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世界は再エネで経済成長

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      60  誘惑をしりぞけよ  /  水沢節(すいたくせつ)    

                                 

       ※ 「節」(せつ)とは「限りありて止まる」で、いわゆる節度を守る
        ことである。甘い誘惑をしりどけるのは苦しいが「節」を守ってこ
        そ真の幸福があるのだ。しかし、節に固執しすぎるのもよくない。
        節倹が過ぎて病気になることはつまらぬことである。

 



【RE100倶楽部:再エネ電源80%でも経済は活性化】

● 全世界で再生可能エネルギーを65%に、温度上昇2℃未満に抑える

20日、ドイツで開催された「ベルリン・エネルギー転換対話(Berlin Energy Transition Dialogue)」に
おいて、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)が発表した調査報告書「エネルギー転換のための視点:
低炭素エネルギー転換のための投資ニーズ」によると、経済活動に負の影響を及ぼさず、全世界での
エネルギー起源二酸化炭素の排出量を50年までに70%削減し、60年までにはゼロにできる。と
の調査結果を公表(「再エネ電源80%でも経済は活性化」日経テクノロジーオンライン、2017.03.
27)。

同調査によると、主要20カ国(G20)を中心に世界全体で再生可能エネルギーと省エネルギーの導入
をさらに推進することで、温度上昇を2℃未満に抑制し、気候変動で最も深刻なインパクトを回避す
るシナリオを提示。パリ合意によって、気候変動に対する行動が国際的に決定された、焦点は、グロ
ーバルなエネルギー・システムの脱炭素化でなければならない。それが温室効果ガス排出量の3分の
2近くを占める。また、エネルギー産業を脱炭素化するために必要となる投資は、50年までにさら
に約29兆ドル(約3190兆円)超と相当な額に上る一方、世界全体の国内総生産(GDP)に占め
る比率は0.4%に過ぎない(下図参照)。


さらに、IRENAのマクロ経済分析では、成長を志向する適切な政策とあいまって、そういった投資が
経済の刺激策になるとしている。具体的には、50年にグローバルGDPを0.8%押し上げ、再エネ
分野の雇用を創出し、化石燃料産業における雇用喪失を打ち消す。雇用は再エネ関連だけでなく、省
エネ関連でも創出される。また、大気汚染が緩和されるため、環境面や健康面でのメリットを通じて、
人類の幸福度が向上するという。


図 温度上昇を2℃未満に抑制するシナリオで、世界全体のエネルギーの供給と需要に関する投資額
  の平均値を示すグラフ

世界全体では。15年にエネルギー起源二酸化炭素が32ギガトン排出された。産業革命前の気温よ
り2℃未満の上昇に温暖化を抑えるためには、この排出量を継続的に抑制し50年までに9.5ギガト
ンまで減らす必要があり、この削減分の90%は、再エネと省エネの推進を通して達成できるという。
再エネは、現在世界全体の電源構成の24%、一次エネルギー供給では16%を占める。脱炭素化を
実現するために、50年までに再エネを電源構成の80%、一次エネルギー供給の65%まで引き上
げる必要があると指摘する。ベルリン・エネルギー転換対話では、IRENAだけでなく国際エネルギー
機関(IEA)による調査結果も発表。IEAの調査でも、脱炭素化に向けたシナリオを実現するための方
策には、再エネや省エネに関してほぼ共通した方向性になる。つまり、地球は再エネで経済活性化す
るという。これは楽しみである。

 Sep. 14, 2016

【RE100倶楽部:変換効率30%超時代】

● カネカ 結晶シリコン太陽電池で世界最高変換効率26.6%

今月20日、カネカの研究チームは変換効率がさらに26.6%に達したことを示し、この結果を国立
再生可能エネルギー研究所(NREL)が認めた。Nature Energyで公開された(下図ダブクリ)。カネカは
30年までに太陽電池のキロワット時のコストを0.06ドル(約6.67円)まで下げるべく、研究を続けて
いくと話す。これぞ、ジャパン・コンセプト、実に愉快だ。



