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スピッツのロングマーチ

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      米国に軍事的に世界中のお節介の善意を押しつけるよりも、真っ先に核兵器の保有量を縮小し、
      廃止する音頭をとり、武力が物を言う国家「間」の価値観を無効だとする模範を示すようにして
      もらうほうが、ずっと早道だと認識してもらうのがいいと思う。どっちが「現実的」か「非現実
      的」か考えてみて欲しい。

                            「日米防衛協力のための指針」について

                                                                   

                                 Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 

 

 

   船に乗るわけじゃなくだけど僕は港にいる

   知らない人だらけの隙間で立ち止まる

   遠<に旅立った君に届けたい言葉集めて

   縫い合わせてできた歌ひとつ携えて

   汚れてる野良猫にもいつしか優しくなるユニバース


   思い出す黄昏にあの日二人で眺めた謎の光

   君ともう一度会うために作った歌さ

   今日も歌う 錆びた港で.....

 
                                   唄 スピッツ『みなと』

                                    作詞・作曲 草野正宗 


歌詞としては有り触れた恋歌だが、「汚れてる野良猫にもいつしか優しくなるユニバース」と「黄昏にあの日二人
で眺めた謎の光」との対句が巧みで、いつものように、ロングマーチなスピッツの楽曲と草野正宗の独特のビブラ
ートがシンクロナイズし、聴き手のそれぞれの個人史を追想させる魔法のチカラがある。

    【帝國のロングマーチⅥ】

 

● 折々の読書  『China 2049』25   


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳  

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先
の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっ
ている。  

 【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

    第5章 アメリカという巨大な悪魔  

                                   夢中生有――夢中に有を生ず

                                     『兵法三十六計』第七計 

 「中国が日本と戦いつづけること、中国を日本に対抗するための拠点にすること、戦時に中国と協力することは、
 すべてアメリカにとって都合がよかった。将来、アメリカが中国と全世界を完全に支配するための礎石となるか
 らだ(注14)」
  郭蜀生は、中国を侵略するよう「日本を煽ったことに関して最大の責任」ルーズベルトにある、と論じている
 戦国時代の覇権各の流儀に倣って、ルーズベルトは「坐山観虎闘」(山上に座して虎の闘いを眺める、『戦国策
 』)していたのであり、両者が大いに殺戮しあい、支配を狙うアメリカに抵抗できなくなるまで待っていた(注
 15)、すなわちルーズベルトは、「隔岸観火(対岸の火事を観る、『兵法三十六計』第九計)し、その後、「征
 服するための安全な道筋を獲得した」のである(注16)。

  さらに厚かましいことに、中国の指導者は、リチャード・ニクソンの中国初訪問(実際には中国政府がそその
 かし、歓迎した訪問)についても、中国支配を図るアメリカの悪辣な計画の一段階として書き直している。「中
 国をソビエトと競争させることによって」とこの話は始まる。
 「ニクソンはこの二つの共産主義国の間で、核戦争が勃発することを望んでいた」
  ニクソンは、ルーズベルトと同じく、「山上に座して虎の闘いを眺め」、その闘いの後にアメリカが救世主と
 して現れ、唯一の超大国となることを期待していた。この話では、思慮深いt沢東は、アメリカの戦略を知りな
 がら、ニクソンの中国語間を許したとされている。なぜなら、中国政府はソピエトに対抗するための仲間を求め
 ていたからだ。たとえそれが、やがて中国を裏切るに違いない相手であったとしても。毛の最高位の参謀は、三
 国時代の蜀の戦略を引き合いに出し、毛にこう進言した。
                         
  「北の魏に対抗するために、東の呉と同盟を桔びましょう(注17)」
  中国が語る近代史では、アメリカは貿易、経済協力、技術交換、外交政策、文化と教育の交流、それに民主改
 革への圧力を利用して、ソビエトを内側から弱体化させた。戦国時代の論法でいえば、アメリカはソビエトの若
 者と理想主義者に「甘い蜜の罠」を仕掛け、彼らを「敵の陣地の中で、仲たがいの種をまくスパイ」として利用
 したのだ。
  中国の戦略家から見ればこれは、アメリカが政治的手腕を駆使してソビエトを騙したことにほかならず、「ア
 メリカが中国に対して同じ戦略をとろうとしても、やすやすと騙されたりはしない」と彼らは断言した。そして
 2013年、中国人民解放軍の国防大学(アメリカの陸軍士官学校に相当する)は、「沈黙の争い」と題する90
 分の動画を作成し、不気味な音楽を流しながら、アメリカが共産党を権力の座から引きずりおろすために、いか
 にして中国社会に潜り込み、「中国を混乱させ」、「政治家を洗脳」しようとしているかを解説した(注18)。
 フルブライト奨学金、フォード財団、カーター・センターが槍玉にあがり、ほかにも、共同軍事演習をはじめ、
 アメリカと中国のエリート層が互いと親しく接触する機会にはすべて、アメリカの罠が仕組まれているとされた。
 アメリカは「いわゆる民主主義勢力」によってソビエト連邦を瓦解させ中国も倒そうとしている。したがって、
 中国人が「用心し、ほんの細部にも注意を払い、強固な政治的、イデオロギー的防御ラインを構築した場合」に
 限って、中国は、「民主主義勢力]の発生を防ぐことができる。

