至人はおのれなし、神人は功なし、聖人は名なし
人神・至人・聖人 /「逍遙遊」(しょうようゆ)
※ 天地の自然に身を委ね、万物の生成変化に応じて無窮の世界に逍遥する者こ
そ、なにものにもとらわれぬ真に自由な存在である。「至人は自己に固執せ
ず、神人は作為を施さず、聖人は名声に関心を抱かぬ」とは、このことを指
す。
【RE100倶楽部:太陽光発電編】
● 日本のポストFIT事業の展望 その1
太陽光発電システムは、12年7月から開始。「電気事業者による再生可能エネルギーの電気の調達
に閤する特別措置法(FIT法)」に連関する再生可能工不ルギ一固定価格買収制度(FIT制度}のもと、日
本において大きく導入が昿太する(下図)。
一方で、このような急拡大を受け、①国民負担の急増、②不十分な設計・設計・メンテナンス状況、
③立地地域とのトラプルなど様々な歪みを抱える。昨年5月にはこれらの課題を解決するため、改正
FIT 法が制定。開法では、「安定的な発竃事業の継続に向け、発電事業者の事業計画の提出・順守を求
める新認定制度」を実施することか打ち出され、新認定制度では、事業者か事業計画において適切に
点検・保守を行うことが盛り込まれ、具体的に実施すべき内容を規定するガでドラインか策定される。
出力50キロワット以上の産業用太陽光発電殷備は、①経済産業省令で定める按術基準に適合するよ
うに電気工作物を維持する義務、②電気工作物の工事、維持及び運用に関する保安を確保するため、
保安規定を定めて聊け出る義務、③奄気工作物の工事、維持及び連用に関する保安の監督をさせるた
めに、電気主任技術者を選任して届け出る義務を定めている。加えて、50キロワット未満の低圧設
備では、届出等の手続きは不要だが、経済産業省令で定める技術基準に適合させる義務が明示される。
また、保守点検に関する留意事項については、システム所有者の留意事項として、「日常点検にて高
所設置等容易に点検できない太陽電池アレイなどは、安全で目視可能な場所(地ヒなど)からの目視点
検とし、必要な場合は、専門技術者に依頼して実施する」、「太陽光発電用機器の内部は高電圧となっ
ている部分があり、外部からの目視、異音、異臭、振動などの点検に留める」などが挙げられた。ま
た、施工業者、専門技術者の留意事項としては、「太陽電池モジュールの直並列の枚数、PCSとの適
合性、太陽電池アレイの方位、太陽電池アレイの傾斜角、架台の強度、太陽電池モジュ一ルの配線、
塩害地域、多雪地域への設置など、太陽電池システム及び機器の仕様に関わる内容は、設置前に問題
がないことを確認する」などを挙げる。
また、ガイドラインでは「トラブルシュ一ティングと修理」なども記載されており、「パワーコンディ
ショナは、想定される不具合の原因またはその発生源を示す自己診断機能を備えていることが、一般
的である」なども紹介されている。太陽光発電の保守・点検に関するガイドラインが制定されたこと
で、発電事業者に安全で適正な発電所運営が求められる。日本のエネルギーミックスを実現する上で
も信頼性の高い太陽光発電市場の確立は必要不可欠で、このガイドライン制定は再エネ導入拡大にお
ける大きなターニングポイントになるに違いないとみられる。
蓋し、3・11の原発事故でエネルギー政策の大展開は余儀なくされ、ありきたりの言葉を借りると
「コペルニクス的転回」が起き、①原子力の安全神話が崩壊、②核燃料再処理プランの破綻と使用済
み核ゴミ処理不全の白日の下に晒され、③発光ダイオード照明と太陽電池に象徴される省エネ/再エ
ネの著しい普及が開始され、③デンマーク、オランダ、ドイツに象徴される「再エネ振興国」が続々
誕生し、「ソーラーシンギュラリティ時代」に突入している。
この項つづく
10. 僕らは高く繁った緑の草をかき分けて
妹が亡くなったあと、家族もすっかり変わってしまった。父親は前にも増して無口になり、母
親は前にも増して神経質になった。私はおおむねこれまでどおりの生活を送った。登山クラブに