※ Silicon heterojunction solar cell with interdigitated back contacts for a photoconversion, Published online:
   20 March 2017, Nature Energy 2, Article number: 17032 (2017)

       
 

    
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅰ部』    

    5.息もこときれ、手足も冷たい

  その家に往むようになってまず不思議に思ったのは、家中のどこにも絵画と名のつくものが見
 当たらないことだった。壁にかかっていないだけではなく、家の物置にも押し入れにも、絵とい
 うものがただの一枚もないのだ。雨田典彦自身の絵がないというだけではなく、ほかの作家の絵
 もない。壁という壁はきれいに丸裸のまま放置されている。額をかけるための釘のあとすら見つ
 からなかった。私の知る限り画家というのは誰しも、多かれ少なかれ手元に絵を抱え込んでいる
 ものだ。自分の絵があり、他の作家の絵がある。知らないうちにいろんな絵画が身の回りに溜ま
 っていく。雪かきをしても、あとがらあとがら雪が降り積もるみたいに。

  何かの用件で雨田政彦に電話をかけたとき、ついでにそのことを尋ねてみた。どうしてこの家
 には絵と名のつくものが一枚もないのだろう? 誰かが持ち去ったのか、それとも最初からそう
 だったのか?

 Henri Matisse / The Art Story

 「父は自分の作品を手元に置くことを好まなかったんだ」と政彦は言った。「描いたものはすぐ
 に画商を呼んで渡していたし、出来の気に入らないものは庭の焼却炉で焼き捨てていた。だから
 父の絵が一枚も手元にないとして右とくに不思議はないよ」
 「他の作家の絵心まったく特たない?」
 「四、五枚は特っていた。古いマチスだとかブラックだとか。どれも小さな作品で、戦前にヨー
 ロッパで購入したものだ。知人から手に入れた右ので、買ったときにはそれほど高価ではなかっ
 たらしい。もちろん今ではずいぶん価値が出ている。そういう絵は、父が施設に入ったときに親
 しい画商にまとめて預かってもらった。空き家にそのまま置いておくわけにはいかないしね。た
 ぶんエアコンつきの美術品専用の倉庫に保管してあると思う。それを別にすれば、その家の中で
 ほかの両家の絵を目にしたことはない。実のところ、父は同業者たちのことがあまり好きじやな
 かった。そしてもちろん同業者たちも父のことをあまり好きではなかった。よく言えば一匹狼、
 悪く言えばはぐれがらすというところだな」

 Georges Braque / The Art Story

 「お父さんがウィーンにいたのは、一九三六年から三九年にかけてだったね?」
 「ああ、二年くらいはいたはずだ。でもどうして行き先がウィーンだったのか、よくわからない
 んだ。父の好きな画家はほとんどフランス入だったからね」
 「そしてウィーンから日本昆戻ってきて、突然日本画家に転向した」と私は言った。「いったい
 何かお父さんにそんな大きな決心をさせたんだろう? ウィーンに滞在しているあいだに何か特
 別なことが起こったんだろうか?」
 「う~ん、そいつは謎なんだ。父はウィーン時代のことは多くを語らなかったからね。どうでも
 いいような話はときどき聞かされたよ。ウィーンの動物園の話とか、食べ物の話とか、歌劇場の
 話とかさ。でも自分のことについては口の重い人たった。こちらもあえて尋ねなかった。おれと
 父とは半ば離ればなれに暮らしていたし、たまに顔を合わせる程度だった。父親というより、と
 きどき訪ねてくる親戚の伯父さんみたいな存在だった。そして中学校に入った頃からは、父親の
 存在がだんだん鬱陶しくなり、接触を避けるようになった。おれが美大に進んだときにも相談も
 しなかった。複雑な家庭環境というほどでもないが、ノーマルな家庭だったとは言えない。おお
 よその感じはわかるだろう?」

