鷦鷯(しょうりょう)森林に巣くうも一枝に過ぎず、
偃鼠(えんそ)河に飲むも満腹に過ぎず
料理人と神主 /「逍遙遊」(しょうようゆ)
※ 堯(ぎょう)が許由(きょゆう)に天子の位を譲りたいと申し出るが。
ミソサザイ(鷦鷯)は広い林のなかに巣を作るが、必要なのはたったの
一枝。カワウソ(偃鼠)は黄河の水を飲むけれども、腹いっぱいになる
だけあれば十分なのですと言って、許由はその申し出を断る。
(A) さまざまなロドプシンの分子進化系統樹, (B) RxRを発現させた大腸菌体,(C) RxRの機能を調べ
る実験の様子とその結果, (D) RxRの機能の模式図
● 光で働く新イオンポンプを発見 安定性世界新記録
先月14日、岡山大学らの研究グループは、真正細菌から膜タンパク質のロドプシン「RxR」を発見。
RxRの機能を解析し、世界で最も安定な光駆動性イオンポンプであることを明らかにする。これまで
の安定時間は、13年に米国の温泉から見出したロドプシン「TR」の加熱後37.5分が世界記録。
RxRは最長で600分と、一気に約16倍の世界記録となる。この成果は、一般に不安定とされるイ
オン輸送体の大量調製や解析へと道を拓き、①光をエネルギーに変換する技術や、②光で生命機能を
操作する技術の基盤となるため、タンパク質を材料とした生命医工学研究への応用が期待されている。
イオン(H+,Na+,K+,Ca2+など)は,生物にとって必須の物質。例えば,カルシウムイオン(Ca2+)
がないと骨はできず,血液中のカリウムイオン(K+)が2倍になっただけで,心臓は停止する(えら
いこっちゃ!)。体の中ではイオン輸送体がイオン濃度を厳密に調節。イオン輸送体は、ヒトを含め
た全ての生物の細胞膜に存在する膜タンパク質で、さまざまな生命機能に関与―――胃酸の分泌や生
命活動に必須なエネルギーの源となる物質(ATP)の合成に関わるイオンポンプや、筋収縮や神経伝
導に関わるイオンチャネルが存在する。
ところで、医薬品の約16%のイオン輸送体の市場と想定されているからイオン輸送体の研究は医薬
品開発で重要。そして、岡山大学は、イオン輸送体の中で色の変化で活性を確かめられるロドプシン
――光に反応して機能を示す膜タンパク質で、①イオン輸送に加え、②視覚応答、③概日リズム、④
タンパク質発現調節などを担う――の研究だけでなく、生命機能を光で操作する技術(オプトジェネ
ティクス)への展開や,光応答性を利用した光応答タンパク質材料(光エネルギー変換体)としての
利用を通し、光利用による物質材料/生命機能の研究されているという。
● 世界初 コエンザイムQ10に体内から放出される加齢臭の抑制効果を発見
♪ お父さんって好い匂いって鼻歌マジで「加齢臭がくさい」などと悪態を突く彼女だが、今月5日、資生堂が、
高い抗酸化作用を持つコエンザイム(補酵素)Q10 ――ヒト体内の細胞にあるミトコンドリアがエネルギー
を作る際に欠かせない成分で、加齢とともに減少する――に 体表ではなく体内から放出される加齢臭の
原因物質ノネナールを抑える効果――コエンザイムQ10を4週間摂取したところ、肌の内側から放出
されるノネナールの濃度が2~3割減少し、加齢臭が顕著に抑制があると。「補酵素かオーデコロン
かはたまたその両方かそれが問題だ?!」とハムレット。これも吉報とし読み眺める。
● 革命的分子内包型カーボンナノチューブ光励起素子
― 夢の太陽光エネルギー変換効率50%へはずみ ―
3月10日、岡山大学の高口豊准環境生命科学研究科教授らの研究グループは、カーボンナノチュー
ブの光吸収帯を利用した水分解反応による水素製造が可能であることを明らかにする。カーボンナノ
チューブはこれまで、光触媒の光吸収材料としての利用が困難であると考えられてい。一方、カーボ
ンナノチューブは、従来の光触媒技術では利用できない赤色光~近赤外光(波長600~1300 nm)を吸
収できることから、太陽光エネルギーの変換効率の大幅な向上が見込まれ、光触媒を利用したCO2フ
リー水素製造技術への応用が期待されている。このように、以外と早く、廉価な波長変換素子/蛍光
