香を放っている。


さて、「レモン・トゥリー」(Lemon Tree)は、ウィル・ホルトが1950年代後半に書いたフォークソ
ング。ピーター・ポール&マリーのデビュー・シングルとして知られる。邦題の表記はワーナーミュ
ージック・ジャパンの公式サイトに拠る。本作品は「Meu limão, meu limoeiro」というブラジルのフ
ォークソングをもとにして書かれた。同曲は1937年に José Carlos Burle によって編曲され、ブラジル
の歌手、Wilson Simonalのバージョンで広まる。ウィル・ホルトは1961年にドリー・ジョナとデュエ
ット・アルバム『On the Brink』を発表。その中でも歌っている。同年6月、キングストン・トリオ
が『Goin' Places』の中でカバー。1962年4月、ピーター・ポール&マリーがデビュー・シングルとし
て発表する]。B面は「アーリー・イン・ザ・モーニング」(この曲もお気に入りだ)。同年6月9日付
のビルボード・Hot 100で35位を記録する(Wikipedia)。

   When I was just a lad of ten, my father said to me,
   "Come here and take a lesson from the lovely lemon tree."
   "Don't put your faith in love, my boy," my father said to me,
   "I fear you'll find that love is like the lovely lemon tree."

   Chorus:
   Lemon tree, very pretty, and the lemon flower is sweet,
   But the fruit of the lemon is impossible to eat.
   Lemon tree, very pretty, and the lemon flower is sweet,
   But the fruit of the lemon is impossible to eat.

   One day beneath the lemon tree, my love and I did lie,
   A girl so sweet that when she smiled, the stars rose in the sky.
   We passed that summer lost in love, beneath the lemon tree,
   The music of her laughter hid my father's words from me.

   Chorus

   One day she left without a word, she took away the sun.
   And in the dark she left behind, I knew what she had done.
   She left me for another, it's a common tale but true,
   A sadder man, but wiser now, I sing these words to you.                                   

                                                                                          Music&Word Will Holt

 



 


グラビアなオーレッド

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        閔公二年:衛の懿公鶴を好む / 斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 斉の桓公の制覇の前に立ちはだかったもの、北には強大な異民
         族・狄(てき)があり、南に新興の雄国・楚があった。西紀前
         六六一年、狄が邢国に攻め入るや、斉の管仲は「戎狄は豺狼で
         ある。満足させてはならぬ」と桓公にすすめて、軍を出し、邢
         を救援したが、狄はその翌年また衛に侵入して懿(い)公(B.C
         668~660)を殺したのである。衛は河南省にあった小国。
         【経】十有二月、狄、衛に入る。

       ※ 冬十二月、狄が衛に攻めよせて来た。時の衛君、懿公は大の鶴
         好きであった。衛の国には大夫の待遇をあたえられる鶴さえい
         た。いよいよ戦が姶まろうとし、動員。命令が下ったとき、衛
         の人々は口々に言った。「鶴に戦ってもらおう。鶴は禄をもら
         っているんだ。何もわれわれが戦うことはない」懿公は大夫の
         石祁子(せききし)玦(けつ)を、同じく大夫の鼠荘子(ねい
         そうし)に矢をあたえ、「これによって、国のため、万事よろ
         しく取りはからうように」と言って後を託した。
         それと同時に、夫人に刺繍した衣をあたえ、「この二人の言う
         とおりにせよ」と、言いのこして、出陣した。   
         
         渠孔(きょうこ)が懿公の乗った兵車の手綱を執り、子伯が車
         右となり、黄夷(こうい)が先鋒を、孔嬰斉(こうえいさい)
         が殿(しんがり)をつとめ、衛軍は狄の軍勢を焚榮沢(けいた
         く)にむかえ討った。だが、衛軍は総崩れとなり、懿公はあえ
         なくも戦死を遂げた。戦闘に際し懿公があくまで旗印を掲げつ
         づけたことが、この惨敗を椙く原囚となったのである。戦いに
         勝った秋人は、衛の史官華龍滑(かゆうかつ)と礼孔の二人を
         とらえ、これを案内役として衛軍に追い討ちをかけようとした。
         囚えられた二人は、狄人たちにむかってこう言った。
         「われわれ二人は、太史として祭祀をつかさどっている者、わ
         れわれが先に行って神に告げぬかぎり、都をとることはできぬ」
         狄人はすっかり信用して、二人を先に衛の都にはいらせた。二
         人は都につくと、留守役の石祁子と鼠荘子の二人に、「とても
         守りきることはできません」と言い、夜を待って、ともども都
         から逃げだした。狄人は衛都に入城し、さらに追撃をつづけ、
         黄河の近くでふたたび衛軍を打ち破った。

         ★このとき狄に追われた衛の遺民は男女合わせて七百三十人。
         かれらは自国の属邑であった共滕邑の住民と合流し、合計五千
         人が四国に寄寓した。斉の桓公は大軍をひきいて、四を秋の手
         から守った。             

 

May. 17, 2017

【ネオコン倶楽部:世界初 印刷法で有機ELを製品化】

5月17日、RGB印刷方式で2017年6月から量産を行う予定の 21.6型有機EL パネルを公開。同社社
長で2017年6月にジャパンディスプレイ(JDI)の社長兼CEOに就任予定の東入來信博氏が会見に応
じ今後の有機ELパネルの開発方針などを明らかにした(EE Times Japan 2017.05.18)。

公開した有機ELパネルは、画面サイズ21.6型(478.1×268.9×548.5mm)、解像度は4K相当の3840RGB
×2160画素(829万画素)。精細度は204ppi。パネル重量は500gでパネル厚1.3mm。輝度は350カンデラ
/m2(ピーク時)、コントラストは100万対1。寿命については、1000時間(LT95、350カンデラ/m2)。

 株式会社ジェイオーレッド HP

さらに、価格については、サンプル価格で60万円~100万円の間。量産開始時期はあと1カ月で、量産
技術確立のマイルストーンに達するとし、6月から量産移行予定。またジャパンディスプレイ(JDI)
石川工場(石川県川北町)内にある製造ラインで実施。同製造ラインは、4.5世代(730×920mm)基
板対応製造ラインで生産能力は月産2300枚(21.6型パネル換算で6900枚)で研究開発用ライン(月産
2000枚程度)の機能も兼ねる。



有機ELパネルの製造法には、JOLED  が手掛ける印刷法とともに、蒸着法が存在する。RGB の画素を
1色ずつ形成するRGB蒸着法での有機ELパネル製造は、Samsung Electronicsが主にスマートフォンに向
けた 5~10型の小型パネルで先行。一方、RGB印刷法は、理論上、適用できるパネルサイズに制約が
なく、JOLEDでは前身1つのパナソニック時代を含め既に12型から55型までの有機ELパネルの試作を
終える。そこで、JOLEDはRGB蒸着法で先行するSamsung、白色EL蒸着法で先行するLGの両社が参入
しにくい12~32型前後の中型パネル領域からの事業参入、市場創造を目指す戦略を掲げる。

わたし(たち)が予想したよりはオーレッド市場形成は6年程度遅れている。しかし、ここまでくれ
ば、この事業プラットフォームの拡張が本格化するとともに、これを構成する技術展開で、ユニバー
スな事業プラットフォームが誕生して。

 

 
♞ 関連特許事例

✓ 特許6082974  有機膜の製造方法と有機ELパネルの製造方法

【概要】

有機ELパネルやTFT基板等のデバイスにおいて、有機膜の機能を十分に発揮させるためには、膜
厚が均一な有機膜を形成することが重要である。ところが現在のウエットプロセスで有機膜を形成す
る場合、乾燥時に粘度が高まり易いインクを用いると、膜厚が均一な有機膜を形成することが難しい
場合がある。本発明は、乾燥時に粘度が高まり易いインクをウエットプロセスで塗布し、有機膜を製
造する場合において、均一な膜厚を有する有機膜の製造を期待できる有機膜の製造方法と有機ELパ
ネルの製造方法を提供することを目的とする。

上記目的を達成するため、本発明の一態様における有機膜の製造方法は、基材の第1領域に対し、第
1有機材料と第1溶媒とを含み、増粘率が3.3以上のインクの第1インクを塗布する第1塗布ステ
ップと、前記第1インク中の前記第1溶媒を大気圧未満の第1気圧下で蒸発させ、前記第1インクを
乾燥させて第1有機膜を形成する第1乾燥ステップとを有する有機膜の製造方法とする。
但し前記増粘率は、インク中の有機材料濃度が塗布前のインクの初期有機材料濃度の2倍に達したと
きのインク粘度μと、塗布前の初期インク粘度μ0との比μ/μ0とする。

本発明の一態様に係る有機膜の製造方法によれば、乾燥時に粘度が高まり易いインクを用いてウエッ
トプロセスで有機膜を製造する場合において、均一な膜厚の有機膜の製造を期待できる有機膜の製造
方法を提供することができる(詳細は下図ダブクリ参照)。

 
【符号の説明】

  1    TFT基板(基材)   2    平坦化膜   3    陽極(第1電極)   4    ホール注入層   5    隔壁(バンク)
  6    有機発光層   6RX、6GX、6BX    有機発光材料と溶媒とを含むインク   7    電子輸送層
  8    陰極(第2電極)   9   封止層   10、10A    EL基板   10X    EL基板中間体   11   ベース基板
  12  ブラックマトリクス(BM)  13R、13G、13B   カラーフィルター(CF)層   14   ホール輸送層(HTL)
  14X    ホール輸送材料と溶媒とを含むインク   20    CF基板   30、30A    有機ELパネル
  100R、100G、100B    有機EL素子  101R、101G、101B    開口部

✓ 特許6111396  有機膜材料を真空状態下に維持するための真空装置における真空シ
                 ール材、潤滑剤、および、有機EL素子の製造方法

【概要】

有機発光層材料等の有機膜材料を真空状態下に維持する際には、例えば、潤滑剤や真空シール材に用
いられている酸化防止剤が、可能な限り不純物として有機膜材料に付着しないようにすることが望ま
しい。本発明は、有機膜材料を真空状態下に維持する場合において、有機膜材料への不純物の付着を
可能な限り抑制することを目的とする。

本発明の一態様である酸化防止剤は、有機膜材料を真空状態下に維持するための真空装置に用いられ
る酸化防止剤であって、真空ポンプとこれに接続された真空チャンバーを備える前記真空装置の、前
記真空ポンプにおける前記真空チャンバーと連通する箇所に用いられ、下記一般式(1)ここでは、
図2(a)に該当。で表される芳香族第2級アミン誘導体を含む。 但し、R1~R10のうち少なくとも1
つは下記一般式(2)で表され、その他は主鎖の原子の数が3以下の置換基とする。(式(2)中A、
、ここでは、図2(b)に該当は原子の数が3以下の鎖式構造を示し、主鎖の原子の数が3以下の置換基
を有していてもよい。R11は5員環以上8員環以下の環構造を有し、R11が複数の環構造を有する場合
には各環構造を結ぶ結合鎖における原子の数は3以下とし、各環構造は主鎖の原子の数が3以下の置
換基を有していてもよい。)

有機膜材料を真空状態に維持する場合において、真空ポンプにおける真空チャンバーと連通する箇所
に用いられる酸化防止剤として、本発明の一態様である酸化防止剤を用いることで、少なくとも当該
酸化防止剤が有機膜材料に付着することを抑制できる。したがって、有機膜材料を真空状態下に維持
する場合において、有機膜材料への不純物の付着を可能な限り抑制することが可能である(詳細は下
図ダブダブクリ参照)。

【符号の説明】

    1、26  真空チャンバー   2、27  真空ポンプ    3  接続部材    4、30  酸化防止剤    5  被乾燥物
    66、68  アルキル鎖    7  間隙    10  有機EL表示パネル    11、101  基板    12、102  陽極
    13  ITO層    14、103  正孔注入層    15  バンク    15a  開口部    16、105  有機発光層
    16a、105a  有機発光層材料    17、106  電子輸送層    18、107  陰極    19、108  封止層
    20  駆動制御部    21~24  駆動回路    25  制御回路    28、29  排気管    100  サブピクセル
    104  正孔輸送層    109  界面領域    200  有機EL発光装置    210  有機EL素子    220  ベース
    230  反射部材    1000  有機EL表示装置

✓ 特許5994080  真空装置、有機膜の形成方法、有機EL素子の製造方法、有機EL表示パネル、
    有機EL表示装置、有機EL発光装置およびゲッター材を構成する材料の選択方法
✓  特許5974245  有機EL素子とその製造方法
✓   特許5939564  有機EL素子の製造方法

  No.22

【RE100倶楽部:再エネ国際事情篇】 

 ● マクロン仏新政権、原発比率を50%まで下げ再エネを倍増か

6月の国民議会総選挙が今後のエネルギー政策の焦点

今月14日、マクロン氏が新大統領大統領に就任。今回の仏大統領選の結果、フランスではオランド
前政権のエネルギー政策を踏襲し、原子力や化石燃料の比率を下げ、再生可能エネルギーの導入を推
進する公算が高くなっている。❶まず原子力については、現在約75%を占める原子力の比率を25
年までに50%まで低減する方向。老朽化した原発における廃炉を進め、原子力にのみ依存すること
によるリスクや脆弱性を回避する狙いがあるが、政府系の電力事業者であるEDF社と原子力発電の技
術開発を事業の主軸とするアレバ社の競争力を維持し、中国やロシアに対しても技術開発で主導性を
維持したい新大統領の意向もあり、簡単に脱原発に舵を切ることはないとみられている。❷再エネに
関しては、電源構成に占める比率を現在の約15%から30年までに32%と、主に太陽光と風力で
ほぼ倍増させる方針。2月に非政府団体や報道関係者に対し、「大統領の任期初めに、2万6000MW(2
6GW)分の再エネプロジェクト開発を今後5年分の入札をカレンダー管理したい意向を示す。❸化石
燃料は、温室効果ガス排出量の点からも抑制される可能性が高く、22年までに石炭火力を段階的に
廃止していく、というオランド政権時代の目標を堅持する。

  May 8, 2017

運輸・交通においても、欧州ではこれまで大きな比率を占めていたディーゼルエンジン車に対する補
助金が見直される可能性が高く、電源で再エネの大量導入を推進すると同時に、モビリティでは電動
化を強力に推し進める。これらのエネルギー政策を支えるため、温室効果ガス関連の規制も強化され
エネルギー事業者に課せられる二酸化炭素価格を、20年までに56ユーロ/t、23年までに百ユー
ロ/tとする方向である。ただ、これらのエネルギー政策は、フランス国民議会による承認を取り付け
る必要がある(日経BPクリーンテック研究所 2017.05.18)。   

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』         

   30.そういうのにはたぶんかなりの個人差がある 

   あくる日の午後、私は署名捺印した離婚届の書類を投函した。とくに手紙は添えなかった。た
 だ切手付きの返信用封筒に入れた書類を、駅前の郵便ポストに放り込んだ。でもその封筒が家の
 中からなくなったというだけで、私の心の負担はずいぶん軽減したようだった。その書類がこれ
 からどのような法的経路を辿ることになるのか、そんなことは私にはわからない。どうでもいい。
 好きな道筋を辿らせればいい。



  そして日曜日の朝、十時少し前に秋川まりえがうちにやってきた。明るいブルーのトヨタ・プ
 リウスがほとんど音もなく坂を上ってきて、うちの玄関の前にそっと停まった。車体は日曜日の
 朝の太陽を受けて、晴れがましく鮮やかに輝いていた。まるで包装紙を解かれたばかりの新品の
 ように見える。ここのところ、いろんな車がうちの前にやってくる。免包の銀色のジャガー、ガ
 ールフレンドの赤いミニ、免色が寄越す運転手付きの黒いインフィニティ、雨田政彦の黒い旧型
 ボルボ、そして秋川まりえの叔母の運転するブルーのトヨタ・プリウス。そしてもちろん私の運
 転するトヨタ・カローラ・ワゴン(長くはこりをかぷっているせいで、どんな色だったかよく思
 い出せない)。人々はおそらく様々な理由や根拠や事情があって、自分か運転する車を運ぶのだ
 ろうが、秋川まりえの叔母がどのようなわけでブルーのトヨタ・プリウスを選択したのか、もち
 ろん私には知りようもない。いずれにせよその車は、自動車というよりは巨大な真空掃除機のよ
 うに見えた。

  プリウスの静かなエンジンが静かに停止し、あたりはほんの少しだけより静かになった。ドア
 が開いて、そこから秋川まりえと彼女の叔母さんらしき女性が降りてきた。若く見えるが、たぶ
 ん四十代の初めというところだろう。彼女は色の濃いサングラスをかけ、淡いブルーのシンプル
 なワンピースに、グレーのカーディガンを羽織っていた。黒い艶やかなハンドバッグを持ち、濃
 いグレーのローヒールの靴を履いていた。運転するのに向いた靴だ。ドアを閉めると、彼女はサ
 ングラスをとってバッグにしまった。髪は肩までの長さで、きれいにウェーブをかけられていた
 (しかしさっき美容室から出てきたばかり、という過剰な完璧さはない)。ワンピースの襟につ
 けれた金のブローチのほかには、目だった装身具はつけていない。


  秋川まりえは黒のコットン・ウールのセーターを着て、茶色の膝までの丈のウールのスカート
 をはいていた。これまで学校の制服を着ている彼女しか見たことがなかったので、いつもとは雰
 囲気がずいぶん違っていた。二人が並んで立つと、いかにも品の良い家庭の母子のように見えた。
 でも二人が実際の母子ではないことを、私は免色から間いて知っている。
  私はいつものように窓のカーテンの隙間から、彼女たちの様子を観察していた。それからドア
 ベルが鳴らされ、私は玄間にまわってドアを開けた。

  秋川まりえの叔母はずいぶん穏やかな話し方をする、顔立ちの良い女性だった。はっと人目を
 惹くような美人ではないが、きれいに整った上品な顔立ちだった。自然な笑みが明け方の白い月
 のように、口元に控えめに浮かんでいた。彼女は手土産に菓子折を持ってきた。私の方が秋川ま
 りえにモデルになってもらいたいとお願いしているわけだから、手土産を持ってくる必要なんて
 まったくないわけだが、初対面の相手の家を訪問するときには何か手土産を持参するものだとい
 う教育を、きっと小さい頃から受けてきた人なのだろう。だから私は素直に礼を言ってそれを受
 け取った。そして居間に二人を案内した。

                                     この項つづく

 

召陵の蛍光

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         僖公三、四年:召陵の盟 / 斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 斉の桓公は名宰相管仲を用いて富国強兵につとめることすでに
         三十年、中原の諸国をほとんどみなその傘下に収め、残るは南
         方の楚のみとなった。楚は成圧の代に至って着々と勢力を張り、
         北上してしばしば鄭を侵し、斉と南北に相対し、ここに召陵の
         講和会議となった。

       ※  この会における斉の管仲と、楚の成王およびその大夫屈完と交
          わした問答が見ものである。双方ユーモアを交えながらも自説
          を主張して譲らない。
         【経】 四年、春、王の正月、公、斉侯・宋公・陳侯・衛侯・
         鄭伯・許男・曹伯に会して蔡を侵す。蔡潰ゆ。ついに楚を伐ち、
         陘(けい)に次(やど)る。楚の屈完、来たりて師に盟わんと
         す。召陵に盟う(下図ダブクリ参照)。

       ★ 「風馬牛も相及ばず」は現在の朝鮮半島には通じない。アジア
         的赤色専制国家の思いの果ての断末魔だけがやけにリアリティ
         をもって迫ってくる「召陵の蛍光」である。



召陵之盟:風馬牛も相及ばず

 

  No.23

【RE100倶楽部:再エネ国際事情篇】 

  ● スイス 脱原発・再エネ促進を選択

スイスは、再生可能エネルギーを促進し、原子力発電所を禁止する新しいエネルギー法を制定した。
歴史的な選挙は、20年までに再生可能エネルギー4,400ギガワット時(GWh)、35年に11,400GWh
の発電目標に漸近する。21日の週末に、人口の約42%が国民投票し決着する。昨年11月、「エネル
ギー戦略2050
」が議会承認が右翼人民党は国民投票に異議を唱えたが、58.2%の票決で原発への
投資が取りやめとなった。スイスのドリス・ロウタードエネルギー大臣は、「議会で今後6年間議論
し、委員会レベルで議論した後、スイスのエネルギー政策の新たな章が始まるだろう。しかし、まだ
やるべきことが残っている」と話す。エネルギー戦略2050では、原発は総のエネルギーの38%を占
め、一般的な認可は、19年以降売電できなくなる。また、既存の原発の寿命が終わると閉鎖され、
廃炉される。

 May 22, 2017

かわりに、このエネルギー改革では、今後3年間で1人当たりのエネルギー消費量を16%削減を目標
としている。「エネルギー戦略2050」は、20年に3%、35年に13%の電力消費が削減さしつつ、
太陽光、風力、バイオマス、および地熱エネルギーなどの再エネの生産量を増やす。新法の支持者は
再エネ投資は、スイスをエネルギー輸入依存しなくなり、かつ、高い供給基準を維持、原子力エネルギー投資
を段階的に廃止することにより、環境と将来の世代がその恩恵享受すると歓迎する。

 May 21, 2017 - 17:08

 

  May 23, 2017

● 枯欠するチャド湖救済計画(植物研究ソーラーセンタ提案図)

   

 【DIY日誌:シロアリ駆除法のテストⅢ】

昨日正午から、今回は、加熱蒸散殺虫剤のアース産業株式会社の「アースレッドW」で床下テストを
行う。2、3の項目で微調整する残件もあったが「プローブ加熱蒸散式」の全景が見通せた。大きい
残件事項は「加熱方法」「殺虫剤の開発」の2つ。それにしても、現役のころの体験がフラッシュ・
バックし、寝ながらもうこんな作業はやめにしようと、不安がこみあがる。そして、いつも思うのだ
が、短期間で、素人同然状態で誰もやりたがらない(個人的なリスクが大きい)問題解決してきたこ
とを思い出し、悶々とする。考えてみれば、『エネルギーフリー社会を語ろう!』なんてな戯言を叫
ぶ人間は皆無(スタンフォード大学にはよく似たグループがいるようだが)。そうしている内に、早
朝目が覚めたのテレビショッピングをみるとはなしにみていたら、かってブームとなった「水素水」
の通販のコマーシャルに目にとまる。そして、最新の水素水製造技術動向が気になったことを思い出
し特許申請事例をチョッと調べ4件ピックアップ。

【最新水素水製造技術】

♞ 関連特許事例

✓ 特開2017-047342  水素水生成装置および水素水生成方法

【概要】

簡単な構成で短時間で、水道水などの被処理水から溶存水素濃度が望ましくは0.3ppm以上、または
併せ、pH値が望ましくは9.00以下に制限された水素水を生成することで、食味が良く、安全で、
体にも良い水を提供するために、被処理水を貯留する第一の容器部分1と、第一の容器部分1に貯留
された被処理水を浄水処理する少なくともイオン交換樹脂を含む浄水フィルタ2と、浄水フィルタ2
により浄水処理された浄水を貯留する第二の容器部分3と、第二の容器部分3の内部に設けられ、第
二の容器部分3に貯留された浄水に、水素還元剤41及びpH調整剤を浸漬させる多孔容器400と
第二の容器部分3の内部に設けられ、第二の容器部分3の内部の浄水を攪拌する攪拌手段51と、そ
して第二の容器部分3とは隔たって設けられ、攪拌手段51を駆動する駆動機構6で構成/構造の水
素水生成装置が提案されている。


【符号の説明】

1:第一の容器部分、2:浄水フィルタ、3:第二の容器部分、4:攪拌機構、6:駆動機構、7:
冷却装置、10:水素水生成装置、41:水素還元剤、42:pH調整剤、51:攪拌フィン、52:
プレート部分、60:コアレスモータ、71a・71b:ヒートシンク、72:ペルチェ素子、73:
ファン、100:容器部分、200:本体部分、200A:操作パネル、400:カゴ本体、410:
スリット、500・600:永久磁石

✓ 特開2016-155118  水素水、その製造方法及び製造装置

【概要】 

前記、特許概要にあるような従来技術の課題を1つを解消し、シリコン微細粒子を有効活用し、経済
性及び工業性に優れた製造方法――シリコン微細粒子又はシリコン微細粒子をビーズミル機で粉砕し
たシリコン微細ナノ粒子及び/又はその一部が凝集体となったものを含むものを密封容器内で水又は
水溶液に接触及び/又は該水又は該水溶液中に分散させることにより水素を発生させて、水溶液中に
所定の制御された水素濃度を有する水素水を得る。この水素水の製造には、シリコン微細粒子を出発
材料として、実用に耐え得る濃度と量の溶存水素を含む水素水を、安全に効率よく製造することが可
能である。従って、シリコン微細粒子の有効活用にもなり、環境保護に貢献するとともに、特に健康・
医療分野での有効な水素水の製造コストの大幅削減にも寄与し、室温で温和な条件下でも、低コスト
で安全な材料のシリコン微細粒子を水中分散し、その水中から水素発生するこの水素を溶存させ、所
望の制御された水素濃度を有する水素水をえることができる。



✓ 特開2016-093770  水素水の生成方法及び水素水の生成装置

【概要】 

水を電気分解することにより水素水を生成する電気分解工程と、前記水素水生成工程において得られ
た水素水にプラズマを照射するプラズマ照射工程とを備えている。簡易な保存容器に充填した場合で
あっても溶存水素が抜けにくく、かつ、より病気予防及び病気治療効果の高い水素水を提供すること、
及びそのような水素水を生成する水素水の生成装置を提供する。尚、大気圧プラズマががん治療に有
効であることの報告が世界的に認知されており、プラズマを直接に人体に照射するのではなく、プラ
ズマを照射した溶液を人体に投与することで生体に良い影響を及ぼすことができることが次第に判明
してきている。 従って、簡易な容器に保存した場合でも時間の経過により溶存水素が抜けにくくする
だけでなく、より病気予防効果及び病気治療効果の高いと期待し提案されている。

 
✓ 特開2016-155118  水素水、その製造方法及び製造装置

【概要】 

同一材料による陽極及び陰極を用いた無隔膜の電気分解により水から水素水を生成する水素水生成装
置は、電気分解終了後に陽極及び陰極間を第1の所定時間の間短絡させる短絡手段と、この短絡手段
による短絡を終了して第2の所定時間経過した後、これら陽極及び陰極間に挿入接続された所定抵抗
値の抵抗の端子間電圧を計測する電圧計測手段と、電圧計測手段から得られた計測値を演算して溶存
水素濃度を求める演算手段とを備えることで、溶存水素濃度をその場で容易に確認(=見える化)で
き、安価に製造することが可能な水素水生成装置の提供。


水素水以外も含まれるが、いずれにしても、蛇口をひねれば、安全で、低コストな、健康な水素水が
飲める様にしたい。これを応用し、革新的な上水道水質基準を普及させればこれにこしたことはない。
 

     

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

   30.そういうのにはたぶんかなりの個人差がある  

 「私たちの往んでおります家は、距離にすればここからほとんど目と鼻の先なのですが、車で来
 るとなると、ぐるりと回り込まなくてはなりません」と叔母は言った(彼女の名前は秋川笙子と
 いった。笙の笛のショウです、と彼女は言った)。「ここに雨田典彦先生がお往まいだというこ
 とはもちろん前から存じ上げていたのですが、そのようなわけで、実際にこのあたりに来るのは
 これが初めてなんです」
 「今年の春頃から、ちょっと事情がありまして、ぼくがこの家の留守番のようなことをさせても
 らっています」と私は説明した。
 「そのようにうかがいました。こうしてご近所に往んでおりますのも何かのご縁でしょうし、こ
 れからもよろしくお願い申し上げます」

  それから秋川笙子は、姪のまりえが絵画教室で私に教わっていることについて、深く丁寧に礼
 を言った。姪はおかげさまで、いつも楽しみに教室に通っておりますと彼女は言った。

 「教えるというほどのことでもないんです」と私は言った。「みんなと一緒に楽しんで絵を描い
 ているだけ、みたいなものですから」
 「でもご指導がとてもお上手だとうかがいました。たくさんの方々の口から」

  それほど多くの人が私の絵の指導を褒めるとも思えなかったが、それについてはとくに何もコ
 メントをしなかった。ただ黙って賞賛の言葉を聞き流していた。秋川里子は育ちが良く、礼儀を
 重んじる女性なのだ。



  秋川まりえと秋川笙子が並んで座っているのを見て、人がまず思うのは、二人はどの点をとっ
 ても顔立ちがまるで似ていないということだろう。少し離れたところから見ると、いかにも似合
 いの母子のような雰囲気を漂わせているのだが、近くに寄ると、二人の相貌のあいだには共通す
 るところがまるで見当たらないことがわかった。秋川まりえも端正な顔立ちだし、秋川里子も間
 違いなく美しい部類に入るのだが、二人の顔が人に与える印象は両極端といってもいいくらい違
 っていた。秋川笙子の顔立ちがものごとのバランスを上手に取ろうとする方向を目指していると
 すれば、秋川まりえのそれはむしろ均衡を突き崩し、定められた枠を取り払う方に向かっている
 みたいだった。秋川里子が穏やかな全体の調和と安定を目標にしているとすれば、秋川まりえは
 非シンメトリカルな対立を求めていた。しかしそれでいながら、二人が家庭内で心地良い健全な
 関係を保っているらしいことも、雰囲気からおおよそ推察できた。二人は母子ではなかったが、
 ある意味では実際の母子よりもむしろリラックスした、ほどよい距離をとった関係を結んでいる
 ように見えた。少なくとも私はそんな印象を受けた。

  秋川笙子のような美しい顔立ちの、洗練された上品な女性が、どうしてこれまでずっと独身を
 通してきたのか、こんな人里離れた山の上で兄の家族との同居に甘んじているのか、私にはもち
 ろんそのへんの経緯は知りようもない。彼女にはかつて登山家の恋人がいたが、彼は最も困難な
 ルートからのチョモランマ登頂に挑んで命を落とし、その美しい思い出を胸に抱いて、永遠に独
 身をまもり続けようと心を決めたのかもしれない。あるいはどこかの魅力的な妻帯者と、長年に
 わたって不倫の関係を持ち続けているのかもしれない。しかしいずれにせよそれは私には関わり
 のない問題だ。



  秋川笙子は西側の窓際に行って、そこから見える谷間の眺めを興味深そうに見ていた。

 「同じ向かい側にある山でも、見る角度が少し違うだけで、ずいぶん見元方が違うものですね」
 と彼女は感心したように言った。

  その山の上には、免色の白い大きな屋敷が鮮やかに光って見えた(そこから免色はおそらく双
 眼鏡でこちらをうかがっていることだろう)。彼女の家からその白い屋敷はどんな風に見えるの
 だろう? それについて少し話してみたかったが、最初からその話題を持ち出すことには、いさ
 さかの危険がひそんでいるような気がした。話がそこからどのように展開していくか、予側かつ
 きにくいところがある。
  私は面倒を避けるべく、その二人の女性をスタジオに案内した。

 「このスタジオで、まりえさんにモデルになっていただくことになります」と私は二人に言った。
 「雨田先生もきっとここでお仕事をしていらっしやったのでしょうね」と秋川笙子はスタジオの
 中を見回しながら、興味深そうに言った。
 「そのはずです」と私は言った。
 「なんて言えばよろしいのかしら、おうちの中でも、ここだけ少し空気が違っているみたいに感
 じられます。そう思われませんか?」
 「さあ、どうでしょうね。普段生活していると、あまりそういう感じも受けないのですが」
 「まりちゃんはどう思う?」と秋川笙子はまりえに尋ねた。「ここって、けっこう不思議な空間
 みたいだと感じない?」

  秋川まりえはスタジオのあちこちを眺めるのに忙しくて、それには返事をしなかった。たぶん
 叔母の問いかけが耳に入らなかったのだろう。私としてもその返答を間いてみたかったのだが。
 「ここでお二人でお仕事をなさっているあいだ、私は居間で待っていた方がよろしいのでしょう
 ね」と秋川笙子は私に尋ねた。
 「それはまりえさん次第です。まりえさんが少しでも寛げるような環境をつくるのが、なにより
 大事なことです。ぼくとしてはあなたが一緒にここにいらっしゃっても、いらっしゃらなくても、
 どちらでもまったくかまいません」
 「叔母さんはここにいないほうがいい」とまりえがその日初めて口を間いた。静かではあるけれ
 どとても簡潔な、そして譲歩の余地のない通告だった。
 「いいわよ。まりちゃんのお好きに。たぶんそうだろうと思って、読む本もちゃんと用意してき
 ましたしね」、秋川笙子は姪のきつい口調も気にしないで、穏やかにそう返答した。たぶんそう
 いうやりとりに普段から馴れているのだろう。