 「だいたいのところは」

 「いずれにせよ今となっては、父の過去の記憶はすべて消滅している。あるいはどこかの深い泥
 の底に沈みっぱなしになっている。何を訊いても返事はかえってこない。おれが誰なのかもわか
 ない。自分が誰なのかもおそらくわかっていない。こうなる前にいろんな話を聞いておくべき
 だったのかもしれない。そう思うこともある。でも今さら手遅れだ」

  政彦は少し考え込むように黙っていたが、やがて口を開いた。「なぜそんなことを知りたが
 る? うちの父に興味を持つようなきっかけが何かあったのか?」

 「いや、そういうわけじゃない」と私は言った。「ただこの家で生活していると、お父さんの影
 のようなものをあちこちに感じてしまうんだ。それでお父さんについて少しばかり図書館で調べ
 ものをした」

 「父の影のようなもの?」

 「存在の名残みたいなもの、かな」

 「いやな感じはしない?」

  私は電話口で首を振った。「いや、いやな感じはまったくない。ただ雨田典彦という人の気配
 がなんとなく、まだそのへんに漂っているみたいなんだ。空気の中に」
  政彦はまたしばらく考え込んでいた。それから言った。「父は長くそこに往んでいたし、たく
 さん仕事もしたからな。気配だって残るかもしれない。まあそういうのもあって、おれとしては
 正直なところ、あまり一人でその家には近寄りたくないんだ」

  私は何も言わず彼の話を間いていた。

  政彦は言った。「前にも言ったと思うけど、雨田典彦はおれにとっちやただの気むずかしい面
 倒なおっさんにすぎなかった。いつも仕事場に閉じこもって、むずかしい顔で絵を描いていた。
 口数も少なく、何を考えているのかわからなかった。同じ屋根の下にいるときには母親に『お父
 さんのお仕事の邪魔をしちやいけない』といつも注意された。走り回ることも大声を出すことも
 できなかった。世間的には有名な人で、優れた絵描きかもしれないが、小さな子供にとっちやた
 だ迷惑なだけだ。そしておれが美術方面に進んでからは、父親は何かとやっかいな重荷になった。
 名前を名乗るたびに、あの雨田典彦さんのご親威ですか、みたいなことを言われてね。よほど名
 前を変えようかと思ったよ。今にして思えば、そんな悪い人ではなかったと思う。あの人なりに
 子供を可愛がろうとしていたんだろう。しかし手放しで子供に愛を注げるような人ではなかった。
 でもまあそれはしようがないんだ。あの人には絵がまず第一だったからな。芸術家ってそういう
 ものだろう」

 「たぶん」と私は言った。

 「おれはとても芸術家にはなれそうにない」と雨田政彦はため息をついて言った。「父親からお
 れが学んだのはそれくらいかもしれない」

 「たしか前に、お父さんは若い時代にはけっこうやりたい放題、好き勝手なことをしていた、み
 たいなことを言っていなかったか?」

 「ああ、おれが大きくなった頃にはもうそんな面影はなかったけど、若い頃はずいぶん遊んでい
 たようだ。長身で顔立ちも良かったし、地方の金持ちのぼんぼんだし、絵の才能もあった。女が
 寄ってこないわけがない。父の方もまた女には目がなかった。実家が金を出して始末をつけなく
 てはならないようなややこしいこともあったらしい。しかし留学から帰国してからは、人が変わ
 ったようだったと親戚の人たちは言っていた」

 「人が変わった?」

 「日本に帰ってきてからは、父はもう遊び歩くのをやめ、一人で家に龍もって結の制作に打ち込
 むようになった。人付き合いも極端に悪くなったようだ。東京に戻ってきて、長いあいだ独身生
 活を送っていたが、結を描くだけで十分生活できるようになってから、突然思いついたように郷
 里の遠縁の女性と結婚した。まるで人生の帳尻を合わせるみたいにさ。かなりの晩婚だった。そ
 しておれが生まれた。結婚してから女遊びをしていたのかどうかまではわからん。しかしとにか
 く派手に遊びまわるようなことはもうなくなっていたはずだ」

