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オール地熱発電システムで完結

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      59  民心離反を防げ  /  風水渙(ふうすいかん)    

                                 

        ※ 「渙」(かん)とは散ること。散らすという意味である。帆を
         張って舟が水上を行く象と言われ、外に向かって、大いにエネ
         ルギーを発散させ、大事業をなしとげてゆく時である。卦の形
         は、水面(坎)を吹く風(巽)がただよう木のくずを吹き敗ら
         すさまを表わす。停滞を吹き飛ばして新しい出発をはかるに良
         い卦である。しかし「散る」ということは、民心離反、国内分
         裂、一家離散の暗い前途をも暗示している。出発に際しては、
         まずそのことを考慮にに入れ、気をひきしめてかからねぱなら
         ない。そうすれば、大危難を克服し、志か果たすことがでるの
         である。 

【RE100倶楽部:オール地熱発電システムで完結】

東日本大震災以前は、自然エネルギーの主流は地熱発電だと予測されいたが、 地震以降は、わたし
(たち)が予測していたように、太陽光発電及び風力発電が主流になり、今では、「ソーラーシンギ
ュラリティ時代」に突入している。後進国のアフリカも太陽光+風力が主流になると見込まれている
(「アフリカ諸国 30年までに風力と太陽光などでエネルギー生産3倍増」2017.03.27)。このよう
に日本では地熱発電が普及しない理由として、次のように課題が指摘されている。

国立公園の開発規制がある。 初期投資が高い。 温泉街からの反対がある(日本では影響事例はない)。 新規参入を阻む電力業界の体制があった(電力独占体制)。 国の開発支援が消極的であった(原子力政策)。 発電量の減衰する(熱水源の枯欠・衰退)。 地震の誘発のリスクがある(ただし、無感地震がほとんど)。 発電量が小さくとコストが高い(2005年度試算で83円/キロワットアワー)。 全量買取制価格が他の自然エネルギーと比較しても高い(2013年度で 15MW未満(40円+税)15MW
以上(26円+税)) エネルギー効率が低い(15~20%)。

この様に再生可能エネルギーの一つであり、太陽の核融合エネルギーを由来としない数少ない発電方
法のひとつでもある。ウランや石油等の枯渇性エネルギーの価格高騰や地球温暖化への対策手法とな
ることから、エネルギー安全保障の観点からも各国で利用拡大が図られつつあるものの、計画から建
設までに10年以上の期間を要し、井戸の穴掘りなど多額の費用がかかり、稼働後は他の自然エネル
ギーと比しても高い費用対効果があり、特に、九州電力の八丁原発電所では、燃料が要らない地熱発
電のメリットが減価償却の進行を助けたことにより、近年になって7円/kWhの発電コストを実現して
いる。このように考えていくと、地熱発電はまだ開発代が残こる分野である。また、考え方によれば
①温水製造システムであり、バイオマス給湯システムと同様で熱水源の涸欠しなければ、半永久に使
用であり水源の選択はあるものの、その用途は温泉、暖房、給湯、融雪(除雪)、ヒートポンプとし
て空調設備、あるいは、温室、養殖魚、畜産などの第一産業の熱源になり、②蒸気タービンとしてで
なく、外気温と循環作動液体温度差を利用して、定電流マイクロインバータ機能付き熱電変換素子方
式発電システムに利用すれば、さらに、静謐な放冷設備不要で比較的コンパクトな地熱発電兼給湯兼
ヒートポンプシステムともなる。



そこで、今夜は、8年間考察を続けてきた「RE100倶楽部構想」は「オール地熱発電システム」
構想で完結し、ステージは実践に移ることになる。

    

● 革命的なクローズドサイクル地熱発電

昨年10月20日、ジャパン・ニュー・エナジーは、京都大学と共同研究によって開発した世界初の
技術、温泉水ではなく地中熱のみを利用して発電を行う「クローズドサイクル地熱発電」による新地
熱発電システムの発電実証に成功したことを公表している(「地下水をくみ上げない、新型の地熱発
電システム 大分県で発電実証に成功」環境ビジネス 2016.10.20)。同15日には、大分県九重町
で、この「JNEC(ジェイネック)方式新地熱発電システム」による地熱発電所の発電記念式典も開
催している。

