あのねー、悩むのはいいことなんですよ。マルクスの言葉じゃないけ
ど、『人間は自分が解決できることしか悩まない』っていいますから
ね。適当なところで切り上げないで、もっと悩んだ方がいいですよ。
週刊文春 2008.10.30
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012
【縄すてまじ!Ⅳ:ヘイトスピーチから集団殺人まで】
今年6月より「ヘイトスピーチ対策法」施行されたが、“ヘイトデモ”は10年ほど前から外国籍
住民の集住地域を中心に、各地で見られるようになったというから、丁度、東日本大震災・福島第
一原発事故からになる。そのことはまた、関東大震災の際に発生した朝鮮人虐殺――震災発生後、
混乱に乗じた朝鮮人による凶悪犯罪、暴動などの噂が行政機関や新聞、民衆を通して広まり、民衆、
警察、軍によって朝鮮人、またそれと間違われた中国人、日本人(聾唖者など)が殺傷される被害
が発生した。これらに対して第2次山本内閣は、民衆に対し、もし朝鮮人に不穏な動きがあるのな
ら軍隊及び警察が取り締まるので、民間人に自重を求める「内閣告諭第二号」(鮮人ニ対スル迫害
ニ関シ告諭ノ件)を発した事件。これに対し、韓国の政府機関「対日抗争期強制動員被害調査およ
び国外強制動員犠牲者ら支援委員会」は「日本震災時被殺者名簿」にある286人を調べた結果、
28人が1923年の関東大震災当時に発生した朝鮮人虐殺事件の犠牲者だったことを確認したと
公表している(Wikipedia)―――のイメージを想起させる。
へらへら笑いながら「おーい、売春婦」などと沿道の女性をからかう姿からは、右翼や保守と
いった文脈は浮かんでこない。古参の民族派活動家は私の取材に対し「あれは日本の面汚し」
だと吐き捨てるように言ったが、当然だろう。ヘイトスピーチをぶちまけ、外国人の排斥を訴
えることでどうにか自我を保っていられる、単なる差別者集団だ。
安田浩一「沖縄ヘイトを考える(上) 」
沖縄タイムス 2016.08.03
このオンライン記事が目にとまる。安田は、外国籍住民へのヘイトスピーチと沖縄バッシングは地
続きだった。「愛国運動」などと称し地域を破壊し、分断し、人々の心を傷つけているだけで「沖
縄ヘイト」は、いま、社会の中でさらに勢いを増していると指摘した上で、そもそもヘイトスピー
チとは、乱暴な言葉、不快な言葉を意味するものではない。人種、民族、国籍、性などのマイノリ
ティーに対して向けられる差別的言動、それを用いた扇動や攻撃を指すものだ。ヘイトスピーチを
構成するうえで重要なファクトは言葉遣いではなく、抗弁不可能な属性、そして不均衡・不平等な
社会的力関係であるとし、「米軍基地への抗議は憲法で認められた政治的言論の一つ。同法の対象
であるわけがない」と彼の取材に西田昌司自民党議員が答えている挙げ、基地反対運動とヘイトス
ピーチを無理やりに結び付けようとする動きには、基地問題で政府を手こずらせる「わがままな沖
縄」を叩きであると結ぶ(「沖縄ヘイトを考える(下) 」)。
基地問題などの住民運動の関わり方の原則は、、まず、当該住民の生活を「共有」し、「ヘイトス
ピーチ側」の思念を対置し、そこから汲み揚げた思念を具体的に展開するほかない、というのが
わたし(たち)の金科玉条である。この記事から、ヘイトスピーチがやがて、わたしたちの生活か
ら乖離・浮遊し、独善と観念の世界と敵対者をつくり、逆立ちした閉じられた世界に支配されてい
く。その過程では、テロリズム、クーデターなどを経て、専制・独裁形成し、より大きな政集団殺
人行為を引き起こすリスクもある。それを防ぐのは当事者がそれぞれ悩み抜き克服するしか道はな
いことを再確認しておきたい(ブログ『縄すてまじ!』 2012.12.15、12.31/2014.12.20/2015.