 「ずいぶん大きな変化だ」

 「ああ、しかし父の両親は帰国してからの父の変化を喜んだようだ。もう女の問題で迷惑をかけ
 られずにすむからな。でもウィーンでどんなことがあったのか、なぜ洋画を捨てて日本画に転向
 したのか、そのへんは親戚の誰に訊いてもやはりわからない。そのことについては父はとにかく
 海の底の牡蠣のように堅く口を閉ざしていた」 

  そして今となってはその殼をこじ開けても、中身はもう空っぽになっているのだろう。私は政
 彦に礼を言って電話を切った。




  私がその『騎士団長殺し』という不思議な題をつけられた雨田典彦の絵を発見したのは、まっ
 たく偶然の成り行きによるものだった。
  夜中にときどき、寝室の屋根裏からがさがさという小さな物音を耳にすることがあった。最初
 は鼠かリスが屋根裏に入り込んだのだろうと思った。しかしその音は、小型の齧歯類の足音とは
 明らかに異なるものだった。蛇の這う音とも違う。それはなんとなく、油紙をくしやくしやと手
 で丸めるときの音に似ていた。うるさくて眠れないというほどの音ではなかったが、それでも家
 の中に得体の知れない何かがいるというのは、やはり気になるものだ。ひょっとしてそれは家に
 害をなす動物であるかもしれない。

  あちこち探し回った末に、客用寝室の奥にあるクローゼットの天井に、屋根裏への入り口がつ
 いていることがわかった。入り口の扉は八十センチ四方ほどの真四角な形だった。私は物置から
 アルミ製の脚立を持ってきて、懐中電灯を片手に、入り口の蓋を押し開けた。そして恐る恐るそ
 こから首を突き出して、あたりを見回した。屋根裏のスペースは思ったより広く、薄暗かった。
 右手と左手に小さな通風口が開いていて、そこから僅かに昼間の光が入ってくる。懐中電灯で
 隅々まで照らしてみたが、何の姿も見えなかった。少なくとも動くものは見当たらない。私は思
 いきって開口部から屋根裏にあがってみた。

  空気にはほこりっぽい匂いがしたが、不快に感じるほどではなかった。風通しが良いらしく、
 床にはそれはどの埃もたまっていない。何本かの太い梁が頭上低くわたされていたが、それをよ
 ければいちおう立って歩くことができた。私は用心しながらゆっくり前に進み、二つの通風口を
 点検してみた。どちらも金網が張られて、動物が侵入できないようになっていたが、北向きの通
 風口の金網には切れ目ができていた。何かがぶつかるかして自然に破れたのかもしれない。ある
 いは何かの動物が中に入るうと故意に網を破ったのかもしれない。いずれにせよ、そこには小型
 動物が楽に通り抜けられるくらいの穴が開いていた。

  それから私は夜中に物音を立てる張本人を目にした。それは梁の上の暗がりにひっそりと身を
 潜めていた。小型の灰色のみみずくだった。みみずくはどうやら目を閉じて眠りについているよ
 うだった。私は懐中電灯のスイッチを切り、相手を怖がらせないように少し離れたところから静
 かにその鳥を観察した。みみずくを近くに見るのは初めてのことだった。それは鳥というよりは
 羽の生えた描のように見えた。美しい生き物だ。

 ミミズク(木菟)

  たぶんみみずくは昼間をここで静かに休んで過ごし、夜になると通風口から出ていって、山で
 獲物を探すのだろう。その出入りするときの物音が、おそらく私の目を覚ましたのだ。害はない。
 それにみみずくがいれば、鼠や蛇が屋根裏にいつく心配もない。そのままにしておけばいい。私
 はそのみみずくに自然な好意を抱くことができた。私たちはたまたまこの家を間借りし、共有し
 ているのだ。好きなだけこの屋根裏にいればいい。しばらくみみずくの姿を観賞してから、私は
 忍び足で帰途についた。入り口のわきに大きな包みをみつけたのはそのときだった。