  秋川まりえは叔母の言ったことはまったく無視して、腰を軽くかがめ、壁に掛けられた雨田典
 彦の『騎士団長殺し』を正面からじっと見据えていた。その横に長い日本画を見ている彼女の目
 はとこまでも真剣だった。彼女は細部をひとつひとつ点検し、そこに据かれているすべての要素
 を記憶に刻み込もうとしているみたいに見えた。そういえば(と私は思った)私以外の人間がこ
 の絵を目にするのは、おそらくは初めてのことかもしれない。私はその絵を前もって人目につか
 ないところに移しておくことを、すっかり忘れていたのだ。まあいい、仕方ない、と私は思った。

 「その絵は気に入った?」と私はその少女に尋ねてみた。
  秋川まりえはそれにも返事をしなかった。あまりに意識を集中して絵を眺めているせいで、私
 の声が耳に入らないようだった。それとも聞こえても無視しているだけなのだろうか?
 「すみません。ちょっと変わった子なんです」と秋川笙子が取りなすように言った。「集中力が
 強いというか、いったん夢中になると他のことがいっさい頭に入らなくなってしまいます。小さ
 な頃からそうでした。本でも音楽でも絵でも映画でも、なんでもそうなんです」

  どうしてかはわからないが、秋川笙子もまりえも、その絵が雨田典彦の描いた絵なのかどうか
 尋ねなかった。だから私もあえて説明はしなかった。もちろん『騎士団長殺し』というタイトル
 も教えなかった。この二人が絵を目にしたところで、とくに問題はあるまいと私は思った。おそ
 らく二人はこの絵が雨田典彦のコレクションに含まれていない特別な作品であることに気がつい
 たりはしないだろう。免色や政彦がそれを目にするのとは話が違う。

  私は秋川まりえに『騎士団長殺し』を心ゆくまで見させておいた。そして台所に行ってお湯を
 彿かし、紅茶を滝れた。そしてカップとティーポットを盆に載せて居間に運んだ。秋川笙子が土
 産に特ってきてくれたクッキーも、それに添えて出した。私と秋川笙子は居間の椅子に座って、
 軽い世間話(山の上での生活や、谷間の気候について)をしながらお茶を飲んだ。実際の仕事に
 かかるまえに、そういうリラックスした会話の時間が必要なのだ。

  秋川まりえは『騎士団長殺し』の絵をまだしばらく一人で眺めていたが、やがて好奇心の強い
 猫のようにスタジオの中をゆっくり歩き回り、そこにあるものをひとつひとつ手にとって確かめ
 ていった。絵筆や、絵の具や、キャンバスや、そして地中から掘り出した古い鈴も。彼女は鈴を
 手にとって、何度か振ってみた。いつものりんりんという経い音がした。

 「なぜこんなところに古いスズがあるの?」とまりえは無人の空間に向かって、誰に尋ねるとも
 なく尋ねた。でももちろん彼女は私に尋ねているのだ。
 「その鈴はここの近くの土の下から出てきたんだよ」と私は言った。「たまたま見つけたんだ。
 たぶん仏教に関係したものだと思う。お坊さんが、お経を読みながらそれを振るとか」
  彼女はもう一度それを耳元で振った。そして「なんだか不思議な音がする」と言った。
  そんなささやかな鈴の音が、よくあの雑木林の地底からこの家にいる私の耳に届いたものだと、
  私はあらためて感心した。振り方に何かコツのようなものがあるのかもしれない。

 「よそのおうちのものをそんなに勝手にいじるんじやありません」と秋川笙子が姪に注意をした。
 「べつにかまいませんよ」と私は言った。「たいしたものではありませんから」

  しかしまりえはその鈴にすぐに興味を失ったようだった。彼女は鈴を棚に戻し、部屋の真ん中
 にあるスツールに腰を下ろした。そこから窓の外の風景を眺めた。

 「もしよろしければ、そろそろ仕事にかかろうと思います」と私は言った。
 「じやあ、そのあいだ私はここで一人で本を読んでいます」と秋川笙子は上品な微笑みを浮かべ
 て言った。そして黒いバッグから、書店のカバーのかかった厚い文庫本を取り出した。私は彼女
 をそこに残してスタジオに入り、居間とのあいだを隔てるドアを閉めた。そして私と秋川まりえ
 は部屋の中に二人きりになった。
  私はまりえを、用意しておいた背もたれのある食堂の椅子に座らせた。そして私はいつものス
 ツールに腰掛けた。二人の間にはニメートルほどの距離があった。

 「しばらくそこに座っていてくれるかな。好きなかっこうでいいし、大きく姿勢を変えなければ、
 適当に勣いてかまわない。とくにじっとしている必要はない」
 「絵を描いているあいだ、話してもかまわない?」と秋川まりえは探りを入れるように言った。
 「もちろんかまわない」と私は言った。「話をしよう」
 「このあいだ、わたしを描いてくれた絵はとてもよかった」
 「黒板にチョークで描いた絵のこと?」
 「消しちやって、残念だった」

  私は笑った。「いつまでも黒板に残しておくわけにもいかないからね。でもあんなものでよけ
 れば、いくらでも描いてあげるよ。簡単なものだから」
 彼女はそれには返事をしなかった。
  私は太い鉛筆を手にとり、それを物差しのように使って、秋川まりえの顔立ちの諸要素を測っ
 てみた。デッサンを描くにあたっては、クロッキーとは違って、時間をかけてより正確に実務的
 にモデルの顔立ちを把握する必要かおる。たとえそれが結果的にどのような結になるにせよ。

 「先生は絵を描く才能みたいなのがあると思う」、まりえはしばらく続いた沈黙のあとで思い出
 したようにそう言った。
 「ありがとう」と私は素直に礼を言った。「そう言ってもらえると、とても勇気が湧いてくる」
 「先生にも勇気は必要なの?」
 「もちろん。勇気は誰にとっても必要なものだよ」

  私は大型のスケッチブックを手に取って、それを間いた。

 「今日はこれから君をデッサンする。ぼくはいきなりキャンバスに向かって絵の具を使うのも好
 きなんだけど、今回はしっかりデッサンをする。そうすることで君という人間を少しずつ、段階
 的に理解していきたいから」
 「わたしを理解するの?」
 「人物を描くというのはつまり、相手を理解し解釈することなんだ。言葉ではなく線やかたちや
 色で」
 「わたしもわたしのことを理解できればと思う」とまりえは言った。
 「ぼくもそう思う」と私は同意した。「ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡
 単なことじゃない。だから絵に描くんだ」
  私は鉛筆を使って彼女の顔と上半身を手早くスケッチしていった。彼女の持つ奥行きをどのよ
 うに平面に移し替えていくか、それが大事なことになる。そこにある微妙な動きをどのように静
 止の中に移し替えていくか、それもまた大事なことになる。デッサンがその概要を決定する。

 「ねえ、わたしの胸って小さいでしょう」とまりえは言った。
 「そうかな」と私は言った。
 「膨らみそこねたパンみたいに小さいの」

  私は笑った。「まだ中学校に入ったばかりだろう。これからきっとどんどん大きくなっていく
 よ。何も心配することはない」
 「ブラもぜんぜん必要ないくらい。クラスの他の女の子はみんなブラをつけているっていうのに}
  たしかに彼女のセーターには、胸の膨らみらしきものはまったく見受けられなかった。「もし
 それがどうしても気になるのなら、何か詰め物をしてつければいいんじやないかな」と私は言っ
 た。

 「そうしてほしい?」
 「ぼくはどちらだってかまわない。なにも君の胸の膨らみを描くために絵を描いているわけじや
 ないから。君の好きにすればいい」
 「でも男のひとって、胸の大きな女のひとのほうが好きなんでしょう?」
 「そうとも限らない」と私は言った。「ぼくの妹は君と同じ歳の頃、やはりまだ胸が小さかった。
 でも妹はそんなことはとくに気にしていなかったみたいだったよ」
 「気にしていたけど、口に出さなかっただけかもしれない」
 「それはそうかもしれないけど」と私は言った。でもたぶんコミはそんなことはほとんど気にし
 ていなかったと思う。彼女にはほかにもっと気にしなくてはならないことがあったから。
 「妹さんは、そのあとで胸は大きくなった?」
 私は鉛筆を持った手を忙しく動かし続けた。その質問にはとくに返事をしなかった。秋川まりえ
 はしばらくじっと私の手の動きを見ていた。
 「彼女、そのあとで胸は大きくなった?」とまりえはもう一度同じ質問をした。 
 「大きくはならなかったよ」と私はあきらめて答えた。「中学校に入った年に妹は死んでしまっ
 たから。まだ十二歳だった」

  秋川まりえはそのあとしばらく何も言わなかった。

 「わたしの叔母さんって、けっこう美人だと思わない?」とまりえは言った。話題がすぐに変わ
 る。
 「ああ、とてもきれいな人だ」
 「先生は独身なんでしょう?」
 「ああ、ほとんど」と私は答えた。あの封筒が弁護士事務所に到着すれば、おそらくは完全に。
 「彼女とデートしたいと思う?」
 「ああ、そうできたら楽しいだろうね」
 「胸も大きいし」
 「気がつかなかったな」
 「それにすごくかたちがいいのよ。いっしょにお風呂に入ったりするから、よく知ってるんだ」

  私は秋川まりえの顔をあらためて見た。「君は叔母さんと仲が良いんだね?」

 「ときどきケンカもするけど」と彼女は言った。
 「どんなことで?」
 「いろんなことで。意見が合わなかったり、ただ単にアタマにきたり」
 「君はなんだか不思議な女の子だね」と私は言った。「絵の教室にいるときはずいぶん雰囲気が
 違う。教室ではとても無口だという印象があったんだけど」
 「しゃべりたくないところではあまりしゃべらないだけ」と彼女はあっさりと言った。「わたし
 ってしゃべりすぎているかな? もっとじっと静かにしていた方がいい?」
 「いや、もちろんそんなことはない。話をするのはぼくも好きだよ。どんどんしゃべってくれて
 かまわない」

  もちろん、私は自然で活発な会話を歓迎した。二時間近く黙りこくって、ただ絵を描いている
 わけにはいかない。

 「胸のことが気になってしかたないの」とまりえは少しあと言百った。「毎日ほとんどそのこと
 ばかり考えている。それってヘンかしら?」
 「とくに変じやないと思うよ」と私は言った。「そういう年頃なんだ。ぼくだって君くらいの歳
 のときには、おちんちんのことばかり考えていたような気がするな。かたちが変なんじやないか
 とか、小さすぎるんじやないかとか、妙な働き方をするんじやないかとか」
 「それで今はどうなの?」
 「今、自分のおちんちんについてどう思うかってこと?」
 「そう」 

  私はそれについて考えてみた。「ほとんど考えることはないな。けっこう普通じやないかと思
 うし、これといって不便は感じないし」
 「女のひとはほめてくれる?」
 「たまにだけど、褒めてくれる人もいないではない。でももちろんただのお世辞かもしれない。
 絵を褒められるのと同じで」
  秋川まりえはそれについてしばらく考えていた。そして言った。「先生はちょっと変わってる
 かもしれない」
 「そうかな?」
 「普通の男のひとはそんなふうなものの言い方をしない。うちのお父さんだって、そういをいち
 いち話してくれない」
 「普通のうちのお父さんは自分の娘におちんちんの話なんてしたがらないんじやないかな」と私
 は言った。そのあいだも私の手は忙しく動き続けていた。
 「チクビって、いくつくらいから大きくなるものなの?」とまりえは尋ねた。
 「さあ、ぼくにはよくわからないな。男だからね。でもそういうのにはたぶん、かなりの個人差
 があるんじやないかと思うよ」
 「子供の頃、ガールフレンドはいた?」
 「十七歳のときに初めてガールフレンドができた。高校の同じクラスの女の子たったね」
 「どこの高校?」

  豊島区内にある都立高校の名前を教えた。そんな高校が存在することは豊島区民以外ほとんど
 誰も知らないはずだ。

 「学校は面白かった?」

  私は首を横に振った。「べつに面白くはなかった」
 「それで、そのガールフレンドのチクビは見た?」
 「うん」と私は言った。「見せてもらった」
 「どれくらいの大きさだった?」

  私は彼女の乳首のことを思い出した。「とくに小さくもないし、とくに大きくもない。普通の
 大きさだったと思うな」
 「ブラに詰め物はしていた?」

  私は昔のガールフレンドのつけていたブラジャーのことを思い出した。ずいぶんぼんやりとし
 た記憶しか残っていなかったけれど。覚えているのは、背中に手をまわしてそれをはずすのが大
 変だったということくらいだ。「いや、とくに詰め物はしていなかったと思うな」

 「そのひとは今はどうしているの?」

  私は彼女について考えてみた。今はどうしているのだろう? 「さあ、わからないよ。もう長
 く会っていないから。誰かと結婚して、子供だっているんじやないかな」
 「どうして会わないの?」
 「もう二度と会いたくないと彼女に最後に言われたからだよ」
 まりえは眉をしかめた。「それって、先生のほうに何か問題があったからなの?」
 「たぶんそうだと思う」と私は言った。もちろん私の方に問題があったのだ。疑いの余地のない
 ことだ。

ここでの回はシーンは、今後どのように関係するのか、しないのか不思議な気分で読み進めてきた。
  
                                      この項つづく

 

 ● 今夜の一曲

『屋根の上のバイオリン弾き』(Fiddler on the Roof)は1964年のアメリカのミュージカル。ショーレ
ム・アレイヘムの短篇『牛乳屋テヴィエ』を原作とし、テヴィエ(Tevye)とその家族をはじめとし
て、帝政ロシア領となったシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたもの。この作品には19世
紀末のシュテットルの様子が良く描かれている。あらすじは、テヴィエは娘たちの幸せを願いそれぞ
れに裕福な結婚相手を見つけようと骨を折っている。ある日、長女のツァイテルにテヴィエと険悪な
肉屋のラザールとの結婚話が舞い込むが、彼女にはすでに仕立屋のモーテルという恋人がいたがテヴ
ィエは猛反対する、二人は紆余曲折を経て結婚。また、次女ホーデルは革命を夢見る学生闘士パーチ
ックと恋仲になり、逮捕されたパーチックを追ってシベリアへ発ち、さらに三女は、ロシア青年とロ
シア正教会で結婚して駆け落ちしてしまう。劇中で次第にエスカレートしていく『ポグロム』と呼ば
れるユダヤ人排斥は、終盤で村全体の追放に至り、テヴィエたちは着の身着のまま住み慣れた村から
追放される。原作ではイスラエルの地へ帰還するが、ミュージカルではニューヨークに向かうところ
で終わる。

さて、ミュージカル組曲『屋根の上のバイオリン弾き』のバイオリン演奏者は、ハンガリー生まれの
カティカ・イレイニ(現在49歳)は、ハンガリー芸術アカデミーのメンバーであり、ハンガリー賞受
賞のバイオリニスト。音楽家の両親の元で育ち、 14歳の時ブダペストのフランツリスト音楽アカデミ
ーに入学、ヴァイオリンで修士号を取得。バイオリンだけでなく歌手やダンサー(タップダンス)と
しても幼いことから活躍。クラッシクだけでなく、スイング、ジャズなどの軽音楽と幅広し演奏を行
っている。

進撃の人工知能

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       荘公二十八年:晋の驪姫(りき)の禍 / 斉の桓公制覇の時代  
                  

                            

       ※ 現在の山西宵一帯にさかえた晋(しん)は、姫姓、侯爵の国。
         第十九代目の当主、献公(名は詭諸)は、治政二十六年の間に、
         着々と勢力を伸長し、周囲の諸小国を併呑した。その子、文公
         の代になって天下に覇をとなえる基礎は、ここにきずかれたと
         いってよい。だが、献公は晩年、驪姫の愛に溺れて、お家騒勣
         の端を開く。

       ※ 武公の子の献公の時代に、献公の寵姫である驪姫が自らの息子
         を跡継ぎにしようと画策(驪姫(りき)の乱(中国語版))し
         たため、太子である申生(英語版)(しんせい)は自殺を強い
         られ、公子の重耳と夷吾は国外に逃亡した。驪姫の息子以外の
         公子はほとんど殺され、また驪姫も息子と共に反対派に殺され
         た。その後、諸国を放浪していた重耳が戻り晋公(文公)とな
         ると、周室の内乱を治めたり、城濮の戦い(紀元前632年)で楚
         を破るなど強大になって覇者となり天下を経営した(Wikipedia)。

 

  

● デジタル地震予知工学時代ナウ

 

 

  No.24

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

  ● ZEB用外壁ソーラーパネル技術課題

  May 18, 2017

● ジェイアール東日本の5番目のエコステ・モデル小渕沢駅

今月18日、小淵沢駅が「エコステ」モデル駅として17年7月3日に生まれ変わると山梨県北杜市
とジェイアール東日本が発表(上図)。駅舎とホーム全てにLED照明を導入。ホーム上屋に108枚、駅
舎屋根上には40枚の太陽光パネルを設置。年間発電量の試算は5万3137kWh(キロワット時)の発電量
となる。公表によると、地域の人々や観光客に親しまれ、記憶に残るような駅舎を心掛けたと話す。
北杜市を囲む八ヶ岳や南アルプスの山々、山岳から湧き出る清流は重要な自然遺産――このような山
岳と清流による風景を駅舎のデザインに取り込むため、カラーデザインは周辺環境に調和するようブ
ラウン系を基調とし、一部に木材を活用。八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳、日本三大巨峰などを堪能できる「屋
上展望デッキ」も設置する。

このように、ジェイアール東日本が12年から推進する「エコステ」は、➊最初のモデル駅(12年
3月)となったのは、中央線四ツ谷駅。計17個のエコメニューが実施。例えば点灯時間の長いホーム、
コンコースのLED導入では、年間約113万トンの二酸化炭素削減に貢献。屋上や壁の緑化活動も進めて
いる。また、四ツ谷駅では、全体の二酸化炭素排出量を08年度比で40%削減を目標に設定、既
に14年度二酸化炭素排出量では41%削減を達成する。❷13年9月に2番目のモデル駅の京葉線
海浜幕張駅は、太陽光発電パネルや風力発電機を設置。太陽光を高架下に伝送する光ダクトや、地中
熱を利用した換気システムも導入し「創エネ」メニュー」を達成。➌15年4月、4番目のモデル駅
東北本線福島駅では、軽量型太陽光パネルや有機薄膜太陽電池を活用、「福島県再生可能エネルギー
推進ビジョン」を推進中、➍17年4月に6番目のモデル駅の南武線武蔵溝ノ口駅は、省エネのLED
照明や高効率空調機器、壁面緑化システムを導入した他、環境価値を駅のデジタルサイネージも設置。
さらに、❺東北本線平泉駅、➏常磐線湯本駅に、今回の小渕沢駅を加え計7つの「エコステ」のモデ
ル駅となる。



● ソーラーパネルの最終課題

オールソーラーシステムの中核であるソーラーパネルの課題を考えてみて、✪都市部のビルディング
の外壁(❶窓ガラスは解決済み)が最後の課題になる。この場合、❷住宅用のソーラールーフは解決
済み扱いとなる。建造物は✪耐久性が課題となり、仮に建造物の耐久性を百年として、パネルの耐久
性が10年であれば10回、20年で5回の更新が必要となりこれは高層ビルでは相当の費用を要す
ことになるだろう(技術開発が進化しても)。✪さらに、意匠性が問だとなる、例えば、ペロブスカ
イトハイブリット太陽電池、あるいは化合物半導体太陽電池は、❶耐久性、❷変換効率、❸意匠性に
いずれも問題がある。例えば、表面や背面に質感や色彩を加工を加えると❷は低下もしくは犠牲する
必要があり、変換効率としては加工後も20%は維持したい。それ以外の技術課題は、経済性(市場
ベース)を織り込んでも解決できると考えている。これらが解決できれば、「再生可能エネルギーに
によるエネルギーフリー社会」は世界でいち早く日本に到来すると考えている。尚、これらの小考え
に下記の特許を参考としたので掲載しておく。


✓ 特開2011-038384  屋根用パネル及び屋根用パネルの取り付け構造 株式会社カナメ  
✓ 特開2007-243166  屋根用発電システム 株式会社NTTファシリティーズ


  May 21.2017 NEW ATLAS

【革新的な家庭用発蓄電酸化還元システム】

先月6日、ニューキャッスル大学らの研究グループが公表した 酸素または水素を生成できのオンディ
マンドでエネルギー供給できる化学ループ空気分離システム(CLAS:Chemical Looping Energy-on-Dem-
and System)が話題となっている(上/下図ダブクリ参照)。このシステムで1つで、暖房、冷房の空
調、発電、蓄電でき近い将来家庭什器として普及しているかもしれない。

天然ガス、石炭などの化石燃料やバイオマス燃料などのエネルギー源で電力を発生させ、またはグリ
ッドや再生可能エネルギーを、マンガン、コバルト、銅の金属酸化物の酸化還元反応(反応ループ内
部で、酸素、水素が生成している)を利用し蓄えることができる。現在のシステムはかなり大きいが
将来は冷蔵庫サイズまでコンパクト化し、24キロワット/日の発電能力、約4500ドル/台の廉価
な標準化をめざし開発中である。いまのところ心臓部の酸化還元反応カセットを定期的に交換する(交
換周期は6ヶ月~2年/価格は未定)。このほか、例えば、化石燃料を原料とする場合、排出二酸化炭
素量は1/3まで削減でき、また、余剰電力、あるいは酸素、水素を貯蔵し販売することもできる。こ
れは、技術ハードルも多いだろうが、面白い発明である。
  May 24, 2017 inhabitat
図2 高純度酸素製造化学ループ空気分離プロセス(CLAS)の概略図(US 9346023B2)


図3 典型的な酸素燃料石炭火力発電所の概略図(US 9346023B2)

図24 化学ループ式燃焼システムの二重管反応器(酸素接触)の概略図

 

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

   30.そういうのにはたぶんかなりの個人差がある   

  わりに最近になって二度ばかりその高校時代のガールフレンドの夢を見た。ひとつの夢の中で
 我々は夏の夕方、大きな川の畔を並んで散歩していた。私は彼女にキスをしようとした。でも彼
 女の顔の前にはなぜか長い黒髪がカーテンのようにかかっていて、私の唇は彼女の唇に触れるこ
 とができなかった。そしてその夢の中で彼女は今でも十七歳なのに、私の方はもう三十六歳にな
 ってしまっていることに、私はそのとき突然気がついた。そこで目が覚めた。それはとても生々
 しい夢だった。私の唇にはまだ彼女の髪の感触が残っていた。彼女のことなんて、もうずいぷん
 長く考えたこともなかったのに。

 「それで、妹さんは先生よりいくつ年下だったの?」とまりえはまた急に話題を変えて尋ねた。
 三歳下たった」
 「十二歳でなくなったのね?」
 「そうだよ」
 「じやあ、そのとき先生は十五泉だったんだ」
 「そうだよ。ぼくはそのとき十五歳だった。高校に入ったばかりだった。彼女は中学校に入った
 ばかりだった。君と同じで」
 考えてみると、今ではコミは私よりもう二十四泉も年下になっている。彼女が亡くなってしま
 ったことで、当然ながら我々のあいだの年齢差は年ごとに開いていく。
 「わたしのお母さんが死んだとき、私は六識だった」とまりえは言った。「お母さんはスズメバ
 チに身体を何カ所もさされて死んだの。この近くの山の中を一人で散歩をしているときに」
 「気の毒に」と私は言った。
 「生まれつき体質的に、スズメバチの毒に対してアレルギーがあったの。救急車で病院に運ばれ
 たんだけど、そのときにはもうショックでシンパイ停止になっていた」
 「そのあとで叔母さんが一緒におうちに住むようになったの?」
 「そう」と秋川まりえは言った。「彼女はお父さんの妹なの。わたしにもお兄さんがいたらよ
  かったんだけどな。三歳くらい年上のお兄さんが」

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  私は一枚目のデッサンを終え、二枚目にかかった。私はいろんな角度から彼女の姿を描いてみ
  たかった。今日一目はそっくりデッサンに当てるつもりだった。
 「妹さんとケンカはした?」と彼女は尋ねた。

 「いや、喧嘩をした記憶がないんだ」
 「仲がよかったのね?」
 「そうだったんだろうね。仲が良いとか悪いとか、そういうのを意識したことすらなかったけれ
 ど」
 「ほとんど独身って、どういうこと?」と秋川まりえが尋ねた。またそこで話題が転換したわけ
 だ。
 「もうすぐ正式に離婚することになる」と私は言った。「今は事務的な手続きを進めている最中
 だから、ほとんどというわけだよ」
  彼女は目を細めた。「リコンってよくわからないな。わたしのまわりにはリコンしたひとって
 いないから」
 「ぼくにもよくわからないよ。なにしろ離婚するのは初めてだから」
 「どんな気持ちがするもの?」
 「なんだか変てこな気持ちがするっていえばいいのかな。今までこれが自分の進だと思って普通
 に歩いてきたのに、急にその道が足元からすとんと消えてなくなって、何もない空間を方角もわ
 からないまま、手応えもないまま、ただてくてく進んでいるみたいな、そんな感じだよ」
 「どれくらい結婚していたの?」
 「ほぼ六年間」
 「オクさんはいくつなの?」
 「ぼくより三つ歳下だよ」。もちろん偶然だが、妹と同じだ。
 「その六年間って、ムダにしたと思う?」
  私はそのことについて考えた。「いや、そうは思えないな。無駄に費やされたとは思いたくな
 い。楽しいこともけっこういっぱいあったし」
 「オクさんもそう考えている?」
  私は首を振った。「それはぼくにはわからない。そう考えていてほしいとはもちろん思うけど」
 「訊いてみなかったの?」
 「訊いてみなかった。今度、機会があったら訊いてみるよ」

 Big breasts, little breasts

  我々はそれからしばらくのあいだまったく口をきかなかった。私は二枚目のデッサンに意識を
 集中していたし、秋川まりえは何かについて――乳首の大きさだか、離婚のことだか、スズメバ
 チだか、あるいはほかの何かについてI真剣に考え込んでいた。目を細め、唇をまっすぐ結び、
 両手で左右の膝を掴むようにして、思考に深く身を沈めていた。彼女はそういうモードに入って
 しまったようだった。私はその生真面目な表情をスケッチブックの白い紙の上に記録していった。
 そして作業を切り上げた。それまでに私は三枚のデッサンを描き上げていた。どれもなかなか興
 味深い造形だった。それらは来るべき何かをそれぞれに示唆していた。一日ぷんの仕事にしては
 悪くない。
  秋川まりえがスタジオの椅子に座ってモデルをつとめた時間は、全部で一時間半強というとこ
 ろだった。初日の作業としてはそれが限度だろう。馴れない人が――とくに育ち盛りの子供が、
 ――絵のモデルをつとめるのは簡単なことではない。

  秋川笙子は黒総の眼鏡をかけ、居間のソファに座って熱心に文庫本を読んでいた。私か居間に
 入っていくと眼鏡を取り、文庫本を閉じてバッグにしまった。眼鏡をかけていると彼女はずいぶ
 ん知的に見えた。
 「今日の作業は無事に終わりました」と私は言った。「よかったらまた来週、同じ特間にいらし
 ていただけますか?J
  「えええ、もちろん」と秋川笙子は言った。「ここで一人で本を読んでいると、なぜかとても
 気持ちよく読めるんです。ソファの座り心地が良いからかしら?」
 「まりえさんもかまわないかな?」と私はまりえに尋ねた。

  まりえは何も言わずこっくりと肯いた。かまわない、ということだ。叔母の前に出ると、彼女
 はさっきまでとは打って変わって寡黙になった。あるいは三人でいることが気に入らないのかも
 しれない。
  そして二人は青いトヨタ・プリウスに乗って帰って行った。私はそれを玄関で見送った。サン
 グラスをかけた秋川笙子は窓から手を出して、私に小さく何度か手を振った。小さな白い手だっ
 た。私も手を上げてそれに答えた。秋川まりえは顎を引いて、ただまっすぐ前方を見ていた。車
 が坂を下って視界から消えてしまうと、私は家に戻った。二人がいなくなると、家の中はなぜか
 急にがらんとして見えた。当然あるべきものがなくなってしまったみたいに。
  不思議な二人組だ、と私はテーブルの上に残された紅茶のカップを眺めながら思った。でもそ
 こには何かしら普通ではないところがある。しかし彼女たちのいったいどこが普通ではないのだ
 ろう?
  それから私は免色のことを思い出した。まりえをテラスに出して、彼が双眼鏡で彼女をよく見
 ることができるようにしてやるべきだったのかもしれない。しかしそれから考え直した。どうし
 て私がわざわざそんなことをしなくてはならないのだ? そうしてくれと頼まれてもいないのた。

  いずれにせよ、これからまだ機会はある。急ぐことはない。たぶん。

   31.あるいはそれは完璧すぎたのかもしれない   

  その日の夜に免色から電話がかかってきた。時計はもう九時をまわっていた。運い時刻に電話
 をかけたことを彼は詫びた。つまらない用事があって、今までどうしても手があかなかったのだ
 と彼は言った。まだしばらくは眠らないから、時刻のことは気にしなくていいと私は言った。

 「どうでしたか、今朝のお仕事はうまく運びましたか?」、彼は私にそう尋ねた。
 「まずまずうまく運んだと思います。まりえさんのデッサンをいくつか仕上げました。来週の日
 曜日、また同じ時刻に二人はここにやってきます」
 「それはよかった」と免色は言った。「ところで、叔母さんはあなたに対して友好的でしたか?」

  友好的? その言葉には何か奇妙な響きがあった。

  私は言った。「ええ、なかなか感じの良い女性に見えましたよ。友好的と言えるかどうかまで
 はわかりませんが、とくに警戒的な様子もありませんでした」

  そしてその日の朝に起こったことをかいつまんで説明した。免色はほとんど息を詰めて私の話
 を聞いていた。そこに含まれた細かい具体的な情報を、ひとつでも多く有効に吸収しようとして 
 いるようだった。ときどきちょっとした質問をする以外、ほとんど口をきかなかった。ただじっ
 と耳を澄ませていた。彼女たちがどんな服を着て、どんな風にしてやってきたか。どんな風に見
 えて、どんなことを口にしたか。そしてどのように私は秋川まりえをデッサンしたか。私はその
 様子を免色にひとつひとつ教えた。しかし秋川まりえが自分の胸が小さなことを気にしていると
 ころまでは言わなかった。そういうことはたぶん、私と彼女とのあいだに留めておいた方がいい
 はずだ。

 「来週私がそちらに顔を出すのは、きっとまだ少し早すぎるでしょうね?」と免色は私に尋ねた。
 「それは免色さんが決めることです。ぼくにはそこまでは判断できません。ぼくとしては、来週
 お見えになってもとくに問題はないような気はしますが」
  免色はしばらく電話口で黙っていた。「少し考えなくちやならない。ずいぶん微妙なところで
 すから」
 「ゆっくり考えてください。絵を描き上げるまでには、まだしばらく時間はかかりそうですし、
 機会はこれから何度もあると思いますよ。ぼくとしては来週でも再来週でも、どちらでもかまい
 ません」

  免色がその上うに思い惑うのを前にするのはそれが初めてだった。私がそれまで見たところ、
 たとえどの上うなことであれ、決断が速く迷いのないところが免色という人物の持ち昧だったの
 だが。
  私は免色に今日の朝、双眼鏡でうちを見ていたのかどうか尋ねようかと思った。秋川まりえと
 その叔母の姿はちゃんと観察できたのかと。しかし思い直してそれはやめた。彼の方から言い出
 すのではない限り、その話題は持ち出さない方が賢明だろう。たとえ見られているのが私の往ん
 でいる家であったとしても。

 免色は私にあらためて礼を言った。「いろいろと無理なお願いをして、申し訳なく思っています」

  私は言った。「いえ、ぼくにはあなたのために何かをしているというつもりはありません。ぼ
 くはただ秋川まりえの絵を描いているだけです。描きたいから描いているだけです。表向きも実
 際にも、そういう話の流れになっているはずです。とくにお礼を言われるような筋合いはありま
 せん」
 「それでも私はあなたにずいぷん感謝しているんです」と免色は静かに言った。「とてもいろん
 な意味で」

  いろんな意味というのがどういうことなのか、私にはよくわからなかったが、それについてあ
 えて質問はしなかった。もう夜も遅い。我々は簡単におやすみの挨拶をして電話を切った。しか
 し受話器を置いたあと、免色はこれから眠れない長い夜を迎えるのかもしれないと、私はふと思
 った。彼の声にはそういう緊張の響きが聞き取れた。きっと彼には考えを巡らさなくてはならな
 いたくさんのものごとかおるのだろう。
  
                                      この項つづく

 May 24, 2017

【進撃の人工知能】

最近、コンピューターゲームの人工知能が世界的プロの棋士を撃破し話題となっている。今月23日、
Googleグループの人工知能研究所DeepMindが開発したAlphaGo(アルファ碁)と、中国の最強棋士の柯潔
(かけつ)九段との試合で、以前、AlphaGoはイ・セドル(韓国の世界トップ棋士)に勝てても私には勝
てないと発言していた柯九段が、第1戦目に対局は接戦したものの、半目差でAlphaGoに負けた。Deep
Mindのデミス・ハサビスCEOは「偉大な対局を行った柯潔氏に敬意を表します。非常に接戦した、興
奮する対局。柯潔氏がAlphaGoの限界を押し上げたことにも敬意を表す。囲碁は可能性に限界がほとん
どない、すばらしい題材。AlphaGoは、囲碁棋士、囲碁コミュニティーを真の囲碁へと連れ出し、より
多くを発見できるツールだと考えている。囲碁棋士たちは昨年の対局を楽しんでくれたものと思うが、
この偉大なるゲームの理解につながったることを願うとコメントしている。 いまや、人工知能進化はと
どまるところを知らない。

