浸仮して左臂(ひ)を化してもって
鶏となさば、予(われ)はよりてもって時夜を求めん
大宗師(だいそうし)
※ 莫逆(ばくぎゃく)の友:心と心にうなずきあう、との意。原文は「莫
逆於心」。心を許しあった親友関係を表わす。「莫逆の友」ということ
ばは、本章から生まれる。
※ 県解:首枷を解かれ、全き自由を獲得するという意味。このことばは、
「養生主」篇にも見える。
※ 生死は一体: 子祀、子輿、子輦、子来、四人あいともに語りて曰く、
「たれかよく無をもって首となし、生をもって脊となし、死をもって尻
となさん。たれか死生存亡のフ体たるを知る者ぞ、われこれと友たらん」。
四人あい視て笑い、心に逆うことなし。ついにあいともに友たり。
にわかにして子輿病あり。子祀往きてこれに問う。曰く、「偉なるかな、
かの造物者、われをもってこの恟恟たらしめんとす」。曲彊背に発し、
上に五管あり、順、臍を隠し、肩、頂より高く、均質天を指す。陰陽の
気診るることあり。その心問にして無事、附庸として井に鑑みて曰く、
「ああ、かの造物者、またわれをもってこの恟恟たらしめんとす」。
子祀曰く、「なんじこれを悪むか」。曰く、「亡し。われなんぞ悪まん。
浸仮してわが左臂を化してもって鶏となさば、われはよりてもって時夜
を求めん。浸仮してわが右臂を化してもって弾となさば、われはよりて
もって鴞炙を求めん。浸仮してわが尻を化してもって輪となし、神をも
って馬となさば、われはよりてこれに梁らん。あにさらに駕せんや。か
つそれ得るは時なり、失うは順なり。時に安んじて順に処れば、哀楽も
入ること能わず。これ古のいわゆる県解なり。県りて自ら解くこと能わ
ざる者は、物これを結ぶことあればなり。かつそれ物、天に勝たざるこ
と久し。われまたなんぞ悪まんや」。
従って、下線箇所は、「この左腕が鶏みたいになってしまえば、ひとつ
威勢よく時を告げさせてみようじゃないか」と訳される。
No. 7
【RE100倶楽部:風力発電篇】
● 5百グラムのマイクロ・ウインド・タービン
スケールアップされた再生可能エネルギープラントは、大きなエネルギーを生み出すことができるが、
オフグリッド、遠隔地、あるいは過酷な場所に設置できる小型風力発電装置は重宝するに違いない。
デザイナーのニールス・ファバーは、荒れ果てた山頂でも機能し、タービンのUSBポートからスマー
トフォンを充電できるマイクロウィンドタービンを開発。約5百グラム(2ポンド)の計量で傘の様
なマイクロウインドタービンは、コンパクトに折りたたみ、簡単に運ぶことができる。
この風力発電装置は伸縮軸に沿い伸展させることで、1時間あたり18キロメートル(=毎秒5メー
トル)の風速で5ワットを出力を生み出す。24ワット時の容量を備えた「内蔵バッテリパック」で、
蓄電でき、タービンのすぐ上のUSBポートから直接充電することもできる。ブレードは丈夫な布仕上
げで、全方位から風のエネルギーを取り込むことが可能。
Micro Wind Turbine
太陽光が利用できない場所や夜間の曇った場所など、太陽電池パネルが苦労しがちな場所で動作する。
探検家、映画制作者、登山家、科学者、救助隊員など簡単にアクセスできない極端な場所で利用する
ことが可能だ。前出のニールス・ファバーは、スイスアルプスでマイクロウインドタービンを、強風
下でその効果を実証している。
ところで、この開発品の見所は、ブレード。折り紙や折りたたみ傘のように、必要な時にブレードを
形成するところにあり、不要となれば折りたたみ収納できる点にある。材質にもっと革新的なものが
見つかれば、風速1メートル以上程度でカットインできれば面白いと考える。
19.私の後ろに何か見える
私は台所に行ってミネラル・ウオーターを大きなグラスに入れ、ベッドに戻ってきた。彼女は