  それが包装された絵画であることは一目で見当がついた。大きさは縦横が1メートルと1メー
 トル半ほど。茶色の包装用和紙にぴったりくるまれ、幾重にも紐がかけてある。それ以外に屋根
 裏に置かれているものは何もなかった。通風口から差し込む淡い陽光、梁の上にとまった灰色の
 みみずく、壁に立てかけられた一枚の包装された緒。そのとり合わせには何かしら幻想的な、心
 を奪われるものがあった。

  その包みをそっと注意深く持ち上げてみた。重くはない。簡単な額におさめられた絵の重さだ。
 包袋綴にはうっすらほこりが溜まっていた。かなり前から、誰の目に触れることもなくここに置
 かれていたのだろう。紐には一枚の名札が針金でしっかりとめられ、そこには青いボールペンで
 『騎士団長殺し』と記されていた。いかにも律儀そうな書体だった。おそらくそれが絵のタイト
 ルなのだろう。

  なぜその一枚の絵だけが、屋根裏にこっそり隠すように置かれていたのか、その理由はもちろ
 んわからない。私はどうしたものかと思案した。当たり前に考えれば、そのままの状態にしてお
 くのが礼儀にかなった行為だった。そこは雨田典彦の住居であり、その絵は間違いなく雨田典彦
 が所有する絵であり(おそらくは雨田典彦自身が描いた絵であり)、何らかの個人的理由があっ
 て、彼が人目に触れないようにここに隠しておいたものなのだ。だとしたら余計なことはせず、
 みみずくと一緒に屋根裏に置きっぱなしにしておけばいいのだ。私がかかおるべきことではない。
 
  でもそれが話の筋としてわかっていても、私は自分の内に湧き起こってくる好奇心を抑えるこ
 とができなかった。とくにその絵のタイトルである(らしい)『騎士団長殺し』という言葉が私
 の心を惹きつけた。それはいったいどんな絵なのだろう? そしてなぜ雨田典彦はそれを――よ
 りによってその絵だけを――屋根裏に隠さなくてはならなかったのだろう?
  私はその包みを手にとり、それが屋根裏の入り口を抜けられるかどうか試してみた。理屈から
 いえば、ここに運びあげることができた絵を下に運びおろせないわけはなかった。そして屋悟畏
 に通じる開口部はそれ以外にないのだ。でもいちおう実際に試してみた。絵は思った通り、対角
 線ぎりぎりのところでその真四角な開口部を通り抜けることができた。私は雨田典彦がその絵を
 屋根裏に運び上げるところを想像してみた。そのとき彼はおそらく一人きりで、何かの秘密を心
 に抱えていたはずだ。私はその情景を実際に目撃したことのように、ありありと思い浮かべるこ
 とができた。

  この絵を私が屋根裏から運び出したことがわかったところで、雨田典彦はもう怒りはしないだ
 ろう。彼の意識は今では深い混沌の中にあって、息子の表現を借りれば「オペラとフライパンの
 見分けもつかなく」なっている。彼がこの家に戻ってくることはまずあり得ない。それにこの絵
 を、通風口の網が破損した屋根裏にこのまま置きっぱなしにしておいたら、いつか鼠やリスに嘔
 られてしまわないとも限らない。あるいは虫に食われるかもしれない。もしその絵が雨田典彦の
 描いたものであるなら、それは少なからぬ文化的損失を意味することになるだろう。

  その包みをクローゼットの棚の上におるし、梁の上でまだ身を縮めているみみずくに小さく手
 を振ってから、私は下に降りて、入り口の蓋を静かに閉めた。

  しかしすぐには包装をとかなかった。何日かの間、その茶色の包みをスタジオの壁に立てかけ
 ておいた。そして床に腰を下ろし、ただあてもなくそれを眺めていた。包装を勝手にほどいてし
 まっていいものかどうか、なかなか決心がつかなかった。それはなんといっても他人の所有物で
 あり、どのように都合良く考えても、包装を勝手にはぐ権利は私にはない。もしそうしたければ、
 少なくとも息子の雨田政彦の許可を得る必要がある。しかしなぜかはわからないが、政彦にその
 絵の存在を知らせる気になれなかった。それは私と雨田典彦の間のあくまで個人的な、一対一の
 問題であるような気がしたのだ。どうしてそんな奇妙な考えを抱くようになったのか説明はでき
 ない。でもとにかくそう感じたのだ。