因みに、アチキは、囲碁、将棋、チェスのトライアスロンにチャレンジ。結果は、ボロボロ。脳疲労で
アルコール度数は上がり放し。

筆禍応報

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      僖公二十二年~三年:泓の戦い-宋襄の仁 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 斉は管仲・桓公相継いで没したあと、内乱によって国力は
         衰退した。中原の覇権はその後八年間、宙にさまよう。宋
         の襄(じょう)公(-650~-637)はこれを奪取しようと
         企てたが、泓(おう)水一戦にその野望は夢と消えた。宋
         は障壁のない大平原の中央に位して地の利を得ず、また経
         済力の裏付けもなかったのである。 
         一方、今日の山西省の山地に拠る晋は猷公(-675~-651)
                  の時代から北方に着々と勢力を築いていたが、十九年の亡
         命を終えて帰国した文公(-636~‐628)が即位するや、
         国運は興隆の一途をたどる。すなわち文公は翌年には周の
         襄王を擁立し、さらに楚と城濮に戦って大勝し、一躍天下
         の覇王となった。十九年の労苦のたまものというべきであ
         ろう。

       ※ 斉では名宰相管仲につづいて桓公が死に、そのあとはおき
         まりの有家騒動。宋の襄公は、みずから兵を率いて斉の乱
         を鎮定し、孝公を立てるのに成功した。これに自信を得て、
         かれは斉の桓公についで天下に則をとなえようとの幻想を
         抱き、公子目夷(もくい)の諌めを聞かず、二十一年春、
         諸侯と鹿上に盟(ちか)った。秋また盂(う)に会して、
         その不遜を怒った楚のためにいったんは捕えられたが、な
         お懲りず、ここに楚と正式に戦火を交えるに至る。


 宋襄の仁  


 No.25

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

● ステラ社より工期が早く、コスト1/3が売りのルーフトップ登場

ちょっと訂正しなければならない。今月25日に掲載したこの連載の『第25回 エネルギーフリー
社会を語ろう!』の「ソーラーパネルの最終課題」で、「オールソーラーシステムの中核であるソー
ラーパネルの課題を考えてみて、✪都市部のビルディングの外壁(❶窓ガラスは解決済み)が最後の
課題になる。この場合、❷住宅用のソーラールーフは解決済み扱いとなる。(中略)✪さらに、意匠
性が問題となる、例えば、ペロブスカイトハイブリット太陽電池、あるいは化合物半導体太陽電池は、
❶耐久性、❷変換効率、❸意匠性にいずれも問題がある。例えば、表面や背面に質感や色彩を加工を
加えると❷は低下もしくは犠牲する必要があり、変換効率としては加工後も20%は維持したい」と
書いたが、「フォワードラボのソーラールーフは、テスラよりも生産性が高く、コストが安いことを
約束します」(原題:"Forward Labs solar roof promises higher production, lower cost than Tesla's,",  May
26, 2017,  TreeHugger)で、米国はカルフォルニア州バロアルトにあるフォワード・ラボ社のスタート
アップで開発された「分散型ルーフトップソーラーシステム」の下図のような特徴を掲載。

 


❶ 耐久性強化ガラス:ルーフィング業界で最高耐久性の設計。 雹(ひょう)打撃に耐えることが
  できる他社にない仕様
❷ 光学的色彩マント:ルーフトップの色は強化ガラス下のフィルム層で形成するが、太陽電池の変
  換効率を維持しながら、どのような色にでもルーフトップを演出
❸ 単結晶シリコン太陽電池:単結晶シリコンセルは、変換効率業界トップ。 長寿命で耐久性が高
  く、優れた耐熱性や防水性、早い投資回収率などが特徴
❹ ロールフォーミング加工亜鉛メッキ金属パネル:ルーフトップ太陽電池をロール成形金属で組み
  込ことでコンパクト化を実現することで単位面積あたりの発電量が高い仕様
❺  見えないラック:ルーフトップの収納ラックをパネルの下に押し込ことでラックを隠すことで美
  し外観を演出

 Wikipedia

このブログ連載で、意匠性を問題にしたことを反省というか、すでに果敢に著戦している企業の存在
を知ることになり驚きをもって「筆禍」を改める?こととなる。

さて、このパネルには8種類の色が用意されており、上図❷の「光学クロマチッククローク層」で実
現し、同社はどのようなな色の屋根にも対応可能とし、また、変換効率では、競合他社製品が平方フ
ィート当たり11ワット(約118ワット/平方メートル)に比べて19ワット(204ワット/平
方メートル)と大きく、テスラの同等電力量換算で、33%コストが易い。また、同社の ウェブサ
イトによると、屋根工事で非ソーラー部の工費は8.5ドル/平方フィート、ルーフトップは約3.2
5ドル/ワット、そして工期は2、3日である。すでに複数のベータ版がインストールされており、
18年に最初ルーフトップの予約注文向の返金可能ま千ドルを担保預金する。また、同社はルーフト
ップ設置時に発生するアスファルトのリサイクル業者との提携を考えている。まぁ、いずれにしても
わたし(たち)が考えている進化の流れの差異に影響はない。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

 

   31.あるいはそれは完璧すぎたのかもしれない   

  その週は、とくに何ごとも起こらなかった。騎士団長も姿を見せなかったし、年上の人妻のガ
 ールフレンドも連絡をしてこなかった。とても静かな一週間だった。私のまわりで秋が徐々に深
 まっていっただけだった。空か目に見えて高くなり、空気が誼み渡り、雲が刷毛で引いたような
 美しい白い筋を描いた。
 
  私は秋川まりえの三枚のデッサンを何度も手にとって眺めた。それぞれの姿勢と、それぞれの
 角度。とても興味深く、また示唆に富んでいる。しかしその中からどれかひとつを具体的な下絵
 として選ぶつもりは、私には最初からなかった。私がその三枚のデッサンを描いた目的は、彼女
 自身にも言ったように、秋川まりえという少女のありようを私が全休として理解し、認識するこ
 とにあった。彼女という存在をいったん私の内側に取り込んでしまうこと。

  私は彼女を描いた三枚のデッサンを何度も何度も繰り返し眺めた。そして意識を集中し、彼女
 の姿を拡の申に具体的に立ち上げていった。そうしているうちに、私の中で秋川まりえの姿と、
 妹のコミの姿とがひとつに入り混じっていく感覚があった。それが適切なことなのかどうか、私
 には判断を下せなかった。でもその二人のほとんど同年齢の少女たちの魂は既にどこかで――た
 ぶん私の入り込んでいけない奥深い場所でII1響き合い、結びついてしまったようだった。私
 にはもうその二つの魂を解きほぐすことができなくなっていた。

  その週の木曜日に妻からの手紙が届いた。それは三月に私が家を出て以来、彼女から初めて受
 け取る連絡だった。よく見慣れた美しい律儀な字で宛名と、差出人の名前が封筒に書かれていた。
 彼女はまだ私の姓を名乗っていた。あるいは正式に離婚が成立するまでは、夫の姓を名乗ってい
 た方が何かと便利なのかもしれない。
  鋏を使ってきれいに封を切った。中には氷山の上に立つシロクマの写真がついたカードが入っ
 ていた。そしてカードには私が離婚届に署名捺印して、すぐに送り連してくれたことに対する礼
 が簡単に書かれていた。

  
     お元気ですか? 私の方はなんとかこともなく暮らしています。
    まだ同じところに住んでいます。書類をとても早く返送してくれて
    ありがとう。感謝します。手続きの進展があったら、あらためて連
    絡します。
     あなたがうちに置いていったもので、もし何か入り用なものがあ
    ったら教えてください。宅配使でそちらに届けるようにします。い
    ずれにせよ、私たちそれぞれの新しい生活がうまく連ぶことを願っ
    ています。
                                                柚


  私はその手紙を何度も読み返した。そして文面の裏に隠された気持ちのようなものを少しでも
 読み取ろうとつとめた。しかしその短い文面からは、どのような言外の気持ちも意図も読み取れ
 なかった。彼女はそこに明示されたメッセージを、ただそのまま私に伝達しようとしているだけ
 みたいだった。

  私にもうひとつよくわからないのは、なぜ離婚届の書類を用意するのにそんなに長く時間がか
 かったのかということだけだった。作業としては、それほど面倒なものではないはずだ。そして
 彼女としては一刻も早く、私との関係を解消したかったはずだ。それなのに私が家を出てからも
 う半年が経っている。そのあいだ彼女はいったい何をしていたのだろう? 何を考えていたのだ
 ろう?

  私はそれからカードのシロクマの写真をじっくり眺めた。しかしそこにもまた何の意図も読み
 取れなかった。どうして北極のシロクマなのだろう? おそらくたまたま手元にシロクマの力ー
 ドがあったから、それを使ったのだろう。たぶんそんなところだろうと私は推測した。それとも
 小さな氷山の上に立ったシロクマは、行く先もしれず、海流の赴くままどこかに流されていく私
 の身の上を暗示しているのだろうか? いや、たぶんそれは私のうがちすぎだろう。

  私は封筒に入れたそのカードを机のいちばん上の抽斗に放り込んだ。抽斗を閉めてしまうと、
 ものごとが一段階前に進められたという微かな感触があった。かちんという音がして、目盛りが
 ひとつ上がったみたいだった。私が自分でそれを進めたわけではない。誰かが、何かが、私のか
 わりに新しい段階を用意してくれて、私はただそのプログラムに従って勣いているだけだ。
 それから私は日曜日に自分か秋川まりえに、離婚後の生活について目にしたことを思いだした。

  今までこれが自分の道だと思って普通に歩いてきたのに、急にその道が足元からすとんと消え
 てなくなって、何もない空間を方角もわからないまま、手応えもないまま、ただてくてく進んで
 いるみたいな、そんな感じだよ。
  行方の知れない海流だろうが、道なき道だろうが、どちらだってかまわない。同じようなもの
  だ。

  いずれにしてもただの比喩に過ぎない。私はなにしろこうして実物を手にしているのだ。そ
 の実物の中に現実に呑み込まれてしまっているのだ。その上どうして比喩なんてものが必要とさ
 れるだろう?
  私はできることなら手紙を書いて、自分か今置かれている状況をユズにこと細かに説明したか
 った。「なんとかこともなく暮らしています」みたいな漠然としたことは、私にはとても書けそ
 うにない。それどころか、ことかありすぎるというのが偽らざる気持ちだった。でもここに暮ら
 し始めてから、私の身のまわりで起こった一部始終について書き始めたら、間違いなく収拾がつ
 かなくなるだろう。またなにより困った問題は、ここでいったい何か起こっているのかを、私白
 身うまく説明できない点にあった。少なくとも整合的で論理的な文脈では、とても「説明」なん
 てできない。

  だから私はユズには手紙の返事を書かないことにした。いったん手紙を書くなら、起こったこ
 とをすべてそっくりそのまま(論理も整合性も無視して)書き連ねるか、まったく何も書かない
 か、どちらかしかない。そして私は何も書かないことの方を選んだ。たしかにある意味では、私
 は流されゆく氷山に取り残された孤独なシロクマなのだ。郵便ポストなんて見渡す限りどこにも
 ない。シロクマには手紙の出しようもないではないか。
  私はユズと出会って、交際し始めた頃のことをよく覚えている。
  最初のデートで一緒に食事をして、そこでいろんな話をし、彼女は私に対して好意を抱いてく
 れたようだった。また会ってもいいと彼女は言った。私と彼女とのあいだには最初から理屈抜き
 で心の通じ合うところがあった。簡単にいえば相性がいいということなのだろう。

  でも彼女と実際に恋人の関係になるまでにはしばらく時間がかかった。その当時のユズには、
 二年前から交際している相手がいたからだ。しかし彼女はその相手に、揺らぎない深い愛情を抱
 いているというわけではなかった。
 「とてもハンサムな人なの。少しばかり退屈なところはあるけど、それはそれとして」と彼女は
 言った。
  とてもハンサムだけど退屈な男……私の周囲にはそういうタイプの人間は一人もいなかったの
 で、そんな人となりを頭で想像することができなかった。私に思い浮かべられるのは、とてもお
 いしそうに作られた昧の足りない料理みたいなものだった。でもそんな料理を誰かが喜ぶものだ
 ろうか?
  彼女は打ち明けるように言った。「私はね、昔からハンサムな人にとても弱いの。顔立ちのき
 れいな男の人を前にすると、理性みたいなのがうまく働かなくなってしまう。問題があるとわか
 っていても抵抗がきかない。どうしてもそういうのが治らないの。それが私のいちばんの弱点か
 心しれない」
 「宿痾」と私は言った。
 
  彼女は肯いた。「そうね、そういうことか心しれない。治しよう心ないろくでもない疾患。宿
 痾」
 「いずれにせよ、それはぼくにとってあまり追い風になりそうもない情報だな」と私は言った。
 顔立ちの良さは残念ながら、私という人間の有力なセールスポイントにはなっていない。

 

  彼女はあえてそれを否定はしなかった。ただ楽しそうに口を開けて笑っただけだった。彼女は
 私と一緒にいて、少なくとも退屈はしていないようだった。話ははずんだし、よく笑った。

  だから私は我慢強く、彼女がそのハンサムな恋人とうまくいかなくなるのを待っていた(彼は
 ただハンサムなばかりではなく、一流の大学を出て、一流の商社に勤めて高い給料をもらってい
 た。きっとユズの父親と気があったことだろう)。そのあいだ彼女といろんな話をし、いろんな
 ところに行った。そして我々はお互いのことをよりよく理解するようになった。キスはしたし、
 抱き合うこともあったが、セックスはしなかった。複数の相手と同時に性的な関係を持つことを、
 彼女は好まなかったからだ。「そういうところでは、私はわりに古風なの」と彼女は言った。だ
 から私には待つしかなかった。

  そういう期間が半年ばかり続いたと思う。私にとってはかなり長い期間だった。何もかも投げ
 出したくなることもあった。でもなんとか耐えきることができた。彼女はきっとそのうちに自分
 のものになるという、それなりに強い確信があったからだ。
  それからようやく、彼女はつきあっていたハンサムな男性と最終的に破局を迎え(破局を迎え
 たのだと思う。彼女はその経緯については何ひとつ語らなかったから、私としてはただ推測する
 しかないわけだが)、あまりハンサムとはいえない、おまけに生活力にも乏しい私を恋人として
 選択してくれた。それから少しして、正式に結婚しようと我々は心を決めた。

  彼女と最初に性交したときのことをよく覚えている。我々は地方の小さな温泉に行って、そこ
 で記念すべき最初の夜を迎えた。すべてはとてもうまく選んだ。ほとんど完璧といってもいいく
 らいだった。あるいはそれはいささか完璧すぎたのかもしれない。彼女の肌は柔らかくて白く、
 滑らかだった。少しぬめりのある温泉の湯と、秋の初めの月光の白さも、その美しさや滑らかさ
 に寄与していたのかもしれない。裸のユズの身体を抱き、初めてその中に入ると、彼女は私の耳
 元で小さな声をあげ、私の背中を細い指先で強く押さえた。そのときも秋の虫たちが賑やかに鳴
 いていた。涼しげな渓流の音も聞こえた。この女を手放すようなことは絶対にするまいと、私は
 そのときに堅く心に誓った。それは私にとって、それまでの人生における最も輝かしい瞬間であ
 ったかもしれない。ユズをようやく自分のものにできたこと。

 

  彼女の短い手紙を受け取ったあと、私はずいぶん長くユズのことを考えていた。最初に彼女と
 出会った当時のこと、最初に彼女と交わった秋の夜のこと。そしてユズに対する私の気持ちが、
 最初の頃から現在に至るまで、基本的には何ひとつ変わっていないこと。私は今だって彼女を手
 放したくはなかった。それははっきりしている。離婚届に署名捺印はしたけれど、そんなことと
 は関係なく。しかし私が何をどう思ったところで、彼女はいつの間にか私から離れていってしま
 片鱗も見届けられないようなところに。

  彼女はとこかで私の知らないあいだに、新しいハンサムな恋人を見つけたのだろう。そして例
 ったのだ。遠いところに――たぶんずいぶん遠くに。どれほど高性能の双眼鏡を使っても、その
 によって、理性みたいなのがうまく働かなくなってしまったのだ。彼女が私とセックスをするこ
 とを拒むようになったとき、私はそのことに気づくべきだった。彼女は同時に複数の相于とは性
 的な関係を持だない。少し考えればすぐにわかることなのに。

  宿痾(しゅくあ)、と私は思った。治癒の見込みのないろくでもない病。理屈の通用しない体
 質的傾向。 

  その夜(雨の降る木曜日の夜だ)、私は長く暗い夢を見た。
  私は宮城県の海岸沿いの小さな町で、白いスバル・フォレスターのハンドルを握っていた(そ
 れは今では私の所有する車になっていた)。私は古い黒い革ジャンパーを着て、YONEXのマ
 ークがついた黒いゴルフ・キャップをかよっていた。私は背が高く、黒く日焼けし、白髪混じり
 の髪は短くごわごわしていた。つまり私が「白いスバル・フォレスターの男」だったのだ。私は
 妻とその情事の相手の男が乗っている小型車(赤いプジョー205)のあとを、ひそかに追って
 いった。海岸沿いの国道だ。そして二人が町外れの派手なラブホテルに入るのを見届けた。そし
 て翌日、私は妻を追い詰め、その白く細い首をバスローブの紐で絞めた。私は肉体労働に慣れた、
 腕力の強い男だった。そして渾身の力を込めて妻の首を絞めあげながら、何ごとかを大声で叫ん
 でいた。自分か何を叫んでいるのか、自分でもよく聴き取れなかった。それは意味をなさない、
 純粋な怒りの叫びだった。これまで経験したことのない激しい怒りが、私の心と身体を支配して
 いた。私は叫びながら宙に白い唾を飛ばしていた。

  新しい空気を肺に入れようと必死に喘ぎながら、妻のこめかみが細かく痙撃しているのが見え
 た。目の中で桃色の舌が丸まり、もつれるのが見えた。青い静脈があぷり出しの地図のように肌
 に浮き上がっていった。私は自分の汗のにおいを嗅いだ。これまで嗅いだことのない不快なにお
 いが、私の身体からまるで温泉の湯気のように立ちのぼっていた。毛深い獣の体臭を思わせるに
 おいだ。
  わたしを絵にするんじやない、と私は自分自身に向かって命じていた。私は壁にかかった鏡の
 中の自分に向かって、激しく人差し指を突き立てていた。私をこれ以上絵にするんじやない! 

  そこで私ははっと夢から覚めた。
  そして私は自分かそのとき、あの海辺の町のラブホテルのベッドで、何をいちばん恐れていた
 のかに思い当たった。私は白分かその女(名前も知らない若い女)を最後の瞬間に本当に絞め殺
 してしまうのではないかと、心の底で恐れていたのだ。「ふりをするだけでいいの」と彼女は言
 った。しかしそれだけでは済まないかもしれなかった。ふりだけでは終わらないかもしれなかっ
 た。そしてそのふりだけでは終わらない要因は、私白身の中にあった。
  ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。
  それは私が秋川まりえに向かって口にした言葉だった。私はタオルで身体の汗を拭きながらそ
 のことを思い出した。

  金曜日の朝には雨は上がり、空はきれいに晴れあがっていた。私はうまく眠れなかった昨夜の
 気持ちの高ぶりを鎮めるために、昼前に一時間ばかり近所を散歩した。雑木林の中に入り、祠の
 裏手にまわって、久しぷりに穴の様子を点検してみた。十一月に入って、風が確実に冷ややかさ
 を増していた。地面には湿った落ち葉が敷き詰められていた。穴はいつものとおり何枚かの板で
 しっかり塞がれていた。その板の上にも色とりどりの落ち葉が積もり、重しの石が並べられてい
 た。しかしその石の並び方は、前に目にしたときとは少しばかり違っているような気がした。だ
 いたいは同じなのだが、少しだけ配置が違っているみたいだ。

  でもそのことをそれほど深く気にはしなかった。私と免色のほかには、ここまでわざわざ足を
 運ぶ人間はいないはずだ。蓋を一枚だけ外して中を覗いてみたが、中には誰もいなかった。梯子
 も前と同じように壁に立てかけてあった。その暗い石室はいつものように、私の足元に深く然し
 て存在し続けていた。私は穴にもう一度蓋を被せ、その士に元通りに石を並べた。

 

  Samuel Willenberg (Feb.16,1923 – Feb.19, 2016)

  騎士団長がもう二週間近く私の前に姿を見せていないことも、とくに気にはしなかった。本人
 が言っていたように、イデアにもいろいろと用事があるのだ。時間や空間を超えた用事が。
  そしてやがて次の日曜日がやってきた。その日にはいろんなことが起こった。それはとても慌
 ただしい日曜日になった。

 



   32.彼の専門的技能は大いに重宝された

  我々が話をしていると、また別の男が近づいてきた。ワルシャワ出身のプロの画家だった。中
 背で鷲鼻で、青白い肌の顔に見事に真っ黒な口ひげをはやしていた。(中略)その特徴的な風貌
 は遠くからでもすぐに目についたし、彼の職業的地位が高いこと(収容所にあって彼の専門的技
 能は大いに重宝された)は実に明白だった。誰からも一目置かれていた。彼はしばしば私に、自
 分のやっている仕事について長々しく話をした。

 「わたしはドイツ兵たちのために色彩画を描いている。肖像画なんかをな。連中は親戚やら奥さ
 んやら、母親やら子どもたちやらの写真を持ってくる。誰もが肉親を描いた絵を欲しがるんだ。
 親衛隊員たちは、自分たちの家族のことを感情豊かに、愛情を込めてわたしに説明する。その目
 の色や髪の色なんかを。そしてわたしはぼやけた白黒の素人写真をもとに、彼らの家族の肖像画
 を描くのさ。でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじ
 やない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが
 殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅に持って帰らせ、壁に飾らせたいんだよ。ちくしょう
 どもめ!」
  画家(アーチスト)はこのときとりわけひどく神経を高ぶらせた。

                    サムエル・ヴィレンベルク『トレブリンカの反乱』

          (註)〈隔離病棟〉とはトレブリンカ強制収容所における処刑施設の別称。

 



Last Treblinka death camp survivor Samuel Willenberg dies - BBC News

                                   〈第1部終わり〉

取り敢えず。取り敢えず第1部を精読した(と思う)。頭の中で整理するのはこれからだが、本日、第
2部が届いた。
  
                                       この項つづく 





ことしは、異常気象なので、JAの野菜館の野菜も出来が悪いと台所でぼやく彼女。その通りなのだが
それでも、肥料など手入れの効果でルージュピエールドゥロンサールは出来栄えがよい、それだけでは
ない、オリーブの3本のうち、実を結びそうなのが2本とこれもきみの御蔭だと感謝する。しかし、体
調は双方とも良くない。特に最近は海外のニュースの翻訳に追われ精神も不安定。些細なことで口論す
るとも増える。それにしても折角の写真の電線・通信線で台無しだ。まだまだこの国は貧相だと思い、
記録するためシャッターを切る(写真左は葦のシェイド)。思うことが多くてパンパン状態が続く。日
曜は文字通り安息日にしようと誓う。


湖国未来風ブイヤベース

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。

       ※ 旅立ち:重耳(後の文公)は、父猷公が即位したとき、す
         でに二十歳をすぎていた。父と義母に苦しめられつづけた
         かれは、四十三歳の年、少年時代いらいの忠実な付き人五
         人とともに亡命の旅に出る。

         先ず、母の出身地の白狄へ亡命(既に重耳は43歳)。この
         亡命のときに、白狄族と敵対して破れた赤狄族の姉妹が重
         耳たちに差し出され、妹の季隗を重耳が娶った。重耳は季
         隗との間に伯鯈、叔劉を儲ける。白狄での亡命五年目の年
         に献公が薨去。驪姫らにより奚斉とその弟悼子が晋公に建
         てられ、その直後に里克らのクーデターで驪姫らは皆殺し
         となる。里克は重耳を晋公として迎え入れようと使者を出
         すも重耳は断ったため。代わりに異母弟の夷吾は受け入れ
         て帰国し、晋公として恵公となる。恵公は、人気が高く、
         重耳を後々の禍根と見、里克ら重耳派を粛清し、更に勃鞮
         を刺客に送るも、重耳の知ることになり「晋に近い小国に
         身を寄せたままでは危ないので、大国の斉へ行こう。名宰
         相の管仲も死に、人材を求めているだろう」と旅立つ。

 

 Oct. 6, 2016

【新徐福伝説:湖国未来風ブイヤベース】 

● オルニチンブームと瀬田しじみ

「オルニチン」という非必須アミノ酸のサプリメントが今でも人気があるのか、テレビ通販を視てい
てそう思った。先回でブログでは「二度寝癖」をなくすために調べ――日本人の半数以上が「寝つき
が悪い」「熟睡できない」「目覚めが悪い」といった眠りに対する不満を抱えており、オルニチンが
睡眠や朝の目覚めに及ぼす影響を調査し、就寝前にオルニチンを摂取する事で、体感の改善、起床が
すっきりし、目覚めが良くなる――しじみ汁を食べてみたりしたが、結局、三日坊主に終わる。そこ
で協和発酵バイオのオルニチンを試飲することに(この結果については後日掲載)。



ところで、協和発酵バイオ株式会社の「特開2014-237715  アルコール性疲労改善剤」によると、人間
が日常生活で感じる疲労とは、❶眠気とだるさに関する症状、❷注意集中の困難に関する症状、❸及
び、身体的違和感の症状のような各種の症状として感じられる疲労感、疲労の自覚症状として集約さ
れ、一見共通する自覚症状として認識されるが、その疲労の原因には、各種の要因が関与しその疲労
回復は、その要因に対応する改善が要求され、アルコール性疲労の改善について鋭意研究する中で、
オルニチンがアルコール性疲労の改善に有効な作用を有することを見い出し、更には、オルニチン/
その塩と、ウコン、発酵ウコンエキス、及びクルクミンからなるグループから選ばれる1つ/2つ以上の成分
を含有するものがアルコール性疲労の改善に有効な作用があることを発見する。


JP 2014-237715 A 2014.12.18

勿論、オルニチンの過剰摂取や摂取拒絶・不適合体質、オルニチン体内蓄積濃度以上遺伝子疾患をも
つひとたちは専門医師/薬剤師の相談・指示が必要である。例えば、オセラ セラピューティクス イ
ンコーポレイテッド社「特開2017-081940  L-オルニチンフェニルアセテートおよびその製造方法」
では、高アンモニア血症は肝疾患の広範な神経精神症状を含む精神状態の変化を誘因し、かつ他の機
序も関連している可能性があるが、L-オルニチン一塩酸塩/他のL-オルニチン塩は、高アンモニ
ア血症/肝性脳症治療で使用できるものの、特定の塩、特にナトリウムまたはクロリド塩は、肝性脳
症などの肝疾患に伴う疾患を有する患者を治療する場合、望ましくない可能性がある。例えば、高い
ナトリウム摂取は腹水、体液過剰/電解質平衡異常を起こす傾向がある肝硬変患者には危険で、同様
に、特定の塩は浸透圧が高く溶液高張性である。従って、結晶形態のL-オルニチンフェニルアセテ
ートを含む組成物はL-オルニチンとフェニル酢酸との塩であって、好ましくは、約6.0°、13.
9°、14.8°、17.1°、17.8°及び24.1°2θからなる群から選択される少なくとも3
つの特性ピークを含む粉末X線回折パターンを示す(下図1)体液過剰及び電解質平衡異常を伴う肝
性脳症等の治療で、有効成分のL-オルニチンの特定の塩(例:ナトリウム)の摂取に起因する腹水、
体液過剰、電解質平衡異常等の副作用を回避することができる、L-オルニチンとフェニル酢酸との
塩の調製方法、並びにこの塩を含有する医薬組成物が提案されている。このように、オルニチンの使
用に際しては必要/十分なる配慮を前提とする。


ところで、オルニチン (ornithine、略称 Orn) は、アミノ酸の1種で、尿素回路――ほとんどの脊椎動
物に見られる代謝回路のひとつ。肝臓細胞のミトコンドリアと細胞質において発現し、アンモニアか
ら尿素を生成する[1]。最初に発見された代謝回路であり、1932年にハンス・クレブスとクルツ・ヘ
ンゼライトによって発見された(クレブスのクエン酸回路は1937年に発見)――を構成する物質の1
つ。アルギニンの分解によって生成する。また、オルニチンは成長ホルモン誘導体であり、同じアミ
ノ酸の一種のアルギニンとともに、サプリメントに配合されている。本題とはそれるが、オルニチン
はシリコンなどの半導体製造のエッチング溶液の組成物質としての用途もあるが、同様に金属エッチ
ング溶液の微量の遊離酸濃度測定方法の開発にクエン酸回路からヒントを得ているが、奇しくも、尿
素回路 vs.クエン酸回路という点で記憶に残る。

※ The Effect of L-Ornithine on the Phosphorylation of mTORC1 Downstream Targets in Rat Liver, Prev Nutr
        Food Sci. 2015 Dec; 20(4): 238–245. Published online 2015 Dec 31. doi: 10.3746/pnf、PMC




● オルニチンはブイヤベースにして摂るべし

  Dec. 26, 2017

「しじみ汁」についても、過去ブログでも「瀬田しじみスープ商品開発考」で小考しているが、オル
ニチンとしての効用を考える、もっとバラエティに富んだレシピ開発が必要だろうと考える。そこで
思いつくのが「海鮮鍋」、まさか「瀬田蜆蜆鍋」と銘打つとなると、ムール貝ほどのサイズであれば
「オール殻つきムール貝鍋」(スープ鍋というより蒸し鍋といった方がよいだろうか)なら絵になる
だろうが、瀬田蜆なら剥き身(-4℃で保存し、再び常温に戻すと、オルニチンが増加するという研
究結果があるというが)を入れて鍋にするの正解のように思うがどうだろう。レシピとしては味噌汁
(日本の漁師鍋と言い換えた方が良いだろう)か定番だろう。が、何かもっと工夫が欲しい。剥き身
をタップリと使った西洋海鮮スープ鍋/寄せ鍋、フランスでいう「ブイヤベース」、イタリアでいう
「アクアパッツァ」、チリ、ペールでいう「ソパデマリスコス」(「セビーチェ」はマリネ)。ブイ
ヤベース( bouillabaiss])は、地元の魚貝類を香味野菜で煮込む、フランスの寄せ鍋料理。南フラン
スのプロヴァンス地方、地中海沿岸地域の代表的な海鮮料理。マルセイユの名物。原型は付近の漁師
が見た目が悪かったり、毒針があって危険などの理由で商品価値のない魚を自家消費するため、大鍋
で塩と煮るだけの料理で、17世紀に新大陸からトマトが伝来すると食材に取り入れられ、また19
世紀にマルセイユが観光地化すると、多数のレストランが地元料理のブイヤベースを目玉料理にして
料理法が発展今日に至る。また、アクアパッツァ(Acqua pazza:魚のアックア・パッツァ風)は、魚介
類をトマトと水にオリーブ・オイルなどとともに煮込んだカンパニア州の料理。 

  Ceviche

最後に、ソパデマリスコス(Sopa de Mariscos)は、塩のみのスープで、これにトマトやサフランが入ればブイヤ
ベースだが、濃厚な潮汁。魚介類のスープ。魚(pescados)のスープとして、ソパ・デ・ペスカードス
ということもる。トマトを加えたり、サフラン風味にしたり、ポタージュ風にとろみをつけたり、色
々なタイプがある(下図:❶トマト、タマネギとニンニクをみじん切り 。❷大鍋に油を加熱し撹拌し、
高い熱で4分間タマネギをソテー。❸トマトが柔らかくなるまで3分間トマトとニンニク、ソテー、
水2リットル、エビ粉を追加。❹ニンジン、ジャガイモを小さなキューブに切る。緑豆、エンドウ豆
と一緒に鍋に入れる。❺野菜、魚、エビ、 タコ 、ムール貝とイカをいれ15分煮込む。❻火を消し
鍋から取り分ける。 コリアンダー、タマネギ、レモンとビスク(クリームベースの滑らかで濃厚な味
わいのフランスのスープ。本来はをベース。ロブスター、カニ、エビ、ザニガニ等の甲殻類の裏ごし
クーリを用いる。 