入っていたのでその活動が忙しかったし、その合間に油絵の勉強をしていた。中学校の美術の教
師から、君は先生について正式に絵の勉強をした方がいいと勧められたのだ。そして絵画教室に
通っているうちに、次第に絵画に真剣に興味を持つようになっていった。当時の私は死んだ妹の
ことを考えなくて済むように、できるだけ自分を忙しくしていたような気がする。
何年くらいだろう、妹が亡くなったあとかなり長いあいだ、両親は彼女の部屋をそのままにし
ていた。机の上に積まれた教科書や参考書も、ペンや消しゴムやクリップも、ベッドのシーツや
布団や枕も、洗濯されて畳まれたパジャマも、クローゼットの中の学校の制服もそのままに残さ
れていた。壁にかかったカレンダーには、彼女の小さなきれいな宇で予定の書き込みがしてあっ
た。カレンダーは妹の死んだ月のままで、そこから時間はまったく進んでいないように見えた。
今にもドアが間いて、彼女が中に入ってきそうな気配があった。家人がいないとき、私はときど
きその部屋に入って、きれいにメイクされたベッドに静かに腰を下ろし、あたりを眺め回したも
のだった。でもそこに置かれているものにはフ切手を触れなかった。私としては、そこに静かに
残された妹の生きたしるしを、僅かなりとも乱したくなかったからだ。
もし十二歳で死ななかったら、妹はその先どのような人生を送ったのだろうとよく想像したも
のだ。でももちろんそんなことは私にわかりっこない。自分白身がどんな人生を送ることになる
のか、それだって見当もつかないのだ。妹の人生の先のことまでわかるわけがない。しかしもし
心臓の弁の機能に生来の問題さえなければ、彼女はきっと有能で魅力的な大人の女性に成長した
に違いない。多くの男に愛され、おそらくは彼らに優しく抱かれたことだろう。でもそんな光景
はなかなか具体的には思い浮かべられなかった。私にとっての彼女はあくまで三歳年下の、私の
保護を必要としている小さな妹だった。
妹が亡くなったあとしばらく、私は熱心に彼女の絵を描いた。彼女の顔を忘れないために自分
の記憶の中にあるその顔を、いろんな角度からスケッチブックに再現していった。もちろん妹の
顔を忘れたりするわけはない。私は死ぬまで彼女の顔を忘れられないだろう。しかしそれはそれ
として私か求めていたのは、その時点の私が記憶している彼女の顔を忘れないことだった。そし
てそのためには、それを形として具体的に描き残しておくことが必要だった。私はまだ十五歳で、
記憶についても絵についても時間の流れ方についても、多くを知らなかった。しかし現在の記憶
をそのままのかたちで残しておくためには、何らかの方策を講じなくてはならないということだ
けはわかっていた。それは放っておけば、やがてどこかに消えてしまうだろう。その記憶がどれ
ほど鮮やかなものであれ、時間の力はそれにも増して強力なものなのだ。私にはそのことが本能
的にわかっていたのだと思う。
私は誰もいない彼女の部屋の、彼女のベッドに腰を下ろし、スケッチブックに彼女の繰を描き
続けた。何度も何度も描き直した。心の目に映る妹の姿を、白い紙の上になんとか再現しようと
試みた。当時の私は経験も不足していたし、まだそれだけの技術を持ち合わせていなかった。だ
からその作業はもちろん簡単にはいかなかった。描いては彼り、描いては破りという繰り返しだ
った。でも今そのときの繰を見直してみると(当時のスケッチブックをまだ大事に保管してい
る)、そこに紛れもない本物の哀しみが溢れていることがわかる。技術的には未熟であっても、
それは妹の魂を私の魂が呼び起こそうとしていた真摯な作業であったことが理解できる。それら
の絵を見ていると、知らないうちに涙が溢れてくる。そのあと私はずいぶんたくさんの絵を描い
た。でも私自身に涙を流させる絵を描いたことは、それ以来一度もない。
もうひとつ妹の死が私にもたらしたものがある。それは極度の閉所恐怖症だ。彼女が狭い棺に
詰め込まれ、蓋を閉じられて堅くロックされ、火葬炉に送り込まれる光景を目にしてから、私は
狭い密閉された場所に入ることができなくなった。長いあいだエレベーターに乗ることができな