それを一口で半分飲んだ。
「で、メンシキさんのことだけど」と彼女はグラスをテーブルの上に置いて言った。
「免色さんのこと?」
「メンシキさんについての新しい情報」と彼女は言った。「あとで話すってさっき言ったでしょ
う」
「ジャングル通信」
「そう」と彼女は言った。そしてもう一日水を飲んだ。「お友だちのメンシキさんは、話によれ
ばけっこう長いあいだ東京拘置所に入れられていたみたいよ」
私は身を起こして彼女の顔を見た。「東京拘置所?」
「そう、小菅にあるやつ」
「しかし、いったいどんな罪状で?」
「うん、詳しいことはよくわからないんだけれど、たぶんお金がらみのことだと思う。脱税か、
マネー・ロングリングか、インサイダー取り引きみたいなことか、あるいはそのすべてか。彼が
勾留されたのは、六年か七年くらい前のことらしい。メンシキさんはどんな仕事をしているって、
自分では言っていた?」
「情報に関連した仕事をしていたと言っていた」と私は言った。「自分で会社を立ち上げ、何年
か前にその会社の株を高値で売却した。今はキャピタル・ゲインで暮らしているということだっ
た」
「情報に関連した仕事というのはすごく漠然とした言い方よね。考えてみれば、今の世の中で情
報に関連していない仕事なんてほとんど存在しないも同然だもの」
「誰からその拘置所の話を関いたの?」
「金融関係の仕事をしている夫を持つお友だちから。でもその情報がどこまで本当か、それはわ
からない。誰かが誰かから関いた話を、誰かに伝えた。その程度のことか右しれない。でも話の
様子からすると、根も葉もない話ではないという気がする」
「東京拘置所に入っていたというと、つまり東京地検に引っ張られたということだ」
「結局は無罪になったみたいだけど」と彼女は言った。「それでもずいぶん長く勾留され、相当
に厳しい取り調べを受けたという話よ。勾留期間が何度も延長され、保釈も認められなかった」
「でも裁判では勝った」
「そう、起訴はされたけれど、無事に塀の内側には落ちなかった。取り調べでは完全黙秘を貫い
たらしい」
「ぼくの知るかぎり、東京地検は検察のエリートだ。プライドも高い。いったん誰かに目星をつ
けたら、がちがちに証拠を固めてからしょっぴいて、起訴まで持っていく。裁判に持ち込んでの
有罪率もきわめて高い。だから拘置所での取り調べも生半可じゃない。大抵の人間は取り調べの
あいだに精神的にへし折られ、相手のいいように調書を書かされ、署名してしまう。その追及を
かわして黙秘を貫くというのは、普通の人にはまずできないことだよ」
「でもとにかく、メンシキさんにはそれができたのよ。意志が堅く、頭も切れる」
たしかに免色は普通の人間ではない。意志が堅く、頭も切れる。
「でももうひとつ納得できないな。脱税だろうがマネー・ロングリングだろうが、東京地検がい
ったん逮捕に踏み切れば、新聞記事にはなるはずだ。そして免色みたいな珍しい名前であれば、
ぼくの順に残っているはずなんだ。ぼくは少し前までは、わりに熱心に新聞を読んできたから」
「さあ、そこまでは私にもわからない。それからもうひとつ、これはこの前も言ったと思うけど、
彼はあの山の上のお屋敷を三年前に買い取った。それもかなり強引にね。それまであの家には別
の人が住んでいたんだけど、そしてその人たちには、建てたばかりの家を売るつもりなんてさら
さらなかったのだけど、メンシキさんが金を積んで―――あるいはもっと違う方法を使って――
その家族をしっかり追い出し、そのあとに移り往んだ。たちの悪いヤドカリみたいに」
「ヤドカリは貝の中身を追い出したりはしない。死んだ貝の残した貝殻を穏やかに利用するだけ
だよ」
「でも、たちの悪いヤドカリだって中にはいないと限らないでしょう?」
「しかしよくわからないな」と私はヤドカリの生態についての論議は避けて言った。「もしそう