 Sopa de mariscos

滋賀県は海はないが、内陸部でも、大きく回遊する魚でなければ、内陸部養殖可能であることを前提
として、魚は、鮎、イワナ、ヤマメ、アマゴ、ニジマス、ビワマス、ナマズ、シジミ、モルダール(
物流)を考えれば、若狭、伊勢湾、大阪湾などの魚介類、エビ、タコ、沢ガニ、フエフキダイ、イカ、
アサリ、サザエ、ムール貝、アワビ、各種海藻など近場の府県で獲れたもの使用。野菜類は、県内で
十分に間に合うだろう。ここに椎茸、アスパラガス、トマト、香草、魚介以外にパンチェスタ、チー
ズ、ヨーグルト、タマゴ、タイ、台湾、韓国ベースのスープへのアレンジも可能。鍋、食器類、信楽、
伊賀上野、長浜、湖東焼き等々地元産品であらかたまかなえるだろう。メインはあくまでも、瀬田シ
ジミの剥き身。後は、湖国産ワイン、湖国産ライスワイン、湖国産リキュール、湖国産ビールを揃え
れば、世界で初めての「ブイヤベース専門のレストランテ」が誕生する(なんで、フランスとイタリ
アがごちゃ混ぜなんや、まぁ、なんでもいいやん、サンセットをみながら「君の瞳に乾杯」というこ
とや)。

  ● 今夜のアラカルト

Grilled baby snapper with sauce Antiboise:アンチボシスソース仕立てのアスパラとフエフキ鯛グリル

※ アンチボイス:トマトとオリーブオイルで揚げたニンニクで作る。その後、ケーパーとブラック
オリーブを加え、オイルにバルサミコの数滴振りかける。

     

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』     

   33. 目に見えないものと同じくらい、目に見えるものが好きだ

  日曜日もきれいに晴れ上がった一目になった。風らしい風もなく、秋の太陽が様々な色合いに
 染まった山間の樹木の葉を美しく輝かせていた。胸の白い小さな鳥たちが彼から彼へと飛び回っ
 て、赤い本の実を器用についばんでいた。私はテラスに腰を下ろして、そんな光景を飽きること
 なく眺めていた。自然の美しさは金持ちにも貧しき者にも分け隔てなく公平に提供される。時間
 と同じだ……いや、時間はそうではないかもしれない。裕福な人々は時間を余分に金で買ってい
 るのかもしれない。
  とても正確に十時に、明るいブルーのトヨタ・プリウスが坂を上ってやってきた。秋川笙子は
 ベージュのタートルネックの薄いセーターに、談緑色のほっそりとしたコットンのパンツをはい
 ていた。首には金の鎖のネックレスが控えめに光っていた。髪型はこの前と同じようにほぼ理想
 的なかたちに整えられていた。髪が揺れると美しい首筋がちらりと見えた。今日はハンドバッグ
 ではなく、バックスキンのショルダーバッグを肩からさげていた。靴は茶色のデッキシューズだ
 った。さりげない服装だが、細部にまで気が配られている。そして彼女の胸はたしかにきれいな
 かたちをしていた。姪の内部情報によれば「詰め物はない」胸であるらしい。私はその乳房に
 ――あくまで美的な意昧合いにおいてではあるけれど――少し心を惹かれた。

  秋川まりえは色の槌せたストレートのブルージーンズに、白いコンバースのスニーカーという
 この前とはがらりと違うカジュアルなかっこうだった。ブルージーンズにはところどころ穴があ
 いていた(もちろん意図的に注意深く開けられた穴だ)。グレーの薄手のヨットパーカを着て、
 その上に本こりが着るような厚い格子柄のシャツを羽織っていた。相変わらず胸の膨らみはなか
 った。そして相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。食べかけの皿を途中で持って行かれた猫の
 ような顔つきだった。
  私は前と同じように台所で紅茶をいれ、それを居間に運んだ。そして私は、先週描き上げた三
 枚のデッサンを二人に見せた。秋川笙子はそのデッサンを気に入ったようだった。「どれもとて
 も生き生きしている。写真なんかより、ずっと本物のまりちゃんみたいに見える」
 「これ、もらっていい?」と秋川まりえは私に尋ねた。
 「いいよ、もちろん」と私は言った。「絵が完成したあとでね。それまではぼくにも必要になる
 かもしれないから」
 「そんなこと言って……、本当にいただいてもかまわないんですか?」と叔母は心配そうに私に
 尋ねた。
 「かまいません」と私は言った。「いったん絵を完成させてしまえば、そのあととくに使い途は
 ありませんから」
 「この三枚のデッサンのどれかを下絵として使うの?」とまりえが私に尋ねた。

  私は首を振った。「どれも使わない。この三枚のデッサンは、言うなれば、ぼくが君を立体的
 に理解するために描いたんだ。キャンバスにはまた違う君の姿を描くことになると思う」
 「そのイメージみたいなのは、もう先生の頭の中に具体的にできているわけ?」
 私は首を振った。「いや、まだできていないよ。これから君と二人で考える」
 「立体的に私を理解する?」とまりえは言った。
 「そうだよ」と私は言った。「キャンバスは物理的に見ればただの平面だけど、練はあくまで立
 体的に描かれなくてはならないんだ。わかるかな?」
  まりえはむずかしい顔をした。「立体的」という言葉から、たぶん自分の胸の膨らみのことを
 考えているのだろうと私は想像した。事実、彼女は薄いセーターの下できれいなかたちに盛り上
 がった叔母の胸にちらりと目をやってから、私の顔を見た。
 「どうしたらそんなにうまく練が描けるようになるの?」
 「デッサンのこと?」
  秋川まりえは肯いた。「デッサンとか、クロッキーとか」
 「練習だよ。練習しているうちにだんだんうまくなっていく」
 「でもどれだけ練習してもうまくならない人もたくさんいると思う」
  彼女の言うとおりだ。私は美大に通っていたが、どれだけ練習してもさっぱり絵がうまくなら
 ない練友たちを山ほど見てきた。どうあがいても、人はもって生まれたものに大きく左右される。
 でもそんなことを言い出したら、話の収拾がつかなくなる。
 「でもだからといって練習しなくてもいいということにはならない。練習をしなければうまく外
 に出てこない才能や資質も、ちゃんとあるんだよ」

  秋川笙子は私の言葉に強く肯いた。秋川まりえはちょっと唇を斜めに傾けただけだった。ほん
 とにそうかしら、という風に。
 「君は絵がうまくなりたいんだね?」と私はまりえに尋ねた。
  まりえは肯いた。「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」
  私はまりえの目を見た。その目は何かしら特別な種類の光を浮かべていた。彼女が具体的に何
 を言おうとしているのか、今ひとつつかみかねた。でも私は彼女の口にしたことより、むしろそ
 の目の奥にある光に興味を惹かれた。
 「ずいぷんと不思議な意見ね」と秋川笙子が言った。「なんだか謎かけみたい」
  まりえはそれには返事をせず、黙って自分の手を見ていた。少しあとに彼女が顔を上げたとき、
  その目からはもう特別な光が消えていた。それは一瞬のことだったのだ。




  私と秋川まりえはスタジオに入った。秋川笙子はバッグから先週と同じ――見かけからしてた
 ぶん同じだと思う――厚い文庫本を取りだし、ソフアにもたれてすぐに読み始めた。どうやらそ
 の本に夢中になっているようだった。どういう種類の本なのか、私には前回にも増して興味があ
 ったが、題名を尋ねるのはやはり差し控えた。

  まりえと私は先週と同じように、ニメートルほどの距離を隔てて向き合った。先週との違いは、
 私の前にキャンバスを載せたイーゼルが置かれていることだった。しかしまだ絵筆と絵の具は手
 にしていない。私はまりえと空白のキャンバスとを代わりばんこに見ていた。そしてどのように
 彼女の姿をキャンバスの上に「立体的に」移し替えていけばいいのか、思いを巡らせた。そこに
 はある種の「物語」が必要とされていた。ただ相手の要かたちをそのまま絵にすればいいという
 ものではない。それだけでは作品にはならない。ただのよくできた似顔絵で終わってしまうかも
 しれない。そこに揺かれるべき物語を見出すこと、それが私にとっての大事な出発点になる。

  私はスツールの上から、食堂椅子に座った秋川まりえの顔を長いあいだ見つめていたが、彼女
 は視線をそらせなかった。ほとんど瞬きもせず、私の目をまっすぐ見返していた。挑戦的なまな
 ざしというのではないのだが、そこには「ここからはあとに引かない」という決意のようなもの
 がうかがえた。人形を思わせる端正な見かけのせいで人は間違った印象を抱きがちだが、実際に
 は芯の強い性格の子なのだ。自分のやり方を揺らぎなく特っている。一本まっすぐな絵をいった
 ん引いたら、簡単には曲げない。

  よく見ると、秋川まりえの目にはどこか免色の目を想わせるものがあった。以前にも感じたこ
 とだが、その共通性に私はあらためて驚かされた。そこには「瞬間凍結された炎」とでも表現し
 たくなる不思議な輝きがあった。熱気を含んでいるのと同時に、どこまでも冷静な輝きだった。
 内部にそれ自体の光源を特つ特殊な宝石を想起させる。そこでは外に向かう率直な求めの力と、
 完結に向かう内向きの力が鋭くせめぎ合っていた。
  でもそう感じるのは、秋川まりえはひょっとしたら自分の血を分けた娘かもしれないという。
 免色の打ち明け話を前もって聞かされているせいかもしれない。その伏線があるために、私は二
 人のあいだに何かしら呼応するものを見いだそうと、無意識に努めてしまうのかもしれない。

  いずれにせよこの目の輝きの特殊さを、両面に描き込まなくてはならない。秋川まりえの表贋
 に出てこない才能や資質も、ちゃんとあるんだよ」
  秋川笙子は私の言葉に強く肯いた。秋川まりえはちょっと唇を斜めに傾けただけだった。ほん
 とにそうかしら、という風に。
 「君は絵がうまくなりたいんだね?」と私はまりえに尋ねた。
  まりえは肯いた。「目に見えるものが好きなの。目に見えないものと同じくらい」
  私はまりえの目を見た。その目は何かしら特別な種類の光を浮かべていた。彼女が具体的に何
 を言おうとしているのか、今ひとつつかみかねた。でも私は彼女の目にしたことより、むしろそ
 の目の奥にある光に興味を惹かれた。
 「ずいぷんと不思議な意見ね」と秋川笙子が言った。「なんだか謎かけみたい」
  まりえはそれには返事をせず、黙って自分の于を見ていた。少しあとに彼女が顔を上げたとき、
 その目からはもう特別な光が消えていた。それは一瞬のことだったのだ。

  私と秋川まりえはスタジオに入った。秋川笙子はバッグから先週と同じ――見かけからしてた
 ぷん同じだと思う――厚い文庫本を取りだし、ソフアにもたれてすぐに読み始めた。どうやらそ
 の本に夢中になっているようだった。どういう種類の本なのか、私には前回にも増して興味があ
 ったが、題名を尋ねるのはやはり差し控えた。
  まりえと私は先週と同じように、ニメートルほどの距離を隔てて向き合った。先週との違いは
 私の前にキャンバスを載せたイーゼルが置かれていることだった。しかしまだ絵筆と絵の具は手
 にしていない。私はまりえと空白のキャンバスとを代わりばんこに見ていた。そしてどのように
 彼女の姿をキャンバスの上に「立体的に」移し替えていけばいいのか、思いを巡らせた。そこに
 はある種の「物語」が必要とされていた。ただ相手の姿かたちをそのまま絵にすればいいという
 ものではない。それだけでは作品にはならない。ただのよくできた似顔絵で終わってしまうかも
 しれない。そこに揺かれるべき物語を見出すこと、それが私にとっての大事な出発点になる。

  私はスツールの上から、食堂椅子に座った秋川まりえの顔を長いあいだ見つめていたが、彼女
 は視線をそらせなかった。ほとんど瞬きもせず、私の目をまっすぐ見返していた。挑戦的なまな
 ざしというのではないのだが、そこには「ここからはあとに引かない」という決意のようなもの
 がうかがえた。人形を思わせる端正な見かけのせいで人は間違った印象を抱きがちだが、実際に
 は芯の強い性格の子なのだ。自分のやり方を揺らぎなく特っている。∵不まっすぐな絵をいった
 ん引いたら、簡単には曲げない。
  よく見ると、秋川まりえの目にはどこか免色の目を想わせるものがあった。以前にも感じたこ
 とだが、その共通性に私はあらためて驚かされた。そこには「瞬間凍結された炎」とでも表現し
 たくなる不思議な輝きがあった。熱気を含んでいるのと同時に、どこまでも冷静な輝きだった。
 内部にそれ自体の光源を特つ特殊な宝石を想起させる。そこでは外に向かう率直な求めの力と、
 完結に向かう内向きの力が鋭くせめぎ合っていた。

  でもそう感じるのは、秋川まりえはひょっとしたら自分の血を分けた娘かもしれないという、
 免色の打ち明け話を前もって聞かされているせいかもしれない。その伏線かおるために、私は二
 人のあいだに何かしら呼応するものを見いだそうと、無意識に努めてしまうのかもしれない。
  いずれにせよこの目の輝きの特殊さを、画面に描き込まなくてはならない。秋川まりえの表情 
 の核心をなす要素として。彼女の顔の端正な見かけを貫き揺さぶるものとして。しかしそれを圃
 面に描き込むための文脈を、私はまだ見出すことができなかった。下手に描けばそれはただの冷
 ややかな宝石としか見えないだろう。その奥にある熱源がどこから生まれてきたのか、そしてど
 こに行こうとしているのか。私はそれを知らなくてはならなかった。

 Portrait of Woman in Blue

  十五分ばかり彼女の顔とキャンバスを交互に睨んでから、私はあきらめた。そしてイーゼルを
 脇に押しやり、ゆっくり何度か深呼吸した。
 「何か話をしよう」と私は言った。
 「いいよ」とまりえは言った。「どんな話?」
 「君のことをもう少し知りたいな。もしよかったら」
 「たとえば?」
 「そうだな、君のお父さんはどんな人なんだろう?」
 まりえは小さく唇を歪めた。「お父さんのことはよくわからない」
 「あまり話をしたりしないの?」
 「顔を合わせることもそんなにないから」
 「お父さんの仕事が忙しいからかな?」
 「仕事のことはよく知らない」とまりえは言った。「でもたぶんわたしのことにそんなに興味が
 ないんだと思う」
 「興味がない?」
 「だからずっと叔母さんにまかせきりにしているのよ」

  私はそれについてはとくに意見を述べなかった。

 「じやあ、お母さんのことは覚えている? たしか君が六識のときに亡くなったんだよね?」
 「お母さんのことは、なんだかまだらにしか思い出せない」
 「どんな風にまだらに?」
 「すごくあっという間に、お母さんはわたしの前から消えてしまった。そして人が死ぬというの
 がどういうことなのか、そのときのわたしには理解できていなかった。だからお母さんはただい
 なくなったとしか思えなかった。煙がどこかのすきまに吸い込まれるみたいに」

  まりえは少し沈黙してから、話を続けた。

 「そのいなくなり方があまりにも急だったから、そこにあるリクツがうまく呑み込めなかったか
 ら、お母さんが死んだ前後のことが、わたしにはうまく思い出せないの」
 「そのとき君はとても混乱していた」
 「お母さんがいたときの時間と、いなくなってからの時間とが、高い壁みたいなので二つにヘダ
 てられている。その二つがうまくつながらない」、彼女はしばらく黙って唇を噛んでいた。「そ
 ういうのってわかる?」
 「たぶんわかるような気はする」と私は言った。「ぼくの妹が十二識で死んだことは前に話した
 よね?」

  まりえは肯いた。

 「妹は生まれつき心臓の弁に欠陥があったんだ。大きな手術をして、うまくいったはずだったん
 だけど、なぜか問題が残った。いねば体内に爆弾を抱えて生きているようなものだった。だから
 家族はみんな日頃から、最悪の場合をある程度は覚悟していた。つまり君のお母さんがスズメバ
 チに刺されて亡くなったみたいに、まったくの青天の言言というわけじゃなかった」
 「せいてんの……」
 「青天の宣言」と私は言った。「晴れた日に突然雷鳴がとどろくことだよ。予想もしなかったこ
 とが出し抜けに起こること」
 「せいてんのヘキレキ」と彼女は言った。「どんな宇を書くの?」
 「セイテンは青い天。ヘキレキという宇はむずかしくて、ぼくにも書けない。書いたこともない。
 もし知りたければ、うちに帰って辞書で調べてみるといいよ」
 「せいてんのヘキレキ」と彼女はもう一度繰り返した。その言葉は彼女の頭の中の抽斗にしまい
 込まれたようだった。
 「とにかくそれはある程度予想できたことだった。でも実際に妹が突然の発作に襲われて、その
 日のうちに死んでしまったときには、目頃からの覚悟なんて何の役にも立だなかった。ぼくは文
 字通り立ちすくんでしまった。ぼくだけじゃなくて家族全員が同じだった」
 「その前とあととでは、先生の中でいろんなことが変わってしまった?」
 「うん、その前とあととでは、ぼくの中でもぼくの外でも、いろんなものごとがすっかり変わっ
 てしまった。時間の流れ方が違ったものになってしまった。そして君が言うように、その二つを
 うまくつなげることができない」

  まりえは十秒ばかりじっと私の顔を見ていた。そして言った。「妹さんは先生にとってとても
 犬事なヒトだったのね?」
  私は肯いた。こつん、とても大事なヒトだった」
  秋川まりえはうつむいて何かを深く考えていた。それから顔を上げて言った。
 「そんなように記憶がヘダてられてしまっているせいで、わたしにはお母さんのことがうまく思
 い出せないの。どんなひとだったか、どんな顔をしていたか、どんなことをわたしに言ったか。
 お父さんもあまりお母さんのことを話してくれないし」

  私が秋川まりえの母親について知っていることといえば、免色が微に入り細にわたって語って
 くれた、免色と彼女との最後の性行為の様子くらいだった。彼のオフィスのソファの上で行われ
 た――そこで秋川まりえの受胎がおこなわれたのかもしれない――激しいセックスのことだ。し
 かしもちろんそんな話をするわけにはいかない。
 「でもお母さんのこと、何か少しは覚えているんじゃないかな。六識まで一緒に暮らしたわけだ
 から」
 「匂いだけは」とまりえは言った。
 「お母さんの休の匂い?」
 「そうじゃなくて、雨の匂い」
 「雨の匂い?」
 「そのとき、雨が降っていたの。雨粒が地面に当たる音が聞こえるくらいはげしい雨。でもお母
 さんは傘をささないで外を歩いていた。わたしも手をつないで、いっしょに雨の中を歩いていた。
 季節は夏だったと思う」
 「夏の夕立のようなものかな?」 
 「たぶん。太陽にやかれたアスファルトが雨に打たれたときの匂いがしていたから。その匂いを
 わたしは覚えている。そこは山の上の展望台のようなところだった。そしてお母さんは歌をうた
 っていた」
 「どんな歌?」
 「メロディーは思い出せない。でも歌詞は覚えている。川の向こう側には広い縁の野原が広がっ
 ていて、そちらにはそっくりきれいに日が照っていて、でもこちら側にはずっと長く雨が降って
 いて……というような歌だった。ねえ、先生はそんな歌って耳にしたことがある?」
 私にはそんな歌を耳にした記憶はなかった。「聴いたことはないと思うな」

  秋川まりえは小さな屑をすくめるような動作をした。「これまでいろんな人に尋ねてみたんだ
 けど、誰もそんな歌は聴いたことがない。どうしてかな? それはわたしが頭の中でかってにつ
 くった歌なのかしら?」
 「それともお母さんがその場でこしらえた歌なのかもしれないよ。君のために」
  まりえは私の顔を見上げて微笑んだ。「そんなふうに考えたことはなかったけど、でももしそ
 うだとしたら、それってなんだか素敵よね」

  彼女が微笑みを浮かべるのを目にしたのは、たぶんそのときが初めてだった。まるで厚い雲が
 割れて、一筋の陽光がそこからこぼれ、土地の選ばれた特別な区画を鮮やかに照らし出すような、
 そんな微笑みだった。
  私はまりえに尋ねた。「その場所にもうコ伎行ったら、ここだったって君は思い出せるかな?
 その山の上の展望台みたいなところに行ったら?」
 「たぶん」とまりえは言った。「それほど自信はないけれど、たぶん」
 「そういう風景をひとつ自分の中に持っていられるというのは、素敵なことだよ」と私は言った。
 まりえはただ肯いた。


第Ⅱ部に入る。サイキック、異能者、エスパー、超能力、スーパーナチュラルという言葉が頭にこび
りつく思いにかられる。さて、今夜から春樹ワールドに再突入だ。

                                      この項つづく 

70年代の三つの反措定

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          


       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。


       ※ 天の贈りもの:まず一行は衛国に立ちよったが、衛の文公
         が礼遇しなかったため、そうそうに都城を出て五鹿という
         村にさしかかった。餓えを覚え、村人に食物を求めたが、
         村人たちは食物のかわりに土くれを投げてよこした。カツ
         となった公子はその男を鞭でなぐりつけようとしたが、子
         犯(しはん:狐他のこと)がこれを制した。「天のくださ
         れた贈物です。ありかたく頂戴しましょう」子犯は、うや
         うやしく一礼すると、その土くれを車中にしまった。

       ★ 子犯のことばは「土を得だのは国を得るしるしだ」として
         公子の怒りを解き、かつこれを励ましたのである。不遇の
         ときの心構えとしてよく引用される。

 

  

 No.26

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

さて、今回で25回目となる連載も、再エネ百パーセントのビジョンも、風力タービン発電は理論限界
値に漸近、太陽光パネルは、理論限界値に漸近する商用の量子ドット型アルファ器の出現を。また、蓄
電システム池や水電解型水素製造装置は最高品質の商用アルファー機の出現を、同じく、燃料電池蓄電
池やバイオマス発電/ボイラーのアルファ機を、併せて、ゼロエネルギー住宅/高層ビルや省エネ推進
を進める最終段階に入る。後5年もあれば逐次目標をクリアしていくだろう。今夜は、量子ドット工学
最新技術に注目する。



【量子ドット工学講座 No.39】

● 事例研究:特開2017-084942  光電変換装置 京セラ株式会社

量子ドットは、通常、その周囲を量子ドット自身のバンドギャップよりも大きなバンドギャップの障壁
層で囲む。このため、理論的に電子のフォノン放出エネルギーの緩和が起こりにくく消滅し難いと考え
られてきたが、量子ドットを集積させ量子ドット集積部を形成した場合は、量子ドット内の生成キャリ
アは、障壁層を含む量子ドット集積部内の欠陥と結合し消滅しやすく、キャリア密度が低下し、電極ま
で到達できる電荷量の低下が起こり、光電変換効率があがらないので、量子ドット集積部内のキャリア
収集能力を高める構造に関し種々提案されている。

下図7は、従来の光電変換装置の断面模式図の一例。図7に示した光電変換装置100は、光透過性の
基板101の上面側に、透明導電膜103、キャリア収集部105、複数の量子ドット107aを有す
る量子ドット集積部107および電極層109が、この順に積層構成されている。この中で、キャリア
収集部105は、膜状に形成された基部層105aと、この基部層105aの表面から量子ドット集積
部107内に進入するように延びた柱状部材105bとを有する構成になっているが、キャリア収集部
105には、通常、酸化亜鉛などの金属酸化物を用いる。

この  光電変換装置の場合、太陽光などの光により量子ドット集積部107で生成したキャリアCは、
キャリア収集部105を構成する柱状部材105bを介して透明導電膜103まで到達する仕組みとな
っているが、柱状部材105bは細長い結晶で、通常では導電率が低く、キャリアCが透明導電膜10
3まで到達し難くく、曲線因子(FF)――(Pmax)/(Voc×Isc)として定義される。ここで、
Vocは開放電圧、Iscは短絡電流、Pmax(最大出力)はバイアス電圧を変化させ電流値を測定した
ときの、電圧×電流の積が最大となる点である。

本件の光電変換装置は、光透過性の基板上に、透明導電膜、キャリア収集部、量子ドット集積部および
電極層がこの順に積層構成された光電変換装置で、このキャリア収集部は、透明導電膜の主面を覆うよ
うに設けた基部層と、基部層の表面から記量子ドット集積部内に向け延びた凸部とを有し、この凸部は
内部に表面層よりも抵抗の低い低抵抗部を有す。
JP 2017-84942 A 2017.5.18

下図1の光透過性の基板1上に、透明導電膜3、キャリア収集部5、量子ドット集積部7および電極層
9が、この順に積層されて構成されており、キャリア収集部5は、透明導電膜3の主面を覆うように設
けられた基部層5aと、該基部層5aの表面から量子ドット集積部7内に向けて延びた凸部5bとを有
しているとともに、該凸部5bが内部に表面層5baよりも抵抗の低い低抵抗部11を有している。低
抵抗部11が透明導電膜3から延びている。低抵抗部11は透明導電膜3側が裾広がり状である構造/
構成にすることで曲線因子を高める。

【図面の簡単な説明】

【図1】(a)は、第1実施形態の光電変換装置を部分的に示す断面模式図であり(b)は(a)のA
    -A線断面図である。
【図2】低抵抗部を有する凸部について、抵抗を評価する方法を示す模式図である。
【図3】第2実施形態の光電変換装置を部分的に示す断面模式図である。
【図4】図3におけるS部分の拡大図である。
【図5】(a)は、図3におけるS部分の拡大図であり、凸部の表面がうねっている状態を示す断面模
    式図であり(b)は、凸部の表面層に貫通孔が形成されている状態を示す断面模式図である。
【図6】(a)は、低抵抗部が柱状である場合、(b)は低抵抗部が薄板状である場合を部分的に示す
    模式図である。
【図7】(a)は、従来の光電変換装置を部分的に示す断面模式図であり(b)は(a)のA-A線断
    面図である。

 【符号の説明】

1基板 3透明導電膜 5キャリア収集部 5a基部層 5b凸部 7量子ドット集積部 7a量子ドット 9電極層
11低抵抗部 13光 15貫通孔 

作製した光電変換装置ついて、光電変換効率を間接的に評価できる特性として、各試料のI-V特性を
測定して曲線因子(FF)を求めたところ、下表1のごとく、作製した試料のうち、低抵抗部を薄板状
とした試料No.4は、低抵抗部11を柱状とした他の試料に比較して撓みにくいものとなってる。ま
た、作製した試料を上図2の形状(平面の面積:5mm×5mm)に加工し、SSRMによる分析を行
ったところ、試料 No.12(図7)以外の試料は、低抵抗部11が3×10-3Ω・cm、その周囲の表面層
5baが7×1010Ω・cmとなり、表面層5baより低抵抗部11の方が、抵抗値が低いことを確認し
ている。

【特許請求の範囲】 

光透過性の基板上に、透明導電膜、キャリア収集部、量子ドット集積部および電極層がこの順に
積層されて構成された光電変換装置であって、前記キャリア収集部は、前記透明導電膜の主面を
覆うように設けられた基部層と、該基部層の表面から前記量子ドット集積部内に向けて延びた凸
部とを有しているとともに、該凸部は内部に表面層よりも抵抗の低い低抵抗部を有していること
を特徴とする光電変換装置。 前記低抵抗部が前記透明導電膜から延びていることを特徴とする請求項1に記載の光電変換装置。 前記低抵抗部は前記透明導電膜側が裾広がり状であることを特徴とする請求項1または2に記載
の光電変換装置。 前記凸部は表面がうねっていることを特徴とする請求項1乃至3のうちいずれかに記載の光電変
換装置。 前記表面層が貫通孔を有していることを特徴とする請求項1乃至4のうちいずれかに記載の光電
変換装置。 前記低抵抗部が柱状または薄板状であることを特徴とする請求項1乃至5のうちいずれかに記載
の光電変換装置。 前記キャリア収集部が酸化亜鉛、酸化チタンであり、前記低抵抗部がインジウムドープ酸化錫、
フッ素ドープ酸化錫、アルミニウムドープ酸化亜鉛、ホウ素ドープ酸化亜鉛およびガリウムドー
プ酸化亜鉛の群から選ばれる1種であることを特徴とする請求項1乃至6のうちいずれかに記載
の光電変換装置。

  
● 事例研究:US 9653630 B2  金属塩処理による量子ドット太陽電池の性能 
                              三星電子株式会社

硫化鉛物の量子ドット太陽電池の性能は、量子ドット合成後に金属塩溶液に量子ドット層を晒すことで
て改善される。塩溶液からのハロゲン化物イオンが鉛表面を不動態化し、アルカリ金属イオンが鉛の空
孔を修復する。イオン半径の小さな金属カチオンおよびハロゲン化物アニオンは、表面再結合部位を取
り除き量子ドット表面への移動を高める。塩暴露なしでリガンド交換手順のみを用いて製造したものと
比較して、金属塩処理したものは、太陽電池の曲線因子および短絡電流の双方を増加させる。いくつか
の実施形態では、塩溶液およびリガンド交換による量子ドット処理方法を含み、他の実施形態は、塩溶
液およびリガンド交換で処理された量子ドット層を有する光電池を含むものである(詳細は下図ダブク
リ参照)。


US 9653630 B2 May 16, 2017

図1は、一実施形態による光電池の一例の簡略図
図2は、図1の太陽電池セル内のレイヤを表すブロック図
図3は、一実施形態によるPVセルの略図
図4は、直列および並列の電気接続によって互いに電気的に接続された複数のPVセルを含む太陽電池モジュ
ールの概略図


図11は、量子ドットの塩処理のための異なる塩化合物を使用する電圧に対する電流密度のグラフ。

図13は、製造方法の実施形態におけるステップの例を表すブロック図

【特許請求の範囲】 

光起電力セルの基板層上に量子ドット膜を堆積させるステップと、量子ドット膜を堆積した後、
量子ドット膜を塩溶液で処理して量子ドット膜の構造欠陥を修復する工程と、前記量子ドット膜
上に配位子交換を行うことを特徴とする。 前記量子ドット膜を塩溶液で処理するステップは、前記量子ドット膜から過剰の塩溶液を除去す
るステッ
プをさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記量子ドット膜の堆積が完了した後、その後の別の量子ドット膜の堆積の前に、前記量子ドッ
ト膜の別の塩処理をさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記量子ドット膜を塩溶液で処理することが、次の別の量子ドット膜の堆積の前に正確に2回行わ
れる、請求項1に記載の方法。 前記量子ドット膜の堆積、前記塩溶液による前記量子ドット膜の処理、及び前記量子ドット層が
好ましい厚さ寸法で形成されるまでの前記リガンド交換の繰り返しをさらに含む、請求項1に記載
の方法。 光電池が最小限の電力変換効率を達成するまで、前記量子ドット膜を堆積させ、前記量子ドット
膜を前記塩溶液で処理し、前記リガンド交換を繰り返すことをさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記太陽電池の短絡電流の値が短絡電流の選択された最小値以上になるまで、前記リガンド交換
を繰り返すことをさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記基板層をN型半導体材料から形成するステップをさらに含む、請求項1に記載の方法。 硫化鉛から量子ドットを合成することをさらに含む、請求項1に記載の方法。 セレン化鉛から量子ドットを合成することをさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記基板層を酸化亜鉛から形成することをさらに含む、請求項1に記載の方法。 前記基板層を酸化チタンから形成することをさらに含む、請求項1に記載の方法。 塩化リチウム(LiCl)、塩化ナトリウム(NaCl)、塩化カリウム(KCl)、塩化ルビジウム(RbCl)
塩化ルビジウム塩化カルシウム(CaCl 2)、塩化アンモニウム(NH 4 Cl)、塩化テトラブチルア
ンモニウム(TBACl)、塩化テトラメチルアンモニウム(TMACl)、ヨウ化カリウム(KI)、ヨウ
化ルビジウム(RbI) 、ヨウ化セシウム(CsI)、ヨウ化テトラブチルアンモニウム(TBAI)、ヨ
ウ化テトラメチルアンモニウム(TMAI)、臭化カリウム(KBr)、臭化テトラブチルアンモニウム
(TBABr)、臭化テトラメチルアンモニウム(TMABr)およびフッ化アンモニウム(NH 4F) 前記リガンド交換を行う前に、前記複数の量子ドットを前記塩溶液で覆うステップをさらに含む、
請求項1に記載の方法。 前記複数の量子ドットを前記塩溶液で覆う前に前記配位子交換を行うことをさらに含む、請求項
1に記載の方法。 電力を生成するための太陽電池であって、第1透明外層と、前記第1の透明外層に隣接する第1の
電極と、前記第1電極に電気的に接続された透明半導体層と、前記少なくとも1つの量子ドット膜
を塩溶液で洗浄して配位子交換した少なくとも1つの量子ドット膜を含む量子ドット層と、前記透
明半導体層とP-N接合を形成する量子ドット層と、第2の外側層と、量子ドット層と第2の外層との
間の界面層とを含む。 前記量子ドット層は、複数の量子ドット膜をさらに含み、前記複数の量子ドット膜のそれぞれは、
塩溶液で洗浄することによって、前記複数の量子ドットのうちの別のものの前に配位子交換によ
って改質されている、請求項16に記載の光電池。ドットフィルムが堆積される。 前記量子ドットは、前記光起電力セルが選択された最小値の電力変換効率を有するまで、配位子
交換によって改質される、請求項16に記載の光起電力セル。 前記第1の電極は、可視光に対して透明な層として形成されたインジウム錫酸化物(ITO)を含む、
請求項16に記載の光起電力セル。 前記光電池が、少なくとも4パーセントの電力変換効率を有する、請求項16に記載の光電池。 長鎖の配位子で安定化された量子ドットの溶液を合成する工程と、透明半導体層上に量子ドット
膜を堆積する工程と、量子ドット膜の2回の塩処理によって量子ドット膜の欠陥を修復する工程と、
選択された時間の間、前記量子ドット膜を塩溶液で覆うステップと、前記量子ドット膜を塩溶液
で覆うステップとを含むことを特徴とする方法。