かった。エレベーターを前にすると、それが地震か何かで自動的に停止し、自分かその狭い空間
に閉じ込められたまま、どこにも行けなくなってしまうところを想像する。それを考えただけで
パニック状態に陥り、正常に呼吸ができなくなる。
妹が亡くなってすぐにそのような症状が出てきたわけではない。それが表面に出てくるまでに
三年近くを要した。私が初めてパニック状態に陥ったのは、美術大学に入ってすぐ、引っ越し会
社のアルバイトをしていたときだった。私は運転手の助手として有蓋トラックの荷物の積み降ろ
しをしていたのだが、あるときちょっとした手違いがあって、空っぽの荷室に閉じ込められてし
まった。一日の仕事の終わりに、荷室内に置き忘れがないかどうか最後の点検をしているときに、
運転手が中に人がいることを確認しないまま、外から扉をロックしてしまったのだ。
次に扉が開かれ、私がそこから抜け出せるまでにおおよそ二時間半を要した。私はそのあいだ
密閉された狭い暗黒の空間に、一人で閉じ込められていた。密閉されているといっても、冷凍車
とかそういうものではないから、空気が出入りする隙間はある。冷静に考えれば、窒息する恐れ
はないくらいのことはわかる。
しかしそのとき私は強烈なパニックに襲われた。そこに酸素は十分にあるはずなのに、どれだ
け大きく空気を吸い込んでも体内に酸素が行き渡らない。そのせいで呼吸がどんどん激しくなり、
一種の過呼吸状態に陥ってしまったのだと思う。頭がくらくらとして息が詰まり、説明のつかな
い激しい恐怖に支配された。大丈夫、落ち着け。じっとしていれば、そのうちにここから出られ
る。窒息するようなことはあり得ない。私はそう考えようとした。しかし理性というものがまる
で機能しなかった。私の順に浮かぷのは、狭い棺に閉じ込められ、火葬炉に送り込まれていく妹
の姿だけだった。私は恐怖に取りつかれ、荷室の壁を叩きまくった。
トラックは会社の駐車場に入っており、従業員は全員一日の仕事を終えて家に帰って行った。
私の姿が見えないことには誰も気づかなかったのだろう。どれだけ強くづビルの壁を叩いても、
それを耳にする人間は一人もいないようだった。下手をしたら、朝までここに閉じ込められるこ
とになるかもしれない。そう思うと、身体中の筋肉がばらばらにほどけてしまいそうだった。
私の立てる物音に気づいて、トラックの扉を外から開けてくれたのは、駐車場を見回りにきた
夜間警備員だった。私かひどく消耗し取り乱しているのを見て、仮眠室のベッドにしばらく横に
ならせてくれた。そして温かい紅茶を飲ませてくれた。どれくらいそこに横になっていたのか自
分でもわからない。でもやがて呼吸がなんとか正常になり、夜明けがやってきたので、私は警備
員に礼を言い、始発電車に乗って家に帰った。そして自分の部屋のベッドに潜り込み、長いあい
だ激しく震えていた。
私かエレベーターに乗れなくなったのはそれ以来だ。その事件が、私の内部に眠っていた恐怖
心を目覚めさせたのだろう。そしてそれが死んだ妹の記憶によってもたらされたものであること
に、ほとんど疑いの余地はなかった。エレベーターばかりでなく、それがどのようなものであれ、
密閉された挟い場所に足を踏み入れることができなくなった。潜水艦や戦車が出てくる映画を見
ることもできなかった。そんな挟い空間に自分か閉じ込められるところを想像しただけで、ただ
想像しただけで、うまく呼吸ができなくなった。映画を見ている途中で席を立ち、映画館を出て
くることもしばしばあった。誰かが密閉された場所に閉じ込められるシーンが出てくると、私は
もうそれ以上その映画を見ていることができなくなった。だから私は人と一緒に映画を見たこと
がほとんどない。
北海道を旅行しているとき、一度やむを得ぬ事情があって、カプセル・ホテルみたいなところ
で一夜を過ごすことになったが、呼吸が困難になってどうしても眠ることができず、仕方なく外
に出て、駐車場の車の中で一夜を過ごした。初春の札幌だったから、それは実に悪夢のような一
夜となった。
