『三 略』(さんりゃく)
略は「機略」「戦略」の意味。『六韜』(ろくとう)と並んで『韜略』といわれる。六世紀ごろの成
立。『三略』は神秘的な成立伝説にいろどられており、今日の目でみると、時代がかっている部分が
多い。上略・中略・下略の三笥から成るが、その中から現代にも通ずる部分を選んで訳出する。
性質に応じて使え
『軍勢』には、こう記されている。
「人には、それぞれ目的がある。知謀にたけた人は、功業をたてたいと望かだろうし、勇を好む人は、
志が達成されることを順うだろう。物欲の強い人は、利益をあげることを求めるだろうし、愚鈍な人
は、死ぬことを何とも思わないだろう。したがって、軍隊を統率するさいには、各人の真意がどこに
あるかをよく見極め、それによってそれぞれの使い道を決める必要がある。こうしてキメの紬かいや
り方で一軍を統率することが大切である」(中略)
〈『軍勢』〉古代の兵法書といわれているが、定かではない。先の『軍職』と同じく、仮託の言で
あろう。
機密保持・団結・敏速
『軍識』には、こう記されている。すなわち、「大事なことは、将のはかりごとに秘密が保たれ、兵
士が一致団結し、敵を攻めるに当たって敏速であることである」と。将のはかりごとに秘密が保たれ
るならば、車内に火切り行為は超こらない。兵士が一致団結しているならば、いかなる事態にも結束
して当たることができる。攻撃が敏速に行なわれるならば、敵は防禦態勢を建て直すいとまがないだ
ろう。この三つの条件が備わった軍隊であれば、いかなる計略をたてても失敗することはない。
その反対に、もし将のはかりごとがいつのまにか洩れてしまうならば、軍隊は無力になる。もし、内
部の状況が敵につつぬけであるならば、不利な事態の生じるのを防ぎようがない。もし、内部に敵と
通じる者が現われて買収工作を行なえば、兵士はたちまち徒党を組んでよからぬ相談をするだろう。
この三つの害悪に気づかぬ将が車の統率するとしたら、勝利は絶対におぼつかない。(上略)
衰亡する組織とは
軍を統率して臨戦態勢にしておくのが、将の務めである。実際に敵を打ち破って勝利をもたらすのが
兵士の務めである。してみれば無能な武将に軍を維持させ、命今に従わない兵士に敵と戦わせたとこ
ろでむだである。敵城をおとせないことはもちろん、野戦においても失敗するに決まっているからで
ある。どちらをやっても戦果をあげえないならば、その結果は、軍の疲弊が残るだけである。疲弊し
た軍隊にあっては、将は孤立し、いくら命令を下しても兵士の反感を買うばかりである。こうして守
っては崩れ、戦っては敗走するのが、無能な将と命今に従わない兵士とを抱えた軍隊の運命である。
これはもはや衰亡した軍隊でしかない。
軍隊が衰亡するとどうなるか。もとより将の威令はゆきわたらず、したがって刑罰を課しても甘くみ
られるばかりである。兵士の隊伍はバラバラになって、逃亡兵が続出するだろう。そうなっては、敵
にやすやすとつけこまれるだけである。敵につけこまれた軍隊は、滅亡する。(上略)
第17章 「アグロマフィア」の象徴、南イタリア産トマト缶
第4節 プッリャ州チェリニョーラ。ガーナ・ゲットー
2016年3月、わたしはエンゾ・リモザーノに同行してガーナ・ゲットーを訪れた。リモザーノは
心臓血管外科の元医師だ。すでに定年で引退している-ゲットーの人口でキャンピングカーを停め、
エンジンを切る。フロントガラスの向こうに、廃墟となったカソラーレの小さな集落が見える。わた
したちは車を降り、ドアをバタンと閉めた。その立日を間いて、あたりをうろついていた野良犬が吠
えはじめる。目の前にはゴミが散らばった細い泥道が伸びていた。
歩きだしたリモザーノの後をわたしもついていく。ガーナ・ゲットーを訪れる外部の人間は、はじめ
にリーダーのところへ挨拶に行かねばならない。アフリカの部族を訪ねるときと同じしきたりだ。ガ
ーナ・ゲットーの「首長」の名はアレクサンダーという。
「首長はここに住んでるんだ」