化合物のコラボなどで30%超が実現できそうである。
● 特開2015-171965 コアシェル型カーボンナノチューブ複合材料及びその製造方法
カーボンナノチューブは、①単層カーボンナノチューブ(SWNTS)、②二層カーボンナノチューブ
をはじめとする比較的安価で導電性の高い③多層カーボンナノチューブ(MWNTs)、④ピーポッド
と呼ばれる分子内包カーボンナノチューブなどに分類される。4つめの分子内包カーボンナノチュー
ブは、様々な分子を内包することができ、半導体的な性質を自在にチューニングすることが可能なこ
とから次世代の半導体材料として期待されている。
非特許文献1には、SWCNT/フラロデンドロン超分子複合体の分散液中で、オルトけい酸テトラ
エチルをゾルゲル重合させることで、SWCNT/フラロデンドロン/SiO2 ナノハイブリッドが得られ
ることが記載されている。ナノハイブリッドを用いた光水素発生実験を行ったところ、光水素発生量
が5.7μmol/hであり、量子収率が31%であったとされている。しかしながら、ナノハイブリッド
の調製には48時間を要するため、光触媒として使用する際にすぐに準備できないという問題があ
り、また、更なる光触媒としての機能向上も望まれていた。
この事例は上記課題解決のものであり、カーボンナノチューブ、フラーレン及びデンドリマーがこの
順番で積層されたコア層が形成され、コア層の外側にシリカと金属酸化物との複合体である無機化合
物からなるシェル層が形成されてなるコアシェル型カーボンナノチューブ複合材料を提供することを
目的とするものである。
【図7】カーボンナノチューブ/フラロデンドロン/SiO2-TiO2ナノハイブリッドの調製方法の一
例を示すフローチャート
10. 僕らは高く繁った緑の草をかき分けて
彼女は続けた。「メンシキさんがどんな仕事をしている人なのか、誰にもわからない。わかっ
ているのは、彼はいっさい通勤をしていないということ。ほとんど一日中宮にいて、たぶんコン
ピュータを使って情報をやりとりしているんでしょう。書斎にはそういう機器がいっぱいあると
いうことだから。最近では能力さえあれば、たいていのことはコンピュータでできちやうのよ。
私の知り合いに、ずっと自宅で仕事をしている外科医がいる。熱心なサーファーで、海のそばを
離れたくないということで」
「自宅から出ないで、外科医の仕事ができちやうんだ?」
「患者についてのすべての画像と情報を送ってもらって、それを解析して手術のプロトコルだか
なんだかを制作し、それを先方に送り、実際の手術を画像でモニターしながら、必要に応じてア
ドバイスを与えるの。あるいはこちらからコンピュータのマジックハンドを使っておこなえる手
術もある。そういう話」
「なかなかすごい時代だ」と私は言った。「個人的にはあまりそんな風に手術を受けたくはない
けれど」
「メンシキさんもきっと、何かそれに似たようなことをしているんじやないかしら」と彼女は言
った。「そして何をしているにせよ、まったく不足のない収入を得ている。あの大きな家に一人
で暮らしていて、ときどきまとめて長い旅行をする。たぶん海外に行っているのでしょうね。家
の中には、エクササイズ・マシンをいっぱい揃えたジムのような部屋があって、暇があればそこ
でせっせと筋肉を鍛えている。贅肉は一切れもついていない。主にクラシック音楽を愛好し、充
実したオーディオルームもある。優雅な生活だと思わない?」
「どうしてそんな細かいことまでわかるんだろう?」
彼女は笑った。「どうやらあなたは、世間の女性の情報収集能力というものを過小評価してい
るみたいね」
「そうかもしれない」と私は認めた。
「車は全部で四台持っている。ジャガーを二台とレンジローバー。それに加えてミニ・クーパー。
どうやら英国車の愛好家みたいね」
「ミニは今ではBMWが作っているし、ジャガーはたしかインドの企業に買収されたんじやない
かな。どちらも正確には英国車とは呼べないような気がする」
「彼が乗っているのは旧型の方のミニ。それにジャガーほどこの企業に買収されようが、結局は
英国車よ」