  包装用和紙にくるまれ、厳重に紐をかけられたその絵(らしきもの)を、文字どおり穴が開く
 ほど見つめ、思案に思案を重ねてから、ようやく中身を取り出す決心がついた。私の好奇心は、
 私が礼節や常識を重んじる気持ちよりも遥かに強く執拗だった。それが画家としての職業的な好
 奇心なのか、あるいは一人の人間としての単純な好奇心なのか、自分では判別できない。しかし
 どちらにせよ、私はその中身を見ずにはいられなかった。誰に後ろ指をさされようがかまわない、
 と私は心を定めた。鋏を持ってきて、硬く縛られた紐を切った。そして茶色の包装紙をはがして
 みた。必要があればもう一度包装しなおせるように、時間をかけて丁寧にはがした。

  幾重にも重ねられた茶色の包袋綴の下には、さらしのような柔らかい白い布でくるまれた簡易
 額装の絵があった。私はその布をそっとはがしてみた。重い火傷を負った人の包帯をはがすとき
 のように、静かに用心深く。

  その白い布の下から姿を見せたのは、私が前もって予想していたとおり、一幅の日本画だった。
 横に長い長方形の絵だ。私はその絵を棚の上に立てかけ、少し離れたところから眺めた。
  疑いの余地なく、雨田典彦その人の手になる作品だった。紛れもない彼のスタイルで、彼独自
 の手法を用いて描かれている。大胆な余白と、ダイナミックな構図。そこに描かれているのは、
 飛鳥時代の格好をした男女だった。その時代の服装とその時代の髪型。しかしその絵は私をひど
 く驚かせた。それは息を呑むばかりに暴力的な絵だったからだ。

  私の知る限り、雨田典彦が荒々しい種類の絵画を描いたことはほとんどない。一度もない、と
 言っていいかもしれない。彼の描く絵は、ノスタルジアをかきたてる上うな、穏やかで平和なも
 のであることが多い。歴史上の事件を題材にすることもたまにあるが、そこに見られる人々の姿
 はおおむね様式の中に溶け込んでいる。人々は古代の豊かな自然の中で緊密な共同体に含まれ、
 調和を重んじて生きている。多くの自我は共同体の総意の内に、あるいは穏やかな宿命の内に吸
 収されている。そして世界の環は静かに閉じられている。そのような世界が彼にとってのユート
 ピアだったのだろう。彼はそのような古代の世界を、様々な角度から様々な視線で描き続けた。
 そのスタイルを多くの人は「近代の否定」と呼び、「古代への回帰」と呼んだ。中にはもちろん
 それを「現実からの逃避」と呼んで批判するものもいた。いずれにせよ彼はウィーン留学から日
 本に戻ったあと、モダニズム指向の油絵を捨て、そのような静謐な世界に一人で閉じこもったの
 だ。ひとことの説明もなく、弁明もなく。

  しかしその『騎士団長殺し』という絵の中では、血が流されていた。それもリアルな血がたっ
 ぷり流されていた。二人の男が重そうな古代の剣を手に争っている。それはどうやら個人的な果
 たし合いの上うに見える。争っているのは一人の若い男と、一人の年老いた男だ。若い男が、剣
 を年上の男の胸に深く突き立てている。若い男は細い真っ黒な口髭をはやして、淡いよもぎ色の
 細身の衣服を着ている。年老いた男は白い装束に身を包み、豊かな白い聚をはやしている。首に
 珠を連ねた首飾りをつけている。彼は持っていた剣をとり落とし、その剣はまだ地面に落ちきっ
 ていない。彼の胸からは血が勢いよく噴き出している。剣の刃先がおそらく大動脈を貫いたのだ
 ろう。その血は彼の白い装束を赤く染めている。口は苦痛のために歪んでいる。目はかっと見開
 かれ、無念そうに虚空を睨んでいる。彼は自分か敗れたことを悟っている。しかし本当の痛みは
 まだ訪れていない。