  中国人は冷戦の歴史も書き直し、10年に及ぶその戦いを、世界支配を目論むアメリカの計画の一部として描写
 している。政府公認のもと、2013年10月に短期間放映された連続テレビ番組は、レーガン時代に起きたソ連
 の崩壊を、アメリカの不正の産物として描く。ソビエトは一般に考えられているように、共産主義体制を維持で
 きなくなって崩壊したのではない。アメリカがソ連を欺き、その崩壊を引き起こしたのだ、と。

  この中国共産党公認の米中の歴史はもちろん作り話だ。ジョン・タイラーが結んだ望厦条約は、中国を支援し
 ようとするものであり、公式の外交関係を確立し、中国の港に「最恵国待遇」の地位を与え、アメリカ人の北京
 語学習禁止を撤廃した。多忙なアブラハム・リンカーンに中国のことを考える時間はほとんどなかったが、その
 公使であるアンソン・バーリングームが交渉した条約は、中国人にとって有利な内容だった。それはヨーロッパ
 の支配に脅かされていた中国の主権を認め、侵略と誤解を排除するために、現代の「ホットライン」に相当する
 ものを中国に提供したのだ。また、義和団の乱では、アメリカは率先して、外国人兵士の暴虐な行為を抑えた。

  ウッドロウ・ウィルソンは、青島を中国に返還することをヴェルサイユ条約の優先事項の1つとし、そのため
 に辛抱強く(うまくいかなかったが)戦った。西洋の学者によれば、ウィルソンは中国に領土を返還するために
 最善を尽くし、日本が講和会議の議場から退場するという危機的状況を経て、日本に領土返還を約束させた。し
 かし、後に日本はそれを破った。フランクリン・ルーズベルトは、中国を隷属させようとしたどころか全力で支
 援し、太平洋地域に干渉して日本と戦い、中国を教った。リチャードーニクソンは、自らの中国への提案が核戦
 争の火種をまくことになるとは想像もしていなかった。また天安門広場での抗議活動は、よりよい中国を築こう
 とする中国の学生運動が高じたものであり、中国の破滅を求めるアメリカが画策したものではなかった。

  中国の指導者は概して、米中関係の正しい歴史に通じていないので、2012年の6月、中国の著作家が、バ
 ラク・オバマによる秘密の反中国計画が中国政府内で話題になっているらしいと警告してくれた時も、わたしは
 驚かなかった。

  一方、アメリカの歴史に通じている中国の学者と官僚は、公式の反米的見解を機械的に繰り返すほど愚かでは
 ない。彼らがアメリカからの訪問者に、先に述べたような見解を語ることはめったにない。だからと言って、あ
 えて本音を隠しているわけでもない。ただ、自分たちが教えなければならない歴史に、ばつの悪い思いをしてい
 るのは確かだ,2013年秋に北京を訪れたとき、わたしはある教授に、彼が授業で使っているいくつかの教科
 書について率直に尋ねてみた。彼は知らなかったが、わたしはすでに、彼の講義要綱と教科書のコピーを手に入
 れていた。

 「少し興味を持ちましてね」とわたしは切りだした。
 「あなたの著書にあるタイラー、ウィルソン、ジンカーン大統領についての記述をじっくり読ませてもらいまし
 た。具体的には、彼らの「悪辣な』対中政策についてですが」
  彼は青ざめ、口ごもった。
 「ええと、そう、最近、合衆国の公文書からマイクロフィルム化された書類を手に入れたのですが・・・・・・・」
 「知っています」とわたしは答えた。
 「その書類は、わたしも目を通しました,アメリカの教科書には、このような反中国政策についての記述は見当
 たりません。事実、当時のアメリカは、非常に親中国的だったようです。わたしの記憶が正しければ、建国の父、
 ベンジャミン・フランクリンとトマス・ジェファーソンは特に、中国の体制を賞賛していました」
  彼は窓の外をみて、ため息をつき、自らの苦境を説明した。
 「教科書の題材を選ぶのはわたしではありません。学部教授団はすべて共産党の党員で、中央委員会がわたした
 ちに関するファイルを保管しています。承認されていないことを教えたりしたら、キャリアは終わってしまうの
 です」
  わたしは理解を示して微笑んだ。
 「では、この決定は、あなたより上の階級でなされているのですね」
 「そうです」と彼は答えた。