シモザーノは小声で言い、ドア代わりに取りつけられた木の板をノックした。屋根に穴が開いていた
が、ダンボールでふさいであった。その上に防水シートがかぶせてあり、重石が乗っている。寒い日
たった。ゲットーは閑散としていて、誰もいないように見える。
「この時期、畑の仕事はほとんどないから、別のところに働きにでてる人間が多いんだ。気候がよく
なって収穫期になるとまたここに戻ってくる」
室内には三人の男性がいた。顔を見分けることができないくらい薄暗い。
「チャオ。アレクサンダーはどこだい?」
リモザーノが尋ねると、三人は一斉にひとつの方向を指差した。そちらを見ると、酋長が毛布にくる
まって、発砲プラスティックシートの上に横になっていた。室内には、どこかから拾ってきたらしい
古い家具がいくつも置かれている。首長が寝ている奥の壁には、バス停から拝借してきたらしい大き
な宣伝用ポスターが一面に貼られていた。高級ブランドの香水、女性用ランジェリー、ジュエリーな
どの広告で、肌をあらわにした女性がポーズをとっている。
アレクサンダーがゆっくりと起き上がる。あごひげに白いものが混ざっていた。歳をとっているせい
か、あるいは眠いせいか、動きがぎこちない。アレクサンダーはわたしたちにほほ笑みかけ、一ゲッ
トーにようこそ」と挨拶をした。首長もほかの居住者だちと同様に移民労働者だ。カポラーレとはい
っさい関係ない。ガーナ人が多いことから「ガーナ・ゲットー」と呼ばれるこの労働者キャンプで、
年配者であるがゆえに首長と呼ばれるようになったのだ。
薄明かりのなかにいる三人の男性は、表情ひとつ変えずにこちらを観察している。そばにはロードレ
ースのポスターが貼られていた。ライダーがバイクを内側に傾けながら、サーキットのカーブを回っ
ている。
「きみたち、もし医者が必要なら言ってくれ。人口に停めてあるキャンピングカーで診察するから」
リモザーノはそう声をかけ、握手をしてから家の外へ出た。それからひとつひとつカソラーレを訪れ
て、医師が来ていることを告げて回った。
ガーナ・ゲットーを訪れるのは、FLAI‐CGILの組海員と、近隣に暮らす修道女のシスター・
パオラ以外では、このリモザーノくらいだった。
「2015年には、イタリアの有名なNGOが、ここにいる気の毒な労働者たちの医療ケアをしに来
ていたんだ。救急医療チームも連れてきていたから、かなり質のいい医療だった。でもそれは、プッ
リャ州から助成金が出ていたからやってたんだ。助成金が打ちきられた途端、彼らはぱったり来なく
なった。自分たちの資金を使って2ヵ月に一度くらいは来たってよさそうなものなのに、あれから一
度も来やしない。でもここの状況はちっともよくなっていない。何ひとつ改善されていないし、むし
ろ悪くなってるくらいだ。そのNGOは今も、アフリカの紛争地帯の子どもたちの写真や映像を使っ
て、駅のボスターやテレビCMで寄付を募っている。そういう活動をしている一方で、イタリアにい
るアフリカ人たちを見捨てているんだ。こんな近くに困っている病人がいるというのに。まったく恥
ずかしいことだ」
リモザーノは憤慨していた。彼は政治活動家でもなければ、カトリック慈善団体のボランティアでも
ない。単なる引退した医師だ。ひょんなことから未知の世界の現実を目の当たりにして、どうしても
見すごすことができなかったのだ。
「正直なところ、ここに最初に来たときは、人生で初めてイタリア人であることを恥ずかしく思った
よ。だから、自分にできることはすることにした。協力してくれる人たちもいる。医薬品を分けてく
れる薬剤師もいる。医大の講堂で呼びかけると、月に一、二度の日曜、いっしょにブッリャ州のゲッ
トーを巡回してくれる医学生や研優生もいる」
地方自治体で運営している給水車が、ときどきゲットーにやってくる。だがかなり不定期で、週に一
度来ることもあれば、何週間も来ないこともある。その間、ゲットーでは飲用水が今に入らない。