このシステムには、従来の地熱発電が抱える様々な障壁の根本的解決方法として、温泉水を使用せず
地中熱を吸収し発電するという発想から生まれた新技術。また、スケールの問題や還元井の設置とい
った従来の地熱発電が抱える問題を解決する(下図参照)。クローズドサイクル地熱発電は、地中深
くまで水を循環させる密封された管を埋め込み、地下水(蒸気)は汲み上げず地中熱のみを利用して
管内の水を加熱し、その蒸気でタービンを回し発電を行う。具体的には、システムの中心的役割を担
う、地下 1,450メートルまで埋設した「二重管型熱交換器」内で、地上より加圧注入した水を地中熱
により加熱、液体のまま高温状態で抽出する。液体を地上で減圧、一気に蒸気化しタービンを回して
発電を行う。 

このシステムでは、発電時に二酸化炭素排出がなく、24時間安定発電が可能という従来の地熱発電の
特長に、開発リードタイムの大幅な短縮やランニングコストの軽減、温泉法の適用除外といった事業
を展開する上で有効な要素が加わる。世界初のクローズドサイクル方式を用いたJNEC式地熱発電シ
ステムの実用化実証プラントは9月30日に完成。この発電所では、更なる性能向上へ向けた研究開
発を行い、大規模化を図り、25年を目処に、3万キロワットの発電所建設する計画中である。なお、
「スケール」とは温泉水の不溶性成分が析出・沈殿し固形化したもの。地熱発電では揚水管・還元井
の内部及び発電設備に付着し、半永久的なメンテナンス及び取り替えが必要となる。「

尚、還元井」とは、地下の蒸気や熱水が枯渇しないために、発電に使用した熱水を地下に戻すための
井戸である。

● 事例研究:特開2016-223377 蒸気発生装置および地熱発電システム

前記のクロズドサイクル地熱発電システムのように、従来は、地中から地熱流体を取り出し、地熱作
動流体でタービンを回転させものである。ここで、地熱流体とは、地中に形成された地熱貯留槽に貯
留した貯留物であることから不純物を大量に含み、これら不純物がスケールとなり地熱発電装置を構
成する発電設備に付着し、発電出力の減少や発電設備の早期劣化を招く。そこで、引用文献1では、
地熱流体を用いずに水等の作動液体にてタービンを回転させ発電、地熱資源を利用して液体を受熱さ
せる蒸気発生装置が開示されている。

引用文献1の蒸気発生装置は、底部を閉塞した外管と、底部にオリフィスを設置した内管とよりなる
二重管よりなり、底部が地熱資源の高温度帯域中に達するよう地中に鉛直状に設置し、外管と内管と
の間の空間に作動液体を供給し、外管の底部にて地熱資源と液体との間で熱交換が行われ、液体は熱
水となり、この熱水が内管に流入してオリフィスを通過することで蒸気となる。この蒸気がそのまま
内管を上昇し、地熱発電装置に供給され、タービンを回転して発電することとなる。このように、引
用文献1の蒸気発生装置は、外管の底部近傍にて一点集中的に液体を受熱させるシステムである。ま
た、地熱発電に広く用いられているフラッシュ式の地熱発電装置は、150℃以上の蒸気でタービン
を回転させるものである。

このため、引用文献1の蒸気発生装置では、地熱資源と液体との熱交換効率や作動液体が地熱発電装
置に供給されるまでの間に生じる放熱を考慮し、地熱資源の高温度帯域の中でも特に250℃を超え
るような高温となる深部まで二重管の底部を到達させているため、この構成では、①外管が高温に晒
され高温腐食が早期に生じやすく、②また、二重管の全長が長大となる、施工に要する費用が増大す
るとともに、③内管の下部を外管に対して同軸配置する作業も煩雑である。④加えて、内管と外管
との間を流下する液体が、タービンを回転させた後に復水器にて冷却するため、内管内を上昇する蒸
気は、上昇する過程でこの冷却液体に熱を奪われやすい。このように地熱発電装置に供給される蒸気
に温度低下が生じると、発熱効率が低減することから、内管に断熱処理を施す必要があり、内管を外
管に設置が煩雑である。