だとして、どうして免色さんはあの家にそこまで固執しなくてはならなかったんだろう? 前に
往んでいた人を強引に追い出して自分のものにしてしまうくらいに? そうするにはずいぶん費
用もかかるし、手間もかかったはずだ。それにぼくの目から見ると、あの屋敷は彼にはいささか
派手すぎるし、目立ちすぎる。あの家はたしかに立派ではあるけれど、彼の好みに添った家とは
言えないような気がする」
「そして家としても大きすぎる。メイドも雇わず、一人きりで暮らしていて、お客もほとんど来
ないということだし、あんなに広い家に住む必要はないはずよね」
彼女はグラスに残っていた水を飲み干した。そして言った。
「メンシキさんには、あの家でなくてはならない何かの理由があったのかもしれないわね。どん
な理由かはわからないけれど」
「いずれにせよ、ぼくは火曜日に彼の家に招待されている。実際にあの家に行ってみれば、もう
少しいろんなことがわかるかもしれない」
「青髭公の城みたいな、秘密の開かずの部屋をチェックすることも忘れないでね」
「覚えておくよ」と私は言った。
「でも、とりあえずよかったわね」と彼女は言った。
「何か?」
「絵が無事に完成して、メンシキさんがそれを気に入ってくれて、まとまったお金が入ってきた
こと」
「そうだね」と私は言った。「そのことはとにかくよかったと思う。ほっとしたよ」
「おめでとう、画伯」と彼女は言った。
ほっとしたというのは嘘ではない。絵が完成したことは確かだ。免色がそれを気に入ってくれ
たことも確かだ。私がその絵に手応えを感じていることも確かだ。その結果、まとまった額の報
酬が入ってくることもまた確かたった。にもかかわらず私はなぜか、手放しでことの成り行きを
祝賀する気にはなれなかった。あまりにも多くの私を取り巻くものごとが中途半端なまま、手が
かりも与えられないまま放置されていたからだ。私か人生を単純化しようとすればするほど、も
のごとはますますあるべき脈絡を失っていくように思えた。
私は于がかりを求めるように、ほとんど無意識に手を伸ばしてガールフレンドの身体を抱いた。
彼女の身体は柔らかく、温かかった。そして汗で湿っていた。
おまえがどこで何していたかおれにはちゃんとわかっているぞ、と白いスバル・フォレスター
の男が言った。
20 存在と非存在が混じり合っていく瞬間
翌朝の五時半に自然に目が覚めた。日曜日の朝だ。あたりはまだ真っ暗だった。台所で簡単な
朝食をとったあと、作業用の服に着替えてスタジオに入った。東の空か白んでくると明かりを消
し、窓を大きく開け、ひやりとした新鮮な朝の空気を部屋に入れた。そして新しいキャンバスを
取り出し、イーゼルの上に据えた。窓の外からは朝の鳥たちの声が聞こえた。夜のあいだ降り続
いた雨がまわりの樹木をたっぶりと濡らせていた。雨はしばらく前に上がり、雲があちこちで輝
かしい切れ目を見せ始めていた。私はスツールに腰を下ろし、マグカップの熱いブラック・コー
ヒーを飲みながら、目の前の何も描かれていないキャンバスをしばらく眺めた。
朝の早い時刻に、まだ何も描かれていない真っ白なキャンバスをただじっと眺めるのが昔から
好きだった。私はそれを個人的に「キャンバス禅]と名付けていた。まだ何も描かれていないけ
れど、そこにあるのは決して空白ではない。その真っ白な画面には、来たるべきものがひっそり
姿を隠している。目を凝らすといくつもの可能性がそこにあり、それらがやがてひとつの有効な
于がかりへと集約されていく。そのような瞬間が好きだった。存在と非存在が混じり合っていく
目の前の棚に置かれた古い鈴が目に止まったので、手に取ってみた。試しに鳴らしてみると、そ
の音はいやに軽く乾いて、古くさく聞こえた。長い歳月にわたって土の下に置かれていた、謎め