リモザーノが運転してきたキャンピングカーは、NGOが所有する最先端の医療救護車とはまったく
ちがう。ボロボロの中古車で、シートはすでにすりきれている。ブッリャ州で活動する複数の慈善団
体が共有する、唯一の医療用車両だ。そのたった一台の車を借りて、月にスニ度、診察のためにここ
にやってくる。
キャンピングカーで診察が行なわれている間、わたしはゲットーをぶらついた、そしてト-ゴ人の男
性と出会った。このゲットーでフランス語を話すのは彼だけだという。「もうどうしたらいいのかわ
からない」と、途方にくれた様子で言う。
イタリアのゲットーで、ヨーロッパに渡ったことを後悔しているアフリカ人移民に会ったのは、これ
が初めてではない。多くの男たちが、どんなにつらい仕事も耐える覚悟で、希望を胸にここへやって
くる。だが、難民認定手続きで却下され、しかたがなく不法滞往者になったときが運命の分かれ道だ。
行くあてがなくなりゲットーに身を寄せる..生きるために仕事に就くが、稼いだ金はゲットーでの
生活で失われ、その日暮らしの賃金労働者になる。わずかな賃金を節約してようやく小銭を貯めたこ
ろ、母国の知り§いから電話がかかってきて、金を送るようせがまれる。そして、母国になけなしの
金を送る。相手を失望させたくないからか、助け合いの精神からか、あるいは「貧困に立ち向かう勇
敢な自分」という自らが築いたイメージを壊したくないからか、侈民たちは誰もがそうする。そして
数カ月経ったころ、もうそこから抜けだせなくなってしまうのだ。
ガーナ人の男性とも知り合った。顔をケガしていたので、キャンピングカーに連れていくことにした。
カポラーレが数日分の賃金を支払ってくれなかったのでケンカになり、ナイフで切られたのだという。
だが、きちんと治療してもらえぼ痛みはひくだろう。
「さあ、なかへ入って。痛いだろうけど、大ケガじやないから大丈夫だ」
わたしは男性を促し、いっしょに単に入った。車内には消毒液の匂いが漂っていた。治療を終えると、
リモザーノは薬が入った箱の上にI2」と記し、さらに二本の棒線を引いた。一回に服用する薬の数
を示すためだ。男性は文字が読めなかった。それでも不安そうにしていたので、リモザーノは最後に
指を二本立ててみせた.
第5節
トマト収穫期だけなわの2016年7月、わたしは再びガーナ・ゲットーを訪れた。三月に来たとき
よりずいぶん移民が増えていた。みんな英語で会話をしている。
通り沿いの上手の上に車の残骸があった。前回もそこにあった覚えがあるが、そのときは気にもとめ
なかった。だが、今回はドアが開いていた。見上げると、なかに黄色いTシャツを着た黒人の男性が
いるのがわかった。目を見開いて今にも襲いかかってきそうな表情をしている。が、身動きひとつし
ない。数分経ってもそのままだった。
わたしは男性のほうに近よった。だが、数メートルのところまで近づいても、視線を合わせることは
できなかった。年齢は50代くらいだ。まるで生気のない、ガラス玉のような目をしている。この車
の残骸のなかで暮らしているのだろう。なかは雑然としていた。男はようやくわたしの存在に気づい
たようで、聞きとりにくい英語で口ごもった。わたしたちは互いに意思疎通をはかろうと試みた。彼
は底が抜けて黒ずんだ鍋をわたしに示した。車内からひどい匂いが漂ってくる。ここで寝泊まりして
いるのかと尋ねると、ことばを発する代わりに寝る真似をしてみせた。布きれにくるまってシートに
横たわる。それから、足の甲に広がる化膿した傷を見せてくれた。
この傷のせいで収穫の仕事ができなくなったのだ。その目はもうまわりの世界を見ていなかった。そ
の男性にとっての世界のすべては、果てしなく広がる虚無なのだ。それは底知れない開だ。もはや労
働力を提供することはできない。金を稼ぐ手段を失った。ガーナで生まれ、プッリヤ州にやってきて、
何年も農業をして働いてきた。このゲットーで、最後の最後まで力を振りしぼって精いっぱい生きて
きた,だが、もう力つきたのだ.