「ほかに何かわかったことは?」
「彼の家に出入りする人はほとんどいない。メンシキさんはかなり孤独を愛好する人のようね。
一人でいるのが好きで、たくさんの古典音楽を聴き、たくさんの本を読んでいる。独身でお金持
ちなのに、女性をうちに連れてきたりすることもほとんどないみたい。見たところとても簡素で
清潔な生活を送っている。ひょっとしたらゲイかもしれない。でもたぶんそうではないだろうと
いういくつかの根拠がある」
「きっとどこかに豊かな情報源があるんだろうね」
「今はもういないけど、少し前までは家事をするために通に何度か、あのおうちに通ってくるメ
イドのような人がいた。その人がゴミの集積場にゴミを出しに行ったり、あるいは近所のスーパ
ーに買い特に行ったりすると、そこには近所のお宅の奥さんがいて、自然に会話が生まれる」
「なるほど」と私は言った。「そうやってジャングル通信が成立する」
「そういうこと。その人の話によれば、メンシキさんのおうちには『開かずの部屋』みたいなの
があるっていうこと。ここに入ってはいけないとご主人から指示されるの。とても厳しく」
「なんだか『青髭公の城』みたいだ」
「そのとおり。どんな家の押し入れにもひとつくらい骸骨が入っている。よくそう言うじやな
い」
Herzog Blaubarts Burg
そう言われて、私は屋根裏にひっそり隠されていた絵画『騎士団長殺し』のことを思い浮かべ
た。それもまた、押し入れの中の骸骨のようなものかもしれない。
彼女は言った。「その謎の部屋の中に何があるのかは、彼女にもとうとうわからなかった。彼
女が来るときにはいつもドアに鎚がかけてあったから。でもとにかくそのメイドさんはもう彼の
家に通ってきてはいない。たぶん口が軽すぎると思われて、くびになったんでしょう。今では彼
が自分ひとりでいろんな家事をこなしているみたい」
「彼自身もそう言っていた。週に一度のプロのクリーニング・サービスを別にすれば、ほとんど
の家事は自分でこなしていると」
「プライバシーに関してはなにしろ神経質な人みたいね」
「しかし、それはそれとして、ぼくがこうして君と会っていることが、ジャングル通信でご近所
に広まるようなことはないのかな?」
「それはないと思う」と彼女は静かな声で言った。「まず第一に、そうならないように拡が気を
配っている。第二に、あなたはメンシキさんとは少し違う」
「つまり」と私はそれをわかりやすい日本語に翻訳した。「彼には噂になる要素があって、ぼく
にはない」
「私たちはそのことに感謝しなくちやね」と彼女は明るく言った。
妹が死んだあと、時を同じくするようにいろんなことがうまくいかなくなっていった。父親の
経営していた金属加工の会社が慢性的な営業不振に陥り、その対策に追われて、父親はあまり家
に帰ってこなくなった。ぎすぎすした雰囲気が家庭内に生まれた。沈黙が重くなり、長く続くよ
うになった。それは妹が生きていたときにはなかったものだった。そんな家庭からできるだけ離
れたくて、私は絵を描くことにいっそう深くのめり込むようになった。そしてやがて、美術大学
に進んで経を専門的に勉強したいと考えるようになった。父親はそれに強固に反対した。絵描き
なんかになってまともに生活ができるわけがない。うちにはもう芸術家を養ってやるような経済
的余裕はないんだからと。そのことで拡と父親とは言い争いをした。母親があいだに入ってとり
なして、なんとか美術大学に進学することはできたが、父親との関係は最後まで修復しなかった。
もし妹が死んでいなかったら、と考えることがときどきあった。もし妹が何ごともなく生きて
いたら、私の家族は進かに幸せな生活を進っていたに違いない。彼女の存在が唐突に消滅したこ
とで、それまで保たれていたバランスが急速に失われ、拡の家庭は知らず知らずお互いを傷つけ
合う場所になってしまった。そのことを考えるたびに、結局のところ、妹の抜けた穴を埋めるこ
とが自分にはできなかったのだ、という深い無力感に襲われた。
そのうちに妹の経を描くことももうなくなってしまった。美大に進んだあと、私がキャンバス
を前にして描きたいと思うのは主に、具体的な意味を持たない事象や物体になった。ひとことで
