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春樹ワールド フルスロットル

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 【魔術的現実主義ってなんだ】

ドイツ大手日刊紙ウェルト(電子版)は4日、同紙の「ウェルト文学賞」を今年は村上春樹に授与する
ことを発表。授賞式は11月7日にベルリンで行われる。授賞理由として、選考委員会は「村上氏は最も
重要な現代日本の作家」であり、「欧米近代という巨大な伝統をポップカルチャーなどの影響と結び付
けている」と評価。1990年代の作品「ねじまき鳥クロニクル」などを挙げて「日本の大都市生活者
の意識を超感覚的な世界に自然に導く魔術的現実主義とも言うべき独特の作風を打ち立てた」と述べて
いる(時事通信、2014.10.04 20:51)。1999年に創設されたこの文学賞は、ハンガリーのイムレ・ケ
ルテース氏をノーベル文学賞の受賞の2年前の2000年に選出するなど、これまで15人を選んでい
るが、日本人が選ばれるのは今回が初めて。

ところで、なぜドイツなのか疑問に思って、ネットで下調べすると――日本を代表する“グローバル作
家”と評されている村上春樹氏が65歳の誕生日を迎える2日前の2014年1月10日、最新作『色彩を持た
ない多崎つくると、彼の巡礼の年』のドイツ語版(Die Pilgerjahre des farblosen Herrn Tazaki)が発売され
た。13年10月に発売日が公表されて以来、ファンもマスコミもこの日を待ちわびていた。そして当日、
全ては予想通りに進行していった。多くの書店では最も目立つ入り口付近に新刊が平積みにされ、電子
書籍版も同日に発売。新聞の書評やラジオでの報道なども、318ページに及ぶ村上作品をむさぼり読もう
とする読者の興奮をあおり、大きな盛り上がりを見せた(「特集 村上春樹をめぐる世界の旅  村上春樹
作品のドイツ語訳に関する一考察
」2011.02.24、日地谷=キルシュネライト・イルメラ)――で、その
理由らしことが掲載されていた。





「村上氏の新刊の発売は、今や一大イベントになりつつある。もちろん、書店前に長蛇の列ができるJ.K.
ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズなどに比べると騒ぎは控えめだ。それでも、最近は発売に
合わせて手の込んだプロモーションが行われており、村上作品の人気ぶりがうかがえる。あるいは逆に
捉えるべきなのかもしれない。3部作『1Q84』の時は、第1部・2部の刊行に先駆けて、ドイツの読者
のために特設サイトが設けられたのだが、そんな頭の良い販売戦略が、特に若い読者たちの村上熱を強
力に押し上げたのだ、と。注目すべきは、『1Q84』と『色彩を持たない〜』のドイツ語版が、英語版に
先駆けて出版されたことである。『色彩を持たない〜』の英語版(Colorless Tsukuru Tazaki and His Years
of Pilgrimage)の発売予定は14年の8月だが、多くの言語がこれに先行している。韓国語版は13年夏に、
スペイン語版、ルーマニア語版、ハンガリー語版、ポーランド語版、セルビア語版、中国語版は13年秋
に刊行済みだし、オランダ語版は14年1月に発売。日本語版の刊行から翻訳版の発売までのタイムラグ
は一作ごとに縮まってきており、これも村上氏が高い市場価値を持つ世界的に著名な作家である証左と
いえる。」と、英国よりドイツで先んじて出版されたことが強調されている点だ。

そして、その背景に、村上文学の普及においてとりわけ重要な役割を果たしているのが翻訳家であるユ
ルゲン・シュタルフ――「パン屋再襲撃」(85年)、「ローマ帝国の崩壊・1881年のインディアン
蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」(86年)などの短編を翻訳し、87年から88年に
かけて文芸誌に発表。さらに91年、彼は若手翻訳者との共訳で、長編小説『羊をめぐる冒険』を老舗出
版社インゼルから刊行。それらの作品はドイツの批評家の間で“驚くほどアメリカの香りがする”日本
からの新鮮な声として好評を博し、さらに多くの村上作品を受け入れる素地を作った――の影響が大き
いという。ところで、ドイツで初期の成功を収め、英語など各国語への翻訳が進むにつれて、村上は、
米国のエージェントを介し、より厳格な手続きを求め。90年代前半、ドイツではシュタルフが短編集を
企画し、英語版の版権の交渉中であり、収録作品は自分で選びたい著者の意向が働き、ドイツ語への翻
訳が認められず企画が断念されたが、タラ・ネバの話、ドイツ人の好みに合わせて選ばれたその短編集
が実現していれば、ドイツ語圏におけるその後の村上文学の受け入れられ方は違っていたかもしれない
ともいう。そのことを踏まえても、『羊をめぐる冒険』の次にドイツで出版されたのは短編集ではなく、
長編小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(85年)だったからだ。しかも『世界の
終わり〜』は、すでに89年から90年にかけて、数回にわたって文芸雑誌に抄訳が掲載されていたにもか
かわらず、ドイツ語の完訳版が刊行されたのは91年の英語版発売後のため、日本文学の関係者や出版関
係者、そして読者の間には、「日本の作品が海外で成功するには英語版が欠かせない」というバイアス
がかかったという。