夏の暑さに参ってしまったのだろう。ほかのアフリカ人移民にめぐんでもらう食料だけを頼りに、な
んとか命をつないでいる。ゲットーには野良犬がいるが、あたりを跳びはれたり、木陰でのんびり眠
ったりしていて、この男よりずっと幸せそうだ。男はゆっくり息を引きとろうとしていた。目の前に
広がるのは果てしない孤独だけだ。身動きひとつせず、車のシートに座ったままでそこにいつづける。
夜のとばりが下りるなか、その車のドアは大きく開け放たれたままたった。
第18章 イタリアの労働者の違法な搾取
第1節
農業の労働市場をめぐる争いには歴史がある。そしてその争いは、イタリアの歴史において重要な位
置を占めている。かつて北イタリアのボー川流域では、肥沃な土地と豊富な水資源によって農業が栄
え、その恩恵を受けて加エトマト産業が誕生した。その一方でボー川流域は、イタリアでファシズム
運動が誕生した土地でもあった。
1919年イタリア戦闘者ファッシ」という政党を設立したベニート・ムッソリーニは、総選挙で惨
敗したのちにこの地で勢力を拡大した。この土地の自作農たちを、党の準軍事組織「行動隊」に取り
こんで、イタリア社会党と争いながら権力を強めていったのだ。行動隊に参加した自作農のほとんど
は、第一次世界大戦の退役軍人だった。当時、ファシスト運動家としては、作家・詩人でもあったガ
ブリエーレ・ダンヌンツィオのほうがムッソリーニより知名度が高かった。そんななかでムッソリー
ニが台頭できたのは、行動隊の支援があってこそだった。
1919年といえば、第一次世界大戦とロシア十月革命の気配が色濃く残っていたこともあって、総
選挙では社会党が大勝した。これをきっかけに、「赤い二年間」が始まった。不況が深刻化したこの
時期、農民と労働者はあちこちで農地や工場を占拠し、暴動を起こし、ストラ
イキを実行した。イタリア社会党の急進派は、土地を所有していない小作農、いわゆる日雇い労働者
と呼ばれる人たちを率いて革命を起こそうとした。社会主義の名の下に、彼らに労働市場を支配させ
ようとしたのだ[1]。主にボー川流域で、労働組合や労働会議所が次々と設立され、日雇い労働者
たちが組織で活動しはじめた。農場経営者による支配に抗議し、労働の解放を求めて戦った。その結
果、賃金はアップし、労働条件も向上された。
1920年、ボー川流域では、農場経営者が労働者を雇いたいときは、自ら労働会議所に出向いて手
続きをしなくてはならなくなった。日雇い労働者に対して常に優位な立場にあった農場経営者が、権
力を増してきた労働組白と対等に交渉することを強いられたのだ。労働組白け日雇い労働者たちに、
土地の所有や社会的地位より労働のほうが価値があるという思想を広めた。
農場経営者たちは、かつての資本主義システムを取り戻し、自分たちが再び且雇い労働者より優位に
立てるよう、社会主義を破壊しようとした。だが一筋縄ではいかなかった。労働組合の要求を退けよ
うとすると、すぐにストライキが起こるからだ。状況はかなり緊迫していた。
そこで農場経営者たちは政府に支援を要求した。しかし当時の首相ジョヅアンニージョリッテイは中
道的な自由主義者で、しかもやがて80歳になろうとしていた。5期目の首相に就くために贈賄にも
手を染めており、国の秩序を回復させることはもはやできなかった。
代わりにその役目を拒ったのは、黒シャツ隊だった。各地の行動隊を統合して結成された、ムッソリ
ーニの政党の私兵組織だ。1920年11月、イタリア戦闘者ファッシはファシスト党と改組され、
各地の暴動やストライキは黒シャツ隊によって鎮圧された。同年11月21日、北イタリアのボロー
ニャの市役所で六大の社会主義者が殺害されると、労働者にとって黒シャツ隊は大きな恐怖となった。
黒シャツ隊の中核メンバーも行動隊と同様に退役軍人で、反戦主義と国際主義を掲げる社会党を忌み
嫌っていた。そもそも1914年、社会党員だったムッソリーニは、参戦主義と国家主義を掲げて大
々的な参戦運動を展開し、党から除名処分を受けていたのだ。ヨーロッパの社会主義政党で、戦時も
中立を主張しつづけたのはイタリア社会党だけだった。黒シャツ隊は、社会党に関わるあらゆるもの
を破壊していった。社会党系列の新聞社、印刷所、労働会議所、組か集会所、交流クラブ、協会事務
所などを次々と放火した。イタリアの国情は一気に不安定に陥り、多くの都市がファシスト党の支配
