達成するなら多分シングルヒットだろうなという風に確率
としては思って(三千本安打が三塁打)いたので、チーム
メートに労力をかけなくてよかったなと思います。
イチロー 2016.08.08
年寄りが病気を治すには、自分が主体的になり、積極的に
病気を治そうという意志がないとダメなような気がします。
「克服記」 2001.11.01
Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012
● イチロー三千安打達成 日本選手で二度目の記録
ホームラン性の三塁打を放ち記録を達成したイチローがナインに祝福されベンチに座ると涙がサン
グラス越しに涙が頬を伝う姿を左側面からテレビカメラが撮す。チャンネルをメジャーリーグ放送
にチェンジすると、朝早くからライブ放送されていたスタメン出場で彼が本塁打性の三塁打で出塁
すると球場は祝福のスタンディングオベーイションに包まれる。感動で鳥肌がたち、記録達成を彼
女に伝える声は心なしか震えている。しばらく二人でその実況中継を見続けていた。
マーリンズ・イチロー外野手の3千安打達成を受け、公式サイトが3千安打達成者のコメントを伝
えた。その中で、イチローが日米通算安打で4257安打を記録した際に少なからずを苛立ちを見
せていたピート・ローズがその偉業を素直に称えている。イチローが今年の6月に日米通算で42
57安打に到達したことで、ローズの持つメジャー最多4256安打を上回ったことで、米国内で
日米合算の記録を認めるかどうかで――この時、当のローズはインタビューで、イチローの功績に
ケチをつけようというわけじゃないが、これじゃいつかは高校時代の記録まで含むようになってし
まうだろう語る――論争となっている。しかし、イチローがロッキーズ戦で達成した史上30人目
の3千安打について――三千安打を放った者は誰もが偉大な打者。イチローはとてつもない打者。
この記録で自動的に殿堂入りにさせるもの。少なくともそうすべきで、スピードと強肩を兼ね備え
た偉大な打者。「3000安打クラブ」にホームランヒッターではない打者が入って良かったとコ
メントしている。
尚、ニューヨークタイムスの記事によると、外人選手での三千安打記録としては、ロベルト・クレ
メンテ(プエルトリコ)、ロッド・カルー(パナマ)、ラファエル・パルメイロ(キューバ)に次
ぐ四人目(日本人)となり、三塁打で同記録を達成したのはポール・モリター(当時ツインズ)に
つづく二人だけである。また、42歳9か月での記録達成は、45歳で達成した19世紀の名選手、
キャップ・アンソンにつづく史上2番目の年長となる。オリックスでプレーした当時に打撃コーチ
を務め、この試合の解説を務めた新井宏昌や元プロ野球選手で監督の大島康徳は、日米通算安打数
記録などイチローの記録を破ることはできないのではと賞賛感動していたが、鬼才イチローの伝説
で語られる記録が今後も塗り替えられていくことだけは確かだ。
【帝國のロングマーチ 20】
● 折々の読書 『China 2049』39
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・
ピルズベリーが自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の
知られざる秘密戦略「1000年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。
日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日
常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっている。
【目次】
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第8章 資本主義者の欺瞞
順手牽羊――手に順いて羊を牽く
『兵法三十六計』第十二計
わたしがミズ・リーと呼ぶ中国からの亡命者は、機密会議とのつながりを生かして集めた、
1995年から2000年までの間に中国がついた嘘の詳しい実例を教えてくれた。中国はそ
れらの嘘で連邦議会を説得し、恒久通常貿易関係(PNTR)を中国に供与させ、WTO加盟
への道を聞かせた。ミズ・リーはまた、中国の指導者が、WTO加盟を問う投票で賛成してく
れた人々をぬかりなく支援し、自国の重商主義的経済戦略を暴く情報をひた隠しにしたことも、
明らかにした。中国に自由市場を実現する気がない(永遠にではないとしても)ことを連邦議
会が知れば、投票は認められないということを、彼らは理解していた。そこで、アメリカの情
報コミュニティの誰にも気づかれないほど巧妙に、宣伝とスパイ活動を始めた,ミズ・リーに
よると、中国は、1930年代に毛沢東が書いた、政治的相違の分析の仕方を手引きとして、