いえば抽象画だ。そこではあらゆるものごとの意味が記号化され、その記号と記号との絡み合い
によって新たな意味性が生じた。私はそのような種類の完結性を目指す世界に、好んで足を踏み
入れていくことになった。その上うな世界において初めて、私は心置きなく自然に呼吸すること
ができたからだ。
でももちろんそんな絵を描いていても、まともな仕事はまわってこない。卒業はしたものの抽
象画を描いている限り、収入のあてはとこにもなかった。父親の言ったとおりだ。だから生活し
ていくために(私はもう両親の家を出ていたし、家賃と食費を稼ぎ出す必要があった)肖像画を
描く仕事を引き受けざるを得なかった。その上うな実用的な結を型どおりに描くことによって、
私は曲がりなりにも画家として生き延びることができた。
そして今私は、免色渉という入物の肖像画を描こうとしている。向かい側の山の上の白い屋敷
に住む免色渉。近隣の人々にあれこれ噂される謎の白髪の男。興味深い人間と言って差し支えあ
るまい。私は本人に名指しで請われ、多額の報酬と引き替えに彼の肖像画を描くことになった。
しかしそこで私か発見したのは、今の私には肖像画さえ描けなくなっているという事実だった。
そのような実用的な絵でさえ、もう描くことができない。私はどうやらほんとうに空っぽになっ
ているみたいだった。
僕らは高く繁った緑の草をかき分けて、言葉もなく彼女に会いに行くべきなのだ。私は脈絡も
なくそう思った。もし本当にそうできたら、どんなに素敵だろう。
11.月光がそこにあるすべてをきれいに照らしていた
静寂が私の目を覚ました。時としてそういうことが起こる。突然の物音がそれまで継続してき
た静寂を断ち切って、人の目を覚まさせることがあり、突然の静寂がそれまで継続してきた物音
を断ち切って、人の目を覚まさせることがある。
私は夜中にはっと目を覚まし、枕元の時計に目をやった。ディジタル式の時計は1:45台を
示していた。しばらく考えてからそれが土曜日の夜の、つまり日曜日の未明の午前一時四十五分
であることを思い出した。その日の午後、私は人妻の恋人と一緒にこのベッドの中にいた。夕方
前に彼女は家に帰り、私は一人で簡単な夕食をとり、そのあとしばらく本を読み、十時過ぎに眠
りに就いたのだ。私はもともと眠りの深い方だ。いったん眠りに就くと途切れることなく眠り、
あたりが明るくなると自然に目が覚める。そんな風に夜中に眠りが中断されるのはあまりないこ
とだった。
いったいなぜこんな時刻に目が覚めてしまったのだろうと、暗闇の中で横になったまま考えて
みた。それは当たり前の静かな夜だった。満月に近い月が丸い巨大な鏡となって空に浮かんでい
た。地上の風景はまるで石灰で決われたみたいに白っぽく見えた。しかしそれ以外にとくに変わ
った気配は見当たらない。私は半ば身を起こしてしばらく耳を澄ませていたが、普段とは何かが
違っていることにやがて思い当たった。あまりにも静かなのだ。静寂が深すぎる。秋の夜なのに
虫の声が聞こえない。山の中に建てられた家だから、日が暮れるといつもは耳が痛くなるほど盛
大に虫の声が聞こえる。その合唱が真夜中まで延々と続く(私はここに仕むようになるまで、虫
というのは夜の早い時刻にしか鳴かないものだと思っていたので、そのことを知って驚かされ
た)。そのうるささは世界が虫たちに征服されたのではないかと思えるくらいだ。しかし今夜、
目を覚ましたとき、ただの一匹の虫の声も聞こえなかった。不思議だ。
いったん目を覚ますと、私はそのまま寝付くことができなくなった。仕方なくベッドを出て、
パジャマの上に薄いカーディガンを羽織った。台所に行ってスコッチ・ウィスキーをグラスに注
ぎ、製氷機の氷をいくつか入れて飲んだ。そしてテラスに出て、雑木林を通して見える人家の明
かりを眺めた。人々はもうみんな眠りに就いているらしく、家内の照明は消え、常夜灯の小さな
明かりがぽつぽつと目につくだけだった。谷を決んで免色氏の家があるあたりも、もうすっかり
暗くなっていた。そして相変わらず虫の音はまったく耳に届かなかった。虫たちにいったい何か
起こったのだろう?