02.20、02.27、10.19)。
【帝國のロングマーチ 19】
● 折々の読書 『China 2049』39
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピル
ズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざ
る秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及
も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、
職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
【目次】
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第8章 資本主義者の欺瞞
順手牽羊――手に順いて羊を牽く
『兵法三十六計』第十二計
別のいくつかの会合で中国は、GDPが2020年頃までにアメリカのGDPを上回るという、
1990年代初期に国内で出された予測に関して、そのような成長の見通しはないと述べた。なぜ
中国は、30年にわたる好調な経済成長の戦略的要素を秘密にするのだろうか。なぜ、自由市場への
動きを誇張するのだろうか。答えは簡単だ。北京の指導者は、古代中国の政治的f腕の土台となっ
ている教えに従って、敵を安心させるメッセージ送り、中国に下心があるのではないかと疑わせる
ような危険な情報は隠して、相手を安心させようとしているのだ。もし2020年までにアメリカ
を超えるという内部予測が、大々的かつ自慢げに公表されていたら、覇権国は戦々恐々とし、中国
を封じ込めようとするだろう。そういうわけで、中国は外国人に、前途にどれほどの障害が待ち受
けているかを語り、見通しは暗いと嘆いてみせたのだ。
近年、中国の指導者が世界に信じさせてきたこの一般的な見方に対して、欧米の少数のアナリス
トが異を唱えた(注16)。彼らはこう見ている,中国は、世界の石油・ガス生産がピークに達しよ
うとしているという偏執的な思い込みから、外国のエネルギー資源を我がものにするため、基幹産
業の支援と政府主導を軸とする重商主義的戦略を露骨なまでに追求している,数十年後には必ず天
然資源を巡る争いが起きるので、中国は自国の乏しい資源を守りつつ、外国から資源を買って貯蔵
しなければならないと考えているのだ(注17)。
多くの中国の戦略家は、「石油ピーク説」、つまり石油の供給は近々ピークに達した後に下り坂
となり、価格が急騰するという説を信じている。それが正しければ、世界を舞台とする「囲碁」で
は、銅、石油、リチウムなどの資源を獲得し、ライバルに取られないようにしなければならない。
中国社会科学院のあるアナリストは、「世界的にエネルギーが不足しはじめると、中国とアメリカ
は(特に石油問題に関して)意見の衝突や紛争を避けられない」と述べ(注18)、中国人による地
政学的な戦略分析の多くもそれを懸念する。ワン・シアーリンは、「中国は2015年に石油ピー
クに直面すると、専門家は予測する。石油生産がピークに達し、減少しはじめると、中国では石油
とガスが不足し、ますますそれらを輸入に頼ることになる」と書いている(注18)。
こうした誤解を招きそうな中国のメッセージに対して、外からの警鐘はまだ鳴らされていない。
それどころか、中国の嘘の大部分がそのまま信じられている。「スズメを一羽残らず殺せ」という
毛沢東流の命令方式により、今では自由経済や、国際規定に沿う通商政策が容認されていると、西
側の多くの人は考えている。だが中国の指導者は、かつて自分たちが大言を吐いたせいで、ソ連が
中国を警戒し、遠ざかり、ついには支援を打ち切ったことを知っている。同じことをして欧米を怒
らせたくはない。「スズメ駆除作戦」の愚を繰り返さないだけのことは学んできた。むしろ西側の
指導者には、中国は欧米のようになりたがっていると思わせておいたほうがいい。そして、この見
えすいた嘘を信じさせるのは、それほど難しいことではなかった。
ネズミやハエや蚊に加え、スズメは四大「有害生物」の一つであり、毛沢東の考えでは、中国の
衛生状態(および、経済の発展)にとって脅威になるものだった。大躍進政策の一部である195
8年の「スズメ駆除作戦」は中国の農業経済を20世紀にふさわしいものにするという強い願望か