妻はそのパニックのことでよく私をからかったものだ。高いビルの上の階に上がらなくてはな
らないことがあると、彼女は一人で先にエレベーターで上に行って、私が十六階ぷんの階段を息
を切らせて上ってくるのを楽しそうに待っていた。でも私はその恐怖が生じた理由を彼女には説
明しなかった。ただ生まれつきなぜかエレベーターが怖いんだ、としか言わなかった。
「でもまあ、健康のためにはいいことかもね」と彼女は言った。
また私は人並み以上に大きな乳房を持つ女性に対して、怯えに似た感情を抱くようにもなった。
それが十二歳で死んだ妹の、膨らみかけの乳房と関係しているのかどうか、正確なところは自分
でもよくわからない。しかし私は昔からなぜか小振りな乳房を持った女性に心を惹かれたし、そ
のような乳房を目にするたびに、それに手を触れるたびに、妹の胸の小さな膨らみを思い起こす
ことになった。誤解されると困るのだが、なにも妹に対して性的な関心を抱いていたわけではな
い。私はおそらくある種の情景を求めているのだと思う。失われてもう二度互房ることのない、
限定された情景のようなものを。
Big breasts, little breasts
土曜日の午後、私は人妻の恋人の胸の上に手を置いていた。彼女の乳房はとくに小さくもなく、
とくに大きくもなかった。程よい大きさで、それは私の手のひらにうまく収まった。私の手のひ
らの中で、彼女の乳首はまだ先はどの堅さを残していた。
彼女が土曜日に私の家にやってくることはまずない。彼女は週末を家族とともに過ごすからだ。
しかしその週末、彼女の末は出張でムンバイに出かけており、二人の娘たちは泊まりがけで、那
須にある従姉妹の家に遊びに行っていた。だから彼女はうちに来ることができたのだ。そしてい
つもの平日の午後のように、我々はゆっくり時間をかけて性交した。そのあと二人は気怠い沈黙
の中に浸っていた。いつものように。
「ジャングル通信のことを聞きたい?」と彼女が言った。
「ジャングル通信?」。それがいったい何のことか、急には思い出せなかった。
「忘れちやったの? 谷の向かい側の白い大きな家に往んでいる謎の人のことよ。メンシキさん、
その人について調べてほしいって、この前言ったじやない」
「ああ、そうだった。もちろん覚えているよ」
「少しだけだけど、わかったことがある。私のママ友が一人、あのあたりに往んでいるの。だか
ら少しだけ情報を集めることができた。聞きたい?」
「もちろん聞きたい」
「メンシキさんがあの見晴らしの良いおうちを買ったのは、今から三年くらい前のことになる。
その前はあそこには別の家族が往んでいたの。その人たちがそもそもあの家を建てたんだけど
そのオリジナルの持ち主は二年くらいしかあの家に暮らさなかった。ある晴れた朝、突然その人
たちは荷物をまとめて出ていって、メンシキさんが入れ替わりにそのあとに入ってきた。彼は新
築同然の屋敷をそっくりそのまま買い取ったわけ。どういう経緯でそんなことになったのか、そ
れは誰も知らない」
「つまり、彼があの家を建てたわけじゃないんだ」と私は言った。
「そう。彼は既にあった容れ物にあとから入り込んできただけ。まるですばしこいヤドカリみた
いに」
そう言われて意外な気がした。あの白い家は彼が建てたものと、最初から私は思いこんでいた
からだ。それくらいその山の上の白い屋敷は、免色という人物のイメージと――たぶん見事な白
髪と呼応してだろう――自然に繋がっていた。
わたしも、小学一年の時、道草でビルのエレベーターに乗っが動かずしばらく閉じこめられパニック
状態の体験をし、成人してから、精神的な疲れ状態で閉所恐怖症の体験を重ね合わせる。
この項つづく
Apr. 3, 2017
【RE100倶楽部:省エネルギー編】
● グラフェン酸化膜によるイオン調整分離
今月3日、マンチェスター大学の研究グループは、これまで化学蒸着(CVD)法などで工業的規模で
廉価で大量に単層グラフェンの製造することが困難であったが、グラフェン酸化膜による海水の脱塩
に成功したことを公表(上/下図ダブクリ参照)。それによると、グラフェン酸化膜の両端をエポキ