下に置かれた。
1921年1月21日、労働者の暴動やストライキを指導したアントニオ・グラムシらが、社会党か
ら分裂してイタリア共産党を結成する。するとファシスト党は共産党を新たな攻撃のターゲットに据
えて、ますます勢いづいていった。一方、政権は自由党が掌握しつづけたものの、共産党、社会党、
人民党が桔抗して次々と内閣が交代し、政府はほとんど機能しなくなった。労働者の暴動を恐れる農
場経営者はムッソリーニとファシスト党を支持し、資金や武器を援助した。そして1922年10月
ムッソリーニによるクーデターのローマ進軍が起こり、国王がムッソリーニに組閣を命じ、11月2
4日にムッソリーニ政権が誕生した。12月19日、イタリア産業総同盟(コンフィンドウストリア)
は、ファシスト政権が設立したファシスト協同同盟の支配下に置かれた。1926年には、イタリア
でストライキは違法とされた。
第2節 イタリア、プッリャ州プリンディジ
「カポララートは労働市場の違法占有です。それ以外の何ものでもありません」
プッリャ州ブリンディジのイタリア労働総同盟=食品農業組合(FLAI‐CGIL)書記長、アン
ジェロ・レオは、2016年7月31日の取材に対してこう述べた。
「不法労働を斡旋するカポラーレは、1960年代に登場しました。きっかけはモータリゼーション
です。そもそもカボラーレは、ライトバンなどの輸送手段を所有している人たちのことでした。日雇
い労働者から金を集めて畑まで送迎していたのです。初期のカポラーレは、むかしイタリアで農業に
従事していて、戦後ドイツに移住したイタリア人でした。夏のバカンス中イタリアに車で帰省してい
たのが、やがて休暇をとるより金もうけをするのを選ぶようになったのです。当時のイタリアでは農
業が大きな変化を遂げていました。急増する消費を満たすために機械化が進められました。労働者の
需要も高まりました。
ライトバンを所有するカボラーレは、農業生産者に労働力を供給することで大金を稼ぎました。じつ
は、カポララートは、アフリカ人、ルーマニア人、ブルガリア人の移民労働者だけを対象にした組織
ではないのです。
搾取されるのはイタリア人も同じです。たとえばこのブリンディジでは、今でも多くのイタリア人女
性がカポラーレに頼って仕事を得ています。自家両軍を所有していない女性でも、カポラーレの単に
乗って自宅と畑を往復できるからです。晨良150キロメートル離れた場所まで送迎してもらえます。
朝三時から四時ごろ、大きな広場や目抜き通りでカポラーレは労働者たちを拾います。
労働者をトラックに乗せるかどうかは、カポラーレが判断します。トラックに乗せるための条件も一
方的に設定します。たとえば、労働一時間分の賃金を手数料として支払うといったことです。不平を
言えば翌日から単に乗せてもらえなくなります。
現在、イタリアでは失業率がとんでもなく高くなっています。とくに南イタリアの主婦のなかには、
一家の大黒柱として働かざるをえない場合もあります。だからこそ、カポラーレにしぶしぶながら服
従するのです。労働市場を支配しているのはカポラーレですから。わたしがプッリャ州で組海員とし
て活動してきて、かれこれ40年になります。カポララートがどんどん成長し、巨大組織化するのを
目の当たりにしてきました。毎年夏になると、畑で作業中に労働者が命を落とします。それがたまた
まニュースになり、労働者の名前が報じられるときだけ、わたしたちはその事実を知ることができま
す。でもたいていの場合、とくにそれが不法移民だったりしたら、事件は決して公になりません。証
人は買収され、遺体はすぐに別の場所に移されます。カポラーレがどこかへ隠してしまうのです。
1980年代の終わり、わずか数年間だけ、ブッリャ州とバジリカータ州で協定が結ばれました。数
百人の農業労働者を対象に、労働の自主管理プロジェクトが試験的に実施されたのです。この一環で、
農業労働者のための公共交通機関の整備、公的な職業相談所の設立、労働組合権の付与、労働時間の
遵守などが行なわれる予定でした。ところが、カボラーレたちがこれに暴力で抵抗したのです。まず
公共機関が所有する単に次々と火を放ちました。それから、このブロジェクトに協力する予定だった
企業の経営者に、手を引くよう脅迫しました。カポラーレは、プロジェクトが成功してこの動きが