そのうちに私の耳は耳慣れない音を捉えた。あるいは捉えたような気がした。とても微かな音
だ。もし虫たちがいつもどおり鳴いていたら、そんな音は決して私の耳には届かなかったはずだ。
深い静寂の中だからこそ、ここまでかろうじて届くのだ。私は息をひそめ、耳を澄ませた。それ
は虫の声ではない。自然の立てる音ではない。何かの器具か道具を使って立てられている音だ。
それはちりんちりんと鳴っているように聞こえた。鈴が、あるいは何かそれに似たものが鳴らさ
れているような音だ。
間を置いてそれは鳴らされた。ひとしきり沈黙かおり、何度かそれが鳴らされ、またひとしき
り沈黙があった。その繰り返しだった。まるで誰かがどこかから辛抱強く信号化されたメッセー
ジを送っているみたいだ。それは規則的な繰り返しではなかった。沈黙はそのときによって長く
なったり短くなったりした。また鈴(のようなもの)が鳴らされる回数もまちまちだった。その
不規則性が意図的なものなのか、あるいは気まぐれなものなのか、そこまではわからない。いず
れにせよそれは、神経を集中して耳を澄まさないと聞き逃してしまうくらいの、本当に微かな音
だった。しかしいったんその存在に気づいてしまうと、真夜中の深い静寂と、不自然なまでに明
瞭な月光の中で、その正体不明の音は私の神経に抜き差しがたく食い入った。
どうしたものかと迷ったが、やがて心を決め、思い切って外に出てみることにした。その謎の
音の出どころを私はつきとめたかった。たぶんどこかで誰かがその何かを鳴らしているのだ。私
は決して剛胆な人間ではない。しかしそのときは真夜中の聞の中に一人で出ていくことを、とく
に怖いとは思わなかった。恐れよりは好奇心の方が勝っていたのだろう。また月の光が異様に明
るかったということも、私の背中を後押ししたかもしれない。
大型の懐中電灯を手に玄関の鍵を開け、外に足を踏み出した。入り口の頭上につけられた灯火
がひとつ、あたりに黄色い光を投げかけていた。一群の羽虫たちがその光に引き寄せられていた。
私はそこに立って耳を澄ませ、音が聞こえてくる方向を見定めようとした。それは確かに鈴の音
のように聞こえた。でも普通の鈴の音とは少し違うようだ。それよりはずっと重みかおり、不揃
いな鈍い響きがある。特殊な打楽器のようなものかもしれない。しかしそれが何であれ、こんな
真夜中にいったい誰が、何のためにそんなものを鳴らしたりするだろう? そして近辺に建って
いる住居といえば、私の住んでいるこの家だけだ。もし誰かがその鈴のようなものを近くで鳴ら
しているとしたら、その人物は他人の敷地に無断で侵入していることになる。
何か武器になりそうなものはないだろうかと、私はあたりを見回した。しかしそんなものはと
こにも見当たらなかった。私が手にしているのは長い筒型の懐中電灯だけだ。しかしそれでも何
もないよりはましだろう。私は右手に懐中電灯を握りしめ、その音の聞こえてくる方に歩いてい
った。
玄関を出て左手に進むと小さな石段があり、それを七段ばかり上がると、そこからは雑木林に
なっている。雑木林を抜けるなだらかな上りの道をしばらく歩いていくと、ほどよく開けた場所
に出て、そこに小さな古い祠のようなものが祀られている。雨田政彦の話によれば、昔からずっ
とそこにあったものらしい。由来みたいなものは心からないが、彼の父親である雨田典彦が一九
五〇年代の半ばに、知り合いからこの山の上の家と地所を購入したとき、その祠は既に林の中に
あったということだ。平らな石の上に簡単な三角形の屋根をつけられた神殿が――というより神