  
● 事例研究:特開2017-080425  細胞および細胞組織の処置のためのデバイス
               および方法 メルク パテント ゲーエムベーハー

光線療法は、広範な治療疾患や美容用いられ、LEDまたはレーザーで、外傷、損傷、頚部痛、変形性
関節炎の化学療法、放射線療法の副作用処置に用いられ。座瘡の処置/予防は、状態の程度に応じ、治
療と美容の双方の要素をもつ。乾癬、アトピー性皮膚炎や他の疾患についても同様で、美容に関わる変
化は、心理学的変容が疾患を生み出し、アンチエイジング、抗しわ、座瘡、白斑の防止/治療を果たす。

ところで、光線療法の作用の1つに、ミトコンドリアの代謝刺激があり、特定波長光で、アデノシン三
リン酸(ATP)の形の不可欠な細胞エネルギー産出を担う酵素のシトクロムcオキシダーゼを刺激す
る。ATPは、熱力学的に不利な生化学反応駆動の細胞エネルギー移動にあるいは細胞エネルギー貯蔵
体に必要とされる。ATPは、加齢/細胞死(酸化ストレス)につながる反応性酸素化学種及び一酸化
窒素の調節のシグナル分子として機能する。光線療法の後、細胞は、代謝の増加を示し、より良く情報
伝達を行いストレスに耐え、外傷の治癒、結合組織の修復、組織の修復、組織の死の防止、炎症、痛み、
急性損傷、慢性疾患、代謝異常、神経因性の痛みおよび季節性影響障害の緩和に適用できる。

光利用の別の分野は、様々な癌処置があり、癌治療の光力学的療法(PDT)は、光が薬剤と連係して
用いるが、様々な皮膚/内部疾患処置に用いることもでき、光薬剤の感光性治療薬剤が、処置対象の部
分に、外部から、または内部から与えられ、光薬剤の活性化に、適切な振動数/強度の光に晒す。様々
な光薬剤が、現在、入手可能であり、内部悪性腫瘍のために主に用いられる注入可能薬剤もある。多く
の場合、薬剤には代謝非活性型を用いる。

従来法の光線療法/光力学的療法(PDT)では、患者の低コンプライアンスな不快な大きな光源が主
流を占め、デバイスの多くは、固定状態で使用――病院/診療所で、医療専門家の管理が必要な光源は、
部分照射の場合でさえ、処置対象外の部分までも照射し副作用をともなう可能性がある。

以上の理由から、細胞および細胞組織の処置のための、改善された光線療法のための電子デバイスの提
供に、発光電気化学セル(OLEC)と、量子ドットを含む発光電気化学セル(QD-LEC)、およ
び量子ドットを含む有機発光デバイス(QD-OLED)から選択される光源を備え、可撓性のあるポ
リ(エチレンナフタレート)(PEN)を、OLCEおよびQD-OLECのための基板として用いる
ことが提案されている(詳細は下図ダブクリ参照)。




 

● 事例研究:特開2017-083837  感光性組成物及び量子ドット-ポリマー複合体パターン
               並びに量子ドット 三星電子株式会社

本件の感光性組成物は、高分子外層を有する量子ドットと、カルボキシ基(-COOH)含有バインダーと、炭素
-炭素二重結合を含む光重合性単量体と、光開始剤と、溶媒と、を有する感光性組成物で、この高分
子外層は、量子ドットの表面、その表面に結合された有機リガンド化合物、またはこれら全てと相互
作用する残基を有する第1繰り返し単位、及び反応性残基を有する第2繰り返し単位とを含むコポリ
マーを含む。構造ことで、量子ドット-ポリマー複合体パターンを提供できる感光性組成物の提案で
ある(詳細は下図をダブクリ参照)。
 

 

以上の4件を記載した。その他、波長変換素子、半導体デバイス、発光デバイス、量子コンピュータ
など応用が進み新しい事業プラットフォームを形成しつつある。実に面白い。

 ● 今夜のアラカルト

● 70年代の三つの反措定

「国民は国王のために、国王は自分のために」、これは現在北朝鮮へのためにある。米ジョンズ・ホプキンス
大高等国際問題研究大学院・米韓研究所のジェニー・タウン副所長は29日、東京都内でインタビューに
応じ、北朝鮮の相次ぐミサイル発射に関し「技術的な進展を目指す側面もあるが、政治的な理由が反映
されている」と指摘、「米中両国の圧力に対する反応であり、米国が強硬姿勢で臨んでも、北朝鮮は脅
しに屈しないことを示すため、さらに(ミサイル発射を)続けるのではないか」と述べた。29日に北朝
鮮が発射した弾道ミサイルについては、先の先進7カ国(G7)首脳会議(サミット)の際に行われた
日米首脳会談への反発などが背景にあるとの見方を示しているという(時事通信、2017.05.29)。

しかし、そうれだけだろうか?大軍が対峙する一触即発状態下にある。「東洋のチャウエスク政権」と
揶揄される北朝鮮である。「窮鼠猫を噛む」を字でいくようなものにしても、背後の憂いを立って臨む
のが常道である。とすると、背後の憂いとはここではロシアと中国であり、この2つの大国とたとえ反
故にされることが常であったとしてしても「不可侵条約」ごとき「密約」なくして、小国の「虚勢/火
遊び」は行えないと考える方が自然だろう。プーチの軍事調略大統領制ロシアならそれはやってそうだ。
それでは中国はどうだろう。近年「中韓の蜜月」ごとき状態であったが、中国からみると、液晶・半導
体製造技術の模倣価値を失っている現在では韓国の存立はもはや不要だと考えても不自然ではないだろ
う。とすると「韓国併合」が北朝鮮の「キー戦略」に遡上する。この絵に従えば見えないものが見えて
くる。「危うし韓国」そして、第二次朝鮮動乱lの可能性である。

こんな事を考えていると「70年代の三つの反措定」を追憶するに至る。20代は日替わりメニューの
ように価値観が変貌した時代である。山のような実践や著書を読み漁った季節。その時代のキーワード
は、「反帝・反スタ・反合」の三つの反措定。この反帝國主義・反ロシアマルクス主義・反合理化主義
の共通するのは「人間の奴隷化」であり、それぞれ領土拡張、特定イデオロギー支配、資本により労働
搾取、そして、福祉主義(=自由×民主×共生)を実践的に定立させるというのであり、「共生」とは
内にあっては、差別・格差の、外にあって、環境破壊の是正である。欧州共同体を除き、米・中・ロの
三大国は国内で火種を抱えて込んでいる。最も、わたしたちの福祉主義に近い米国ですら「反帝・反スタ・
反合」的側面で病み世界化し、史上最大の格差拡大の混乱の基底をなす。因みにロシアは「反帝・反スタ・
反合」、中国は「反帝・反スタ・反合」と恣意的に評価できる、あらため「一念(サティ)通天」を追憶す。

遷ろうメタファー

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。
 
       ※ 天の贈りもの:まず一行は衛国に立ちよったが、衛の文公
         が礼遇しなかったため、そうそうに都城を出て五鹿(ごろ
         くという村にさしかかった。餓えを覚え、村人に食物を求
         めたが、村人たちは食物のかわりに土くれを投げてよこし
         た。カツとなった公子はその男を鞭でなぐりつけようとし
         たが、子犯(しはん:狐偃のこと)がこれを制し、「天の
         くだされた贈物です。ありかたく頂戴しましょう」と子犯
         は「天のくだされた贈物です。ありかたく頂戴しましょう」
         とうやうやしく一礼すると、その土くれを車中にしまった。

       ★ 子犯のことばは「土を得だのは国を得るしるしだ」として
         公子の怒りを解き、かつこれを励ましたのである。不遇の
         ときの心構えとしてよく引用される。

 

  

 No.27

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

● ガラス壁からの太陽エネルギーを利用する

 韓国の研究チームは、半透明なペロブスカイト型太陽電池を開発。この太陽電池は、発電する窓ガ
 ラスとして使える可能性がある。また、研究グループは、現代建築物のガラス壁向け用途の透明/
 半透明の太陽電池の開発模索を行っている。しかし、結晶シリコン系などの従来型の太陽電池では、
 半透明にすることができない。これに対し、有機/色素増感型は変換効率が低い。ペロブスカイト
 型は、製造コストが安く、製造が簡単なハイブリッド(有機/無機)の光電変換材料。しかも、こ
 ペロブスカイト型太陽電池の変換効率は、数年間でシリコン型レベルにまで上昇し注目されている
 (Harnessing energy from glass walls, ScienceDaily, May 29, 2017)。

 韓国科学技術振興機構(KAIST)の尹承燁(ユン・スンギュプ)教授、成均館(ソンギュングァン)
 大学の朴南(パク・ナムギュ)教授らが率いる韓国の研究チームは、ペロブスカイトを用いて、高
 効率な半透明太陽電池を開発(※宮坂力桐蔭横浜大学教授が先行開発「結晶材料のナノスケールの
 山と谷に隠された変換効率」2016.07.21)。この半透明太陽電池の開発の肝は、光活性材料と適合
 セルの最上層の透明電極の開発にある。同グループは、ペロブスカイト型太陽電池に適した「トッ
 プ透明電極」(TTE)の開発。 TTEは、高屈折率層と界面緩衝層との間に挟まれた金属膜からなる
 多層スタックで構成。可視光だけを透過する従来の透明電極と異なり、このTTEは可視光を通過さ
 せると同時に赤外線を反射する。

 TTEで製造された半透明太陽電池は、平均赤外光の85.5%を反映する13.3%の高い電力変換
 効率を示した。現在利用可能な結晶シリコン太陽電池は、最大25%程の変換効率を記録している
 が不透明。このチームは、半透明のペロブスカイト型が実用化が進めば、電気エネルギー生成だけ
 でなく、屋内環境でのスマートな熱管理が可能になり、建物や自動車用のソーラー窓に太陽電池を
 利用できるという。すでに、このブログの連載シリーズ「エネルギーフリー社会を語ろう!」(No.
 17、21、24、25)で触れている。

 しかし、自動車、建築物向けの窓ガラス(あるいは熱吸収ブラインド窓)にしろ、ゼルロエネルギ
 ー住宅/ゼロエネルギービルの外壁向けにしろ、耐熱/耐久性の課題(※兵庫県立大学伊藤省吾准
 教授グループの研究参照「ペロブスカイト太陽電池の耐熱性を世界で初めて確認」2017.12.28など)
 の克服は喫緊である。また、半透明にこだわらないなら、耐熱/耐久性ペロブスカイト型と無機化
 合物半導体型などとのタンデム化による20%超の薄膜高変換効率型太陽電池の実用化も可能だ。
 わたし(たち)はまずは、ゼロエネルギービルの外壁の事業プラットフォーム構築をこのシリーズ
 で掲載している。建築産業(例えば竹中工務店)×電気産業(例えば三菱電機)×半導体製造産業
 (例えば東芝+製造/計測評価設備企業)とのコラボの模索を提案している(目標MSは2020年)。
 

 ● 関連事例研究:US 9455093 B2 間接電荷移動に基づく色素増感型太陽電池

 Sep. 27, 2016
図1は本発明の一実施形態による半導体ナノファイバ色素増感太陽電池(DSSC)の概略図
図2aは、CuPc堆積を用いないDSSCにおける再結合プロセスを概略図
図2bは、CuPc堆積を用いたDSSCにおける再結合プロセスを概略図

本件は透明導電性基板上に半導体ナノ粒子層が分散された電極と、このナノ粒子層上に分散された複
数の半導体ナノファイバーと、ナノ粒子層上に分散された第1の光吸収材料と光吸収帯域幅の光吸収
材料と、複数の半導体ナノファイバのうちの第1の光吸収材料上に堆積され、第2の光吸収帯域幅の
の光吸収材料とを含む複数の半導体ナノファイバ対向電極は、金属被覆透明導電性基板と、光吸収材
料及び対向電極と接触する電解質より構成する。

また、色素増感型太陽電池電極の製造方法は、❶透明導電性基板を準備する工程と、❷透明導電性基
板上に複数の半導体ナノ粒子を分散させる工程と、❸複数の半導体ナノファイバー、半導体ナノファ
イバー層上に第1の光吸収帯域の光吸収材料を半導体ナノファイバーで増感し、この光吸収材料上に
第2の光吸収材料を堆積させる工程であって、第1の光吸収帯域幅と相補的な第2の光吸収帯域幅を
保有。

さらに、本件の色素増感型太陽電池電極の製造方法は、複数の半導体ナノ粒子を分散させ、複数の半
導体ナノファイバーを半導体ナノ粒子層上に分散させ、半導体ナノファイバーを増感半導体ナノファ
イバーの伝導帯よりも高いエネルギーレベルと第1の光吸収帯域幅の光吸収材料を含む第1の光吸収
材料と、複数の光吸収材料を連続する各光吸収材料は、先行する光吸収材料の光吸収材料よりも高い
エネルギーレベルを保有する。

 
表1 銅フタロシアニン有無による太陽電池の特性比較表

【特許請求範囲】

透明導電性基板と、前記透明導電性基板上に分散された半導体ナノ粒子層と、前記半導体ナノ
粒子層上に分散された複数の半導体ナノファイバーと、各半導体ナノファイバーの全面に吸着
された第1の光吸収材料であって、第1の光吸収帯域幅を有する第1の光吸収材料と、前記第1
の光吸収帯が前記第1の光吸収帯と実質的に相補的な第2の光吸収帯域を有することを特徴と
する半導体ナノファイバー。金属被覆透明導電性基板を含む対向電極と、前記第2の光吸収材料
及び前記対向電極に接する電解質と、を備える。 前記半導体ナノ粒子層は、二酸化チタンナノ粒子を含み、前記半導体ナノファイバー層は、二
酸化チタンナノファイバーを含む、請求項1に記載の太陽電池。 前記第1の光吸収材料は、ルテニウム系色素であることを特徴とする請求項1に記載の太陽電
。 前記第2の光吸収材料が、銅フタロシアニン、亜鉛フタロシアニン、フタロシアニン増感剤、
およびポルフィリン増感剤を含む他の有機染料からなる群から選択される、請求項1に記載の
太陽電池。 前記半導体ナノファイバーは、少なくとも20nmの平均直径を有する、請求項1に記載の太陽電池。 前記半導体ナノファイバーの平均直径は、30nm~100nmの範囲にあることを特徴とする請求項5
に記載の太陽電池。 前記第2の光吸収材料は、拡散領域および急冷領域を含む、請求項1に記載の太陽電池。 前記電解質は、ヨウ化物/三ヨウ化物イオンおよびコバルトⅡ/ Ⅲイオンのうちの1つを含む液
体である、請求項1に記載の太陽電池。 前記第1の光吸収材料は、前記半導体ナノファイバーの伝導帯のエネルギー準位よりも高いエネ
ルギー準位を有し、前記第2の光吸収材料は、前記半導体ナノファイバーの伝導帯のエネルギー
準位よりも高いエネルギー準位を有する、請求項1に記載の太陽電池。第1の光吸収材料のエネ
ルギー準位。 前記第2の光吸収材料は、少なくとも5nmの厚さを有する、請求項1に記載の太陽電池。 前記第2の光吸収材料の厚さは、10nm~50nmの範囲にある、請求項11に記載の太陽電池。 前記第1の光吸収材料は、400nm~550nmの波長範囲の光波長を吸収し、前記第2の光吸収材料
は、550nm~700nmの波長範囲の光を吸収する、請求項1に記載の太陽電池。


図3aは薄いCuPcシェルを有するN719 / CuPc増感TiO 2ナノファイバー光アノードを用いたDSSCの正
孔移動プロセス図
図3bは、より厚いCuPcシェル保有N719 / CuPc増感TiO 2ナノファイバー光アノードを用いたDSSCの
ホール移動プロセス
図4は、CuPcの励起状態を消滅させる電解質の概略図と励起子濃度と、N719からN719に近づくまでの
距離との関係図


図5は、CuPc / TiO 2の光アノードを有するデバイスの光電流密度対電圧(J-V)特性のグラフ
図6aは、CuPcコーティングなしのTiOナノファイバーを示す。また、図6b、図6cおよび図6d
は、それぞれ20nm、30nmおよび40nmのCuPc堆積厚さを有するN719増感TiOナノファイバの図示
図7aは、CuPc層のコーティングの前にN719で増感されたTiOナノファイバの走査型電子顕微鏡(SE
M)画像写真
図7bは、コア-シェル構造の増感TiOナノファイバー上にCuPc層が堆積された後のTiOナノファイバ
ーのSEM画像写真
図7cは、CuPc層が増感されたTiO 2ナノファイバー上にシェル様構造で被覆された後のTiO 2ナノフ
ァイバーの透過型電子顕微鏡(TEM)画像写真


図8aは、N719 / TiO 2、CuPc / TiO 2、CuPc / N719 / TiO 2構造を有する光アノードの吸収スペクトル
図8bは、CuPc及びN719 / TiO 2の発光スペクトル
図9は、CuPc層を有するDSSCデバイスと、CuPc層を有するDSSCデバイスの光電流密度 - 電圧(J-V)
特性図
図10は、CuPc(30nm)を用いた場合と用いない場合のDSSCの波長に対するEQEを図。 30nmのCuPcによ
って引き起こされるEQE添加(ΔEQE)、およびTiO 2上のCuPcの対応する吸収スペクトル
図11図は、様々な厚さのCuPcを有するDSSC装置の光起電力特性を示す図――図11a:PCE対CuPcの様
々な厚さを示すグラフ。図11b:CuPcの種々の厚さに対するJ scを示すグラフ。図11c:CuPcの種々の
厚さに対するVocを示すグラフ。図11d:CuPcの種々の厚さに対するFFを示すグラフ
図12は、ナノ結晶TiO 2色素増感太陽電池の動作の一般原理図

※ その他の関連特許事例

✓ US9608159B2   Method of making a tandem solar cell having a germanium perovskite/germanium thin-film 
      ゲルマニウムペロブスカイト/ゲルマニウム薄膜を有するタンデム型太陽電池の製造方法
✓ US9653696B2    Tin perovskite/silicon thin-film tandem solar cell 
       錫ペロブスカイト/シリコン薄膜タンデム太陽電池


 

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』     

   33.目に見えないものと同じくらい、目に見えるものが好きだ

  それからしばらくのあいだ、私と秋川まりえは二人で外の鳥たちの聯りに耳を澄ませていた。
 窓の外には見事な秋晴れの空か広がっていた。そこには一筋の雲も見えなかった。私たちはそれ
 ぞれの内側で、それぞれの考えをとりとめもなく巡らせていた。

 「あの裏返しになっている絵は何なの?」と少し後でまりえが私に尋ねた。
  彼女が指さしているのは、白いスバル・フォレスターの男を描いた(描こうとしていた)油絵
 だった。私はそのキャンバスを見えないように、裏返しにして壁に立てかけておいたのだ。
 「描きかけの絵だよ。ある男の人を描こうとした。でも中断したままになっている」
 「見せてもらっていい?」
 「いいよ。まだ下絵の段階だけど」
  私はキャンバスを表向きにしてイーゼルに載せた。まりえは食堂椅子から立ち上がり、イーゼ
 ルの前にやってきて、腕組みをして正面からその絵を眺めた。絵を前にすると、彼女の目は再び
 鋭利な輝きを取り戻した。その唇はまっすぐ堅く結ばれた。
  絵は赤と緑と黒の絵の其だけで構成され、そこに描かれるはずの男は、まだ明確な輪郭を与え
 られていなかった。木炭で描かれた男の姿はもう絵の其の下に隠されている。彼はそれ以上の肉
 づけを拒絶し、色づけを拒否していた。しかしその男がそこにいることが私にはわかっていた。
 私は彼の存在の根幹をそこに捉えている。海中の網が姿の見えない魚を捕えているように。その
 引きずり出し方を私は見つけ出そうとし、相手はその試みを阻止しようとしていた。そんな押し
 引きの中で中断がもたらされたのだ。

 「ここで止まってしまった?」とまりえは尋ねた。
 「そうだよ。下絵の段階からどうしても先に進めなくなった」
  まりえは静かに言った。「でもこれでもう完成しているみたいに見える」
  私は彼女の隣に立ち、同じ視点からその絵をあらためて眺めた。彼女の目には闇の中に海んで
 いる男の姿が見えているのだろうか?
 「これ以上、この絵に手を加える必要はないということ?」と私は尋ねた。
 「うん。これはこのままでいいと思う」 

  私は小さく息を呑んだ。彼女が口にしたのは、白いスバル・フォレスターの男が私に向かって
 語りかけたのとほとんど同じ内容だったからだ。絵はこのままにしておけ、これ以上この絵に手
 を触れるんじやない。
 「どうしてそう思うの?」と私はまりえに重ねて尋ねた。
  まりえはしばらく返事をしなかった。またひとしきり集中して絵を眺めてから、腕組みをして
 いた両手をほどき、両方の頬にあてた。そこにある火照りを冷ますかのように。それから言った。
 「これはこのままでもう十分な力を持っている」
 「十分な力?」
 「そんな気がする」「それはあまり善くない種類の力なんだろうか?」
  まりえはそれには答えなかった。彼女の両手はまだ頬にあてられて
 「ここにいる男のひとのことを、先生はよく知っているの?」

  私は首を振った。「いや。実を言うと何も知らないんだ。少し前に一人で長い旅をしていると
 き、遠くの町でたまたま出会った人だ。口をきいたわけでもない。名前も知らない」
 「ここにあるのが善い力なのか、善くない力なのか、それはわからない。そのときによって善く
 なったり、悪くなったりするものかもしれない。ほら、見る角度によっていろいろちがって見え
 てくるものみたいに」
 「でもそれを絵の形にしない方がいいと君は思うんだね?」
  彼女は私の目を見た。「もし形にして、もしそれが善くないものだったとしたら、先生はどう
 するの? もしそれがこちらに手を伸ばしてきたとしたら?」

  たしかにそうだ、と私は思った。もしそれが善くないものだったとしたら、もしそれが悪その
 ものだったとしたら、そしてもしそれがこちらに手を伸ばしてきたとしたら、私はいったいどう
 すればいいのだろう?
  私は絵をイーゼルからおろし、裏返しにして元あった場所に戻した。その画面が視界から取り
 除かれたことで、それまでスタジオの中に張り詰めていた緊張が急にほどかれたような感触があ
 った。
  この絵をしっかりと梱包して、屋根裏にしまい込んでしまうべきなのかもしれない、と私は思
 った。ちょうど雨田典彦が『騎士団長殺し』を人目につかないようにそこに隠していたのと同じ
 ように。

 「じゃあ、君はあの絵についてはどう思う?」と私は壁にかかった雨田典彦の『騎士団長殺し』
 を指さして言った。
 「あの絵は好き」と秋川まりえは迷うことなく答えた。「誰のかいた絵なの?」
 「描いたのは雨田典彦。この家の持ち主だよ」
 「この絵は何かをうったえかけている。まるで鳥が挟い檻から外の世界に出たがっているみたい
 な、そんな感じがする」
  私は彼女の顔を見た。「鳥? それはいったいどんな鳥なんだろう?」
 「どんな鳥なのか、どんな檻なのか、わたしにはわからない。その姿かたちもよく見えない。た
 だそういうことを感じるだけ。この絵はわたしにはたぶん少しむずかしすぎるかもしれない」
 「君ばかりじゃない。たぷんぼくにもむずかしすぎる。でも君が言うように、作者には何かしら
 人々に訴えたいものごとがあり、その強い思いをこの両面に託している。ぼくもそう感じる。で
 も彼がいったい何を訴えようとしているのか、それがどうしても理解できない」
 「だれかがだれかを殺している。強い気持ちを持って」
 「そのとおりだ。若い男は決意のもとに、相手の胸を剣でしっかり刺し貫いている。その一方で
 殺される方は、自分か殺されかけていることにただただ驚いているみたいだ。まわりの人々はそ
 の成り行きに息を呑んでいる」
 「正しい人殺しというものはあるの?」

  私はそれについて考えた。「わからないな。何か正しいか正しくないかというのは、基準の選
 び方で追ってくるからね。たとえば死刑を、社会的に正しい人殺しだと考える人は世間にたくさ
 んいる」

  あるいは暗殺を、と私は思った。

  まりえは少し間を置いてから言った。「でもこの絵は、ひとが殺されかけて、たくさんの血が
 流されているのに、ヒトを暗い気持ちにさせない。この絵はわたしをどこか別のところにつれて
 いこうとしている。正しいとか正しくないとか、そういうキジュンとは違う場所に」

  その日結局、私は一度も絵筆を手に取らなかった。明るいスタジオの中で、秋川まりえと二人
 でとりとめなく話をしただけだった。私は話をしながら、彼女の顔の表情の変化や、様々な仕草
 をひとつひとつ脳裏に取り込んでいった。そのような記憶のストックが私の描くべき結の、いわ
 ば血肉となる。

 「今日は先生は何も描かなかった」とまりえは言った。
 「そういう日もある」と私は言った。「時間が奪っていくものもあれば、時間が与えてくれるも
 のもある。時間を味方につけることが大事な仕事になる」
  彼女は何も言わず、ただ私の目を見ていた。窓ガラスに顔をつけて、家の中をのぞき込むみた
 いに。時間の意味について考えているのだ。

 「正しい人殺しというものはあるの?」のまりえの鋭い言葉が脳の最深部に浸潤するかのようにわたしを貫い
たところで、今夜はここで中断する。 

                                      この項つづく

 

 Carmen Maki

 

   時には母のない子のように
   だまって海をみつめていたい
   時には母のない子のように
   ひとりで旅に出てみたい
   だけと心はすくかわる
   母のない子になったなら
   だれにも屍を話せない
   時には母のない子のよう
   長い手紙を書いてみたい
   時には母のない子のよう
   大きな声で叫んでみたい
   だけと心はすくかわる
   母のない子になったなら
   だれにも屍を話せない
   時には母のない子のよう
   時には母のない子のように


                         時には母のないこのように

                        作詞  寺山 修司
                        作曲  田中未 知
                                                 唄  カルメンーマキ




   野に咲く花の名前は知らない
   だけども野に咲く花が好き
   ぼうしにいっぱいつみゆけば
   なぜか涙が 涙が出るの

   戦争の日を何も知らない
   だけど私に父はいない
   父を想えば あヽ荒野に
   赤い夕陽が夕陽が沈む

   いくさで死んだ悲しい父さん
   私はあなたの娘です
   二十年後のこの故郷で
   明日お嫁にお嫁に行くの

   見ていて下さいはるかな父さん
   いわし雲とぶ空の下
   いくさ知らずに二十才になって
   嫁いで母に母になるの  
                    

                        戦争は知らない 

                        作詞   寺山 修司
                         作曲   加藤 ヒロシ
                                                 唄   フォーククルセダーズ

  ● 今夜のアラカルト

茹アスパラガスのローストクルミ添え

 


文書と是正の法担保

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。

       ※ 懐と安とは、実に名を敗る:次に一行は斉の国に着いた。
         斉の桓公は、一族の娘、姜氏(きょうし)を垂耳に嫁がせ
         るとともに、馬八十頭を贈ってもてなした。垂耳は毎日の
         暮しにすっかり満足し、いつまでたっても斉を離れようと
         しない。お付きの者たちは公子の将来を案じ、なんとか出
         発させようと、桑の木の下に集まり、対策を練った。とこ
         ろが、ちょうどその木には、桑摘みの女が登っていた。女
         はこの相談を盗み聞きし、姜氏にご注進に及んだ。すると
         姜氏はその女を殺し、垂耳に向って言った。「あなたは天
         下をめざす大事な身です。あなたの未来の計画を盗み聞き
         した者がありましたので、わたしか殺しました。どうぞ、
                  ご安心ください」「いや、わたしにはそんな大望などさら
                  さらない」「そんなことでどうなさいます。どうかご出発
                  なさってください。日々の暮しに謁足し、安逸を貪ってい
         たのでは、せっかくの功名を取りにがします」 だが、公
         子はいっこうに聞き入れるようすもない。やむなく姜氏は
         子犯としめし合わせて、公子に酒を飲ませ、酔いつぶれた
         ところを車にかつぎこんで、強引に出発させた。垂耳は目
         を醒ましてから、だまされたと知り、戈(ほこ)をとって
         子犯を追いまわした。だが、いまさら引きかえすわけにも
         いかない。 

           ※ 「懐(かい)と安(あん)とは、実(じつ)に名(な)を
         敗(やぶ)る」/懐与安、実敗名。

 

  

 No.28

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  


● 四国で太陽光が電力需要の66%に

四国で4月23日の12〜13時に、一時的に太陽光発電の出力が電力需要の66%まで増加した。四国電力
は火力や水力で需給調整を行ったが、今後も太陽光発電は増加する見込みだ。近い将来、出力制御が
行われる可能性が高まっているという(スマートジャパン 2017.05.30)。

それによると、四国電力管内で太陽光発電が増加し、電力の一時需要に占める割合が高くなる。2017
年4月23日の12~13時の間に、太陽光発電の最大出力は161万kWを記録。これは同時刻の電力需要
全体の66%に相当する。今後も太陽光発電の接続量は増加する見込みで、近い将来出力制御が行わ
れる可能性が高まってる。と、のこと。2012年7月に「再生可能エネルギーの固定買取価格」(FIT)
が始まって以降、四国電力管内でも太陽光発電の導入が急速に広がった。2017年4月時点における系
統への接続量は2210万kWで、接続契約の申込済み分が78万kW残っている状況。

太陽光発電の発電量は、日射時間が長く、気温があまり高くない春頃に最も高くなるる。この時期
はエアコンなどの稼働が少ないため、電力需要は比較的小さくなる傾向にあり、全体の電力需要に対
し、太陽光発電の占める割合が高くなりやすく、2017年の春に四国電力管内で最も太陽光の割合が高
まったのが、4月23日の12~13時。この日、四国電力は火力電源を制御するだけでなく、揚水発電所
の揚水運転、さらに連系線を活用した広域的な系統運用により需給バランスの維持し、電力の安定供
給を確保する(詳細は下図ダブクリ参照)。

● 出力制限の必要性

 Nov. 25, 2017

● 再エネにエネルギー貯蔵設備併設の波

四国電力はこうした太陽光発電設備の導入拡大を見越し、電力需要の変動に応じて稼働中の電源に対
する出力制御の条件や順番を定めた「優先給電ルール」に関するリリースを2016年12月に発表し、今
年5月24日、再エネの最大限の活用を図っていく観点からさまざまな手段を駆使し、需給バランスの維
持に努める方針だが、電力の品質維持を含め、電力の安定供給を最大の使命として考えていく立場か
らは、太陽光発電など天候に左右される再生可能エネルギーの導入には、一定の限界がある。と、佐
伯勇人四国電力の社長)とし出力制御に備える。そこで遡上するのが、風力・太陽光エネルギーの蓄
電システム併置の促進あるいは義務化である。ここに、新たな事業プラットフォームが存在する。

 May 24, 2017

● 再エネ産業、世界で980万人雇用、太陽光が最多の310万人

5月24日、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)は、世界全体の再生可能エネルギー産業における雇用
が2016年の時点で980万人以上まで増加したことを公表(詳細上図ダブクリ参照――同機関が第13回
会合で公開した調査報告書「Renewable Energy and Jobs – Annual Review 2017」によるもの)。

それによると、下落するコストと政策による支援が、世界中の再エネにおける投資と雇用を着実に押
し上げている。例えば、この過去4年間で太陽光と風力を合わせると、創出された雇用は倍以上に増
加した(アドナン・アミンIRENA事務総長)。再エネの導入が今後も継続的に進められれば、再エネ
分野の労働者数は2030年までに2400万人に達する可能性もある。なお、この数字は、化石燃料分野で
失われる雇用を補って余りあり、再エネは世界中で経済の主要な推進力になる予測する。

エネルギー別では、昨年に引き続き2016年も太陽光が最多で、前の年に比べ12%増/310万人の雇用
を占める)。太陽光の雇用は主に中国、米国、インドが占めており、米国では2015年に比べ24.5%
増となる26万人が太陽光発電に関連する仕事に従事。この伸び率は、全米の全体的な雇用の伸び率
の17倍以上となる。