各地に広がることを恐れたのです。
結局、このブロジェクトは、関係者たちが怖気づいたことで失敗に終わりました。それを決定的にし
たのは、ブリンディジのチェーリエ・メッサーピカという町で、組合の集まりが襲撃される事件が起
きたことです。その日、労働会議所には、カポラーレの性暴力に抗議する女性労働者たちが集まって
いました。その真っ最中に会場が取り囲まれ、ふたりのカポラーレが乱入してきたのです。わたしも
その場にいたのですが、抵抗すると暴力を振るわれ、殺すと脅されました。女性たちはからくも逃げ
だしましたが、殺されるのではないかと怯えていました。
襲撃事件を起こしたカポラーレたちは、イタリア国家憲兵カラビニエリによって逮捕され、のちに裁
判で有罪になりました。でもこの事件は女性たちにトラウマを負わせ、プロジェクトを進める勇気を
失わせてしまいました。それからまもなく、労働市場は再びカポラーレの手中に戻ったのです」
第3節 イタリア、ローマ。共和国元老院(上院)
2011年、イタリアでカボララート取締法が制定された。にもかかわらず、いまだこの問題が解決
していないのはなぜだろうか?原因のひとつとして考えられるのは、この法律には、カポララートの
労働力搾取における大手食品メーカーやスーパーチェーンの連帯責任を問う記述がないからだ。だが、
労働力を搾取することで生産された商品を販売しているのは、こうした大手企業だ。プッリャ州で収
穫されたトマトを使ったホールトマト缶は、ヨーロッパ中、あるいはアメリカで、大手食品メーカー
やスーバーチェーンによって流通されている。
大手スーパーチェーンや、トマト缶メーカーを傘下に置く食品グループは、労働力を供給されている
トマト生産者以上に、カポララートの恩恵を受けている。トマト生産者のもうけは、収穫量1キロ当
たり7ユーロセントから10ユーロセント程度だ。それほど余裕のある生活はしていない。カポラー
レに関しては、収入はケースバイケースだ。現在のカポラーレの多くは元移民労働者で、イタリア語
を流暢に話せるために搾取される側からする側に回った。高額を得ているカポラーレの燭台、月に1
万ユーロ以上になることもある。労働者に対して情け容赦ないのがこのタイプだ。だがたいていのカ
ボラーレの収入はそれほど多くない。カボラーレは犯罪集団の末端にすぎず、背後の黒幕に金を渡さ
ざるをえないからだ。
この犯罪ネットワークが明るみに出たときに逮捕されるのは、実際に畑に姿を見せるトマト生産者と
カポラーレだけだ。食品メーカーや大手スーパーチェーンの経営者たちは、決して罪に問われること
はない.
「この問題を解決するには、業界の連帯責任を問う必要があります」
ブッリャ州の上院議員のダリオ・ステファノ(「左翼・エコロジー・自由」党所属。同党は2016
年に解党)はそう言う。カポララート取締法の草案を作成した人物だ。
「イタリア国内はもちろん、EUの法律も変えるべきです。大手食品メーカーやスーパーチェーンは、
加工トマト業界で起きているすべてのことについて連帯責任を負うべきです。いえ、トマトだけでな
く、農業全般についてそうでなくてはいけません。下請けがやっていることを見て見ぬふりをしたり、
知らなかったとうそぶいたりできないようにすべきです。大企業が下請けに責任をなすりつけて知ら
ん顔をしているかぎり、カポララートはヨーロッパからなくなりません。現行法より厳しい法律を制
定し、大企業が商品生産をきちんと管理するようにさせるのです。そうすれば、カボララートの存在
を見て見ぬふりができなくなります」
2011年に制定された法律では、カポララートを消滅させることはできなかった。今もイタリアの
新開では、この問題が一面で頻繁に取りあげられている。一部のカポラーレは、まんまと法の目をかい
くぐり、新しい状況に適応しながら生き延びている。合法の派遣会社を設立し、犯罪を偽装しはじめ
たのだ。これによって、とくに南イタリアにおいて、移民の不法労働にまつわる新たなタイプの犯罪
も誕生した。農業労働時間の闇取引だ。
イタリア国民が年金や失業手当などの社会保険を受けるには、何らかの分野で一定期間労働し、保険
に加入しなくてはならない。カポララートはその労働時間を開で売りはじめたのだ。つまり、アフリ
カ人などの移民が不法労働を行なった分の時間を、イタリア入がカポララートを通じて購入する。す