  一方の若い男はひどく冷たい目をしている。その目は相手の男をまっすぐに見据えている。そ
 の日には後悔の念もなく、戸惑いや怯えの影もなく、興奮の色もない。その瞳があくまで冷静に
 日にしているのはただ、迫り来る他の誰かの死と、自らの間違いのない勝利だ。ほとばしる血は
 その証に過ぎない。それは彼にどのような感情ももたらしてはいない。

  正直なところ、私はこれまで日本画というものを、どちらかといえば静的な、様式的な世界を
 描く美術のフォームだと捉えていた。日本画の技法や画材は、強い感情表現には向かないものと
 単純に考えてい。自分とはまったく無縁な世界だと。しかしその雨田典彦の『騎士団長殺し』を
 前にすると、私のそんな考えが思いこみに過ぎなかったことがよくわかった。雨田聡彦の描くそ
 の二人の男の命を賭けた、激しい果たし合いの光景には、見る者の心を深いところで震わせるも
 のがあった。勝った男と負けた男。刺し貫いた男と、刺し貫かれた男。その落差のようなものに、
 私は心を惹かれた。この絵には何か特別なものがある。

  そしてその果たし合いを近くで見守っている人々が何人かいた。一人は若い女性だった。上品
 な真っ白な着物を着た女だ。髪を上にあげ、大きな髪飾りをつけている。彼女は片手を口の前に
 やって、口を軽く開けている。息を吸い込み、それから大きな悲鳴をあげようとしているように
 見える。美しい目は大きく見聞かれている。

  そしてもう一人、若い男がいた。服装はそれほど立派ではない。黒っぽく、装飾も乏しく、い
 かにも行動しやすい衣服だ。足には簡単な草履を履いている。召使いか何かのように見える。剣
 を帯びてはおらず、腰に短い脇差しのようなものを差しているだけだ。小柄でずんぐりして、薄
 く顎髭をはやしている。そして左手に帳面のようなものを、今でいえばちょうど事務員がクリッ
 プボードを持つようなかっこうで、待っている。右手は何かを掴もうとするように、宙に伸ばさ
 れている。しかしその手は何も掴めないでいる。彼が老人の召使いなのか、若い男の召使いなの
 か、それとも女の召使いなのか、画面からはわからない。ひとつわかるのは、この果たし合いが
 急速な展開の末に起こったことであり、女にも召使いにもまったく予測できなかった出来事であ
 るらしいということくらいだ。紛れもない驚きの表情が二人の顔に浮かんでいる。

  四人の中で驚いていないのはただ一人、若い殺人者だけだ。おそらく何ごとも彼を驚かせるこ
 とはできないのだろう。彼は生まれつきの殺し屋ではない。人を殺すことを楽しんではいない。
 しかし目的のためには、誰かの息の根を止めることに躊躇したりはしない。彼は若く、理想に燃
 え(それがどんな理想なのかは知らないが)、力に溢れた男なのだ。そして剣を巧みに使う技術
 も身につけている。既に人生の盛りを過ぎた老人が、自分の手にかかって死んでいく姿を見るの
 は、彼にとって驚くべきことではない。むしろ自然な、理にかなったことなのだ。

  そしてもう一人、そこには奇妙な目撃者がいた。画面の左下に、まるで本文につけられた脚注
 のようなかっこうで、その男の姿はあった。男は地面についた蓋を半ば押し開けて、そこから首
 をのぞかせていた。蓋は真四角で、板でできているようだ。その蓋はこの家の屋根裏に通じる入
 り口の蓋を私に思い出させた。形も大きさもそっくりだ。男はそこから地上にいる人々の姿をう
 かがっている。

主人公のこの絵の感想、洞察がつづいていくが、それは次回の楽しみにしておいて、この主題の絵に
描かれたものを見たい衝動に駆られる。

                                      この項つづく


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