外交政策を巡るアメリカ政府内の対立を調べ、それを利用したそうだ(注27)。そのときに中
国が送った主要なメッセージは、今後、中国では国有企業が次第に減り、自由市場の政策が公
表され、国は通貨を操作せず、多額の貿易黒字を蓄積せず、アメリカの革新と知的財産はもち
ろん尊重されるだろう、というものだった。すべて、WTOヘの加盟に必要とされることだ。
またWTOへの中国の加盟が議論されているさなか、中国の発議で2000人から3000人
の中国政治犯の運命を左右する条件を取引協定に加えようとしてクリントン大統領に働きかけ
たが、失敗に終わった。
2000年5月24日、下院は、賛成237票、反対197票で、対中通商関係正常化法案
を可決した(注28)。9月19日に上院も、賛成83票、反対15票で、法案を可決した(注
29)。他人のエネルギーと勢いを自分の強みに変える「無為」と「勢」の教えに基づき、中国
は欧米から最高の技術を借りて、株式市場、借入資本市場、投資信託産業、年金基金、政府系
投資ファンド、通貨市場、外国の参加、国際主義中央銀行、住宅ローンとクレジットカード、
自動車産業を開発・育成した,いずれも、世界銀行のような公共機関や、ゴールドマン・サッ
クスのような民同企業の積極的な指導に助けられた。
※ USA: ALAN GREENSPAN ON TRADE TIES WITH CHINA 18/05/2000 04:00 AM, AP ARCHIVE
その一方で、共産主義政府は、欧米の技術や知的財産を盗む秘密の計画を許可し、奨励した,
結果、偽造や模造による収益がGDPの8パーセントを占めるまでになった(注30)。
ジャスティン・リン(林毅夫)は中国の首席経済顧問で、2008年に世界銀行のチーフ・
エコノミストになった。彼の著述やスピーチの大半は英語で行われており、中国の経済戦略を
西側のわたしたちに教えてくれる、最善の情報筋のひとりである(注31)。リンはきわめて信
頼できる人物だ。わたしは国立台湾大学に留学していた1971年からその名前を知っていた。
当時、彼はその大学の学生会長だった。10年後、彼は中国本土に亡命し、北京大学で政治経
済学の修士号を取得後、シカゴ大学で経済学博士号を取得した。その後、ソビエト式の国有企
業を立て直す方法をアドバイスするために中国に戻った(注32)。
リンによる中国の経済発展についての説明は、驚くべきものだった。鄧小平は公の場で、中
国に戦略はないと言いつづけたが、実のところ、市場経済を育て、国際的競争力を高めていく
ための入念な戦略が存在していた。リンは、中国の経済戦略をきわめて率直に諭じた本を3冊
出している。それらの主な情報源は、中国古代史と世界銀行だ(注33)。それについては、少
なくとももうひとりの亡命者も同じことを述べている。その人物は、世界銀行と皮肉にもアメ
リカの自由市場支持者が中国に勉強の機会を提供したおかげで、中国は重商主義的姿勢を固め
ることができた、といういきさつを詳しく語った。(中国が大規模な戦略を立てているという)
リンの見解は、中国の最も権威あるアメリカの専門家、王揖思(オックスフオード大学で学ん
だ、北京の名誉ある研究所の所長)の見解とは逆だった,王は鄧小平と同じく、中国に大規模
な戦略などなく、過去30年間をなんとか乗り切っただけだとたびたび主張している。王は20
11年にフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたエッセイ China's Search for a Grand Strategy
(大規模戦略のための中国の調査)のなかで、中国に戦略があるという主張は間違っており、
おそらくその陰には、反中国の動機があるのだろう、と書いた(注34)。同様に男小平は19
97年に 亡くなるまで、中国は包括的な経済戦略を持っていない、と訪問者に語っていた
(注35)。
By Wang Jisi
1983年、世界銀行総統のA・W・クラウセンは中国を訪れ、鄧小平に会った。
その際、クラウセンは、「世県銀行のエコノミスト・チームが、20年先を見据えて中国の経済
について研究し、どうすれば中国がアメリカに追いつけるかを助言しましょう」と密かに約束
した。当時、世界銀行は公には、中国が自由市場経済へ向かう必要性について、曖昧な報告を
発表しただけだったが(注36)、そのエコノミスト・チームは、内々では違うことを語ってい
た。すなわち中国に対して、どうすればアメリカに追いつけるかを説明していたのだ。もっと
も世界銀行は、アメリカに追いつくという野望を隠し、資本主義国を目指しているふりをした
ほうがいいと示唆したわけではなかったようだ。むしろそれは、覇権国に優越感を持たせてお
くという戦国時代の戦略に基づく、中国の計略だった。