ら生まれた。スズメは何千トンもの穀物を食べているが、本来それらの穀物は、中国国民を養い、
地域社会や大規模工業を活気づけ、ひいては中国経済を欧米と同等に引き上げる原動力になるはず
のものだ、と毛沢東と彼の最高顧問は考えた。農民は田園地方の隅々まで散らばり、巣を破壊し、
卵を割り、鍋やフライパンを持ってスズメの群れを追った。この作戦は大成功を収め、1959年
までに中国のスズメはほぼ全滅した。
中国当局が気づいていなかったのは、スズメは穀物だけでなく、昆虫も大量に食べていたことだ。
その後数年で、捕食者のスズメがいなくなったために、イナゴが大発生し、作物は多大な害を被っ
た。それに追い打ちをかけるように、深刻な干ばつが中国を襲った,1958年から1961年ま
での問に、中国では3000万人以上が餓死した。欧米に比肩する経済力をつけようとした共産主
義中国の初の大実験は、失敗に終わった。
※ 「大躍進」の失敗
1978年に郵小平が事実上、中国の最高指導者になhへ毛沢東時代に中国経済が後れをとった
ことに鑑み、それとは異なる経済路線を進むことを誓った(注20)。郵は、活気にあふれた民間部
門がなければ、中国は競争力を備えた大国にはなりえないと考えていた。そして、大々的な改革に
着手し、次第にマルクス・レーニン主義から離れていった。「四つの近代化」と呼ばれる彼の改革
は、農業、工業、科学技術、国防に重点を置いた。なかでも最も重視したのは、「中国式社会主義」
のために市場のカと国家計画を統合することだった。
今日、外部の人の大半は、中国では毛沢東流の命令方式は過去のものとなり、自由経済と国際規
定に沿う通商政策が受け入れられたと信じている。国際的な銀行、研究者、シンクタンクの専門家
といった、だまされやすいコミュニティのおかげで、中国は、欧米のようになりたいというメッセ
ージでその場その場を切り抜けてきた。しかし中国経済を近くでよく昆てみると、まったく違うも
のが見えてくる。
2001年10月、わたしはアメリカ国防総省から副業を持つことを許され新しく設立された議
会の米中委員会に上級研究顧問として加わった。この委員会は、中国の世界貿易機関(WTO)加
入を認める法案を米上院で通すための集票活動の一環として作られた。わたしたちの任務は、中国
の経済政策がアメリカの国家安全保障に及ぼす影響を調べることだ。特に民主党は、WTOへの加
盟を求める中国の真意と、貿易は中国に民t主義をもたらすという、自由市場でよく聞く主張に疑
いを抱いていた,
委員長とわたしがClAから受けた説明は、ニつの見通しを強調していたが、後にどちらも誤り
だったことがわかった。一つは、中国は自由市場経済に向かっており、大規模な国営企業をすべて
売却するだろうということ,そしてもう一つは、中国が経済的にアメリカに勝つ可能性はなく、た
とえ勝ったとしても(たとえば2100年までに)その頃の中国は、自由市場を擁し平和を愛する、
民主主義の国になっているという見通しだった。少なくともニューヨーク・タイムズのコラムニス
ト、トーマス・フリードマンが広め、当時流行した「黄金のM型アーチ理論(訳注*M型アーチは
マクドナルドのシンボルこによると、そうなるはずだった。フリードマンは著書「レクサスとオリ
ーブの木」――『グローバリゼーションの正体』において「マクドナルドのある豊かな国は戦争を
しない。国民は、戦争よりむしろマクドナルドの店頭に並ぶことを選ぶからだ」と述べている(注
21)。
そこでわたしたちは、中国の当局者の話を聞くために北京へ飛んだ。
搭乗したボーイング747の座席はがらがらだったので、客室乗務員が緊張しているのが見てと
れた。9・11同時多発テロから1カ月もたっていなかった。アメリカ人が心配するのは当然だが、
心配する先が間違っていた,わたしたちが向かっている国のことをもっと心配すべきだったのだ。
1950年代の中国は、財界の最貧国の一つだった。当時の国民1人あたりのGDPは、工業叱
が始まったばかりの1820年代のヨーロッパやアメリカよりも低かった。1975年になっても、
1人あたりの所得は世界の最低レベルだった(注22)。しかしその後数十年で、経済状況は劇的に
向上し、経済成長率はアメリカの5倍にもなった。
2001年の時点では一般に、中国経済の二桁の成長率は持続しない、と考えられていた。CI
Aの機密報告書に記された評価も、そのようなエコノミストの見解を反映していた。中国経済に関