るとそのイタリア入は、実際は労働をしていなくても、その労働時間と保険加入期間の記録のおかげ
て失業保険や年金を受給できるようになる。だが本来、その権利は労働者本人に還元されるべきもの
だ。つまりここでも移民労働者は搾取されていることにな そのうえ、一派遣会社」代表のカポラー
レやトマト生産者は、万一当局から疑われて捜査されても言い逃れができる。正式な書類さえそろえ
ておけば、「実際に雇用した」「合法的に社会保険に加入させた一と主張することが可能だからだ。
こうして労働市場は「派遣会社」に支配され、アフリカ入移民はますます就労を申告したり、支払い
証明を受けたりできにくくなった。
合法的にイタリアに滞在できる許可を取得することがいっそう困難になったのだ。
「それから、畑から小売店まで、商品の一貫したトレーサビリティを確保しなくてはなりません。業
界全体の連帯責任を可能にするためです」
カポララートはイタリアだけの問題ではないと、ステファノ上院議員は言う。イタリア入だけに責任
があるわけではない。この問題の根本的な原因は、ほかのさまざまな現象と同様に、グローバル化し
た資本主義経済にあるからだ[2]。
カポララートという労働者搾取システムは、かつての奴隷制度の再来だ。自由主義思想を経済体制に
取り入れたために誕生したのだ。自由放任主義によって、政府が経済活動や市場に干渉しなくなった
からだ。
奴隷制度がいかに自由主義と関わりが深いかは、世路の歴史を振りかえればわかるだろう。
人身売買がもっとも盛んに行なわれたのは、一六世紀からIハ世紀だった。それはちょうど経済学者
や哲学者たちによって、新たに台頭した特権階級の私的財産を前提として自由主義が提唱された時代
に相当する。
今日、南イタリアの農業における「自由」は、ある特定の人たちだけに利益をもたらすものになって
しまった。そしてそれは、不当な利益だ。EU圏内に多くの移民キャンプが作られ、労働者を搾取・
脅迫し、正当な権利を要求するアフリカ人移民をときに殺害するカポラーレたちが、堂々と車で街中
を行き来する………だがこれは「自由」がもたらした現実のもっとも衝撃的な一例にすぎない。
ジャン=バティスト・マレ著 『トマト缶の黒い真実』
この項つづく
【安坊峠/焼岳弾丸登山Ⅱ】
安房峠
焼岳火山群は,北アルプス南部,安房(あぼう)峠(標高1790m)以北に位置するアカンダナ火山,白
谷山(しらたにやま)火山,大棚(おおだな)火山,焼岳火山,岩坪山(いわつぼやま)火山,割谷
山(わるだにやま)火山の7つの火山から構成される.この火山群の東側には信濃川水系の梓川が、
西側には神通川水系の高原川が流れ,これら河川の河床から山稜までの比高は1000m以上もあり急峻な
地形をもつが、山麓には上高地、平湯、細池、小船、安房平などの小盆地(凹地)が存在。これらは、
焼岳火山群の裾野と基盤岩が接する所にあることから,この火山群の活動による河川の堰き止めによ
り形成されていると考えられている。
焼岳(標高2455m)は、溶岩ドームとそれが崩壊して発生した火砕流堆積物で作られた火山。数千年間に
1回程度の割合でマグマ噴火を行い、その間に複数回の水蒸気噴火を行っている。約2300年前に最新
のマグマ噴火が発生し、山頂部分の溶岩ドームとその周囲の火砕流堆積物が作られた。近年の噴火は
いずれも水蒸気噴火で、降灰や噴石の降下と共に、火口から直接火山泥流が流れ出る。平常でも噴気
活動が認められ、気象庁が定めた「活火山」であり、「常時観測火山」である。
天候良好、30日(月)午前2時出発→中部縦貫道路を経て奥飛騨温泉郷=安坊峠経由→7時に焼岳
登山口駐車場着→11時、強烈な日照で8、9合目付近で携帯飲料水300ミリリットルを切る(途
中確保不可)、登頂断念下山→14時、中の湯旅館で休憩(水分補給1リットル)→17:30帰宅。
● 今夜の一曲
『中島美嘉 命の別名』
● 今夜の寸評:スポーツ・ブラック・ビジネス
大相撲、アメフト、レスリング、ボクシングが何かと話題になっているが、「トマト幹の黒い真実」
のアグロマフィアではないが”スポーツ・マフィア”が横行するかのようだが、所詮、貧相な経済行
為に過ぎない。「第5次産業の誕生に向けて」のダークサイド(反社会敵)の浸潤を予感させるもの
とし関心を惹く。
※「第5次産業論」について『デジタル革命渦論』を参照。