いた仏具とは思えなかった。真夜中に響いていた音とはずいぶん遠って聞こえる。おそらくは漆
黒の闇と潤い静寂が、その音をより潤い深く響かせ、より遠くへと運ぶのだろう。
いったい誰が真夜中にこの鈴を地中で鳴らしていたのか、それはいまだに謎のままに留まって
いる。穴の底で誰かが鈴を夜ごと鳴らしていたはずなのに(そしてそれは何かのメッセージであ
ったはずなのに)、その誰かは姿を消してしまった。穴を聞いたとき、そこにあったのはこの鈴
ひとつだけだった。わけがわからない。私はその鈴をまた棚に戻した。
昼食のあと、私は外に出て裏手の雑木林に入った。厚手の灰色のヨットパーカを着て、あちこ
ちに絵の其のついた作業用のスエットパンツをはいていた。濡れた小径を古い祠のあるところま
で歩き、その裏手にまわった。穴に被せた厚板の蓋の上には様々な色合いの、様々なかたちの落
ち葉が重なり積もっていた。昨夜の雨にぐっしょりと濡れた落ち葉だ。免色と私が二目前に訪れ
たあと、その蓋に手を触れたものは誰もいないようだ。私はそのことを確かめておきたかったの
だ。瀧った石の上に腰を下ろし、鳥たちの声を頭上に聞きながら、私はその穴のある風景をしば
らく眺めていた。
林の静寂の中では、時間が流れ、人生が移ろいゆく音までが聴き取れそうだった。∵ハの人が
去って、別の一人がやってくる。ひとつの思いが去り、別の思いがやってくる。ひとつの形象が
去り、別の形象がやってくる。この私白身でさえ、日々の重なりの中で少しずつ崩れては再生さ
れていく。何ひとつ同じ場所には留まらない。そして時間は失われていく。時問は私の背後で、
次から次へ死んだ砂となって崩れ、消えていく。私はその穴の前に座って、時間の死んでいく音
にただ耳を澄ませていた。
あの穴の底に一人きりで座っているのは、いったいどんな気持ちのするものなのだろう。私は
ふとそう思った。真っ暗な挟い空間に、一人きりで長い時間閉じこめられること。おまけに免色
は懐中電灯と梯子を自ら放棄した。梯子がなければ、誰かの――具体的に言えば私の――手を借
りなければ、一人でそこから抜け出すことはほぼ不可能になる。なぜわざわざ自分をそんな苦境
に追い込まなくてはならなかったのだろう? 彼は東京拘置所の中で送った孤独な監禁生活と、
あの暗い穴の中をひとつに重ねていたのだろうか? もちろんそんなことは私にはわかりっこな
い。免色は免色のやり方で、免色の世界を生きているのだ。
それについて私に言えることは、ただひとつしかなかった。私にはとてもそんなことはできな
いということだ。私は暗くて挟い空間を何より恐れる。もしそんなところに入れられたら、おそ
らく恐怖のために呼吸ができなくなってしまうだろう。にもかかわらず、私はある意味ではその
穴に心を惹かれていた。とても惹かれていた。その穴がまるで私を手摺きしているようにさえ感
じられるほど。
私は半時間ばかりその穴のそばに腰を下ろしていた。それから立ち上がり、本漏れ日の中を歩
いて家に戻った。
午後二時過ぎに雨田政彦から電話がかかってきた。今、用事があって小田原の近くまで来てい
るのだが、そちらにちょっと寄ってかまわないだろうかということだった。もちろんかまわない
と私は言った。雨田に会うのは久しぶりだった。彼は三時前に車を運転してやってきた。手みや
げにシングル・モルト・ウィスキーの瓶を持ってきた。私は礼を言ってそれを受け取った。ちょ
うどウィスキーが切れかけていたところだった。彼はいつものようにスマートな身なりで、髭を
きれいに刈り込み、見慣れた鼈甲縁の眼鏡をかけていた。見かけは昔からほとんど変わらない。
髪の生え際が少しずつ後退していくだけだ。
さて、暗示とメタファのコントラと色彩が叙情に明確になってくる。まるで、セザンヌ絵のように。
面白くなってきた。
この項つづく