本件の主な目的は、蒸気タービン式発電装置の作動媒体に対して、①簡略な構成で、②かつ地熱資源
の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度に、タービンを回転させるの熱量
を伝導し、発電可能な、蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムの提案である。

【要約】

蒸気発生装置1が地中に埋設された単管で、一方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2に
供給する作動媒体出口15、他方の端部に作動媒体3を蒸気タービン式発電装置2から回収作動媒体
の入口11、中間部に地熱資源14と作動媒体3との間で熱交換するための熱交換部13を備え、熱
交換部13が横臥状態に配置し、蒸気タービン式発電装置のタービン回転させる作動媒体に対し、簡
略な構成/構造で、地熱資源の高温度帯域の中でも比較的低温である浅部から、発電可能な程度にタ
ービン回転できる、熱量伝導可能な蒸気発生装置および蒸気発生装置を備えた発電システムをである。

  
JP 2016-223377 A 2016.12.28

【符号の説明】 

1 蒸気発生装置 11 作動媒体入口 12 作動媒体入口路 13 熱交換部 14 作動媒体出口路 
15 作動媒体出口 16 断熱空間  17 自硬性断熱材  2 蒸気タービン式発電装置 21 気
水分離器  22 タービン  23 発電機  24 復水器  25 循環水タンク  3 作動媒体
4 地熱資源 5 ドリルロッド  51 ドリルヘッド 52 パイロット孔  53 バックリーマー  
54 スイベル 

 

 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』   

     4.遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える 

  雨田典彦は一九三九年の二月に日本に帰国し、千駄本の借家に落ち着いた。その時点で彼はも
 う洋画を描くことを一切放棄していたようだ。それでも彼は、生活していくのに不自由ないだけ
 の仕送りを毎月実家から受けていた。母親がとくに彼を溺愛していた。彼はその時期にほとんど
 独学で日本画の勉強をしたらしい。何度か維かに師事しようとしたこともあったが、うまくいか
 なかったようだ。もともとが謙虚な性格の人ではない。他人と穏やかで友好的な関係を維持する
 ことは、彼の得意分野ではなかった。そのようにして「孤立」がこの人の人生を貫くライトモチ
 ーフになる。

  一九四一年末に真珠湾攻撃があり、日本が本格的な戦争状態に突入してからは、何かと騒がし
 い東京を離れ、阿蘇の実家に戻った。次男坊だったから家督を維ぐ面倒からも逃れられたし、小
 さな家を一軒と女中を一人与えられ、そこで戦争とはほとんど無縁の静かな生活を違った。幸か
 不幸か肺に先天的な欠陥があり、兵隊にとられる心配もなかった(あるいはそれはあくまで表向
 きの口実で、徴兵を免れるように実家が裏から手を回したのかもしれない)。一般の日本国民の
 ように深刻な飢餓に悩まされる必要もなかった。また山原いところに往んでいたから、よほどの
 間違いがない限り、米軍機の爆撃を受けるおそれもなかった。そのようにして一九四五年の終戦
 まで、彼はずっと阿蘇の山中に一人でこもっていた。世間とは関わりを断ち、日本画の技法を独
 学で習得することに心血を注いでいたのだろう。その期間、彼は一点の作品も発表していない。

  俊英の洋画家として世間から注目を浴び、将来を期待されてウィーンにまで留学した雨田具彦
 にとって、六年以上にわたって沈黙を守り、中央画壇から忘れ去られることは生やさしい体験で
 はなかったはずだ。しかし彼は簡単に挫ける人ではなかった。長い戦争が終わりを告げ、人々が
 その混乱から立ち直ろうと苦闘していた頃、新しく生まれ変わった雨田典彦は、新進の日本画家
 としてあらためてデビューを飾った。戦争中に描きためていた作品を、そこで少しずつ発表し始
 めた。それは、多くの名のある画家が戦争中に勇ましい国策絵画を描き、その責を負って沈黙を
 強いられ、占領軍の監視下、半ば隠遁を余儀なくされていた時代だった。だからこそ彼の作品は
 日本画革新の大きな可能性として、世間の注目を浴びることになった。いわば時代が彼の味方に
 なったわけだ。