するアメリカの予測は、ほぼすべてが悲観的だった。中国は貧しく、無教育の労働人口を抱えてい
る。その膨大な人口に比べて天然資源があまりにも乏しい。時代錯誤のマルクス・レーニン主義の
イデオロギーにまだ囚われている。何十年にもわたって、起業家がほとんどいない。現代のビジネ
ス手法や健全な経済運営について何も知らない官僚が経済を仕切っている。したがって、10パー
セント以上の成長率がこの先何十年も続くはずがない、と考えられていたのだ。
欧米の主要国にも、それほどの成長率を記録した国はなかった。工業化の全盛期にあったアメリ
カでさえ、そうだ。中国の経済成長ははるかにゆっくりで当然と考えられていた。だが、後にCI
Aのあるエコノミストが申し訳なさそうに言ったように、「わたしたちのモデルは間違っていた」。
現在、中国の成長に関する予測は逆転した。まともな金融機関で、中国経済が今後もずっとアメ
リカより小規模なままだと信じるところはない。多くの書籍は、中国は「川底の石を探りながら川
を渡る」ことで成功を実現したと評している。鄧小平が外国からの客を迎えた時に、しばしば引用
した言葉だ(注23),中国に包括的な戦略はなく、たまたまやったことがうまくいっただけ、とい
う意味だ。中国の指導者たちは、見たところ奇跡的な自国の経済発展を説明するために、格言をよ
く使った(注24)。
ところがこの「偶然うまくいった」という物語は、真実の一部にすぎない。実のところそれは、
批判を和らげ、中国の発展戦略の本当の目的と起源を隠すために賢くデザインされたものだった。
世界経済の覇権を握ることに関して、鄧小平は古代の老荘思想の根幹をなす「無為」を利用した。
「無為」は、「作為なしに」「努力なしに」と訳されるが、この場合は「他人のカに頼って多くを
成し遂げる」という意味だった。鄧小平は現実的な人間で、1944年にブレトンウッズで策定さ
れた第二次世界大戦後の世界の経済秩序において、マルクス・レーニン主義に頼るだけでは不十分
だと認識していた。アメリカやその他の先進国に追いつくには、WTOに加わり、国際通貨基金や
世界銀行(いずれも欧米の政財界エリートが積極的に後押ししている)から融資を受ける必要があ
るとわかっていたのだ。
共産主義中国に、WTOの加盟条件を満たす気が本当にあるのかということについては、当然な
がらアメリカ政府内の多く人が懐疑的に見ていた。その結果、中国がWT0一員となるまでには
15年という歳月がかかり、加盟に際しては、これまでの他のどの国とよりも詳細な協定が結ばれ
た,例えばその数年前に加盟したインドに対して、要求ははるかに少なかった。中国は、WTOに
加わればとてつもない利益を得ることがわかっていた。しかしアメリカ人がそれをさせるだろうか。
2001年にWTOに加わったとき中国は、加盟国政府は直接的にであれ、問接的にであれ、国営
企業の商業的決定に関与してはならないという、WTOの条件を受け入れた(注25)。
ところが中国はこの契約を守らなかった。中国のすべての国有企業は、依然として市場の力に反
応してではなく、国の目標にかなうよう運営されており、また、個々の国有企業の投資先は、相変
わらず共産党が決めていた。中国の炭鉱会社が、国の政治的影響力を広げるために、アフガニスタ
ンやアンゴラで鉱山を開発するよう指示されれば、多少は困惑したとしてもそうするだろう(注26)。
ここでは。中国共産党がロシアマルクス主義を遠ざけ、「中国式社会主義」(新自由主義+地域限定開
発ケインズ主義政策)にはしり、驚異的な成長を遂げる経緯を解説されている。なぜ成功したのか?こ
のことを「中国における共産主義とは、国民の生活水準の一括的引き上げ」と吉本隆明は簡潔に表現し
予言する。その通り、韓国は中国より先行して成長(後に米国主導のグローバリズムにより手ひどい痛
手を負うことになるが)を、続いて、天安門事件以降、高度成長を遂げていく。しかし、その裏で、環
境破壊、汚職蔓延、格差拡大、過剰生産などを抱え、「体制矛盾」が進行していくのである。
この項つづく
Ichiro notches his 2,999th career hit, scheduled to start Sunday
マーリンズのイチロー外野手は、敵地でのロッキーズ戦に途中出場し、2打数1安打。8回に代打で三塁
内野安打を放ち、史上30人目のメジャー通算3000安打へついに王手をかけた。