1985年、財界銀行のチームは、中国が2050年までに先進国に追いつけることに気づ
いていた。だが、そうなるには、5・5パーセント以上という極めて高い年間成長率を維持す
ることが必要とされた。それまで、当時の中国に並ぶ低い経済水準から、アメリカやその他の
先進国に追いつくことができたのは日本だけだった。世界銀行は、ある腫の戦略を駆使すれば、
中国にもそれが可能かもしれない、と助言した。試みた国はなかったが、部分的に経験した国
はあった(注37)。
世界銀行のチームは、中国の貯蓄率は非常に高いので、もし中国が、科学や技術を導入して
生産性を向上させつつ、人口増加を抑えることができれば、その野望も達成できる、と指摘し
た。財界銀行は、非公式に六つの提言をした。それを公にしなかったのは、中国の社会主義的
アプローチを承認するという政治的に微妙な決定をしたうえに、中国を真の市場経済へ向かわ
せるための努力は何もしなかったからだ。最初の提言は、1985年からの20年間に輸出の
構成を変え、特にハイテク製品に力を入れるということ。二番目の提言は、外国から過剰な借
金をしないこと。三番目は、外国直接投資は、先進技術と近代的経営手法だけに限ること。四
番目は、海外からの投資や合弁企業の設立を経済特区に限らず広域に広げること。五番目は、
貿易会社を段階的に減らし、国有企業が独自に外国と貿易するようにすること。そして六番目
は、国家経済の長期的枠組みを構築すること(注38)。
1990年には、世界銀行の最大の代表団が北京にいた。中国の指導者たちは陰で糸を引く
世界銀行の存在を隠しつつ、そのアドバイスのほぼすべてに従った。ピーター・ハロルドは
世界銀行の主席エコノミストになり、E・C・ファが協力した,ファは1984年の調査に深
く関わっている。ファは、中国の経済界以外ではほとんど知られていないが、中国経済の基礎
を築いたひとりだと、後に中国の事務次官がわたしに語った。わたしの知る人で、ファのこと
を知っている人はいなかった。
ソ連崩壊後の数年間、中国のエコノミストたちは、ロシアや東欧の例に倣うかどうかをめぐ
って議論しつづけた。ロシアや東欧では国有企業がすぐに民営化され、価格の自由化も図られ
た。当時、アメリカの当局者は知らなかったが、中国の改革志向の政治家の中には、ロシアの
民営化のモデルに倣おうとする人々がいた。中国は再び岐路に立たされた。アメリカの中国専
門家は、大安門事件の数年前に起きたこの議論のことを知らなかった。また、ふたりの共産党
指導者が真の改革派だったためにその地位を追われたのに、何もしなかった。そしてアメリカ
はパリに亡命した彼らを支援しようとしなかった。どうやらクリントン大統領は、中国で起き
たこの議論について何も知らなかったようだ。それは、自由市場と私有財産に向かって進むべ
きか、あるいは政府がコントロールできる企業をたくさん作って、技術の盗用、偽造、情報収
集を進めてアメリカの打倒を図るべきかという、中国のその後を決める重要な議論だったのだ
が。もし知っていれば、真の自由化を求める人々をアメリカ政府は支援したはずだ。しかし、
結局は、周小川などの強硬派が特利を収めた,周は後に中国中央銀行の頭取になる人物で、中
国のマラソン戦略を支援する世界銀行と早くから手を結んだ。ソビエト崩壊後、影響力ある中
国の政治家の中にロシアの改革モデルを真似ようとした人々がいたことを、わたしたちは後に
なって知った。彼らを後押しすれば、周のような強硬派に対抗できたはずだが、そもそもそう
した議論が起きたことさえわたしたちは知らなかった。
※ 中国人民銀行総裁が行方不明に 原因は人民元に重大な危機か個人的事情か 新唐人 2016.06.14
周は民営化や政治改革を拒んだ。その代わりに、協力的な世界銀行のエコノミストとともに、
党による支配のもと、国有企業の収益性を向上させる戦略を進めていくことを奨励した。周が
世界銀行のためにまとめた機密文書には、欧米の市場志向の経済も、ロシアと東欧でうまくい
った改革も受け入れようとしない、彼の計画の詳細が書かれていた。代わりに周と世界銀行中
国支部長のビーター・ハロルドは、中国の非効率的で、構造も経営状態もおそまつな国有企業
を変える独自の戦略を計画した。これらの国有企業は赤字経営で、政府の銀行からの融資でそ
れを埋めていた(注39)。彼らの計画は、その恐竜、すなわち時代遅れの国有企業を救い、国
家的な勝者にしようとするものだ。それはかつて誰もしたことのない挑戦だった。
※ 融資の急膨張は地方に深刻な債務問題を引き起こした Rapid Loan Growth Has Led to Serious
Debt Problems at Local Governments, The Wall Street Journal. Aug. 15, 2013 6:02 a.m
ここは経緯を考察するだけで特にコメントはしない。
この項つづく