  その週、わたしは少なくとも15回、権威あるアメリカ研究所を訪問した。そこは、母体である中国社会科学院
 の15階建てのコンクリートの建物からおよそ5キロメートルのところにあった。非常に規模が大きいので、社会
 科学院の本館にはとても納まらない。わたしはアメリカ大使館からの派遣団とともに到着した。研究所は樹木と
 コンクリートの防壁に囲まれていた。
  わたしたちは5階へ行くことになっていた。あいにくエレベーターが動かなかったので、コンクリートの階段
 を上った。派遣団の年配のメンパーは苦戦していた。ようやく5階にたどり着くと、一列になって電灯がついた
 り消えたりするコンクリートの通路を歩いた。薄暗く殺風景な廊下を歩きながら、各部屋の扉に掲げられた、ア
 メリカ戦略、国内政治、外国政策といった看板を確認した。

  部屋では、16名の中国人学者に迎えられた。ほとんどは40代か50代だった。全員が、アメリカの大学院で学ん
 でいた頃に馴染んだと思われるカジュアルなアメリカ風の服を着ていた。
  所長の黄平は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を取得した人物で、わたしたちを歓迎し、
 会合を始めた。20分ほどたってから、わたしは中国が描くアメリカ像について、いくつか質問した。
 「さんざん探したのですが、アメリカが中国の発展に貢献したという記述は一つも見つかりませんでした。

 最近 わたしは、イエール大学のジョナサン・スペンスが書いたTo Change Chna(中国を変えるためには)を読
 み直しました。中国の発展に西洋がどれほど貢献したかをまとめたすぐれた歴史書です。そこには、中国を救っ
 た宣教師、ロックフェラー財団の貢献、それにアメリカが、義和団の乱の賠償金を生かして、中国のMIT(マ
 サチューセッツエ科大学)ともいうべき清華大学を設立したいきさつが語られています。ここにいる20名のみな
 さんの中に、アメリカの対中援助を評価する論文を書かれた方はいらっしやいますか? 中華人民共和国が建設
 されるまでの『恥辱の世紀』に、アメジカが中国を援助したことを記した教科書や論文はありますか?1978
 年以降、中国経済は目覚ましい成長を遂げてきましたが、その半分はアメリカの投資によるものだとわが国の専
 門家は考えています。それについてどなたか執筆されましたか?アメリカが関税率を引き下げ、銀行取引、科学、
 海運の発展を導いてきたことについてはどうでしょう?中国の教科書でそれらのことに触れているものは、1冊
 も見たことかありません。きっとわたしは見落としているでしょう。どなたか、そんな教科書をご存知でしたら、
 教えていただけませんか?」

  居心地の悪い沈黙があり、中国の同僚たちは後ろめたそうに視線を交わした。
  学者のひとりがおずおずと答えた。
 「アメリカがわたしたちをどれほど助けてくれたかについては、アメリカに留学していた時代に学びました。け
 れども、わが国で認可された講義要綱に、それらは含まれていないのです」
  この大人数の会合とは別の場で、わたしは数冊の書籍と論文を渡された。中国を包囲し妨害しようとする、ジ
 ョージ・w・ブッシュとでフク・オバマの計画について概説するものだ。海洋資源の強奪、シーレーンの妨害、
 領土の分割、中国内部の反逆者の支援、暴動・内乱・テロの扇動、空母からの攻撃、といったことが述べられて
 いた。中国の指導者が書き換えた過去の歴史と同様に、彼らが描く未来図の憂慮すべき点は、アメリカについて
 嘘八百を並べていることではなく、それを描いた人々が自らのプロパガンダを事実だと思い込んでいることであ
 る。

  ジョン・タイラーからバラク・オバマにいたるアメリカの歴代大統領が中国の戦国時代の教えを学び、それに
 従って中国を支配しようとしているなどということは、到底あり得ないとわたしには思えた。しかしその後、多
 くの中国人が、そのような中国古代の教えを普遍的な良実と見なしていることをわたしは知った。彼らは、アメ
 リカを世Wに君臨する覇権国と見なし、覇権国であるなら、戦国時代のあらゆる覇者と同様に利己的で疑い深く、
 無慈悲なふるまいをするはずだと考えている。2002年、USCC(米中経済・安全保障問題再検討委員会)
 は、「中国の指導者はアメリカを常に『覇権』と見なしている。その言葉には、力強いリーダーにして高圧的な
 ならず者という意味が込められており、中国はアメリカを主な競争相手と見なしている」と報告している(注19)。