シ樹脂で膜処理/配置構成で、膜膨張を制御できることを実証。国連は2025年までに世界人口の14
%が水不足に遭遇すると予想。 気候変動の影響が都市への水供給を妨げる。現在、淡水化技術への
に投資が行われている。同研究グループは耐久テストを行い膜交換/洗浄の周期などを確認するとの
こと。また、究極の目標として、最小限のエネルギー投入で海水/排水から飲用水を製造するろ過装
置を製造することだと話す。
Nature NanotechnologyYear published:(2017)DOI:doi:10.1038/nnano.2017.21 Published online03 April 2017
【要約】
グラフェン酸化膜は、特殊な分子透過特性を示し、多様な用途に有望である。イオンふるい分け/淡
水化技術への応用は、約9Åの透過分離能で規制され、これは一般的な塩類の水和イオンの直径より
大きい。この分離能は、水中で膨潤するグラフェン酸化物積層体の典型的な13.5Åの層間間隔(
d)によって決定される。 水に浸された積層体より小さいdでは達成困難である。 ここでは、物理
的閉じ込めによりdを制御、正確/調整可能なイオンふるい分けを達成する方法を呈示する。6.4
Å~9.8Åのdを有する膜で、水和イオン直径よりも小さいふるい寸法を示す。この領域では、d
に依存し、約10~100kJ mol -1 のエネルギー障壁によりイオン透過が熱活性化する。重要なことに、
①透過速度は、ふるいサイズの減少に従い指数関数的に逓減するが、②水輸送は弱い影響を受ける(
因子<2)。後者は、水分子の侵入に対する低い障壁とグラフェン毛細管内での大きな泳動長に起因
する。これらの知見をもとに、限定的な膨潤を有するグラフェン基材膜を得る簡便な測量方法を実証、
これはNaClに対し、97%の阻止率を示す。
この研究開発が成功すれば、省エネ/廉価な除菌/脱塩システムが普及し、これに高度脱塩システム
とを組み合わせば、コンパクトな超純水製造システムが誕生するかもしれない。また、このブログで
掲載したが、海水面をグラファイト酸化膜の表面を自律的に覆うことで海面から水蒸気の蒸発を抑制
し、大型/局所的な低気圧発生を防止することも可能だろう。これは面白い。
Mar. 21, 2017
【RE100倶楽部:太陽光発電編】
● 最新自己追跡型太陽光集光装置技術:US 9602047 B2
※ Titol : Self-tracking solar concentrator device
今回は、入射光を焦点スポットに集束するように構成された集束光学装置で、また光源を自己追跡装
置で、焦点スポットの光を反射するように構成、 この集光光学装置/適応型装置との間に配置され、
適応型装置の反射光を捕捉構成した光ガイドと、を備えた構成/構造を特徴とする装置の特許事例を
を掲載する(上下図ダブクリ参照)。
☯ 説明図の説明
☑図1は、本発明の1つの態様による、レンズアレイ110、光ガイド130、および光ガイド130の下に
配置されたアクチュエータ120のアレイを示す、自己追跡集光器デバイス100の断面図。
☑図2は、図1に示す光学装置を用いた焦点Fの変化を示すセルフトラッキングコンセントレータ100
の断面図。別の態様は図5に図示。
☑図3A、図3Cは、アクチュエータ250の一実施形態を図示。図3Aは、光ガイド230の下にアクチ
ュエータ250が配置された装置200を図示、さらに、図3B、図3Cは別の態様による、光Lによる
照明の異なる段階を図示。
☑ 図4A、図4Eは、アクチュエータ350の実施形態を示す。図3Aは、光ガイド330の下にアクチ
ュエータ350が配置された装置300を示す。さらに別の態様による、光Lによる照明の異なる段階を
図4B、図4Eに図示。
☑図5は、平坦なペッツヴァル像面湾曲を提供するレンズアレイを使用する装置の断面図を示し、別
の態様による、2つの非球面レンズを有するレンズアレイの各レンズを示す。