村上春樹自身、米国文学の翻訳を行い、自分の作品中に米国的要素が多い。が、しその後、なぜ『国境
の南、太陽の西』(92年)と『ねじまき鳥クロニクル』(94年〜95年)が英語版からドイツ語に翻訳さ
れるようになったかの理由は明らかではない。『国境の南〜』は、ドイツでは2000年に『危険な恋人
(Gefährliche Geliebte)』のタイトルで刊行されたが、この作品はやがて文学界に大論争を巻き起こし、
文学とメディアの関係を変えたといわれるが、その頃すでに、ドイツの人気テレビ番組「文学四重奏団
(Literarisches Quartett)」に作品が取り上げられるほど著名な作家になっていたが、著者自身、米国から
の重訳が望んだことになる。少なくともドイツではそう受け止められたという。

そこで、英語版が底本として使われなくなったとしたら、各国語版のための編集はこれからどのように
行われていくのだろうか、それとも、最近の村上作品は海外市場を念頭に置いて執筆されているため、
編集など必要ないものに仕上がっているのだろうか。日本文学や翻訳を研究する者にとっては非常に興
味深いテーマである。ちなみにドイツの翻訳出版物では、原語から直接ドイツ語に翻訳される作品が88
%を占め、英語など他言語から重訳される作品は12%にすぎず、この割合は1868年から現在までほぼ一
定しており、後者のパターンが用いられるのは、主にマンガ、犯罪小説、ミステリーなど大衆向けの出
版物である。この数字をどう捉えるべきか、ドイツ語以外の言語の状況はどうなのかなど、十分に考察
する必要があるだろうと結んでいる。


ところで、ドイツでは、初期作品の新訳に加えて、最近注目を集めているのはイラスト入りの短編であ
るという。2012年、「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」の2篇をドイツ人画家カット・メンシックの
イラストで構成した書籍が発売されたが、これは日本でも刊行された。2013年には同じメンシック
の挿画で『ふしぎな図書館(Die unheimliche Bibliothek)』の新版も出版されている。こうしたビジュア
ル・ブックの登場で、村上文学は故郷日本への逆輸入も含めた、グローバルな規模での新たなチャンネ
ルを獲得しているのだと評価されている。 

また、『ねじまき鳥クロニクル』は、1995年に読売文学賞を受賞し、1999年、英訳版 『The
Wind-Up Bird Chronicle』として、国際IMPACダブリン文学賞にノミネートされている。なお、英訳を担
当したジェイ・ルービンによれば、本作がまだ『新潮』に連載中のときに村上本人から依頼を受けたと
いう。2003年には翻訳者のルービンが第14回野間文芸翻訳賞を受賞している。なお、この長編小説は、
私自身熱心に読み込まず、本棚に積まれていたと言うほどの印象しかない(賃金労働に没頭していたと
いうと言い訳がましい気がするが)――長編小説「ねじまき鳥クロニクル」は全三巻からなり、第一巻
が「泥棒カササギ」、第二巻が「予言する鳥」、第三巻が「鳥刺し男」というタイトルを付され、全体
のタイトルとして「ねじまき鳥クロニクル」を用いている。いづれも鳥にちなんだ命名であるが、この
作品は実に三巻計1400ページに上る大長編小説で、日本の小説としては型破りに長いものとなっている。

 

    

 

この長編の「時代設定と時間軸」的側面は、「第1部 泥棒かささぎ編」と「第2部 予言する鳥編」は
本編の始まる前に、それぞれ 「1984年6月から7月」「1984年7月から10月」と記され、第1部の第1章「火曜
日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について」と第2章「満月と日蝕、納屋の中で死んでいく馬たちについ
て」は、物語全体の前奏曲のように、「僕」が30歳になったことを機に「四月のはじめにずっとつとめ
ていた法律事務所を辞めて一週間ばかりたった頃から」の回想シーンとなっている。また、「第3部 鳥
刺し男編」では本編の前に明示的な記載はないが、第3章の「冬のねじまき鳥」で第2部終了以降、すな
わち1984年10月からの出来事がダイジェスト的に叙述され、実際に物語が動き出すのは第4章「
冬眠から目覚める、もう一枚の名刺、金の無名性」の1985年3月半ばから。

物語の終わりは、第38章「アヒルのヒトたちの話、影と涙」で、「路地」で「僕」が出会った頃は16歳
だった笠原メイの17歳時の手紙の内容と最終章である第41章「さよなら」における笠原メイとの再会の
記述から1985年12月であることがわかる。さらに最終章ではクミコの初公判が1986年春頃に
あることが示唆され、第1章「笠原メイの視点」、第2章「首吊り屋敷の謎」は、それぞれ1985年
12月7日付けの週刊誌を読んだ笠原メイからの手紙と、その週刊誌の記事からなっており、第1部とは
逆に、未来の時間軸から始まる円環構造をとっている。

以上のように、ネット検索で散文的な備忘録調に記載してきたが、「ウェルト文学賞」を彼が受賞する
ことが決まったことは、今年度のノーベル文学賞の授与が暗示されていることを感じるのは、このわた
しだけだろうか?また、授与理由の1つになるであろう「魔術的現実主義」 こそは「夢、幻想、霊魂―
―村上春樹の世界」の特徴――展開する幻夢が厳然とし語られる世界と現実世界との間に”クリアーな
隔膜”で仕切られているという”了解”(安堵感)を感じ取ることができる優れた「仮構力」にある。
 


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