注14.Tang Qing. “U.S. Policy Toward Japan Bcforc the outbrcak of the Pacinc War,” in Jianghandaxue Xuebao [Jianghand
           University Journal](April 1997): 105-9.
注15.Deng Shusheng,Meiguo Lishi yu Meiguo Ren[American History and Americans],169.
注16.  Stefan verstappen,The Thirty-Six Strategies of Ancient China Books and Pcriodicals, 1999).
注17. Xiong xioanghui,“The Prelude to the opening of Sino-American Relations,”Zhonggong Dangshi Ziliao(CCP His-
            tory Materials),no.42(June 1992):81,as excerpted in Burr. “New Documentary Reveals  Sccrct U.S.,Chincsc DiPlo-
            macy Bchind Nixonls Trip.”
注18. Silent Contest (沈黙の争い)の英語翻訳版は、NNL., ZYH, AEF で参照可能。“Silent Contest” (Part l),Chinascope
           は以下のサイトで人手可能。httP://chinascoPe.org/main/content/view/6168/92/; NNL,ZYH,and AEF, “Silent contest
           II ” , Chinascope,は以下のサイトで入手可能。httP://chinascoPe.org/main/content/view/6281/92/. Benjamin Carlson,
            “China’s Military Produccs a Bizarre,Anti-American Conspiracy Film (VIDEO),”GlobalPost,  November 2,2013,
           以下のサイトで人手可能。http://www.globalpost.com/dispatch/news/regions/asia-Pacinc/china/131101/china-military-
           produccs-bizarrc-anti-amcrican-consPiracy-video.Michel Colc, “Dose China Want a Cold War?,” Diplomat,November
           5. 2013も参照,以下のサイトで人手可能。 httP://thediplomat.com/2013/11/dose-china-want-a-cold-war/; Jane Perlez,
           “Strident video by Chinese Military Casts U.S.as Menace,”New York Times ,October 31, 2013,以下のサイトで人手
           可能。
           http://sinosphere.blogs.nytinlcs.com/2013/10/31/strident,video,by’chinese-military-casts-u’s’as-nlenace/?_php=true&_
           typc=blogs&_r=0&gwh=6063CDDF0357954CDBF51A49E3DC10EB&gwt=pay.
注19.“U.S.-China Economic and Securitv Review Commission Annuak RePort. 2o02.” release date: July 15, 2002, 以
           ドのサイトで人手可能。http://china,usc.edu/ShowArticle.asPX?articleID=686#below.

                                                                    この項つづく

 

【ジャジーな風に吹かれて:カーメン・マクレエ】

カーメン・マクレエ(Carmen McRae、1922年4月8日 - 1994年11月10日)は、米国の女性ジャズ歌手でピアニスト。
20世紀で最も影響力の大きなジャズボーカリストの1人。50年代から80年代にかけエラ・フィッツジェラルド
やサラ・ヴォーンと並ぶ大御所ジャズ歌手(「ジャズボーカルの御三家」)。ニューヨークのハーレムにてジャマイ
カ移民の両親の間に生まれ、10代から20代にかけピアニストとして活動、ビリー・ホリデイらもジャズミュージ
シャンと知遇を得る。50年代半ばに歌手デビュー、サミー・デイヴィスJr.とのデュエットを含む録音をデッカ・レ
コードから発表。彼女はポップスに接近したサラ・ヴォーンらとは対照的にジャズの枠を大きく飛び出すことはなく、
ピアノトリオなどの伴奏を得意とする。ビリー・ホリデイ、デイヴ・ブルーベック、 ナット・キング・コール、セロ
ニアス・モンクらに捧げたトリビュートアルバムを発表。90年に死去したサラ・ヴォーンに捧げた"Sarah: Dedicated
to You"を同年発表、それが最後のアルバムとなる。長年にわたる喫煙の影響で晩年になるにつれて声域・声質は低く
重く変化。肺気腫のため91年に引退、94年に呼吸器疾患の合併症で他界。

 

The very thought of you and I forget to do
 The little ordinary things that everyone ought to do
 I'm living in a kind of daydream
 I'm happy as a king
 And foolish though it may seem
 To me that's everything 

 

 The mere idea of you, the longing here for you
 You'll never know how slow the moments go till I'm near to you
 I see your face in every flower
 Your eyes in stars above
 It's just the thought of you
 The very thought of you, my love .....

 

 

                                  “The Very Thought of You”

 

 

 


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