● 英国で太陽光発電量が25%を記録

5月26日、英国の太陽電池の発電量は、需要のほぼ25%を記録する。ロンドン時間正午に、8.75
ギガワットが発電され、これまでの8.49ギガワットを破り、原子力発電量を超える。ポール・バル
ウェル英国ソーラートレード協会(STA)最高経営責任者は声明で、同日正午頃に8.75GWが太陽光発電
で発生し、英国の総需要の約25%を供給したことを喜び、太陽光発電が原子力発電以上の発電をした
のは天然ガス発電に次ぐ初めて。英国全土に現在12.1ギガワットの太陽光発電設備が設置されてい
るが、わずか5年で大きなな成果。英国エネルギー部門の脱炭素化において太陽光が強い地位を築い
たと話す。

 May 26, 2017

● 米 スリーマイル島原発 採算性悪化から閉鎖

5月31日、38年前にアメリカ史上最悪の原発事故が起きたスリーマイル島原子力発電所で、事故
を起こしたのとは別の原子炉の運転が、採算性の悪化から再来年に停止され、発電所自体が閉鎖され
る見通し。米国東部、ペンシルベニア州にあるスリーマイル島原発では、1979年に2号機で核燃料が
溶け落ちるメルトダウンが起き、放射性物質が漏れ出す米国史上最悪の原発事故があり、その後、2
号機では廃炉に向けた作業が行われていたが、1号機は運転を継続。原発運営会社によると、1974年
に運転を開始したスリーマイル島原発1号機は、2034年まで運転が免許されているものの、競合する
天然ガスなどのエネルギー価格低下が続き、政府支援もなく、採算性悪化し、運転維持できなくなり
2019年9月末をめどに運転を停止し廃炉する。これにより、スリーマイル島原発は閉鎖される見通し。

 May 31, 2016

 May 27, 2017

【英国で独占販売 史上最強のグラフェンペイント登場】

● グラフェン社 - グラフェンストーン塗料独占販売

純粋な炭素を原料とするグラフェンは、現在科学に知られている最も強い物質。 2004年、マンチェス
ター大学で2人のノーベル賞受賞者により発見される。不活性、無害、無毒の純粋なグラフェンは、
建材塗料として、硬度、耐久性、圧縮性、引張り強さ、弾力性、適用範囲を大幅に向上させる。また、
材料の軽量化、材料消費量、メンテナンス、人員およびコストの大幅な節約を実現する。屋内/屋外
の新築または修復に利用可能な、持続可能性をもち、環境に優しく、千色以上の塗料を製造するこの
塗料は、大規模および小規模建設、再建築および修復用途で目を見張るような長期的な価値を生み出
す。グラフェンストーンはすでに業界の称賛と多数の認定を取得している。医療、教育などの衛生環
境、地球温暖化による気候変動による劣悪な環境変化にも対応する。

グラフェン繊維は、グラフェンストーン塗料内に完全に封入された透明なナノレベルメッシュを形成。
非常に不活性で耐腐食性があり、構造用鋼より200倍強度で、銅よりも千倍もの導電性をもつ。一
般的な塗装と比較して損傷がなく、大きな柔軟性をもつ。グラフェンメッシュは、グラフェンストー
ン塗料の天然ミネラル成分を支持し、強固で一貫したフレキシブルフレームとして機能、最高の耐久
性を発揮する。グラフェンはまた、平均で1リットルあたり8平方メートル塗料面積供給、またメン
テナンスと省力化できるだけでなく工事短縮も実現。グラフェンは断熱材料で、塗料は建物の温度調
節などの改善、冷暖房の省エネに効果を発揮する。

また、グラフェンストーンペイントは、カーボンニュートラルな天然石灰石由来し、生石灰(酸化カ
ルシウム)と天然水から98%以上の白色度をもつ消石灰えお生成。グラフェンストーン塗料中の水
酸化カルシウムが硬化する際に二酸化炭素を吸収、天然石灰と同じ不活性な炭酸カルシウムに戻る。
グラフェンストーンの石灰とグラフェンの塗膜の多孔性は、壁呼吸で、室内の湿度を低下、除湿と結
露を防ぎ、安全で健康的な環境を提供する。さらに、微生物/細菌類の増殖は、石灰の高いアルカリ
性と塗料の換気特性により抑制され、屋内の臭気や生物・化学的な汚染物質によるアレルゲン発生を
抑制する。このように、グラフェンの驚異的な素材が発揮され、グラフェンストーンの塗料、被覆材
はグラフェンの最初の用途の一つであり、持続可能で健康的な環境に貢献するだけでなく、装飾、改
装、建築設計、建築事業に効果的な付加価値を提供できる。

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日本でも安全性が確認されれば、グラフェン塗料は半端なく普及していくでしょう。これは楽しみだ。

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』     

   33.目に見えないものと同じくらい、目に見えるものが好きだ

    十二時になっていつものチャイムが聞こえると、私とまりえは二人でスタジオを出て居間に移
 動した。ソファの上では、黒総の眼鏡をかけた秋川笠子が厚い文庫本を読みふけっていた。呼吸
  の気配さえうかがえないほど集中して。
 「何の本を読んでおられるのですか?」と私は我慢しきれずに尋ねた。
 「実を言うと、私にはジンクスみたいなのがあるんです」、彼女はにっこり笑って栞をはさみ、
 本を閉じた。「読んでいる本の題名を誰かに教えると、なぜかその本を最後まで読み切ることが
 できないんです。だいたいいつも思いもかけない何かが起こって、途中で読めなくなってしまう。
 不思議だけど、本当にそうなんです。だから読んでいる本の題名は誰にも教えないことに決めて
 います。読み終えたら、そのときには喜んで教えて差し上げますけど」
 「もちろん読み終えてからでけっこうです。とても熱心に読んでいらっしやるので、何の本だろ
 うと興味を惹かれただけです」
 「とても面白い本です。いったん読み出すと止まらなくなってしまいます。だからここに来ると
 きだけ読むように決めています。そうすれば二時間くらいすぐに経ってしまいますから」
 「叔母さんはとてもたくさん本を読んでいるの」とまりえが言った。
 「ほかにあまりやることもありませんし、本を読かのが今の私の生活の中心みたいなものですか
 ら」と叔母は言った。
 「お仕事はなさってないのですか?」と私は尋ねた。

  彼女は眼鏡をとって、眉開によったしわを指で仲ばしながら言った。「だいたい週に一度、地
 元の図書館のボランティアをしているだけです。その前は都内にある私立の医大に勤めていまし
 た。そこで学長の秘書をしていたんです。でもここに越してきたときに仕事をやめました」 
 「まりえさんのお母さんが亡くなったとき、こちらに越してこられたのですね?」
 「そのときは、ただ一時的に同居するつもりだったんです。ものごとが一段落するまでという感
 じで。でも実際に来てみて、まりちゃんと一緒に生活するようになると、簡単には出て行けなく
 なってしまいました。それからずっとここに往んでいます。もちろん兄が再婚でもすれば、すぐ
 にでも東京に戻りますが」
 「そのときは私も一緒に出ていくと思う」とまりえは言った。
  秋川笙子は社交的な笑みを浮かべただけで、それについては発言を控えた。
 「もしよかったら、食事でもしていきませんか?」と私は二人に尋ねた。「サラダとパスタくら
 いなら簡単につくれます」

  秋川笙子はもちろん遠慮したが、まりえは三人で昼食をとることに深く興味を持ったようだっ
 た。
 「いいでしょ? どうせうちに帰っても、お父さんはいないんだから」
 「ほんとに簡単な食事です。ソースはたくさんこしらえてありますから、一人分つくるの亘二人
 分つくるのも、手間として変わりはありません」と私は言った。
 「本当によろしいんですか?」と秋川玉子は疑わしげに言った。
 「もちろん。気にしないでください。ぼくはいつもここで一人で食事をしています。一日三食、
 一人で食べています。たまには誰かと食事を共にしたい」
  まりえは叔母の顔を見た。
 「それでは、お言葉に甘えて遠慮なく」と秋川笙子は言った。「でも本当にご迷惑じやないんで
 すか?」
 「ちっとも」と私は言った。「どうか気楽にしてください」

  そして我々は三人で食堂に移った。二人はテーブルの前に腰掛け、私は台所で揚を沸かし、ア
 スパラガスとベーコンでつくったソースをソースパンであたため、レタスとトマトと夕了不ギと
 ピーマンのサラダをつくった。揚が沸くとパスタを茄でて、そのあいだにパセリをみじん切りに
 した。冷蔵庫からアイスティーを出して、グラスに往いだ。二人の女性は私が台所できびきびと
 働く姿を珍しそうに眺めていた。何か手伝うことはないかと秋川笙子は尋ねた。手伝ってもらう
 ほどのことはないから、そこにおとなしく座っていてください、と私は言った。

 「とても手慣れていらっしやるんですね」と彼女は感心したように言った。
 「日々やっていることですから」

  私にとって料理をつくるのは苦痛ではない。昔から変わらず手仕事が好きだった。料理をつく
 ったり、簡単な大工仕事をしたり、自転車の修理をしたり、庭仕事をしたり。不得意とするのは
 抽象的に数学的に思考することだ。将棋やチェスやパズル、そのような類の知的遊戯は私のシン
 プルな頭脳を痛めつける。
  それからテーブルに向かって、我々は食事を始めた。晴天の秋の日曜日の気楽な昼食だ。そし
 て秋川笙子は食卓を共に囲かには理想的な相手だった。話題が豊富で、ユーモアを解し、知的で
 社交性に富んでいた。テーブルマナーは美しく、それでいて気取ったところはなかった。いかに
 も上品な家庭で育ち、金のかかる学校に通った女性だった。まりえの方はほとんど口をきかず、
 おしやべりは叔母に任せて、食べることに意識を集中していた。秋川笙子はあとでソースのレシ
 ピを教えてほしいと言った。

  我々が食事をおおかた終えたころに、玄関のベルが明るい音色で鳴った。そのベルを鳴らして
 いるのが誰なのか推測するのは、私にとってそれほどむずかしいことではなかった。少し前に、
 あのジャガーの野太いエンジン音が微かに聞こえたような気がしていたからだ。その音――それ
 はトヨタ・プリウスのもの静かなエンジン音とは対極に位置している――は私の意識と無意識の
 あいだにある薄い層のどこかに届いていた。だからベルが鳴ったのは決して「青天の霹靂」とい
 うわけではなかった。
 「失礼」と言って私は席を立ち、ナプキンを下に置き、二人をあとに残して玄関に向かった。こ
 れからどんなことが持ち上がるのか、予測もつかないままに。




    34.そういえば最近、空気圧を測ったことがなかった

  玄関のドアを開けると、そこに免色が立っていた。
  彼は白いボタンダウン・シャツの上に、細かい上品な柄の入ったウールのヴェスト、青みがか
 ったグレーのツイードのジャケットを着ていた。談い辛子色のチノパンツに、茶色のスエードの
 靴を履いていた。例のごとく、すべての衣服が心地よさそうに彼に着こなされていた。豊かな白
 い髪が秋の陽光に光り、背後に銀色のジャガーが見えた。その隣にはブルーのトョタ・プリウス
 が駐まっていた。その二台が隣り合って並ぶと、歯並びの悪い人が口を開けて笑っているみたい
 に見えた。

  私は何も言わずに免色を中に招き入れた。彼の顔は緊張のためにこわばっているように見えた。
 それは私に、塗ったばかりの生乾きの漆喰壁を連想させた。免色がそんな表情を浮かべているの
 を目にするのはもちろん初めてのことだった。彼はいつだって冷静に自己を抑制し、感情をでき
 るだけ表に出さないように努めていたからだ。真っ暗な穴の底に一時間閉じ込められたあとでも、
 顔色はまるで変わらなかった。しかし今、彼の顔はほとんど蒼白に近かった。
 「人ってもかまわないのでしょうか?」と披は言った。
 「もちろん」と私は言った。「今、食事をしているところですが、もうほとんど終わりかけてい
 ます。どうぞ入ってください」
 「しかし、食事を邪魔するようなことはしたくないので」と彼は言って、ほとんど反射的に腕時
 計に目をやった。そして意味もなく長いあいだ時計の針をにらんでいた。まるで針の動き方に異
 論でもあるみたいに。

  私は言った。「食事はすぐ済みます。簡単な食事なんです。あとで一緒にコーヒーでも飲みま
 しょう。居間で待っていてください。そこで二人にあなたを紹介します」
  免色は首を振った。「いや、紹介されるのはまだ早すぎるかもしれません。二人とも既にここ
 を引き上げていると思って、それでお宅にうかがったんです。紹介されようと思って来たわけじ
 やありません。しかし見ると、お宅の前に見たことのない車が駐まっていたものですから、それ
 でどうすればいいかわからなくなって――」

 「ちょうど良い機会です」と私は相手の言葉を遮るようにして言った。Tっまく自然にやります。
 ぼくに任せてください」

  免色は肯いて靴を脱ぎにかかった。しかしなぜか靴の脱ぎ方がよくわからないようだった。私
 は彼がなんとか両方の靴を説ぎ終えるのを待って、居間に案内した。前にも何度かその居間に来
 たことはあるというのに、彼はまるで生まれて初めて目にするみたいに、その部屋を珍しそうに
 見回した。

 「ここで待っていてください」と私は彼に言った。そしてその肩に軽く手を置いた。「そこに座
 って、どうか楽にしていてください。十分ちかからないと思います」

  私は免色を一人でそこに残して――なんとなく不安な気持ちはあったのだが――食堂に戻った。
 私かいない間に二人は既に食事を終えていた。フオークが皿の上に置かれていた。

 「お客様がお見えなのですか?」と秋川里子が心配そうに私に尋ねた。
 「ええ、でも大丈夫です。近所に往んでいる親しい人がふらりと立ち寄っただけです。居間で待
 ってもらっています。気の置けない人ですから、気にする必要はありません。ぼくは食事を済ま
 せてしまいます」

  そして私は少しだけ残っていた料理を食べ終えた。女性たちがテーブルの食器を片付けてくれ
 ているあいだ、私はコーヒーメーカ1―でコーヒーをつくった。

 「居間に移って一緒にコーヒーでも飲みませんか?」と私は秋川里子に言った。
 「でも、お客様がいらっしやっているのに、私たちはお邪魔ではありませんか?」

  私は首を振った。「そんなことはまったくありません。これも何かのご縁ですから、ちょっと
 ご紹介しておきます。ご近所といっても、谷を挟んだ向かい側の山の上に住んでいる人ですから、
 秋川さんはおそらくご存じないと思いますが」
 「なんというお名前の方なのでしょう?」
 「メンシキさんといいます。免許証の免に、色合いの色です。色を免れる」
 「珍しいお名前ですね」と秋川玉子は言った。「メンシキさん、そういうお名前を耳にするのは
 初めてです。たしかに谷間を挟むと、住所が近くてもまず行き来みたいなものはありませんか
 ら」

  我々は盆に四人分のコーヒーと砂糖とクリームを載せ、それを持って居間に移勤した。居間に
 入っていちばん驚いたのは、免色の姿が見当たらないことだった。居間は無人だった。テラスに
 も彼の姿はなかった。洗面所に行ったのでもないようだ。

 「どこに行ったんだろう?」と私は誰に言うともなく言った。
 「ここにいらっしやったんですか?」と秋川笠子が尋ねた。
 「ついさっきまでは」

  玄関に行ってみたが、そこには彼のスエードの靴はなかった。私はサンダルを履いて玄関のド
 アを開けてみた。銀色のジャガーはさっきと同じ場所に駐まっていた。とすると、家に帰ってし
 まったわけではないようだ。車のガラスは陽光を受けて眩しく光り、中に誰かいるのかどうか見
 定められなかった。私は車の方に歩いて行った。免色はジャガーの運転席に座り、何かを求めて
 あちこちを探しているようだった。私は窓ガラスを軽くノックした。免色は窓ガラスを下ろし、
 困ったような顔で私を見上げた。

 「どうかしたんですか、免色さん?」
 「タイヤの空気圧を測ろうと思ったんですが、なぜか空気圧計がみつからなくて。いつもコンパ
 ートメントに入れてあったはずなのですが」
 「それは今ここで急いでやらなくちやならないことなんですか?」
 「いいえ、そういうのでもありません。ただあそこで座っていたら、空気圧のことが急に気にな
 ったんです。そういえば最近、空気圧を側ったことがなかったなと」
 「とくにタイヤの具合がおかしいというわけではないのですね?」
 「いいえ、タイヤの具合は別におかしくありません。普通です」
 「だったら空気圧のことほとりあえずあとにして、居間に戻りませんか? コーヒーをいれまし
 た。二人が待っていますよ」
 「待っている?」と免色は乾いた声で言った。「私を待っているのですか?」
 「ええ、あなたを紹介すると言ったんです」
 「困ったな」と彼は言った。
 「どうして?」
 「まだ紹介される準備ができていないからです。心の準備みたいなものが」

  彼は燃えさかるビルの十六階の窓から、コースターくらいにしか見えない救助マットめがけて
 飛び降りろと言われている人のように、怯えて困惑した目をしていた。
 「来た方がいいです」と私はきっぱりとした声で言った。「さあ、とても簡単なことですから」
 免色は何も言わずに肯いてシートから立ち上がり、外に出て車のドアを閉めた。ドアをロック
 しようとしてから、そんな必要もないことに気がついて(誰も来ない山の上なのだ)、キーをチ
 ノパンツのポケットに入れた。

                                     この項つづく

  ● 今夜のアラカルト

ディルソースのグリルアスパラと燻製虹鱒、

✪ 文書と是正の法担保

森友学園、加計学園なんだしらないが、中央行政符の内部文文書をめぐり紛糾しているようだ。わたしたちも
国際標準化機構(International Organization for Standardization)、略称 ISO(アイエスオー)――国際
的な標準である国際規格を策定するための非政府組織――の標準化活動に加わってきたこともあり、
アイエスオーをウソと揶揄されるされるほどかその成果に懐疑的な根本問題を抱えていることを知っ
ているが、工業製品や技術から、食品安全、農業、医療までの全ての分野をカバーし今や広く定着し
ている。要するに非営利・営利をとわず各々の事業・組織の活動の品質を担保し、スパイラルアップ
やブラシュアップ(目標達成のための)エンジンとして、効率・非効率であるかは別にして「文書管
理」は欠かせない手法であることは認める。中央行政ならなおさらのこと厳格にしなければ、「法治
の肝」は紊乱する。極秘事項であればなおのこと時の権力により犯されてしまうことは「ロッキード
事件」事件でも明らかである。即応公開できなければ、非公開時限解除期間を文書化しておかなけれ
ばならない。たとえ、ティシュペーパーに残された記録であったとしても公益と関係するものであれ
ば残さなければならない。それをごまかすのは自らの品質を貶め、民主主義の肝に唾するごとき所行
である。                                 

南極が溶ける。

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。 

       ※ 非 礼:一行は曹国に着いた。曹の共公(きょうこう)は、
         かねてうわさに聞く垂耳の一枚肋自分の眼でたしかめたく
         なり、垂耳が浴みしているところをすだれ越しに覗き見た。
         曹に僖負羈(きふき)という大夫がいた。かれの妻は、こ
         の出来事を聞くと、夫に向って言った。「百の公子のお付
         きの方たちを見ますに、どなたも一国の宰相にふさわしい
         方ばかりです。あの方仁ちが公子をもりたててゆく限り、
         公子はきっと本国にお帰りになれましょう。やがては諸侯
         を抑えて覇者となられるにちがいありません。そして諸侯
         をひきいて、むかし自分に無礼をはたらいた国々を討伐な
         さるでしょう。そうなったとき、まっさきに槍玉にあげら
         れるのは、これはどの無礼をはたらいたわが国です。いま
         のうちに、誼みを通じておいたほうがよいと思います」僖
         負羈はさっそく垂耳に贈り物をしようとした。人目を避け
         るため、料理を器に盛り、その中に璧(たま)を入れて垂
         耳のもとを訪れた。垂耳は料理だけを感謝して受けとり、
         璧は返した。

       ★ 璧を返す:後世、人の贈物を返すことを「反璧」(はんぺ
         き)というのは、この故事にもとづく。 

 

    

  みちびき2号が変える未来

 No.29

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

● 「世界初」可視光で実現 水と太陽光で水素製造

5月29日、大阪大学産業科学研究所の真嶋哲朗教授らの研究グループは、黒リンを用いた光触媒を
開発。この光触媒を使用すると可視光・近赤外光の照射によっても、水から水素生成が効率よく起こ
ることを世界で初めて創製。従来の光触媒では、太陽光の3~4%にすぎない紫外光を利用するため、
水から水素への太陽光エネルギー変換効率は低いという問題があった。今回、同研究グループは、紫
外・可視光のみならず近赤外光にも強い吸収をもつ層状の黒リンと、層状のチタン酸ランタン(La2
Ti2O7)を数層の超薄膜とし、これらとナノメートルのサイズの可視光にも吸収をもつ金ナノ粒子と
の三成分からなる複合体を合成。この複合体の黒リンが可視光・近赤外光に応答する光増感剤として
働き、また、金ナノ粒子が可視光に応答する光増感剤として働き、励起電子がチタン酸ランタンに移
動し、プロトンの還元により水から効率よく水素生成する。新しく開発した黒リン、金ナノ粒子、チ
タン酸ランタンの複合体を光触媒として使用することで、太陽光からの広帯域波長光を利用し、水か
らの水素製造が実現する。

複雑な化合物ですが、耐久性・量産性を判断するにはもう少し要注目。

 May 29, 2017

※ 黒リン:リンには、白リン(黄リン)・赤リン・紫リン・黒リンなどの同素体が存在する。黒リ
  ンは層状構造で、紫外、可視、近赤外光領域に幅広い吸収をもつ。

※  Au/La2Ti2O7 Nanostructures Sensitized with Black Phosphorus for Plasmon-Enhanced, First published: 12
    January 2017,  DOI:10.1002/anie .201612315.



【南極が溶ける】

 ● 離脱目前の南極の巨大氷床

6月1日、南極の棚氷(あるいは氷棚)の崩壊により、ここ1、2日のうちに最大級の氷山を作り出
すだろうと科学者たちは話す。5月の最後の6日間で、氷の淵から13キロに位置するラーセンC棚
氷の裂け目は17キロメートルに広がり、最近までの裂溝は棚氷の淵に平行に走っていたが裂け目の
方向性が変化。裂け目先端部は氷の表面に向かって大きく変化していことから、ここ1、2日後に氷
山が誕生するだろうが、それを防ぐ手だてはない。さらに、裂け目の方向転換と氷山の大きさから棚
氷全体が崩壊する可能性もあるとし、この氷山の分裂は、劇的で先駆的な現象であると懸念する。棚
氷が崩壊すると、氷河からの氷が、海面まで急速に流れだし海面上昇させる。これは、棚氷のラーセ
ンCに隣接する棚氷であるラーセンBが、2002年に棚氷から離氷し、数百万個に粉砕した事例から推
測されるとのこと。この氷山の大きさは米国デラウェア州に匹敵する約5千平方キロメートルで、こ
れまでに記録された最大の氷山となる(CNN 2017.06.01)。

 June 1, 2017

ラーセンCが裂け氷山をつくるとその面積の10%以上を失うことになり、南極半島の景観を根本的
に変化し、
その結果、氷河は加速し速く流れ、棚氷の崩壊がますます大きくなる。これらの要因は、亀裂の発達
を加速し氷山形成で失われた氷の再成長を低下させる。大きな棚氷を不安定化させないためにも二酸
化炭素排出削減する必要があり、何百万人も何百万人もの人々に影響を及ぼす潜在的な海面変動が起
こると科学者らは指摘する。



 About Project MIDAS 

 

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

   34.そういえば最近、空気圧を測ったことがなかった

  居間に入ると、秋川章子とまりえは二人でソファに腰掛けて私たちを待っていた。我々が入っ
 ていくと、二人は礼儀正しくソファから立ち上がった。私は披女たちに簡単に免色を紹介した。
 ごく当たり前の日常的な人の営みとして。
 「免色さんにも絵のモデルになってもらったことかあります。肖像画を描かせていただきました。
 たまたまご近所に往んでおられたので、以来おつきあいがあります」 
 「向かい側の山の上にお往まいとうかがっていますが」と秋川里子が尋ねた。
  家の話が出ると、免色の顔は目に見えて蒼白になった。「ええ、何年か前から往んでいます。
 何年になるかな。えーと、三年でしたっけ。それとも四年になるかな?」

  彼は問いかけるように私の顔を見たが、私は何も言わなかった。
 「ここからお宅が見えるのですか?」と秋川笙子が尋ねた。
 「ええ、見えます」と免色は言った。それからすぐに言い添えた。「でもそんな大した家じやあ
 りません。山の上のひどく便の悪いところですし」
 「不便なことにかけてはうちだって同じようなものです」と秋川里子は愛想良く言った。「買い
 物ひとつにしたって一仕事ですから。携帯電話の電波も、ラジオの放送もうまく入りません。そ
 れになにしろ急な坂なので、雪が積もるとつるつる滑って、怖くて車を出すこともできません。
 まあそれほど雪が積もったことって、ありかたいことに五年くらい前にコ伎あっただけですが」
 「ええ、このあたりはほとんど雪は降りませんから」と免色が言った。「海からの暖かい風のお
 かげです。海の力というのは大きいんです。つまり――」



 「いずれにせよ、冬場に雪が積もらないのはありかたいですね」と私は口をはさんだ。放ってお
 いたら太平洋の暖流の仕組みまでいちいち説明しかねないような、切羽詰まった雰囲気が免色に
 はうかがえたからだ。
  秋川まりえは叔母の顔と免色の顔を交互に見比べていた。免色に対してはとくにこれという定
 まった感想は抱いていないようだった。免色はまりえの方にはまったく目をやらず、じっと叔母
 の顔ばかり見ていた。まるで彼女の顔だちに、個人的に心を激しく惹きつけられたみたいに。

  私は免色に言った。「実は今、こちらのまりえさんの絵を描かせてもらっているんです。モデ
 ルになってもらいたいとお願いして」
 「それで私が毎週、日曜日の朝に車でここまで送ってきているんです」と秋川里子が言った。
 「距離からすれば、うちからすぐ日と鼻の先なんですが、道路の関係でかなり回り道をしないと
 ここまで米られないものですから」

  免色はようやく秋川まりえの願を正面から見た。しかしその両目は、彼女の願の周辺のどこか
 に定着できる場所を見いだそうと、落ち着きのない冬の蝿のようにせわしなく動き回っていた。
 しかしそんな場所はとこにも見つけられないようだった。
  私は助け船を出すように、スケッチブックを持ち出して彼に見せた。「これがこれまでに描い
 た彼女のデッサンです。まだデッサンを終えたばかりの段階で、本当の絵には取りかかっていな
 いんですが」

  免色は長いあいだ、食い入るようにその三枚のデッサンを見つめていた。まりえ白身を見るよ
 りは、彼女を描いたデッサンを見ることの方が、彼にとってはずっと意味深いことであるみたい
 に。しかしもちろんそんなはずはない。彼はまりえを正面から注視することができないだけなの
 だ。デッサンはあくまでその代替物に過ぎない。実物のまりえのすぐ近くに寄ったのはこれが初
 めてなので、気持ちの整理がまだうまくつかないのだろう。秋川まりえは免色のそんなとりとめ
 のない顔の動きを、まるで珍しい動物でも観察するみたいに眺めていた。

 「素晴らしい」と免色は言った。そして秋川笙子の方を見て言った。「どのデッサンもすごく生
 き生きとしている。雰囲気がよく捉えられている」 
 「ええ、私もそう思います」と叔母はにこやかに言った。
 「でも、まりえさんはずいぶんむずかしいモデルです」と私は免色に言った。「絵にするのが簡
 単じゃない。顔つきが刻々変化していくので、その中心にあるものを把握するのに時間がかかり
 ます。だからまだ実際の絵に取りかかることができずにいます」
 「むずかしい?」と免色が言った。目を細め、眩しいものでも見るみたいにあらためてまりえの
 顔を見た。
  私は言った。「その三枚のデッサンは、それぞれずいぶん表情が違っているはずです。そして
 ちょっとした表情の変化で、全休の雰囲気ががらりと違ってきます。一枚の絵に定めて彼女を描
 くには表面的な変化ではなく、その中心に存在するものをつかまえなくてはなりません。それが
 できないと、全休のほんの一面しか表現できなくなってしまいます」
 「なるほど」と免色は感心したように言った。そしてその三枚のデッサンと、まりえの顔を彼は
  何度も見比べていた。そうするうちに、それまで蒼白だった彼の顔に徐々に赤みが差してきた。
 その赤みは最初は小さな点のようだったが、それがピンポン球くらいの大きさになり、野球のボ
 ールくらいの大きさになり、やがては顔全体に広がっていった。まりえはその顔色の変化を興味
 深そうに眺めていた。秋川笙子は失礼にならないように、その変化からうまく目を逸らせていた。
  私は手を伸ばしてポットを取り、自分のカップにコーヒーのおかおりを往いだ。

 「来週からは、本格的に絵に取りかかるうと思っています。つまり絵の具を使って、キャンバス
 の上にということですが」、私は沈黙を埋めるためにそう言った。とくに誰に向かって言うとも
 なく。 「もう構想はできあがっているのですか?」と叔母が尋ねた。
  私は首を振った。「まだ構想はできていません。実際のキャンバスを前にして実際の絵筆を持
 たないと、具体的なことは何ひとつ順に浮かんでこないんです」
 「免色さんの肖像画をお描きになったんですね」と秋川笙子は私に尋ねた。
 「ええ、先月のことですが」と私は言った。
 「素晴らしい肖像画です」と免色は勢いを込めて言った。「しばらく絵の具を乾かす必要がある
 ので、まだ順装していませんが、うちの書斎の壁に飾ってあります。でも〈肖像画〉というのは
 正しい表現ではないかもしれない。そこに描かれているのは、私でありながら私ではないからで
 す。うまく言えませんが、とても深い絵です。見ていて見飽きることかありません」
 「あなたでありながら、あなたではない?」と秋川笙子は尋ねた。
 「つまりいわゆる肖像画ではなく、もう一段奥深いところで描かれた絵画なのです」
 「それを見てみたい」とまりえが言った。それは居間に移ってから彼女が口にした最初の言葉だ
 った。
 「でもまりちゃん、失礼ですよ。よそのお宅にそんなに――」
 「そんなことはちっともかまいません」、叔母の発言の語尾を鋭いなたできっぱりと断ち切るよ
 うに免色が口を挟んだ。その語気の鋭さに全員が(免色自身をも含めて) 一瞬息を呑んだ。
  彼は一息置いて続けた。「せっかくご近所にお往まいなのですし、是非うちに絵を見にいらし
 てください。私はひとり暮らしをしていますから、気兼ねはいりません。お二人ともいつでも歓
 迎しますよ」
  そう口にしてしまってから、免色の顔がいっそう赤くなった。おそらく自分自身の発言の中に
 過度に切迫した響きを聴き取ったのだろう。
 「まりえさんは絵が好きなんですか?」と彼は今度はまりえの方を向いて尋ねた。声のトーンは
 もう普通に戻っていた。

  まりえは黙って小さく肯いた。

  免色が言った。「もし差し支えなければ来週の日曜日、今日と同じくらいの時刻にここにお迎
 えにあがります。それからうちにいらして、絵をご覧になりませんか?」
 「でもそんなご迷惑をおかけしては――と秋川笙子が言った。
 「でもわたしはその絵が見たい」、今度はまりえが有無を言わせぬ声できっぱりと言った。


                                     この項つづく



パリ協定離脱!馬脚を現すトランプというか、はじめからわかっていたけれど、トランプ政権はどう
みても中間選挙までもたない。ところで、この語源は、馬の脚役を演じる役者が芝居中にうっかリ姿
を現すことから、隠してあいたことが明らかになることを言うようになった。隠しておいたことが表
に出てしまったことをいう言葉なので、悪事が明らかになるといった悪い意味で用いる。中国元代の
古典劇『元曲陳州躍米、第三折』によると、「露出馬脚来」(マーチャ才ライ)」といわれるらしい。
「露になる(あらわになる)」ことが原義なので、「あらわす」の漢字は「露わす」と表記されるが、「あら
わす」の漢字は「表す」「現す」「著す」「顕す」しか用いられないため、使い分けの用法から「馬脚を現す」
とも表記される。ということらしい――なるほど。アマーチャ才ライは自分への戒めと心得る。

発電する超高層ビルディング

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。 

       ※ 宋の襄公、馬を贈る:一行は宋に着いた。宋の襄公は馬八
         十頭を重耳に贈った。

       ★ このとき宋は泓(おう)の戦い(前節)に敗れて困窮して
         おり、垂耳をもてなす余裕がなかった。それでもさすがは
         襄公、垂耳の大器であることを見込み、贈物だけはしたの
         である。