  そのあとの彼の経歴には、あえて語るべきものはない。成功を収めたあとの人生というのは
 往々にして退屈なものだ。もちろん成功を収めたとたんに、カラフルな破滅に向かってまっしぐ
 らに突き進むアーティストもいることはいるが、雨田典彦の場合はそうではなかった。彼はこれ
 まで数え切れないほどの賞を受け(「気が散るから」という理由で文化勲章の受章は断ったが)、
 世間的にも有名になった。絵の価格は年を追って高騰し、作品は多くの公共の場所に展示されて
 いる。作品依頼はあとを絶たない。海外でも評価は高い。まさに順風満帆というところだ。しか
 し本人はほとんど表舞台には姿を見せない。役職に就くこともすべて固辞している。招待を受け
 ても、国の内外を間わずどこにも出かけない。小田原の山の上の一軒家に一人でこもって(つま
 り私が今暮らしているこの家だ)、気の向くままに創作に励んだ。
  そして現在、彼は九十二歳になり、伊豆高原にある養護施設に入っており、オペラとフライパ
 ンの違いもよくわからないような状態にある。
  私は画集を閉じ、図書館のカウンターに返却した。




  晴れていれば、食事のあとでテラスに出てデッキチェアに寝転び、白ワインのグラスを傾けた。
 そして南の空に明るく輝く星を眺めながら、雨田典彦の人生から私が学ぶべきことはあるだろう
 かと思いを巡らせた。もちろんそこには学ぶべきことがいくつかあるはずだ。生き方の変更を恐
 れない勇気、時間を自分の側につけることの重要性。そしてまたその上で、自分だけの固有の創
 作スタイルと主題を見出すこと。もちろん簡単なことではない。しかし人が創作者として生きて
 いくには、何かあっても成し遂げなくてはならないことだ。できれば四十歳になる前に……。



  しかし雨田典彦はウィーンでどのような体験をしたのだろう? そこでいかなる光景を目撃し
 たのだろう? そしていったい何か彼に、油絵の絵筆を永久に捨てる決心をさせたのだろう?
 私はウィーンの街に翩翻と翻る赤と黒のハーケンクロイツの旗と、その通りを歩いて行く若き目
 の雨田典彦の姿を想像した。季節はなぜか冬だ。彼は厚いコートを着て、マフラーを首に巻き、
 ハンチングを深くかぶっている。顔は見えない。市街電車が降り始めたみぞれの中を、角を曲が
 ってやってくる。彼は歩きながら、沈黙をそのままかたちにしたような白い息を空中に吐いてい
 る。市民たちは温かいカフェの中でラム入りコーヒーを飲んでいる。

  私は彼が後年描くことになった飛鳥時代の日本の光景を、そのウィーンの古い街角の風景に重
 ねてみた。しかしどれだけ想像力を駆使しても、両者のあいだには何の類似点も見いだせなかっ
 た。



  テラスの西側は狭い谷に面しており、その谷間を挟んで向かい側に、こちらとおおよそ同じく
 らいの高さの山の連なりがあった。そしてそれらの山の斜面には、何軒かの家がゆったり間隔を
 置いて、豊かな緑に囲まれるように連っていた。私の往んでいる家の右手のはす向かいには、ひ
 ときわ人目を引く大きなモダンな家があった。白いコンクリートと青いフィルター・ガラスをふ
 んだんに使って山の頂上に建てられたその家は、家と言うよりは「邸宅」といった方が似つかわ
 しく、いかにも瀟洒で贅沢な雰囲気が漂っていた。斜面に沿って三層階になっている。おそらく
 第一級の建築家が手がけたものなのだろう。このあたりは昔から別荘が多いところだが、その家
 には一年を通して誰かが住んでいるようで、毎夜そのガラスの奥には照明がともった。もちろん
 防犯のために、タイマーを便って自動点灯が行われているのかもしれない。でもそうではあるま
 いと私は推測した。明かりは目によってまちまちな時刻に点灯されたり消されたりしたからだ。