殿に見立てられた簡素な木箱が――据えられている。高さ六十センチ、横幅四十センチほどの犬
きさのものだ。もともとは何かの色に塗られていたのだろうが、今ではその色はおおかたはげ落
ちて、元の色はただ想像するしかない。正面に小さな両開きの扉がついている。その中に何か収
められているのかはわからない。確かめたことはないが、たぶん何も入っていないのだろう。扉
の前には白い陶器の鉢のようなものが置かれていたが、中には何も入っていない。雨水がそこに
溜まり、それが蒸発し、その繰り返しによってできた汚れた筋が内側にいくつもついているだけ
だ。雨田典彦はその祠をあるがままにしておいた。通りがかりに手を合わせるでもなく、掃除ひ
とつすることもなく、ただ雨に打たれ、風に吹かれるままに放置しておいた。それは彼にとって
は神殿なんかではなく、ただの簡素な本箱に過ぎなかったのだろう。
「なにしろ信仰や参拝みたいなものには毛ほども興味を持だない人でね」と息子は言った。「神
罰とか崇りとか、そんなものはこれっぽっちも気にしなかった。くだらない迷信だと言って、頭
から馬鹿にしていた。不遜というのでもないんだが、昔から一貫して極端に唯物的な考え方をす
る人たった」
最初にこの家を見せてくれたとき、彼はその祠まで私を案内してくれた。「祠付きの家なんて
今どきあまりないぜ」と彼は言って笑い、私もそれに同意した。
「でもおれは子供時代、こんなわけのわからないものがうちの敷地の中にあることが薄気味悪く
て仕方なかった。だから泊まりに来るときも、このあたりにはなるべく近寄らないようにしてい
たよ」と彼は言った。「実を言えば、今だってあまり近寄りたくはないんだけどね」
私はとくに唯物的な考え方をする人間ではないが、それでも父親の雨田典彦と同じように、そ
の祠の存在を気にとめたことはほとんどなかった。昔の人はいろんなところによく祠をこしらえ
たものだ。田舎の道ばたにあるお地蔵さんや道祖神と同じだ。祠はごく自然にその林の中の風景
に溶け込んでいたし、私は家のまわりを散歩するとき、その前をよく通り過ぎたが、とくに気に
かけたことはなかった。祠に向かって手を合わせもしなかったし、お供えをしたこともなかった。
また自分の往んでいる敷地の中にそんなものが存在することに、特別な意味を感じたりもしなか
った。それはどこにでもある風景の一部に過ぎなかった。
そういえば、18歳の時、東京芸術大学の工業デザイン学科の受験準備をしよとしていて、ある理由
から途中で断念したわたし自身の経験を重ね、運命はどう転ぶかわからないものだと思いながら読み
続ける。
この項つづく
Apr. 5, 2017
【RE100倶楽部:オールソーラーシステム編】
● 大規模三無(土壌/淡水/化石燃料)型トマト農園
この記事をみて感心する。この大規模な農場は、土壌、淡水または化石燃料なしで全オーストラリア
のトマトの15%を栽培する。海水と太陽エネルギーでたくさんの新鮮な果物や野菜を栽培する方法
があることをご存知ですか?と読者に問いかける。優秀なサンドロプ農園(SunDrop Farms)の人々
は、全国のトマトの15%を栽培、海水は近くの湾からパイプラインで送られ、太陽の反射熱で脱塩
し、革新的な再生可能な生産サイクルで水耕栽培される。
農業事業で、最も経済的かつ環境的に、低コストで生産され、二酸化炭素排出量26,000トンを削減す
る農園デザイン。このようなアイデアはすでにわたし(たち)は構想していたが、あっさりとサンド
ロップ社はそれを実現。これを見て少し腹が立ってきた(誰に対して?)。