       ※ 天の啓(ひら)くところ、人及ばず:一行は鄭国に着いた。
         鄭の文公もかれらを礼遇しなかった。大夫の叔詹(しゅく
         せん)が文公を諌めた。「"天の意志"は、人智のばかり知
         るところではない"という言葉がございますが、垂耳には、
         人智をもってしては解釈できない点が三つあります。おそ
         らくは天があの方の将来を保証しているのではないでしょ
         うか。手厚くもてなさなければいけません。その三つとは
         同姓の男女が結婚すれば、その子孫は跡絶えて当り前なの
         に、垂耳は父君も母君も姫姓でありながら、げんに今日ま
         であのとおり元気でいます。これが第一です。

         次にかれは迫害を受けて国外を流浪していますが、一方、
         天はかれのいない回国に内紛を起こさせています。これは
         公子を本国に導き入れようとの天の凪召しではないでしょ
         うか。これが第二です。また、かれには、一国の宰相たる
         器量の持ち主が三人まで付き従っています。これが第三で
         す。そうでなくとも、もともと回国とわが鄭国とは同等(
         同じく侯爵)の国、当然、わが国に立ち寄った晋国の子弟
         は、手厚くもてなしてしかるべきです。まして、かれには
         天が味方しているのですから、冷遇などもってのほかです」
         だが、文公は聞き入れなかった。

       ★ 三人:『国語』によると、狐偃、趙衰、賈佗(かだ)の
         三人を指す。 




   

 No.30 

 【RE100倶楽部:太陽光発電篇】  

 May 25, 2017 

● 高層ビル外壁の太陽発電化

今回は、5月30日で第27回の「ガラス壁からの太陽エネルギーを利用する」で掲載した、高層ビルな
どの建築物外壁(窓を含む)の太陽光発電化――ゼロエネルギービルの外壁の事業プラットフォーム
構築――をさらに考えを進めてみよう。高層ビルといっても屋根(5月27日の第25回で掲載した「フ
ォワードラボ社のソーラールーフ」参照)を含めると様々なタイプとなるが、ここでは典型的な高層
ビル(下図:新横浜市庁舎)を参考にすると、床面積:8,080平方メートル、周長:65×4=260メー
トル×高さ150メートル)が外形寸法とすると、屋根除く延外壁面積は、39,000平方メートルとなる。
因みに、日照時間を3.5時間/日として、平均変換効率を10%、20%、30%、被覆係数を0.75とし発
電量を求めると、それぞれ、10,238kWh/d、20,475238kWh/d、30,713kWh/dの発電量を得ることができ
る。但し、この被覆係数には窓ガラス部分を含めるものとして、太陽電池は、化合物半導体、ペロブ
スカイト、結晶シリコンによるモノリシックあるいはタンデムの構造の太陽電池とする。また、色彩
マント、エンボス加工による質感の意匠性、強化ガラス層による保護、各パネルにはマイクロインバ
ーター回路など組み込み、陰や断線などの保護に配慮設計を前提とする。また、発電した電力の貯蔵
は、リチウムイオン電池などの蓄電池方式や電気分解水素製造貯蔵方式に2通りを想定している。、

Dec. 12 ,2016

このような、高層/超高層ビルディングの外壁(窓)の太陽電池化の課題はやはり、パネルの据え付
け/収納/交換作業などの保全修理の配慮、強風、火災、地震の防災配慮するための工夫を必要とし、
ほとんどが新規考案になることであが、ここではそれには触れない(残件扱い)。


● 高効率なモノリシックタンデム型(一枚体・多段型)太陽電池の事例

・US 9627576 B2 Monolithic tandem chalcopyrite-perovskite photovoltaic device

【特許請求範囲】 モノリシックタンデム光起電力デバイスを形成する方法であって、基板を導電性材料でコ
ーティングするステップと、第1の吸収体層の形成時に、第1の吸収体層のバンドギャッ
プを約1.0から同程度に調整するステップと、第1の吸収体層の上に第2の吸収体層を
形成するステップと、 eV~約1.9eV;前記第1の吸収体層の前記導電性材料とは反対側にバ
ッファ層を形成する工程と、バッファ層の第1の吸収体層とは反対側の面に透明なフロン
トコンタクトを形成する工程と、前記透明前面コンタクトの前記バッファ層に対向する側
に正孔輸送層を形成するステップと、第2の吸収体層の形成中に、第2の吸収体層のバン
ドギャップを調整して、第2の吸収体層を形成する工程と、約1.5eV~3eV;前記第2の吸収
体層の前記正孔輸送層と反対側に電子輸送層を形成する工程と、電子輸送層の第2の吸収
層とは反対側に透明な上部電極を形成する工程とを含む。 前記カルコパイライト材料が銅、インジウム及びセレンを含み、前記カルコパイライト材
料がガリウムフリーである、請求項1に記載の方法。 前記第2の吸収層は、約60℃~約150℃の温度で形成されることを特徴とする請求項1に記
載の方法。 前記被覆するステップが、モリブデン、タングステン、ニッケル、モリブデン、モリブデ
ン、モリブデン、モリブデン、モリブデン、モリブデン、モリブデン、タンタル、アルミ
ニウム、プラチナ、窒化チタン、窒化ケイ素、およびそれらの組み合わせが挙げられる。 前記黄銅鉱材料が硫黄を含まない、請求項1に記載の方法。 前記透明上部電極が、約5ナノメートル?約50ナノメートルの厚さを有する金属の層から形
成される、請求項1に記載の方法。 前記第1の吸収体層のバンドギャップのチューニングが、前記カルコパイライト材料の組
成を変化させるステップを含む、請求項1に記載の方法。 前記第2の吸収層の前記バンドギャップの同調が、前記ペロブスカイト材料中の金属ハロ
ゲン化物組成を変化させるステップを含む、請求項1に記載の方法。

異なるバンドギャップを有する少なくとも2つの吸収体からなるタンデム型太陽電池は、単一接合型
太陽電池と比較してより広いスペクトル光収穫および優れた光電変換効率を可能にする。タンデム型
太陽電池は、多くの場合、1つの太陽電池を別の太陽電池の上に置きます。最適な性能を得るために
は、上部ソーラーセル内の吸収体のバンドギャップは、下部ソーラーセル内の吸収体のバンドギャッ
プよりも高くなければならない。2つの一般的に使用されるタイプのタンデム装置は、2端子装置と
4端子装置である。

Apr. 18, 2017

❶?2端子タンデムデバイスは、上部に1つの電極を、下部に1つの電極を含み、デバイスの上部/下
部の太陽電池間にトンネル接合部を有する。❷4端子タンデムデバイスは、互いに独立したデバイス
を含み、各独立したデバイスはそれ自身の上部および下部電極を有する。❸2端子タンデムデバイス
は、トップソーラーセルとボトムソーラーセルとの間の電流整合を必要とするので、2端子タンデム
デバイスは、4端子タンデムデバイスより製造するのが難しい。❹さらに、トップソーラーセルの処
理中にボトムソーラーセルを損傷しないように、2端子タンデムデバイスの製造中に注意を払わなけ
ればならない。❺それにもかかわらず、4端子デバイスは、複数の透明な導電性コンタクトおよび追
加の基板および層に関連する反射損失の必要性のために、かなりの抵抗および光学損失を被る。

CuInSe2(略称:CIS)、Cu(In、Ga)(S、Se)(略称:CIGS)、Cu2ZnSn(S、Se)などのカルコゲナ
イド系太陽電池(略称「CZT(S、Se)」)は、比較的低いバンドギャップ(約1.15電子ボルト(eV))
で最高の効率を達成している。しかしながら、タンデムデバイス構造におけるカルコゲナイドベース
の太陽電池の使用は、注目すべきいくつかの課題を提示する。例えば、最大限の性能を得るためには、
カルコゲナイドベースの太陽電池は、❶吸収体層の非常に高い処理温度(摂氏450度(摂氏)以上)
を必要とする。したがって、カルコゲナイドベースの太陽電池は、タンデムデバイスにおいて上部太
陽電池として使用できないことが多い。これらの高温は、下部太陽電池を劣化させる。❷さらに、カ
ルコゲナイド吸収体の低バンドギャップは、カルコゲナイド太陽電池をトップセルでの使用に適さな
いものにする。いったん形成されると、カルコゲナイドベースの太陽電池は、約200℃を超える温度
で著しく劣化するpn接合を使用する。したがって、カルコゲナイドベースの太陽電池をボトムセルと
して使用する場合、トップセルの処理温度は約200℃以下に保たなければならない。底部セル内のp-n
接合を維持するために、この要件は、トップソーラーセルに従来のソーラーデバイスを使用する際の
課題になる可能性がある。したがって、カルコゲナイドベースの太陽電池設計をタンデム型光起電力
デバイス構造に統合する技術が望ましい。

【図面の簡単な説明】 

本発明の一実施形態による、例示的な2端子、2太陽電池モノリシックタンデム光起電力
装置を示す図 本発明の一実施形態による、2端子、2太陽電池モノリシックタンデム光起電力装置を形
成する例示的な方法を示す図 本発明の一実施形態による、本技術によって形成された2太陽電池モノリシックタンデム
光起電力装置の断面走査型電子顕微鏡(SEM)画像を示す図 図1の光起電力装置の性能を示す図である。 本発明の一実施形態による図3のシステム
のブロック図 図4の光起電力装置の電流電圧(J-V)曲線を示す図である。 本発明の一実施形態による
図3のシステムを示す図

この事例のように、ペロブスカイト(トップ)とカルコパイライト(ボトム)の組み合わせで、耐久
性(望ましくは10年以上)があり、耐熱性(望ましくは100℃以上)があり、この様な直射光を吸収
するシリコン系太陽電池と異なり、曇天の散乱光を効率よく吸収する、ハイブリット型ペロブスカイ
トが赤外光周辺をを光電変換変換し、残りの可視光/紫外光の波長帯を化合物半導体カルコパイライ
トで光電変化変換し、変換効率が20%超(望ましくは30%程度)であれば、理想の薄膜タンデム太
陽電池が実現できる(様々な技術的なハードルが残件するにしても)。 

● 壁面形成可能な太陽電池モジュールの事例

・特開2016-058697 太陽電池モジュール及び壁面形成部材

【特許請求範囲】  

第1透光性絶縁基板と、第2透光性絶縁基板と、前記第1透光性絶縁基板と第2透光性
絶縁基板に挟まれた光電変換素子を備える太陽電池モジュールにおいて、前記光電変換
素子は、第1透光性絶縁基板側から、第1透明電極層、光電変換層、第2透明電極層の
順に積層されたものであり、前記光電変換層は、光を照射したときに光エネルギーを電
気エネルギーに変換可能であって、かつ、光の一部を透過するものであり、前記光電変
換素子は、第1透光性絶縁基板を平面視したときに、少なくとも光電変換層が除去され
た開口部を有し、第1透光性絶縁基板側から光を照射したときに、前記開口部の内部を
経由して通過し、第2透光性絶縁基板に至る光路を備えていることを特徴とする太陽電
池モジュール。 前記光電変換素子を複数の小片に分割する素子分離溝を有し、前記素子分離溝は、前記
開口部の少なくとも一部を形成するものであり、前記複数の小片は、それぞれ電気的に
直列接続又は並列接続されており、第1透光性絶縁基板側から光を照射したときに、前
記素子分離溝の内部を経由して通過し、第2透光性絶縁基板に至る光路を備えているこ
とを特徴とする請求項1に記載の太陽電池モジュール。 前記光電変換素子を複数の小片に分割する素子分離溝と、前記光電変換層を部分的に除
去した電極接続溝を有し、前記電極接続溝は、前記開口部の少なくとも一部を形成する
ものであり、前記光電変換素子は、一の小片の第2透明電極層の一部が前記電極接続溝
に進入して、他の小片の第1透明電極層に接することによって、前記一の小片と他の小
片が電気的に直列接続されており、第1透光性絶縁基板側から光を照射したときに、前
記電極接続溝の内部を経由して通過し、第2透光性絶縁基板に至る光路を備えているこ
とを特徴とする請求項1又は2に記載の太陽電池モジュール。 第1透光性絶縁基板を平面視したときに、前記開口部の開口面積は、第1透光性絶縁基
板の面積の20パーセント以下であることを特徴とする請求項1~3のいずれかに記載
の太陽電池モジュール。 フィルム状の封止部材を有し、前記封止部材は、光電変換素子を封止するものであって、
かつ、弾性を有し、前記封止部材は、その大部分が光電変換素子と第2透光性絶縁基板
との間に配されていることを特徴とする請求項1~4のいずれかに記載の太陽電池モジ
ュール。 光電変換素子を基準として前記第1透光性絶縁基板の外側の主面には、凹凸が形成され
ており、前記外側の主面の算術平均粗さは、0.25μm以上1.25μm以下であり、
JIS Z 8741に準ずる60度鏡面光沢度が8パーセント以下であることを特徴と
する請求項1~5のいずれかに記載の太陽電池モジュール。 請求項1~6のいずれかに記載の太陽電池モジュールを使用する壁面形成部材であって、
建物の外壁面を形成する壁面形成部材において、前記太陽電池モジュールは、建物の内
外の空間を区切るように配されており、建物の内部空間側に第2透光性絶縁基板が配さ
れ、建物の外部空間側に第1透光性絶縁基板が配されており、前記光電変換層は、分光
感度が異なる2つの光電変換ユニットを有し、前記2つの光電変換ユニットの内、吸収
波長のピークが550nmに近い光電変換ユニットが第2透光性絶縁基板側に位置して
いることを特徴とする壁面形成部材。

 Apr. 21, 2016

屋根以外に窓への設置を目的として考案された株式会社カネカの事例は壁面にも設置、そのまま窓面
にも設置できシームレスに展開できるものとしてここに掲載する。そこで、従来型の太陽電池では、
❶裏面電極層として透明電極を使用し、発電部位でも、室内空間に太陽光を取り込む構造で、❷発電
部分から光として取り出すこができるものの、❸建物の窓に使用した場合に、遮光――光電変換層で
で使用され、通常の窓に比べ光の取り込み量が小さく差し障りが生じることもも。❹また、通常の窓
の採光量に近づけには、太陽光をできる限り建物内部に採光できることが好ましい。このため、従来
に比べて発電面積の急激な低下を抑えつつ、高い採光性が得られる太陽電池モジュール及び壁面形成
部材が提案される。この課題解決の請求項1に記載の発明は、第1透光性絶縁基板と、第2透光性絶
縁基板と、前記第1透光性絶縁基板と第2透光性絶縁基板に挟まれた光電変換素子を備える太陽電池
モジュールにおいて、前記光電変換素子は、第1透光性絶縁基板側から、第1透明電極層、光電変換
層、第2透明電極層の順に積層し、この光電変換層は、光を照射したときに光エネルギーを電気エネ
ルギーに変換/透過させ、第1透光性絶縁基板を平面視したときに、少なくとも光電変換層が除去さ
れた開口部を有し、第1透光性絶縁基板側から光を照射したときに、この開口部の内部を経由して通
過し、第2透光性絶縁基板に至る光路を備える太陽電池モジュールである(上/下図参照)。

【符号の説明】

1 太陽電池モジュール(壁面形成部材)  10 第1透光性絶縁基板  11 第2透光性絶縁基板 
12 光電変換素子  13 封止部材  15 凹凸  20 第1透明電極層  21 光電変換層 
22 第2透明電極層  25 結晶系光電変換ユニット(光電変換ユニット)  26 非結晶系光電
変換ユニット(光電変換ユニット)  41 電極接続溝(開口部)  42 第1素子分離溝(開口部)
  43 第1素子分離溝(開口部)  51 室内空間(内部空間)  52 外部空間

【図面の簡単な説明】

図1 本発明の第1実施形態の太陽電池モジュールの設置状態を模式的に表す斜視図
図2 図1の太陽電池モジュール近傍を抜き出した概念図
図3 図2の太陽電池モジュールの分解斜視図
図4 図3の太陽電池モジュールの要部の平面図
図5 図4の太陽電池モジュールのA-A断面図
図6 図4の太陽電池モジュールのB-B断面図
図7 図5の太陽電池モジュールの要部を表す説明図であり、電流の流れを矢印で示している。
図8 図5及び図6において太陽光の光路を表す説明図であり、(a)は図5に対応し、(b)は
   図6に対応する。

ここで、わたしの提案は、窓部周辺の太陽電池/モジュール回路パターンを変え、採光面積を広くす
ることにある。


● 電流整合を改善したシリコン系を含むタンデム型太陽電池

・特開2016-122755 太陽電池モジュール

このように、タンデム型太陽電池は、複数の太陽電池がそれぞれ、そのバンドギャップに対応する波
長範囲の光を光電変換し、連続的スペクトルを示す光を効率よく光電変換するので、高い変換効率を
示す太陽電池として期待されているが、結晶シリコン基板を使用した太陽電池は、シリコンの吸収波
長の長波長端である1150nm以上の赤外線を透過する。そこで、シリコン結晶の太陽電池の受光
面とは反対側の裏面に、赤外線を吸収して発電するゲルマニウム太陽電池を配置し、それらを直列に
接続したタンデム構造の太陽電池が知られている。

この場合、180μmのSi単結晶基板を透過する近赤外線は、太陽光全体のエネルギーの1/4程
度で、シリコン太陽電池セルとゲルマニウム太陽電池を直列に接続した、いわゆるタンデム構造にし
た場合、太陽電池JSC(短絡電流密度)は、シリコン基板を透過した近赤外線のエネルギーに依存
するため、シリコン基板のみを用いた太陽電池の1/4程度のJSCとなり、電流整合が不十分であ
り、発電効率が小さかった。そこで、シリコン太陽電池セルの裏面にゲルマニウム太陽電池を2つ直
列に接続したものを配置し、シリコン太陽電池セルと、ゲルマニウム太陽電池セルを2つ直列に接続
したものを並列接続した多接合型セルが知られている。

しかしながら、一般的に、シリコン太陽電池のセルVoc(開放電圧)は、ゲルマニウム太陽電池Voc
の丁度2倍というわけではないので、シリコン太陽電池とゲルマニウム太陽電池を2つ直列に接続し
たもののVocは一致しない。このため、シリコン太陽電池と2つ直列に接続したゲルマニウム太陽電
池とを並列に接続した多接合型セルを用いた太陽電池モジュールは、多接合型セル毎にロスがあり発
電効率が低くなる恐れがありこの理由から発電効率の高い太陽電池モジュールを、下図1の太陽電池
セルを複数枚接続した第1の太陽電池群と、第1の太陽電池群の受光面と反対側の面側に絶縁材料を
介し設置され、第1の太陽電池セルよりも吸収波長が長波長側にある第2の太陽電池セルを複数枚接
続した第2の太陽電池群を備えることで発電効率の高い太陽電池モジュールを実現する提案がシャー
プ株式会社より提供されている。ここで特に注目したのは請求項5の量子ドットとの組み合わせ。

【特許請求の範囲】

第1の太陽電池セルを複数枚接続した第1の太陽電池群と、前記第1の太陽電池群の受光面と反
対側の面側に絶縁材料を介して設置され、前記第1の太陽電池セルよりも吸収波長が長波長側
にある第2の太陽電池セルを複数枚接続した第2の太陽電池群を備えた太陽電池モジュール。 前記第1の太陽電池群を構成する複数枚の前記第1の太陽電池セルは直列に接続されるととも
に前記第2の太陽電池群を構成する複数枚の前記第2の太陽電池セルは直列に接続され、前記
第1の太陽電池群と前記第2の太陽電池群は並列に接続された太陽電池モジュール。 前記第1の太陽電池群の開放電圧と、前記第2の太陽電池群の開放電圧が略等しい請求項1ま
たは2に記載の太陽電池モジュール 前記第1の太陽電池群は、シリコン太陽電池からなり、前記第2の太陽電池群はゲルマニウム
太陽電池からなる請求項1から3のいずれかに記載の太陽電池モジュール。 前記第2の太陽電池群は、量子ドットを使用した太陽電池からなる請求項1から3のいずれか
に記載の太陽電池モジュール。

 July 7, 2016

【符号の説明】

10太陽電池モジュール 11太陽電池セル 12インターコネクタ 13カバーガラス 14E
VA樹脂 15絶縁シート 16EVA樹脂 17EVA樹脂 18バックシート 19太陽電池セ
ル 20インターコネクタ 21正極端子 22負極端子 23第1の太陽電池群 24第2の太陽
電池群 25ガラス基板 26透明導電層 27発電層 28裏面電極層 29太陽電池セル 30
EVA樹脂 31バックシート 40量子ドットペロブスカイト太陽電池 41ガラス基板 42
透明電極 43ホール輸送層 44ペロブスカイト層 44'アクリル樹脂 45、45'InNナ
ノ粒子 46…電子輸送層 47金属電極 48,48'発電層 50ペロブスカイト太陽電池 
51ガラス基板 52透明導電層 53p型ペロブスカイト層 54n型ペロブスカイト層 55
アルミ電極

【図面の簡単な説明】

【図1】本発明の太陽電池モジュールを示す模式的断面図
【図2】本発明の太陽電池モジュールを示す模式的断面図
【図3】本発明の太陽電池モジュールに使用される量子ドットペロブスカイト太陽電池を示す模式図
【図4】本発明の太陽電池モジュールに使用される量子ドット太陽電池を示す模式図。
【図5】本発明の太陽電池モジュールに使用されるペロブスカイト太陽電池を示す模式図

【実施形態3】

(実施の形態2の)太陽電池セル29において、薄膜ゲルマニウム太陽電池に代えて、CH3NH3
IとPbCl2をモル比において3:1で混合して形成されるペロブスカイトに、量子ドットとして直径
3nm~50nmのInNナノ粒子を離散的に分散した薄膜を用いた量子ドットペロブスカイト太陽電池
を用いることができる。量子ドットとして、近赤外における吸光度の高いInNナノ粒子を用いるこ
とで、量子ドットペロブスカイト太陽電池を使用して第2の太陽電池群を構成することができる。図
3は、本発明の太陽電池モジュールに使用されるペロブスカイト太陽電池の模式図。量子ドットペロ
ブスカイト太陽電池40は、ガラス基板41上に、透明電極42、ホール輸送層43、ペロブスカイト
層44、電子輸送層46、金属電極47を順に積層した構造である。ペロブスカイト層44には、
InNナノ粒子45が分散されている。InNナノ粒子45の間隔は2nm程度である。InNナノ
粒子同士を2nm程度の間隔に配置することによって、InNナノ粒子同士がトンネル結合するよう
になり、吸光度の高い、狭バンドギャップのペロブスカイト層44形成することが可能になる。ホー
ル輸送層43、ペロブスカイト層44、および電子輸送層46で発電層48を構成している。

ペロブスカイト太陽電池を使用した太陽電池モジュールは、図2に示される太陽電池モジュールと同
様の構造をとることができる。すなわち、図2における発電層27をペロブスカイト太陽電池の発電
層48に置き換えた構造をとる。 ペロブスカイト太陽電池は以下のように作成することができる。
まず、ガラス基板41上に厚さ100nmITOをスパッタリングで形成し、透明電極42を形成する。
次に、透明電極42上に、PEDOT:PSSをスピンコートで50nm塗布してホール輸送層43を形成する。
次に、ペロブスカイト溶液に、ペロブスカイト成分に対して50wt%の、量子サイズ効果が発生しない
ド・ブロイ波長以上である直径10nmのInNナノ粒子を添加したものを、ホール輸送層43上にスピ
ンコートで、厚さ1μm程度塗布することにより、InNナノ粒子45を分散したペロブスカイト層
44を形成する。

次に、ペロブスカイト層44上に、PCBMをスピンコートして、電子輸送層46を形成する。電子輸
送層46の厚みは100nm程度である。電子輸送層46を積層した後、100℃程度で焼成する。真空蒸着
で形成し量子ドットペロブスカイト太陽電池40を形成する。電子輸送層46として酸化チタン微粒
子を使用しても良い。この場合、ITOの上に酸化チタン微粒子を2μm塗布し、酸化チタン粒子の
上にペロブスカイト層、PEDOT:PSS層、アルミ電極を順に形成する。このようにして、近赤外の太陽
電池を形成することができる。発電層48がスピンコートやスクリーン印刷などの非真空工程で形成
できる。



【実施形態4】

図4は、本発明の太陽電池モジュールに使用される量子ドット太陽電池の模式図である。InNナ
ノ粒子45'はコアシェル型のナノ粒子であり、アクリル樹脂44'の絶縁材料に分散している。コ
アシェル型のInNナノ粒子45'は、直径10nmのInN粒子45a'を厚さ1nm程度のGa
N45b'でコーティングした粒子である。InNナノ粒子をコアシェル型にすると、発電特性が改
善する。また、InNナノ粒子45'同士が接触してトンネル接合するので、InNナノ粒子を離
散的に分散する必要がなくなる。また、InNナノ粒子45'を分散するアクリル樹脂44'は必ず
しも必要はなく、InNナノ粒子45'焼結したものであってもよい。

コアシェル型のナノ粒子が接触している場合、コアの半径を2倍にした距離aとシェルの厚さを2
倍にした距離bを周期ポテンシャルと見なし、ブロッホ関数を作る。ブロッホ関数の解から求めら
れる許容されたエネルギーバンドが中間バンドとなる。中間バンドを電子は移動することができる。
InNナノ粒子45'を含有する発電層48'をホール輸送層43、電子輸送層46で挟むことによ
って、太陽光を電気エネルギーとして取り出すことができる。量子ドット太陽電池を使用した太陽
電池モジュールは、図2に示される太陽電池モジュールと同様の構造をとることができる。すなわ
ち、図2における発電層27を量子ドット太陽電池の発電層48'に置き換えた構造をとる。実施
の形態3、実施の形態4に示した上述の実施の形態1または2に示した第1の太陽電池セル11は
シリコン太陽電池であるが、シリコン太陽電池に代えて、可視光を吸収して発電するペロブスカイ
トを使用した薄膜太陽電池を用いることができる。

【実施形態5】

上述の実施の形態1または2に示した第1の太陽電池セル11はシリコン太陽電池であるが、シリ
コン太陽電池に代えて、可視光の波長に吸収領域を持つペロブスカイトを使用した薄膜太陽電池を
用いることができるペロブスカイト太陽電池は、輸送層と電子輸送層の間にペロブスカイトを真性
半導体として使用して、ホール輸送層と電子輸送層を挟んだものであり、ホール輸送層としては、
PEDOT:PSS電子輸送層としてはPCBMなどの有機材料を使用することができる。ホール輸送層と
電子輸送層はそれぞれ電極に接続される。さらに、n型ペロブスカイト層、p型ペロブスカイト層
を作成することで、上述のPEDOT:PSSのホール輸送層やPCBMの電子輸送層が要らない安価な太
陽電池を提供することができる。 図5は、本発明の太陽電池モジュールに使用されるペロブスカ
イト太陽電池を示す模式図である。ガラス基板51上に厚さ100nmの透明導電層52をスパッタで
形成する。次に、200nmのp型ペロブスカイト層53、および、200nmのn型ペロブスカイト層54
を順次形成する。最後に厚さ100nmのアルミ電極55を真空蒸着で形成しペロブスカイト太陽電池
50を形成できる。詳細は、上図ダブクリ願参照 。
                                       

 

自動車のシンギュラリティ・ボイント

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

       ※ 前七世紀末、天下の覇者となった晋の文公(重耳:ちょう
         じ)には、即位するまえ、長い雌伏の時代があった。すな
         わち、父献公の寵愛する驪姫の姦計(驪姫の禍)により出
         奔を余儀なくされたかれは、諸国を流浪する。父に追われ、
         異母兄弟にねらわれての逃避行のすえ、本国に帰って即位
         したのは、嬉公二十四年のことである。その間の人間模様
         がここに一括して記されている。この条、経文はない。 

       ※ 三舎を避(さ)く:  一行は楚国に着いた。楚の成王は盛
         大な宴を催して、一行をもてなした。その席上のことであ
         る。成王は重耳に、「あなたが本国にお帰りになったあか
         つきには、返礼に何をくださるかな」と、たずねた。「美
         女とか玉とか帛(きぬ)のたぐいは、いくらでもお持ちで
         しょう。さりとて、鳥の羽、獣の毛皮、牙などは、みなお
         国の持産物。わが国のほうがお余りを頂戴しているくらい
         です。さて、何にしたものか」「それはそうでしょうが、
         わたしとしては何か一つくらい頂戴したい」「では、こう
         しましょう。もし、あなたのお力で本国に帰ることができ
         たとします。そして将来わが晋と貴国とが、軍勢をととの
         えて中原の地で相まみえるようなことになったとき、わた
         しは九十里だけわが国の軍勢を後退させましょう。これで
         ご納得いただけるかと思います。もしこれで納得がいかな
         いとおっしゃるのでしたら、やむをえません。はばかりな
         がらこのわたくし、弓をとってお相手つかまつりましょう」

         そばできいていた楚の令尹子玉(しぎょく)は、これこそ
         未来の強敵と思い、今のうちに重耳を暗殺するよう成王に
         申し出た。しかし、成王は、「晋の公子は大きな理想を抱
         きながらも、足取りは着実だ。派手にふるまっている一面、
         決して礼にもとるようなことがない。従者たちにしてもそ
         うだ。慎しみ深く仕えていながら、窮屈そうではない。
         誠実に努力をつみ重ねている。それに引きかえ、今の晋侯
         (恵公、名は両君、垂耳の異母兄弟)はどうだ。心を許せ
         る臣下に恵まれず、国内はもちろん国外からも怨みを買っ
         ている。晋は姫他の国、唐叔(とうしゅく)の後裔で、ど
         この国よりも長く栄えると聞き及んでいる。重耳こそ、晋
         の国力を盛り返す人物にちがいあるまい。天が復興させよ
         うとしているものを、だれが押しとどめられよう。これに
         逆らえば、必ず天罰がくだるだろう。こう言って、重耳を
         秦国に送り届けた。

       ★〈九十里……〉 原文は「辟君三舎」(君を辟けること三舎)。
         当時、軍隊の行程は一日三十里で宿営する慣わしであった。
         三舎とは九十里である。「三舎を避ける」という語源。
        〈恵公〉驪姫の禍によって、重耳と同様に亡命したが、父懐
         公の死後、帰国して即位した。重耳をおそれ刺客をおくる。
        〈唐叔〉周の成王の弟叔虞のこと。唐(今の山西省大原の北)
         に封ぜられて唐侯といわれた。すなわち晋の始祖である。
 

   Jun 6,2017

● カップヌードル そうめん 鯛だし柚子風味

トムヤンクンヌードルが発売されやみつきになり、スープを残さず飲むという健康には良くない?こ
とを続けている。家族のものからは敬遠されているのだがこれが切れるとわたしもキレてしまう。そ
んな日清食品株式会社から「カップヌードル そうめん 鯛だし柚子風味」が6月19日に発売されると
いう。曰く、カップヌードル」ブランドから夏期限定で販売している「そうめん」シリーズは、のど
ごしの良いそうめんを和風だしでさっぱりと食べられることから、好評だという。今年は、上質感あ
る「和」の味わいにこだわった「カップヌードル そうめん 鯛だし柚子風味」だとか。その技術的な
特質は、小麦粉の香りとしなやかな麺質にこだわり、熱湯で作る "温調理" は湯のびしにくく、氷で
冷やして食べる "冷調理" ではコシのある食感にあるらしい。スープは、昆布や鶏のうまみとしょう
がの風味を加えた味わい深い鯛だしに、爽やかな柚子の香りでアクセントをつけました。具材には、
白身魚のつみれ、たまご、ネギ、花形かまぼこ、柚子皮を使用し、彩り鮮やかに「和」を表現。パッ
ケージは、雄大な富士山が描かれた葛飾北斎の「東海道江尻田子の浦略図」(富嶽三十六景) をあし
らっている。面倒くさがり屋の現代人には好適じゃないのと嫌味を言う彼女に、俺のことかと問う場
面のあったが試食してみないとわからない。





● 観測史上最高を更新 日本付近の二酸化炭素濃度

   May 31, 2017

   

  Jun 5,2017

【自動車のシンギュラリティ・ボイント 2018】

● 電気自動車 2018年 従来車とのコストパリティを実現

スイスのチューリヒおよびバーゼルに本拠を置く世界有数の金融持株会社USBの調査によると、電
気自動車は来年までに内燃エンジン搭載車のコスト・パリティを達成する可能性が高い。電気自動車
は25年になるとエネルギーコストはガソリンよりを安くする。報告書によれば、電気自動車はまだ
ガソリン車(ICE)以上のコストがかかるが、電気自動車は、長期的にガス車/ディーゼル車と匹
敵する。この分析には、燃料コスト、維持費、およびその他の関連支出を基幹軸に測定しガソリン/
ディーゼル車と比較。グリーン車は、バッテリ容量、充電時間、環境に配慮技術に対する需要の急増
するにつれ量産効果が働きコスト逓減し手頃なものになる。現在は電気自動車は売り上げの14%程
度と想定している。今後数年間に複数の長距離電気自動車が市場に出回り本格化する。バッテリーの
コストは8年前の予想より価格下落し、自動車メーカーは走行距離320キロメートル以上クラスの
バッテリー搭載を想定する。