 時としてすべてのガラス窓が目抜き通りのショー・ウィンドウのように目映く照らし出されるか
 と思えば、庭園灯の仄かな明かりだけを残して、家全休が夜の間の中に沈み込むこともあった。
  こちらを向いたテラス(それは船のトップデッキのようだ)の上に、人の姿が見えることがと
 きどきあった。日暮れ時になると、その住人の姿をよく目にした。男か女かも定かではない。そ
 の人影は小さく、だいたい背後に光を受けて影になっていたからだ。しかしシルエットの輪郭や、
 その動きから見て、たぶん男だろうと私は推測した。そしてその人物は常に一人きりだった。あ
 るいは家族がいないのかもしれない。



  いったいどんな人がその家に暮らしているのだろう? 私は瑕にまかせてあれこれ想像を巡ら
 せたものだ。その人物は一人きりでこの人里離れた山頂に住んでいるのだろうか? 何をしてい
 る人なのだろう? その順治なガラス張りの邸宅で、優雅で自由な生活を送っていることに間違
 いはあるまい。こんな不便な場所から、都会まで日々通勤をしているわけもないだろうから。お
 そらく生活について思い煩う必要もない境遇にいるのだろう。しかし逆に向こう側から谷間を隔
 ててこちらを見れば、この私だって何も思い煩うことなく、一人で悠々と日々を送っているよう
 に見えるのかもしれない。

  人影はその夜も姿を見せた。私と同じようにテラスの椅子に腰掛けたまま、ほとんど身動きし
 なかった。私と同じように、空に瞬く星を眺めながら何か考えごとをしているようだった。きっ
 とどれだけ考えてもまず答えの出ないものごとについて思いなしているのだろう。私の目にはそ
 んな風に映った。どれほど恵まれた境遇にある人にだって、思いなすべき何かはあるのだ。私は
 ワイングラスを小さく掲げ、谷間越しにその人物に密かな連帯の挨拶を送った。



  そのときは、その人物がはどなく私の人生に入り込んできて、私の歩む道筋を大きく変えてし
 まうことになろうとは、もちろん想像もしなかった。彼がいなければこれほどいろんな出来事が
 私の身に降りかかることはなかったはずだし、またそれと同時にもし彼がいなかったら、あるい
 は私は暗闇の中で人知れず兪を落としていたかもしれないのだ。
  あとになって振り返ってみると、我々の人生はずいぶん不可思議なものに思える。それは信じ
 がたいほど突飛な偶然と、予測不能な屈曲した展開に満ちている。しかしそれらが実際に持ち上
 がっている時点では、多くの場合いくら注意深くあたりを見回しても、そこには不思議な要素な
 んて何ひとつ見当たらないかもしれない。切れ目のない日常の中で、ごく当たり前のことがごく
 当たり前に起こっているとしか、我々の目には映らないかもしれない。それはあるいは理屈にま
 るで合っていないことかもしれない。しかしものごとが理屈に合っているかどうかなんて、時間
 が経たなければ本当には見えてこないものだ。

  しかし総じて言えば、理屈に合っているにせよ合っていないにせよ、最終的に何かしらの意味
 を発揮するのは、おおかたの場合おそらく結果だけだろう。結果は誰が見ても明らかにそこに実
 在し、影響力を行使している。しかしその結果をもたらした原因を特定するのは簡単なことでは
 ない。それを手にとって「ほら」と人に示すのは、もっとむずかしい作業になる。もちろん原因
 はとこかにあったはずだ。原因のない結果はない。卵を割らないオムレツがないのと同じように。
 将棋倒しのように、一枚の駒(原因)が隣にある駒(原因)をまず最初にことんと倒し、それが
 またとなりの駒(原因)をことんと倒す。それが連鎖的に延々と続いていくうちに、何かそもそ
 もの原因だったかなんて、だいたいわからなくなってしまう。あるいはどうでもよくなってしま
 う。あるいは人がとくに知りたがらないものになってしまう。そして「結局のところ、たくさん
 の駒がそこでばたばたと倒れました」というところで話が閉じられてしまう。これから語る私の
 話も、ひょっとしたらそれと似たような道を歩むことになるかもしれない。

  いずれにせよ、私がここでまず語らなくてはならないのは――つまり最初の二枚の駒として持
 ち出さなくてはならないのは――谷間を隔てた山頂に住むその謎の隣人のことと、『騎士団長殺
 し』というタイトルを持つ絵画のことだ。まずはその絵について語ろう。

                                                         この項つづく

  


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