 Jun 05, 2017
 

    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』    

   34.そういえば最近、空気圧を測ったことがなかった

    結局、翌週の日曜日の正午過ぎに、免色が二人を迎えにうちに来ることになった。私も一緒に
 来るように誘われたが、その日の午後は用事があるのでと言って丁重に断った。私としてはこれ
 以上、この件に深入りしたくはなかったからだ。あとのことは当事者だけに委ねたい。そこで何
 が起こるにせよ、私はできる限り部外者でいたい。私はただ結果的に――もともとそんなことを
 するつもりはなかったのだが――両者のおいたを取り持っただけだ。
  美しい叔母と姪が二人で帰っていくのを見送るべく、私と見色は外に出た。秋川笙子は、プリ
 ウスの隣に駐まった免色の銀色のジャガーをしばらく興味深そうに眺めていた。まるで愛犬家が
 よその犬を見るときのような目で。

 「これはいちばん新しいジャガーですね」と彼女は免色に尋ねた。
 「そうです。今のところこれがジャガーの最新のクーペです。車はお好きなのですか?」と免色
 は尋ねた。
 「いえ、そんなわけでもありません。ただ亡くなった父が昔、ジャガーのセダンを運転してい
 たんです。よく乗せてもらったし、たまに運転もさせてもらいました。だから車体の先について
 いるこのマークを見るとつい懐かしくなるんです。XJ6っていったかしら。丸い四つ目のヘッ
 ドライトがついていた車。直列六気筒の4・2リッター・エンジンでした」
 「シリーズⅢですね。ええ、あれはとても美しいモデルです」
 「父はあの車が気に入っていたようで、かなり長く乗っていました。燃費の悪さと、細かい故障
 の多さには群易していましたが、それでも」
 「あのモデルはとりわけ燃費がよくありません。電気系統に故障も多かったかもしれません。ジ
 ャガーは伝統的に電気系統があまり強くないのです。しかし故障なく走っているときには、そし
 てガソリン代さえ気にしなければ、一貫して素晴らしい車です。乗り心地にもハンドリングにも、
 他では得られない魅力が溢れてます。もちろん世間の圧倒的多数の人は、故障と燃費のことをし
 っかり気にかけますし、だからこそトョタ・プリウスが飛ぶように売れるわけですが」
 「これは兄が私専用にということで貫ってくれたんです。私か自分で貫ったわけではありませ
 ん」と秋川里子はトョタ・プリウスを指して、まるで言い訳をするように言った。「運転しやす
 いし、安全だし、環境にも優しいということで」
  「プリウスはとても優秀な車です」と免色は言った。「実は私も真剣に貫うことを考えました」
  本当だろうか? 私は内心首を傾げた。トヨタ・プリウスに乗っている免色の姿はうまく想像
 できなかったからだ。レストランでニソワーズ・サラダを注文している豹の姿が想像できないの
 と同じくらい。



  秋川笙子はジャガーの車内をのぞき込みながら言った。「たいへん不躾なお願いですが、この
 車に少しだけ乗ってみてかまいませんか? 運転席に座ってみるだけですが」
 「もちろん」と免色は言った。そして声を整えるように軽く咳払いをした。「いくらでも乗って
 みてください。もしよかったら、運転なさってもかまいませんよ」
  彼女がそれほど免色のジャガーに関心を示すのを目にするのは、私にとっては意外なことだっ
 た。穏やかで清楚な外見からして、車に興味を持ちそうなタイプには見えなかったからだ。しか
 し秋川笙子は目を輝かせてジャガーの運転席に乗り込み、クリーム色の革シートに身体を馴染ま
 せ、ダッシュボードを注意深く眺め、ハンドルに両手を置いた。それから左手をシフトレバーの
 上に載せた。免色はチノパンツのポケットから車のキーを取り出し、彼女に渡した。

 「エンジンをかけてみてください」

  秋川笙子は黙ってそのキーを受け取り、ハンドルの脇に差し込み、時計回りに回した。その大
 きな描科の獣は一瞬にして目を覚ました。彼女は底深いエンジン音にしばらくうっとりと耳を澄
 ませていた。

 「このエンジンの音には聞き覚えがあります」と彼女は言った。
 「4・2リッター V8のエンジンです。お父さんの乗っておられたXJ6は六気筒で、バルブ
 の数も圧縮比も違いますが、音は似ているかもしれません。化石燃料を盛大に無反省に燃やして
 いるという点にかけては、今も昔も変わることなく罪深い機械です」

  秋川笙子はレバーを上げて右折のウィンカーを出した。独特のこんこんという明るい音が聞こ
 えた。

 「この音がとても懐かしいわ」
  免色は微笑んだ。「これはジャガーにしか出せない音です。他のどんな車のウィンカーの音と
 も追っています」
 「私は若い頃、XJ6で密かに練習して運転免許を取ったんです」と彼女は言った。「パーキン
 グ・ブレーキが普通とは少し追っているので、初めて他の車に乗ったときにはけっ号っ戸惑いま
 した。どうしていいかわからなくて」
 「よくわかります」と免色は微笑んで言った。「英国人というのは、なにかと妙なところにこだ
 わるんです」
 「でも車の中の匂いは、父の車とは少し追うみたい」
 「残念ながら追っているかもしれません。使われているインテリアのマテリアルが様々な事情で、
 昔とまったく同じというわけにはいかなくなったのです。とくに二〇〇二年にコノリー社が皮革
 を提供しなくなってからは、車内の匂いはずいぶん変わってしまいました。コノリーという会社
 そのものが消滅してしまったからです」
 「残念だわ。あの匂いがとても好きだったのに。なんていうか、父の匂いの思い出と一緒みたい
 になっていて」
  免色は言いにくそうに言った。「実を言いますと、私はこのほかにも古いジャガーを一台特っ
 ているんです。そちらならあるいは、お父さんの車と同じような匂いがするかもしれません」
 「XJ6をお持ちなんですか?」
 「いいえ、Eタイプです」
 「Eタイプって、あのオープン・力ーですか?」
 「そうです。シリーズーのロードスター、六〇年代半ばに作られたものですが、まだしっかり走
 ります。これもやはり六気筒の4・2リッター・エンジンを積んでいます。オリジナルのツー・
 シーターです。さすがに幌は新しくしましたので、正確な意味ではオリジナルとは言えないので
 すが」



  私は車のことはまったく詳しくないので、何の話なのかほとんど理解できなかったが、秋川笙
 子はその情報にある種の感銘を受けたようだった。いずれにせよ、二人がジャガー車という共通
 の――おそらくはかなり狭い領域の――趣味を持っていることが判明したおかげで、私はいくら
 か気が楽になった。初対面の二人の会話のために話題を見つけてやる必要が、これでなくなった
 わけだから。まりえは自動車に開しては私以上に興味を持っていないらしく、二人の会話をいか
 にも退屈そうに開いていた。

  秋川笙子はジャガーから降りてドアを閉め、車のキーを免色に退した。免色はキーを受け取り、
 チノパンツのポケットに戻した。それから彼女とまりえはブルーのプリウスに乗り込んだ。免色
 がまりえのためにドアを閉めてやった。ジャガーとプリウスとでは、ドアの閉まる音がまったく
 違うことに私はあらためて感銘を受けた。音ひとつとっても世界には実に多くの差違がある。ダ
 ブルベースの同じ開放弦を一度だけぽんと鳴らしても、チャーリー・ミンガスの音とレイ・ブラ
 ウンの音が確実に追って聞こえるのと同じように。

  Ray Brown

 「それでは来週の日曜日に」と免仏は言った。
  秋川笙子は免仏に向かってにっこりと微笑み、ハンドルを握って去って行った。トヨタ・プリ
 ウスのずんぐりとした後ろ姿が見えなくなってしまうと、私と免仏は家の中に戻った。そして居
 間で冷えたコーヒーを飲んだ。我々はしばらくのあいだ口をきかなかった。見仏は身体全休から
 力が抜け落ちてしまったみたいだった。過酷な長距離レースを走り終えてゴールインしたばかり
 のランナーのように。
 「美しい女の子ですね」と私は少ししてから言った。「秋川まりえのことですが」
 「そうですね。大きくなったらもっときれいになるでしょう」と免仏は言った。しかしそう言い
 ながら、頭では何か違うことを考えているみたいに見えた。
 「彼女を近くで見て、どう感じました?」と私は尋ねた。
  免色は居心地悪そうに微笑んだ。「実を言うと、あまりよく見ることができなかったんです。
 緊張していたものですから」
 「でも少しは見たでしょう?」

   Charles Mingus

 免色は肯いた。「ええ、もちろん」。それからまたしばらく黙っていたが、急に顔を上げて真剣
 な眼差しで私を見た。「それで、あなたはどのように思われましたか?」
 「どのように思うって、何をですか?」
  免色の顔にまた少し赤みが差した。「つまり、彼女の顔だちと私の顔だちとの間には、何か共
 通点のようなものはあるのでしょうか。あなたは画家だし、長く肖像画を専門的に描いてきた方
 だから、そういうことはおわかりになるのではありませんか」

  私は首を振った。「たしかにぼくは顔の特徴を素早く掴む訓練を積んでいます。でも親子の見
 分け方まではわかりません。世の中にはまったく似ていない親子もいれば、そっくりな顔をした
 赤の他人もいます」
  免色は深いため息をついた。身体全休から絞り出されるようなため息だった。彼は両手の手の
 ひらをこすりあわせた。
 「私は何も鑑定をお願いしているわけではありません。あくまで個人的な感想をうかがい
 たいんです。ごく些細なことでかまいません。もし何か気にとめられたことがあったら、教えて
 いただきたいのですが」

  私はそれについて少し考えた。そして言った。「ひとつひとつの具体的な顔の造作について言
 えば、あなたがた二人のあいだに似通ったところはあまりないかもしれない。ただ目の勤きには、
 何かしら相通じるものがあるように感じました。しばしばはっと、そういう印象を受けました」
 彼は薄い唇を結んで私の顔を見た。「私たちの目に共通したところがあるということですか?」
 「感情がそのまま率直に目に出るところが、あなたがた二人の共通点かもしれない。たとえば好
 奇心とか、熱意とか、驚きとか、あるいは疑念とか、抵抗感とか、そういう微妙な感情が目を通
 して外に現れます。表情は決して豊かとは言えないのに、両目が心の窓みたいな働きをしていま
 す。普通の人とは逆です。多くの人は表情はそれなりに豊かでも、目はそれほど生き生きしてい
 ません」
  免色は意外そうな顔をした。「私の目もそのように見えるのですか?」
  私は肯いた。 「そんな風に意識したことはなかったな」
 「自分でコントロールしようと思っても、きっとできないものなのでしょう。あるいは意識して
 表情を抑制しているぷん、感情が目に集中して出てくるのかもしれません。でもそれもよくよく
 注意深く観察していないと読み取れない程度のものです。普通の人ならまず気づかないかもしれ
 ない」
 「でもあなたにはそれが見える?」
 「ぼくは人の表情の把握をいねば職業にしています」
  免色はそのことについてひとしきり考えていた。そして言った。「私たちはそのような共通点
 を特っている。しかし血を分けた親子かどうかということになると、それはあなたにもわからな
 い?」
 「ぼくは人を見ていくつかの絵画的印象を特ちますし、それを大切にします。しかし絵画的印象
 と客観的事実とは別のものです。印象は何も証明しません。風に運ばれる薄い蝶々のようなもの
 で、そこには実用性はほとんどありません。それで、あなたはいかがですか? あなた自身は彼
 女を前にして何か特別なものを感じなかったのですか?」
  彼は何度か首を握った。「一度短く顔を合わせたくらいでは何もわかりません。もっと長い時
 間が必要です。あの少女と一緒にいることに慣れなくては……」

  それから彼はもう一度ゆっくり首を握った。何かを深すようにジャケットのポケットに両手を
 突っ込み、またそれを出した。自分か何を深していたか忘れてしまったみたいに。そして続けた。

 「いや、回数の問題ではないかもしれません。会えば会うほどむしろ混乱が増していくだけで、
 どのような結論にもたどり着けないかもしれません。彼女はひょっとしたら私の血を分けた娘か
 もしれないし、あるいはそうじやないかもしれない。でもどちらでもかまわないのです。あの少
 女を前にして、そういう可能性に思いを巡らせているだけで、この指で仮想に触れているだけで
 一瞬のうちに新しい鮮やかな血液を身体の隅々に行き渡らせることができます。私は生きること
 の意味を、これまで本当には理解できていなかったのかもしれない」

  私は沈黙を守った。免色の心の勣きに関して、あるいは生きることの定義に関して、私に口に
 できるようなことは何ひとつない。免色はいかにも高価そうな薄い腕時計に目をやり、もがくよ
 うにぎこちなくソファから立ち上がった。
 「あなたに感謝をしなくては。もしあなたが背中を押してくれなかったら、私一人ではおそらく
 何もできなかったでしょう」
  それだけを口にすると、彼はおぼつかない足取りで玄関に向かい、時間をかけて靴を履き靴紐
 を結び直し、それから外に出た。彼が車に乗り込み、立ち去っていくのを、私は玄関の前から眺
 めていた。ジャガーの姿が見えなくなると、あたりは再び日曜日の午後の静寂に包まれた。


今回も、隠喩(いんゆい)が遷化(せんげ)する。実に面白い。

 Act 2, Scene 7


   All the world's a stage,
    And all the men and women merely players;
       They have their exits and their entrances

                         —William Shakespeare, As You Like It,

                                      この項つづく

 

 

 

 

 

 

 

世界初が多すぎる国

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      僖公二十三年:晋の文公、亡命十九年 / 晋の文公制覇の時代  
                  

                          

              ※ 秦におもむく:秦の穆(ぼく)公は、重耳に侍妾五人を与
         えて礼遇した。この五人の侍妾のなかに、懐嬴(かいえい)
         もいた。ある日のこと、懐嬴が水差を捧げもって垂耳に手
         洗いの水をつかわせていた。垂耳が濡れた手を振ったので、
         そのとばしりが懐嬴にかかった。懐嬴は、きっとなって垂
         耳を詰問した。「秦と晋とはいねば同輩の間柄です。なん
         てわたしを賤しむのです」 垂耳は大いに恐縮し、上着を
         脱ぎ、囚人姿になって穆公の前に進み出て、許しを乞うた。
         また、穆公が垂耳のために宴を張ったときのこと。垂耳は、
         子犯を連れて行こうとしたが、子犯は、「わたしは趙衰ほ
         ど挨拶がうまくありません。どうか趙衰をお連れになって
         ください」と、辞退した。席上、垂耳は『河水』の詩を誦
         した。穆公は『六月』の詩を誦して、これに応じた。趙衰
         がすかさず口をはさんだ。

         「垂耳どの、今のありかたいお言葉にお礼申しあげなさい
         ませ」そこで、垂耳は階を下りて拝し、地に額づいた。穆
         公が階を一段下りて辞追すると、趙衰は言った。「君にお
         かれては、いかにして天子を輔佐したてまつるべきかを述
         べ、その大任を垂耳どのにお命じになりました。垂耳どの
                  として、どうして拝礼せずにおられましょう」

             ★ 〈懐嬴〉秦の穆公の娘で、もと晋の太子圉(ぎょ)の妻。韓
                  原の戦いに晋が大敗し、圉が秦に人質となったとき、穆公
                  がこれに娶せたのである。懐は子圉の温号、嬴(えい)は
         秦の姓。子圉はこの前の年(僖公二十二年)晋に逃げ帰っ
         た。二十三年九月、恵公が薨ずると、子圉は位を嗣いで懐
         公となったが、垂耳は帰国するやこれを殺して文公となっ
         た。

        〈濡れた手を・・・・・〉垂耳は懐嬴の身分を知らず、戯れてそ
         うしたのであろう。一方、懐嬴はなお前夫のことが忘れら
         れず、垂耳に好意をもたなかったのであろう。

        〈『河水』の詩〉王侯の宴会にはこのように詩を誦する習わ
         しがあった。『河水』の詩は、今の『詩経』に収められて
         いない、いわゆる逸詩であるが、河の水が結局は東海に流
         れこむことを歌い、海を秦になぞらえて、故国に帰ること
         ができたならば、河の水が海に朝するように、秦に朝参し
         ようとの意を寓したのであろう。

        〈『六月』の詩〉『詩経』小雅の一篇。尹吉甫(いんきつほ)
         が周の宣王を佐(たす)けて玁狁(けんいん)を征伐した
         ことを歌った詩。穆公がこれを誦したのは詩中に「六月棲
         棲 我是用急」とあるためで、公子を晋に入れるために、
         急いで軍を出そうと言おうとしたのである。それを趙衰は
         穆王の真意をよく知りながらも、『六月』の詩中に「王子
         出征 以匡王国」および「以佐天子」とあるのを利用して、
         尹吉甫の勤王を重耳に比したものとして受け取ったのであ
         る。

            六月棲棲 戎車既飭 四牡聧聧 戴是常服 
            玁狁孔熾 我是用急 王于出征 以匡王國 
            比物四驪 閑之維則 維此六月 既成我服 
            我服既成 于三十里 王于出征 以佐天子 
            四牡脩廣 其大有顒 薄伐玁狁 以奏膚公
            有嚴有翼 共武之服 共武之服 以定王國 

            玁狁匪茹 整居焦穫 侵鎬及方 至於涇陽
            織文鳥章 白旆央央 元戎十乘 以先啟行
            戎車既安 如輊如軒 四牡既佶 既佶且閑
            薄伐玁狁 至于大原 文武吉甫 萬邦為憲
            吉甫燕喜 既多受祉 來歸自鎬 我行永久
            飲御諸友 炰鱉膾鯉 侯誰在矣 張仲孝友

                                  小雅.六月 《詩經》

 

 No.31

【RE100倶楽部:エネルギー貯蔵篇】

● 最新アルミニウム空気電池技術:

  世界初!アルミニウム-空気電池の初の二次電池化を実現

現在主流のリチウムイオン電池を上回る性能を持つ電池として期待されているアルミニウム空気電池
の課題は充放電が可能な二次電池化の実現冨士色素は電解質にイオン液体系電解液を用いたアルミニ
ウム空気二次電池の開発に成功。空気極に非酸化物セラミック材料を用いることで、二次電池化の障
壁となっていた化学反応の抑制に成功ことを報る(スマートジャパン、2017.06.07)。

正極材料に大気中の酸素を利用し、負極材料に金属を利用する金属空気電池が注目を集めている。空
気中の酸素を正極活物質として用いる金属空気電池は、正極活物質を電池に内蔵する必要がないため
電池容器内の大部分の空間に負極活物質を充填することが可能であり、原理的に化学電池の中で最も
大きなエネルギー密度を有するため、電池の小型軽量化や高容量化が期待できる。しかし、これまで
の金属空気電池は主に一次電池として用いられ、充放電可能な二次電池としての使用には多くの課題
が残されている。

たとえば、✪亜鉛を用いた金属空気電池が、補聴器の電源等に使用されているが、すべて一次電池で
あって二次電池ではない。これは、亜鉛を用いた金属空気電池が低充放電効率である等の解決すべき
課題が多かった。他方、✪アルミニウムを負極に用いた空気二次電池の場合、充放電の繰り返しによ
り水酸化アルミニウム、酸化アルミニウム等の反応副産物が電極上に蓄積され、二次電池としての機
能が阻害される。➀アルミニウム合金を用いた負極、➁電解液への高分子、オキソ酸塩等の添加によ
り、電極での副生成物の産出を抑制する試みが行われているが十分な効果は得られなかった。

そこで、冨士色素株式会社は、酸化物系材料/カーボン系材料群から一種以上を含有する組成物を用
いて金属空気二次電池用負極に多孔性層を形成し、多孔性層が電解質層に接するように配置、充放電
に伴い生成する副生成物の負極蓄積を防止することに成功する。

具体的には、空気極に窒化チタン/炭化チタンを用いると、酸化アルミニウム生成をが抑制。空気極
側副生成物生成を抑制し完全なる二次電池化へのめどがつく。実際に電解液にイオン液体系を、正極
に窒化チタンや炭化チタンを用いたアルミニウム空気電池を作成し、充放電カーブを測定すると4百
mAh/g以上の電池容量を安定して示すことを確認する(下図)。非酸化物セラミック材料が酸化アル
ミニウムの生成を抑制する理由ははっきりと分かっていない。ただ、従来の炭素系の空気極を用いた
時は、炭素がカーボネート基として存在し、これが何らかの反応で酸化アルミニウムなどの副生成物
になるのに対し、窒化物、炭化物を空気極に用いた場合は炭素がヒドロキシル基で存在する。これが
副生成物の生成を抑制している可能性がある推測する。



● 事例研究:特開2017-050294 組成物、該組成物を含有する多孔性層を有する電極、
                     および該電極を有する金属空気二次電池

【要約】

空気極層、負極層、および電解質層を有する金属空気二次電池であって、前記負極層が、金属電極層
が多孔性層と当接して被覆された金属空気二次電池用負極を含み、前記金属空気二次電池用負極の多
孔性層が前記電解質層と接している金属空気二次電池である。前記多孔性層の原料組成物が、酸化物
系材料およびカーボン系材料からなる群から選択される一種以上を含有することを特徴とすることで
充放電に伴い生成する副生成物の電極への蓄積を防止して、長期にわたり充放電可能な金属空気二次
電池を提供する(詳細は下図ダブクリ参照)。

【特許請求の範囲】

金属空気二次電池の電極に当接して被覆する多孔性層の原料組成物であって、酸化物系材料お
よびカーボン系材料からなる群から選択される一種以上を含有する組成物。 前記酸化物系材料が、Al2O3、ZrO2、SiO2、MnO2、TiO2、V2O5、VO2
のうちのいずれか一種以上を含有した請求項1に記載された組成物。 前記カーボン系材料が、カーボンブラック、カーボンナノチューブ、カーボンファイバ、グラ
ファイト、グラフェン、活性炭のうち、いずれか一種以上を含有する請求項1に記載された組
成物。 金属電極層が多孔性層と当接して被覆された金属空気二次電池用負極であって、前記多孔性層
が請求項1~3のいずれか一項に記載された組成物から構成された金属空気二次電池用負極。 前記金属電極層が、アルミニウム、鉄、マグネシウム、亜鉛、リチウムからなる群から選択さ
れる一種以上を含有する請求項4に記載された金属空気二次電池用負極。 集電支持体を含有する触媒層が多孔性層と当接して被覆された金属空気二次電池用空気極であ
って、前記多孔性層が請求項1~3のいずれか一項に記載された組成物から構成される金属空
気二次電池用空気極。 前記空気極層が、請求項6に記載された金属空気二次電池用空気極を含み、前記金属空気二次
電池用空気極の多孔性層が前記電解質層と接している金属空気二次電池。


JP 2017-50294 A 2017.3.9


JP 2017-50294 A5 2017.4.13

尚、冨士色素は今回開発した新しいアルミニウム空気二次電池の製品化に向けた試作も進めている。
今後は他の企業や研究機関との連携、協業も模索し、商品化に向けた取り組みを加速させる方針だと
いうが、それにしても、世界初を冠する見出しがやけに多すぎるねぇ~と感心する。

● 参考特許:特開2017-092014  アルミニウム空気電池

【要約】

負極にアルミニウムやアルミニウム合金を用い、その負極をポリアニオン性水溶性多糖類でコーティ
ングした構造を特徴とする。これらの構造によりアルミニウム空気電池の最大の問題点である放電生
成物による放電阻害を防ぐことによって、電池を長寿命化することができる。

【特許請求の範囲】

負極及び、正極(空気極)が、電解槽内に配置された一室型電池であって(1)負極として、
アルミニウム又は、アルミニウム合金の導電体を、ポリアニオン性水溶性多糖類を含む溶液を
浸漬させ、電気分解することによって、正極に接続したアルミニウム又は、アルミニウム合金
の導電体に、ポリアニオン性水溶性多糖類が堆積した、負極電極からなり(2)正極(空気極)
として、活性炭、カーボン、カーボンナノチューブなどの炭素材料、La(1-x)AxMnO3
(0.05<x<0.95;A=Ca,Sr,Ba)で表されるランタンマンガナイトなどの
ペロブスカイト型複合酸化物、Mn2O3、Mn3O4などのマンガン低級酸化物、あるいはポリ
アセチレン、ポリチオフェン類などの伝導性高分子から選ばれる1種以上である、正極からな
り、(3)電解液からなる、アルミニウム空気電池。 前記ポリアニオン性の水溶性多糖類が、アルギン酸塩である、アルミニウム空気電池。 前記アルギン酸塩が、アルギン酸ナトリウム、アルギン酸カリウム、又はアルギン酸アンモニ
ウムである、アルミニウム空気電池。 請求項1の電解液は、塩化ナトリウム水溶液、炭酸水素ナトリウム水溶液、過酸化水素、塩化
マグネシウム水溶液、海水、水酸化ナトリウム水溶液、水酸化カリウム水溶液からなる群から
選ばれる少なくとも1つである、アルミニウム空気電池。



● 自然エネルギーで製造したビール 累計百億本超

今月2日、アサヒビールは、2009年からバイオマス発電や風力発電といった自然エネルギーを活用し
て製造。「アサヒスーパードライ」の累計製造本数が、2016年末時点で百億本を超えたと発表。同社
は、2009年4月に日本自然エネルギーとグリーン電力に関する契約を締結。「食品業界で初」という
商品の製造にグリーン電力の活用を始めている。活用した累計のグリーン電力量の累計は約1.6億
kWh(キロワット時)で、一般家庭が1年間で使用する電力の約3万7千0世帯分に相当する。また、
二酸化炭素の削減量に換算すると、累計で約7万7千トンで、杉の木約5百本に相当する二酸化炭素
吸収量に匹敵する。アサヒグループは『環境ビジョン2020』に“自然の恵みを明日へ”という思い
を込めており、今後も太陽光や風力、バイオマスなどの自然エネルギーの利用拡大や省エネルギーを
推進し、低炭素社会の実現に向けて貢献していく。 

    

 June 5, 2017

● ゲルマニウム単結晶の超薄膜化 集積回路の高速化と低消費電力化に貢献

携帯情報端末の普及や、IT機器の高機能化に伴う消費電力の増大により、電子情報機器の消費電力低
減が求められているが、搭載されているLSIを構成する個々のトランジスタの動作電圧の低減が有効
である。これまでトランジスタを微細化することで動作電圧は徐々に下げられてきたが、これまで
LSIで使われていたケイ素(Si)の物性の物理的限界に近づき、近年は1V程度で停滞。ケイ素(Si)よ
り低電圧で動作するゲルマニウム(Ge)を用いた微細なトランジスタの研究開発が進めらている。電
子や正孔の移動度が高く高品質の単結晶Ge薄膜の形成が難しいことがその大きな要因であり、産総研
では、独自の低温貼り合せ技術と高度な半導体転写法を用いた高品質Ge薄膜の形成技術を研究。




今回、半導体転写技術の高度化させ、膜厚10ナノメートルのゲルマニウム単結晶薄膜の作成す法を
開発。上図に今回開発した超薄膜Ge構造の形成法、HEtero-Layer Lift-Off (HELLO)法の概要を示す。
まず、ヒ化ガリウム(GaAs)基板上に剥離層となるヒ化アルミニウム(AlAs)層を形成し、その上に高
品質の超薄膜ゲルマニウム/シリコンゲルマニウム/ゲルマニウム(Ge/SiGe/Ge)の複層膜構造をヘテ
ロエピタキシャル成長させる。SiGe層は後述の選択エッチングプロセスのエッチングストップ層とな
る。ここで、AlAs層やSiGe層のように化学的な性質は大きく異なるがGe結晶の格子とは一致した結晶
成長が肝となる。その後、酸化アルミニウム(Al2O3)絶縁膜を堆積させた。剥離層であるAlAs層を
露出させるために、Al2O3/Ge/SiGe/Ge/AlAs層を部分的にエッチングした後、二酸化ケイ素(SiO2)膜
を付けたSi基板と貼り合わせる。剥離層であるAlAs層だけを薬液により溶解してGaAs基板を剥離する
と、Al2O3/Ge/SiGe/Ge層が転写されたSi基板が得られ、さらに転写されたGe/SiGe/Ge層のうち上側の
Ge層とSiGe層を選択エッチングして順次取り除くと、絶縁膜上に均一な超薄膜Ge構造ができる。最終
的にこの超薄膜Ge構造を、原子層レベルで繰り返しエッチングすることで精密に膜厚を制御できる。


以上、❶半導体転写技術によりゲルマニウム(Ge)単結晶を10 nm以下に超薄膜化、❷薄膜化に伴い、
絶縁膜に挟まれたGe膜中の電子移動度が急激に向上する新しい現象を発見、❸高速情報処理を低消費
電力で行える大規模集積回路実現の貢献が期待される。


  June 5, 2017

● 最も熱い惑星発見 4300度と恒星並み

表面温度が約4300度と、これまで観測された中で最も熱い太陽系外惑星を、東京大と国立天文台など
の研究チームが発見し、5日付の英科学誌ネイチャーに発表。太陽系以外の惑星(系外惑星)は1995
年の初発見以来、4000個近くが見つかっているが、恒星に匹敵する温度の惑星は例がなく、従来
の惑星の概念を覆す発見となる。成田憲保東京大の助教らは、地球から約650光年離れた温度約1
万度の恒星「KELT-9」を回る惑星「KELT-9b」を、国立天文台岡山天体物理観測所(岡
山県浅口市)の望遠鏡などで詳しく観測。周期約1.5日で公転するこの惑星から放射される近赤外
線の測定から、惑星の昼側(恒星を向いた面)の温度が約4300度に達していることが分かった。
こうした高温の惑星では、大気成分に二酸化炭素やメタンなどの分子は存在できず、恒星からの強い
紫外線により大気が常に流出している可能性が高いという。成田助教は「太陽系を含め、惑星形成の
過程を知るためには、さまざまなタイプの惑星を調べる必要がある。これまで不足していた高温の惑
星の情報は、全体像を知る手掛かりになる。


    

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』    

   34.そういえば最近、空気圧を測ったことがなかった

  時計は午後二時を少しまわっていた。ひどくくたびれたという感覚があった。私はクローゼッ
 トから古い毛布を持ってきて、それを身体にかけてソファの上に横になり、しばらく眠った。目
 が覚めたのは三時過ぎだった。部屋に差し込む太陽の光が少しだけ移動していた。妙な一日だっ
 た。自分が前に進んでいるのか後ろに下がっているのか、あるいは同じところをぐるぐる回って
 いるのか、見定めることができない。方向感覚が乱されている感覚があった。秋川笙子とまりえ 
 と、そして免色。彼ら三人が三人とも、それぞれに強い特別な磁力のようなものを発している。
 そしてその三人に囲まれるように、私が真ん中に置かれていた。どのような磁力をも身に帯びる
 ことなく。

  しかしどれだけくたびれてはいても、もう日曜日が終わってしまったわけではなかった。時計
 の針は午後三時をまわったばかりなのだから。そしてまだ日が暮れてもいないのだから。日曜日
 が過去のものとなり、明日という新しい一日が訪れるまでにはたっぷり時間がある。でも何をす
 る気にもなれなかった。昼寝をしたあとでも、頭の奥の方にまだぼんやりとした塊が残っていた。
 机の狭い抽斗の奥に古い毛糸の玉が詰まっているような感覚だ。誰かがそんなものを無理にそこ
 に詰め込んだのだ。おかげで抽斗がきちんと最後まで閉まらない。たぶんこんな日には、私も車
 の空気圧を側ってみるべきなのだろう。何もする気が起きないときには、人はせめてタイヤの空
 気圧でも測ってみるべきなのだ。

  しかし考えてみれば、私はまだ生まれてこの方、自分で車のタイヤの空気圧を測った経験が一
 度もなかった。たまにガソリン・スタンドで「空気圧が下がっているみたいだから、測ってみた
 方がいいかもしれませんね」と言われて、そのときに測ってもらうくらいだ。もちろん空気圧計
 みたいなものも所有してはいない。それがどんな形をしているかすら知らない。コンパートメン
 トに入るくらいだから、それほど大きなものではないのだろう。そしてたぶん月賦を使って買わ
 なくてはならないほど高価なものでもないはずだ。今度試しに買ってきてみよう。

                                     この講つづく

  

● 世界一のマ・マーのペペロンチーニ

最近、日本の冷凍食品も悪くないと思えることがあった。確かに加工食品は、農薬・遺伝子組み換え・
添加物による複合汚染リスクがある。最近摂った日清フーズの冷凍「マ・マー THE PASTA ソテー
スパゲティ ナポリタン」(税抜き価格は330円)で日本食糧新聞・電子版によると、今年3月に
発売されているが、5、6百キロワット電子レンジで5~6分程度加熱するだけで頂ける。フライパ
ンでソテーした時のあの香ばしい炒め感が魅力。エクストラ・バージン・オリーブオイルが豊かに香
り、にんにくの旨味と、赤唐辛子の辛味がクセになる味わいとはメーカーのうたい文句だが、その通
り。これに香辛料、アンチョビ、粉チーズなどを加えて和えれば格段に美味くなり手間暇いらず、昼
間の作業にはもってこい。かくして、虜になる、世界一の技術だ!と。

 

 

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